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コスモスの武蔵野支部歌会に行った。実力者が多い歌会なので、勉強することが多い。鰆焼きみどりの菜花おひたしにもう春ですね二月終りは右耳に潜みはじめし鉦叩き小雪降る夜をりろりろと鳴くの二首が11票を得ていたが、宮英子先生の点があった方ということで、「右耳に・・・」が、コスモスへの報告歌となった。一首目の「鰆焼き・・・」についてでた批評はA さわやかで、あかるくて、春らしく健康的B 新しい季節の到来を一番初めに感じるのは食べ物から。そこをうまく捕らえている、C 下の句については、「ひびきがよい」と「上の句からの続き方が悪い」と両方の意見が出た。英子先生は、最後の「は」が分離して自己主張してしまったとの評をされた。D「菜の花」を「菜花」とした表現に工夫があり、これで黄色が立ち上がってくる。などだったが、そのほかに私は、歌い出しに、魚篇に春という字の「さはら」を持ってきたのが、視覚的にも成功していると思った。二首目「右耳に・・・」 には、私も指名されたので、耳鳴りが始まったことの比喩が美しく表現されていることと、雪が降ると音が吸収されて周囲が静かになるので、とくにまた耳鳴りを感じるにちがいないという旨の発言をした。その後での他の方の批評は、A 第一句、第二句の表現が丁寧B 「りろりろ」は意見のわかれるところ。C 「小雪降る」「りろりろ」「鉦叩き」など、言葉がおしゃれで、雰囲気をかもし出している。(素直にストレートにしてもよいのでは?)D 「小雪」は、他のものと入れ替えても成立する言葉なので、まだ動く。(私は、小雪降る夜だからこそ、静かで耳鳴りが気になってくるで、大事な状況だと思っていたので、少しびっくり。)など。27日の日記に、私が一番好きな歌としてUPした一首亡き夫と訪ひし日もある百草園今日は蝋梅清かに香るは、得票は5票。作者が欠席のため、互評の対象にならず、ひととおり終わった後、三枝英夫氏から「自然に詠めている点がよい。ただし、百草苑 は 百草園 と表記のこと」という短評があった。この会には、参加者が4首の選をして出席するが、私は上の3首のほかにピラカンサの赤き実を付け雪うさぎ手に乗るほどが塀の上にをりを選んでいた。これも10票を得て好評だったが、「赤き実」のかわりに「赤き目」にしたらよいのではないかという評が出て、なるほどと思った。
February 28, 2006
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明日は、コスモス武蔵野支部の歌会があると伺ったので、出席させていただくようにお願いした。武蔵野支部には、宮英子先生をはじめ、選者先生や上級者が大勢いらっしゃるせいか、行き届いて巧みな作品が多く、また、歌評もしっかりしているので、私にはとても勉強になる・・・・・とはいうものの、詠草集を前もって頂いているのに、ついつい読み込むのが遅くなり、もう数分前に当日になってしまったのに、実はまだ詠草集を広げている。そんな中で、亡き夫と訪ひし日もある百草苑今日は蝋梅清かに香るが、私の一番好きな一首。さびしいながらも感情を抑えてしみじみと歌われて、端正な作品だと思う。ただし、「百草苑」は固有名詞なので、「百草園」と表記する方がよいかもしれないとは思うけれども。さて、歌会ではどういう感想が出るだろうか?
February 27, 2006
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第十一回宮柊二記念館記念短歌大会の入選作品集を読んだ。 今年の選者は雨宮雅子さんと狩野一男さん。1996年だったか、一度だけ私も出かけていったことがあるが、記念館は空ひびき土ひびきして吹雪(ふぶき)する寂しき国ぞわが生(うま)れぐに (宮柊二『藤棚の下の小室』より) に歌われたとおりの景色の中にあった。(バンクーバーの冬にも、こういう日が毎冬、何日かはあるせいか、懐かしい感じのする寂しさだった。)ああああああああああその時買った色紙。 (引用歌と色紙の第二句が少々違っているけれども)今年の一般の部の選者賞は、雨宮選鉄腕の田植機なるも「さなえ」とふやさし名で早苗しなやかに植う 池内久雄(新潟県)狩野選青畳敷きたる如き五月田を風さわやかに撫でてゆくなり 小熊栄子(新潟県)二首とも、田植えの季節の田を歌われてさわやか。柊二館の行事にふさわしい内容と詠み口だと思った。さらに、前年に地震の被害を受けられた地、またはそこに近い場所でなされた田植えを詠まれているだけに、心強い思いにも打たれる。魚沼こしひかりの産地だし。一首目は、頑丈だけれどもやさしい名前の田植機が早苗をしなやかに植えていくという対比が楽しいし、「青畳を敷いたように」整った五月田の風を感じている第二首目からは、ひと仕事終った達成感が読み取れる。ただ、新潟の五月を知らない私にちょっと疑問なのは、田植えの時期。新潟の田は、関東の田よりも田植えが早いのだろうか。関東だったら、五月にはまだ田植えは終っていないと思うし・・・もしかすると、これは苗代のこと? ジュニア部門、高校生の部の選者賞は雨宮選並んでは間隔取りつつ歩きだすあなたの影と私の影と 神保香純 今の高校生でも、こんな感じで歩くこともあるのか・・・と、却って新鮮。(私の時代は・・・もちろん、こんな感じだったのです。)相手の顔を直接に見ないで、ふたつ並んだ影を見ているところに、伏目がちの視線と心の動きの微妙さを感じた。狩野選爽やかな風ふきわたる教室に先生は秋の顔をして立つ 中山真彩子 風が爽やかになったある日、ふと先生の顔を見たら「秋の顔」をしていらした・・それぞれの人が、いろいろなところに、秋の訪れを感じるのだけれども、先生の表情にそれを認めた視点に、作者の日常が出ていて、場面設定に納得。この作者のおばあちゃまも、あかねさす紫式部むらさきの色さしそめぬ小さき珠実に(松尾佳津予)のゆったりとしたしらべの楽しい一首で、一般の部で「秀逸」になっていらっしゃる。毎年、カナダからも誰かは入賞するのだけれども、今年は私も含めて全滅。入選歌を読んで、「ああ、あんまりこせこせした歌はだめなんだなあ」と思った次第でアリマス。
February 26, 2006
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「題詠マラソン」のBBSを久しぶりに開いたら、五十嵐きよみさんの書き込みで、今年は題詠マラソンを開催しないことと、さらに・・・・(前略)・・・なお、休止のお知らせと同時に書くべきことかどうか、ちょっと迷いながらもご案内しますと、「最初の1ヵ月だけ健康に自信がもてればなんとかなるイベント」として、新たに以下のようなものを考案してみました。http://blog.goo.ne.jp/daiei100syu題詠マラソンの直接の継承企画というわけではないのですが、類似の企画ではありますので、興味をお持ちの方はどうぞご参加くださいませ。・・・・(後略)とあった。詳細は、指示とおりにhttp://blog.goo.ne.jp/daiei100syuを見て、納得。(オススメのイベントです。)せっかくこれまで行われた3回の題詠マラソンに参加してきたのだし、ブログの扱いもわかってきたところだったので、早速、「題詠100首blog」専用のブログを立ち上げて、120番目の参加表明をした。専用ブログの名前はそのものズバリ、「『題詠100首blog』参加作品」として、あとは、書き込み開始の3月1日を待つばかり♪
February 25, 2006
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のびのびとスピンを見せて荒川が達成感ににつこり笑ふ華のある女性となりて荒川が青きドレスで氷上を舞ふ得点の出た瞬間の驚きの笑顔さはやか荒川静香今日の日本は、新聞を読んでも、テレビを見ても、ラジオを聞いてもフィギュアスケートの金メダルの話ばかり。だから、頭の中にはその情報がこれでもか、これでもかとインプットされて、他のことは詠めなくなっているけれども、どうにも歌らしくならない。 でも、まあ、少なくともここしばらくは話題だから一応・・・オリンピック前に、アメリカのスポーツ雑誌のSports Illustratedが、「日本の金メダルはフィギュアの荒川と、スピードスケートの加藤の2個以上はありえない」と書いていたが、半分アタリ!2010年バンクーバーの五輪でのスケート場は我が家の近所建設場所はすでに決まって、今は砂盛りがしてある。2010年五輪を目指しあちこちに道路工事がすでに始まる長年の懸案であった空港と町の中心部を結ぶ電車ができるそうで、今は、その準備工事で地下の管などの移動工事が始まっている。当分、大騒ぎ。ボランティアも数倍のテストがあるといふ2010年オリンピックは2010年冬季オリンピックがバンクーバーと決まるとすぐに、誘致運動のサイトにボランティアを名乗り出た人が、定員の何倍もいたので、「もう少し、時期が近づいたら、改めて募集し、人数の多い場合は、面接して決定する」という発表がされ、そのサイトは、数年間の予定で閉じられた。4年後はどんな私か? カーリングで腰を痛めて寝てゐたりしてシニアとしては、あんまり考えたくないけれども・・・2010年バンクーバーの五輪には二歳の孫がもう小学生オリンピック誘致が決まったときは影も形もなかった孫が、オリンピックの頃にはもう学校に行き始めているのかと思うと、誘致決定から開催までの6年はかなり長い。特に、ベストコンディションを数大会連続出場したい選手たちにとっては、随分長いのだと思う。
February 24, 2006
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以前からほしいと思っていた「吟行入門『私の武蔵野探訪』」を、吉祥寺の本屋さんで見かけてすぐ買った。帯には、「高浜虚子の足跡をたどりながら、変貌する武蔵野の風物に触れつつ、吟行による俳句づくりを学ぶ旅。写真や地図も満載。楽しい入門書。」とある。武蔵野に長く暮らしていた私には、とりあげられた24ヶ所のうち、18ヶ所までが、それぞれの思い出を持つ場所だったりするだけでもうれしいのに、そこで、俳人の深見けん二さんは短歌を、歌人の小島ゆかりさんは俳句を詠みながら、お互いに添削をしているので、評判とおりの楽しさだ。残りの6ヶ所も、帰国の度に心がけて、この本を片手に見て歩きたいと思う。最初のほうに出ていた1句と1首 原作:行く鳩のうなじに冬の虹かかる 添削結果:鳩歩くうなじに冬の虹をかけ 原作: 花くらくと師の詠まれたる深大寺日の照りつつも冴えわたりたる 添削結果:花くらくと師の詠まれたる深大寺冬日照りつつ冴えわたりたる 今ごろになって、2003年10月発行のこの本を、今頃ほめるのもおかしいのだが・・・ そのあたりが、インターネットで情報は届くものの、実際にその本を買うとなるとむずかしい外国住まいの弱点である。(でも、英語の本は、日本で買うより早く買えて、安いですよ、もちろん)
February 23, 2006
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環七の車の流れふと途切れ路面に淡し朝の光が歩道橋の高みに立ちて見下ろせる環七通り今日は穏やかいつも混む環七通りほかほかの春の日差しに居眠るごとし走りよる我を待ちくれチカチカとバスが指示器の点滅をする今日乗りし電車もバスもその道もなぜか空きゐてのどかなる春 今日は、とても暖かでのどかの一日。お役所にも3ヶ所行ったが、どこも空いていて、対応のよい職員サン達にあたって、用事も簡単に済む。その上、交通機関もゆったりとしていたし、仕事関係で訪ねた某社も、なぜか雰囲気がのんびりしていたので、能率よくすべてを終え帰宅。テレビの党首討論を見る。国会はワイドショーではなきものを混同されて党首討論一方、天気に誘われて鎌倉に散策に行っていた夫は、「ああ、どこも人ばっかりだった」と帰宅。忙しいはずの東京のみなさん、今日は珍しく郊外でゆっくりなさったのかな?
February 22, 2006
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昨日の日記にも書いたが、カナダにコスモスが届くのはあと10日以上先になるので、このブログを見てくださるかもしれない作者の分だけ、ここにUPしておく。賜りし秀衡塗りの椀ふたつ雑煮を盛りて恩師を偲ぶ児童らと空地に蕎麦種まきし後玉音放送聴きし職員室に玉音の語尾はつきりと解せぬまま君の目にうく泪を見たり (菅原美知子)作者は、終戦の頃は宮城県にいらしたはず。「秀衡塗りの椀ふたつ」と「恩師」に触発された思い出を歌われた。卵白をホイップすればむくむくと泡盛りあがりその浮遊感焼き上がるケーキの匂ひに目覚めしか昼寝の猫がキッチンに来る夫在さば婚四十年しみじみとアイスワインのケーキを焼きぬ(鳴海登志子)臨場感ある三首。私もケーキの匂いにしみじみとした。やはらかな大気がふはりと身をつつむ日本の大地に降りたちし時旅は無理と思ひし心を励まして訪日せしを真によろこぶ六十年経し北朝鮮の小学校同級会に三十名がつどふ (松山晨子)昨秋の一時帰国を詠まれた一連。背開きの鰊をずらり網の上に味醂干しとす寒きガレージに油濃き鰊と大根おろしにて夕飯はすむあつといふ間にをととひの鰊につづき今日はまた頂きもののウニの夕食湯豆腐の土鍋と並ぶウニの皿カナダの冬はいよよ始まる(粟津三寿)カナダの日本食は、工夫次第でとても豊かになります。四首目などは、レストランでは味わえません。子らの声山まで届く昼休みぴたり静もる始業のベルに授業終へ跳ねつつ帰る金曜日塾など知らぬカナダの子らは初曾孫誕生までにあとひと月母は頑張る全身麻痺で(奥山和子)「命」を改めて考えさせられる三首。還暦の長子ぎつくり腰といふ見上れば初老の白髪目立つ告知受け三年を堪へし弟が治療に屈し「昨夜逝きぬ」と年上の姉らを残し古稀の弟順番待たず先立ち逝きぬ (金淑子)「歳月不待人」という言葉を思い出します。一日中霧が晴れずにぼんやりと点りてをりぬ交差点のライト庭草を真白く覆ひし今朝の霜冬の気配がひんやり包む昼暗きベッドルームのカーテンを開ければ激しく雪降りしきる(田中澄江)緯度が高いカナダの冬は日が短くて、晴れの日が少ないのです。
February 21, 2006
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東京の先輩に、コスモス3月号を見せていただいた。カナダに届くのは、通常、月末か次の月初めになることが多いので、随分早く見たことになる。私の掲載歌は、巻紙に候文で書かれあり祖母から母へのむかしの手紙俄かにも不安になりぬ我が住まふ高層ビルの耐震強度「嫌ひだが今の日本に要る人」と小泉さんを友が評せりの三首。選者は水島晴子さんで、添削はなかった。一首目、「巻紙に・・・」祖母がなくなったのは昭和18年だが、最晩年まで祖母の手紙は「巻紙に候文」。そして、その当時の母と娘には簡単に読めたのであろう草書であった。もう、そんな時代でもなかったと思うのだけれども。 離れ住んでいた祖母から母にあてた手紙は、実は、かなりの数があったらしい。但し残念なことには、だんだんに紙が手に入らなくなった時代だったので、母がその手紙の行間に返事を書いて送ると、その返事は、さらにその裏に書かれてきたり・・・という具合で、最終的に母の手元に「読める形」で残ったものはそう多くない。「そのうち一通くらい、表装して私の『お宝』にしようかしら・・」と言ったら、主人がめずらしくバカにせずに、「いいんじゃないか?」と言った。二首目 「俄かにも・・」今の時代、耐震強度の問題が浮上しているので、日本のニュースに通じている高層マンションの住民なら、誰でも少しはこういうことを考えているのではないか・・・と思い、投稿してから「平凡だったかなあ」と後悔していた作品。三首目 「嫌ひだが・・・」「こういう小泉票もあったのだ」と、友人の言葉をそのまま引用した一首。この「友」さんは、中学時代の同級生。会うのは何年に一度かだけで、あとはごくたまに賀状やメールの交換があったりというお付き合いだが、短歌的には「お助け神」である。始まりは、私が短歌をはじめて間もない頃。「えっ?短歌?」と驚いて、「年月を感じるなあ。郷愁だろうね、きっと。」と言われたので、そのまま歌詠むは郷愁ならむと言はれしに戸惑ひて答への言葉失ふと一首。(私は「郷愁」という言葉が嫌いだったので、少しむっとしていた。)でも、これがコスモス掲載歌になったので、それ以来、この友人から「言葉」が届くたびに、ゲームのように、「・・・と友が言ふ」的な結句をつけて引用した歌にしてみるのだが、なんと、それが没になったことはまだない。で、今回も、たまたま話をしているときに「小泉さんは・・・」という言葉が出たので拾わせてもらって一首にしたら、やはり水島選者が拾ってくださったというわけで・・・。短歌的センスのある人なのだろうと思うが、ご本人は短歌つくりに興味がないようなので、もっぱら私が重宝させていただいている。
February 20, 2006
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今日は母の命日である。文京区白山にある大円寺に墓参。 近くに母の好んだ赤い椿が咲きかけていた。すぎゆきも未来もあらず目をとぢてちちははの為の読経聴きをり(大橋富子『冬椿』より)との母の1首を思い出し、母の時間がそっくりそのまま私の時間になっているような錯覚に陥る。以下に、母が、少女期の私について詠んだ作品を引く。 文字いつか大人びて来ぬわが知らぬ子らの世界も拡がりゆかむ(大橋富子『冬椿』より)いつしかも育ちし子らが父母の在り方なども時に批判す末の子の何憚らぬもの言ひが夕餉の卓の笑ひをかもす根を高くとりて結びし黒髪よ末の娘もいつか童女期を過ぐ過ぎ去りゆく日々を惜しめどいつしかも丈のびし子に悔ゆることなしモデルとしては、「そんなことなかった」と言いたい内容の作品もあるのだが、短歌には、必ずしも事実を詠む必要はないわけだし、亡くなった人とケンカもできないので、歌としてよければ、「ショウガナイ」。それに、短歌を詠むようになった私は、その後、母のこともたくさん詠んだので、晩年の母の作には、時に苦笑さそはれてをり娘が詠める短歌にうかぶ母吾の像というのもあったりするから、こちらからも一応の反撃(?)は果たしているわけである。
February 19, 2006
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オリンピックの女子カーリング、カナダと日本の試合をテレビで見た。 日本とカナダの女子のカーリング 両方共勝つわけにはゆかずスポーツと言へども少し複雑か日系カナダ人のコーチ三木さんストーンを氷の上に滑らせるフォロースルーの右手伸ばして伸ばしたる右手の指の先端に選手の祈りヒタと集中ゆつくりとスピンしながら滑りゆきガードストーンぴつたりの位置ストーンを投げんと滑りだす時の上目使ひの目の真剣さスウィープの速度をあげてガツーンと相手のストーン弾きだしたり進路妨害意地悪なども公認のカーリングなり 戦略として格上と誰もが思ふカナダチーム接戦となり声尖り来る四十代のカナダ選手の技術対登り坂なる日本の若さ155センチしかない小野寺さんリンクに立ちて大きく見える微妙なるコースをつきてナイスなり勝ちを決めたる小野寺ショット小野寺さん本橋さんのファンとなり今日は日本の応援をする「番狂わせ」とカナダの新聞報じたりまさかの日本に負けたる試合日本ではまだ歴史が浅いカーリングだが、トリノオリンピックで、他の部門の成績が振るわない中での今回の活躍に、今後、底辺が広がり今後につながってくるのではないだろうか。(ちょっと平凡な感想だったかな?)
February 18, 2006
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「書の至宝」展に行った。書がわかるわけでもないし、URLにある「見方」をちゃんと学んだわけではないが、会期も終わりに近いことだし、とにかく自分の目で見てこようという、わかっている人からみたら悔しいであろうほどのもったいなさである。 東京に住む娘にも会はぬうちまずは訪ひ来る「書の至宝」展久々に来し上野なり 早春の朝の空気をいつぱいに吸ふ甲骨に薄く残れる文字の跡 人々の立つ隙間にのぞく王義之も欧陽詢も日本に所蔵さるるが心強しも王義之の筆使ひに見る緩急が千二百年経てまだリズム持つ銘書なる「蘭亭之序」もよく読めば われらもよく書く「歌会報告」がつちりと確かな楷書の律儀さに「九成宮」の絵葉書を買ふ人柄も楷書のやうに明解か 千四百年も前のこの書家 (欧陽詢を見て)ほとんどは意味のわからぬ軸や額 絵画鑑賞とあまり変はらず筆跡も紙も古りたり かな書きのみやびやかさはそのままにして高野切れ かな連綿の優しさにすつとのびたる「し」の爽やかさ古き書が千年以上も支へらる紙職人の技と工夫に連歌巻く歌会の記も残りをり処々に「見せ消ち」の跡良寛のひらがなばかりの屏風の書 心をほぐしてくれるごとしも良寛のひらがな書きに合ふやうな歌を詠むのが一生の夢「どんどんとお進みください」と言はれつつ鑑賞者たちあまり動かず入り口に整理券を待つ人々の列を見ながら会場を出る六十代女性を多く見かけたり そして私もそんな年齢意味合ひの豊かな漢字を捨てさりて簡字体採る 今の中国展示作品には、上海美術館からのものがたくさんあったが、それにも劣らずに、日本の旧財閥系美術館に保存された中国書もたくさんあり、日本の昔のノーブル・オブリジェ意識のあった方々が、大きく文化の保存に貢献していたことを、改めて感じた。また、すぐ近くの東京都美術館で、ニューヨーク・バーク・コレクションをやっていたが、日本美術を蒐集したバーク夫人も、やはり、ノーブル・オブリジェ意識があったのだろう。 日本に自分の美術品を守る力がない時代に、アメリカのこういう人が蒐集し、文化の保存に貢献していたこともありがたいことだと思う。会期は3月5日まであるので、なんとか時間を捻出して、こちらも行ってみたいと思う。
February 17, 2006
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神奈川県座間市にお住まいの鈴木英夫先生宅での歌会に伺った。先生は、北原白秋のお弟子さんで、私たちはご縁があって20年近くご指導をいただいている。会の途中で、「わかる歌とわからない歌」について、先生のお話があった。歌を詠むときは、「詠む以上は読者にわかってもらいたい」時と「読者にわからないかもしれないが、どうしてもこれだけは歌っておきたい」時とがある。後者の場合は、「自分の歌いたいことを歌って、もしそれが理解してもらえればありがたい。」くらいの覚悟を持って歌えばよいことだ。万人にはわからないかもしれない歌があってもよいと思う。読者から言えば「わかることはわかっても、面白くない歌」もあるのだから、「わかってもらえること」ばかりを考えるのも、いかがなものか。と、これは、私なりの要約。普通のことを歌っていてわからないものは推敲してわかるようにするべきだけれども、「これだけは、わかってもらえてもわかってもらえなくても歌いたい」という場合は、たしかに、一生のうちに、何度かはあるのだと思う。でも、そういうときには「わかってもらえない」などとグズグズ言わずに「わかってもらえればありがたい」という「覚悟」をするんですねえ。この「覚悟」という言葉を伺っただけでも、出かけてきた甲斐があった。ちなみに、今日の歌会での、先生の添削例をいくつか。★ 原作 葉の落ちし冬の檪の夕空に影絵のごとく高枝の伸ぶ 添削 葉の落ちし冬の檪は夕空に影絵のごとく枝高く伸ぶ★ 原作 枯木立の枝間に覗く細き月獣めく光われに蹤きくる 添削 枯木立の枝間に覗く細き月冷たき光われに蹤きくる★ 原作 角砂糖紅茶の中で溶けゆきて如月四日けふ春の立つ 添削 角砂糖紅茶の中で溶けゆきて如月四日けふ春は立つ★ 原作 窓のべに春の光を背にうけ空気はとろり睡りもよほす 添削 窓のべに春の光を背にうけ空気はとろりと睡りもよほす★ 原作 病院の廊ゆく少女子癒えこしや松葉杖の音リズムを保つ 添削 病院の廊ゆく少女子癒えこしや松葉杖の音リズムを持ちてほんの少ししか直さずに、原作の良さを生かされるのが、いつもながらの特徴。歌会の後、9日に94歳になられた先生のお誕生祝い。先生は、昨年よりもかえってお元気で、白秋の歌曲をたくさん歌ってくださった。 余談だが、先生が「白秋先生」という呼び方でお話なさるとき、その場で私まで「白秋先生」というと、なんだか親しそうでおこがましいし、かといって先生が「先生」と言っていらっしゃるのに、私が「白秋」と呼び捨てにするのも、おかしいし・・・。こういうときの呼び方は、どうするのが適当なのか、いつも迷う。
February 16, 2006
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祖父母、父母、姉弟五人の九人中母がいちばん雑煮餅食べき(バンクーバー短歌会 M)2月のバンクーバーでの短歌会の詠題は「食」。上記は、無記名でだされた歌ではあったが、私には、その「母」なる方がどなたであるか、すぐ想像がついた。・・・というのは、そのお母さまも、以前は会のお仲間で、「昔は大家族で暮らしていましたのよ。父母と主人と子供五人。でも、あんまりみんな食べない人ばっかりで、お正月の餅なんか、私が一番たくさん食べるくらいだったんですよ。」というお話を昔何回か伺っていたからである。「で、いくつくらい召し上がったんですか?」と伺ったら、「5つくらいねえ」とのこと。えー?でも、九人の世帯の切り回しをしていらして、その上、女学校の先生までしていらしたら、そのくらいのバイタリティーは必要だったのだろう。 昔の写真を拝見しても、むしろ痩せ型ですらあった。この一首、まだもう少し、整理が必要な作品かな?とは思ったけれども、それはさておき、指名されたときに、ついその話をした。 すると、作者サンは、「ほほほ」と笑われて、「いえ、私たちが5つくらいで、母は9つは食べましたよ。」・・・ えっ? Nさん、ちょっと控えめにおっしゃったのね。そこまでではないにしても、昔は今よりお雑煮のお餅をたくさん食べたような気がする。今では、みんな、1つか、せいぜい2つしか食べないのではないかしら。ちなみに、昨日の日記で紹介したのは、このNさんがなくなられたときに、私の母が詠んだ挽歌である。Nさんは、時々バンクーバーに来ていた私の母とも親しくしてくださって、ご一緒にヴァンデュッセン植物園で草花を見たのも懐かしい思い出である。草花に造詣が深く、闊達で楽しい教養人だった。同じ方のことを詠んでも、ご家族が詠まれた作品には、「普段着の姿」があって魅力的だ。(昨日ほめたばかりの母の作品を悪く言っているわけではありませんけれども。)
February 15, 2006
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合歓の花殊に愛でたる友なりきうす紅にあはあはと咲く (大橋富子)ヴァンデュッセンに撮りし面影アルバムに変はる事なき微笑みのまま人逝けば星となるとふ美しき慰め聞きし杳きをさな日3首とも、私の母の作品。バンクーバー短歌会のNさんが90歳のお誕生日を目前にしてなくなられた時に詠んだ挽歌である。母の作品には、おとなしいものが多かったので、若いころの私には、あまり魅力的な作品とは思えなかったし、宮英子先生(コスモス発行人)が「大橋さんの作品には気品がある。それは誰にでもできるものではないから大事にしなさい」とおっしゃったのを聞いても、「先生としての励まし」だろうと思っていた。でも、最近改めて見直して少し考えが変わった。たしかにおとなしいし、新鮮な感じもしないが、こういう作品があってもよいのではないだろうか。「まろやか」だし、たしかに気品がある。 挽歌を詠んでも、暗くなりすぎずにしっとりとしている。親の作品について、褒めるのもなんだかおかしいし、「娘って生意気でやあねえ」という母の声が聞こえてきそうだけれども。東京では、母の住んでいたマンションに居るものだから、ついつい昔のことをいろいろと思い出して、少しさびしい。今週の日曜日は、母の命日である。
February 14, 2006
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12日の午後バンクーバーを出て、13日夕方、東京についた。普段の私の読書傾向からいうとかなり外れているのだが、機中、M子さんが貸してくださった、山本周五郎の『深川安楽亭』を読んだ。これは短編集だが、その一篇一篇に、教訓とか人生哲学とかがあって、考えさせられる。特に印象に残ったのが、「どの道においても、極意とは人に教えてもらうものでも、教えられるものでもない。自分の汗と経験で会得するものである。いずれの道にせよ極意を人から教えられたいと思うようでは、まことの道は会得できない」ということ。そういえば、だいぶ以前のことになるが、鈴木英夫先生が「よい短歌を詠むにはどうすればよいか」ということをよく聞かれますが、それは他人から教わってできるものではない。とにかくやってみることです。」 と講演されたことがあった。例にあげられたのが、往診先の男の子が二輪車に乗れるようになったときのこと。「はじめは物干しにつかまったりして、何度も何度も練習したが、すぐ転んでしまって乗れなかったようなんです。でも、あるとき、ふっと2-3メートル乗れた。そうしたらあとはもう、どんどん乗れるようになって、今はもう自由自在。きっとそのとき、彼にはなにかがわかったのでしょうね」やっぱり、結局は自分でやるしかないか!もう若くはないのだし・・・。それがM子さんのメッセージだったのかな?
February 13, 2006
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12月のバンクーバー歌会に出した歌が、鈴木英夫先生の講評をいただいて帰ってきた。私の1首はしとしとと冷たき雨が見たいとふカリフォルニアに住む歌の友この歌には、先生は、ちょっとお困りになったようで、「私は現地の状況を知らないのでよくわからないが、一応よくまとまっていると思う。」と微妙な評を書いてくださった。やはり、歌は、わかるだけではだめだけれども、わかるようには詠まなければいけない。その「カリフォルニアに住む歌の友」のSさん。大分前になるが、電話で話した時に「もう一度、カナダに遊びにいきたいなあ」とおっしゃるので、「いらっしゃいよ。私がちゃんと面倒みるから。あ、こんどの夏はどう? 天気がよくて気持ちがいいわよ~♪」と、うれしくなって思わずお誘いすると、「みんながカナダの夏はいいというけど、晴れて暖かいなんてのは、カリフォルニアにいれば毎日のことで、そんなにめずらしくも、気持ちよくもないのよ。」とのこと。そうかぁ。・・・うらやましい話だ。Sさんの言葉によると「だからね、カリフォルニアにいると、しとしと降る雨に濡れてみたくなるから、10月ごろがいいわ。こっちじゃ、たまに雨が降るっていえば、ザーッとすごい勢いで降る雨ばかりなんだもん。」・・むむっ! しとしと降る冷たい雨が見たいとはねえ・・・ でも、考えてみればそういうものかもしれない。せっかく旅行するとなれば、誰だって普段と違うところを見たいと思うだろう。Sさんをご招待するには、日が短くても雨に濡れた紅葉の見られる10月がよさそうだ。自分がよいと思うことを、他の人もよいと思うとは限らないことなど判りきっているはずなのに、実際には少しも理解していなかったと、おおいに勉強して詠んだ一首。(これは短歌のことだけではないので)しかし、その作者の気持ちは、この一首のままでは伝わっていない。いや、詠んだときには伝わると思ったのだけれども、それから3ヶ月たった今の目でみると、「伝わらない」ことがわかる。考えてみると、自分がそのことを聞くまでは、Sさんが何故雨季のバンクーバーがよいのかわからなかったから驚いて詠んだ一首だということは、他の人にもわからない場合が多いのは当然のことで・・・さて、どうやったら、この内容を分かるように、かつ、饒舌にも説明にもならずに詠えるのだろうか。ふーん・・・また宿題が出きてしまった。
February 12, 2006
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願ひごとかけつつレーズンかみしめる十二個の夢 甘く酸い味 (バンクーバー短歌会 H)(一年十二ヶ月の願いを十二個のレーズン一つ一つに願いをかけて年越しの夜食べます) 年越しの夜にこんな楽しいことをするのは、どこの慣わしなのだろう・・・と、興味深く思っていたら、アルゼンチンのブエノス・アイレスでの慣わしだそうだ。ブエノス・アイレスで、バンドネオンの音楽を流しながら、タンゴのリズムでレーズンを食べながらの歳を越す!それも、南半球だから夏の夜、やっと涼しくなった風の中で・・・ 一度は、是非経験したい話である。作者の話によると、ニューイヤーズパーティーなどに行くと、そのお宅で、小さな袋に12粒のレーズンをいれた袋をたくさん用意して、12時少し前になると配ってくれて、皆は12時になったら、食べ始めるのだそうだ。さて、この一首、住んでいた人だからこそ詠めるとても面白いところを詠っていて、楽しい。会では、詞書きが長すぎるとの意見が出て、それは確かなことなので、さまざまな試みがされた後年越しの願ひを秘めて十二個のレーズンを食むブエノス・アイレスで収まったが、今見直すと、「秘めて」は「篭めて」くらいに留めてもよかったかと思う。さらに、結句、「ブエノスの夜」がよいかという案もあったが、分かりにくいということで、「ブエノス・アイレスの夜」になり、それでは字余りだし、「年越し」だから「の夜」はわかるということで削除してしまったが、今見直すと、「ブエノスアイレスが食べる」ような文脈になってしまったから、字余りでも「に」くらいは必要だったかとも思う。その上、一首の中で多くのことを言おうとしすぎた感もあるので、むしろ、詞書の部分をそのまま、もう一首として二首並べる方が生き生きとした作者の気持ちが残ったかもしれない。よくなったような、いじりすぎたような・・・。この一首に限らず、読む人が状況を知らない場面を読むとき、一首が「わからない」作品になったり、説明的表現になったり、詞書が長くなったりすることがよくある。そのあたりが、いわゆる「海外詠」がいつもぶつかる問題であり、そこをどうクリアーするかが悩みでもあり楽しみでもある。
February 11, 2006
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めずらしく晴れた今日は、日の出前に東の野に炎の立つみえて返り見すれば月傾きぬ(柿本人麻呂) のように、空が赤く燃えていた。冬のバンクーバーは夜明けが遅いので、別に早起きをしないでも、こんな空がうちのベランダから見える。ただし、雨か曇りの日が多くて、なかなか注文通りにはいかないのだけれども。お天気の日が多くなり、こういう空が見られる頃には、そろそろ春が近づいている。うれしくなって撮った写真数枚をUPする。aaaa だんだん赤が薄れてきて・・・ aaaaaaaaa新しい1日が始まりました。
February 10, 2006
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経験がないから理解できないと評する選者の堂々と言ふ(三木裕子『桟橋』85号より)とどのつまり共有体験出来る歌が高点歌になる選の寂しさについてもう少し。たしかに、選者の態度としてはよくないし、また、参加者の態度としても、共有体験があるからという理由だけで点を入れる人が多く、歌会の高点歌となるのも寂しい。「こんなのは、いわゆる歌会の高点歌だ」と心ある人から指摘されたら、「全面的に考え方を改めて作り直せ」といわれたものと解釈した方がよい。でも、一方で「さすが高点歌」といわれたら、やはり、それはほめ言葉だ。「歌には何を詠んではいけないということも、どんな言葉を使ってはいけないということもない。それが、その一首の中で生きているかどうかが問題だ」という、私がいつも教えられて来た言葉が、ここでも当てはまるのだと思う。と、そんなことを改めて思ったのは、今日、第一生命のサラリーマン川柳を読んでいて、涙が出るほど笑った後だった。 川柳のよしあしは私にはわからないけれども、さすがに100句まで厳選されたものには、共有経験のあるなしにかかわらず、よくわかるもの・同感できるものがたくさんあった。みんな言葉が生き生きとしている。たとえば1)共有体験がない句ケンカした 弁当開けた カラだった (想像しただけで、爆笑。)セキュリティ 一番手薄な 妻の口 (いえいえ、私のうちではゴザイマセン。でも・・・ふふふ)チルドレン きっと来る来る 反抗期 (小泉さんも、たいへん・・あ、これは多少は共有体験がある部類かな?)年金は いらない人が 制度決め (そうだ、そうだ)2)擬似共有体験のある句人生の 第二職場は 妻の部下 (うちの夫が作者かも・・・・?)同窓会 終わってほっと 太り出す(ノーコメント)妻の口 マナーモードに 切りかえたい (この作者も、うちの夫だ!)耐震の 強度増すのは 妻ばかり (新妻のころは・・・そりゃあ、私だって)3)共有体験がある句忘れてた! 気づいたことも 忘れたい (共有を通り越して、私の体験そのもの)初孫に 大人六人 総がかり (この作者は、うちを訪ねてきた人の誰かに違いない!)「遅いわねぇ」 気づいてくれよ プチ家出 (怒って口をきかないでいたのに、夫が気付かなかったのでばかばかしくて、やめたことがあります。)痩せるツボ 脂肪が邪魔し 探せない (探せ・・・ますよ。)ポイントの カードで膨らむ 我が財布 (私の財布も見てください)こういう川柳を読んだあとでは、「一般読者としては共有経験のある歌に心を寄せるのも、それはそれで自然だし、むずかしく考えなくてもよいのではないだろうか」と思ってしまう。心が寄っていくのは、文学に限らずどの分野でも、よい作品だと思う。もちろん、選者になったら、話は別だけれども。
February 9, 2006
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『桟橋』85号の三木裕子さんの連作「市民短歌大会」の中に、以下のような作品を見つけた。経験がないから理解できないと評する選者の堂々と言ふとどのつまり共有体験出来る歌が高点歌になる選の寂しさそういえば、私も、一昨日の日記に、同じ体験をすると理解の度合いがちがってくると書いたばかりだ。それは実感ではあるけれども、やはり短歌の鑑賞態度としてはよくなかった。一首が「よい歌」であるために「共有体験出来る歌」である必要はない。「共有体験できる歌」で、かつ、「よい歌」もあるけれども、「体験はないけれども、体験したらこうだろうと思わせるよい歌」もある。そこのところを、一昨日の日記では安易に書いたと反省。(本音のところ、やはり共通体験があれば、わかりやすいし・・・)「経験がないからわからない」と堂々と開き直ってしまう人が選者になったりすると、詠む人は、選者の名前を見て、その人の経験がありそうな歌を作ろうとする情けないことになりそうだ。そこを作者は「寂しさ」という言葉で表現したのだと思う。以下、一連の中で他に注目した作品を4首抽出して、寸評を添える。十一月第一日曜社教センター仮谷市市民短歌大会連作の第一首目の詞書き的一首。案内の言葉そのままが一首になっていて、リズムも出来ているのが楽しい。 それぞれの歌評にうなづき疑問持ち窓打つ雨のつぶを見てをりうなづくとはいえ、全面的に賛成ではない。その心のこだわりが、「雨のつぶを見てをり」に見えてくる。真剣に聞きゐる人に視線投げ評をしてをり風強き午後評者の様子が、目にみえるよう。作者の目が少し怖い。反論をして貰ひたき雰囲気を消して司会者会すすめ行く 司会者がまるくおさめようとしているのを感じて、いらだっている作者か?
February 8, 2006
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「首長のきりんはなんと鳴くのだろ」むかし子が訊きいま孫が問ふこれは、今、推敲中の「短歌の卵」である。推敲点のNO1は、「きりんなどの動物が声を出すとき、それに「鳴く」という漢字を使ってもよいのだろうか?」ということ。口偏に鳥なので、鳥にならぴったりだけれども、なんだか違和感がある。「犬が吠える」のように、特注の漢字を持っている犬には安心して吠えてもらえるのだけれども。「啼」も「春眠不覚暁 処処聞啼鳥 夜来風雨声 花落知多少」の連想が強くていけない。かといってひらがなにしてしまうと、15字もひらがなが続いて読み難い。その分、「麒麟」と漢字にする手もあるが、幼児の言葉としてはふさわしくない。いっそのこと、キリンとカタカナにして、「なく」はひらがなにしようか・・・?疑問 NO.2 「首長の」は、この場合関係がないので、なにか別の言葉がほしい。疑問 NO3 作者としては昔のことと、今のことを比べての感慨を言いたいのだけれども、内容が多すぎて、読んだ人にわかるかどうか自信がない。疑問 NO4 この質問の原文は英語なのだけれども、そこが少しでも想像できるような構成にならないだろうか?こんなにも、問題が多くては短歌にまでなれるかどうか、まだわからないが、記念にうたっておきたい一首ではある。実は・・・・40年近く前に、長男から「きりんはなんてなくの?」とたずねられた。その時、「さあ・・・。分からない」と言ったら、お母さんは万能だと誤解をしていた三歳児は、泣きそうな顔をしたっけ。その後、彼の幼稚園の先生に、「たかしくんは、あげあしをとったり反抗的な態度をとることがある」と言われた。 よくきいてみると、みんなで「♪XXXはなんてなくの♪」の歌を歌っていたときに、「先生、きりんは何てなくの?」と質問して、先生が「さあ、しらない。なんというのだろう?」というと、「教えてくれないんなら、もういい」とおこって、おえかきをはじめてしまったのだそうだ。 それって・・・・母より頼りになりそうな人がやっと見つかったから聞いてみたのに裏切られた失望なのでは?「かわいそうに、早速、きりんの鳴き声をしらべなくちゃ」と、その時は思ったのだけれども、それがのびのびになってなんともうすぐ40年! 実は、まだ調べていない。ころが昨日、もうすぐ二歳になる彼の息子が絵本を見ながら、キリンの絵を指して、「ゴーフ」(giraffeはまだ難しいらしい)と言ひ、「メエエエエエ」と鳴きまねをした。 そばにいた私は「ちがうよ」といいたかったのだけれども、「じゃあ、どう言うの?」と聞かれると困るので、そのままにこにこしておいた。(日本語でさえわからないきりんの鳴き声が、英語でまで私にわかるもんですか。・・・ナンテネ。だから、ばあちゃんは無責任で困るのです。)でも、たずねられるのも時間の問題ではないかと思うので、こんどこそ、調べておかなくては!短歌にするときは、すでにたずねられたことにした方が状況が簡単になるかと思い、そのように脚色してみたのだが、それでもかなりごちゃごちゃしてしまっている。それにしても、あの時、あんなにきりんの声にこだわった息子は、あの後キリンの声を調べたのだろうか?
February 7, 2006
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工場から吐き出す煙それぞれに形違へて今日が始まる(田中澄江 『紫野』五号より)田中さんは、バンクーバーの短歌のお仲間だ。『紫野』はカナダ、バンクーバーの短歌グループで不規則に発行している機関誌である。自解によると、朝、自動車がナイト・ブリッジ(橋の名前)にさしかかると、川沿いに立ついくつかの工場から太い煙や細い煙や、白い煙が出ています。凪の日はまっすぐ立ったり、風の吹く日は横に流れたりします。それを自動車の中から見ながら、今日もまた、働く人々の一日が始まるのだ と思いながら橋の上を通りすぎていきます。ということで、「何本かの煙突から出る煙が、それぞれの形の煙が、日々の天気によって方向を変えて出ているのだなあ、なるほど」と、目のつけどころに感心したが、そのときはそこまでで終わってしまった。しかし、それから数年たって、ナイト・ブリッジを遠く見晴らすアパートの11階にひっこしてきて、ベランダの外をみると、遠く、橋の方向に煙突が何本かならんでいて、一日中煙がでている。深夜でも早朝でも、外に目をやるとかならず煙がでている。24時間制の工場群らしい。朝は、煙はだいたいまっすぐに上っているが、昼間になると夏は南風、冬は北風に流され、モクモクとなったり、たなびいたり・・・。 朝おきては、煙突と煙、仕事に目が疲れて遠くを見れば煙突と煙、外出から帰って外を見るとまた煙突と煙。 かなり遠いし、黒い煙が出ることはないし、煙いとか臭いとかもないので、煙突+煙に関しては、かなり好意的な気持ちを持って見る。その変化をみながら、「ああ、あそこで誰かが一生懸命働いているのだなあ」と何か励みになるような気がしていて・・・。「民のかまどは賑わいにけり」ならぬ「民の産業賑わいにけり」という心理か?(えらそうな!)田中さんが、そこで働く人々に思いをはせる気持ちが、まるで自分自身の気持ちのようになっているのに気付くのはそんな時だ。 歌だけで理解したときの感動と、自分が似たような経験をした時の感動では随分違うものであると、改めて思った。 (この写真で煙突と煙が見えるかどうか・・・)
February 6, 2006
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1月の短歌会に出された詠草に「カナリオが囀る」という表現を使った1首があった。「え? カナリオ? それって、カナリア とか カナリヤ のことではないの?」と思ってしまった人は、私のほかにも何人かいたらしく、歌会でそれが指摘された。そこで作者の登場があり、「囀るのはオスだから、カナリオにしました。メスは鳴かないでしょ。」ん? ・・・あ、そうか!Hさんは、今でこそカナダに在住だが、その前は、ながいことアルゼンチンに住んでいらしたのだ。アルゼンチンならば使用言語はスペイン語。私の「畳の上の水練」式スペイン語の知識によれば、スペイン語(他のラテン系言語いくつかも)では、男性名詞の最後はOで、女性名詞の最後はAで終わる。 雄猫ならgatoで雌猫なら gata、雄犬ならperroで雌犬ならperraという具合に。つまり、カナリオが雄、カナリアが雌。したがって囀るのはカナリオということになるから、長くアルゼンチンに暮らしたHさんが、「カナリアが囀る」という表現に、抵抗を感じられたのは当然である。「あ、でも、この場合、日本語の短歌の中に使う言葉だし、日本語では雄も雌もカナリアだから・・・」と誰かが言うと、「あ、そうですね。じゃあ、カナリアにしましょ」とHさんはあっさりと撤回されたが、そんなにあっさりしていない私の頭の中では、いろいろな考えがぐるぐる回りだす。たとえばあ、それでわかった!かの有名な「歌を忘れたカナリア」さんは、歌を忘れたのでも歌わないのでもなく、かわいそうに歌えない雌のカナリアだったのだ。後ろの山に棄てても、背戸の小薮に埋めても(まあ、なんと恐ろしい!)、柳の鞭でぶっても、歌えないものは歌えない。象牙の船に乗せて銀の櫂を持たせて、月夜の海に浮かべたって、忘れた歌を思い出すかもしれないけれども、思い出した歌を声にすることはできないのに・・・なんて、かわいそうな。鶏だって、雌鳥にコケコッコーと時を告げろという人はいないでしょうに。でも、まさか、まさか西条八十がそんな意地悪であるわけがない。念のため、ネットで検索してみると、西条八十がこの詩をつくったときのエピソードに出合った。西条八十は幼い日、教会のクリスマスに行った夜のことを思い出しながら、この唄を作詞しました。会堂内に華やかに灯されていた電灯の中で、彼の頭上の電灯が一つだけポツンと消えていたのだそうです。その時、幼き心に「百禽(ももり)がそろって楽しげに囀っている中に、ただ一羽だけ囀ることを忘れた小鳥であるような感じがしみじみとしてきた」と言います。西条八十のような天才になると、電灯が切れていたくらいのことで、これだけの詩を作ってしまのだ! すご~い!!1月24日の日記に書いた「目に見えるものの向こうにある、目に見えないものをうたう」というのがこれだ。 目に見えるのが「切れた電球」。見えないのが「歌うという本来の仕事の出来なくなったカナリアさん」・・・でしょう?それにしても、男尊女卑といわれる日本の言葉が、男女平等というのも、いまさらながら面白い。スペイン語だと、名詞ばかりでなく、それを修飾する言葉も名詞につられて男女の区別があるけれど、これって、カソリックと関係あるのかしらん。海 marは女性、空cieloは男性、月lunaは女性、太陽solは男性・・・あ、このせりふ、昔観た「老人と海」の中で、スペンサー・トレーシーの演じる「老人」がつぶやいていたっけ。などなど。 こういうのを、取りとめのない繰言というのでしょうね。歳のせいだ、歳のせいだ!!
February 5, 2006
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ジョージ・マッケンジーとテレビが言ふを見れば城島健司(ダイエー)がゐる(大松達知『フリカティブ』より)今年からマリナーズでプレイをする城島健司の練習風景が、今日のテレビのスポーツニュースに出ていた。練習そのものはともかく、英語で「ケンジー・ジョージーマア」と、結構言いにくそうに発音されているのを聞いて、この一首を思い出した。無理しないで、George Mackenzie と言えばいいのに・・・・(???)この一首は、2000年に発行された大松さんの第一歌集『フリカティブ』にのっていたものだ。テレビを日常生活の背景のようにつけっぱなしにしながら、何か他のことをしていて、それでもまったく聞いていないというわけではないので、時々、その中の言葉がアンテナにひっかかると、テレビに意識が戻る・・という現代らしい作者の(そして私もそうなのだけれども)暮らしぶりがよく出ていて面白かった。私が読みかけのまま食卓の上に置いたこの一冊を手にとっていた夫が、にやにやしながら「George Mackenzie」なんて繰り返してつぶやいているので、「もう酔っぱらったのかいな」と思ったら、実は、この歌を読みながら、George Mackenzie が本当に城島健司に聞こえるかどうかを、試していたのであった。・・・などという「思い出」もある。先月だったか、城島は記者会見で、「Call me Joe」と言っていたが、George Mackenzieの方が良いと思うんだけどなあ・・・・。しかも、ホームページを見たら、これはJoeではなく、Joh と綴るらしい。Oh, my God !一昨年、SAFCO球場にマリナーズの試合を見にいったら、球場の外側には、イチローの大きな写真が出ていたし、お弁当屋さんには「イチロール」(イチロー・ロールの略からきた命名だと思う)という巻き寿司があって、結構売れているようだった。話の種だと思って食べてみたら、スパイシーであまり私の好みではなかったが、なんだか嬉しかった。城島もジョー・(なんとか)が売れるくらいの活躍をしてくれますように。・・・だが、その場合も、ジョー・(なんとか)より ジョージ・(なんとか)の方がリズムがよい。(・・・とあくまでこだわったりして) (食べる前に写真にとっておいたイチロールです。) (薄暮のSAFECO FIELD)
February 4, 2006
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福は内!・・・鬼も内へと入り来よ 節分の夜は風が冷たい昨年の題詠マラソンの「鬼」の項で歌った一首である。実は、このアイディアはまったくの独創とはいえない・・・・かもしれない。次男が幼稚園児の頃、一緒に読んだ絵本に「どこの家からも豆をぶつけられて追い払われるかわいそうな鬼さん」の話が出ていたのである。挿絵に出ていた鬼さんは、トラの皮のパンツだけしか着けていない、本当に寒そうな姿で、震えていた。これがもし「福」さんだったとしても、こんな目にあったのでは、心変りして鬼になってしまいそうだ。「せめてぼくんちだけでも、いれてあげなくてはねえ」と、まだ純情だった次男が言ったのを思い出したのが、詠題に触発されて上の一首になったのである。その結果、家の中が鬼だらけになったとしても、その鬼の中から、「福」的行動をする鬼が出てくるような気がするのだけれども・・・と言ったら、夫に「ふん!」とバカにされた。もっとも、いくら人の善い私でも、これは一般論であって、実際には、心を鬼にして「鬼は外」精神でいる場面が、年々多くなっている。(鬼婆さんへの道、まっしぐら?)ちなみに、さきほどTVジャパンを見ていたら、成田山では、豆まきの時に、「福は内!」は言うけれども、「鬼は外」は言わないのだとのことだったが、さすがに「入っておいで」とまでは言っていない。
February 3, 2006
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童謡を皆で歌ふ教室に異国の園児はぼうと外見つ 勝見寿美子(コスモス2月号)これは、日本で「外国人」の園児を見ての所感と思うが、とても痛々しいところが捕らえられていると思う。(「ぼうと外見つ」と言う文語に、この場合ちょっと違和感というか、冷たさを感じるけれども)日本で、日本のテレビを見て育った子供達には、ごく自然に出てくる歌でも、外国から来た園児にはまったくなじみがなかったりするのである。そのつらさは幼稚園児にはむごいほどだ。しかも、その段階の歌は、歌詞は出ていても、メロディーの楽譜は、案外見つけにくい。私ごとであるけれども、うちの三人の子供たちが、カナダに来たのは、それぞれ6年生(男)、3年生(男)1年生(女)の時だった。中で、これと同じような苦労をしたのが、一年生だった娘。一年生というと、当然皆が知っているはずの歌として、童謡を、特に教えもせずに、教室で歌ったりすることがあり、それができなかった彼女はとてもつらがっていた。 なんとか子供の役に立ちたいと、私はHeritage Songsの楽譜を買ってきて、一生懸命、覚えて教えようとしたが、学校でどの曲をやっているのかがわからず、だいたいのところ、空回りであった。二年生になって、英語があるていど普通の発音で話せるようになってみたら、それはそれでまた問題があった。クリスマスの時など、皆が歌うクリスマスソングを知らなくて、ちゃんと大きい声で歌えなかったりすると、先生に「やる気がない」としかられたりしたのである。ただし、その時は、クリスマスソングのこととわかっていたので、夢中になりやすい若き日の私としては、早速クリスマスソングの本を買い込んで、親子で「勉強」したものである。レコードを買えばよいと思われるだろうが、歌詞をレコードから聞き取るというのは、まだ英語生活の短い私には、難しかったのである。うちの娘だって、日本の歌なら、小さいときから自然に身について、多少調子はずれであったとしても、一応楽しく歌えていたし、クリスマスソングにしても「ジングルベル」でも「聖しこの夜」でも「赤いお鼻のとなかいさん」もちゃんと大きな声で歌えていたのだから、「バカ」ではないのだけれども、カナダ人の先生や友達には「バカみたい」に見えたのだから、かわいそうだった。上記の一首に出ていた園児さんとは逆の立場であるけれども、昔を思い出して、実に身につまされた一首である。
February 2, 2006
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空港に夫を送りて来し夜に女の友と長き電話す別に劇的なことではないのだけれども、夫を見送ってしまうと、しばらく一人暮らし。解放されたような、張り合いがないような、心細いような、疲れが出たような、面倒くさいような・・・とりあえず、今夜は、普段は控えている女同士の長電話を決行!でも、その「女の友」が、その時自由な立場であったかどうかは別問題なので、ちょっとご迷惑だったかもしれません。わがうちの「をんな」が時に窒息す「電話は五分」と決められてより(2003年題詠マラソンより)
February 1, 2006
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