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くよくよしているのが一番いけないと、朝9時を待って鍼灸の予約をし、ヨガを終え、鍼灸に行って、いま帰ってきました。 10分くらい、私のここ4年間のメモを見ながら、先生と話をしました。 先生は治療の前は、以前(4年前)と変わってない、とマイナスな感じでした。私は、そんなことない、よくなっている、と思いながら、診察室へ。 治療を終えて、私の体の反応を見て、先生が明るい感じになりました。治療の前、自分のお腹やクビなど左右の違いをわからせてくださいました。私が自分の身体を感じる力があるかどうかも試している感じです。 とてもていねいに鍼灸をしてくださった結果、なんと8割くらいよくなっていました。それでも不安なので、来週も行くことにしました。 いまの時期、私のような患者が多いのだそうです。この季節の乗り越え方が下手なんだろうと思います。 ある程度老化もあるから、それを補うには運動が必要というようなお話でした。骨が細くなった分、筋肉で補うということでしょうか。 こんなにすぐ結果がでると思っていなかったので、びっくりです。
2007.08.31
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いつころから左足が痛むようになったのか、わかりません。そのころは記録をしていなかったので。始めは、左足の後ろの筋でした。うつがひどくなる前、転んで立ち上がれないほどお尻をうちました。そのせいかしらと思っていました。 大学病院の整形外科にもいきましたが、腰のレントゲンを撮り、将来坐骨神経痛をやるかもしれないということでした。老化現象だそうです。 そのうち膝が痛むようになりました。これは病院にはいきませんでした。精神科の医者にも言ってません。精神科の医者は、整形外科に行っても、痛み止めをくれるくらいだということを知っていて、漢方薬を処方してくれました。これが効く人もいるそうです。 昨日の夕方、ヒールのついたサンダルで買い物に行ったら、歩くたびに足の前の部分が軽く痛みます。一応湿布薬をはりました。家の中では痛みません。水平な状態ですから。 今朝、ゴミを捨てにサンダルで行ったら、痛みました。鍼灸に行こうかなと迷っています。予約して、出かけるというのがおっくうなのです。 駅前の接骨院に行くのもためらいます。信用できるかどうかわかりませんので。鍼灸は以前住んでいたころ何度も行きまし、いろいろ話もしていますので、安心です。 リーマスは筋肉への副作用があることは医者も認めています。今日、あいているかどうかわかりませんが、鍼灸に行こうかな……。ジムには交通事故で片足が不自由な人などがきます。みなさん明るいです。こちらが励まされるくらいです。 昨日はみなさん心配してくださってありがとう。感謝しています。
2007.08.31
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少し落ちているかなという状態なのに続いてパンチをくらい、さらに落ちてしまいました。でもうつになるほどではありません。私の場合、リーマスが合ってますからね。合わない人は大変だと入院した病院の医者が言ってました。 今日はジムには行かないので、音楽を聴いたりしてのんびりと過ごします。いつもならこういうときは、デパートへ行ってきれいなものを見たり、喫茶店でぼんやり過ごすのですが、その元気はありません。 ところでうつの職場復帰対策について、もっと勉強したいのですが、なかなかその気がおきません。ずっと暑かったですからね。 最初は自殺をしてほしくないとブログを始めました。いまでもその気持ちに変わりはありませんが、ブログを続けるうち、大事なのは病気の回復と職場復帰、そして生活の保障だということがわかりました。 なにか私にできることはないかと模索しています。 でも寛解しないうちに始めたら、ドクターストップがかかるのかしら……。丸2年おだやかに過ごせているので大丈夫だと思いますが…。強いストレスがかかることをしないようにすればやれるでしょう。 話はかわりますが、以前子育て中の母親の会をたちあげたときはW氏の支援があったから、順調でした。そのときのおかあさんたちが、現在小田原で重要な仕事をしています。小田原に引っ越した人も数人います。なんでもやってムダはありません。思いがけない実を結ぶものです。
2007.08.30
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今朝でしたか、夫が『読売ウィークリー』に企業のうつ対策が載っているから、目を通すようにとおいていきました。何をいわなくとも、彼なりに協力しているのだと、うれしかったです。 でも、たいていは読んでがっかりということが多いです。ほとんど対策をしているのは大企業なのです。やはり資金にも人材にも余裕があるからできることなんだと思います。 もちろんムダな情報ばかりでなく役立つこともあります。うつが治った、即復職とはいかないことなどがはっきり書かれています。これは当然なことなのですが、本人の焦りと家族が焦らせるケースがあります。 治ってから1年は薬を続けるようにと、私が通っているクリニックにありました。軽い人でそうなら、重い人はどうなるのだろう、と一瞬思います。 ブログを見ていると、一人ひとりうつ病の内容が違う気がします。だから最後は個別の対策ということになる気がします。 いまは暑さを乗り越えるのでせいいっぱいです。生きていればいろいろ心が痛むこともありますしね。
2007.08.29
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今日は落ち気味です。原因はわかっているのですが、やり過ごすしかありません。一つのイヤなことが次のイヤなことをつれてくる感じがわかり、面白いと思いました。 プールに行ってすっきりするかと思ったらそうでもありませんでした。でも、お互いに苦労をわかりあえるジム友と、帰り道少し話をして元気がでました。 私の場合、薬を飲んでいれば、ほとんどあがりもさがりもないのですけど、その中でも多少落ちたり上がったりはあります。 午後昼寝をしました。 夜の睡眠が安定しているので、大丈夫でしょう。 息子から連絡がはいらないので、どうしているのかな、と夫と話しています。弟が梨を送ってきたので、おすそわけをしようと思っています。
2007.08.28
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うつをわずらっていると、長い間には調子を大きく崩すときがあります。たとえば全然眠れない、イライラがひどいなど。 これを書き出しておくと、後になって再び調子を崩したとき、参考になります。 ではそういうとき、どうしていますか。支援してくれる人にすぐ相談する。病院に行く。信頼できる人に話を聞いてもらう。 最終的には入院ということもあるかもしれません。そのために、入りたくない病院、支援してくれる人にしてほしいこと、そういったことを書いておきます。 私は、重くなってから、全く家族まかせでした。状態のよいときに、いろいろ書いておけば、家族も楽だったでしょうし、私も安心できたでしょう。家族が把握していない、つまり私が伝えていないなかで医者と向き合うのは、私自身大きな不安でした。ほかの病気なら検査でわかる部分が大きいですが、うつは検査だけではわかりません。 うつが重くなると、自分が思っていることを、家族に伝えるのが困難になります。私は軽いといわれたクリニックでの状況を家族に話さなかったですし、書き留めてもおきませんでした。ふつう、ほかの病気でしたら、胃が痛いとか、薬で治まったとか、話をします。 なぜ、家族でうつが話題にならなかったのか、今も疑問です。もっと家族に伝えておけばよかったと思います。心配をかけまいと私が話さなかったのか、軽いから大丈夫と思っていたのか、といった理由があげられます。★このところ寝すぎです。8時間以上寝ます。睡眠剤のセルシン5ミリは多いです。しかし、すぐに4ミリに戻すのも不安ですし、もう少し様子を見ましょう。こんなに睡眠に波があることを、はじめて知りました。
2007.08.27
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うつになるときも、調子を崩すときも、身体は信号をだしています。しかし、こちらのアンテナがさび付いているとキャッチできません。 私はうつになる前、なんとなく調子が悪いので、鍼に行きました。このころ、先生は鍼もお灸もやめていて「気」で治すことに挑戦していました。なんか神がかっているので、信頼できなくなりました。それでも伺うと、心不全と十二指腸潰瘍の疑いがあるといいます。 まさか、と思いつつ内科に行きました。でもよく考えると、イライラしたことのない私がイライラしていたんですね。これは身体からの信号だと思います。しかし、精神科とは結びつきませんでした。 うつになってからもきっと身体は信号をだしていたのだと思います。しかし、私は仕事を続けたいからと無視してきたのです。 こういった調子を崩したとき、あるいは信号をだしているのに気づいたとき、自分でもできることはあります。親しい友人に話す。きれいな絵、花などをながめゆったりと過ごす。音楽を聴き、ぼうっと身体を休める。 つい寝にげ(ブログで初めて知りました)に走るのもわからないではないけれど、日ごろから、どういうとき、自分の落ちている状態をあげることができるか、工夫してそれを書留めておくのはとてもいいことだと思います。
2007.08.26
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たとえ毎日が重いうつの状態でも、波があるはずです。落ちたときを書き出すことで、そんなときはどうしたらいいのか、考えることが可能です。 私は、7年ほどおだやかなうつ状態できていきなり重いうつに落ちたので、何もできませんでした。でも、少し、このような知識があったなら、激うつになる前に病院を変えるとか、仕事をやめるとか、方法はあったと思うのです。 ほかのことでは、よく考え、動く私が、うつではまったく医者まかせでした。それはうつが軽いといっても仕事と家事でいっぱいだったからです。今も医者まかせですが、医者との信頼関係が全く違います。 みなさんはどんなことがきっかけで落ちますか。私は・家族の人間関係がぎくしゃくするとき・睡眠が足りないとき・スケジュールをつめすぎたとき・仕事がうまくいかないとき では、こういったことをどのようにして解決しているでしょうか。・息子に話す。・ヨガで心の一切を大地に吐き出し、宇宙のエネルギーをもらう・きれいなものを見る。花、絵、陶器など・生活を見直し、ゆったりと暮らすようにする・近いところで自然のなかに身をおく(場所を変えると気分転換に。自然は私を癒してくれます) 両親の介護は夫が主体となってやってくれましたが、極力私も手伝いました。免許をもっているのは私だけでしたから。(私が激うつになる前に夫は虫の知らせか、免許をとりました)。このことが負担というより、このことで時間をとられ、気分転換ができなかった面はあります。 ですから、今の生活と介護があったときの生活は雲泥の差です。★夕べの首都圏特報はうつの人の職場復帰でした。失敗した人と成功例と両方やってました。失敗した方の焦りはよく分かります。成功した方は会社との信頼関係があったのが印象に残りました。いまの日本でこれほど、上司と部下、産業医で信頼関係が結べるのか、疑問です。 これらの例は大企業でしょう。中小企業はそれどころではないというのが本音ではないでしょうか。しかし、うつになる人はよく働く真面目な人です。その人を失うのは会社の損失です。うつのことを知らない人は正直どんな対応をしたらよいのか右往左往してしまうのが現実です。このあたりに手をさしのべることができたらいいなと考えています。★今朝は7時半、夫に起こされました。びっくりです。どこかに明日は土曜日という意識があったのでしょう。9時半くらいまで眠かったです。しかし、こういうときに睡眠のリズムを崩すのはよくないので、飛び起きて朝食をいただきました。
2007.08.25
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いきなりプランといっても難しいので、日々の行動を毎日書いてみます。そうすると、睡眠の状況、適度な運動をしているか、どんなときよい気分になるかが見えてきます。 世の中全体が夜ふかしになっているので、その点をチェックしてみましょう。私は、小田原にある「はじめ」塾の子どもたちが、早寝早起きなのを見てきて、とても参考になりました。それは昼間の学校あるいは労働(農業など)をのぞけば、入院の生活と同じでした。 ここのポリシーの一つはは病気になる要素をもっていても「発病させない」です。ですから、食べることと寝ることには気を使っています。 私はもともと夜更かしはできないタイプなので(12時以降寝ると、調子が悪い)、早寝早起きにはいるのは簡単でした。でも、好きなドラマがあっても(9時以降にある)見られないことが多いです。 夫との会話の時間も少なく、ちょっと寂しいです。しかし、5時起床から逆算すると9時就寝になります。 適度な運動は治療中でも必要ですが、これがなかなか続きません。私はジムに通うことで、続けることができます。誰でもジムに通える環境にはありません。いまは暑くて無理ですが、1日30分でも歩くことはよいことです。はじめ塾の不登校の子どもたちは、農業などをして過ごします。学校へ行く子もいます。 最後にどんなとき気持ちが上向いているかあるいは落ち込むか、毎日書いていると、浮かびあがってきます。私は友人からのメール、ヨガがうまくいったとき、料理が上手くできたときなどで、気分が上向きます。幸せな気分でいるのはどういうときか、書き出してみるといいと思います。 落ちるのは人間関係がうまくいかないことが多いです。 とりあえずは、ここまで整理できれば、自分の方向が見えてきます。たとえ落ちることがあって、生活が乱れても、ここに戻ってくればいいのです。 今日、NHKの首都圏特報でうつのひとの職場復帰をやります。何か参考になるといいのですが…。
2007.08.24
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回復するためのプランをつくる前に、確認しておきたいことがあります。・夢や希望をもつこと・学ぶことをいやがらない・支えてもらう 希望を持たない人に比較して希望を持つ人のほうが回復が早いそうです。これはどの病気にも言えることだと思います。私はうつの軽い時期、医者に「生きがいがないと治りにくい……」と言われました。 私は発病した時点で、夢がたたれたと思い、絶望してしまいました。しかし、どうしても2冊目の本は書き上げないと、とがんばりました。突然人生設計が狂ってしまったのをどうするか、もがいたことがあります。 私は学ぶことが大好き。どんな人からも学ぶことは可能です。アンテナを磨いておくと、必要なことが訪れてくれるのです。なんでも「そのくらいのことは分かっている」と思っていると、学ぶチャンスは逃げていきます。謙虚な気持ちでいると、大事なことがすっとはいってきます。 一人ではできなかったら支えてもらうことが必要です。いや、人生は人のサポートなしにはなりたたないといっても過言ではありません。★雨のせいか、夕べはよく寝ました。夫が「寝てなさい。僕行くから」といいます。きっと立ちぐいそばを食べるに違いありません。私はさっそく、そばのつゆを作り、そばをゆでました。今日は私が「たちぐいそば屋」に変身です。★私は、何度も挫折してきましたからある意味では強いです。しかし信じている人の裏切りには弱かったです。先日中島弁護士の葬儀で会ったKさんから「やっぱりあなた強いのよ。病気のつらい体験を本にしてしまうのだから」といわれ、驚くとともに、うれしかったです。 弱くとも強くともありのまま生きていけばいいのですが、これから何かをするのだとしたら、強いにこしたことはありません。★今日はプールもヨガもありません。ゆったりと過ごします。
2007.08.23
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日常の生活をどうするかの前に、自分をふりかえってみることも元気になります。私は、いずれゆっくりと生い立ちから振り返ってみようと思っています。どんな私だったか、きっと発見があると思います。 元気になるには、まず、自分はどういうとき、元気になるのかあるいは幸せな気分になるのか、書き出してみましょう。私は、誰かに理解してもらったとき、素敵な人に出会えたとき、睡眠が十分とれたとき、コーヒーを飲みながら、音楽(クラシックや越路吹雪など)を聞くときなど。 元気になるには、食事をきちんとすること、睡眠を十分とること、パソコンをやりすぎないことなど、しなければならないこと、してはいけないことがあります。これも書いてみるといいです。発見するたび書き足します。●このようなことをていねいに書いたあと、調子を崩したときなども考えていきます。私はこれをブログに書いてみようと思ってから、心や身体を見つめるようになりました。 頭痛が起こるのはどういうときか。 気分が落ちるのはどういうときか。 新しい考え方ができるようになったことで、解消できることも経験しました。●今日は禅ヨガです。プールよりはヨガが楽しいです。山にのぼったとき、ヨガで少しずつ鍛えられていることが分かりました。●夫は昨日の朝と違ってご機嫌です。夕べの会できっといい出会いや友人との交流があったのでしょう。
2007.08.22
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私はうつを発病してから、薬だけをたよってきました。医者が軽いというから、それを信じて、2,3年で治ると軽く考えていたのです。 かなり軽い人以外は薬だけでは無理という話を聞きます。うつを治すために支援してくれるのはどんなものが考えられるでしょか。・ヨガ・太極拳・野口整体・食事療法・瞑想・作業療法・カウンセリング・ウオーキング・おしゃべり・ブログ どんな風に回復していく予定か、自分で計画することが大事と思ったのは、9年が過ぎ、10年目にはいった今です。(1998年発病) 医者まかせで、自分の身体を見つめなかった私。そんな私自身の反省を含めて、元気を回復するプランを考えてみたいです。 プランを作るのは、誰あろう、病気の本人です。もちろん誰かに手伝ってもらってもいいでしょう。調子が悪くなったときでもできることはあります。 ペンとノートでまずはいくつかノートに書いたり、PCを使ったりしてつくります。あまり難しく考えず、思いつくまま書き出せばよいと思います。最初はおおざっぱに、だんだんしっかりやっていくと負担が少なく、たのしくやれると思います。 まずは日常生活をどうするかを書いてみます。(私の場合)・早寝早起き、最低7時間の睡眠・週に3回は運動(といってもヨガと水中ウオーク)・ブログを書く(気分がよくなる) こう考えている私自身も、やってみようと思います。寛解したわけではないですからね。★今日は睡眠7時間半 薬が残っているのか、だるい。 昨日は夕方、目が痛くて、1時間夕寝、前日の運転にはサングラスかけたのですけどね。1日中かけておけばよかった。眼が外人と同じなので、日差しに弱いのです。 今日は水中ウオーク。おっくうだけど行ってきます。クロールはやりません。
2007.08.21
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夫の友人がステキだったという話に、つい刺激され、夫に「行こうか」「うん」という返事。まさか夫がOKをだすとは思いませんでした。 昨日の朝3時に起きて、4時には白馬へ向けて出発、ゴンドラのところまで3時間半。高速だけでなく普通道もすいていました。夫の運転です。 山は、道が石でできていて、花を見ていると足元が危なく、予想していたより大変でした。しかし、下に雲海をみ、時々顔をだす山々。ゆっくりあたりを見ていると、癒されます。ゴンドラなどができたために、草花にはよくないのでしょうが、この高さまで登るのは大変です。 夫とずっと以前行った、大町から黒四ダム、室堂の景色が思いだされます。花は、7月のほうが豊かです。こんなに簡単にこられるようになったのも高速のお陰でしょう。いいことか悪いことか、なんともいえません。 食事をとり、帰路へ、途中から私が運転。ところが小仏トンネルから中野トンネルの間14キロ2時間の渋滞の案内。夫は「下道へおりよう、運転を代って」とパーキングエリアへ。水とパンを補給。 私は、下りることに反対、知らない道でうろうろするのは危ないです。「もう、1キロ走ったじゃない」「あらもう残りは10キロよ」と夫と笑いあい、とうとう、抜けました。案内よりはずっと早く抜けられました。3車線が2車線になるのですから、渋滞しないほうがおかしいでしょう。設計ミスです。 少ししか運転できなかった私はちょっぴり不満……。 でも、出口からの道は夫がよく知った道、やはり任せたほうがよかったでしょう。 夕べ、3時起きの影響で中途覚醒したらイヤだなと思いましたが、2時半にうっすらとめざめ、またすぐ寝て5時起床。よかった。どんなに睡眠のことが私のトラウマになっているか分かります。 夫は少し不調? でも出勤していきました。 もともとが懐疑的なところがある私は、こういった喜びの後、人生について考えてしまいます。いのちのはかなさです。だからこそ、使命をはたしたい。イヤこの身体で大丈夫だろうか。もう家族に心配はかけたくありません。でもこのままぼうっと生きるのはイヤです。精一杯生きたい!!
2007.08.20
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昨日はヨガでした。最近ポーズも覚えてきて、楽しくなってきました。なんといっても呼吸による心身の落ち着きが心地よいです。 友人は最初の本、2冊目の本、今回の本を買ってくれました。自律神経失調症をもっているそうです。いつも金曜日ななると、高いスーパーに行って買い、ご主人の両親の料理を作りご主人が届けるようです。えらいな、と思います。 そんな話から私の夫は両親のことになると何はさておいてもとんで行きましたよ。正月に私と娘が風邪をひいても放って行きました。日本の男性は、マザコンなのかしらなんて話に。 彼女は、そういう話、癒されるわ。私は夫を悪く思ったり、自分がダメな妻と自分を責めてしまいそうになります。いちばん心配なのは息子のこと。先日、私が自律神経の発作を起こしたときも、置いていかれたのよ。下の息子が「母さんのことは、僕が面倒をみる」と言ったそうです。またしてもマザコンが一人誕生か。 こういったことは、私たちだけに影を落とすだけでなく、子どもたちにも影を落とします。それがいちばん辛いです。 私は、まだ40くらいのとき、優等生だったので、嫁としても優等生でいたかったのです。両親との関係がのどにトゲがつきささったような感じでした。しかし、仕事場で「人は一人ひとり違う」ということを学び、人は変えられないけれど、自分が変わることはできる、と思い、実行し、ずいぶん楽になりました。義母も年をとり、少しずつ親しんでくれるようになりました。 しかし、介護の状態になったころ、ちょうどうつになり、毎土日の運転はつらいこともありました。夫が一人で電車で行ったこともたびたびです。 私の人生ってなんだろう、子どもを育て、両親を介護し、病気をかかえと懐疑的になることがあります。でも、もうある意味で悟りました。 こういった話は嫁としてある種つらい思いをした人にしかできません。共感してもらえる友人を得て、癒されます。何よりつらいのは、それが子どもへも影響していることなのです。 しかし、私は悟りを得ました。みなそれぞれの人生を生きていくしかないのです。どんな試練も乗り越えていくしかありません。私に乗り越える力があるから、与えられる試練なのですから。 共感してもらえ、心は軽くなりました。これもまた偶然ではない必然の出会いなのでしょう。 今日は午後9時に寝て、なんと起きたのは午前7時20分。5時頃いちど目をさましたので、二度寝かもしれません。だるいです。二度寝って不快ですね。
2007.08.18
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午前中家事に追われたわりには、気持ちは落ち着いていました。血圧も元どうりにさがってきています。体重はわずかに増えた感じ。食欲はあります。 プールやCLCAの行事をキャンセルした効果はありました。しばらくクロールは休むしかないと思います。残念です。 医者との会話 「どうですか」 「落ち着いています」 「先生、カウンセリングの紹介状は?」 「あれ、忘れてました」 「そういう先生好きです」 「言ってくださいよ」(笑い) 「先生、もう落ち着きましたから、いいです」 「受けないでいい、高いお金だしてやることないよ」 いつものように薬を処方していただき、睡眠が7時間とれているなら……。 「先生、これ以上薬を増やしても同じです」 「僕も薬、増やしたくないよ」 ということで、セルシン5ミリで、次回は3週間後。 帰りの電車のなか、ふと考えました。あれ、今日、血液検査のはずだった。私も先生もけろっと忘れていました。メモをとる段階で忘れていたのです。やれやれ。先生に次回忘れないように、とファクスしました。 こんなふうに書くと、いい加減な医者と思われますが、ポイントは見ています。ですから信頼しているのです。 私にはなぜ、血圧があがったのか分かりません。家族のことで少し気持ちが落ちてはいましたが、それも私の心のなかで、ある落ちつきを得ました。 息子にメールすると「ぼくのカウンセリング料、高いよ」 「はい、仕方ありません。質がいいですものね」と返信。 まだまだ気の抜けない日々ですが、一つ山をなんとか超えました。これからも用心ですが……。 今日はヨガです。夫は腸の調子が悪いと言って(いつもです)とでかけていきました。★夕べ、二人で送り火をたきました。京都の大文字焼きをテレビで見たあとです。 私は送り火や迎え火が好きで、子どものとき、どうして毎晩炊かないのだろうと、不思議でした。両親を亡くしまだまだ淋しい夫には、気を配ってあげないと……、なかなか言わない人ですから。
2007.08.17
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うつ病の時代と森田療法 うつ病の時代といわれます。実際現在の精神科や心療内科を訪れるうつ病者の占める割合は不安障害(神経症)と並んでかなりのものとなります。森田療法はその成り立ちやその後の発展をみても不安障害(神経症)をその主たる対象としてきました。つまり森田療法家は不安を理解し、その対処を助言する専門家であるといえましょう。しかしモリタの時代からすでにうつ病者をその治療の対象としてきたのです。 また最近の私たちの研究から明らかになったことですが、森田療法を求めてくる不安障害の少なからずの例がうつ病を合併しているのです。多くの場合まず神経症症状が先行し、二次的にうつ状態を呈しています。それは臨床的にも納得のいく現象です。不安、恐怖にとらわれ、その悪循環に陥ってしまうと、その不安、恐怖との戦いに消耗し、その不安にどうしても対抗できないと無力感に落ち込んでしまいます。すでにこれはうつ状態です。これが神経症に引き続いて起こるうつ状態です。このような神経症と合併したうつ病者は精神療法を求めてきます。薬物療法だけでは問題が解決しないことを当事者は誰よりもよく知っているからです。これが森田療法の第一の対象となるうつ病(神経症性うつ病)です。 次いで大うつ病(今まで内因性うつ病と呼ばれてきたもの)のある森田療法の対象となります。つまりうつ病者の精神療法の適応はその時期によって異なります。精神療法が最も必要とされるのは、うつ病の回復期とうつ病が長引いてしまったときです。長引いてしまった状態をうつ病の蔓延化と呼びます。このように長引いてしまったうつ病の人は今まで十分な薬物療法を受けていたことを考えれば、それのみではとうてい対処できないことがわかります。 しかし最近の抗うつ剤の進歩は皮肉な言い方をすれば、治療者の抗うつ剤信仰、あるいは依存に拍車をかけたようです。うつ病を症状の数で診断し、症状の重症度と今までの経過で薬物商法をいわばマニュアル化して行う治療法が提唱されています。 それは治療の標準化、治療のアルゴニズムと呼ばれ、治療の恣意性をなくし、平均化していく試みです。そのような意味ではそれ自体非難されることはないでしょう。しかしそれとうつ病という苦悩に満ちた体験と人生を理解し、その再建を助ける作業とは一応別なものであると考えたほうがよいでしょう。一方ではうつ病は薬物療法を行いながら、他方では状態に応じた精神療法が必要です。それゆえ薬物療法と精神療法は車の両輪といえるのです。 このような回復期と長引いてしまったうつ病で悩む人たちも森田療法を求めてくるようになってきました。そのうつ病者の特徴を挙げると、まず軽症であることです。しかし軽症であることとそこからの脱出が容易であることとは別なのです。むしろ軽症であるゆえに、うつ状態が長引いてしまう場合も多いのです。その長引く要因には、社会家族的状況、本人の性格傾向、今までの生きてきた歴史の中で未解決の葛藤を抱えていること(若い頃からの神経症的傾向)、今までの治療状況などがこれに関与します。 また注意を要するのは医原病としてうつ病の蔓延化です。うつ病を治療する側のあまりに保護的な態度、つまり安易に長期の休養をうつ病者に処方することが逆にうつ病の蔓延化、あるいはうつ病者の社会的場面への回避を強めてしまうこともあります。そして治療者の過度のうつ病治療における薬物依存が大きな問題となります。うつ病者の訴えを単なる症状というレベルで聞けば、それに見合った薬を増やすなり、薬の種類を変えるなりするしかありません。社会復帰が不安である、といえば抗不安薬を処方し、またうつに落ち込んだといえば、抗うつ剤の処方を変える。あるいは増量するなどです。 このように薬物療法に治療者もうつ病で悩む人も依存してしまえば、それがうつ病の蔓延化につながります。また不安へのとらわれを強めるという意味では神経症化を強めてしまいます。つまりうつ病に逃避してしまい、現実から逃避し、その人生の再建が難しくなる場合もあるのです。もちろん逆に抗うつ剤使用の不徹底さの蔓延化要因となることは、せでに多くにうつ病研究者の指摘するところです。 一方うつ病者は頑張り屋です。そのことが本人の抱えている深刻な問題をあたかも軽いものと見せかけ、人前(多くは仕事や治療の場面)でそのように演じてしまうこともあります。そのようにして一見すると軽症と周囲から、治療者からもみられ、そのまま蔓延化してしまうこともあるのです。 さらに深刻なのは、うつ病者がこのうつ病という事態が抱え込めなくなると、いつか糸が切れるように、自らの存在をなくしたいと思うかもしれません。 この文章は、「森田療法で読むうつ その理解と治し方」の序文に手を加えて、短くしたものです。興味のある方は本を読んでみてください。私の考え方をさらに知りたい方は、その本の中の「3 森田療法でできること」に目を通していただきたいと思います。うつ病を「うつ」の悪循環として捉えること、その打破の方法、そして生き方の修正とうつ病治療などについて述べています。 森田研究所★具体的に何をするかは近いうちに紹介します。入院治療です。神経症の治療が主でしたが、最近うつを伴う神経症があるようです。 MORITA THERAPY INSTITUTE
2007.08.16
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昨日はいつものように起き、化粧をして足柄に向かいました。お弁当もちです。CLCAでは、お弁当を共有し、みんなで食べます。最初は慣れませんでした。お料理下手ではないけれど、遠いので、楽ではありません。 すると、もっていけない人はご馳走になってもいいと言われました。ですから、どうしても作れないときはお世話になります。 午前中は沖縄戦の聞き語りをDVDに収めたものです。これまでも、テレビで見てきましたが、そんなものではありません。壮絶という言葉で表されないほどひどいものでした。なぜ民間人がこんなにも巻き込まれなければならなかったのでしょうか。 最後の一人まで闘え、アメリカ軍につかまってはずかめしを受けるくらいなら、死ねという戦じん訓の教育の結果です。校長が妻の首を切り、次に自分の首を切るのを目の前で見た子どもたち……。 この聞き語りを集めているのはスギノ(間違っているかも)さんです。 午後は沖縄に行って、生き残った人たちの話を聞いてきた、「はじめ」塾の子どもたちの話です。DVDは和光小学校、鶴川和光小学校の子どもたちが沖縄を訪れたときのものでした。 どの子も、聞いた話をしっかりと語ってくれました。「知らなかった。学校でも聞いたことがない。これからはしっかりしたい」というのは中学生でしょうか。 最初にCLCA代表、前「はじめ」塾主宰者のW氏の導入の話がありました。終戦についてきちっと授業で、彼自身も教師のときやってこなかった。その反省をこめてこの会を始めました。日本全国、どこででも、やられてはいません。きちっと学校で、この戦争の教育をすべきであった。このような話でした。もちろん女性たちの「戦争を許さない会」など、あることはあります。しかし、学校での教育はないのです。 ドイツと日本の違いは、ドイツは戦後、自分たちのしたことの反省をきちっとやっています。日本は非常にあいまいなまま、戦後をおくってきたのです。被害者意識はありますが、加害者意識は少ないです。 昨日テレビで憲法9条をやっていました。賛否両論でしたが、一人の男性がイラクでだったと思うのですが、どの検問も、「あ、日本人か、それなら戦争をしないから、通っていいよ」といわれたそうです。憲法9条は海外で評価されているのです。どこも、日本に戦争手伝いよ、なんていっていません。言っているのはアメリカと日本の右翼議員だけです。 思ったより早めに終わったので、新松田まで会の方に送っていただき、急行に乗りました。行きも急行でしたが、山北(御殿場線)でYさんと一緒になり、タクシーを割りかん。帰りはロマンスカーを予定していましたが、急行ですみました。少しでも節約して、次に行く費用にしたいのです。 駅には夫が迎えに。家につくと、カレーがつくってありました。 沖縄も広島・長崎も悲惨です。しかしこれを美談にするのは危険です。えてして日本人は死を美談にしたがります。亡くなった方のお陰で平和に暮らして来れた戦後ですが、そしてそのことを忘れてはいけないですが、その人にも、生きるべき人生がありました。美談にしてそれをうやむやにしてはいけないのです。 私ができることは、社民党党首の福島さんの憲法についてのメルマガを転送するくらいです。★今日は精神科です。とうとう紹介状は届きませんでした。きっとお忙しかったのでしょう。あのくらいでおおらかでないと、精神科の医者はつとまりません。
2007.08.16
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明日はいつものように起き、夫の作ったそばかそうめんを食べ、弁当を持って出発。足柄地方にある山北の駅からタクシーで、市間寮に行ってきます。 長年、参加したいと考えていた「終戦をきちっと受け止める会」に参加します。 CLCAは政治活動は禁止です。しかし、この会は政治活動ではありません。 残念ながら夫は行きません。夫はやることがたくさんあるようです。帰りは友人に新松田まで送ってもらって、小田急で帰ってきます。 CLCAにはかかわりたいのですが、遠いので、交通費もばかになりません。子どもを育て中の人が中心です。私のようなおばあさんは数人です。W氏は私より年上。でも、同年代の感覚を共有できます。 ブログの更新は休みます。
2007.08.14
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私は、自分がうつではないかと思ったとき、図書館にあった認知療法の本を参考にをやってみましたが、長くは続きませんでした。 いま、再び認知行動療法が見直されています。『プチ認知療法』という下園さんの本が人気なようです。以下朝日新聞より 認知行動療法とは、うつ病などの精神疾患は、物の見方=認知のゆがみが原因になっているケースが少なくない。その認知を自ら修正することで、よりよい行動に移す精神療法の一つ。物事をすべて白か黒かで考える。自分に関係ないことまで自分の責任だと考えるなどは、認知のゆがみの例。 米国では20年前ほど前から注目され、日本でもここ数年、関心が高まっている。★私は先輩の裏切りから発病したせいか、認知療法はさほどに必要とはしませんでした。すごく重くなってから、自分を否定しましたが、その時は、認知療法で治るような状態ではなかったです。 軽いうつの場合は効果があるのかもしれません。★森田療法という昔はやった、作業療法がうつにもきくようです。日本の大学の先生が紹介したために、西欧から逆輸入で見直されています。神経症のために考えられた療法なのですが、私は詳しくはしりません。入院して森田療法で治った人はいます。★認知療法は、うつの予防には役に立つと思います。そういう意味では再発予防にもなるかもしれません。 そのうち森田療法について紹介します。みなさんはその前にネットで調べてしまうかもしれませんが。 復職の難しさを痛感しています。私のお気に入りだった方がプツンと、更新しなくなりました。更新の仕方が非常にきちんとしていたので、「あぶないな」と感じていました。復職のモデルになろうとしていたのだと思うのですが、力つきたのかもしれません。 おかぴーさんも挫折、更新ありません。私は、復職が早いなと感じていました。しかし、彼には彼の希望や考え方があったのでしょう。また回復して復職できることを祈っています。
2007.08.14
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今日は、夕べ9時に寝たのに起きたのは5時、8時間睡眠。6時近くまで、フトンの中でした。よかった。それによく食べるのがやっと効果を表して、少しだけど体重が増えたみたいです。 医者が睡眠にこだわるには、それだけの理由があるのでしょう。たしかに以前勤めていたところの社長は躁(躁鬱1型)のときは3時起きでした。その状態が心地よいものだから、うつのときに「仕事ができない」と嘆いていました。 私たちスタッフは社長のうつの状態がちょうどいいと「これがふつう、社長はやりすぎなんですよ」と言っていたのですが、少しも理解しませんでした。 しかも、目がギラギラしてきて、塾もやっていたのですが、敏感な子は「先生怖い」と言ってました。 私も1回、クリニックの不手際があり、躁をやってますので、身体がよく動くときは要注意です。その気持ちに動かされて、動いてしまうと、次にやってくるのはうつ。 今日はお休み日。ゆっくりします。花に水をやり、銀行の用事をすませ、あとはごろごろ。
2007.08.14
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朝4時まで寝て、1時間うとうと、7時間は熟睡しています。睡眠は大丈夫でしょう。外環と三郷のあたりが混雑しているので、常磐道は使わず、松戸へ抜け、6号線で行きました。義父や義母の病院に通った道です。病院を見ると、夫はつらそうです。 ぼちぼちと私は、私が編んだ籐や藤づるのかごにサトイモの葉をのせ、果物や野菜(根菜)、そしてお餅とそうめんを飾りました。両側には奮発した花も。もう枯れはてているので、餅とそうめんを残し全部捨てました。 私の実家では16日の朝、川に流しました。いまは環境問題があるので、やらないでしょう。それから、花を買ってお墓参りをしてきました。浄土真宗は禅宗に比較するとシンプルで地味です。さまざまなお布施がきっといちばん安いと思います。 行きは私は薬が残っていて眠くて眠くてしようもありません。帰りは夫がビールを飲んだので私が運転です。慎重に、とばさず、一番左を走ってきました。常磐道も外環もすいていました。二人だと日帰りも楽です。
2007.08.13
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朝日新聞より 宇沢 弘文 東大名誉教授自民惨敗の参院選に思う市場原理主義拒否した有権者 私は今回の参議院の真の争点は、小泉改革がもたらした日本のこの暗い、救いのない現状を見て、小泉改革を継承すると言ってきた安部首相を国民がどう評価するかにあると考えてきた。自民党惨敗の結果は、国民が良識をもって、小泉改革を継承しようとする安部首相に対して明確な拒否意思を示したものである。日本の将来に明るい光を見出せるようになった。小泉改革の思想的原点は市場原理主義である。簡単に言ってしまうと、もうけることを人生最大の目的として、倫理的、社会的、人間的な営為を軽んずる生きざまを良しとする考え方である。 市場原理主義たちが日本でまず最初に取り組んだのは、平和憲法のなし崩し的な骨ぬきであった。つぎに狙ったのは、日本の金融をかれらの制圧下に置くことであった。そのために、市場原理主義者たちが考えだしたのは、異常なまでにきびしい銀行会計基準と郵政民営化であった。 とくに小泉改革の象徴であった郵政民営化が日本の社会、経済に与える影響は大きい。郵政民営化の必然的帰結として、郵貯や簡保の資金がより高い金利を求めて、日本の国債から米国債に大きくシフトするであろう。じつは、長年にわたって、アメリカ政府が執拗に、日本政府に対して郵政民営化を迫ったのは、このことが最大の目的だったのである。 その結果、国債の価格が大幅に下落し、大量の国債を保有する国内銀行は自己資本の毀損を余儀なくされ、その信用創造を大きく収縮せざるを得なくなる。経済活動の規模は大幅に縮小し、失業の増大、所得の減少を招来し、銀行の信用収縮は一段と深刻化する。そのころにはゆうちょ銀行が本格的な貸し出し業務をはじめているから、多くの地方銀行は壊滅的な打撃を受け、小泉改革がもたらした地域間格差は極限にまで拡大していくに違いない。 さらに市場原理主義は、医療や教育という社会的共通資本の核心にまで手を伸ばしつつある。度重なる常識を超えた乱暴な医療費抑制政策によって、日本の医療はいま全般的危機といっていい状況にある。数多くの医師、看護師たちは志を保って、医の道を歩むことが極めて困難な状況に置かれている。 教育の分野でも、規制緩和、効率化の名の下に、実質的には官僚的管理を極端な形に推し進めてきた結果、現場の教師たちはいま極限的な状況に追い詰められている。その非人間的な状況を象徴するのが、小・中学生の、いじめによる自殺の頻発である。 今回の参院選を通じて大きな焦点となったのは、政府がこれまで、国民の血と汗の結晶である年金をいかにずさんに、粗末に取り扱ってきたかであった。国民の老後の安心を保障する年金制度に対する信頼感は大幅に失われてしまった。 市場原理主義の日本侵略が本格化し、社会のほとんどすべての分野で格差が拡大しつつある。この暗い、救いのない状況の下で行われた参院選の結果は、国民の多くが望んでいるのは、市場原理主義的な改革ではなく、一人一人の市民の心といのちを大切にして、すべての人々が人間らしい生活を営むことができるような、真の意味におけるゆたかな社会だということをはっきり示したものである。(東大名誉教授)プロフィールうざわ・ひろふみ1928年鳥取県生まれ。東大理学部数学科卒。マクロとミクロの両経済学の先駆的業績で世界的に知られる。自動車公害や地球温暖化など現代文明批判の著作も多い。成田空港の調停にもかかわった。東大教授などを歴任。97年文化勲章を受章。★分かりやすく、書いてあるので、ワードで打って(大変でした)CLCAの代表W氏、友人全員に送りました。アメリカは何を狙っているのかがよく分かりました。これを基本に考えるとさまざまなことが、解けてきます。夫の友人がファクスしてくれました。 しかし、失礼ながら、このことを国民がはっきり認識し、投票したかどうかは疑問です。むしろ、これからの衆議院選挙のとき、アメリカべったりの危険性を認識し、投票してほしいです。現在千葉県知事の堂本さんが、自民党の積み重ねた、知識、情報、人脈などなどはやはりすごいといってました。 人は育てればきちんと育ちます。政党も同じ、やはり育てなければなりません。最初は誰でも初心者なんです。★睡眠7.5時間、熟睡。体重はかわらないけれど、気持ちはハイでないし、スケジュールも調整しているので、大丈夫だろうと思います。よく身体が動くのが気になりますが、動きすぎないよう、用心しています。動くのは躁のきざしです。
2007.08.12
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調子にのって写真アップします。 今日も7時間は寝たのでほっとしています。食事もきちんとたくさんたべました。でもまだ体重は増えません。もう気にしないことにしました。食べて寝て、おしゃれして、美しいものを見て、冗談を言って、やることはたくさんあります。庭の手入れ、家事、お掃除……。 もう一つのブログはさぼってます。この私がさぼるなんて、大きな変化です。
2007.08.11
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夫が周到に準備してくれて御岳(東京・青梅)に行くことができました。9年前のドラマ(宮尾登美子原作?)を見てから、レンンゲショウマなるものをぜひとも見たいと思い、それがかないました。 ナビもせず後ろの席に夫の友人(女性)と二人でおしゃべりしながらの小ドライブ・ハイキングでした。高速道が込んでいるのを見て、下道をことことと行きました。夫は3段階の地図を用意し、結局は高速にのらない三番目の案をとったのです。 道がすいていて、思ったよりも早く着きました。私たちは、ぱんとコーヒーを用意しておりましたが、彼女はすでに朝食をとってきたといいます。夫は私が支度をしている間、とりました。残りは私一人。いつもはご飯なのですが、ぱんとコーヒーの朝食でした。もちろん薬も飲みました。 友人は胃腸が弱いので、コーヒーは飲まないといいます。夫と彼女は胃腸がよく似たタイプです。でも、彼女は女性だけに神経を使うことが多く、いつも調子を崩しています。 私は見たかぎりでは元気そうなので、誰も身体が強いと思うらしいです。山や田舎にいると強いのですが、都会は神経を使うので、いつもへとへとになります。 帰りは高速に乗り、あっというまにインターに、彼女をおろし、いつもの道をとおって帰宅。ステキな旅でした。躁鬱のことなどすっかり忘れ、それでも薬はきちんと飲みましたが、心ゆたかにレンゲショウマを見てきました。 すごく美人に取れた写真、あっぷできないのが残念です??
2007.08.11
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お金を使わないで楽しむ法ではないですが、バスツアーや近くてすてきなところへ行きます。あまり混むところはいやですね。 レンゲショウマはドラマで見て、どうしても見たくなりました。ここ3年の間に見たドラマです。人を思う、人を恋しく思うって素晴らしいと思うドラマでした。胸を焦がすというけれど、もうそんな恋愛には出会いません。そのドラマにレンゲショウマがでてきたのです。 夫は大好きですけど、胸を焦がす恋愛とはちょっと違います。「きっと結婚するな」という出会いでした。子どもたちは、夫が初めての人と思っているようです。違います。その前に数人います。(もちろんプラトニックよ。私のころはそうでした) 息子は私が不純だというのです。恋愛と結婚をわけているから。でも恋人と結婚したら私は3日ともちません。神経がまいってしまいます。 結婚相手とは、もっとおだやかな愛がいいです。 そんなわけで明日は更新できません。
2007.08.10
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なぜでしょうか。気持ちがすごく落ち着いています。発病前よりも落ち着いているのです。法要のお返しをしなければならないのに、夫は盆あけでいいだろうといいます。昔なら心の中で腹をたてていました。いまは「ま、いいか」 いま彼の頭の中は「レンゲショウマ」のみ。ほかは見えないのでしょう。きれいに地図を3種類用意し、準備を着々と整えています。 私は、実家へ行くこと、15日の「終戦をきちっと考える会」(小田原・場所は山北)など、言いたいことがあるのですが、そうすると彼の頭を混乱させてしまうので、黙っています。友人に相談しました。市間寮は日光のいろは坂を細く急坂にしたような道を登ります。ベテランの友人も泣きながら、車で登ったそうです。 友人のところまでは車で行って、そこから、彼女のご主人の運転で行くことにしました。最初から自信のある(免許をとって初めての書き換えを終えたところ)彼は、自分で運転していくというかもしれません。それを説得しなければ、というのは、駐車場の問題もあり、CLCAでは何台かで組んできてほしいと言ってます。 昼は弁当を作っていきます。夕食は寮で作ったものをいただく予定です。 レンゲショウマは、私がドラマを見てすごく感動し、いつか見たいと思っていました。そしたら、夫の友人(女性)も、「見たい」と九州からでてくることになりました。もちろん、富山県の実家へ行く予定をかねての上京です。 夫は変わりました。私を喜ばせようと一生懸命です。感謝しています。私の発作や入院がよほどショックだったのでしょう。どちらかというと、私は元気でリードするタイプでしたから。以前はお互い外面がいいので、家ではぐったりしていました。 まだ油断はできませんが、心が落ちついているのが、いちばんうれしいです。法要のことなどやはり緊張していたのですね。ヨガを続けえてきた効果がでてきているのかもしれません。ヨガをすると、血圧が30くらい下がります。いつもヨガをしている状態に呼吸がなれば、もっともっと落ち着いた私になるでしょう。 明日は夫の友人(女性)とレンゲショウマを見に行きます。落ち着いてゆうゆうと行ってきます。心がゆうゆうだと疲れは半分です。★9日の日記、みなさん読んでくださるとうれしいです。
2007.08.10
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世の忙しさに疲れてしまった時人とのふれあいの中で傷ついてしまった時ちょっとまわりを見回してみたら花は美しく優しく咲き、鳥は可愛く楽しげにさえずっています。そんなものに心を留めているといつしかほほが緩み微笑んでしまっています。でも、ほんとは鳥だって暢気にさえずっているわけではありません。花だっていつも暖かい陽だまりを享受しているわけではありません。人間なんかよりずっと厳しく命の危険にさらされながら生きているのです。それでも、そんな苦しさは微塵も見せず美しく可愛く楽しげにしています。 詠み人知らず
2007.08.09
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昨日ジムに行ったとき、血圧を測ったら、正常値でした。普通はヨガの後はさがるのですが、ヨガの前でも正常でした。まだ高いときもありますが、血圧とはそういう面があるのでしょう。 以前は低血圧で苦しみました。 プーさんが、クロールが運動量が大きいので、体重減はこにあるのでは、と言われましたので納得しました。ヨガでも痩せますが、質が違います。クロールは休みます。 昨日息子は夕方きました。8時までいたので、夫とも会うことができました。今日は大阪まで車で出張です。 ごぼうのスープやゴウヤチャンプーをあっという間に平らげてました。なすを15分蒸して一晩冷やしたのも、美味しいと。これはかけるもの、ゴマだれ、しょうが、大根おろし、酢としょうゆの二杯酢等々、など、工夫すると美味しいです。 眠るほうも、9時に寝て、4時起き、1時間うとうと。なんとか7時間の熟睡をキープしているので、大丈夫でしょう。 これからのスケジュールはちょっときついです。ゆっくりと、用心してこなします。 11日 レンゲショウマを夫の友人(女性)と見に行く。運転は夫。 12日 休養 13日 実家へ、仏壇など運び、花などを始末、そして墓参り、日帰り 14日 休養 15日 神奈川県山北(CLCAの寮)で終戦をきちっと考える会に夫と出席 16日 精神科 間に休養がはいっているので、乗り越えられると思います。 いまみなさんから寄せられた、勤務していたあるいは勤務している会社への要望を整理しています。 うつの社員に対して、会社側はどうすればいいのか、30代の貴重な人材をつぶすのは会社にとっても大きなムダではないか、など、まとめにかかりました。 ずいぶん冷たい企業もありますが、なんとかしたいという企業もあります。うつにきちっと対応している会社の株はあがる、なんてことになったら面白いですね。 アメリカでは、女性の待遇、女性への支援をしている会社の株を買うなんて仕組みがあるそうです。 うつ対策企業ベスト10などを発表するのも、面白いかもしれません。私たちでもやれることは、たくさんあります。 私は、コツコツとやれることをこなしていきます。講演などは得意ですので、その面も考えています。 決して無理せず、自分を大切にして、やりたいことをやっていきます。また協力お願いしますね。みんなで考えれば、よいアイデアがでてくるでしょう。
2007.08.09
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昨日午後、家の中や、法要の荷物が片付いたので、禅ヨガに行ってきました。血圧を測ったら、さがっていていつもの血圧でした。医者が様子を見ましょうといったのは正解でした。 体重は、まだ45.5ですが、気にしないで自然体で食べています。 まだ医者からはカウンセリングの紹介状はとどいていません。いまは気持ちが落ち着いているので、「必要ないかな」なんて感じです。でも、カウンセリングとはいかなるものか、一度経験するのも悪くないかな…。 私が本格的に再就職し、司法書士を頼まず有限会社にし、本も出版した会社の社長は、躁鬱(1型)でした。波があって、躁のときは午前3時に起きて仕事をします。次から次へと仕事をいれ、休みもなく「明日、○○に会いに行こう」と言います。そしてすごく攻撃的になったのでした。私は振り回されました。モラルハラスメントというのでしょうか。 欝のときは借りてきたネコ状態。かわいいくらい。本人はつらい、仕事ができないと嘆くのでしたが。子どもと生活文化協会(以後CLCAと書きます)のW氏は、「彼はうつはコントロールできているけれど、躁はまだコントロールできていない」とおっしゃいました。 いまは私自身が躁鬱(ただし2型)ですので、またいろいろ勉強したので、彼の状態がよくわかります。能力のある人でしたので、私が精神科に通い、勉強しながら相手をしていたら、私の人生も彼の人生も変わっていたでしょう。 血圧が落ち着き、体重も気にならなくなり、落ち着いてます。でも、用心します。今日は禅ヨガです。
2007.08.08
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うかつでした。入院の状況は書いても誰もが知りたい費用などについて紹介しませんでした。病院によって多少違うと思いますが、書いてみます。 入院の費用は、健康保険がきく場合、1ヶ月で10万から14万円くらいです。私は大学付属病院でした。通院には自立支援があるのに、入院にはありません。 MRIの検査などがあると高くなります。 6人部屋、3人部屋、個室では額が普通は違います。私が入院した病院は個室料金がかかりませんでした。 健康保険組合のほうから、個室料への援助はありませんが、6人部屋と治療でしたら、援助があるはずです。高額医療費給付制度。詳しくはネットで調べられます。 私は疾病保険に少額ながら(1日1500円と3000円で4500円)はいっていたので、ほとんどそれでまかなうことができました。こんな少額かけてどうするのか、と思いましたが、かけておいてよかったです。貯金をしておいたほうが有利な場合があると、いわれますが、なかなか貯金ってできないものです。 よい病院ほど混んでいて、私の病院もふつうは1ヶ月待ちです。私はうつが重く緊急でしたので、すぐに入院できました。 入院にあたって精神科が違うのは、1日パジャマではなく、朝に洋服に着替えることです。ほかの病気ですと、1日パジャマで、業者がはいっていて借りることができます。洗濯する人がいない場合助かります。 私の場合、うつが重く洗濯機の操作がわからず、たくさんの下着とパジャマと洋服が必要でした。看護師にお風呂のたび、全部着替えさせられます。1週間に1回しか家族は来られませんでしたから。何枚ももつしかありませんでした。 後半によくなって、洗濯機と乾燥機を使ったら、パジャマが縮んでしまいました。 入院にあたって、承諾書など、何枚かの書類を書くことが必要です。保証金(5万くらい)を払います。退院のとき清算されます。 ひも、かみそりの類は全部とりあげられ、預かってもらうことになります。 最近は解放病棟が増えてきています。私が入院した病棟は閉鎖病棟です。食事は食堂兼面会室でした。私は長い間、個室で一人で食べていました。嘔吐がありましたので。 入院には二つの問題があります。一つは、家に帰れるのに、家族が承知せず、入院しているケース、これは日本が一番遅れているそうです。もう一つは入院したいのに、病室が空いてないケース。 いずれにせよ、まだまだ問題のある入院ですが、少しずつ改善されている部分もあります。食事や寝る時間などは、ほかの病気とほとんど同じです。
2007.08.07
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女性労働者の大きな味方を失いました。女性がパート労働に出たとき、多くのフェミニストたちが反対する中、「一度踏み出せば、また次の段階(正社員)に出るから、まずは一歩踏み出せばいいのよ」といった中島さん。 実際にそうでした。社会保険がなかったのが、正社員の4分の3働いていれば、社会保険に加入できるようになりました。 いまは全員のパートに社会保険を、という声もでています。企業は企業負担があるから、反対していますが……。 女性のおかれた現実の立場にたって、モノをいう方でした。 私は女性に働けといっているのではありません。確かに二人で働いていれば片方が病気になっても安心です。しかし、子育ての10年はやはり子育てに集中するほうがいいと思っています。身体の弱い方など両立は難しいです。 多くの女性が彼女の影響を受け弁護士に、そしてその影響を受けた方からまた次の女性弁護士が生まれたのです。 土井たか子さんと少しお話しました。このあまりにもひどい、政府のやり方に、言葉がないという感じでした。「でも、選ばれたんですからね」。そうです。国民が選んだのです。いつアメリカの戦争の援軍として自衛隊が派兵されるかわからない、そんな憲法改正をしようとしている人を選んだのです。 社民党党首福島さんは、飾らない人です。「福島さん、すぐ帰るんでしょ」「いいえ、今日は時間をとって来ています」。中島さんにはかわいがってもらったそうです。「福島さんってめげないわね。でもシミをテレビで見るたび、かわいそう、と思うのよ」「あら、じゃ、エステ行かなくちゃ、おしゃれもしないとね」そうそう。「こんな葬儀のところでなんだけど、衆議院選挙、がんばろうね」「うん」。「ね、福島さん本を読む暇ある」「あるわよ」「じゃ、私の本を読んでください」と渡しました。 福島さんと反対にH弁護士はもの静かな人です。そして美しい方。表だつこともなく、ちゃくちゃくと仕事をしているようです。ずいぶん前、日本ペンクラブ主催の講演を聞きましたが、見事でした。娘と楽屋をたずねると、気さくにお話をしてくれます。 挨拶に来る男性のマスコミ関係者、雑誌の編集者がペコペコしています。私たちが親しげなので、「この人たちナニモノなんだろう」と見るのでした。 私が事務局をしていた「行動する女たちの会」で中島さんの「お別れ会」をやろう、とH弁護士の意を組んでいったところ、「私と福島さんで相談して、やることにするわ」と。もちろん私もお手伝いをします。暑いので9月末くらいを希望しました。姪の結婚式があるので、その日を避けてくれるよう言わなくちゃ。 お葬儀にきていた知人はパートナーがうつで「死にたい」というそうです。最後には彼女が切れて「じゃ、死ねば」というと治まるのだそうです。ずいぶん高い病院にもかかったけれど、何年(30年?)かかって治らないから、医者不信は強いといいます。よく分かります。 「あなたの本、役にたったわ」といわれ、うれしかったです。甥の方はパニック障害とか。30代の過労でしょう。 それから、私がうつになるきっかけになった会社の社長がきていました。面と向かってお会いすればご挨拶するつもりでした。お世話になったことは事実ですから。後ろ姿はさすがに老いを隠せませんでした。私は誰かわからなかったのです。あとで知人に聞いて、分かりました。 たくさんのモノを私に与えてくれた中島弁護士の葬儀でした。私の周囲は人権派弁護士です。Hさんは東南アジアからきたフィリピンの女性たちを助ける、ボランティアを弁護士になったときからやっていました。修習生のときから、中島さんにはお世話になったそうです。 中島さんのご冥福をお祈りします。
2007.08.07
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今日は中島弁護士の葬儀です。女性労働者のためにがんばってきた彼女を失うのは、つらいです。貴重な方でした。 今日も暑いのでしょうね。夕べ、ある会で一緒だった方と電話で話しました。たまたま本を送ってありました。「あなたがうつ……想像できない。よくあれだけ赤裸々に書いたわね。」「だって、自分をさらけださなければ人に訴えるものは書けないでしょ。でも、今は元気よ」。彼女は元プロの編集者です。 「でも、あなたは、前から力(生命力も含めて)のある人だから……。私も重い病気をしたけれど、前向きよ。会いたいわ。明日の葬儀で会える?」 やっと分かってくれる人に出会えたような気分でうれしかったです。今まで、狭い世界に生きていたかもしれないと思いました。でも、私は、自分がうつ(躁鬱)になったことを大事にして生きていくつもりです。 もうあれこれ手をだす時間はありません。それに、ずいぶんいろいろな人に会ってきました。本当に立派な人にも会いました。そんな方のところまで、私が行けるか疑問ですが。少しでも近づきたいです。 躁うつという「神様の贈り物」を大事にして生きていきます。もちろん私自身の心身も大事にね。実家の弟たちに会うと、両親に会ったような気持ちになり、元気が出ます。
2007.08.06
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何回かに分けて、両親の1回忌の法要、新盆の法要の準備をしてきました。夫は力仕事。私はこまごまとしたもの。わすれものがないよう、メモをとって、車の手配、料理屋の手配、ご住職への予約、お返しものの用意、これでもか、これでもかとあります。 それでも、私は夏の喪服(着物)を着て、夫の采配の手伝いをしました。本を読んでくださった方は夫をねぎらいます。「病人3人抱えて大変でしたね」。本当にその通りです。 でも病人の私もつらかったのですが……。誰もねぎらってはくれません。私の弟たちは、前に話して知っているから、笑いとばしています。でも心のなかでは「姉さん大変だったね」と言っているのが分かります。 なぜか、夫が私を「姫」と呼んでいるのが伝わったらしく、弟たちのパートナーまで「姉さん姫ですものね」といやみなくやさしく言ってくれます。「はい、お手伝いさんを伴わず嫁ぎましたので苦労?しております……」。はははと笑って、つらさを吹っ飛ばしてくれます。 今回はお茶の用意など、息子に頼みました。ご住職への冷たいお茶。ご出席の方々への冷たいお茶。滞りなくやってくれました。感謝です。 ほっとしたせいか夫は疲れがどっとでたようです。 私はセルシン2ミリを持たずに行ったので、5ミリを追加してやっとねました。でも、6時間半か7時間は寝てるでしょう。 実家の嫁さんなど、いつもが法要のような生活です。お盆に泊まりに行く人、毎月日帰りで訪問する人。慣れていても大変なのに、愚痴も言わずやってくれます。その代わり、車でのお出かけなど弟におねだりしているようです。 私もおねだり上手になろう!! 半分くらいは次回にもってくることにして11時には帰途につきました。いま少し前着いたところです。いただいてきた、きゅうり、ナス、お菓子など、ご近所に配らないと処理できません。いつも感謝です。無農薬野菜ですから。 新潟からきた叔母はモモを送ってくれました。甥は頼りがいのあるしっかりした方。義父がかわいがってきた人です。 さまざまな人たちに支えられて、無事終わった法要でした。
2007.08.05
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4日が義父母の1回忌です。明日は準備。行ってきます。蒸し暑いのは台風の影響でしょうか。
2007.08.02
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今朝は7時間20分間の熟睡。あと30分はうとうと。5時に起床。30分は庭へ、花を見ていると癒されます。夫はまだフトンのなか。ずっと何かイヤなことがあるようです。仕事が忙しい娘のことが心配なのでしょうか。 夫のいる間はPCに向かわないようにしているので、朝の庭にたち、草花を見ていました。 6時に夫が起きてきたので急いで朝食の用意。五分づき米十五穀米のご飯、とまとのサラダ、大根がたっぷりの味噌汁、だしは昆布。でかけるので冷蔵庫にはいっているぬか床はつかるのが遅いので、漬物なし、夫のみヨーグルト、細かく刻んだネギ入りの納豆。かぼちゃの煮物。冷蔵庫を見てさっと決めます。私、手早いです。 私は食器を洗い、化粧をして、ゴミを捨て、包丁を研ぐ。そろそろ7時数分。夫が出勤。いつも見送るのに、今日は黙って行ってしまいました。 少し頭痛がします。薬を飲もうかまよっています。ためしにヨガと瞑想を20分やりました。でも治りません。もう少したってもダメだったら、薬を飲みます。 うつの状態で勤めていたときはつらい朝でした。ジムへ行く日も朝はあわただしいです。今日はジムへは行かないので、なんとなくゆったりた気分です。部屋を整理整頓したり、トイレをきれいにしたり、書類を整理するのは、楽しいです。 今日は夕方、叔母さまからモモが届きます。仏壇に供えるためです。ブドウと言っていたのですが、まだ熟していないそうです。ブドウはお盆のころ送ってくれるといってました。夕方夫は車を取りに行きます。本来なら息子が届けるべきなのですが、息子が忙しいので、夫が仕事を終えた帰り、車をとってくるのです。息子はすごく恐縮しています。 モモが早く届いたら、息子に少し届けたい、過保護な母です。夕方だと間に合いません。今日は越路吹雪の歌やモーツアルトの曲など聴きながら、細かい書類書きなどしましょうか。 夫が定年になったら、ステレオはやはり居間から2階にあげないとダメです。彼はテレビを見ますから。あまり見続けたら、電気代をとると私はきついことを言ってます。 躁でもないらしいし、体重もまあまあ増える方向にあるし、血圧は危険な状態ではないそうです。あとはカウンセラーのところへ行くのみ。落ち着いた気持ちです。上がりも下がりもありません。ただし用心しなければならないのは、変わりません。
2007.08.02
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今日は精神科の診察でした。初めての方がいたりしてなんとなくざわざわしています。それでもそんなに待たずに診察でした。・10日間の睡眠について克明にメモ・受診にあたっての報告や提案 きちんとしたメモを持っていって正解でした。この医者は、だまっていると薬を一つぬかしたりする、いい加減屋さんです。だから、明るくやれるんでしょう。 前回なんて躁ですね、なんて脅したから、私は子どもと生活文化協会のお祭りも欠席しました。もうお金は振り込んでいたのに……。 うってかわって今日は睡眠状況のメモを見て「これならいいですね」とセルシン5ミリに決定。血液検査を一度もやっていません。私が「先生に変わってから一度も血液検査してませんよ」といいました。リーマス濃度を調べるのに、少なくとも6ヶ月おきには血液検査しないといけないのです。でも今日はゴタゴタしているから次回にと。 この医者のところにもカウンセラーはいるけど、夜だそうです。夜の外出はしないと決めています。そしたら「原宿の女性を紹介しよう。次でいいね」「いいえ早く受けたいです」「それではご自宅に紹介状送りましょう」 そして精神障害者手帳を申せいすることにしたので、先生の診断書がいります。これも受診暦が必要なので、メモしておきました。「先生、急がなくていいですよ、どうせ申請してから3ヶ月もかかるのですから」 最後、薬のカバンを電車に忘れてきたとき、処方箋をだしていただきました。先生は「この前はおでかけだったんですか、ばっちりでしたよ(目の化粧)」私は「夫が目がおおきいのに目の化粧をするとタヌキだからやめなさいというので、今日は薄化粧できました」。先生どこ見ているのかしら、きっとこうしたところを観察して、躁だとかうつだとか総合的に考えるに相違ありません。 そろそろ1回忌モード。明日最終的な荷物を持つ用意をし、明後日の7時くらいにはでたいです。私は絽の着物(透ける着物)を着ることにしました。 これからも、きちんと食事をし、夜も十分寝て、クヨクヨせず、生きていきます。
2007.08.01
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9時に床にはいり、4時過ぎに置きました。熟睡感があります。寝る前、杏露酒を飲んだせいかしら。 昨日「行動する女たちの会」の先輩(77)と話していたら、昔の自分を思いだしました。このところクヨクヨしていたけど、そんなこと、取るに足りないと、思えたのです。弁護士のHさんの温かい言葉も身にしみました。電話から気が伝わってきました。娘から入院のこと聞いていたようです。昨日も書いたかもしれませんが、私の知り合いは人権派弁護士が多いです。 そうだ、私はそういう(どういう?)性格だったのだわ。このところ目先の小さなことでクヨクヨしていたかもしれない。彼女と笑って話していたらすっかり元気になりました。 中島さんには申しわけないけれど、お陰で昔の友人とまたつきあいが始まりそうです。一時、私のほうから切っていた気がします。この77歳の先輩とはつながっていました。私を探していた先輩もいたらしいです。 何も躁鬱だからって落ち込んで暮らす必要もありません。体重の500グラムに一喜一憂するのもどうかと思います。もちろん、医者のいうとおり、注意深くは生きていきますけれど、暗くなることはないのです。 今日は精神科です。メモをしっかりもって行ってきます。 多分中島さんをしのぶ、お別れ会を仲間でやることになるでしょう。77歳の彼女は9月でもいいのではないかといいます。
2007.08.01
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