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山田維史 《深海魚としてのイヴ》コラージュ 2007年2月28日
Feb 28, 2007
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日本の政治の中枢にいる者たちは、どうしてこうも無知なのだろう。各紙の報じるところによれば、伊吹文部科学大臣が、「人権」をメタボリック症候群(高血圧や高血脂症などの生活習慣に起因する内臓脂肪症候群)に例えて次のように語った。 「毎日バターばかり食べていれば、メタボリック症候群になる。人権だけを食べ過ぎれば、日本社会は人権メタボリック症候群になるんですね」(朝日新聞社説による。2月27日朝刊) 長崎県自民党支部大会における発言である。 私はこの発言者が、ほかならぬ文部科学大臣であることに、呆れるというよりむしろその精神の鈍さに危険なものを感じる。 人権は、人間が人間として生きてゆくための権利であるが、この如何にも生れながら持っていると思えるような権利がじつは決してそうではないと認識すべきだ。人権は、人が生まれ落ちたときからむしろ踏みにじられる危険がある脆いものである。他人によって踏みにじられるだけでなく、産みの親が無惨に踏みにじることがあることは、昨今の事件報道のとおりである。自分が産んだのだから、生かすも殺すも勝手だと思う親がいるのである。首に鎖をつけて犬のように我が子を飼っていた父親の事件は、つい最近のことだ。教育という名のもとに、残虐な体罰を科す教師の存在もあとをたたない。消えぬ肉体的精神的傷害を与えて平然としている嗜虐的淫虐的な人間が教育の現場にいないとは言い切れないのだ。社会のあらゆるところで起きている「いじめ」という問題もまた、他人の尊厳を蹂躙しているのである。 天皇制下における部落差別は、「人権」という概念のなかった社会における、社会制度化した人間の尊厳の蹂躙である。まるで生け贄のように、よってたかってある人々を追い詰め、生かさず殺さず、ただ自滅するのを楽しむように隷属化していたのである。(註:この差別の民俗については、このHPのフリーページの論文室に掲載している『夢幻能の劇構造と白山信仰私考』において考察している。) 人間の歴史は、見方を変えると人間尊厳侵害の歴史なのだ。つまり、先に提示したように、「人権」というものは決して我々が生れながらにそなえている権利ではないのである。自然的に当然のことならば、あえて「権利」などと言う必要がないだろう。「人権」とは、近代以降、啓蒙思想として艱難辛苦を経て確立してきた概念なのである。 かつて某有名評論家が、テレビの一般視聴者をまじえた討論番組において、犯罪被害者の遺族は江戸時代のように加害者に対して復讐することを認めるべきだ、という意味の主張をした。そしてその考えの基盤として、現在の法律は加害者の人権保護をうたっているがそもそも人権なんてイデオロギーでしかない、ということを声をおおきくして述べたのだった。 この発言には一面の正しさと非常に多くの誤りがある。そしてまた、あまり上等ではない心理操作のテクニックを行使している。それはこのような場面で「イデオロギー」という言葉を使ったことである。 「イデオロギー」もしくはフランス語で「イデオローグ」とは、もともとナポレオンが使った言葉で、現実的ではない「空論」を軽蔑した呼び方である。後にマルクス主義を指すようになった。社会学では、「歴史的あるいは社会的に制約された考え方」と定義している。 戦前戦後のある期間、日本人にとって「イデオロギー」とは共産主義すなわち「アカ」の別名で、それは軽蔑的であるより日本社会から追放するという強い意味をもっていた。私が若いときにオブザーバーとして傍聴した多くの会議の場で、「それはイデオロギーだ!」と指弾することで議論の方向を決定する場面を何度も見ている。昭和40年代でもまだそんな、半ば心理的操作ととれる「イデオロギー」という言葉の使い方がまかりとおっていたのだった。 某評論家がその言葉を使用したことについてもそんな心理操作のテクニックが感じられた。しかし私が一面の正しさと言うのは、「人権」という考え方はたしかに歴史的制約があるイデオロギーの時代があったからである。だがしかし、某氏のおおきな間違いは、そのような「人権」という概念を確立しようと闘った人々の時代から、今や、「人権」はもはや国際的なコンセンサス(考えの一致)を得た「人智」として認識されるようになったことに、あえて目をつぶり、自己の暗い思念を増幅しようとしていることだ。「泥棒にも三分の理」とは、古くから言われている言葉だが、日本人の人間観察の深くて優れたことを示している。しかしこの観察が、刑法理念としてまた刑事訴訟法の理念として確立したのはそう遠い昔ではない。某評論家がバッサリ切り捨てた犯罪加害者の人権問題には、なにもかにもを無定見に保護するのではない、人間を理解しようという意志が係っているのだ。「人権」概念は、自他共存して生命をまっとうするための崇高な理念、長い長い年月をかけて発見した人間の究極の知恵のひとつなのである。 この某評論家と伊吹文部科学大臣との発言は、語られた場面は異なるものの、「人権」に対する認識の軽薄さにおいてはまったく同じである。 「人権」は、脆い。不撓不屈(ふとうふくつ)の闘いと啓蒙活動によって、ようやく国際的な認識となった「考え方」は、放っておくと指の間から水がもれるように私たちから失われてゆくのである。 私はしばしば例にもちだすのだが、かつての南アフリカ連邦における黒人差別(アパルト・ヘイト)は、その「非道」をなぜ国際社会はただ遠巻きに見ているしかなかったかということだ。私はいま「非道」と括弧つきで書いた。なぜか。南アフリカ連邦においては非道ではなかったからだ。黒人を隔離し差別することを国の法律が定めていたからだ。言い換えれば、黒人差別をしないことこそ「非道」なのだった。 南アフリカ連邦に「人権」がなかったわけではない。ただしそれは白人のものであった。黒人は人間ではないと規定しているのだから、黒人に対して人権など考慮することなど念頭におく必要がなかった。犬や猫に人権などと言わないだろう。 このアパルト・ヘイトについて誤解している人がいるけれども、南アフリカ連邦は無法なやくざ国家だったのではない。法律にしたがって国家が運営されていた第一級の法治国家だったのである。立派な法治国家なのだ。人権思想を理念とする国際社会の見地からは、その法律の中身が問題であったのだが、その国の国民の総意である法律を厳格に遵守する法治国家である以上、国際社会は口出しできない。内政不干渉の原理である。 これだけ述べるだけで、国家の中枢にある権力者が、人権を軽んじるとどのような国家に墜ちてゆくかわかるだろう。伊吹大臣の発言は単に軽薄といって見過ごすべきではなく、むしろこのような人権について無知な人物を閣僚として国政にたずさわらしておくべきではない。非常に危険なことと、われわれ国民は認識しなければならない。 それにしても、柳沢厚生労働相といい伊吹文部科学相といい、それらの重大な認識の誤謬を「鈍感力」などと容認する安倍晋三首相も、この国の政治家はなんと低劣であることよ。
Feb 27, 2007
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山田維史《イヴの娘達の花咲く林檎》コラージュ 2007年2月26日
Feb 26, 2007
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山田維史《日月顯曜普照圖(にちげつけんようふしょうず》コラージュ 2007年2月25日
Feb 25, 2007
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落語家の5代目三遊亭圓楽師匠が本日、つい数時間前(午後9時過ぎ)に引退の意向を表明したそうだ。 圓楽師匠は一昨年10月に脳硬塞で倒れられた。その後リハビリに専心して、ちょうど1年後の昨年10月に大阪で復帰の口演をし、今年1月には東京でも口演された。本日、東京国立演芸場の高座に出て『芝浜』を口演された。終演後に記者会見し、「うまくろれつが回らない。このまま落語を語って恥をかきたくはない」という意味のことを言って、引退を表明した。 私は落語ファン、特に江戸落語が好きなので、浅草生れの純粋江戸っ子落語家圓楽師匠が高座をおりるのをひどく惜しんでいる。落語家として潔いとも言えるし、最上の芸をファンの耳に残しておきたいというお気持ちもあったであろう。師匠の心を忖度するのははばかれるが、芸人のあるべき態度と思い、最後の高座を国立演芸場だったことを喜び、拍手を贈らせていただく。
Feb 25, 2007
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山田維史 《四方祈請水之譜(よものうけひみずのふ》コラージュ 2007年2月25日
Feb 25, 2007
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金曜の夜中、東京の我家のあたりは雨まじりの強い風が一晩中吹いていた。きょうも、晴天だけれども時々強風が二階の仕事場の窓を叩いていた。春一番なのだろうか。 その風のなか、私は自転車を引出して、近くのDVD店に走った。映画『ダ・ヴィンチ・コード』のコレクターズ・エディションの新品が5本ばかり、おどろくような値下げ価格で出ているというのだ。映画はすでに観ており、残念ながら私はあまり納得できなかったのだが、DVDを入手するに吝(やぶさか)ではない。いや、正価の3分の1以下となれば、やにわに自転車に飛び乗ったのだった。 すでに2本しかなかったが、どうやらそのうちの1本を落手。 で、夕食までのひととき、『ダ・ヴィンチ・コード』を再見した。 感心したのは、冒頭部、トム・ハンクスが扮する象徴学者が講義しているシークエンスである。この場面は、プロジェクターで大スクリーンに象徴図資料を映し出しながら、トム・ハンクスが象徴とはなにかということについて聴衆に説明する。「簡にして要を得た」というべきか、これから起ろうとするいささか入り組んだ謎解きストリーに付いての知識を与えるに十分であろう。さらに私がおもしろく思ったのは、象徴というものが時代や場所、あるいは民族によって、同じに見えようともまったく異なる解釈が成立するということをキチンと説明していることである。まさにその見解こそ、象徴学の現代人文科学としての立脚点にほかならない。 しかし、その後のストーリー展開は、原作小説を読んでいない観客にはすんなり理解できたかどうか。『ダ・ヴィンチ・コード』というタイトルにもかかわらず、「謎」とレオナルド・ダ・ヴィンチについての関わりについての突っ込みが足りないのではあるまいか。象徴、象徴と言うわりに図像が登場しない。トム・ハンクスも鈍重に眉間に皺を寄せるだけで、一向謎解きに知識を披瀝しない。小説では蘊蓄を披瀝するので、この象徴学者は探偵役として存在価値があるのだが、じつは行動的には受身の人なのだ。アクション場面でもソフィーという女性主人公に守られて逃げ回っている。それが映画でもそのままの設定だから、トム・ハンクスが活躍するところは一つもない。「鈍重」と私が評す所以である。 たとえば、パリ警察のファーシュ警部(ジャン・レノ)は、トム・ハンクスを殺人容疑者として追跡するのだが、その方法はGPS追跡装置によっている。 小説ではこれでよい。というのは、ストーリー自体が時代錯誤的なひとえにキリスト教バチカンの教義にかかわることでしかなく、バチカンにとっては重大問題であろうが、イエスの血脈が存在しようが存在しまいが、現代世界に何の問題があろう。今や人類贖罪のために殺害された無辜(むこ;罪のない)の人は厖大な数になるのだ。そんな衒学的な蘊蓄を楽しむだけの(私はおおいに楽しんだが)古典的な黴臭い世界が、かろうじてGPSのような仕掛けによって現代の物語の枠組をつくっているのだ。 しかし、映画のなかでGPSなどをもちだすと、逃走車(者)の行方はモニターに明らかになってしまうので、カー・チェースがあるわけでもなく、私に言わせれば映画的にはまったく怠惰な設定である。ミステリー映画にもかかわらずサスペンスがないのだ。サスペンスをつくれるところを怠惰が逸してしまうのである。ITシステムで人間の行動を監視して、閉塞的に人間性を喪失してゆくというテーマも考えられるが、それは『ダ・ヴィンチ・コード』とは別の話だ。 さらに言えば、この映画は殺人者を最初に観客に見せてしまう、いわゆる倒叙ミステリーの手法をとっている。『コロンボ』シリーズの手法である。しかし、『コロンボ』と違う点は、ファーシュ警部が追跡するのはその実の殺人者ではなく、錯誤の容疑者トム・ハンクスである。したがって映画的なサスペンスはその三者の絡み合いで複雑になるはずなのだが、脚本はまったく空回り。サスペンスがもりあがらないので、観ていて眠気をもようすほどだ。 この映画に登場する唯一人の女性ソフィーであるが、私はこの女優にまったく魅力を感じない。小説のなかではキリストの血を引く末裔と暗示されているのだが、そのような光彩がこの女優にはない。この女優が画面に登場してきても画面が輝かないのだ。・・・そう思うのは私だけだろうか? シラスという名の狂信者はなまなましく描写されて、それなりに面白いのだが、狂信を生む教会側というか秘密結社の描きかたが弱いので、シラスは単なるマゾヒストに見えてしまう。シラスばかりではない、登場人物すべてに内的なエネルギーが感じられない。人生を支配する「執着」をかんじられないのである。 ラストの気の抜けたようなことといい、なにもかにも中途半端。 ロン・ハワード監督には『アポロ13』のような緊張感ある密室劇の秀作がる。アポロ13号の発射シーンは、CGを使って目を見はらせる見事な画面をつくっていた。NASAの専門家が、重要映像内部資料が流出したのではないかとあわてたという。私は手持ちのDVDでこのロケット発射シーンを何度観たことか。ロケット外壁の氷結が剥がれて落下してゆく素晴らしさ。映画を観てよかったと思うのはこういう映像を目撃したときだ。 『ダ・ヴィンチ・コード』も、これから何度も見直してゆくうちに、気が付かなかった美点を発見できるかもしれない。それを期待しながら、私はコレクション目録にタイトルを書き込んだ。
Feb 24, 2007
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山田維史 《黒い林檎》コラージュ 2007年2月23日
Feb 23, 2007
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先日、アメリカのボクシング映画を列挙してみたので、きょうは日本のボクシング映画をならべてみよう。ボクシング映画というより拳闘映画と言ったほうがなんとなくピッタリする。私がここに掲げるのはもとより不十分なリストである。 また、未見の作品もある。昭和11年(1936)に日活多摩川映画が制作した『戀と拳闘』という作品があるらしいのだが詳細は不明。このタイトルは、1927年のアメリカ映画『戀と拳闘(The Count of Ten)』の借用かもしれない。主演は日活多摩川映画の歌うスター杉狂児。主題歌『拾った女』を古賀政男が作曲している。歌唱は杉と如月玲子。1935~41年頃までの日活多摩川映画は内田吐夢や田坂具隆や熊谷久虎、島耕二監督等が活躍し、日本映画史を飾る名作をたくさん製作している。一方で古賀政男をはじめとする流行歌作曲家を起用して歌入り映画をつくっていた。『戀と拳闘』はそうした1本と思われる。どなたか詳細を御存知なら御教示いただければ幸いである。 そのような作品があるらしいものの、日本の拳闘映画がもっともたくさん制作されたのは1957年頃から60年代にかけてである。たぶん日活作品が一番多いのではあるまいか。きょうの私のリストはその日活作品が中心。私が小学校5,6年生の頃から高校生にかけてのものだ。★ 『続姿三四郎』(1945)東宝。監督・脚本;黒澤明、原作;富田常雄、音楽;鈴木静一、出演;大河内伝次郎、藤田進、月形龍之介、河野秋武、轟夕起子、清川荘司。 1943年の『姿三四郎』が好成績をおさめ、急遽製作された作品。黒澤映画唯一の続編映画である。柔道とボクシングの異種格闘で、本作をボクシング映画というには躊躇がある。アメリカ黒人ボクサーを叩きのめすというストーリーは、戦時中の国威発揚政策にのったものだ。そのためか黒澤明はこの作品について多くを語ろうとしなかったようだ。現在は正・続ともにDVDで気軽に観ることができる。★ 『エノケンの拳闘狂一代記』(1949)新東宝・エノケンプロ共同製作。制作;滝村和男、監督;渡辺邦男、脚本;柳井隆雄、北沢誠、渡辺邦男、撮影;河崎喜久三、音楽;栗原重一、美術;梶由造、録音;鈴木勇、照明;横井総一、出演;榎本健一、春山美弥子、堀口宏。★ 『リングの王者 栄光の世界』(1957)新東宝。制作;佐川滉、監督;石井輝男、脚本;内田弘三、撮影;鈴木博、音楽;斎藤一郎、美術;小波明、録音;中井喜八郎、照明;傍土延雄、出演;宇津井健、池内淳子、中山昭二、伊沢一郎、細川俊夫、天知茂、鮎川浩、若杉嘉津子。 石井輝男の監督第一回作品である。★ 『妻こそわが命』(1957)大映。監督;佐伯幸三、原案;橋本忍、撮影;村井博、出演;菅原謙二、若尾文子。 ピストン堀口と呼ばれた実在のボクサー堀口恒男の伝記にもとづいて橋本忍が原案を創作している。映画のなかでピストン堀口こと堀口恒男は、堀口次男という名前になっている。次男は試合による脳挫傷のためリングを降りなければならなくなった。そしてただ海をながめるだけの日々。しかし妻の献身的な看護により次第に回復してゆく。やがて1951年、復帰戦に臨み、KOで勝利を手中にした。が、その直後、引退を表明。彼の視力はほぼ絶望的に失われていたのだ。試合からの帰路、線路づたいを歩いていた堀口は機関車にはねられ、短い命を散らせてしまう。 余談だが、私が若いときに可愛がってくださった、満州在留邦人引き揚げに尽力された新甫八朗氏については、以前このブログに書いたことがある(06/Feb.17)。新甫氏はピストン堀口を贔屓にして知己の仲だったそうで、しばしば私に堀口の思い出話を聞かせてくださった。★ 『勝利者』(1957)日活調布映画。監督;井上梅次、脚本;井上梅次、舛田利雄、出演;石原裕次郎、北原三枝、三橋達也、南田洋子、殿山泰司。★ 『明日に賭ける男』(1958)日活調布映画。監督;西川克己、原作;井上友一郎、脚本;池田一朗、西島大、撮影;山崎義弘、音楽;佐藤勝、美術;松山崇、録音;橋本文雄、照明;森年男、編集;鈴木晄、出演;川地民夫、浅丘ルリ子、中原早苗、岡田真澄、大坂志郎、小沢昭一、横山運平、殿山泰司、西村晃。★ 『俺は挑戦する』(1959)にっかつ調布映画。監督;松尾昭典、原案;有高扶爽、国分康一郎、脚本;柏木和彦、松尾昭典、撮影;高村倉太郎、音楽、佐藤勝、鏑木創、美術;中村公彦、録音;福島信雅、照明;大西美津男、編集;辻井正則、出演;小林旭、浅丘ルリ子、小高雄二、白木マリ、岡田真澄、安部徹、高野由美、三島雅夫、奈良岡朋子、二本柳寛、内田良平。★ 『女を忘れろ』(1959)にっかつ調布映画。監督;舛田利雄、企画;浅田健三、原作;藤原審爾、脚本;山崎巌、舛田利雄、撮影;姫田真佐久、音楽;真鍋理一郎、美術;坂口武玄、録音;橋本文雄、照明;藤井甲、編集;辻井正則、出演;小林旭、浅丘ルリ子、南田洋子、金子信雄、牧真介、安部徹、弘松三郎、柳瀬志郎。★ 『男の世界だ』(1960)新東宝。監督;土居通芳、脚本;葉山浩三、撮影;森田守、音楽;三保敬太郎、出演;吉田輝雄、菅原文太、寺島達夫、大空真弓、万里昌代、細川俊夫、高宮敬二。★ 『遠い一つの道』(1960)東宝。監督;内川清一郎、制作;金原文雄、原作;菊島隆三、脚本;菊島隆三、内川清一郎、安藤日出男、撮影;伊藤秀朗、音楽;山下毅雄、美術;水谷浩、録音;酒井栄三、照明;伊藤盛四郎、出演;島田正吾、木暮実千代、緒形拳、福田公子、若宮忠三郎、浜美枝、郡司八郎、ミッキー安川、郡司信夫、白井義男。 もとは菊島隆三が新国劇のために書いた舞台劇。同劇団の師弟である島田正吾と緒形拳とによって映画化された。かつてのボクシング・チャンピオンだった男が若い素質を育てることに生きがいを見い出すが、女のために身を滅ぼす。こういうストーリー・テーリングはなぜか日本のボクシング映画にほぼ共通するところである。乱暴な言い方をすると、みな同工異曲と言えなくもない。菊島隆三の脚本にしてそうだ、と言えば、酷過ぎるだろうか。★ 『打倒(ノック・ダウン)』(1960)にっかつ調布映画。監督;松尾昭典、脚本;宮田輝明、柏木和彦、撮影;藤岡粂信、音楽;山本直純、美術;木村威夫、録音;橋本文雄、照明;森年男、編集;辻井正則、出演;赤木圭一郎、二谷英明、稲垣美穂子、殿山泰司。★ 『闘いつづける男』(1961)にっかつ調布映画。監督;西川克己、企画;坂上静翁、原作;小野田勇、脚本;滝口速太、撮影;横山実、音楽;池田正義、録音;米津次男、編集;鈴木晄、出演;和田弘治、葉山良二、殿山泰司、吉永小百合、白木マリ。★ 『俺に賭けた奴ら(The Guys Who Put on Me)』(1962)にっかつ調布映画。監督;鈴木清順、企画;山本武、原案;小山崎公朗、脚本;小川英、中野顕彰、撮影;峰重義、音楽;大森盛太郎、美術;坂口武玄、録音;八木多木之助、照明;三尾三郎、編集;鈴木晄、出演;和田浩治、葉山良二、川地民夫、清水まゆみ、南田洋子、白木マリ、高品格、榎兵衛、中尾彬、藤竜也。 鈴木清順監督の初期作品にはアクションものが多い。その一作。なぜか英語のタイトルが付いている。★ 『銀座の若大将』(1962)東宝。監督;杉江敏男、出演;加山雄三、星由里子、田中邦衛、江原達怡、有島一郎、飯田蝶子、中山豊、桐野洋雄。 ごぞんじ若大将シリーズの1作。スポーツ万能の若大将が今回はボクシングをやってみせるというほどのもの。ボクシング映画というには物足りないが、明るいボクシングが珍しく、それが取り柄。★ 『星よ嘆くな 勝利の男』(1967)にっかつ調布映画。撮影;舛田利雄、企画;仲川哲朗、脚本;山崎巌、舛田利雄、撮影;萩原憲治、音楽;伊部晴美、美術;千葉和男、録音;橋本文雄、照明;森年男、編集;井上親弥、出演;渡哲也、浅丘ルリ子、橘和子、二谷英明、加藤和夫、高品格。★ 『ボクサー』(1977)東映。監督;寺山修司、企画;後藤浩滋、天尾完次、太田浩児、脚本;石森史郎、岸田理生、寺山修司、撮影;鈴木達夫、音楽;J・A・シーザー、美術;桑名忠之、録音;内田陽造、照明;川崎保之丞、出演;菅原文太、清水建太郎、春川ますみ、新高恵子、地引かづさ。 寺山修司は無類のボクシング好きとして自他ともに認めていた。その彼のボクシングへのオマージュのような映画。私がかつてコンビを組んでいた岸田理生が脚本に参加している。★ 『ウェルター』(1987)レイトンハウス。監督;村上修、制作;本間文子、企画;エムツーアールエフ、原作;軒上泊『ウェルター』、脚本;橋本以蔵、桑田健司、神波史男、村上修、撮影;水野尾信正、音楽;大谷幸、美術;渡辺平八郎、録音;佐藤富士男、編集;川島章正、出演;福田健吾、沢向要士、夏八木勲、中川喜美子、成田三樹夫、園田裕久。 この映画の魅力はなんといってもボクサー福田健吾が主人公を演じていることだ。少年のような風貌が、ある瞬間にものすごいエネルギーとなって爆発する。実際のボクサーであってこその、鍛えられた肉体の野獣のような敏しょうさが表出する。メロドラマの部分もあるが、そんなことはふっとんでしまう魅力がある作品だ。★ 『どついたるねん』(1989)ムービーギャング。監督;坂本順治、制作;荒戸源次郎、企画;孫家邦、脚本;坂本順治、撮影;笠松則通、音楽;原一博、主題曲;原田芳雄、録音;横溝正俊、編集;高島健一、出演;赤井英和、相楽晴子、麿赤児、大和武士、原田芳雄、笑福亭松之助。 この映画も元ボクサー赤井英和が主演して成功している。赤井は無敵のボクサーといわれながら意外な負け方をし、肉体的なダメージを負って引退した。この映画出演によってみごとに俳優としてカム・バックした。ほかにボクサー大和武士も出演しており、ボクシング映画としては本格的といってよい作品になっている。★ 『カンバック』(1990)ガッツエンタープライズ・松竹。監督・企画・脚本;ガッツ石松、制作;林実、金澤文衛、原作;安部譲二、シナリオ原案;倉本聡、撮影;矢田行男、音楽;久石譲、美術;沢田清隆、録音;辻井一郎、照明;中澤廣幸、編集;吉田博、出演;竜雷太、栗原小巻、高樹澪、若山富三郎、宍戸錠、渡瀬恒彦、ガッツ石松、福田健吾、高品格。 スタッフ・キャスト共に映画界のベテラン揃い。しかし大コケにコケタ。ガッツさんには悪いが、誰か止める人はひとりもいなかったのかねー。★ 『キッズ・リターン』(1996)オフィス北野。監督;北野武、制作;森昌行、柘植靖司、吉田多喜男、脚本;北野武、撮影;柳島克己、音楽;久石譲、美術;磯田典宏、録音;堀内戦治、編集;北野武、太田義則、出演;安藤政信、金子賢、石橋凌、森本レオ、山谷初男。 以上のほかに、ドキュメンタリーではあるが勅使河原宏監督の次の2作品をあげておく。★ 『ホゼー・トレス』(1959)監督;勅使河原宏★ 『ホゼー・トレス Part II』(1965)監督;勅使河原宏
Feb 22, 2007
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満開の梅の香が馥郁として漂っている。1時間ばかり自転車を走らせて、他人の庭の梅を見る。 ふと路傍の枯れ草のなかに目をやると、タンポポが一輪咲いていた。鮮やかな黄色が力強く美しい。他にも咲いていないかと、自転車のスピードを落す。するとタチイヌノフグリの群生をみつけた。薄い藍紫色の3mmほどの小さな小さな花がたくさん咲いている。名前に似合わぬ可憐な花である。明治の初めにヨーロッパから入ってきて、やがて日本全土にひろがった。なぜこんな「犬の金玉」などという和名がついたのだろう。どこを観察しても、そんな連想をさそうところはないというのに。 地方によっては例年より1ヵ月も早く菜の花が咲いているようだ。我家でも先日の食卓に菜の花の芥子和えが載った。タラの芽、フキノトウとつづいての菜の花である。旬のものをいち早くみつけてきては口福を味わう。調理はできるだけ単純がよい。ほろ苦さや、ほっこりした若緑の味が口のなかに淡々とひろがってゆくのが嬉しいのだ。 あれやこれや由無し事を思いながら、途端にブロッコリーのポタージュが食べたくなった。ブロッコリーもいまがとても美味しい。年中店先にならんではいるけれども、やはり春先の味が充実している。 よし、夕食にポタージュをつくってやろう。 八百屋に寄って、ブロッコリーとスナップ豌豆を求める。それからイチゴを1パック。緑色のポタージュに赤いイチゴのデザートである。他の菜は買い置きがあるだろう。 春もやゝけしきとゝのふ月と梅 芭蕉 月の梅の酢のこんにゃくのと今日も過ぎぬ 一茶
Feb 22, 2007
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山田維史 《顔のない階段》コラージュ 2007年2月21日
Feb 21, 2007
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外出して電車の窓から雨降る街並をながめながら、多摩川を通過した。川沿いに整備されたサイクリング・ロードは私もしばしば走行する。東京都と神奈川県との境の登戸近辺から多摩堤を国立市までの間を往復すると約35,6キロメートルになる。JR山手線を一周する距離に匹敵する。私はマラソンや駅伝をTV観戦するのが好きで、先日18日の東京マラソンは一般参加できるというので、ふと走ってみたいものだなどと思った。その距離42.195キロメートルを、私は自分のサイクリングでおおよその検討をつけている。まあ、走ってみたいと思ったからといって身体がついてゆくものではない。自転車のペダルをこぎながら、一流マラソン・ランナーの早さを実感し、すごいものだと改めて畏敬するのである。 そんなことを思いながら窓外を見ていたとき、「おや?」と目をこらしたのだ。多摩川の水量がひどく少ないのである。中洲が広く出現し、堤から水際までの距離が遠い。私はすぐに、この減水が雪不足のために違いないと思った。源流の秩父山地が、この暖冬の影響で、降雪が例年より極端に少ないのではないか、と思われた。ことし東京は一度も雪が降っていない。また、遅い初雪の観測記録をとうに更新したと聞いた。尤も、この初雪日記録というのは、今後もしかしたら雪が降った場合の期待的更新記録である。まったく降雪がなければ、記録はいままでどおりだ。今日の東京は終日雨が降り、真冬なみの寒さだったが、どうも今後雪が降ることは期待できそうにない。 夕方帰宅後、病床の母に多摩川の水枯れの様子を話すと、「お米の作柄に影響するかもしれないわね。寒さが厳しい年は、お米のできが良いと、昔の人は言ったものだわ」 さて、外出先で、東京創元社の宮澤氏とお会いした。『盲目の理髪師』が明日店頭に並ぶので、これで一応仕事がすべて終了した。コーヒーを飲みながら1時間ばかり雑談をまじえながら、今後の方針等を確認した。 ディクスン・カー作品は、いわばミステリーの古典なのであるが、10年20年と売れつづけ、多くの書店の常備本となっている。その意味では、古典とはいえ現代ミステリーとなんら変わることはない。表紙絵を担当する私としては、じつはその点が他の新刊本の表紙絵製作と工夫のうえで異なるのである。 他の新刊本の場合、店頭に並んでおよそ1ヵ月が勝負どころだ。その時点で再刊の目安がきまる。ということは、表紙絵もそのあたりの事情をまえもって勘案しなければならない。ところが、ディクスン・カーの場合は、勝負はむしろ長い年月売ることにあり、流行があるイラストレーションにとらわれれ過ぎると、時間の波を掻いくぐることが出来ない。どのようにしたら時間を味方にして、読者にアピールしてゆくかを考えなければならない。もちろんマニュアルはない。絵描きである私の、長い時間をとらえるための「読み」、自分でも明確にはしないが、あるセンサーにかかっているのである。 宮澤氏とは今回がはじめてパートナーシップをもったので、もしかすると私に対する遠慮があるかもしれないと思った。 「絵ができあがってからでも、御意見があれば、御遠慮なく言ってください。納得して修整したり描き直すことを、私は何も気にしませんから」 「なるべく早いうちにまた御一緒に仕事をさせていただくのを楽しみにしております」と、宮澤氏は別れ際に言った。それは私には最も嬉しい挨拶だった。
Feb 20, 2007
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山田維史 《アダムの燃える背骨》コラージュ 2007年2月19日
Feb 19, 2007
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映画史のなかにはボクシング映画の伝統があると述べて来たが、それではどんな作品があるかということについてはまったく不十分な記述ですませてきた。そこで今日は、できるかぎりその作品タイトルを列挙してみようと思う。もちろん完全なリストではない。日本映画は、日活製作の松尾昭典監督・赤木圭一郎主演『打倒(ノックダウン)』(1960)や新東宝作品などにもボクシング映画はあるのだが、ここではさしあたってアメリカ映画に限っておく。 ボクシング映画といっても、全編まさにボクシングが主題になっているものもあれば、いろどりとして登場する作品もある。しかし、いろどり作品は抜くことにする。いろどりに添えられているものは、数え上げればおそらく切りが無い。ジョン・フォード監督・ジョン・ウエイン主演の『静かなる男』(1952)は、アイルランド移民の男がアメリカでボクシングによって成功を勝ち取ろうと考えるのだが、不慮の事故によって挫折、故郷に帰るところろから物語が始まる。 じつはボクシング映画には、いや、アメリカのボクシング界にはこの移民の動向が時代的に変遷する様子が活写されていることに注意される。アイリッシュからジュイッシュ、そしてイタリアン、黒人やプエルトリカンと変遷してゆくのだが、映画のなかで主人公のボクサーの出自を見ればおおよその時代を推測できるのである。 チャップリンの初期作品にはしばしばボクシング場面がでてくる。とりあえずチャップリンに敬意を表して、冒頭に掲げることからこのリストを始めよう。★ 『ノック・アウト』(1914)監督・脚本・主演;チャールズ・チャップリン。★ 『拳闘』(1915)監督・脚本・主演;チャールズ・チャップリン。★ 『街の灯』(1931)監督・脚本・主演;チャールズ・チャップリン。★ 『チャンプ(The Champ)』(1931)監督;キング・ヴィダー、脚本;フランセス・マリオン、出演;ウォーレス・ビアリー、ジャッキー・クーパー、アイリー・リッチ。 本作は後にフランコ・ゼッフィレリによってリメイクされるが、DVDも出ているので、両作を比較してみるのも面白い。★ 『倒れるまで』(1937)出演;ハンフリー・ボガート。★ 『ゴールデン・ボーイ(Golden Boy)』(1938)監督;ルーベン・マムリンク、出演;ウイリアム・ホールデン。★ 『栄光の都(City for Conquest)』(1940)監督アナトール・リトヴァック、原作;エイベン・カンデル、脚本;ジョン・ウェイスリー、撮影;ソル・ボリトー、ジェームズ・ウォン・ホウ、出演;ジェームズ・キャグニー、アーサー・ケネディ。★ 『鉄腕ジム(Gentleman Jim)』(1942)監督;ラウォール・ウォルッシュ、脚本;ヴィンセント・ローレンス、ホーレス・マッコイ、撮影;シド・ヒコックス、出演;エロール・フリン、アクシス・スミス、ジャック・カーソン。★ 『チャンピオン(Chanmpion)』(1949)監督;スタンリー・クレイマー、脚本;カール・フォアマン、撮影;フランク・ブレイナ、出演;カーク・ダグラス。★ 『罠(The Set-Up)』(1949)監督;ロバート・ワイズ、出演;ロバート・ライアン。 上映時間わずか1時間余の本作は、じつは劇中の時間とシンクロしていて、そのことが八百長試合に絡むサスペンスを盛り上げることに成功している。この作品が製作される1年前に、同じ趣向のヒッチコック『ロープ』があり、私見によるとその影響下にあるかもしれない。★ 『拳闘試合の日(Day of the Fight)』(1951)製作・監督・脚本・撮影・録音・編集;スタンリー・キューブリック、出演;ウォルター・カルティエ、ヴィンセント・カルティエ、ダグラス・エドワーズ(ナレーター)。 ウォルター・カルティエというボクサーを追ったドキュメンタリー。スタンリー・キューブリックが自主製作した彼の第一作であるので、あえてリスト・アップしておく。★ 『傷だらけの栄光(Somebody Up There Likes Me)』(1956)監督;ロバート・ワイズ、原作;ロッキー・グラジアノ、ロウランド・バーガー、脚本;アーネスト・リーマン、撮影;ジョセフ・ルッテンバーグ、出演;ポール・ニューマン。 実在のボクサー、ロッキー・グラジアノのベストセラーになった自伝にもとづく映画。シルベスタ・スタローンの『ロッキー』というタイトルは、おそらく観客がこの実在したボクサーの名前を連想することを意図している、と私は思っている。★ 『殴られる男(The Harder They Fall)』(1956)監督;マーク・ロブスン、原作;バッド・シュールバーグ、脚本;フィリップ・ヨーダン、撮影;バーネット・ガフィ、出演;ハンフリー・ボガート、ロッド・スタイガー。★ 『ボクサー(The Boxer)』(1970)監督;マーティン・リットン、撮影;バーネット・ガーフィ、出演;ジェームズ・アール・ジョーンズ。★ 『キング・ボクサー 大逆転(King Boxer)』(1974:香港)監督;チェン・チャン・ホー、脚本;チャン・ヤン、撮影;ワン・ユン・ルン、出演;ロー・リー(羅列)、ワン・ピン、ティエン・フェン。 この作品は、じつは香港製のカンフー(功夫)映画なのでボクシング映画のリストに加えるのはどうかと思う。参考作品ということで掲載した。製作者が付けた英語タイトルは『King Boxer』である。★ 『ロッキー(Rocky)』(1976)監督;ジョン・G・アビルドセン、脚本・主演;シルベスター・スタローン、撮影;ジェームズ・クレイブ、編集;リチャード・ハルシー。★ 『ブルックリン物語(Movie Movie)』(1978)監督;スタンリー・ドーネン、脚本;ラリー・ゲルバート、シェルドン・ケラー、撮影;ブルース・サーティーズ、チャールズ・ロシャー、出演;ジョージ・C・スコット。★ 『ロッキー2(Rocky2)』(1978)監督・主演;シルベスター・スタローン、撮影;ビル・バトラー、編集;ダンフォード・B・グリーン。★ 『チャンプ(The Champ)』(1979)監督;フランコ・ゼッフィレリ、脚本;ウォルター・ニューマン、撮影;フレッド・コーネカンプ、編集;マイケル・J・シェリダン、出演;ジョン・ヴォイト、フェイ・ダナウェイ、リッキー・シュローダー。 前記同名作のリメイク。父と幼い息子との絆を描く。子役のリッキー・シュローダーは79年度ゴールデン・グローブ新人男優賞を受賞。ジョン・ヴォイトはアカデミー主演男優賞を、また音楽のデイヴ・グルーシンが同作曲賞を受賞した。★ 『メーン・イベント(The Main Event)』(1979)監督;ハワード・ジーフ、脚本;ゲイル・ペアレント、アンドリュー・スミス、撮影;マリオット・トッシ、編集;エドワード・A・ワーシルカ・ジュニア、出演;バーブラ・ストライサンド、ライアン・オニール、ポール・サンド。★ 『レイジング・ブル(Raiging Bull)』(1980)監督;マーティン・スコセッシ、原作;ジェイク・ラモッタ、脚本;ポール・シュレイダー、マーディンク・マーティン。撮影;マイケル・チャップマン、編集;セルマ・スクーンメイカー、出演;ロバート・デ・ニーロ、キャシー・モリーティ、ジョー・ペシ。 実在のボクサーで原作者であるミドル級チャンピオン、ジェイク・ラモッタの伝記的物語。ロバート・デ・ニーロがラモッタ役を演じている。チャンピオンに上り詰めた頃の引き締まった肉体が、引退後に肥満した醜い肉体になる。デ・ニーロは実際に体重を27kg増量して凄まじい変身を見せる。「デ・ニーロ・アプローチ」という造語がある。役に臨むロバート・デ・ニーロの入れ込みかた、つまり役者魂の徹底を指している。本作品は、まさにデ・ニーロ・アプローチの最たるものである。未見の方は是非ご覧になることをお勧めします。第6回ロスアンゼルス批評家協会賞の作品賞を受賞。また第53回アカデミー主演男優賞など、アメリカ国内の映画賞を多数受賞している。1990年には、米国連邦議会図書館が国立フィルム登録簿に本作品を新規登録した。★ 『ロッキー3(Rocky3)』(1982)監督・脚本・主演;シルベスター・スタローン、撮影;ビル・バトラー、編集;ドン・ジンマーマン、マーク・ワーナー。★ 『ロッキー4 炎の友情(Rocky4)』(1985)監督・脚本・主演;シルベスター・スタローン、撮影;ビル・バトラー。★ 『ホーム・ボーイ』(1986)監督;マイケル・セラシン、出演;ミッキー・ローク。★ 『ロッキー5 最後のドラマ(Rocky5)』(1990)監督;ジョン・G・アビルドセン、脚本・主演;シルベスター・スタローン、撮影;スティーヴン・ポスター。★ 『ボクサー(The Boxer)』(1997)監督;ジム・シェリダン、出演;ダニエル・デイ=ルイス、エミリー・ワトソン。★ 『アリ(Alli)』(2001)監督;マイケル・マン、脚本;マイケル・マン、エリック・ロス他。撮影;エマニュエル・ルベリキ、編集;ウイリアム・ゴールデンバーグ他。出演;ウィル・スミス、ジョン・ヴォイト。 御存知モハメッド・アリの半生を描く伝記的映画。ウィル・スミスとジョン・ヴォイトは本作品で、それぞれアカデミー賞の主演男優賞と助演男優賞にノミネートされた。★ 『ミリオンダラー・ベイビー(Million Dollar Baby)』(2004)監督;クリント・イーストウッド、原作;F・X・トゥール(本名ジェリー・ボイド)、脚本;ポール・ハギス、撮影;トム・シュルテン、編集;ジョエル・コックス、出演;クリント・イーストウッド、ヒラリー・スワンク、モーガン・フリーマン。★ 『シンデレラマン(Cinderella Man)』(2005)監督;ロン・ハワード、脚本;ロン・ハワード、ペニ・マーシャル、撮影;サルヴァトーレ・トチノ、編集;マイク・ヒル、ダニエル・P・ハンリー、出演;ラッセル・クロウ、レニー・ゼルウィガー、ポール・ジャマッティ。 大恐慌時代のアメリカ。貧困のなかで家族のためにチャンスを掴もうとする伝説のボクサー、ジェームス・J・ブラドックの実話にもとづく物語。【参考追記】 イギリス映画なので省いたが、次の作品を掲載しておく。★ 『トゥエンティーフォー・セブン(TWENTYFOUR SEVEN: 24/7)』(1997)イギリス。監督;シェーン・メドウス、制作;イモジェン・ウエスト、脚本;シェーン・メドウス、ポール・フレイザー、撮影;アシュレイ・ロウ、美術;ジョン=ポール・ケリー、音楽;ブー・ヒュワーダイン、ニール・マッコール、出演;ボブ・ホスキンス、ダニー.ナスバウム、マット・ハッド、ジェームス・フートン、ジミー・ハインド、アンソニー・クラーク、ジャスティン.ブレディ、カール.コリンズ。 シェーン.メドウス監督25歳の長篇デヴュー作。この作品によってベネチア国際映画祭国際批評家賞を受賞した。「トゥエンティーフォー・セブン」とは、1日24時間の一周7日間、人生はそうして過ぎて行くという意味。何もしなければ退屈な人生が待っている。何かを行なうことで、そこから脱出できる。元ボクサーがボクシング・ジムをつくり、町の不良青年たちをサポートしようと決意する。現実を鋭く見つめる監督の視線が、ロマンチックな青春映画とは一線を画す作品にしている。
Feb 18, 2007
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きょう私はかなり長い時間テレビの前に陣取っていた。チャンネルNECOで2月と3月にわたって「映画監督・勅使河原宏 生誕80年記念特集」をやっている。全作品を放映すると予告している。 第一部として午後5時から9作品を連続放映した。ほとんど見る機会がない2,30分程度の初期作品がふくまれていた。それらのタイトルを放映順にならべれば、 『北斎』(1953) 『東京』(1958) 『白い朝』(1965) 『いけばな』(1956) 『いのち』(1963) 『ホゼー・トレス』(1959) 『ホゼー・トレス Part II』(1965) 『おとし穴』(1961) 『砂の女』(1964) 勅使河原宏氏は華道家・勅使河原蒼風氏の長男として華道家としての一面ももつ映画監督。出世作『砂の女』は1965年度の米アカデミー最優秀監督賞候補にアジア人として初めてノミネートされ、さらにカンヌ映画祭審査員特別賞ならびにサンフランシスコ映画祭特別賞を受賞している。1960年代の日本の前衛芸術派映画監督として、大学生を中心とした若い映画ファンに絶大な支持を得ていた。作家安部公房や作曲家武満徹との結びつきは強く、美術家三木富雄が映画美術を担当したり、グラフィック・デザイナー山城隆一や粟津潔がタイトル・デザインに参加している。 私にとってはちょうど大学時代のことで、若い血潮をたぎらせながら勅使河原映画を見ていた。 と言っても、私が一番最初に見たのは『ホゼー・トレス』で、上にならべた『ホゼー・トレス』までの5作品は、きょう初めて見たのである。まあ、率直に申せば、ムービー・カメラでの撮影を勉強中というところか。 『北斎』は、私に言わせれば、「映画」と言うには口籠ってしまう。北斎や広重の絵をストレートに撮影して、そこに北斎の手紙等から抜粋した言葉を文字でかぶせているにすぎない。カメラは絵画を鑑賞する人の目となって、全体を見たり細部を見たりするのだが、それ以上ではない。映画的感興というものがまったくない。監督の視点さえ特筆するものはなにもない。若気の気取りがないのがせめてもの取りえ。品がいいのだ。 『白い朝』あたりから、ドキュメンタリー・タッチのなかに劇映画風なタッチがまぎれこんでくる。 私がリアル・タイムで見ている『ホゼー・トレス』は、大学祭で上映されたのだった。プエルトリコ系アメリカ人ボクサーのドキュメンタリー・フィルムである。ホゼー・トレス(Jose Torres)は、34勝1分1敗24KO勝を記録するプエルトリコ移民の英雄的ボクサー。『ホゼー・トレス Part II』は、彼が1965年にニューヨーク・マディソンガーデンで行なわれた「対ウィル・パストラノ戦」の全記録で、トレスはこの戦いによってライト・ヘヴィー級世界チャンピオンのタイトルを獲得した。 私は自分で言うのは気がひけるけれど、映画映像をよく記憶しているのだが、じつはこの『ホゼー・トレス』はどのシーンもまったく記憶していないのである。ただこの作品を見たということだけ、そしてホゼー・トレスというボクサーについてのごくわずかな知識をもっているだけだ。 きょう42年ぶりに再び見たわけだが、記憶からよみがえってくる映像はなかった。 「なぜだろう?」と私は自問した。ドキュメンタリーだからだろうか。おそらくそうだ。つまり劇映画としてのボクシング映画とことなり、カメラ・ワークが単調なのだ。実際のチャンピオン戦を撮影しているため、カメラを自由に操作できないのである。映画としての感興は、ひとえにチャンピオン戦の成行きそのものにかかっているのだ。 以前、このブログで映画史にはボクシング映画の伝統があると述べたことがある。『ロッキー』は言わずもがな、ロバート・デ・ニーロが凄まじい変身をする『レイジング・ブル』もすぐに思い出す。ボクシングにはたぶん映画的なものがあるのだ。スポーツ映画はほかにも「野球」や「アメリカン・フットボール」、あるいは「スキー」や「カー・レイシング」等々ある。これらにはなにより「スピード」という「動き」がある。動きが巻き起こす「風」があり「土埃」があり、選手たちの「飛散る汗、輝く汗」がある。「筋肉」のおどろくような美が現出する。このようなことの表現こそまさに映画の真骨頂だ。 ・・・しかし、これらをゲームのおもしろさを伝えつつ十分にフィルムに定着しようとすれば、カメラ・ワークの綿密なポジショニングとすぐれて編集技術が問題になってくるのである。たとえばロバート・アルドリッチ監督の『ロンゲスト・ヤード』の面白さはどうだ。アメリカン・フットボールのルールをまったく知らなくとも(私もその一人だが)、画面から目を離すことができない。マルチ・スクリーンの手法がゲームの全体像を伝え、同時に選手たちの群像としての面構えをみごとに表現していた。 そのような私の記憶のアーカイヴから映像を検索しつつ、勅使河原『ホゼー・トレス』を見ると、映像的にはやはりあまり感心しないドキュメンタリー以外ではないのだった。しかしまた、勅使河原宏という映画作家が、自らの作品を踏み台にしてそれを乗り越えていったのだということも私は理解した。 『おとし穴』や『砂の女』は、安部公房の原作による作品である。それらについても私なりの見方を述べておきたいが、きょうはひとまず措いておこう。 じつは他にもヒストリー・チャンネルの映画特集で『すばらしき映画の悪役』という番組を見たのである。内容は詰めの甘いつまらないものだったが、それでも2,3、「ハッ!」と啓発されることがあった。そのことをメモとして少し書いておきたい。 ジョン・カーペンター監督のことば。「子供を悪役にするときは注意する必要があります。自分の産んだ子供が悪の化身なら、どんなに愛しても無駄だと考える親がいるものです」 このことばは、『光る目』などの作品を見ながら編集的に挿入されたもので、この作品が作られたアメリカの社会的背景に共産主義を警戒する思想があり、『光る目』は子供を使って洗脳を象徴的に表現しているのだと番組では説明している。 それにしてもカーペンター監督のこのことばは、すごい洞察である。実際、日本の現状を思いあわせると、教育という名のもとにおこなわれているらしい我が子虐待や殺人は、子供のなかに矯正しなければならない「悪」を発見しているゆえである。それは随分身勝手な、幼稚な親の判断なのだが、親は自分を絶対者とみなして子供に対応しているので、結局、自分に不都合なことは子供のなかに芽生えた「悪」と映るわけだ。 もうひとつ、ジェームズ・キャメロン監督は『ターミネーター』を、レーガン政権の迎撃ミサイル戦略構想をヒントにしてアイデアを得たというもの。 ストーリーはよく御存知であろうが、次のように要約できよう。 2029年の未来から現在のロスアンゼルスに特命を帯びてやってきたターミネーターは、いたるところで殺戮の限りをつくし、人類を恐怖のどん底に突きおとす。彼の任務は、セアラという若い女を探し出して殺すことだった。セアラは未来社会の運命をにぎっている女性だった。一方、カイルという戦士も未来からやって来る。彼の任務はセアラを守ることである。 戦士カイラはターミネーターをショット・ガンで激しく銃撃するが、ターミネーターは不死身である。ロボットなのだ。インプットされた命令を実行するために、完全に機械が破壊されるまで執拗にセアラを追跡しつづけるのである。・・・ キャメロン監督の創造の秘密、思想の造形化が、現実の大統領演説をヒントにしていること。見事な娯楽作品の背景にある現実社会に対する先鋭な認識を知って、私はあらためて創造者ジェームズ・キャメロンの魂を垣間見たのである。
Feb 17, 2007
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美術関連の海外ニュースが二つ、朝日新聞の朝刊に掲載されていた。一つは、ニューヨークから江木慎吾記者が伝える、盗品セザンヌを売却しようとした元弁護士を逮捕したという記事。二つ目はパリから沢村亙記者のルーブル美術館でボーナス要求のストがあったという記事である。 盗難美術品については過去にもこのブログで触れたことがある。江木記者の記事を読むと、今回の場合、盗難にあってからそれが市場にでてくるまで21年間経過してい、容疑者が逮捕されるまでさらに8年を要したようだ。この記事は、事件のなかで美術品がどのように移動しているかを要領よく説明している。あらためてその動線を再現してみよう。 1978年、米マサチューセッツ州の個人宅から、セザンヌ、スーチン、ブラマンク、ジャン・ジャンセンなどの作品計7点が盗まれた。 盗んだ容疑者は、同州のロバート・マーディロシアン弁護士に盗品絵画を委託した。そして、翌年、殺人事件で死亡してしまった。 10年後の1988年、マーディロシアン弁護士はそれらの絵画をモナコの貸金庫に移した。さらにモナコからスイスの貸金庫に移動した。 11年後の1999年、ダミー会社を通じてその盗品絵画をロンドンで売却しようとした。そのとき盗難美術品の登録会社が盗品であることに気づき、マサチューセッツ州の持主に連絡した。 持主はダミー会社と返却交渉する。そして、『水差しと果物』と題されたセザンヌの作品を持主に返還するが、その代りに他の6点の所有権を放棄するという契約が成された。 持主はセザンヌが返還されるとすぐにそれをオークションに出品する。1815万ポンド(当時の為替レートで約31億円)の値がついた。 2004年、ダミー会社は持主から獲得した6点の作品のうち4点の売却をくわだてた。オークションに出品しようとしたところ、元の持主が契約は強要されたものだとして契約無効の訴訟をイギリスで起した。裁判所はこの訴えを受理する。4点の作品は裁判所管理下でオークション会社サザビーズが保管することになり、現在に至っている。 さて、ロンドン警視庁がダミー会社を捜査したところ、元弁護士ロバート・マーディロシアンが容疑者として浮かんで来た。 去る13日、マーディロシアンがフランスからボストンの空港に着いたところをFBIによって逮捕された。 なんと盗難から29年が経過していたわけだ。この元弁護士は、盗品を日のあたる場所に出すために、21年間プラス4年間、月日の過ぎるのを指折り数えながらじっと待っていたのだろう。 興味深いのは盗難美術品登録会社の存在である。盗まれた持主はその会社に登録すると、会社はいわば私設の探偵として行方を追跡してくれるわけだ。費用はおそらく美術品の時価により、その何パーセントという契約が結ばれるのであろう。実例があればおもしろいのだが、残念ながら私はその知識がない。ともかく、そんな会社が存続できるほど世界中で美術品が盗難にあっているということであろう。 二番目の記事は、パリのルーブル美術館が入館者が多くて、警備員の心身のストレスは危険な状態に達している。これに見合う報酬の増額を要求するストライキが、この13日に実行されたというもの。 例の『ダ・ヴィンチ・コード』の世界的ヒットで、モナリザを目当てに同美術館に押し掛ける観客が増加する一方なのだそうだ。昨年の入館者は830万人だったという。 この数字を見て、「フランス人はすごい」などと思う方は誰もいないだろう。フランス以外の国からの訪問客がおおきなパーセンテイジを示していることを、何の説明もなく理解するにちがいない。 私はこの記事を読んで美術館警備員のストライキに注目したわけではない。海外からの観光客が押し寄せる美術館の存在に思い致したのだ。外貨を稼げる美術品を所蔵している美術館ということだ。 私自身ルーブルも実際に訪ねているし、ニューヨークのメトロポリタン美術館や、スミソニアン自然史博物館にたくさんの外国人観客が連日入館しているのを目撃している。ひるがえって我が日本の美術館はどうであろう。外国人観光客の姿はちらりほらりである。少なくともよほどの企画展でもないかぎり、美術館が所蔵する作品を展示している常設展に、外国人訪問客が押し掛けることなどないのだ。この状態をどう見るのか? 「美しい日本」の国民である私は、ひとり恥ずかしさに心忸怩(じくじ)たる思いがするのである。 このたび東京・六本木に第二国立美術館が開館した。その唱い文句が「所蔵品を一切持たない美術館」だとさ。まあ、コンベンション・ホールだーね。中身のからっぽな建物よ。その巨大からっぽ空間を「リーズナブルな価格」で美術家に貸すんだとさ。この文化行政にあきれているのは、私ひとりだろうか。 美術館・博物館というのはガラクタを集めているわけではない。昔の王侯貴族や富豪たちが血眼になって美術コレクションをつくりあげたのは、単なる物欲とも言い切れなくて、それが国の威信となりさらには外貨を招き寄せることを熟知していたのだ。誤解なく理解していただきたいが、戦利品というのはただ奪っていたわけではない。あの前代未聞のナチ殺人国家とフランス等の国家との美術品をめぐる攻防が、いったい何を意味していたかを考えればおのずと分ることだ。 美術品の収蔵ばかりではない、たとえばアメリカは現代美術の先進国というプライドを国家的に維持しようとしていることを御存知だろうか。つまり現代美術の輸出ということだ。国家はそのセールスマンの役目を政策的に実行しているのである。 私が知っている例に「アンバサダー・プロジェクト」とでもいう企画がある。ほとんど無名のアメリカ人現代美術家から作品を応募させて、選定した作品を海外アメリカ大使館のインテリアとして使用するのである。美術家に対価が支払われるわけではない。買い上げるのではないのだ。ただ、大使館に作品を掲げることで、大使館は無言のセールスマンをかって出ているのである。しかも大使館はたくさんの美術品を必要とするけれども、それを購入する費用を節約できることになる。美術家と大使館との関係はお互いにギヴ・アンド・テイクということになる。アメリカ国籍の美術家という条件を注目する必要がある。国家が関わる以上、アメリカ人によるアメリカ産の美術作品でなければならないのである。他国籍の作品などセールスしてやる必要などない。アメリカ人の作品が世界中にバラ撒かれることで、つまりアメリカ現代美術が売れることでそれは重要輸出品となり、かつ、現代美術の牙城としてのアメリカがたもたれるのである。 「美しい日本」の政府にそんな頭があるだろうか。国民をあざむくことにやっきになっている、そういう深慮遠謀には長けていても、真に文化的に、文化を経済に結び付けて国を豊かにしようということなど思いもよらないのかもしれない。 そんなことを「モナリザ人気 監視員が悲鳴」という見出しがついた記事を読みながら思ったのである。
Feb 16, 2007
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カー『盲目の理髪師』の新刊見本です。まもなく書店にならびます。ご覧くださるなら嬉しいです。
Feb 16, 2007
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テレビのヒストリー・チャンネルで、今月は映画特集のプログラムを組んでいる。映画作品を放映するのではなく、「アカデミー栄光の30年史」と、インタヴューによって13人の監督の創作の秘密をさぐる「ザ・ディレクターズ」という二つのシリーズである。 私は、毎晩10時から11時まで「ザ・ディレクターズ」を楽しみながら見ている。ここで番組の内容を述べるのは煩雑になるので避ける。そのさわりと云うか、私が特に印象深く感じたことに少し触れておこうと思う。 今日は第5回目で、『青いドレスの女』のカール・フランクリン監督についてだった。監督自身が自らの映画製作について語り、また、その作品に出演した数人の俳優やプロデューサーが語っている。 『母の眠り』(1998)の主演は、メリル・ストリープとレニー・ゼルウィンガー、そしてウィリアム・ハート。病に冒され、やがて死をむかえる母をめぐる家庭劇である。メリル・ストリープはもちろん大スターで、彼女は出演を依頼するために監督自らが滞在先のアイルランドを訪れたとき、彼を知らなかったという。あらためて作品を見て、驚嘆したのだと。メリル・ストリープはフランクリン監督に対して、「なぜこの物語を映画にしようとしているのか」と質問した。そしてこの台本を映画化しなければならない監督自身の必然性を知った。「共に仕事をやってゆける人だと思いました」と彼女は言っている。 「共に仕事をやってゆける」とは、メリル・ストリープにとってどういうことか。それは、彼女が造形する「母親」をあらゆる面から全的に監督できる映画作家であるということだ。彼女は、こう述べている。 「私はこの母親が次第に生命力を失い、映画冒頭に見せる輝きがなくなり、醜くなってゆくことを考えました。しかし、それが魅力的に画面に表われなければなりません。たいていの監督は、主人公が生命力の輝きを失って醜くなることを認めないものです。フランクリン監督はその私の提案を承認しました。そして私の演技を照明で補助し、すばらしい画面をつくりあげたのです」 テレビはその映画の場面を挿入して見せる。インタヴューに応えているメリル・ストリープの溌剌(はつらつ)とした輝きが、映画のなかでは死のベッドに横たわって、目の光もうつろに、その目蓋にはもはや何の力もなく、かすかなまばたきをする。・・・その短いワン・カットは、私を戦慄させないではおかなかった。なんという女優だろう。この命の黄昏れの表現! そして、映画として、なんと力強いカットであろう。 私は映画ファンとして、メリル・ストリープに全幅の信頼をおいてきた。彼女の演技には、いつもいつも驚嘆してきた。また、コラムニストのボブ・グリーンがニューヨークで彼女に会って書いたエッセーを読んで、メリル・ストリープというスター女優が人格的に完成した素晴らしい人物なのだと感じた。そのことはフランクリン監督もこの番組のなかで述べていて、「スターという人に直接会うと、たいてい幻滅するものだが、メリル・ストリープだけは違った」と。 番組からそれるが、ボブ・グリーンのそのエッセーによると、メリル・ストリープの記憶力は驚異的で、台本は一回読めばすべて記憶してしまうそうだ。したがって撮影現場にあらわれたときには、完璧に人物造形ができているのだという。彼女自身がボブ・グリーンに語ったエピソードによると、あるとき母親に連絡をとらなければなくなったが、お互いに海外に滞在していて居所がわからない。そのとき、数カ月前に、母親のホテルでちらりと目にした電話番号のメモを思い出したのだそうだ。一瞬のうちにその電話番号が記憶に刻まれてしまっていたのである。 私は英語の原文で読んだのだけれど、簡単な英文なので是非御一読なさるとよろしい。コラムの名手のエッセーだけあって、ニューヨークの街を乳母車を押しながら散歩するメリル・ストリープが目にうかんでくる。 さて、ハロルド・ベッカー監督が自作『ジョーニー・ハンサム』に主演したアル・パチーノについて語るエピソードにも、私はゾクゾクと嬉しくなってしまった。 この作品、グロテスクなほど醜い男がいろいろあってハンサムな男になってゆくという物語。ベッカー監督に言わせると、「ありきたりの話」で、監督を依頼されたときは気乗りがしなかったそうだ。しかし主演に決定していたアル・パチーノととりあえず打ち合わせすることになって、二人は初めて会合した。 「その部屋に鏡があった。アルは私の前で鏡にむかった。そしてたちまちグロテスクに変身したのだ。背中も丸くなってしまった。私は驚嘆してしまった。そんなのを見たのは初めてだった。私は彼と働きたいと思ったんだ」 ここに語られているのは、真の俳優とは如何なるものかということと、同時に、共に仕事をする人たちがどのように出会って魂を寄せあうかという話だ。 私は不覚にも涙がこみあげ、口許がふるえた。 いい映画の製作現場には、いい話がある。ヒストリー・チャンネルの「映画特集:ザ・ディレクターズ」はとてもおもしろいですぞ。
Feb 15, 2007
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出版調整のために刊行が遅れていた東京創元社のディクスン・カー『盲目の理髪師』改訳新装版の見本ができあがった。担当の宮澤氏から電話連絡あり。 さて如何なる上がりになっていることか、いささか気になる。25年間つづいた装丁を新しく変えた。その最初の刊行なのだから、装丁画家としては気にならないわけがない。 これまでの装丁の第一印象は「白いふちどり」ということだったが、新装版は「黒い本」とする基本線を提示した。が、宮澤氏によると、白いふちどりのデザイン・フォーマットは変更せず、黒い絵を白でかこむことにした、と説明があった。意外な決定ではあったが、書店では旧版と同列にならべられるのであるから、社としては統一感ということを改めて考え直したかもしれない。それとも、全面黒にして絵のなかにタイトルその他の文字を組み込むという私の想定ではデザインがやり難かったか・・・ 明日、見本がとどけられる。それを見て、今後の絵のバランス等について再考する必要があるかもしれない。
Feb 14, 2007
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外出しての帰途、しばらくぶりで古書店をのぞいた。ふとゾッキ本(二束三文扱いの本)のコーナーに目をやると、「ヤヤ!」、新選組の生き残り永倉新八の日記があるではないか。たしか7,8年前に、新発見の自筆史料としてさる所に存在が確認されたと報じられたことを思い出した。 手にとってみると、それはまさしくその新発見史料の原文を忠実に復刻し、かつ、霊山歴史館学芸課長であり岩倉具視対岳文庫長を勤める木村幸比古氏が解説を付したものだった。 購入決定! ゾッキ本扱いはもったいない。 『新選組戦場日記 永倉新八「浪士文久報国記事」を読む』 木村幸比古編・訳、PHP研究所刊、1998年。 永倉新八という人物は新選組副長助勤・二番隊組長で、近藤勇・土方歳三・沖田総司とともに新選組四天王と称された。例の池田屋襲撃事件では指を損傷し刀が折れる激闘をしている。数少ない新選組の生き残りとして明治維新を生き抜き、大正4年に77歳で死亡した。 生れは江戸下谷であるが、北海道の松前藩士の次男。維新後、やはり松前藩医杉村氏の婿養子となり改名し、小樽に在住したという。 松前藩の人とは、私は初めて知った。我家も松前藩とはわずかながらの因縁がある。遠く家老家と姻戚関係にあり、門晶庵事件の奇怪な舞台となって焼失した円通寺を復興したのは曾祖父顯月である。そして小樽もまた我家のえにしある地だ。・・・と云って、永倉新八とは何の関係もないのだが、そういう地縁をこの『『新選組戦場日記』の解説ではじめて知ったのだった。 帰宅後、ざっと拾い読みしたところ、1971年に新人物往来社が刊行した『新撰組顛末記』のなかに、永倉新八が自筆日記の存在を明かし、請われて人に貸したところ、以来杳として行方がわからなくなってしまったという意味のことを述べているが、その自筆日記が本書なのだった。永倉の生前の言から、研究者の間では日記があったことは知られていたのだが、いわば幻の超一級史料ということになっていた。 手記原本は三冊から成り、永倉自身は『浪士文久報国記事』という題を付している。最後の一冊、紙25枚のうち6枚が他人の筆になり、そこから木村幸比古氏は「(永倉が発起人となって)明治九年に(東京板橋駅東口近くに)建てた〈近藤、土方両雄の碑〉の記念出版物として刊行を試みたのではないだろうか」と推測している。そして、新選組の実像は、本書永倉新八の『浪士文久報国記事』と、やはり新選組生き残りの人物で永倉と最も親しくしていた島田魁(明治33年没)の『島田魁日記』(霊山歴史館刊)とによって鮮明に浮かび上がってくる、と木村氏は述べている。 そんなわけで、ゾッキ本のなかから思わぬ拾い物をしたのである。ことし初めて購入した古書だ。
Feb 13, 2007
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昨日の映画タイトルについてのつづきである。原題は人名だけれども日本の配給会社によって異なるタイトルがつけられた、いわゆる古典的名作を数本、参考までに追記しておく。 『春の驟雨』、原題は『Marie(マリー)』1933、仏、パウル・フェロシュ監督。 『描かれた人生』、原題は『Rembrandt(レンブラント)』1937、英、アレクサンダー・コルダ監督。レンブラントとは、もちろん画家レンブラントのこと。 『美しき青春』、原題『Helene(エレーヌ)』1939、仏、ジャン・ブノワ・レヴィとマリー.エプスティン共同監督。 『望郷』、原題は『Pepe-le-Moko(ペペ・ル・モコ)』1939、仏、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督。ペペ・ル・モコは主人公の名前。ジャン・ギャバンが演じている。この作品はいまでも比較的容易に観ることができる。DVDも出ている。私にとっては、「望郷」という邦題より、主人公の名前ペペ・ル・モコのほうが面白い語感のため印象深い。 『花のようなエレ』、原題は『Helle(エレ)』1972、仏、ロジェ・バディム監督。私はこの邦題が好きだ。 『ルシアンの青春』、原題は『Lacombe Lusien(ラコーンブ・ルシアン)』1973、伊・西独、ルイ・マル監督。青春ということばに引かれ、甘い恋愛だと思ってこの映画を観た方は、あまりの苦さに愕然としたことだろう。主演俳優ピエール・ブーレーズは私よりちょうど10歳年下で、この映画撮影時に17歳だった。樵だったところをルイ・マル監督に見い出されてこの映画が初出演。そしてこれ1作だったのではないか。たしか2,3年後に交通事故であっけなく散ってしまった。映画は第2次大戦下の物語であるが、主人公ルシアンとそれを演じた無名俳優の実人生が重なり、映画がピエール・ブーレーズの若き死を予見しているかのような不思議な感覚にとらえられる。青春の苦さが口のなかにひろがってゆくのを感じながら。 「この人を見よ(エッケ・ホモ)」とはキリスト教の聖書のことばだが、人名を作品タイトルにしているその意味をさぐってみると、私はどうも「典型としての他者」を提供しているように思えてくる。それは映画に限ったことではなく、文学作品にもいえる。 「典型としての他者」とは、人間研究のための「標本」である。それは情緒や感傷でくるんで自己と同化できるとは限らない。むしろ自分とは異質の他者を、その本質を見極めるために、冷厳と見つめなければなるまい。 たとえば上にあげた『ラコーンブ・ルシアン』、ルイ・マル監督は、「ここにこういう若者がいる。よくご覧なさい。若気の無知・無邪気を巧妙に利用する凶暴な権力があるのです。悪魔のごとき権力は、甘いお菓子をこの若者にさしだし、若者を使って身内のものや知人たちを地獄につきおとし、果ては若者さへも殺害してしまったのですよ」と言っているわけだ。「この人を見よ!」と。 作品というものは、多かれ少なかれ、人間の典型を造形しようとつとめているのだが、人名を飾り気なくタイトルとした作品は、ことのほか作者のその思いこみが強いような気がする。そして、そのことは、自他を明確にするという欧米の文化基盤を顕著に示しているのではないだろうか。 欧米の観客は、情緒や感傷を排した人名タイトルの映画を、この人はどんな人生を積んでいるのかという興味で、つまり、マリーとはどんな女だ、エレとはどんな女だ、ペペ・ル・モコとはどんな男だ、という興味で映画館に足をはこぶのではあるまいか。いや、彼等が情緒や感傷をもとめないわけではないだろう。しかし、その感情がどんなものかは自分が作品を観て感じることだ、タイトルとしてあらかじめ他人に押し付けられたくはない、と思っているかもしれない。作品から予期せぬ感情を誘発されることこそ、映画を観るたのしみだ。文学作品を読むたのしみだ。あらかじめ誘導路を敷き設するような修飾されたタイトルは必要無いということかもしれない。
Feb 12, 2007
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映画ファンの私であるが、欧米の作品を見ながらときどき「何故?」と思うことがある。自分なりの解答があってこれを書こうとしているのではない。むしろ設問だけしておき、しばらく考えてみようかと思っている次第だ。 私が何故と思うことは、映画タイトルの付け方、それも人名だけをまるでそっけなくポンと示している作品についてである。いや、そのストーリーや映画技巧のことではない。なぜ欧米の観客は、人名だけの題名(タイトル)で映画館に足を運ぼうと思うのだろう、ということだ。つまり私が注目しているのは「原題」である。日本の配給会社がつけた日本語の題名のことではない。 いま思い出すだけでも10本20本くらいは例示できる。 映画ファンなら誰でも観ているだろう、ビリー・ワイルダー監督の『麗しのサブリナ』(1954)の原題は単に『Sabrina』である。オードリー・ヘップバーンが演じるヒロインの名前だ。この作品は製作会社がオードリー・ヘップバーンをスターダムにのせるために、政策的につくったと言われている。その作品の題名が『Sabrina』とは如何にもそっけない。しかし、これで観客を呼べる、スターを世に送りだすことができると、映画会社は判断したことになる。 『ロッキー』は、原題も『Rocky』(1976)。監督はジョン・G・アヴィルドセン、脚本と主演はシルベスター・スタローン。この映画の驚異的な成功でシルベスター・スタローンは一躍スターダムにのしあがった。 たしかにRockyという主人公の名前(ロッキー・バルボア)は、映画的に良く考えられた名前ではあるかもしれない。というのは、アメリカ映画にはボクシング映画の伝統があり、ボクシング・ファンはすぐさま実在のボクサー「ロッキー・マルシアノ」を連想するであろうからだ。それにしても、スタローンは自らの俳優・映画人としての命運をこの『Rocky』という題名に賭けたことに変わりはあるまい。 人名がそのまま作品タイトルになっていると言っても、歴史上の人物であるとか、有名物語の主人公の場合もある。「ベン・ハー」「バラバ」「ジャンヌ・ダルク」「エル・シド」「アラビアのロレンス」「ロビン・フッド」「カラミティー・ジェーン」「ゴッホ」あるいは「レベッカ」等々。 あるいはフェデリコ・フェリーニ監督の『ジンジャーとフレッド』(1986)をあげてもよいだろう。この主人公は男女の物まね芸人である。彼等は、ミュージカル・スターのジンジャー・ロジャースとフレッド・アステアの物まねをしているのである。 このような衆知の名前なら、映画タイトルにしても説明なしに観客に伝わるだろう。しかも物語さえ予想できる。日本で言うなら、「織田信長」「徳川家康」と同様だ。あるいは「風の又三郎」。が、日本映画のタイトルで人名をそのまま使った現代劇は、欧米にくらべるとひどく少ない。 黒澤明の脚本で谷口千吉監督(脚本も共同執筆)監督の『ジャコマンと鉄』(1949)や、今井正監督『キクとイサム』(1959)がすぐに思い浮かぶ。ベストセラー小説の映画化として、大岡昇平原作・溝口健二監督・田中絹代主演『武蔵野夫人』(1951)や、船橋聖一原作・同じく溝口健二監督・木暮実千代主演『雪夫人絵図』、あるいは今東光原作・阿部豊監督・筑波久子主演の『春泥尼』。この『春泥尼』、そのタイトルだけを見て、おそらく誰も宗教映画とは思うまい。なにか「善からぬ匂い」をかぎつけるだろう。そういう上手さがある。原作者が今東光となればなおさらだ。・・・このように、日本の現代劇映画にも人名タイトルがないわけではないが、少ないことは少ない。川島透監督・金子正次脚本・主演の『竜二』はその意味で特筆に価する作品だ。 実在の人物をタイトルにしているのは、古くはフランス映画にアレクサンドル・ヴォルコフ監督の『キイン』(Kean:1923)がる。イギリスの名優の名前である。 それより時を下ると、1930年代のニューヨークの冷酷なギャングで、後にラスベガスにフラミンゴ・ホテルを建設したベンジャミン・バグジー・シーゲルの物語、バリー・レヴィンソン監督・ウォーレン・ベイテイ主演『バグジー』(Bugsy:1991)。 イギリスの現代小説家アイリス・マードックの晩年を描いた、リチャード・アール監督・ジュディ・デンチ主演の『アイリス』(Iris:2001)。彼女はアルツハイマー病に罹り、次第に記憶を失ううちに亡くなった。映画の原作は文芸評論家で夫のジョン・ベイリー著『アイリスとの別れ』。彼女の小説は私の蔵書のなかにもある。 あるいは、フレッド・ジンネマン監督の『ジュリア』(Julia:1977)。この原作はアメリカの劇作家リリアン・ヘルマンの回顧録『ジュリア』であるが、ジュリアというのはヘルマンが影響を受けた友人で、実在した人だけれども、有名人というのではない。私が最初に設定した「何故」という疑問は、このような衆知ではない人物名のタイトルにこそ適当だ。 たとえばこういうのはどうだろう。デンマークとスウェーデンとの共同製作、ピレ・アウグスト監督『ペレ』。この題名からあの「サッカーの神様」ペレを連想した人がいたのではあるまいか。いや、いたとしても、そのように連想したのは日本の観客だけだろう。原題は『Pelle Erobreren』(1987)。欧米の観客は、「サッカーの神様」を連想しないですんだのだ。邦題を『ペレ』としたのは、勘ぐれば、あえて誤解を誘導したと思えてならない。映画は無論サッカーとはなんの関係もない。日本の観客を動員するための『ペレ』ではなかったか。 私が人名だけの作品タイトルについて「何故」と問う真意は、すでにお察しかもしれないが、欧米の観客と日本の観客との作品タイトルへの「食いつき」の意識が何か本質的に異なるのではないかということだ。もし異なっているのだとしたら、それは文化意識の相違を意味してはいないだろうか。 もうすこし例をみてみよう。 1926年のアメリカ映画、ハーバート・ブレノン監督の『ボー・ジェスト』(Beau Geste)。タイトルは主人公の名前である。原作はパーシャル・クリストファー・レンのベストセラー小説。 1930年のマーヴィン・ルロイ監督の名作『犯罪王リコ』。エドワード・G・ロビンソンの名演で、残酷と弱さを兼ね備えた新しいギャング像をつくりあげている。この素晴らしいタイトル、じつは日本でつけたもの。原題は『Little Caesar』。直訳すれば「小さなシーザー」である。シーザーとはローマ皇帝シーザーのこと。シーザーには到底およばないが、暗黒街に君臨する小さな皇帝ということだろう。その一ひねりしたタイトルをもう一ひねりして「犯罪王」としたわけだ。じつは原題の「シーザー」にはギャングのリコの末路が暗示されているのだが、邦題はその含みを取り払ってしまう結果となっている。何を取り、何を捨てるかということに、観客の心理をどのように操作しているかという文化意識が透けていよう。 次に、邦題と原題とがまるで異なる作品をあげてみる。原題はまさに飾り無しの人名だ。 『白き処女地』の原題は『Maria Chapdelaine(マリア・シャプドゥレーヌ)』(1934;仏)。ジュリアン・デュヴィヴィエ監督。 『孔雀夫人』は『Dodsworth(ドッズウォース)』(1936;米)。ウィリアム・ワイラー監督。ドッズウォースというのはヒロインの姓だ。ドッズウォース夫人という。 『情婦マノン』は『Manon(マノン)』(1949;仏)。アンリ=ジョルジュ・クルーゾー監督。下敷きになっているのはアベ・プレヴォーの古典的名作『マノン・レスコー』だろうが、まったく違う現代劇とみてもさしたる間違いとはいえない。ただ、『Manon』というタイトルからフランス人は『マノン・レスコー』をすぐに連想したであろう。それを意識した映画タイトルである。 『しのび逢い』は『Monsieur Ripois(リポワ氏)』(1954;仏)。ルネ・クレマン監督。日本でつけたタイトルはルネ・クレマンの製作意図を完全に無視したか、理解をしていない。この映画、主演のフィリップ・ジェラルドがさまざまな女を渡り歩く話ではあるが、主人公は女たらしでもないし、恋愛至上主義者でもない。まして女性に敬意をもっているのでもない。ポータブル・ラジオをかかえて、その無機質なアンチ・コミュニケーションに拠り所をみいだしている自己愛者なのだ。「しのび逢い」などという少女趣味的な甘い恋愛映画ではない。ルネ.クレマン監督はこの主人公リポワ氏に、かつてない現代人の姿を発見しているのである。監督にとって、作品は『リポワ氏』というタイトルであらねばならなかったはずだ。50年前以上昔の映画だが、いまこの現代にこそ、このリポワ氏という自己愛者は正統な共感者を得ることだろう。 『嘆きのテレーズ』は『Therese Raquin(テレーズ・ラカン)』(1955;仏)。マルセル.カルネ監督。 『突然炎のごとく』は『Jules et Jim(ジュールとジム)』(1961;仏)。フランソワ・トリュフォー監督。 『裸足のイサドラ』は『Isadora(イサドラ)』(1968;英)。カレラ・ライス監督。イサドラとはトゥーシューズを脱ぎ捨てたバレリーナ、イサドラ・ダンカンのこと。バネッサ・レッドグレーブが存在感のある名演。 『嘆きのテレーズ』ほどの違いと言ってもよいだろうが、ロバート・ゼメキス監督の『フォレスト・ガンプ 一期一会』の原題は『Forrest Gump』(1994;米)。フォレスト・ガンプはトム・ハンクスが演じる主人公の名前。「一期一会」というのは苦肉のタイトルか。とってつけたようで、ストーリーともそぐわない。 先に述べた『ロッキー』のように、原題をそのまま邦題にして成功した作品もある。 『ニノチカ(Ninotchka)』(1939;米)。エルンスト・ルビッチ監督。主演グレタ・ガルボ。 『シェーン(Shane)』(1953;米)。ジョージ・スティーブンス監督。主演アラン・ラッド。 『メリー・ポピンズ(Mary Poppins)』(1963;米)。ロバート・スティーブンス監督。リチャードとボビー.シャーマン兄弟の作詞作曲になるディズニー・ミュージカル映画。 私が好きな映画の5本の指にいれてもよいと思っているイングマール・ベルイマン監督のスウェーデン映画『ファニーとアレクサンドル(Fanny och Alexander)』(1982)。上映時間5時間11分。映像の厚み、演技の極致。宗教の偽善と酷薄をここまで明瞭明確に描いた作品は、ほかにないかもしれない。 この作品も次の『アルバレス・ケリ-(Alvarez Kelly)』(1966;米)も、日本における興行成績はどうだったのだろう。残念ながら私はその数字の資料を知らない。監督はエドワード・ドミトリク。ウイリアム・ホールデンが主演していた。 『グロリア(Gloria)』という作品は1980年にジョン.カサヴェテス監督、ジーナ・ローランズ主演で製作され、1998年にシドニー・ルメット監督、シャロン.ストーン主演でリメークされている。 『エド・ウッド(Ed Wood)』(1994)はティム・バートン監督の作品。同監督と相性がよいジョニー・ディップが主演。原作はルドルフ・グレイ著『恍惚の夢魔(Nightmare of Ecstasy)』で、映画史上最低の監督という不名誉(もしかして名誉?)な称号のある実在のエドワード・ディヴィッド・ウッド・ジュニアーの伝記的物語。アメリカでは「エド・ウッド」で観客を動員できたのかもしれない。日本ではそのタイトルでは無理だったのではあるまいか。ジョニー・ディップで引き付けたか。 長々と人名が作品タイトルになっている映画を例示してみたが、日本の観客と欧米の観客との意識の差がそのタイトルへの食い付きにあらわれているかどうか。冒頭に述べたように、いま私はその自分の設問に対してはっきりした答をみつけてはいない。今後ゆるゆると考えてみようというところである。 どなたか御意見があればお聞かせください。
Feb 11, 2007
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きょうは午後7時から町内自治会の会合に出席した。年度変わりで執行役員が交替する。各戸が順繰りに勤めることになっている。町内は13区画に分けられ、3年前に私はその1区画の班長を勤めたのだが、ことしは執行役員をやらなければならない。一応全戸参加の投票があって決定するのだが、わが町内、なみの仕事量ではないのだ。遥か以前に何か勘違いしていたのではないかと思うほど、小さな地方自治体のような仕事内容である。事業報告から会計予算まで、数十ページにおよぶ立派な書類が作成される。官公庁との折衝もかなり積極的である。週日の昼日中の仕事など、とても片手間にはできるものではない。誰もがさしつかえがあるのは至極当然。私はのっけから、「少し仕事を痩せさせましょう」と意見をのべておいた。ともあれ、今年度、私は町内の衛生管理をすることになった。 わが町内には現在、私道の市への無償移管という長年の問題をかかえている。私の所有する私道もその対象になっているのだが、これはいわゆる不動産登記の部分書き替えということで、自分の土地を無償で市に提供するということにすんなり納得する人ばかりではない。 それと同時に、私道を公道に変換するということは道路交通法の扱いがまったく異なってくることを意味している。たとえば車の駐車など、もはや行えなくなる。一方、公道にする利点は、道路管理が自治体の責任になり、メンテナンスに私費を投じる必要がなくなることであろう。じつはこの道路補修費の準備金として、古くからの住人は、巨額の積み立てをしてきている。それが必要無くなるのである。 そんなこんなの問題もかかえて、3月から私は一層忙しくなりそうだ。
Feb 10, 2007
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イタリア北部のマントバ近郊で、約6,000年前のものと推定される男女の抱き合った遺骨が発掘された。これを写真入りで伝えているのはAFP通信。 その写真を見ると、遺骨はほぼ完全な状態で、男女が顔を寄せて向かい合っている。ふたりともお坐りするように膝を折り曲げた恰好で、男の膝の上に女の折り曲げた膝が乗り、どうやら男は腕を女の肩を抱くように掛けているようだ。ベッドの上で睦みあうふたりの姿。 ・・・と云いたいところだが、すぐに疑問がもちあがる。報道では、考古学者は「埋葬された」と言っていると伝えている。だとすると、この男女はいったいどのような状況で亡くなったのだろう。抱き合うように横たわって、ふたり同時に! 病死にしろ、心中にしろ、二つの遺体をこのような恰好で「埋葬」することなどあるだろうか。「埋葬」ということは、あくまでも他人の手によって葬られたことを意味する。 この私の疑問に対する答は、報道記事のなかには何も見出せない。 そこで、私は勝手に想像をめぐらせるのだが、まず「埋葬」を否定してみよう。するとそこに現出する状況は、この男女は人知れず死んだということだ。病死でもいい、心中でもいい。また、食物がなくて抱き合ったまま死を待っていたという想像もできる。 その死の正確な状況はともかく、AFP通信が配信したこの写真が心を打つのは、ふたりの愛がひしひしと伝わってくることだ。朝日新聞はこの写真に、《6000年越しの愛》というタイトルを付けている(9日夕刊)。 6,000年前というのは新石器時代にあたる。 そこから私はあらたな想念がうかんでくる。 日本では厚生労働大臣の無知で恥知らずな発言が問題になっている。時代錯誤の意識が、自己改革されないまま「本音」となっているわけだ。陳謝しているけれども、男尊女卑的な意識というのは、一朝一夕に変わるものでもあるまい。 私が6,000年前の男女の愛の姿体を見て考えたのは、彼等の社会には男尊女卑の思想がなかったのではないかということだ。 きわめて奇怪なことであるが、世界三大宗教と呼ばれる宗教はことごとくその教義の根深いところに男尊女卑の思想がある。宗教文化は、その思想をたいへん精緻に理論化し、普遍化してきた。 私は数年来、創作のテーマとして「新アダムとイヴの誕生」を扱っている。これは、じつは、旧約聖書におけるそもそもの女性蔑視に対して異を唱えるものだ。キリスト教が女嫌いの宗教であることは、その初めから現代まで本質的に変わっているわけではない。イスラム教も仏教も、その点は似たり寄ったり。はっきり言えば、それらの宗教世界で徹底的に侮辱されているにもかかわらず、女性たちは唯々諾々として帰依しているのである。わが厚生労働大臣の意識を私は時代錯誤と評したが、驚くにはあたらない。 現在、この宗教文化に対して、「それは間違いですよ」と言っているのは、DNA遺伝子学である。この地球上に人間が誕生(発生)してから現代まで、脈々と種の生命が存続しているのは女性染色体によるのである。つまりX染色体の連続性である。男性染色体(Y染色体)というのは、いずれ消滅してゆく。てっとり早く言えば、もし自分の子孫を残して一族を繁栄させようと望むなら、女の子を産まなければいけないということだ。 昔の日本には、「嫁して三年、子無きは去る」という風潮があった。「家」が重視され、特に武士社会では家督を継がせる男児の出生は一大事であったから、柳沢大臣ではないが「女は借り腹」、子を産むための機械と考えられていた。 しかし、このような文化意識もまた遺伝子研究からは完全否定されるものだ。まさに笑止の沙汰。子供の性を決定するのは男の精子にほかならない。とくに男児がほしいとなれば、その責任は男性以外にはない。 遺伝学のむずかしいことを知らなくとも、女性染色体がXXであり、男性染色体がXYであることを知っていれば、それらを掛け合わせてXYを得るためには、初めから男性染色体が不可欠であることは何の説明もいるまい。つまり男は性を決定する染色体をはじめから半分づつ持っていて、X染色体を持っている精子が卵子と結合すれば雌性を決定し、Y染色体を持っている精子が卵子と結合すれば雄性を決定する。もうすこし正確にいうと、Y染色体を機能させるSRYという遺伝子が正常ならば、Y染色体をもつ精子と結合した卵子はやがて男性となる。性の決定に女性は関係していないのである。 「嫁して三年、子無きは去る」と、男の責任を棚にあげて、女を足蹴にしていい気にふんぞり返っていたのが武士社会というわけだ。文化文化というけれど、正体を見極める必要があるということだ。 そういう見極めは、社会学的にはフェミニズム論が一般化につとめている。が、それに対して反フェミニズム論者すなわち多かれ少なかれ心底に男尊女卑を宿す人たちは、おおむね、「それは、生物学的な性差に依拠し、自然の理を社会制度化していることなのだ」と反論してきた。 しかし現代遺伝学の研究結果は、それら時代錯誤の文化意識や宗教教義に反論の有無を言わせないのである。 6,000年前の男女の愛を感じる遺骨の状況は、この時代にはいまだ女嫌いの思想は胚胎していないことを示していはすまいか。 世界の数多くの民族のなかで、性差による社会的差別がないと報告されている民族がある。いま、ちょっとど忘れしてしまい、確実なことは言えないが、ピグミー族もそのひとつだったと思う。(間違っていたら後日訂正します。)これらの社会を研究すると、2,000年以上にわたって延々とつづいてきた女性蔑視社会を変えるまったく新しいパラダイム理論が構築できるかもしれない。 人間は、まだ、人間自身のなかに、希望の火種をみつけることができそうだ。
Feb 9, 2007
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山田維史 《青空を撃て!》コラージュ 2007年2月9日
Feb 9, 2007
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山田維史 《葡萄のアダム=イヴ》コラージュ 2007年2月8日
Feb 8, 2007
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山田維史 《富士の野に落ちる月》コラージュに部分加筆 2007年2月8日
Feb 8, 2007
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山田維史 《原型アダム=イヴ》コラージュ 2007年2月7日
Feb 7, 2007
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近代科学としての博物学・植物学の泰斗カール・リンネが生まれたのは今からちょうど300年前。生誕国スウェーデンでそれを記念するさまざまな催事がはじまったと新聞が伝えている。 カール・リンネ(Carl von Linne、ラテン語表記でCarolus Linnaeusとも。1707.5.23-1778.1.10)の名は、私にとっても植物採集に夢中だった子供時代から親しかった。ラテン語の学名が記載されている植物図鑑を開くと、リンネが命名した植物がたくさんあることに気がつく。 たとえばクローバーとしておなじみのシロツメクサの学名は、「Trifolium repens LINNAEUS」(トリフォリウム・レペンス・リンナエウス)という。これが国際的に認知されたクローバーの正式名称である。最後にLINNAEUSとあるのが、命名者の名前で、この場合はカール・リンネを指している。リンネが命名した植物に限り、この命名者表記を「L.」と略記することが国際的に認められている。それはいわば尊称なのである。 最初の「Trifolium」は、属名を表わしている。二番目の「repens」は、種の小名である。 リンネの功績というのは、この学名の「二命名法」なのである。正しくは、二命名法を考案したのはリンネより約200年前のボーアン兄弟なのであるが、リンネはそれを踏襲しつつ一層体系的にし、「学名を属名と種小名との2語のラテン語表記とする」近代的分類学の基礎をつくったのだった。この2語につづけて命名者(発見者)の名前を記す。その3語で植物の正式名称(学名)は成り立っている。 それに対して、「シロツメクサ」は「和名」である。日本における植物学上の正式名称である。植物学上のと断ったのは、場合によっては地方名があったり古代中国等から入ってきたいわゆる漢名や韓名があるからで、それらを「俗名」といっている。 シロツメクサを例にとったので、他にもいくつかリンネが命名した植物をあげてみよう。 ガマの穂でおなじみのガマ(ガマ科)は、「Typha latitolia LINNAEUS」 夏の野に小さな青い花を咲かせるツユクサ(ツユクサ科)は、「Commelina communis LINNAEUS」 ヒレアザミも、ニワヤナギも、スベリヒユも、カール・リンネが命名している。 ところでたとえばマメ科のタヌキマメの学名を見ると、次のように記されている。 「Crotalaria sessiliflora LINNAEUS form. eriantha MAKINO」 最初の3語は分る。それ以下は何を意味するのだろう。じつは同じ植物なのだが外観が異なっていることを示している。「form.」は英語のformに通じる語。最後の「MAKINO」は発見者、すなわち我が牧野富太郎博士を表わす。 ついでだから和名「ナワシロイチゴ」の学名を見ると、「Rubus parvifolius LINNAEUS var. triphyllus NAKAI」とある。 これもリンネの命名であるが、その変種をナカイが発見していることが分る。「var.」はラテン語のvarius(変種)の略語。ナカイは中井猛之進のこと。小説家、故中井英夫氏の父である。中井英夫の作品には薔薇をはじめとして、植物の影がいたるところに揺曵(ようえい)している。たしかカール・リンネの名前が登場する作品もあったと記憶する。お育ちになった環境を知ってはじめて納得できるのである。 私の手沢の植物図鑑をそばに置いて、リンネの分類法について述べてみた。私は植物図鑑を数冊所持しているが、そのうちの3册は小学1年生のときから使っている。本というものは大したものだとつくずく思う。上述のラテン語の学名は、その小学生時代の図鑑から引いた。もっとも完璧を期しているはずの『牧野新日本植物圖鑑』(北隆館刊、第27版、限定番号58923)には、不思議なことに、変種のダブル・ネームが表記されていないのである。牧野博士ご自身の発見命名した植物にしてそうなのだ。この理由について私は不明である。54年間使用してきた小さな本が記述を補完しているのである。 そうそう、植物を例にとったけれど、この二命名法は植物に限ったことではなく、人間をふくめた生物全般に適用されることを申しそえる。また、リンネの時代より科学的に進化したところは訂正されたり、先述の変種の発見のように一層厳密に細分化されて発展していることも申しそえねばならない。 リンネとは関係がないが、お名前をあげたので事のついで、私の蔵書から中井英夫氏の御署名本の書影をご覧にいれましょう。
Feb 6, 2007
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『美しき青きドナウ』といえばウィーン・フィルハーモニー管弦楽団恒例のニューイヤー・コンサートでお馴染みの曲。ワルツ王と称されるヨハン・シュトラウス2世の作曲、1867年にウィーンで初演され、その後世界的に有名になった。その自筆楽譜が売却されそうだという。 このニュースは朝日新聞の関本誠氏がウィーンから伝えているもので(5日夕刊)、それによると、この楽譜は全8ページ、そのうち2ページがシュトラウスの自筆。現在「ウィーン男声合唱団」が所蔵している。同合唱団は1843年に創立されたというから、164年の歴史を誇る名門である。ヨハン・シュトラウス2世との親交は深く、『美しき青きドナウ』は同合唱団に捧げられた。 オーストリアの人々がこの曲に寄せる親しみは深く、「第二の国歌」と言うほどだそうだが、そのオリジナル楽譜が売りに出されようとしている。理由は、「ウィーン男声合唱団」の財政難だという。アマチュア合唱団であるため運営は団員からの会費収入でまかなわれている。国やウィーン市からの補助はない。しかし、かつては300人もいた団員が、いまや69人。このままだと2,3年後には合唱団を解散するしかないらしい。 打開策として基金を設立したものの、集まった寄付金は目標額100万ユーロ(約1億5700万円)には到底およばない。『美しき青きドナウ』の自筆楽譜は、専門家の鑑定では100万ユーロなのだそうだ。 さてこの話の行方はどうなるのか。オーストリアにとっては貴重な文化財。もし海外に売却されたとしても、国外に持出すには政府の許可がいる。簡単には許可されまい。 いやはや、芸術文化の衰退は日本のことと思っていたら、音楽の都といわれるウィーンの名門合唱団が消滅の危機に瀕しているとは。 ことしのウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートは、私もテレビで視聴した。『美しき青きドナウ』や、ヨハン・シュトラウス1世作曲の『ラデツキー行進曲』が奏でられると、会場は手拍子で大盛り上がりだった。その熱狂は毎年の光景である。美々しく着飾った紳士淑女が立ち上がって喜びをからだいっぱいに表わす。なるほど「第二の国歌」と言われるのもうなずける。 その熱狂と今日のニュースがなかなか結びつかない。 話はそれるが、『ラデツキー行進曲』は私にとって思い出の曲である。中学1年生のときに故・芥川也寸志氏の指揮で新日本フィルの演奏で聞いた。オーケストラ演奏をナマで聞いた最初だった。そして私はそのときにたったひとりで直截、芥川也寸志氏におめにかかった。氏は案内もなく突然、お休み中の控え室の扉を開けた私を、ニコニコしながら迎えいれてくださった。そして私が持っていた手帖に、数小節の楽譜を書き、Wakamatsuという語を加えた署名をくださったのである。「夜のコンサートにもいらっしゃい」とおっしゃりながら。 そのときに演奏したのは『ラデツキー行進曲』と、昼に『未完成交響曲』、夜に『田園交響曲』であった。場所は、会津若松市の昔の謹教小学校講堂だった(現在、同小学校は昔の第三中学校(私の母校)があった地に移転。)市民会館が建設されていなかった頃のことである。 私はそのコンサートのことを、影像とともにあざやかに記憶している。私の心身に音楽がしみこんできたのだった。
Feb 5, 2007
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立春(4日)を過ぎて、東京はポカポカ陽気。 ひさしぶりに自転車で遠出をした。紅白の梅が咲き、連翹(れんぎょう)の黄色もあざやかだ。俗謡「さのさ」などツイとくちずさむ。 なんだなんだなんだネー あんな男の一人やふたり 欲しくばあげましょ熨斗つけて アーラ とは云うもののネー あのひとは私が初めて惚れた人 好きなのよ好きなのよ 本当に好きなの死ぬほど好きなのよ けれどもあの人にゃ分らない アーラ それでいいのよネー 私だけ待ちましょ来る春を でもさみしいのヨ こんなこと言われてみたいやねェ。 「季寄せ」を開くと、二月春の部に「猫の恋」というのがある。「うかれ猫」とか「春の猫」、あるいは「猫の妻」などという言葉も同じ意味。猫の恋は俳句の世界では「月」と結びつけられることが多い。私が好きな虚子の句に、 月満ちて又缺けそめぬ猫の戀 虚子 のべつまくなく惚れたはれたとやっている我等人間に、「人の恋」という季語はない。 「アーラ それでいいのよネー」 唄いながら2時間半ばかり走りまわった。 帰りに先日「たらの芽」を買った八百屋に立ち寄ると、「ふきのとう」があった。みずみずしい緑色のふっくら丸いのが五つはいったのを買った。夕飯に、酢みそにして、桜色した志野の馬上盞に盛った。ほろ苦い味が、いかにも早春らしい。 ふいに、18歳の春を思い出した。大学受験のために会津から出てきた時、町田にお住まいだった某氏宅に一夜お世話になった。朝餉の味噌汁にふきのとうが吸い口に添えてあった。近所で野摘みしたものだという。44年前の町田は、現在のにぎわいからは想像もできないが、まだ郊外の野山のなかにひらけつつある町という感じだった。小田急電車も床は木製だった。いま町田市を訪れると、44年前の面影のみならず、昔のあとをたどることはまったくできない。道筋さえ探せない。 新しい出発がまっていたあの日のいささかの心細さが、ふきのとうのほろ苦さとともに記憶されている。
Feb 5, 2007
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山田維史 《失楽園後のアダム》コラージュ 2007年2月4日
Feb 4, 2007
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今日は節分。豆まきはしなかったが、大豆のかわりに用意してあった落花生を食べた。と言っても、年の数の62粒は食べられない、適当に殻を割っては口に放り込んだ。 我家では私の子供のころから落花生を撒いていた。落花生なら撒いた後に拾い集めて食べられる。別に煎り大豆を用意することもあったが、この代替、母が考えたのだろうと子供の頃は思っていた。ところが落花生を代りにする家庭はどうやら他にもあるらしく、のみならずNHKニュースによると今年の成田山では大豆と落花生とを半々に撒いたという。れっきとした寺社が落花生を使っていることに少しおどろいた。しかし、考えてみれば、成田山の在所は落花生の産地である。地場産業とのタイアップというわけだ。 「鬼は外」と言う。が、私は20代の頃、心に鬼を引き込もうとしていたものだ。「目の鬼」と自称していた。つまり眼力を蓄えたかったのである。洞察力といってもよい。 それは心構え、心に期すことだったが、大豆を一粒一粒食べていると、つい芝居っ気がでてきて形を想像してしまう。白髪ザンバラ、素裸に赤褌を巻き付けて、その端をダラダラと長く長くひきずり、赤入り緞子の糸もほつれてボロボロの花嫁衣装をはおって、暗がりにうずくまってポリポリと豆を食う。ときどきニッと独り笑いなんかして・・・ バカなことを想像しているでしょう? 豆を食べていると、どうしてもそんな姿が脳裡に浮んでくる。一粒づつ口に入れるという動作が、なんとなく辛気くさいからかもしれない。そのくせ、あるリズムが生じてくるし、辛気臭さとはそぐわないポリポリという軽快な音を発する。私は感覚のバランスが崩れるのを、鬼の憑依として肉体表現してみたくなるのだ。ふいに新しい遊びを思いついた子供みたいなものだ。 試しに豆を食べてごらんなさい。一粒一粒ポリポリ食べていると、鬼になったような気になりますよ。
Feb 3, 2007
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雨戸を立てながらヒョイと空をあおぐと、寒夜月光玲瓏。みごとな満月である。思わず「ホー」と嘆息し、あらためて戸外に出てしばらく眺めていた。 夕方、外出からの帰途、古い家並のつづく曲りくねった道のなかほどに、一羽の鴉が餌をついばんでいた。私が近づくと、まるで先導するかのように、三歩四歩と進み、それからやおら大きく翼をひろげて舞い上がった。暮れなずむ薄墨色の気配のなかを、漆黒の翼で宙をたたきながら飛び去った。はっと息をのむような美しいモノクロームの光景であった。「寒鴉」という言葉がある。その言葉が、たった今見た光景にピタリと重なった。 満月を見上げながら、その鴉の姿がよみがえってきた。寒気がキリキリとあたりを引き締めている。 気象予報どおり、地方によっては昨夜来から雪が降りはじめているようだ。「ようやく降りはじめました」と地方便りで言っていた。もっとも歳時記などでは今日あたりから数日は、「寒明け」となっている。 日本語がおもしろいのは、このような季節の言葉が委細にわたっていることである。ためしに「寒」をめぐる言葉をあつめてみると、 ・・・「寒の入り」「小寒」「寒の内」「寒の水」「寒造り」「寒餅」「寒紅」「寒詣り」「寒垢離(かんごり)」「寒念仏」「寒施行」「寒灸」「寒復習(かんざらい)」「寒弾き」「寒声」「寒見舞い」「寒卵」「寒鯉」「寒鮒」「寒釣り」「三寒四温」「寒月」「避寒」「寒の雨」「寒燈」「寒曝し」「寒鴉」「寒雀」「寒牡丹」「寒菊」「寒椿」「寒梅」「寒木瓜(かんぼけ)」「寒竹の子(かんちくのこ)」「寒咲き」「寒肥」「大寒」「厳寒」「餘寒(よかん)」「寒の戻り」。 まだあるかもしれないが、とりあえずこれでお仕舞いにしよう。 さて、これらの言葉がどれだけ自分の暮しの表現になっているだろう。すべてが在ると言う方もあろうが、ほとんど使わない・知らない、「何、それ」と言う方もあるだろう。「死語」という言葉は随分さびしい表現だが、考えてみれば「死語」と看做すか否かは時代潮流の問題ばかりでなく意外に個人的な状況を反映している。つまり、いささかややこしい言い方をすると、「私」という個人はさまざまな種類のコミュニティーに属していて、そのそれぞれのコミュニティーはまたさらにそれより幾分大きなコミュニティーを形成し、シャボン玉が蜂の巣のようにくっつきあってベクトルの平衡をたもっている。それぞれのコミュニティーに流れる時間は必ずしも一様ではない。「私」と「あなた」の経験している時間はことなっているということだが、文化の伝統や消滅という問題は、もっとも初期的な段階ではその個人的時間経験のうちにあると言えよう。 「死語」という判断は、流行(ファッション)に対する感覚的判断より、じつはもっと微妙な状況を映していると考えてもよいかもしれない。 満月を眺めながら、そして冷えてゆく身体を両腕にかかえこみながら、そんなことを考えていた。 六十の寒が明けたる許りなり 虚子 虚子さん、私はことし六十二になりますよ。言葉が死滅するよりさきに我身のことを思わねばなりませんなぁ。月光価千金(げっこうあたいせんきん)。満月が私の細胞を水晶のように照らしだしています。
Feb 2, 2007
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春先のような陽気がつづいていたが、どうやら明日は寒さがもどるようだ。日本海側には大雪注意報がでている。「寒さの底」と気象予報は言っていた。 「暖冬」とひとくちに言うが、私がなるほどと思ったのは、昨年積雪4メートルの豪雪被害をこうむった新潟県は、今年1月の積雪がゼロと聞いた。104年ぶりの記録だという。 この暖かさを喜んでいるのは、私のように天候に関係なく室内で仕事をして暮らしている人かもしれない。農業を営んでいる方の話だと、畑の土が風で削られてしまうのだという。3月頃まで雪が土を押さえてくれることが大切で、それによって農業用水もまた潤沢になる。 農業というのは、季節や天候と密接な関わりがあり、それとの兼合いの深い観察が農の文化を形成している。多くの民俗行事が、本来的実用的な見地からは、1年間のさまざまな農作業の目安を示しているのである。 私は民俗行事にはある程度詳しいし、好んで研究してきた。しかし実際の農業となるとまったく知らない。 日曜日のTV番組に「ザ!鉄腕!DASH!!」というのがある。TOKIOというミュージック・グループが、山麓の荒れるままに放置されていた農地を数年かけて再生し、擬似的自給自足の農業生活をするというもの。擬似的と言ったのは、彼等の生活の本拠がその「DASH村」に置かれているわけではないからだ。しかし、私はこのプロジェクトをその始めから時間の許す限り見ているのだが、グループの諸君に「アキオさん」と呼ばれて親しまれている指導者はすばらしい。農の本質とアキオさんの知恵が、TOKIOの諸君に共有されてゆくのを、視聴者は目撃する。 作物によっては、失敗を繰り返したあげく、3年目にしてようやく収穫にむすびつく。失敗にはそれなりの理由がある。アキオさんはそれを解き明かし、善処する方策をおしえ、TOKIOはそれを忠実に試してみる。弟子としてのTOKIOの素直さもまた素晴らしい。アキオさんの知恵が、物の本から得たたんなる知識ではなく、自然から恵みを受けるために心と頭脳を真摯に鍛えてきた結果であることを、彼等は知っているのである。勝手気侭な判断が、1年間の汗みずくの労働を無に帰し、つまりは収穫がゼロになるのだということを。 TOKIOの諸君とヤスオさんとの関係は、アメリカ映画のプロトタイプ(典型)である祖父と孫(お爺さんと子供)の関係に通じるだろう。『カラテ・キッズ』や『スター・ウォーズ』を思い出していただきたい。 「父と子」という関係ではなく、「祖父と孫」というのは興味あるところだ。が、それはともかく、私は「DASH村」を見ながら農業の実際の一端に触れると同時に、「教育」という問題にも思いをいたすのである。 ここには教育の本質がすけて見える。現在、教育の再生が政治的に論じられ、あるいは論じられぬまま法制化されようとしている。が、それがはたして教育の再生の名に値するものであるかどうか。私の目には、教育の本質を素通りしているように見えるのだ。 農耕生活をすることによって、自然と人間の心身との乖離と融合をみきわめようとした芸術家のひとりとして、知人の舞踏家田中泯がいる。山田洋次監督『たそがれ清兵衛』に出演し、すばらしい立ち居をみせて映画俳優としても活躍しているが、彼はもう20年以上前から山梨県白州町に「身体気象農場」を拓き、国内外の沢山な弟子たちと農業をしながら共同生活をしている。 田中泯の思想をひとくちで述べることは容易ではないが、私が見るところは、ひとつに、土と肌との触れあいによって肉体の奥処に覚醒してくる諸々の感覚に心をかたむけることのようだ。70年代半ばから80年代半ばころまで、彼は路上をはじめ巨大塵芥捨て場や大学構内等々でほとんど全裸で踊っていた。私が彼と知り合ったのはそのころで、数百回におよぶ踊りに立会っている。当時、彼は自己の肉体をとおして観客各自の日常的時間に亀裂をいれ、通常では知覚しない時間の微分的感覚を共有することを目論んでいた。そこから新たな段階として、農業の実践へと進んだのだった。 農業が軌道にのりはじめたころ、私はしばらくぶりで彼の踊りを見た。彼の体型が変化していると思った。腰回りから臑にかけてが、特に変わっていた。ダンサーの肉体というより(もしそう一括りにできての話だが)、やはり農業者のそれのようだった。 田中泯のそのような農業への打ち込みは、決して趣味的な道楽ではない。なぜなら、彼を慕って集まるほとんど無一物の若者たちは多いときで150人にもなり、その全部ではないにしても彼等を養はなければならなかったからだ。私も収穫物を食べさせてもらったが、みごとな出来映えなのだった。 私は彼が弟子たちにおしえている現場を見てはいないが、どうやらその教育方法は、土と格闘し自然を観察することで自己を覚醒させよ、ということのようだ。目を自分の内部に向け、自己の肉体の仕組みを知覚すること。そうすることで、日々の労働から踊りが自発する、と。 労働はどんな労働でもよかったかもしれない。けれども田中泯が農業を選択したのは、やはり自然と密接した人智ということがあっただろう。自らの舞踏論を「身体気象」と称しているのも、農業者が気象観測するごとく、場によって微妙に変化する人間の身体を知覚し観測することを意味しているようだ。彼は自らを教育するために、白州町の農業者に礼をつくしてその弟子になった。 私は、田中泯とその周辺にも「教育」の消息をみるのである。
Feb 1, 2007
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