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Dec 31, 2007
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ただいま31日の午前3時を過ぎた。というわけで、昨日30日は午後から料理をはじめて、12時間、働きづめに働いて〈おせち〉を完成。うちの爺ちゃんは、よく働くで、ほんまに。 残るは年越しの宴のための料理だけ。献立は五目寿司、向付(きょう作った甘煮)、刺身、茶碗蒸し、清汁、口取り(七種盛り)、果物。 さてさて、もう寝ますワ。
Dec 30, 2007
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さあ、いよいよ、おせち料理つくりがはじまる。これから家人が就寝したあとで、私がキッチンに登場する。できあがるまでに時間がかかり、日持ちのするものからと、さきほど丹波の黒豆を火にかけた。それから、我家のおきまりのスコッチ.エッグのための25個の卵を茹でた。昆布巻のための身欠鰊を米のとぎ汁にうるかした。頃合をみて昆布を酒浸しにする。松前漬をつくり、膾をつくり、・・・明日は甘煮をつくり、豚肉の角揚をつくり・・・と、31日まで料理がつづく。 毎年、暮れがちかづくと、「ことしは少し簡素にしようか」と言ってみるが、結局、両親たちがやってきたことをほぼそのまま受け継いでやることになる。きょうも老母が、「栗は用意してあるか」とか「黒豆はふっくら煮るのではなく、皺をよせて固めに」などと言う。「わかってる、わかってる。いつものようにやるから、そう口うるさくしないで」と、私はたしなめた。 とはいえ、むかしに比べると、臼で餅を搗くこともなくなったし、鶏を捌いて大鍋でスープをつくることもしなくなった。口取りの羊羹なども自家製だったのだから、なんだかんだと今は随分簡素化したのだ。 さて、そろそろ黒豆が煮上がるころだ。
Dec 29, 2007
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東京は夜にはいって冷たい雨が降っている。 夕方、近所に買い物に出た。食品店の棚はすっかり正月用品にいれかわっていた。我家でも大晦日の夜に弟一家がやってくるので、そろそろその準備とおせち料理を作る準備をはじめなければならない。老母が弟一家の訪問をこころまちにしている。 我家の昔からの習慣で、29日の正月飾りを避けるので、それだけは今日28日にすませてしまわなければならない。玄関、仏壇、台所、仕事部屋等々に供える重ね餅と注連飾りを買った。 料理は明日からとりかかるとして、食器類をロッカーから出す。約50点になる。寸胴鍋も2つ出す。 さあ、私は明日(もう午前0時をまわったので、今日だ)から今年最後の大忙しだ!
Dec 28, 2007
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今夜は町内の子供たちの夜回りのつきそい。ふたてに分かれて、子供たちは拍子木を打鳴らしながら、「火の用心! マッチ一本、火事のもと!」 子供たちの足は早い早い。たちまち一巡して、おしまい。 火の用心の夜回りは、思えば私は小学生以来だ。つまり50年以上昔のこと。父が会社の工作課の方におねがいして拍子木をつくってくれた。打てば「カーン」と響く、立派なものができあがった。私たちは、ときどきこっそり、「火の用心! マッチ一本、アジのもと!」といって笑いあった。 ところで、今の子供たちは、家庭内にマッチが存在するのだろうか? 調理用コンロにしろ暖房器具にしろ、マッチを使わなくて済むはずだ。父親が愛煙家だとしても、マッチは使うまい。 昨日は昭和30年40年代のことを書いたが、あの当時は喫茶店やバーなどでサービスにマッチをくれたものだ。そんなサービスも今ではもうないだろう。あのころ東京の荻窪に『邪宗門』という喫茶店があった。学生時代の私のお気に入りの店で、そこのマッチがおもしろかった。和紙のような感触の紙にトランプの札がデザインされていたのだ。そのころ私は煙草呑みだったので、唇の端に1本銜えて、そのマッチで火をつけるポーズが、自分ながら気にいっていたのである。 そうだ、東京の喫茶店グループに『ルノワール』という店があるが、ここのマッチには、先日盗難事件があったサンパウロ美術館が所蔵するルノワールの《麦束をもつ少女》が使われていた。 喫茶店やバーのサービスからマッチが消えたのは、おそらく100円ライターの普及が影響していたのではないだろうか。 今夜、「マッチ一本、火事のもと!」と声を張り上げた子供たちに、どれだけマッチの実在感があっただろう。爺ちゃんは、前を行く子供たちの背中をみながら、ふと、そんなことを思ったのだ。
Dec 26, 2007
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昭和30年代から40年代にかけて東京・新宿で活況を呈していた歌声喫茶『灯』といえば、なつかしく思い出す人は少なくないだろう。 今朝、ゴミ収集車がこないうちにと、書庫にしている物置を整理した。私の部屋や仕事部屋からあふれた本や、ダンボールに詰めた雑多な書類が、隙間もないほど積んである。5年前に大整理して、捨てるものは捨てた。しかしまだ、「エイッ!」と決断してしまえば捨てられるものがある。そう思いつつ、一つ二つのダンボールの中身をまるごとゴミ袋に移した。するとその中から、歌声喫茶『灯』の歌集16册がころがり出てきたのである。 その歌集は、私が大学生時代に『灯』に通ったときのものも混じっているが、じつは会津にいたときに、向いの若奥さんから窓越しにもらったのだった。独り暮らしの高校生だった私は、受験勉強に飽きると、歌曲や外国民謡や唱歌を大声でうたった。いま考えると、ずいぶん近所迷惑だったろうに、当時はみなのんきだったのか、親切心から放っておいてくれたのか、苦情をいわれたこともなかった。 ある日のこと、例によって大声でうたっていると、向いの奥さんが窓から顔を出して私に声をかけてきた。私の部屋は二階、奥さんは一階である。そして「よいしょ」とばかり窓框によじのぼって、私に小さな本の束をさしだした。「これ、あげます。東京の歌声喫茶の歌集です」 私は、ロミオとジュリエットのように、立場は逆だが、二階から手をのばして受け取った。 おお、ジュリエット、あなたは苦情をいうどころか、私にもっと歌えというのですか? これにはつづきがあって、私が大学に合格していよいよ会津を去ることになったとき、こんどは童劇プーポの先輩女優のEさん(このブログをときどき御覧くださっているらしい、あのEさん)から一通の手紙を頂戴した。そこには励ましの言葉とともに、新宿でいま隆盛の歌声喫茶『灯』の情報がしるされていた。 そんなわけで、大学生として東京暮らしがはじまった私は、さっそく『灯』に通うようになったのである。 さて、『灯』は1956年(昭和31年)に西武新宿駅の真ん前(歌舞伎町26番地)のビルの2,3階に開店した、ステージ付のホールふうな喫茶店である。歌唱指導をするリーダーとバンドがいて、ロシア民謡をはじめとする各国の民謡や日本の唱歌や労働歌などを、お客さん全員で合唱して楽しんだ。そもそもの初めはレストランでロシア民謡を流したところ口コミで人気がひろがり、まもなく歌声喫茶というスタイルに発展したらしい。時代はちょうど労働運動や学生運動がさかんな頃で、声たからかに歌って一体感を感じていたのであろう。新宿にはこの『灯』のほかに『カチューシャ』という歌声喫茶もあった。『灯』の歌唱リーダーのなかに、のちに〈六文銭〉というボーカル・グループを結成することになる上条恒彦氏がいた。 『灯』の歌集は1册10円だった。サイズは、W10.5cm×H7.2cm。掌におさまる。いくつかの版があって、最初のものは全6集、50数曲を収録する。次いで改訂版が出た。第1集から第8集までが最初に出て、その後、第9集と第10集が追加された。収録曲数は536曲である。 改訂版は何度か版を重ねているようで、昭和39年1月発行のものには、最終ページに、「1963年度(昭和38)ともしび・歌声ベスト20」がリスト・アップされている。以下に引用してみよう。〈1963年度 ともしび・歌声ベスト20〉1位)囚人のうた、2位)いつかある日、3位)忘れな草をあなたに、4位)母さんのうた、5位)あざみの歌、6位)さくら貝のうた、7位)シュワジペチカ、8位)青春牧場、9位)寒い朝、10位)泉のほとり、11位)星をさがそう、12位)惜別の歌、13位)青い山脈、14位)すずらん、15位)幸せを売る男、16位)かわいいあの娘、17位)ざわめけバアイカル、18位)モスクワ郊外の夕べ、19位)郵便馬車の馭者だった頃、20位)泣き濡れて 歌集は昭和40年12月にさらにスタイルを一新する。〈あとがき〉によれば、「ほんとうに、みんなに歌われている歌、又、最近出来た新曲を選んで、全部で五集にしました。」とある。288曲が国別にわけられている。 私のてもとにあったのは以上、3種の版本である。 歌声喫茶のブームは昭和40年ころをピークに、その後およそ10年のあいだに次第に衰退し、ついにカラオケの登場でほとんど消滅したようだ。聞くところによれば、近年、新宿『ともしび』が復活したというが、私は詳しいことは知らない。先日、会津のSさんからメールで、「もっか、先日おこなわれた〈新宿ともしび in 会津〉を撮影したビデオを編集しています」といってきた。「おやッ!?」と私は思ったのだが、カラオケで飽き足らなくなった昔の青年連中が、あの歌声喫茶をもう一度とばかり、ジワリと勢いを盛りかえしてきたのだろうか。私の物置小屋書庫でも、もしかしたら44,5年前の歌集たちがころがり出る、今朝このときを待ち構えていたのかもしれない。『灯歌集』『灯歌集』の新装改訂版。下段はその裏表紙。
Dec 25, 2007
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連休中は、大晦日に客を迎えるための準備をすこしづつ始め、その仕事のあいまにDVD映画などを見てすごした。しかし、それで機嫌よかったかというと、そうでもない。 以前にも書いたことがあるような気がするが、DVDの外国映画の字幕に誤植や誤字が頻出するのだ。呆れるよりも腹がたってきた。せっかくの映画が傷物にされた、そんな気持である。 DVDの字幕がどのように作製されるか詳しいことは知らないが、校正はしないのだろうか。1作品に3か所も4か所も間違いがあるものもある。日本語になっていないような場合もある。たとえば船の名前、「○○号」が「○○業」などとなっているのだから、どんな新手の商売かと思ってしまう。 このようなDVDは不良品といってもよいのだが、良品と交換できる性質の商品ではない。そこが重要なポイントであろうに、商品検査の認識が甘い。このような誤字誤植の字幕をつけて販売された本家本元の映画作家は、どのように対処しているのであろう。心血をそそいだ作品が傷物にされた、・・・私自身が、絵という作品をつくっているだけに、思いがどうしても作家の痛手に向いてしまう。 商業倫理というのは、食品の賞味期限の偽造や素材の詐称ばかりを問題にするのではあるまい。テレビの報道取材に対して、「医は算術」とうそぶいた医者もいたが、算術は加算・乗算ばかりではないのだ。減算で元も子もなくすことだってある。自らの仕事を貶めるような算段は止めにしたほうが利巧ではないか。日本社会、いたるところでダガがゆるんでいるぞ。
Dec 24, 2007
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【先着5名のお客様にプレゼントします】 〈子どもたちに夢と希望を〉をモットーにして、会津若松市で活動する〈童劇プーポ〉は、大人が子どもたちのために舞台劇を演じるアマチュア劇団です。 その活動はひろく社会的に注目され、福島県社会教育功労賞、久留島武彦翁文化賞、日本演劇教育連盟演劇教育賞、ライオンズクラブ善行賞、会津若松文化功労賞、サントリー地域文化賞等々、かずかずの栄誉を受けています。そして今年、創立50周年をむかえました。 私はかつて高校生時代にこの劇団に所属していたこともあり、このたびの50周年記念誌の表紙絵を描き、装丁をしました。記念誌は158ページ、〈童劇プーポ〉の50年間の歩みが数多くの写真とともに記されています。その記念誌をこのブログを御覧くださっているお客様にプレゼントさせていただきます。 御関心がおありでしたら先着5名様にお送りいたします。 送料は当方で負担致します。どうぞ御遠慮なくお申し出ください。このブログのメールで、御住所とお名前をお知らせ下さい。御住所とお名前は、発送完了とともに消去することをお約束いたします。(山田維史) ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ 終了いたしました。ありがとうございました。
Dec 23, 2007
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またかと云うのが私の正直な感想だった。20日朝、ブラジルのサンパウロ美術館からピカソの《婦人の肖像》とカンディード・ポルティナーリの《コーヒー園で働く農夫》が盗まれた。わずか3分間のできごとらしい。 この2点の美術品を狙った盗難未遂事件は、最近2ヶ月で2度おきていたという。それにもかかわらず、ドアには警報装置すら設置されず、20日、犯人はまんまと盗み出しに成功した。 現地の捜査官は「プロの犯行」と指摘しているようだが、プロもへったくれもあろうか。この報道に接して、美術館側のセキュリティーの杜撰さに唖然としない人はいないであろう。 じつはこの盗まれた2点の絵画は、わたしたち日本人が知らない作品ではない。もう34年前になるが、毎日新聞社と松坂屋との共同主催で『サンパウロ美術館展』が開催された。45点の名画がはじめて渡来し、そのなかに上記2点の作品もふくまれていたのであった。多くの日本人が観ているのである。 サンパウロ美術館は、ラテン・アメリカの新聞王と称されたアシス・シャトーブリアンがきわめて短期間に収集した名画コレクションを基盤に、1947年に創設された。20世紀半ば、歴史的巨匠の名画はすでに収まるところへ収まったといわれていたので、シャトーブリアン・コレクションは世界の美術界を驚嘆させた。美術館創設10年後の1957年、パリのオランジェリー美術館に100点の厳選作品が貸出されて展覧会が開かれた。そのときパリは、サンパウロ美術館に対して‘奇跡の美術館’という讃辞を呈したのだった。 私は34年前の展覧会で、ボッシュの実物をはじめて目にした。いまでもその作品が展示されていた様子が目に浮ぶ。ラファエロも観た。ベリーニも観た。レンブラントもエル・グレコも観た。 手元に布表紙のカタログがある。ちなみにどんな作品が渡来したか、以下に列挙してみよう。その45点を見るだけで、シャトーブリアン・コレクションが‘奇跡’と云われるのもむべなるかなと納得できよう。1)ジョヴァンニ・ベリーニ《聖母子》、2)ラファエロ・サンツィオ《キリストの復活》、3)ティテツィアーノ・ヴェチェリオ《クリストーフォロ・マドルッツォの肖像》、4)ティントレット《見よ、この人を》、5)ハンス・メムリンク《聖母マリア、聖ヨハネと三人の聖女》、6)ヒエロニムス・ボッシュ《聖アントニウスの誘惑》、7)フランス・ハルス《ある士官の肖像》、8)レンブラント《自画像》、9)フランス・ヤンス・ポスト《ペルナンブーコ地方の川のみえる風景》、10)クラナッハ《フォン・ラーファ家の若い男の肖像》、11)ハンス・ホルバイン《サリー伯ヘンリー・ハワードの肖像》、12)エル・グレコ《受胎告知》、13)ベラスケス《デ・オリバレス伯公爵の肖像》、14)ゴヤ《ドン・ルイス・マリア・デ・ボルボン・イ・バリャブリーガ枢機卿》、15)ターナー《カーナヴォン城の眺め》、16)コンスタブル《主教館の庭から眺めたソールズベリー大聖堂》、17)フランソワー・クルーエ《ダイアナの水浴》、18)シャルダン《独楽をまわす子供》、19)アングル《岩につながれたアンジェリカ》、20)ドラクロワ《春、花を摘むエウリュデケー》、21)コロー《クリスティーヌ・ニルソンの肖像》、22)クールベ《ゼリー・クールベの肖像》、23)マネ《画家マルスラン・デブータンの肖像》、24)ドガ《14歳の踊子》(彫刻)、25)モネ《エプト川での舟遊び》、26)ルノワール《浴女とグリフォンテリア》、27)ルノワール《麦束をもつ少女》、28)セザンヌ《赤い服のセザンヌ夫人》、29)セザンヌ《大きな松の木》、30)ゴーガン《自画像》、31)ゴッホ《中学生カミーユ・ルーラン》、32)ゴッホ《アルルの女》、33)ロートレック《フールカド氏の肖像》、34)ボナール《裸婦》、35)エドゥアール・ヴュイヤール《イヴォンヌ・プランタンとサシャ・ギトリ》、36)マティス《石膏のトルソ》、37)ピカソ《婦人の肖像》、38)モディリアーニ《レオポルド・ズボロウスキーの肖像》、39)カンディード・ポルティナーリ《コーヒー園で働く農夫》、40)エミリアーノ・ディ・カヴァルカンティ《グァラティンゲタの五人の娼婦》、41)ラサール・セガル《貧しき者の家》、42)イスマエル・ネリ《二人の女友達》、43)マナブ・マベ《予言者》、44)エリセウ・ヴィスコンティ《裸婦》、45)ウェスリー・デューク・リー《ビルジッタと諸問題》 以上をみると、39番から45番にブラジルの当時のいわゆる「現代作家」が収集されていることは注目にあたいする。彼等は勢いを示しつつあったとはいえ、古典美術のように評価が確定していたわけではない。つまりアシス・シャトーブリアンの美術に対する見識と先見性があったということである。このような見識は、投資や投機を目的に美術品収集した、日本のバブル期のコレクターにはまったく欠落していたものと言ってよい。 ところで、最初の盗難の話にもどると、私は、ふと、この「プロ」の盗賊はブラジル国内に大きな販路をもっているのではあるまいかと思ったのだ。それは、カンディード・ポルティナーリ《コーヒー園で働く農夫》を盗んだということからの推測である。この画家は、もちろん国際的な画家ではあるが、ブラジル国民にとってこそ最も重要な芸術家である。そして、ピカソは、名前だけでも世界中に知らぬ者とてない。この2人にしぼって狙いをつけていたということが、問題にならないはずはあるまい。 とにもかくにも、美術館からの盗難があまりにも多い。私には美術館側の対応がまことに不可解である。
Dec 22, 2007
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今年も残すところ10日となった。ローカル・テレビのニュースが、我家の西方にのぞむ古刹、高尾山薬王院の煤払いの様子を報じていた。 私も昼過ぎに家の外回りの掃除をした。年末のゴミ収集カレンダーをにらみながら、予定をたてておかなければならない。 伸び放題になった庭木の枝も少々苅りこんだ。どうしようかと迷ったのが白桃だ。我家に春を告げる花である。今年の春頃には2メートル程の丈であったのが、なぜかこの1年間で急に成長して、いまでは4メートルにもなった。狭い庭で大木になられては困る。これをどのように剪定すべきか。枝はすでに新芽を出している。来春は真っ白い八重の花をたくさん咲かせるにちがいない。そう思うと、切るにしのびない。へたにも切れない。二階のベランダを超えてしまっている先端の枝をながめながら、とうとう切るのをやめにした。春、花が咲くのを待つことにしよう、と。 これから数日、あれこれの掃除がつづく。
Dec 20, 2007
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寒さや暑さにつよい私は、いまだに仕事部屋を暖房にしていない。それでも今日は、ここ一番の冷えを感じた。 夕食は温かい鍋物がいいと思い、〈きりたんぽ〉にした。きりたんぽは市販のものを使用。それ以外はすべて手作りである。鶏ガラのスープを醤油味にし、鶏肉、ごぼう、舞茸、芹、大根、白菜、葱、結び糸蒟蒻、そして最後にきりたんぽを入れて、おいしい鍋の完成。 〈きりたんぽ〉はもちろん秋田の有名郷土料理である。我家は秋田にはまったく縁がないのだが、〈きりたんぽ〉は時々食卓にのぼる。食事は無国籍に!というのが私の方針。中華料理も韓国料理もフランス料理も、ロシアの料理も、イタリアやドイツやスペインやメキシコの料理も、我家風にアレンジして、365日のメニューのなかにちりばめている。いわんや日本各地の郷土料理をや。北海道の〈三平汁〉、山梨の〈ほうとう〉、沖縄の〈ゴーヤちゃんぷる〉などは、ほとんど定番メニューになっている。いま挙げた土地は、北海道以外は我家とはなんの縁りもない。 私の本棚には、日本全国、一道一都二府四十三県それぞれの郷土料理を紹介した全46巻(47巻のはずが、1巻だけ欠けている)の本がある。写真付きである。そこには土地の産物をどのようにして美味しく食べてきたかの先人の知恵がぎっしり詰まっている。私は料理は物作りの根本だと思っているので、料理人に敬意を払いつつ、また私自身、自分が食べるものは自分で調理するという方針なのだ。もちろん頑固にその方針をつらぬこうなどとは全然思わない。そんな時間が惜しいときだってある。しかし、日々の料理を面倒がり厭うようなこともない。私にとって自分の食事を自分で調理するのは極々自然な、当り前のことなのだ。そして、たぶん、それは画家として絵を描くことと直結しているにちがいない。両者に共通するものがある、と考えているのだ。 まあ、そんな理屈めいたことはどうでもいい。ふうふういいながら〈きりたんぽ〉を食べ、その美味しさに満足したのだった。
Dec 19, 2007
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午後5時を過ぎて、手紙を投函するために外に出た。暮れなずむというよりは、人影はおぼろに、はや夜の中へ足を踏み込んでいる。見上げれば寒空に半月がかかっていた。思わず、「凍れる月影 空に冴えて」と唱歌が口をついて出た。たしか「灯台守り」という歌ではなかったか。「思えよ灯台守る人の・・・」とつづく。 高浜虚子の句にこんなのがある。 大船や帆綱にからむ冬の月 虚子 ちょっと浮世絵のようなイメージの句である。 梅室という俳人の、 背高き法師にあひぬ冬の月 梅室 私の好きな句だが、これなぞは昔の白黒映画のような味わいがある。深閑として人けのない侍屋敷のナマコ壁がつづくあたり。おもいがけず擦れ違った墨染の衣。玲瓏として凍るような月明かりのなかに浮ぶ、長身白皙。・・・。 もう一句。 この木戸や鎖のさゝれて冬の月 其角 宝井其角(1661-1707)は芭蕉の弟子。いわゆる蕉門十哲の一人。赤穂浪士討ち入り前夜、大高源吾との橋の別れでも知られる。私はこの俳人の墓を訪ねたことがある。昔、その近くに住んでいたので散歩の途中で立ち寄ったのだ。世田谷区北烏山の称往寺にある。俳人らしい、物寂びた、墓とも思えないような墓である。 ところで上の句、現代人にはなかなか分かりにくい。江戸の町は、夜、刻限になると町々の要所にもうけられていた大門の大木戸が朝まで鎖された。其角の句の木戸は、おそらく吉原大門ではあるまいか。とすれば、この冬の月は、花街に居流れて一夜をすごす遊客の見る月である。
Dec 18, 2007
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昨年の日記を調べてみると、12月12日に1年間に購読した古書のリストを掲載していた。大型古書店でみつけた100円均一本に限ってのものだが、全部で87册読んでいる。100円古書の質が、決してバカにしたものでもないことを、身をもって知ったわけだ。 さて今年はどうであろう。以下に記してみよう。1)市村玖一『新潟県農業運動史 ―写真史実― 増補改訂版』(創作舎:1982)2)遠藤誠『帝銀事件裁判の謎:GHQ秘密文書は語る』3)ジョン・ラーベ『南京の真実(The Diary of John Rabe)』(エルヴィン・ヴィッケルト編;1997、講談社)4)北村稔『「南京事件」の探究 ― その実像をもとめて』(2001、文藝春秋)5)森村誠一『〈悪魔の飽食〉ノート』(1982年、晩聲社)6)加藤哲太郎『私は貝になりたい ― あるBC級戦犯の叫び』(1994、春秋社)7)外務省編『終戦史録』第1巻・第2巻(1977、北洋社)8)三谷太一郎『大正デモクラシー論』(1974年、中央公論社)9)新人物往来社編『新選組大事典』(1999、新人物往来社)10)加藤周一『私にとっての20世紀』(2000年、岩波書店)11)ギー・ド・ロスチャイルド『ロスチャイルド自伝』(1990、新潮社)12)三輪裕範『ニューヨーク・タイムズ物語 ― 紙面にみる多様性とバランス感覚』(1999年、中公新書)13)間宮芳生『現代音楽の冒険』(1990年、岩波新書)14)岩淵悦太郎『語源散策』(1974、毎日新聞社)15)土方與志『なすの夜ばなし』(影書房:1998)16)水上勉『土を喰らふ日々 ― わが精進十二ヶ月』(1978,1995、文化出版局)17)船越亮二『花木・庭木の整枝・剪定』18)小黒晃監修『ペレニアル(宿根草)ガーデン』(1998、小学館)19)杉本章子『東京新大橋雨中図』(新人物往来社:1988)20)杉本章子『残映』(文藝春秋、1996)21)南條範夫『三世沢村田之助 --小よし聞書--』22)北原亜以子『雪の夜のあと』(1997、読売新聞社)23)平岩弓枝『王子稲荷の女 ― はやぶさ新八御用帳』(1998、講談社)24)平岩弓枝『幽霊屋敷の女 ― はやぶさ新八御用帳』(1999、講談社)25)杉本苑子『永代橋崩落』(1988、中央公論社)26)飯嶋和一『始祖鳥記』(2000、小学館)27)常盤新平『ニューヨーク知ったかぶり』(1989、ダイヤモンド社)28)宮本美智子『女と男のニューヨーク』(1986、中央公論社)29)有吉玉青『ニューヨーク空間』(1993、新潮社)30)淀川長治『映画物語』(1996、KKベストセラーズ)31)木下恵介『戦場の固き約束』(1987、主婦の友社)32)アゴタ・クリストフ戯曲集『怪物』(1994、早川書房)33)小柳伸一『蛇になる女』(1997、近代文芸社)34)ローレンス・グローベル『カポーティとの対話』(1988、文藝春秋)35)半藤一利『漱石先生ぞな、もし』(1992、文藝春秋)36)永倉新八著・木村幸比古編『新選組戦場日記』(1998、PHP研究所)37)ジョージ・ブレイトマン編『マルコムX・スピークス』1993、第三書館)38)マックス・I・ディモント『ユダヤ人 ― 神と歴史のはざまで』(1984、朝日新聞社)39)ディック・フランシス、菊池光訳『女王陛下の騎手』(晶文社:1981)40)半田正夫『著作権法概説』(1990年、一粒社)41)金子量重『アジアやきものの旅』(1979年、新潮社)42)三杉隆敏『海のシルク・ロード 中国染付を求めて』(1984年、新潮選書)43)加藤薫『メキシコ美術紀行』(1984年、新潮選書)44)大久保洋子『江戸のファーストフード』(1998、講談社選書メチエ)45)大木吉甫『フランス美食物語』(2000、調理栄養教育公社)46)清水晶子『ロンドンの小さな博物館』(2003、集英社新書)47)奥本大三郎『東京美術骨董繁盛記』(2005、中公新書)48)G.S.ホーキンス、竹内均訳『ストーンヘンジの謎は解かれた』(1983年、新潮選書)49)金谷治訳注『孫子』(1991年、ワイド版岩波文庫)50)Shakespeare『King Lear』(1968, Cambridge University Press)51)Shakespeare『A Midsummer-Night's Dream』(1968, Cambridge University Press)52)Thornton Wilder『Our Town: The Skin of Our Teeth: The Matchmaker』(PENGUIN MODERN CLASSICS)53)Dick Francis『The Edge』(FAWCETT CREST: NEW YORK)54)Dick Francis『Smoke Screen』(PAN BOOKS)55)Dick Francis『Flying Finish』(PAN BOOKS)56)Dick Francis『Shattered』(PAN BOOKS)57)ノヴァーリス『日記・花粉』(1970、現代思潮社)58)立原正秋随筆集『雪中花』(1996年、メディア総合研究所刊)59)吉行淳之介・山口瞳対談『老イテマスマス耄碌』(1993年、新潮社刊)60)村上世彰・小川典文『日本映画産業最前線』(1999年、角川書店刊)61)黒屋・冨田編『英語科学論文用語辞典』(1986、朝倉書店)62)桃沢・堀内・山村・長谷川編『和英中辞典』(旺文社) 昨年より25册少ない。 じつは、まだ購入するまでに至っていないが、あと29册が加わるかもしれない。愛知教育大学図書館が除籍本を処分することになり、同大学のO教授のお世話で、その抽選に応募したのである。多数の応募があり、希望図書が入手できるかどうかは予断を許さないようだ。結果はまだ分からない。 その29册、もし入手できたとしても、ムーディ勝山のように右から左へ読みこなせるような代物ではない。私が生きているあいだに読破できるとも思えない。しかし私はその本を身近に置いておきたいのである。いまはただ、抽選結果をまちながら、期待せずに期待するという、ヘンテコな気持でいる。
Dec 17, 2007
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昨日刊行をおしらせした『現代の絵画』(既刊VOL.1~12、朝日アーティスト出版)を所蔵している図書館・美術館は約185箇所、美術系の学校は20箇所あります。御参考までに以下にそれを記しておきます。【図書館】●北海道立図書館●札幌市立中央図書館●旭川市立図書館●函館市立図書館●小樽市立小樽図書館●青森県立図書館●岩手県立図書館●宮城県図書館●石巻市立図書館●秋田県立図書館●山形県立図書館●福島県立図書館●いわき市立中央図書館●茨城県立図書館●栃木県立図書館●群馬県立図書館●埼玉県立浦和図書館●さいたま市北浦和図書館●千葉県立中央図書館●東京都立日比谷図書館●東京都立中央図書館●国立国会図書館●東京都世田谷区中央図書館●東京都杉並区中央図書館●東京都新宿区立中央図書館●東京都杉並区阿佐ヶ谷北図書館●東京都大田区立太田図書館●東京都練馬区光が丘図書館●東京都豊島区立中央図書館●東京都目黒区立守屋図書館●町田市立中央図書館●八王子市中央図書館●府中市立中央図書館●神奈川県立図書館●横浜市旭図書館●横浜市港北図書館●川崎市立川崎図書館●鎌倉市立中央図書館●茨城県土浦市立図書館●新潟県立図書館●富山県立図書館●石川県立図書館●福井県立図書館●長野県立図書館●山梨県立図書館●岐阜県立図書館●静岡県立中央図書館●三島市立図書館●熱海市立図書館●愛知県図書館●名古屋市立北図書館●名古屋市立東図書館●名古屋市立名東図書館●名古屋市立守山図書館●名古屋市千種図書館●豊橋市中央図書館●豊田市図書館●蒲郡市立図書館●三重県立図書館●滋賀県立図書館●京都府立図書館●京都市中央図書館●京都市東山図書館●大阪府立中央図書館●大阪市立中央図書館●大阪市平野図書館●大阪府堺市立中央図書館●兵庫県立図書館●宝塚市立中央図書館●奈良県立奈良図書館●和歌山県立図書館●鳥取県立市民図書館●岡山市立中央図書館●広島県立図書館●山口県下関市立図書館●島根立図書館●徳島県立図書館●香川県立図書館●愛媛県立図書館●高知県立図書館●今治市立図書館●丸亀市立図書館●福岡県立図書館●福岡市総合図書館●北九州市立中央図書館●佐賀県立図書館●長崎県立長崎図書館●熊本県立図書館●大分県立図書館●宮崎県立図書館●鹿児島県立図書館●沖縄県立図書館【美術館】●北海道立近代美術館●札幌芸術の森美術館●道立旭川美術館●道立帯広美術館●道立函館美術館●八戸市美術館●岩手県立美術館●宮城県美術館●秋田県立近代美術館●山形美術館●いわき市立美術館●郡山市立美術館●福島県立美術館●茨城県立近代美術館●茨城県つくば美術館●笠間日動美術館●栃木県立美術館●水戸芸術館●足利市立美術館●群馬県立近代美術館●神奈川県立近代美術館●埼玉県立近代美術館●千葉県立美術館●国立西洋美術館●板橋区立美術館●美術館●渋谷区立松濤美術館●練摩区立美術館●世田谷美術館●目黒区美術館●東京都美術館●東京芸術大学大学美術館●上野の森美術館●東京国立近代美術館●原美術館●東京都現代美術館●損保ジャパン東郷青児美術館●渋谷BunKamuraザ・ミュージアム●東京セントラル美術館●町田市立国際版画美術館●横浜美術館●そごう美術館●山梨県立美術館●新潟県立近代美術館●静岡県立美術館●岐阜県美術館●長野県信濃美術館●池田20世紀美術館●諏訪市美術館●愛知県美術館●名都美術館●箱根・成川美術館●富山県立近代美術館●石川県立美術館●福井県立美術館●京都市美術館●京都国立近代美術館●大阪市立美術館●大阪府立現代美術センター●国立国際美術館●芦屋市立美術館●伊丹市立美術館●姫路市立美術館●兵庫県立美術館●奈良県立美術館●三重県立美術館●滋賀県立近代美術館●和歌山県立近代美術館●鳥取県米子市美術館●鳥取県立美術館●大原美術館●岡山県立美術館●倉敷市立美術館●下関市立美術館●山口県立美術館●徳島県立近代美術館●香川県高松市美術館●愛媛県美術館●高知県立美術館●北九州市立美術館●佐賀県立美術館●長崎県立美術館●熊本県立美術館●大分県立芸術会館●別府市美術館●宮崎県立美術館●宮崎県都城市立美術館●籠島市立美術館●沖縄県浦添市美術館【美術大学】●東京芸術●武蔵野美術大学●多摩美術大学●女子美術大学●東京造形大学●愛知県立芸術大学●名古屋芸術大学●大阪芸術大学●京都市立芸術大学●京都造形芸術大学●奈良芸術短期大学●大分県立芸術文化短期大学●沖縄県立芸術大学【美術学校】●文化学院●創形美術学校●阿佐ヶ谷美術専門学校●お茶の水美術専門学校●中央美術学園●東洋美術学校●中の島美術学院
Dec 16, 2007
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現在活躍中の画家の近作を収録した『現代の絵画VOL.13』(朝日アーティスト出版)が年末に刊行される。日本画家36名、洋画家88名、抽象・コンテンポラリー作家33名。私の作品は洋画の部にはいっている。ちかいうちに書影を掲載できるであろう。 今年は他にも1册、集合画集が刊行される予定だったが、発行元が企画の立て直しをさせてほしいと言ってきた。画集というのは高価なものなので、より良い本をつくるためには刊行が繰り延べされてもしかたがない。 『現代の絵画』は、人気作家の最もあたらしい作品を掲載するということで毎年刊行されている。今回が13巻目になる。私の作品が登場したのは第8巻目から。この画集は全国の中央図書館や美術館附属図書館、あるいは美術系の大学図書館に所蔵されているはずである。御縁があって皆様のお目にふれると大変嬉しい。
Dec 15, 2007
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ヒェ~~~!!! 朝から我家の電話が鳴りっぱなし。間違い電話、間違い電話、間違い電話!!! これは一体なにごとだ!! 昼過ぎになってようやく原因が判明。ある広告に印刷ミスで我家の電話番号が刷り込まれていたのだ。コンピューター入力時のタイプ・ミスである。広告元が謝罪してきて一件落着なったが、土曜日のゆったりするはずの午前中がパニック状態。まったくもって、ヒェ~~~!!!である。みなさん、こんな経験はおありかな? おや? また電話が鳴りはじめた。広告元が謝罪しても、ばらまかれた広告の効果が抑えこまれたわけではない。どうしてくれるんだーーー!!!
Dec 15, 2007
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色づいた葉を長いあいだ散らしつづけていた柿の木が、昨日、とうとう裸木になった。てっぺんに四つ五つ付いていた熟れすぎた実が、いつのまにか一つもなくなっている。落ちた様子もないので、鳥達が啄んだのだろう。数日来、早朝、さわがしい鳴き声がしていた。それが熟柿を啄む声だったのかもしれない。 遠山に日の當りたる枯野かな 虚子 午後、散歩に出た。雨を含んだような灰色の空気が一層冬寒な感じだ。寒さがさほど堪えぬ私だが、防寒ジャケットの襟をたてて、ブルブルとからだを震わせてみる。芝居をしているような感じで、笑ってしまった。出がけに、家人と「雪が霏霏(ひひ)と降る」というその「霏霏」という言葉があらわすイメージについて話したところだった。一昨日、BS2で岡本喜八監督、三船敏郎主演の映画『侍』を観た。桜田門外の変を題材にしてい、その最後のシーン、水戸浪士が井伊直弼を襲撃する万延元年(1860)3月3日、時ならぬ雪が降っている。その雪が映画的に素晴らしかったのだ。まさに「霏霏」として降っていた。いつか映画の中の雪について書いてみたいと思いながら観ていた。その話を家人としたわけである。 手ごろな和英辞典がほしかったので古書店に立ち寄った。新品同様のものが500円程度で買える。いろいろ比較して、旺文社の『和英中辞典』を買った。同義語を別枠で一まとめにしているのがおもしろい。また、日本文化について、たとえば「足袋」をどのように説明するかというような文例を載せているのもおもしろい。山田維史 《冬の向日葵》 CG
Dec 13, 2007
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昼食にしようとしているところへ会津若松の童劇プーポから贈物がとどいた。先月11日に行われた創立50周年祝賀会の様子を収めた3枚組176分のDVDと、280枚の写真を収録した2枚組CD、そして大きな新聞記事の切り抜きである。清水和彦先生のお手紙が添えられていた。プーポのみなさん、ありがとうございます。 先生の御手紙に、ひとつ悲しいことが書かれていた。タロちゃんが73歳で先日亡くなられたと。11日に会津に行った時に、タロちゃんの様子を先生にうかがっていた。20年もの長い闘病生活とのことだった。それなので、突然の訃報というわけでもなかったのだが、あのとき会いに行けばよかったか、という思いがする。 とにかくユニークな人だった。飄逸(ひょういつ)という言葉がぴったり。落語のような話がいっぱいある。何時間もじっと釣り糸を垂らしていたところが、ただの雨の水たまりだったとか・・・ 私が高校演劇の演出をしたとき、舞台美術も手掛けた。炭坑の坑道のセットをつくったのだが、地下水がしたたる効果音が入るので、岩肌に水のきらめきがほしかった。タロちゃんに相談したところ、泥絵具で描いた岩肌の上に、薄いビニールの小片を貼付けたらどうかと、アイデアを出してくれた。これがグッド・アイデアだった。アンダーな照明のなかで、岩肌がじっとり濡れて見えた。 私がプーポに在籍中もしょっちゅう会っていたわけではないのに、数少ないシーンがひとつひとつ明瞭に記憶されている。その声さえも。 タロちゃんの御冥福を祈る。
Dec 10, 2007
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きのう買った吉行淳之介と山口瞳の対談集『老イテマスマス耄碌』は、肩の凝らない雑談、すぐに読みはじめてたちまち読了した。 この対談は1990年から93年にかけて都合5回おこなわれたものだが、90年当時、吉行氏は65歳、山口氏は63歳である。私が現在62歳なので、御両人が語る老人ぶりは如何にも身に覚えありと共感したいところだ。が、事、肉体的な繰り言は、話八割、いや七割の事実としても、はっきり言って、どうも我身にはとんと覚えがないことばかり。この老人話に面くらっている。 我身を振り返ると、頭髪は禿げてはいないが、さすがにここ2,3年のあいだに白髪がまじりだした。鼻のわきから口許に溝があらわれはじめ、頬の筋肉もゆるみはじめた。・・・そういう寄る年波はまぎれもなく現われて、隠せはしない。 しかし、まず、私はまったく病気になったことがない。足許がおぼつかないどころか、10日に1度、自転車でアップ・ダウンのある道を36キロほど2時間くらいかけて走る。下肢の筋肉は堅く隆起している。我家は山の上にあるので、徒歩で登り降りするとなると、はじめての人はかなりヘバッテしまうにちがいない。私の心臓はびくともしない。 吉行淳之介の座談となれば当然、色欲の話が出ないはずがない。それについても、私は、御両人に対して、まあ御愁傷さまと申し上げる。私はその件に関して、年を意識したことがないのだ。 谷崎潤一郎の晩年の作品、ことに『瘋癲老人日記』はさまざまな処方薬などがカタカナで頻発する。そこに冷たいマゾヒスチックなスタイルが生まれ、文学的にとてもおもしろいものになっている。老人のモダニズムでもある。 私は、そんな文学的なことではないが、自分の老いの状況を克明に、淡々と記述してゆきたいものだと思いはじめている。人生は一度きり、自分に起ることは何事も、実験動物を観察するように見つめてゆきたいのだ。問題は、そのエネルギーだ。枯渇しないようにしなければ・・・。 さて、どうしたらよかろう。
Dec 9, 2007
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せっかくの週末だというのに、今日はなんだか調子が出ない。体調が優れないと言うのではなく、いつものような沸き上がる活力がない。めずらしいことだ。 買い物ついでに例のごとく近所の大型古書店に立ち寄った。しかし書棚を丁寧に見てゆく気持になれない。それでも3册抜き出して購入した。 ●立原正秋随筆集『雪中花』(1996年、メディア総合研究所刊) 立原正秋は1980年に亡くなっている。この随筆集は生前刊行されたものを発行元をかえて再刊。奥付を見ると、刊行後1週間で第2刷が出ている。ことほど左様に、立原正秋のエセーには定評がある。私は学生時代に文芸雑誌に発表される小説を読む程度で、立原文学の良き読者ではないのだが、エセーは読む。 あまり知らずに言うのも気が引けるけれど、この人の内部には暴力性というか荒魂(あらみたま)が存在するようだ。しかし、それを包む手弱女(たおやめ)ぶりがある。和魂(にぎみたま)である。剣を使うらしいが、それを治める心があるのであろう。 私はかつて某氏邸に招かれて著名な剣道家に会ったとき、その人が「道を歩いていると、ちょいちょい因縁をつけられるのです」と言ったので、さもあらんと思ったものだ。つまり、いつでも心身に殺気を帯びているのだ。この人は無手勝流ということを知るまい、と。自分で言うのも馬鹿げているが、私のように、どんな人にも開けっ広げの心をもてないのだろう。この人は私をその剣で一刀両断に殺すことができても、ついに私の精神を曲げることはできまい、と。 立原正秋もまた、たしか吉行淳之介との座談で、「因縁をつけられる」と言っていた。やはり彼に殺気が立つのであろう。立原正秋がどのような剣を使うひとか知らないが、その殺気を心身から消すことが、彼の剣であり、文学であったかもしれない。三島由紀夫が死んだときに書いたエセーを読むと、おのずと知れることはある。 ●吉行淳之介・山口瞳対談『老イテマスマス耄碌』(1993年、新潮社刊) いま述べたばかりの座談の名手の1册。吉行淳之介には〈恐怖対談〉シリーズがあって、私はこの座談集のファンである。立原正秋の小説はほとんど読んでいないが、吉行淳之介のほうはかなり読んでいる。短篇小説は、初期の『薔薇販売人』のようなものから、たぶん全部読んでいるはずだ。「鞄の中身」や「菓子祭」、あるいは「食卓の光景」など、好きなものがたくさんある。 さて、きょうの1册は、そんな私が読み落していたもの。帯のコピーがおもしろい。そのまま引用させていただこう。 〈老後がマスマス楽シクナル本 近ごろ隠居願望いちじるしい山口瞳翁と、もっか四種の宿痾を抱えて疲労困憊の吉行淳之介旦那が交す、世にも不思議な「コンニャク問答」五篇。 青年諸君よ読み給え! 君は人生の「前途洋々タル」を知るだろう。壮年諸兄も読み給え! 兄等は「未ダ人生ノ域ニ至ラザル」ことを悟るだろう。そして熟年に一歩足を踏み入れた諸氏、「熟年老イ易ク、カク成リ難キ」ことに気付かれよう・・・。〉 ●村上世彰・小川典文『日本映画産業最前線』(1999年、角川書店刊) 日本の映画ビジネスについての多方面からのデータとその分析。 以上。 あまり元気がないときは、おいしい本を読み、おいしい御飯を食べるにかぎる。夕食は、鮨にしよう。
Dec 8, 2007
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ここ三晩つづけてNHK・BS2でイングマール・ベルイマンの映画を観ている。『夏の夜は三たびほほえむ』『野いちご』『処女の泉』とやって、今晩は『叫びとささやき』が放映される。 私は老人を描いた映画が好きで、たとえばリンゼイ・アンダーソン監督の『八月の鯨』(1987)などは、リリアン・ギッシュ(撮影当時91歳)やベティ・デイヴィス(同79歳)というお気に入り女優が主演ということもあり、忘れられない一作となっている。この嗜好は、自分が老年になったからというわけでは決してなく、若い時から興味深く観てきた。 率直に言って、実際に老人とつきあうとなったら厄介なものである。さまざまなモノが蓄積されているから、そこまで生きてきたという自負心もあって、頑固だし、人の言うことにはさほど感心を示さない。もう充分だという気持があるかもしれない。それが自己愛ともエゴイスムともなる。同時に、じつはまったく逆な面も持ち合わせている。つまり、若者より人間に対する洞察力がすぐれ、いわば酸いも甘いも噛み分けている。率直に表現されなくとも、優しさや涙脆い一面もある。 生命の枯渇を感じてい、ときどき死のささやきを耳にしている。それだけにまた、その自然の摂理に抗うかのように、自分はまだまだ若いのだという思いが鬱勃とする。そのためしばしば年寄りの冷や水と云われるようなことをしでかす。気は若くても肉体は老いているということを忘れたかのように。ギクシャクと操り人形のような姿を、悲しいかな自分では気が付かない。老人には悲哀と滑稽が同居しているのだ。 すぐれた老人映画は、そうしたことをあますとこなく映し出す。私にはそれが面白い。そして、老人を撮ることは、映画作家としての力量がためされることでもある、と私は思っている。それは俳優についても言えることだ。そこに居るだけで、人間存在の悲哀や滑稽を表現するというのは、俳優の人間としての厚みや幅がなくてはどうしようもないであろう。メイキャップで皺を描いてみたところでどうなるものでもない。老人を撮るとき、カメラは最も残酷な道具になる。 さて、長い前置をしたが、『野いちご』はまことに優れた老人映画である。そして、その老人の内面を映像化した、映画というメディアでなければ出来ないような語り口に注目しなければならない。しかも、私はその語法が、老人の生理そのもののアレゴリー(寓意)となっているように思う。老人はしばしば夢と現実、空想と現実、過去と現在とを混同するものだ。そうしたことがそのままこの映画の語法になっている。それでいて映画はいささかの混乱もない。小説でも絵画でも舞台劇でも絶対にできない、映画だけの語法がここにはある。 というわけで、その語法について記述するためには、ストーリーを述べなければならない。 一人称で語られるストーリーは単純だ。 医者として、また高度な医療器具の開発者として、功なり名を遂げた76歳の〈私〉イサーク・ボルグは、まさにその人生の締めくくりのように、今日、名誉博士の称号の授与式に臨むことになっていた。 〈私〉はその朝、目覚めの直前に奇妙な夢を見る。人っこ一人いない街の石畳の鋪道を歩いていた。街頭の大時計に針がないので、自分の懐中時計を出してみると、それにも針がない。白昼の強い光と黒く深い陰。〈私〉は後戻りするが、ふと振向くと、遠くに黒い外套を着て黒い中折帽をかぶった男が後ろ向きに立っている。その男に近づき、彼の顔を覗くと、それは奇妙な干涸らびた顔で、一瞬にしてガラガラと路上に崩れ落ちた。角を曲って霊柩馬車がやってくる。馭者がいない。馬車は鋪道の石柱にひっかかり、馬はあばれだし柩を路上に落して駆け去る。〈私〉は柩を覗き込んだ。すると柩から腕がのびる。そして、〈私〉の腕をつかんで引っぱった。その途端、柩の蓋が開き、遺体の顔が見えた。〈私〉自身の顔だった。 ・・・こうして朝を迎えたイサークは、式典が開催されるルンドへ向けて自動車の旅に出る。 ところでこの夢のシーンを見て、私は昔気がつかなかった別の映画のシーンとの親近性を感じた。それはアンチ・ロマンの旗手と称されたアラン・ロブ=グリエの『去年マリエンバードで』である。私はこの映画を大学生の頃に観て、それ以後一度も観ていないので詳しい比較はできないけれども、映像が感覚的にとても似ているのだ。『去年マリエンバードで』は登場人物に影がない映像で有名になった。その白々した光が一様にあふれる無人の庭園の光景を、『野いちご』の冒頭の夢のシーンを見ていて思い出した。断言することはできないが、『去年マリエンバードで』は、『野いちご』の冒頭の夢のシーンから影響を受けているのではあるまいか。 ・・・〈私〉は、なにか不快な気分をかかえながら、車のハンドルを握った。息子エヴァルドの妻マリアンヌが同乗した。息子夫婦の間はうまくいっていないらしいが、〈私〉には関わりがないことだ。〈私〉の妻カリンは遠の昔に亡くなった。96歳の老いた母が生きているが、かつて彼女は妻を憎み、他人にも自分にも厳しく、親族は誰も寄り付かない。〈私〉も母に似ているのか。人は〈私〉を冷たいエゴイストと言う。医学への50年にわたる献身の果てに、自分の人生を惨めなものと思い知らねばならないのか・・・。 ふと思いたって〈私〉は、青年時代を過した屋敷に立ち寄ってみることにした。庭の草むらの野いちごが、たちまち若かった時代をよみがえらせる。 以下の回想シーンは興味深い映像技法をもちいている。イサークは野いちごの草むらに横たわり、まるで覗き見するように(あるいは、まるで幽霊のように)過去の光景を見つめるのである。 ・・・〈私〉の婚約者サーラが野いちごを摘んでいる。若く可憐なサーラ。そこへ〈私〉の弟がやってきて、大胆にもサーラに挑みかかった。〈私〉は弟に婚約者を奪われてしまったのだ。今、老いた〈私〉の目の前に繰り広げられる光景を見つめながら、〈私〉の心はいまだに傷ついたままだ。 ここで男二人に女一人という無銭旅行の若者を同乗させた。彼等は友人同士なのだが、一人の男と女とは婚約していて、もう一人の男はお目付役なのだという。天衣無縫な若者を見ながら、〈私〉はいまさらながら自分の青春を無為に過したと悔んだ。 と、すれ違う車に危うく衝突しそうになってハンドルを切る。が、相手の車は転覆してしまった。乗っていた夫婦を同乗させる。この二人はあたりはばからず口論し、互を罵りあい、軽蔑し、叩きあうしまつ。まったく惨めな夫婦だった。嫁のマリアンヌは、思いあまって、「若いひとたちに悪影響だから」と夫婦を下車させてしまう。 〈私〉は回り道をして老母を訪ねた。頑な母には、死さえも寄り付かないかのようだ。 再び車中。マリアンヌに運転をまかせて〈私〉はまどろむ。・・・暗い森のなかで、〈私〉は、妻カリンが愛人と密会しているのを見る。昔のままに再現される光景。そうだ、〈私〉は、昔、その光景をたしかに目撃した。そして妻の告白。・・・それ以来、〈私〉は生きた屍となっていたのだ。いま、この年になって、それに気がつく。 〈私〉は、いままで自分には関わりないと聞くことを拒否してきたマリアンヌの話に耳を傾ける。息子エヴァルトも死をのぞんでいるのだということを。愛のない両親のもとで育った息子には、生命を連続させる意志に欠けるのかもしれない。 車はルンドに到着した。 荘重華麗な式典がおこなわれた。無銭旅行の若者たちは〈私〉を祝福して去ってゆく。すばらしい若者たち。 エヴァルトの家でくつろぐ〈私〉の心は、いつになく温かい感情につつまれている。ベッドに横たわると、〈私〉はまたしても夢の世界に入ってゆく・・・野いちごの森からサーラが現れ、〈私〉を入江に連れてゆく。父が釣り糸をたれている。そのそばで母が本をひらいている・・・ ・・・このようにストーリーを述べるだけで、この映画の語法がいかなるものか、いかに優れているかが分かる。 イングマール・ベルイマンの映像について、これまでどのように理解されてきたのであろう。 たとえば、淀川長治氏は『映画千夜一夜』で次のように言っている。語っている相手は蓮見重彦氏と山田宏一氏である。 山田「(略)そんな霊感のような感覚を最もうまくイメージに表現した映画作家で、いまふっと思い浮かべたのはイングマール・ベルイマンですね。(略)『ファニーとアレクサンデル』でも、子供が部屋のなかでフッと見ると、死神が片隅の家具と植木のあいだをスーッと横切ったりするとか。」 淀川「何かありますね、あの人の感覚には。『野いちご』なんかでは、夢のなかで、時計の針がないとかね。あれ、何でしょうね、やっぱりデンマークとかスウェーデンとか、北欧の感覚でしょうかしら。」 蓮見「それはあるかもしれませんね。」 先に述べたように、『野いちご』は、夢と現実、空想と現実、過去と現在とが、何の切れ目もなく、時空間を同一にして映像化されている。私は、これはまさに老人の生理そのものと理解する。すくなくとも『野いちご』は、感覚的であると同時にきわめて知的な計算がいきとどいている。そして、一人称にもかかわらず、その語り手を客観化する巧妙な仕掛けとなっている。一人称形式というのは概して身勝手で我が儘な妄想になりがちだ。たとえば、夢の話が他人を飽き飽きさせることを思えばお分かりになろう。語っている本人は自らの潜在意識と葛藤しているので口角泡をとばして話すのだが、第三者には馬鹿らしくてほとんど興味がもてないものである。『野いちご』の映画語法は、そうした一人称のおちいりやすい退屈さから、完全に抜け出ている。〈私〉が〈私〉自身の過去に出会おうと、幽霊のようにたたずんで覗き見ようと、・・・それをドペルゲンガーと言おうと幻視と言おうと、そこに観客を証人に仕立てた客観性が成立してしまうのだ。映像だから成立するのだ。絵画では成立しない。文学でも成立しないのである。 なんと上手い方法を思いついたものだ!、と私はひとしきり感嘆した。 ついでに述べると、〈私〉イサーク・ボルグ医師を演じているのはヴィクトール・シェーストレームで、この人はサイレント時代の映画作家。ラーゲルレーフの『死神の御者』を原作とする『霊魂の不滅』(1921)を撮っている。私は見ていないのだが、この映画、死神が馬車で迎えにくるシーンがあるのだそうだ。『野いちご』冒頭の〈私〉の夢のなかの、御者のいない霊柩馬車のイメージは、おそらく〈私〉を演じるヴィクトール・シェーストレームへのベルイマン監督のオマージュでもあろう。
Dec 6, 2007
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5日、夜11時のイメージ。 山田維史 《手の中の手 6》 CGコラージュ
Dec 5, 2007
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12月5日、朝一番のイメージ。山田維史 《手の中の手 5》 CGコラージュ
Dec 5, 2007
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先日来、自分の手をモデルにして掌のイメージをさぐっている。とりあえずCGでメモをとっている。その4作目。 山田維史 《手の中の手 4》 CGコラージュ ただいま午前0時をまわった。昨夜からNHK・BS2でイングマール・ベルイマン監督の映画を放映している。きのうは、晩年の作品『サラバンド』のメーキング・ドキュメンタリー『ベルイマンの監督術(原題:Behind Saraband)』と『夏の夜は三たびほほえむ』(1955)を観た。今日はこれから『野いちご』(1957)が放映される。ベルイマンは私の好きな映画作家だが、ヴィデオもDVDも所持していない。これから観ることにします。12時45分からです。一緒にいかがです?
Dec 4, 2007
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日台野球は、今日このゲームに勝てば日本チームは7大会連続のオリンピック出場が決まるとあって、長い試合だったがついつい全試合をテレビ観戦してしまった。日本チームが勝利したから言うわけじゃないが、イヤー面白い試合だった。 日本先攻で始まったゲームは、日本が1回に1点先行する幸先良い滑り出し。しかし6回裏、台湾チームが2ランホーマーで逆転して1対2。つづく7回表、日本チームの猛攻がはじまった。すべて解説したいところだが、明日の朝刊を御覧あれ。チーム一丸とはまさにこのことと、感嘆されるはず。とにかくこの回、一挙6点をたたき出して、さらに勢いはおさまらず最終回に3点を追加、ゲームを終了させた。もちろん北京行きが決定した。星野監督の采配がすばらしい。それに応える選手諸君の技術的、且つメンタル的な強さも素晴らしい。 良かった良かった。代表チーム、おめでとう!
Dec 3, 2007
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福岡国際マラソンをテレビ観戦。わが母校・会津高校の後輩、佐藤敦之選手(四国電力)が日本人最高の3位で入賞した。記録は2時間7分13秒。これで北京オリンピックの日本代表3人枠入りがきわめて濃厚になった。 優勝はケニアのサムエル・ワンジル選手(トヨタ自動車九州)。フル・マラソンは今回初出場なのだそうだ。記録は2時間6分39秒。大会新記録。 2位はエチオピアのデリバ・メルガ選手(一般参加)。 30キロ地点に至るまでに、この3人のトップ争いは始まった。佐藤選手は二人にピタリと付けて、もしやと期待したが、35キロ前あたりから遅れだした。結局、差をつめられないまま、しかし日本人選手がみな抜け落ちてゆくなかで堂々の3位。ゴール地点の競技場に入ると、満面の笑みをうかべながら指輪にキスした。つい最近、結婚したばかりなのだそうだ。結婚指輪にキスしたのだ。 早稲田大学時代の箱根駅伝などでも注目してエールを送っていたのだが、嬉しい嬉しい。ぜひ北京へ行ってもらいたいものだ。
Dec 2, 2007
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コンピューター・グラフィックとしてのコラージュ作品「蓮華と芍薬」シリーズは、昨日で終了するつもりだった。しかし掲載したとたんに新しくイメージがわいたので、それも作っておくことにした。山田維史 《小町変相 3;蟲喰い》 CGコラージュ山田維史 《小町変相 4;幻華》 CGコラージュ
Dec 2, 2007
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花の色は移りにけりな・・・。12月1日最後の作品。山田維史 《小町変相 1》 CGコラージュ山田維史 《小町変相 2》
Dec 1, 2007
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12月1日午後5時30分の作品。山田維史 《冬の華》 CGコラージュ山田維史 《冬の華 2》 CGコラージュ
Dec 1, 2007
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