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宝良ちゃんの嘔吐下痢、治りが悪いと思ったら、気管支炎を併発していて、そのゼロゼロが嘔吐を更に誘発していたのでした。 結構長めの保育所欠席だったけど、以前、嘔吐下痢が長引いて宝良ちゃん人生初の入院になったときに比べれば、まだ軽かった感じ。 宝良ちゃんの看病で学校を休んでいたのか、自分がへたばって頑張れずに休んでいたのか、その比率は、かなり私側の問題もあると感じている。 さてさて、先週、スピード違反で捕まった日、予約変更していた内科(DM)へ行った。 なるほどなぁ、って感じ。。 HbA1c 9.0% 随時血糖443 そりゃ、常にしんどい筈だわ。免疫落ちてるから、すぐに風邪ひくし、治らないし、熱も出るわなぁ。 入退院繰り返す前の時よりはまだマシだけど、それもこのままでは、もう時間の問題。 でも、入院前とは決定的に違うことがある。今の私は、夫と宝良ちゃんを置いて出来ればあまり早く死にたくない。更に、もっとイヤなのは、死なずに助かったとして、DMの大血管合併症の中でも、心筋梗塞より、脳梗塞の後がイヤ。今の生活でさえも、家事も育児も仕事も、いっぱいいっぱい手助けしてくれている夫や宝良ちゃんに、麻痺の残った私の介護に疲れさせたくない。 仕事の夢、その為の学校、……、その思いは今もあるけれど、体のだるさも、別に構わない……、でも、今、疲れ果てて「血糖管理を全うさせるためのゆとり」すらも残って居ない今の生活の中で、ふと、残していきたくない、介護させたくない…と思うと、入院中のように、「計算すること準備すること食べること、歩くこと、休むこと」に時間のほとんどを費やせるような生活パターンにしたいと、つまり、専業主婦になりたいと、半分本気で思ったりする。 今日こそは、はっきりと言わせて貰う…と、厳しい口調の主治医も、最後には、「人生もDMの管理も難しいなぁ。とにかく、保育士資格はストレートで取って(短大は、最短期間で終わらせて)。もう一年なんて、許さんよ。」「後2年、待てばいいんやな。」「でも、2年待っても、また新たな『やらなければならないこと』を見つけてきて、結局いつまでも忙しい気がする。今までずっとそう言い続けてきたみたいに。」「もう、どこかで『仕事を引き継ぐ後継者を捜して、自分は第一線を退く』と宣言して、その方向で準備していかないと、結局このまま、ずるずると行くよ。もう、絶対、まず宣言すること!!」 と。先生、いつも本当に親身になってくださって、ありがとうございます。本当に、このままでは、「いつか」は必ず「いつか」来てしまう。DM発症、確実に17年は経っていて(多分20年くらいなんだろうと思うけど。)こんな管理じゃ、ヤバイって、分かってる。毎年の動脈硬化の検査結果だって、まさに、その状態を示している。 私は元々煙草を吸わないので、壊疽による脚切断の可能性が低いことだけが、唯一の救い。脳梗塞の麻痺の後、どんなに不便でもいい、自力で動けるだろうか。それとも、ダーリンや宝良ちゃんに抱えて貰わないとオムツも替えて貰えないほど、介護のために、彼らの日常と人生を振り回してしまうのだろうか。 幼稚園の頃、将来自営業で仕事をしたいと言う子どもだった私が、初めて、専業主婦に(半分)なりたくなった。というか、その表現は正しくないね、専業主婦になりたいんじゃない、自分の健康管理の為に、毎日のかなりの時間と労力を使える、(家族と子育て以外の)他のことに、責任を負わない、そういう、生活パターンで生きたいと、半分本気で、思ったね。 ここで、「半分」ってところが、未練がましい。やっぱり、仕事にも夢にも、未練がある。責任もある。投げ出せない。 でも、心臓でも脳でも、梗塞起こしちゃったら、「投げ出せない」どころじゃなくて、「降りざるを得ない」になるのにね、勇気がないんだね。「降りざるを得ない」状態になって降りるのは、許されるかもしれないけど、その前に「投げ出す」のは、無責任で許されないって、………、誰が「許すの、許さない」の?誰に怯えているの? 私の中の私を監視する誰かが、許さないのかな。 さて、さて、本当は、今日は以前から予約をしていた、Sクリニックの日。だったんだけど…、キャンセルしちゃった。宝良ちゃんの初運動会になったんだ、今日の土曜日。麻布に行きたかったなぁ。O先生にもだけど、S先生と話したかった。今の私の状況を整理するため、そして、今後の方向性を自分で見極めるために、どうしても行きたかったのになぁ。 0歳児クラスは参加しないかも、と言われていたのに、やっぱり参加するってことで、保育所と同じ地区の幼稚園・小学校・合同の運動会だった。雨が降って延期になることも考えて、ギリギリまで予約を残しておいたけど、結局キャンセル。 でも、宝良ちゃんのお陰で、私たち夫婦は、入所式(子どもの入学式気分)や、子どもの運動会を体験させて貰った。父兄・保護者なんて立場、一生縁が無いのかと思っていた私にとって、大変な、身に余る出来事。そうだね、シンデレラが自分には届かない世界と思っていた舞踏会に行けることになったときのようなものかな。 それにしても、0歳で、私たちにこんな幸せな経験をさせてくれるなんて、何だが怖いようだなぁ。生き急いでいるようで怖い。家族三人、こんな風に幸せで居られる時間は短いのかしら、だから、今、こんなに体験させて貰えているのかしら……、と思ってしまう。 高齢夫婦ということと、日々の生活が、毎日しんどくて、結構夫も私も無理をしているということと、自分の不健康から、ついつい、こんな風に感じてしまうのかな。 宝良ちゃんはダーパパに抱っこしてもらって、かけっこに参加。 写真は、家に帰って、疲れたのかなぁ、それともただの昼寝かな…、とにかく熟睡の宝良ちゃんです。 そうそう、全然関係ないのですが、福島先生のブログに、「その夢とは、『今日、人生最高の笑顔で部下に挨拶しよう!』ということだそうです。その夢を聞いた時も、ひっくり返るくらい感動しました!」という箇所があって、思わず秀丸にコピー&ペースト。今、パソコンのモニター画面一杯に、壁紙のように拡げて、いつも目にはいるようにしています。 あーあ、このラスト、専業主婦に「半分」なりたい人の文章…、ですね。
2006.05.27
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今週は、ちょっと踏んだり蹴ったり。 健康管理がおろそかになって、そのツケがしんどくなってきた今日この頃、めまい・頭痛・発熱などに脅かされつつ、何とか月曜日をクリア。火曜日も何とか…。 でも、とうとう水曜日の朝にダウン。今日は思い切って学校を休んで、明日以降に備えようと腹をくくった筈だったのだが、昼過ぎに熱が下がり、出席が足りなくて単位を落とすことを恐れ、せめて午後からの授業、2コマ分だけでも拾っておこうと、やっぱり急いで学校へ行くことに。 しんどい気持ちに鞭打って、アップテンポな曲をガンガンかけて、猛スピードで学校へ向かっていたら、後ろにいたシルバーの日産車が、いきなり「へんし~ん」頭から赤色灯が出て、クルクル回りだし、マイクで叫んでいる。 うへっと思いつつも、音楽のボリュームを下げて確認。やっぱり私だって。 50km制限の道を78kmで走って、免停ギリギリ…28kmオーバー。18000円の罰金と、授業の遅刻確定。(うちの短大は、3回の遅刻で1回の欠席扱い。とにかく、出席第一の学校で、出席日数が足りないと試験を受ける権利が無くなって、そのまま単位を落とすことが決定するルールなんです。 仕事や体調不良で欠席が溜まることが、休学前に実証済みなので、遅刻欠席が怖い私です。) 罰金の上に、遅刻。しんどい体調を無理して来て、これかよ。この日は、本当は内科DMの定期受診の日だったのに、それをすっ飛ばして、朝は発熱で寝ていたわけで、病院の予約を変更してまで短大へ行く判断の結果が、これかよ………、と、とほほほ。 と思っていたら、クレームの電話。とにかく、18時に授業を終えて、電話対応に追われ、高速突っ走って、ルームへ。20時、お迎えのご父兄に平身低頭謝る。(クレームに関しては、体調的に疲れているからか、みんなに喜んで貰いたくて、役に立ちたくて始めた仕事なのに……と、情けなく感じてしまう今日この頃………、イカンイカン。疲れてるんだ。マイナス思考だね。) 翌木曜日、更に発熱ダウンで、この日ばかりは、前日の教訓を活かして、無理せず休む。眠っていて、あっという間に、夜が来た。 そしてその夜中、金曜日の午前3時半過ぎ。宝良ちゃんが変な泣き方をする。すごく苦しそうに泣いては寝るを繰り返す。おかしいな、おかしいな…。暑いのかとタオルケットとかバスタオルで調整してみたり、お腹がすいているのかとミルクを用意してみたり、夜泣きが本格化したのか? と、抱っこして歩いて様子を見たり、そうこうする内に、いつもの準備時間05:30になったので、着替えさせてミルクを飲ませようとしたけど、やっぱりミルクの飲み方も変。 そして07:00びっくりするほどの大量嘔吐。07:30大量下痢。オムツ、ズポンを通り越して、バスタオルもマットも布団もダメにするすごい下痢。 そうです。嘔吐下痢だそうで。段々白色便になってきて、小児科受診。 労働保険の更新振り込みだけは済ませておかないといけないので、労働基準局と銀行へ行って、仕事のミーティングは引き継いで帰り、学校は休んだ金曜日。その後の時間はずっと、宝良ちゃんに付き添って過ごす。宝良ちゃんの辛そうな咳や吐き方や様子を見てると、私が辛い。 で、本日。今日予定していたミーティングも欠席させて貰って、スタッフのみんなには申し訳ない。 今日は、宝良ちゃん少しマシになって、昨日とは表情が違う。まだ下痢も嘔吐も頻回で、着替えも、マットだのソファーのカバーだの洗濯はすごいことになっているけど、とにかく、夕方には、宝良ちゃんの表情が苦しげでは無くなってきた。 画像は、看病疲れで、添い寝しているパパの横で、プーさんと戯れていた宝良ちゃん。かわいかったので携帯で撮そうとしたら、プーさんと遊ぶのを止めて、撮している私の携帯を取ろうとパパを乗り越えて私の方へ来ようとして、初め取りたかった映像とは違うものになり、プーさん邪険にされてるけど…。こんなに宝良ちゃんが乗っかっても、パパは熟睡でした。 私の体調も低空飛行。 うぅぅぅ。何とかせにゃぁ~。 学校の福祉の講義で、子育て支援の法整備関係のことを今触っているが、えっと、支援対象に、「高齢出産ママの疲れ方は半端じゃないので、そこへも支援策を考えてくださいませ」って、提案が必要だわっと思うのでありました。 少子化対策で、(初産・兄弟のあるなし関わらず)高齢出産ママに、「子どもが小学校へ上がるまでヘルパーさん派遣チケット」を給付っていうのは、どう? どう? (^_^;)
2006.05.20
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前回、「三歳児神話」についての講義のことに少し触れたけれど、そうなの、子育て支援に関わる立場としては、一度ちゃんと知っておきたかったことなので、本当に「待ってました~」と大向からかけ声かけたかったくらいの内容。 しんどくて、短大を休みたいくらいだったけど、この講義の続きを聞きたかったから、頑張って学校に行こうと思わせる、私にとってはそういう力のある(興味関心のある)ことでした。 掻い摘んで言うと、 「三歳児神話」とは、「子どもが小さいうち(特に三歳まで)は、母親が側にいて育児に専念すべき、という考え」のことで、1950年代半ばから言われ始めた。 1950年以前は、「大家族・地域社会」による子育てだった。3世代に渡る大勢の家族メンバーたちは、手間のかかる農作業に励んでおり、母親=若い嫁は、農作業労働力として期待され、子育てはそのあいまになされるものだった。すなわち、多くの母親は「働く母親」であり、母親だけでなく、祖父母や兄弟なども手伝って、子どもは育てられていた。地域共同体として地域の人々のつながりが強く、子育てにもそれらの人々の関わりが欠かせないものであった。家父長制のもと、夫や家長の「三くだり半」によって、当時の日本の離婚率は世界有数の高さだった。子育ては母親以外の家族メンバーや地域社会の人々の目と手がかけられており、今は力を失った「血縁・地縁による、自然発生的な子育て支援」が、実は昔からなされていたのである。 しかし、 1950年代半ば~1970年代半ばにかけて、「子育ては、家庭・母親責任論」が展開された。 経済の高度成長期を境にして、大都市圏に移り住み、企業の雇用労働者(サラリーマン)が急増する。この時代、妻は、夫の長時間労働を支え(夫の家庭家事育児の時間も全て企業に差し出すため)、家事と育児に専念するように求められた。その時代に言われ始めたのが、「子育ては母親こそが行うべき。母親は子育てのみを行うべき。」という「子育ての家庭・母親責任論」である。特に、三歳児未満の子どもには母親による育児が絶対のものであるとする「三歳児神話」が強調されていた。企業・国からのこのような期待に応え、多くの母親が専業主婦の道を選び、「サラリーマンの妻で専業主婦」である女性の数もまた、1955年の517万人から1970年の903万人へと倍増した。 「三歳児神話」が作られたときの論拠として使われたのは、3つの内容である。1.乳幼児期が人間にとって非常に大切な時期である。2.それほど大切な乳幼児期であるから、母親が不可欠である。3.なのに、乳幼児期に母親が育児に専念しないと、子どもは将来心の傷を残す危険性が高い。 というもので、実は、1は確かにそうであるが、2.3.は、「別に、DNA的つながりの母親である必要はなく、愛着形成が持てる大人との親密な関わりであればよい」のであるが、そこを無視して論理に飛躍がある。 1970年代に、ボルヴィーによって、「発達の遅れや異常の原因は母親不在が原因している」という説が唱えられ、(本来これは、別に「DNA上の母である母親不在」ではなく、「愛着形成の相手としての母親役割を担当する人物の不在」を意味していたはずなのだが……。)この説が利用された。 それらの考え方によって、日本の政府は、1970年代、「保育所を作ると、母親が育児を怠ける」として、福祉予算を削減した。 1970年代後半から、子育て困難社会。 この時期になると、「育児不安」が話題になり始めた。 高度経済成長により都市化が進み、孤立した家族の中だけで地域社会の支えもなく、母親のみが子育てに専念する形態は、近所づきあいの希薄さ、夫の育児参加の少なさ、母親になるまでの子育て経験の乏しさ、などの要因もあり、育児不安に関する心理学的研究も盛んに行われるようになった。 「育児不安」とは、子どもの成長発達状態に悩みを持ったり、自分自身の子育てについて迷いを感じ、結果的に、子育てに適切に関われないほどの不安を抱いている状態をいう。 今では、そんなの当たり前にあるよね~、みんな不安だよね~、その中で何とかやってるんだよね~、私もそうよぉ~。って言えちゃうそんな状況も、「育児不安」という単語で呼んで貰えるようになったのは、実は1980年代以降で、1980年代以前には、このように感じるのは「特別におかしい女性」で、まともな人間ではないので、奇異な目で研究材料として見られる感じがあり、その頃は、母たる女性がそのような感情を感じることがある場合、そのような状態を「母親失格」とか「母性喪失」という単語で呼ばれていた。 しかし、研究が進む中で、そうではなく、「血縁・地縁による、自然発生的な子育て支援」の機能しなくなった中で、「近所づきあいの希薄さ、夫の育児参加の少なさ、母親になるまでの子育て経験の乏しさ、などの要因があり」、高度経済成長という経済上の便宜の為の、企業と国にとって都合良く動くための論理に煽られた中で追い詰められた当然の結果としての「育児不安」の発生であることが見極められ、またそういった視野狭窄の母親に囲い込まれた状態で育つしかない子どもの、経験不足による社会性や人間関係力の弱さも問題になってくる。 その結果、「高度経済成長により都市化が進み、孤立した家族の中だけで地域社会の支えもなく、母親のみが子育てに専念すること」は、決して子どもにとっても育ちやすい環境では無かったことが明らかになったのである。 1990代~子育ての深刻化と「子育て支援社会」 行政側が、それまでの「母親育児責任論」の誤りを認め、方向を転換したことを、はっきり表明したのは、1991年に発表された「健やかに子どもを産み育てる環境づくりについて」においてであった。 その具体化として、1994年に「エンゼルプラン」1999年に「新エンゼルプラン」2003年に「次世代育成支援対策推進法」「少子化社会対策基本法」が施行された。 ねえねえ、みんな。子育てしていてイライラすることって、あるよねぇ?そんなの、誰だって普通だよね。自分の体調だってあるだろうし、色々な要因が重なることだって、タイミングの問題もあるだろうし、さ。子育てしていて「イライラ」なんて、誰だって体験してる筈だと思うのは私だけ? 厚生労働省の「児童環境づくり等総合調査研究事業」(平成13年3月)の中にあるデーターでね、「育児を巡る母親の意識」て言うのの中に、母親の意識比較があって、「イライラすることが多いか」という質問にたいする答えのパーセントが出てるの。1981年は、「はい」……10.8%「どちらともいえない」……41.8%「いいえ」……46.8%2000年は、「はい」……24.6%「どちらともいえない」……48.8%「いいえ」……25.8%この「はい」の増加と「いいえ」の低下を見て、ほらね、育児不安が増加してるでしょ、ってこの数字を読む人も多いけど、 私すごく切なくなっちゃったよ。1980年代初めのデータでしょ。それまでは、育児不安の感情を感じたことがあるって告白する人は、「母親失格」とか「母性喪失」という単語で呼ばれていたわけでしょ。思っても「はい」なんて答えられないよね。もしかしたら、そんな風に「疲れた」とか「辛い」とか「不安だ」とか、思うことさえ自分に許せない女性も多かったんじゃないかと思うと、切なくて、悔しくて、たまらなかったよ。 チャップリンのモダンタイムスじゃないけどさ、高度経済成長のコマ(歯車)である労働者を、猛烈サラリーマンとか、企業戦士とかって、持ち上げてさ、長時間労働を可能にさせることを企業・国から期待されて、その期待に応える形の「子育ての『家庭・母親』責任論」と、その期待に応えざるを得ない脅迫のような「三歳までは母親による育児絶対論(三歳児神話)」の風潮に丸め込まれて、女性も子どもも夫(労働者)も利用されたんだ。で、それで誰が一体幸せになったというの………、と思うと、ものすごーーーーーーーーーーく悔しくて、授業中後ろの方の席で「くそぉー!!! ばかにするな! ふざけやがって。悔しい~」と、小さな声でブツブツ言いながらノートを取っていた私。ちょっと、マジで目が涙目だったわ。 見直ししていないので、誤字脱字ご容赦。また、時間のある時に直します。 取り急ぎ、書いておきたかったので。もう、PC切り上げなくっちゃ。明日も早いぞ。明日も長いぞ。うりゃ~。お休みなさい。 えっと、写真は、保育所入所式の日の宝良ちゃん。写真を紙に焼いたものを、左手で握って、右手で携帯パシャリ。うーん、やっぱり紙に焼いたものを更に写真に撮ると、独特なぼやけ方になるね。残念~。
2006.05.13
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いやぁ~終わっちまいますね…。ゴールデンウィーク。 やろうと思っていたこと、ほとんどできなかったよ。トホホォ~
2006.05.06
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結果的には、よく分からないのだけど、突発性発疹だったかも…、な日々でした。(^_^;) 保育所生活2週間が終わった土曜日から宝良ちゃん発熱。38.5℃。でも、元気いっぱいなので、気温が高くなっているのに服装がそれに合わせてうまく調節できていなかったからかしら……、なんて呑気に構えていたの。 そしたら、翌日曜日には39.0℃……、でも元気?ハテ?ハテ?ハテ? 翌朝もお熱だったので、保育所を休ませて病院へ。突発性発疹かも知れないねと言われ、様子を見る。夫が半日休み、私も半日休み…という月曜日。でも、翌朝火曜日には熱も引いて発疹もないので、不安ながら恐る恐る保育所へ。 案の定、発疹が出始めたとのことで、呼び出し。私は帰れなかったので、夫が仕事を抜けて病院へ連れて行き、その後私の実家に預けて職場へ戻る。私はなるべく早く学校を切り上げて、夕方実家へ迎えに行く。丁度その日の授業で使うテキストに突発性発疹の参考写真が載っていたので、「ほうほう、ここまで真っ赤に発疹出ますか~」と心の準備。夜入浴中によくみたけれど、うん、少し背中などに出始めていて、明日目が覚めたら真っ赤なのね~とおもっていたのだけど、 水曜日、きれいに発疹は無くなっておりました。ハテ?熱もないけど、一応様子を見て保育所お休み。私も一日休み。夕方小児科へ駆け込んで、保育所へ行ってもいいか確認。 うーん、これは本当に突発性発疹だったのか?先生もかなり疑問視(^_^;)。 とにかく、そんなこんなだった週の、次一週間は、どっと疲れが出ましたわ。 先月内科へ行ったら、HbA1cがまた上昇していて(8.1%)、でも、「来月までには、学校もあるし規則正しい生活が出来る見込みなので、少し改善できているはず…」って、診察室で大見得切ったのだけど…(そのときは本気でそう思ったの)。なのに、今月ももう半分過ぎた今、ガタガタです(T_T)。 もう、この2週間、全放棄って感じで、とにかく学校へ行き、仕事の打ち合わせには行き、最低限宝良ちゃんのことはして…、へたばっておりました。へたばると、とにかく治療関係を全部放棄したくなっちゃうんだ。以前からの悪い癖。血糖血圧体重全て測らない、インスリン打たない、飲み薬全部飲まない。というか、測るとか飲むとかうつとか、そういうことがすっごく負担に感じて、はぁ~って食べ始めて食べながら寝てしまう。高血糖状態なので、体重は今以上には増加していないけど、体型はすっごい。今5Lのジーパン穿いてるのだよ。最近来ていた服なんか、ほとんど着られない。 でも、やっと来ました、やっと来た。お休みです。 G・Wの今日だけはお休み。全く予定を入れず、寝て過ごしました。5月5日。宝良ちゃん、生後8ヶ月記念日です。 ちなみに、下の歯2本は早めに生えていましたが、上も2本生えて、上手に(?)歯ぎしりのような音を出します。 で、今日は、「ウンチ、ポイ」記念日です。離乳食が進んで、オムツの中のウンチをトイレに捨ててからオムツを別に捨てるという、新生児期からの柔らかウンチから卒業し、まっとうな赤ちゃんのオムツ処理段階へステップアップです。(匂いもステップアップです。) 宝良ちゃんはよく声を出して笑う子なので、保育所の先生が「得な性分ですね~」と何度も言います。一番早く預かって貰って、お迎えは一番最後なので、朝も夕方も、居残りのお姉さんお兄さんたちと同じ部屋で過ごすのですが、みんながよく構ってくれて、遊んでくれるそうです。でも、少し人見知りと後追いが入っているので、実家の父と兄(宝良ちゃんにとってはジージとおじさん)には、泣いちゃいます。 私は、短大の授業で、以前からはっきり知りたかった、「三歳児神話」について、どういう背景でどういう説が始まって、どう検討され、現在どう否定されて、政府の対応が変わってきたか…という内容を講義で聴き、悔しくて授業中涙が出ました。高度経済成長期の、企業と国に煽られて、そのしわ寄せは今も女性と子どもたちにこれほどの不利益を押しつけられたか…と。ついでに、小児栄養の授業で、小児にはあまり直接関係ないけど、「こんにゃくは炭水化物の一種だった」ってことにビックリ。いえ、「食物繊維って一応炭水化物だったんですね。ただ人間には消化吸収しづらいだけで…」うん、確かに、こんにゃくって芋だし。(原料がこんにゃく芋)。「炭水化物は血糖を上げる(必要だけど、ちょっと敵気分)」「こんにゃくはそんな私の味方気分」と、敵味方関係だったので、ともに一応炭水化物だったとは、授業中、小児の内容とはかけ離れた場所で、一人「目から鱗」興奮していた私です。 さぁ、衣替えとか、PCのウイルス対策ソフト更新とか、プリンターの付け替えとか、レポートとか、仕事の準備とか、宝良ちゃん保育所用オムツの名前書きストックづくりとか、離乳食フリージングとか、そうそう、階段に宝良ちゃんセーフティーゲートと柵のない階段手すりに柵を取り付けるためホームセンターへ行くとか、……。あっ、明日は宝良ちゃんの予防接種。あぁ、今日だけは、勘弁してください。明日から、またボツボツやりますです。 と言うわけで、今日は絶対やりません。寝ます。食べます。楽天ブログ書きます。ふふ~んだ。お休みだモン。 この宝良ちゃんの写真、送信してみると暗いね。本当は、もっとすっごくかわいく笑ってるんだよ~。って、相変わらずの親バカです(^^)/。 近況報告です。またね~(*^_^*)。
2006.05.05
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