仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

2025.06.01
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カテゴリ: 宮城




■『松島町史(通史編Ⅰ)』平成3年3月28日、松島町史編纂委員会編集 から

1 高城の歴史 ー 高城保
・竹城保(のちに高城保、高木保とも)の範囲は、現在の磯崎、高城、根廻、幡谷、初原、(利府町)赤沼などにわたっていたとみられる。
とは、国衙領の中にあって、在地領主の開発による私領的な性格の土地のこと。
・陸奥国で保が成立するのは11世紀後半とされる。このころには郡の性格も、郡司が一括して支配する体制から、多くの領有者が分割支配する体制に変わる。宮城郡内では、高用名、八幡庄、南宮庄、竹城保、など。
・竹城保の初見は文治2年(1186)の塩竈神社文書。保内に塩竈神社領が存在。
・鎌倉時代には頼朝が奥州藤原氏を倒した戦いで功のあった御家人に、奥州の郡、庄、保、名(みょう)などの土地やその中の村の地頭職に補任する形をとった。高城保では、相馬氏一族の者が若干の村々の地頭職に任ぜられた。

・この時代の所領は必ず分割相続されたので、高城保内の相馬氏の所領は、波多谷村(幡谷)、長田村(現在の高城を含み西に広がる)、根崎村(根廻)、鴿原村(初原)その他に広範囲にわたった。
・鎌倉時代以降、相馬氏は撤退する。当時の豪族は子孫への分割相続から、基盤強化と独立維持のため、嫡子単独相続に切り替わった。これが大名領形成につながる。相馬氏は本領の行方郡に移って、遠隔地の所領は放棄したとみられる。
・留守氏が、高用名(多賀国府周辺)を本領として、高城保内にも拠点を有したと推測される。岩切城合戦の直後の長田城の戦いでは、長田に留守氏の勢力が及んでいたと推測される。
■関連する過去の記事(宮城郡と保について)
中世の郡、保、荘と宮城郡の特殊性(その2) (2012年5月6日)
中世の郡、保、荘と宮城郡の特殊性(その1) (2012年5月6日)

2 江戸時代の高城

高城本郷 は、江戸時代の重要な宿場町。金華山道、気仙道、石巻街道が通る。

・高城町(おだずま注:高城の町場ぐらいの意味か)は、高城川に沿い、北から本町、新田、河原町の町並みが三折している。磯崎にそそぐ田中川の流水を利用して、西柳から本町、新町に及び、現在(注、大震災前)の役場付近で東に曲がり、農協の前を過ぎて磯崎土堤に添って、大部分は磯崎お蔵の前で海に流れ込んだ。
・高札場は、本町の明神橋に通じる広場(現在の鈴国商店付近)にあったと伝えられる。(おだずま注:高城字町75番地に鈴国商店があるので、ここだろう。まさに街道の辻だ。)

3 明治以降の経緯

・明治5年、大小区制。現在の松島町の地域は、第三大区。小16区に3村(桜渡戸、松島、初原)と赤沼、小17区に4村( 高城 、根廻、磯崎、幡谷)、小18区に3村(小泉(その後北小泉と改称)、幡谷、手樽)。

・明治21年市制町村制、22年新市町村が誕生。
・高城郷の各村は、赤沼、浦戸を除くと、10か村が合併して松島村となる。松島、桜渡戸、 高城本郷 、磯崎、幡谷、北小泉、手樽、初原、根廻、竹谷。その後そのまま町制に至る。

4 町史の記載からうかがえる「地区」の認識について(議員選挙結果)

・議員の選挙結果。明治22年の第一回。 高城 地区から3,松島地区から3,手樽と竹谷から各2名、 本郷 、磯崎、根廻、北小泉、初原、桜渡戸、幡谷から各1名、と記載されている。
・〔おだずま註〕ここでは、 本郷 高城 が別地区になっている。そして、議員数からすれば、本郷が高城より規模が小さいのだろう。
・高城地区と本郷地区の数が、合わせて5名だが、その後、高城地区5で本郷地区ゼロの年もあった。

5 本郷区域分割問題

・明治31年の村会で、高城区の住民から、 高城 本郷 を分割することの願いが村会に提出され却下されている。(町史p499)
・以下は、資料編Ⅱp1262 から
・区域分割願(赤間作右衛門外33名)、明治31年4月3日。
〔おだずま意訳〕従来高城と本郷は一区としているが、高城と本郷は人情風俗習慣等を異にし、土地の状況甚だしく相違ある。一同不便が少なからず、この際、区域と共有財産の分割をされたい。
・4月5日、高城本郷区長石田長三郎今野昌治外103名から分割の義に関して願い(下記)が出たが、斎藤源兵衛の説に全会一致で決する。
・その願いとは、高城区有財産の分割に関するもので、本郷区の建議は、区有財産分割の理由に人情風俗の相違を挙げるが、分離せざるを得ない理由といえるか。また、この建議を議題として可否を決するとすれば、一区一村の安寧秩序を紊乱する恐れあり。この議案はもとより共有財産の分離をいうのだから、両区協議委員の相互協議熟談の結果をもって村会に提出しなければならず、本郷区のみの提出の建議を採用し、高城区の意見を詮議しないのは公平を欠く嫌いがある。数百歩譲って分割するとなると境界をどうするか、両区の人戸の多寡によるなら本区の戸数がほとんどで、本郷区の得るところ僅々となるはずで、かえって、毛を吹いて疵を求むるの類にして、本郷区の不利益は推して知るのみ。本区は一区一村の円滑を希望し、自治制度の精神からも区別分区は不利不当と信じる。(ここまで)
・これに対して、4月5日、村会議員の建議あり。本郷区画分割願の件に付き建議。村治上区画を設けるのは事務施行上の便宜であって、これを名として区域を分割して特立の形を造っては弊害が及び、自治体の精神に反し、一村法人の利益を全うすることができない。今般提出された本郷区域分割の件は、実に重大であるため、たんに机上の議論にて、軽忽な決議は紛擾をきたすことから、関係区民の意向と分割区域の土地の審査をし、結果報告を待って決議すべし。
・全会一致で決する。
・その後、4月16日第2回村会で議長預かり、結論は延期。
・5月7日、第3回村会で、却下に決定。

6 高城区財産

・なお、その前の明治30年、高城区有基本財産規約書が定められている。→資料編Ⅱp1264
・森林は実業に衛生に経済に重要だが、本区は従来森林に乏しく、今回区有財産取り締まりのため13名の協議委員を選任した。さらに、規約書を設けて将来に本区の基本を強固にしようと、村会の協賛をいただきたい。

7 部落会及び其の連合会設置規程(昭和18年第12回町会)

・大字区 高城
・これに対応して連合会が2つ。(他の大字はすべて1対1になっているが。)
・1つは、 高城町 部落連合会。その下の「部落会」は11ある。
・「部落会」は、高城第一、同第二、同第三、同第四、同第五、同中部、同第六、同第七、同第八、同第九、同西柳。
・なお、さらにその下に「区域」があり、ほとんどは部落会と同一。高城西柳部落会だけが、高城西柳、迎山、水溜地域の3つの「区域」がある。
・他の1つは、 本郷 部落連合会。その下の「部落会」は、3つ。
・三居山部落会(→「区域」は、反町、三居山、新橋右岸地域)
・愛宕部落会(→「区域」は、動伝、愛宕橋両側地域、の2つ)
・城内部落会(→「区域」は小森、明神、居網、石田沢、帰命院、の5つ)

8 町史の記載からうかがえる「区域」の認識について(歴代区長の記載)

・資料編Ⅱp1408に、歴代区長がある。明治期から昭和19年まで。高城区長はあるが、高城本郷や本郷はない。
・しかし、歴代議員(村、町)のリストには、「行政区」の欄があり、本郷、高城、が並立している。昭和になっても同じ。

9 町史の記載からうかがえる「区域」の認識について(明治30年の商人について)

・明治30年の商人について、p552に記載がある。
・「物品販売に従事する209軒のうち42.8%の89軒が 高城町 にあり、15.9%は 町内 にある。すなわち、全体の57.8%、半数以上が、この両域に集中している。宿駅としての機能及び海岸地域の来訪者など、江戸時代以来の人々の動きを中心に...」
・「商人の集中している 町内 及び 高城町 においては...」
・この表現には、少し驚いた。地元では現在(この町史は平成3年)、こういうのか。よくみると、次のp553の表では「町内」「高城字町」とある。現在の松島町内の二つの商業の中心地ということだろう。
・ここにいう「町内」とは高城ではなく松島海岸の商業集積エリアで、住所にちゃんと「松島町松島字町内」がある。
・また、ここにいう「高城町」は、統計表で「高城字町」を(代表地点として)拾い上げているように、住所でいう「高城字町」のこと、または(一般には)それを中心に旧宿場の栄えたエリアをさすのだろう。住所でいうと「高城字町」、「高城字町東一、同東二」があり、高城川から高城町駅まの一帯を、「高城町」と呼ぶのだと思われる。
・文中には「範囲を広げて松島・高城両地区となると、全体の何パーセント」との表現もある。
・p556の表では、地域名の表示が、町内、高城字町、竹谷、松島、高城、初原、手樽、....と30くらい表示されている。

10 行政区

・明治22年一村となる。規則上は明治29年の区長及びその代理者任期規定がある。
・高城区は、明治31年4月、人情風俗習慣等を異にし、土地の状況甚だしき相違があるため、分割する請願が出て否決。昭和19年に、行政区に代わって部落会が誕生して、 本郷区 が分割した。
・昭和3年、行政区ニ関スル規程が制定され、松島、手樽、北小泉、竹谷、幡谷の5区が、1区と2区に二分割。高城区は1区から3区までの3分割に。合計17区となる。高城区は、新町、河原町を一区、本町を二区、本郷を三区、とした。
・この行政区も昭和16年、戦時体制下で、あらたに町常会、部落会となる。
・現在の行政区。12の行政区が設けられている。行政区は地方自治法発足と同時に誕生したものであるが、昭和53年、松島町行政連絡員設置規則が定められた。
・p862 行政区の表
(大字名)高城
(区分)これが行政区だろうか。高城区と本郷区の2つ。他の大字では、竹谷が(区分で)上竹谷と下竹谷の2つになる。
高城 区 →地区名 =西柳第一、同第二、高城第一、同第二、同第三、同新第三、同第四、同第五、同中、同第六、同新第六、割波、光陽台、高城第七、同第八、同第九、同第十
本郷 区 →地区名=帰命院下、居網、小森、反町、三居山、愛宕、新橋
(おだずま注:高城川を境界とするようだ。)​​​​​​​​​


以上から、おおむねこのように整理されるだろうか。
・古来、高城は一帯の「保」を示す地域名
・街道が整備された江戸時代には、その中心部が高城本郷として栄えた
・明治以前の藩政村としては、高城(本郷)、根廻、磯崎、幡谷など
・明治の町村制で、高城(本郷)を含む高城地域の大半は、松島村と合併し松島村(のち町)となる
・近代の商業化や交通問題、また地区財産問題などもあり、旧高城村(高城本郷)は、町場の高城地区(高城町とも)と、高城川右岸の地区とに、区分される認識が表面化した
・その際、右岸地区は、(高城本郷のうち町場ではないエリアというぐらいの意味で)本郷の名を称したもの

正しくないかもしれない。高城に住んでいる人に、聞けば済むことなのだが。

ちなみに、仙石線の「高城町駅」について。私は、かつて、県内最初の電車である「松島電車」の「高城駅」と区別するために、後から設置された宮城電鉄(現仙石線)の駅に「高城町駅」と命名したのだろうと思っていた。

松島電車は1922年(大正11)開業で、1938年(昭和13)休止(宮城電気鉄道に譲渡され1944年正式に廃止)。省線(山線)の松島駅(初原)から松島海岸の五大堂付近に至る3.7kmの軌道で、駅は次の通り。

・松島駅前
・愛宕橋
・高城
・新富山
・五大堂前松島海岸

仙石線は、1925年(大正14)6月、仙台ー西塩釜間が開通、1926年(大正15)4月には本塩釜駅まで開通。第二期(塩釜松島間)は1927年(昭和2)4月に松島公園駅までが開業。第三期(松島石巻間)は、1928年(昭和3)11月である。

すると、高城の地域にとっては、すでに1922年に軌道線の松島電車の高城駅が、高城川右岸の現在の国道45号上に存在していた時期に、新たに宮電が高城の中心部を通る形で開業したため、高城町の名を駅名としたのではないだろうか。

たしかに、それで間違いではないと思うが、その時はじめて「高城町」という造語を区別のために鋳造したというのではなく(例えば大崎市の「松山町」駅は四国の松山駅と区別のため←確認していないが)、もともと地元に「高城町」という呼び方が受け入れられていたのだろう。

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最終更新日  2025.06.01 11:20:59
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