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昨日から内田樹先生の「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)を読んでいる。あと20頁ほどで読み終わるのだが、その感想を一言でいうと「先生はえらい!」ということに尽きる。さすがは私の「先生」である。この本は基本的には高校生にも読めるような文体でわかりやすいことばが使われ、漢字にはていねいにルビが振ってある。そして、いつもながらのリーダーフレンドリーな軽快な筆の運びで読み手をすいすいと本の中へ誘いこんでいく。そして、その内容は……。その内容は実はきわめて「難解」なのである。そっとやさしく手をとられ、談笑の中、時間を忘れて踏み込んだ場所は、実はなんとも知れぬ迷宮、ラビリンスなのである。いや、この呼吸、この肺活量。どうすればこういう文章が書けるのか。私にはまったく理解することができない。大いなる謎である。だからして、先生は先生であり、先生はえらいのである。(この本、読んでない人にはなんのことだか意味不明でしょうね)まだ最後まで読み終わってない段階で、こういうのも何だが、私の予測では、この本には出口がない。ラビリンスにさまよいこんだ人間は「どこが出口なんだろう」という謎解きをひたすら求めるが、もしも出口を発見するのが目的ならば、そもそもラビリンスなど存在する理由はないのである。「急がば直線距離」でいきなり出口に突き抜ければそれで済む話だ。出口を見つけることが目的ならば、ラビリンスなどないほうがいい。もしもラビリンスに存在理由があるとしたら、それは「迷うこと、それ自体が人間にとってよろこびだから」ということになるはずだ。そして、人生にとって、もっとも迷いの多い時期、すなわち青春は、その反面でもっとも楽しい時期でもある。人間はそもそも迷うこと、苦しむことを楽しむ生き物なのではないだろうか。先生のこの本はそのあたりの機微を実に生き生きと描き出している。いやあ、この本はなまなかな感想や書評をはねのける弾力をもっている。読む者をしばし陶然と恍惚境へいざなう書物である。面白くて、わかりやすくて、軽快で、時折にんまりできて、かつ、難解で、考え込ませて、時折途方に暮れさせる。そんな本が読みたいなという方がおられれば、私はこの本を強力に推薦する。なんというか、私はこれ以上語ることばを失ってしまったようである。牛のよだれもおもわず止まる。惰眠をむさぼる鈍牛のお尻に鋭く加えられた鞭の一閃。これはそういう本なのである。
2006.08.28
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あまりにも殺伐とした文章が続いたので、このへんで「ちょっといい話」でも書きたい気分である。以前に河合隼雄先生にうかがった話を紹介しようと思う。河合先生は先日、脳梗塞で倒れられ、現在入院中である。内心、心配でたまらないのだが、こればかりは気を揉んでもどうしようもない。ご無事を祈るばかりである。先生の「たましい」がしばらくの間、私に乗り移ってくれることを願いながら、この文章を書くことにする。えっとですね、わたし、アメリカに留学したのは、前にもお話したようにクロッパーというアメリカのえらい心理学者がきっかけだったんです。クロッパーというのは、その頃、私が熱心にやっておったロールシャッハテストのすごい研究家やったんです。わたしたちはグループでその人のやっておるアメリカの雑誌の記事を必死で訳して読んどったわけです。でも、その中に「これはおかしい、これはこうやなければいかんはずや」と思えるところがでてきて、わたし、面白半分にクロッパーに手紙書いてみよう思うて、手紙書いたんですわ。よちよちした英語で。そしたらなんと本人から返事がきたんですな。その中味がすごい。「これはあなたのいうことが正しい。いままでこの雑誌を読んだ人はたくさんいるけれど、これに気づいたのはあんただけや」と書いてあった。わたしはすごい感激して、いっぺんにクロッパーが好きになるわけです。そして、その人を頼ってアメリカに留学することになる。けど、相手は大先生です。先生頼っていったらめんどうみてくれるかというと、そんな甘いことはありません。自分のことは自分でやりながら、大学に通い、クロッパー先生の講義を聴いて勉強しました。先生の助手をやっておられた方とも知り合いになり、その人とよく話しておったんです。すると、その人のいうことには「分析家になるためには、まず自分自身を分析してもらわなければならない。分析を受けたほうがいい」というんですね。私はこれ聞いてびっくりしました。分析受けるのはいいけど、その結果「あんたは分析家にはむいとらん、やめなはれ、日本に帰れ」といわれたらどうしよう、と思うたんですね。そんなんいわれたらしまいやないですか。それで悶々としてたら、二日くらいして、クロッパー先生から電話がかかってくるんです。大先生から直接ですよ。そして、「あー、おまえは聞くところによると自分で分析を受けたいと、こういっとるそうやな」といわれるんです。いや、そんなことハッキリ言うたわけやないし、まだ気持ちのふんぎりもつかんし、どうしようどうしようと思うんだけど、英語ではうまくいえん。それで、おもわず「おー、いえす」いうてしもうたんですね。(笑)そんな複雑なこと英語でいえませんもん。やっぱ、日本人ですわ、わたし。そしたら、「相手はもう決めてある」といわれるんですね。自分の弟子のシュピーゲルマンのとこへ行け、とこういわれるわけです。シュピーゲルマンのオフィスはビバリーヒルズにあります。ごっつい金持ちのお屋敷がずらっと並んどるとこです。彼のオフィスも立派でした。えーとこ住んではるなー思うて、いろいろ話していると、なぜか気が合って来週から分析受けに来いという話になる。でも、問題はですね。分析料ですよ。そのころ私が一ヶ月にもらってた給料が170ドルくらいでしたか。でもシュピーゲルマンの分析料は一時間25ドルくらい。4回受けたら100ドル。これはたいへんな額ですね。それで、シュピーゲルマンが、「おまえはどのぐらい払えるか」と聞くんですよ。「実は月に170ドルもらってる。でも、これはとても大事なことやと思うから出来る限り払いたい」というたら、シュピーゲルマンがしばらく考えて、「そやったら、分析料は1ドルにしよう」いうんです。「そんなんむちゃくちゃや」いうたら、「おまえは本も買わなきゃならんし、旅行をして見聞を広めることも必要や。そういうことを考えたら1ドルでいい」というんですね。それでぼくはもう感激してしまって、「それはありがとうございます」といって帰ってきたんです。でも、うちに帰ってしばらくすると、めちゃめちゃ不安になってきます。考えてみると、絶対に申し訳ないんですよ。大変価値のあることをしてもらうんだから、寝食を抜いても出来る限り払いたい、いうのが私の考えです。それで、しばらくたってから、その分析料がテーマのような夢を見るんです。そして、シュピーゲルマンに、「その夢についてどう思うか」と聞かれたわけです。それで実は自分は分析料が1ドルということにすごくこだわってる、と答えました。これほどすばらしいことをやってもらっているんやから、自分としてはほんとやったら、飲まず食わずでやりたい。それを自分はけっこううまいもん食ったり、旅行したいと思ってる。やっぱり1ドルはおかしいんやないか、とこういうたんです。するとシュピーゲルマンはこういうんです。「アイ・ドント・マインド」オレはなんにも気にしてない、マインドしてない、いうわけですね。そして、「ホワイ・ドゥ・ユウ・マインド?」いうんです。もらうほうのオレがぜんぜん気にしてないのに、なぜオマエが気にするんだ、というわけです。ぼくは「なるほどな」と思いました。でもやっぱり何か変だと感じる。「あなたの言ってることは筋が通っているように思えるけど、私には絶対に納得ができない。でも、それを今うまく英語でいうことができない。しばらく待ってくれ」といって帰ってくるんです。一週間後、彼のところへ行って私はこう言います。「あなたはもらうほうだから平気だ、1ドルでも平気だ、意味があると思ってやってるのだから。でも、私が何も考えなくてもいいというのはおかしい」「私は留学生であんまりお金もない、本も買わねばならない、それを考えてあなたは1ドルでいいという。これはすばらしいことである。しかし、こんなにありがたいことが行われているのに、あなたがマインドしない、だから私もマインドしないということになれば、これほどすばらしいことがこの世から消えてしまうではないか。だからあなたがマインドしなくても私は永久にマインドするんだ」、こういうたわけです。それを聞いたシュピーゲルマンはすっごく喜んで「わかった、わかった」と言いました。「そうか、それだったらあなたはマインドしなさい。でも分析料は1ドルにする。」私は「そのかわり、いまここであなたがわたしにしてくれたことを、わたしはいつかどこかでだれかにするだろう」と答えました。「日本でするか、どこでするかはわからないけど、あなたのしてくれたことをそのままする。それはあなたに対してするんじゃない、あなたのしたことの意味をくんでするんだ」と言いました。シュピーゲルマンはすごく喜びましたね。とてもうれしそうななつかしそうな顔をして河合先生はそう話された。「分析料は1ドルでいい」「ありがとうございます」、それで終われば、これは単なる美談である。しかし、「これはなんかおかしい、納得がいかない」ということを思い、それを1ドルでいいといってくれている先生に向かってはっきりと口にするところがすばらしい。それも「理由はうまくいえない」といいながら。これはおそらく河合先生の「たましい」がそう言わせたのだと私は思う。シュピーゲルマンはいいことをしたと思う。私もそれをありがたいと思う。でもそれだけではのっぺりとした、よくある美談で終わってしまうではないか。先生の「たましい」はそう叫んだのだのではないだろうか。でも、これはそれよりももっとすばらしいことである。だからマインドしなければならない。そうすることで永久にこころに刻み込まなければならない。でも、それは人と人との個人的なやりとりとしてではない。「たましい」と「たましい」の深いつながりとしてである。だから私が同じことをする相手はどこの誰でもいいのだ。「たましい」は深いところで誰ともつながっているのだから。先生の「たましい」の声はそういったのだと思う。その声をシュピーゲルマンの「たましい」もすっと受容した。そして、その「たましい」の交歓に接して、私の「たましい」も深くこころを動かされる。この話がいつまでも記憶から消えないのはそういうことなのだと思う。先生の快癒をこころからお祈りする。(この文章は、以前、岩波セミナーで実際に聴いた話をもとに、河合隼雄「未来への記憶(下)」(岩波新書)で細部の記憶を補いながら書いたものです。)
2006.08.27
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どうにも文章を書く気分になれなかったので、しばらく更新をさぼってしまった。でも、そういう気分になる時はある。多忙や、体調不良や、上からの無理難題や、内部連絡の悪さからくる問題の発生などに対しては、ある程度の免疫ができている。しかし、人間の卑劣さと正面から向きあうことに対しては免疫はできていないし、そんなものを作ろうとも思わない。口の中にむりやり砂を押し込まれたような気分に慣れることなどできないし、そういう状態で文章を書くこともできない。なんとか砂を吐き出す努力を続けたが、まだ砂粒が口の中に残っている感触がある。詳細は伏す。月曜の午前、公的な機関の要請によるかなりハードな仕事をこなした後、上の人間からお呼びがかかり、部屋に入った。しばらく世間話をした後、一通の手紙を見せられた。それは組織のトップ宛に届けられた封筒に入っており、そこにはワープロの毛筆書体で私を誹謗中傷する手紙が入っていた。まったくの根も葉もない事実無根の中傷である。要するに私をクビにしようという狙いで出された匿名の手紙だった。四十何年生きてきて、これほどあからさまに卑劣な敵意に向きあったのははじめてだ。消印は一週間近く前。その席には他に二人の人間がいた。幸い誰一人としてその文面の内容を信じる人間はいない。「誰か心当たりはあるか」ということを確認するのが呼ばれた理由のようだ。心当たりはない。私は善人ではない。どちらかといえば悪人の部類に入れられても文句はいわない。しかし、卑劣さとは一線を画した生き方をしてきた。いわれのない中傷を浴びる覚えはない。肌が粟立つとはああいうことをいうのだろう。その手紙を読んでいるうちに気分が悪くなってきた。そして、徐々にその気分の悪さの原因がわかってきた。この人間の知的レベルはかなり高い。不思議なほど直接的な感情の動きやあからさまな気持ちの暴発が感じられない。しかも、文章はそれなりに整っている。内部事情には詳しく、具体的な名称の記述は正確である。「誰もその内容を事実と思う者はいない。しかし、その手紙がいま目の前にあるのは事実だ」まったくその通りだ。私はうなずく。不思議なことに一瞬の感情の動揺の後に、私はその文章を分析的な目で観察している自分に気づいた。未知の人間の書いた文章を手がかりにして、その人間の内面に分け入っていくのが、考えてみれば私の仕事のひとつだった。添削指導とはそういう仕事なのである。こんな状況でも職業的な観察眼が半ば自動的に発動されてしまうのか、まったく因果な仕事だ、と私は思った。そして、そう思いながらも頭の中の半ば無意識の分析作業は続いた。この人間は私との個人的、直接的な接点をほとんどもっていない。まずそのことが体感としてわかる。個人的に接触した範囲の中にいる人間の文章ならば、私はその文章だけを見て、その人間をほとんど言い当てることができる。別に自慢できるような能力でもないのだが。そして、ある程度の「頭のよさ」というものが、いかに悲しい能力であることかと私は思う。頭で考える人間、その考えに忠実にしたがう人間の行動は頭で解けてしまうのである。これが突発的な感情の暴発や、なんの法則性もない、でたらめな気分で行動する人間であるならば、たった一枚の手紙から、それを書いた人間の所在を探りあてることなどできるはずもない。しかし、頭で物事を考える人間、実際以上に自分の「考える能力」を過信している人間の行動は、その考えを逆向きにたどることで、その人間自身にたどりつくことが可能なのである。私はその場でそのことだけを確認した。「私はどうすればいいんでしょう」「いや、もちろん何をする必要もない。ただ身近なところにそういう人間がいるということだけは知っておいたほうがいい。何かわかったことがあったら○○さんに報告してほしい」それで会合は終わった。部屋を出る時、そういう問題の管轄部署の責任者である○○さんは、私の肩をひとつぽんと叩き、「有名税だよ」といった。「ぜんぜん有名じゃないんだけどな」。私は苦笑した。その一日は最低の気分だった。精神的な不快感が直接、肉体的な不快感につながり、そのふたつのものを区別することが困難だった。しかし、その一方で悲しいことに頭は勝手に分析作業を続けていた。考えるというのは悲しい能力だ、と思った。しかし、仕方がない。こういう状態のままではにっちもさっちもいかない。私は村上春樹の「沈黙」という作品のことを頭の隅に思い浮かべた。今ここに二人の人間がいたとする。Aは自分のたいせつなものをある部屋のどこかにそっと隠す。Bはその場にはいない。しばらくしてドアが開き、Bが入ってくる。そして、BはAの隠したものを探しはじめる。Aはその時、その部屋にいてもいいし、いなくてもいい。そのいずれかをBは選択することができる。こういう場合、あなたはどちらを選ぶだろうか。私ならばAがその場にいることを望む。Aの視線、Aの立ち位置、息づかい。それらがヒントになるからだ。Aは無意識のうちになんとかそのものを見つけられまいとして、さまざまな反応を示す。それを手がかりに探すことが可能になるからだ。自然にどこかに姿を消してしまったものを探すのは難しい。しかし、誰かが意図的に隠したものを探すのはそれよりもやさしい。なぜならば、隠した人間は、なんとかそのものを隠し通そうとするからだ。それがさまざまな形で外界に形として、兆しとして表れる。それらを観察すれば、ターゲットにたどりつくためのヒントが得られる。人は何かを隠そうとすればするほど、実はそのものの露顕に手を貸してしまうのである。そういう目であらためて記憶の中にあるその文章を思いだしてみる。あそこには様々な具体的情報が書かれていた。同席した他の人間はその情報を手がかりにしてなんとか人物を特定しようとやっきになっていた。しかし、それはちがうと私は思った。むしろ逆だ。この人間は文章を読む限り、頭で考える人間だ。文面に具体的情報があるとしたら、それはあくまでも意識的な行為の結果である。そしてその意識的行為とは「自分の関与したことを隠蔽しよう」ということに違いない。すなわち、ここにある具体的情報はすべて偽装の手段と考えたほうがいい。まずその人間が存在するであろうおおまかなエリアを設定する。次に、そこから手紙や封筒に残された具体的な情報をひとつひとつ慎重に排除していく。そうすると、影絵のように情報を抜き取った後の「地」の部分に特定の人物像が浮かび上がるはずである。私はそう思った。そして、頭の中でその作業を実行した。あれではない、これでもない。そうすると残るのは「これ」か、というふうに。しばらく、その消去作業を続けていくと、意外なほどあっさりとこの手紙の発信源を特定することができた。もちろん確証はなく、物証もない。単なる推測にすぎない。しかし、推測であってもターゲットを特定することができれば検証することは可能だし、再発防止のために手を打つこともできる。もしも私が探偵ごっこを好むのであれば、こうして発信源にたどりつくことでいくばくかの満足感を得ることもできただろう。しかし、私はそういうことにはまったく興味もないし、関心もない。再発を防止するために最低限のことはやるかもしれないが、卑劣な人間を指さして「オマエは卑劣だ」といってみてもはじまらない。そんなことは最初からわかりきっていることなのである。なぜ人は自らの卑劣さに屈し、自分の誇りを投げ捨てるのか。そして、そのために自らの頭の力を使おうとするのか。そんなことをするために頭は首の上に乗っかっているのではない。そう考えると、そもそも頭を使って文章を書くという行為がどのような意味をもつのかと思えてくる。以上がしばらくの間、文章から離れた理由である。とてもむなしい気分だ。砂粒は確実にまだ口の中に残っている。
2006.08.24
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小泉首相の任期があとわずかとなった。後世の人間がこの首相の評価を行う時、まず首をひねるのは「こんなに業績が低いのに、なぜこれほど支持率が高いのだろう」ということだろう。この政権の特徴を一言でいえば、「始動はあったが、収穫がない」ということになる。その始動のいくつかは今後災厄となって国民にふりかかるおそれがある。にもかかわらず、政権末期に至るまで彼の支持率は下がらない。これはなぜだろうか。この支持率の高さは彼の政策の妥当性や政治観にもとづくものとは思えない。政治家としての彼の資質によるものでもないだろう。彼がいかなる政治目標をもっているのか、私にはよくわからない。世上いわれるように彼が市場万能主義者であるかどうか、それすら疑問だし、どうもそうではないようにも思える。そもそも彼は自由主義者なのかどうか、民主主義を信奉しているのかどうか。それすらよくわからない。既成の政官のしがらみに対する破壊衝動のようなものは感じられるのだが、その後にどういうビジョンをもっているのかはよくわからない。そういう印象である。第一に彼は人の話を聞かない。記者会見でしばしば見られたことだが、彼は質問とはまるで関係ないことを延々と話しつづける。「おい、おい、それって質問とはぜんぜん関係ないぜ」といえばよさそうなものだが、日本の新聞記者は誰もそういわない。海外のジャーナリストは、その発言の背後に何か日本的な含意があるのではないかと推測しているうちに会見は終わってしまう。人の話を聞かない人間に論理的な思考ができるはずがない。論理的思考とは他者を想定して、自らの見解をその他者に向かって整合的に組み立てる作業だからだ。そのような能力が彼にあるとはとても思えない。彼はいったい何者なのか。私は彼は「博徒」だと思う。「侠客」といってもいいかもしれない。彼の行動パターンはこういうことばでしか説明がつかない。彼の政権の支持率が高いのは、極論すれば「日本人がやくざが好きだから」ということになるのではないだろうか。彼は情を重んじる。時に弱い者、虐げられてきた者への同情を隠さない。そこにあまり計算は感じられない。彼は形を重視し、視覚を好む。Xジャパン、プレスリー、オペラ。彼が引かれるのはその音楽性ではなく、それらの視覚的要素である。彼は観劇を好み、劇場を好む。おそらくリスニングルームの音響装置は貧弱なのではないだろうか。彼は耳ではなく、目の人なのだ。彼は儀式を好む。旧来の儀式の継承を好む。礼拝、参拝、祝賀、式典。儀礼のなかで居住まいを正すことを好む。彼は時に大声を出し、身振りを交えて、人目を引く。しばしば感動し、感極まって涙を流し、声を震わせる。彼は喧嘩を好む。出入りを好む。政争、抗争が始まると生気を取り戻し、輝きを増す。情を重視し、形を重んじ、視覚を好み、儀式を好み、感情をあらわにし、出入りを好む。そして、いざというときには体を張って勝負に出る。彼はどうみても博徒であり、侠客であるとしか私には思えない。そして、日本人はやはり何といってもそういう人種が好きなのである。私はそう思う。当然、私も日本人のひとりである。博徒や侠客に対する親しみを私もまた共有する。といっても私は彼の政策の支持者ではない。とくに内政面はひどいと思う。外交はよくいわれるほどにはひどくはない。北朝鮮と友好条約を結ぼうとしたトリッキーな動きはなかなか面白かったと思うし(成功はしなかったが、その意図まで否定するのはどうかと思う)、中国、韓国に一貫して強気に出た戦術ははたして失敗だったかどうかはわからない。(それ以前の両国との関係が良好だったとはとても思えないし、彼の戦術のせいで、中韓はむしろ今後、日本に対して譲歩の姿勢を見せる可能性が高いと私は見ている)しかし彼の政治的手法、政策の問題点を口をきわめて批判しても、彼に対する支持率は落ちない。これはやはり博徒、侠客としての彼の「人柄」に対する共感がその数字を支えているとしか思えない。おそらく彼は「善意」の人なのだと思う。政敵が窮地に追いこまれた時に多くの政治家が顔に浮かべる「ほくそ笑み」のようなものを彼の表情からうかがうことはできない。そういう時、彼は心底、敵の窮状を心配しているように見える。そして、実際そうなのだと思う。しかし、「善意の人間」は基本的に政治家として失格である。政治家に必要なのは、なによりも頭の中の天秤ばかりに状況を載せ、即座に合理的計算を行い、それにしたがってすみやかに行動にうつす的確さと迅速さである。善意はその妨げになることはあっても、判断の速さや合理性を保証することはできない。基本的に政治家に必要なのは「悪」であり、その「悪」をコントロールする力なのだと思う。そこには冷厳な理性と知性が必要になる。自らの中にある悪を冷静に客観的にみつめる合理的精神がなければ政治は行えない。そういう合理的計算にもとづかず、情や正義感や善意で行われる政治がどういう悲劇を引き起こすかをわれわれは過去の歴史から十分学んでいるはずである。政権担当者はなんといっても強大な国家権力を掌握しており、その遂行者なのだ。その権力の行使に対する慎重さは、自らに対する懐疑の精神からしか生まれない。そして、その行使を監視する国民の側にも、為政者の政策や行動の是非を客観的に評価する上で懐疑の精神が欠かせない。しかし、善意に対するなし崩しの信頼はしばしば懐疑の精神を麻痺させてしまう。彼が政権をとってから政治家が自らの失言で辞職したり、更迭されることが極端に減ったように思う。政治の側も国民の側もずいぶん監視の目が甘くなっているようだ。そこには本来あるべき緊張感が欠けている。「いい人だから」「悪意はないから」という情緒的な気分の蔓延が、この国の政治に対する監視装置を徐々に腐食させつつあるように私には思える。任侠に対する嗜好は映画の中にとどめておいたほうがいい。一直線に突き進む澄んだ目をした政治家など私は信用しないし、危険きわまりない存在であると思う。政敵の失点ににやりとほくそ笑み、身内にも気を許さず、合理的なことばと鋭敏な観察眼で集団を統率し、あくまでも客観的な結果で支持を獲得していく。老練で老獪、皮肉屋で哲学者、未来への明確なビジョンをもつ戦略家。そういうリーダーがどこかにいないだろうか。オシム?うーん、これだけ貿易の自由化が進んでいる世の中にあって、政治家だけはいまだに輸入禁制品の最たるものである。食糧の自給率とともに、いやそれよりも先に、有能なリーダーの国内自給率を高めていかなければこの国に未来はないのではないか。私はそう思うのである。
2006.08.19
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月曜日、短い夏休みの中日を利用して鎌倉へ行く。湘南新宿ラインという奇妙な名前の路線を使うと、大宮から北鎌倉までの所要時間は一時間半を切る。便利な世の中になったものよのう、と思う間もなく、例の停電騒動で埼京線がストップ。その利用客がどっとこちらに押し寄せて、休み気分はふっとび、超満員の通勤電車状態となる。お盆だというのに日本人はみな働き者である。電車は大幅に遅れ、10時半頃に北鎌倉に到着。まずは駅の直近にある円覚寺を訪ねる。夏休み中であり、交通の便もいいので観光客が多い。心頭滅却して彼らの存在を頭の中から消去すると、この寺がかなり精神性の高い作りになっていることがわかる。あやふやな記憶では、ここは文永の役、弘安の役という二度の元寇による戦没者の慰霊のために造営された寺であり、日元双方の戦死者が祀られている。13世紀の東国の政治的リーダーは敵国の侵略者の魂もまた丁重に弔っていたことに思いをいたし、21世紀の為政者の浅慮浅薄さをあらためて思う。鎌倉という土地は、それまで京という一極を中心として形成されていた同心円状の日本社会に、もうひとつの焦点を作り出した場所ではなかったかと思う。鎌倉の存在によって京都は始めて「西」になった。それまでは京都こそが中心で鎌倉は「関」の東、すなわち「関東」の地であったが、武力による政治的権力の奪取により、鎌倉はもうひとつの日本の中心となり、その結果、京都は「関」の西、すなわち「関西」と意識されるようになる。おそらくはそれまで自分たちを「関東」と呼び慣わしてきた京都の貴族に対して、「今や、おまえたちこそが『関西』の住人なのだ」と東国の野人が叫んだ語気がこのことばの背後に感じとれる。「関東」「関西」ということばにはかすかに蔑称のひびきがこめられているようである。円覚寺もそうだが、鎌倉の寺院は見る者にどこか無骨で武張った印象を与える。京の権力がその背後にほとんど自然力のような長年月の蓄積をもつのに対して、鎌倉の権力はもっと剥き出しで人為的で荒々しい。天を衝くような杉林を白刃でばっさばっさと薙ぎ倒し、その後に作られた建築物という感じが今もなお残っている。切り開かれた石の道のごつごつとした断面や、鋭く上方に反った屋根の先端などを見ても、そう感じられる。京に憧れ、京を作ろうと思いながら、そこには自ずと野性的な開墾の精神が顔をのぞかせているようである。円覚寺の山門こそはあの漱石の「門」に描かれた「山門」である。それを目的としたわけではないのだが、自然の導きでそういうことになった。京都の南禅寺の壮大な門に比べると、この門は意外なほど小振りである。しかし、この寺のはずれには漱石が参禅したという帰源院がある。これはまた次回のお楽しみにとっておくことにする。なにしろ「門」を読んでいた時の気分と、今の気分はずいぶん違う。また修行僧の気分に近くなった時に訪れることにしよう。にわか雨が降り始める中、線路を越えて東慶寺へ。ここは雨の似合うおだやかで曲線的、女性的な寺である。近くの森の上方からはさかんにひぐらしの声が地上へと降り注ぐ。ひぐらしのひびきかすめて雨の落つという駄句をひねる。ひぐらしのかすみとなりてあめのおつのほうがいいかな。ひぐらしのかすみあつめてあめのおつのほうがいいかも。といいかげんな俳句をひねりまくるが、まあ、たいしたことはありませんな。なんというか、凡庸で飛躍がない。「詩情というものは学んで得ることはできませんか」と父、露伴に尋ねた若き日の幸田文のことばを思い出す。たぶんむりなんだろうな。おそらく詩情とは谷の湧き水のように自ずからほとばしりでるものに違いない。軽い昼食をすませた後、葛原が岡神社の脇を通って海蔵寺を目指すが、ハイキングコースを曲がり損ねて延々と山道を歩くことになる。結局、源氏山公園の手前から東進して化粧坂(けわいざか)切り通しを下り、海蔵寺へ大回りして到着。しかし、そこへ辿り着くまでの山道は狭く、細く、予測のつかないジェットコースター的小道であった。これは自然に切り開かれた道ではない。そういう自然さはどこにも見られない。これはあくまでも人為的な道である。しかし、かといって人工的なものにしてはあまりにも歩きにくい。なんといえばいいか、「先が見えない」道が延々と続くので、実際の行路の難しさ以上に、精神的に疲れる。紛れもなく人間が作ったものでありながら、この道がこれほど歩く人を疲れさせるのはなぜか。そう考えて、ふとあることに思い当たる。そうか、これは道ではなくてかつての戦場だったのだ。この道は歩き慣れればそれほど歩きにくい行路ではない。しかし、初めての人間にはとにかく精神的な負担を強いる。そういう道である。細い道が右と左に均等に分かれ、どちらを選んでもいいように見えるが、実は正解はひとつ。そういう作りの道が多い。つまり、次々と選択肢が目の前に出現し、正解はひとつしかない。そういう意図で作られているように感じる。つまり、ここはかつて鎌倉幕府全盛の頃、外敵を防ぎ、その勢力を殲滅する戦場だったのだ。誤りの選択肢の先にはおそらく弓矢を構えた軍勢が息を凝らしてじっと敵の出現を待ち受けていたのだろう。新田義貞もここでずいぶん苦労したにちがいない。ここは外敵を防ぎ止め、一気にその勢力を殲滅するために周到に工夫された要塞の道なのである。その名残が観光ルートとなった今でもそこかしこに感じとれる。鎌倉の兵はベトコン兵であったのだ、というような浮世離れした感慨を催しながら、化粧坂の不揃いの石段を足をすべらせないように慎重に歩きつつ、ついに目的地である海蔵寺にたどりつく。しかし、この寺のすばらしいこと。とにかく騒々しい観光客は一人もいない。山門前の石段には左右両側から萩がうっそうと繁っており、手でかき分けなければ前へ進めないほどである。周囲は整然と清掃がなされているのに、この萩のむぐらだけは手つかずに放置されている。この寺はまるで文人のはなれのようにひっそりとしたたたずまいの中におだやかな小世界を現出している。初めて来たのに懐かしい。初めて来たのにこれから何度も足を運ぶ自分の姿が思い描かれる。そういう場所である。ふと京都の詩仙堂を思い起こす。時を忘れ、思いを過去へ、未来へと自在に飛ばすことを可能にする空間がここにある。以上、とりとめのない鎌倉雑記でありました。しかし、帰りの道々で感じたのは、よくぞこれだけのものを、これだけ都心に近い場所で「保存」しておいてくれたということである。保存というと単に昔のものをそのままとっておけばいいと思いがちだが、けっしてそうではない。未来に対する明るい見通しと、過去に対する確かな評価軸と、世俗の圧力に屈しない強い意志の力がなければ、それをなしとげることはできない。「保存」とはそれほどの難事業なのである。そのことは今の日本の街々のたたずまいを一瞥すればよくわかる。未来への見通しを欠き、過去への評価軸をもたず、現在への無原則な屈服を繰り返した結果、私たちの生きる場所がどういうものに成り果ててしまったか。その悲しい実例を私たちはあらゆる場所に見てとることができる。私たちが鎌倉に学ぶべきものはまだまだたくさんある。それが今回の鎌倉行を終えての率直な感想でありました。おしまい。
2006.08.17
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西原理恵子「上京物語」(小学館)を読む。これはコンパクトな絵本の形をした自伝的作品である。一頁がそれぞれ小さく独立しており、それらがゆったりとつながって全体のストーリーが展開されている。これまで自分の好きなものをいろいろな形でことばにしてきたが、まだ西原のことを書いたことはない。書こうと思ったことすらない。しかし、私は過去何十年にもわたって西原の作品が大好きだった。4年前、生まれて初めての手術を受ける前夜、私はおちつかない気持ちで自分のバッグの中をごそごそとあさり、「鳥頭紀行 ジャングル編」を取り出して読みふけった。静かな病室で笑いをこらえるのに苦労した。読み終わると、どこか解放感を感じ、すっきりと翌日の手術にのぞむことができた。西原の作品にはそういう力がある。というようなことをずるずると書いていても仕方がない。これではなにもわからない。徒労に終わるのは承知の上で、今日はあえて西原のことを書く。書けなくても書く。書けないのに書く。西原理恵子とはそもそも何者であるか。一言でいうと、西原は巨大な人格の持ち主である。もちろんこれは量的、ないしは空間的な意味でいっているのであって、西原が人格者だといっているのではない。(そんなことは本人も含めて誰もいわない。人格破綻者だということは本人がいいそうな気がするけれど)しかし、彼女の(という代名詞がこれほどふさわしくない人物もいないだろう。そういう意味では西原はすでに男女の性差すら軽々と超えてしまっている)作品に触れるにつれ、私が強く思うのは、その人格の巨大さである。一般的にいえば、多面性とか、破壊性とか、権威に対する生理的嫌悪とか、強烈なプロ意識とか、背後に隠れた叙情性や詩情とか、ネームと呼ばれることばによる表現の切れ味とかいうことが西原の特徴ということになるのだろうが、そんな一般的なことばをいくら羅列したところで何をいったことにもならない。それでは彼女の影すら描き出すことはできない。目隠しをして象の頭やお尻や足や鼻をこわごわと撫でてみても意味はない。しかたなく私は西原理恵子を巨大な人格の持ち主だといっているのである。私の知っている表現者の中でこれほど巨大さを感じさせる人間はいないからだ。「上京物語」は、西原が高知から東京へ一文無しで上京し、食うや食わずの生活の末に漫画家としての第一歩を踏み出すまでを描いた作品である。当然、ギャグ漫画である。コマの展開は鋭角的で、ネームはそれにもまして切れ味がある。人間に対する洞察があり、ある種の人々に対する愛情があり、羨望があり、怒りもある。それはいつもの通りである。ここには三つの「自」があると私は思う。自分。自立。自由。この三つである。前の二つは自伝的作品である以上、当然存在すべき要素だ。ただし、西原の「自分」、西原の「自立」は、巨大な人格の持ち主のそれである。一般的に矮小化された意味で理解していると解釈を誤る。西原の自分を見る目。これは独特である。そこには自己憐憫も自己卑下も自己否定もない。一見すると、そのどれもありそうに思えるのだが、どれほど悲惨な状況にある自分自身を描いていてもどこかに力強い肯定感がある。自己中心というのでもない。むしろ自己すら中心におかない巨大な意識のなかに生きている存在という感じが私にはする。こういう視点で自分自身を見ることのできる人間というものを私は他に知らない。だから西原は巨大なのだ。自立。そうこれは自立の話である。結論を先取りしていえば、これはまぎれもないサクセスストーリーだ。しかし、読後の印象はそのことばに似つかわしくない。ここには彼女の「社会的」成功が描かれているわけではないのだから。ホステス仕事で食いつなぎ、唯一の拠り所だった絵の才能のなさを知り、仕事をしない男と同棲し、エロ漫画のイラスト描きの仕事を見つける。もしもこれが通常のサクセスストーリーだとするならば、こういう経緯はカットされるか、あるいはその後にくる大きな成功を強調するための伏線の役目しか果たさないはずである。しかし、この作品では、これらこそが主要なテーマなのである。全体の8割から9割はこういう日々のことが愛情を込めて描かれている。彼女の成功を約束してくれるはずの大手出版社の編集者の顔はぼかした円としてしか描かれていない。顔のない誰かとしてしか描かれていない。しかし、彼女の絵を罵倒し、罵倒しながらも他の編集者に頼み込んでなんとか彼女の仕事を探そうとしたエロ漫画の編集者には顔がある。表情がある。「今回で連載は打ち切り」。エロ雑誌の編集者はそう彼女に宣告する。茫然とする西原。「笑いがもう青年誌のそれになっている」という編集者。しかし、それを告げたのは彼女が大手の出版社に見出され、成功への階段を上ろうとしたまさにその瞬間だった。おそらくは彼女の成功の妨げにならないように編集者は断腸の思いで連載打ち切りを宣告したのだ。でも、そんなことは彼女の描く絵にもことばにも一言も書かれていない。そこには実際に口にされたせりふとその時の両者の表情がたんたんと描かれているだけだ。こんな作品が書ける人間が他にいるだろうか。私は西原の巨大さのひとかけらでも伝えることができればいいと思っているのだが、はたしてそれは伝わっているのだろうか。まったく自信がない。もちろんこの作品は彼女のサクセスストーリーである。しかし、ここには彼女の社会的成功はほとんど描かれていない。大手出版社の人々の賞賛のことばを聞いても、彼女は「自分は大きな夢のなかにいるのではないか」と思うばかりである。「ついに自分の才能が社会に発見されたのだ」とは彼女は思わない。彼女が思うのは、自分が世に出るきっかけをくれた三流雑誌の編集者のことばかりである。はじめて仕事をもらい、その仕事が次につながった時にこころの中に広がった青空のことである。エロ週刊誌の名もない担当者からかかってきた「あんた、イラストでこの先も食っていけるよ」という賛辞であり、それを聞いた時のよろこびである。そして、一流誌に連載を始め、「いい気になってる」「なんか不愉快」「調子にのってる」「面白くない」という感想を寄せるかつての三流誌の編集者のことである。彼女は彼らに対してこそ深い愛情を感じている。彼女の描く作品よりも、まず彼女という人間自身を見ていた彼らに対して西原はこの作品を通して「ありがとう」といっている。彼女の作品が社会で認められ、流通するであろうことを正確に判断した一流の出版社に対しては「ほんとうかしら」とクエスチョンマークを進呈しているだけである。彼女の成功はあくまでも内面のそれであった。そして、その成功は彼女の作品の成功ではなく、彼女の人間のこころのなかにあるものの達成であったことが、この作品を読み終わると深く了解される。これはそのような本である。自分がはじめて認められたときの「ヤッター」という気持ちのみずみずしさを、「ヤッター」というせりふと表情だけで表現することのできる表現者がいったいこの世に何人いるだろうか。そのような表現者を巨大な人格の持ち主ということば以外でどう言い表せばいいのか。へっぽこ表現者の私には見当もつかない。自分の進むべき道を見出した後、彼女は「もう捨て猫は拾わない」と思う。「あんたはかわいいから、きっともっといい人に拾われるよ」彼女はそう思う。「生活も仕事もすべてうまくいかず、眠れない夜にあなたの漫画を読む。そして、あははと笑って、翌日からも生きていこうと思う。ありがとう。」という読者の手紙を読んで、彼女はこう思う。「笑ってくれてありがとう。いったい次はどういうことを書けば、この人たちは笑ってくれるんだろう」と。そう思う彼女はどこかの草原の中に立っている。そしてそこには風が吹いている。その時、「自分」、「自立」という二つのテーマの向こうに、もうひとつの「自」が存在していることに私は気づく。それは「自由」だ。自由とは何か。束縛からの解放?そんな幼稚な定義にいまさら耳を貸す暇はない。自由とは自分自身からも自由になることだ。そう、自由とは「風」になることなのである。私は強くそう感じる。そして、西原は当然のことながら、そんな幼稚なことは一言も書かない。そこにはただ風に吹かれて揺れる彼女のドレスの裾が描かれているだけである。わずか50頁足らずの小さな本を読み終えた時、西原理恵子という人間の大きなこころが私の小さなこころのなかに広がる。自分よりもはるかに大きなものに触れた時に自然にあふれでる体内の水分が目元からこぼれ落ちる。そして、唐突に文章を書くために必要な条件をふたつ思いつく。「何かをこころから好きになること」「誰かに自分自身を認められること」このふたつだ。他のこまごまとしたことなどどうでもいい。とにかくこのふたつさえあれば、人は文章を書くことができる。表現をすることができる。そしてなによりもまず「生きていく」ことができる。西原理恵子はこの作品を通してそういっているように私には思える。
2006.08.13
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三週間連続で授業を行っている間、行き帰りの通勤電車の中でひたすら網野善彦「日本社会の歴史(上・中・下)」(岩波新書)を読んでいた。他者への出力行為を毎日3時間、15日間にわたって続けている時には、物語世界の中にどっぷりと浸って、焦点のずれた目で生徒を見るわけにはいかないし、さりとて授業のことで頭をいっぱいにしていると、かえって頭の中が煮詰まって煮こごり状態になってしまう。こういう時には、淡々とした学術的な歴史叙述がむしろ「つきづきしい」のではないかと、ひそかに考えたのである。それに、こまごまとした歴史知識の習得には何の興味ももてないが、日本の通史を全体としてイメージし、頭の中に入れておきたいという気持ちは以前からあった。もっとも、この本は通史とはいえ、その叙述は封建時代で終わっている。それ以降は「展望」という形で巻末に軽く触れられている程度である。やや固い表現が多く、歴史用語も頻出し、一般的には読みにくい印象を与える本ではないかと思われるが、個人的には読み終えて「頭がすっきりする」本だった。驚くような発見があるわけではないのだが、なによりも著者の視点に揺らぎがない。その視点の設定の基盤には確固とした信念がある。叙述にけれん味がなく、その根底にある視点というか、立脚点がすっきりと明快なので、読後の印象がとても爽やかである。そういう意味では好著といっていいと思う。この本を読みながら、いくつかのことを思った。まず第一に「日本における東西の差」について改めて感じることがあった。本書の長所は、「日本」という概念を自明のものとしていないところにある。太古において、日本はアジア東部の陸橋であったという叙述から本書は始まる。それは樺太から琉球をむすぶ細長いアーチ状の陸地として存在したのである。その陸地は東西に細長く伸びている。この列島における東西の差は、ほとんど歴史以前、縄文、弥生の時代から歴然として存在していた。紀元前後、銅鐸、銅矛の分布図においても東西の文化圏はくっきりと対照的な姿を示している。この列島における東西の文化差ははるか遠い由来をもつのである。しかし、その差異は近年急速に破壊されつつある。その均質化の圧力と破壊の速度の異常さを考えると、改めて慄然とする。本書を読むと、日本列島の西と東は、あたかもメトロノームの両端のように、ある時には西へ、ある時には東へと、時の権力を交互に移動させてきたことがわかる。この振り子は日本国のエネルギーを起こす巨大な発電装置だったのである。ある時には正統的な西の王朝へ権力が回帰し、ある時には東でつちかわれた「もののふ」の潔い倫理がそれを東方へ呼び戻し、再び王政復古の風が西に吹き、それに抗うようにリアリスティックな覇道の風が東へ吹きつける。その振り子の振幅がこの国の歴史を作り、エネルギーを発生させてきたことが読みとれる。そしてこの東西に推移する振り子が止まった時になにが起こるか。それは天下統一を成し遂げた秀吉の第一の政策が「朝鮮出兵」であったことが象徴的に物語っている。この国の内部における対立軸の喪失は、急速な国内の均質化を招き、その結果は国外への膨脹政策の形をとる。これはこの国を支配する運動法則のひとつではないかと思える。薩長土肥の雄藩の群雄割拠を止揚した結果、生まれた明治維新後の政府の方針を見てもそれはわかる。昭和維新の空気がたちこめた時代の大陸への膨脹政策を見ても、それはわかる。この国の特質は、細く長い列島の形状に由来する。その細さは凝集力の強さを示し、その長さは多様性を示す。いったん何事かが起こればただちに凝集して国力を急激に高めるメンタリティをもつことはおそらくこの国の長所と考えていいだろう。また、国土面積の小ささに比して、その列島が東西に比較的長いスパンを有することは、国内における文化にある程度の多様性をもたらすことになる。何事かが起こった時の凝縮力、瞬発力の強さ、国土面積に比して大きい地域格差。この両者が良いバランスを保つことができれば、国力の効率的な発展と、その多方向への伸長が約束される。しかし、それが裏目に出れば、ヒステリックで情緒的な波の急速な高揚と、国内が均質化した結果、引き起こされる国外への夥しい膨脹圧力の合体が見られることになる。一言でいえば、ヒステリックな排外主義、拡張主義がこの国にはしばしばあらわれるのである。国力を凝集することは、けっして短所ではない。しかし、この国が国内における多様性を見失った時、その凝り固まった力が堰を切ったように国外へと放出される傾向があることに対して私たちは自覚的であらねばならない。この国を一色に塗りつぶす力に対してはいつも警戒の念を忘れてはならないということである。先日、私はテレビジョンを「完璧な洗脳装置」と呼んだ。おそらくその文章を読んで、その内容にぴんとこられなかった読者の方も多かったのではないかと思う。私がいいたかったのはこういうことだ。冒頭で述べた何千年にもおよぶ日本列島の東西の文化差を今日急速に破壊しつつあるのは何か。地域ごとの文化を破壊し、方言を撲滅し、この国を一色に染め上げつつある道具は何か。人々のゆったりとした落ち着きを奪い、表面的には自主的な選択という形をとりながら、その実、人々の生活から自主的な選択権を奪っている道具は何か。その道具についてあらためて考える必要があるのではないか。私はそういいたかったのである。この弓状の列島を一色に染め上げる精巧で高性能な道具。それはまた国外に対して途方もない暴力的なエネルギーを放出する道具にもなりうるということを、われわれは自覚する必要があるのではないだろうか。私がいいたかったのはそういうことなのである。
2006.08.09
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完璧な洗脳装置がもしもあるとしたら、それはどういう形をとるだろうか。完璧さを実現するためには、あらゆる弱点を克服しなければならない。洗脳の弱点とは何か。それはやはり「強制」を伴うということだろう。洗脳者になんらかの「強制」を感じさせるとしたら、この装置は完全さからはほど遠い。だから、この弱点を克服するには、使用者の自発性の涵養、あるいは偽装を自然に行う必要がある。その装置を強制することは避けたい。無償配布もできるなら避けたほうがいい。理想は装置の使用者に自主的に購入されること。それに尽きる。完璧なる洗脳装置に欠かせない次の条件、それは「これは洗脳装置ではない」という思い込みだ。オウムの信者がつけていたウォークマンのような脳波コントロール装置のようなものでは話にならない。誰も洗脳装置などと思ってもいない装置。そういう形態をとることが望ましい。朝、起きる。誰に命じられたわけでもないのに、ほとんど無意識状態でその装置のスイッチを入れる。そして、その装置の前に、一日最低でも3~4時間は縛りつけていたい。しかし、この条件はさまざまな娯楽があふれる今の社会ではクリアするのが絶望的に難しい条件だ。でも、この拘束時間は最低限必要だ。しかも、できるならば、当人がそれを束縛と感じない状態で実現できれば、それが理想である。誰からも強制されず、自発的にその装置を購入する。地方から都会へ出てきた貧乏学生でも、まずこれだけはうちに備えなければという気持ちをもたせる。しかも、その装置の前に最低でも3~4時間は座らせる。いや、座らせる必要は必ずしもない。少なくとも、とりあえずその装置のスイッチだけは入れさせる。後は何をしていてもかまわない。BGMでその装置から出力される情報が室内にただよっていれば十分。それだけで基本的な機能は十分に果たされる。肝心なのは、スイッチの入出力にいっさい本人の自発的な意志が関与しないこと。それさえ実現すれば、最低限、洗脳装置としての機能が損なわれることはない。もしもこの装置が機能しはじめたとしたら、次のようなことが起きることが予想される。まずこの装置は各家庭のリビングに置かれることを想定している以上、コンパクトな形状をとらざるをえない。コンパクトな装置では、その音響環境は当然ながらかなりの機能的制約を受ける。重低音から高音までの音響を再現する装置を装着することは不可能になるだろう。おそらくは低音と高音をカットし、比較的音の通りやすい中音を主体にした起伏のないのっぺらぼうの音を発するしかない。もしも、その装置に洗脳された人間がこの社会にあふれ出したとしたら、彼ら、彼女らの発する声は、低音と高音をカットした中高音主体の平板な、しかし耳障りなけたたましいものとなるだろう。これがこの装置の浸透度を計るひとつの目安となる。次にその装置が絶対に何者かの強制によるものではなく、あくまでも購入者の自発的な意志による選択であるということを担保するためには、ある付属品が必要になる。それは、使用者のどんな些細な意志も忠実に反映する意志選択装置を付属させることである。「あなたはこの装置の影響をいつでも断つことができる。いつでも任意な時間に他の選択に切り替えることができる」ーーそのことを保証、担保してくれる付属品が装着されていることが望ましい。もしもその装置が十分に機能しているとしたら、おそらく次のようなことが観察されるだろう。電車に座る。隣に見知らぬ人間が座る。その人間はものの一分もしないうちに落ち着かない素振りを見せる。そわそわと体を動かし始める。かばんのなかを開け、中味を引っかき回す。さまざまなものを引っ張り出しては、また元に戻す。その行動には一貫した意志が感じられない。洗脳者に特有の行動パターンだ。そのパターンはいつでも任意に自分の意志を反映させることができる小さな付属品を使うことで醸成されたものだ。小刻みに自分の意志を反映させることのできる小さな機械。しかし、それは小さな衝動を次々と起こさせることによって、自発的な意志を形成する時間と落ちつきを奪う機能を果たしているのである。もちろん洗脳者の大部分がそうであるように、彼ら、彼女らは、それが他者からの強制によるものであるということなど、想像することさえできない。彼ら、彼女らは、ただなんとなく落ち着かず、ただなんとなくごそごそとかばんの中を引っかき回しているだけだ。主体的にはそう感じられている。その洗脳装置はそれほど完璧に機能しているのである。およそ20年ほども前になるだろうか。新入社員だった私は毎日、小論文のテストゼミの手伝いをすることが仕事だった。先生からもらった解答例の原稿を印刷所に発注し、プリントにして、当日、生徒に配布する。きわめて単純な仕事だ。仕事柄、その解答例の文章を読むことになる。いや、その文章のひどいこと。60過ぎのくたびれたじじいがセーラー服を着て、妙な品(しな)を作って書いているような気色の悪い文章の氾濫である。「ったく」ーー私は深く絶望し、自分の仕事を呪った。その私に新しいテストゼミの仕事が来た。「またか」ーーつくづくうんざりしていた。今日のテーマは?「オモテとウラ」、うわ、来た、またあれだ、「日本人特有の本音と建前」、凡庸で陳腐などこかで聞いたことのある一般論の受け売り。私は心底へきえきしながら、そのプリントの校正を始めた。しかし、しばらく校正を続けるうち、「いや、まてよ、これはちがうぞ」と私は思い始めた。これはちがう。そこに書いてあったのは、腐った一般論とはおよそ違った内容だった。「オモテとウラ。その二つを決定する絶対的な条件などない。一方をオモテと決めた瞬間に、自動的にウラが決まる。その逆もまたしかり。その決定は恣意的だ。しかし、その一方で人間は二面性を生きる存在だ。それは必然である。必然として二面性を生きながら、恣意的にどちらかをオモテに、どちらかをウラに選択するしかない。それが人間にとっての生であり、宿命である。」自分の記憶力にはぜんぜん自信がない。しかし、おそらくそこにはそういう趣旨の文章が書かれていたように思う。私はその原稿を手渡した女子事務員に「これ、書いたの誰ですか」と聞いた。「あー、それ、ちょっと変わった人なんだけど、T先生よ。」その女性はけだるそうにそう答えた。T。私はその名前を心の中に刻みこんだ。この固有名詞を忘れまい。そう思った。しかし、小心な私がその先生と一対一で話ができるようになるまで、それから10年以上の月日が必要だった。先生はおどろくべき読書家だった。その当時、先生は予備校の売れっ子講師でもあった。どうしたら、そういう生活をしながら、これほど充実した読書生活が送れるのか。それが私の疑問だった。幸い仕事の関係で先生と一対一で向きあう機会があった。「先生、前から思ってたんですけど」「なに」「先生、これだけ忙しい時間を過ごしながら、どうしてこんなに本が読めるんですか」「ああ、そのことか。べつに何の不思議もないよ。授業の準備はちゃんとしてるし、映画も見る、ビデオも見る。音楽も聴く。子供とも遊ぶ。でも、ふつうの人がしてることをひとつだけしてない。ただそれだけ」「なにをしてないんですか、先生」「テレビ、見ない。まったく。それだけは守ってる。」「……」「○○くんも、テレビ見なければ同じことやれるよ」「……」完璧な洗脳装置。その名前をTELEVISIONという。最近、ようやくT先生の忠告を実行できるようになった。そして、すこしだけまともな文章が書けるようになった気がする。私はT先生に洗脳されているのだろうか。それとも何者かの洗脳から解放されたのだろうか。よくわからない。いや、ほんとうはよくわかっているんですけど。スイッチ切ってみませんか。あなた。同志よ。
2006.08.06
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ブログを始めていくつか感じたことがある。まず、自分がこんなにもセンチメンタルな人間であったのかということに気づき、あらためて驚いた。職業上、様々な文章を書いているが、それらはすべて論理的なものである。自分でも論理優位の人間と思っていたし、情緒連綿たる文章というのははっきりいって苦手である。それなのに何の制約もない場所でこうして書いている文章の多くにはセンチメンタリズムの匂いが濃厚に漂う。そのことにわれながら驚く。私はこれほどに情緒的な人間であったのか。もうひとつ。ブログを始めた当初はずいぶん「嫌いなもの」について書いていたように思う。何かを嫌うということは、自分の考えの方向性を決める「舵」の役割をするものだと考えていた。「嫌いなものがなぜ嫌いであるか」という理由をことばで明確にすることを、この国の多くの人々は避けているように思っていた。なぜもっと嫌いなものを、そしてそれらを嫌う理由をことばにしないのか。ブログを始めた当初、そういうメンタリティを強くもっていたように思う。でも最近ではなぜか嫌いなものを書くことが少なくなった。どちらかというと好きなもののことばかりを書いているような気がする。嫌いなものを口にすることは、ある種の「嘔吐」に近い行為だったのだと思う。胸がむかむかするときには、その行為はたしかに必要だ。やむにやまれぬ切迫した気持ちでその行為は選択の余地なく行われる。しかし、それは突発的、衝動的な行為であり、けっして持続的なものではない。異物を吐き出したら、自分の同化可能なものを口にほうばるしかない。そして、それを自分の血肉とするしかない。それは持続的な行為となりうる。嫌いなことを書かなくなった背景には、そういう生理的事情があるのではないかと思う。私はいったい何を書こうとしているのか。そう、私はスガシカオの歌詞の世界について語ろうとしていたのである。スガシカオのことばの世界。それは闇の中にありながら、その闇の向こうに光を見つめようとするやるせない姿勢が紡ぎだすことばの世界である。そのことばの生まれる場所は濃厚な闇に包まれている。そこはネガティブな領域である。しかし、その闇の向こうに光を見つめようとする姿勢はポジティブだ。そして、今はまだその光は見えていない。そこにはやはりネガティブな空気がただよう。現状におけるネガティブ。姿勢におけるポジティブ。結果としてのネガティブ。これがスガシカオのことばの世界を支配する状況である。ネガティブの向こうにポジティブを見ようとする姿勢。そしてやはりそのポジティブはまだ見えないというネガティブな状況。それを象徴的に示した歌詞を以下に示す。夜明け前風の音が やみそうにない夜はよけいなことを考えてしまう世界中で ただぼく一人だけがゆるしてもらえないような気分さねぇ 君はあの時電話をしてきてねぇ 君は本当はどうしようとした今テレビの画面で誰かが愛のため その銃をとった風がひどくまた窓をたたいてセリフがうまく聴き取れないんだねぇ 愛という言葉ですましてきたずっと昔から あやふやな感じ今 夜の闇に向け 撃ち放つぼくらの銃声はみえないその壁を 一瞬で突き破ろうとして街にただ 響いただけ昔 この両手にかけられたプラスティック製のオモチャの手錠ぼくは一人で はずせなくなってしまいこわそうとして きつくしまったねぇ 君が愛してるって聞くたびにふっとよぎる このどうしようもない感じ今 風が吹き抜ける この街でぼくは目を凝らした空のずっと先に 夜明けをみつけようとしてしばらく 闇を見つめた今 風が吹き抜ける この街でぼくは目を凝らした空のずっと先に 夜明けを みつけようとしてしばらく 闇を見つめた夜の街に向け 撃ち放つぼくらの銃声は闇を貫いて 夜明けまでとどきそうなのに風がただ 吹きつけるだけ絶望的な状況。他者からの働きかけ。その意味の不分明。ポジティブな他者の行動。それを理解しきれない自分の存在。その両者の間に横たわる「愛」というあいまいなことば。闇を突き破るポジティブな行動。しかしそれは他者を決定的に損なう銃声を伴わざるをえない。自らの自由を自ら束縛する逆説的状況。そこに横たわる「愛」というどうしようもないことば。今は闇だ。私はその向こうに光を求める。でもその光は見えない。私はやはり銃を撃つしかない。光は自然に訪れてはこないのだ。しかしその切ない銃声は風の音に吹き消されてしまう。人間の文明は、闇と沈黙への恐怖から始まった。そう私は思う。闇と沈黙は「死」の属性である。それをなんとか追いやろうとして、人間は自分の世界を煌々とした人工的な明かりで照らし、様々な騒音で満たすことで、死への恐怖を紛らわそうとした。それが人間の文明の根源的衝動だった。しかし、人工的な虚ろな光はその向こうにある漆黒の闇の深さを浮かび上がらせる役目しか果たすことができなかった。虚ろな騒音は、死者の沈黙の無気味さから注意をそらすための黄色いスポンジ状の耳栓にすぎないものであった。スガシカオのことばは、そういう今に生きる人間の状況を背景にもつ。闇のなかで光を探すけれども光はまだ見えない。沈黙のなかで音のうねりを作り出すけれども根源的な沈黙の恐怖を拭い去ることはできない。ネガティブな状況。それを克服しようとするポジティブな衝動。その衝動の空しさを痛感させるネガティブな諦観。しかし、そこに残るのは、闇に打ち勝とうとし、結局は闇に敗れ去るしかない、一人の男の視線だけである。その目ははっきりと未来に向かって、訪れるべき幻の光を受けとめるべく闇の中で大きく見開かれている。彼のことばが多くの若者(そして例外的に少数の若くない人々)の共感を得ることができるのはそのためである。そして、その共感を支えるのは彼のセンチメンタリズムである。私は次に挙げる彼のことばを愛する。理由は?とくにない。この歌詞は過去の追想であり、未来への予感であり、同時に現実である。一つの歌詞が、追想であり、現実であり、同時に予言でもあるということがはたしてありうるだろうか。もしも以下の歌詞を読んで、追想と現実と予言の共存を感じとることのできる方がおられたとしたら、その方は私の同志である。その方々に一言申し上げたい。「同志よ、過去は闇であり、現実も闇である。おそらくは未来も闇であろう。しかし、現実と未来との間にかすかなスペースをこじ開けて、そこに光を注ぎ込もう。それがたとえやくたいもないむだな抵抗にすぎないとしても、闇の向こうに光を探し求めようとする姿勢を私たちはなくすことはできないし、なくすべきでもない。そのようなネガティブな状況下でのポジティブな決意宣言を行うことがおそらくは私たちにできる唯一の抵抗なのだから。」ふたりのかげ街灯がうつしだした ふたりのかげはゆっくりと君の家のほうへ のびて ほどなく消えた明日には いいことが ふたりにあるかなぁ時々すべてはこわれかけて 君は言葉をなくしてしまうぼくでは涙を うまくぬぐえない帰りの道 かげはひとつだけ最終の地下鉄は 誰かの事故で混んでいて人波に押されて ぼんやり時計を見ていた明日まで あと少し なにかが変わるかなぁぼくらが生まれて消えるあいだ どれだけ人を救えるだろう汚れた窓には何もうつらない君はもう眠ってしまったんだろうか明日には いいことが たくさんあるかなぁ十字路を曲がるまで振りつづけた その手は君に見えただろうか信じるだけでは 何も変わらないそうして今日は過ぎていくんだ
2006.08.05
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