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先日の河北新報に、中江一丁目の「花の湯」が今月末で休止するとの記事があった。昔ながらの番台が残る市内唯一の施設。86年の歴史があるという。記事によると、仙台の銭湯は、かしわ湯(一番町一丁目)が2018年閉店。現在は、駒の湯(国分町一丁目)、喜代乃湯(小田原一丁目)、鶴の湯(長町四丁目)が営業を続けているという。思い出す。2014年の夏のことだ。私は、とある学会の研究大会での発表を申し込んでおり、金曜の仕事の後に広瀬通のターミナルから都市間夜行バスに乗ったのだが、その前に仕事の先輩が飲み屋でミニ壮行式を開いてくれた。自分はそのあとに一人で、一番町のかしわ湯で風呂に入ってから、バスターミナルに向かったのだが、その先輩が乗り場に顔を出して差し入れをしてくれたのだった。かしわ湯は、小さなビルの階段を地下に降りるような施設だったと記憶している。二番丁大通りからちょっとだけ入ったところ。たしか、ほかに一人客がいたと思う。仙台でスーパー銭湯以外の銭湯に入ったのは、たぶんこの時だけではないか。もう10年以上も前になるのか。私の発表は拙いものだったが、コメントをいただいた先生方や一緒の発表者の方々との交流がその後も続き、自分の幅を広げられたように思っている。しんみり思い出している。
2025.02.26
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我が国の政教分離はどの方向に向かうのか。■宍戸・林 編『総点検 日本国憲法の70年』岩波書店、2018年(田近肇執筆部分)から、ODAZUMA整理1 背景日本国憲法の政教分離規定(20条1項後段、同条3項、89条前段)の背景には、明治憲法下で国家神道に事実上国教的地位が与えられ、他の信仰や団体を迫害した歴史的事情がある。これを踏まえ、国家と宗教を分離するGHQの神道指令を永続化するために憲法に盛り込まれた。憲法施行後も主として神道との関係が問題となった(政教分離規定違反が争われた最判集民事に登載の16件の判例のうち、14件が神道に関わる)。2 日本型の政教分離このことから、学説上も実務上も、諸外国とは異なる独自の展開をしてきた。(1) 国家と宗教の分離まず、欧米では、教会 church と国家の分離と表現されるのが通常だが、我が国は、国家と宗教の分離との言い方が多い(津地鎮祭以来の判例でも)。これには、神社神道を教会の語で示す違和感に過ぎないとする見解もあるが、他方で我が国の政教分離原則が「宗教と国家の分離」であることに特別の意味を認める見解もある(津地鎮祭控訴審判決が、神道指令は、西欧諸国の国家と教会の分離ではなく、国家と宗教の分離という徹底したものである、と説く。近時でも再評価する見解=石川健治)。こうした見解は、一般の宗教というよりは神道と国家の関係を念頭にしている。すなわち、神道は整然と体系化された教義というより、共同体の祭祀や儀礼を中心とする特徴ゆえに、国家と神道の関わり合いは、神社組織に対する国家の支援というよりは、神道や神社の祭祀や儀礼に対する国家の事実上の関与という形で生じることが多い。そして、この事実上の関与をも政教分離規定で禁止されていることを徹底するため、「国家と宗教の分離」と強調されるのだ。(2) 目的効果基準上記の事情は、違憲審査のあり方にも影響を及ぼす。最高裁は(津地鎮祭判決)、国家行為が宗教的活動(20条3項)に該当するか否かについて、目的効果基準を判断枠組みとする。これは、米国判例のレモン・テストを変容した形で受け入れたものと言われる(芦部信喜)。しかし、レモン・テストの場合、1.目的の世俗性、2.宗教を振興・抑圧する効果の有無、3.過度の関わり合いの有無、が独立したテストであるが、我が国の目的効果基準は、目的と効果が独立して機能させられることのないまま、むしろ「さまざまな要素を考慮し社会通念に従って判断される」とする点で、総合衡量の手法だと指摘される(阪口正二郎)。レモン・テストが我が国で変容した理由は明らかでないが、日本の場合に問題とされるのは神社神道絡みの事実行為だからという説明(大石眞)が正鵠を得ていると思われる。すなわち、問題とされるのは、神道の教義の公認とか神社組織に支援といった国家による組織的支援というより、今や習俗化しているようにみえる行事や儀礼に対して国家機関が事実行為を通じて関与することだからである。そして、そうした事実行為には、立法の目的や効果を論じるのと同様にその目的や効果を論じることはできないから、結局、その行為が世俗化した社会的儀礼と言えるか否かが決定的となり、その結果、通常は目的判断も効果判断も国家行為の社会的儀礼該当性の判断に従属することになりそれぞれ独自の意味を持たないことになる(林知更)。このような条件下で政教分離規定についての違憲審査に実効性を持たせうるかを考えるとき、注目されるのが愛媛玉串料判決(最大判平成9.4.2)である。この判決で最高裁は、目的効果基準を用いるにあたり、行為の目的をその行為の態様等との関連において客観的に判断し、効果に関しては社会に与える無形的なあるいは精神的な効果や影響をも考慮して、米法にいうエンドースメント・テスト〔ODAZUMA注、一般人から見て特定宗教を後押ししているとの印象を受けるかどうか〕に類似したアプローチをとった。事実行為による関わり合いをいかに審査すべきかの一つの方向を示していると思われる。(3) 国家神道への否定的評価の影響ところで、我が国の特殊性に、政教分離原則を擁護することが民主主義運動であり平和運動でもあるという構図がある(阪口)。それゆえ、政教分離原則は、信教の自由のよりよき保障という文脈のみで捉えるのは決定的に不十分であり、平和主義(2章)と象徴天皇制(1章)との密接な関係の中で理解しなければならない(佐々木弘道)と説かれる。いうまでもなく、軍国主義的イデオロギーの宣伝のために用いられた国家神道を解体するために政教分離原則が導入された歴史的事情が背景である。そして、この国家神道に対する明らかな否定的評価に基づき、学説上も実務上も、多くの見解が、単なる神道でなく国家神道を念頭において完全分離や厳格分離を主張してきた。しかし、問題は、国家神道を念頭に形作った政教分離原則をそのまま他の宗教団体(国家主義的要素が取り除かれた神道も含めて)にも一般化することが適切かどうかである。東日本大震災の際、地方公共団体によっては宗教や宗教団体の取り扱いに過剰とも思える反応がみられたが(田近肇)、その原因のひとつに、国家神道を念頭に置いた政教分離観を一般化した結果、他の宗教団体を巻き添えにしてしまったと言えないか。憲法は、国家神道以外の一般の宗教にはむしろ肯定的観点に立っているのである(佐藤幸治)。それゆえ、政教分離観をそのまま他の宗教団体についても一般化して、宗教というものを政治的共同体から駆逐しようとする無神論的な政教分離観をとることは適切でない(大石眞)と思われる。3 訴訟制度の問題我が国の司法権は英米流の概念を継受したため、具体的事件・争訟性の要件が司法権の概念の中核をなし、客観訴訟が許されるのは法定の場合に限ると理解されている。他方で、政教分離規定は、制度的保障というかどうかはともかく(津地鎮祭以来最高裁がとってきた制度的保障性は石川健治によって止めを刺された感)、主観的権利を保障したものではないとの点でほとんどの学説は一致している。その結果、政教分離規定違反を裁判で争う場合に、地方公共団体なら住民訴訟を利用できるものの、国の行為には制度がない以上争いようがない。こうした現状のもと、殉職自衛官合祀拒否事件(最大判昭和63.6.1)のように、宗教的人格権という主観的権利の侵害という論理構成で主観訴訟を提起する方法がとられてきた(小泉元首相靖国神社参拝事件=最二判平成18.6.23、靖国神社霊璽簿訴訟=大阪高判平成22.12.21)。しかし、最高裁が宗教的人格権あるいは類似する権利を法的に保護されたものと認めたことはなく、宗教的人格権の主張は政教分離規定違反とされる国の行為を統制するうえで成果を上げたとはいいがたい。それは、この権利の内容や外延の不明確さに加えて、そもそもその権利の構成に無理があったからと思われる。すなわち、この権利の内実は「ある死者の追悼を独占する遺族の利益」に帰着するが、何らかの形で個人と縁のあった他者が追悼することは認めざるを得ず(原田尚彦)、それゆえ最高裁が宗教的人格権あるいは類似する権利を承認しないのは無理もなかった。ともあれ、原告適格がスタンディング論〔ODAZUMA注、司法権の本質たる具体的事件性を要件づける原告適格ということか〕の本家の米国以上に厳格に解されている結果、政教分離原則は、一方では国家神道を念頭に厳格な分離が説かれながら、他方では、その立場から最も警戒されるべき靖国神社と国の関わり合いが違憲審査をまぬかれるという矛盾した状況におかれてきた。しかし、現行の訴訟ルールで政教分離規定に違反するとされる国の行為を統制できないのであれば、訴訟ルールの見直しも必要ではないか。スタンディングに関する米国判例法理を参考に、少なくとも89条は支出行為の違法性を争う納税者訴訟を憲法上承認したものと解すべきとの主張もあり(松井茂記)、また、国レベルで客観訴訟を導入することもできよう。いずれにせよ、国の行為を違憲審査の俎上に載せ、その統制を可能にする工夫がない限り、我が国の政教分離原則の発展はないように思われる。4 政教分離の新たな課題 = 市民的公共圏における政教分離原則従来、憲法の下では宗教は全くの「わたくしごと」と説かれてきた(宮沢俊義)。たしかに政教分離原則下では、宗教は国家的な政事ではありえないが、個人と国家の間には社会のレベルがあり、政教分離原則は宗教が社会において一定の公共的な役割を担うことを禁ずるものではないだろう。近時は、公共空間を国家的公共圏と市民的公共圏に区別し、国家的公共圏が政教分離原則により世俗化され無色透明に保たれるべきなのに対し、市民的公共圏では宗教の旺盛な活動が期待され、政教分離原則は市民的公共圏からの宗教の撤退を意味しないと説かれることがある(石川健治)。実際、東日本大震災では、宗教団体・宗教者も積極的に救援や復興に取り組み、役割を果たした。こうした活動は市民的公共圏での活動に属するが、だからと言って政教分離原則と無関係ではない。現実には、市民的公共圏における私人の活動であっても国家が全く無関心ではいられないからである。本来国家が行うべき活動(被災者の救援)ならば、国家と宗教者・宗教団体が協力連携することが望ましい或いは必要かも知れない。ここで、市民的公共圏で宗教者・宗教団体が公益的・社会的活動を行うとき、政教分離原則には従来と異なる側面が問題となることに気づく。すなわち、従来は、国家機関が「社会的儀礼」を通じて関わる場合のほか、国家が積極的施策の受益者に宗教団体を含めること(文化財保護、私学助成)で関わり合いが生じる場面だったが、ここでは、宗教者・宗教団体がその社会的活動に関して国・地方公共団体と協力連携するという形の関わり合いである。ただし、その協力連携において国家が恣意的に協力相手となる宗教団体を選別したり、社会的活動の中で布教宣伝が行われることがあってはならないことから、憲法上どこまで或いはどういう形であれば国家が協力連携が可能とみるべきかを明らかにすることが、新たな課題である。
2025.02.18
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少し前だが、1月末のニュースで、国連の委員会が皇室典範改正を勧告したのに対抗して、日本政府が拠出している資金を、当該委員会活動に使わないよう要求したと外務省が発表した、という。外務省のサイトに出ている記者会見録からポイントを整理してみる(北村外務報道官会見録、1月29日。おだずま整理)。------------・読売記者 女子差別撤廃委員会が、昨年、日本の皇室典範改正を求める勧告を出したことで伺う。日本政府として、皇室典範改正に関する記述の削除を求めていて、委員会は要望に応じていないが、日本政府としての対応はどうか。・北村外務報道官 女子差別撤廃委員会に対しては、対日審査のプロセス及びその審査後にも、我が国の考えを、繰り返し、丁寧かつ真摯に説明してきた。にもかかわらず、最終見解においても、皇室典範の改正に係る勧告が維持された。 この状況を踏まえ、政府として我が国の考えを改めて書面で提出し、女子差別撤廃委員会のウェブサイトに、それを掲載させたところ。 ここで、我が国の考えとは、具体的には、まず皇位につく資格は、基本的人権に含まれておらず、皇室典範で継承資格が男系男子に限定されていることは、女子差別撤廃条約にいう「女子に対する差別」には該当しないこと、そして、皇位継承の在り方は、国家の基本に関わる事項であること。従って、女子差別撤廃委員会が皇室典範を取り上げるのは適当ではなく、皇位継承に関する規律は受け入れられず、削除されるべきだという内容である。 また、今般の事案を踏まえ、女子差別撤廃委員会に対し日本政府として2つの措置を講じることとした。第1に、女子差別撤廃委員会の事務を行っている国連人権高等弁務官事務所に対し、これまで用途を特定して毎年拠出している任意拠出金があるが、その使途から女子差別撤廃委員会を除外すること。そして、第2に、本年度に予定していた、同委員会の委員の訪日プログラムの実施を見合わせること。この2つの措置を講じることとして、女子差別撤廃委員会側に伝達したところ。・読売ほかの記者の質問に対し北村回答(要点) 伝達は1月27日。 任意拠出金の総額は手許にないが、正確には女子差別撤廃委員会に向けてではなく、その事務を担う組織の国連人権高等弁務官事務所に対して、大体年間2から3千万円任意拠出している。国連人権高等弁務官事務所に対する任意拠出金の中から女子差別撤廃委員会に関連する活動に金が使われたことは、少なくとも平成17年以降はないのだが(近年では北朝鮮、カンボジア、ハンセン病差別撤廃などの活動に充てるということで拠出)、今般の決定により、今後とも、女子差別撤廃委員会の活動に、この任意拠出金の一部なりとも使われないことが確保されるので、日本政府の立場をより明確に示すことになる。 任意拠出金は分担金とは違い、日本政府が重要と考える活動や組織に支出するもので、使途を組織に伝達することはよくあること。高等弁務官事務所に対する拠出金じたいを止めるということではない。------------問題の国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)(おだずま注、一般には女子でなく女性の訳語を充てるようだ)の最終勧告は、昨年(2024)10月29日だった。その要点は下記。・男系男子にのみ皇位承継を認める皇室典範は女性差別撤廃条約の趣旨に反する。なお、委員会の権限の範囲外とする日本の立場には留意する・夫婦同姓を義務付ける民法を改正し、選択的別姓を導入すること・中絶に配偶者の同意を必要とする母体保護法の改正・婚外子とその母の社会的な差別からの保護日本政府の任意拠出金の使途制限の公表のあと、テレビを眺めていると、ある女性の有識者氏が、これ(日本政府の対応)はとんでもないことだ、ジェンダー平等に反する、日本が国際的に遅れている象徴だ、などと威勢のいい解説をしていた。しかし、そのような批判的解説は実は事態の的を射ておらず、一般の耳障りは良いと思っているのかもしれないが、問題の解決にもさほど貢献しない一方的な論調に過ぎないと思う。以下に当ジャーナルの見解を示す。1 基本的な議論の仕分け 議論を整理しなければならない。皇位承継の問題には、男女同権の議論とは質の異なる論点を含むからである。 皇位継承を論じる際に人権の視点や女性活躍を促進する視点などが当然あって良いが、そもそも日本国憲法は基本的人権とは別の章(しかも第一章)を設けて天皇について記述しており、象徴である国家機関の性格から一般の国民に保障される人権(例えば男女の本質的平等)が制約されることは前提としている。このことは念頭に置かねばならない。 加えて、これも重要なことであるが、民主主義国家の君主(争いあるが)である天皇のありようをどう定めるかは、主権国家の自律的判断であるとするのが国際常識だろう。従って、他の国や国際機関が介入すべき問題ではないということは重要である。異質の論点と指摘したのは、この点である。 以上から、皇位継承で女系や女子を認めよとする立場の論者が、そうだとしても国際機関からの日本批判は不当だと主張して全くおかしくないのである。 テレビの有識者氏は、民法などの問題について積極改革派で、それと同列に皇位継承問題を捉えているのだろうが、問題なのは、その勢いだけで、国連機関からの介入に対する政府の対応までバッサリ切り捨ててしまっていることだ。1-2 補説 あえて論点比較的に整理すれば、次のようになろうか。(a) 国内での議論の局面 ・一般の女性人権問題に対して皇位問題は国家機関たる特殊性 →人権制約を容認(b) 国際関係の局面(自律か介入か) ・世界普遍の価値観を踏まえ人権救済の観点からの介入は、一般の女性人権問題でも皇位問題でもあり得る構図 ・ただし、皇位問題は、介入自体が不当とされる余地が大きい ←(a)の特殊性。また、国家の根本に関わる事項であるため2 政府の対応について 外交には詳しくないので自信はないが、今回の政府対応は、報道には異例とするものもあったが、じつはさほど突飛なものでもなく、むしろ落ち着いた対応とも言えると思う。 拠出金はそもそも政府が国際協調の視点から、各国の人権状況の改善のために、裁量的に支出するものだろう。従って、日本の国策としての姿勢が反映することは当然だ。また、実際に拠出金が従来CEDAW活動に使われていないことから、使途についての措置を表明しても現実問題として活動に支障は出ない。これらを勘案して、つまり配慮をした上での政府の判断だったと言えるのではないか。 報道の中には、関税などで他国をゆさぶるトランプ新政権を引き合いに、日本もトランプに倣ったかなどと評するものもみられるが、面白さだけで注目(ヒット稼ぎ)を引き出す報道姿勢は、本当に勘弁してほしいものだ。3 条約と国内法の関係 さて、テレビの有識者氏は、日本政府が国際機関に反発することがおかしいというのだが、その意見を根拠づけるとすれば、国際政治的な視点から妥当かどうかという議論の場面とともに、あまり議論されていないと思うが、(介入を許すべきほどに)我が国の国内法整備が国際規準に決定的に遅れている或いは国際基準に反しているのかという議論の場面において、遅れているとか劣っているとかいうことが説明されなければならないと思う。 この議論とは、言い換えれば、日本の国内法が国際法(条約)に反しているのかという議論である。政府が反論した皇室典範の問題だけでなく、民法等の問題についてもいえることだ。 憲法上の大論点であるが、承認された条約は、国内法形式に変型する(焼き直す)必要がある(二元論)のではなく、そのまま国内的にも法規範として効力を生じる(一元論)のであり、さらに条約は憲法に劣位し、憲法に反する条約は無効というべきである。もっとも、条約が違憲審査の対象になるとしても、現実に司法審査が可能かどうかはまた別問題で、司法権を限界づける統治行為論により、一切審査はできない、或いは、一見極めて明白な違憲無効の場合は司法審査の対象となる(砂川判決)。 これは数十年前の私の学んだ図式なので、いまは違うのかもしれない。 テレビの有識者氏は、憲法学説はともかくとしても、条約と国内法整備の関係について、あるいは国際政治の側面から日本の位置やあるべき姿勢などの視点でもよい、論議の作法をわきまえて解説してほしいものだ。持論を補強したいとばかりに、或いは政権の姿勢批判のためだけか、なんでも頭から否定や批判してみせるのでは、何のためにもならない。
2025.02.14
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月曜日が新聞休刊日で昨日火曜日の朝刊をみて驚いた記事。9日投開票の西目屋村長選挙の結果だ。・当選 桑田さん(現職)431票・次点 田村さん(新人)428票投票率は83.64%と、仙台や宮城県では今や考えられない高さだが、それでも前回より0.51ポイント下がったという。前回と同じ顔ぶれで、3票差で現職が再選。ちなみに前回は118票差だった。僅差でもっとすごいのが、2010年の大鰐町長選挙が得票同数で、法により抽選で決した。青森県内では、過去に首長選挙で1票差が2度もあったという。
2025.02.12
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