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長田弘『単独者の言葉』(いいタイトルである)の中にこういう書き出しの文章がある。「思いたって、正月を、独りで京都の小さな宿で過ごした。知恩院の除夜の鐘を聞きながら、にぎわう明るい闇の中の参道を八坂神社のおけらまいりに行き、それからだれもいない深夜の道をとばして、神戸の六甲に登って神戸の港の初日の出を見た。宿に帰って、お雑煮を食べた。京都のお雑煮は、東京のおすましと違って、白みそである。初めて食べる白みそのお雑煮はおいしかった。」たんたんとした旅の描写である。だが、この文章には「言葉についての反省」というタイトルがついている。これは単なる旅行記ではないのだ。「私はこの初めてのお雑煮を食べながら、しかし、ふと奇妙なことに気づいた。『お雑煮』ということばは同じでも東京と京都ではこのことばによって表されるものはまるで違っている。それは風習の違いということもあるけれども、同時にことばが意味しているものそのものの違いでもあるのではないか。そのことをわたしはふいに考えたのだった。奇妙、というよりもむしろ不安、というほうが正確かもしれない。それは、わたしが『お雑煮』ということばでイメージするものと、京都の人が『お雑煮』ということばでイメージするものは全く別のものである、ということだ。」ここに述べられている「奇妙さ」や「不安」の意味するところはよくわかる。「ねえ、お雑煮ってあるよね」と話しかけられて、相手の頭の上にぽっかりと浮かぶ「お雑煮」のイメージ。そこに10人の人がいて、そのイメージを瞬時に画像化することができたとしたら、そこには10通りの異なるお雑煮の像が映し出されるはずである。だが、同時にそこには「お雑煮」というたったひとつのことばしかない。互いにまったく異なるものが「同じ」ものとして流通していることの奇妙さや不安。ここに述べられているのはそういうことだろう。われわれはひとりひとりの頭の中にあるイメージの微細な違いを徹底的にたたきならして、「共通の言語」を作り、それを使うことに躍起になってはいないだろうか。その陰で「差異の言語」は窒息させられているのではないか。ことばがそういう危機に直面していることを認識すべきである。長田氏はそう言う。だからこそ、この文章のタイトルは「ことばについての反省」なのである。この「お雑煮」という喩えはなかなかうまい。うどんやそばなら、全員に共通する近似的平均的イメージをなんとか思い浮かべることもできるだろうし、ラーメンならば、即座に「何味?」という質問がとんできそうである。でも「お雑煮」といわれたら、たいていの人は「ああ、お雑煮ね」というところで判断が停止し、その先の具体的な素材や形状や特徴の詮索にはなかなか向かわない。しかし現実にそのことばが喚起するイメージは多種多様であり、とても一語でカバーできるような単純なものではない。それぞれの地域色に、家庭ごとの微妙なバリエーションが加わり、およそひとくくりにはできない複雑さを帯びた料理、それが「お雑煮」なのである。みなさんは「お雑煮」ということばを聞いて、どういう具体的なイメージを思い浮かべられるだろうか。先日、なじみの床屋に行った時のこと。いつものように髪型以外のあらゆる話題が飛び交った後(なぜ髪型が話題にならないのか、不思議である)、マスターがこう言った。「ところで、先生、お正月は福岡に帰られるんですか」「うん、去年は帰れなかったんで、今年は帰ろうと思ってるんですよ。両親も年取ってるけど、幸い元気にしてるんで」「そりゃあ、いいですね」少し離れたところで掃除をしていた、立木義浩に少しばかり風貌が似た「ちょいわる」どころか、「かなりわる」おやじの店員が、「いいねえ、そういやあ、○○さんが福岡に帰る目的はお雑煮だったよね」「え、そんなこと、オレいったっけ」「いった、いった、2年前の今ごろ、福岡のお雑煮がどんなものかを説明してくれたじゃない。あれ以来、あのお雑煮のことが忘れられなくて、いまだに頭に焼きついてるよ。でも、福岡に旅行に行ったって、なかなか食えないんだよね。」「うん、やっぱり家庭料理だし、お正月以外でお雑煮を食べるってのもむずかしいだろうね。あまりお店で出すってものでもないし。」しかし、ほんとにそんな話したのかな。でもお雑煮は大好物だし、たぶん話したんだろう。でもいったいどんな話をしたんだっけ。そう思って、頭の中に私の「お雑煮」を思い浮かべる。まず「だし」。これは「焼きあご」でとる。「あご」ってわかりますかね。トビウオのことです。たしか長崎の平戸あたりでとれるトビウオのことだったと思うのだが、直接食べるには少しクセがあるので、天日で乾燥させてだしの材料にする。その「焼きあご」からは薄い黄金色をした、しかし味は濃厚で奥深いこくのあるだしがとれる。しいたけやこんぶや鰹節とは異なる、やや野性味のある、それでいて深く体の中に浸透してくるような独特の風味が口の中一面に広がる、そういう味である。もちは丸もちだ。つきたてのもちを女性陣が手に粉をつけてくるくるっと丸める。ちょうど手のひらにのるくらいのやや小振りな小もち。大きなお椀に二つか三つ入れるのが適量である。雑煮のもちは焼かない。「煮る」といえばいいのだろうか、とにかくお湯でやわらかくする。前の晩から大きな鍋に水を張り、その中に昆布を入れ、その上に翌日食べる分のもちをつけておくのである。水で少しふやかして食べやすくするためである。だから、前の晩に「明日もち何個食べる?」と聞かれたら即座に答えなければならない。食べ始めて、えっとあと一つ追加でもらおうかな、と思っても、それではまにあわないのである。過少申告も過剰申告も許されない。子供心に、この質問に答える時にはある種の緊張を感じたことを覚えている。そのもちの入った鍋は当日の朝、弱火にかけられる。煮る時間が短すぎると固すぎるし、長すぎるとどろりと溶けて鍋の底に広がってしまう。適度な頃合いを見きわめなければならない。もちはあくまでももちだけの鍋に入れられる。お椀にもった後、焼きあごの薄い黄金色の汁が濁って味の輪郭がぼけないように、それでいてもちを噛んで箸でひっぱると「びよーん」と気持ちよく伸びるように。その頃合いの見極めには慎重さと熟練を要する。これは何分何秒と機械的な時間で計ることはできない。年ごとに杵ごとに、もちに含まれる水分量は微妙に異なり、その加減をもちにきいてみない限り、最適の頃合いはわからないからである。まことに繊細、微妙な気配りを必要とする、これは料理なのである。適度なやわらかさに煮られた真っ白なもちが盛大に白い湯気をたちのぼらせながら、朱塗りのお椀の底にそっと入れられる。その上から薄い褐色の黄金色のだしがこれまたそっと注がれる。そして、そこに具が次々に載せられていく。青菜に使われるのは「かつおな」である。色はほうれん草に近い。濃い緑色である。大きな葉っぱで、茹でてもまだ「ごわごわ」「しゃきしゃき」とした歯ごたえが残っており、これがもちのぐにゃりとしたやわらかな食感と対照的な音を奏でる。やわらかなもちを「かつおな」でくるりとつつんで食すと、すいすいといくらでも食べられる。かつおなは熱を通しても濃い緑色はまったく褪せない。「まみどり」のかつおなと「まっしろ」なもちという二つの食材が朱塗りのお椀のなかで絶妙なハーモニーを醸しだす。視覚的にも申し分がない。かつおなは雑煮以外ではあまり用いられることのない食材だが、ことお雑煮に関しては、これがなければはじまらない。わが家では自宅のはずれの小さな庭にこれが植えられており、朝もぎたてのかつおなをばりばり、もしゃもしゃと食すことになる。ほうれん草や小松菜よりも「あく」や「えぐみ」が少なく、やや肉厚な青菜をほおばる食感も捨てがたい。そこに焼き豆腐が入る。これも焼きが入っていないと締まらない。オレはやわなもちさんとはちがうけんね、という黄金色の焼き印による自己主張が望ましい。そこに塩でしめた寒ぶりの切り身が入る。「え、ぶり?」と驚かれる方もあるだろうが、ぶりのない雑煮など、私は雑煮とは認めない。元旦の朝の祝祭気分の中核となるのはなんといってもこの「ぶり」である。きちっとしまった肉厚のぶりの切り身がお椀の一番上に二切れほど載っている。それを見ると、「あああ」とため息がでる。雑煮における「ぶり」の重要性はどう説明すればわかってもらえるだろう。そうだな、行列の出来るラーメン屋に並んで、長い間待ったあげくにカウンターに座る。「へい、お待ち」と「どん」とどんぶりが置かれ、湯気が立ち上る。どんぶりの上には肉厚のその店特製のジューシーなおおぶりのチャーシューが「でん」と載っている。そのチャーシューを眺めた時の興奮を思い起こしてもらいたい。これに近い役割を果たすのが、博多雑煮の「ぶり」なのである。当然、このぶりをどの段階で、どのような流れで食すかというのは、新年初冬のもっとも悩ましい問題となる。早くは食べたいし、食べるとなくなってしまってさみしいし、どうしよう、どうしようと心は千々に乱れるのである。小心者の私は最後に小さなぶりを残してお代わりをし、二杯目の時に新たに入れられたぶりと合わせて食べることが多い。だが、二杯目にぶりが追加されていなかったりすると、今年初めての悲痛な叫び声を上げなければならなくなる。「あら、ぶり残してるから、もういらないかと思って、いれなかったわよ」(原語訳:なんねー、ぶりばのこしとうけん、いらんとかとおもうて、いれんやったっとよ)「だからー、そうじゃないんだって。わかってないよなー、ったく。」(原語訳:あんねー、なしてそげんことばするかいな。いっちょんわかっとらんねー、ほんなごつ)私の繊細でかよわい神経は現実的、皮相的な臆断によってしばしば踏みにじられるのである。あとはかまぼこ。これもすり身の周囲をストローほどの太さの藁(博多では「すぼ」という)を巻きつけて焼き上げたものを使うことも多い。次に大分産のどんこ。まるまっちいおおぶりのジューシーな椎茸と思ってもらえばいい。それに縁起を担いで、昆布やするめを細く切ったものを載せる。梅の花の形に切ったにんじんも彩りに添えられる。これで見事に博多雑煮の完成である。熱々のもちを箸でつまみ、かつおなでくるんで食べる。焼き豆腐をつまみあげ、どんこをかじり、かまぼこを一口食べて、ぶりの切り身にかぶりつく。口の中で黄金色のあごだしともちとかつおなととうふとかまぼこと塩味のきいたぶりが渾然一体となって広がる。そして、さきほど飲み終わったばかりの極上酒のお屠蘇の残りをぐいっと呑み干す。くーーー、至福の瞬間である。「オレが二年前にしたのって、こんな話だっけ」「くー、くいてー」。隣で「かなりわる」おやじが悶絶の叫びをあげている。そのお雑煮を食いに、今から帰省する。そろそろ、電車の時間である。では、しばしのあいだ、ごぶれいする。さらばぢゃ。みなさんもよいお年をお迎えください。来年もよろしくおねがいします。
2006.12.30
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内田樹「私家版・ユダヤ文化論」(文春新書)を読む。そろそろ年末も押し迫ってきて、年内に読むことのできる本も数少なくなってきた。なにしろ11月上旬からほぼ一ヶ月にわたって、「グレート・ギャツビー」以外の本は一冊も読んでいないので(春樹訳3回、原書1回)、それが終わると、もういくらも時間が残っていなかったのである。べつに今年中に何を読むかということにこだわることもないのだけれど、今年はなぜか少しこだわってみたくなった。読んだ本について文章を書くようになったからか、時間意識そのものに変化が生じたのか、その理由はよくわからない。ギャツビー読了後、さて何を読むべきかと考えた。これまで読もう読もうと思いながら、いまだに読んでいない本、しかも、読む前からすでに充実した読後感が約束されているような本(奇妙な表現ではあるが)を選ぼうと思って、とりあえず(というのもまた奇妙な表現だが)網野善彦『日本の歴史をよみなおす』を手にとった。読後の感想は、「すばらしい」の一語に尽きる。世界史履修漏れの高校生諸君には(以前の履修漏れの元高校生も含めて)この本を一冊読むことを条件に「チャラ」にしてあげてもいいのではないかと思うくらいである。日本とか世界とかいうせせこましい問題を超えて、ここにはとても本質的なことが語られている。感想文なんか書く必要はない。ただ読後に残った様々な思いを抱えて生きていく。それだけで十分である。この本を読んで、しばし考えこむ。そういう時間を彼らが持つことは、大人たちの不毛な教育論議に耳を傾けるよりもはるかに有益である。しみじみとそう思う。しかし、さすがの名著とはいえ、なにぶん高校生が読んでもわかるように書かれた本である。3~4日で読み終えてしまった。年内にはまだ一週間ほど時間が残っている。どうしよう。読もう読もうと思いながら、いまだに読めずにいる本か。ふと本棚を見上げると、最上段に燦然と「文語訳 聖書」が鎮座ましましている。うーん、クリスマスも近いし、まことにつきづきしい選択ではあるが、さすがにちょっとばかりヘビーすぎる。年を重ねるごとに罪は重くなるばかりだし、ええっと、また今度にしよっと。ごめんなさいね、えほばさん、というような罪深いことをつぶやきながら、もう少し読みやすそうな本を探すことにする。おお、そうか、これこれ、これはぜひとも年内に読んでおかなければ。そう思って、抜き出したのが、内田樹「私家版・ユダヤ文化論」だったのである。(長い前振り、終了)さきほど本書を読了した。四日ほどかかったろうか。ほんとうはもう少しちびちびと味わいながら読みたかったのだが、後半、とくに終章のあたりでドライブがかかってとまらなくなってしまった。少しその感想でも書いてみようかと思う。(なぜかえらそうである)この本を読み始めた時、正直にいうとすこし違和感があった。いつもの文章と微妙に手ざわりがちがう。頁から活字が「立ち上がって」みえる、内田氏特有のことばの居住まいの正しさに変わりはないのだが、あちこちで文章の流れがとどこおっているように感じられる。屈曲というか、佶屈というか、いつものしなやかな流線形が見えてこず、なかなか文章のなかに入っていけないのである。「文学界」に連載されたものだから、回次によって微妙にスタイルがちがっているのだろうか。そうも考えてみたのだが、それにしてもいつもの書きぶりとは異なった感触がある。これはなんだろうと思いながら、読み進めていった。もちろんテーマのむずかしさということもあるだろう。なにしろ「ユダヤ文化論」である。一筋縄でいくわけがない。このごつごつとした文章の感じは、あるいはテーマの困難さのもたらすものかもしれない。そんな凡庸な感想を抱いていたのだが、ふとそうではないと気づいた。「困難なテーマ」について論じられているから文章がよどんでいるのではなく、むしろ「テーマの困難さ」を明示するために、そのような文体が意識的に選択されているのである。何十頁が読み進めるうちに、そう思うようになった。内田氏ほどの強力な咀嚼力と強靱な消化・吸収力の持ち主が、困難なテーマを扱いかねて文章がよどむなどということがあるはずはない。その困難さを軽々と跳び越える知的跳躍力の所有者が、あえてこのような書きぶりをしているということは、これはもう意識的な行為としか思えない。このテーマは、そういう内田氏をもってしても、明瞭に、明快に、すぱっと切りとることのできない、そういう性質のものなのである。それは解釈者の力量の有無に左右されない。むしろテーマ自体がはらむ絶対的な困難さのもたらすものなのだ。その困難さを表現するために、あえてこのような文体が選択されている。私はそう思った。要するに、読む人間の頭のなかを「片づかせない」ために、それにふさわしいスタイルが本書の前半ではとられているのである。流れがみえず、片づかず、すっきりしない。読み手はそういうもやもやとした空気の中に置かれることになる。しかし、終章に至って、いつもの内田節が戻ってくる。しかし、それで話はすっきりと片づくかというと、けっしてそんなことはない。読み手の頭のなかにはさらに混迷が広がっていく。これはそういう本なのである。もしも誰かに「この本の内容がわかったか?」と聞かれたら、私は「よくわからない」と答えるだろう。そして「おもしろかったか?」と聞かれたら、即座に「おもしろかった!」と答えるだろう。これはそういう読後感をもたらす本でもある。え、いってることがよくわからない?そうですか、やっぱりね。だって、わからないまま書いてるんだもん。しかたないじゃないですか。この本を指して「名著である」とか「感銘を受けた」とか「良書である」と評している文章をあちこちで目にした。私とはかなり異なる感性をもった人の感想だと思う。正直いって私はこの本を名著とも良書とも思わない。「感銘を受けた」とはいえるかもしれないが、むしろ「混迷のなかにたたきこまれた」というほうが実状に近い。でも、この本が内田樹氏の主著であるということは断言できる。これが率直な感想である。「名著じゃないけど、主著である」ってどういう意味なの?と思われる方もおられるだろう。この本をひとつの構成物として俯瞰すると、かなりバランスの悪いところがある。前半部のエピソードの配置や相互の分量的比率にはなんだか落ち着きの悪さを感じる。終章はがらりと文体が変わり、おそらくは当初の予想に反して、分量がどんどん膨らんでいき、かなり長大なものになっている。全体としてみると、ややいびつな印象を受けるのである。これはいわゆる「名著」や「良書」の呼称にはふさわしくない。第一、内田氏にはすでに数多くの「名著」がある。それらをさしおいて、この本を名著、良書と評定する気は少なくとも私にはない。「感銘を受けた」?たしかに感銘は受けた。とくに終章の展開は圧倒的である。だが、終章の呼び起こす風の強さ、風圧の大きさをはたして「感銘」というような「きれいな」ことばで表現していいものかどうか。私は迷う。正直に言おう。終章を書き進めながら著者の脳からは大量のドーパミンが分泌されている。私にはそのことだけはよくわかる。ユダヤ文化の本質を探究し、ようやく終点が見えてこようとするところで、突然視界が開け、まるで予想もしなかった密林が目の前に広がる。そこまでは私の目にもとらえられる。だが、大きな足でずかずかと森の中へ分け入っていく著者の向こうに広がる風景、私にはそれがまだよく見えない。だから「よくわからない」。でも凶暴とも思えるようなその脚力の強靱さ、思想的膂力は十分に伝わる。それだけは「よくわかる」のである。そして、読み進む私の脳内にも微量のドーパミンが放出されているのを感じる。要するに「わからないのにおもしろい」のである。いや、「わからないからおもしろい」のかな、ひょっとすると、「わからないところがおもしろい」のかもしれない。よくわからなくなってきた。もちろん理解することの困難なテーマを鋭利な包丁でみごとに切りさばいて料理することにもある種のおもしろみや爽快感はあるだろう。しかし、料理のしようがないほどに処理の困難な素材を眼前にしたときの圧倒的な質感、そしてそれに無謀にも挑みかかっていく著者の蛮勇、その時に全身に走るうちふるえるような快感。それにくらべれば、「わかる」ということの快感などどれほどのものでもないのである。啓蒙書としてとらえられることの多い新書の世界で、しかも、きわめて限られた分量の記述という制約のなかで、「どうしてこんなに無謀なことをするかなー」というのが私の感想である。というか、「どうしてこんなに無謀なことができちゃうんですか」という、これは素朴な疑問でもある。かなりの字数を費やしても、本書の具体的な内容にまったく触れることもできない哀れな書き手としては、それが不思議でならないのである。なんだよ、今回の感想文は中味なしかよー、といわれそうなので、最後にあわてて印象的な部分を少しだけ引用しておく。「道徳性についての根源的直観とは、おそらく私は他者の等格者ではないと気づくことである。私は他者に対して責務を負っていると感じることである。それゆえに、私は私自身に対しては、他の人々に対するよりもはるかに多くを要求することになる」(同書、p187。レヴィナスの引用部)「聖性とは総じて他なるものには最優先権を譲らなければならないという確信のうちに存在するものです。それは開かれた扉の前で、『お先にどうぞ』と言うことから始まって、他者のために、その身代わりとなって死ぬこと(それはきわめて困難なことですが、聖性はそれを要求しています)までをも含みます」(同書、p187~188。レヴィナスの引用部)え、これじゃさっぱりわからないって。だからいってるじゃないですか、さっきから、私もよくわからなかったって。もしもご不満ならご自分で手にとって読まれることをお薦めします。でも、きっとよくわからないと思いますよ。そして、その「わからなさ」にしっかりとついていくと、ある地点からあなたの脳からは快楽物質が分泌されてくる。それだけはうけあいます。これはつまるところそういう本なのです。読了後、放心状態の私は書籍のカバーをはずして、本書の裏表紙をぼんやりと眺める。「○○○○様」と私の名前が手書きで書かれている。その横には「恵存」と書き添えられている。「けいぞーん」(ないしは「けいそーん」)とはフランス語のような響きである。無学な私の語彙にはなかったことばだが「自分の著書などを人に贈るときにあて名の脇に添える語」のことである。「手許にお置きください」という意がこめられている。その下には「2006.10.10」という日付。その上には英字の署名とキュートな猫マンガ、その横に「よんでね!」とひらがなで書いてある。わーん、せんせーい、ありがとうございまーす。せんせいのブログへのアクセス7999999を見事げっとして、あこがれの猫マンガをついに手に入れることができましたー。この本もとってもおもしろかったでーす。よくわかんなかったですけどー。これからもよくわかんなくて、おもしろい本をたくさんたくさん書いてくださいねー。おうえんしてまーす。おっと、おもわず取り乱してしまった。失礼。要するに「真に困難なものと格闘する快楽以上の快楽はこの世には存在しない」というのが本書のテーマなのである。(ぜったいちがうな)私がなぜこの本だけは年内に読みおおせなければならないと思ったかということだけはご理解いただけたことと思う。とてもわかりにくい自慢となってしまってすまない。
2006.12.26
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完全に理解しつくせるものと、まったく理解できないものは、愛の対象とはならない。ある程度までは理解可能だが、最後の最後のところで、どうしてもわからない部分が残る。そういうものを私たちは愛の対象として選択する。そもそも最初から理解しようという気の起こらない場合は論外である。それはこころがそちらに向かっていないのだから、愛情の起動装置そのものにスイッチが入っていない。そういう状態は「無関心」と呼ばれる。完全に理解できるということは、しかし、その時点ですでに理解のレベルを超えて、「支配」の領域に入ってしまっている。支配下にあるものを庇護したり、愛玩したりすることはできるが、愛することはできない。庇護や愛玩と愛は違う。前者は既知が前提であり、後者は未知が前提だ。すべてが既知であったとしたら、そこにはもう愛は存在しない。まったく理解できないものに対しても、愛は起動しない。それはある意味では未知の塊なのだが、あまりにも大きすぎる未知は違和感だけを引き起こし、親和や親密の感情を呼び起こさない。したがって、そこにも愛は生まれない。まず対象を理解したいという強い欲望がある。その欲望は強烈な執着や愛着を伴って、どこまでも対象に肉迫しようとする。しかし、あと一歩というところで、極限までのばされた指の先から対象はむなしく逃れていく。その瞬間、伸びきった指の先端から分泌される感情、それが愛である。届きそうで届かないものに対してわれわれはあこがれを抱く。でも、あこがれもまた愛そのものではない。それはしょせん、愛にふりかけられる調味料にすぎない。調味料を皿に大盛りにしてもそれは料理にはならない。だから、あこがれは愛ではない。むしろ「届きそうで届かない」という条件のほうが、あこがれよりも愛の本質に近い。対象に到達したいというやるせない願望、でもどうしても到達できないという苛酷な現実、この二つの間の相克に愛の本質はある。両者の拮抗のなかでのみ愛は棲息可能である。二つの条件のうち、どちらかが明らかに優位に立ったとき、愛は終息してしまう。願望が現実に勝ると、そこには実体のない幻だけがあてもなくただよう。逆に現実が願望に勝ると、そこには無力な断念が生じる。二つの相異なる条件の間に、微妙で、かつ強力な磁場が発生しない限り、愛はその姿を現さない。この機微は何かに似ている。そう、それは文章を書くことと相似形をなしているのだ。文章で何かを書こうとすることは、結局はその何かを書けないという痛切な認識に人を導く。そこには無力という過酷な現実が立ちふさがる。そして、書くことそのものを断念した時、愛の可能性は跡形もなく消え失せてしまう。あるいはあらかじめ何かを書くことを断念し、あこがれに酔うための手段として文章を用いることもできるかもしれない。そこにある種の靄のようなもの、霧のようなものをただよわせることはできるかもしれない。でもしょせん靄は靄、霧は霧である。それが実体感のある文章の手ごたえにつながるわけではない。そこにはただ現実と遊離した底の浅い幻想がたちこめているだけである。そこにも愛はない。求めてやまないものに渾身の力をこめて手を差し伸ばし、懸命にその指先をのばして対象に手を届かせようとすること。そこにしか愛は宿らない。でも、届かないものに指先を届かせようとすること、それを愛の定義として認めてしまった瞬間に、その現実的な到達の可能性はあらかじめ断念されてしまう。愛も文章もその絶望的なアポリアのなかにだけわずかに自らの棲息条件を見出す。さわろうとしてもさわれないもの、表現しようとしても表現しえないもの、それが「愛」であり、「文章」なのだ。私はいったい何をいおうとしているのだろうか。そう、それは「あいだがあいだ」ということである。「間が愛だ」。懸命に手を伸ばし、指先を伸ばし、対象に触れようとする。その指先と目指すべき対象とのあいだに存在するかすかな、わずかな隙間。そこにこそ愛は棲息する。愛の棲息領域はその「あいだ」にあるということ。私にはそのことだけはわかる。もしもその狭い領域に双方から手を差し伸ばし、その指先に一瞬の放電現象が起きるとしたら、それを可能にする条件はなにか。残念ながら、それは私にはわからない。二つの指と指の間に、あるいは文章と対象との間に、一瞬でも虹をかけることができるのか。もしもできるとしたら、どうすればそれは可能になるのか。それも私にはわからない。私にわかるのは、二つの魂の隔たりをどこまでも零に近づけようとして接近を試みることの大切さと、しかし、その距離はけっして零にはなりえないという事実。ただそれだけである。ただひとつ 木枯らしにこごえる日には かじかんだ手を あたためてほしいなにひとつ たしかには見えなくても おびえることは なにもないからぼくらが もうすこし 愛について うまく 話せるときがきたら くらしていこうすばらしく すばらしく 毎日がすぎて 悲しみに出会う時は なみだをながそう 夜がきて あたたかいスープをのもう あしたも きっと またさむいからOh baby ぼくは君に話しかけてる あの日のように いつものようにぼくらが もうすこし 愛について うまく 話せるときがきたら くらしていこうすばらしく すばらしく 毎日がすぎて 悲しみに出会う時は なみだをながそうぼくらが もうすこし 愛について うまく くらしていこう悲しみに出会う時は なみだをながそう(スガシカオ「愛について」)この不思議な、そして完璧な歌詞の意味が一瞬わかりかけた気がしたのだけれど、もうすこしというところで、また差し伸ばした指の先からその意味は逃げていってしまった。私は、そして彼は、「愛について」いったい何を語ろうとしているのだろうか。
2006.12.22
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網野善彦『日本の歴史をよみなおす』(ちくまプリマーブックス)を読んでいる。緻密な実証研究と大胆な構想力が結びつくと、これほど平易で、かつ深みのある仕事ができるのかと思わせられる本である。学問における「問いの立て方」の大切さを改めて感じる。この本の中に「非人」の話が出てくる。被差別民を示す蔑称として用いられることの多い語であるが、この言葉を文字通りに解すると、「人にあらず」ということになる。「人にあらざるもの=人間以下のもの」ととらえるのは、考えてみるとあまりにも一面的、かつ短絡的な見方である。なぜならば、人間を超えた超越的存在は「人にあらざるもの」であり、自然もまた人知を超えるものだからだ。 「非人」や「ケガレ」ということばを旧来の通念から解放し、再吟味する必要があるのではないかというのが、網野氏が本書で訴えていることのひとつである。たとえば、「ケガレ」ということばにしても、単なる「汚れ」「汚穢」と考えられがちだが、それがどのような状況下で発生するかを考えてみると、一概にそうは言い切れない。ケガレとは「人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡がくずれたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安」と結びつくものだと述べられている。人間と自然との安定した調和、均衡がこわれることに対する畏れ、不安の感覚が「ケガレ」をもたらすというのである。たとえば、死、出産、火事、牛・馬・犬など人間以外の動物、罪業、これらはすべて自然と人間との間の均衡を壊し、欠損やアンバランスをもたらす。だから、死穢、産穢、焼亡穢、罪穢などが生じるというのである。そして、そのケガレは伝染性をもつと考えられていた。その伝染を防ぐためにはキヨメという儀式が必要になる。その作業に従事したのが「非人」と呼ばれる人たちだった。彼らは葬送や処刑や牛馬の死体の処理を通して、ケガレをキヨメる特異な力をもつ異能者とみなされていた。だからこそ、彼らは「神人(じにん)」として扱われることも多く、寺社とも深いつながりをもっていた。その彼らを共同体から排除された被差別民とのみとらえるのは誤りだ、と網野氏は指摘する。日本の歴史を振り返ってみると、どうも南北朝時代をひとつの転換点として、「非人」に対する見方が大きく変質しているように思える、と氏は言う。その最も重要なポイントは、人知を超えるものに対して「畏怖」を感じるか否かというところにある。南北朝以前には、人々は人知を超えた現象に対して「畏怖の念」を感じ、非人に対してもケガレをキヨメる特異な力の持ち主として一種の敬意すら抱いていた。ところが十三世紀の後半に至って、このようなケガレに対する意識に変質が起こってくる。ケガレは畏怖の対象というよりも、むしろ汚穢として嫌悪・排除の対象へと変わっていく。そして、このケガレに対する二つの思想のせめぎ合いからいわゆる鎌倉新仏教の動きが生まれてくるという壮大な構想が示され、それが「一遍聖絵」の絵巻物の絵解きを通して明らかにされてゆく。このあたりは本書の眼目であり、白眉でもある。表現が不適切かもしれないが、このあたりの「面白さ」は無類である。巻を措くあたわずという感じで、その語りの世界に引きこまれる。人間が畏怖の念を失ったということは、人間を超える存在を感じとることができなくなったということである。それはある意味では人間存在に対する自信をもたらし、自然に対する統御の可能性の確信につながったことだろう。しかし、自信は往々にして倨傲につながり、統御の確信はしばしば過信に陥る。ケガレへの感情が畏怖から嫌悪へと転換した後に、強い差別意識が社会に生まれたという事実は何を語っているのだろうか。人間が上位存在を見失い、その位置に自らを押し上げた結果、その位置を維持、確認するために下位存在を必要とするようになり、それが差別を生み出した。そう考えることはできないだろうか。本書には女性に対する一連の論考も含まれている。興味のある方は直接、本書に当たっていただきたいが、人間と自然との調和や均衡の崩れる瞬間を直接自らの体を通して感じとるのは、まずは女性であろう。新しい生命を産出する女性の姿は畏敬の対象として縄文の時代から土偶として形象化されている。その神秘性に対する畏れの念がいつしか変質して差別意識へと変わったとしたら、「非人」ということばにこめられた二重の意味はより深い普遍性、一般性をもつといえるかもしれない。日常生活からは暗闇が失われ、24時間寒々しい人工的な明かりが周囲を隅々まで照らし出している。思索を誘う深い沈黙は失われ、あたりは虚ろな喧噪に満ち満ちている。死も出産も無機的な病室の奥に閉じ込められ、ゴミはビニール袋に包まれて口を固く閉じられ、体臭は防臭スプレーでかき消され、排泄物はあっという間に白い便器の渦の中に吸い込まれる。ケガレの元となるべきものは一切排除され、差別語までついでにゴミ袋に詰めて人目につかないところにしまいこまれる。われわれは畏怖の念どころか、畏怖の感情を呼び起こす可能性をもつあらゆるものを根こそぎ放擲しようとしているように見える。畏怖の念を喪失し、その手がかりを抹殺し、その後に生み出された差別語すら禁忌の対象として葬り去る。いったいその先に何が待っているというのだろうか。行き場を失った巨大な沈黙と暗闇は、あるいは傲りと過信におぼれる人間のこころの中にそっと忍び込んでくるのかもしれない。いや、そのひそやかな侵入はすでにはじまっているのかもしれない。そういう気がしてならないのである。
2006.12.21
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岩波書店のPR誌「図書」に、詩人のアーサー・ビナード氏のエッセイがときおり掲載される。英米詩人の詩を原文と自身の訳詞とで紹介する内容で、見開き2頁の短いものだが、詩の選択とそれに付された日本語の文章が印象的である。最近の芥川賞、直木賞受賞直後の作家のエッセイなどを新聞で見るたびに、なんという内容の薄さ、文章のうすっぺらさよ、と寒々しい思いをするだけに、ビナード氏の背筋のすっと伸びた、明晰で含意に富んだ文章の書きっぷりがいっそう好ましく感じられる。06年11月号には、こういう詩が紹介されていた。When the War Is Over (W.S.Merwin)When the war is overWe will be proud of course the air will be Good for breathing at lastThe water will have improved the salmonAnd the silence of heaven will migrate more perfectlyThe dead will think the living are worth it we will know When we areAnd we will all enlist againこの詩にはビナード氏の以下のような訳が付されている。戦争が終わった暁 戦争が終わった暁にはわたしたちの胸はもちろん誇りに満ちようやく空気は吸っておいしいものになり水質も改善されて鮭と星々の静寂がより美しく正確に回遊して死者たちは生きている者を少しも恨まず犠牲を払ってよかったと思いわたしたちもみな自分自身への不安が解消してもう一度志願して出兵する最後に至ってはっと息を呑む、そういう詩である。訳詞も立派なものだと思うが、無謀にもこの訳を下敷きにして自分なりの訳を試みてみたい。戦争が終わったら戦争が終わったら私たちのこころは誇りに満たされ吸い込む空気もうまく感じられるようになり水もきれいになり鮭や天上の静けさもより美しくみごとに移りゆくことだろう死者たちは生きている者たちが生きるにあたいすると思いなし私たちは自らのあり方に自信を抱くようになる そして、われわれは再び志願して戦地へとおもむくのだいうまでもなくこれは反戦詩である。だが、日本における反戦のことばとは微妙に手ざわりが異なる。その違和感をことばにするのはむずかしいが、少なくともこの詩は情緒や情感に訴えかけるものではない。戦争の悲惨や苛酷さを描き、その非人間性を切々と訴えかけるというのではない、もうひとつの「反戦」の意思の示し方がここには表れているように思える。試みに日本の代表的な反戦詩を次に引く。死んだ男の残したものは 【作詞】谷川俊太郎【作曲】武満徹1.死んだ男の残したものは ひとりの妻と ひとりの子ども 他には何も残さなかった 墓石ひとつ残さなかった 2.死んだ女の残したものは しおれた花と ひとりの子ども 他には何も残さなかった 着もの一枚残さなかった 3.死んだ子どもの残したものは ねじれた脚と 乾いた涙 他には何も残さなかった 思い出ひとつ 残さなかった 4.死んだ兵士の残したものは こわれた銃とゆがんだ地球 他には何も残せなかった 平和ひとつ 残せなかった 5.死んだ彼らの残したものは 生きてる私 生きてるあなた 他には誰も 残っていない 他には誰も 残っていない 6.死んだ歴史の残したものは 輝く今日と また来る明日 他には何も残っていない 他には何も残っていない これもまたことばの力を感じさせる見事な詩である。武満徹の作ったメロディも歌詞にぴたりと寄り添い、メッセージをより遠くまで運ぶ力をもっている。私は高校生の頃、高石友也のアルバムでこの曲を繰り返し聴き、自分でもよく口ずさんだ。ここには戦争がもたらす悲惨や災厄が平易で具体的なことばで語られ、そのことばの隅々にまで周到な目配りが行き届いている。そして二度と戦争を起こしてはならないというメッセージが静かに、深く、力強く表現されている。しかし、それでも戦争はなくならない。それはなぜか。そういう視点が先に挙げた「When the War Is Over」という詩には感じられる。戦勝の喜びのなかに既に次の戦争の芽が胚胎しているということ。そのことを冷静に見据えない限り、戦争は終わらないという、ある意味では「冷たい」認識がこの詩の根底には流れている。考えてみると、このような「冷たい」反戦詩をわれわれはこれまでもつことがなかったように思う。戦争を遂行する側から戦争の真実を見つめる。それを通して、戦争の起こる過程をあらためて振り返り、その根源に潜む病弊とメカニズムを暴きだす。今、求められているのはそういう作業ではないだろうか。一方には戦争の悲惨さを描き出すやや情緒的とも思われる反戦運動があり、もう一方にはいわゆる「現実的」なパワー・ポリティックスにもとづく戦争のゲーム的解析がある。両者がそっぽを向きあっているなか、その間隙を縫って、原始的な心性に強く訴えかけるきわめて情緒的でヒステリックな戦意高揚の運動が一気に噴出する。そういう既視感のある光景がもう一度目の前に現出するのではないかという危惧を私はどうしても振り払うことができない。ビナード氏は前述の詩に続く文章の中でこう述べている。「(この詩は)当局が決まって約束する『戦争が終わった暁には……』の画餅を、拡大してその薄っぺらな不条理を照らす。鮭と星々と死者たちの向こうに、わたしたちの不毛な繰り返しが透けて見える。ベトナム戦争の頃に書かれた作品だが、少しも古くなく、悲しいことに現在のアメリカの虚構にもぴったりだ。」そして、この虚構がぴったりとあてはまるのは、ひとりアメリカ合衆国のみにとどまらないのである。
2006.12.19
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これは男性は「機能」、女性は「存在」というお話である。ああ、そういう「男性はなんとか、女性はなんとか」という話型自体がすでに決めつけであり、偏見であり、度しがたいドグマにとらわれていることの証左であるというような意見をお持ちの方は、とりあえずここで読むのをやめられることをお勧めする。なぜならば、これから書かれる内容は、その決めつけ、偏見、ドグマ以外の何者でもないからである。ある朝、身元不明の全裸の変死体が路上で発見されたとする。これがもしも男性であったなら、おそらくは「新宿の路上で身元不明の変死体発見」と報じられることだろう。そして、もしもそれが女性だったら、「新宿の路上で身元不明の全裸女性の変死体発見」と報じられることになるだろう。スポーツ紙ならば、デスクが「全裸」の前に「謎の美女」と赤鉛筆で書き込んでしまうかもしれない。この差はいったいどこからくるのか。これはそういうお話でもある。男性は、社会において「機能体」としてとらえられている存在ではないかと思う。それは何らかの機能を果たすことによって、はじめて存在を許される。そして、当の男性自身も何らかの機能を果たすことによって、はじめて自らをアイデンティファイすることができる。もしもその機能が停止してしまったら、それはもう存在体としてはカウントされない。だから、男性の変死体には、あえて「男性」と書く必要はないのである。なぜなら、機能を停止した男性の死体は、もう存在することをやめているのだから、性別などは問題にならないのである。それに対して女性は「存在体」である。それがどのような機能を果たすかということ以前に、女性はまず存在している。それがどのような機能を行うかということは二の次である。女性であるということ、それ自体が存在の前提なのである。だから、たとえ生命活動という機能を停止したとしても、女性という存在自体は消え失せることはない。だから、その死体は、「女性の」変死体として報道されることになる。しかも、存在ということを重視すると、それがどのような状態で存在していたのかということは重要な案件とみなされる。だから、そこには「全裸の」という形容句がつくのである。男性の死体が着衣体か全裸かなどということはほとんど問題にもならない。考えてもみてほしい。現代の社会は男女同権を基本原理としている。現実はどうあるにしろ、少なくとも理念としてはそうである。しかし、世界中の国々を見て、女性が事実上、政治的、社会的な権利をほぼ独占している国家というものがあるだろうか。私はそのような国家形態を寡聞にして知らない。これは考えてみると、かなり奇妙なことである。えっとですね、ここからは少し小声でいうことにしますが、私は個人的に20年間近く、18歳前後の人間に対して、ある程度、知的メッセージを発信し、それがどのように受信されるかを確認する作業をしてきた人間です。その結果、男女の性差に対してどのような認識をもっているかというと、正直に言わせてもらえば、女性のほうがその受信能力は高く、もう一段階、声を落としていわせていただくと、知的能力も女性のほうが確率的には高いと考えています。もちろんこれは個人的な感想にすぎず、どのような客観的、統計的根拠にも基づいてはいない。それこそ独断であり、妄信に近いものだということは念のために申し添えておきます。しかし、それがたとえ独断であるにしろ、ここに少なくとも一人は女性の方が知的感受性が高い、もしくは知的能力も高いと思っている人間がいるわけである。しかるに、全世界を見渡して、事実上、女性が社会的支配権を握っている国がひとつもないというのは、これはきわめて不自然なかつ異常な事態だとはいえないだろうか。もちろん出産、育児という条件が女性の社会的活動に制約を与えているという事実は無視できない。しかし、たとえそれを割り引いたとしても、これほどに男性の支配が一般性をもっているのはなぜか、なぜそれほどに男性が社会を支配する必要ないしは必然性があるかという質問を受けたとすると、私にはその問いにうまく答える自信がない。おそらく考えられる可能性は二つだろう。一つは事実として男性があらゆる面において支配権を行使するに値するほど高い能力をもっているということである。もう一つは、支配権を握っている男性が何らかの劣等意識、あるいは強迫観念にとらわれており、その裏返しとして支配権を独占しているという可能性だ。あるいは男性は社会的支配という機能を果たすこと自体が、自らのアイデンティティの核となっている。そういう可能性である。前者の可能性は少なくとも私の実感に反する。どのような領域でサンプル調査を行ったとしても前者の立場を論証するのは不可能だと思う。もし百歩譲って男女の間に能力差があり、男性が能力的に上位に位置しているということを認めたとしても、それはしょせん、8対2とか、7対3とか、6対4とか、そういう比率の問題になるはずである。だから、この立場が正しいとすれば、その比率に応じて男性が支配権を握っている社会が存在することになる。しかるに事実はそうではない。ほとんど10対0に近い比率で男性が支配権を行使している。こんなことはありえるはずがない。そうすると、残された可能性は後者しかない。男性は自分が支配するという機能を喪失した時、自分の存在が無に等しいものになることを直感的に自覚している、だからこそ、強迫観念にかられてひたむきに社会を支配することを求め、その機能行使の中においてしか自らの存在を意識することができない。そういうことではないだろうか。だからこそ、定年退職した男性は「濡れ落ち葉」あるいは「粗大ゴミ」と化してしまうのである。つまり、自分の存在自体に自足を感じることができない性、それが男性ではないかと私は思うのである。機能体としての自分の存在以前に、自分の存在に確固たる自信があれば、それほど躍起になって自分が優位に立とうとする必要はないはずだ。支配したい奴は支配すればいいし、したくない奴はしなければいい、でも支配するか、しないかという問題以前に、自らの存在は自明の事実である。男性がもしそう考えることができたとすれば、世界中でこれほど必死になって社会の支配権を握ろうとする必要はなくなるはずである。そして、機能以前にまず自分の存在自体を実感として認識する。そういうとらえ方は、どちらかといえば女性の自己認識のあり方に近いのではないかと思うのである。そもそも生物学的に見て、女性の存在は必要不可欠である。それに対して、男性は少なくともすべての個体が存在する必要はない。この違いに両者を分ける決定的な分水嶺があるのではないだろうか。生命体は種の保存を第一に考える。種を保存するために必要なのは、現に生きている個体以上の数の個体数を維持することである。そのためには女性の個体数はきわめて重要だ。女性が次世代の個体を生む以上、女性の個体数は次世代の個体数を決める上で決定的に重要な変数となる。男性はこれに対して、きわめて重要性の低い変数に過ぎない。乱暴なたとえでいえば、10人の男性と10人の女性がいたとして、10人の男性のうち9人を殺しても、次の世代の個体数にはさほど影響を与えないということが可能性としては考えられる。しかし、女性9人を殺してしまったとしたら、残る一人の女性が10人の子供を産むのはきわめて困難であり、可能性としても考えにくい。ここに「存在」と「機能」を分かつ決定的なポイントがある。男性は代用可能であり、女性は代用不可能なのである。だから、おそらく生命体の個体数の男女比がほぼ1対1なのは、個体数維持のためというよりは、むしろ「遺伝子の攪拌」のためだと思う。男性の数が女性とほぼ同数なのは、個体数を維持するというよりも、より多く遺伝情報を攪拌し、多様性を確保するためにのみ必要なのである。男性は「ミキサー」にすぎないのである。一夫一婦制というものもあるいは男性の恐怖心の生み出した産物ではないかという気もしてくる。自分の存在に対する自信のなさのあらわれ、あるいは一人の女性を自分につなぎとめておくための手段として、こういう社会的装置が発明されたのではないだろうか。こういう制度がなければ、自分はいつ抹殺、消去されてもおかしくない。そういう潜在意識がこの制度の背景に存在するのではないかとも思うのである。自らの存在を肯定するために、男性はやすみなく機能体として機能しつづける必要がある。社会において支配的な地位を維持しつづける必要がある。それが今日の世界におけるいびつとも思えるほどの高率の男性支配につながっているのではないだろうか。少数のきわめて優秀な牡の存在。それを選び出すための過酷な競争。不必要な牡のいわゆる間引き。それを最もシンボリックに表している競技、それは「競馬」である。男性がこの競技になぜあれほど熱狂するのか。寝食を忘れるほどにあの競技に熱中することの背後には、単なる一攫千金の夢だけにとどまらず、あるいは自らの存在に対する不安や哀しみの投影があるのかもしれない。走り続け、勝ち続けることによってしか、自らの存在の必要性を確認することのできない哀しい性。それが牡の宿命といえるのではないか。というような暴論を吐くことでしか、自らの哀れな存在感を確認できない性、それが男性というものの悲しい宿命なのかもしれない。ということで、今日の暴論をひとまずは終えるのである。
2006.12.18
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今日、競争原理は社会の支配的価値として広く承認されている。いや、承認というような意識的なレベルを超えて、まるで空気のように社会全体を覆っているといってもいいだろう。競争は社会や人々を活性化させるエネルギーの源である。そう思われている。自然界を見よ。そこには不断の闘争がある。環境に適応し、自らの生存を勝ちとるために、日々競争が行われ、適者は生存し、敗者は淘汰される。競争は自然の摂理なのだ。彼らはそういう。たしかに自然界の中に競争があるのは事実である。そして、それが生物の世界にダイナミックな動きをもたらしていることもたしかだ。でも自然界には「競争」だけがあるのではない。その競争はあくまでも「共存」を前提としている。そのことを忘れるべきではないと思う。大学を卒業して、いわゆるセールスの世界に身を置いたことがある。そこは100%競争の世界だった。契約を1件とるたびにポイントが加算され、壁に貼られた模造紙に個人別の赤い棒グラフが書き込まれる。毎日、朝礼の時には、各自のポイントが読み上げられ、一人一人立ち上がって今日の目標ポイントを大声で叫ぶ。そして、ミーティングを行い、かばんを抱え、「いってきまーす」と絶叫して外へ飛びだしていく。そういう職場だった。そこには活気があった。ひとたび市場へ出ると、厳しい罵倒や叱責がとんでくる。鼻先でドアを閉められ、水をかけられ、玄関先で蹴られそうになることもある。そういう厳しい市場へ出るまでは、せめて仲間同士、愉快な話をし、歌を唄い、励ましあって、その日一日をのりきろう。そういう活気が現地へ移動するワゴン車の中には充満していた。よそよそしいデスクワークではけっして味わえない雰囲気である。しかし、いったん車を降りると一人きりである。誰も助けてはくれない。一軒目の玄関のドアを叩き、用件を告げ、腰を下ろし、商品を説明し、契約書を出して、名前と住所を書き、印鑑を押してもらわなければならない。厳しい仕事である。顔がひきつっていてはドアは開かない。声が暗ければ説明の途中で断られる。セールスから物を買おうと思って待っている人間などいない。次々と高いハードルを越え、なんとか契約書をカバンから取り出して、客の目の前に提示する。その件数が一日に3~4件あれば上出来である。そのためにはその数の十倍以上の数のドアを叩かなければならない。その3~4件の中から1件契約がとれれば申し分ない。複数の契約をとることなどめったにない。そういう世界だった。われわれは4人でチームを組んでいた。28歳で新宿の支社長にまで登り詰めたトップセールスのM部長が車のハンドルを握り、残る3人が後部座席に座る。3人とも男性の新入社員である。私とIとU。いずれも新卒であり、入社してまだ一ヶ月足らずだった。Iはとにかく要領が悪かった。声は人の三倍くらい大きいのだが、肥満体で汗かきで物覚えが悪く、セールストークもいつまでたっても覚えられない。腰に小さなタオルをぶらさげて、始終、顔の汗をぬぐっている。鼻息は荒い。一日中、走り回ってもほとんど玄関先で断られる。そういうタイプの営業だった。Uはメタルフレームのメガネをかけ、スマートでなかなかハンサムだった。どちらかといえば女性的なところがあり、女性家族の中で育ったといっていた。物腰はやわらかく、表情は柔和で、いつも冗談を口にしていた。残念ながら、その冗談は冗談とは気づかないほど面白みに欠けるものだったけれども。私を含めたその三人はさっぱり成績が上がらなかった。営業の世界ではまだるっこしい言い方を嫌う。一日歩いて契約をとれないことを「ぼーず」といい、成績の上がらない人間を「低迷社員」という。M部長はわれわれ三人の欠点を一言で表現した。私は「硬い」、Iは「頭が悪い」、Uは「押しが弱い」。さすがトップ・セールス、三人まとめて10字程度で、よくその弱点を指摘したものである。しかし、考えてみると、いくら入社後一ヶ月程度とはいえ、部長もさぞかし頭が痛かったことだろう。伝説のトップセールスの部隊が低迷社員ぞろいでは、彼も立つ瀬がない。帰社後の営業日報のチェックは鬼のように厳しかった。だが部長も根は人情家である。市場に向かうワゴン車の中では、連日、大声で歌い、車内は大騒ぎだった。おそらくはわれわれがめげないよう、気を遣ってくれていたのだと思う。ある日、一日の仕事を終えて、集合場所に戻ってくると、M部長は満面に笑みを浮かべている。「ご苦労さん、○○、今日の結果は?」「すいません、ぼーずです。」言いにくそうに結果を告げると、私の背中をばしっと叩いて「よーし、あしたはがんばれよ」とあくまでも機嫌がいい。そこへIが大きなカバンを肩にかついでばたばたと汗をかきながら鼻息も荒く駆けてくる。「おお、ご苦労さん。I、今日の結果は?」「はいっ、三本です!」。三本?三件契約を取ったのか。全国レベルのトップセールスでも一日に三件契約がとれるのは、年に数回あるかどうかである。それを低迷社員がとったというのだから前代未聞だ。顔を上気させたIが報告している途中でUが戻ってくる。「おお、お疲れさん、結果は」「ぼーずです」「よーし、あしたはがんばれよー、二人ともIに負けるなよ」そういって四人はワゴン車に乗り込む。主役は当然、Iである。一軒目でいきなり契約が取れ、その客が近所の人を紹介してくれ、次々と連鎖的にオーダーが取れ、あっという間に三本取れたという。要領は悪いが、とにかく市場を走り回り、大声と体力だけは誰にも負けないタイプだけに、一気に勢いがついたようだ。翌日、私はまたも「ぼーず」だった。夕暮れの迫る集合場所で待つ私はM部長にそう報告した。M部長は厳しい顔で運転席に乗り込み、後部座席に座った私のほうに体をねじってこう言った。「おい、○○、Iは今日も二本とったぞ。おまえはそれでええんか。こないだから埼玉の支局長がしょっちゅう電話かけて、お前をよこせ、お前をよこせとうるさくてかなわん。お前は研修であいつといっしょやったろう。○○は頭もいいし、根性もある。あれだけの素材を低迷させるのはどうかしとるぞとさんざん嫌みをいわれた。オレはお前を手放す気はこれっぱかしもない。でもな、○○、ほんとにこのままでええんか。」M部長の表情はいつもとは違っていた。高卒でこの会社に入り、市場でさんざん修羅場をくぐってきた人間である。その顔はまるで般若のお面のように見えた。「ドア、開けてもらえますか」「……。」「これから続行してきます。八時になったら電話いれますから。降ろしてください。続行が終わったら電車で帰ります。」部長は黙って、ドアを開け、一言、「行ってこい」と私の背中に向かって声をかけた。続行一軒目、引き戸を開けて声をかけると、奥から夕食の準備中だったのだろう、まだ若い奥さんが手を拭きながら出てきた。「ごめんなさいね、ちょっと忙しいんだけど」その後、どういう会話をしたのかはよく覚えていない。気がつくと40分ほどが経過しており、私の手許には署名、捺印された契約書があった。「すいません、会社のほうへ電話をかけて契約内容の確認をさせていただきたいのですが、お電話をお借りしてもよろしいでしょうか。」「ええ、どうぞ。でも、あなた、すごいわね。あの話聞いちゃったら買わない人、誰もいないわよ。今日、いったいどのくらい売ったの」私は頭を掻きながら電話口のほうへ急いだ。まさか低迷社員だというわけにもいかない。会社への電話は事務方の女性が出ることになっていたが、いきなり支社長が出た。「おーし、どうやった、○○。」「お疲れさまです。契約していただきました。契約の内容確認をお願いします」「よっしゃー、ようやったー、絶対あいつは取ってくるっていま話とったとこやー、○○、わかったか、これが営業やぞー」内勤の女性が電話を代わり、私は滞りなく事務手続きを済ませた。電車に乗って会社に帰ると、支社長とIとUが待っていてくれた。Iは「いやー、よかった。○○さんがとれないわけないんすよ。オレなんかが三本とるほうがよっぽどおかしいんすから」と言った。私はうれしかったが、でも喜びを押さえる必要があった。Uは今日も「ぼーず」だったのだ。でもそのUはにこにこした顔で「よかった、よかった」とわがことのように喜んでくれた。Uはそれからも苦戦したが、一週間ほどして契約を取り、それから数日間で立て続けに3本とった。帰りのワゴン車の中は大騒ぎである。四人で大声で唄を唄い、ファミリーレストランで晩飯を食いながら騒ぎまくり、会社の中でもみんなの祝福を受けた。昨日までの低迷チームが一躍トップチームへと変貌したわけである。その晩はチーム全員で祝杯をあげ、ほとんど夜明けまで飲み明かした。
2006.12.15
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しかし、それから一ヶ月ほどしたある日、突然Uが会社に来なくなった。体でもこわしたのかと思い、自宅に電話したが、母親が出て、本人は不在だという。どうしたのかと思い、内勤の女性に事情を聞くと、「なんか、Uの契約におかしな点があって」「おかしいって?相手がブラック(過去に負債をこげつかせたことがあってローンが組めない人のこと)だったとか?」その女性は首を振る。「どうも架空オーダーらしいの」「……」話によると、Uは大学時代の友人や知人宅から電話をかけ、客を装ってもらい、仮名を使って契約内容確認の電話を会社にかけていたらしかった。私は何もいえなくなってしまった。成績が上がらない頃、Uと二人で一方が客になり、もう一方がセールストークを行う「ロールプレイング」をよくやった。彼はとてもにこやかで、口調もなめらかだったが、下唇が小刻みに震えていたことを思い出す。やさしくて、思いやりがあって、よく気がつく人間だった。おいしいラーメン屋があるからといって、よく高円寺界隈に連れていってくれたりもした。彼がそこまで追い込まれていたとは知らなかった。もうすこし早く気づいてあげるべきだった。こちらは買い手の心理を分析する営業のプロだ。それなのに隣に座っている同僚の気持ちがまったくわかっていなかったとは。私は唇を噛みしめた。私はその頃、すでにリーダーとしてチームをまかされるようになっていた。部下もよくついてきてくれたし、私以上に成績を上げてもくれた。これが競争社会なのだ。私はそう思った。誰が悪いわけでもない。勝つ者もいれば、負ける者もいる。これはそういう社会なのだ。そして、その一方でこうも思った。ここを去ろう。オレはここにいるべきではない。オレはここには向いていない。裸一貫で技術を磨き、それを拠り所にして生きていくことは嫌いではない。しかし負けた人間がぼろぼろになって捨てられていく場所には、オレは適応できないし、適応しようとも思わない。転職をして、今の職場に勤めはじめた頃、一人の先輩が「まったく、あいつ、仕事ができないばっかりに任せられる仕事がなくって、いつもうとうと昼寝をしていやがる、やってられねーぜ、まったく」と私にぼやいた。先輩の指さすほうを見ると、なるほど一人の男が体を前後に揺すって、舟を漕いでいる。でもその光景は、私には牧草地に横たわる牛の姿に見えた。なかなかのどかでいいじゃないか。無能な人間が昼寝できる職場というのもけっして捨てたものではない。彼一人分くらいならオレがその分働いてもかまわない。そうも思った。もちろんそんなこと口に出したりはしなかったけれど。甘いことをいうんじゃない。そんなこといってたら今の社会、生きてはいけないぞ。そういう叱責の声が飛んできそうである。たしかに自然界にも競争はある。しかしその競争はあくまでも「共存」を前提としたものだ。負けたものを根絶やしにするような競争を自然は行わない。それは自然から多様性を奪い、結果的に自然の存立そのものを危うくするからである。私は競争を否定しようとは思わない。競争の必要性も認める。しかし、同時にそこには競争から降りる「縄ばしご」も用意しておく必要があると思う。競争至上主義を唱える得意満面の人間の顔を見るたびに、私の脳裏にはメタルフレームの眼鏡をかけたUのやさしい笑顔が浮かぶ。そして、何ともいえない苦いものが胸のなかに広がるのである。
2006.12.15
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大学の頃、一般教養で「文学」の授業をとったことがある。講座名が「文学」というのだから、ずいぶん大ざっぱなネーミングである。どうせたいしたことはやらないだろうが、単位は取りやすいかもしれない。そういう軽い気持ちで受講届を出した。私の大学では、午前中、専攻の語学の授業がびっしりと入っている。クラスは30名前後で徹底的に文法の反復練習などをやらされる。端から順番に文法の小問を当てられ、一時間で7~8回ほども答える順番が回ってくる。前日の予習にも3~4時間はかかる。これなら受験勉強のほうがはるかに楽だった。そういう悲鳴がそこかしこからあがる。そういうところだった。だから、午後の一般教養の授業の頃には、もうみんなぐったりとしてしまう。もうどうでもいいや状態になっている。「ぶんがくー?おお上等じゃないか、教えてもらおうじゃないかよ、その文学とやらをよー」とはなはだ不遜な姿勢で授業に臨むことになる。まあ、そんなに態度の悪いのは私ひとりだが、個人的には大学で文学を学ぶこと自体にどこか反発を感じており、その反発心が逆に作用して、その授業を選ぶことになったのかもしれない。あんまりひねくれてるので、どっちが表でどっちが裏だか、しまいにはわからなくなってくる。始末におえない性格である。最初の授業の日、教室に入ると、20数名の受講生がいた。大学の教室といってもほとんど高校の教室と同じ大きさである。それが半分弱埋まっている状態だ。外国語の大学というと文学の授業は盛況と思われるかもしれないが、基本的にこの大学は実学中心である。卒業生は商社に就職する者が多く、あくまでも実利を得るための現実的手段として語学がとらえられている。文学、哲学、社会科学系の授業は比較的すいており、各国事情のほうが人数は多かった。受講生はご多分にもれず、女性が大半。7割くらいを占めている。しかし、チャイムが鳴ってしばらくたっても、教授はいっこうに現れない。私は早くもこの授業をとったことを後悔しはじめていた。開始時刻からすでに20分ほどたった頃だろうか、ドアが開いて、教授が入ってくる。名前は「アンドウ」というそうだ。小柄な初老の男性である。痩身で全身黒ずくめの服装だ。細身のダークグレイのズボン。黒のタートルネックのセーター。それに黒いブルゾンのようなものを羽織っている。おまけに顔には黒のサングラスをかけている。髪にはやや白いものが混じってはいるが、これも基本的には黒。なんだか「カラス男参上」という感じである。シラバスによると、この先生は自著があるようである。「蕪村」などと書いてあるので、江戸期の俳人の研究家だろうか。でも教科書の欄には書名の記載がない。教科書を買わないでいいというのも、その授業を選んだ動機のひとつだった。どこまでも志の低い学生といわねばならない。全身黒ずくめの、やや陰鬱な感じの先生は、ちらっとわれわれを見渡して、明らかに「ふんっ」という顔をする。だるそうで、めんどくさそうである。「こんなやつらに話したってわかるわけねーんだよ」というメッセージがその顔から明瞭に読みとれる。その様子を眺めていると、少しだけ興味が湧いてくる。私がもっとも苦手とするのは、いわゆる「教師らしい教師」、「先生らしい先生」である。「君たちと話すことが私の人生の目的であり、最大の喜びなのだ」というような顔をされると、その場でクラウチング・スタートの構えをして、猛然と教室外に飛び出していきたくなってしまう。でもアンドウ先生は、それとは正反対のタイプらしい。これはけっこう悪くないかもしれない。私はそう思い始めていた。それにどうみても江戸期の俳句の研究者には見えない。デカダンか前衛派の詩人みたいである。煙草の吸い殻がつっこまれたコップの水を教室に来る前に一息で飲み干してきたのではないかというような渋面をしている。その表情を見ていると、いったいどんな話をするんだろうという興味が逆に湧いてくる。「これから一年間の授業でやることを黒板に書く。」先生はそういってわれわれに背を向け、黒板になにやら書き始める。黒板の右端から順番に5~6個の俳句がぽつんぽつんと書き付けられる。書き終えた先生は、つまらなそうな顔をして、白いチョークをぽいっと黒板の溝の中に放り投げる。「これが一年間の授業でやることのすべてだ。」えっ、一年間かけて、俳句が六個?とりあえず、その俳句をノートに書き写しながらも、ひょっとしてこのおっさん、いっちゃってるのかな、などと失礼なことを考える。「どれかひとつでもこの中の俳句、解釈できるやつはおるか」先生はそうのたまわれる。「ちゃんと解釈できたら、その場で単位やるぞ。もう授業にはこんでもいいから、単位は進呈する。どうだ、だれかおらんか。」黒板には、 紫陽花や薮を小庭の別座敷などという俳句が並んでいる。でもなー、俳句なんか一読して解釈できるようなものでもないしな。みんなこれまで見たこともない句ばかりだし。よくわかんないや。おそらく他の人間も同じように思ったのだろう、一人の手も上がらない。先生はその中の一句を取り上げ、「岩波のバカども」の通俗的な解釈を紹介し、口をきわめて罵倒する。内容の妥当性はともかくとして、その痛罵ぶりはなかなかにあざやかである。うん、なかなかおもしろいじゃないか、この先生。ずいぶん変わってるけど。そう思っているうちにチャイムが鳴り響く。しかし、一度勢いのついた先生の罵詈雑言はとどまるところを知らず、国文学の権威を片端からこき下ろしながら、授業はさらに30分ほど延長され、やっと終わった。「来週はこの句をやる。3回か4回かけてやる。何を調べてもいいから、なんとか自分なりに解釈してこい。」そう言い残して、先生はつまらなさそうに教室を後にする。いつの間にか、窓の外は薄暗くなっていた。一週間がたち、二回目の講義が始まる。「誰か、調べてきたやつはいるか」先生がそう言う。いかにも真面目そうな女学生がノートを見ながら、滔々と解釈を披瀝する。先生はそれを聞き終えて、口から吐きだした苦虫をもう一度拾って口に押し込んだような顔をして、「そりゃあ、○○の解釈だな。ずいぶんつまらんこと、考えとるもんだ。他には?」怖くて手が挙げられない。教室がしーんと静まる。そこから先生の話が始まる。まずひとつひとつの単語から、その意味、形状、含意、連想が一歩一歩、明らかにされていく。ふんふんふんとこちらは徐々にその話に引き込まれていく。けっして話がうまいわけではない。むしろ訥弁に近いといってもいいくらいだ。それはちょうど大きな独楽(こま)が頭を振りながら、ゆっくりゆっくりと回転を始めるさまを思わせる。つっかかり、つっかかり、あっちへこっちへと傾きながら、徐々に独楽は回りはじめる。ひとつひとつのことばの意味が明らかにされ、そこから詩的なイメージがつむぎだされてくる。それにつれて独楽は徐々にそのスピードを上げていく。授業が始まって一時間くらい過ぎた頃、その独楽は最大のスピードで音もなく高速で回りはじめる。ちょっと見にはまるで止まっているかのように、芯を一点に据えて、ものすごいスピードで回転する。解釈が膨脹し、連想が飛翔し、詩想が展開する。聞いている者の頭の中に色とりどりの情景が鮮やかに浮かんでは消えていく。私はその話に聞き惚れて、ほとんどチャイムが鳴ったことすら気づかない。先生はいつも20分くらい遅刻して、30分ほど延長する。窓の外が徐々に暮色を深くしていくのを感じながら、巨大な独楽は教室の中で高速で回転しつづける。紫陽花の花を思い浮かべてみろ。ちがう、ちがう、今の紫陽花じゃない。あれは西洋種だ。この頃の紫陽花は額紫陽花に決まっておる。その形状を思い浮かべろ。そう言われる。われわれは四つの花弁をもつその花を思い浮かべる。それは何かに似ていないかと問われる。似たものはないかと必死に考える。四つの花弁、真ん中には小さな粒状の花が密生している。四つの方形と真ん中の小さな部分。黒板に絵が描かれる。「何に見える?」えーと、何だろう。似たような形の花があったかな。四つの四角とその中心にある小さな花の群れ。自然の景色かな。でも自然のなかにはあんまり方形は存在しないし。うーん、と私は考えこむ。そして、突然「あっ」とひとつのイメージが浮かぶ。でも、見当はずれのことを言ったらぼろぼろにけなされる。どうしよう。誰も答えないな。どうしようかなー。ええい、いいや、いっちゃえ。「四畳半!」と私は声に出す。一瞬の沈黙。「その通り。よくわかったな。」 よかった。罵倒されずにすんだ。話はそこから四畳半のもつ空間的意味、それと禅との関係、茶の湯の作法、茶室の作り、客人のもてなし方、それに対する返礼の仕方というように、連想が次々と浮かび上がり、高速スピンのかかった独楽は金属製の床をドリルでこじあけるように回転し、金属の破片を周囲に勢いよく弾きとばしていく。そして、最後にその俳句のイメージがわれわれの頭の中にくっきりと現れる。もう授業時間は30分以上過ぎている。でも、誰もそんなことは気にしない。詩的幻想力によって頭のなかにあざやかに描き出された極彩色の絵画を前にして、私の鼓動はどきどきと速まる。これが詩というものなのか。詩というものはこのようにして生まれ、増殖し、完成されていくものなのか。詩などというものとは無縁な生き方をしてきた私にも、それが生成していくプロセスが実感として伝わってくる。それは伝統的な短詩の解釈という形をとりながら、詩の生成のプロセスを体感させる講義だった。授業が終わっても、しばらくは動悸が収まらない。慣性の法則で回り続ける頭の中の独楽が回転をゆるめるまで、私は外に出て、あちこちを一人で歩き回り、頭を冷やさなければならなかった。なんという人だろう。その解釈が正しいか、正しくないかなどということはもうどうでもよくなってくる。ただそこにははげしいきらめきとあざやかな光の放射とおびただしい発熱がある。詩的イメージがぐるぐると上方に向けて螺旋を描き、ついには巨大な幻想の竜巻が発生する。この人の頭のなかはいったいどうなっているんだろう。そのようにして先生の講義は終わった。先生の予告通り、3~4回かけて一つの俳句を解釈し、それを六回繰り返したら、もう1年が過ぎていた。先生は生徒への評価が厳しいのでも有名だった。単位は出すが「優」は出さない。それが先生の流儀らしかった。その先生から二年続けて「優」をいただいたことが、私のひそかな誇りである。その先生の名を安東次男という。レジスタンス派を中心としたフランス現代詩に通じ、芸術派と社会派との融合を目指し、自らも日本を代表する詩人として活躍した。加藤楸邨に師事し、句作を行う一方、芭蕉、蕪村などの伝統的な詩文学の研究者として斬新な解釈を次々と世に問うた。通称「アンツグ」。それが「カラス男」の正体だった。しかし、私がそのことを知ったのは、それからずいぶん後のことである。今の職場に入り、源氏の研究で東大の大学院を出た同期入社の同僚に安東先生の話をしたら、「え、あのアンツグの授業を受けたのか」といって、心底うらやましそうな顔をされた。5~6年前、新宿の駅の階段で一度先生とすれ違ったことがある。私は思わず頭を下げた。先生はこちらをちらっと見て、つまらなそうな顔で「ふん」といわれた。光栄にも顔を覚えてもらっていたようである。4年ほど前、新聞で先生の死を知った。写真入りの大きな扱いだった。送辞は大岡信が読んだのではなかったか。その記事を読み終えた後、私は巨大な独楽が大きく首を振りながら、回転を徐々にゆるめ、やがて「ことり」と傾いたまま動きをとめた姿をしずかにこころのなかに思い浮かべていた。
2006.12.13
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今から40年以上前、「草加次郎」事件と呼ばれる連続爆破事件があった。昭和38年9月、東京の営団地下鉄銀座線の車内で座席の下にあった手製爆弾が爆発、乗客10名が重軽傷を負った事件である。時限爆弾の電池にはマジックで「次」、「郎」と書かれていた。翌日、吉永小百合宅に「急行「十和田」に乗車し、合図が見えたら100万円を投下しろ」という脅迫状が届く。封筒の裏には「草加次郎」の名があった。前年の11月には島倉千代子後援会事務所に爆薬入りの封筒が届き、発火する事件も起きており、同月、飲食業の女性宅で同様の封筒が発火、有楽町の映画館でも同じく爆薬入りの封筒が発火。世田谷区の電話ボックスでも同様の爆発事件が起こっていた。前代未聞の連続爆破事件として社会に大きな衝撃を与えたといわれている。とはいえ、当時、小学校入学前だった私はこの事件の詳細を覚えているわけではない。ただ「草加次郎」という名前だけは頭に刻みこまれた。結局、犯人は特定されず、逮捕もされなかった。当時、テレビのドキュメンタリー番組でもこの事件が取り上げられ、おそらくはNHKの「現代の映像」だったと思うが、その事件の特集が組まれた。小学校の低学年だった私は、その再現映像に食い入るように見入った。そこは地下鉄の車内だった。座席には乗客が座っており、いくつか空席も見える。しばらくすると、次の駅に停車する。ドアが開き、人間の形をした真っ黒な影がゆっくりと車内に入ってくる。空いている座席に腰を下ろし、しばらく電車に揺られた後、彼は爆発物の入った封筒をそっと座席の下に置き、そのまま降車していく。おそらく当時の映像技術だから、それほど凝った技法が使われていたわけではなかったろうが、通常の車内風景の中に人間の輪郭をした真っ黒な影があらわれ、やがて消えてゆくさまに子供ながらも強い恐怖心を抱いた。私は幽霊やお化けや暗闇にはさほど恐怖心を覚えなかったが、その黒い影にはこころの底から震えるほどの怖ろしさを感じた。 ほとんど音楽も流れない。時間を追って犯人の足跡をたどる淡々としたナレーションを背景として、黒い影がゆっくりと移動していく。その映像をその後、何度も夢に見た。それから数年後のこと。私は夕食後、家の庭に出てバットの素振りをするのが習慣だった。テラスの前の庭には居間のあかりが射し、夜でも比較的明るい。ただ家の裏側に回ると、急に暗がりになり、家のあかりは届かなくなる。我が家の台所と風呂場はその裏庭に面していて、その向こうの通りとは「まさき」の生け垣で隔てられていた。その生け垣には一応、門らしきものがあるにはあったが、それらが閉じられることはなく、誰でもそこから自由に入れる作りになっていた。ずいぶん不用心に思えるが、当時としては別に不思議なことではなく、近所の人や御用聞きの人たちがそこから自由に出入りしていた。夜の九時過ぎだったろうか。小学校3年生くらいの私は、いつものようにバットの素振りをしていた。秋から冬にかけての寒い時期だったように思う。素振りを終えて、バットを裏庭に面した台所の傍にある井戸水用のポンプの脇に立てかけた。そして、体の向きを変えて家に入ろうとしたその時、裏庭の向こうに黒い人影があることに気づいた。その影は、風呂場の扉の下のほうにしゃがみ込んでいる。扉は木製の古いもので、扉と壁の間には細いすきまが開き、そこから光が細く洩れている。風呂場の中からはお湯をかける音が響いている。ちょうどその時、母親が入浴中だった。私はその場にたちすくんだ。動こうとしたのだが、どうにも体がいうことをきかない。5~6メートルほど先の影を見つめたまま、その場にじっと立っていた。そのうち、影が中腰になって、風呂場の扉のほうに上体を傾けた。私は混乱した頭のなかを懸命に整理しようとした。「あいつは風呂場をのぞいているんだ」。ようやく今の状況をことばにすることができた。そして、なんとかしなければならないと思った。でも、体は動かない。数歩歩けばいま置いたばかりのバットが立てかけてある場所までいける。そこまでいこうと思うのだが、体の自由がきかない。それでもなんとか右足を持ち上げ、その足を踏み下ろした時、落ち葉が「がさっ」と音を立てた。黒い影が中腰の姿勢のまま、こちらを振り向く。風呂場の扉の隙間から夜の闇の中に細い光の筋が放射されているが、そのかすかな光はその影をいっそう黒々と見せるだけで、姿形はいっこうに明らかにならない。やがて、その影は上体を起こし、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。その時に私が何を考えたか、よく覚えていない。とにかくあれほどの恐怖心を感じたことはそれまでなかったと思う。父と兄は居間でテレビをみている。母は入浴中である。裏庭の暗闇の中にいるのは私と黒い影だけだ。私は懸命に自分を落ち着かせようとした。数日前に近所で「のぞき」の被害があったという話をかすかに思い出した。そして、怖ろしさと同時に、正体のよくわからない憤りを身内に感じはじめていた。うまくことばにできないが、おそらくは「母親が見知らぬ人間に汚されている」というような屈辱感と怒りがこみ上げてきたのだと思う。だから、私は足をすくませながらも、なんとかバットを取りに行こうとした。しかし、最初の一歩を踏み下ろしたまま、足はその場ですくんでしまった。影はゆっくりとこちらに近づいてくる。やがて、目の前を横切り、背中を見せ、裏庭から音もなく出ていった。急ぎ足でもなく、こちらを見ることもない。何事もなかったように、できるだけ平静さを装いながら、影は徐々に小さくなり、やがて消えていった。かたわらを通る感触では、何となく大学生の男のように思えたが、確信はない。当然ながら、自分よりもはるかに大きな影だった。その巨大な黒い影の残像は私のこころのなかにずっと残った。強い憤りと自分のふがいなさに対する自責の念が徐々にこみ上げてはきたものの、それを圧倒するほど巨大な影がこころのなかに不気味に広がっていった。その日の記憶を振り返るたびに、テレビで見た「草加次郎」の映像がそれに重なる。人相も年齢も性別さえも判然としない真っ黒な巨大な影。それのもたらす根源的な恐怖と畏怖。それから長い間、その影は自分のこころの中に居座っていた。でもやがて大人になるにつれて、その陰は徐々に小さくなり、ついには消えてしまった。私はあの影のなかにいったい何を見たのだろう。そして、どのような恐怖が私のこころを深くとらえたのだろう。おそらくそれは自分の身の危険というような具体的なものではなかったように思う。もっと漠然とした、それでいながら根源的な恐怖をあの時の自分は感じていた。ひょっとすると、それは無差別的な「暴力」と「性」に対するおびえだったのかもしれない。次々と爆弾を仕掛け、人々を恐怖に陥れる無差別的な暴力、暗闇のなかで息を潜め、風呂場の扉に身を屈める歪んだ性に対する好奇の眼差し。それらの暗い影があるいは自分のこころの中にも存在しているのではないか。その予感と不安。外部にある暴力や性を怖れるというよりも、むしろ自分自身のこころの奥深くに存在する暴力と性への欲望と怖れを私はその時、感じとっていたのではないだろうか。あの時、私があれほど二つの暗い影におびえたのは、自身の中にある暗部への根源的な怖れだったのかもしれない。今になって、そう思うのである。
2006.12.12
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文章を書くことは「吐く」ことではないかと思う。ブログを書いていると、時折「よくそんなに書くことがありますね」といわれることがある。「書くことなんて、とくにないですよ」と答えると、相手にきょとんとした顔をされる。「だって、書いてるじゃない」。相手の顔はそういっている。たしかにそうだ。これまで200本以上の文章を書いている。とりたてて書くべきこともないのに、文章が書けるのはなぜか。それは「文章を書いているから」である。なんだか話がどうどうめぐりで意味をなしていないように聞こえるかもしれないが、書き手の実感としてはそうとしかいいようがないのである。ある程度まとまった分量の文章を書くようになって、以前と何か変わったことがあったかと聞かれると、うーんと考えこんでしまう。とくにものの考え方が変わったわけではないし、文章力が格段に向上したとも思えない。別に謙遜しているわけではなく、できたら「いやー、文章力がついちゃって、困った、困った」くらいはいいたいのだが、そんなことはない。断じてない。いくらなんでもそんなでたらめを口にするわけにはいかない。ある程度の正直さは生きる上での美徳のひとつである。ニック・キャラウェイくんもそういっている。そうですよね、ギャツビーさん。「『ある程度の』は君がつけ加えたことばだろう、おーるど すぽーと」。あ、ばれたか。それはさておき、ブログを始める前にも、職業上の理由からある程度、文章は書いていた。以前書いた自分の文章を何年か後に読み返す機会もあった。その時には「ふーん、まあ、こんなもんじゃないかな」と思っていた。発想も今とあまり変わってないし、とくに感心もしないが、とりたてて失望もしない。良かれ悪しかれ、これが自分の文章なんだろう。そう思っていた。しかし、ブログを初めて何ヶ月かたって、数年前に書いた自分の文章をたまたま読む機会があると、そこに微妙な違和感を感じるようになった。うまく説明できないが、なんだか読んでいて息が詰まるような気がするのである。内容的には以前と同じように「まあ、こんなもんだろう」と思うのだが、読んでいてスムーズに呼吸ができない。要するに、文章が「息をしていない」のである。こういう感覚は以前には味わったことがない。変化があったといえば、これくらいだろうか。かなりの分量の文章をある程度コンスタントに書くようになって、「文章は呼吸だな」ということをあらためて感じるようになった。考えてみると、これはあまりにもあたりまえのことである。生身の人間が自分の思いをつづっているんだから、その文章も当然、生きており、生きている以上、呼吸するにきまっている。でもそんな単純なことが以前には「実感」としてわかっていなかった。だから、その当時の文章は息をしておらず、読んでいても息苦しい。おそらくそういうことなのだろうと思う。文章を書くためにはどうすればいいか。その類のハウツー本は本屋にあふれている。私はそういう本を一冊も読んだことがないが、なぜ読まないかというと、最初の一歩がまちがっていると思うからである。文章を書くためには本を読んで、何事かを吸収すべきである。その第一歩が誤っていると思う。要するに、その発想は、自分には足りないものがある、それをまず吸収して身につければ、文章が書けるようになる。そういうことだろう。「まず吸うこと」、その第一歩がおかしいと考えるのである。昔、泳げなかった頃、どうしても息つぎができなかった。顔を水につけるだけで緊張する。緊張すると、人は思わず息をとめる。しばらく息をとめていると苦しくなる。あんまり苦しいので水面から顔を上げる。そして息を吸おうとする。でも、うまく息が吸い込めない。顔を上げていられるのは一瞬である。うまく息を吸えない状態で、ふたたび顔は水面下に沈む。さっきよりもっと苦しくなる。おもわず顔を水面上に出す。でもやっぱりうまく息が吸えない。ずぶずぶずぶと体が沈んでいく。この現象を「溺れる」という。いったいこのプロセスのどこに問題があるのだろう。私はプールでじたばたと体を動かしてもがきながら考え、ある日、忽然とその理由に思い至った。私は息を吸おうとばかりしていて、吐いていなかったのだ。水中で息を止め、水上で息を吸おうとしてもうまく吸い込めないのはあたりまえだ。だって、息を吐いてないのだから、吸えるわけがないのである。なんだ、そういうことか。そう思った私は顔を水面につけて、勢いよく水中に息を吐き出す練習をした。ほとんど無意識のうちに呼吸をしているふだんとは違って、水中で息を吐くことにはそれなりに意識的な努力が必要だ。吐く息をいったん口の中にためて、せーのーで「ぶふう」と一気に吐き出す。そうやって息を吐き終わると自然に顔が水上に上がる。目の端にちらりと青空が見える。その瞬間、すっと息を吸い込む。ああ、吸えた。ざぶんと顔が水に浸かる。再び、ぶふぁっと水中に息を吐き出す。顔を水面から上げる。その繰り返し。ああ、泳いでる。自分は泳げるようになったんだ。私が泳げなかった原因は「吐く」ことを忘れていたからだった。吐けば吸える。これは理の当然である。しかし、私は呼吸というのは、「吸ってから吐く」ものだと思っていたのである。でも、よく考えてみると「呼吸」という文字の成り立ちそのものが「吐いて吸う」形になっている。世にある多くの呼吸法も、まずは深く静かに体内の息を吐ききることから始まっている。そのことの意味を考えるべきだった。呼吸における最初の一歩はまず「吐く」ことなのである。この時の記憶は鮮明に残っている。そして、文章を書くことと「泳ぐ」こととの間には意外に共通する部分が多い。まず、どちらも生まれつきではなく、後天的に身につけるものであるということ。次に、どちらもとりあえずやってみなければ話が始まらないということ。模範文例を繰り返し熟読し、暗唱しても、それだけで思い通りに文章が書けるわけではないし、インストラクターの模範泳法をビデオで仔細に分析しても、それだけですいすいと泳げるようになるわけではない。さらにどちらも「吐く」ことから始まるという共通点をもっている。しばしば誤解されていることだが、人は何か書くべきことがあらかじめあって、それを忠実に書き写しているわけではない。たしかに何かを書こうとして文章は書き始められるわけだが、書き終えて出来上がった文章は、当初のイメージとはかなり違うものになっている。文章を書くということは、自分の思いをまず「吐き出す」ことによって、呼吸のリズムを作り出し、そのリズムに沿って自分の考えを生成し、形成していくことなのである。とりあえず書いて、自分の思いを吐き出す。吐き出すことによって、物事を吸収する態勢ができる。街を歩いても、本を読んでも、音楽を聴いても、人と話をしても、それらを「吸う」ことができるようになる。当然、さっき自分自身で出した呼気をもう一度吸い込むこともその中に含まれる。このようにして「吐いて吸う」サイクルができ、そのリズムをもつことによって、文章ははじめて生き物となる。呼吸をして動き出すようになる。そういうことではないだろうか。だから、とくに書くべきこともないのになぜ文章が書けるのかと問われたら、「書いているから」としか答えようがないのである。それは「吐いているから」といっているのと同じことなのである。吐くことを起点として文章の駆動装置にスイッチが入り、そのエネルギーを利用して、世界を自分の肺の中に吸い込む。それを体内に循環させて、自分の息として再び吐き出す。それらを「すう、すう、はっ、はっ」とリズミカルに繰り返すことで、文章が少しずつ形をとりはじめる。それが書くということではないだろうか。人間の肺活量が吐く息の量によって測られるということの意味を、われわれはもう一度考え直してみる必要がある。文章を書くことは「吐く」ことだ。私はそう思うのである。
2006.12.11
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電車に乗っても、街を歩いていても、利己的な行動をそこかしこで目にする。ああ、自己愛人間が増えたなと思う。でも、次の瞬間、こうも思う。「自己愛?」、はたして彼らは自分自身を愛しているのだろうか、と。その一方で、青少年の自傷行為がある。いじめがある。幼児虐待がある。自分自身と他者への愛が失われたととりざたされる。でも、なぜそのようなことが社会的な広がりをもって日々増殖しているのか。そう問い直してみると、明確な答えは得られない。「利己」の定義は簡単である。主体の利益が最大限になるように行動すること、それが利己的行動である。ここにはとくに問題はないだろう。しかし、「自愛」は?このことばはいささか問題をはらんでいる。「愛」の定義はむずかしい。さまざまな定義が考えられるが、基本的にこの感情が対象とするのは「他者」ではないか。そういう気がする。「愛」とは本来、他者に向けられるべき感情である。それは恋愛の対象でもかまわないし、家族でも、親族でも、地域でも、共同体でも、国でも、地球でも、子孫でも、自然でも、人類でもかまわない。しかし、一般的にその対象物は「他者」である。そういえるのではないだろうか。だから、「自己愛」ということばづかいはきわめて特殊なものである。少なくとも、この用例を自明のものと考えるべきではないだろう。「愛」が基本的に他者に向けられるべき感情だとすると、自己愛というのは、他者に向けられた感情が、その他者から反射して返ってくる現象、そういえるのではないだろうか。つまり、他者に向けられた感情が、照り返しとなって、自分自身に当たった結果、自分自身への愛が生まれる。ちょうど黄金色に輝く夕陽が山の斜面に当たり、それが斜面に反射して人の顔を赤く染めるように、他者を愛することによって、その「他者を愛し得た」という確信に基づいて、その行為をなした自分自身に対して愛情を抱く。これが本来の自己愛生成のメカニズムではないだろうか。だから他者に愛を向けることのできない主体は、自己に対する真の愛情ももつことはできないのである。実際、利己的な行動に駆り立てられている人間を観察して、そこに「愛」を感じとることはきわめて困難である。彼らの行動を支配しているのは、何らかの欲望ではあっても、けっして「愛」ではない。だから、利己的な行動の根底には愛は存在していない。そこには自己中心の欲望があるだけである。もう一歩考えを進めよう。彼らの「自己愛」とみられる感情に、「愛」がないとすると、はたして「自己」はあるのだろうか。彼らは確固とした「自己」をもっているといえるのだろうか。確固とした「自己」をもつためには、自己に対する意識が必要である。自己意識のないところに「自己」は存在しえない。彼らは明確な自己意識をもっているのか。そして、もしもっているとしたら、どのような手段によってそれを確認しているのか。自分が自分であることを確認する手段。それはいったい何だろう。それは思索というよりも、まずは感覚的、直感的なものではないだろうか。たとえば、「快」、あるいは「喜び」。快感が自分の身内にあふれる時、その快感は自分が自分であることを確信させる手段となる。他人の身内にある快感が、そのまま自分の快感にかわることはないのだから。あるいは「喜び」。うちふるえるような喜びが全身を満たす時、その喜びに支配されている主体は、すなわち「自己」である。他人の喜びが、そのまま自分の喜びとして身内にわき上がることは考えられないからである。「快」、「喜び」、「笑い」。こういうものは自己を確認するための重要な手段となる。それ自身が主体に満足を与えると同時に、その主体に満足を与えるという効果によって、それらの感覚は、自己が自己であることを確認する大切な手がかりとなる。だからこそ、人間は不断に「快」を、「喜び」を、「笑い」を求めるのだ。話を利己的な行動に駆り立てられる人間に戻そう。彼らはどのようにして自己を確認しているのか。利己的な行動はどのような形で彼らの自己確認に貢献しているのか。そのことを考えてみよう。利己的な行動を行っている彼らの姿を見て、あなたは「快」を感じるだろうか。「喜び」を感じるだろうか。彼らの顔には「笑顔」が浮かんでいるだろうか。答えは「否」である。彼らは一様に、不快そうに、喜びのかけらも見せず、ぶっちょうづらをして、他人を押しのけ、突き飛ばし、自分の進むべき方向へと突き進んでいく。彼らは、少なくとも「快」や「喜び」や「笑い」で自己を確認してはいないように見える。ではどのようにして彼らは自己確認を行っているのか。自己確認は、必ずしも肯定的な感情によってのみもたらされるものとはかぎらない。むしろそれは否定的な感情であってもかまわない。たとえば、「苦痛」。耐えがたい苦痛がその人間を訪れる時、その苦痛を味わうものはまちがいなく「自分自身」である。キリストでもない限り、他者の苦痛をそのまま自己の苦痛として味わう感受性をもった人間はいない。だとしたら、ぎりぎりと自分自身をきりさいなむ苦痛の中にある時、人はまぎれもなく、「ああ、この苦痛を味わっているのはまちがいなく自分自身だ」という確信をもつはずである。冒頭に述べた自傷行為の意味するところはこれだろう。自分に耐えがたい苦痛を与えることによって、かろうじて自己の存在を確認している状態。それが自傷行為の背景にある情動だと思われる。では、「いじめ」は?「幼児虐待」は?これも広く考えれば、自己確認の延長線上に位置する行動のように思える。自己を確認するということは、自己と自己以外のものとの間に境界線を引くことを意味する。「これは自己である」と断言することと、「これは自己ではない」と断言することは、結果的には同じことである。両者はコインの両面をなしている。だから、自己確認の欲望が、「これは自己ではない」という形で自己以外のものを排除する形で発動されたとしても何の不思議もない。いじめの場合、「これは私たちの仲間ではない」という形で、拡大された自己意識とそれ以外のものとの間に境界線を引こうとして行われる場合が多い。他者への不快感、その不快感を共有することで仲間意識を強固なものとする。その結果、作られた「仲間」とはいいかえれば拡大された「自己」であり、いじめの結果、排除された者達は、「自己以外」の他者である。そして、その手段として用いられるものは「苦痛」である。その苦痛を体感するものは自己以外、その苦痛を経験しないものは自己、ここでも「苦痛」が自己と他者を分離する有効な手段として用いられている。児童虐待のメカニズムはさらに複雑である。まずそこには「閉ざされた空間」がある。これはきわめて限られた空間で展開される「陣取りゲーム」なのである。ここにおける自己確認はある意味では自己に最も近く、しかも自己ではない者との「ゼロサムゲーム」の形をとらざるをえない。限られた円環の中で自分の陣地を最大限に拡張しようとすれば、その行為は、他人の陣地をいかにして略取するかということと同じことになる。自分の領土を増やした分だけ、他人の領土は小さくなる。自己を確認し、その領域を拡大しようという欲望は、閉じられた空間では、他人の領域を侵犯し、その生存を脅かし、窮地に追いこむことで達成される。これも広い意味での自己確認行為ということができる。狭い空間において、自己に隣接する存在を脅かすことによって、彼らは自己の存在を確認しようとする。ここでは自己の喜びと他者の苦痛がゼロサムの関係をなす以上、用いられる手段は、もう「苦痛」でしかありえない。他人の存在を毀損し、苦痛を与えることによってのみ、かろうじて自己を確認しうる存在。利己的な行動に駆り立てられる人々の内面には、こういう心象風景が広がっているように思えてならない。そこには真の意味での「快」や「喜び」や「笑い」はない。それらは本来的に他者と共有することによってその効果を最大限に発揮するものだからである。他人に苦痛を強いる「快」は真の「快」ではありえないし、他人に不快を与える「喜び」も、他人の顔を歪ませる「笑い」も、真の喜びや笑いではありえない。彼らは自己愛のために利己的な行動に駆り立てられているのではなく、むしろ自己を愛せないからこそ、愛以外の自己確認作業を行わざるをえなくなり、他人の不快や悲しみや苦痛を代償としてそれを行い、その行動が結果的に「利己的」と思える行為につながっているのである。他者への愛の照り返しとして自己を愛せない人間は、利己的行為以外の手段では自己を確認することすらできない。そういうことではないかと私は考えるのである。
2006.12.09
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今から26年前の(26年前!)11月の末。私は大学のはずれにあるサークル棟の手洗い場で、友人のHと肩を並べて皿洗いをしていた。目の前には膨大な皿とコップが積み上げられ、足元には青いポリバケツがあり、そこにも汚れた皿が大量に入っている。そのバケツの中はボルシチの残り汁で真っ赤に染まっていた。おかげでそれから数年間、ボルシチを食べることができなくなってしまった。外国語を専門とする私の大学では、この時期、学園祭が行われ、専攻の語学科ごとに催し物が企画される。多くは専攻言語で外国語劇を行い、同時にその国の料理店を出す。ロシヤ語学科も同様であり、私はHと料理店の手伝いを任されていた。「男の店員はルバシカを着て、客の注文をとり、料理を運ぶ。いいか。」店長のことばを聞いて、私はHと目を見交わす。その顔には互いに「やなこった」と書いてある。「皿洗いでもやるか、そっちのほうがまだましだぜ」私がそういうと、Hがうなずく。おっけー、話は決まった。「オレたちは皿洗うから」そういって、汚れ物の入ったかごをよっこらしょと抱えあげ、サークル棟の手洗い場に向かって二人で歩き出す。「退屈やから、オレ下宿によってラジカセもってくるわ」Hがそういう。彼の下宿は大学から歩いて三分のところにある。「おお、趣味のいいやつを頼むぞ。オレはたまたまカセットもってるから、テープ一本あれば十分だ」いわずもがなのことをいうなという顔をして、Hが背中を向けて歩き出す。彼の女性の趣味は私の理解を超えているが、音楽の趣味ならだいじょうぶ、十分理解できる。まあ、心配はないだろう。しばらくすると、Hが戻ってくる。「何もってきた?」Hは無言でプレイボタンを押す。ギターの音が流れだす。「おお、クラプトンか、いいねー、しかもこれ武道館ライブじゃないの、音よく録れてるよな」「武道館のコンサートは全部行ってるけど、会場ではあんまり音響はようないんや。でもこの録音はたしかにええなあ」クラプトンの粒だちのよいクリアで繊細な音を聴きながら、肩を並べて皿とコップを洗いはじめる。思ったよりボルシチのこびりついた皿は汚れが落ちにくく、ロシアン・ティー用の耐熱ガラスのコップの底にはべっとりとジャムがこびりついている。「ちゃんと教えてやらないと、底にジャムが入ってるの知らないで残していく客が多いんだよ。かっぺはこれだから困るよな」「まったく」二人のかっぺはうなずきあう。「ところで○○のテープは何や。リトル・フィートか、オーティス・レディングか、レイ・チャールズか、どうせそんなとこやろ、オレあんまし渋すぎるのは苦手やで」私は黙ってポケットからカセット・テープを取り出し、テープをかえる。数日前にNHKのFMでエア・チェックしたものだ。「こんばんは、森永博志です。今日はジョン・レノン特集の一回目。では。」サウンド・ストリートという番組の音声が流れはじめる。しかし、この後、DJは一言も話さず、ノンストップで40分間ジョン・レノンの曲をかけまくる。ビートルズの曲は一曲もなし。有名な曲もない。私はこの構成が気に入っていた。「けっこう、ええなあ、これ」「だろ、一曲目のスティール・アンド・グラスって、初めて聴いたんだけど、いいんだ、これが。オレ、このテープ、もう10回以上聴いてるぜ」「ああ、そうや、ジョンの新しいアルバム、でたんやろ。」「おお、こないだな。ダブル・ファンタジーってやつ。でも半分はオノ・ヨーコが唄ってるらしいぜ」「げ、オレ、テープにジョンの曲だけ入れて、それ聴こ」とHはばちあたりなことを言う。「そういえば、『写楽』の表紙がジョンとヨーコだったよな」と私。「ああ、ええ顔してるよ、ジョンは。」「なんだか邪念がぜんぶ消えた修行僧みたいな顔してないか。あんまりいい顔してるんで、オレはかえって不安になったぜ。」「なんで?」「あそこまで清らかな顔してると、天に呼ばれちゃうんじゃないかって気がしてな」この時の一言を私は後に深く後悔することになる。クラプトンとジョンの音楽に交互に耳を傾けていると、皿洗いも苦痛ではなくなってくる。クラプトンのある種の音楽はゆったりとゆりかごのなかで揺すられているようなやすらぎを与えてくれる。ジョン・レノンはとにかく、その声がすばらしい。胸が張り裂けるような悲痛な叫びと甘くせつない愛のささやきがそこでは無理なく共存している。その声を聴くだけでもうじゅうぶんである。私とHは肩を並べてじっと音楽に耳を傾ける。「ええなあ」とH。「ああ」と私。ことばが必要ではなくなってくる。ふと気づくと同じ学科で語劇のヒロイン役を演じ終えたばかりのTが、友人と二人でこちらに向かって歩いてくる。「おつかれさま、ふたりでたいへんね。私も手伝うわ。」彼女は友だちと二人でわれわれの手伝いにきたのだという。「いいよ、ここは二人で足りてるから。こんな汚れ仕事はオレたちで十分。服も汚れるし。料理店のほうへいったほうがいいよ。みんな待ってるし。さあ、さあ。」そういって、私は二人を追い返す。「そう?」と言いながら、彼女たちはしかたなさそうに今来た道を帰っていく。「なんやん、せっかく全学一の美女と皿洗いながらデートできるとこやったのに。隣の子もけっこうかわいかったやん」とH。「あんなのに隣にいられたら、皿がなんぼあっても足りんわ。」「緊張して割りまくるってか。あのなあ、○○、おまえ、もうすこし女性に対して正直にならんといかんよ。オレ、前々からいおうと思てたんやけど」「そうか、お前はもう少し女性に対する正直さを慎んだほうがいいとオレは思うけど」二人はにやっと笑う。そして、皿洗いはつづく。さして面白くもない学園祭も終わり、12月になった。7日の日曜の夜、FMで小林克也の番組を聞いていると、最後に最新の音楽情報が流れた。「ニュー・アルバム『ダブル・ファンタジー』をリリースしたばかりのジョン・レノンがワールド・ツアーを企画中。そのスタートはなんとニッポンだという情報が入りました」おお、これはすごい。あしたHに教えてやらないと。私は興奮を抑えて眠りについた。12月8日。私がどこでジョンが撃たれたというニュースを知ったのか、どうしても思い出せない。現地時間でたしか午前中だったと思うから、こちらでは深夜か、あるいは翌日の早朝だったろうか。不思議なことに第一報の記憶がまったくない。私はそれほど強い衝撃を受けたのだろうか。気がついたときには大学のキャンパスのベンチに座ってうなだれていた。友人が何人か声をかけていったが、私はおそらく何も答えなかったのだろう。皆いぶかしげな顔をして去っていった。そのうち、隣に一人分のスペースを空けて、誰かがそっと腰かけた。Hだった。そのまま互いに何もいわず、ぼんやりと前を向いていた。「聞いたか」とHが言った。「ああ」無言。「まさかな。信じられん。何も手につかんので、ラジオつけてたら、いきなりビートルズ特集や。よりにもよってイエスタディかけとる。何考えてんねん。ポールの曲かけてどうすんねん。星加ルミ子がぺらぺらしゃべっとる。いたたまれんわ。それでうちでてきたんや」私も同じようなものである。どこもかしこも「あの元ビートルズのジョン・レノンが撃たれました」のくりかえし。「元ビートルズ?」 I don´t believe the BEATLES.と絶叫したジョン・レノンを「元ビートルズ?」。ジョン・レノンという一人の人間を悼む声はどこにも聞こえない。「元ビートルズ」、「元ビートルズ」の氾濫に私は頭を抱える。「秋葉原でもいかへんか」そういうHの誘いにのって、意味もなく秋葉原へ出かける。電気店の店頭に積み上げられた何十というテレビがいっせいにジョンの顔を映し出す。その前を二人で首うなだれてとぼとぼと歩く。その時、何を話したか、どうやってうちに帰ったか。なにも覚えていない。なぜこんなに記憶が欠落しているのか、自分でもよくわからない。それでも、その日の夜、浴びるほど酒を飲んだことだけは覚えている。しかし、いっこうに眠くならない。しかたがない。今晩はお通夜だ。そう思い、寝ることを断念する。よく考えると食事もろくにとらなかったような気がする。しかし、その夜、ジョンのアルバムを聴くのはあまりにもつらすぎる。FMをつけると「元ビートルズ」と「イエスタディ」でげんなりさせられる。テレビはいわずもがなだ。どうしようとおもいながら、しかたなくFENにダイヤルをあわせる。やはりジョン・レノン特集だ。「ロックン・ロール」の曲がかかっている。うん、まあ、これならいいか。スタンド・バイ・ミー、スリップ・アンド・スライディング、ビ・パップ・ア・ルーラ、次々とジョンの歌声が響く。やがて定時になる。もう深夜の二時か三時である。時報が鳴り、ジョンの訃報が告げられる。しかし、音声がとぎれる。かすかな嗚咽が聞こえる。アナウンサーが絶句している。ニュース原稿が読めなくなっているのだ。私はしばらく、その沈黙に耳をすませる。やがて手を伸ばし、そっとラジオのスイッチを切る。そして、ふとんを敷いて寝ようと思う。やっと自分が何を求めていたのかがわかった。私は、ただ一緒に慟哭し、嗚咽する人間を、ただそれだけを求めていたのだ。しんしんと夜はふけ、夜気で肩のあたりがうそ寒い。彼は死に、私は生きている。生きている人間には眠りが必要だ。もう寝よう。痛切で酷薄な孤独の中に育ち、喧噪と騒乱の中で青春を過ごし、真実の愛に目覚め、やがて撃たれて死んでいった一人の男。張り裂けそうな孤独の叫びと、甘くせつない愛のささやきを、聴く者の胸に同時に響かせることのできた一人の男。ジョン・レノン。享年40歳。その年齢を過ぎた私は今日もまた眠りにつく。あの日からしずかに眠りつづける一人の男を思いながら。
2006.12.08
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ひとつの表現をある言語から別の言語に翻訳することは、きわめて創造的かつ刺激的な行為である。それはまず母語に対する意識を高める。自分が日頃使っていることばの意味の範囲がどこからどこまでなのかということは、その語だけを使って生活している限り、あまり意識されることはない。外国語との意味領域の違いやずれを知ることによって、そのことに気づかされることが多い。自分が言わんとすることの意味の不明瞭さに気づかせてくれるのも翻訳の利点である。日常生活において意味の明瞭でないことば、形式的で中味に乏しいことばを私たちは(少なくとも私は)大量に使っている。それらのことばの「意味のなさ」にはっと気づかせてくれるのも、それを外国語に置き換えようとする時であることが多い。しかし、いくら翻訳が有意義だからといっても、それを行うためには、ある程度の語学力が必要になる。日本人の多くは外国語ベタである。かくいう私も例外ではない。だからほとんどの人にとって「翻訳なんてとてもとても」ということになってしまう。せっかく自分の母語を振り返り、ブラッシュアップし、ことばへの意識を高めるための有効な方法があるのに、それを多くの人が使えないというのではもったいない。なにかよい方法はないものだろうか。そこで私はひとつの提案をしたいと思う。たとえば「ひらがな」訳のすすめというのはどうだろうか。「ひらがな」訳とはなにか。それは漢字を主体とした表現をすべてひらがな語に翻訳することである。そんなの簡単じゃないか。漢字をぜんぶひらがなにすればいい。そう思われる方もおられるだろうが、そんな単純なものではない。たとえば「平仮名で書く」という文を考えてみよう。これは誤解の余地のない表現である。しかし、これをひらがなにあらためると、「ひらがなでかく」となる。ああ、ひらがなで書くんだなと思われる方が多いだろうが、なかには「えっと、もっと巨大なひらがなで書かなきゃいけないのかな。なんだか怒られちゃったよ。」と思われる方もいるかもしれない。「ひらがな でかく!」というわけである。漢字は便利な表現媒体だ。それは独立性、自立性が高く、意味をコンパクトにまとめた情報パックのようなものである。「平仮名」というパックと「書く」というパックを「で」という助詞で連結すれば、誤解しようのない表現が生まれる。しかし、ひらがなは基本的に音である。意味ではない。だから、ひらがなだけで書くと「え、いったいどこで区切ったらいいの」という問題が頻繁に生じてくる。漢字をそのままもとの音にすれば、それで済むというものではない。ひらがな訳とは、漢字をひらがなとして意味の通る自然な表現に置き換えていく作業なのである。漢字が意味を担う媒体である以上、意味の明確さ、一義的な解釈が求められる法律の世界は、当然、漢字が支配する世界である。いま、試しに憲法の第九条の第一項を書き写してみよう。日本国民は正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては永久にこれを放棄する。これをひらがな語に訳してみるとどうなるか。訳例その1にほんじんは、ただしいことときまりをまもることのうえにきずかれるせかいのへいわをこころからのぞみ、たたかいのどうぐをつかっておどしたり、じっさいにたたかったりすることは、せかいじゅうのもめごとをおさめるてだてとして、とわにこれをつかわないことをここにちかいます。こんなところだろうか。すくなくとも日本人が何を切実にのぞんでいるかということはひらがな訳のほうが具体的に伝わってくるように思える。すこしだけ地に足がついた感じがする。あるいはひらがな訳に対しては「空疎な理想論」という批判をぶつけにくくなるのではないだろうか。ことは翻訳に限らない。ひらがなだけで文章を書くということは、かなりの集中力と神経の細やかさを必要とする。これは外国語の翻訳に類似した行為といっていい。このひらがな訳によってことばの音に対する感覚を養い、空疎な観念語を多用することを避け(という表現自体にかなり空疎な観念語が含まれているが)、正確でわかりやすい日本語表現力を育てることができるのではないかというのが、私の考えである。訳例その2。「グレート・ギャツビー」冒頭部(しかし、しつこいな)ぼくがまだわかくて、こころがきずつきやすかったころ、おとうさんがこういってさとしてくれたことがある。そのことばについて、ぼくはなにかあるたびにおもいをめぐらせてきた。「だれかのことをとがめたくなったときには、こうおもうんだよ」おとうさんはいった。「よのなかのすべてのひとが、おまえみたいにめぐまれてるわけではないんだって」こう訳してみて気づいたのだが、村上春樹氏の訳文はほとんど「ひらがな」訳する必要がない!だって、元の訳文はこうですよ。僕がまだ年若く、心に傷を負いやすかったころ、父親がひとつ忠告を与えてくれた。その言葉について僕は、ことあるごとに考えをめぐらせてきた。「誰かのことを批判したくなったときには、こう考えるようにするんだよ」と父は言った。「世間のすべての人が、お前のように恵まれた条件を与えられたわけではないのだと」彼の訳文がほとんどひらがなで、あるいは「ひらがな」文脈ともいうべきもので構成されていることがわかる。そのことが彼の文章のしなやかさ、読みやすさ、わかりやすさ、イメージの鮮明さにつながっているようにも思える。いや、これは意外な副産物だったな。少なくともひらがな訳の有効性を示す貴重な実例といえるかもしれない。訳例その3わがはいはねこである。なまえはまだない。どこでうまれたか、とんとけんとうがつかぬ。なんでもうすぐらいじめじめしたところでにゃーにゃーないていたことだけはきおくしている。驚いたな。いうまでもなくこれは漱石の「猫」の冒頭だが、漢字をそのままひらがなに改めるだけで十分に意味が通る。最後の「記憶している」を「おぼえている」とするくらいしか手の入れようがない。どうも名文家は同時にひらがな使いの名手でもあるらしい。しかし、この世には名文ばかりが存在しているわけではない。続いて、今朝の朝日新聞「天声人語」の冒頭を引く。「この欄のちょうど裏、本紙朝刊2面の下に毎月今ごろ、文芸誌の広告が四つ並ぶ。今月は新年1月号の広告で、右から群像、文学界、新潮、すばるの順だ。」これをひらがな訳してみよう。訳例その4このぶんしょうのちょうどうらがわ、あさひのちょうかんのにまいめのしたのほうに、まいつきいまごろ、ぶんがくさくひんののっているざっしのおしらせがよっつならんでいる。こんげつはしんねんごうのおしらせで、みぎから「ぐんぞう」、「ぶんがくかい」、「しんちょう」、「すばる」のじゅんになる。なんだかいらいらしてくるなあ。あんまりあたまのよくないおじさんが延々とぐちを垂れているような文体になってしまう。ひらがなにしてもちっともよくならないし、むしろくどさが増してくる。どうもひらがな訳には欠点を際立たせる効果もあるらしい。どうもこれでは気分が悪いので、添削を加えた「ひらがな超訳」に挑戦してみよう。訳例その5このぶんしょうをあかりにすかしてよんでみてください。うらがわにざっしのおしらせがよっつならんでいるのがすけてみえるでしょう。いわゆる「ぶんげーし」のしんねんごうのおしらせです。みぎからじゅんに「ぐんぞう」、「ぶんがくかい」、「しんちょう」、「すばる」となります。せめてこれくらいにはならないのかしら。すくなくとも天声人語の書き出しを全文ひらがなにすると、意味はまったくちんぷんかんぷんになってしまう。ひらがなをイメージしないで文章を書くと、こういうことになってしまうんですね。よいこのみんなはきをつけましょうね。あんまりよくないこ、わるいこもついでにきをつけておきましょう。ということで、今回はささやかなる「ひらがなのすすめ」でした。ちゃお。
2006.12.07
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「教育に関して次のような考え方がある。A 教育において、あらゆる人は出来る限り平等に扱われなければならない。B 教育において、それぞれの人は能力の違いに応じて異なった扱いを受けるべきである。A、Bいずれかを選択し、その根拠を述べ、もう一方からの反論に対処せよ。」そういう問題を小論文の授業で取りあげたことがある。実際に大学入試で出題された問題である。参考までにということで、文章を書かせる前に、どちらにより共感を覚えるか、生徒に手を挙げさせてみる。「Aを選ぶ人」。しーん。一人の手も挙がらない。「じゃあ、B」。迷っている数人を除いて、クラス全員、20名ほどの手が挙がる。彼らの顔を見ていると、もうほとんど考える余地などない、という感じである。念のためにいっておくと、彼らは全員、海外で教育を受けた経験がある。その多くはアメリカからの帰国生である。しかし、国内生に同じ質問をしても、ほとんど同じような反応が返ってくるのではないだろうか。彼らは平等に倦み、能力別教育を自明の前提として当然視している。「ふ~ん」と私は言って、生徒にそのまま小論を書かせる。これはある種の思考力と文章力を試すゲームであって、思想信条をチェックするものではないと一言つけ加えながら。回収した答案に目を通すと、ほとんど全員がBを選び、具体例として数学教育を挙げ(少数の者は英語が不得手な頃、ESLで基礎教育を受けた例を挙げている)、「人の能力には生まれつき高低の差がある。それに応じた能力別の教育を施すべきである」と述べている。まあ、予想された結果ではある。翌週、その問題の解説授業を行う。「小論文は一種のゲームだ。理解力、表現力、思考力、構成力、発想力。さまざまな能力を文章を通していかにアピールするかということで勝敗は決する。もっとも重要なポイントは思考力だ。それはいいかな」生徒は黙ってうなずく。「じゃあ、聞くけど、『考える』の反対語ってなんだ?」「うーん、『考えない』かな」「それって、語じゃないだろ。二語じゃなくて、一語で答えるとすると?」生徒は考えこむ。しばらくして、「感じる」という答えが返ってくる。「なるほど、理性対感性ってわけだ。それもひとつの答だ。他には?」「えーと、ぼんやり。」「ぼんやり?オレはしょっちゅうぼんやりしながら考えてるけどな」生徒はまた考えこむ。あまり答が出てこなくなる。「オレの考える答は『あたりまえ』だ」「あたりまえー?なんで?」「先週の問題でほとんど全員がBを選んだ。そしてほとんどが人間には生まれつき能力差がある。だから能力別教育が望ましい。そう書いた。それ自体はいい。何を書くかは自由だ。でも、それらの文章を読んで感じたのは、『そんなんあたりまえじゃん、考えるまでもないよ』という君たちの内心のつぶやきだ。そうじゃないか。」何人かがこくんとうなずく。「ところで、『メタ』ってことば知ってるか。」「えーと、メタフィジックスとか。」「おお、上等なことばを知ってるじゃないか。すごいな。それって形而上学って意味だよな」ほとんどの生徒はぽかんとしている。「メタっていうことばは『超』、超えるって意味だな。『ちょーうける』の『ちょー』じゃないぞ。あれは「とても」の言い換えで、「うける」を超えてるわけじゃないから。」生徒の多くはまだぼんやりした顔をしている。「夢の中で自分の葬式を天井の上から見たことのあるヤツはいるか?」「きみわりー」「たとえばそういうふうに、自分がいる、親がいる、そういう平面を超えて、上からその二人を見つめる視線を持つ、それが『メタ』だ」なんとなくわかったという信号が生徒の顔に次々と点滅していく。「人間には能力差がある、だから能力別教育しかない。ほとんどの人間がそう書いた。それがあたりまえだと感じたからだ。でも、それではたして思考力をアピールできるだろうか。それをあたりまえだと感じるのは自由だが、じゃあ、「オレはなぜそれをあたりまえだと感じるんだろう」と考えたか。そういう「メタ」の視点をもっていたか。そう自分に問うべきじゃないのか」生徒の顔が徐々に真剣味を帯びてくる。「なぜBを当たり前だと思うんだ?」「うーん、それは能力別社会に生きてるからかな」「そう、おそらくそうだと思う。能力別社会に生まれ、そこで育ち、その空気を肺の奥まで吸い込んで育ったから、Bをあたりまえだと思うんじゃないか。でも、考えてみろよ。それって必ずしもあたりまえとはいえないぜ」きょとんとした生徒の顔を見ながら話を続ける。「人間の能力には生まれつき差がある。これを放置するとどうなるか。能力の高い人間はそれに応じて高いレベルの教育を受け、低い人間は低いレベルの教育を受け、その差はだんだん開いていく。そして、高い能力の人間は社会において支配する側に回り、低い能力の人間は支配される側に回り、社会の階層化は進行し、平等性は損なわれる。だからこそ、教育においては平等が大事なんだ。こういう立論だって可能だろう。あるいは、能力別教育は暗黙のうちに自由競争を前提としている。そして自由競争の前提には機会の平等が存在すべきだ。すると、能力別教育の根底には「平等」が必要だということになり、優先順位としては「平等」のほうが上に位置する。こういう立論だってできるんじゃないか。その可能性を考えたか」生徒たちは力なく首を振る。「あたりまえとは逆のことを書けといっているわけじゃない。誤解するなよ。それっていかにもぼんくら教師のいいそうなことだけどな。そうじゃなくて、自分の「あたりまえ」を疑い、再検討しろ、っていってるんだ。それが考えるってことじゃないのか」生徒の目が真剣になってくる。「まあ、単純化していえば、Aの平等主義は日本型の教育、Bはアメリカ型の教育、そう思った人間も多かったんじゃないか」生徒がうなずく。「でもさ、それもあたりまえじゃないぜ。なぜアメリカはBを選んだんだと思う?日本はなぜAなんだ」「それは、両国の価値観のちがいってやつじゃないですか」「そうか?価値観の違いか?中身のない空っぽの便利なことばで答えたような気になるなよ。それは原因じゃなくてむしろ結果じゃないのか」「じゃあ、どうしてアメリカはBを選んだんですか」「やむをえず、じゃないの。しょうがなかったんじゃないの、Bを選ぶしか方法がなかったんだろう。だって、平等教育しようったって、あれだけ人種も民族も文化も違ったら、そもそもそんなもの成立しないじゃないか。平等にやれるんなら、平等にしたかもしれないよ、あの国だって。それに対して日本はある程度平等に教育することが可能だった。そういうことだったんじゃないかな。ある程度の同質性というのもあったかもしれないけど、学校に入る以前の社会的な教育が機能していたということもいえるかもしれない。」「……」「で、だな。みんなはBを選んで、こう書いた。アメリカで英語が苦手だった。でもベイシックな英語を教えてくれるクラスをとって、なんとか英語ができるようになった。だから能力別はすばらしいって。そう書かなかったか」多くの生徒がそう書いたという顔をする。「でもそれって厳密にいうと、能力別教育の良い点じゃないぞ。むしろ能力別教育の初期には低いレベルの人間は悲惨な目にあったに違いない。アホ、バカ扱いされてろくな教育も受けずに社会に放り出されたんじゃないかな。それで、これではいかん、なんとかせねば、と思って、その欠点を是正するシステムが作られた。要するに、みんなが助けられたのは、能力別教育そのものというよりも、能力別教育の弊害を克服するカリキュラムだったというわけだ。アメリカの教育に強さがあるとすれば、そういう試行錯誤の中から具体的で有効なカリキュラムをひとつひとつ作り出していき、それを蓄積する力にある。オレはそう思う。」「それに対して日本はある意味では恵まれていた。最初からほぼ平等な教育を行えるという意味ではね。でもその平等性があやしくなってきた。スタートラインでラッキーだったぶんだけ、いったん平等性が損なわれはじめると、それを回復する手段が見つけられない。それが今の日本の現状じゃないか。詰め込み教育をやった、それじゃだめだった。だからゆとり教育にした、今度は学力低下が起こった、また知識重視に戻せ。これは試行錯誤じゃない。単に振り子があっちからこっちへ、こっちからあっちへ動いているだけだ。否定するものが順番に変わっているだけで、何も変わってないし、何も生み出していない。この二項対立の考え方の行きつく先はどこか。おそらくそれは「平等」の否定なんじゃないか。「平等」そのものを振り子の一方に据え、もう一方に「能力別」を置く考え方だ。平等じゃだめなんだ、これからは能力別なんだ。そういう声を最近、よく聞かないか」「うーん、そういえばそういう話を聞いたことがあるような」「ほんとうのことをいうと、先週の問題は実はオレが一部手を入れた。最初の部分は入試問題ではこうだったんだ。『教育に関して次のような対立する考え方がある。』オレは「対立する」をカットした。この問題の作成者自身がオレがさっきいったような「平等か能力別か」という振り子の論理に支配されていると思ったからだ。」生徒の顔つきが変わってくる。姿勢が前のめりになってくる。「ほんとうはこの問題だってあやしいんだぞ。みんなに「自発的に」Bを選ばせるために作られた問題かもしれないんだぞ。「あたりまえ」に流されてると、いつのまにか引き返せない地点まで連れて行かれることだってあるんだぜ。だから「考えなきゃいけない」っていってるだろう。」生徒の態勢が前のめりから元に戻る。彼らが自分自身に問いを向けはじめたことが感じとれる。へっぽこ教師の仕事はここまでだ。彼らが自ら問いを内部に向け始めさえすれば、その時点でこちらの仕事は終わっている。後はただ待つだけだ。でも、その後、話はさらに「ゼロサムの関係とは何か」、「ABははたしてゼロサム関係か」、「そうでないとしたら、AからBへ、あるいはBからAへ接近することは可能か」、「そのアプローチの方法は」と展開していく。この間、およそ60分。そして、最後の30分は「独創性を育てることは可能か、不可能か」というテーマで教室を二分して、ディベートもどきゲームを行う。こうして、今年最後の授業が終わった。授業を終えた後、私の頭には、ついに三度繰り返し読むことになった村上春樹訳「グレート・ギャツビー」の「あとがき」の一節が浮かんでいた。「翻訳というのは、基本的に親切心がものを言う作業だと僕は思っている。意味が合っていればそれでいいというものではない。文章のイメージが明瞭に伝わらないことには、そこにこめられた作者の思いは消えて失われてしまう。僕はとくに本書においては、出来得る限り親切な翻訳者になろうと試みた。ひとつひとつの文章のブロックの意味を、日本語として少しでも明らかにしていきたかった。しかしもちろん何ごとにも限界はある。全力を尽くしたとしか、僕には言えない。」ひとつの大きな仕事を終えた後の静かな感慨と、その仕事に対する揺るぎのない自信と、自らへの謙虚さと公正さの感じられる文章である。仕事の内容は異なるけれども、そして、なによりもおそれおおいことではあるのだけれども、最後の一節をつつしんでここにお借りすることとしたい。「もちろん何ごとにも限界はある。全力を尽くしたとしか、僕には言えない。」と。
2006.12.06
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先日の「危険な直列回路」という拙文に対して、YABUさんからソリッドかつ凝縮された中身の濃いコメントをいただきました。そのコメントへの直接的な回答というわけではありませんが、これを読んで触発されたこと、先日の文章で言い残したことを少し述べたいと思います。先日、このブログにも書きましたが、いじめ問題およびマスコミ報道の問題点について、帰国生と授業中に話しあったことがあります。彼らの発言は様々な示唆に富むものだったのですが、それはあくまでも私との個人的な信頼関係の上になされたものであり、この場でそのままの形で紹介することははばかられます。ここではその際に私が感じた断片的な感想をいくつか述べることにします。まず私自身はいじめの体験が皆無です。でも小学校時代、いじめはありました。それは肉体労働に従事する父親と二人暮らしをしているY君に対して、クラスのとくに比較的成績のいい子達がそれに近いことをしていたことがあります。「成績のいい子」ということから想像がつくように、それはかなり陰湿な感じの行為でした。私はその時、級長をしていて(古いことばです)、副級長の女の子がその問題をクラスの話し合いでとりあげようと提案しました。私は彼女に「ちょっとだけ待ってくれ」といって、一連の行為の首謀者を体育館の裏に連れだし、「やめとけ」といいました。小学校の五年くらいだったと思いますが、私は子供なりに「裏の顔」で真剣にそういったように記憶しています。あるいは「凄んだ」といったほうが正確かもしれません。それ以来、そのいじめは消えました。そういう経験があるので、個人的にはいじめに対して「消し去ることができるもの」とうような思いをもっていたのですが、18歳前後の生徒たちとこのテーマについて話した感触では、どうも今のいじめは私がその時に遭遇したものとは質的に異なる要素が大きいように思いました。話し合いの場で深刻ないじめ経験を告白した生徒は、二人とも女性であり、比較的目立つタイプでした。本来ならば、クラスの中心に位置するような、そういう雰囲気をもった生徒です。しかし、その話し合いのずっと前、教室で初めて彼女たちを見たときの私の印象は、彼女たちは集団というものに倦んでいるなということでした。集団生活というものに心底うんざりしている。もうこんなところにいるのはいやだ。でも、だからといって出ていくこともままならない。しょうがないから比較的気の許せる人間を一人横において、教室の最後尾で授業を聴いている。そして、自分が人に認められるか、認められないかということに関してはきわめて敏感な反応を示す。しかも原則的には「おそらく私は認められないだろうな」というところから出発している。不思議なくらい、その二人は(それぞれ異なるクラスでしたが)似通った印象を与える生徒でした。そういう印象をもっていたところに、彼女たちがいじめ経験を口にしたものですから、その経験が彼女たちの行動や考え方にどのような影響を与えたかということが自分なりにわかるような気がしました。そして、現在行われているいじめが、プラスの方向に「異質」な生徒に対してもなされる場合があるんだな、ということを同時に感じました。ここからはちょっと乱暴な自分の仮説を述べることにしますが、私は今日のいじめはいってみれば「同質化社会の断末魔」のようなものではないかと考えています。ふつう、いじめというのは、同質化に反するもの、異質なもの、それらを排除する。そういう行為だととらえられています。しかし、どうも今日の日本の社会は、もう同質化でまとめることができなくなっている。もともと同質化社会などということば自体が矛盾をはらんだ表現であり(異質なものの存在が社会の基本的な存立条件のひとつだと思います)、あくまでも「幻想」にすぎないものだとは思いますが、その「幻想」を維持することがむずかしくなってきている。そういう現状が背景にあるのではないかと思うのです。出る杭は打たれる、という言い古された表現がありますが、今はむしろ「出る杭を神経症的に、強迫的に叩きつづける」ことでしか、集団の同質性を維持できなくなっている。そういう段階に達しているのではないでしょうか。現実問題としてもう同質性を維持していくことが不可能になりつつある。それにも関わらず、同質性をなんとか維持していこうとして、そのための手段として(もちろん無意識的な形で)いじめが行われている。そういうことなのではないかという気がします。そして同質性を(あるいはその幻想を)維持するためにもっともてっとりばやいのは、相対的な少数者の排除です。以前にはその少数者は劣位にある人間が選ばれる可能性が高かった。それは社会全体がある意味では「向上」を目指していたということと無関係ではないかもしれません。しかし、そのような成長神話の賞味期限は切れました。停滞した空気の立ちこめる社会では、今度は逆向きのベクトルが姿を現します。ある意味では「優位」にある人間をひきずりおろす、そういう社会的なメンタリティが子どもたちのこころの中にも影を落としているのではないでしょうか(おそらくテレビという媒体がそこで大きな役割を果たしているのだと考えられます)。先の話し合いの際に生徒がいったことで印象に残っていることばがあります。それは「暴力をやめよう、暴力を否定しよう、そういう考えがいじめにつながっているのではないか」というものでした。その生徒がいいたかったことは、直接的な暴力は表向きは否定されている。しかし、いわゆるいじめは「しかと」など直接的な暴力にはあまり頼らない。だから許される。そういう意識があるのではないかということです。そして、同時に「いじめ」ということばもよくないのではないか。現実に行われている事柄に比して、その表現はあまりにもソフトすぎる。そう言いました。私はこれはかなり鋭い指摘だと思います。たしかに「いじめ」ということばは、ソフトな、ある種の「邪気のなさ」のようなものを感じさせます。ここにも「いじめ」やむなしという集団的総意のようなものが感じとれないでしょうか。無意識的にではあれ、集団の同質性を維持するための手段として「いじめ」が意識されているからこそ、このようなネーミングが行われたのではないかと思われます。そして、われわれの社会が「暴力」というものに対して、表向きには否定しながらも、それに正対してこなかった、正面から問題として取り上げてこなかった。そういう偽善性のようなものが子どもたちの「いじめ」の背後に感じとれるようにも思えるのです。肉体的、直接的な暴力は否定されてきた。しかし、その陰で精神的、言語的な暴力は黙認されてきた。表向きの暴力が否定された分、そのエネルギーは抑圧され、歪んだ形で精神的、言語的、かつ陰湿な暴力としての「いじめ」につながった。そういう側面もあるように思えます。その話し合いの場で私は「日本的ないじめの特質はどこにあるか」という問いかけをしました。多くの生徒は「しかと」ということばを口にしました。日本以外の社会にも当然いじめは存在しているのですが、しかし「しかと」、つまり集団的無視という手段で人をいじめるということを日本以外の国で経験した生徒は、少なくともその場にはひとりもいませんでした。私はこれについては考える必要があるだろうと思います。そして、ふたたび乱暴な仮説を述べさせていただければ、まず「いじめ」ようという意識があり、その手段として「しかと」が用いられるのではなく、むしろその逆なのではないかと思います。そこではまず「しかと」がある。それは集団の同質性維持の手段として(無意識的に)考えられている。その「しかと」を有効に機能させるために、むしろ「いじめ」が行われる。ふつうに考えられるように「いじめ→しかと」ではなく、「しかと→いじめ」という流れのほうが正しいのではないでしょうか。「しかと」とは無視を意味します。これはいじめられている側からすれば、あるいはありがたいと感じられる状況ではないでしょうか。だって「ほっといてもらえる」のですから。嫌いな者同士が互いに無視しあうというのはあまりにもあたりまえのことです。たとえばアメリカで「しかと」が行われないのは、ある意味ではそれが常態だからだとも考えられます。積極的な自己アピールを行わなければ、日常的に「しかと」される。そういう意識があるところでは、「しかと」は精神的なダメージを与えることができません。もしもそれが精神的に個人を追いつめる力をもつとすれば、そこには「多対一」という関係が成立していなくてはならない。そして、「一」の側に回ることが決定的なダメージをこうむることを意味していなければならない。そういう社会の存在が必要とされるはずです。つまり、同質化社会を強迫的に維持しようとする動きは、同質化の度合いを確認するために、「しかと」という手段がうまく機能するかどうかを日常的に確かめようとする。その機能確認の場として「いじめ」が結果的に起こる。そういうことなのではないでしょうか。まずいじめようという意志があって、その手段として「しかと」が選択されるのではなく、まず同質性を確認しようという意志があって(これは個人レベルの意志ではなく、集団レベルの意志です。したがって、個人の内面ではそれとして意識化されてはいません)、その度合いを測定するために「しかと」という手段の有効性が確かめられる。その有効性の確認がなされたということは、すなわちそこに「いじめ」が出現したということになる。はなはだ乱暴な言い方で、思いつきの域を出るものではありませんが、私は集団的なメンタリティとしての自己保存本能のようなものが、子どもたちに、それとは意識されないまま「しかと」を行わせ、「いじめ」を行わせている。そこには無意識的なレベルではありますが、奇妙な、そして歪んだ、ある種の「達成感」のようなものが存在しているのではないか。そう思うのです。そして、それは直接的、肉体的暴力をオモテの世界から排除してきた大人社会の「偽善性」を暴くということにおいてもある種の「達成感」を子どもたちに与えている可能性があります。このようにいうと、私があるいは「いじめる」側を「やむをえないもの」として認めているのではないかと思われる方もあるかもしれませんが、そうではありません。なぜいじめを行ってはいけないか。そう聞かれたら、私は「卑劣だからだ」と答えます。それで終わりです。それ以上の説明の必要を認めません。考えると、「卑劣」ということばを耳にすることが少なくなりました。卑劣ということばが忘れられた社会だからこそ、いじめが蔓延するということもいえそうです。個人のレベルであれば、「卑劣な行為だからやめろ」ということばで十分であり、このことばがきちんと機能するような方向に社会全体の意識を形成していく必要があると私は思います。しかし、個人的な倫理の問題のみに目を向け、集団レベルで作用しているメカニズムを無視すると、個人の意識を呑み込んだ形で今後もいじめは増殖していく可能性があります。それを防ぐためにも、「同質化社会の断末魔」としてのいじめの頻発。私にはその視点をもつことが必要であるように思えるのです。私の「いじめ」の構造に関する断片的な感想は以上です。
2006.12.03
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仕事を終えて、帰宅して、晩飯食べて、酒飲んで、ワイン飲んで、ジントニックを作って、それを引っかけて、パソコンの前に座って、自分のブログを書きこんで、自分以外の人のブログをチェックして(限定3名)、バッハを聴いて、なんとなくリビングに行って、「あっ」と思って、なぜ「あっ」と思ったかというと、9時からの「ALWAYS 三丁目の夕日」を前々からビデオに録ろうと思っていて、そのことをすっかり忘れていて、ふと時計を見ると10時2分前で、もう一時間以上過ぎていて、「あーあー」と思って、筋金入りのテレビ嫌いの私にとって、テレビはビデオ再生装置なのであり、それを見るのもめったにないことであり、「三丁目の夕日」はそれでも楽しみにしており、その数少ない機会をすっかり失念していたのであり、そのことに衝撃を受けてがっくりと肩を落とし、腰まで落として、その場に座り込み、茫然とテレビを前にして、ちょっとだけ「三丁目の夕日」をつけてみたんだけど、その場面を見るにつけ、悔しさがつのり、かといって、その場を動くに動けず、しょうがなく、チャンネルを変え、TBSの「笑える恋はしたくない」という番組に偶然出くわし、しかしドラマを最初から最後まで見たことなど、この十年来ないことであり、そもそもドラマは野島か、倉本くらいしか見ることはなく、ああそういえば、「優しい時間」は見ていたなと思い、あれはまだ数年前であり、十年はちょっとおおげさだったと思い直し、それでも3分くらいなら最近のくだらないドラマでも見てみるかと思い、くだらなかったらそれなりにブログのネタになるかもしれないとさもしいことも考え、うっかりと見始めたら、なぜか惹きつけられ、そのまま最後まで見てしまい、「こ、これは、お、おもしろい」となぜか素直に思い、これは来週から見てもいいなと考え、ちょっと泣いて、たくさん笑って、このドラマは捨てたものでもないと思われ、そんなことをブログに書いたこともないということも同時に思い、さっき書いたばかりなのにもかかわらず、もう一度、こんなくだらないことを書いているのも不思議に思われ、でも単なる悪酔いのせいでないとしたら、あのドラマはたしかに面白かった。ということで、やっと句点が打てたので、この文章はおしまいです。おやすみなさい。おつかれさまでした。
2006.12.01
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いわゆる「いじめによる自殺」に関連する報道が新聞やテレビにあふれている。被害者の救済、加害者への処置、学校の責任、教師の能力、教育委員会の役割など、その論点は多岐にわたる。どれも考えるに値する問題ではあるのだろうが、ひとつだけ見落とされていることがあるように思う。それは子どもたちは本当に「いじめ」が原因で自殺したのだろうかということである。そんなことはあらためて論じるまでもない。彼らの死の直前の遺書を見ても、いじめが原因であることは明らかである。いまさらなぜそんなことを考える必要があるのか。そう思われる方もあるだろう。しかし、はたしてそうだろうか。一人の人間が自ら死を選び、それを実行するに至る過程、それは論じるまでもなく明らかなことがらなのだろうか。私はそんなことはないと思う。一人の人間がなぜ自ら死を選んだか、その原因はほんとうのところ誰にもわからない。死の直前のことばや行動、遺書の文面からそれを探ることは可能だろうし、大切な作業でもあるが、つきつめて考えると、その本当の理由はわからない。そういうしかない。それを語るべき人間がすでに存在しておらず、語られるべきことばが永久に失われた以上、それはどこまでいっても想像ないしは仮定にとどまるしかない。人間は複雑な生き物である。その内面にはさまざまな相矛盾する要素が雑然と混在し、その行動と動機とはけっして直線的に、一義的に連結されるものではない。要するに、人間はわけのわからない生き物なのである。これらの事件に関する報道を見て私が感じるのは、このような人間の「わけのわからなさ」に対する意識が欠落しているのではないかということである。そこでは特定の原因とそこから引き起こされる行動とが一本の線でつながれているように見える。「いじめの存在→子どもの自殺」というように。まるで直列の回路でつながれた豆電球のように、スイッチを入れれば自動的に明かりがともる。そういうものとして子どもの行動がとらえられているように思う。はたしてこれでいいのだろうか。そして、その矢印を逆向きにたどれば、「子どもの自殺→いじめの存在→それを黙認したのは誰か→責任者の特定→糾弾」という流れが、これまたイルミネーションの電球のように次々と逆向きに灯されていく。そして、一定の時間が過ぎれば、電源が落とされ、すべての明かりは消えてしまう。そういう経緯をたどるのではないかという気がしてならない。物事を単純化して、焦点を鮮明にする。それによって瞬間的に人々の関心は高まり、世論は喚起される。しかし、しばらくの後、それらはピークを越え、徐々に沈静化し、やがては消えてゆく。そして、忘れられた頃にふたたびぽつんと小さな電球がともる。この国ではあまりにもそういうことが多すぎるのではないだろうか。いじめが原因で自殺するということは、ある意味ではいじめの「成就」につながる。それは卑劣きわまりない「いじめ」を心ならずも完成させてしまうことになる。だからいじめを受けている者は断じて死んではならない。私はそう思う。そして、死に直面している子どもの心情は、おそらく単線の上を走る列車のような状態になっているのではないだろうか。もちろん人間の内面がそんなに単純なものでないことは承知しているが、彼らは自身の内面をある意味では単純化、単線化することによって死に至っているのではないか。そう思えてならない。そして、死の間際の彼らの内面には「自殺の決行→加害者への復讐」というもうひとつの直線的な矢印が刻まれてはいないだろうか。あるいは私は単純化の危険性をあまりにも単純化して説明しすぎているのかもしれない。しかし、自殺者の内面にはある種の単純化、単線化が見られ、それはマスコミ報道のもつ単純化、単線化とけっして無関係ではない。むしろ深いつながりがあるのではないかと思うのである。だからこそ、マスコミの過剰とも思われる報道が、次々と連鎖的に起こる子どもの自死につながっているのではないか。そういう気がしてならないのである。たしかにいじめは卑劣な行為である。たとえ子供の行為であっても、それらが一人の人間の生命を失わせた可能性があれば、彼らの行為は厳しく糾弾されるべきである。しかし、そのことと自殺の原因がいじめであると単純に決めつけることとは違う問題だ。こうすればこうなるという単線的な考え方が、生の多様性を、選択の余地を、子どもたちから、そして大人たちから奪いとっているように思えてならない。そして、その単純な決めつけが彼らの生の軌跡を単線の線路のようなものにしてしまっているのではないだろうか。子どもたちが引き起こす深刻な問題、それに接した時にわれわれがまず考えるべきことは、それが「大人社会の模倣」ではないかということである。自死に至る直線回路、自死によって復讐をとげようという直列回路、この回路は実は今の社会の根幹を支えているものなのではないか。そのことを考える必要があるように思う。わたしたちの社会は、年間に三万人近くの自殺者をコンスタントに生産しつづけている。そのことを想起すべきだろう。生の多様性を圧殺し、選択の余地を封殺するもの、それは子どもたちの細い首にまかれた一本の細く、単純で、しかし強靱なロープと相似形をなしていないとはたして言い切れるだろうか。私はそう思うのである。
2006.12.01
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