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うちの宝良ちゃんは、保育所が大好きなようです。 朝、夫に抱っこされて家を出るときの、それはそれは嬉しそうなニコニコ顔。 お迎えは大抵最後で、この日もラストのひとり。居残りさんの部屋ではなく、職員室でディズニーオンアイスのニモ帽子を被らせてもらって、先生たちに遊んでもらっていました。 動きが面白い訳じゃないけど、こんな風に先生方に可愛がってもらっているってことが嬉しくて、写しちゃいました。 これに入っている声、3人分、全部保育所の先生方の声です。ありがたいなぁ~。 設備や何かよりも、とにかく先生方に可愛がってもらえて、 本人が、自分の生命を人生・社会・全体に受け入れられ喜ばれていると感じて育つ体験を積み重ねられることが一番! 宝良ちゃん自身が、喜んで楽しそうにしている、その姿は、 ひとえに、先生方に可愛がってもらっているって、それに尽きるよね~。 o(^-^)o
2006.11.20
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ママは毎日朝夕血圧の薬も飲んでいます。 それにともない毎朝血圧を計るように主治医から指示されていて、宝良ちゃんにはおもしろそうなおもちゃに見えるらしく、何度も電源のON OFFの繰り返し…電池の消耗が激しいです。 さて、血糖を計ったりしている私の横でまた血圧計をおもちゃにしていた宝良ちゃんをふと見ると、 ちゃんとボタンを操作するのと反対の腕にカフを巻いて、更にその腕を心臓の高さに伸ばしているじゃぁありませんか! いやぁ~、親のしていることを、本当によく見ているんだなぁ、というか、きちんと観察してることに感心しちゃった。 思わず自分の作業の手を止めて、携帯で写真をとりました。可愛い表情とかはうまく写せなかったけどね。(^L^)
2006.11.19
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保育に関心を持ったのは13年くらい前のことなのだけど、 本気で仕事としての保育士について行動を始めたのは2000年のある日だった。 人生の師匠S医師の一言で私の目から鱗が落ちた! そしてそれがスタートの背中を押してくれた。 あの頃はまだ大江戸線が開通していなくて、麻布からバスで銀座へ出て、山野楽器で電子ピアノを買った。全然ピアノが弾けないので、とにかく、始めておこうと思った。 そして何故か、この電子ピアノの存在が、保育の道について、一時の気の迷いなのか、本気が持続するのかを、見せてくれるんじゃないかと、当時考えていた。 さて、ここしばらく、学校も休学して寝てばかりなのもあり、全然練習していないんだけど、短大復学を決めた3月~この7月までは、一応毎日童謡の練習を少しずつしていた。 宝良ちゃんが生後5ヵ月の頃は、数回だけど、おんぶして練習したりしたこともあったんだ。 今でも、「まつぼっくり」とか「ジングルベル」とか「思い出のアルバム」とか「シャボン玉」、「ぞうさん」、「おかあさん」……とか、そんなレベルの曲を、四苦八苦しながらやっているの。 さてさて、で、宝良ちゃん。 1歳過ぎた頃から、この電子ピアノで遊ぶのが好きで、勝手にいたずらしないように、椅子の前に大きな段ボール置いたり工夫していたけど、 知恵がついてきて、今では段ボールなど、その気になればすぐ自力で撤去できてしまう。 母(私)などは、宝の持ち腐れでちっとも使いこなさない様々な機能……、例えば、自分の演奏を録音するボタンとか、音色を変えるとか、…とにかく、ボタンというボタンは全部むちゃくちゃに押してお試し済みの宝良ちゃん。 自動演奏のボタンを偶然押した状態で、ショパンをBGMにすっかり成り切りピアニスト状態、あはは。 ダーパパは、「今は宝良ちゃんの方がママの倍はピアノの前に座ってるもんね~」とか、痛いところを突いたコメント。 BGMにときどき混じる、耳障りな「ダダーーン」という音のみが、宝良巨匠が本当に弾いている(または、正確に表現すると、「たまたま鍵盤を押している」)音なんですがね…。 はい、親ばかなので、 自動演奏BGMのあるもの、無いもの、などなど。色々と携帯で録画してるんだ。 で、今日は、BGM付きの、ドキュメンタリー風成り切り具合が何だか笑えたので、UPしちゃいます~。(*^o^*)
2006.11.11
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自分の本当の欲求をブレずに認識する目を持つことは、私には難しい。 奈良の自宅放火少年は、多分、 放火したかったのでもなく、 継母や弟の命を奪いたかったのでもなく、 尊敬と苦しさのないまぜな父を苦しめたかったのでもなく、 ただ、もう少しだけ苦しくないペースで生きたかっただけなんだろうと思う。 だけど、現実の彼の行動は「火を放った」。 母を殺してしまった阪大生も、母の命を奪いたかった訳ではなかっただろう。 本当に切望しているものは何か、ややもするとピントがずれて自覚したり、行動したりしてしまうことがある。 昔私は、欝がどうにも強くて泣き暮らしていた。そのとき、私は「死にたい」という言葉しか持たなかった。 でも、今思うと、命を終わりにしたかったのではなく、あれほどに“生きたかった”んだと思う。 「今より、もう少しだけ苦しくないペースで生きさせて貰いたかった」だけだった。 それを、「死にたい」という言葉で訴えていた。 今、 仕事も学校もなく、やれてなくても責められないでいい立場であれば、どんなにか気持ちが楽だろうと日々思う。 でも、それは多分また、ピントの絞りが甘くなっているのだろうと、うすうす気付いている。仕事や学校を投げ出したいのではなくて、もう少しだけ体調もしんどくないペースで、休み休みを許されたい…と願っている。もう少しだけ体調も顧みられるペースで生きていたいんだ。 サービスは、それを消費する人よりも提供する人の方が何倍も大きなものを貰う。それが「生きる(生かされる)」ということだと、人生の師、S先生が教えてくれた。今、宝良ちゃんが生まれてくれて子育てさせてくれていると、やっぱり、してあげていることより、私の人生に貰っていることの方が多いとよくよく分からせてくれる。実感として感じる。まさに諺通り、情けは人の為ならず(人への情けは自分を何倍も幸せにする)なぁと思う。 仕事も学校も、 私が差し上げていることよりも、私が幸せにして貰っている、そんな場(ステージ)、そんな立場(配役)、そんな環境を、与えてもらっていることが、どんなに幸せで有り難いことか…は、定年後活躍したくても、必要とされなくなった体験を肌身で感じたことのあるお父さんたちなら、共感してもらえるだろう。精一杯働けるのも、働かせて貰える場が与えられているからだもん。 なのに目が雲って感謝が薄くなる……こんなときは、きっと私の体調がしんどくて、ペースが私のキャパに見合っていないってことなんだろうなぁ。 先日、検便で何か血液反応が陽性だとかで、胃カメラへ。 で、ポリープ二つと軽いビラン性胃炎が見つかった。 胃は、ずっと調子は良くないけど、摂食障害者だから、それは日常のことで、ことさら、ビランの画像を見ながら胃炎の説明をしてもらいながら、胃の具合が悪いことに理解を示して薬を出してくれる状況が、何だかびっくり。 ポリープは、組織を採って検査に回し、今度結果を聞きに行くのだけど、悪性だったらどうしようとかは、全然現実味がなくて、ちっとも不安に思わない。 そうだったら、やっと、人生頑張らなくても、休む日々が許されるかしら…、なんて思う。 ああ、私、今とても愚かだね。本当に。 健康でも、十分に休みながら、苦し過ぎないペースで生きればいい、ただそれだけのことなのにね。 私は大人になる過程で、一体いつ何を身に染み込ませて来たのだろうね…。 何故こんなに、常に苦しむほど頑張っていないと責められる、と怯えるように育ってしまったんだろうね。。 さて、宝良ちゃん。3日ほどお熱。保育所はお休み。今回は“ぐったり系”のお熱ではなく、“ハイパーテンション系”のお熱で、自分の体調もしんどい状況で付き合う。 今回添付の動画、タイトルは、「ブレーメンの笛吹き男」を彷彿させられた為、「発熱笛吹き男~」と命名しました。湯たんぽみたいに真っ赤顔して、ほかほかの体で、元気?な、38.0℃~38.6℃の宝良ちゃんです。
2006.11.08
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