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「強くなることじたいは悪いことじゃないわね。もちろん。でも今にして思えば、わたしは自分が強いことに慣れすぎていて、弱い人々について理解しようとしなかった。幸運であることに慣れすぎていて、たまたま幸運じゃない人たちについて理解しようとしなかった。健康であることに慣れすぎていて、たまたま健康ではない人について理解しようとしなかった。」(「スプートニックの恋人」p233。ミュウの告白の一部)もう三年以上前のことになる。突然体調をこわした。それまで入院というものをしたことがなく、病院に通うこともほとんどなかった。自分の体調が損なわれたとしても、それはあくまで一時的なものであり、何ヶ月も、あるいはそれ以上にわたって、自分の体が壊れることなど考えたこともなかった。しかし、それは突然やってきた。そして、これまで正常に機能していた神経系、内分泌系の連関が少しずつ損なわれていき、自分の立っていた地面がひび割れを起こし、陥没しだした。小さな環が壊れ、それがドミノ倒しのように次々と連鎖的に反応し、気がつくと自分の足場はまるで空っぽの蜂の巣のように空虚でもろくよわよわしいものになっていた。今まで当たり前のように行っていた通勤がこれほど苦痛に満ちたものになるとは思ってもいなかった。一日中間断ない痛みにおそわれ、帰宅して玄関に入ると、そのままその場に崩れるように倒れ込む日々が続いた。テレビを見る気力すら失い、目の前に映る画像を茫然と眺めては、「みんな、なぜこんなに元気にしていられるのだろう」と思った。なんとかここから抜け出さなければならない。そのためには修復可能な一番小さな環を元に戻し、そこから一歩一歩回復していくしかない。私はそう考え、医者に相談し、手術と一週間程度の入院を決意した。小学校2年生の時の掃除中、拭き掃除をしていて頭を教壇にぶつけ、頭頂部付近を一針ぬって以来の手術である。入院は生まれて初めての経験だった。しかし、その手術は生命には何ら影響を及ぼすものではなく、医者からしてみれば病気のうちにも入らないほどの簡単なものだった。悲愴感がただよっているのは本人のみ。あれほど衰弱していると思っていたのに、入院棟の八人部屋に入って一日過ごしてみると、一番に食事を取りに行き、一番最初に食べ終わり、配膳のおばさんと冗談をいい、看護婦と世間話を交わしているのは私だった。そこは大腸、小腸、およびその末端に属する部位の機能不全の患者が入れられている部屋であり(おおよそ私の病気も推測可能だとは思いますが)、さまざまな人々がいた。私のいた病室にはベッドが八つあり、部屋に入ると左右にそれぞれ四つずつベッドが置かれていた。廊下側から入ってすぐ左が私のベッドだ。天気のよい日には窓から病室に陽が射し込み、その外には新宿の高層ビル群が見渡せる。夜になると最上階だったこともあり、ビル群の夜景がなかなか見事だった。私と同じ部位の不如意な患者が四人。いずれも一週間から二週間で退院可能な比較的軽微な患者である。それ以外は、腸の病気と糖尿病を併発し、食事制限されているにも関わらず、こっそり消灯後に白桃の缶詰を食べては看護婦に叱責されている初老の男性、一番窓際でどこが悪いのかは判然としないが、澄み切った眼をして読書にふけっている十代のハンサムな男の子。一日中テレビのバラエティ番組を見ながら、なぜか暗い表情の中に沈み込んでいる鬱気味の老人。そして、もう一人、私の向かい側に20代半ばの痩せて弱々しい色白の男性がいた。彼の病名はよくわからなかった。ただほとんど食事をせず、その手足はまるで鶴のように細く、かなりの長期入院の患者であることはわかった。彼は時々病院内を散歩し、ほとんどの医者や看護婦と顔なじみのようだった。時々、同じ年頃のガールフレンドがベッドの横に座って、ひっそりと会話を交わしていた。しかし、どちらかといえば交わすことばよりも、沈黙のほうが多く、ふと気づくと、彼はまた一人に戻っていた。二、三日して、若い看護婦が彼に問診をし、症状を確認して、カルテに記入していた。それを聞きながら、私は彼の病名が「クローン病」であることを知った。消化管に慢性の炎症を起こす原因不明の難病である。完全な治癒は望めず、比較的若年の患者が多いということを私は「家庭の医学」を読んで知っていた。自分の病名がわからずその本を読んでは最悪のケースを想像していたときに熟読した部分だからよく記憶していたのである。長期に渡って体重減少が起こり、完全な治癒も検査もできない病気だとそこには書かれていた。彼は一日に二度、病棟のあるフロアをゆっくりと歩いて回っていた。それはおそらく医者に命じられた運動だったのだろう。リノリウムの上をスリッパを引きずるようにして周囲の壁につかまりながら彼は歩いていた。廊下で顔をあわせると、にこっと笑って会釈してくれた。ある日、ふと目覚めると、ひそひそと話す声が聞こえる。人の声であることがかろうじてわかるほどの小さな声だ。ふと頭を起こすと、向かいのベッドに若い看護婦の後ろ姿と、彼の沈鬱な顔が見える。私は起こした頭を倒してもう一度寝ようと思う。しかし、その微かな彼の声は何かを必死に訴えている。しっかりとコントロールされたふだんの彼の口調とは異なる響きがそこには聞き取れる。よくはわからないが、彼はおそらく自らの身に起こった不運の理不尽さを訴えているようだった。病気というのは不思議なものである。会話の内容が一切聞き取れなくても、そこで何が話されているのかはおおよそ見当がつく。彼は自らの境遇を、恋人にもうち明けることのできない無念さをその時切々と語っていたのだと思う。私はもう一度頭を起こして向かいのベッドに目を向ける。そこには前と同じように若い看護婦の背中と彼のうつむいた顔が見える。でも、病気で神経が研ぎすまされている私の目には、その看護婦の背中がこんもりと丸く、あまりにも健康的に見える。そして、その背中には、「あの患者が話しかけたら、しっかりと聞いてあげるんだよ」という担当医の具体的な指示までが明瞭に読みとれる。とても残酷なことだけれど、おそらくその指示に従って、この看護婦は患者の話を聞いているのだ。その時に思った。彼がいったい何をしたというのだろう。二十歳そこそこで病院に閉じ込められ、病棟のフロアを周回する以外の運動を禁じられ、恋人に苦境を訴えることすらできず、唯一の救いである看護婦も実は業務命令で自分の話を聞いている。彼は何もしていない。ただある日突然原因不明の病気に襲われた。ただそれだけだ。私は病気をする前の自分のことを思う。彼のような人間のことを一度たりとも考えてみたことすらなかった。健康にはそれをもたらす確固とした原因があり、病気にもそれをもたらす確固とした原因があるとその頃の私は思っていた。でもそれは違うのだ。たしかになるべくしてなる病気というものもあるだろう。でもなんの原因もなく、ある日突然訪れて、その人間の希望を根こそぎもっていってしまう病気というものもあるのだ。だから、もし今この瞬間に自分が健康といえる状態だとしたら、その状態をもたらしてくれるのは、ただ偶然だけなのだ。人は必然的に病気になることはあっても、必然的に健康な人間はこの世にただのひとりも存在しないのだ。私はそう思いながら、もう一度頭を枕に戻し、しばらく彼の人生について考えてみた。そして、ここを退院した後に自宅で行う予定のトレーニングを具体的に頭に思い描いた。軽いダンベルを用いて、どの運動を何回何セット行うか、頭の中で組み立てながら、そのトレーニングのシミュレーションを何度も何度も頭の中で繰り返した。その二日後、私は彼に退院の挨拶をした。「よかったですね、順調で」と彼はいってくれた。「がんばってください。きっといいことがありますよ。」私はそういった。彼はちょっとまぶしそうな顔をして私を見つめ、「そうだといいんですけど」といった。私は頭を下げて、バッグを持ち、病室を後にした。「いいことがあるにきまっている。彼にとってはどんなに小さなことであっても、いいことがおこらないわけがない」そう思いながら。その日から3年と6ヶ月が過ぎた。彼はいまどうしているだろう。きっと彼女の肩をそっと抱きながら、「お互いにあの頃はきつかったよなあ」としみじみと思い出話をしていることだろう。ひょっとすると、傍らにあるベビーベッドの赤ん坊の顔を見ながらそう言っているかもしれない。私はそう思いたい。さて、そろそろ運動を始めるか。退院した二日後、痛みをこらえてもちあげたダンベルはわずか1キロだった。それすらその頃の私にはずっしりと重く感じられたものだ。いまダンベルは4キロになった。私は三年半そのトレーニングを一日置きに行いながら、時折彼の顔を思い出す。「必然的に健康な人間などこの世にひとりもいないのだ。もし自分が健康であるならば、それが単なる偶然であることをなにものかに感謝すべきなのだ。健康な人間はもっと謙虚であらねばならない」そう思いながら、私は今日もひんやりと冷たいダンベルのバーを握りしめるのである。
2006.02.28
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高校を卒業する頃、親戚のおばさんがセキセイインコをくれた。鳥を飼うのは久しぶりだった。ほとんど十年ぶりくらいだったろうか。その頃、私はほとんどなにをすることもなく、部屋で毎日を過ごしていた。だから、目の覚めるようなレモン・イエローの小さな客人の来訪は大歓迎だった。くちばしの根元がざらざらの迷路のようになっているのがメス、優美で美しいほうがオスだということもその時、初めて知った。かごの中に二羽しかいなくても、カップリングは完全にメスの意思で行われること。つまり、オスはアプローチは出来るが、最終的な合意がメスから示されない限り、絶対に思いをとげることはできないということもそのとき知った。メスの好みは厳格で妥協がなく、「いやなものはいや」という原則がくずれることはない。アプローチはオス、最終決断はメス、メスは異性の好みに関しては徹底した原理主義者で妥協を許さない。これがセキセイインコのライフスタイルである。なるほどな、と私は思った。以来、この原則はひとりセキセイインコの世界だけではなく、生物界全体に普遍性をもつ生き方ではないかという気持ちを持ち続けている。「やっぱ、そうしたほうがうまくいくよな、たぶん」としばしば思う。そうは思いませんか。人間世界の混迷や錯乱は、この原則を踏み外したことに起因しているように思えてならない。セキセイインコから学ぶことはけっして少なくないのである。まあ、そうこうしているうちに、インコのカップルも無事に結婚を果たし、メスは懐妊の兆しが見える。あわてて近所のペットショップに出かけて巣箱を買ってくる。メスはほとんどその中にこもりっきりで姿を見せなくなる。オスがエサを口に含み、巣箱の入り口で口移しに餌をあげるようになる。なかなか仲むつまじい光景である。やがて、「ひー、ひー」というような微かな声が巣箱の中から聞こえてくる。そっと巣箱の下のほうを開けてみると、小指の先くらいのピンク色のうごめくものが見える。と思った途端に興奮した母親に思いっきり指先を噛まれる。すごい力で指に噛みついたままなかなかはなさない。「わかったよ、わるかったよ」といって、やっと許してもらう。原理主義者を怒らすと怖い。限度というものを知らないからね、彼らは。やがて雛はふやふやの柔らかいくちばしをつけ、きょとんとした顔つきで巣箱から這い出してくる。口移しにオスが餌をあげる。とてものどかな風景だ。家族が一人増えて、なごやかな空気がかごの中に満ちてくる。それを見ているとこちらのすさんだ気持ちもなごんでくる。いそいそと糞の掃除をしたり、キャベツをあげたり、水をとりかえたりするようになる。まずは平和なひとときである。しかし、そんなある日、やっと羽が広げられるかどうかというくらいに成長した雛が突然これまで聞いたこともないような悲痛な声で鳴き始める。ただならぬ声である。あわててそばに行ってみると、母親が雛鳥に襲いかかり、そのくちばしをくわえたまま引きずり回している。雛の口元には血がにじんでいる。私は手をいれて雛を外に出そうとするが、母親はすさまじい勢いで私にも挑みかかってくる。やっとの思いで雛をつかんで外に出した時には、しかしその口元は赤く染まり、くちばしの半分は母親にもぎとられ、かごの下に血まみれで落ちていた。自分の子供になんてことをするんだと思って、私は激しい怒りを覚え、母親をつかまえて、雛と同じ痛みを味わわせようかと思った。でも、その時、はっと気づいた。私は雛の巣立ちの日をすっかり忘れていたのだ。その数日前に雛を外に出し、親とは別のかごで飼わなければならなかったのだ。母鳥には責任はない。すべては私の責任だった。巣立っていくはずの雛がいつまでも自分のところから離れないので、彼女の頭にセットされた本能が、力づくでも雛を外に追いやろうとして激しく攻撃したのだ。私は雛鳥にひたすらわびながら、そのくちばしの傷をなんとかなおそうと必死で看病した。さいわいくちばしが欠けただけで命に別状はなかった。私はその雛鳥をかごから出し、部屋に放し飼いすることにした。いささか不細工ではあったが、小鳥は私によく慣れ、手のひらに乗り、肩に乗り、呼ぶと飛んできた。でも、そんなある日、うっかり少しだけ開けていた窓から外へ飛び立ち、その後、二度と戻ってはこなかった。私は巣立ちをうながす母鳥のあの容赦ない攻撃を思い出す。それはいままで見た中でもっとも激しい動きだった。自立を促すとか、愛情にもとづくとか、そんな生やさしいものではない。それは必死の、決死の、攻撃であり、暴力だった。きれいごとではなく、出ていかなければ抹殺するというような気迫に満ちた行動だった。これが自立なのかと私はその時思った。子供の体を損なってまで自分たちの生活圏内から外へ追い出す。そうしない限り、自分たちにも子供にも未来の生活はない。そうなんだよな、と思った。こうするしかないんだよな、と思った。そして、私は唐突に東京へ行こうと思った。一人で生活しようと思った。これまで馴染んできたあたたかい空気に別れを告げ、ひんやりと冷たく細い金属の扉をつかみ、それを上へ押し上げて外へ出なければならない。こわがっている場合ではない。とにかく外へ一人で出る必要がある。その後のことは、その後で考えればいい。なにごともなかったように小首を傾げてこちらを見ているセキセイインコの母鳥の顔を見ながら、私はそう決心した。その時の決心は、それから30年ほど経った今になってもまちがっていなかったように思う。われわれは母親の肉から生まれてきた。その肉から引き裂かれるように分離され、激しい叫びとともにこの世に出現し、その庇護を離れる時にも、再び激しい痛みと叫びとともに、肉を引き裂くようにして第二の分離を遂げなければならない。そして、その分離の痛みと苦しみを経た後に、ほんとうの愛情というものが理解できるようになる。今日、会社からの帰り道に、どこかのうちのテラスから聞こえてくるセキセイインコの啼き声を聞いて、ふと遠い昔のことを思いだしたのである。
2006.02.27
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若者が学ばなくなった、働かなくなったということが問題になっている。その議論の様子を眺めていると、どうもそこにはいくつかの問題点があるように思える。一つの問題点として、人は自分と異なる世代、とくに若い世代に対しては自分の世代との相違点を強調しすぎる傾向をもつということがある。学ばなければならない、働かなければならないということは、社会生活を営む上であまりにも自明のことがらである。それをあたりまえと思わないまったく新しい新人類が出現してきている、これは一大事である、という議論の立て方がその典型である。しかし考えてもみてほしい。人間の意識というものが10年や20年でそう簡単に変わるものだろうか。おそらくは50年単位、100年単位でわずかに変わるということはあるだろうが、学ぶ、働くというような基本的な価値に関して、そう急激な変化が起こるとは私には思えない。問題を複雑にしないために、まずは「働かない若者が増えた」ということに問題点を絞ろう。なぜ彼らは働かないのか。それは彼らが働かなくてもすむ環境が周囲に整っているからである。まずはそう考えるべきだ。もちろん経済的な側面もあるだろう。親の扶助のもとで働かなくても生活できる環境にある若者はけっして特別な存在というわけではない。かなり一般的、普遍的な現象である。それがひとつ。でも、人間は金のみに生きる存在ではない。「は~、はたらいてない?なにかんがえてんだ。おまえは。そんなのゆるされるわけないだろう。ったく。」という声を日がな一日聞かされていると、当人も気が滅入ってくる。ストレスがたまる。不愉快になる。一日8時間程度外に出てなにかしら仕事をすれば、その嫌な気分から逃れられるのならば、彼らは働きに出るだろうと思う。え、彼らは労働を嫌悪しているから働くはずがないって?彼らは働くことをそれほど嫌ってはいないはずである。なぜかといって、彼らのほとんどは働いた経験がないはずであり、知らないことを嫌うのは実はとてもむずかしいことだからである。知らないことは好奇心の対象にはなっても、嫌悪感の対象になることは少ない。生まれて一度も蛇を見たことのない人で、蛇が死ぬほど嫌いな人って見たことありますか?わたしはそんな人知りませんけど。彼らが働かない原因のひとつは「あ~、働いてない。なるほど今はやりのニートってやつだね」という訳知り顔の大人が社会にあふれているからではないか。「働かない若者」というコンセプトをせっせと作り上げ、その意識を分析し、社会にアナウンスメントしてくれる大人がいるおかげで、彼らの生活の快適度は確実に向上していると考えられる。だから「まったく新たな人類の出現である」と考える大人は、彼らにとっては援軍であり、援助者なのだ。頼んでもいないのに、自分たちの生活環境を安楽なものにしてくれているのだから、ほんとうは感謝のことばのひとつも述べていいくらいである。(彼らは「けっ、聞いたふうなこといってんじゃないよ」というだろうけど。でも、なにしろ新種の人類なのだから、感謝の表現形態が変化してもなんの不思議もないわけだが。)彼らは必要があれば働きはじめると思う。ただし、問題は親が彼らを家庭内にかくまい、庇護してしまうということである。もしも世代の意識の違いがあるとするならば、私は「働かない子ども」の側ではなく、「働かない子どもをたたきださない」親の意識の変化をこそ問題にするべきではないかと思う。もちろん子どもに自立心がないということもある。でも自立心を育てることができないのは、やはり子ども自身の問題というよりも、親の問題だろう。人間の子どもはそもそも生まれつき自立心に欠けているのだから、人生のどこかの時点でそれを意識的、後天的に育成しなければならないことは自明である。やっかいな子どもさんを安全に捕獲し、どこか遠くの駅前あたりに「ぽい」と捨ててくる民間サービス業のようなものを作ればいいのではないか。屈強な若者をそろえておいて子どものポケットに数万円ねじこんで、都道府県を5つか6つ隔てたところに運んで、そこに置いてくるといいと思う。屈強な若者はアフターサービスとしてしばらくその家庭に寝泊まりし、子供がうちに戻ろうとするのを排除する。もちろん親の意思を代行する者として。親の責任放棄という批判が起こるかもしれないが、そもそも彼らには責任を負う力が欠けているのだから、そういう人間の責任の放棄は認めてあげてもいいはずだ。原理的には自己破産の考え方と同じである。負えない荷物は免除してあげてもかまわない。親は厄介な負債を免除され、子どもは自活を迫られる。子どもが犯罪に走る?自宅にかくまっても犯罪は起きているではないですか。明日の食い物に困っている人間はそれほど重大犯罪は犯さないものだ。大きな犯罪は飽食者が起こしている。新聞を見てもそれはわかる。ただひとつ気になるのは、内田先生のブログにあった次のような事例である。「諏訪さんが報告している中で印象深いのはトイレで煙草を吸っているところをみつかった高校生が教師の目の前で煙草をもみ消しながら『吸ってねえよ』と主張する事例と、授業中に私語をしている生徒を注意すると『しゃべってねえよ』と主張する」事例であった。」(http://blog.tatsuru.com/archives/001572.php)ここから先生の独創的な仮説が提出されるわけだが、その当否はさておき、ひとまずこの事例をどう考えたらよいのか。ここから新たな意識の発生を読みとるべきなのだろうか。私にはどうもそうは思えないのである。私は大学受験生の年齢の生徒と日常的に接しているが、このような行動パターンにあったことはまだ一度もない。しかし、言われてみるとたしかに「こういうやついそうだな」という気はする。ただし、彼らがまったく独創的なライフスタイルを創出できるほどのクリエイティヴィティを持っているとは私には思えない。これは独創ではなく、何かの模倣ではないか。直感的にそういう気がする。彼らは何を模倣しているのか。自分の負うべき責任を逃れ、その責任のもとにある行為をなしたことすら否認し、自分自身をひたすら弁護する姿勢。政治家?社会の風潮?それらを真似するためにはある程度の一般化、抽象化能力が必要だ。おそらくはもっと身近なものではないだろうか。「えっ、家族っておっしゃりたいんですか。あなたは。とんでもないいいがかりだ。私たちがいつ責任から逃れました?たしかにうちの息子はできはわるいですよ。でも、あれでも小さい時にはそこそこかわいかったし、そこそこいい子だったんですよ。それが中学時代からつきあいはじめた悪い仲間に感化されてああなっちゃったんですよ。少しは家族の真似をしてほしいって思ってるくらいなんですよ。それが煙草を目の前で吸ってても吸ってないと言い張るのが、家族の物まねなんて。いいがかりもはなはだしい。」あなたはそうおっしゃるだろうか。でも、その話型はどこかで聞いたことがある。「現に自分が育てた子どもを目の前にしながら『そんな子ども育ててない』と主張する親」「吸ってねえよ」「しゃべってねえよ」と言い張る子どもがいったい誰を模倣しているのか。誰の目にも明らかなのではないだろうか。
2006.02.26
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朝の五時半過ぎに目が覚める。ほんとは4時過ぎに一度目が覚めたのだが、さすがに起きる気にはなれず、二度寝。フィギュアスケートの早朝観戦である。 すでに例の女子高生スケーターの演技は終わっている。失敗したとかいってるな。ま、しかたなかろう。朝食の支度をしながらちらちらとテレビを眺める。私はひそかにグルジアのなんとかいう選手(名前を一瞬見ただけで、記憶中枢が「こんなのオレの手に負えねえよー」と悲鳴を上げたので氏名は不詳)を応援していたのだが、緊張のためかジャンプの失敗を繰り返す。ショートプログラムではほんとに完璧な演技だったのに残念である。採点システムの影響なのかどうか、とにかく今大会は多くの選手が緊張と重圧に押しつぶされている。考えてみると、これほど失敗しやすい競技というのは他にあまりないだろう。失敗の予感が次々に的中するのでなんだかかわいそうになってくる。昔話に出てくるおじいさんのような人が点数を待つ彼女をしきりに慰めている。飼っていた小鳥がかごから逃げて嘆き悲しんでいる孫娘を一生懸命慰めているおじいちゃんみたいに見える。ショートプログラム一位のアメリカ娘登場。(少しは名前を覚えたらどうなんだろう)いささか品位には欠けるものの、性格はよさそうな娘さんだ。浅草のお花茶屋あたりにいそうな下町風情ただよう娘さんである。ジャンプ失敗。この人のSPは少し点数が高すぎた。最終演技者というのが微妙に影響していたのかもしれないが、スルツカヤより上はないだろうという印象だった。軟体動物みたいな体の動きはたしかにすごいですけどね。でも、ここはオリンピック競技場であって、サーカス小屋ではないわけだから。しかし、ひょっとするとSP一位という結果が、今日の失敗につながっているとも考えられるわけで、微差で三位という荒川選手のポジショニングは絶好の位置取りだったといえるかもしれない。(あくまでも結果論だけど)そしてついに荒川選手の登場。さすがに少し表情が硬いようだが、とにかくもおちついている。衣装も見事だ。アメリカ、ロシアの娘さんの衣装と比べると、気品において明らかに勝っている。銀座のクラブと錦糸町のクラブの衣装ぐらい違う。まあ、それは直接成績には関係ないですけどね。演技が始まる。やはり少し硬いか。スケートがなめらかに滑っていない感じである。ジャンプも一度、三回転が二回転に変わったかなという細かなミスがあったようだ。でも、そのうちにスケートがなめらかに滑りはじめる。一言でいうと、優雅であり、気品に満ちている。回転が一度少なかったのも「見苦しい失敗を衆人にさらさないための配慮」に見えてくる。「尻もちをついた金メダリスト」をこの競技から出したくない。そういう気持ちすらあるのではないかと思いたくなるほどである。もしも荒川が尻もちをついていれば、現実にそうならざるをえなかったわけだから。彼女の演技には、どこかこの競技全体を見渡しているような「視点の高さ」があったように思う。それが気品や優雅さにつながっていた。終盤のしなやかな上体を生かした展開も見事。でも、ほんとは昨日のNHKの7時のニュースで偶然、彼女が通しのリハーサルをやっていたところが映ったのだが、ほんというとあの練習のほうがすばらしかった。息を呑むほどの流麗な展開で思わず見とれてしまった。さすがに本番ではそこまでリラックスはできないが、しかし、あの振り付け自体がきわめて高い芸術性を備えていたことはたしかだ。演技が終わって「少なくとも芸術的側面からは彼女が文句なしにナンバーワンだな」と思ったが、考えてみるとそんな印象を与える日本人選手がこれまでに一人でもいただろうか。対象をあらゆる競技に広げてみても、日本人選手が芸術的にもっとも優れていると思った経験は少なくとも私にはない。「たしかに技術はすごいんだけど、芸術的にはちょっと」というケースが大半である。これはすごいことだと思う。単なる技術だけではなく、精神面からのアプローチがなければ、こういう芸術性はなかなか自分の身にそなわるものではない。不断の修錬の賜物ということだろう。「メダルをとらなければ」「ぜったいに失敗できない」というような力みがまったく感じられず、ほとんど無心で滑っているような演技だった。演技が進むにつれて表情が美しい輝きを増してくるのも印象的である。女性が短時間のうちに目の前でこれほど美しく変貌していく瞬間というのはそうめったにテレビカメラに映るものではない。無心であり、無私であるというのはすばらしいものである。勝利の女神は基本的に不親切で無愛想である。めったに笑ってはくれないし、手もさしのべてはくれない。きわめて稀に「不屈の精神と謙虚さと冷静な観察眼」をもつ選手にだけわずかに微笑む瞬間があるのみである。荒川選手の無心な姿と「この競技はけっしてアクロバットではない、これはあくまでダンスなんだ」という誇りと、競技全体を視野に収める視点の高さが、女神の硬く冷たい表情をときほぐし、にっこりと微笑ませたのだろう。女神の笑顔を見た人間は、知らず知らずのうちに自分でもそれに似せた笑顔を顔に浮かべてしまう。荒川選手の演技後の笑顔はそういうものに私には見えた。女神が彼女をよっこらしょっと小脇に抱えて「ちょっと、ごめんなさいよ、ちょっと、ごめんなさいよ」といいながら、他の選手をかき分けて、表彰台まで連れて行ってくれたのである。あの完璧無比なスルツカヤまで着地の時に女神にひじで押されてしまった。採点の疑義もなく、一人のブーイングもなく、勝利の女神に抱きかかえられた彼女が、金メダル獲得の瞬間に、ぼうぜんとしてまるで他人事のように胸の前で小さく拍手をしているのが印象的だった。見ていないのにこういうのもなんだが、「安藤選手が4回転に挑戦して失敗」というアナウンサーのことばが少し気にかかる。練習で半分以上失敗することを本番で成功させることは不可能だ。練習で成功していることができなくなるのが本番なのだから。「オリンピックで記念に4回転にチャレンジするんだ」という気持ちはわからないではない。でも、前日の練習で失敗を繰り返し、7回目に成功して、歓声を送る観客席にうれしそうに手を振っている段階ですでに結果は見えていた。前日の練習で自分の内面に没入し、観客席のことなどまったく眼中になかった荒川との差は歴然としている。練習でできていることをどうやって本番でやりとげるか。それが限りある力しかもたない人間のぎりぎりやれることなのである。練習と本番の間に存在する谷間の深さに安藤選手はまだ気づいていない。荒川選手の「視点の高さ」は、実はそこにあるクレバスの気の遠くなるような深さ、暗さを知っているところから生まれてくるのである。奈落の深さを知っているからこそ知ることのできる高みがあり、無心がある。高さは上を見上げるだけではなく、地の底を見つめることによっても得られるのだ。地の底の深さを知っている者だけが、そこから眺める天上の星の気の遠くなるような高さを知ることができる。「できないことはやらないが、できることはけっしてあきらめない」「ジャンプの直前まで自分の心と体の状態を見きわめた上で最終的な判断を行う」「いま確実にやれることの中で最善を尽くす」「不屈の精神と謙虚さと冷静な観察眼」を好む女神の眼に4回転へのチャレンジがどう映ったか。それだけがかすかに気がかりである。彼女のご機嫌を損ねていなければいいんですけどね。だって、一度怒らすと怖いですよー。おん、いや違う、間違い、訂正。「勝利の女神」というものは。
2006.02.24
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おかでさまでこのブログも今日アクセス数7777をカウントしました。だからなんだよ、っていわれても、とくに何でもないですね、こんなこと。でも、去年の11月の末からブログを始め、今年中に1万アクセスに達することができればと思ってましたので、このペースは望外のよろこびです。毎回長くて、みなさんのお時間を奪っていることが心苦しいのですが、ちょっと文章のトレーニングをしているつもりなので、「軽くて、面白い」というブログには未来永劫にわたってなりそうにありません。画像もなく、顔文字もなく、時事ネタも少なく、あまりとりえのないブログではあると思いますが、もしも「まあ、こんなのが世の中にひとつくらいあってもべつにいいんじゃないの。たまには読んでみるよ」という奇特な方がいらっしゃったら、またお立ち寄り下さい。お待ちしております。というわけで、今日は自分の好きなものを7づくしで挙げてみようという趣向です。A 好きなミュージシャン(海外編)7づくし1 ジョン・レノン(パワフルなシャウトと愛撫のようなやさしい声の共存。)2 ボブ・マーリー(魂の燃焼をことばと音と自分の人生で表現しつくした人。)3 レイ・チャールズ(音楽史上もっとも美しい声の持ち主。)4 ローウェル・ジョージ(「リトル・フィート」のリーダー。逆説の歌い手。)5 オーティス・レディング(「ドック・オブ・ザ・ベイ」で救われた一人の人間として。)6 スティービー・ワンダー(たとえ「生きる屍」と化しても「キー・オブ・ライフ」は永遠に不滅。)7 エリック・クラプトン(いささか有名になりすぎましたね。でも、私はヤクチュウから立ち直ろうとする時のあなたの「GIVE ME STRENGTH」を愛します。)B 好きなミュージシャン(国内編)7づくし1 永積タカシ(ハナレグミ)(「キネマ倶楽部」で聴いたあなたの「そして僕は途方に暮れる」を私は忘れません。「トンネル抜けて」も。)2 井上陽水(「能古島の片思い」「闇夜の国から」「夜のバス」「カーネーション」)3 山下達郎(友達がうちにくるたびに「これ、だれ?」っていってたあなたもすっかり有名になりました。「ふたり」を一度生で聴いてみたい)4 桑田佳祐(ローウェル・ジョージが好きな日本人を私は自分とあなた以外知らないです。いつバンド解散するんですか。)5 スガシカオ(「愛について」「黄金の月」ひゃっ、ひゃっ、ひゃっ笑い。ねんまくん。)6 甲本ヒロト(「人にやさしく」こんなにはげしいやさしさをもった人が他にいるでしょうか。)7 おおたか静流(「花」「みんな夢の中」「アカシアの雨がやむとき」「悲しくてやりきれない」。)C 好きな作家7づくし1 ツルゲーネフ(「父と子」のバザーロフを造形しただけで世界文学史に残る作家です)2 ドストエフスキー(「人の心の中には無限の宇宙がある」)3 トルストイ(自分の名作の数々を否定した晩年の無謀さが私はけっこう好きです。)4 開高健(あのメーカーの酒さえ呑まなかったら、早死にせずにすんだものを。残念。)5 村上春樹(だいじょうぶです。おもしろいから。ブログの名前のヒントもいただいてるしね。)6 檀一雄(ほんとにこまった人だった。でも好きです。)7 幸田文(かけがえのない人というのは、あなたのような方のために大事にしまっておくべき表現なんですよね)C 好きな映画7づくし1 「赤い殺意」(今村昌平。図書館司書である夫の西村晃は日本映画史に残るリアルな日本の男性像です。春川ますみの茫洋とした母性もすばらしい。)2 「七人の侍」(ま、いまさら何をいう必要もない。志村喬。宮口精二!)3 「鬼火」(ルイ・マル。これを見て、シナリオライターの夢を断念しました)4 「切腹」(小林正樹。これほどストーリー性豊かな日本映画は類をみません)5 「東京物語」(まあ、いまさらなにをいうまでもなくという映画ですね)6 「ポセイドン・アドベンチャー」(ジーン・ハックマンの牧師様は中学校一年生の私の人生のロールモデルでした)7 「キッチン」(森田くん、才能の浪費はいいかげんにしておかないと、今に枯渇するよ。)D 好きな作曲家7づくし1 モーツァルト(沈黙とわたりあえる音の深み)2 ベートーヴェン(堅牢な建築物から噴出するロマンティシズム)3 ブラームス(自らの内面に住む批評家に終生酷評されつづけた人)4 バッハ(天国への階段をもっとも高く築きあげた人)5 ドビュッシー(音感の天才)6 ハイドン(明晰さに裏打ちされた音の設計家)7 ブルックナー(裸の祈りを音楽にしようとした愚直の人)E 好きな指揮者7づくし1 フルトヴェングラー(魂の燃焼)2 カルロス・クライバー(炎の彫刻)3 カール・ベーム(モーツァルト、モーツァルト)4 ジュリーニ(ブルックナーの9番!)5 クーベリック(海賊版のブラームス2番!)6 ミュンシュ(ブラームス1番!)7 ピエール・モントゥー(ベートーヴェン全集。とくに3番。)F 好きな学者7づくし1 藤田省三(あこがれの人でした)2 丸山真男(あこがれの人があこがれた人でした)3 河合隼雄(生で話を聴くとイメージが変わります。けっこう毒舌家ですぞ)4 内田樹(ここに入れちゃっていいのかな。せんせー。)5 遠山啓(吉本隆明の弔辞「彼は教えようとした。だから私は学ばなかった。彼は教えようとしなかった。だから私は学んだ。」)6 田中克彦(硬骨の人)7 久野收(神は細部に宿りたもう)G 好きなテレビドラマ7づくし1 岸辺のアルバム(一年に何回か、必ず見たくなるドラマって他にあまりないですよね。)2 刑事コロンボ(コロンボのキャラクターで人気があったが、緻密で隙のない脚本は見事だった。)3 この世の果て(最終回のはちゃめちゃはご愛敬。作品世界の造形は野島脚本でいちばんではなかったか)4 北の国から(ほんとは、倉本脚本では、桃井かおり主演のマリリン・モンローの自伝っぽいストーリーのドラマ。主題歌は「低血圧なのよ、あたいー。お昼前まで起きられないのー」を挙げたかったが、タイトルを失念。でもあれも最終回ひどかったなー。)5 高校教師(やはりドラマそのものに力があった。続編も悪くはなかったと思います。映画は悲惨でしたが。)6 マンハッタン・ラブストーリー(宮藤ドラマでは実はこれがいちばんではないかと思います。)7 池袋ウェスト・ゲートパーク(まあ、圧倒的ですね、この面白さは。)ということで7×7の好きなものづくしでした。みなさんもやってみられるとけっこう面白いですよ、これ。では。また。追記(2/27) 読み直してみると、C項目が2つあって8×7になってますね。ぼけぼけしてました。でもそれもどうでもいいといえばどうでもいいことですね。
2006.02.23
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ある日、私は図書館で先の戦争に関する分厚い本を読んでいた。そこには他国に侵略され、労働力を強制的に徴用された村の人々の生々しい証言が聞き語りという形で記されていた。戦争の蛮行を伝える衝撃的な何枚かの写真も掲載されている。強姦、略奪、殺人、放火、処刑。目をおおいたくなるような人間の残虐な想像力の結果がそこに映し出されていた。それはショッキングな映像だった。しかし、その本の中でもっとも印象に残ったのは写真ではなく、一人の老人の話だった。老人は「侵略軍が行ったことでいちばん許せないと思ったことはなんですか」という質問にこう答えていた。「それはこの村に『かね』をもちこんだことだ。わしらの村は山あいにある小さな寒村だった。交通の便は悪く、周囲の村からはほとんど遮断されている。基本的に生活は自給自足だ。狭く傾いた土地は貧しく痩せていて、粟や稗などわずかな穀物がとれるだけだった。でも、なんとかそれらを分かち合い、わしらは生活を営んでいた。物資は乏しかったが、そこには人間の暮らしがあった。けっして豊かではないが、自然のわずかな恵みの許す範囲内で父や母、妻、子供と身を寄せ合って生きていた。自然はけっして好意的ではなかったが、敵対的でもなかった。少ないながらもその恵みでわしらは自分たちの生をなんとか保つことができた。いつも腹をすかせていたけれども、草を刈り、木を切り、畑を耕し、薪を燃やし、雑穀を食って生きていた。ときには森の奥深く分け入り、愛する者の名前を呼び、互いに愛をたしかめあうこともあった。でもそんなある日「あいつら」がやってきた。あいつらは村の働き手だった青年や壮年の男たちをどこかへ連れ去った。わしらは働き手である男たちを奪われ、土地を奪われ、わずかばかりの食物の蓄えを奪われ、ことばを奪われ、名前まで奪われた。しかし、わしらはある意味では奪われることには慣れている。自然や災害や病気や災厄だって、わしらから多くのものを奪っていく。そういう時には奪われたもののことをひとしきり嘆き悲しんだ後で、残ったものの数と量を数え直し、それを明日の糧としてまた生きていく。わしらはそうやって暮らしてきた。わしらの暮らしは略奪によってたしかに損なわれたが、しかし、それはまだ決定的な破壊とはいえなかった。ここの暮らしを根本から破壊しつくしたのは、彼らがこの村にもちこんだ「あるもの」が原因だった。それは「かね」だ。わしらは彼らがやってくるまで「かね」を知らなかった。そもそもそんなものは必要なかった。「かね」に代えるほどの余剰は持ち合わせていなかったし、「かね」でものをやりとりする市場もない。いまでは想像もできないかもしれないが、その当時、山の奥深くの村ではそれはけっして珍しいことではなかった。「かね」がなければ、それを求める気持ちも存在しない。ここにあるのは自分の生を支える最小限の量よりすこしばかり少ない、目に見える具体的な「もの」だけだ。飾りに使う金属すらほとんどなかった。女たちの装飾品のほとんどは木を彫ったものか、草や藁で編んだものだった。わしらは自分の作ったものを食い、種や苗を植え、にわとりを飼い、畑を耕し、木を切って家を建て、そこに暮らした。そこに「あいつら」がやってきた。あいつらは男を連れ去り、女を犯し、わずかな食糧をくいあさり、時には家に火をつけたりもした。でも、わしらはあいつらを恐れはしなかった。彼らは実に弱々しい目をしていたからだ。ひとしきり暴力的なふるまいが終わると、あいつらは道に迷って途方に暮れた犬のような目つきであたりを見回し、懐から財布をとりだし、申し訳程度の「かね」を女の手に握らせた。あるいは雑穀のまき散らされた土間にそれらを投げ捨てていった。そして、わしらがそれをおそるおそる拾い上げた時から、真の破壊が始まったんだ。わしらはそれを拾うべきではなかったのだ。悪魔の置きみやげはすぐに焼くか、埋めるかして、またもとの生活に戻るべきだったのだ。しかし、わしらにはそれができなかった。その悪魔の蒔いた種は、わしらに「貧しさ」をもたらした。女たちはそのわずかばかりの「かね」を握り、あいつらの車に乗って山を越え、食いものと着るものをもって帰ってきた。女たちは「かね」がどれほど便利なものかを村中に吹聴して回った。そうすることで、わしらが「かね」をもっていないこと、そのことが生きる上で根本的、致命的な欠落であることをわしらの心に植えつけた。「かね」がこの村にもたらしたのは、わしらが「かね」をもっていないという強烈な意識だった。それは背中を火であぶられるような生理的な痛みに近い感覚だった。その後、村には「かね」で買える品物がもちこまれ、「かね」で働く人間が入ってき、おんなたちは「かね」で買われるようになった。「かね」が持ち込んだもの、それは貧しさだった。「かね」がなければ貧しさもない。だって、「かね」がない状態を貧しさっていうんだろ。「かね」そのものがなければ、「かね」がない状態もない。だから、貧しさもない。それまでのわしらの暮らしにはたしかにものは少なかったが、それはたしかに「あった」んだ。だから貧しくはなかった。ものはゼロではなかった。でも「かね」はたやすくゼロになる。だから「かね」がこの村に入ってきて、ここは初めて貧しい村になった。「かね」は便利な物差しだ。それをぴたっとあてるとその人間の背の高さはすぐにわかる。だから、背の高い順に整列することも簡単だ。いちばんのちびといちばんのせいたかのっぽがそうやって生まれる。物差しがなければそんなものは存在しないんだ。貧しさを作るのは、便利な物差しである「かね」なんだ。「かね」はあることに意味があるんじゃなくて、むしろないことにこそ意味があるんじゃないか。だって、「かね」があるってことは、「かね」がない状態から逃れられたという安心感を生む。「かね」がないと死んじまうと思うから、みんな必死で働く。すこしばかり「かね」をもってたって、「まだたりない」と思って人は働く。「かね」をもつためというよりも、それがないと思うからこそ、人は必死で働いて「かね」を手に入れようとする。貧乏の火が背中を焼き、そのやけどを直そうとすると、それを直す薬がまた「かね」なんだ。そして、その薬を塗れば塗るほど背中のやけどはひろがり、さらに薬が必要になる。みんなが背中に火のついた薪をしょって走り回っているのが、「かね」のある社会じゃないか。みんなは貧乏の火で体を焼かれることを怖れるあまり、何重にも「かね」を自分の皮膚に塗りたくってやけどを防ごうとする。そして、皮膚呼吸を忘れ、青ざめた顔をしてのべつあちこちを走り回っている。おれたちの村を壊したのは「あいつら」というよりも、むしろ「あいつら」の持ち込んだ「かね」だったんだ。老人はそう言うと、ため息をついた。そのため息はどこまでも大きく、深く、長かった。でも、と私は思った。聞き書きを記した本からなぜため息が聞こえてくるのだろう。私は目を開いた。しばらくぼんやりとして、あたりを見回し、私は自分が読みかけの分厚い本を開いたまま、その上で居眠りをしていたことに気づいた。夢だったのか。私はしばらくの間、夢の中の「かね」について考えてみた。やがて私は大きく、深く、長いため息をついた。残念ながら、そのため息は夢ではなく、現実のものだった。
2006.02.23
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朝の4時過ぎに起きて、フィギュアスケートを見る。さすがに眠い。冬期オリンピックの生映像を見るのははじめてである。生どころか録画すら見ていない。基本的にテレビを見ないし、今回の五輪は前宣伝自体に嫌な雰囲気(濃厚なフジテレビ臭?)が漂っていて食指が動かなかったのである。でも、まあ、ひとつぐらいは、というところで、たまたま目が覚めたので、毛布にくるまってテレビ観戦。しかし、日本代表の三人は日本代表というよりも、日本の若い女性のタイプ別代表のおもむきがあってなかなか興味深い。元気がよく、少しばかり考えの足りない女子高生、丸の内あたりで大手企業に勤めるばりばりのファッショナブルなOL、「一生懸命尽くします」と顔に書いてあるような地味な地方公務員の娘さんという三類型のそろい踏みである。これに「あたしもさー、むかしはー、いろいろあってさー」というワケあり姉御風の恩田選手と、小学校の真面目な国語か体育の先生みたいな中野選手をそろえると、この5タイプで日本の若い女性のかなりの部分がカバーできるのではないだろうか。しかし、元気な女子高生に「優雅」さを演じさせようというコンセプトにはやや無理がある。安藤選手はそこが苦しい。でもあれだけリンク映えする人もあまりいない。あれはあれで一つの才能であり、能力である。いささか節度に欠ける過剰な笑顔のアメリカ娘さんや、強烈なアイメイクで胸やけがしそうなイタリア娘さんよりは優雅に見えますね。少なくともリンクの上では。荒川選手のクールビューティーぶりもなかなか。日本選手としてはこれまであまり見られなかった珍しいポジショニングである。作り笑顔が氾濫する氷上では、むしろ新鮮に感じられる。演技が終わって点数が出る前の、Vサインにぎにぎポーズはなんだか少し変だったですけど。村主選手は自己演出能力が非凡である。日本の代表最終選考試合で滑り終わった後に、手を胸の前で合わせて「か・み・さ・ま」という形に口を開くところなどは実に見事な演出ぶりである。ひとつ間違うと鼻につきかねないところだが、彼女の場合にはとても自然に感じられる。正直言って、フィギュアスケートを見て、目がうるんでしまったのはあれが初めての経験である。「おしん」が驚異的な視聴率を記録した東南アジアや中近東、アフリカ地域で、「おしん」スケーターとして興業を打てば、満員鈴なり大盛況は間違いないであろう。アジア的感性に訴えかける力をもった選手である。今回は演技開始直前に痛々しいほど緊張していた選手が多かった。「これはころぶな」という予感が6割以上的中したくらいである。これは精神面のコントロールに問題のある選手が多いということであり、緊張をプラスの方向へ転化させる村主選手の精神制御能力の高さはそれだけに印象に残った。演技開始直前の表情のアップにそれがよく表れており、顔のドアップを正面から抜いた瞬間のカメラマンの「やったー」(イタリア語でなんというんだろう)という声が聞こえてきそうだった。というだけの他愛のない早朝オリンピックテレビ観戦記でした。だって眠くてもの考えられないんだもの。でも、NHKのテレビ中継のアナウンサーは淡々としててよかった。「次はいよいよ、日本の○○選手の」というような力んだ常套句の連呼がなく(まあ、テレビの音量を最小限にしていたこともあるが)、ふと気づくと日本人選手が滑り始めているという感じで見られたのは好ましかった。これがフジや日テレのアナウンサーだったらと思うと寒気がしますもんね。TBSだと前置きが長くて、日本人選手が出てくるのが正午頃になりそうだし。自分が一歩引いて、他人の邪魔をしないというサービスを提供されたのは、ずいぶんひさしぶりのことのように思えました。おわり。
2006.02.22
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日曜日に小さな公園のそばを通り過ぎようとして「ひのき」の姿を見かけた。この公園をねじろにしている雌ののら猫である。彼女は公園のまんなかあたりに体を横たえ、所在なげにまわりを眺めている。私はマスクをはずして小さな声で「ひのき」と呼んでみた。彼女は当惑した様子である。このところ週末には何度もその公園に足を運んでいたのだが、折悪しくなかなか会えなかった。顔をあわせるのは3週間ぶりくらいだろうか。猫の時間意識について確かな知識はないが、人間より寿命が短いことを考えると、われわれの一ヶ月は猫にとってはもっと長期間とイメージされるのだろう。ひのきがとまどうのも無理はない。そっと膝を曲げて少しずつ近づいてみる。彼女の目は小刻みに動き、少しおちつきがない。私に対してというのではなく、外界の刺激、とくに音に対して過敏に反応する。やや精神的に不安定な様子である。でもそっと体を撫でていると、少しずつひのきのこころもゆるみ、ほどけてくる。だが、やはりいきなりうちとけるというわけにもいかないのだろう。彼女は額の部分を私の膝、足にぶつけるように押しつけ、体をこすりつけてくる。手に持っていたポリ袋にもがさがさと頭をこすりつける。それはひさびさに会った若いカップルが軽く抱き合い、女性が彼氏の胸のあたりを小さなこぶしで何度も軽く叩く仕草をするのに似ている。それはある種の儀式なのである。ひのき流の再会の作法なのである。やがてひのきはごろんと横になり、ふさふさと毛の密生したおなかをこちらに向ける。私はそのおなかをなで、のど元をくすぐるようにさわる。彼女は目をつむって、じっとしている。喘息気味なのか、ときおり「ひゅー、ひゅー」という呼吸音が聞こえる。ふとその向こうに体の小さな猫が姿をあらわす。そして甲高い鳥のような声で短く、単発的に「にゃあ」「にゃあ」と泣く。一瞬どこの猫だろうと思ったが、よく見ると3,4ヶ月ほど前に公園の脇の家の軒下で生まれた二匹の子猫のうちの一匹だ。名前もちゃんとつけてある。活発で食欲旺盛な方が「ロビン」、いつもその後ろに控えて臆病で弱々しい方が「ミュウ」である。目の前にいるのはロビンだった。でも、しばらく見ないうちにすっかり大きくなっている。あと一息で成人の猫に達するかというほどの大きさである。まだ人に馴れていないはずだが、私のすぐ前まで来て、じっとこちらの顔を見ている。手を近づけて、人差し指を左右に振ってみると、じっとその指の先端の動きを見ている。でも、それから先どうしたらいいのか、ロビンにはわからない。逃げる様子はない。どういう行動をとったらよいのか、迷っている。しょうがないから、ロビンはそばにある木の幹でがりがりと爪を研ぎ、しまいにはその木によじのぼろうとしはじめる。どうしていいかわからないので、とりあえずからだを動かしているのだ。そしてときおりかなり近くまで寄ってきて、じっとこちらの顔を見る。彼は、自分がなぜ目の前の人間の顔をじっとみているのか、その理由がわからないのだ。ロビン、それはな、おまえが生まれて数週間足らずの頃、まだ母親のクロのお乳を吸っていた時、おまえの鼻先にはじめて餌をあげたのが私だからだよ。おまえは生け垣とフェンスの向こうからじっとこちらの目を見ていた。目の前に枯れ枝をもってくると、小さな右手でそれをつかまえようとした。まだ固形食はむりかなと思って、小さく痩せたその体の前に乾燥したキャットフードを置くと、おまえは「かりかり、ぽりぽり」という小気味のいい音をたててその餌を食べた。去年の11月頃のことだったろうか。それははじめて自分の口で食べたキャットフードであり、人間の手から餌をもらった最初の経験だったんだ。そして、その時、必死に餌をかみ砕くおまえは、その初めての味とともに、その餌の向こうにある顔を網膜に焼きつけたはずだ。それが今おまえの目の前にある顔なんだ。それをおまえの脳はちゃんと記憶している。だから、自分でも理由がわからないまま、私の顔から目をそらすことができないんだ。おまえの動作の背後にはそういうストーリーがあるんだよ。おまえはそんなこととっくの昔に忘れてしまったろうけれど。私は「刷り込み」のことを思う。生後はじめて目の前で動くものを自分の親と認識するimprintingのことである。まあ、ロビンのケースは厳密には刷り込みとはいわないが、軽い「刷り込み」に近い現象ではある。人間にももちろん刷り込みはある。本能的なそれはずいぶん衰えただろうが、二次本能としての社会的、伝統的、文化的な刷り込みの下でわれわれは社会生活を営んでいる。この文化的、社会的刷り込みに対するある種の恐怖感が、この国には浸透しているように思える。たしかに先の戦争で痛い目にあったということがあるだろう。特に戦時中に幼少期を過ごし、戦後に価値の一大転換を経験した世代にとって「二度と刷り込みはされたくない」という意識が生じたとしても誰もそれを責めることはできない。彼らはなによりも自由を求め、制約を嫌った。自意識以前に何事かを刷り込まれることを怖れ、自発性を重んじた。その世代が子どもをもうけ、その子どもがまた子どもをもうけ、その子どもがもうじきお年頃になる。今はそういう時代である。詰め込みはよくない、子どもの自発性を重んじよ、暗唱などという手段は極力避けるべきである。そういう教育がもたらしたのは、しかし、自由というよりもむしろ「空白」だった。なにもない「ブランク」だった。これをして自由な空間ということはもちろん可能だろう。しかし、空白は人をどこにも連れていかない。もしも「刷り込み」から自由になりたいと思うのであれば、いったんはその洗礼を受け、そこを起点として自らの刷り込みを相対化し、それを乗り越えるしか方法はなかったと私は思う。しかし、そういう選択肢はついに選ばれなかった。人々は、刷り込まれることを極端に怖れ、その結果として、きわめて刷り込まれやすい体質を自ら作ってしまった。歴史は軽んじられ、古典の暗唱は避けられ、伝統は無視され、儀式は損なわれ、作法は無視された。そして、まっさらで「自由な」脳みそだけが残った。生物はなぜ「刷り込み」という生存戦略を選択したのか。それは「とりあえず生きるため」である。少々のミスは承知の上で、とりあえず目の前に動いているモノを保護者と認識する。その庇護を期待する。力のないものが生き延びるためにはそうするしかない。自発性などというものが生まれるのは、とりあえず生き延びた、そのずっと後のことなのだ。判断や、理屈や、批判などというものは、そのまたずっと後に生まれるものだ。とりあえず生きねばならない。理屈は後で考えよう。刷り込みされた内容の批判、分析、検討は後回しだ。大事なのはとりあえず生きることだ。それではいけない。誰かがそう思ったのだろう。それでは人間的な生き方とはいえない。まず考えるんだ。子どもにとって理想的な環境で、束縛や制約を極力なくし、自由と自発性を尊重し、のびのびと育てる。そうすれば、情操の豊かなすばらしい子どもたちが育つだろう、と。そして、刷り込みから自由な、まっしろなあたまをもった、自由と自発性に満ちあふれた人々が、この社会を覆うようになった。それが今の時代である。その実状はごらんの通りである。ひとつだけ確かなことは、人々がそれらの代償として「とりあえず生きる」というたくましさと活力を失ったことだろう。ロビン、おまえもいつかは人間に手ひどい目にあわされ、人間の敵意と反感と暴力に直面し、生まれた直後に刷り込まれた人間への親和性をうらみに思う時がくるかもしれない。人間に近づいたばかりに傷つけられ、損なわれ、苦渋をなめる時が訪れるかもしれない。その時には、ロビン、頭にこびりついたその忌むべき刷り込みをかなぐり捨てるんだ。そして、牙をむき、爪を出し、毛を逆立て、その人間と戦うんだ。たとえそれが私であったとしてもだ。その時にそなえて、私はおまえに勇猛果敢な伝説的な森の英雄の名前をつけたのだ。ふと気づくとロビンは目の前からいなくなっていた。おそらく軒下の自分のねぐらに戻ったのだろう。無理もない。彼には「とにかく生きる」という大切な目的があるのだから。
2006.02.21
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ある人の人間性を知るためには、その人の好きなものを知ればいいか、それともその人の嫌いなものを知ればいいか、これはなかなか微妙な問題である。しかし、生徒に文章を書かせる時のテーマとして、たとえば「私の好きなことば」と「私の嫌いなことば」のどちらの方がより面白い文章を生み出すかというと、これはもう圧倒的に後者である。それは経験的にはっきりしている。おそらくは「好きなもの」を通して現れるその人の人柄には、やや漠然としたふくらみがあり、その輪郭はにじんでぼやけている。そこには理想や希望という名のやわらかいもやをまとった形で、その人の姿が描き出される。しかし、「嫌いなもの」を通して現れる人柄は、しばしば鋭角的で鋭く、輪郭線はくっきりと鮮明である。そして、嫌いなものというのは、多くの場合、きわめて個別的である。ゴキブリが嫌いという場合、何を嫌っているのかを一般的に説明するのはなかなかむずかしい。「黒光りする、固い表皮におおわれた、ごそごそはい回る虫」と一般化したところで、かぶと虫やくわがたはぜんぜん平気という人も珍しくない。嫌いなものはただそのものが個別的に嫌いなのだ。人の好き嫌いにもそれはいえる。その多くは、理由を一般的に説明することはできないのだが、「とにかく嫌いなものは嫌い、嫌なものは嫌」なのである。それでもなおかつ、自分の嫌いなものを一般化して説明しようと試みてみる。うーん、なかなかむずかしいが、一言で言うと、私は「なめている」ものが嫌いである。この場合の「なめている」とは、「てめー、なめんなよ」という場合の「なめている」である。もう少し正確にいうと、より上位に位置し、より力の強いものが、より下位にあり、より力の弱いものを「なめている」場合、その上位に位置するものの姿勢がとにかく大嫌いである。生徒をなめている教師、従業員をなめている経営者、読者をなめている新聞記者、聴き手をなめているミュージシャン、子供をなめている大人。みんな嫌いである。不思議なことに、この関係を逆転させて、教師をなめている生徒、経営者をなめている従業員、新聞記者をなめている読者、ミュージシャンをなめている聴き手、大人をなめている子供。これらにはぜんぜん不快感を感じない。というか、そのほとんどは現在か、過去の自分にあてはまるような気がする。嫌悪感よりもむしろ親近感を抱いてしまう。それもまた人間的にどうかとは思うけれども。強い者が弱い者をなめていることに対する感情は、「怒り」というようにきちんと整理されたものではないように思う。「嫌悪感」ということばでも、なんだかまだ整理されすぎているように感じる。もっと生理的なむかむかした感じ、ことばになる以前の吐き気を催すようないやな感じ。そういう気持ちだ。先日、英軍の兵士がイラクで子供に暴行を加える映像がテレビで流されたが、あれなども背中越しに撮影者の声を聞くだけで、吐き気がするような嫌な感じを味わった。むなくそが悪くなる、というしかないような生理的な不快感であり、嫌悪感だ。ここで話は大学時代に飛ぶ。アルバイトをしながら自活していたこともあり、当時、私は貧乏であり、かつ毎日酒を飲みたいという切実な欲求をもっていた。この二つの前提条件から導き出される結論は一つである。「安酒をあおる」。それしかない。他の選択肢は考えられない。ビールや日本酒では高すぎる。より少量で効率よく酔うためには安い洋酒というところが相場だろう。当時は舶来の洋酒は高級品であり、とても手が出ない。いきおい国産の洋酒の安物ということになり、選択肢は限られてくる。思いっきり貧乏くさく「トリス」でいくか、「赤」という名の洋酒を選ぶか、「黒」という名の髭ラベルの洋酒かということになる。三通りの選択肢のうち、一つを選ぶという、かなり限られた世界である。友人のうちに遊びにいくと、たいていそこには「赤」という名の酒があった。私も高校時代、それを一本半空けて、前後不覚に陥ったことがある。それ以来しばらく飲んでいなかったが、友人宅でそれを飲む機会があった。口に一口含んで、それを飲み干す。びりっという刺激感があって、のどを通り過ぎるときにもいやな抵抗感があって、あとくちも悪い。「まずい」と思ったが、どうもそれだけではない。なんだか飲んでいるととても不快な気分になってくる。これはなんだろうと思った。そう思いながら杯を重ねていくと(重ねるなよ)、あることに思い至った。これは私の嫌悪感を察知するセンサーの一番敏感な部分を刺激しているのである。それは何か。この酒は「なめている」のである。なにをなめているのか。「安酒しか飲めない貧乏な酒呑みを見下し、なめている」、そういう味だと私は思った。「おまえら、びんぼーにんはよお、この程度の酒のんでりゃいいんだよ。それで十分、おまえらは。もうすこしまともな酒呑みたかったら、もう少し高い金出して、それ相応の酒を買いな。ちゃーんとそういう酒も造ってるからよ、うちでは。とにかくあんたらは酔えればそれでいいわけだろ。味なんかどうでもいいし、だいいちそんなもん、あんたらにはわかりゃしないしな。アルコールが入って、酔えさえすれば、それでいいんだ。カラメルが入ってようが、着色料が入ってようが、そんなこたあどうでもいいんだろ。これはそういう酒なんだよ。そういう酒。気に入らなきゃ、飲まなきゃいいんだよ、こんな酒」その当時、まだ若かった私の鋭敏な舌(ほんとかね)は、その酒を口に含んだ瞬間、以上のメッセージを瞬時に読みとったのである。私は、その時、その酒と、その酒を造っているメーカーの酒を今後飲まないことにしようと心に誓った。なぜならそのメーカーは貧乏な酒呑みを「なめている」からである。しかし、そのメーカーのアルコール飲料の市場占有率はかなり高く、それからもいろんな場所で選択の余地なく、しばしばそこの酒を口にする機会があった。しかし、それらは例外なくまずかった。しかも、相変わらず「なめた」味だった。知識人、文学者をCMに起用し、芸術活動に投資し、活発な文化活動を行い、コンサートホールを建設し、華麗なイメージを創出しながら、それにもかかわらず(というか、その宣伝費の分を酒の製造過程から削り取ったあげく)そこの酒は劣悪で、「なめた」味がした。そこには「なめた」匂いがふんぷんと漂っていた。一日肉体労働して疲れ果て、わずかばかりの日当の入った紙袋を手に、古い革のかばんのようにあちこちすり切れたおやじたちが、ふらふらと酒屋に入って買っていく酒。職場で怒鳴られ、家族にうとんじられ、ため息とともに懐から取り出して、キャップに入れ、くいっと一口であおる酒。けっして高級でなくてもいい、うまい必要すらない。でも、売値に見合った材料と製法できちんと作り上げ、彼らにひとときの慰安をもたらす酒がなぜ作れないのか。巨大な資本を持ち、巨額の文化事業を行い、海外にまでマーケットを広げている会社が、なぜ自分の国のもっとも貧しい労働者の心を癒すような良心的な酒を造らず、いつまでも「なめた」安酒を作り続けているのか。私は胸がむかむかした。この苛立ちを静めようとして、思わず「赤」の酒に手を伸ばそうとして思いとどまり、その隣にある「黒髭」の酒を買って飲んだ。それからそのメーカーの酒は極力飲まないようにした。今日に至るまでそうである。でも私は知っている。あそこの酒も、おそらくはあの「赤」の酒も、市場の他の酒に合わせて人知れず少しずつ改良され、おそらくあの当時よりはずっとうまくなっているだろうことを。ちょうどその頃、べたべたでおちょこに入れて飲もうとするとちゃぶ台ごと持ち上がってしまいそうなべた甘の劣悪な日本酒を作っていた大手酒造メーカーの酒がいつのまにかそこそこの味になっているように。でも、たとえそうであったとしても、あの頃のことを私は忘れない。忘れるわけにはいかないのだ。これは単なる私憤ではなく(いや、私憤であると同時に)公憤でもあるのだ。あの後、飲み屋に入って「当店は○○○○○のビールしか扱っておりません」といわれて、何も注文せず、そのまますっと席を立って帰ったこともある。何十年前のことであろうと、私はあの「なめた」味を忘れることはできないのだ。そのメーカーが悔い改める道は「ひととおり」しかない。それは一日疲れて働いてうちに帰り、泥のようになったくたびれたおやじにひとときのやすらぎを与える良心的な「安酒」を作ること。それだけである。大企業であり、大広告主であることをいいことに、マスコミでもけっして批判されないことを頼みとして、いいかげんな安酒を作り、それを気の利いたコマーシャルに載せて貧乏人に売り飛ばすことをやめること。ただ、それだけである。もう一度いおう。悔い改める道はたった「ひととおり」しかない。それは貧乏大学生の頃の安酒の選択肢のように「さんとおり」はないのだ。それは「さんとおり」ではない。私のいいたいのはそれだけだ。
2006.02.20
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凶悪な少年犯罪や動機不明の重大犯罪が起きると、常套句のように「心の闇」ということばが使われ、新聞に心理学者、精神分析学者のコメントが掲載される。実に不思議なことだと思う。まず「心の闇」ということばの用法だが、そのほとんどが他者の心に向かって使われている。「あんなわけのわからない犯罪を引き起こす人間のこころの中にはさぞやおぞましい闇が広がっているのであろう」という思い込みの下にこの表現は用いられている。少なくとも自分自身のこころの深部を覗き込もうとする内省や省察がこのことばから感じられることはない。「私のこころの中は一点の曇りもないクリアな世界なんだけど、とんでもない奴らのこころのなかにだけ精神の暗部が存在しており、それを『心の闇』と呼ぶことにしよう」「そうしましょ、そうしましょ」という合意が暗黙のうちにマスコミ各社の間でなされているように思える。人間の精神や心の領域を考える時に、忘れてならないことは、それを「だれもがもっている」というきわめて単純な事実である。そして、原則としてそれがきわめてパーソナルなものであり、「ひざらし」に出来ない「なまもの」だということを忘れることがあってはならない。精神の深部に降りていく階段は、そのこころをもつ人間の体の幅に見合うだけの広さしかそなえていない。それは細い縄ばしごのようなものなのである。縄ばしごを二人同時に降りることができないように、心の探索はその所有者が(所有者ということばにはかなり問題があるが、それはいまはおいておこう)自分自身で降りていくしかないものなのだ。だから、過去の偉大な心理学者や精神分析家も、まずは自らの心の中に降りていき、そこで徹底的な分析作業を行い、個人的な要素を慎重にカウントに入れ、きわめて限定的な形で慎重に人間心理を一般化、普遍化する試みを行ってきた。そこではなによりも「安易な一般化」が避けられてきた(はずである)。それはこころがきわめて個人的な「なまもの」であるという性質が要求する慎重さなのだ。そう考えると、新聞に簡単便利なコメントを寄せる心理学者や精神分析家がただの一人の例外もなく、信頼に値する人間ではないということは明らかなはずである。彼らは事件の詳細を知らず、当事者の性格、心理を知らず、過去の履歴を知らず、具体的な状況を知らない。これでいったい個別的であるべき心理の何がわかるというのだろう。心の奥に投げ入れられた縄ばしごがいかに細く、頼りなく、切れやすいものであるかを知っている人間が、こんなに明らかな「一般化の誤り」をおかすものだろうか。細々とした縄ばしごに「安易な一般論」という重りをぶらさげて、人を奈落の底へ突き落とすような無謀な行為をするものだろうか。私にはそうは思えない。私は以前、河合隼雄氏の公開講座に通っていたことがあるが、河合氏は「なんやわけわからん事件が起こると、それっいうてあちこちの新聞社から電話がぎょーさんかかってきて、コメント求められたりしますけど、そんなんいわんことにしてます。だって、よー、わかりませんもん、わたしには。そんなもんわかるわけありませんがな。そうおもいませんか。」と言われていた。そんなもんわかるわけありまへんがな。私もそう思う。そもそも心理のことを心理学者に聞くことを自明と考えていること自体がおかしい。これは文学と比べてみるとよくわかる。文学もまたきわめて個人的なものであり、文学的感性や感受性(ことばが固すぎるけれども、要するに「おはなしを読んだり聞いたりしてこころが動かされること」というくらいの意味です)も万人に等しく与えられているものである。文学作品なんて読めばわかるし、そのわかり方は人それぞれ、千差万別である。そんなことは人にいわれるまでもないと多くの人は思うだろう。芥川賞発表の日に、どこの新聞社が大学の文学部の教授にその作品の意味の説明を求めにいくだろうか。「そんな見当はずれのところにいくわけないじゃないか」と賢明なるマスコミ関係者の方は口をそろえていわれるだろう。「文学などという内的で個人的なものをアカデミックに分析、研究して、自己満足に浸っているような人間に文学の本質などわかるわけがない。その意味が知りたかったら、自分で作品を読んでみるさ」。そういわれることだろう。では、ひるがえって心理に関してはどうなのだろう。「心理などという内的で個人的なものをアカデミックに分析、研究して、自己満足に浸っているような人間に、貴重なコメントをいただかないと、事の真実が明らかにならない」と彼らが判断する根拠が私にはどうしてもわからない。どなたかおわかりの方がおられたらご教示いただけないだろうか。
2006.02.19
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ペダンティックということばがある。日本語に訳すと衒学的ということになる。しかし、ペダンティック、衒学的ということば自体が、なぜかペダンティックで衒学的である。なぜこういうことになるのか。このことばはあまり一般的ではない。「えっと、聞いたことあるんだけど、それってどういう意味だっけ」と思われているあなた、あなたには罪はありません。おそらくはそう思わせるために巧妙に仕組まれた罠がこのふたつのことばなんですから、そんなものぜんぜん気にしなくていいですよ。「デリダがいうように」「ヴィトゲンシュタインはこういっている」「ヤスパースもつとに指摘しているように」というような言い回しで相手を煙に巻く話し方をする手合いに対して使われることばが「ペダンティック」であり、「衒学的」である。「知ったかぶり」と訳すと、ちょっとお人好しな印象を与えて、対象の「いやーな」感じを的確に表現できない。広辞苑では「学者ぶるさま。知ったかぶり。」と書いてあるが、これは明らかに誤っている。これでは学者さまにはペダンティックな人間がいないみたいではないか。おそらくはもっともこの種の人間が多く棲息する領域をあらかじめ除外してしまってはいけない。こういう時には在野の空気を漂わせている辞書を引いてみよう。やはり三省堂の新明解国語辞典だろうか。「何かにつけて学識の有ることをひけらかすような言動をする様子。衒学的。」うん、こちらの方が一歩対象に接近している手ごたえがある。岩波くんはちょっと学者に甘すぎるよ。こんなこと書いてると、「あ、ぼくちゃん、ペダンティックじゃないんだ。わーい」といって宮台真司氏が誤解してしまうじゃないか。あ、しまった。これでは「言葉は時に感情的で」になってしまう。宮台さんごめんなさい。なにはともあれ、ペダンティック、ないしは衒学的ということばのイメージは新明解でだいたいつかむことができる。「う~ん、ぼくちゃんはね、あんなえらい人の本も、こんなえらい人の本も、ちゃーんと読んで、おまけにわかっちゃってるんだよ。だからさ、あんたみたいにあんなえらい人の本も、こんなえらい人の本も、ろくに読んでない人とはさ、レベルがちがうわけ、レベルが。わかる?だからさ、その証拠にさ、あんなえらい人と、こんなえらい人のおことばをさ、ぼくちゃんはちゃんとそらんじることができるわけ。わかった?この時点で勝負あったってわけ。だからさ、きみはさ、きいたふうな口たたかないでさ、ぼくちゃんの前にひれ伏せば、それでいいわけよ。どぅゆうあんだすたん?」やや冗長になってしまったが、これが「ペダンティック(衒学的)」の語義である。英語世界でこのことばがはたして日常語として頻繁に使用されているのかどうか、私にはよくわからない。(どなたかご存知だったら教えてください)でも、日本語ではカタカナ語でいおうが、漢語でいおうが、すくなくとも耳で聞いただけでは語義がとらえられないことばである。しかし、日本の知識人の書いた文章のほぼ七割以上は、この形容語を冠する必要のある文章である。「またかよ」というくらい頻繁に使う必要のあることばが、なぜこれほどレアな響きを帯びているのか。これは考えるととても不思議な現象である。ここにはやはり作為を感じざるをえない。「おっと、これはぼくちゃんにはイタイことばだな。ふーん、こんなことばがあるんだ。でも一般人にこんなことば教えちゃうと、ぼくちゃんみたいな良心的知識人に向かって、ばしばし使われそうだから、こんなことばは一般ピープルが使えないように、ちょっと頑丈なコーティングで包んでおかないと、あぶないよね。くわばら、くわばら。(ふるい)」ということで、いまだに「ペダンティック(衒学的)」ということになっているのではなかろうか。そして、ペダンティスト(こんなことばあるのかなあ)の生まれてくる土壌は、実ははっきりしている。それは「引用」を培養土として生まれてくるのである。引用とは、剽窃を犯さないための倫理的、道徳的装置といえる。私のこれから述べようとすることは100%自分のオリジナルな意見ではなく、実は先人の知見にその多くを負っている。それを読む人に知らせないのはアンフェアな態度である。だから、そこのとこをはっきりさせるために、私は正直に先人のことばをここに明らかにしておくのである。これが「引用」の思想である。基本的にこの考え方は正しいと思う。Aはこういっている。Bはこういっている。先人の業績を公明正大に衆目の前に明らかにする。これはとても大事なことである。しかし、その後に必要な接続詞は逆接の接続詞でなくてはならない。「だけどね、ぼくは思うんだけど」、この構文を使う時に、引用は本来の意味をもつものとして存在する。でも、ペダンティストはここで順接の接続詞を使う。「Aはこういっている。Bはこういっている。だから、ぼくはこうおもうわけ。そしてその正しさは順接の接続詞を使ったことで明らかなように、AとBが保証してくれてるわけ」これが忌むべきペダンティストの発話パターンである。こういう手合いに対してどう接するかというと、ここは伝統知で対抗するのが正解ではないかと私は思う。あなたの取ろうとしているポジショニングは古来から多くの人間が取ってきたスタイルである。だから、そのポジショニングに対しては、すでに古人のいいならわしてきた的確な評言が存在している。古人はそれをこう言い表してきた。「他人のふんどしで相撲をとるな」と。「ふんどし?なんですかー、それ」ってか。新明解を引きやがれ。そこにはこうある。「ふんどし=男子の陰部をおおうための細長い布」(う~ん、的確な語義だ)、「他人のふんどしですもうをとる=他人のものをうまく借用したり、そのやる事に便乗したりして、自分の利益をはかる」。どうだ、わかったか、ばーろーめ。「それのどこがいけないんですか?」ってか。いったいどこまであたまがくさってんだよ、てめえは。えー。「先賢のことばを借用し、それを利用するのはけっして悪いことではないのではないですか。それはむしろ自分の卑小さを十分に認識した上で行われる謙虚な行いではないですか」だと、このおおばかやろうー。だからいんてりはきらいなんだよ。おれは。そんなあたりめえのこともわからないで、よく学者さんやってられるもんだな。あきれちまうよ、ふんとに。あのなー、他人のふんどしでなー、すもうとってるとなー、たしかに勝つこともあるかもしれねーよ。なんどかはよ。だけどさ、問題はそのあとにあるんだよ。「どんな問題がありますか?」だと。そんなもん人にたずねなきゃわかんないのかよ。ほんっとになさけねーやつだな。おめーは。そんなもんわかりきってるじゃねーか。他人のふんどしで相撲とってるとなー、他人のいんきんがうつっちまうんだよー。わかったかい、べらぼーめ。なにー、「いんきんってなんですか?」ってか。あのねー、宮台くん、わたしがいってるのはね、他人のふんどしですもうとってると、股間が赤くただれちゃうってことなの。わかった?自分がペダンティックだってことを「ペダンティック」なんてこむずかしいことばでコーティングしちゃうと、しまいには股間が赤くただれて、自分のあんよで歩けなくなっちまうよってことをおいらはいってるわけ。歩けないばかりか、自分の生命の源を深刻に損ない、そればかりか、その菌を他人にばらまいて、とんでもない事態をひきおこしちまうぞってことをいいたいわけ。わかる?やっとわかったみたいだな。わかりゃいいんだよ、わかりゃあ。だからよ、もしわかったんだったらよー、明日洗いざらしの自前のさらしをぴしっと締めてまたあそびにきな。そしたらまた相手してやっからよー。あーつかれた。こちとらどなりすぎてのどががらがらだよ。おー、またあしたきな。まっててやるよ。じゃあな。またな。
2006.02.17
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「ただいまー」「おかえりー」「あっ、ジュンちゃん来てたんだ」「ひさしぶりだね、沙羅。今日はお母さんにちょっとお話があって来たんだ。」「お話終わったの」「いや、まだ。それより沙羅、今日学校で何ならったんだい」「えっとねえ、今日は国語があってね、作文書いたの」「へー、作文か。沙羅は国語は得意なの」「うん、けっこう好き。でも作文はめんどくさくってあんまり好きじゃない。」「そっか」「ジュンちゃんは小説書いてるから、子供のころ作文は得意だったんでしょ」「うううん。ぜんぜん。へたくそだった。自分ではなにも書きたいことないし、先生が何を書いてほしいかもわからないし。考えてるとだんだん息が苦しくなって、汗がだらだら出てきて、あと5分って時にてきとうなこと書いていつもごまかしてた」「そう。沙羅も作文はあんまり好きじゃない」「今日はどんな作文書いたんだい」「えっとねえ、先生が黒板に『もしも○○がなかったら』って書いてね。何でもいいからこの○○にことばをいれて、それをタイトルにして好きなことを書きなさいっていったんだ。○○に入れることばはなんでもいい。字数も自由でいいよって」「ほー、それで沙羅はどんなことばをそこに入れたの」「最初はねえ、『わたし』って入れたんだ」「ほう、『もしもわたしがなかったら』か。わるくないねー。それで」「『もしもわたしがなかったら、わたしはわたしじゃないほかのだれかだったと思います。おわり。』ってかいたの」「おや、いきなりおわっちゃうのか。ずいぶんはやいね。」「うん、せんせいもおんなじこというの。そして沙羅ちゃん、まだ時間はいっぱいあるし、お友達もいっしょうけんめい書いてるから、もうひとつ書いたらっていったの」「うん、それで」「それで『もしもおわりがなかったら』って書いたの。」「ほお、なかなかおもしろそうだね。それで?」「『なにもはじまりません。おわり』って書いたの」「沙羅の作文はいつもすぐおわっちゃうんだね」「うん、先生もそういうの。それでもうひとつ書いてみたらどうだろうっていうの。だから沙羅今度は「もしも『もうひとつ書いてみたらどうだろう』がなかったら」って書いたの」「『わたしはなにも書きません。おわり。』って書いたんだろう」「うわー、すごい。ジュンちゃんなんでわかるの。そのとおりだよ。」「すると先生はむっとしてあっちにいっちゃった」「そうだよ、ジュンちゃんどっかでみてたのー。」「いいや、なんだかそんな気がしただけ」「そうなんだー。それでさ、沙羅、先生になにか悪いことしたみたいな気がしたもんだから、原稿用紙の次の行に『もしも先生があっちに行かなかったら』って書いたの。」「私はまだ作文を書かなきゃいけない」「そう、ジュンちゃん、その通り。小説家ってすごいんだねー。私が何書いたかみんなわかっちゃうんだ」「いや、そういうわけでもない。自分の好きな人のことはわかるけど、きらいな人のことはぜんぜんわかんないんだ」「へー、そうなんだ。でもジュンちゃんだったら、この後何を書く?。私はそこでチャイムが鳴っちゃったからその後は書けなかったんだけど。」「うーん、そうだな。『もしも先生があっちに行かなかったら、私はまだ作文を書かなきゃいけない。でも先生はあっちにいっちゃった。だから私は作文を書かなくてもいい。でもそう思ったら、なんだか少し作文を書きたくなってきた。もしも『書かなきゃいけない』がなかったら、わたしは作文を書くかもしれない。そしてその作文をどっかのだれかが読んでくれたら私はうれしいかもしれない。もしもその人が「おもしろいね」っていってくれたら、わたしはますますうれしくなっちゃって、ますますいっぱい書くかもしれない。するとますます多くの人が私の作文読んでくれて、いろんな感想を書いてくれるかもしれない。そしたらますますたのしくなっちゃうかもしれない。そしてますます作文書くのたのしくなってきたら、先生がもどってきて、たのしそうなわたしを見て、「あ、あんなにたのしそうなら、わたしもちょっと書いてみようかな」って思うかもしれない。そして先生がいっしょうけんめい作文を書き出したら、先生は先生じゃなくなっちゃうかもしれない。そうして先生が先生じゃなくなっちゃったら、わたしたち前よりもずっとなかよしになれるかもしれない。そしてふたりでおたがいに作文を見せっこして、「あっ、ここいいね」とか「あっ、ここってこんなふうにもかけるんじゃない」とかいいあって、ますますたのしくなっちゃうかもしれない。そして、ふとおたがいに顔を見合わせて、しばらくじっと見つめ合って、「ぷっ」って吹きだしちゃうかもしれない。そして、ふたりで原稿用紙に同じことを書くかもしれない。「もしも、この『もしも』がもしもじゃなかったら、どんなにたのしいだろうに」って。そして、お互いにその原稿用紙をとりかえっこして、ふたりともうちにもってかえるんだ。そして、ふたりとも黙ってそのつづきをおうちで書き続けるんだ。』「ふううん」「どう、沙羅、この新聞の広告のうらにふたりで作文書いてみようか」「うん、いいよ。」そういって二人は沙羅の筆箱の鉛筆を手にとり、パチンコ屋のオーブンのちらしの裏にそれぞれ作文を書き始めました。「もしもジュンちゃんがわたしのおとうさんだったら」「もしも沙羅が私の娘だったら」沙羅はジュンちゃんが作文を書いている姿をじっと見つめました。そして筆箱から消しゴムをとりだして、いま書いた一行をごしごしと消し始めました。「沙羅、なんて書いたんだい」「しっぱいしちゃった。ジュンちゃんはなんて書いたの」「僕もしっぱいしちゃった。ちょっと消しゴム貸して。」沙羅はジュンちゃんの書きかけの紙をぱっと取り上げようとしました。でもジュンちゃんはその紙を手にとってくしゃくしゃっと丸めてゴミ箱にぽいっとほうりなげてしまいました。「もしもふたりがもうすこしすなおだったら」ふたりは同じことばをこころのなかの原稿用紙にそっと書きつけました。
2006.02.16
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「すぎない」って知ってますか。えっ、知らない。あの身長190センチ、左腕、不世出のサブマリンピッチャーといわれながら、19才で夭折した伝説の天才投手をごぞんじない。それは残念。って、今のは大嘘です。そんな人はいません(たぶん)。私のいっている「すぎない」は、「~にすぎない」の「すぎない」です。このことばづかいに高校生の頃、妙に引っかかったことを今日帰りの電車の中で突然思い出しました。なにが引っかかったかというと、たとえばこういう文章を読んだんです。「この広大無辺な宇宙空間を前にすると、私は自分がまるでけしつぶのような小さくあわれな存在にすぎないことを知り、しばし茫然とするのである。」思いつきで書いたんで、文章はひどいものですが、書いてある内容そのものはそれほど変じゃありませんよね。でも、高校生の私は、この「すぎない」にすごく引っかかったんです。その頃、私は星をみたり、宇宙の本を読んだりするのが好きでした。おそらくは高校の地学の先生の影響が強かったと思います。満州生まれで、東大地球物理学科卒。一見なよっとして見えるけれども、けっこう骨太で、職員室でも明らかに「浮いて」いたあの先生の影響を私は受けていたと思います。その頃、私は勉強を完全に放棄していました。自分の好きな本だけを読み、授業中も本を読み、帰っても一切机の前には座らず、音楽を聴くか、好きな本を読むか、そういう毎日を過ごしていました。公立のけっこう有名な進学校でしたが、入った時が成績のピーク。おそらく20番くらいだったと思いますが、あっという間に200番台へ、さらにそこから下降しつづけていた頃のことです。中間試験がありました。結果は悲惨なものです。地学などという科目は教科書を開いたこともありません。おまけにその先生の試験は記号や空欄問題はいっさいなし。すべてが記述式で、ぽつんと問題が書かれ、その後はぽっかりとブランクが空いている。そういう試験でした。みんなはそのむずかしさにおそれをなしたものです。その試験の採点が終わり、答案が返却されました。教科書も開いたことのない私にその問題が解けるはずもありません。私は欠点を覚悟しました。30点くらいかな。正直そう思いました。しかし、返ってきた答案を見て、私は驚きました。なんと78点だったのです。これはなにかのまちがいだ。私はじっと自分の答案用紙を見つめました。すると先生はこういったのです。「○○、自分の答案を声を出して読んでみろ」。私はいやでした。だって、中味はでたらめなんですから。「白色矮星の特徴について略述せよ」「HR図とはなにか」「恒星の誕生から衰退までの軌跡を述べよ」。こういう問題に、私は口からでまかせの文章を書きなぐっていたんです。でも、読めといわれたからにはしかたありません。私は開き直って自分の答案を声に出して読み始めました。クラスのみんなは静かにそれを聞いています。やがてクラスでトップの成績のA君が「先生、○○の答えは教科書の説明とまるで違います。その答えはぜんぜん間違っています」といいました。他のみんなも静かにその発言に同意しました。もちろん私も。だって、それは正真正銘でたらめな答案だったんですから。すると先生はこういいました。「いったいおまえらはなにをきいとるんだ。いまの○○の文章を聞いたか。実にすばらしい文章じゃないか。そうは思わんか。この高校も昔は文章を書ける人間がたくさんいたもんだが、いまはどうだ。勉強はできるかもしれんが、ろくに人に読ませるだけの文章を書けるやつなどおらん。実になげかわしい。○○の文章はたしかに内容はでたらめだ。話にならん。しかし、文章はいい。俺はそう思うぞ。だから78点をつけた。文句のあるやつはおるか」先生はそういった。教室中がしーんと静まった。私はいたたまれない気持ちになったが、心の中で深く感動していた。なんのために生きているのかわからないで鬱屈した毎日を送っていた頃だけに、そのことばが胸に沁みた。それから急に地学が好きになった。馬頭星雲の写真集を図書館で借りて、それをうっとりと眺めたりした。白黒で解像度の低い写真が多かったけれども、宇宙空間の写真を見ていると、なぜか心がゆったりと解放されるのを感じた。気分が安らいだ。なぜそうなるのかはよくわからなかったけれど。そんなある日、「すぎない」に出会ったのだ。広大な宇宙を前にすると、われわれ人間はけしつぶみたいな存在に「すぎない」。その「すぎない」に。それはちがうだろう、と私は思った。なぜそれが「すぎない」なのだ。宇宙の広大さに比べると、たしかに人間は小さい。それはまぎれもない事実だ。でもどうしてそれが「すぎない」になるのだ。「宇宙の広大さに比べると、人間はけしつぶのような存在である」。それでいいではないか。人間が「小さな存在」であると認識するのはいい。それは事実だから。でもなぜその「小ささ」だけをとりあげて、「すぎない」ということばでくくろうとするのか。問題は「小ささ」ではなく、「存在」だろう。「存在」とは「ある」ことだ。人間はどんなに小さくともたしかに「存在」している。大事なのはそのことだ。それは「ない」ということとは決定的にちがう。人間は「ある」のだ。それがどんな状態で「ある」かというのは、大した問題ではない。たとえそれが大きかろうと小さかろうと、そんなことは大した問題ではない。大切なのは、自分が「存在」しているということなのだ。たしかに宇宙は無際限の広がりをもっている。その中に人間が占める空間はほとんどゼロに等しいほどの微少なものだろう。しかし、どんなに小さくても人間はたしかに存在している。このことのほうがずっと大事だ。自分はちっぽけではない。ただ世界が、宇宙が大きいだけなのだ。なぜそう思ってはいけないのか。私はそう思った。自分というけしつぶのような存在の回りに広がる広大な宇宙。それを知ることは私に無力感よりも、むしろ解放感を与えてくれた。私という存在がある。それはたしかだ。その存在が大きいか、小さいか、それはわからない。だって、それをとらえようとするのは私の意識なのだから。でも、その私の回りには気の遠くなるような宇宙の広がりがある。これはなんとすばらしいことだろう。私はとてつもなく大きなものに包まれて存在している。そういう大きなものを前にして、なぜ自分の小ささを嘆く必要があるのか。なぜ自分のまわりに広がる宇宙の大きさを讃えようとしないのか。私は正直そう思った。人間は「~にすぎない」存在などではない。人間はただ「存在」なのだ。それに中途半端な自己憐憫の形容詞をかぶせて感傷にふけるのはよしたほうがいい。自分の小ささを知ることは、世界の大きさを知ることであり、それはすばらしいことなのである。自分がどんなに小さく醜く哀れな存在であったとしても、その認識の向こうには大きく美しく崇高な宇宙の存在がある。小さな自分を嘆くのではなく、大きな宇宙を讃えるべきではないか。私はそう思った。だから私は「すぎない」くんは好きではない。友達になって彼と傷をなめあおうとは思わない。小さいことはすばらしいことだ。それは大きなものを感じとるゆたかな感受性にめぐまれているということだから。自分の小ささをいたずらに嘆くのではなく、その小ささが大きなものを感じとる力の源泉であることを正当に受けとめたい。そういう気持ちはあの頃から何も変わらない。だから残念ながら「すぎない」くんとは友達づきあいができそうにない。幼なじみの「すぎない」くんにはわるいとは思うのだけれど。
2006.02.15
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この短編集を読み始めてからしばらくの間、なんともすっきりしない感じを味わっていた。うまく表現できないのだが、どうも作者の疲労感というか疲弊が文章の背後からただよってくるのである。「地震」というこの本のコンセプト自体がひょっとすると、ある種の「しばり」となって、作者の想像力の翼の動きを制約し、自由な飛翔を妨げているのではないか。そういう印象をもった。これはあくまでも感覚的印象であり、具体的にどこがどうというのではない。単にこちらが疲れていたからそう見えただけの話かもしれない。しかし、『レキシントンの幽霊』に見られた、さまざまなアプローチを「楽しむ」姿勢が、この本にはあまり見られない、そう思ったのは事実である。「UFOが釧路に降りる」、「アイロンのある風景」、「神の子どもたちはみな踊る」の3作品の感想はおおよそそういうことになる。しかし、どの作品も導入部はすばらしい。地震のニュース映像を五日間見続け、突然家を出る主婦。海岸で流木のやぐらを組み、その焚き火を至上の楽しみとする男、そしてそれを見つめる若い男女。私生児として生まれ、幼時から神の子と言い聞かせられて育った男。いずれも「人間を超えたもの」との出会いがひとつのテーマとなっている。ただし、これらの作品においては結末がどうにもすっきりしない。村上作品特有の終結部のカタストロフが感じられない。あえて「アンチクライマックス」を意図しているのかもしれないが、結末に至っても火は大きく燃え上がらず、ぶすぶすと白い煙を立てながら、いつの間にか消えてしまう。そういう終わり方をするのである。これが冒頭の私の感想につながるわけだ。もっとも完成度の高い作品は「タイランド」だろう。ここでは作品世界は作者の手の中にすっぽりとここちよく収まっている。といっても予定調和の世界だとか、作者の計算の中で作品が完結しているとかいうのではない。そんな作品は少なくとも彼の書いたものにはひとつもない。ここでは筆がのびていて、そののびた筆の描き出す世界が当初の想定を超えながら、しかし、しっかりと落ちつくべき場所に着地している。それはけっして予定到着地ではないが、いざその地点に着地してみると、「なるほどそこがおちつきどころか」という感触を与える。とにかく構成がいい。さあ、これからだというところで「かえるくん、東京を救う」の登場である。「う~ん、面白い。とっても面白いですよ。かえるさん」「かえるくん」とかえるくんはまた指を立てて訂正した。解説不要の怪作である。でも、最後のところはやはりちょっとくすぶりかげんかな、という気はしますが。これが文芸誌に掲載された「連作 地震のあとで」の全貌である。これで一冊の本が編まれたとしたら、やはり私の読後感は少々くすぶり気味で、すこし「かたづかない」気分だっただろう。ここには何かが足りない気がする。分量的なものではない。あくまでも質的なものである。もうひとつ何かが足りない。そう思ったと思う。作者がはたして同じ気持ちを抱いたかどうか、それはわからない。でもこの短編集の最後には「蜂蜜パイ」という書き下ろしの作品が掲載されている。これがすばらしい作品なのである。私は彼の短篇では「螢」を好む。「午後の最後の芝生」も「中国行きのスロウ・ボート」もすばらしい。でも数ある短篇の傑作の中でもひょっとするとこの「蜂蜜パイ」は最高の作品ではないかと思う。唯一の欠点は「うまく書けすぎていること」くらいである。とにかく名作であり、名品である。これはできれば村上春樹嫌い、あるいは村上春樹食わず嫌いの方に是非一読をおすすめしたい。「むらかみはるき~?新作が出ると、紀伊国屋のいちばん目立つところに気分が悪くなるくらい平積みにされている、あの気色の悪い作家の本だと~。だれがよむか、あんなもん、こちとら死んだじいちゃんの遺言で、大衆迎合のベストセラーなんかこんりんざい読まねえことになってんだい。てやんでい、べらぼうめい」そう、あなた、あなたにいってるんですよ。そのお気持ちはよくわかります。それって、わずか一年半前の私の気持ちそのものですから。たしかに人間に好き嫌いはあります。大衆の好みはかならずしも上質でも良質でもない。それもよくわかります。またそれは事実でもあります。ただね、もしも私が一年半前に作家生活25周年記念と銘打って発売された講談社文庫大活字版の「ダンス・ダンス・ダンス」を手にとらなかったら、そして一ページ目の「よくいるかホテルの夢を見る。」という書き出しに吸いよせられて、4~5ページ立ち読みしなかったら、そしてその本を衝動買いして帰らなかったら、少なくともこのブログに書き込まれた文字の一字だって、この世には存在しなかったんです。それだけは確かです。もっともこんなブログが存在しなかったからといって世界にどんな変化が生じるわけでもないわけですが。とにかく彼の作品を一つだけ読んで、読むか読まないかを決めてもけっして損はない。私はそう思います。そしてその一作に何を選ぶかというと、私は「蜂蜜パイ」、この作品は最有力候補ではないかと考えます。そのくらいいいですよ、これは。まあ、多くを語る必要はないでしょう。ここにはむだなことばはひとつもなく、必要なことばはすべてある。そういう作品です。文章のスタイルは他の作品とは明らかにちがいます。これは気の弱い、野心の少ない、短編しか書かない、あまりぱっとしない小説家が主人公の話です。そして、その小説家を描く文章そのものが、実はこの小説家がいかにも用いそうな、昭和の匂いのただよう、日本の良心的な短編作家が用いそうなスタイルで描かれているのです。ノーマン・ロックウェルがパイプを加えて自分の自画像を描く自分自身を描いている絵がありますね。ご存じでしょうか。あの絵を思い浮かべてください。ある小説家の姿が、その小説家がいかにも用いそうな文章のスタイルで描き出される。これはそういう二重構造をもった作品なんです。でも、そんなことはどうでもよろしい。登場人物は男2人、女1人、子ども1人、および「とんきちくん&まさきちくん」ですが、そんなこともどうでもよろしい。私の読後の感想を一言で言えば、「あー、いますぐもういちど読みたいんだけど、もうすこしまってからにしよう。そっちのほうがより幸せが増すだろうから。でも、読みてー」というものでした。あほですね、はっきりいって。これでは小学生の感想文以下です。でもグルメ番組の頭の悪いレポーターみたいに「おいしーでーす。うん、おいしー、超おいしー」と連呼するしかないような作品もこの世には存在するのです。ごく少数だけど。そういう作品だと思います。日本の、昭和の、文人の、端正で清潔な文体に対するひそかなリスペクトがしみじみと感じられる作品です。そして村上春樹的終結のカタストロフ(というのはこの作品の場合、適切ではないかもしれないが)が存分に味わえる作品です。「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」のラスト、「ノルウェーの森」のラストが大好きで、まだ「蜂蜜パイ」を読んでおられない方がもしおられたとしたら、私はこういいたいと思います。「なんとしあわせなかただ、あなたは。これからあの作品に出会うしあわせをまだ人生に残しておられるとは」
2006.02.14
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「好き」ということばの反意語は「嫌い」というのが一般的常識だが、実は「無関心」と答えるのが正解ではないかと思う。「ねえ、同じクラスの安倍晋三くん(本名綿谷ノボル)、サトミのこと好きだってよ」という問いかけに対してはいくつかの返答が考えられる。A 「…………。」(無言)B 「ほんと!私も実は好きだったんだ」C 「えー、あんなやつ、だいっきらい」D 「え、安倍って誰だっけ」この二人の関係が今後いっそう進歩発展する可能性の高い順番に並べると、この順になるだろう。もっとも可能性が高いのはAである。好悪の感情が深くなると、しばしば言語化することが困難になる。ただし、この無言という言語表現はきわめて多義的であるので、「絶句」「唖然」「笑止」「黙殺」などのニュアンスが言語外情報として明らかに読みとれる場合にはその限りではない。それらを排除すれば、このケースは7~8割以上の確率でことが順調に運ぶのではないかと推察される。(数値はいずれも経験的推測値。客観的データにもとづくものではない)もちろんBも悪くはない。進展の可能性は5割から6割程度であろうか。しかし、なぜAをとらず、Bをとったか。この点に関しては慎重な検討を要する。「極端に他者迎合的な体質である」「基本的に否定辞を口にする決断力がない」「とりあえずしもべとなるべき男性の必要性を感じている」「人間の多様な会話パターンをインプットされた精巧なロボットである」などの可能性を考慮する必要がある。C。ここからが問題であるが、通常考えられるほどこの返答は絶望的なものではない。おそらくは1割強から2割程度の成功確率は存在するものと思われる。ただし、九州地方、より正確にいえば博多地区においては、このケースの成功確率はゼロであるので、地域性を考慮する慎重さはもちたいところだ。D。これはほとんどゼロに近い。要するにまるで関心がなく固体識別すらできないということである。同じクラスにいるという前提に立てば、関係進展の可能性は無に等しいと申し上げても過言ではない。なおCで触れた特定地域では、Dは「おとといきやがれ」という慣用句の同義表現と解釈されるので、ゼロ以下、すなわちマイナス的価値を示す表現と考えてよい。話がやや脇道にそれかけたが、要するに「好き」という感情の対極に位置するのは「嫌い」ではなく、「無関心」であるというのが、私の言いたかったことである。「嫌い」はある日反転して「好き」に変わる可能性をもつが、「無関心」が「好き」に変わることはほとんど考えられない。もちろん「無関心」というのは純粋に対象を知らない、認識していないということではなく、対象をそれと認識した上で「そんなもんにはなんの関心も興味もないのよ、あたいは」という心的状態を意味すると定義した上での話である。好悪の感情を示すメーターがあったとすると、「好き」はプラス方向への針の振れ、「嫌い」はマイナス方向への針の振れ、「無関心」はメーターそのものの停止状態を意味すると考えられる。振り子の原理により、プラスに大きく触れた針がその反動で大きくマイナスに傾くケース(このケースはあまりにも頻繁に観察されるので具体的事例を挙げるまでもない)は考えられるし、その逆も頻度はやや少ないものの想像することは可能だ。あまりにもあるものを「きらいだ、きらいだ」と思いつづけていると、そこに感情のエネルギーを注ぎすぎて、ある瞬間にすっと方向が転じて「すき」になるということが人間のこころの状態としては往々にしてありうるわけである。この点に関する認識をおろそかにしていると思わぬ事態を招く危険性がある。将来の進路を考える時にもこの省察は重要だ。かのフロイト先生の所説であったか、「人は子供の頃、絶対になりたくないと思っていた職業にしばしばついてしまうものである」という考えを何かで読んだことがあるが、これは人間心理の深い洞察にもとづく卓見であるといわねばならない。私がこどもの頃もっとも嫌悪し、忌避すべきであると考えた職業は教師であった。母親は小学校の教師だった。しかし、私を出産するために教師はすでにやめており、こどもの目から見ても彼女はきわめて高い人間性とわけへだてのないこどもへの愛情にあふれた人格の持ち主であり、私の教師への嫌悪感にはいささかも関与していない。問題は現実に自分が教わった教師、および親戚(父親の縁戚は父とその弟を除いてはほぼ全員教師であった。)の教師である。一言でいうと「根拠のない自信に満ちあふれた存在」「他人の迷惑に対する感受性が低く、自分の迷惑に対する感受性がきわめて高い人々」「自分の欠点を長所と錯覚し、他人の長所を欠点と錯覚する人々」といえようか。(だんだん一言では収まらなくなってきたな。いかん、いかん。冷静に、冷静に。)まあ、しかし、人間社会にとって教師という職業が一定の意義と必要性を認められるべき存在であることくらいは私にもわかる。ただし学校を卒業したら、とりあえずこの職業の人間とは極力接触しないように心がけよう。自分がその職業に就くなどということは想像することすらできない。私は学生時代そう思いつづけてきた。「教師にならない」などということは別にむずかしいことではない。まずは大学で教職課程をとらなければいいのだ。これは簡単。しかも教職に必要な授業というのは通常の授業が終わった遅い時間帯に始まることが多く、必修科目すらさぼりがちであった私が取ろうにも取ることのできない種類のものだった。これで不幸は避けられた。私はそう思った。大学3年生になって親の金銭的援助を断り、自活しようとした。なかなか殊勝なこころがけである。アルバイトで食費と家賃と学費をまかなおう。幸い大学は国立だし、当時は学費もかなり安かった(一年間で14万くらいだったかな)ので、ある程度バイトで稼げば自立は可能だ。住居は6畳一間のトイレなし日当たりなしで、家賃は1万五千円だ。しかし、アルバイトといっても何の経験も技術もない。やれそうなものを探すと結局、家庭教師か塾の教師ということになる。私は大家さんの息子を教えて家賃を免除され、当日の夕食も提供してもらうことになり、残りは日本のチベットといわれた足立区の町塾で教え、生活の糧を得ることにした。たしかにかすかに嫌な予感はしたのだが、まあ、これはあくまでもバイトであり、片手間であり、一時的なものだ。そんなに気にするほどのことではない。そう思った。大学を卒業し、怪しげな教育系出版社に就職。職種は営業である。ここでもできるだけ教師的なるものを避けるためあえて編集は避けた。営業の対象も学校ではなく、一般家庭である。まずはこれで安心だろう。まちがっても教師にはなりようのないルートに自分は入ったと思った。しかし、あまりにも過酷な営業業務のため、一年あまりでそこを退職。同期入社はすでに一人もおらず、私が最後だった。2、3ヶ月ぶらぶらしたが、やがて金が底をつき、仕事を見つける必要に迫られた。求人欄を見ると、その頃は受験産業がピークを迎えようとする時期で、塾や予備校の求人が多い。やむなくそのひとつを選ぶ。今度は編集だが、生徒に教えるセクションではない。慎重に、慎重に。私は地味なデスクワークを選択した。面接で「教える仕事をする気持ちはありますか」と聞かれた。きっぱり「いいえ」と答えた。その手にはのらない。私は編集部の部屋につれていかれ、与えられたデスクに座り、校正や編集の基本業務の研修を受けることになった。2,3日すると突然上司に呼ばれた。先生が一人急遽やめることになった。突然のことなので代わりがみつからない。明日が一学期最後の授業なんだけど、悪いけど代わりをやってもらえないだろうか。いや、なに、高校1年生レベルの現代文だから、何もむずかしいことはない。頼むよ。入社して一週間も経っていない社員がこの申し出を断ることができるだろうか。わたしは「いいすよ。一回だけなら」といって翌日の授業をこなした。終わって講師室に帰ってくると、なぜか偉い人間が授業モニターの前に座っていて「いや~、新人とは思えないベテランのような落ち着きぶりだな」といわれた。少し嫌な気がしたが、ほめられて悪い気のする人間はいない。「学生時代アルバイトでやってましたから」と答えて職場に戻った。しばらくすると、二学期の時間割が配られ、そこには断りもなく私の名前が載っていた。既に決定事項だった。昨日のことのような気がするが、それは1985年の7月の出来事である。もう21年前になるのか。あっという間である。そして、明日の10時頃になると、質問の予約をしていた生徒が私のところへ来るはずである。「せんせ~、小論文書いたんだけど、見てくれますか~」といって。「だから、おれのこと先生っていうなっていってるだろ」「でも、先生っていわなかったらなんていったらいいんですか~。いきなり苗字とか名前とかいったらかえってへんにおもわれますよ~」。たしかにそれはそうだ。先生がきらいだ、きらいだとあれほどおもいつづけていたのに、ふと気づくと「せんせー」と呼ばれるようになってしまった。こんなことならフロイト先生の本をもっとしっかり読んでおくべきだった。と思っても今となっては後の祭りだ。漁師の家に生まれ、こんなに厳しく、つらく、過酷な仕事なんか誰がやるかー、ふざけるなーといって家を飛び出して単身上京したケンジくんも、ふと気づくと北氷洋のイカ釣り漁船の上で仁王立ちになって北風に吹かれていたりするのだ。「時間が不規則で、ハードワークで、待遇も悪くて」とつぶやきつづける暗い母親の顔を見て育ち、絶対看護婦だけはいやだーと思っていたハナちゃんが、ふと気づくと注射器を手に持って患者の腕をアルコールを含んだ綿で消毒していたりするのだ。それが人生である。前途有為な若者がもしこのブログを読んでいたら、衷心よりご忠告を申し上げたい。「好き」の反意語は「嫌い」ではなく、「無関心」であると。「嫌い」というのは対象にこころが動かされている状態であり、とくにそれが「だいっきらい」というレベルに達するとそこにはかなり強いエネルギーが働いている。そのエネルギーがもつ吸引力をけっしてあなどってはいけないと。ま、じつをいうと、あんまり後悔もしてないんだけどね、ほんとは。先生をあまりに嫌うあまり、「嫌いな教師」の具体的なサンプル見本が頭の中にずらっと出来上がってしまい、「こうなるのだけはよそう」と思って日頃から心がけているうちにけっこう評判のいい(「あくまで生徒に」ということだが)「せんせー」になっちゃったし。でも、ある物事をあまりにも嫌っていると、しまいにはおもわず好きになってしまうというのは、おそるべきことであると同時に、人間心理の複雑微妙な一面を物語っているのではないかとも思うのである。
2006.02.13
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問題 下のA、B、Cはある共通するルールにしたがって並べられた数列である。そのルールはなにか。説明せよ。A 1、3、5、7、9、11……B 1、4、6、8、10、12、14……C 1、5、10、15、20、25……わかりますか。Aは奇数の列みたいだが、Bの二番目以降は偶数。Cは二番目以降は5の倍数。この三つに共通するルールなどはたして存在するのだろうか。そう思いますよね。なかなかむずかしい問題です。即座にこの問題が解けたらたいしたものです。なに、答えが知りたい?もうちょっと考えてもいいですよ。数字を見ると頭が痛くなる?実は私もそうです。おまけに持病の副鼻腔炎を再発してさっきから頭が痛くてたまらない。しかたない、それではお教えしましょう。正解は「右に行くにしたがって数が大きくなっていく」です。おっと、怒っちゃいけませんよ。冷静に。冷静に。これはたしかアメリカだったかな、ある心理学者が作ったクイズです。何のために作ったかというと、人間がどれほど先入観から自由になれないかということを自覚させるためです。この問題を見ると、誰でも一定のルールを頭に想定し、それを三つの数列に適用しようとする。でも、その時、数字というものは右にいくにしたがって大きくなるものだということはルール以前の「あたりまえ」とかたづけてしまう。そのことが意識に上ることすらない。でも数字が右に移動するにしたがってその数値を増大させるというのはけっしてあたりまえのことではありません。頭の中に刷り込まれた「あたりまえ」から人間が自由になるのはどれほどむずかしいか。これはそれを伝えるためのクイズだったというわけです。オーストラリアでは上下さかさまの世界地図がおみやげ用に売られているといいます。「ダウン・アンダー」「犯罪者の流刑地」とさげすまれたかの国の人が逆転の発想で作ったものでしょう。そういえば宇宙船から撮った地球の写真は必ず北極が上になっていますが、宇宙空間に上下の別はありませんから、あれも「北半球=上」という無意識の刷り込みにしたがっているわけですね。別に南極を上にもってきても何の問題もないはずです。ことほどさように人間は「あたりまえ」から自由になれない。でもだからといって「あたりまえ」から完全に自由になると狂人になってしまう(おっとATOK13では「きょうじん=狂人」という変換ができませんね。こういう形での言葉狩りが現在ひそかに進行しているわけか。いちどかたっぱしから「あぶないことば」を変換してみる必要があるかもしれない)。「あたりまえ」は社会生活を営む上で人と人がすれちがう時に摩擦が生じないようにからだに塗るオイルみたいなものかもしれません。このオイルのおかげで、人と人との接触はスムースにするりと行われる。でも、このオイルは水でも石鹸でもなかなか落ちない。簡単に落ちると毎朝塗らなくてはいけなくなって大変ですし。そして、いつしか自分がオイルを塗っていることすら忘れてしまう。そして最初に示したような数列の問題が解けなくなってしまうわけです。ではどうすればいいのでしょうか。オイルを落としちゃうと狂人になってしまう。オイルを塗ったままだとオイルを塗っていることすら忘れてしまう。その中間に第三の道を探すとすれば、その方法はひとつしかありません。それは「人間は『あたりまえ』から自由になれない存在だ」ということをもうひとつの「あたりまえ」として認識することです。そしてそれを具体的に実践しようとすると「あたりまえ」を共有しない人間と日常的に接触していくしかありません。逆に「あたりまえ」を共有する人間同士で集団を作ると実に居心地はいいけれども、その集団全体がそっくり分厚い油の膜に覆われてしまうという問題が起きてきます。あたりまえがあたりまえではないことを知った時、世界を認識する階層が一段深化します。われわれは皆「あたりまえ」というビルのエレベーターに乗っているわけですが、たまには下向きの矢印のボタンを押して、あたりまえの階を下降してみる必要があるのかもしれません。そうすると日常的な「あたりまえ」よりももうすこし深いところに、人間であることの「あたりまえ」の層の存在が発見できるかもしれないからです。
2006.02.11
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金曜の夜がいちばん好きだ、と彼はいう。土曜の夜は「あー、もう休日が半分終わってしまった」と思う。日曜の夜は絶望のどん底だ。太陽が徐々に傾きはじめるとともに光は勢いを失い、残照を残してやがて消え、闇の世界が目の前に広がる。月曜の夜は気が重い。先が見えない。火曜の夜は「まだ半分以上残ってる」と思ってうんざりする。水曜の夜は「まだ半分しか終わってない」と思い、またうんざり。木曜の夜は疲労のピーク。そして、休日の予感をまるまる楽しめる金曜の夜こそ至福の時間だ、と。たしかにそうだ。その気持ちはよくわかる。そしてそこには人間の「快」というものの本質が顔をのぞかせているようにも思う。「美は乱調にあり」ということばがあったが、「快は予兆にあり」とはいえないか。ほんとうにたのしい瞬間は、ほんとうにたのしい瞬間のちょっと前にある。「あー、あしたどんなたのしいことしようかな」と考えている時がいちばんたのしい。たのしい時間の真っ最中には、私たちはすでにそれが終わりに向かいつつあることを予感する。たのしさのまんなかに立つことは、すでにそのたのしさが終わる予兆にとらえられることである。だから「たのしいときには実はあんまりたのしくない」。こどもの頃の記憶がしあわせに包まれているのは、それがこれから大人になるという予兆のなかにあるからだ。青春時代には、すでに青春の終焉を予感し、壮年の頃には老年の予感におびえ、老年に至ると死の予感におびえる。つねに不幸を先取りし、その結果、不幸になる。それが人間の生というものなのだろうか。死後の世界を甘美に描き出す宗教も、このいきづまりを打開するためのむなしいあがきのように思えてくる。宝くじの当たった瞬間のよろこびも、実は「それがひょっとしたら当たるかもしれない」という予兆のよろこびに比べれば、ものの比ではないのかもしれない。人が本を読むのも、映画を見るのも、演劇にでかけるのも、「ひょっとしたら大傑作に出会うかも」という予兆のよろこびがその大半を占める。本を読む人間にとって至福の時間は、あと数十ページでその本を読み終わる時に、「あー、次に何読もうかな」と思う瞬間である。人類の文明をここまで肥大させてきたのは、ひょっとすると予兆という「ふくらまし粉」のもつ激しい膨張効果のおかげだったのかもしれない。でも人間の予兆の大半は、実現することなく、そのまま氷づけになる運命にある。氷づけになった予兆は、しかししぼむことも、枯れることもなく、永遠に未来の開花を願う予兆としていつまでもそのままの姿をとどめつづける。人はそのような幼い頃の思い出を唯一の心のよりどころとして大きな不安や孤独や葛藤に耐えて生きていく。だから人間が絶望するのは現実に対してではない。それは予兆の封殺に対してである。現在の絶望に人はなんとか耐えることができる。しかし予兆を根こそぎ奪いとられることに人は耐えられない。だから最も残酷な刑罰は予兆を奪いとることだ。死刑や終身刑が残酷な刑罰たりうるのは、それが予兆を完全に封殺する効果をもっているからだ。人間の希望は冷蔵庫の中の煮こごりのようにこきざみにふるえながらひたすら解凍を願っている。人間の生の本質はいつも予兆の中にある。それはちょうど冬という季節の本質が、身も焦がれるほど春にあこがれ、その予兆を切望する気持ちの中にあるのと同じなのである。
2006.02.10
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これは内田樹先生の2月8日のブログを読んだ感想です。「匿名」ということばを私は嫌います。このことばにはどうにも卑劣さがつきまとうからです。でも、この世にある著作物を記名と匿名で二分する考え方にも私はかすかな違和を感じます。自分の書いたものに名前を冠する。これは基本的に正しい立場だと思います。そして、あえて名を秘すことによって自分の負うべき責任を逃れ、他人を誹謗中傷する、これは卑劣きわまりないことである。私はそう思います。ただし世の中をこの二分法で割り切ることはできない。私はそうも思うのです。名をもつものとしての「有名」、名をかくすものとしての「匿名」。そして、そこにはもうひとつ「無名」というカテゴリーが考えられるのではないでしょうか。私はこのブログで自らの姓名を名乗ってはいません。しかし、あえて名前を秘匿しているというのでもありません。個人名を特定されてもなんら差し障りもないし、読んでいただいている方に「ちゃんと姓名を名乗れ」といわれれば名乗ると思います。それには何の抵抗もありません。このブログを始めようと思い立った時のことをお話しします。とてもシンプルにいいますが、その時私は「私の文章を、文章それだけで、読んでくれる人がこの世界にいるのだろうか」と思ったのです。私は文章に関してまったくのしろうととはいえないかもしれません。大学受験の小論文というきわめて狭く限られた世界ですが、受験生にその書き方を教えることを職業の一部としております。といっても、何の資格があるわけでもありません。大学の卒論以外、一編の学術論文も書いたことはありませんし、教職の資格ももっておりません。ちょっとした偶然から、そういう仕事をするようになった。ただそれだけの人間です。その仕事を初めてからほぼ十年近く、私は自分で解答例を書いたことはありませんでした。解答例として人に示すような文章を書く資格を私は自分に認めなかったからです。でも、そのかわりに私は生徒の文章を赤ペンで添削することに、文字通り寝食を忘れるほどに打ち込みました。一日に50枚以上添削を続け、いわゆる書痙にかかり、医者に「これ以上ペンで書く作業を続けると、一生手首が使い物にならなくなるぞ」といわれたこともあります。でもそうせざるをえないほど、生徒の小論を添削する作業は面白かったのです。その文章の問題点を一点に見定め、具体的に指摘し、どうすればよいかをひとつだけ示し、それに従って、次回に書かれた生徒の答案が見違えたような文章に変わる時、そのよろこびをなんにたとえればいいでしょう。私はそれまでの人生で徹頭徹尾教師運の悪い人間でした。でも、その反動というか、あるいはその見返りなのか、偶然、人に文章の書き方を教える立場に立つと、自分が信じられないくらい生徒運に恵まれた人間だということに気づきました。来る日も来る日も生徒の書き言葉の体裁すら整えていない文章を読み、それのどこをどういうふうに変えればいいのか、必死で考えてアドバイスする。すると、そのことばをしっかりと正面から受けとめ、必死で実行しようとするたくさんの生徒がいる。自分はなんと恵まれた人間であることか。私は正直そう思いました。そんな毎日の中でいろいろな工夫を授業の中に取り入れました。「小論文お料理講座」「作文から小論文への変貌 狼少年編」「道案内文章上達講座」などなど。そして、その中に「文章サバイバルゲーム」あるいは「文章バトルロワイヤル」と呼ばれるゲームがありました。そこでは「小論文」という枠組みさえはずします。何かテーマを与え(「使いたくないことば」「頭の中の言語地図」など)、それに関して800字以内で文章を書かせます。どんなスタイルでもかまいません。小論でもエッセイでも詩でも短歌でも俳句でも作文でも手紙でもなんでもよろしい。とにかく私が読んで面白いと思う文章を書いてくれ。私はそういいます。必死に文章を書き始める生徒に向かって私はさらにこういいます。「ただし、添削はしない。今日帰って、夕飯を食べ、お酒を飲み、風呂に入る前にその原稿用紙の束を私はかばんから取り出す。そして一枚一枚読み始める。氏名の欄は読まない、性別もわからないようにする。ただ文章だけを読む。そして面白いと思ったら、右側に置く。つまらないと思ったら左側に置く。そして、その左側の机の下にはゴミ箱が置いてある。私は左側の文章を躊躇なくそのゴミ箱に突き落とす。(ひぇー、という生徒の声)一通り終わったら、右側の原稿用紙の束を手に取り、第二次選考に入る。同じ作業を延々と続け、最後の一枚に残った文章を明日紹介する。それがこのゲームの手順である。名前も性別も超えて文章だけで生き残れる文章を書け。私はそういって教壇の前に座り、腕組みをして生徒の姿をみつめる。教室内にはこつこつという鉛筆の音だけが響き渡る。そういう授業を何度かやってきた。そんなある日、私は底知れぬ深い闇に直面し、その入り口でうろうろとさまよう経験をすることになった。どうすることもできない。なにをしてもむだである。でもなにもしないと気が狂いそうになる。その時、私が考えたこと。それは「文章を書こう」ということだった。理屈ではない。理由などいらない。自分に今できること。それは文章を書くことしかない。そう思ったのである。そして、同時に「文章サバイバル」のことが頭に浮かんだ。今までさんざん生徒にそれをやれと命じてきたけれど、自分では一度もやらなかった。自分の名前を示さず、自分の文章だけで、「あ、これは面白い」と思ってくれる人がこの世に何人いるだろう。いや、この世に一人でもいるだろうか。他人に命じたことは自分でも行うべきである。私はそう思って、このブログを始めた。だから、名前はあえて示さなかった。そういうことである。私は唐突に割り箸のことを思う。それは朱塗りの箸ではない。輪島塗の箸でも、漆の箸でもない。だから銘もなく、文様もなく、署名もない。でもそれもまたひとつの箸である。ある日、誰かがその箸を拾い上げる。何の変哲もない箸である。うどんを食べようとしていたその人は、その割り箸を真ん中からぱちんと割る。きれいに半分に割れる。ささくれもできない。一見何の変哲もない割り箸だけど、そこに使う人間への配慮と想像力が働いていることがなんとなく感じとれる。指にしっくりとなじみ、うどんもすなおにその割り箸にまきつき、つるつるとおいしく口の中に入る。けっこういい割り箸じゃないか、とその人は思う。今度うどん食べるときにはもう一回この割り箸使ってもいいかな、と思う。でも、その割り箸には作った人の名前はない。割り箸は無名だ。誰が割り箸に作った人の署名など求めるだろうか。そういう割り箸のような文章が書ければ、私は本望である。責任を逃れるために名を秘そうとは思わない。そもそも秘するにあたいするような名前など私は持ち合わせてはいない。私は「無名」の存在なのだ。割り箸一本一本に制作者の署名がなされていないように、私の文章にも私の戸籍上の氏名は付されていない。そもそも一本一本の割り箸に作り手の名前が書かれていたら、私はうんざりしてしまうだろう。この世に輪島塗の高級署名入りの箸が存在することの価値を私は認める。その文化的価値を私は否定しようとは思わない。でも、それと同時に無名の、何の変哲もない、しかし、それを使うことによって作り手の存在がその割り箸の向こうにぼんやりと浮かぶ。そういう割り箸があってもいい。私はそう思う。文章で他人を誹謗中傷するかどうかは、名を示すか、名を秘すかということで決まるものではない。それはその文章を書く人間の品位が、節度が決めることである。品位のない人間は、たとえ自分の名を明かしても他人を誹謗中傷する文章を書くだろう。匿名という隠れ蓑をはずし、自分の名を示していることにおびえ、他人への誹謗中傷をためらう人間の署名入りの文章に品位が宿るとは私には思えない。匿名でものをいわない。これは立派な信念であり、態度表明であると私は思う。しかし、同時に無名の割り箸のような文章があってもいい。私はそうも思うのである。
2006.02.09
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ある日、ラーメン屋でラーメンを食べていて不思議な経験をした。べつにラーメン屋でラーメンを食べること自体は不思議ではない。少なくともラーメン屋で白魚のおどり食いをするよりはずっとふつうだ。その日は前日酒を飲み過ぎて、二日酔いの状態だったと思う。そういう日にはなぜかとんこつラーメンが食べたくなる。昼時に新宿の「桂花ラーメン」に入った。その店はたてに細長い作りで、入ると右手にテーブル席が4つほどあり、左手は壁沿いに長いカウンターが置かれており、奥に調理場と向かい合わせでもうひとつ普通の大きさのカウンターがある。そういう作りの店だった。入って左側の細長いカウンター席の前には一面に大きな鏡が貼られている。だから、そのカウンターに座った客は、否応なく鏡に映った自分の顔と正対してラーメンを食べることになる。しかし、これもべつに不思議というほどのことではない。少なくともブリッジをして床に額をつけた状態で腹の上のどんぶりから麺を食べるよりはずっとふつうだ。食欲をそそる白濁したスープの香りが鼻先をかすめ、太めのごわごわした麺を箸でつかみ、ずるずるとラーメンを食べていると、少しずつ頭の中のもやもやが晴れてくる。すこし気分がよくなってくる。冷たいお茶をぐいっとあおり、ふーと溜息をついて、背筋を伸ばし、あらためて目の前の鏡に目をやる。その時、不思議な情景が目に飛びこんできた。その店の中にいる私以外の全員が左手でラーメンを食べているのだ。みんなうつむいてずるずると熱心に麺をすすっているのだが、一人残らず左利きなのだ。一人や二人ならばべつに珍しいことではない。しかし、店にいる全員がすべて左手でラーメンを食べている。こんな光景はこれまで目にしたことがない。いったい何が起こったんだろう、自分はいつのまにか異次元空間に入り込んでしまったのだろうか。右手でラーメンを食べているのは自分だけだ。あとは全員左手で器用に箸をもち、ずるずるとうまそうにラーメンを食べている。でもいくら二日酔いで頭がくもっているとはいえ、ものの数十秒もすると、何が起こっているかは次第にわかってくる。自分がいま見ているのは目の前の鏡なのだ。左右が反対に映って、右利きの人が左利きに見えているだけなのである。なんの不思議もない。そう思った。でも、まてよ。だとしたら、私一人が右手でラーメンを食べているのは変じゃないか。私はあらためて鏡の中の箸をもった自分の手を眺めた。どうみてもそれは右手である。私はその視線を右隣にいるカストロジャンパーを着た一見労務者風、よく見ると労務者風、つまり決定的に労務者風のおっさんの手許に移してみた。いま箸でラーメンをすくいあげ、麺を食そうとしているそのおっさんの手は、しかしどうみても左手なのだ。私は改めて鏡に映った自分の姿に視線を戻す。そして、自分の右手とおっさんの左手が鏡に向かって体の同じ方向に出ていることを確認する。しかし、依然として箸をもった自分の手は右手にしか見えないし、労務者風のおっさんの箸をもった手は左手にしか見えないのだ。これは不思議な体験だった。鏡には左右が反転して映る。だから左手は右手に、右手は左手に見える。それはりくつとしてはわかる。そして、たしかに自分以外の人間の手はそう見えるのである。でも、自分の右手だけはいくら鏡に映っていても左手には見えない。それはどうみても右手なのである。だって、それはまちがいなく右手なのだから。「自分を客観視することの大切さ」「客観的に物事を見る姿勢の重要性」「自分の文化を客観的に見るところから異文化への寛容さが生まれる」、小論文の「キメ」の文句として自分でもこれまで何度かそういうことばづかいをしてきたように思う。でも、その時思った。「自分を客観視するなどということはそもそも不可能なのだ」と。だって、頭では紛れようもなく理解している鏡像の左右反転の原理が、自分の腕にはどうしても実感として適用できないのだ。いま目の前にある大きな鏡に映っているのは、依然としてひとり右手でラーメンを食べている私と、左手でラーメンを食べている私以外の全員の姿なのである。「自分を客観視する」などということばを安易に使うべきではない。むしろ「自分を客観視するなどということはとうてい無理なことである」と自覚することのほうがよほど大切だ。もしも自分の姿がほんとうに客観視できたとしたならば、それはまぎれもないドッペルゲンガー現象であり、すぐに精神科医の診察を仰いだほうがいい。鏡に映った他人の右手は左手に見えるが、自分の右手は右手にしか見えない。実につまらない日常の些末な風景だが、人間の認識の本質は実はこのような細部にこそ宿っているのである。神は細部に宿りたまう。そして神は「桂花ラーメン」の壁に貼られた大鏡にもたしかに宿っていたのである。らーめん。
2006.02.08
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えーと、このあいだ、むらかみはるきさんの「すぷーとにくのこいびと」というほんをよみました。おともだちのきれいなおねえさんに「私ってこの作品の意味がいまひとつぴんとこないのよね。もし読んだら感想聞かせてくれる?」っていわれて、「あっ、はっ、はい」ってこたえちゃったんだ、おもわず。すてきなおねえさんだったからね。で、かんそうかかなきゃいけないんだけど、この本けっこーむつかしいなーっておもいました。どうしよっかなー。あんまり自信ないんだよね。まずさいしょのところ、これはなんていうか、ふぃっつじぇらるどっていったっけ、あの人の短篇のでだしにちょっと似てるかなーってかんじがしました。いちばんさいしょのところなのに、ほんとはおわりのことがかいてあるんだよね。これってちょっとかっこいいなーっておもいました。「いまからはなすおはなしはね、じつはもうおわってるんだよ」ってはなしはじめられたら、ちょっとかっこいーなーっておもうでしょ。おもわない?そっか、おもわないか。それならそれでいいんだけどね、べつに。えっと、それですみれちゃんっておんなのこがでてきて、これが「のるうぇーのもり」のなにちゃんだっけ、おんなのこにちょっと似たふんいきのおんなのこでさ、さいしょのほうはなんだかたのしいんだよねー。「みたいな」「ような」ってたとえばなしがおもしろくって。ぼくこういうたとえってすきだなーっておもいました。でも、こういうたとえをつぎつぎにしょうせつに書いちゃう人って、げんじつには無口でむっつりしてたりするんだよね、たぶん。で、ときどきひとりで「むふっ」ておもいだしわらいしたりして「きもちわりー」っていわれたりするんじゃないかな。きっと。そんなきがする。 そのすみれちゃんがみゅうっていうおんなのひとすきになって、「ぼく」はすみれちゃんがすきで、でもかなわなくて、すみれちゃんはみゅうっていうひとがすきで、でもかなわなくて、みゅうってひとは14年前にじぶんのすがたをじぶんでみてからぬけがらみたいになっちゃってひとがあいせなくて。つまりみんなかなわないわけね。で、ひとりぼっちになっちゃうわけ。そんなはなしなのかな。で、すみれちゃんがきえていなくなっちゃうんだ。でもすみれちゃんの書いたぶんしょうはふろっぴーにのこってるわけ。ほんにんいなくて、ぶんしょうだけだから、このぶんしょうってぬけがらみたいなもんだよね。そして、すみれちゃんがいなくなって、「ぼく」はたいせつなひとがいなくなってぬけがらになっちゃう。みゅうちゃんはもとからぬけがらだ。「ぼく」の生徒で万引きしちゃうこもなんだかぬけがらみたいなんだよ。そのおかあさんもぬけがらみたい。つまりみんなぬけがらみたいで、しかもひとりぼっちなんだよね。ぼく、よんでてなんだかさみしくなっちゃった。これって、 みんなぬけがらでひとりぼっちってことじゃない。なんかさみしいよねー。これまでよんだはるきくんのしょうせつでも、だいじなひとがいなくなっちゃうっていうはなしはおおかったけど、あれはだいじなひとがだいじなまんまいなくなっちゃうんだよね。だから、さがすことにもなんだかとってもだいじないみがあるんだとおもう。でも、ぬけがらのままいきてて、おたがいにしっかりつながることができないほうが、あるいみじゃもっとさみしいよねー。だいじなひとがだいじなまんまいなくなっちゃうよりか。それって、はんぶんだけおひさまがあたってるおつきさまみたいなもんじゃないかなーってきもします。はんぶんあかるくて、はんぶんはくらくて、むなしいきもちで、ちきゅうのまわりをぐるぐるまわりつづける、じんこうえいせいのおふるみたいに。ぐるぐるまわってるってことは「いんりょく」がないわけじゃないんだよね。どっかにとんでいっちゃうんじゃないんだから。いんりょくはちゃんとはたらいてるわけ。でも、そのいんりょくがつよければみんなひとつのばしょにあつまって、しっかりてをにぎれたりするんだろうけど、そこまではつよくないんだよね。たぶん。だから、ぐるぐるぐるぐるちきゅうのまわりをまわりつづけて、ときどきなんかのひょうしにおたがいにすれちがったり、せっしょくしたりするんだけど、それもいっしゅんで、またそれぞれべつのほうこうへとびさっていく。そういうことなのかな、よくわかんないけど。それでさ、ぼくはがっこうのかえりのでんしゃのなかで、このほんよんでて、あと4ぺーじでおわるってとこで、えきについちゃったんだ。あとはねるまえによもうかなとおもって、よるおやすみするときにそこをよんだわけ。するとびっくり。いなくなったすみれちゃんからでんわがかかってくるんだよね。でもね、ぼくはおもうんだけど、このでんわほんとはかかってきてないとおもうんだ。すみれちゃんがこっちのせかいにきたんじゃなくて、「ぼく」がすみれちゃんのいるあっちのせかいにいったから、でんわのべるがきこえたんじゃないかな。「だから、それがどうしたんだよ」っていわれてもこまるんだけど。でもさ、これまでは、あっちのせかいからこっちのせかいにだいじなひとをつれもどすってことがむらかみさんのしょうせつのだいじなてーまだったじゃない。それがここでは、ちょっとかわってる。あっちからこっちにひきもどさなくても、じぶんがあっちへいってもいいんじゃないか。ふたつのせかいって、そんなにちがうもんじゃなくって、どちらにいるかってそんなにけってーてきなことでもない。そういうことがかいてあるんじゃないかともおもうんだけど、そのへんはじつはまだよくわからないし、もやもやしてて、せいりせいとんできてません。どうしよっかなー、きれいなおねえさんになんていおうかなー。いちおうよみはじめたんだけど、のはらのなかをこのほんをよみながらあるいてたら、いきなりおおきな野井戸があって、そのなかに本おっことしちゃったってことにしようかな。うん、それがいいや。ぼくってけっこううそつくのうまいし。うそのつきかたにみがきをかけたら、そのうちしょうせつかになっちゃったりして。それはないか。それとものはらをあるいてたらとつぜんたつまきにまきこまれてほんがおそらにすいあげられちゃったってことにしようかな。まあ、いいや、てきとーにごまかそっと。よくわかんないんだもん。じゃあ、おやすみなさい。よいことむらかみはるきさんはよるのじゅうじにはしゅうしんするのだ。それがこのよのきびしいおきてなのだ。なぜそんなにはやくねるのかって。きまってるじゃない、あしたのあさろくじにおきるためだよ。それがこのよのきびしいおきてなのだ。じゃあね。おやすみなさい。またね。
2006.02.07
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世の中にある文章は大きく二つに分けることができる。読んだ人間に文章を書かせる文章と、そうではない文章の二つに。ほとんどの文章は後者に属する。もちろんそこには凡庸きわまりないリンゴジュースのしぼりかすのそのまたしぼりかすのような文章も入る。でも、読んだ人間に文章を書かせないからといって、それがそのまま感動を与えない文章というのではない。十分な感動と余韻を読む者に与え、なおかつその後、読み手に文章を書かせない文章もある。むしろそちらのほうが多いだろう。きわめて個人的なことになるが、私の考える名文家は、たとえば吉田秀和氏(先生、長生きしてくださいね)。いまから20年ほど前になるか、私は朝晩の通勤電車の中でひたすら吉田氏の音楽評論を読みふけっていた。しまいには、文章の意味ではなく、その読点の息づかいを味わい、堪能していた。その絶妙な読点にあわせて呼吸し、文章の息づかいを味わったものである。でも、だからといって、その後自分で何かを書こうとは思わなかった。それから5、6年後には、ひたすら河合隼雄氏の著作に読みふけった。名著「ユング心理学入門」(培風館)に接してから、個人的、内面的事情もあり、行き帰りの電車の中で彼の著作に没頭した。そして、そこから多くのことを学んだ。その中でも随一といってもよい著作「明恵 夢を生きる」では、その後の人生の預言までいただいた。しかし、その後、私が何かを書くことはなかった。そんなことは思いもしなかった。もちろん他人の文章を読んで、自分で何かを書こうとする時、そこにはさまざまな要因が関与するだろう。自分の体験、置かれた状況、年齢、文章を書く力量、文章に対する感受性、時間的余裕などなど。そこにはありとあらゆる個人的、内面的および外面的変数がからみあい、とてもではないが安易な一般化など許さない。でも、そのような個人的要因を超えて、たしかに「読む者に文章を書かせる力をもった文章の書き手」というものが存在するのだ。私にとってはそういう書き手は二人存在している。もって回った言い方はよそう。その二人とは内田樹先生(先生、お元気ですか、勝手に弟子を僭称しております)と村上春樹氏である。しかし、不思議である。良い文章というものを私なりにイメージすることはできる。言語の運動法則にのっとった無理のない、むだのない合法則的で明晰、明快なことばの軌跡。でも、たとえそういう文章であったとしても、それはさらに「読んで感心。ひたすら感銘」というタイプと、「読んでむらむら、自分でも何か書かねば」というタイプに分かれるのである。その分岐点となるものは何か。私は自分に文章を書かせる書き手を頭の中にイメージしてみる。活字の向こうにその文章を書いた(打った)人間の指の動きを想像してみる。そして、その指からすこしずつ神経の中枢へと遡ってみる。その人間の中にはいったい何が存在しているのか、その人間の何が、仕事を終えてくたくたに疲れて帰宅して、寝転がってテレビでも見てればいいものを、寒い個室にこもってキーボードを叩かせているのか、そのことを考えてみる。ぼんやりと書き手のイメージが浮かんでくる。はっきりとした像を結ぶことはできない。ピントはぼやけ、その映像は白い靄に包まれている。私は想像の視界の中で眼をこらす。なんとかその書き手の姿を見きわめようと眼を細めてみる。でも想像力の分解能は低く、輪郭はぼやけたままである。でもひとつだけわかることがある。それはその像がどうやら「ひとりではない」ということだ。確信はないけれども、どうもそこにはぼんやりとした人間の影がふたつ見える。なぜだろう。私に文章を書かせる人間の像は一人ではなく、どうも二人いるようなのだ。私はさらに目を凝らす。せっせと文章を書いている当の本人ではなく、その横にたたずんでいるもう一人のぼんやりとした影になんとか焦点を合わせようとする。よくわからない。はっきりとは見えない。でも確かにその横にはもう一人の人物がたたずんでいるのである。その人物は体温は少し低めである。表情はあまり豊かではない。文章を書いている人間よりも、顔つきが少し鋭い。受ける印象は冷たい。非社交的といってもいいかもしれない。でも、高圧的ではない。彼は書き手の耳元で小さな声でそっとささやきかけている。けっして叱責ではない。かといってあたたかい励ましでもないようだ。彼は監視しているわけではない。どちらかといえば見守っているというほうがふさわしい。書き手との親密な雰囲気を保ちながら、しかし、その文章の練度が一定水準を下回ることがないように常に心を配っている。大きな声ではなく、ささやくような小さな声で彼は内面のつぶやきをそっと書き手に伝える。「それでほんとにいいのかい。もっといいことばがあるんじゃないかな。どんなことばって聞かれてもわからない。ただふとそんな気がしただけだよ。自分の書く文章だから、自分で探しなよ。でも、おそらくもっといいことばが、いい表現が、君の頭の中に浮かぶはずだよ。自分を信頼することさえできればね。え、私が誰かって。さあ、よくわからないけど。おそらくは君とこの世界で一番親密な関係にある誰かじゃないかな」書き手である彼は、そう呟く誰かの声にすなおにうなずいて、さっき書いた文章を推敲する。何度も何度もあきるほどに。書き手のそばにいるそのもう一人の誰かを何と呼んだらいいのだろう。誤解を恐れず、僭越を顧みず、その人物に命名するとすれば、そして、それが漢字三文字の名前だとするならば、私は頭を掻きながらこう答えるだろうか。「批評家」と。その彼が、ふと振り向いて私に向かってこういうのである。「お前も少しものを書いてみれば?『たいして才能はない』って?そんなことわかってるよ。でもさ、とっても暇で、暇で暇で、暇をもてあまして何にもすることがなくって、あくびしすぎて顎がはずれそうになったときには、ひょっとするとおまえさんのそばにきて、『えっと、そのことばづかいはどうだろう。もうちょっとちがう言い方があるんじゃないだろうか』っていってあげられるかもしれない。もちろん保証も、約束もしてはあげられないよ。だって、おいらはいそがしいんだもん。あっちこっちの文章書いてる奴らの面倒みるので大変なんだもん。でも、おまえに修練と鍛錬と努力を厭わない気持ちがあるのなら、気が向いたらたまには来てあげるかもしれない。あんまり期待されても困るけどね」そういうささやきかけが、ある種の文章の背後からは聞こえてくるのである。もちろんしこたま酒を飲んで正気を失っている時に限られるけれども。その文章の書き手が内田樹先生と村上春樹氏だということだけは、私にははっきりとわかる。今日言いたいことはそれだけだ。人に文章を書かせる文章。その文章を読むと、こころの中の共鳴板がかすかに振動を始め、それが微弱電流を惹起させ、それがシナップスを次々と渡っていき、ついには指先に指令を伝え、カタカタとキーボードを叩かせる。そういう文章を日々紡ぎだしてくれる中枢の持ち主、内田樹先生と村上春樹くん(いきなりためぐちかよ)に感謝します。お二人の大きな樹の陰で小さなやすらぎのひとときを与えられている一人の人間として。
2006.02.06
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7、8年前に教えていた生徒が何の前触れもなく、ひょっこりと顔を出すことがある。先日、2年前に大学を卒業し、今はお寺で働いている元生徒があいさつに来た。女子大に進み、社会学を専攻し、沖縄の語り部のおばあさんと一緒に生活したり、タイに半年ほど留学して山間の部族の社会組織を研究したりと、なかなかユニークな人生を歩んでいる女性だ。彼女は卒論代わりにはじめた小説執筆を卒業後もこつこつと続けているという。部分的には書けたのだけど、全体像が見えてこないので、読んで感想を聞かせてくれということだった。第一章は沖縄の話。語り部のおばあさんのせりふと沖縄の民謡、さらには沖縄の民話のせりふが交錯する、なかなか意欲的な冒頭部である。「どうですか」「うん、なかなかよく書けてるんじゃないの。面白いよ。それにしても聴覚情報が多いね」「チョーカクジョーホー?なんですか、それ。」「耳で聞く音の『聴覚』。情景描写のほとんどが視覚じゃなくて聴覚じゃない。何もない状態を表現するときもすべて『音がない』『無音』『沈黙』になってるし」「あー、ぜんぜん気づかなかった。意識してなかったけど、たしかに全部耳で聞いたことばかりですね」「だから、後は視覚的情報をどの程度取り入れていくのかというのがこの作品のひとつのポイントになるんじゃないかな。小説書いたことないからよくわかんないけど」「はあ」「おそらく人間は世界を聴覚優位でとらえる聴覚型と視覚優位でとらえる視覚型に大別できるのではないだろうか」「へ~、なるほど」と彼女は感心していた。「へ~、なるほど」。実をいうと、口からでまかせのその自分のことばに自分でも感心してしまったのである。たしかに人間の類型として聴覚型、視覚型の二つの型が考えられそうだ。私は典型的な聴覚型だ。子供の頃から絵はまるで描けない。へたくそだ。そのくせテレビやラジオの声を聞いて「あ、これは○○の声だ」ということはすぐにわかったし、いまでも騒がしいレストランや喫茶店に流れているかすかなBGMを耳にして、「いまかかっているのは○○の××という曲のライブバージョンだよね」などと口にして、相手に「私の話聞いているのかしら」という顔をされて不興を買うことがある。小さい頃から音楽が好きで、ラジオにかじりつき、寝るときもイヤフォンを手放せなかった。今でもそうである。どうみても聴覚型だ。まったく自分と話が会わないなとか、発想が全然違うなと思う場合、その相手は視覚型が多かったように思う。これは好き嫌いとはまったく別の話で、むしろそういうタイプに引かれる傾向をもつようにも思うが、「自分とは違うな」という感じをもつのは視覚型人間に対しての場合が多い。そもそも人間がこの世に生を受ける瞬間、そこには光の氾濫がある。これに対して音の世界は誕生以前、母親の胎内ですでに体験済みである。母親の心音をはじめとしてさまざまな外界の音がそこには流れこんでいるからだ。しかし目が眩むほどの光の洪水はまったく未知の経験である。その凶暴な光の氾濫に遭遇した時、赤ん坊は力の限りを尽くして大声で泣き、音のベールに自らを包んで光の攻撃から身を守ろうとする。そういうことではないだろうか。そしてしばらくすると赤ん坊はまじまじとその瞳を見張り、驚異の目で世界を光としてとらえはじめる。おそらくこの瞬間に、視覚優位か聴覚優位かが決定される。そういう気がしてならない。ことばはおそらく聴覚的世界に近い。それはまず音として人間を訪れるものであり、そこに視覚が介在するのはずいぶん後になってからのことだ。ことばで組み立てられる思考の世界もやはり聴覚に属するように思う。論理的思考もなぜか耳の世界に近い印象がある。これに対して一瞬のうちに全体をつかみとるためには視覚が有利だろう。世界観の変革をもたらす宗教的経験には、宗教画という布教手段が欠かせない。もちろんそこには文字が読めない人に対する訴求力という現実的側面もあったのだろうが、とくにキリスト教においては視覚の占める割合が比較的大きいように思われる。これに対して仏教では仏像などの視覚要素もあるものの、読経や声明など聴覚情報の印象が強い。キリスト教にも聖歌、賛美歌など多くの音楽が存在するが、そもそも平均律の考え方そのものが、連続する音の世界を視覚的に段階づけた、いわば「聴覚の視覚化」であるように思える。私はバッハのクラーヴィア曲を聴くことを好むが、そのたびに天上の世界へと連なるなだらかな階段をどこまでも上降、下降するイメージを思い浮かべる。そこには階段という視覚イメージがともない、仏教的音の世界のもたらすアモルファスな混迷、混沌と比較すると、音でありながらはるかに視覚的な印象が強い。そして、聴覚型人間には視覚的情報へのアプローチが、視覚型人間には逆に聴覚的情報へのアプローチが、その人間の内的世界を大きく広げる手がかりになるように思う。すぐれた小説においては聴覚と視覚がともに響きあうことで、それを読む者の脳裏に広大な文学世界を現出させる。最近、読んだ「レキシントンの幽霊」という短編集のことを私は思い出す。表題作は聴覚的作品だろう。亡父の遺した膨大なレコードコレクションのある家の居間から聞こえてくるパーティーの情景はすべて聴覚情報で構成されている。「緑色の獣」は視覚。なにしろこの獣の出現する際の視覚情報は圧倒的である。「沈黙」はタイトルそのものが示すように聴覚的作品。「氷男」は「氷」というイメージと、南極での情景が印象的であり、視覚型(ついでだが、この作品にはフィッツジェラルドの「氷の宮殿」の投影が強く感じられることに今気づいた)、トニー滝谷は両方だろうか。トニーの父親はトロンボーンの演奏家であり聴覚型、トニー自身はリアリステックなイラストを描く視覚型人間だった。「めくらやなぎと、眠る女」は典型的な視覚的イメージで描かれた作品であり、「七番目の男」も強大な高波が押し寄せる描写が圧巻の視覚的作品といえる。さらに印象深い文学作品においては、しばしば視覚と聴覚とが架橋される瞬間が観察される。「ノルウェーの森」などは聴覚的世界の導入部から、「螢」という視覚世界に移行し、それがさらに聴覚世界へ連なるというように、自在に両者の世界の往復運動が行われる。視覚型か聴覚型か、あるいは自らの対極にある情報をどのように取りいれるかによって、その人間の内的世界は大きな変貌や広がりを見せるのではないか。この二つの類型は文学作品の分析にも有効な視点を提供しうるように思えてならない。
2006.02.05
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小学校高学年の頃、ボクシングに惹かれていた時期があった。当時は「あしたのジョー」の全盛期だったので、それをきっかけにボクシングに興味をもつ者が多かったが、私は少し違っていた。小学生の感覚としてはやや特異かもしれないが、どうも登場人物の顔が「マンガ的」すぎるように感じられたのだ。おそらくそれはテレビで目にする実際のボクシングとの落差から生まれた感覚であったように思う。当時、夜の10時台にはテレビでボクシング番組を放送していた。「ダイヤモンド・グローブ」というタイトルを覚えている。その頃のプロボクシングには、他のスポーツには見られない「影」があった。暗い輝きというか、暗い閃きというか、裏の世界に半分足をかけた凄みのようなものがそこには漂っていた。小学生がそれをどこまで理解していたのかは疑問だが、とにかく熱心に見ていたことを覚えている。ボクシング漫画(というか劇画だな)では、さいとうたかをの「カウント8で起て」を好んだ。相手の両耳がつぶれているのを見て「あいつは8回戦以上だ」と気づく場面などはわくわくしたものである。小学生の思考回路は単純だ。入力と出力の間が単線で直列回路を形成している。私は少年マガジンの通信販売のコーナーを熟読し、「ボクシング・グローブ」を購入した。まあ、子供向けのおもちゃである。一応手首のところに黄色の紐がついており、表面には黒のビニールが貼られ、中には綿が入っているような感じだった。私はそそくさと近所の本屋で初心者用の「ボクシング教本」を買い求め、ステップの踏み方や、ジャブ、ストレート、フック、アッパーの打ち方などを学んだ。一人ではよくわからなかったので、同級生のT君をそそのかし、二人で原っぱでボクシングの真似事をした。喧嘩と勘違いした近所のおばさんに割って入られたりしたものである。そのうちに私のボクシング熱は冷めてしまった。でもT君はその後もボクシングに興味を持ち続け、高校生になると県体でも優勝経験がある高校のボクシング部に所属した。その頃、ひさびさに顔を会わせたので、昔を思い出してスパーリングの真似事をしてみた。さすがに全然レベルが違う。相手のパンチはよけることができず、こちらのパンチはまるで当たらない。まあ、当然といえば当然である。なぜそれほどの差がついたのか。T君に聞くのもしゃくなので、その後、自分なりに考えてみた。その結論は、1 相手のパンチをぎりぎりまで見るためには目をつむってはならない、2 相手のパンチから逃げようと思うと、かならずつかまってしまう、ということだった。あまりにもあたりまえすぎて「それがどうした」といわれそうだが、私はその後、この二点は自分自身を守るためにかなり汎用性の高い心得ではないかと思うようになった。まず「目をつむってはならない」ということ。相手の攻撃にさらされるということは基本的にこわいことである。恐怖のあまり目をつぶる。これは自然な動作であり、ほとんど反射運動である。しかし、その反射をあえて抑制して、ぎりぎりの瞬間まで相手の攻撃を見きわめないと相手にいいようにされてしまう。「攻撃的な視線」という表現があるように、目で見ることはそれ自体がひとつの攻撃なのであり、こちらの攻撃や防御に必要な情報を得るためにも欠かせない作業なのである。「窮地に陥り危機に瀕した時には、目をつむるな」と私はその後さまざまな局面でそう自分に言い聞かせてきた。二つめのポイント。これは防御の要諦である。T君のパンチから私は身をかわそうとした。たとえば一歩後ろに下がってパンチをやりすごそうとすると、T君は一歩踏み込んで拳を伸ばしてくる。するとパンチは当たる。右に一歩ステップを踏むと、T君もそちらに一歩踏み込む。どう逃げてもパンチは当たってしまうのである。では、どうすればなぐられずにすむか。それは「逃げる」のではなく、「かわす」のである。具体的にいえば、T君の防御はこうだった。オーソドックスな構えをとったT君に私が右ストレートを出す。T君はうしろには逃げない。むしろ私の方に一歩進んでくる。私はT君が攻撃に来たと思い、一瞬ひるむ。少し速度の減じた私の右ストレートをT君はあくまでも顔をこちらに近づけながら、ひょいと右か左かにかわし、パンチをよけるのである。これは素人にはむりである。こちらに向かってくるパンチの方に顔を突き出すには尋常ならざる勇気がいる。しかし、考えてみると、この動作にはふたつの利点があることがわかる。1 顔がこちらに向かってくるので相手が攻撃してくると思い、こちらの腰が引けてしまう、2 パンチから身を引いてよけるとその軌道上を伸びてくるパンチから逃げられない。これはつまり両者が同一線上を動いているからである。だが、パンチに対して顔を突き出すと、両者の接触ポイントは線ではなくて点にかわる。つまり、当てるのがむずかしくなる。そういうことなのである。目を見開いて相手のパンチの方に顔を突き出しながら、当たる直前にひょいとかわす。これが防御の要諦なのだ。危機に瀕した時、逃げようとするとその軌道上を追いかけられ、いつかはつかまる。逆に危機のやってくる方向に向かう気持ちをもつと、自ずから攻撃の態勢ができる。そこで相手が少しひるむ。相手が一方的に攻撃する立場から、「ひょっとするとなぐられるかもしれない」という気持ちに変わり、攻撃に100%集中できなくなる。そして、相手の攻撃から逃げるのではなく、その攻撃をかわす。一方的に逃げている限り、もし第一弾の攻撃から逃げられたとしても第二弾、第三弾の攻撃が次々に襲ってくる。しかし、前にでてかわすことに成功すると、かわした瞬間がすなわちこちらの攻撃の好機となる。危機に際して目をつぶらないこと、窮地に陥ったらしっかり目を開けて攻撃対象のほうに向かい、攻めの姿勢を見せること、そして攻めをかわした瞬間にこちらが攻撃をしかけること。その後、ボクシングの真似事をしたことはないが、この教訓は様々な場面で役に立ったように思う。ひるまず、逃げず、攻めを含んだ守りの姿勢で相手の攻撃をかわし、次のチャンスを待つ。ひょっとすると、小学生の頃、私が通信販売で手に入れたのは子供だましのちんけなおもちゃのグローブだけではなかったのかもしれない。
2006.02.03
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私は通勤電車の中でドアのそばに立つことが多いのだが、最近居心地が悪くて困っている。ドアのすぐ脇の窓ガラスに貼ってある小さなポスターが原因である。それは写真と大きな文字のコピーからなっており、そのコピーの文面が私をおちつかなくさせるのである。 「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」どうです。おちつかない気分になるでしょう。なんだか胸のあたりがもやもやむかむかしてきませんか。おもわず赤ペンをもって添削したくなってくる。添削例その1「朝日新聞」は頭にもってきたほうがいいのではないだろうか。「(朝日新聞の)言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。(おお、ぴったりだ)それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。(そりゃ、無謀だ)。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」う~ん、かなりリアリティがでてきた。でもこれではあまりにも自虐的すぎるし、どうみても落書きレベルを脱していない。では以下、難癖の羅列。あるいは不快をもたらす要因の分析を。1 そもそもこのコピーは第二句ですでに腰が折れている。「言葉は感情的で、」は明らかにおかしい。たしかに「感情的な言葉」は存在する。でもその言葉が感情的なのは「言葉」の責任ではない。その言葉の使い手の責任だ。言葉は断じて感情的ではない。感情的な言葉があるだけだ。2 最初の3つのフレーズの重ね方がおかしい。「言葉は感情的で、残酷で」は言葉のもつネガティブな性質であり、言葉が人を傷つける力をもつという意味では共通している。しかし3つめの「ときに無力だ」は脈絡がおかしくはないか。たちの悪い友人を非難するときに「おまえはバカで、暴力的で、ときに無力だ」というような言い方が考えられるだろうか。たしかにこういう言い回しを聞いていると、「こんな粗雑な使い方をすると、ことばは『無力だ』」という気はしてくるけれど。3 だいたいですね、感情的で、残酷で、ときに無力なものを簡単に信じちゃっていいんでしょうか。それに「ときに無力」なもののチカラを信じるって、いったいどういう意味なんだろう。逆説のつもりだろうか。でもこれでは単なる理路の混乱にしか見えない。4 ジャーナリスト宣言をあらためて行うということは、いったい今まで自分たちを何だと思ってたんだろう。たしかに私は比較的高給のサラリーマンの所属組織としか思っていなかったけど。少なくとも今までジャーナリストとは思ってなかったということはたしかだ。「引退宣言」をする選手はそれ以前には「現役」だったはずだし、「勝利宣言」をすることは、その直前まで勝敗が決していなかったことを意味するから。そうか、いままで自分たちをジャーナリストとは思ってなかったわけだ。ふ~ん、でもなぜかこの部分だけは妙に納得してしまう。5 「言葉のチカラ」ってなんだろう。「言葉のチカラ」って。う~、気色悪いこのカタカナの使い方。ここは言葉の原初的な力に戻ろうという意味合いで、「言葉」をひらがなに開いて、「ことばの力」というのならわかります。これがまともな言語感覚ではないでしょうか。いくらなんでも「言葉のチカラ」はないでしょう。視力の悪い私ははじめて見たとき「言葉のオカラ」かと思いました。添削例その2「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のオカラを。ジャーナリスト宣言。朝日新聞」う~ん、シュール。たった一文字でずいぶん印象が変わりますね。言葉の残りカスをひたすら信仰するジャーナリスト。こういうヒトいそうですね、たしかに。さすがに赤ペン先生としては、ケチだけつけてそれで終わりというわけにもいきません。すこしはましなコピーにしておかないと。添削例その3ことばはときに感情的で、残酷で、人を傷つける。でもその世界の惨状を伝えるのもまた「ことば」だ。ジャーナリスト宣言。朝日新聞どうでしょう。元ネタが元ネタだけにあんまりぱっとしませんけど。でも、おそらく今頃は朝日新聞の広報担当者の中に巧妙な手段で侵入し、山手線の車内を使った大々的なネガティブ・キャンペーンを行って、朝日の権威失墜を企んだ(あるいは権威失墜にとどめをさそうとした)のは誰かということを一部の良心的な記者が徹底的に追求し、社長室に押しかけて猛烈な抗議行動を行っていることでしょう。そして明日の朝にはあの意味不明のコピーは山手線の車内から一掃されている。そう願いたいものです。ひょっとしたらこの文章を読んだ朝日新聞関係者の方でお怒りの方もいらっしゃるかもしれません。でもいっておきますが、私は20年来朝日新聞を取り続けている購読者です。しかし最近のていたらくはどうでしょう。少なくとも「ことばの力」を信じる人間があんなコピーを許容することができるとは私には思えません。一刻も早く目を覚ましてください。そうしないと、添削例その4「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、朝日のチカラを。非ジャーナリスト宣言。夕陽新聞。ちゃぽん(夕陽が沈む音)。」ということになっちゃいますよ。黙祷。
2006.02.01
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