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今午後4時、やっと昼ご飯が食べられる。つまり昼休みなのである。そこで、ふと今日の話しを思い出した。昔、物の価値が解からず損をした話・・・。25年程前の事、日本はバブルの真っ最中。独身の仲間たちは、自宅がありながら1500万円位のマンションをローンで買って、1800万円で売る。1800万円で買って2200万円で売る。もちろん住民票も移して「居住用住宅の買い替え」を装う。最終目的は「浦安に土地付き一戸建て総額1億円」だった。数人が20代目標を達成できたけれど、バブル崩壊後複数ローンが残っていた男は共に弾けてしまった。小額ローンのみで済んだ男は豪邸を残したのである。だが50代になってまさかその男の「浦安の豪邸」があの地震で沈んでしまうとは・・・。軽い木造住宅は意外と簡単にジャッキアップできるのだが、鉄筋コンクリート3階建てなんてヘビーな家はどうしようもないらしい・・。何と慰めればいいのか?何も言えなかった。そんな昔の話、我家も類に漏れずにマンションを買っていた。最終的にはJRと都営新宿線の駅まで徒歩3分と言う商業地の真ん中に立つ当時は高層マンションで終わったが・・・。家内は音大を出てピアノ教師をしているのだが、本当は設計の道に進みたかったようで、今でも趣味で設計を行っている。なので、そのマンションも購入契約と同時に3LDKを2LDKにリフォーム?というか設計変更をしてしまったのである。この頃の流行りは「部屋数の多さ」が重要で、本来2LDKの広さの床面積に対して小さな部屋を増やして3DKにする?みたいな事をして販売されていたのだ。そこで家内は広いリビングの2LDKにしてお願いしたのだが、当時の設計者は「もったいない」と言っていた。だが、建築中のマンションを改造する場合、計算は足し引きになる。つまり壁一つ減ると、壁の費用やクロスの代金さらにはドアの代金が浮く事になるので結果は安くなったのである。しかも夫婦2人なら2LDKでも広い位だった。そんなマンションはモデルハウスのようにモダンでカッコ良かった。そんなときに100歳になる家内の祖父から「良い物をあげる」と言うので貰いに行くと、何やら海苔か煎餅が入っていたような汚れた「桐の箱」を渡された。中には「素焼きの絵皿」が一枚入っており、どうみてもモダンな新居?に合う代物ではなかった。家内などは、貰って直ぐに「虫ついて無い?」なんて言う始末だ。家内は「お爺ちゃんコレ貰い物だって言ってたけどどうしよう?」と言っていたが、100歳の入歯をしていなかった爺様の話。私には「誰か?に特別に書いて貰った」と聞こえていたが、貰い物だし箱は贈答品用の箱だし・・・。それから数年、二人ともその皿の事は忘れていた。当時職場の課長は達筆で、賞状なんかを頼まれて書いていた位の書道名人であり、美術書なんかを良く読んでいた。ある日の昼休み、「土牛(どぎゅう)はいいなあ」なんて言いながら私にその本を見せたのだが、その「土牛」の文字に覚えがあったのだ。「課長!そのツチウシの皿うちにありますよ」「バカ、ドギュウって言うんだ。本物の絵だったら凄い価値があるんだぞ」・・・と。・・・で、帰宅後は家内と大騒動で探したのだが、とうとうソレは見つからなかった。ところがある日の朝食中、家内が「あった!ツチウシの皿だ」家内は出窓に置いてあった観葉植物の受け皿に、綺麗な黒文字で書かれた「牛」の字を見つけたのだ。しかし残念ながら「牛」の上の「土」の字は植木鉢の下であった。慌てて取り除くと「素焼き」の皿に、何やら花の絵が書いてあり、「寿」の文字と「土牛」の文字と「落款」があった・・・ように見えた。つまり皿の中央には丸く植木鉢の後が付いて絵ははがれ、まさに「土」の文字の上は土の色で塗りつぶされていたのである。翌日課長にその残骸を見せると「お前ら本当におバカ・・・本当にタダのツチウシになっちゃったじゃないか」と怒るより本当に悲しんでいた。間違いなく本物だったらしい。「奥村土牛」と言う方らしいが、そう言えば100歳の祖父は「昔親交があり本人から直接貰った」と言っていたような気がしていた。家内は「お爺ちゃん高い物ならば先に言ってくれればいいのに・・・」後の祭りと言う事ですが・・・。ただし一つ勉強になった事がある。爺様の持ち物は「本物」だ。と言う事。 これは「中村岳陵」の掛け軸なのだが、専門家に言わせれば相当若い頃の絵であり価値はないそうだ。ところがこの画家はその後洋画の道に進み、今でも描いた「絵」はとても高価な作品ばかりで、有名となった切手にも採用されているのだ。このような私達には理解できない画家の「掛け軸」や「日本画」は数十本以上ある。すべてその100歳で亡くなった祖祖父の所有物だ。父はそれらの興味が無かったので、70年以上前の古新聞紙で包まれた「箱」は一度も開ける事は無かったのである。今回この「岳陵」と言う読める漢字が書いてあったので「ネット」で調べる事ができたのだが。読めない漢字の作家は未だに誰の作品か解からないでいる。なので興味のない人間からしてみれば、すべて同じように見えてしまい価値が解からない。でも、昔「ツチウシ」で懲りた事?があるので、ぞんざいに扱う事は止めにしましたが・・・。 落款や筆跡から間違いなく有名な方の物だそうです・・・。
2011.09.30
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昨日の続きだが、私の物ばかり購入すると家内が怒るので?家内の機嫌取り用に適当に安く購入出来る物も毎回プラスしてオーダーする。今回「ついでに?」購入したのが「G.M.V」(ジャン・マルコ・ベンチューリ)のショルダーバッグです。 まあ、今回のヨーロッパ旅行用に?と思って購入したのですが、このブランド名を知らない方が多いでしょうね。メンズではネクタイや安いビジネスバッグで等で良く売られていますが、あれらは日本国内のライセンス物であり、すべてメイド・イン・チャイナになります。意外とイタリア製品について勘違いしている方が多いのですが、本当にイタリアで販売されているイタリアブランド商品に、チャイナメイドはありません。帽子だって靴だってニットだって・・・。ところが、日本国内で販売される「名前の知られていない?イタリアブランド商品」の殆どが中国で造られ「ヨーカドー」や「ダイエー」などで販売されているのです。ところがです。イタリアでは、きちんとブランドが確立されて地元では意外と人気があったりするのです。こんなブランド戦略で失敗したのが「ピエール・カルダン」だったり「バレンチノ」だったり・・・。何でも「ブランド名」を付けちゃって結果「安売りされちゃう」パターン。それがこの「GMV」と言うブランドでもあるのです。でも女性向けの香水などでは結構日本でも頑張っていて、それをご存じの方はこのような女性用のバッグもあるんだ?と驚く方も多いのではないでしょうか? バッグの内部はこんなに派手派手になっています。女性に言わせると「この色遣い」どこかで見たような?そうなんですねえ、このデザイナーは「エミリオ・プッチ」にいたんです。なので、イタリア人女性が好きそうなデザインの物も多く造っているんです。ちなみにこのバッグの当初現地価格は約33,000円位。しかし半年経つとバーゲンで格安になるのがイタリアンメイドの宿命。良い物を安く買いたいのなら、こんなので十分でしょう?日本人ってなぜか「メゾンブランド」ばかりに目が行くけれど、イタリアに行くと日本では無名だけれど本当に良い物がなんかが多いんですね。特に靴やバッグなんかの革製品そうです。いま、イタリアのショップに欲しいビジネスバッグがあるのですが、お小遣いが足りないのでちょっと考えておりますが、もちろん日本では知られていないブランドです・・。さて、話は変わりますが23日の夜遅く「和歌山県 那智勝浦」の災害対策室に派遣されていた長男が2週間ぶりに帰宅した。普段は神奈川県の支社に勤務し、一人でマンション住まいしているのだが4月に入社してから殆どその最初の赴任地で仕事ができないでいる。損害保険会社に入社後、基本研修を行った後は即「東日本大震災」の現地に派遣されて・・・。落ち着いたと思ったら。台風災害で壊滅した地域の現場に派遣。そして、23日に帰って来たのだが、なぜか「京都土産」を買ってきていた。呆れた事に、京都で途中下車して同期の仲間3人と一泊して観光して帰って来たらしい。もちろん2週間分の洗濯物や会社の荷物は宅急便着払いで先に自宅に到着していた。帰宅後に現地の様子を聞くと確かに被災地は凄かったようである。住民が立ち入り禁止だった現場に入り自衛隊が捜索している現場の写真などを見せてもらったが、東北の津波被害現場と殆ど変わらなかった。道路が寸断されて、その間には大型4輪駆車が逆さまになって落ちている。車体のドアには遺体が合った事を示す「×」印が・・・。家は粉々。しかし、災害現場へは専門の査定担当者が行っていたので災害現場には一回行っただけのようである。まあ、「現場体験」だけなのか?長男は内勤として資料収集が本業なので、実際は派遣先の仮住まいのホテルに24時間缶詰めだったらしい。「露天風呂が4つもあったよ、食事は普通の旅館の食事だったし・・・。」との事。どうりで見た目が太った気がする。そして、今日の朝から従来の赴任先に戻っていった。ところがである。先程電話があり、辞令が出て「台風15号の被害で首都圏の損害調査をしなければならないので、明日から横浜対策本部勤務になった」と言うのだ。なら、赴任先のマンションよりも我家自宅の方が近いじゃないか?・・・と言う事で、我家のさすらいのサラリーマンはTV番組の「ケンミンショー」に出てくる「東 京一郎」のように?また異動したのである。まあ、家内は一人っ子の長男が帰宅するので大喜びだが・・・。
2011.09.26
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昨日イタリアのショップにジャケットを2着オーダーしました。いつも基本的にはジーンズに合う服と決めています。一年前から目を付けて「お気に入り」にブックマークを入れて置き、時々チェックします。そして価格がこなれてきたら購入するのですがもちろん売り切れてしまう事の方が多いのです。それが、最終バーゲンまで残っていたら・・・。ワンシーズン遅れの物なので、90%offになります。買うしかないでしょう?さらに週末時々行われるサービス(イタリアからの送料2,200円が無料)期間だったので、オーダーしてしまったのです。 これは、キャメルカラーのストレッチジャケットです。インナーのタートルは正面からの防寒と言う意味で、フロント部分しかなくジップで取り外しが可能です。秋が深まり「出かけ先で寒くなったら取りつける」みたいな感じ。バイクに乗る時でもバタつかないのでいいでしょうね。定番の位置に胸ポケットは無く、その代わり左右の胸あたりに縦にジップポケットが切ってあります。 もう一着はジャージ素材の「ナポレオンジャケット」カラーはネイビーです。Wボタンがインパクトありますが、このようなデザインは今年のイヴ・サン・ローランのメンズコレクションでも登場しており、上部のボタンを止めないで左右に開けばWのライダースジャケットみたいなデザインになります。もちろん素材がジャージなので、ストレッチ性が良く皺も気にならないので、デザイン的に堅くなりそうですが、普段着として気楽に着れそうです。これを着る時は、上のボタンを2つ位外して襟を開き、下のボタンも3つ位外してウェストあたりだけが絞られているような「X」みたいに見える形で着るのが理想です。今日偶然見たファッション雑誌の中でイヴ・サン・ローランのモデルもそのように着ていました。メタボなオヤジが体系を隠すのに良いデザインなんですな。今回もショップの写真をそのまま縮小して掲載しましたが、このお店の商品紹介HPではこのようにすべてのボタン等を留めてウェアの基本的デザインだけを見せていますので、購入する時は「どのように着こなすか?」を先にイメージしてから服を選んでいます。女性のウェア類のデザインはイタリアでも日本でも直ぐに反映されますが、同じデザインであってもメンズのデザインは半年から1年位遅れて日本で登場してきます。なので、一年遅れのイタリアンデザインでも何の問題が無いんですね。まあ、メンズウエアの類は殆ど変わらないんですけれどね・・・。昨日までは、江戸時代の話を書いて今日はイタリアのデザインの話。支離滅裂であまりにもギャップがありますが、私の頭の中はいつもこんな感じなんです。仕事の事、服やファッションの事、例の昔の話、そして脳梗塞の治療の事。毎日頭がブンブン回っていて、結局寝る間がありません。さらに和歌山の台風被害調査に行っていた長男の様子も気になっていたし・・。週明けから恐怖の「月末」が始まります・・・。家内は来月10日からハンガリー・チェコ・スイス・オーストリアの4カ国を10日かけて遊びに行くそうですが、自分の金で行くのでありオヤジは何の文句も言えませんねえ・・・。ユーロも安いし、家内は大張りきりです。昔なら「鬼の居ぬ間に・・・」なんて嬉しくなったのですが、体は動かないし肝心の金も無い。確かに「今度一緒にお食事でも・・・」なんて言ってくれる若い女性の方々も多数いらっしゃいますが基本的に外で遊びに行く元気も無いんですね。仕事の?一貫でもあるので若い女性と二人でご飯食べても家内は何の反応も示さないんですけれどね。でも家内が居ない時に外でご飯を食べるとなぜかドキドキするんですよね。そんな感覚を楽しむ余裕が無くなったのか?・・・かと言って、外に出ないのに今回みたいにイタリアのウェアを買ってしまう矛盾。家内は私に良く言う「また買ったの?いったい誰に見せたい訳?」と。でも、女性だって「特定の男性に見せる為だけの服選び」なんかをしている人はいないでしょう?どちらかと言うと、我が家の場合は家内の方がオヤジっぽくて私(オヤジ)の方が女性っぽいのかもしれないですね。まあ、今回もこの2着は長男に持って行かれるのだろうか?
2011.09.25
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「輪島塗」と言う漆器をお聞きした事があると思いますが、今の石川県の産物です。これは加賀100万石と言われた「金沢藩」の主要工芸品でもあった訳で、昔のモノはとても貴重になります。この「輪島塗」と言う漆器、つまり「漆(うるし)」を使った生活雑貨や彫刻に漆を塗った工芸品も盛んに造られたのですが、金沢藩に「蒔絵」の技術が入って来たのが江戸「文政の年間」1818年から1829年頃になるそうで、会津から職人を呼び寄せて輪島塗と合体させたとの話です。さて、ここで我家の家宝?と呼ばれて来たモノがあります。「輪島塗 金蒔絵の印籠」表側になります。これは表面ですが、本体の裏の模様と裏側は異なり、この丸いフタのような物の裏は象牙を埋め込んだ彫刻になっています。根付というのでしょうか?下の丸い象牙を網のようにくり抜いた饅頭のような物も付属しています。 裏側になります。造りは五重になっており、今でもきちんと分離する事が出来ます。この赤くて丸い玉は「鶴のなんとか?」(すみません)と言う代物でこれも貴重な玉だそうです。 箱書きの裏には「天保3年箱改め」と何気に書いてありますが、天保と言うと西暦でいうと1830年 から始まるので、「1832年に箱が壊れた?ので造り変えた」と言う事になります。と言う事は、1832年に当時においてすでに箱が壊れる程ボロくなっていた?と言うのであれば、その時点で最低でも5~10年は経っていた計算になります。でも?です。もしさらに10年前の時代のモノとなると「江戸文政の頃の作」と言う可能性がでてくるのです。つまり今日の文頭で説明した通り、加賀に輪島塗と蒔絵が組み合わせられた1829年以前の初期の作品と言う事になります。我家の言い伝えでは、加賀藩(金沢藩)藩主の前田公から直接頂いた物で、前田の殿様の鎧兜模様と併せて造られたセット物だったようなのです。蒔絵の柄は「羊歯」(シダ)模様になります。つまり、甲斐武田家の分家でありながら前田家と深い関係にあった事もこれで解かったのです。この印籠は、60年以上前から「安物の偽物だろう」と家族代々信じていなかったので、本当にぞんざいに扱われていました。何しろ「輪島塗が高い物?」と言う認識すらなかったわけですから・・・。・・・で、昨日の続きになるのですが、我家の祖先をネット洗い出して行くと出るわ出るわ結構調べている人(学者)が多く、その方々の論文の中に情報が次々と現れて歴史の中の「点」と「点」が結ばれて徐々に全貌が見えて来たのです。元は間違いなく「清和源氏」の末裔(嫡流ではない)であり、甲斐武田家と兄弟関係で別れた分家である事、さらに武田家本家が滅亡後、加賀前田家に居てなんか?していた事。加賀前田家の姫様が江戸の将軍家関係先に嫁入りした際に随行して江戸住まいになった事。明治政府になって廃藩置県により加賀藩が消滅した時点ではすでに「宮家」との「法務的」仕事を任されて「宮内省」に勤めてかなりの高給を貰っていた事。我家も含めて大正・昭和との時代変遷によって明治の役人すべてが没落して行ったと言う事が大筋で解かったと言う事なのです。まだまだお面白い歴史的逸話も出てきましたので、それはまたいつか・・・。
2011.09.23
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ここ一カ月間は「我家の祖先の逸話」を頼りに家系を調べていた。我家の伝承では、1、明治時代は四谷に大きな家で、使用人が10人近くいた?2、その爺様は宮内省に勤めていて、皇居勤務に近い銀座に別宅があった?3、その先の先祖は甲斐武田家と親戚だった。4、なぜか前田家との付き合いがあった。5、祖父が小さい時に「大隈重信」邸の火事見舞いに行きご馳走になった。と自慢していた。6、徳川家の旗本として4700石をもらっていた?その屋敷にも住んでいた?・・・で、こんな事は我家では誰も信じていなかったが、以前紹介した「徳川家達」の書がいきなり出てきて「なんで徳川なの?偽物でしょう?」と疑った事が始まりだったが・・・。気になって他にも沢山あったガラクタを調べてみると、昭和初期(戦前)の汚い新聞紙に包まれたモノが出て来たのである。中には尊王攘夷の急先鋒「三条実美」の書もある。徳川宗家の「清和源氏」の印が押された「書」。それに反する尊王攘夷派の「三条実美」の書・・・ワカラン。そこで、仏壇の過去帳を見て見ると「江戸時代中期」のご先祖の名前が書かれてあり、面白い事が解かってきた。皆様もご存じの「武田信玄」は甲斐武田家の直系であるのだが、この武田家の祖先は「清和天皇」から始まる「清和源氏」の直系と言う事にもなる。その理由は「新羅三郎 源義光」の子が「源義清」(武田家始祖)と「源清光」(逸見清光)に分かれるのだが、その子「加賀見二郎 遠光」が我家の祖先である事が解かってきた。それこそ、「壇ノ浦の戦い」の頃になる。さらに調べてみると、「源義経」と行動していたので「頼朝」から命を狙われて野に下ったようである。ところが、北条政子に呼ばれて「承久の変」に参戦して功を立てたらしい。なので、「武田家」と「我家のご先祖」は親戚関係から幕末まで行動を一緒にしていたらしい事も判明した。「甲斐」「毛利」「加賀」「上総」に分家しながら・・・。しかし、武田家一族の家紋はあの有名な「四菱」(武田菱)であり、「旗本」である祖先の場合は菱形を縦に3つ重ねた「三階菱」が歴史書に載っている家紋であり我家の家紋とは全く異なる。そこで、やっと気付き我家の家紋をもう一度調べてみようと思い「ウィキペディア」で検索してみると、なんと!確定的な証拠が書いてあったのである。これが我家の先祖から代々続く家紋の「花菱」である。・・・・で、そこに記載されていた文章では「甲斐武田家が最初に用いた家紋である・・・、」???初めて聞いたが、なんとこれも武田家の家紋だったのだ。江戸時代に他家の家紋を勝手に使うなんて事は絶対に許されない事なので、やはり「武田家」の縁戚だった事は間違いないのだ。さらに武田家と後年も姻戚関係のある?深い付き合いがあったのが、「正親三条家」「転法輪三条家」だった。なので三条実美の書があったのか?ただしもう一つ疑問がある。なぜか?江戸時代の役職として加賀前田家において「公時場附御用定役」の与力もしていた事も残っている。これは今で言う「裁判所の職員」みたいなモノである。こんな筆頭与力程度では給料だって低いはずだ。なのに、なぜ明治時代になって急に「大金持ち」になったのか?その疑問が判明したのが映画で話題になった「武士の家計簿」である。私はその映画を観ていないのだが先日その原作本を読んで納得した。その原作舞台は「加賀(金沢藩)前田家100万石」の今で言う「事務方」つまり「そろばん侍」の給料や出世を記録した物だった。その当時の中流武士の年収は大体300万円前後だったらしく、明治期になると150万円位まで下がっていたと言うのだ。現実で言うと、例えば明治25年頃の教員の給与は10円前後なので今で言うと25万円くらいか?ところが、この原作によれば明治政府の役人や軍人になると年棒で1500円位貰っていた。(俸給等級にもよるが)らしい、今の価値にすると年収3900万円位だそうだ。・・・で、我家の祖粗祖父は20年以上明治政府で宮内省にいたとすると年収が5,000万円以上あったらしく、結局使いきれないので武家が持ちこたえられなくなった?「土地」を買いあさったのだろう。・・・で、大正時代になるとその爺様は職を失っている。つまり明治政府に群がって甘い汁を吸っていた役人は消えて行ったのだ。ちなみにあの「伊藤博文」の年棒は5,000円だった。それを今の価値として約2,5倍とすると軽く1億円を超える。なので、我家の祖先もその先は「無職」でありながら財産を売りながら昭和の時代まで暮らしたのである。ちなみに父も38歳まで働いていなかった。その後働いても父の風体は誰が見ても「ボンクラお殿様」だったと思う。稼いだお金はすべて他人に奢ったり、直ぐに新しい物を買ってしまう。本当の遊び人だった。妾はいるし・・・。迷惑な事に死んだその時まで大騒ぎだった。我が家はテレビを個人宅として購入した家庭は千葉県で2番目だったと言う記録もある。結果、価値のある書物や骨董は殆ど売ってしまったようだ。今残っている物は70年以上封が切られていないので、父も祖父も忘れていたか気付かなかっただけなのだ。だからそれらに対する伝承が無いのである。とりあえず今日はここまで・・・。当家はそこからどんどんと落ちていったらしい。
2011.09.21
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JALのマイルが溜まってしまったので、11月に九州の別府温泉に行く事に決めた。2か月前の応答日と言う事で、11月20日出発の予約は本日の9:30から受付開始だった。気合いを入れて予約したが、それ程混雑はしていないようである。日曜日と水曜日の休日に平日を2日挟んでいるので、実際は18土曜日発の方が混雑したようである。宿泊も我家の担当者に希望をメールすると数分で回答があった。ホテルは会員制リゾート「リゾーピア別府」だが、新しくできた特別室を予約してくれた。特別室は「エクシヴ箱根離宮・京都八瀬離宮・有馬離宮」系列と同じデザインに室内を改装させた豪華ルームとなる。それで一泊は13,250円(ルームチャージ)。3人で泊まるので一人当たりの宿泊費はすべて込みで4,500円と言った感じだろうか?後は朝食2,000円と夕食だが、3泊の内ホテルで食べるのは1回くらいだろう。飛行機で大分まで1時間45分。大分から別府までエアポートバスで45分。9:00のフライトで、昼食は別府で食べる事ができる。本土の人間が九州に遊びに行く場合、九州は広すぎてピンポイントで宿泊しないと十分に堪能できないだろう。・・・で、別府にしたのである。ここを起点として「湯布院」などにも行く事ができるし、その他の湯巡りも楽しめる。私は知らなかったのだが、世界中には8種類の温泉があるそうだがこの別府には7種類の温泉が存在するらしい・・・。まあ、私自身あまり「温泉好き」ではないので別に気にする事ではないのだが、家内はとんでもなく好きである。実を言うと、「来月10日間程ヨーロッパに行って来る」と言い出した。長男の中学・高校の同級生のお母さんと行くと言うのだが、家内はこの方と先週は山口県周辺の温泉に行って来たばかりである。・・・で、10月のヨーロッパは「中欧」を巡るらしくメインはハンガリーにある温泉らしい。恐らく10月とは言え日本の北海道11月並みの寒さになると思うが、逆にその方が楽しみだと言っている。全く呆れる程良く遊ぶ人である。「だって8月はどこにも行けなかったじゃない」と言うが、お盆時に新潟の湯沢でノンビリと温泉に入った事はすでに忘れているのだろうか?余り余計な事言うと後が面倒なので「ふ~ん」と聞き流したが・・・。この不景気のどん底だと言うのに?一体どのような頭の構造をしているのか?ところで、日本中は台風に伴う異常気象で滅茶苦茶である。東日本大震災の現地調査を終えた長男は、今「和歌山県」に移って被害調査を行っているが、予定では今週末に帰宅する予定だった。だが、名古屋付近であの洪水。気の毒だが、このまま名古屋に派遣されるのかも知れない・・。4月に損保会社に就職してから、本当についていないと言うか?忙しい仕事ですな。保険会社に就職してここまで運の悪い男もいないだろう。まあ、良い経験だが・・・。明日は朝早くから遠くまで運転しなければならないので早く寝なければ・・・。風呂に入り、3時までに寝られるだろうか?
2011.09.20
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ラグビーのワールドカップをTVで見ている。ラグビーを知らない人にはまったく興味が無いだろうが、今日の相手は「ニュージーランド」である。そうです、あの世界最強の「オールブラックス」が相手なんです。けっこう日本も強くなってきたけれど、やはりとてつもなく強い。最初からかなわない相手である事は解かっているが、こんなに歯が立たないのか?まさにケタ違いである。気になる方は明日の朝刊を見ていただきたい。さて、これだけコテンパンに負けると逆に気持ち良いくらいである。どこまで頑張れるか?あとワントライができるか?おしいところは何度もあるが・・・。今残り数分で13トライ、83:7で終わりそうである。ああああ、終わってしまった。さて、ここで観戦は終わりとするがニュージーランド戦の見る楽しみはラグビーが始まる前のダンス「ハカ」にある。特に「カマテ」は日本人には人気がある。理由は「カマテ・カマテ」の掛け声が「頑張って、頑張って」と聞こえるからだ。実を言うと学生時代にニュージーランドに滞在していた事があると書いた事があるが、恥ずかしながら私もあのダンス「カマテ」を全部踊る事が出来るのだ。覚えたのは今から33年前の事、ニュージーランドの友人達が我々の歓迎の為に披露してくれてから、感動して彼に教わったのである。とにかく踊れるとカッコイイですよ~。当時のスポンサーロゴが入ったブラックのユニフォームを現地で買いこみ、宴会一発芸ででやると大盛り上がりになるのである。特に私のようなメタボ体型は「ラグビー選手」みたいな感じに見えるので、抜群に存在感がありアレを会社の余興で踊ったところ女の子から大人気になってしまった事もある。とにかく恥ずかしがらずに大声で、全身に力を込めて筋肉を誇示するかのように・・・。普段、静かで大人しい人がやると効果抜群だった。ニュージーランドの書店では普通に「踊り方」の教本やDVDも販売されているので、きっと日本でも購入できると思う。まあ、知らない方はネットで「ハカ」と打ち込めば、ユーチューブの投稿画像が山のようにあるので一度ご覧になると良いだろう。特に若い女性で「肉食系女子」の方々は、思わず納得されると思います。実際に現場で本物を見ると、男が見ても鳥肌がたつぐらいの迫力がありますから・・・。 今は、オーストラリアのパースに在住だが彼は生粋のニュージーランド人である。不思議な事に今でも身長も体重も同じ・・・そして年齢も同じである。私の大事な親友であり33年間連絡を途絶える事無く付き合っている。地球の反対側に住みながら今でもお互いに行ったり来たりしている。最近は電話では無く、メールが殆どなので楽になったがオージーイングリッシュに慣れるまで相当耳の慣れが必要だった事を覚えている。20代の頃から悲しい時も辛い時も一緒に泣いて笑って・・・。お互い乞食みたいな恰好で旅した事だってある。しかし、最初の頃は難儀した事がある、下手くそなクイーンズイングリッシュを学んだ日本人が現地に行っても「良い発音だ」と褒められる国なのだから・・。極端な話、英語単語とオージー単語の二種類の単語読みを覚えておかないと会話は難しいのだ。例えば「湖」を英語で書くと「lake」発音は「レイク」だが、オージーに語らせると「ライク」なのだ。・・で、逆に「ライク」と聞くと「like」(好き)だと思うが、オージーの場合「lake」(湖)と聞こえてしまうのである。ちなみに「Day」の発音ははすべて「ダイ」となり、例えば月曜日は「モンダイ」と発音する。アメリカ人はこんな発音のオージー達を良くバカにするが、そんな様子をコミカルに描いている映画があの「クロコダイルダンディー」である。彼らはアメリカ人が大嫌いでもあるが・・・。しかし、ニュージーランドもオーストラリアも元々はイギリス人の末裔であり、イギリスに対する忠誠は凄い物があるのだ。このイギリス圏の国々は日本と共通する文化(明治期に日本がイギリスを模範とした)があるので、向こうも馴染み深いと言う事もある。ただし、元々「白豪主義」の国であったので、オーストラリアの田舎町のバーなどに行くと人種差別的な側面もあったのが現実だ。20~30年前までは現地の友人と同伴していても、まあカタカナで書くが「フイッチ ニーズ?」と聞かれる事が良くあった。つまり「チャイニーズ」か「ジャパニーズ」か?そして「コリアン」か?と確認する為の質問なのだ。ジャパニーズは入場OKでもそれ以外は締め出される・・・と言う感じだった。さて民族とは可笑しなもので、日本人だって海外移民の方々を見ると現在の日本人より愛国心があり言葉遣いだって一昔前の日本語だったりする。つまり、祖国を離れて気付く「国への哀愁」が強くなるのであろう?だからニュージーランドに行くと本当に一昔前のイギリス世界を見る事ができるのである。あの地震で倒壊した建物やチャーチは昔のままであり、地震が殆ど無い昔のイギリス建築様式だったからあのような被害もでてしまったのだ。JALのマイルがとうとう20万マイルを超えて来た。ヨーロッパも良いがニュージーランドにも行ってみたくなってきた。JALとカンタス航空は提携しているので、オーストラリアに飛んでも面白いかもしれないが?まあ、休みが取れないのが難点だが・・・。
2011.09.16
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震災から6ヶ月が経ったが、地震はこれで終わりではない。次は間違いなく関東だ。今日19:09に千葉県北西部、具体的に言うと千葉市中央港の埋め立て地のど真中が震源でマグニチュードは4.8だった。当方のPCには緊急速報が入るシステムを入れてあるが、震源地がすぐに解かるので結構役に立つ。だが、直下型の場合は0.数秒で到達しちゃうのでムリがあるが・・・。前にも書いた事があるが、千葉県には国道14号線に沿って「東京湾北縁活動セグメント」がある。千葉県の過去の調査ではこの断層は完全に活動を停止していて安全だと言う事だった。・・・で、もう一つある断層が「東京湾北部活動セグメント」である。これは上記の断層と並行して存在し、場所的には「浦安市」と「市原市」を結ぶ東京湾の海の底にアクアラインのように横たわっているのだ。万一この二つのどちらかが動いたら・・・。距離が無く遠浅なので「大津波」にはならないだろうが、忘れられそうな懸念がある。3.11の時に千葉県の石油コンビナートが破壊されて大火災となった事を覚えているだろうか?その時の千葉県の震度は5弱から5強の間。それであの大惨事。知られていないが東京湾沿岸には「火力発電所」も何箇所か存在する。もしあれ以上の地震にこのエリアが襲われたら?コンビナートや発電所のの「油」が東京湾に大量に流れ出たら?そしてそれに引火してしまったら?高さ数メートルの小さな津波が浦安などの沿岸部や0m地帯の江戸川区・江東区・葛飾区には川を遡上する事だってあるだろう?江戸川・中川・隅田川・そして都心部へ続く神田川・・・。いずれもあの東日本大震災時にも大きな濁流となって津波遡上が見られた。水より軽い油は当然水面を這うように広がる。そうなったらあの地震大火災に見舞われた「気仙沼」の比ではないだろう。まさに一番怖い火の竜巻「火災旋風」の恐れだってある。千葉県銚子沖しかり、東京湾北縁しかり地震が発生したら同じ事が予想されるのだ。こんな事はまさに想定外だろう。でも想定しなければいけない事なのだ。人間は不思議なもので考えたくない事は自然と「忘れよう」とするらしい。災害は住む場所、今いる職場・学校等その場所で避難方法は異なるが自分の身は自分で守るしかないのである。さて、自分の身は自分で守る例がもう一つある。これは今年5月に起きた本当の事件である事をあえてお話します。当方の顧客従業員が細い路地(当方優先)を10kmぐらいで走行中T字露で「あぶない!」と言う声を聞いて、運転手は車を停止。するとその直後T字露を猛スピードで右折してきた16歳無職少年の運転する自転車が自車正面に激突してきた。車のフロントガラスには細かいヒビが入り、ボデイ前面に小さな傷がついた。相手の少年は、自転車を下りてバツが悪そうにしていたがその直後目を離した一瞬にに逃走してしまった。しばらくその場で待機していたが、相手が戻って来ないので急ぎそのまま仕事を続けた。警察に届けようにも自転車にナンバーが付いている訳でもなく、自分の車の損害は自分で負担して修理した。運転手も泣く泣くだが、それで終わりだと思っていた。すると3か月経過した8月。警察からいきなり「ひき逃げによる容疑者として出頭」を命じられたのである。何の事か解からず出頭すると、例の5月の事故であり相手の少年は「自転車を走行中に軽自動車に跳ねられて、相手の軽自動車はそのまま逃走した」となっていたのである。しかも「目撃者」が二人も存在し、「16歳の少年の話す事と内容が合致している」と言うのだ。その後、その運転手は何度も「容疑者?犯人?」として警察に呼び出されて事情徴収をさせられていたようである。そこで今月になって私の方へ相談があったのだが、事故現場に行ってみるとなんと「ひき逃げ事件発生。目撃者を探しています」の看板が設置されていた。その後私が確認した限りでは、冤罪である事は間違いない。しかし警察は運転手の強硬な「犯人扱いを止めない」一方で、「書類送検」を進める様子も見られないのだ。警察が書類送検する場合は行政処分を含めた容疑も固めて、「ひき逃げの」刑事事件としても扱う事になるはずだ。ところが、土曜日になって「先方の少年から示談の申し込みがある」と警察の方から連絡があった。私の推測では、何らかの新証言(運転手が無罪であるような?)が警察の調べの過程で見つかり、反対に「証言者」が母親の友人や少年の友人である事が判明し法的に「証言者」に成りえない状況になってきたのであろう。その辺を加味して「示談」で済まそうとしているのが見え隠れする。警察も騙されていたとは言え、善人である一般市民を3カ月近く犯人扱いしてきた事実もあるので「バツが悪い」のだ。相手が示談を望むならば、当然ながら当方の修理代金の請求も行うつもりである。当社の弁護士にも相談し、いつでも動く用意はできている。相手が無理難題を言うならば「闘う意思」をその運転手の職場の代表から確認を得ている。なぜ、職場の責任者の意思が必要か?と言うのは、賠償問題になると運転手の責任だけでなく「就業中の管理者責任」も発生してしまうからである。まあ、今回はなんとかなるだろうが?今このような「当て逃げしておきながら被害者を装う事故」が多発しているのも事実である。それを回避したいならば「ドライブレコーダー」の設置が一番良いだろう。当社の車にはすべて設置してあるが、決して高価な物ではない。ネットで購入した4,980円の物である。シガーライターソケットから電源を取り、吸盤でフロントガラスやダッシュボードにペタンと貼る。少なくても4GBのスマートメディアを挿入しておけば、エンジンスタートからエンジン停止後数分までの画像を録画してから自動停止する。録画ファイルは5分単位で設定してあるので、5分間のムービーが数十本録画されて行く事になり、メディアのメモリが満杯になると古いファイルが消されて、上書きされて新しいファイルができあがる。安い機械だと思って馬鹿にしてはいけない。カラーで実に綺麗に映るのだ。夜間の信号の色だってはっきり見て取れる。長男の新車にもプレゼントで付けておいたが、先日帰宅後にPCに差し込み二人で見て見ると「ゲームを見ているようで」ある意味面白い物である。機械チェックの意味でも時々メデイアを抜いて画像チェックはしておいた方が良いだろう。会社の車に付けられたらサボれなくなるだろうけれど・・・。ただし、万一の事故時にはあなたを守ってくれる最後の証人?なのだから・・・。
2011.09.11
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先日某芸能人女性が昔「コオロギ」と間違えて「ゴキブリ」を飼っていたと話していた。確かに似ていると言われれば似ているが、違いは形状が平べったいか?丸いか?屋内型か?屋外型か?最も重要な違いは「鳴くか?鳴かないか?」だろう。もし「ゴキブリ」が世にも美しい声(羽をすり合わせる音)で鳴く虫だったら?コオロギが鳴かずに生ゴミの中に集まるだけの虫だったら?これらの虫の立場は逆転していたのだろうう。「ゴキブリ」自身も進化の過程で「鳴くと人間に発見されて殺されてしまう事」を知っているのかもしれない。屋内だと逃げる道が少ないからだ。普通の場合、オスがメスをひき寄せる為に「オスが命がけで鳴く」のだが、鳴けば鳥などの敵に発見される恐れがあるので、夜や薄暗いブッシュの中で鳴くのだ。そんな虫の声を聞きたくても都心近郊では最近は意外と難しい・・・。また、最近のエコ住宅は高密度設計で気密性が高く外部の音が全く聞こえないのである。我家も例外ではなく雨の音すら聞こえない。しかし唯一外の音が聞こえる場所があるが、それは風呂だ。我家の場合、風呂を2階に造ってある。しかも我が家で一番大きな窓は風呂場にある。その窓を開けると「風呂専用のベランダ状のデッキ」を設けてあり、本来ならばここに「和風坪庭」を造る予定だったのだ。このスペースはけっこう広いので、今はバーベキューコンロを置いてあるがそれも1度しか使っていない。要するに「露天風呂風」にする予定だったのだが、予算の関係でただベランダデッキがあるだけだ。周囲は外壁と同じレンガ調なので、全く和風ではない。だから偽物の観葉植物を多数置いてハワイアンセンターみたいな風呂になってしまっている。自宅は「駅と線路」が近いので窓をオープンにしていると、電車が動いている間は電車の走行音が結構うるさい。家の中にいて窓が閉まっていれば屋外の音は全く聞こえないのだが、逆に開けるとかなりうるさいのは難点でもある。以前、この線路の夜間改修工事後に「電車が通過すると異音がする」と鉄道会社に家内が連絡した事があった。その件で鉄道会社からはかなり感謝されていたが、耳の良い?家内が入る時間帯は「電車の種類が解かる程?」シビアな音なのだろう。なので、この露天風呂風の湯船につかるのに一番良い時間帯は電車の「終電後~始発前」になる。この時間帯は電車が通らないので、冬場は「無音」で雪の積もる音さえ楽しめる。そして、今は秋が近づき虫の声が主役なのだ・・・。エンマコオロギの「コロコロ」を中心に数種類の虫の声が聞こえる。実に風流だ。そんな事を考えながら風呂に入っていると、昔と違って「住宅の概念」が随分変わったと感じるのである。昔は、「サザエさん」の家みたいな家が「普通の家」だった。建物の大小関係なく小さな庭に縁側もあり玄関以外も縁側から出入りできたり、口からスイカの種を飛ばしたり・・・。家全体に天然の風が通り・・・。反面クーラーが無いような昭和の家でもある。昔も今も夏は暑かっただろうが、今思えば昔は夜になると暑さを感じなかったような気がする。家の向きだって「南に向いている」家が過ごし易い家の判断基準だった。それでも「もの凄く暑くて寝られない」なんて事は無かった。ところが今の家は昔と異なりそうはいかないし、はっきり言って二通りの家のタイプがある。一つは外からの外見重視のなんとなくカッコイイ家。もう一つは外見は重視せず機能重視の家。外から見てカッコイイ家とは?住宅展示場でも解かるが、窓が大きくてモダンなタイプやクラシカルな外装をしているタイプだが、実を言うと大きな窓は今の日本ではデメリットが多いのである。先ず「耐震性能が落ちる」さらに「熱帯化している日本において夏場の室温管理が難しい」などだ。そこで、最近は機能重視の家が多くなってきたのである。特徴は「外壁には窓が小さく少ない」のだ。中には「南に窓を造らない」家だってある。大きな液晶テレビを見るなら暗い方が見易いし、壁にピッタリ貼り付けるとなると南の窓は無くして普通の壁にしてそこにテレビ台を置く。家の側面の壁に大きな窓が少なければ「防犯」や隣地の「火災」にも強いし、外から見られると言うプライバシー問題にも気を使わなくてすむ。肝心の光は屋根に設けた「トップライト」だけで十分なのだ。まるで潜水艦みたいな家だが、我が家の家のタイプは潜水艦みたいな後者である。おかげで「静か」なだけでなく、室内温度は年間を通じてほぼ一定なのだ。昨年、今年と日本の夏は暑かったがエアコンを入れない部屋でも窓を締めていれば、すべての室内は常に26度前後を保っている。夏に旅行で家を空けてから帰宅して、玄関の扉を開けても「暑い」とは感じ無かったほどだ。真夏でも夜、寝ようとしてもエアコンは1時間で切れるようにしておかないと設定温度26度では夜中に寒くなる。空気はすべての部屋を24時間循環しているので、あえて窓を開ける必要も無い・・・。空気は新鮮だが相変わらず室内は無音で、風の音も虫の声も聞こえない・・・。今、放射能騒ぎもあるがシェルターのように「室内に籠る」には最適な家かもしれない。これが都内近郊の住宅事情でもある。いくら外見をカッコ良くしても四方を他の家に囲まれていたのでは意味が無い。また、外から見てカッコイイ家なんて発想自体が「誰の為の住宅なの?」「他人からカッコイイ家」と思ってもらいたい為なの?と思ってしまうのだ。本当ならば、私だって「遠くに山が見えるような?」広い土地で、しかもお隣さんの視線も気にしないで?高原の涼しい風が吹き抜けるような?土地に家を建てるのならば「窓を大きく取った」開放的な家にしていたと思うのだ・・。そんな開放的な家ならば、昼間に風呂に入り虫の声をのんびり堪能できるのだろうなあ。
2011.09.10
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木曜日、仕事で「両国」に行った。平日なので観光客も少なく駅前も閑散としていた。「両国」と言えば駅前に「国技館」があり、場所中は多くの「お相撲さん」も見る事が出来る。昔から「力士」と呼ばずに「お相撲さん」と呼んでいたのでそのように書くが、JR総武線にも「鬢付け油」の匂いをぷんぷんさせて、幕下と思われる若者を見かける事があるが、いつも思う事がある。なぜか彼らの体?身長?があまり大きくないのである。なので、外国人力士に「関」を取られてしまうのが何となく理解できる。私が最も太っていた頃は100kg以上あった(今は80kg)身長は178cm。靴を履くと3cm~4cmUPしてしまうので、草履を履いたお相撲さんは、私より背の低い方ばかりに見えたのである。家内はそのような光景を見て「あなた、ジーンズよりふんどしの方が似合うんじゃないの?」なんて言いたい事を言われていた。その後、今では家内の方が「関取」みたいだが・・・。さて、この両国は江戸時代にも色々な事件も起きている。あの「忠臣蔵」の舞台になった「吉良上野介」の屋敷も、ここから400mくらいの場所にあった。また、昔の史跡も多くある。そんな両国に着いたのは丁度お昼時だった。駅前だし、あまり歩きたくないので目の前の「大江戸八百八町」に入る事に決めた。5~6年前に改装されてからは良く入る店だ。居酒屋チェーンの「はなの舞」がやっているので、安くてハズレが無いからだが意外とボリュームもある。なので昼時はビジネスマンで混雑する。価格は750円前後になるが、当日私は「冷やし中華とそぼろご飯のセット」をオーダーし家内は「ザルそばと握り寿司」のセットにした。私はこれだけで十分満腹となったのだが、家内はまだ何か食いたいようだった。「早く言ってくれれば、僕のそぼろご飯あげたのに」と言ったのだが、いきなり「ねえ、ちゃんこ食べない?」と・・・。「あのねえ、太りに来てるんじゃないよ!」と言ったのもすでに遅し。海鮮ちゃんこ1人前980円をオーダーしていた。 「海鮮ちゃんこ」をひたすら食う家内の様子。「あなたも食べていいよ」と言うか「少し食べてくれない?」と言うので端の方から「ごぼう」だけつまんで食べようとしたら「ごぼうはダメ」と言う。なんで?「後で雑炊作る時にこのごぼうの食感がいいのよ!だから食べないで!」じゃあ何も食えないじゃん?と思ったが、それより「雑炊セット」も追加オーダーする気でいる事に驚いた。「ちゃんこ」だけでは「鍋の中身」しかないが、セットを頼むと「ご飯・卵・ダシ」が付いてくる。それも食うらしい・・・。結局その店には1時間20分も滞在してしまった。この店の中央には本気の「土俵」が設定されているアミューズメントパークみたいになっており、外国人には好評だ。ただ、その土俵の横にある50インチモニターで放映されていたのはなんと「エクササイズ」だった。オデブの祭典「相撲」その横のテレビではダイエットエクササイズが、その横で「ちゃんこをむさぼる家内」が・・・。思わず「土俵に上がりたいの?」と聞いたら「女は上っちゃいけないの!」と。これじゃあ痩せないよね。そこで運動がてらに「江戸東京博物館」に入る事にした。館内は涼しいし意外と距離を歩くのだ。まあ最大の理由は訳けあって「入場無料」なもので・・。2時間近く歩いてカロリー消費に勤めたが。ちなみに先日綺麗な栄養士さんから、「これだけ食事のカロリーを下げているのになんで体重がへらないのかしら?」と聞かれて調べてみると、なんとその原因が「牛乳」だと解かった。私は毎日「水」代わりに1リットルは飲んでいた。その分がカロリーオーバーだったのだ。一日200mlくらいなら問題ないのだが、1本は飲み過ぎだと言う。そりゃあそうである「同じ飲み物」で、あの子牛が大きく育つ程の栄養価なのだから・・・。ちなみに私は小学生の頃から毎日牛乳は1L前後飲んでいた。給食で「牛乳嫌い」の女の子が多く、代わりに隠れて飲んであげて喜んで貰っていた覚えがある。さらに部活が終わると給食室の冷蔵庫に忍び込み「返品される余った牛乳」を隠れて飲んでいた。結果、事実だけ言うと3人兄弟の中で私だけ大きく育った。両親も大きくないし私の弟二人の身長も165cm以下である。なので、成長期の牛乳効果は抜群だったと考えている。が、「50過ぎて毎日牛乳1Lはレスラー並み」と綺麗な頬笑みで注意してくれた栄養士さんの顔を思い出す。ある学者は「太る人はみんな知らない内に太る為の努力をしている」と行っていたが、まさにその通りである。ところで、そんな木曜日の深夜に単身赴任中の長男が帰宅した。『保険会社の損害調査で「和歌山県 那智勝浦」に明日(金曜日)から2週間派遣される事になった』と言うのだ。彼にとっては管轄外の仕事だが「応援」だと言う。この会社の神奈川県エリアからは8名が選抜されて派遣される事になったらしい。・・・で、出発は金曜日(今日)の朝4:30。と言う事は?今、午前2時で風呂入ってから出張準備をしたら直ぐに出発じゃないか?やはり「お父さん悪いけれど朝車で駅まで送って・・・」ときた。・・・と言う事で、長男と私は今日の朝まで一睡もできなかった。東日本大震災の損害調査の応援作業が終わったばかりなのに、仕事とはいえご苦労さんですな。気付くと我が家で一番痩せたのは間違いなく長男のようである。
2011.09.09
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さて、この写真の景色はどこでしょうか?どこかで見たような?そうなんです。日本中どこでも見られる景色なんですね。日本は国土の面積に対する「森林」の割合は66%(湖沼を含めると68%)もあるんです。この森林率のレベルはフィンランドに次いで世界で2番目に高いんです。随分前のブログで知り合いの外国人が初めて日本に到着し、「成田空港から都心に向かうリムジンバスの車窓を見て驚いた」と書いた事もありましたが、その友人は「日本はどこに行っても下町の家が密集していると思い込んでいた」のである。ところが、千葉の田舎に造られた成田空港から「東関東自動車道、首都高速湾岸線」を通って都心に向かうと「こまごました街の集落」なんて見る事は殆ど無い。どこまで行っても車窓は畑やら森やら、そして湾岸エリアは高層ビルばかり・・・。「気付くとベイブリッジを通過して都心に入っていた」日本人は成田が遠くて不便だと言うが、初めて海外から来る方は意外と驚いているのですな。・・・で、そのような外国人が日本国内を旅行する場合「JR外国人専用乗り放題パス」を使う場合が多く新幹線を多用する。東京から西に向かっても、北に向かっても、さらには長野方面に向かっても?山の緑と農村の風景、さらに続くトンネルの多さに驚く・・・と言う。そして、「nori!日本人は1億2千万人もどこにすんでいるんだい?」と聞く。「ニュージーランド」なんかは日本の本州と同じくらいの国土面積なのに、国民の数は410万人しかいない。ニュージーランドを旅行された方なら解かると思うが、南北に延々とドライブしても家や住民を見つけるのが難しい。そんなニュージーランドよりも日本の方が「森林率が高い」のだ。だから日本国内では「人が住めるエリアに集中して」住むしかないのである。これは生活面で考えると身近に何でもあるのでとても便利なのだが、逆に災害になると多くの住人が被害に遭う。3月の地震・津波、そして今回の大雨被害。年老いた母が、大雨の被害地域のテレビ映像を見てて「なんで、あんな川の横や崖下に住んでるのかしら?危ないじゃない」と言っていたが、それは生まれた時から東京にいてその後もずっと関東平野に住んでいて、結果そのエリア以外に住んだ事が無いから思える事なのだ。あの土砂崩れの被害に遭った家々や、増水に飲まれた集落は好き好んでそこに集まって住んでいたのではなく地形的に「平らな土地がそこしかなかった」から出来た集落なのである。冒頭に紹介した写真のように渓流を囲む標高2~300mクラスの山々。日本中こんな場所ばかりなのだ。このような場所からいきなり海に向かって開けた平地を「扇状地」とも言うが、津波にやられた東北の集落は殆どがこのパターンになる。なので、日本では海に開けた小さな平地以外にまとまって生活のできる場所を探すのは至難の業なのである。 実際に津波に遭った方々は、不便な山の方を選択するか?また津波の危険がある海沿いの平地を選ぶか?本当に悩んでいる。先日テレビの地震特集で、東北の海沿いの「神社」のほとんどにおいて津波被害を受けなかった事が判明した。それも後10mで神社まで到達。社の階段下まで水が。などスレスレで助かっているのである。昔の方々の賢人の知恵なのか?これより先は安全を意味した「浪分神社」の名前のように、1000年単位の津波被害を避ける事を伝承した神社だってある。今後も天変地異は続くと思うが、昔の賢人の知恵をもう一度掘り起こす事も重要なのではないか?今回の場合、「地震」と違って火災保険で全額補償されると思うので「適切に加入」さえしていれば?新しく再建築できるので。かなりの救いになると思うが・・・。そんなときに「適切に加入する」事はとても重要な事なのです。現在の建物評価額に適した保険金額に設定しておく事。「建物が古いから」や「保険料がもったいないから」保険金は半分でいいよ・・・。みたいな保険金額の設定をしていた場合は、悔しい思いをする事になります。今までは大丈夫だった地域にお住まいでも、「危ないかも?」と感じたら、正しく設定した保険に加入しておいた方が良いでしょう。それは「都心にお住まい」の方にも言える事なのですが・・・。
2011.09.07
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イタリアに帽子とトートバッグをオーダーしました。 GEMMAのハットです。とても日本ではお目にかかれない色とデザインです。あえて冬に使おうと思ってます。もう一つはあのスポーツウェアブランド、プーマのコラボトートバッグです。日本では絶対に手に入らないと思いますので、街中でカブラナイ事がいいですね。 現在イタリアからの送料2,200円が無料キャンペ-ン中だったので衝動買いです。医師から寒くなってきたら「外出時は頭と首を温めなければだめだ」と言われ、現在帽子を集めているのです。・・・で、トートバッグは仕事兼用ですが正面はこのようにデザインされているものの、反対側はベージュのキャンバス地になっているので、十分に使えます。ハンドルが長くショルダーにもかけられるし、ダブルジップなので中身を見せないように出来るのも決めた理由です。また、見た目より「底」がしっかりできているそうなので、床置きしてもくったりしないところも決めてになりました。価格は今バーゲン期間中でして両者ともに4,000円でございます。本当は靴も欲しいし、ベルトも欲しい・・・。だが、このところお小遣いは減るし先行き何かの出費があるかもしれないので、昔みたいにホイホイ買う事が出来ない。オヤジがこれ程我慢しているのに、家内は10月に友人二人でヨーロッパに10日程行くらしい。まあ「行くな」とは言えない理由もある。ご存じの方もいらっしゃると思うが、今年の2月の連休を利用し家内と二人でイタリアに行く予定だった。ところが出発前日に私が「脳梗塞」で倒れてしまったので、二人ともキャンセルしなければならなかったのである。30日以上の入院で済んだんで不幸中の幸いと言われればそれまでなのだが、日曜日の夜にNHKで特集していた「新しいリハビリ方法で回復する」において、特殊なマッサージをして動きを復活させると言う技があった。脳梗塞と言う物は、「脳内で血管が詰まり血液が脳の一部に届かなくなる状態」を言う。血液が行かなければ酸素が回らず、脳細胞が死滅する。それにより、手足などの身体麻痺が起こるのである。ところが今は新薬があり、2時間以内に投与すれば比較的に治りやすい。だから、政府のPRでオシム監督が「早めの救急車」を宣伝していたのだが、人間の体は不思議で薬やりハビリで症状が軽くなっても、「発症後6カ月以内に治らないともうダメ」と言う定説があったのである。この6カ月と言うのは「脳の伝達組織が再構築する期間」であり、これ以後は脳が諦めてしまうと言う事だそうだ。ところが、特殊なマッサージにより末端の手足から刺激を脳に送る事によって、脳からではなく逆に手足から脳に連絡をまわして「脳が手足を認識」する事ができるようになると言う。テレビの画面でも、まったく動かなかった指がそのマッサージだけで動くようになっていた。これは九州の大学の先生が考えた方法だったのだが、実は私が入院した際に体験できたのである。私の入院時は完全に「右半身が麻痺」で全く動かなかった。発症から4時間後に搬送されたので、はっきり言って「手遅れ」だと医師から言われていた。ところが、搬送されたのが「東京歯科大」の総合病院だったので私にはそれが幸いしたのである。先ず、歯科大なので入院患者に対する口腔衛生が行われている。入院中に虫歯だって治してくれたほどだ。そんな中で、一人の衛生士の女性が親身になって私の喉の奥を氷で刺激を与える方法と首周りのストレッチで「赤ちゃんが生まれた瞬間の呼吸行動」を再現しようとしてくれたのである。何しろ、右半身麻痺と簡単に言うが中体の間に存在する「喉」「肛門」「尿道」も麻痺により塞がってしまったので自力で「飲む」「出す」が全くできない状態だったのだ。結果、その子のおかげで復活し嚥下ができるようになったのである。それと同時に足と手が動くようになり、そんなときにその病院で受けたのが「九州」で話題のマッサージだった。偶然に私の担当が「いかついお兄ちゃん」から、沖縄出身で九州のリハビリ病院で仕事をしていた理学療法士の女性(エキゾチックな美人さん)に代わり、その方がやってくれた技が今日NHKで見たマッサージだった。私としては麻痺したとはいえ右手を両手で握られ、指の一本一本をしごき上げるように?すっぽん、スッポンしたり、腕を取られてからめるように動かしたり?それはそれは楽しい毎日だった。家内なんかはその様子を見て「毎日綺麗な人と楽しそうね?」と皮肉を言われたものである。その時にその女性が「今、九州で流行っていて効果があるので試してみます」なんて言っていたが、もしかするとそのマッサージを受けたのが良かったのかもしれない。今までは「自分の力で治った」と思い込んでいたのだが、実際は「最新の特効薬」「献身的に毎日付き合ってくれた口腔衛生士」そして「リハビリの理学療法士」の3点が揃ったから今のように社会復帰が出来たのかもしれない。その病院を退院した後に「リハビリ専門病院」に転院したが、そこには「同じ症状の患者」ばかりだった。同じ年齢の患者もおり、また共通の病気だったので連帯感があった。そんな時も「運ばれた病院どこ?」と聞かれてその病院の名前を答えると、「だからあなたは回復が早いんだ」と言われたのを覚えている。つまり、このような治療を受けられる病院に搬送されるか?否か?でその後が決まる事もあると言う事だ。話は最初のイタリアのファッションアイテムから変わったが、普通に生き残れた事を先ず感謝しなければいけないのでしょうねえ・・・。ちなみに、私の場合検査は普通より多い。再発した事があるからで、先日から月に2回「栄養指導」も行われる事になった。誰も来ない北病棟の6Fに行き小部屋の中でマンツーマンによるお話をするのだが、担当の女性はこれまた美人の栄養士さんだった。先週は「来なくていいよ」と私が言うのを無視して家内が後からやってきた。カウンセリング終了後「アナタどうりでウキウキして行くと思ったら、あの方も相当の美人ね」と冷ややかに言った。それぐらいの楽しみがないと、病院ななんて行きたくないでしょ?
2011.09.04
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また中学生の女子生徒が自分の命を捨ててしまった。親の悲しみはどれだけ辛い事だろうか?子供がいくつになっても親より早く死ぬ事は、親不孝である。生きていたくても生きられない子供達だって沢山いるし皆一生懸命に頑張っている。ちなみに今回亡くなった女子生徒は、某私立中学だと言うがこの学校は幼稚園から高校まで一貫教育で進学ができる学校であるが、小学校・中学・高校と外部からの受験生も存在する。ところが、この学校に入る受験で一番難しいのが「3歳で受験する幼稚園の年少さん」クラスなのだ。3歳と簡単に言うが、4月生まれの春に生まれた子供と12月以降の冬に生まれた子供との間には1年近くの年齢差があるのと同じ事になるのである。つまり、これらの受験には「子作り」の段階から計算の上4月・5月生まれの誕生を計画する必要があるのだ。小学生の頃体育の授業なんかで「出席番号順に並べ!」なんて言われて校庭に並ばされた経験はないだろうか?すると当然のように「背の高い順」になっていたのではないでしょうか?つまり小学生でも6年生くらいまでは、この生まれた年齢差は付きまとうのであり自然と学力差となって表れてくるのである。この学校は家内も長男も幼稚園から小学校までは在籍していたが、同様に中学からは都内の私立を受験するのが定番のコースとなっている。長男が6年生の時、外部に出る為に受験し同じクラスから男子は開成・筑駒・麻布・南に行ってラサール、さらに慶応・早稲田を受験して移った生徒はゴロゴロいた。その反面、その学校に中学・高校と残る生徒も少数存在する。それも二通りいて、好んで残る組と他の中学受験を失敗して戻って来る組が存在するのである。そこに新たに外部受験をして入って来た生徒が混ざる事になるのだが、地元でその学校まで歩いて通う生徒なんて1割もいない。ほとんどが電車に揺られバスに乗って30分~1時間以上かけて通学しているのが殆どだ。さすがに幼稚園は親の送り迎えが行われるが、親達はその目的だけの為に駅前駐車場を借りている。当然の事だがそのような子どもたちは、地元に友達なんかは存在しない。自宅に戻っても公文やらピアノやら塾やら、夜遅くまでスケジュールでいっぱいだ。結果、友達は極端に少なくなる。・・・で、外部の中学受験をするためには小学4年生がスタート年齢となるのが今の常識なのである。もちろん元から何もしないでも頭の良い子はいるが・・・。それが良い事か?悪い事か?解かるのは本人だけだろうが?幸い我家の長男は、そこで3歳から12歳までの間で一生のつきあいとなるような友達を男女関係なくその学校で見つけて今でも付き合っている。またその親たちも家内の同級生だったりしているからややこしいのだが・・・。ところが、そのような一部の仲良しグループとして「偏った生徒が比較的多い」学校において友達を見つけられない生徒は完全に孤立してしまうのである。それが「いじめ」では無くても辛い孤独を生んでしまう事があるのだ。ましてや、公立の小学校から一生懸命勉強して入った生徒からしてみると、小学校には仲良しの友達がいても、新しく入学した私立中学にはすでに仲良しグループがいて、内気な生徒ではそのような中に割って入るような事はかなり難しい。さらに複雑なのが、他校受験失敗居残り組の中にはけっこう精神的に歪んだ性格を表す生徒もいる。これは事実なのであるが、私の長男が中学3年の頃その母校に残った友人に会いに学園祭に顔を出したが、その彼が活躍するクラブ活動のユニフォームのゼッケン番号を見て愕然とした。風の便りに「体が小さいから部活でいじめられているようだ」とは聞いていたのだが、「いじめ」と言うものは目に付かない方が普通である。3年生ならばレギュラーだし、例えば10人が最後まで残っていればゼッケンは1番から10番が割り当てられるのが当たり前だ。2年生だって12番とか付けているのに、その彼のゼッケンは「42」(シニ)だった。連番でなったのではなく、30番台前半からいきなり飛んで42番なのだ。長男がそれを見て思わず涙を流していたのを覚えている。本人は「面白いでしょ?」と言っていたそそうだが・・・。「志望校を下げて他の中学に行けば良かったのに・・・」と長男がぽつりと一言。でも、その彼は強かった。一生懸命努力し、某大学のパイロット過程に進学し単身でアメリカに渡った。今では日本に帰ってきており軽飛行機のライセンスも取得し、国内の選考過程を終了すれば大きな飛行機のパイロットの道が開ける事がほぼ約束されている。さて、そのような私立の小学校を巣立った子供たちが一昨年一斉に就職活動となった。ついでだが、ここで面白い事実を紹介する。開成中学にに進学した生徒は、小学生時代にクラスでトップクラスの成績だったのがそこでは中以下の成績に落ち込んでしまったと言う。それは彼の成績が落ちたのではなく「自分より遥かに頭が良すぎる連中がたくさんいた」だけなのだ。・・・で、東大受験に数度失敗し3浪して?結局慶応に入ったそうだ。中学から慶応に入った連中はお気楽極楽で大学まで進んでこの春には有名企業に就職した。そんな中で、「あいつキャンパスに隠れるようにしていたぞ、2年生だったけど」と、お気楽組に見つかってしまったのでその事実が判明し、皆から「開成への受験勉強、数回の東大入試チャレンジ、あの勉強の日々は彼にとって何だったのか」と言われていた。このような事は普通に見られる事で、例えば大学に合格した時点で「終着駅」と考えてしまいドロップアウトしてしまう学生も多いのである。大学の善し悪しもあるだろうけれど、基本的に大学までエスカレーター式の付属校に進学した連中は「勉強一筋」に集中する必要が無いので、意外と心に余裕があり自分の将来や好きな事を見つけやすくなるようである。作家や芸術家、理工学部を出ながらイタリアンレストランのシェフになろうとしているのもいる。大学が足枷にならない自由な生き方・・・。まあ、「終着駅」がどこにあるか?その人によって異なると思うが。長男の友人に面白い夢を持った男がいる。彼は中学生時代から「金髪の女性と結婚したい」豪語し続け、長男と同じ大学に進学し某研究室に入り国際学会に教授のお伴として度々海外に出ている。「中学・高校はあの私立から抜けられなかったのが屈辱だった」と後で聞いたのだが、彼は凄かった。屈辱を「語学勉強にすり替えて?」勉強し、長男は「あいつスペイン語・フランス語・ドイツ語を自由にしゃべれるんだよ」と言っていた。もちろん大学の研究論文を英語で書けるので、相当の実力があるのだろう?しかも実にマメな性格で、海外に行くたびに「お土産」を買ってきてくれるのだが、長男だけでなくうちの家内にも「コレお母さんにも渡しておいて」と、ヨーロッパ各地のアクセサリーを買ってきてくれるのである。ちなみに彼の父親も他の大学の教授で自宅には今でもテレビが無いそうである。親同士の付き合いはもう無いのだが・・・。語学堪能で、爽やかだしファッションセンスも良い、さらに他人への気遣いもできる。これなら学者にならなくても「超一流企業からもひっぱりだこだろう?」と思うのだが、彼の夢は大学教授になり海外で研究し(できたらヨーロッパ)北欧系の金髪美女と結婚する事の方が大事らしい。勉強ばかりでなく何でも良いから、何か「面白い事」を見つけてあげる?または見つけられそうな環境を与えてあげるのも親の仕事なのだと思う。また、子供のそれを「親が絶対に邪魔してはいけない」と言う事だ。
2011.09.02
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