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雑木林の木の枝に「シメ」を見つけました。カメラを構えてファインダーを覗くと手前の木の芽が邪魔をするので少し場所を変えて撮りました。木の芽が大きくなってきて、野鳥の撮影も難しくなってきますね。シメ;スズメ目、アトリ科、L=19cm、冬鳥画像1_シメの手前にある木の芽が邪魔をしていました。画像2_場所を少し変えて撮った画像です。画像3_シメが移動しようとしています。画像4_シメが少し場所を移動したところで手前に木の芽があります。
2023.03.31
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この時期になると、ウォーキングコースの堤防のある場所だけに「スミレ」が花を咲かせます。ちょうど今が「スミレの花咲くころ♪」です。
2023.03.30
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フェンスにとまって周りを見回す「シロハラ」を見つけました。今年は早くに暖かくなっているので、北へ渡る時期も早くなるのかなぁ?シロハラ;スズメ目、ツグミ科、L=25cm、冬鳥
2023.03.29
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今朝も晴れて気持ちが良い天気です。道横の土手付近をヒラヒラと飛ぶ小さな蝶を見つけました。「ヤマトシジジミ」のオスです。画像の後方の「ツクシ」の大きさを見ても小さいことが分ります。ヤマトシジミ;チョウ目、シジミチョウ科、L=20mm
2023.03.28
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昨日の雨が止み、今日は天気が回復しました。午後にウォーキングに出かけ、堤防の土手で「キタテハ」と「キアゲハ」を見つけました。「キタテハ」は秋型で越冬したためか翅はボロボロです。「キアゲハ」は春型でこの春に羽化したばかりの綺麗な翅でした。キタテハ;チョウ目、タテハチョウ科、L=50mmキアゲハ;チョウ目、アゲハチョウ科、L=70mm
2023.03.27
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カモメが大きな欠伸(アクビ)をしました。眠いのかなぁ?ネットで調べると鳥も欠伸をするようですよ。カモメ;チドリ目、カモメ科、L=45cm、冬鳥
2023.03.26
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万雑014_舒明天皇の皇后の宝皇女は女性天皇に2回なられました。舒明天皇[第34代]の皇后は宝皇女(たからのひめみこ)で、後の皇極天皇[第35代]であり、斉明天皇[第37代]でもあります。※_<備考>在位期間_舒明天皇との間柄 第34代 舒明天皇=629年~641年_本人☆第35代 皇極天皇=642年~645年_皇后(宝皇女)で姪 第36代 孝徳天皇=645年~654年_甥(宝皇女の弟)☆第37代 斉明天皇=655年~661年_皇后(宝皇女が名を変え再出) 第38代 天智天皇=668年~672年_息子(中大兄皇子) 第39代 弘文天皇=671年~671年_孫(大友皇子) 第40代 天武天皇=673年~687年_息子(大海人皇子) 皇極天皇の作とされる御歌は万葉集巻第一に3首(長歌1首、短歌2首)ありました。斉明天皇の御歌は見当たりませんでした。485_「神代より 生れ継ぎ来れば 人さはに 国には満ちて あぢ群の 通ひは行けど 我が恋ふる 君にしあらねば 昼は 日の暮るるまで 夜は 夜の明くる極み 思いつつ 眠も寝がてにと 明かしつらくも 長きこの夜を」※_「神代の昔からずっと生まれ続けて来たので、人がいっぱい国には満ちあふれ、あじ鴨の群のように行き来しているけれども、私が恋い慕うあなたではないので、昼間は日が暮れるまで、夜の間は夜の明ける間際まで、思い続けて眠ることもできずに、明かしてしまった。この長い夜を」と歌っています。486_「山の端にあぢ群れさわき行くなれど我はさぶしゑ君にしあらねば」※_「山の端の方にあじ鴨の群れが鳴き騒ぐように、人々は騒いで行くけれども、私は寂しくてならない。あなたではないので」と歌っています。487_「近江路の鳥籠の山なる不知哉川日のころごろは恋ひつつもあらむ」※_「近江路の鳥籠の山を流れるいさや川。その「いさ(不知)」と言う名のように、この先どうなるか分からないが、暫くはずっと恋い慕いながら生きていくことでしょう」と歌っています。以上
2023.03.26
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万雑013_舒明天皇の皇女の「間人皇女(はしひとのひめみこ)」は後に孝徳天皇に嫁いで皇后になりました。母は宝姫王(後の皇極・斉明天皇)。兄弟は中大兄皇子(後の天智天皇)と大海人皇子(後の天武天皇)。子供は出来なかったようです。「間人皇女」の歌は万葉集巻第一に5首(長歌1首、短歌4首)あります。3_「やすみしし わが大君の 朝には 取り撫でたまひ 夕には い寄り立たしし みとらしの 梓の弓の なか弭の 音すなり 朝狩に 今立たすらし 夕狩に 今立たすらし みとらしの 梓の弓の なか弭の 音すなり」※_「我が大君が、朝には手を取って撫でいつくしまれ、夕べにはそのそばに寄り立たれた、ご愛用の梓の弓の中弭の音が聞こえる。朝狩りにいま出発なさるらしい。ご愛用の梓の弓の中弭の音が聞こえる」と歌っています。「我が大君」は父の舒明天皇で、游猟された時に詠まれた歌です。4_「たまきはる宇智の大野に馬並めて朝踏ますらむその草深野」※_「宇智の大野に馬を並べて、朝の野をお踏みになっているであろう、その草深野を」と歌っています。10_「君が代もわが代も知れや岩代の岡の草根をいざ結びてな」※_「君のご寿命も私の命もあらかじめ知ることが出来ましょうか。岩代の岡の草を、さあ結んで祈りましょう」と歌っています。11_「わが背子は仮廬作らす草なくは小松が下の草を刈らさね」※_「我が背子は、仮小屋をお作りになる草がなければ、松の木の下の草をお刈りなさいな」と歌っています。12_「わが欲りし野島は見せつ底深き阿胡根の浦の珠そ拾はぬ」※_「私の見たかった野島は、たしかに見せてくれましたね。でも、水底の深い阿胡根の浦の真珠はまだ拾っていませんよ」と歌っています。以上
2023.03.25
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今日は朝から気温が16℃もあって公園の桜は、あっという間に満開になってしまいました(画像5)川の堰には「コガモ」の群れがいて、その中に「ヒドリガモ」が数羽混ざっていました。たぶん、一緒に北へ渡る途中だと思います。ヒドリガモ;カモ目、カモ科、L=49cm、冬鳥画像1_コガモの群れの中にヒドリガモが混ざっていました。画像2_下から、ヒドリガモのオス、メス、コガモのオス画像3_ヒドリガモのオス画像4_ヒドリガモのメス、上はコガモのオス画像5_公園の桜は満開です!!
2023.03.24
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堤防横の雑木林に「シメ」が群れでいました。いつもは単独でいるのですが、群れで北へ渡るところかなと思います。シメ;スズメ目、アトリ科、L=19cm、冬鳥
2023.03.23
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今朝は暖かく動くと汗ばむほどです。散歩コースの途中にある公園の桜も開花して、この気候では一気に満開になるかもしれませんね。道横の土手では「ベニシジミ」も見られました。ベニシジミ;チョウ目、シジミチョウ科、L=25mm(開張)※_公園の桜が咲き始めました。
2023.03.22
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昨日「ホオジロ」のカップルがいたフェンスに今朝は「ツグミ」がとまっていました。「ツグミ」が雌雄同色で判別が難しいですが、今朝の「ツグミ」は近くに相手はいませんでした。なお「ツグミ」はシベリア東部~カムチャッカ半島で繁殖します。ツグミ;スズメ目、ツグミ科、L=24cm、冬鳥
2023.03.21
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太陽光発電場のフェンスにとまる二羽の「オオジロ」がいました。この二羽はカップルなのかな?ホオジロ;スズメ目、ホオジロ科、L=17cm、留鳥画像1_オス画像2_メス
2023.03.20
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久しく見てなかった「カモメ」が二羽川の堰に来ていました。北へ渡る旅の途中でしょうか?カモメ;チドリ目、カモメ科、L=45cm、冬鳥
2023.03.19
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万雑012_天智天皇の皇女の鸕野讚良皇女(後の持統天皇)は13歳で大海人皇子(後の天武天皇)に嫁いでいます。※_鸕野讚良皇女(うののさららひめみこ)は天武天皇の皇后となり、天武天皇崩御の後は天皇(持統天皇)になっています。※_万葉集には、持統天皇の歌が6首(長歌2首、短歌4首)あり、中には超有名な歌もあります。28_「春過ぎて夏来たるらし白たへの衣干したり天の香具山」※_「春が過ぎて、夏が来たらしい。真っ白な衣が干してあるよ、天の香具山に」と歌っています。この歌は季節を詠んだ超有名な短歌ですね。159_「やすみしし 我が大君の 夕されば 見したまふらし 明け来れば 問ひたまふらし 神岳の 山の黄葉を 今日もかも 問ひたまはまし 明日もかも 見したまはまし その山を 振り放け見つつ 夕されば あやに哀しみ 明け来れば うらさび暮らし あらたへの 衣の袖は 乾る時もなし」※_「我が大君が、夕方になると御覧になっているに違いない、夜が明けるとお訪ねになっているに違いない、あの神岳の山の黄葉を、今日にでもお訪ねになろうものを、明日にでもご覧になろうものを、その山をはるかに見ながら、夕方になるとどうしようもなく悲しくなり、夜が明けると淋しく日を暮らし、藤衣の喪服の袖は乾く間もない」と歌っています。※_朱鳥元年(686年)9月に崩御した天智天皇を偲んで作った御歌です。160_「燃ゆる火も取りて包みて袋には入るといはずやも智男雲」※_「燃えている火でも、手に取って包んで袋に入れるというではないか“智男雲”」と歌っています。「智男雲」は意味不明。161_「北山にたなびく雲の青雲の星離れ行く月を離れて」※_「北山にたなびいている雲、その薄雲が山を離れて行くように星が遠ざかって行く、月から離れて」と歌っています。どうも意味がよく分からな歌の様です。162_「明日香の 清御原の宮に 天の下 知らしめしし やすみしし 我が大君 高照らす 日の皇子 いかさまに 思ほしめせか 神風の 伊勢の国は 沖つ藻も なみたる波に 塩気のみ かをれる国に うまこり あやにともしき 高照らす 日の皇子」※_「明日香の清御原の宮に、天下をお治めになった我が大君、日の皇子はどのようにお思いになってか、伊勢の国は、沖の藻も靡いている波に、潮の香ばかり立ちこめている国に、まことにお慕わしい、日の皇子」と歌っています。236_「否と言へど強ふる志斐のが強ひ語りこのころ聞かずて朕恋ひにけり」※_「いやだと言うのに、無理強いする志斐の婆さんの、無理強い語りもこのごろ聞かないので、久し振りに聞きたくなったなあ」と歌っています。以上
2023.03.19
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「ホオジロ」は一番警戒心が弱い野鳥だと思います。カメラを向けても逃げないので、可愛い仕草も撮れますね。ホオジロ;スズメ目、ホオジロ科、L=17cm、留鳥
2023.03.18
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先日は河川敷で囀っていましたが、今朝は堤防下の笹林で囀っていました。運よく笹林の中から見える所に出て来てくれたので撮れました。ウグイス;スズメ目、ウグイス科、L=15cm
2023.03.17
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万雑011_天智天皇✖大海人皇子_額田王は1対4でトレードされた?女官だった額田王(ぬかたのおおきみ)は最初に大海人皇子(後の天武天皇)に嫁いで十一皇女を産みました。その後に大海人皇子は、兄の天智天皇が額田王に恋していることを政治的に利用して、額田王を天智天皇の後宮に譲って、その代りに天智天皇は大海人皇子に自分の娘4人を嫁がせる1対4の交換トレードが行なわれたようです。※_大海人皇子➡天智天皇;額田王 天智天皇➡大海人皇子;大田皇女、大江皇女、新田部皇女 鸕野讚良皇女(後の持統天皇)額田王(ぬかたのおおきみ)が作った歌は万葉集に13首(長歌3首、短歌10首ありますが、第488首と第1606首が重複しているので実際は12首になります)。これらの歌の中で、天智天皇の皇子の時代と天皇の時代の歌が多く見られます。7_「秋の野のみ草刈り葺き宿れりし宇治のみやこの仮廬し思ほゆ」※_「秋の野の草を刈って屋根に葺き、一夜の宿りとした宇治の行宮の仮小屋が思い出される」と歌っています。斉明天皇5年(659年)の作か?※_斉明天皇は中大兄皇子を後継者の皇太子にしていました。8_「熟田津に船乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな」※_「熟田津で船に乗り込もうと月の出を待っていると、潮も船出にちょうど良くなって来た。さあ、今こそ漕ぎ出そう」と歌っています。斉明天皇7年(661年)の作か?9_「莫囂円隣之大相七兄爪謁気わが背子がい立たせりけむ巌橿が本」※_「”莫囂円隣之大相七兄爪謁気”は意味不明_わが君がそばにお立ちになったという神聖な橿の木の下よ」と歌っています。斉明天皇5年(659年)の作か?16_「冬ごもり 春さり来れば 鳴かざりし 鳥も来鳴きぬ 咲かざりし 花も咲けれど 山をしみ 入りても取らず 草深み 取りても見ず 秋山の 木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 青きをば 置きてそ嘆く そこし恨めし 秋山そ我は」※_天智天皇が藤原鎌足に「春山の花と秋山の紅葉と、どちらが美しいか」と問われた時に、額田王が歌で応じたと言われています。17_「味酒 三輪の山 あおによし 奈良の山の 山のまに い隠れるまで 道の隈 い積もるまでに つばらにも 見つつ行かむを しばしばも 見放けむ山を 心なく 雲の 隠さふべしや」※_天智天皇6年(西暦667年)の近江遷都の折の額田王の歌です。18_「三輪山を然も隠すか雲だにも心あらなも隠さふべしや」※_「三輪山をあのように隠すものか。せめて雲だけでも思いやりがあって欲しいものだ。あんなに隠してもよいものだろうか」と歌っています。三輪山への慕情と郷愁を詠んだ歌です。19_「綜麻かたの林の前のさ野榛の衣に付くなす目につくわが背」※_「ヘソカタの林の端の木が、衣服に染み付くように、目に付いて離れない我が君よ」と歌っています。20_「あかねさす紫草野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」※_天智天皇が蒲生野(滋賀県東近江市蒲生野)に薬狩(鹿の角や薬草)に出かけた時(天智天皇7年5月5日)に額田王が作った歌です。112_「古に恋ふらむ鳥はほととぎすけだしや鳴きし我が思へるごと」※_弓削皇子(天武天皇と天智天皇の娘の大江皇女の間の子)が額田王に贈った歌(第111首)に応えて作った歌です。113_「み吉野の玉松が枝は愛しきかも君がみ言を持ちて通はく」※_「吉野の美しい松の枝はいとしいです。君の御言葉持ち運んで来ることです」と歌っています。弓削皇子が吉野から松の枝を額田王に送った時に、額田王が作った返歌です。155_「やすみしし わご大君の 恐きや 御陵仕ふる 山科の 鏡の山に 夜はも 夜のことごと 昼はも 日のことごと 音のみを 泣きつつありてや ももしきの 大宮人は 行き別れなむ」※_山科の御陵から人々が退散した時に、額田王が作った歌です。天智天皇崩御の翌年(672年)の作か?488_「君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く」※_「あなたのおいでをお待ちして、恋しい思いをしていると、私の家の簾を動かして、秋の風が吹きます」と歌っています。※_額田王が崩御した天智天皇を思いだして作った歌です。1606_「君待つと我が恋ひをれば我がやどの簾動かし秋の風吹く」※_第488首と重複。
2023.03.16
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今朝もよく晴れていますが、夕方からは寒冷前線が通過するようで天気が崩れる予報です。7時過ぎからウォーキングに出かけましたが、いつもと違うコースにしました。これが功を奏して初めて見る「ヒレンジャク」に遭うことが出来ました。逆光だったことが残念ですが尾羽先端の緋色は綺麗に撮れました。ヒレンジャク;スズメ目、レンジャク科、L=18cm、冬鳥
2023.03.16
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今日も晴れて気持ちの良い日、7時からウォーキングに出かけました。その途中でヒラヒラとを飛ぶ蝶を見つけました。土手にとまったところで撮影し、確認すると「モンキチョウ」でした。草むらの何処かで越冬したのだと思いますが、暖かな日差しに誘われて出て来たのでしょう。モンキチョウ;チョウ目、シロチョウ科、L=40mm
2023.03.15
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今朝も快晴で良い天気です。「ウグイス」が毎年多く集まって来る河川敷では、朝から数羽が_ホーホケキョ♪_と囀っていました。中々姿を見せない「ウグイス」ですがやっと一羽だけ撮ることが出来ました。ウグイス;スズメ目、ウグイス科、L=15cm、留鳥または漂鳥
2023.03.14
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万雑010_中大兄皇子と大海人皇子との間で、額田王の争奪戦あり中大兄皇子が二十歳の時に「大化の改新」が行われ、初めて年号「大化元年(645年)」が付けられました。皇子の片腕であったのは中臣鎌足(当時三十歳)でした。都を飛鳥から難波に移し、中国の唐を手本に各種の改革が行われました。中大兄皇子(626年~672年)は後の天智天皇(38代;在位668年~672年)です。兄弟は大海人皇子(後の天武天皇)と間人皇女。子は大田皇女、持統天皇、建皇子、御名部皇女、元明天皇、山辺皇女など、孫には草壁皇子、長屋王、文武天皇、元正天皇らがいて多くが万葉集に歌を残しています。では、中大兄皇子が皇子の時代に作った歌を見てみましょう。巻第一に3首ありました。13_「香具山は 畝傍を惜しと 耳梨と 相争ひき 神代より かくにあるらし 古も 然にあれこそ うつせみも 妻を 争ふらしき」※_「香具山は畝傍山を取られるのが惜しいと、耳梨山と争い合った。神代から、このようであるらしい。昔もそうだったからこそ、今の世の人も、妻を奪い合って争うらしい」と歌っています。※_奈良の橿原市にある大和三山(香具山、畝傍山、耳成山)の妻争いの歌です。作者の皇子と弟の大海人皇子(後の天武天皇)と絶世の美人の額田王をめぐる三角関係があったようです。なお、額田王と天武天皇との間に子の十一皇女がいます。14_「香具山と耳梨山とあひし時立ちて見に来し印南国原」※_「香具山と耳梨山が争った時、阿菩の大神が立ち上がって見に来た印南の国原よ」と歌っています。出雲の阿菩の大神が大和三山の争いを聞いて仲裁にやって来たと云うことを詠んでいます。15_わたつみの豊旗雲に入日さし今夜の月夜さやけかりこそ」※_「大海原に豊かにたなびく旗雲に夕日が強く差して、今夜の月は明るく清かであって欲しい」と歌っています。※_<備考>天智天皇の御歌は巻第二の第91首にあります。
2023.03.13
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竹藪横の電線にとまる「ビンズイ」を見つけました。わが地方では毎年、冬場に見る野鳥ですが夏場は何処に行くのかな?ビンズイ;スズメ目、セキレイ科、L=16cm、留鳥または漂鳥
2023.03.12
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晴れてポカポカ陽気です。堤防道路の上空で、「ヒバリ」がさえずり飛翔しているのを見つけました。画像1は、「ヒバリ」が堤防に降りて草むらに隠れる様子です。画像2は別の「ヒバリ」です。ヒバリ;スズメ目、ヒバリ科、L=17cm、留鳥画像1_降りて草むらに隠れる様子です画像2_別の個体
2023.03.11
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朝方は雲って小雨模様でしたが昼過ぎには晴れてきました。川の堰の灯台にとまる「カワセミ」を見つけ、ダイビングをする瞬間を待っていましたが、残念ながらしませんでした。カワセミ;ブッポウソウ目、カワセミ科、L=17cm、留鳥または漂鳥
2023.03.10
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今日は五月の様な気候になり身体を動かすと汗をかく気温にまで上がりました。畑でジャガイモを植え付けていたところ、電線に「モズ」が二羽とまって、一羽が変わった動作をしていましたが、求愛行動のようでした。モズ;スズメ目、モズ科、L=10mm、留鳥画像1_オスがメスの方を見ています。画像2_メスはオスに乞うような仕草を・・・
2023.03.09
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万雑009_中臣鎌足(藤原鎌足)と大伴安麻呂は従兄弟でした。藤原鎌足の母親は大伴咋の娘の智仙娘で、父親の中臣御飯子との間に生まれた男子が鎌足になり、安麻呂や御行は従兄弟になるのです。万葉集の巻第二に、その藤原鎌足が鏡王女に求婚した時に、鏡王女が藤原卿に贈った歌と、それに返答した藤原卿の歌がありました。93_藤原卿が求婚した時に、鏡王女が贈った歌「玉くしげ履ふをやすみ明けていなば君が名はあれどわが名し惜しも」※_「美しい櫛箱の、その蓋をするのは簡単だからと、櫛箱を開けるように夜が明けてからお帰りになったら、あなたの御名はさておいて私に名こそ惜しゅうございます」と歌っています。ちょっと判り難い返事ですが「夜が明けてしまえば、あなたはいいでしょうが、私の評判にキズがつきます。人の目に付かないうちにお帰り下さい」と求婚を拒んだ内容になっています。94_鏡王女の歌に対しての藤原卿の返歌「玉くしげ三室戸山のさな葛さ寝ずは遂にありかつましじ」※_「(玉くしげ)三室戸山のさな葛ではないが、あなたと共寝せずに、そのまま帰ることは、とてもできません」と歌っています。更に、藤原卿が采女安見児を娶った時に作った歌もありましたが、この歌は好きな女性が自分のものになったことを自慢する歌になっています。ちょっと吃驚です!95_藤原卿が采女安見児を娶った時に作った歌「われはもや安見児得たり皆人の得がてにすといふ安見児得たり」※_私は、安見児を得た、皆が得がたいと言っている安見児を得た」と歌っています。この采女安見児は地方の豪族が中大兄皇子(天智天皇)に献上した女性ですが、皇子が手柄をたてた藤原卿に贈ったことで、藤原卿が得がたい女性を貰ったことを誇って作った歌のようです。※_藤原鎌足の系図も書いてみました。大伴氏とは親戚関係にあり、皇室との繋がりも密接なのが判りました。以上
2023.03.08
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今日も4月の陽気です。川の堰には「マガモ」の数羽の群れが羽を休めていました。その中のカップルで、オスが首を縦に振ってメスに求愛し、メスが合意して上手く交尾ができたところを拝見できました。マガモ;カモ目、カモ科、L=59cm、冬鳥画像1_オスがメスに求愛中です。画像2_求愛が成功して、交尾中です。画像3_子作り準備完了です。北へ渡って子育て頑張ってぇー!
2023.03.08
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今朝も快晴で風もなく気持ちの良い天気です。日中は20度ほどまで気温があがり4月の陽気になるようです。堤防の土手にある階段に「ヒヨドリ」が蜜柑を見つけて食べようとしましたが皮だけでした。「ヒヨドリ」はチョット残念そうでした。ヒヨドリ;スズメ目、ヒヨドリ科、L=28cm、留鳥
2023.03.07
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梅畑で「ウグイス」の鳴き声がするので、枝にとまった野鳥をカメラに収めましたが、確認すると「ニュウナイスズメ」でした。ニュウナイスズメ;スズメ目、ハタオリドリ科、L=14cm
2023.03.06
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万葉集を編纂したとされる大伴家持ですが、この大伴家の御先祖さんの歌は誰が最初なのかなと思って調べてみました。万雑008_大伴氏の最初の歌は大伴安麻呂が巨勢郎女に求婚した歌でした。101;大伴宿祢(安麻呂)_旅人・田主・宿奈麻呂らの父「玉葛実成らぬ木にはちはやぶる神そつくといふならぬ木ごとに」※_「(玉葛)実のならない木には、(ちはやぶる)神が憑り付くと言います。実のならない木ごとに」と歌っています。歌の内容は「しかるべき夫を持っていないと、あの女には神が取りついていると、皆が恐れて顧みなくなりますよ」と戯れつつ求婚したということです。この求婚は成立し、後に旅人・田主・宿奈麻呂の母となりました。※_安麻呂は西暦650年頃~714年までの人ですから、孫の家持(西暦718年~785年)が生まれる前の人になります。だから祖父の祖母への求婚の歌を大伴氏の最初の歌にしたのかもしれないですねぇ(笑)。 102;巨勢郎女の返答歌です。「玉葛花のみ咲きて成らざるは誰が恋ならぬ我は恋ひ思ふを」※_「玉葛、花だけ咲いて実がならないのは、誰の恋なのでしょう。私は恋慕っていますのに」と歌っています。あなたの恋でなくて、一体どなたのこいなのでしょう。と皮肉った上手い返答をしていますね。※_これからも大伴氏の歌を見てゆく上にも、大伴氏の系図を確認したく以下に書いてみました。以上
2023.03.05
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昨日、「シメ」がとまっていた雑木林の木の枝近くに、今日は「キジバト」がとまっていました。キジバト;ハト目、ハト科、L=33cm、留鳥
2023.03.05
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今日も良い天気、雑木林の木の天辺にとまる「シメ」を見つけました。アトリ科の中では「イカル」に次いで大きい方です。「イカル」はいつも群れではいますが、「シメ」はいつも単独でいます。シメ;スズメ目、アトリ科、L=19cm、冬鳥
2023.03.04
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万雑007_雄略天皇より前の仁徳天皇の皇后の歌もありました(其ニ)磐姫皇后が仁徳天皇35年(西暦347年)に亡くなった後、仁徳天皇は八田皇女を仁徳天皇38年(西暦350年)に皇后に迎えました。実は八田皇女は仁徳天皇の異母妹になるのです。その八田皇女の歌は巻第四の巻頭にありました。484_「一日こそ人も待ちよき長き日をかくのみ待たばありかつましじ」※_「一日だけなら待つこともできます。しかし、長い日々をこのように苦しい思いで待っていたら、とても生きてはいられないでしょう」と歌っています。言葉は少し異なりますが天皇に恋する思いは、磐姫皇后と同じような歌になっていますね。参考;応神天皇と仁徳天皇の后妃と皇子女の系図(1)_応神天皇の后妃と皇子女(2)_仁徳天皇の后妃と皇子女※_当時の天皇家は複雑な関係になっていますね。以上
2023.03.03
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昨日は強風と雨でウォーキングを中止しましたが、今朝は晴れてよい日になり、7時からウォーキングに出かけました。途中の堤防横の雑木林の中に白っぽい大きな鳥がいるのを見つけました。カメラのファインダー越しに見ると「ハイタカ」でしたぁー!!下面の密な横斑からメスと思います。ハイタカ;タカ目、タカ科、L=39cm、冬鳥
2023.03.03
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舒明天皇(西暦629年~641年)以前の人の歌が雄略天皇と聖徳太子以外にもまだありました。それは雄略天皇(西暦457年~479年)より100年前の仁徳天皇(西暦311年~399年)の御代で、天皇の二人の皇后(磐姫皇后と八田皇女)の御歌です。余談ですが、仁徳天皇は恋多き方だったようで磐姫皇后が嫉妬されたことが万葉集に記されています。万雑006_雄略天皇より前の仁徳天皇の皇后の歌もありました(其一)まずは巻第二の巻頭を飾る、磐姫皇后が仁徳天皇を思ってお作りになった御歌4首から見てみましょう。85_「君が行き日長くなりぬ山尋ね迎へか行かむ待ちにか待たむ」※_「君の旅は日数を経て久しくなった。山道を尋ねてお迎えに行こうか、それともここでひたすら待っていようか」と歌っています。86_「かくばかり恋ひつつあらずは高山の岩根しまきて死なましものを」※_「これほど恋しい思いをするくらいなら、高山の岩を枕にして、死んでしまう方がましです」と歌っています。87_「ありつつも君をば待たむうちなびくわが黒髪に霜の置くまでに」※_「このままずっと君を待ち続けましょう、長く靡く私の黒髪に、霜が白く置くまで」と歌っています。88_「秋の田の穂の上に霧らふ朝霞いつへの方に我が恋やまむ」※_「秋の田の稲穂の上に立ちこめる朝霧のように、一体いつになったら私の恋は止むのだろうか」と歌っています。4首ともに、旅に出ておられる仁徳天皇を待つ磐姫皇后の恋する思いを詠まれた歌です。ある時、天皇は皇后に「八田皇女を妃にしたい」云う願いをしますが、聴き入れて貰えませんでした。然るに、天皇は皇后が留守の間に八田皇女と関係をもってしまったことで、後々まで続く磐姫皇后の天皇を恨む話も伝わっています。続く
2023.03.02
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堤防下の栴檀の木の枝にとまる「イカル」です。今年は「イカル」を目にする日が多いです。イカル;スズメ目、アトリ科、L=23cm、留鳥または漂鳥
2023.03.02
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今朝も晴れて良い天気ですが、予報では夕方頃から雲が出て夜半から雨が降る様です。ウォーキングコース沿いにある竹藪で、切り株にとまる「ジョウビタキ」のオスを見つけました。周りを確認すると竹藪の中にメスもいました。これはカップルで、一緒に北へ渡るのでしょう。ジョウビタキ;スズメ目、ツグミ科、L=14cm、冬鳥※_竹藪の中にはメスがいました
2023.03.01
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