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・仙台藩の罪と罰を考える(その1)(2025年07月21日)・仙台藩の罪と罰を考える(その2 殺人の罪)(2025年07月22日)から続く■吉田正志『仙台藩の罪と罰』慈学社出版、2013年 をもとにしています。5 幕府の正当防衛現在の正当防衛(刑法36条)・1項 急迫不正の侵害に対して、自己又は他人の権利を防衛するため、やむを得ずにした行為は、罰しない。・2項 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。石井良助『第三江戸時代漫筆 盗み・ばくち』の中の「正当防衛はあったか否かのこと」の項では、寛保2年(1742)『公事方御定書』下巻の2つの条文を挙げる。71条「人殺しならびに疵附けなどお仕置きの事」の中に、「前々よりの例」と肩書きされた一項がある。「一 相手より不法の儀を仕掛け、是非に及ばず、刃傷、人を殺し候もの 遠島」これは、相手の不法の攻撃にやむなく刀を抜いて相手を殺した者は、通常の刑罰である下手人(死刑)より一段軽い遠島の刑に処するもの。72条「相手理不尽の仕形にて下手人にならざるお仕置きの事」において、「享保20年極め(きめ)」と肩書されて、「一 相手理不尽の仕形にて、やむ事を得ず切り殺し候においては」「相手方親類・名主など、殺され候もの平日不法ものにて、申し分これなく、下手人御免申し出、紛れなく候はゝ 中追放」これは、相手の親類や名主が相手は普段不法者で切り殺されても仕方なく、切り殺したものを下手人(死刑)にしないでほしいと申し出た場合は、中追放という追放刑にするもの。この2つを根拠に石井は、江戸幕府では、違法性阻却まではせず刑の減軽があっただけであり、客観主義の刑法観があったからとする。もっとも、『公事方御定書』下巻には、正当防衛的なものとして、48条「密通お仕置きの事」の一条項(寛保3年極め)に、夫が妻の同意なく家宅侵入した男を殺したときは、夫妻とも構いなし、とするものがある。石井は、このように『公事方御定書』下巻には正当防衛の思想はほとんどなかったが、実際の裁判例で次第に正当防衛を認める方向に進んだ、とする。次のような判例がある。・安永1年(1772) 百姓が妻と娘を連れて山道を通ったところ、浪人体の者が理不尽に妻を殺したので、百姓が浪人の脇差を抜き取って浪人を殺した事件で、百姓を無罪とした・寛政1年(1789) 不法者を殺した百姓2人が平日悪事をする者ではないとの証言が認められて、構いなしとした6 仙台藩の正当防衛石井は、上記論文の最後に、仙台藩の元禄16年(1703)『評定所格式帳』には正当防衛といえる制度があると指摘する。第11条「人殺しの類」第2項に、次の条文がある。「一 人に慮外仕懸けられ候か、何ぞよんどころなき道理これあり、打ち果たし候は、お構いなし、相手死に損になり申し候、 ただし、その時の様子により、死罪・流罪・追放などに仰せつけられ候儀もござ候、」石井は、急迫不正の侵害より広い範囲で正当防衛的なものを認めていたと解釈し、この思想は江戸幕府法に比べるとずっと進んだ考え方であると高く評価している。たしかに、幕府が正当防衛的な法制を認めたのが安永1年(1772)で(おだずま注:上記判例のことか)、仙台藩の『評定所格式帳』はその70年前なので、石井の理解によれば仙台藩はたいへん先進的な正当防衛観を持っていたことになる。では、上記条文がどんな経緯で生まれたのか。『評定所格式帳』はそれまでの藩の判例や幕府のお仕置きの模様を取り合わせて制定されたとされるが、上記の通り幕府にはそれまで正当防衛的な法制がなかったから、問題は仙台藩の判例である。そこで、仙台藩の正史である『治家記録』から拾ってみる。(1)慶安1年(1648) 江戸上屋敷での事例。柳生新次郎が草子(本)を読んでいたところ曾根伝作が聞き飽きたと言ったことから喧嘩になり、新次郎が伝作を切り殺した。藩主に報告したところ、新次郎に道理はあるが、届もなく上屋敷で事件を起こしたのは不届きで、切腹を命じるところだが、そもそも伝作の行為が不届きなので、新次郎の身命は助けて国許にいるよう命じた。この事件は、伝作が先に切りかかったか不明なので、正当防衛の判例といえるか問題はあるが、喧嘩についてどちらに非があるか判断しているので、喧嘩両成敗的な処理ではないことに留意すべき。(2)慶安4年(1651) 馬淵次男平六が荒井次男六太夫を斬殺。平六は切腹すると申告し、覚範寺に入るが、原因を問うと六太夫が平六の前髪を切った意趣だとの答えで、藩主の判断は、平六の行為はもっともなので変わらず奉公せよとのこと。この事件は、些細なことで相手を切り殺した乱暴にも見えるが、ともかく藩主は平六の行為をもっともだと判断したことが注目される。(3)承応2年(1653) 男色が原因で斬殺した事件。詳しくはわからないが、穿鑿の結果、殺した側の行為はよろしいと判断され身命は助けられた。(4)天和2年(1682) 石川万太郎の長屋に勅使河原伝八が男色をもちかけたが、承諾しない万太郎に伝八が抜刀して切り掛かり、万太郎が抵抗し、家来の助けも得て伝八を斬殺。疵は万太郎13か所、伝八7か所。審理の結果、万太郎の罪はないと判断された。(5)貞享1年(1684) 右筆の金成七平が、同僚の宇角喜右衛門から悪口を言われたため、帰宅途上の喜右衛門を待ち受けて切り掛かり疵を負わせた。正当防衛とはいえないが、士に似合わない悪口を言って疵を負う事態を招いた喜右衛門がけしからないこととして斬罪に処せられ(兄に対しても城下十里外住居、また、仇討ちは逆心として一類まで斬罪に処すと通告)、他方、七平には不調法はないとされ奉公を続けるよう命じれらた。(6)元禄7年(1649) 農民の事件。本吉郡馬籠村の九郎右衛門が婿入りした先で、権七夫婦から理不尽な仕懸けを受けたため、九郎右衛門が権七を突き殺した事件。判決は九郎右衛門は殺人の割にはごく軽い一村追放の刑。権七妻は、四郡追放という重い刑。つまり、農民の場合は全く罪を問われないのではないが相当減刑されているといえる。以上が、『評定所格式帳』制定以前の判例。これらをもとに、『評定所格式帳』第11条「人殺しの類」第2項の条文を考えてみる。第一にいえるのは、(4)を例外として、どうも急迫不正の侵害はなく、悪口や男色など現在からみれば些細な原因で殺人が行われ、そして罰せられない。つまり、おそらく武士の名誉や体面を傷つけられたことが原因ととらえた方が良いだろう。第二に、一例だけの農民の場合は、急迫不正の侵害の有無は不明だが、理不尽な仕懸けに対抗した殺人は、軽くとも一応刑は科せられた。この対応は武士の事例とは明らかに異なる。まとめて評価すると、『評定所格式帳』の上記条文は、石井が幕府法よりずっと進んだ考えと評価したが、仙台藩には武士はやられたらやり返せの思想が強烈にあって、切り掛けられたときはもちろんだが、些細なことでも名誉や体面を傷つけられることが「慮外」や「よんどころなき道理」との言葉で表されているのであり、決して近代刑法の正当防衛ではなく、むしろ古い武士道の表れといわねばならない。『評定所格式帳』制定以後の判例はどうか。『治家記録』のほか『仙台藩刑罰記』から探ってみる。(7)宝永4年(1707) 宍戸善助が争論して岩淵吉之助を斬殺。審理の結果、やむを得ない事情(急迫不正の侵害への防衛かどうかわからない)があったため罪に問わないとされた。(8)延享3年(1746) 小川利右衛門が貸し金に関する約束を変じたのを、小田嶋弥源太が士に似合わないことだと言ったところ、利右衛門が急に切り掛かってきたので対抗して弥源太が利右衛門を殺害した事件。利右衛門の行為は理不尽で、弥源太の行為は重科だがやむを得ないこと明白なので、宥免して蟄居とした。違約や武士らしくないなどの争いの根元はともかく、急に切り掛けられて対抗した点のみをみれば、正当防衛的な面があると思われる。(9)寛延1年(1748) 荘子彦三郎の妻が家僕にAA【おだずま注、楽天ブログによりわいせつもしくは公序良俗に反する表現とされるので伏字にした。刑法177条の罪名。】されそうになり家僕を斬殺した事件。藩主が妻の節義に感じたとされるので、妻の罪は問われなかったと思われる。貞操を守って天晴という点などはともかく、急迫不正の侵害への正当防衛的行為と言えよう。(10)宝暦9年(1759) 加美郡志津村の百姓の妻が伝九郎に脇差をのどに押し当てられAA【同上】されそうになったが、妻はその白刃を奪い取り逆に伝九郎に疵を負わせて身を守った事件。妻は傷害の罪を問われず、死を顧みず貞操を守ったとして金三両の褒美を授けられる。伝九郎は島奴。現在でも十分に正当防衛が成立すると思われる。(11)宝暦13年(1763) 伊具郡木沼村の山伏千光院が飲酒しているところに大石宇治右衛門が来て、酔って無礼な振る舞いに及び、割木で千光院を打とうとしたり白刃を振り回したため、千光院が自分の刀で宇治右衛門を刺殺した事件。理不尽な宇治右衛門の攻撃にやむを得ずした行為として、千光院は構いなしとされた。以上の11の判例から、武士の名誉な体面を汚されたことへの反撃を当然視する古い武士道思想の土台の上に、18世紀半ば頃になると、庶民についても理不尽な攻撃に反撃して、貞操なり身体なりを守る行為の罪を問わない事例がみられるようになるので、これを正当防衛的思想の発現とみれば、仙台藩は、石井の言うように70年も早くとは言えないにしても、少なくとも20年から30年ほど幕府より早く正当防衛を認めたということができるだろう。幕末期の仙台藩刑事法を示す『刑法局格例調』でも、「殺人の類」の一項として、「一 無礼の挙動に及ばれ候か、何ぞよんどころなき筋これあり、人を手殺し候者は、構いなく差し置き候事、」とあるので、18世紀半ばの状況が維持されたと思われる。もっとも、この条文は無礼討ちを認めたもので正当防衛そのものではないかもしれないが、無礼討ちは正当防衛のうち武士の特権と言えるので、広い意味で正当防衛の規定と考えてよいだろう。このように、近代刑法の急迫不正の侵害に対する正当防衛と比べると、名誉や体面や妻の貞操など封建倫理に対する侵害への反撃が認められたという側面が強いが、その一環として一般的な急迫不正の侵害への正当防衛も容認したというのが仙台藩の態度だったと言えると思われる。(ただし、武士については、正当防衛か否かにかかわらず、とにかく、やられたらやり返せ、というのが仙台藩が家臣に要求した態度であったことが指摘される。→次の項へ) 仙台藩の罪と罰を考える(その4 喧嘩両成敗)(2025年08月03日)に続く■関連する過去の記事 フリーページ「戦国・藩政期の仙台・宮城」から「仙台藩の藩政」をご覧ください。(主なものは下記) 仙台藩の罪と罰を考える(その10 拘禁刑、さらし刑、肉体刑)(2025年08月11日) 仙台藩の罪と罰を考える(その9 奴刑)(2025年08月11日) 仙台藩の罪と罰を考える(その8 追放刑)(2025年08月10日) 仙台藩の罪と罰を考える(その7 流刑)(2025年08月08日) 仙台藩の罪と罰を考える(その6 江戸屋敷と刑罰)(2025年08月05日) 仙台藩の罪と罰を考える(その5 刑場と死刑)(2025年08月03日) 仙台藩の罪と罰を考える(その4 喧嘩両成敗)(2025年08月03日) 仙台藩の罪と罰を考える(その3 正当防衛)(2025年07月24日) 仙台藩の罪と罰を考える(その2 殺人の罪)(2025年07月22日) 仙台藩の罪と罰を考える(その1)(2025年07月21日) 芦東山記念館を訪れる(2013年5月7日) 仙台藩の刑制と流刑地(10年2月10日) 芦東山と江戸期の司法制度(08年10月2日) 仙台藩の刑場(07年9月3日) 仙台藩の牢屋(07年8月19日) 仙台藩の法治体制(06年11月20日) 岩手の生んだ大学者の芦東山(06年3月29日)
2025.07.24
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仙台藩の罪と罰を考える(その1)(2025年07月21日)から続く■吉田正志『仙台藩の罪と罰』慈学社出版、2013年 をもとにしています。4 殺人の罪ドイツ刑法をモデルに明治40年制定された刑法は、殺人罪(第199条)の一条のみで、具体的事情は裁判官が総合的に判断して、死刑から懲役5年の範囲で刑を科することになる。しかし、フランス法をモデルとした明治13年の刑法も、謀殺(計画的な殺人)は死刑(第292条)、毒殺は死刑(第293条)、故意の殺人(故殺)は無期徒刑(第294条)、残酷なやりかたの殺人は死刑(第295条)など、殺人の内容を細かく規定して、裁判官の裁量の余地を狭めていた。それ以前に、明治政府が古代の中国や我が国の律(りつ)などを参考に制定した『新律綱領』(明治3年=1870)では、祖父母、父母、主人を殺した者は梟首(=獄門)、故殺は斬(ざん)など、殺人を類型に分けて刑を決めている。江戸幕府の『公事方御定書』(寛保2年=1742)下巻第71条「人殺しならびに疵附けなどお仕置きの事」でも、殺人を細かく類型に分けている。・主殺しは、2日さらし1日引き廻し鋸挽きのうえ磔・古主(以前の主人)殺しは、さらしのうえ磔・親殺しは、引き廻しのうえ磔・毒殺は獄門・単純殺人は、下手人(=単純な斬首)・辻切りは、引き廻しのうえ死罪(=斬首のうえ死体を様(ためし)切りに利用、さらに闕所(けっしょ、財産没収)を付加)など。これらは主として判例の積み重ねで作り上げられたと思われる。では、仙台藩の『評定所格式帳』(元禄16年=1703)ではどうか。・人殺しの類(第11条) 一般の殺人は死罪(武士は斬罪、凡下は切り捨て)・主殺しの類(第12条) 引きさらし竹鋸で挽き磔の刑を科す。妻子は同罪、父母兄弟は死罪。なお、主人の嫡子を殺した場合は主殺しと同じだが、次男三男や弟を殺した場合は、城下引きさらしたうえ磔、と差別を設けている・親子など殺し候者の類(第13条) 親殺しは主殺しと同じ。親が子を殺した場合は、獄門、事情によって牢朽し(ろうくだし)、密夫に本夫を殺させた妻と密夫は、ひきさらし磔、妻を殺した夫は獄門、悪質な場合は磔、兄を殺した弟、伯父を殺した甥は磔、弟を殺した兄は獄門。このように目上の者を殺したケースが重く罰せられる・毒害の類(第14条) 妻が夫を毒殺した事件で妻が磔とされた。主人に毒を与えた場合は、主人が死ななくても、ひきさらしのうえ磔、となった・乱心物の類(第15条) 殺した者の親類に与えて死罪とする、兄を殺した事件では磔になっている明治初年に明治政府に提出された『刑法局格例調』は、仙台藩の判例の集大成である。この中で「殺人の類」全33か条は、評定所格式帳と同様の規定も多いが、目新しい箇条もある。例えば、・妻が子を置いて出て行って、その子を養育しかねて殺害した卒族を、入牢(じゅろう)に・妻と口論して薪で突き死なせた者を、近流に・同行のものを狐狸と疑い殺した者を、刎首(=斬首)になどの判例が新たに付け加えられている。これら仙台藩の科刑が、幕府や他藩とどう違うかを問うのは、具体的な事件がたくさん生じていて煩雑になるが、むしろ仙台藩の特徴としては、殺人を犯しても罰せられない事例(正当防衛、喧嘩両成敗、無礼討ち、家来手討ち)について検討してみたい(→次項へ)。 仙台藩の罪と罰を考える(その3 正当防衛)(2025年07月24日)に続く■関連する過去の記事 フリーページ「戦国・藩政期の仙台・宮城」から「仙台藩の藩政」をご覧ください。(主なものは下記) 仙台藩の罪と罰を考える(その10 拘禁刑、さらし刑、肉体刑)(2025年08月11日) 仙台藩の罪と罰を考える(その9 奴刑)(2025年08月11日) 仙台藩の罪と罰を考える(その8 追放刑)(2025年08月10日) 仙台藩の罪と罰を考える(その7 流刑)(2025年08月08日) 仙台藩の罪と罰を考える(その6 江戸屋敷と刑罰)(2025年08月05日) 仙台藩の罪と罰を考える(その5 刑場と死刑)(2025年08月03日) 仙台藩の罪と罰を考える(その4 喧嘩両成敗)(2025年08月03日) 仙台藩の罪と罰を考える(その3 正当防衛)(2025年07月24日) 仙台藩の罪と罰を考える(その2 殺人の罪)(2025年07月22日) 仙台藩の罪と罰を考える(その1)(2025年07月21日) 芦東山記念館を訪れる(2013年5月7日) 仙台藩の刑制と流刑地(10年2月10日) 芦東山と江戸期の司法制度(08年10月2日) 仙台藩の刑場(07年9月3日) 仙台藩の牢屋(07年8月19日) 仙台藩の法治体制(06年11月20日) 岩手の生んだ大学者の芦東山(06年3月29日)
2025.07.22
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法制史の学者の先生が、一般向けにわかりやすく解説される下記文献から。(この記事シリーズは全10回になります。記事の末尾のリストを参照下さい。)■吉田正志『仙台藩の罪と罰』慈学社出版、2013年1 評定所格式帳について幕府は、キリシタン禁止令のように全国的に発布した法もあり、また、各大名にできるだけ幕府法にならうよう要求したが、決して大名領で適用を強制することはなかった。従って、外様大藩の大名には、かなり独自性の強い刑法を制定したケースがあり、仙台藩もそうであった。仙台藩は元禄16年(1703)11月28日付で『評定所格式帳』という藩の根本法典を制定。その多くは刑罰の条項で、以後藩の終末まで大枠が維持された。(評定所格式帳制定の経緯)仙台藩は、家臣に領地領民を支配させる地方知行制をとり、しかも中級家臣にまで与えており、侍総数2047人中1700人が地方知行だったとの記録がある(寛文10年=1670)。俸禄制と異なり、自身が領民を罰する意識を持つのも当然だが、江戸時代の大名は中央集権体制の一環として刑罰権を大名に集中させようとする。仙台藩は幕末まで地方知行制を維持したが、家臣に年貢徴収などは認めても、刑罰権については早い段階から藩主に集中しようと努めた。政宗時代にはまだ家臣の刑罰権を否定する動きは少ないが、二代忠宗(寛永13年ー)になると、寛永14年に奉行(他藩の家老にあたる)連名の通達で、藩主の許可なく家臣が百姓町人を成敗してはならないと命じる。しかしおそらく上級家臣に無視されただろう。三代綱宗(万治1年ー)が隠居させられ四代亀千代(綱村)が跡を継ぐと、後見役の家臣たちに権力争いが生じた(寛文事件、伊達騒動)結果、仙台藩は幕府の強力な監視下に置かれ、成長した綱村は元禄7年(1694)、寛永14年の法令をよく守れと命令を発する。この命令の中には、他国には家臣が勝手に仕置きを申し付けるところはないと述べている。家臣、特に一門衆は反発したようだが、元禄13年(1700)に至って一門衆から藩に伺いが提出される。(1.寛永14年令は一門に伝えられなかった、2.百姓が領主のいうことを守らなくなる、3.死罪以外は自分たちで申しつけたい)これに対して、藩は元禄14年奉行連名で回答している。(1)藩の裁判所である評定所の機能が充実しつつある(2)裁判が不統一では他国に聞こえが悪い(3)元禄10年(1697)幕府「自分仕置き令」などの幕府法を強く意識し、刑罰権は国主のみに認められているここで(3)は、大名が自分の領分限りで処理できる事件は幕府に伺うことなく死刑まで科してよいと現状を追認したもの(他領と関係する事件は幕府の月当番老中に伺いを出すよう命じた)。そして、家臣たちがバラバラに裁判をするのでなく藩が一元的基準で刑罰を統一するのに必要だったのが、先例集であり、そのために『評定所格式帳』が作られた。(評定所格式帳の意義)幕府の八代将軍吉宗により寛保2年(1742)に制定された『公事方御定書』より40年も早く制定された。それまで幕府がまとまった法典を制定しなかったのは、三代家光が、先例集を利用した町奉行に、どんなに似た事件でも必ず内容に違いがあるから具体的内容に即して裁判せよと語ったエピソードが尊重されて、先例集が進まなかったのではないか。もっとも、仙台藩の評定所格式帳の制定直前に、綱村は幕府に隠居願を出す羽目に追い込まれ、その具体的運用は五代吉村に任されることになる。2 刑罰体系 ー 侍と凡下武士に対する刑罰と凡下(庶民)に対する刑罰では、体系に違いがある。犯罪の内容によって、侍の身分を剝奪して凡下の刑を科する事例がみられる。その最初の例が、享保15年(1730)の2件の評定所判決。放火に対する凡下の刑罰である火罪に処するために、盗みのため放火した武士に対して下したものなど。また、享保17年判決では、凡下の死刑の一種である磔にした判決。有名なのが日塔喜右衛門の事件。宝暦2年(1752)、桃生郡女川村に在郷屋敷を持つ飯田(はんだ)能登(450石)の家来の喜右衛門が能登の妻と密通の上、能登を殺害し、盛岡領まで逃亡したとされる。喜右衛門は凡下に落とされたうえ、芭蕉の辻で3日間さらし、竹鋸で挽いて、士丁市中を引きさらしてから、七北田処刑場で磔という凡下で最も重い死刑に処している。なお、喜右衛門の父は凡下として田代浜に流罪(士分にも流罪はあるが島での扱いが異なる)、母も凡下のみの刑である奴の刑。以上のような重大犯罪でなくても、士分に不似合いの振る舞いで凡下に落とされる事例がある。例えば、元文3年(1738)、侍でありながら凡下の仕事である愛子村藩有林の材木伐り出しの人足となり、木の下敷きになって死んだのは、不届き至極とされた(子も凡下に)。寛延2年(1749)、帯刀せずに若林城下の堀で溺死したのは、士に似合わない所行として凡下に落とされ跡式をつぶされている。宝暦3年(1753)には、湯屋で刀や衣類を盗んだとして、凡下に落としたうえ切り捨てを申し渡されている。明治元年(1868)にも凡下に落とす制度が適用されている。仙台藩の判例集をみると、士(住持職、肝入、沙門)に不似合い、という言葉がよく登場する。江戸時代が身分制社会である以上、身分や分際にふさわしい行動規範が想定され、それから逸脱されると加重された処罰を覚悟しなければならなかったといえる。3 侍身分と凡下身分の違い身分侍身分凡下身分(農民)竹鋸にて挽き磔火罪(かざい)磔獄門牢前において斬罪切り捨て牢前において切腹その身屋敷にて切腹遠流(江島)遠流(江島)島奴近流(田代島、網地浜、長渡浜)近流(田代島、網地浜、長渡浜)島奴他国追放遠き川切り追放遠き川切り追放奴他人預け三郡追放三郡追放二郡追放二郡追放一郡追放一郡追放一村追放城下追放城下追放親類預け改易扶持召し放し(半分の場合あり)半地(知行の半分)召し上げ逼塞日数牢舎閉門戸結(とゆい)縄懸け(なわかけ)蟄居押し込め慎み親類預け過料(かりょう)しかり※農民に対しては、戸結と押し込めの間に縄懸けという拘禁刑が採用されていた。 仙台藩の罪と罰を考える(その2 殺人の罪)(2025年07月22日)に続く。なお、死刑の種類、執行方法、処刑場などについては、仙台藩の罪と罰を考える(その5 刑場と死刑)(2025年08月03日)に記しております。■関連する過去の記事 フリーページ「戦国・藩政期の仙台・宮城」から「仙台藩の藩政」をご覧ください。(主なものは下記) 仙台藩の罪と罰を考える(その10 拘禁刑、さらし刑、肉体刑)(2025年08月11日) 仙台藩の罪と罰を考える(その9 奴刑)(2025年08月11日) 仙台藩の罪と罰を考える(その8 追放刑)(2025年08月10日) 仙台藩の罪と罰を考える(その7 流刑)(2025年08月08日) 仙台藩の罪と罰を考える(その6 江戸屋敷と刑罰)(2025年08月05日) 仙台藩の罪と罰を考える(その5 刑場と死刑)(2025年08月03日) 仙台藩の罪と罰を考える(その4 喧嘩両成敗)(2025年08月03日) 仙台藩の罪と罰を考える(その3 正当防衛)(2025年07月24日) 仙台藩の罪と罰を考える(その2 殺人の罪)(2025年07月22日) 仙台藩の罪と罰を考える(その1)(2025年07月21日) 芦東山記念館を訪れる(2013年5月7日) 仙台藩の刑制と流刑地(10年2月10日) 芦東山と江戸期の司法制度(08年10月2日) 仙台藩の刑場(07年9月3日) 仙台藩の牢屋(07年8月19日) 仙台藩の法治体制(06年11月20日) 岩手の生んだ大学者の芦東山(06年3月29日)
2025.07.21
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今日は参院選挙の投票日。ところで河北新報朝刊を見て、あれっと思った。画像(下記)の通りなのだが、22日(火)大玉村長選告示(27日投開票)、24日(木)富岡町長選告示(8月3日投開票)、と出ている。大玉村が5日間、富岡町が10日間、と選挙期間が違っているのだ。(河北新報7月20日朝刊から)公職選挙法を確認しよう。「第5章 選挙期日」に選挙期日の定め(任期満了前30日以内、解散から40日以内、など)とあわせて、公示や告示の定めがある。●総選挙(衆議院議員)=少なくとも12日前に公示(31条4項)●通常選挙(参議院議員)=少なくとも17日前に公示(32条3項)●一般選挙(地方公共団体の議員の任期満了)、長の任期満了に因る選挙(33条5項)(1)都道府県知事 少なくとも17日前に告示(2)指定都市の長 少なくとも14日前に告示(3)都道府県・指定都市の議会の議員 少なくとも9日前に告示(4)指定都市以外の市の議会の議員及び長 少なくとも7日前に告示(5)町村の議会の議員及び長 少なくとも5日前に告示町村の長の場合、5日前の告示がルールと思っていたが、法律上は「少なくとも5日前」なので、10日前も可能となる。(特例規定や特例法の有無までは確認していない。)富岡町の公式サイトを見ると、やはり、町長選挙は8月3日(日)投票で告示日は10日前の7月24日(木)である。町外に滞在している町民が不在者投票をするための余裕を考えたことが考えられる。不在者投票は町外滞在者がまず富岡町役場に請求書を郵送して、次いで富岡町選管が投票用紙等を滞在者に郵送し、そのうえで滞在している市区町村で投票する。面倒な手続きなので公選法が定める最低の5日間では事実上難しい。10日前の告示とすることで、7月25日(金)から8月2日(土)まで不在者投票が可能となる。このほか、投票日の当日投票所は、いわき市、郡山市にも設けれられ、さらに期日前投票所は、いわき市、郡山市、三春町、大玉村にも設けられている。令和6年3月の町議会議員一般選挙も、3月24日(日)の投票で告示日が3月14日(木)と、10日前となっていた。東日本大震災の影響だとすると、そもそも議員や長の任期を特例的に延長する法改正が行われ、多数の自治体で選挙期日を何か月も延期したことは記憶に残っている。しかし、例えば宮城県内で、告示日を前倒して選挙期間を長くしたかどうかまでは、記憶が定かではない。実は、公選法の定める最低期間を延ばした事例という意味では、国政選挙でも公示日を一日前倒した例がある。前回2022年の参院通常選挙では、沖縄慰霊の日との兼ね合いで17日前の木曜日を1日前倒して水曜日に公示した。■関連する過去の記事 青森県知事選挙 投票日(2011年6月5日)(震災と選挙を考える) 震災と選挙を考える(2011年4月5日)(選挙ないし民主主義と震災)
2025.07.20
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NHKニュースで、名古屋市の葬儀場で遺体を取り違えて出棺して火葬し、葬儀場の運営会社が遺族に謝罪、と報じていた。同姓の別の遺体を出棺してしまい、火葬の後に遺族から指摘を受けて取り違えがわかった。謝罪して改めて出棺した。なお、誤って火葬された人には身寄りがなかった、ということだ。ニュース映像では立派な葬祭会館が映っていたが、ティアという社名は最近勉強したばかりなのでピンときた。売上高200億円の大手葬祭専門会社だ。このミスは1月のことで、会社のサイトを見たら昨日(7月10日)付けのコメントが出ているので、報道を受けての対応だろう。遺族の意向があって本件は社内限りに扱っていた、という言い方だ。■関連する過去の記事 葬儀業界を学ぶ(2025年07月01日) 樹木葬は一関市が発祥(2025年07月02日)
2025.07.11
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仙台白百合女子大学が共学に移行することを決定したとの報道があった。同大学のサイトにも、【重要なお知らせ】として「仙台白百合女子大学の共学化について」として出ている(7月8日付)。東北唯一の4年制カトリック大学として、少子化に対応し教育の質を維持向上し規模を図るためという。圧倒的な少子化と全国的な大学経営問題を踏まえれば、動きが出るのは自然である。少子化の要因を別にするとしても、男女共同参画や共学志向など、社会環境の変化もあげられる(同大学のお知らせでも言及している)。先月には、我が国最大規模の女子大学、武庫川女子大学が共学化の方針だと報じられた。テレビでは戸惑う在学生のインタビューが流されていた。女子大だから入った、話が違う、という趣旨だった。多数派かどうかはわからないが、確かにそういう声もあるだろう。かつて宮城県では県立高校の共学化で大いに騒いだ。当時は、少子化問題よりも、共同参画、教育理念、伝統などが論じられた。同窓生だけでなく、現役の高校生も別学を維持せよと必死に訴えて報道されたりしていた。当ジャーナルは、教育水準(ハッキリ言えば宮城県の公立高校の学力や進学実績の問題)、や教育財政にも配慮して議論すべきだとしてきた。もう20年も前になる。いまはどうだろう。教育論として女子大学の意義はもちろん議論されるべきとは思う。ただ、時代は変わった。■関連する過去の記事 宮城県立高校の共学化論議に関する記事は、下記リスト中に多数あります。 宮城(6)教育・文化・ひと・事件事故
2025.07.10
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戦後80年になるが、6月21日河北新報の記事は迫力があった。以下に引用(要約)させていただく(記事には田村賢心と署名あり)。(見出し)宮城・元若柳町長 菅原さん14歳 海軍火薬廠に動員少年少女が危険な業務(以下、記事の要約引用)現在の柴田町と角田市の境にあった旧海軍の大規模火薬工場(第一海軍火薬廠)は、面積530万m2、東洋一の規模を誇る火薬工場で、終戦まで約3万トンを製造した。終戦直前には1万人以上が勤務し、1944年からは約3千人が学徒動員された。菅原郁夫さん(94歳)は、戦後80年を機に、少年少女が危険な場に駆り出された戦争の実像を若い世代に伝えるため、これまで口にすることのなかった経験を語った。菅原さんは若柳町に生まれ、若柳国民学校高等科2年を卒業した45年3月に、14歳で勤労少年として第一海軍火薬廠に終戦まで5か月ほど動員された。海軍飛行予科練習生に合格しており、入隊通知が届くまでの勤務を教師に勧められた。早く兵隊になり命を落としても国に尽くしたいという気持ちを抑えて、県南の女子学生らに交じって仕事に励んだ。製造途中の火薬に不純物が混入していないか点検し、問題なければ乾燥室に運ぶ。自分は重労働でなかったが、化学物質に直接触れる他の工員は手や顔が黄色く、危険と隣り合わせだった。上空を米軍機が飛来するのを見たことはなかったが、もし爆撃されていたら相当な犠牲が出ていただろう。玉音放送は仕事中で聞けず、上司から敗戦を聞いた。悔しさや悲しみもなく、入隊はなくなった、若柳の親元に帰れるなあ、ぐらいしか考えなかった。翌46年、町役場職員となる。総務課長、収入役、助役などを歴任、1988年58歳で町長に当選、栗原市発足(2005年)まで5期務めた。胸中には、国民学校しか出ていない劣等感があり、火薬廠勤めを自ら公にすることはなかった。戦後80年の今年、戦争遺構を伝える河北新報記事に触れた。火薬廠跡地は現在、陸上自衛隊船岡駐屯地、仙台大学、宇宙航空研究開発機構(JAXA)角田宇宙センターなどが建つ。そこにかつて、若者が危険な業務に動員された施設があったことを、語り継ぐ必要性を感じた。戦争はあってはならない。現代の若者にも火薬廠を知ってもらいたい。自身より長く働いた元工員たちには、苦労や懐かしさを語れる人もいるのではないかと期待する。(以上)当ジャーナルでも船岡の海軍火薬廠について記事にした(2011年、そのベースは1985年の朝日新聞連載)。建設の経緯、工場業務の実態、空襲を免れたこと、終戦後の財産処分や従業員のこと、自衛隊や大学の誘致、養護学校、など貴重な内容で、朝日の連載記事に登場された方々も40年前の時点だった。当時を知る方も一層少なくなっており、今回の菅原さんの発言は非常に重要だと思う。工場があった事実、そして歴史を、多くの人たちに知っていただきたい。■関連する過去の記事 船岡と海軍火薬廠の歴史(その3)(2011年10月16日) 船岡と海軍火薬廠の歴史(その2)(2011年10月14日) 船岡と海軍火薬廠の歴史(その1)(2011年10月13日)
2025.07.06
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鹿児島県の十島村では、地震が続いているため、災害救助法が適用され住民の本土への避難も始まっている。被害の少ないことと円滑で確実な対応を願う。ところで、数日前にTVニュースで村長が記者会見しているときに、鹿児島市内の村役場からと説明されていて驚いた。他市町村に所在する役場といえば、かつての東通村が有名だが、今では沖縄県の竹富町くらいに思っていたからだ。鹿児島県では、十島村と三島村がいずれも鹿児島市内に役場を置いているという。十島村役場はフェリーが発着する埠頭の近くにあるようだ。法制度上の言い方をすると、市町村のエリアは「区域」と呼ばれ(地方自治法5条1項ほか)、区域に住所を持つ者が「住民」になる(10条1項)。市役所や役場などと呼ばれる施設は、市町村(<地方公共団体)の「事務所」であり、条例でその位置を定める(4条1項)。この条例(位置条例)は、議会で出席議員の3分の2以上の多数決を要する(4条3項)。区域外に市町村の施設を置くケースでは、県内だと塩竈市立第三中学校だ。地方自治法上は公の施設の区域外設置(244条の3第1項)というもので、関係自治体と協議の上、両自治体の議会の議決が必要になる(同条3項)。■関連する過去の記事 学区の外に所在する中学校(2011年3月10日)施設の区域外設置は意外と多くて、宮城県内だけでもさまざまな実例がある。ざっとケース別に上げてみると以下のごとし。・学校 塩竈市立第三中学校(多賀城市、昭和24)・緑地 仙台市七北田川田子緑地(多賀城市、平成12年)・上水道供給施設 多数あり・ガス供給施設 仙台市が利府町、富谷市、名取市、大和町、大衡村に・バス 白石市民バス(丸森町、平成17) 大郷町(大崎市、塩竈市、利府町など5市町に、平成12以降)・埋め立て処分場 塩竈市(利府町、昭和50)・その他 丸森町青葉旗巻古戦場公園(福島県相馬市、平成18)最後の古戦場公園はユニークなケースだと思う。
2025.07.05
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樹木葬の発祥が一関だという。樹木葬墓地とは、墓石の代わりに樹木をシンボルとする墓地。1999年に一関市の祥雲寺で誕生した。なお、当初から祥雲寺別院知勝院として運営したが、2006年知勝院は宗教法人となり、以降は知勝院が運営主体。2003年に町田いずみ浄苑の一角に、NPO法人エンディングセンターが桜葬墓地を開設。2006年には横浜市が横浜ドリームランド跡地を墓地にする際、樹木葬墓地を造成。これらには契約が殺到し、都市型の樹木葬墓地が次々造成されていく。現在、新規で墓地を購入する人の4割が樹木葬墓地を選ぶといわれる。樹木葬墓地は永代管理(継承が不要)タイプが多く、墓石がない分安価で、需要が急拡大。未使用地に樹木葬エリアを造成して販売する墓地・墓園も増加した。近年では、墓石関連以外の葬儀社などが参入。宗教法人の未使用地を利用し共同開発するなど。■吉川美津子、塚本優、星野哲『図解入門業界研究 最新 葬儀業界の動向と仕組みがよ~くわかる本』秀和システム、2024年■関連する過去の記事 葬儀業界を学ぶ(2025年07月01日)祥雲寺といえば、田村家の菩提寺。知勝院(一関市萩荘)のサイトをみると、次のように説明がある。------------祥雲寺(臨済宗妙心寺派、旧一関藩主田村家菩提寺)16世千坂げんぽう住職は、地域在来の樹木を墓石の代わりとする自然再生型樹木葬墓地を考案。人の手が入らなくなった里山を購入し、墓地として整備を始め、1999年より樹木葬墓地を開山しました。これが日本初の樹木葬墓地「知勝院」の始まりです。------------シンボルツリー型の樹木葬墓地ではなく、一つの墓所ごとに一本植えるのだという。後継ぎを要しない永代供養で、最後の埋葬者から33年間お寺が管理(使用貸借の期限)したあとも、合葬せずそのまま土にかえる、とのこと。
2025.07.02
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最近、仙台と周辺で、少人数、家族葬、見送り型などをうたう小規模な葬儀施設が急増しているように思う。ブランド名でいうと、みおくり邸宅、タクセル、仙和など。閉店したコンビニを改装したものもあれば、ちょっとした空き地があっという間に変貌したり。荘厳な葬儀のイメージとは打って変わって、手軽、安さ、明るさ、便利さ、を前面に出す勢いだ。時代の要請なのだろう。ビジネスモデルとして成り立つから急増するのだが、そもそも葬儀業界とはどういうものかと思い、下記の書籍を読んでみた。■吉川美津子、塚本優、星野哲『図解入門業界研究 最新 葬儀業界の動向と仕組みがよ~くわかる本』秀和システム、2024年大まかに把握できたことを記す。1.全体的な傾向・死亡者数100万人突破(2023年)、今後20年は葬儀件数増加が見込まれ、異業種からの参入も激化・葬儀費用も低下傾向。理由は、価格競争や紹介ビジネス、参列者減少(コロナ、コミュニティ希薄)、事前の比較検討(終活)が浸透・これに伴い、「家族葬」が増加・なお、墓も多様化し、承継や管理の問題で「墓じまい」も増えてきた・無縁社会の問題。引き取り手のない遺骨が6万柱に(2021年総務省調査)2.葬儀業界の動向・葬儀ビジネス市場規模は1.6兆円(2022年、矢野経済研究所)・内訳は、(1)葬儀費用(遺体搬送、会場利用料、葬儀告別式など)1.2兆円、(2)飲食費0.2兆円、(3)返礼品0.2兆円である。・なお、これに、お布施代、火葬費用、仏具、霊園、墓石など含めた「供養業界」全体は、2.5兆円を超える・葬儀市場規模は、件数と平均単価の積・平均単価が(コロナ前から)低下傾向。これは、少子化や社会的つながり希薄化で参列者が減ったから・また、紹介会社の受注シェアが増え(1割)格安の葬儀価格に集客される・今後も、一般葬(大人数、高価格)から家族葬(少人数、低価格)、直葬・火葬式などへの移行が進むだろう3.葬儀業者とシェア・葬儀業は許認可や登録制でなく、多様な業種業態が参入。中でもシェアが多いのは、参入の経緯の順に、(1)葬儀専門業者(=地域密着の零細が多い)(2)冠婚葬祭互助会(=会員制のサービス業態で結婚式から葬儀に中心が移った)(3)協同組合系(JA葬祭、生協など)(4)異業種からの参入(仏壇仏具、墓石霊園、生花業、ホテルなどから)・推定シェアは、冠婚葬祭互助会約40%、葬儀専門業者約30%、協同組合系約15%4.葬儀専門業者の動向・かつては市場を独占、互助会、JA等の出現と、店主の高齢化、後継者不足で廃業も増えたが、地域密着で健闘する中小葬儀社も多い。→例えば岩手県釜石市のハウスセレモニー。2014年創業、互助会を抜いてシェア率トップの33%(2024年1月)・葬儀専門業者の売上高ベスト4(2024年6月) 1.ライフアンドデザイン・グループ(2016創業、売上高227億円)、 2.燦ホールディングス(224億円、2024年7月きずなHDにTOB実施と発表)、 3.ティア(1997設立、140億円、八光殿と東海典礼を子会社化して2024年9月決算で189億円見込む→【おだずま注】会社サイトによると2024年9月決算売上高188億円)、 4.きずなHD(121億円)・なお、仏壇や墓石など含めた供養総合事業のトップは、金宝堂で400億円程度・商業組合として、経産大臣認可の「全日本葬祭業協同組合連合会」(全葬連)がある。都道府県単位など56協同組合、1229社が加盟。葬儀専門業者は4千から5千とされ、組織率は25から30%程度・【おだずま補遺】全葬連サイトから東北関係の会員組合を拾ってみた(以下)青森県 青森県葬祭事業協同組合岩手県 岩手県葬祭業協同組合(組合員数37)宮城県 宮城県葬祭業協同組合(宮葬協、組合員数40)=仙台葬祭(飯坂屋)、菊地葬儀社、くさかや、ごんきや、白寿殿、清月記(ファミーユ、斎苑、みおくり邸宅、一乃庵、東洋館)、花祭壇、石巻葬儀社、NOMCO&CO.(菩提樹、タクセル)、やすらぎ葬儀社、など秋田県 秋田県葬祭業協同組合(組合員数20)山形県 山形県葬祭業協同組合(組合員数13、拾い方違うかも)福島県 福島県葬祭業協同組合(組合員数18)5.冠婚葬祭互助会の動向・第1号は、西村熊彦が頼母子講を参考に創業した横須賀冠婚葬祭互助会(1948年)。このビジネスモデルが愛知県、全国に広がる・消費者保護のため制定された割賦販売法(1972)の対象とされ、前受金(会員の積立金)の2分の1の保全が義務化。また経産大臣の許可事業に・平成に入るとメインが冠婚から葬祭へ。さらに2000年代には葬儀単価が大幅下落・互助会数は236社、契約2125万件、前受金残高2.4兆円(2024年)・互助会数はピーク(1986)の415社から減ったが、他社を引き受けた整理淘汰で、新規参入ははほとんどない・経産大臣認可のためには、資本金2000万円など財務上の基準が厳しい・互助会の数は葬儀専門業者の1割だが、規模が格段に大きいことなどから、シェアはトップを保持・組織として、一般社団法人全日本冠婚葬祭互助支援協会(ママ)・前受金保全機構として(互助会から供託を受ける)、互助会保証株式会社・【おだずま補遺】団体のサイトがいくつかある。調べてみた。以下・一般社団法人全日本冠婚葬祭互助支援協会(全冠協)55社が加盟、東北では7つのようだ。玉姫グループ青森、報恩互助会(八戸市)、玉姫グループ(八戸市)、アーバン(気仙沼市)、庄内互助センター(酒田市)、フローラ(南相馬市)、アルファクラブ(郡山市)、アルファクラブ東北(郡山市)。なお、会館一覧を見ると、宮城や秋田ではシティホール、岩手ではさがみ典礼、福島ではファミラル、青森でセレモニーホール、山形でファミリー斎場などが見える・一般社団法人全日本冠婚葬祭互助協会(全互協、昭和48、平成25一般社団移行)199社加盟、東北ブロックの加盟社は29ある。宮城県だと、会社はベルコ、セレモニー吉岡、アーバン、あいあーる。宮城県の葬儀場は、シティホール(ベルコ)、フローラ、アーバンメモリアルホール、家族葬邸宅デュエ(あいあーる提携契約)、セレモニア(あいあーる提携契約)、セレモール(あいあーる)、典礼会館(サンファミリー、日本セレモニー(山口県)専属契約)など・全国冠婚葬祭互助会連盟(全互連)東北では5社。あいあーる、サンファミリー(盛岡市)、へいあん秋田、ナウエル(米沢市)、ジョイン(山形市)6.協同組合系葬儀業者(JA)の動向・全国のJAは598で、葬儀取り扱いは381(2021年)・形態は、自社(子会社含む)施行、連合会(経済連、全農県本部)との共同施行、民間委託の3つ・JA葬祭が市場シェア15%を占めるに至った要因は、自社施行(うち子会社方式が4割)による専門性の追求と、資金力による葬祭ホールの積極出店(996か所、2021年)・しかしニーズ多様化と競争激化で2019年をピークに施行件数減少に・人事制度(異動によりプロフェッショナルが育たない)を指摘するJA内部の意見も7.協同組合系葬儀業者(生協)の動向・最初に葬儀事業を始めたのは1979年のトヨタ生活協同組合。全生協数555のうち、葬祭事業実施は33組合・形態は、直営型(生協が葬祭会館を持ち職員が従事)と提携型(元受け形式と斡旋形式がある)がある・組合員への認知の低さ、スタッフの育成などが課題8.異業種・業態系葬儀業者について・ホテル、鉄道、高齢者施設事業などからの参入・ホテルは、遺体遺骨、焼香、読経鳴物は禁止されるが、お別れ会などの場所として。新しい形式の「葬儀」(ホテル葬)・総合ホテルの売上構成では宴会部門が3分の1から2分の1とされるが、企業宴会や婚礼儀式の激減で厳しい。このため、法事需要に力を入れる。特に寺院霊園の近隣のホテルは、法事後の会食のスタイルで大きな実績を・鉄道会社は、95年阪急電鉄を皮切りに、98年京浜急行、05年南海電鉄、2014年京王電鉄が参入・成長が速いのは南海電鉄で、葬儀事業会社「南海グリーフサポート」が大阪府和歌山県に葬祭ホール17店舗を開設、葬儀専門会社大手のティアのフランチャイズとして年間2千件以上を施行・東武鉄道も葬儀専門会社「東武セレモニー」を設立して参入したが、2018年に同社をグループ指定解除した・介護・高齢者事業はもともと社会保障制度に頼ってきたが、制度(破綻の危機)に依存しない新たなビジネスとして葬儀に参入が増えている・学研ホールディングスときずなホールディングスが「学研ファミーユ」を設立(2022年、なお24年合弁解消)、2024年には子会社「学研ココファン」(全国に200以上の高齢者住宅)が葬儀サービス提供を開始。昔は高齢者施設で死亡しても葬儀会館で葬儀したが、参列者が少ない今は施設内で葬儀やお別れ会も増えてきたから・上位の高齢者施設事業会社だと定員数1万を超える。これらによる葬儀の内製化や葬儀事業者のM&Aなどが今後増えるだろう・その他、不動産業、タクシー業など9.葬儀紹介会社の動向・初登場は20年ほど前、現在では40社ほど。競争が激しく上位寡占化進む(5社で8割以上シェア)・webで集客し、提携する葬儀社から成約時に紹介手数料を受ける仕組み・サービス形態に2種類。・(1)葬儀定額プラン制(紹介会社が設定したプランと料金に従い提携葬儀社に施行を依頼)=葬儀の紹介・(2)葬儀社紹介型(紹介会社がヒアリングした希望に沿う提携葬儀社を紹介)=葬儀社の紹介・件数は圧倒的に(1)が多い。コスト重視の消費者とマッチするから。過当競争になりがちで、過去には、ポータルサイトが景表法違反で課徴金支払い命令受けたり(消費者庁)、独禁法の優越的な地位濫用で改善命令(公取委)も・(1)葬儀定額プラン型の代表的なポータルサイトは、ユニクエスト「小さなお葬式」、よりそう「よりそうお葬式」、イオン「イオンのお葬式」など・(2)葬儀社紹介型の代表的なポータルサイトは、鎌倉新書「いい葬儀」など・葬儀紹介会社共通の課題は、web広告クリック単価の上昇。1クリック3千円以上(時に7千円以上)のケースも。膨大な広告料の影響で紹介手数料も引き上げられ、当初は葬儀料金の15-25%だったものが、現在は30-40%と倍増。このため、紹介会社と提携解消する葬儀社も増えている。葬儀ポータルサイトのビジネスモデルは限界を迎えたとの声も・シェア断トツトップのユニクエストは、直営やフランチャイズで葬祭ホールの実店舗を増やしている。地域キーワードではなく自社ブランド名で検索してもらえれば集客コストが大幅にさがると、注目されている10.葬儀会館は増設ラッシュとダウンサイズ(家族葬)化が顕著・葬儀会館は依然建設ラッシュ続き、1990年には全国1千程度だったものが、2022年ついに1万か所を突破・要因は、少子核家族化の住宅事情に加え、天候に左右されず、駐車場もあり、食事支度も不要などのメリットから。現在は、葬儀全体の8割以上が葬儀会館・事業主体別に分類すると以下。(1)寺院の敷地内にある葬儀・法要会館、(2)公共の葬儀会館、(3)火葬場併設の葬儀式場、(4)葬儀業者が建てた葬儀会館・建設ラッシュが続くのは(4)である。90年代から年間300か所のペース・2021年新設の葬儀会館の経営主体別のシェアは、(a)冠婚葬祭互助会34%(90年代に比較して低下)、(b)全葬連加盟事業者22%(同上)、(c)JA系事業者11%(90年代に比較して台頭)、(d)その他事業者33%、である。・葬儀会館10,333か所(2022年)を都道府県別にみると、愛知県(652)が最多、福岡県(544)、大阪府(537)、神奈川県(423)、埼玉県(407)、東京都(399)、千葉県(393)など・東北では、青森119(うち2022年開設4)、岩手185(9)、宮城255(11)、秋田107(1)、山形160(2)、福島286(9)・死亡人口は2040年がピークだが、今のペースで葬儀式場が増えると(2030に全国で1400か所増加)、飽和状態になるとの見方も。エリアによっては2030年以前に飽和状態に・葬祭会館は小規模化、貸し切り型が主流に【おだずま注】同書前出では葬儀会館の語だが、葬祭会館とする章もある。執筆担当者の違いか・平均延床面積は急減した=1995から2021年までに月間フューネラルビジネスに掲載された550会館の平均は約2000m2であったが、3年後の2008年には、829m2に急降下・要因は、家族葬会館の普及、一会館あたり商圏が狭まり巨大会館は合わない・平均延床面積は更に低下し、2013-2021年では、500m2(150坪)ラインで横ばい。同誌掲載以外だともっと狭いだろう・延べ床60坪程度のコンビニをリノベーションした会館が増えた。20-30名程度収容、一日1件貸し切り型、荘厳からカジュアル(白木祭壇から生花祭壇など)、遺族控室は畳敷きからホテルスイート的に・コロナで会葬者が親族のみ(10名以下)となり、コンビニサイズ以下の30-50坪の会館も出現・一日葬・直葬が増加したため、遺体安置施設を整備する会館も増えた。家族葬会館は遺体安置機能を充実。既存会館も安置施設を増設など・ダウンサイズの流れとは逆に、あなたを忘れない(株)「想送庵カノン」(葛飾区)は看護学校校舎をリノベーションして14室を貸し式場に。儀式よりも故人と過ごす「安置葬」を提案し、単価も上昇11.業界の取組(1)葬儀単価から顧客単価アップへ・アフターサポート。従来の法事法要、返戻品、仏壇仏具、墓地墓石、役所手続などに加えて、遺品整理、相続、不動産などのサポート。さらには、住宅リフォーム、車の買い取り、高齢者施設紹介、などを行うところも・顧客に着目したLTV(ライフタイムバリュー)を上げる視点・福岡県のT社は、不動産処分の相談が多いことから、不動産事業に参入し成功した(2)生産性向上・市場規模の下落、働き方改革、人材確保難(死亡者数は増えるが就労人口は減る)などから生産性向上がテーマ・業務効率アップとして、分業制の導入。葬儀専門業者は、遺体引き取りからアフターサービスまで一人担当制を(互助会対抗策として)ウリにしてきたが、効率が悪いことから、分業(搬送、打ち合わせ、施行、コンタクトなど)にする社が増えてきた。また、IT化やDX導入・人時生産性(1人1時間あたり粗利益額)を高めるため、多店舗展開が効果的。さらに、1会館あたり損益分岐点を下げるためにドミナントで多店舗展開(店舗間移動時間を減らし人員配置)する社も(3)葬儀DX=葬儀事業者向け・LDT(葬祭に特化したシステム開発運営事業者)「スマート葬儀」は、クラウド葬祭管理システム(顧客情報、進捗、タスクの一元管理)・アスカネット(遺影写真など手掛ける)「アスカクラウド」は、遺影注文ができる(4)葬儀DX=葬儀事業社内のDX・アルファクラブ武蔵野(冠婚葬祭互助会)は、基幹システム「Zebra」で遺体管理、病院、自治外、火葬場との連携。また、メタバース霊園「風の霊」サービスを開始(2024年)。葬儀業界で初めて経産省DX認定事業者に・セレモニー(冠婚葬祭互助会)は、次世代葬儀式場「めぐりえ」を開設し、顧客と実際に対面せずに施設の解錠、照明、エアコン稼働など行い、また、遠隔接客システムで見学や相談も12.M&Aの動向・互助会だけでなく葬儀専門業者のM&Aも増えてきた。特に2023年から上位のM&Aが活発化。投資ファンドが絡んでいる・オーナー高齢化や後継者不在から、業績の良いうちに事業承継を図る業者も・互助会各社も家族葬ホールを出店。家族葬ホールの出店競争が激化しており、今後、互助会による葬儀専門業者のM&Aが起きそう書籍による勉強は、とりあえずここまで。(同書には、葬儀業界以外にも、お墓、お寺、終活ビジネスなど非常に興味深い内容が整理されている。)さて、みおくり邸宅、タクセル、仙和について考えてみる。まず、みおくり邸宅は、社長が宮葬協会長を務める清月記の直営の家族葬スタイルの会館、と考えていいだろう。同社サイトの沿革によると、2018年加茂が1号店のようだ。家族葬のタクセルは、宮葬協の加盟社である株式会社NOMCO&CO.が運営。同社サイトを見ると、同社は1980年に船舶売買業を主とする北日本海事株式会社として石巻市に創立され、ホテル、飲食ビル、2003年に菩提樹矢本をオープンして葬祭事業に進出。このほかデイサービスなども行っている。メモリアルホール菩提樹を石巻市や東松島市で運営しているが、家族葬ルーム菩提樹の名の会館もあり、貸し切りの家族葬だけに特化した会館に移行する流れがあったのだろう。そして、「家族葬のタクセル」は仙台では、東仙台、国見ケ丘、北根黒松、中江とあるようだ。すなわち、同社の葬祭事業の新展開として、仙台の家族葬需要に進出したのだろう。ところで、「家族葬のタクセル」で検索して出てくるサイトの説明では、栃木、茨城、群馬、静岡、愛知などで展開している。関東でテレビCMもしているそうだ。タクセルブランドの仙台での事業展開をNOMCO&CO.が担当したことになる。タクセルのサイトでは「会社名」として、栃木茨城はアルファクラブ株式会社、静岡はアルファクラブ静岡株式会社、愛知はライフセレモニーサービス株式会社、そして宮城がNOMCO&CO.とある。アルファクラブの名は、書籍中にも出ていた。本記事の私の整理(上記)でも書いたが、冠婚葬祭互助会系の会社として業界団体のサイトにも名がある。おそらく、上記11.(4)で記したDX推進で先端を行く「アルファクラブ武蔵野」と関係あるのだろう。実は、今回の参考書籍の後半に記載された個別の注目企業に「アルファクラブ武蔵野」がある。概要はこうだ。アルファクラブ武蔵野は、冠婚葬祭互助会の中で売上高トップのアルファクラブグループの中核企業。大宮区に本社。埼玉県全域と出雲市を営業エリアとし、120か所の葬祭会館、年間施行件数1.6万件。特徴は、ドミナント形式で家族葬ホールを増設することで、2021年以降は「さがみ典礼の家族葬」(旧:家族葬のソライエ)をハイピッチで出店。自社の大型会館を囲むように4店舗出店することで、労務管理や競合店対策になるという。そして、上記のように、DXの推進では、オンライン葬儀「アルファLIVE」を取り入れている。家族葬ホール「さがみ典礼の家族葬」では無人店舗化で成果を上げている。書籍にはタクセルに言及はなかったが、おそらく、アルファクラブグループとして、資本や業務ノウハウの提携があるのだろう。家族葬の仙和は、株式会社仙和(泉区)のサイトによると、宮城と山形に28会場。仙和は、昭和60年創業とのこと。しかし、サイトには、「きんぽう堂グループ」として、家族葬ホールを展開しており、日本全国241式場、年間17千件施行とある。北海道は家族葬のディアネス、東北は家族葬の仙和、関東は小さな森の家、静岡県などは家族葬のトワーズ、といった具合だ。仙和は、NOMCO&CO.と異なり、宮葬協の会員企業に名がない。金宝堂なら、今回勉強した書籍にも出ていた。上記4.にあるように、供養総合事業の全国トップ企業だ。仙和も仏壇仏具の販売から出発しているが、同社サイトの「仙和のあゆみ」によると、宮町、石巻、古川、柴田、塩釜、泉バイパス店、と続々販売店を展開し、山形市や天童市にも開設。2019年に家族葬専用式場1号店を福室に開設して、葬祭事業に乗り出した。「きんぽう堂のお葬式」ブランドを仙台・山形で担う「家族葬の仙和」という位置づけだろう。「会社概要」には、従業員43名、代表取締役には、金宝堂の社長である仲村和明の名がある。
2025.07.01
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