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朝のウォーキング途中で畑の中で餌を探す「セグロセキレイ」を見掛けました。カメラを向けて撮影すると、丁度「ヨトウムシ」を捕えてところでした。「ヨトウムシ(夜盗虫)」はキャベツやハクサイを食べる害虫ですので農家にとって「セグロセキレイ」は益鳥になりますね!セグロセキレイ;ヨトウムシを嘴で捕えたところです。
2023.11.30
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万雑530_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_20)次も、引き続き大伴家持と大伴坂上大嬢との相聞歌です。大伴坂上大嬢が大伴家持に贈った歌1首です。735_「春日山霞たなびき心ぐく照れる月夜にひとりかも寝む」※_「春日山に霞がたなびいて晴れ晴れしない気持で、おぼろに照る月あかりのもとに私は一人で寝ることでしょう」と歌っています大伴家持が大伴坂上大嬢の歌735に応えた歌です。736_「月夜には門に出で立ち夕占問ひ足占をそせし行かまくを欲り」※_「月夜には戸外に立ち、夕占を聞いたり、足占をしたりしました。あなたのところへ行きたくて」と歌っています。「夕占」は、夕暮の辻に立ち、通る人の言葉をによって吉兆を判断する占いです。「足占」は、目標点までの歩数や左右いずれの足が先に着くかで、または足踏みなどをして、吉兆を判断する占いです。 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.30
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暑い日が長く続き、夏から冬になった感じで黄葉も遅れていましたが、やっと山や木々が色付いて来ました。遅れた分、落葉時期が早まりそうです。山寺の周りの木々が色付いて来ました。公園の銀杏も黄色く色づきました! やま
2023.11.29
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毎年、柿が熟すこの時期にツグミが渡って来ますが、今年は渡来数が多いようです。添付の画像のツグミたちは別々の個体です。ツグミ;スズメ目、ツグミ科、L=60cm、冬鳥
2023.11.28
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万雑529_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_19)次も、大伴家持と大伴坂上大嬢との相聞歌です。大伴家持が大伴坂上大嬢の前の歌731に応えた歌です。732_「今しはし名の惜しけくも我はなし妹によりては千度立つとも」※_「今はもう名が惜しいなどとは私は思わない。あなたゆえなら浮き名が千回立っても」と歌っています。大伴家持が大伴坂上大嬢の前の歌730に応えた歌です。733_「うつせみの世やも二行く何すとか妹に逢はずて我がひとり寝む」※_「人間のこの世は二度とあろうか。それなのにどうしてあなたに逢わずに独り寝ようか」と歌っています。大伴家持が大伴坂上大嬢の前の歌729に応えた歌です。734_「わが思ひかくてあらずは玉にもがまことも妹が手に巻かれむを」※_「私の思いがこんなであるくらいなら、いっそ玉にでもなった方がいい。そうしたら本当に、あなたの手に巻かれようものを」と歌っています。 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.27
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万雑528_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_18)次からは、大伴家持と大伴坂上大嬢との相聞歌が続きます。大伴家持が大伴坂上大嬢に贈った歌2首です。727_「忘れ草わが下紐に着けたれど醜の醜草言にしありけり」※_「忘れ草を私の下着の紐に付けたけれど、馬鹿な馬鹿草め、「忘れ草」とは名前ばかりだった」と歌っています。728_「人もなき国もあらぬか我妹子と携ひ行きてたぐひて居らむ」※_「人のいない国でも無いものかなあ。あなたと手を携えて行って、二人で一緒にいたい」と歌っています。坂上大嬢が大伴家持に贈った歌3首です。家持と逢ったことが噂になっていることが詠まれています。729_「玉ならば手にも巻かむをうつせみの世の人なれば手に巻きがたし」※_「あなたが玉だったらしっかり手に巻き付けようものを、(うつせみの)世の人なので、手に巻くこともできません」と歌っています。730_「逢はむ夜はいつもあらむを何すとかその夕逢ひて言の繁きも」※_「逢える夜はいつでもあるでしょうに、どうしてかあの夜に逢って、噂がうるさいことです」と歌っています。731_「わが名はも千名の五百名に立ちぬとも君が名立たば惜しみこそ泣け」※_「私の名前は千回五百回立っても構いませんが、あなたの名が立ったら惜しいので泣くのです」と歌っています。 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.26
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万雑527_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_17)次も、大伴家持の恋の歌ですが、前後の歌は叔母の大伴坂上郎女の歌で家持の歌とは関連がなさそうです。もしかすると坂上郎女の娘の大嬢へ贈った歌なのかもしれませんね?722_「かくばかり恋ひつつあらずは石木にも成らましものを物思はずして」※_「これほどまでに恋しく思っているくらいなら、非情の岩か木にでもなったほうがましだ。物思いすることもなくて」と歌っています。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.25
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万雑526_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_16)次も、大伴家持の伝未詳の娘子たちとの相聞歌で、家持が娘子たちへ贈った歌7首です。714_「心には思ひわたれどよしをなみ外のみにして嘆きそ我がする」※_「心では思い続けているけれど、逢う手立てがないので、離れていて私は溜息ばかりついています」と歌っています。715_「千鳥鳴く佐保の川門の清き瀬を馬打ち渡し何時か通はむ」※_「千鳥が鳴く佐保川の渡り場の清い瀬を、馬を進めて通うのはいつの日であろうか」と歌っています。 716_「夜昼といふわき知らず我が恋ふる心はけだし夢に見えきや」※_「夜と昼の区別も分からないほどに私が恋している心のほどは、もしかしてあなたの夢に現れたでしょうか」と歌っています。 717_「つれもなくあるらむ人を片思ひに我は思へば苦しくもあるか」※_「何の関心もなさそうな人を、片思いに私だけが思うので、もう苦しくてたまりません」と歌っています。 718_「思はぬに妹が笑まひを夢に見て心の内に燃えつつそ居る」※_「思いもかけずあなたの笑顔を夢に見て、心の中が燃え続けています」と歌っています。 719_「ますらをと思へる我をかくばかりみつれにみつれ片思ひをせむ」※_「ますらおと信じていた私なのに、こんなにやつれにやつれて片思いをすることだろうか」と歌っています。 720_「むらきもの心摧けてかくばかり我が恋ふらくを知らずかあるらむ」※_「(むらきもの)心も砕けて、こんなに私が恋しくいることをあなたは知らずにいるのだろうか」と歌っています。家持は、いったい何人の娘子たちに恋の歌を贈ったのでしょうねぇ!備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.24
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今日は晴れて暖かな一日になりました。川面では水鳥たちが諍いなく仲良く過ごしていました。人間は何故争うのかなぁー?画像の上部と中央;ヨシガモ画像の下部_右;オオバン、中央;ヒドリガモ♂、左;ヒドリガモ♀
2023.11.23
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万雑525_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_15)次も、大伴家持の伝未詳の娘子たちとの相聞歌で、家持が娘子たちへ贈った歌と、娘子たちの歌も載せています。大伴家持が童女に贈った歌1首;705_「はね縵今する妹を夢に見て心の内に恋ひわたるかも」※_「はね縵を今挿す年頃になった娘さんを夢に見て、心中ひそかに恋い続けています」と歌っています。童女が家持に来報した歌1首;706_「はね縵今する妹はなかりしをいづれの妹そそこば恋ひたる」※_「はね縵を今挿す年頃になった娘などいなかったのに、どの娘さんがそんなに恋しているのでしょう」と歌っています。この娘さんは正直に「自分はあなたのことを思っていなかったから、あなたの夢に現れたのは別人だろう」と返事をしました。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.23
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万雑524_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_14)次は、大伴家持の伝未詳の娘子たちとの相聞歌です。娘子たちへ贈った歌と、娘子たちの歌も載せてみます。大伴家持が娘子の門に至って作った歌1首;700_「かくしてやなほや退らむ近からぬ道の間をなづみ参来て」※_「こうしてやはり帰ることになるのか、近くもない道のりを苦労して参上して」と歌っています。河内百枝娘子が家持に贈った歌2首;701_「はつはつに人を相見ていかにあらむいづれの日にかまた外に見む」※_「ちらっとあなたを見て、いついかなる日にか、またよそながらお目にかかることができるでしょうか」と歌っています。702_「ぬばたまのその夜の月夜今日までにわれは忘れず間なくし思へば」※_「(ぬばたまの)あの夜の月を今日まで私は忘れずにいます。ずっとあなたのことを思い続けていますので」と歌っています。巫部麻蘇娘子が家持に贈った歌2首;703_「わが背子を相見しその日今日までにわが衣手は乾る時もなし」※_「あなたにお逢いしたあの日以来今日まで、わたしの衣の袖は乾く間もありません」と歌っています。704_「たく縄の長き命を欲りしくは絶えずて人を見まく欲りこそ」※_「(たく縄の)長い命を欲したのは、絶えずあなたに逢いたいと欲すればこそです」と歌っています。「たく縄の」は栲(=こうぞの古名)で作った縄が長いので「長し」にかかる枕詞です。一首で二人の娘子を翻弄する家持は凄いですね!備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.22
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万雑523_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_13)次は、家持が女官の中の一人の娘に思いをよせて作った歌2首です。691_「ももしきの大宮人は多かれど心に乗りて思ほゆる妹」※_「(ももしきの)大宮人は多いけれども、私の心にずっしり乗りかかったと思われるあなたよ」と歌っています。「ももしきの」は大宮にかかる枕詞で「百敷の」と書き「多くの石が敷かれた」の意です。「大宮人」は女官を指しています。692_「うはへなき妹にもあるかもかくばかり人の心を尽くさく思へば」※_「薄情な人ですね、あなたは。これほどまでに私の心を尽くさせ、苦しめることを思うと」と歌っています。 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.21
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万雑522_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_12)次は、家持が朋友と別れて作った歌3首です。680_「けだしくも人の中言聞かせかもここだく待てど君が来まさぬ」※_「もしかしたら他人の中傷をお聞きになったからでしょうか。こんなに待つのにあなたはおいでにならない」と歌っています。681_「なかなかに絶つとし言はばかくばかり息の緒みして我恋ひめやも」※_「いっそのこと間を絶つと言ってくれたら、こんなに命懸けで私は恋するでしょうか」と歌っています。682_「思ふらむ人にあらなくにねもころに心尽くして恋ふる我かも」※_「私を思ってくれている人ではないのに、心の底からあれこれ思い乱れて恋する私です」と歌っています。 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.20
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いつものように「ツグミ」や「シメ」の冬鳥が渡って来ました。夏から冬へと季節が秋を飛ばして移ってしまったので、渡り鳥たちはいつものように渡って来るか心配していましたが、渡って来てくれてほっとしています。ツグミ;シメ;
2023.11.19
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万雑521_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_11)ここからは巻第四に入っての最初の2首です。離別した笠郎女から大伴家持に贈ってきた歌24首(587~610)に応えて、家持が作った歌2首です。611_「今更に妹に逢はめやと思へかもここだく我が胸いぶせくあるらむ」※_「これからは貴方に逢えないと思うからでしょうか、こんなにも私の心が晴れないのは」と歌っています。612_「なかなかに黙もあらましを何すとか相見そめけむ逐げざらまくに」※_「いっそ言い出さなかったらよかった、どうして逢い始めてしまったのだろう、最後まで続かないに決まっているのに」と歌っています。家持が笠郎女と離別した後に、求愛して関係を結んだことを後悔する歌です。複雑ですねえ! 備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.18
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万雑520_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_10)引き続き、天平十六年(744年)春二月、安積皇子(聖武天皇の子)が十七歳で亡くなった時に、家持が作った歌6首の内の残りの3首(長歌と短歌2首)です。この3首は2月24日に作ったものです。478_「かけまくも あやに恐し わが大君 皇子の命 もののふの 八十伴の男を 召し集へ あどもひたまひ 朝狩に 鹿猪踏み起こし 夕狩に 鶏雉踏み立て 大御馬の 口抑へとめ 御心を 見し明らめし 活道山 木立の茂に 咲く花も 移ろひにけり 世の中は かくのみならし ますらをの 心振り起こし 剣大刀 腰に取り佩き 梓弓 靫取り負ひて 天地と いや遠長に 万代に かくしもがもと 頼めりし 皇子の御門の 五月蝿なす 騒ぐ舎人は 白たへに 衣取り着て 常なりし 笑まひ振舞 いや日異に 変はらふ見れば 悲しきろかも」※_「心に掛けて思うことも、まことに恐れ多いことである。我が大君安積皇子さまが、あまたの臣下のますらおたちを、呼び集め引き連れて、朝の狩に獣を踏み立て起こし、夕べの狩に鳥を踏み立て飛び立たせ、ご愛馬の手綱を控え、眺めては御心を晴らされた、活道山の木々の茂みの中に咲く花も散ってしまった。世の中は、かくも無常のものであるらしい。ますらおの心を奮い起こし、剣大刀を腰に取り佩き、梓弓を手に靫を背にして、天地と共に永久に、万代までもこのようであればなあと、頼みにしていた皇子の宮殿の、(五月蝿なす)活気に満ちて仕えていた舎人たちは、真っ白に喪服をまとい、いつも絶えることのなかった笑顔も振舞いも、日ごとに変わって行くのを見ると、悲しいことだ」と歌っています。反歌2首;479_「愛しきかも皇子の命のあり通ひ見しし活道の道は荒れにけり」※_「ああ悲しいことだ。安積皇子が常に通ってご覧になられた、活道の道は荒れてしまった」と歌っています。 480_「大伴の名の負ふ靫帯びて万代に頼みし心いづくか寄せむ」※_「大伴氏の、名誉ある靫を身に付けて、万代までもと頼みにしていたこの心を、今後はどこに寄せたらよいだろうか」と歌っています。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.17
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万雑159_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_9)天平十六年(744年)春二月、安積皇子(聖武天皇の子)が十七歳で亡くなった時に、家持が作った歌6首の内の3首(長歌と短歌2首)です。475_「かけまくも あやに恐し 言はまくも ゆゆしきかも わが大君 皇子の命 万代に めしたまはまし 大日本 久迩の都は うちなびく 春さりぬれば 山辺には 花咲きをりし 川瀬には 鮎子さ走り いや日異に 栄ゆる時に およづれの たはこととかも 白たへに 舎人よそひて 和束山 御輿立たして ひさかたの 天知らしぬれ こいまろび ひづち泣けども せむすべもなし」※_「言葉にかけて言うことも、まことに恐れ多い、口に出して言うことも、彈り多いことよ。我が大君、安積皇子が、万代までもお治めになるはずであった、大日本の久迩の都は、(うちなびく)春が来ると、山辺には花が咲きたわみ、川瀬には小鮎が勢いよく泳ぎ、日増しに栄えている時に、人惑わしのでたらめ言とでもいうのだろうか、白い喪服に舎人たちは身を包み、和束山に、皇子の御輿が御出発になって、(ひさかたの)天を治めに行かれたので、転び回り、涙まみれに泣くけれども、もうどうにもしようがない」と歌っています。反歌2首;476_「わが大君天知らさむと思はねばおほにそ見ける和束杣山」※_「我が皇子が、そこで天上界をお治めになるとは思いもしなかったので、気にもとめずに見ていたことよ、あの和束の杣山は」と歌っています。「杣山」は植林して木材を伐り出す山です。 477_「あしひきの山さへ光り咲く花の散りゆくごときわが大君かも」※_「(あしひきの)山までも照り映えて咲く花が、たちまち散り行くようにはかなく散って行った、我が皇子さまよ」と歌っています。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平16年(744年)2月;安積皇子(享年17歳)が死去天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.16
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ここ数年、冬になると家の近くに渡ってくる「ビンズイ」が今年も渡って来たようです。ビンズイ;スズメ目、セキレイ科、L=16cm
2023.11.15
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万雑158_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_8)妻が夏六月に亡くなって悲しみ止まず、更に家持が作った歌5首です。470_「かくのみにありけるものを妹も我も千歳もごとく頼みたりけり」※_「このようにはかないものであったのに、妻も私も、千年も命があるように頼みに思っていたよ」と歌っています。471_「家離りいます我妹を留めかね山隠しつれ心どもなし」※_「家を離れて行く妻を留めかねて、山深く隠してしまったので、今や気力もなくなった」と歌っています。。 472_「世の中し常かくのみとかつ知れど痛き心は忍びかねつも」※_「世の中とは、いつものようなものでしかないのだと、一方では分かっているが、悲痛の心は堪え切れない」と歌っています。 473_「佐保山にたなびく霞見るごとに妹を思ひ出泣かぬ日はなし」※_「佐保山にたなびく霞を見るたびに妻を思い出して、泣かない日はない」と歌っています。474_「昔こそ外にも見しか我妹子が奥つ城と今愛しき佐保山」※_「昔こそ関わりないものとして見た、しかし、我が妻の葬所として今は、ああいとしくてならぬ佐保山よ」と歌っています。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.15
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万雑157_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_7)妻が夏六月に亡くなったことを、引き続いて悲傷して作った歌(長歌1首と短歌3首)です。466_「わがやどに 花そ咲きたる そを見れど 心もゆかず はしきやし 妹がありせば 水鴨なす 二人並び居 手折りても 見せましものを うつせみの 借れる身なれば 露霜の 消ゆくがごとく あしひきの 山道をさして 入日なす 隠りにしかば そこ思ふに 胸こそ痛き 言ひも得ず 名付けも知らず 跡もなき 世の中なれば せむすべもなし」※_「我が家の庭に、なでしこの花が咲いている。それを見ても心は満たされない。いとしい妻が生きていたら、水鴨のように二人並んでいて、手折って見せもしようものを、(うつせみの)仮の身なので、露霜が消えてゆくように、(あしひきの)山路をさして、入日のように隠れてしまったので、それを思うと胸が痛い。言いようもなく、名付けようもなく、跡形もない人間の世であるから、どうにもしようがない」と歌っています。反歌3首です。467_「時はしも何時もあらむを心痛くい行く我妹かみどり子を置きて」※_「死ぬべき時はいつでもあろうに、私につらい思いをさせて、今この時に死んでいった妻よ。幼子を残して」と歌っています。名前も不明のこの妻(妾)さんは、幼子を残して若くして亡くなったのですね。 468_「出でて行く道知らませばあらかじめ妹も留めむ関も置かましを」※_「家を離れてあの世へと出て行く道がわかっていたら、前もって妻を留める関所でも置きたかったものを」と歌っています。 469_「妹が見しやどに花咲き時は経ぬ我が泣く涙いまだ干なくに」※_「妻が見た我が家の庭に、なでしこの花が咲いて、妻が亡くなってから日数は過ぎた。私の涙はまだ乾かないのに」と歌っています。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.14
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万雑156_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_6)妻が夏六月に亡くなり、月が秋七月に代わって後に、秋風を悲しみ嘆いて家持が作った歌です。465_「うつせみの世は常なしと知るものを秋風寒み偲びつるかも」※_「(うつせみの)この世は無常なものだと知ってはいるが、秋風が寒いので、亡き妻をしみじみと偲んだ」と歌っています。「うつせみの」は「人間・現世・世間」の意で「世」「世の人」にかかる枕詞です。備考;大伴家持の経歴と関連する出来事養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平11年(739年)6月;家持の妾が死去天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.13
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万雑155_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_5)妻が軒下に植えた河原ナデシコの花を、家持が見て作った歌です。464_「秋さらば見つつ偲へと妹が植えしやどのなでしこ咲きにくるかも」※_「秋が来たら見て愛でてくださいと、妻が植えた、庭前のナデシコが咲いたよ」と歌っています。備考;大伴家持の経歴養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.12
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万雑154_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_4)天平十一年(728年)夏六月、大伴家持が亡くなった妾を悲しみ傷んで作った歌です。462_「今よりは秋風寒く吹きなむをいかにかひとり長き夜を寝む」※_「今からは秋風が寒く吹くだろうが、どのようにして私は一人で、秋の長い夜を寝ようか」と歌っています。この時、家持は二十二歳でした。備考;大伴家持の経歴養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.09
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万雑153_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_3)家持の歌、次も譬喩歌です。414_「あしひきの岩根こごしみ菅の根を引かば難みと標のみそ結ふ」※_「山の岩がごつごつして、菅の根を引き抜くのが難儀なので、占有のしるしの標縄だけは張っておくのです」と歌っています。女性を「菅」に、女性と結婚することを「菅を引き抜く」に譬えて作った歌です。女性は坂上大嬢でしょうね!備考;大伴家持の経歴養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.08
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万雑152_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_2)家持の歌、次も坂上大嬢に贈った譬喩歌です。408_「なでしこがその花にもが朝な朝な手に取り持ちて恋ひぬ日なけむ」※_「なでしこの、その花であってくれないものか、あなたは。そうすれば毎朝手に取り持って愛でない日はないだろうに」と歌っています。大嬢を「なでしこ」に譬えて作った歌です。備考;大伴家持の経歴養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)以上
2023.11.07
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万雑151_大伴氏の系譜で万葉集に歌がある人(大伴家持_1)大伴坂上郎女の歌86首の後で残ったのは、万葉集の編纂者とされる大伴家持です。家持の歌は長歌45首・短歌428首の計473首が万葉集に記載されています。これらの歌をじっくりと観て行きたいと思いますが、まず経歴を確認しておきます。大伴家持の経歴;養老2年(718年)ころに生まれた天平10年(738年)内舎人としてお目見え天平12年(740年)に聖武天皇の伊勢行幸に従駕天平18年(749年)に越中守として越中国に赴任※_越中国在住中の歌が223首ある天平勝宝3年(751年)に帰京天平勝宝7年(755年)に難波で防人の検校に関わる天平宝字2年(758年)に因幡守として因幡国に赴任※_万葉集の末尾(巻20_4516)は家持が天平宝字3年に作った歌です天平宝字6年(762年)に帰京天平宝字8年(764年)に薩摩守として九州へ神護景雲元年(767年)に太宰少弐に転じて大宰府へ神護景雲4年(770年)に帰京(民部少輔)延暦4年(785年)_8月28日死去家持の作った歌の掲載巻別の歌数;巻第三;21首(長歌3首、短歌18首)巻第四;64首(長歌0首、短歌64首)巻第六;9首(長歌0首、短歌9首)巻第八;51首(長歌2首、短歌49首)巻第十六;2首(長歌0首、短歌2首)巻第十七;76首(長歌9首、短歌67首)巻第十八;69首(長歌10首、短歌59首)巻第十九;103首(長歌17首、短歌86首)巻第二十;78首(長歌4首、短歌74首)大伴家持の万葉集の最初の歌(巻第三_403)は恋文でした。403_「朝に日に見まく欲りするその玉をいかにせばかも手ゆ離れずあらむ」※_「朝も昼も見ていたい思うその玉だが、いったいどうしたら、手から離れずにあるだろうか」と歌っています。その恋の相手は、叔母の坂上郎女の娘の坂上大嬢でした。その大嬢を玉に譬えて作った歌です。<備考>_大伴氏系図_★印;万葉集に歌があります。赤色字部追記。大伴金村 |ー大伴咋 |ー大伴長徳 | |ー大伴御行★1_「済」 | | |ー妻;紀音那 | | |ー大伴三中★5_「済」 | | |ー大伴三依★4_「済」 | | |ー不明;(大伴古麻呂?) | | | |ー大伴駿河麻呂★11_「済」 | | | |ー妻;不明 | | | |ー伴氏上 | | |ー大伴兄麻呂 | |ー大伴安麻呂★1_「済」 | | |ー妻;巨勢郎女★1_「済」 | | | |ー大伴旅人★71「済」 | | | | |ー妻;丹比郎女 | | | | |ー大伴家持★473 | | | | |ー妻;(大伴坂上大嬢) | | | | |ー妻;不明 | | | | |ー大伴永主 | | | | |ー大伴書持★12_「済」 | | | | |ー大伴留女之女郎★1_「済」 | | | |ー大伴田主★1_「済」 | | | |ー大伴宿奈麻呂★2_「済」 | | | |ー妻;不詳 | | | | |ー大伴田村大嬢★9_「済」 | | | | |ー大伴胡麻呂 | | | |ー妻;(大伴坂上郎女) | | | |ー大伴坂上大嬢★11_「済」 | | | |ー大伴坂上ニ嬢 | | | | | | |ー安倍虫麻呂★5 | | | 安曇外命婦 | | | | | | |ー妻;石川郎女(石川内命婦)★6_「済」 | | |ー大伴稲公★1_「済」 | | |ー大伴坂上郎女★86_「済」 | |ー大伴古麻呂? | |ー大伴継人 |ー大伴吹負 | |ー大伴祖父麻呂 | |ー大伴古慈悲 |ー大伴馬来田 | |ー大伴道足 |ー大伴智仙娘(藤原鎌足の妻) 以上
2023.11.06
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畑横の道端でメスにオスがアプローチする「ツマグロヒョウモン」を見つけました。小さい方がオスでメスの周りを翅をバタつかせて回っていました。ツマグロヒョウモン;チョウ目、タテハチョウ科、開帳=60~70mm
2023.11.02
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今年は本当に昆虫が少なく、畑にいても滅多にお目にかかれません。今日はやっと「イボバッタ」一匹を目にすることが出来ました。イボバッタ;バッタ目、バッタ科、L=30mm
2023.11.01
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