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去年の5月に義母が亡くなって、6月末に四十九日を済ませてからも、敦賀には何度か行っていた。シルバー人材センターに、庭の植木の剪定や草引きをお願いしたり、屋根の下のとゆが外れて、飛んだら近所に迷惑がかかりそうなので、便利屋さんにお願いして、取ってもらったりした。7.8月、敦賀で4軒の不動産屋に空き家になった実家の見積もりを頼んだ。1軒の不動産屋は、他にも頼んでいるんだったらできないと断られたけれど、3軒からは見積もりをして、資料を送ってくれていた。また行かないとと思っていたけれど、足の調子も悪く、結局そのままになってしまっていた。見積もりしてもらっただけだったので、広告を出していると思っていなかったけれど、最近、敦賀の家を購入したいと言う人があらわれた。固定資産税や火災保険の費用もずっとかかっているし、買い手がある時に売った方がいいだろうということで、火曜日は、不動産屋で更地にする費用や、今後のことなどの話し合いをしてきた。行く前に、税金はどれくらいかかるのかなと国税庁のHPを見ていたら、「居住用財産の譲渡所得の3000万円特別控除の特例」というのを見つけた。条件を見てみると、・義母が居住用として一人で住んでいた(老人ホーム入所もOK)・昭和56年5月31日以前に建てられている・居住用以外に、他人に貸したりしていない・住んでいた人が亡くなってから3年以内と全部各当する。特例を受けられるのかなと、先に税務署に聞きに行った。でも、登記簿上の所有者がすでにダンナの名義になっているのでダメだった。以前にも書いているけれど、33年前に義父が甲状腺癌になり、敦賀の病院から福井県立医大病院に移り、そこから京大でアイソトープという放射線治療を受けるなど、当時の最先端の医療を受けた。余命3ヶ月と言われたけれど、治療のおかげで一時は元気になり、そこから2年生きた。でも、義父が亡くなったあと、義母の経済状態は困窮していた。翌年、固定資産税を払うのが大変だと言うので、法務局に勤めていた親戚が、家の名義を義父から義母にせず、ダンナにするといいと言うので、きょうだいも納得して、うちに固定資産税の請求書が来るようにした。のちに、独居老人世帯の固定資産税減額措置もあって、随分金額が違うなあと思ったこともあった。下水道が引かれた時の費用や、家屋の修理費用など、出すことは多かった。セカンドハウスとみなされるらしいけれど、私たちにそんな意識はなく、ダンナは家が売れたらきょうだいにも、少しは分けたいと言っている。売却による税金は20%と大きい。考慮してくれてもいいのになあ。
2019.05.31
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日曜日は、三男坊の運動会だった。朝からとっても暑くて、ヨメが用意してくれたのはソーメン弁当。茹でたソーメンを小分けにして、めんつゆやいろいろな薬味、そして唐揚げや野菜炒め、卵焼きなどおかずもいろいろ用意してくれていた。私は毎回、デザートのフルーツ担当。そして、ちょっとだけ、おにぎりやおかずも作っていく。フルーツは、デラウェアの種なしブドウが、子どもたちは大好き。でも今年は、なかなか見つからず探し回った。やっと見つけて4房買ったけど、1房500円と高かった。次男が卒業して、小学生は一人だけれど、娘がエルちゃんとイー君を連れて見に来て、午前中のクラブが終わってから上の二人も合流して、昼食は総勢10人で賑やかに。暑かったので、ソーメンが美味しかった。ブドウはやっぱり人気。三兄弟とエルちゃんが一房ずつ。法事で飾っていたメロンを切って持って行ったのに、人気なし。すごく熟れて甘かったので、私がいっぱい食べた。そのせいか翌日体重がぐんと増えていた。果糖恐るべし。小学3年の三男坊の出場種目は、午前中のダンスと綱引き、午後から障害物の個人走。ハードルを飛んで、しゃもじでボールを運んで、平均台を走ってゴール。ダントツ一位でゴールしていい顔をしていたので、そこで帰ってきた。月曜日は、プリウスの車検。もう7年目で、よく乗るので11万kmを超えている。それで、ダンナと一緒にタントで行動。昨日の火曜日は、雨の中敦賀へ。敦賀へ行くのは、去年の8月以来。阪神高速も名神も渋滞していて時間がかかった。雨でスリップしたのか、渋滞の先頭は事故で、警察車両が来ていた。敦賀では、税務署と不動産屋に行った。
2019.05.30
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先週の金曜日、5月17日、義母の一周忌をした。10連休の後で、孫世代の日程の調整が付きにくく、ダンナの義妹夫婦と私たち夫婦の4人だけで、自宅にお坊さんに来てもらって法要を済ませた。その後、お墓参りをして4人で、犬鳴山温泉の不動口館へ。窓の外には山と川、ホトトギスも鳴く静かな温泉旅館。この旅館には、何年か前まで、昔の同僚と毎年泊まっていた。山に近く静かだけれど、関空からは車で30分。海外の旅行客も多くなって、各室Wi-Fiもつながり、色々なところに気配りが感じられるいい旅館。お風呂に入った後、夕食は、美咲会席。足が悪いので、椅子席希望と連絡していておいたら、個室のテーブル席を用意してくれていた。4人でお酒も飲みながら、ゆっくり話ができて、こういう法事っていいなあと思った。夜の10時頃、一人で温泉に入った。女の子とお母さんが二人、湯船の手すりの横に座っていた。「すみません、足が悪いので手すりを持たせてくれますか?」と聞いたら、きょとんとしている。「チャイニーズ?」と聞いたら「コリアン」と答えたので、「イルボンサラミエヨ(日本人です)」と言ったらびっくりして、「タリガアッパヨ(足が痛いです)」というと、手すりを開けてくれた。「ハングンマル チャラシネヨ(韓国語お上手ですね)」と言われて喜んで、色々話したけれど、言われたことが聞き取れなかったり、単語が思い出せなかったり。ソウルから、家族4人で、来るのは4回目だそうで、ここの料理がかわいいから好きだと言う。もっとしゃべりたいのに、うまくしゃべられないもどかしさがあったけれど、気持ちのいい出会いだった。翌日も朝からお風呂に入って、大広間で朝食。ここでもテーブル席を取ってくれていた。朝食を見て、食事がかわいいと言うのに納得。韓国料理は美味しいけれど、容器には全然気を使わないで、いろんなキムチが、同じ形のプラスチックのお皿で出されることが多い。食事だけでなく、食器も含めて見た目も楽しめるのは、日本料理の良さだろうな。朝食を終わるころ、昨夜の韓国人の家族が入って来て、手を振った。義妹のダンナさんは、朝から犬鳴山の方に散歩に行ってきたと言う。義妹は、仕事を辞めて15年ぐらい経つけれど、こんな風な旅館に泊まるのは、職員旅行以来と喜んでくれた。10時にチェックアウトしてから、車を10分ぐらい走らせて、阪和道のICのところで、義妹夫婦と別れた。喜んでくれていたし、来年もこのパターンでもいいかな?その日のお昼は、年一回の元同僚との食事会。いったん家へ帰って、ダンナと別れてから出発した。明日は、孫の運動会。早く寝なくっちゃ。
2019.05.25
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母の日に、娘が連れて行ってくれたのは、淡路島 洲本温泉 ホテルニューアワジ。10時過ぎに娘の家に行って、車を置き、そこから娘の車で淡路島へ。阪神高速から第二神明道路に入り、明石海峡大橋を渡った。車の中で、イー君はおやつを食べた後すぐ爆睡。4月から幼稚園の年少さんになったエルちゃんは、ずっとハイテンション。「こいのぼり」の歌を、振り付きで歌ったりしていて、「おもしろそうに泳いでる」のところを、両手を合わせて揺らしながら、本当にお魚が泳ぐような恰好をするのが面白かった。神戸淡路鳴門自動車道に入ったところの、淡路SAで昼食。敷地内に観覧車があり、みんなで乗った。アンパンマンの人形と一緒に乗れるゴンドラなど、いろんな種類があったけれど、選んだのはシースルーゴンドラ。足元もガラス張りだった。お天気が良くて、眺めが最高。そこから高速を通って、2時半頃、ホテルニューアワジへ。予約してくれていたのはヴィラ楽園の1階の海の庭。和洋室とリビング、広いベランダは海に面していて、大きな寝転べる椅子が置いてあった。露天風呂は岩風呂で、そこからもベランダに出ることができる。ちょっと休憩してから、お風呂の場所やキッズルームを確認し、11階のヴィラ楽園専用スカイラウンジへ。マッサージチェアがあったので、ジュースを飲んでからマッサージ。ベランダにはデッキチェアが置いてあった。心地よい風が吹いて気持ちよく、眺めも素晴らしかった。4時頃から、お風呂へ。この日、女性は、くにうみの湯。いろんな種類のお風呂があった。私の足は、やっぱり血流が悪いのか、いつも足の指や甲が痛いけれど、暖かいお湯につかっていると、痛みも薄れて動きが良くなる。お風呂から出て、娘がイー君の着替えをしている時、エルちゃんの着替えを手伝おうとしたら、自分で着ると言う。「タグが左になるように着るねん」と、しっかりしている。子どもの成長は、早いなあ。6時半から、部屋で夕食。■夕食メニュー[春の献立 3/1-5/31]前菜五種取合せお造り六種取合せ野菜のスープ・桜鯛と春レタスの島野菜みぞれ鍋仕立て地蛸、鯛の子、鳴門若布と筍の炊合せ淡路産煮穴子のサラダ仕立て・淡路牛の石焼ステーキ 淡路玉葱、大黒しめじほか筍の釜飯・淡路産もずくと湯葉の清汁仕立て・香の物デザートイー君は、しばらくすると食べながらウトウト。エルちゃんも、デザートを食べると、歯磨きしてすぐ寝てしまった。部屋食なので、娘もゆっくりできたようだ。エルちゃんは、そのまま朝まで寝たけれど、イー君はまた起きてきて、なかなか寝なかった。10時頃、部屋の露天風呂に一人で入った。ガウンを着て、ベランダに出て椅子に寝転び、海の波の音を聴きながら、星空を眺めながら、極楽、極楽。こんな時に浮かんできたのが、井上陽水の「能古島の片思い」遠い昔、波音を聴きながら、星空を眺めて歌ったことがあったなあ。身体が冷えてきて、またお風呂に入った。ようやくイー君も寝て、娘も部屋のお風呂へ。身体が温まって、熟睡できた。翌朝、朝5時半ごろ目が覚めて、さっそくまた部屋のお風呂に入ったら、エルちゃんが起きてきて、一緒に入ると言う。でも、足を付けた途端、熱いと言って入らない。仕方がないので一緒に出て、ベランダの椅子に座って、二人でジュースを飲んだけど、日が昇って来て、顔が焼けそう。そのうちみんな起きてきて、順番に部屋のお風呂に入った。ダンナがイー君を入れようとしたら、大泣き。やっぱりママと一緒がいいみたい。朝食も、部屋のテーブルで。ダンナと娘は和食、私は洋食。朝食の後、またみんなでお風呂。この日は、女性は棚田の湯。お風呂が3段に棚田のようになっていた。11時にチェックアウトしてから、たこせんべいの里に寄って、お土産を買い、東浦ターミナルパークで拭き戻しのおもちゃを買って、さあ昼食と前日の淡路SAに入ろうとしたけれど、どこからも入れない。仕方がないので、高速に入って明石海峡大橋を渡り、神戸の京橋SAで昼食。もう2時近かった。食事を終わって、娘のところで車を乗り換えて帰ってきた。豪華な温泉旅行を体験させてもらった。今週末には、義母の一周忌でまた温泉。手術後、ちょっとずつ痩せてきているけど、戻らないかしら。
2019.05.16
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膝の手術をして2か月半が経った。退院直後から、杖をつかなくても歩けると喜んできたけれど、これだけ経っても、どうしても歩くときに肩が揺れて、足を引きずるような歩き方になってしまう。段差のある所を歩いたりすると転んでしまいそうで不安だし、杖なしで15分も歩いていると、膝は大丈夫だけれど、腰や股関節、足首などが痛くて、座るところはないか、カートはないかと探してしまう。多分、左右の足の長さが違うから不安定なんだろうな。針と鉛筆の芯の長さの違うコンパスをイメージしてしまう。先日、フェルメール展に行ったときは、杖を持っていて、かなり長時間歩けた。杖を持ってでも、右足にちゃんと力を入れて、安定して歩けるように訓練した方がいいのかもしれない。今日は朝からハングル講座。午後からスポーツクラブで、シュノーケルとアクアビクスのレッスン。充実した一日だけれど、これをこなすために、やっぱり朝から、痛み止めのボルタレン座薬を使った。2ヶ月半たっても、まだまだだなあと思ってしまう。明日は母の日で、娘が温泉へ連れて行ってくれる。それが楽しみで仕方がない。
2019.05.11
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ヌサ・ドゥアで泊まったのはメリア・バリというホテル。夜遅く到着したけれど、ヌサ・ドゥアの街の中に入る時と、ホテルに入る時、2回ゲートで止められた。町全体が、外部から遮断されている感じだった。メリア・バリでは3泊。オールインクルーシブを予約してくれていた。手首にブレスレットを付けてくれて、これが目印。食事も自由だし、飲み物も自由、色々なアクティビティも受けられる。部屋に荷物を置いて、夕食は日本食のSAKURAへ。朝になってバルコニーへ出ると、そこにプール。階段が付いていて、自由に入ることができた。朝食はレストランで、ビュッフェスタイルで食べたり、バルコニーから降りて、プールで泳いだりしていた。中央のプールの方へ行くと、色々なアクティビティが企画されていた。水中バスケットボールや水中ストレッチ、アクアビクスがあった。他にもヨガや木工制作、アーチェリーやゴルフなど、日替わりでいろいろ企画されているようだった。キッズルームもあったけれど、エルちゃんは一人ではまだ無理みたい。ダンナにエルちゃんのお守りをお願いして、娘と一緒にアクアビクスに入ったら、とっても楽しかった。音楽に合わせて、かなりハードだったけれど、最後には参加している人20人ぐらい全員で手をつないで、あおむけに輪になって浮かんだり、気持ちのいい時間を過ごせた。プールの合間に、パラソルの下のデッキに横になって、飲み物やサンドイッチを注文したりした。メリア・バリ2日目の7月12日、ホテルの外へ出た。歩いてすぐのところにバリ・コレクションというモールがあり、色々なレストランやショップが並んでいた。でもレギャンと比べると、値段がずっと高い。ヌサ・ドゥアは外部と隔離された治安のいいリゾート地で、美しく整備された町だけれど、優雅にリゾートを過ごしたい人向きみたい。レギャンで買っておけば良かったなあと思いながら、お土産を買って帰った。夕食は、ダンナの好みでまた日本食。来ているのは、欧米の裕福そうな人が多かった。オールインクルーシブなので、どこでも食べられるけれど、他のお店に比べると日本食はかなり高そうだった。メリア・バリ3日目。朝食ビュッフェは、インドネシア料理、洋食、日本食など、色々なものが食べられるので、日替わりでいろいろ気分を変えて。午前中、また中央プールのアクアビクスに娘と参加した。昼食は、ビーチサイドにあるレストランで、サラダやナシゴレンなどを頼んだ。クルミの入ったパンがとっても美味しかった。午後からは海へ。ホテルのプライベートビーチには、パラソルの下にデッキチェアが並んでいた。この日、私はシュノーケルのマスクとフィンを借りた。砂浜からだいぶ離れると海の中はきれいだけれど、離れすぎるのも怖いし、砂浜には泳いでも魚は少ないし、あまり楽しめなかった。ダイビングやボートでのシュノーケルは、オールインクルーシブとは別料金。日本よりもずっと高かった。娘は、パドルボートが楽しそう。この日の夕食も、ダンナの希望で結局日本食。すき焼きを頼んで、みんなで鍋を囲んだ。私は、バリ舞踊などを見ながらバリ料理を希望したんだけれど、ダンナはどうも好きになれなかったみたい。最終日、朝食を食べてから、荷物をまとめ預けて、みんなでビーチへ。頼んでいたら、ピクニック用に飲み物や果物、サンドイッチなどを用意してくれていた。娘とダンナはパドルボートで漕ぎ出し(写真上)、私は浜辺でエルちゃんと過ごしていた。そこに、前日にはいなかったのにお土産売りのおばさん。スカーフや、バリの絵画、貝で作ったお皿などを売りに来た。ビーチで用心が悪いので、日本円など貴重品は荷物と一緒に預けていて、浜辺に持ってきているのは、娘が持ってきた、2000円ぐらい分のバリ通貨(ルピア)だけ。それなのにいろいろ荷物を広げて見せてくる。絵画は本当に安くて、お金があれば買いたいぐらい。娘とダンナが帰って来て、娘は、1000円ぐらいでスカーフと貝のスカーフ止めを買った。残りのお金で、私はすごくまけてもらって小さな貝のお皿を2枚。バリコレクションではかなり高かったので、すごく得していると思う。ホテルへ戻って、シャワーを浴びて、着替えてからチェックアウト。バリ空港のラウンジで夕食を取った。バリを夕方出発して、ジャカルタで乗り継ぎ。7月15日に日本へ帰ってきた。てるみくらぶの被害は、身近な人にも案外多く、ハングルの講座で私を含めて3人。後の二人は、カードで支払っていて、後日カード会社から戻ってきたそうだ。私たちは現金で支払ったので、結局数%しか戻ってきていない。でも、代わりにバリへ。憧れだったビーチリゾートでリッチに過ごさせてもらった。ムコ殿だけが被害を受けた感じ。ゴメン
2019.05.10
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ホテルを出てまず北の方へ向かい、行ったのはウブド。渓谷の斜面に段々になったライステラスを見ながら、ここで昼食。昼食後、南に向かって、バリ島南端のワルワツ寺院へ。断崖絶壁に立つ11世紀に建立された古い寺院で、遊歩道から見えるインド洋の眺めは壮観。寺院の広場で、18時からケチャダンスが始まった。たくさんの男性たちの「ケチャチャ、ケチャチャ・・・・」と独特の掛け声と踊り。途中から魔王にさらわれた姫が出てきて、猿の軍団が救い出すという物語。タクシーの運転手さんは、ガイドも兼ねて、ケチャダンスのチケットも取ってくれた。最後まで観ていたら、暗くなって車を出すのも時間がかかるらしいので、ちょうど話が変わったところで退席。タクシーもスムーズに出せて、その日泊まるバリ島東海岸のヌサ・ドゥアへ。ホテルへ着いたのは夜の9時頃だった。
2019.05.07
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最初に行ったのは、バリ島南部西海岸のレギャン。パドマリゾート・レギャンというホテルのクラブルームを取ってくれていた。写真上の大きなハチの巣みたいなのがぶら下がったのが、ホテルのロビー。壁がないので風が通って涼しい。クラブルームのラウンジでチェックインをした。緑がいっぱいの敷地の中に、点々とコテージがありその中の一軒。ここで2泊した。これがクラブルーム。ここへ来たら、いつでも好きな飲み物や軽食を食べることができる。夕方からは、お酒も飲むことができた。庭の様子はこんな感じ。敷地内には、いろんなところに池や川があって、鯉がたくさん泳いでいた。ホテル内のいろいろなところを探検しながら、プールサイドのレストランで、ピザやサラダの軽い食事。リスがいっぱいいるのにびっくり。ホテルの裏手はインド洋。サーフィンをしている人はいるけれど、泳いでいる人はほとんどいなかった。終わってから、娘とエルちゃんと3人で、ホテルの外に出て、レギャンの街を散策した。リゾート用の服やアクセサリーを売っているお店がいっぱいあって、値段もとっても安い。水着の上に着れるワンピースも買った。マッサージやエステなどのお店もとっても多い。夕食は、みんなで外に出て、バリ料理を食べた。夕食後、みんなで足のマッサージをしてくれるお店へ。歩き疲れていたので、とても気持ち良かった。値段もとっても安かったように思う。翌日の朝食は、クラブ専用のレストランで。その日はプール三昧。エルちゃんがまだ小さかったので、プールはキッズプール。小さなウォータースライダーもあった。時々泳いだりしながら、プールサイドのデッキチェアでのんびり。夕方クラブルームへ行くと、おしゃれなカクテルを作ってくれた。(上の写真の右下)その日の夕食も、外のお店でバリ料理。終わってから、私だけ全身のマッサージをしてもらって帰った。翌日の朝も、クラブのレストランで朝食を取った後、チェックアウトして観光に出発。空港に迎えに来てくれたタクシーの運転手に頼んでいたら、ホテルまで迎えに来てくれた。
2019.05.07
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2017年、7月8日から15日まで、ダンナと娘とエルちゃんと4人で、バリ島へ行った。4月にフランスに行った後、5月に沖縄、6月には姉と韓国、と旅行が続いていたけれど、てるみくらぶで予定していたハワイ旅行が無くなって、「マイルたまっているから、ビジネスでバリぐらいやったら行けるよ。 7月に行く?」と言う娘の言葉から、バリ島行きが決まった。私たちの誕生日と、母の日と父の日のプレゼントに、ホテルは娘夫婦が出してくれると言う。でも、スカイチームのマイルを使えるチケットがなかなか空きが出ない。結局帰りのチケットはガルーダで取れたけれど、エコノミー。一度ビジネスを体験したかったので、行きのチケットは、LCCのエアアジアのビジネスを取ることにした。でもLCCなので、ダンナと二人で約13万円。ビジネスの空きがなくて2席しか取れず、娘はエコノミーを取っていたけれど、当日ちょっと料金を足してコンフォートエコノミー席にしたら、LCCだからかがらすき。1才10か月のエルちゃんは私と一緒に乗る予定だったけれど、横に3席分空いているので、娘と一緒に乗ることにした。夜の10時出発なので、フルフラットで横になれて楽だったけれど、ペットボトルの水と、機内食は、普通のエコノミーのような食事。エコノミーは食事が有料だった。ダンナは寒くてあまり眠れなかったらしく、機内食もほとんど食べなかった。写真はクアラルンプールの、エアアジアのビジネスラウンジ。ここで3時間半ぐらい過ごした後、乗り換えてバリまで。バリに着いたのは、7月9日の午前10時半。娘が頼んでくれていたタクシーでホテルへ。予定していたビジネスの飛行機が取れなかったので、ホテルは豪華な部屋を頼んでくれていた。
2019.05.05
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一昨日の5月1日。手術後、初めて電車に乗って、「フェルメール展」を観に行ってきた。前日の夜中、関西テレビで「フェルメール 仕掛けられたイリュージョン」という番組をしていて、録画していたのを朝から見た。雨模様の天気で、これならそんなに混んでないかも・・・と、杖をついて、折りたたみ傘を持って電車に乗って天王寺へ。天王寺について、地下街を通り、大阪市立美術館までは、徒歩約10分。ちょっと雨がポツポツ降っていた。ちょうどお昼時で、てんしばのお店にはたくさんの人が並んでいた。世界各国のビールのイベントもしていて、パラソルを付けた立ち飲みテーブルで、ウインナーなどをつまみに、ビールを飲んでいる人もたくさんいた。そんな横を通って美術館の方へ行くと、入り口付近ではほとんど並んでいなくて、すぐに入ることができた。音声ガイドを借りて聴きながら、進んでいくと、絵画の前は3列ぐらいに並んでいるけれど、一番前でなかったら、ゆっくり絵を鑑賞することができた。オランダの画家たちの、宗教画や風景画などを見た後、最後の方にあった6点がフェルメールの作品。今回日本に初めて来た「取り持ち女」フェルメールの初期の作品で、テレビでは、宗教画から風俗画への移行期の作品で、何度も塗り重ねて試行錯誤した跡があると言っていた。若い女の人に金を渡そうとする男と、それを横から確かめる取り持ち女、左側の男性は、フェルメールの自画像ではないかという説もあるそうだ。大阪展のみ公開の「恋文」手紙を届けに来た女中からから受け取って、読もうとしている様子を、隣の部屋から描写している。すごく奥行きが感じられて、フェルメール特有の、窓からの光を感じることができる。背景にかけられた額で心情を描写しているそうだ。フェルメールの現存する作品は35点しかないと言われている。以前神戸で「真珠の耳飾りの少女」も観たけれど、また見られて良かった。(大阪展は5月12日まで。)美術館から出てくると、入場するのにすごく長い列ができていた。食べ終わってから来た人が多いのかな?あべのハルカスの方まで歩いて行って、京都北山ダイニングで遅い昼食。ちょっとデパートの中でショッピング。でもどんどん足が痛くなってきて、天王寺構内の喫茶店でまた休憩。夕方の6時過ぎに家に帰ってきた。足が痛くて夜、湿布をいっぱい貼ったけれど、初めて遠出ができて大満足。杖はまだ当分必要みたいだけれど。
2019.05.03
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いろいろなところで平成最後と言われ平成時代を振り返っているけれど、ブログを始めたのが2006年、孫が生まれたのが、2005年、2007年、2010年、2015年、2018年、父の亡くなったのが1995年、母の亡くなったのが2011年、私が仕事を辞めたのが2007年で、ダンナが辞めたのが2009年、と言えるけれど、それが平成何年なのか全く言えない。私が生まれたのは昭和28年で、ダンナは23年。息子が生まれたのは昭和51年で、娘は53年。これは西暦でも言えるけれど、義父が亡くなったのは昭和61年で、西暦ではすぐに出てこない。昭和は元号で、平成は西暦でと、なんとも不思議な私の記憶。それは、私が1990年(平成2年)に、職場が変わったことが影響している。私は小学校に勤めていたけれど、この時違う市に転勤した。それまではすべての書類が元号で書かれていたのに、変わった市では、全てが西暦表示だった。勤めていたころの私の記憶は、学年、組、子どもたちの顔や出来事とともに記憶されている。仕事を辞めてからは、このブログが記憶のよりどころ。思い起こしてみると、平成の時代って、私自身が、家族が大きく変わった時代だった。病気もして、仕事も辞めたけれど、こうして平和に楽しく過ごせているのってありがたいな。令和の時代も、平和な時代であって欲しいと願わずにいられない。10連休が始まったけれど、息子のところの孫たちは、中学校のクラブもあって来ていない。娘たちは、家族でソウルからバリへ。それで、私は家でのんびり過ごしている。エルちゃんは、「ここにまた、おじいちゃんやおばあちゃんと一緒に来たい」と言っているそうだ。2017年に、バリ島に行ったときのこと書いておこうかな。あともう少しで、令和元年。記念に、12時になったら更新しようっと。
2019.05.01
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