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日記買う常と変わらぬつらさげてさらば2018年。
2018年12月31日
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三千院・寂光院の大原中心部からさらに奥へ30分ほど歩いたところの山の中腹にある阿弥陀寺は即身仏で有名なところ。大原といってもここは四季を通じて訪れる人がまばらで僕の大好きなところだ。その寺院への参道坂道で出会ったフクロツチガキの仲間。こんな形のチョコがあった。キッスチョコレートだったかな。成菌はこんな形で殻皮が開いて熟した胞子をいっぱい溜めたフクロが露出する。その肌の質感がえもいえぬなまめかしさをたたえている。頂部の穴から雨粒などの衝撃によって胞子を煙のように吐き出す。
2018年12月29日
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夏から秋へ行きつ戻りつしてきた季節が、ここにきてようやくの冬将軍の到来。100回を迎えた「夜の顔不思議な俳句会」も昨夜無事終了。今日は終日ちらほら雪が舞う一日となった。「月のしずく」の追加発送を終え、ムックの新春の旅の友にサンタマウラ農園のニカラグア パカマラ ピーベリーを買い求めてきた。いよいよ、新年に向けて身辺の整理整頓を残すのみとなった。初冬の頃出会った紅葉・黄葉の写真を。
2018年12月28日
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月のしずく19号が出来上がった。INDEX離俗のすすめ ちょっと背伸びを自覚する庶民へ新たな神の出現 AI時代のきのこ国際人の知るべきことムハンマドと天皇新春おすすめ映画『セデック・バレ』と『サーミの血』サハリン2018年夏 祖父母の暮らした街をたずねて 正木 啓あやおちゃんの食の自然暦 南紀の冬 奥村 彪生いちじくさま 茶屋町一郎小島慎一朗の世界 カワラタケ加藤民子のきのこ染め カワラタケ ヒイロタケ 加藤 民子太陽と月の結婚 ムックきのこクラブの旅1・2月の巻 編集後記 など 今は亡き不東庵・澤貞安氏は、J-FAS日本キノコ協会設立以前から、私たちの活動を応援してきてくれた大恩人である。毎月、菌類学、微生物学、日本古代史、日本近現代史関連の最新の図書や入手できる限りの情報を提供してくれた。 氏との対話の中で育ってきた問題意識を月のしずく19号に至ってようやく言語化でき、いよいよNEXT STAGEへのバイパスが通じた感のある2018年歳晩である。氏の突然死で、恩返しが一切できぬまま今日に至っている。そこで封入・発送に先立ち、まずはわが恩人たちへの報告と不東庵氏の墓参を済ませてきた。 本日の午後一番に発送作業も完了。手渡し分を含めて年内にはすべて届けることができそうだ。 今年も余すところ5日のみ。身辺を整え、静かに本年を閉じたい。いよいよ名実ともに真新しい新年を迎えることになりそうだ。 亥年は僕にとって7度目の当たり年。方々にぶち当って風穴を開けたいと考えている。風邪を引かない程度に・・・。
2018年12月26日
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モダンダンスのUさんから招待されてMDFダンススタジオの2018年発表会にかけつけてきた。 世代差を超えて懸命に身体芸術に真摯に取り組む若者たちのダンススクールが、しかも尼崎にあること自体に驚いたが、Uさんから開幕前の立ち話に校長は元パニクルーのリーダーと小耳にはさんでなるほどと思った。 笠原康哉(かさはらやすちか)といえば、ストリートダンスの草分け的存在のパニクルーのシンガーであり、ダンサーでもある。彼の駆け出しの頃のニュースを興味深くみていた記憶が鮮明に思い出されてきた。今、大都会の片隅で、ストリートダンスに日夜励んでいる若者たちはわんさか居る。しかし、そんな中でもこうした組織だった形でダンスに取り組んでいく場があるというのは素晴らしいことだと思った。笠原氏のダンスに対する経験と熱情が、こうした形を生み出したのだろう。 Uさんは、数年前にこのスタジオのNaoki先生の指導するジャズクラスに参加して今日に至っているとか。 Uさんの活動ぶりについては、月のしずく18号(2018年10月発行)でもお伝えしたが、このスタジオでダンスに目覚めてからの展開はまさにめまぐるしいものだったようだ。そのUさんのルーツとなるダンススクールの発表会は、私にとっては初体験だったが、このスタジオのよいところは青年も少年も、はたまたキッズも、ダンスの前に一切平等であるというスタンスがひしひしと感じられたことだ。 そして、Uさんのダンスがいよいよはじまると、彼女のジャズクラスは、ヒップホップが主流のこのスタジオの中では全く異色のグループだということは直ちに了解できた。が、それが何の違和感もなく並存していることは、笠原氏の度量の深さだと改めて感じ入ったものである。 Uさんは、このグループに溶け込んでいて、しかもとてもしっかりとしたオーラを放っていてたのもしい。 しばらく彼女たちのダンスシーンをご堪能あれ。 さて、ジャズクラスもさりながら、こうした少年少女たちが入り乱れて、見事な調和を生み出しながら自己主張する姿にはほれぼれする。 個性的でありながら、しかもそれぞれが他のメンバーの動きを同時に引き立てているのだ。私が夢見てきたダンスというものの究極の理想形がここでは展開されていた。 こうしたテクノポップダンスも健在で、このスタジオでは比較的、年長組のメンバーたちが健闘していた。 僕は生まれて以来、こうした身体芸術には無縁のままに育ってきた。というのは、身体のどこをとりあげても、絵になる部分を一切与えられていないというコンプレックスを人知れず抱き続けてきたからだ。そして、その思いはいささかも改変されることなく、「おじん」といわれる季節に突入。そんな僕の羨望の世界がここには確かにあって、何か他人事ならず、胸すく想いがした。Uさんのおかげでこんな素敵な世界に没入することができてとても感謝している。 この日の印象だが、このスタジオの中でも、身体表現としての可能性がダントツに高いものは、やはりジャズクラスにあると感じた。 なんとなれば、音楽とダンスが混然一体となりながらも、ヒップホップの世界は、ついには音楽に対して従の関係を超えられないものがあるのに対して、この発表会の中では異質ではあっても、ジャズクラスのモダンダンスは、その音楽の魅力を最大限に表現しながら、それをもしのぐ表現力をダンスそのものが持ちうる可能性が感じられたことだ。 先月の十五夜月 それにしても、このスタジオの熱気からは、私のこうした第一印象はたちまち打ち砕かれるであろうことをも感じた。そんな意味でも、私の世界に突然侵入してきてたちまち私を魅了したUさんを取り巻くダンスの世界は、これからしばらく目が離せないものとなってしまった。 21日の冬至に続きダンスの22日の日曜日は15夜。そして振替休日の今朝出勤途上でも見事な十六夜のまどか月を認め、3日連続で堪能したことになる。 きのこ暦も第4期の2年をすでに無駄にやりすごしてしまった。いよいよ私も肚をすえて21世紀にふさわしいきのこ世界の新たな展開に取り組まねばならないと感じている。まもなく迎える亥年の1年。背水の陣を引いて奮闘すべきときのようだ。そんな私を力強く後押ししてくれた感動の一日だった。
2018年12月24日
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この11月、10数年ぶりに山東町の私のきのこゲレンデへGさん、Kさん、Sさんというすてきな女性たちをお連れして晩秋のきのこたちとの束の間の対話をたのしんだ折のことだ。 今はバンガロー村になったかの地だが、菌相は回復しており、往年のきのこたちが顔をそろえて出迎えてくれた。 そんな中ではキャンプ場に変化してから飛来したニューフェイスのヒトヨタケはぽつりと1個体、キャンプ場の広場の入口で立ち尽くしていてひときわ印象に残った。 昨日は冬至。この日をなんとかやり過ごすことに賭けてきてはいたもののさすがにいろいろな想念が私の脳裏を巡り、久々に寝苦しい一夜であった。 明けて一陽来復の本日、MDFダンススタジオのメンバーによる恒例の発表会を覗いてきた。明日その印象を語ろう。
2018年12月23日
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いよいよ2018年に私がやるべきことはほぼ完了しつつある。 残すところは夜の顔不思議な俳句会のみ。この会もこの年末で100回目を迎える。この会の明日は、メンバーの中から俳句のデモ―二ッシュな力を自覚しする人が何人出てくるかにかかっている。それは実作の中にただちに現れるものでなくとも、それに向けて自己の表現を研ぎ澄ませていくことにあるのだ。「俳句は過渡の詩」といわれる所以はそこにある。 次号は、小特集に「きのこ」をすえる。これからは折に触れ、繰り返し私の「きのこ」特集は続くが、そのはじまりである。 歳晩にお手許に届く予定の「月のしずく」19号はそういった意味でもこれまでの総括的内容となった。私の「きのこ」観は30数年前からいささかもぶらつきはないが、いまだ理解者は5指にもみたない。しかし、時代はようやく私に微笑みかけてきたようだ。まだまだけものみち状態は続くが、私の目の黒いうちに少しでも踏み跡をつけておきたいと考えている。
2018年12月21日
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羽束山は摂州(三田)へ定住し、武具の製作に携わった羽束師物部らが仰いだ甘南備山である。その北部にはかっては角山(つのやま)と呼ばれた有馬富士がそびえている。スカイラーク(揚雲雀)のかまびすしい春野、鳩・烏が群れる夏から秋にかけては稲田、そして今は穭田(ひつじだ)ばかりがひろがる冬野。いよいよ次春に向けて諸般を整える季節に入った。新春へ「月のしずく」19号もようやく峠を越えた。次春はイノシシ年。7度目の正直の当たり年とのことだ。
2018年12月12日
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朝5時に飛び起きて、延々3時間ほどかけて訪れた草津駅。そこには総勢6名が集っていました。そこから貴生川線でさらに30分、ようやく甲賀駅に降り立ちました。私は、良弁からみでこの沿線の石部駅や甲西駅を基点にここ数年ずいぶん多くの寺社や村堂を巡っていましたが、やはり遠くへ来たという感じはぬぐえません。まずは大鳥神社へと向かい始めると、村の路地のむこうに山の神の石碑が。茫々たる曠野をあるくこと30分。大鳥神社へ。この地へ来るといつも驚かされますが、さりげないたたずまいの寺社ばかりなのに近づいてみるとそれぞれ威光を放つ素晴らしいものばかりで頭の中は、はてなマークで満たされます。奈良平安時代、この地は杣として都の大伽藍や街づくりの材木供給地として栄えたことがしのばれます。甲賀といえば忍者の里。マンホールのふたには忍者とさつきの花が。街道添いの抱き茗荷の寺紋の寺にも以下の立派な阿弥陀像が鎮座まします。この近辺には珍しく菓子舗があり、画伯が女性陣のために栗大福と羊羹をふるまってくれました。ぼくらは中性ということでお相伴にあずかりましたが、なかなかおいしい和菓子でした。そこから国道を離れて小川沿いの路へと進路を変えます。やがて、櫟野寺(らくやじ)の寺堂の屋根が望まれる地点まで来ました。櫟野寺の集落入口あたりにあったヒメユズリハにたわわに実が成っていたので、死ぬほどの毒があるとは思えないのとおいしそうだったのでどんな味がするか試食してみました。ネズミモチの実と同じ感触ながら、えぐみがいっぱいでとてもおいしいとはいえませんでした。櫟野寺まで来るとやはり御開帳最終日で善男善女が大勢集っていました。修験僧もちらほら、聖護院派の山伏でしょうか、本日は期間中の納めの札をくべるための護摩壇が築かれていました。秘仏はこの日、参詣者への結縁の印に五色の糸が像と宝珠に渡されており祈祷のあと、その宝珠に触れることができるよう演出されていました。ひと刻みするたびに合掌して彫り上げたという丈六(約4.8m)の巨像は数年前、同じく33年に1度の秘仏御開帳の折に見た荒々しい表情の島ヶ原の十一面観音像より、ずいぶんと洗練が加えられており、圧巻でした。さてここで美冨久酒造の初しぼりをはじめ濁り酒や甘酒を試飲させてもらい、十分に燃料補給ののち、深々と冷えが深まる甲賀の地を更に油日方面へ。櫟野寺から油日大社の途中にみとめた油日岳は壮観でした。この地の油日神社は、境内をぐるりと檜皮葺きの回廊を巡らせる見事な神社で、神仏習合時代の名残りの梵鐘を備えており、先ほどの櫟野寺といいここといい、撞き放題。煩悩具足で梵鐘好きの私は、久しぶりに溜飲を下げることができました。法被こそ着てはいませんでしたが、本当にハッピ・ハッピ・ベリハッピーでした。名ガイド役を自任しているHさんが予約を入れてくれていた当地の民俗を集めた資料館で若い権禰宜さんに白洲正子の『かくれ里』の話を聞いたり、古文書を見たり、水争いのことを教わったりしたあと、ヒノキの落葉が積りにつもってふわふわになった林床できのこ探しの時間に。そして、「長らくきのこ稼業を続けてきましたが、今年は大変でした」とつぶやく呆けたヒラタケやホコリタケに出会いました。冬ざれの景色の中でひときわみずみずしい冬イチゴちゃんも。本殿から回廊を振り返ると、近在の護摩油と造酒屋関係の業者の奉納した油とこもかぶり酒が並んでいました。ここからJR油日駅までの束の間日当たる土手で見つけた狂い咲きのリンドウとスミレの花。かくして今年のムックきのこクラブも無事終了。いよいよ次年度に向けて準備あるのみとなってしまいました。戦いすんで日がくれると同時に雨がハラハラとふりはじめ、不埒で不浄きわまりない僕たちの罪を流してくれたかのようでした。めでたしめでたし。
2018年12月11日
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