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万雑068_高安王の皇子女が作られた御歌(高田女王)次は河内王の孫娘で高安王(後に大原高安)の娘の高田女王です。万葉集に歌が7首(巻4に6首、巻8に1首)あります。高田女王が叔父の今城王(高安王の弟)に贈った恋歌6首です。537_「言清くいたくもな言ひ一日だに君いしなくは堪へかたきかも」※_「そんなに冷たくはっきりおっしゃらないで下さい。一日でも貴方がいないと、堪えがたい思いです」と歌っています。538_「人言を繁み言痛み逢はざりき心あるごとな思ひわが背子」※_「人の口がうるさく煩わしいので逢わなかっただけです。特に思うところあってのこととは思わないで下さい、あなた」と歌っています。539_「わが背子し遂げむと言はば人言は繁くありとも出でて逢はましを」※_「貴方が必ず遂げようと言ってくれたら、人の口がうるさくても、出てお逢いしましたのに」と歌っています。540_「わが背子にまたは逢はじかと思へばか今朝の別れのすべなかりつる」※_「貴方にもう二度と逢えないだろうかと思うせいか、今朝の別れがどうしようもなく辛かった」と歌っています。541_「この世には人言繁し来む世にも逢はむわが背子今ならずとも」※_「この世では他人の口がうるさい。来世でなりとも逢いましょう。今の世でなくとも」と歌っています。542_「常やまず通ひし君が使ひ来ず今は逢はじとたゆたひぬらし」※_「いつも絶え間なく通って来た貴方のお使いが来なくなった。もう逢うまいとためらっているに違いない」と歌っています。男の訪れを告げる使いが来ないことを嘆いた歌です。高田女王の春の雑歌です。1444_「山吹の咲きたる野辺のつほすみれこの春の雨に盛りなりけり」※_「山吹の花が咲いている野辺のツホスミレは、この春雨にまっ盛りです」と歌っています。<備考>天武天皇 |ー妃;大江皇女(天智天皇の皇女) |ー長皇子★5 |ー妃;不詳 |ー河内王 |ー妃;不詳 |ー高安王(大原高安)★3 | |ー妃;不詳 | |ー高田女王★7 |ー桜井王(大原桜井)★2 |ー今城王(大原今城)★8 |ー門部王(大原門部)★3 以上
2023.05.31
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万雑067_河内王の皇子女が作られた御歌(門部王・大原門部)次は、河内王の子の門部王(後に大原門部)で、万葉集に御歌が5首(巻3に3首、巻4に1首、巻6に1首)あります。大原門部の東の市の樹を詠んだ歌です。310_「東の市の植木の木垂るまで逢はず久しみうべ恋ひにけり」※_「東の市に植えた樹が茂って枝が垂れるまで、長らく逢わなかったので、恋しく思うのももっともであるよ」と歌っています。大原門部が難波で漁師の漁り火を見て作った歌です。326_「見渡せば明石の浦にともす火のほにそ出でぬる妹に恋ふらく」※_「見渡すと、明石の浦にともしている漁り火のように、人目に立つようになったよ、貴方への恋は」と歌っています。大原門部の望郷の歌です。371_「飫宇の海の河原の千鳥汝が鳴けば我が佐保川の思ほゆらくに」※_「飫宇の海にそそぐ意宇川の河原の千鳥よ。お前が鳴くと、私の佐保川がしきりに思われるよ」と歌っています。大原門部が出雲守に任ぜられた時に娶った娘子への恋の歌です。536_「飫宇の海の潮干の潟の片思に思ひや行かむ道の長手を」※_「飫宇の海の潮の引いた潟の、片思いに、あなたを思いながら通って行くことだろうか。長い道のりを」と歌っています。737年春正月に橘少卿や大夫たちが、大原門部の家に集まって宴会した時の、大原門部が作った歌です。1013_「あらかじめ君来まさむと知らませば門に宿にも玉敷かましを」※_「前もって諸君らが来られると知っていたなら、門にも家の中にも玉を敷きつめておきましたのに」と歌っています。以上
2023.05.30
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万雑066_河内王の皇子女が作られた御歌(今城王・大原今城)次は今城王(後に大原今城)で万葉集に御歌が8首(巻8に1首、巻20に7首)あります。別に今城王が伝誦した歌が1首(巻20-4480)ありますが作者未詳となっているので省きました。大原今城が奈良の故郷を悲しみ惜しんだ歌です。1604_「秋されば春日の山の黄葉見る奈良の都の荒るらく惜しも」※_「秋になると春日山の黄葉を望む、ここ奈良の都が荒れるのは惜しい」と歌っています。大伴家持の家に集まって宴会をした時に大原今城が作った歌2首です。4442_「我が背子がやどのなでしこ日並べて雨は降れども色も変はらず」※_「貴方のお屋敷のなでしこは、幾日も続いて雨が降ったのに、色も変っていませんね」と歌っています。4444_「我が背子がやどなる萩の花咲かむ秋の夕は我を偲はせ」※_「貴方のお屋敷の萩の花が咲き出す秋の夕べには、私のことを思い出してください」と歌っています。大伴池主の屋敷に集まって宴会した時に大原今城が作った歌2首です。4475_「初雪は千重に降りしけ恋ひしくの多かる我は見つつ偲はむ」※_「初雪は幾重にも降り積もれ。恋しい思いのつのる私は、それを見ながら偲ぶことにしよう」と歌っています。4476_「奥山のしきみが花のごとやしくしく君に恋ひわたりなむ」※_「奥山のしきみの花のその名のように、しきりに貴方に恋い続けることでしょうか」と歌っています。中臣清麻呂の屋敷で宴会した時の大原今城は作った歌2首です。4496_「恨めしく君はもあるかやどの梅の散り過ぐるまで見しめずありける」※_「あなたは恨めしく人ですね。お屋敷の梅が散ってしまうまで見せてくれないのだもの」と歌っています。4505_「磯の裏に常よ引き住む鴛鴦の惜しき我が身は君がまにまに」※_「磯のかげに日ごろからつがいで住み着いているオシドリのように、惜しい我が身ですが、仰せのとおりにします」と歌っています。興のままに大原今城が高円の離宮の跡を思って作った歌です。4507_「高円の峰の上の宮は荒れぬとも立たしし君の御名忘れめや」※_「高円の野の上の宮は荒れてしまった。お立ちになった君の御代が遠くなって」と歌っています。以上
2023.05.29
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万雑065_河内王の皇子女が作られた御歌(桜井王・大原桜井)次は桜井王(大原桜井)で、万葉集に御歌が2首(巻8に1首、巻20に1首)あります。桜井王は天武天皇の曾孫、長皇子の孫で、聖武天皇に近侍する「風流侍従」の一人です。遠江守として遠江国に赴任の折に、桜井王が聖武天皇に奉った歌です。1614_「九月のその初雁の使ひにも思ふ心は聞こえ来ぬかも」※_「九月のあの初雁の使いによってでも、思って下さる心は聞こえて来ないかなあ」大原桜井が佐保川のほとりを通った時に作った歌です。4478_「佐保川に凍れる薄ら氷の薄き心を我が思はなくに」※_「佐保川一面に凍りわたっている薄氷のように薄情な心を私は持っていないのに」と歌っています。以上
2023.05.28
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タメネギの収穫作業中に見つけました。家に持ち帰って撮影してから逃がしてあげました。これまでメスは数回見ましたがオスは初めてです。コクワガタ;甲虫目、クワガタムシ科、30mm
2023.05.27
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万雑064_河内王の皇子女が作られた御歌(高安王・大原高安)次は天武天皇の孫で長皇子の子になる河内王の皇子女の御歌を見てみます。まず高安王(後に大原高安)で万葉集に歌が3首(巻4に1首、巻8に1首、巻17に1首)あります。なお河内王の歌はありません。高安王が包みにして鮒を娘(高田女王)に贈った時の歌です。625_「沖辺行き辺を行き今や妹がためわが漁れる藻伏束鮒」※_「沖辺を行き岸辺を行って、今あなたのために私が捕った藻伏束鮒です」と歌っています。万葉集に高安王は、後に姓大原真人の氏を賜ったとの記録があり、この時から大原高安を名乗っています。高安王の夏の相聞歌です。1504_「暇なみ五月をすらに我妹子が花橘を見ずか過ぎなむ」※_「わたしに暇がないので、この五月までも、あなたの家の橘の花を見ないで過ぎてしまうのだろうか」と歌っています。国分寺の僧(玄勝)が伝誦した大原高安が作った古歌です。3952_「妹が家に伊久里の杜の藤の花今来む春も常かくし見む」※_「(妹が家に)伊久里の杜の藤の花を、また来る春にもいつもこうして見よう」と歌っています。<記事>敏達天皇の後裔の河内王の子の高安王らが739年に大原真人の姓を下賜った。この時代の大原氏の中に万葉集の編纂に加わった者がいるようで、河内王の次女や孫に多くの歌が残されています。<備考>河内王の妃と皇子女 |ー妃;不詳 |ー高安王(大原高安)★3 | |妃;不詳 | |ー高田女王★7 |ー桜井王(大原桜井)★2 |ー今城王(大原今城)★8 |ー門部王(大原門部)★5以上
2023.05.27
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万雑063_長皇子の皇子女が作られた御歌(智努王)次は長皇子(父;天武天皇、母;大江皇女)の皇子女の御歌を観てみますが、皇子女の中で万葉集に歌があるのは智努王(後に文室浄三)の1首だけです。なお、長皇子の孫になる河内王の皇子女の歌は沢山ありますので、この後に引き継いで観てゆきます。智努王(後に文室浄三)が作られた歌です。4275_「天地と久しきまでに万代に仕へ奉らむ黒酒白酒を」※_「天地と共に久しい将来まで、永遠に造って奉りましょう黒酒白酒を」と歌っています。<備考>長皇子の妃と皇子女 |ー妃;不詳 |ー河内王 | |ー妃;不詳 | |ー高安王(大原高安)★3 | | |妃;不詳 | | |ー高田女王★7 | |ー桜井王(大原桜井)★2 | |ー今城王(大原今城)★8 | |ー門部王(大原門部)★5 |ー栗栖王 | |ー妃;不詳 | |ー長田王 |ー智努王(後に文室浄三)★1 | |ー妃:茨田女王 | |ー沢王 | |ー文室与伎 | |ー文室真屋麻呂 | |ー文室長谷 | |ー三緒大原 | |ー岡屋王妃 |ー石川王 |ー長田王 | |ー妃;不詳 | |ー清原王 | |ー広田王 |ー大市王 | |ー妃;不詳 | |ー長島王 | |ー文室高島 | |ー文室波多麻呂 | |ー文室真老 | |ー文室久賀麻呂 | |ー文室八島 |ー奈良王 |ー茅沼王 |ー阿刀王(安都王) |ー広瀬女王以上
2023.05.26
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万雑062_長屋王の妃と皇子女が作られた御歌(円方女王)次は長屋王と名前不詳の母の娘の円方女王で、万葉集に歌が1首(巻20)あります。姉の智努女王が亡くなった後、妹の円方女王が悲しんで作った歌です。4477_「夕霧に千鳥の鳴きし佐保道をば荒しやしてむ見るよしをなみ」※_「夕霧の中に千鳥が鳴いていた佐保への道を、荒らしたままにしてしまうのでしょうか。見るおりもなくて」と歌っています。以上
2023.05.25
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万雑061_長屋王の皇子女が作られた御歌(賀茂女王)次は長屋王と安倍多刀自(中納言安倍広庭の娘)の娘の賀茂女王で、万葉集に御歌が3首(巻4に2首、巻8に1首)あります。賀茂女王が大伴三依(大伴旅人の従兄弟)に贈った歌です。556_「筑紫船いまだも来ねばあらかじめ荒ぶる君を見るが悲しき」※_「筑紫へ赴任するの船がまだやって来ないのに、それに先立って心が荒れすさんでいる貴方を見るのが悲しい」と歌っています。賀茂女王が大伴三依を思って作られた歌2首です。565_「大伴の見つとは言はじあかねさし照れる月夜に直に逢へりとも」※_「大伴の御津で逢ったとは言いますまい、(あかねさし)照りわたる月夜に直に逢っていても」と歌っています。1613_「秋の野を朝行く鹿の跡もなく思ひし君に逢へる今夜か」※_「秋の野を朝行く鹿の跡が定かでないように、行方が分からなかった貴方に逢えた今夜です」と歌っています。以上
2023.05.24
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万雑060_長屋王の妃と皇子女が作られた御歌(山背王)次も長屋王と藤原長娥子の子の山背王(やましろおう;後に藤原弟貞)で、万葉集に御歌が1首(巻20)あります。「長屋王の変」以降に母方姓の藤原姓を得て藤原仲麻呂政権を支えた。長屋王の謀反を山背王が密告したとされる説もありますが・・・?出雲守の山背王が、都の人に元気にしている旨を伝える歌です。4473_「うちひさす都の人に告げまくは見し日のごとくありと告げこそ」※_「(うちひさす)都の人に告げたいことは、以前のままに変わりなくしていると告げてください」と歌っています。以上
2023.05.23
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万雑059_長屋王の妃と皇子女が作られた御歌(安宿王)次は長屋王と藤原長娥子(ふじわらのながこ;藤原不比等の娘)の子の安宿王(あすかべおう)で、万葉集に御歌が2首(巻20)あります。孝謙天皇と太上天皇(聖武)と皇太后(光明)が南大殿で御宴をなさった時に、長屋王が作られた御歌です。4301_「印南野の赤ら柏は時はあれど君を我が思ふ時はさねなし」※_「印南野の赤ら柏は旬の時節が決まっていますが、君を私が思うことには定まった時がありません」と歌っています。「君」は孝謙天皇を指す。孝謙天皇が官女らと内裏の南大殿で御宴をなされた時に、安宿王が作られた御歌です。4452_「をとめらが玉藻裾引くこの庭に秋風吹きて花は散りつつ」※_「おとめ達が玉藻の裾を引いて歩むこの庭に、秋風が吹いて花がしきりに散っている」と歌っています。<記事>729年2月の「長屋王の変」では、藤原不比等の血縁を理由に、藤原長娥子や、その皇子女達は罪を免れています。以上
2023.05.22
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万雑058_長屋王の妃と皇子女が作られた御歌(膳王)次は長屋王(高市皇子の長男)の妃と皇子女の歌を見てゆきます。まず膳王(かしわでおう)で万葉集に御歌が1首(巻6)にあります。729年の「長屋王の変」で長屋王以下、妃の吉備内親王、皇子の膳王・桑田王・葛木王・鉤取王らが自害されています。膳王の雑歌です。954_「朝には海辺にあさりし夕されば大和へ越ゆる雁しともしも」※_「朝は海辺で餌を漁り、夕べになると大和の方へ山を越えて飛んで行く雁が羨ましい」と歌っています。<記事>巻3に膳王の死(729年2月)を悲しむ挽歌があります。作者は未詳です。442_「世の中は空しきものとあらむとそこの照る月は満ち欠けしける」※_「この世の中は空なるものだということを示すために、この照る月は満ち欠けするのだなあ」と歌っています。<備考>長屋王の妃と皇子女 |ー妃;吉備内親王(元明天皇の皇女) | |ー膳王(膳夫王・膳部王とも)★1 | |ー葛木王 | |ー鉤取王 |ー妃;藤原長娥子(藤原不比等の娘) | |ー安宿王★2 | |ー黄文王 | |ー山背王★1 | |ー教勝 |ー妃;石川夫人 | |ー桑田王 |ー妃;安倍大刀自(安倍広庭の娘) | |ー賀茂女王★3 |ー生母不詳 |ー栗原王 |ー安君王 |ー朝妻王 |ー智努女王 |ー円方女王★1 |ー忍海女王 |ー紀女王 |ー林若翁以上
2023.05.21
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万雑057_高市皇子の妃と皇子女が作られた御歌(檜隈女王)次は檜隈女王(檜前女王とも)で万葉集に1首(巻2)の御歌があります。父の高市皇子が病気平癒の祈りの甲斐なく696年7月亡くなった時、檜隈女王が泣沢神社を怨んで作った歌です。202_「泣沢の神社に神酒据ゑ祈れども我が大君は高日知らしぬ」※_「泣沢の社に神酒を据えて、皇子の平穏をお祈りしたけれども、我が高市皇子は天をお治めになった」と歌っています。以上
2023.05.20
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万雑056_高市皇子の妃と皇子女が作られた御歌(河内女王)次は河内女王で万葉集に御歌が1首(巻18)あります。元正天皇(日高皇女・氷高内親王とも)を主体に取り上げて河内女王が作られた歌です。4059_「橘に下照る庭に殿建てて酒みづきいます我が大君かも」※_「橘に木の下も明るく輝くこの庭に御殿を建てて、酒宴を催しておられる我が大君よ」と歌っています。※_河内女王は元正天皇(草壁皇子の皇女)と従姉妹になります。以上
2023.05.19
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万雑055_高市皇子の妃と皇子女が作られた御歌(門部王)次は、高市皇子の皇子の門部王(かどべおう)ですが・・・万葉集に門部王の作として御歌が5首(巻3に3首、巻4に1首、巻6に1首)ありますが、これらの歌はもう一人の門部王(大原門部とも、長皇子の孫、河内王の子)の作でありましたので訂正致します。結果として高市皇子の子の門部王の御歌はありませんでした。以上
2023.05.18
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万雑054_高市皇子の妃と皇子女が作られた御歌(長屋王)次は、天武天皇の長男の高市皇子の妃と皇子女の御歌を見てゆきます。まず高市皇子の妃の御名部皇女(天智天皇の皇女)の歌につては万雑019に記載済であり、その次は高市皇子の長男の長屋王です。万葉集に長屋王の御歌が5首(巻1に1首、巻3に3首、巻8に1首)あります。吉野離宮から飛鳥との往還の道で長屋王が詠んだ歌です。75_「宇治間山朝風寒し旅にして衣貸すべき妹もあらなくに」※_「宇治間山は朝の風が寒い。旅の空で衣を貸してくれる我が妻もいないのに」と歌っています。藤原宮に遷都(694年)した後に、故郷の明日香を思って長屋王が作った歌です。長屋王はこの時19歳でした。268_「わが背子が古家の里の明日香には千鳥鳴くなり妻待ちかねて」※_「貴方の旧宅がある明日香の里では、千鳥が鳴いている。妻を待ちかねて」と歌っています。長屋王が山城へ向かう奈良山の山道で作った歌2首です。300_「佐保過ぎて奈良のたむけに置く幣は妹を目離れず相見しめとす」※_「佐保を過ぎて奈良山の神への手向けに奉る御供えの品は、妻の姿をずっと見続けていられるようにとの願いからである」と歌っています。301_「岩が根のこごしき山を越えかねて音には泣くとも色に出でめやも」※_「岩のごつごつした山を越えかねて、声を出して泣くとしても、妻への思いを表に出そうか」と歌っています。長屋王の秋の雑歌です。1517_「うまさけ三輪の社の山照らす秋の黄葉の散らまく惜しも」※_「(うまさけ)三輪の神の神域である山を照らす、秋の黄葉の散るのが惜しい」と歌っています。「うまさけ」はうまい酒の意で三輪の枕詞です。<備考1>「長屋王の変」;729年に起きた事件で、二人の密告者が「右大臣の長屋王が謀反を企んいる」と通報した。その結果、長屋王以下、妃の吉備内親王、皇子の膳王・葛木王・鉤取王・桑田王らが自害しています。この時の密告は藤原氏が企んだことだと言われています。この時、長屋王は52歳でした。<備考2>高市皇子の妃と皇子女 |ー妃;御名部皇女(天智天皇の皇女)★1 | |ー長屋王★5 | |ー妃;吉備内親王(元明天皇の皇女) | | |ー膳王(膳夫王とも)★1 | | |ー葛木王 | | |ー鉤取王 | |ー妃;藤原長娥子(藤原不比等の娘) | | |ー安宿王★2 | | |ー黄文王 | | |ー山背王★1 | | |ー教勝 | |ー妃;石川夫人 | | |ー桑田王 | |ー妃;安倍大刀自(安倍広庭の娘) | | |ー加茂女王★3 | |ー生母不詳 | |ー栗原王 | |ー安君王 | |ー朝妻王 | |ー智努女王 | |ー円方女王★1 | |ー忍海女王 | |ー紀女王 | |ー林若翁 |ー妃;但馬皇女★4 |ー生母不詳 |ー鈴鹿王 |ー門部王 |ー山形女王 |ー河内女王★1 |ー檜隈女王(檜前女王とも)★1以上
2023.05.17
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万雑053_白壁王の皇后妃と皇子女が作られた御歌(山部王・山部親王)次は白壁王(志貴皇子の皇子)の皇子の山部王(後の桓武天皇)で、万葉集に1首(巻8)の歌がありますが?桓武天皇は第50代の天皇(在位;781年~806年)で平城京から長岡京(784年)、長岡京から平安京(794年)へ遷都しました。山部王が秋の木の葉を詠んだ歌ですが、御歌となっていないことから、山部王は山前王か門部王の間違いではとする説がありますが・・・山部王が生まれたのは737年ですから皇子の時代には、万葉集が完成した759年には間に合っていたと思います。1516_「秋山にもみつ木の葉のうつりなば更にや秋を見まく欲りせむ」※_「秋の山に黄葉する木の葉が散ってしまったら、また更に来年の秋を見たくなるだろう」と歌っています。<備考>白壁王(後の第49代_光仁天皇)の皇后妃と皇子女 |ー皇后;井上内親王(聖武天皇の皇女) | |ー酒人内親王 | |ー他戸親王 |ー夫人;高野新笠 | |ー能登内親王 | |ー山部王(山部親王、後の第50代_桓武天皇)★1 | |ー早良親王 |ー夫人;藤原産子 |ー宮人;尾張女王(湯原王の娘) | |ー薭田親王 |ー宮人;県主島姫 | |ー弥努摩内親王 |ー女嬬:県犬養勇耳 | |ー広根諸勝 |ー未詳 |ー開成皇子以上
2023.05.16
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万雑052_安貴王の妃と皇子女が作られた御歌(市原王)次は、安貴王と紀女郎の子の市原王で、万葉集に8首(巻3に1首、巻4に1首、巻6に3首、巻8に2首、巻20に1首)の御歌があります。市原王の比喩歌です。412_「いなだきにきすめる玉は二つなしかにもかくにも君がまにまに」※_「頭の上に結んだ髻(もとどり)の中にしまった玉は二つとないものです。どのようにも貴方の思し召しのままに」と歌っています。市原王は最愛の娘を「髻中の珠」に譬えて詠んだ歌です。市原王の相聞歌です。662_「網児の山五百重隠せる佐堤の崎小網延へし子が夢にし見ゆる」※_「網児の山が幾重にも隠している佐堤の崎、さで網を張り拡げていたあの娘が夢に見える」と歌っています。「網児の山」は三重県志摩市の英虞の地です。988_「春草は後は移ろふ巌なす常磐にいませ尊き我が君」「春草は後には散り過ぎるものです。巌のようにいつまでも変わらずにおいでになって下さい。尊い我が君よ」と歌っています。市原王が独り子であることを悲しんで作られた歌です。1007_「言問はぬ木すら妹と兄とありといふをただ独り子にあるが苦しき」※_「物を言わない木にさえ姉妹や兄弟があるというのに、たった独り子であるのがつらい」と歌っています。大伴家持らと一緒に岡に登り一本の松の木の下に集まって宴飲した時に、市原王が作られた歌です。1042_「一つ松幾代か経ぬる吹く風の音の清きは年深みかも」※_「一本松よ、お前は幾代を経たのか。松吹く風の音が清らかなのは、経た年が長いからか」と歌っています。市原王の七夕の歌です。1546_「妹がりと我が行く道の川しあればつくめ結ぶと夜そふけにける」※_「妻のもとへ私が行く道には川があるので、つくめを結ぼうとしている間に夜が更けてしまった」と歌っています。「つくめ」は船の楫(かじ)を舷(ふなばた)に固定する部分です。市原王の秋の雑歌です。1551_「時待ちて降りししぐれの雨止みぬ明けむ朝や山のもみたむ」※_「時が来たとて降った時雨れが止んだ。明日の朝には、山は黄葉しているだろうか」と歌っています。中臣清麻呂宅で宴会をした時に、市原王が作った歌です。4500_「梅の花香をかぐはしみ遠けども心もしのに君をしそ思ふ」※_「梅の花の香りがよいので、遠くにいても心も萎えるばかりに貴方のことを思っています」と歌っています。※_この宴会で15首の歌が詠まれていますが、市原王以外の出席者は次のようでした。中臣清麻呂、大原今城(今城王)、大伴家持、甘南備伊香(伊香王)。<備考>安貴王の妃と皇子女 |ー妃;紀女郎(紀小鹿とも、紀鹿人の娘)★12 | |ー市原王★8 | |ー妃;能登内親王(光仁天皇(白壁王)の皇女) | |ー春原五百枝 | |ー五百井女王 |ー生母不詳 |ー志賀池原 |ー志賀嶋原以上
2023.05.15
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万雑051_安貴王の妃と皇子女が作られた御歌(紀女郎・紀小鹿_2)引き続き紀女郎(紀小鹿とも)で巻8に5首の歌があります。紀女郎と大伴家持との関係が興味深いですが、万葉歌人としての繋がりがあって、家持は紀女郎の父親の紀鹿人とも親交があったと思われます。なお万葉集に紀鹿人の歌が3首あります。紀女郎が作られた歌(春の相聞)です。1452_「闇ならばうべも来まさじ梅の花咲ける月夜に出でまさじとや」※_「闇夜なら、なるほどお出でにならないのも仕方ありません。梅の花が咲いている月夜に、お出かけにならないというのでしょうか」と歌っています。紀女郎が大伴家持に贈った歌2首です。1460_「戯奴がため我が手もすまに春の野に抜ける茅花そ召して肥えませ」※_「戯奴(わけ)のために、私が手を休めず春の野で抜いた茅花ですよ。食べてお太りなさい」と歌っています。「戯奴(わけ)」は若い者の意で年下だった家持のことなのでしょう。1461_「昼は咲き夜は恋ひ寝る合歓木の花君のみ見めや戯奴さへに見よ」※_「昼は花咲き、夜は恋して眠るという合歓の花、私だけが見てよものか。お前も見なさい」と歌っています。合歓の花を手折って家持に渡した時に詠んだ歌です。紀女郎の梅の歌です。1648_「十二月には沫雪降ると知らぬかも梅の花咲く含めらずして」※_「十二月には泡のような雪が降ると知らないのか、梅の花が咲いている。蕾のままでいないで」と歌っています。紀女郎の冬の相聞です。1661_「ひさかたの月夜を清み梅の花心開けて我が思へる君」※_「(ひさかたの)月夜を清らかなので、梅の花のように心も開けて私が思う君よ」と歌っています。以上
2023.05.14
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万雑050_安貴王の妃と皇子女が作られた御歌(紀女郎・紀小鹿_1)次は春日王の皇子の安貴王の妃の紀女郎(紀小鹿とも)で、万葉集に12首(巻4に7首、巻8に5首)の歌がありますので巻4と巻8に2回に分けて観てゆきます。紀女郎は皇族に嫁いでいますが、官人で歌人の紀鹿人(万葉集に3首の歌があります)の娘で万葉歌人としても有名です。紀女郎の怨恨の歌3首で、夫の安貴王が八上采女との密通事件で失脚した後に生じた大伴家持との関係を詠んだ歌のようです。643_「世の中の女にしあらば我が渡る痛背の川を渡りかねめや」※_「世の常の女であったら、私の渡るあなせの川を渡りかねることなどありましょうか」と歌っています。644_「今は我はわびそしにける息の緒の思ひし君をゆるさく思へば」※_「今は私は辛くてたまりません。一筋に命をかけて思っていた貴方を手放すと思うと」と歌っています。645_「白たへの袖別るべき日を近み心にむせひ音のみし泣かゆ」※_「(白たへの)袖の別れが近いので、心の中でむせび悲しみ、声をあげて泣くばかりです」と歌っています。紀女郎が大伴家持に贈った歌3首です。762_「神さぶといなぶにはあらずはたやはたかくして後にさぶしけむかも」※_「もう年老いたからと、拒むのではありません。もしかして、こうして逢った後で寂しい思いをするのではないでしょうか」と歌っています。763_「玉の緒を沫緒に縒りて結べればありて後にも逢はざらめやも」※_「玉の緒を沫緒に縒り合わせて結んであるので、こうして生きていて後に逢えないことがありましょうか」と歌っています。776_「言出しは誰が言なるか小山田の苗代水の中淀にして」※_「言い出したのはどなたでしたか。小山田の苗代水のように、通いも中途から滞ってしまって」と歌っています。紀女郎が友に贈った歌です。782_「風高く辺には吹けども妹がため袖さへ濡れて刈れる玉藻そ」※_「岸には風が強く吹き付けていたが、あなたのために袖まで濡らして刈った玉藻なのですよ」と歌っています。以上
2023.05.13
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万雑049_春日王の皇子女が作られた御歌(安貴王)志貴皇子の皇子女の御歌を一通り観ましたが、志貴皇子の孫や曾孫にも万葉集に歌が残っている皇族がおられますので、その皇族についても観てゆきたいと思います。初めは春日王の子の安貴王で、万葉集に4首(巻3に1首、巻4に2首、巻8に1首)の御歌があります。元正天皇(在位;715年~724年)が伊勢の国に行幸された時(718年2月)に、同行した安貴王が作られた御歌です。306_「伊勢の海の沖つ白波花にもが包みて妹が家づとにせむ」※_「伊勢の海の沖の白波が花だったら良いのになあ。包んで妻へのみやげにしよう」と歌っています。この歌の妻は安貴王が元正天皇の采女(因幡の八上采女)と密通したため、勅命で不敬の罪に処せられ八上采女が因幡に帰された。これを悲しんで安貴王が作られた御歌です。534_「遠妻の ここにしあらねば 玉鉾の 道をた遠み 思ふそら 安けなくに 嘆くそら 苦しきものは み空行く 雲にもがも 高飛ぶ 鳥にもがも 明日行きて 妹に言問ひ 我がために 妹も事なく 妹がため 我も事なく 今も見るごと たぐひてもがも」※_「遠くにいる妻がここにいないので、(玉鉾の)道の遠さに、思う心は安らかでなく、嘆く心も苦しいので、大空を行く雲でありたいな。高く飛ぶ 鳥でありたいな。明日にでも行って妻と語らい、私のために妻も安穏で、妻のために私も無事で、今もまざまざと思い見ているように、二人寄り添っていたいものだ」と歌っています。534の反歌です。535_「しきたへの手枕まかず間置きて年そ経にける逢はなく思へば」※_「(しきたへの)手枕も巻かないで、遠く離れたまま年が過ぎてしまった。あなたに逢えないでいることを思うと」と歌っています。安貴王が作られた秋の雑歌です。1555_「秋立ちて幾日もあらねばこの寝ぬる朝明の風は手本寒しも」※_「立秋から何日も経っていないのに、起きたばかりの今朝の風は袖口に冷たく感じられます」と歌っています。<備考>志貴皇子の妃と皇子女 ★と数;万葉集に歌があるのと、その数です。 |ー妃;多紀皇女(天武天皇の皇女) | |ー春日王★1 | | |ー生母不詳 | | |ー安貴王★4 | | | |ー妃;紀小鹿・紀女郎(紀鹿人の娘)★12 | | | |ー市原王★8 | | |ー高田王 | | |ー香久王 | |ー湯原王★19 |ー妃;紀橡姫(膳皇太后) | |ー難波女王 | |ー白壁王(後の光仁天皇) | |ー皇后;井上内親王 | | |ー酒人内親王 | | |ー他戸親王 | |ー皇太夫人;高野新笠 | | |ー能登内親王 | | |ー山部親王(後の桓武天皇)★1 | | |ー早良親王 | |ー夫人;藤原産子 | |ー宮人;尾張女王(湯原王の娘) | | |ー薭田親王 | |ー宮人;県主島姫 | | |ー弥努摩内親王 | |ー女嬬;県犬養勇耳 | | |ー広根諸勝 | |ー未詳 | |ー開成皇子 |ー生母不詳 |ー榎井王★1 |ー壱志王 |ー海上女王★1 |ー衣縫女王 |ー坂合部女王以上
2023.05.12
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万雑048_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(海上女王)志貴皇子の皇子女の最後は海上女王(うなかみじょおう)で万葉集に1首(巻4)の御歌があります。531_「梓弓爪引く夜音の遠音にも君が御幸を聞かくし良しも」※_「梓弓を爪弾く夜中の弦音が遠く響いて来るように、遠くからでも大君のお出ましの御噂を聞くのは喜ばしいことです」と歌っています。「大君」は、聖武天皇で海上女王は又従兄弟に当たります。以上
2023.05.11
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万雑047_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(榎井王)湯原王が終わり、次は榎井王で万葉集に1首(巻6)の御歌(雑歌)があります。天智天皇の孫にあたる榎井王ですが無冠で政治には関与しなかったようです。1015_「玉敷きて待たましよりはたけそかに来たる今夜し楽しく思ほゆ」※_「玉を敷いて待っていてくれるよりも、いきなりやって来た今夜こそ楽しく思われる」と歌っています。以上
2023.05.10
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万雑046_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(湯原王_4)引き続き湯原王で巻8の4首の御歌(秋の雑歌)です。湯原王の七夕を詠んだ御歌2首です。1544_「彦星の思ひますらむ心より見る我苦し夜のふけ行けば」※_「彦星が今いだいておられるだろう心より、下で見ている私の方が切ない。夜が更けて行くと」と歌っています。1545_「織女の袖つぐ夕の暁は川瀬の鶴は鳴かずともよし」※_「織女が夫と袖を連ねて寝る夜の明け方ばかりは、天の川の瀬にいる鶴も鳴かないでよろしい」と歌っています。湯原王のコオロギを詠んだ御歌です。1552_「夕月夜心もしのに白露の置くこの庭にこほろぎ鳴くも」※_「夕方の月が空に懸かり、心切なくなるぼどに、白露の置くこの庭にコオロギが鳴いている」と歌っています。湯原王が娘子に贈った御歌です。1618_「玉に貫き消たず賜らむ秋萩の末わわらはに置ける白露」※_「玉として緒に通し、消さないまま頂きましょう。秋萩の枝先の葉に置いている白露を」と歌っています。以上
2023.05.09
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万雑045_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(湯原王_3)引き続き湯原王で巻6の3首の御歌(雑歌)です。湯原王の月の御歌2首です。985_「天にます月読をとこ賂はせむ今夜の長き五百夜継ぎこそ」※_「天におられる月の神よ、贈り物をしよう。今夜の長さを五百夜の長さに継ぎ足して欲しいのです」と歌っています。986_「はしきやし間近き里の君来むとおほのびにかも月の照りたる」※_「ああ、間近き里にいる君が来るだろうと、この月はのんびりと照っているのであろうか」と歌っています。湯原王のお酒の御歌です。989_「焼き大刀の稜打ち放ちますらをの寿く豊御酒に我酔ひにけり」※_「焼き鍛えた大刀の鎬(しのぎ)を打ち放って、ますらおの祝うこの美酒に私は酔ってしまった」と歌っています。つづく
2023.05.08
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万雑044_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(湯原王_2)引き続き、湯原王の巻4の8首の御歌です。ここでは、湯原王が娘子に贈った歌と、それに娘子が報贈する相聞の歌になっています。631_「うはへなきものかも人はかくばかり遠き家路を帰さく思へば」※_「愛想のない人なのですね、あなたという人は。こんなにも遠い家路をむなしく帰らせることを思うと」と歌っています。632_「目には見て手には取らえぬ月の内の桂のごとき妹をいかにせむ」※_「目には見て手には取ることが出来ない月の中の、桂のような貴方を、どうしたらいいだろうか」と歌っています。635_「草まくら旅には妻は率たれども櫛笥の内の玉こそ思ほゆれ」※_「(草まくら)旅に妻を伴っているけれども、櫛箱の中の玉のことが思われてならない」と歌っています。636_「我が衣形見に奉るしきたへの枕を離けずまきてさ寝ませ」※_「私の衣を、形見に差し上げます。(しきたへの)枕から離さず身にまとってお休みください」と歌っています。638_「ただ一夜隔てしからにあらたまの月か経ぬると心迷ひぬ」※_「たった一夜離れていただけなのに、(あらたまの)ひと月も経ってしまったかと心乱れました」と歌っています。640_「はしけやし間近き里を雲居にや恋ひつつ居らむ月も経なくに」※_「なんとまあ、すぐ近くの里なのに、雲のように遠く恋い焦がれていることだろうか。まだひと月も経っていないのに」と歌っています。642_「我妹子に恋ひて乱ればくるべきに掛けて縒らむと我が恋ひそめし」※_「あなたに恋して心の糸が切れたら、糸車に掛けて縒り合わせようと、私は恋い始めたのです」と歌っています。670_「月読の光に来ませあしひきの山き隔りて遠からなくに」※_「月の光を頼りにおいで下さい。(あしひきの)山を隔てて遠いというわけでないのですから」と歌っています。つづく
2023.05.07
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万雑043_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(湯原王_1)次は湯原王ですが、何と万葉集に御歌が19首(巻3=3首、巻4=8首、巻6=3首、巻8=5首)もあります。なので巻ごとに4回に分けて観てみましょう。まず巻3の3首から。湯原王(天武天皇の孫)は政治には関与せず、万葉後期の代表的な歌人として名が知られています。湯原王が吉野にて作られた御歌です。375_「吉野なる夏実の川の川淀に鴨そ鳴くなる山陰にして」※_「吉野の夏実川の川の淀みに、鴨が鳴いている。あの山陰で」と歌っています。湯原王が宴で作られた御歌2首です。376_「あきづ羽の袖振る妹を玉くしげ奥に思ふを見たまへ我が君」※_「トンボの羽のような薄い袖をひるがえして舞うあの人を、(玉くしげ)心の奥底から私が大切に思っているあの人を、見てください。我が君よ」と歌っています。377_「青山の嶺の白雲朝に日に常に見れどもめずらし我が君」※_「青山の嶺の白雲は毎朝毎日、いつも見ても飽きることがない。そのようにすばらしい方です、我が君よ」と歌っています。つづく
2023.05.06
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万雑042_志貴皇子の皇子女が作られた御歌(春日王)舎人親王の皇子女が終わり、次は天智天皇の第七皇子の志貴皇子の皇子女の御歌を観てみます。志貴皇子は皇位や政治には無縁の文化人として人生を送りましたが、薨去されて54年後に息子の白壁皇子が第49代_光仁天皇(在位770年~781年)に即位したことにより春日宮御宇天皇に追尊を受けています。志貴皇子の御歌は万雑021に記載済みなので、皇子女の最初は春日王で万葉集に御歌が1首(巻第四)あります。669_「あしひきの山橘の色に出でよ語らひ継ぎて逢ふこともあらむ」※_「(あしひきの)山橘の実のようにはっきり色に出しなさい。そうしたら、人々が語り伝えて逢う機会もあるでしょうから」と歌っています。<備考>志貴皇子の妃と皇子女 |ー妃;多紀皇女(天武天皇の皇女) | |ー春日王★1 | | |ー生母不詳 | | |ー安貴王★4 | | | |ー妃;紀小鹿 | | | |ー市原王★8 | | |ー高田王 | | |ー香久王 | |ー湯原王★19 |ー妃;紀橡姫(膳皇太后) | |ー難波女王 | |ー白壁王(後の光仁天皇) | |ー皇后;井上内親王 | | |ー酒人内親王 | | |ー他戸親王 | |ー皇太夫人;高野新笠 | | |ー能登内親王 | | |ー山部親王(後の桓武天皇)★1 | | |ー早良親王 | |ー夫人;藤原産子 | |ー宮人;尾張女王(湯原王娘) | | |ー薭田親王 | |ー宮人;県主島姫 | | |ー弥努摩内親王 | |ー女嬬;県犬養勇耳 | | |ー広根諸勝 | |ー未詳 | |ー開成皇子 |ー生母不詳 |ー榎井王★1 |ー壱志王 |ー海上女王★1 |ー衣縫女王 |ー坂合部女王以上
2023.05.05
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万雑041_舎人親王の皇子女が作られた御歌(厚美王)次は厚見王(舎人親王の子という説あり)で万葉集に御歌が3首(巻第に1首、巻第八に2首)あります。厚見王が作られた歌(相聞)です。668_「朝に日に色付く山の白雲の思ひ通ぐべき君にあらなくに」※_「朝ごと日ごとに色付いてゆく山にかかる白雲のように、恋しい思いが消えてしまうような貴方ではないのです」と歌っています。厚見王が作られた春の雑歌です。1435_「かはづ鳴く神奈備川に影見えて今か咲くらむ山吹の花」※_「カジカの鳴く神奈備川の水面に影を映して、今頃は咲いているだろうか、山吹の花が」と歌っています。宴席で人を誉め讃えた歌のようです。厚見王が久米女郎に贈った歌(春の相聞)です。1458_「やどにある桜の花は今もかも松風疾み地に散るらむ」※_「家の庭にある桜の花は、今頃は松風が強くて地面に散っているだろうか」と歌っています。<備考>厚見王が贈った1458の歌に応えて久米女郎が報贈した歌です。1459_「世の中も常にしあらねばやどにある桜の花の散れるころかも」※_「世の中も常ではないので、家の庭にある桜の花が散っているこの頃です」と歌っています。以上
2023.05.04
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万雑040_舎人親王の皇子女が作られた御歌(守部王)次は守部王(船王の弟)で万葉数に御歌が2首(巻第六)あります。住吉の浜を遊覧し離宮にお帰りになる道すがらに作られた御歌2首です。999_「千沼廻より雨そ降り来る四極の海人網を乾したり濡れもあへむかも」※_「千沼のあたりから雨が降って来ます。四極の海人が網を干しています。濡れてしまうのではないでしょうか」と歌っています。都に残してきた妻を思って作られた御歌です。1000_「児らしあらば二人聞かむを沖つ渚に鳴くなる鶴の暁の声」※_「妻がここにいたら二人で聞こうものを、沖の洲で鳴いている鶴の明け方の声を」と歌っています。以上
2023.05.03
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万雑039_舎人親王の皇子女が作られた御歌(三島王)次はの三島王(舎人親王の第四皇子)で万葉集に御歌が1首(巻第五)あります。松浦佐用姫の歌に、三島王が追和して作られた御歌です。883_「音に聞き目にはいまだ見ず佐用姫が領巾振りきとふ君松浦山」※_「噂には聞いて目にはまだ見たことがない。佐用姫が領巾を振ったという。君が待つという名の松浦山は」と歌っています。<記事>大伴佐堤比古が天皇の特命を受けて新羅の任那に遣わされた時、愛人の松浦佐用姫は山の頂に登り、悲しみに胸を震わせ領巾を振ったという逸話関連の歌(871~875)があります。以上
2023.05.02
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万雑038_舎人親王の皇子女が作られた御歌(船王)次は船王(ふねのおおきみ)で、万葉集に御歌が3首(巻第六に1首、巻第十九に1首、巻第二十に1首)あります。船王が作られた雑歌です。998_「眉のごと雲居に見ゆる阿波の山かけて漕ぐ舟泊り知らずも」※_「眉のように雲のかなたに見える阿波の山。そこをめざして漕ぐゆく船はどこに泊まるのだろう」と歌っています。林王の家で橘奈良麻呂の餞別の宴で、船王が作られた御歌です。4279_「能登川の後には逢はむしましくも別るといへば悲しくもあるか」※_「(能登川の)後にはお逢いしましょう。しかし暫くでもお別れするといえば、何とも悲しいことです」と歌っています。橘奈良麻呂の家での宴で、船王が作られた御歌です。4449_「なでしこが花取り持ちてうつらうつら見まくの欲しき君にもあるかも」※_「ナデシコの花を手に取り持って見るように、つくづくと見たい君でありますよ」と歌っています。<備考>4449の歌が作られた宴の二年後に「橘奈良麻呂の乱」が起き、船王は仲が良かった奈良麻呂を糾弾する立場になりました。以上
2023.05.01
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