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最近は政治家の劣化した事が言われる。これは私達が子供の頃と、私が行っていた途上国を思い出す。政治家の劣化と貧困格差は伴っているのではないかと思う私である。途上国もそうであったが、政治家が金を持ち、裕福に暮らすが一般国民の生活は苦しいのが現実である。日本が援助を行っているが、その殆どは政治家の懐に入り国民には日本が援助している事すら知られていない。それは政治家が自分達の為に都合の良い事ばかりを考えるし、政治家に成れば企業からの利潤や自分の経営する関連業者に仕事を渡し、そこから献金されたりするからでありそれは、お金と言う事だけを考えて、政治と言う事は考えて居ないし民意等は無視しているからである。日本も戦後まもなくの頃、「末は博士か大臣か」と言われた事がある。博士は、それなりに教養で自分を高める為であるが大臣は日本の政治のトップになるので、お金儲けが出来てなおかつ有名に成るからである。戦後の日本では、それでも復興の為に政治を行って来たので国民も認めていたが、日本の経済が発展する毎に政治家の劣化が始まったように思う。それで政治家は金を、ばら撒き選挙に勝つ事を考えて腐敗政治が行い、それが問題に成り政治資金法等と言う国民の税金で政治資金を出すのと、企業献金等の規制を行ったが、それも抜け道ばかりで、どうにでもなるような政治家に有利な事ばかりで、規制を遣りましたと言うパホーマンスであった。その頃は日本経済も安定していたので、国民も見て見ぬ振りをしていたのである。これが今や日本経済が不安定に成って来た、現在では貧困格差は広がり、高齢化と地方の過疎化など日本の行く末を考えなければならない時期であるがその対策を行う政治家は劣化して、政治より金民意より党などと政治の「せ」の字も無い状況の政治家であり民意等考えていないに等しい人が多過ぎる。これで企業献金を堂々と当たり前の取り、なおかつ国民の税金から出ている政治資金は適当に使い、問題が起きても身内に責任をなすりつけて、責任感も無い連中が政治家である。これだと、これからの日本の政治は途上国並みの政治家が多く出るだけであろう。同時に日本も貧困格差が広がり、税の収入と出るバランスが崩れて来ている、今の日本である。これは政府も官僚も分かって居ながら、政府は何も考えずに選挙に勝つ為に、国民受けする事を遣ろうとしている。今の政治家と官僚は日本が借金大国である事を自覚しているのか?その自覚等ないであろう。これが今の日本の政治家であるから、自分たちの違憲である事と責任感を持つ事だけは、最低でもやってほしいと思う。
2015.11.30
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今や、自民党は天下を取ったつもりかと思ってしまう。企業献金を堂々と提示しているとの報道されている。私も幾度もブログに書いたが、日本の首相は企業のセールスマンに成ったのかと書いた。外遊する毎に、経済人を伴って行き、外遊費用も国民の税金である。それを使いながら、経済界の御用聞きを行っているのであるから企業のセールスマンと何ら変わらいと思ってしまう。それだけセールスマンを行っているだから、それなりの金を寄こせと言っているも同然のように金額まで提示するとはどうかと思う。確かに企業に勤めるセールスマンなら、当たり前であろうし企業も売り上げに準じて出すであろう。だが本来の政治的な仕事はしないで、政府援助を餌にして訪問国に資金をばら撒き、経済界の御用聞きを行っているのが、日本の首相のように私は思ってしまう。企業に対して金額まで提示するだけ、政治家も地に落ちたのであろう。民意等は反映させず、企業の為に海外では御用聞きを行い国内では企業に減税処置を行っているのだから、金を寄こせと言っても同然だろうと思っているのであろう。政治家に金を寄こせなら、企業で働いている社員の給与を上げるべき事を考えるのが政治であろう。ろくに国民の為の政治らしい事を行わないで、金だけ寄こせお前らのセールスマンを行ったのだからという考え方にしか見えないのは私だけであろうか?政治家、それはタカリ屋の集団となったのが日本の政治家なのであろう。まるで総会屋と同じではないかと思ってしまう。それで選挙に勝つ為に、お金を集め、なおかつ国民の税金から政治資金を出して、裁判では違憲と言われる連中が金集めはするが、違憲である議員削減はやった振りだけで、如何に誤魔化すかを考え国民を欺いているのが日本の政治家連中である。こんな連中を作り上げたのは、国民であるが、国民自体も考え直す事と、はっきりと意見を言う時が来たと思う。企業献金、国民が出している政治資金も、彼たちには当たり前の事であり、それも管理も出来ないで公私混同を行い、違反で受け取った献金は返金すれば終りであり、分からなければ儲けものと言う通例を許したのも国民であり、政治家当事者である。それにつけても、これほど政治家の質的な物が落ちた事に国民は文句を言わないのも日本であろう。奢るなかれ平家の、今の自民党であろう。
2015.11.29
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最近、色々なセミナー等の行っているが、私の勉強不足を感じてしまう。今回は障害関係の方達に関して、2日間のセミナーであるが障害と言っても、色々な障害を、人は背負って居るものである。安堵して居た為に起こる事や、私達時代の日本経済の発展の為に、働いて精神的な障害、知的障害、自閉的な障害と言われるものがある。これは医学の発達と供に、障害の名前が変わり、増えて来ている。また、私達の若い頃は障害に対しての偏見がありそれによる障害を持つ家族が、隠す事も多かった時代であったが現代でも、その偏見と差別的な事は起きているし日本は諸外国から見ると、まだ、その様な行為が強いようである。私も若い頃は、多少なりにも偏見を持っていたと思う。30代後半で車イスの方にPCを教えた頃からその偏見は無くなりつつあったが、それは車イスの方から教えて貰った事が生きたと思う。最終的には1年しか持たなかったが、周囲の援助を嫌った私の見栄でそうなった。その頃は、まだ日本独特の障害者に対する偏見が多く車イスの方も、その偏見により委縮していた方も多かった。その中で一人の車イスの方が、言った事が私を変えた部分があったと思う。その方は私に言ったのでは無く、教わっている仲間に言ったのであるが「自分たちは甘えるのではなく、自立する事が大切だ、車イスだからと言って、周りに甘えている事が多い、それを変えなければ自分たちの自立はない」と言われたのです。私達、健常者は当たり前に仕事が出来て、それが普通だと思っている。だが、障害のある方に対して、私達は何もしてあげられないしむしろ偏見の目で見る人達が多かった。(私の若い頃は特に)私の、その時の目的は、車イスの方が座って仕事が出来るのはそれならシステム屋であった、私が教えてと思ったのである。その前に専門学校で教えた経験もあったので、私の生まれ故郷で、母の思い出と供にと思った生意気な奴でした。それは今から30年以上も経ちますが、今の自分を作り上げてくれたのは母であり、その様な人達から多くを学ばせて貰ったから今の自分が居ると思っています。だが、マダマダ自分は分からない事が多過ぎるし、学ぶ事も沢山あるような気がしていますが、これも自己満足なのでしょう。結果的に、私は自己満足で終わると思いますが、海外や被災地等でも学ばせて貰い、今は高齢者の方や障害のある方から新たな事を学ぼうと思っていますが、私の欠落している部分は突っ走ったら止まらない、それで暴言的な事を言ってしまうなどがあり人間的には独断と偏見を持っていると感じて居ます。きっとこれで終わるのが、自分でしょう。そこには自己満足だけが残るのかもしれません。それも残るか、残らないか、欲望が増えて居るかも?
2015.11.28
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日本人が最近よく使う言葉で「絆」があるがその「絆」とは何を指して言っているのであろうか?特に東日本大震災では「絆」と言う言葉が使われ、それなりに人と人の輪が出来た部分はあるがところが、それは震災の被害者の人達に対してあり今の日本を見ると、親子の絆が途切れがちに成っている事を感じる事が多い。本来は「絆」は親子間から生まれたものであると私の勝手な解釈をしているので、この様な事を書くが今の日本に「絆」と言う言葉を、考え違いをしている部分があるのではないかと思う。本来は親子の間で深める人間愛が元であったはずが今はそれが忘れかけて来たような状況を多く見られる。私は高齢で介護が必要な方の、お手伝いをしているがそこに見受ける状況は、殆どが、親子関係が無いに等しい状況を目にする部分が多いのと、子供が近所に住んでいるはずであるが、私達に依頼して来る事が多々あるので、私は疑問を感じてしまう。確かに高齢化が進み介護が必要な方が増えて介護を行う家族の負担が増大していると前日書いたがそれとは違う部分もある。そこには家族間の絆が見えない部分を感じる事を私なりに見て来たのであるが、日本の良き伝統的な心の持ち処であった、親子と家族の「絆」が消えて行っている。私達がお手伝いする方は、殆どが一人暮らしでありお子さんが近くに住んで居ない場合は、私はお手伝いしたいと思っているが、前に、近所にお子さんが、親を見る為に引っ越しまでして来ている方から依頼される場合がある。それも面倒な事や汚れる事などであり、これを依頼された時は、最初は受けたが、次に依頼を受けた時は断った。そこには、お子さんが仮に仕事を持っていても休日などに親の顔を見ながらでも出来る事なのである。ところが最初に受けた時は、午前10時からであり私は換気扇等の掃除を始めて居たので顔を見る事は出来なかったが、社協の方に、「何々をやって」と指示して帰って行った。その時間帯なら働いてはいないのではと思ってしまった。それなら、尚の事、私からすると汚れ仕事は私達に頼み自分たちは近所に住みながら、手を汚さない事だけを考えて居るように思ってしまったのである。そこには親との絆などは見えないように思った。それからも再三、社協の依頼があり、私の所に依頼されたが私は断った。そこには親に対する思いやりが見受けられなかったのと親を見る為に近所に引っ越して来たなら、私達がお手伝いする事は、休日でも親の顔を見ながらでも出来る事でありそれをしないで居るのには、私自身が不信感と親子の絆が見えなかった事が嫌であり、あまりにも勝手過ぎるように思ったからである。この様な事例は最近多くなって来ている。そこには本来の親子の絆が無くなって来ているのであろう。日本人が言う「絆」は災害などで助ける事を言うがそこには本来の親子の絆があってこそ言えるのではないかと思うのである。それが今は失われつつあるのが、今の日本の様な気がする。この様に考えると、日本独特の言葉の曖昧と、本来の言葉の意味を、忘れかけて居るように私は思う。
2015.11.27
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私は高齢者で介護の必要な方の、お手伝いをしているが私は短時間での、お手伝いであるから、それなりにこなせる。だが、これが長時間であると大変であろうと思う。先日、介護が必要な方を殺したと言う事件があったが殺人ほう助で家族の方が逮捕された。今の日本は高齢化に伴い、介護が必要な方々が増えて来た。同時に介護施設が整って居ない為に、家庭での介護も多い。多少なりにも私も分かるような気がする。私のように短時間であれば、ストレスも貯まらないであろうが家族となれば、それなりの時間を介護の為に費やす事になり相当なストレスが溜まるであろう。ところが官僚や政治家は介護に関しては、急速に進むのに予算等の削減を行い、施設等の整備も成されていないのが現状である。その為に私達は払っている介護保険に関しても資金的に足りない為に、介護認定の階級が厳しくなっている。だから介護が必要な方のヘルパーの方を頼む回数や時間も制限されているのであり、その隙間を私達がお手伝いしている。私達は隙間だけであるから、短時間であり、またヘルパーの方は、私達より短い時間の場合が多い。それは介護認定の階級によって、時間や回数が決まっている。また、ヘルパーの方達も時間が決まっているので限られた事しか出来ないのである。だが家族が介護の親を見ると成ると、それは大変な事である。時間的な制限が無いのと、自分たちの生活もあるが介護の為に、その部分を犠牲にしなければならない事が多いのである。その姿を見ていた介護される親も、家族の苦しみが分かっているので、今回のような事件に成ったと思う。家族が介護を行っている場合は、家族のストレスは相当なものであると私は感じる。私などは長くて5時間であり、それも月のうち多い方で3回くらいしか行わないから、一時的なストレスはあるがこれが毎日だと、私自身がストレスが溜まるであろうと思う。その様に考えると、家族で介護を行っている方に対しても行政は考えてあげなければならないように思う。家族介護にも、私達の様な、お手伝いを月に数回行く事により家族のストレスを解消させる事も必要であろう。現状の介護施設が充実されて居ない状況では、入居を要望しても中々は入れない為に家族が介護するケースが増えている。ましてや高齢化は急速に進むし、介護の必要な方も増え続ける事が分かりながら、予算削減等を行う為に高齢者負担が増え、高齢者の収入減少で、施設にも入居させられないのが現状である。そうなれば家族が介護を行う事に成り、家族の負担増とストレスが増える、家族のストレスの緩和も必要なのでは無いかと思うのである。今回の事件も家族の介護負担が原因で起きたものであり今後は家族の負担を和らげる対策も必要に思う。
2015.11.26
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ある県の教育委員の発言が問題に成っているが県知事が発言に問題ないと表明したがこの発言自体も問題があるし、この様な連中が政治家ですと言い、教育委員と言うようではその県の教育体制に疑問を感じる。私も障害者の方と接触があるが、その方達も大変ありお世話する方も、家族も、それなりに努力しているのである。確かに多くの方が、障害のある方の、お世話をしているがその方達の大変な事も見た事があるので分かるが、その方達も頑張っている事の内容は、私達が考えられないほどの、努力と忍耐力が必要なのである。それを予算が掛かる等と思うようだとか、子供が、お腹の中に居る時に分かる方法が無いかとか、馬鹿な発言を行う人を教育委員にして、その発言には問題が無いと言う政治家もこの地方の教育水準の程度を疑いたくなる。自分に障害のある子が居たら、どの様に考えるのであろうと思うし、障害者の方達の事も知らないで言う事かと思う。同時に自分たちの年齢の頃の事を考えると、障害を防ぐ事は技術的にも無理な時代であろうし、現実には多くの障害のある方が居るのである。本当に人間としての基本的な部分で欠如している人が政治家であり教育委員である事の方が問題なのではと私は感じてしまう。誰も好き好んで障害を背負って生まれて来ないし生まれて来てからの親たちの大変さや、障害者の方の将来的な事を考えてあげるなら分かるが、このような発言をする人が教育委員であるとは、子供たちに、人間としての教育が出来るのかを疑問に思ってしまう。また、その発言に問題は無いと言う政治家にも問題があるしこの様な地方で育だつ子供たちが可哀そうに思う。今、人間教育が問題視されている状況下で、この様な発言をする人が教育委員であり、地方を統括する政治家が「この発言に問題がない」と言う人である事は、日本の教育に陰りが出て来たのと、結果的に金で物事を考えている連中が政治家や教育委員である事に怒りを感じてしまう。これでは日本の将来的な教育は、問題が多い状況でありそれを許す事は、将来の子供たちに大きな影響が出て来る事に成りかねない。地方ほど金で動くのが、当たり前であり、金のある人が名誉職を欲しがる事が多いのも問題がある。人としての考え方が狂って来たのかと思ってしまう。子供たちの教育を監督する立場の人が言う事では無い。何処かの会社の長であるらしいが、お金でしか人の価値を考えられない人なのであろうと私は思ってしまうし、この様な人が教育の立場を監督する事に日本の将来的な問題が出てくるであろう。
2015.11.25
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今の政府が進める、地方創生や1億総活躍等と言っているがそれに乗らない国民が殆どであろう。自民党は地方の選挙では敗北が続いているが、地方創生なら地元での政治に力を入れない限り、創生等は出来ないであろう。地方から選ばれた国会議員は、地方を考える事など出来なかったから、これだけ地方が衰退して行ったのである。それで今さら政府や自民党が地方創生等と叫んでも“絵に描いた餅”である事が選挙民に分かって来たのであろう。ましてや、これからは選挙に18歳以上で投票権を与えられたのであるから、若者も考えて投票する事が出来るようになったので多少は期待出来るが。今までの地方での選挙は、高齢者が多く、封建的民主主義の考え方で、お嬢様や、おぼっちゃま、を祭り上げて来たのであるがそれでは、地方が衰退する事が分かって来たのである。それを分かって居ながら、地方選出の国会議員は何もせず、自分たちの次の選挙と資金稼ぎの為に政治等と言って選挙の時だけ、地方を活性化させると連呼するが実行はしないでいたのが現実である。今や地方は衰退の一途を辿り、今さら政府の言う地方創生等と言われても手の打ちようが無い状況であろう。これは10年以上前から分かり切っていた事なのに政治家連中と官僚は何の対策も行わないで、昔からの遣り方で金だけ行政に渡し、後は知りません方式と金を出すから、政府と官僚の遣り方に文句を言うなでありこれが続いた結果が、今の地方衰退の原因であろう。傷口が大きくなってから、政府と官僚が国民の前に対策方針を出しても、重傷の患者に安くて効かない物を投薬をしても、すでに遅しの感がある。その状況を選挙民は分かって来たが、それも分かるのが遅すぎた傾向がある。これは地方独特に慣れ合い主義が、今までも政治家を輩出した結果であろう。まず地方を変えるのは、地方に住んでいる住民の方が考え方を変え、封建的民主主義傾向を改革する事が大切であり、それが出来なければ地方は変わらないであろう。今回の地方創生も、今の政府なら、金をばら撒き地方で考えろと言うだけに成り、それでは変わる事が出来ないで最終的には高齢化と廃墟化が進むだけに成りかねない。今や地方が自分たちで計画して、資金を国に出させて将来像を見据えた事を考えなければならない時である。ただ時は、既に遅しの感があるが、まだ救われる部分も残っているであろう。政府や官僚任せでは駄目であるし、選挙の時だけは良い事を言う国会議員も当てには出来ないのであるからこれからは地方自身が考えて、行動すべきである。
2015.11.24
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面白いものである。人は何かに没頭したり、忙しいと、そちらに集中して他の事を考えなくなるが、それが途切れると色んな事を考え始めるようである。私もそれなりに動いている時は、その面に集中して他の事などは、面倒なので考えようとはしない。元々、面倒な事は嫌いであり、性格的にも自分勝手な考え方をするタイプであり、「何とかなるさ」と思う事が多い。それが、時間的に余裕が出ると、クダラナイ余計な事を考え出して、あれや、これやと詮索的に成る。後から考えるとクダラナイ事なのであり、そんな事を考えるなら、もっと違う有意義な事を考えるべきと思ってしまう。最近は今までとの変化が多かったので、自分らしさを見失っていた部分が出て居たと思う。その面では修正を行っていこうと思っている。人の雑念は消える事は無いであろうし、それが妄想であったり現実であったりした場合、人は一時的に自分の初心を忘れて自分を見失いものなのであろう。それは誰しもがそうであると思うが、最終的には初心に戻る事が大切な事である。諺に「初心に戻れ」とあるが、それを言われている事を忘れがちに成るのが、今の私である。もう一度、自分の世界を作り直して、再度挑戦する事があるのでその目標に向かう事を自分なりに行うと思っている。対人関係は悩みが付き物である事は分かっているが私がこの世に一人で生きて居るなら問題は無いが必ずや人との関わりを持たなければならない。その関わりは色んな面で自分を学ばせてくれるが、別な面では悩ませもする事になる。それが面倒だと考えるのが、私の性格なので、技術的な職業に着いたが、最終的には人との関わる事に手を出している自分が居る。これも宿命かなと思いながら、余計な事を考えてしまい自分なりに反省しているのが、私の最近である。これからは、そこから立て直して向かう道筋を作る計画案を作成しようと思っている。
2015.11.23
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人には、それぞれの歩んで来た道がある。それは相反する部分があるし、互いに理解する部分もある。理解する場合は、互いに自分たちの歩んで来た道とは違う部分を分かり合い、譲り合わなければならない事が多いのである。それを自分が歩んで来た道を押し通すと理解出来ない事に成る。確かに自分が歩んで来た持ちは、簡単には変えられないし理解者が居ても、自分の歩んで来た道が違っていたとは認めたくないのが人間であろう。それは、その工程での多くの環境の違いがあるから簡単に認める事も出来ないであろうし、受け入れる事も出来ないであろう。だが、人は多くの方達から学び、それを少しでも自分の中に受け入れて行く事が大切であると思う。そこには相手の思いやりもあり、労わりもあるから関わってくれる事も考慮すべきであると思う。だが人間は年齢と供に自己主張をする部分が強くなりそれらを素直に受け入れ難くなるのである。私もその一人であろう。私の歩んで来た道で経験した事を、自分なりに解釈して色んな方と交わり、そこで主張する事があるがそれは自己満足な部分なのだと感じる事がある。その経験は別な部分で生きている事もあるが、それも生きない事もあると言う事を経験した。関わるが当初は相手も分かって貰えたと思うが慣れ合いに成ると、それが互いの甘えが出てしまい相互間で隔たりが出来てしまう。その隔たりを埋めようとするが、互いの甘えが先行して噛み合わない部分が広がり、自己主張が強く出て隔たりが埋まらない状態に成ってしまった。これは社会生活をしていると、何度も経験する事であるがそれを乗り越えて来たのが経験となっているはずが自分なりには、まだ未熟な部分があったのと、それを見抜けなかった自分が悲しいと思えた。やはり思いやりも労わりの気持ちも、最終的には自己満足なだけである事を感じ取った出来事であった。これからは、又、この経験を生かして、別な部分で学んで行かなければならないと思う事が出来ただけ良かったのかもしれない。
2015.11.22
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昨日、高齢者のお手伝いに行って来た。この方とは数カ月の付き合いであり、目が悪い方なので部屋の模様替えなどを行っているが、私を信頼して頂き全面的に私の任せてくれる。私も目が悪い事を考慮して、家具の配置などを変えて行くのであるが、ある程度に、その方の使いやすい配置換えを行って来たので次回で終わる予定である。だが、それだけでは済まない事に成りそうである。どうしても一人住まいなので、話し相手が居ないので私が行くと話が止まらない部分が出て来る。それに関しては、問題は無いのであるが、人間は信頼関係が生まれると、私のお手伝いの許容範囲を超えてしまう事に成りかねないのでその部分は超えないように私は行っているが相手は、そこまで考えないで言って来る事が多い。聞き役に成ると、どうしても私生活や揉め事までを聞く羽目に成ってしまうのである。これは高齢の方に成ると、その傾向が強くなる。その面では私は趣旨義務的に考えて行動するが相手は信頼しているので、それ以上の事を言う。この境目が難しい部分である。機密的な事は、私の今までやって来た仕事などで機密保持が当たり前であったので、それは守る事が出来るが相手からすると、それ以上に求める部分も出て来る。この判断の難しさを私は感じている。他人に口外しないのは当たり前であるが、相手は話した事をやってほしいと言う希望もある。だが私の立場は、現在行っている範囲を超す事は出来ない。その面で難しい事を感じてしまう。どうしても相手から信頼されて、長く付き合うと友達感覚が出てしまう。被災地でも、そうであるが最初はボランティアとしてであるが4年以上訪れると、友達感覚に成ってしまうものである。それだけ相手も気軽に話がしやすいのであるからこれは仕方のない事であると思うし、私も気軽に話す性格なので、相手も親しみを感じてくれるので私もその様に対応する事に成る。だがお手伝いと言う範囲は超えられないジレンマは感じる。
2015.11.21
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このブログを書きだしてから6年となるが、最初の頃は自分のHPを30年以上やっていたのでそちらに書いていたが、文字数制限があり、他の複数ブログを書くようになった。この様に書くように成ったのは、30年以上に成るが色んなブログを渡り歩いて、最終的にはこのブログに落ち着いたのであるが、このブログを始めた頃は複数のブログに、ジャンル毎に書き分けて居たがジャンル別に毎日考える事が大変なので、このブログに最終的に納まったのである。当初は他のブログと併用していたが、そちらはエゲツナイコメントが来るので、そちらは書かなくなった。コメントも、それなりには自分の考え方の違いが分かるので良いのであるが、エゲツナイものだけは気分の良いもので無い。人はそれぞれ考え方が違うので、それなりの意見を書かれるのなら私も学ぶ所があるが、それを越したコメントもあったりする。個人的には色んな発言がある事には問題はない。だが中傷や嫌みを等を書く人は許す事が出来ない。確かに人は同じ生活環境で無いので、それなりの経験から自分なりの意見を持つであろう。その経験から言う事は良いとは思うが、そこには多少なりにも相手の立場や経験を考えて発言しても良いと思う。それが今の社会では欠如しているように思う。私はなるべく、相手から聞いて私が意見を言う場合は自分が相手の立場で考えた場合には、多少なりに行う。特に深刻な問題の場合は、その様に考えるようにしている。だが現代社会は個人的に自己主張が先行しているように思う。先に言った方が得、自分の考えを先行させて相手の立場を考えるだけの、余裕が無いのが現在の社会構成のように思う。主義主張は、それぞれ違うのが当たり前である。だが人間社会では色んな格差があり、その格差も分からないで自分目線で意見を言う事が多いがそれは時と場合によって言うべきであると思うのである。それが今の社会ででは欠如しているが、これも教育の衰退から来るものであろう。親も学校も考えて、子供たちを教育すべきが両方の教育する立場の人達も、その欠如した教育を受けて来た為に、この様な現状が広まったのでは無いだろうかと私は思う。今後はそれを修正して行く事が必要である。また私達年代も、この様な現状を作り上げた責任はある。
2015.11.20
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私の性格は、何度にもブログに書いたからお節介焼きな所があり過ぎるのであろう。最近は、それが自分を多忙にする原因のように思う。色んな方面に手を出し過ぎたのか、色々頼まれる。私は、元来は面倒な事は嫌いで、避けて通りたがるのであるがこれは技術屋の職業的要素もあったのであろう。ましてやコンピュータは、人が楽をする為に利用する事を考えてシステムを作る。プログラムを考える為にも、どの様にしたら楽に仕事がこなせて、人の手を煩わせなくても良いかを考えてシステム仕様を作成していた。それはコンピュータと言う道具を効率よく動かす為と人が如何に楽をするかを兼ね合わせて居たからである。だから、システム関係の仕事を考える場合は町を歩いて居ても、色々見て歩いて居てもこれならシステムに応用して組み込むと楽が出来そうだと思う事を自然に探して居た。だがそれは仕事柄であったが、非常に何にでも興味を示して利用出来ないかを考えて居たのである。これは技術屋の悪い所であり、良い所でもある。そんな性格が身に着いてしまい、今でも歩いたりしていると何かを見つけて利用する事を考えてしまう。これが別な部分で自分に墓穴を掘っている。今は被災地等や高齢で介護の必要な方のお手伝いをしているが、その場合でも、つい考えてしまうのである。見かけた物を、別な面で応用改良して使えないかとかこの部分は変えるべきだとか思って口を出し最終的に自分に跳ね返って来ている。これは、ただのお節介焼きであり、自分で墓穴を掘っている。だが、人とのかかわりに関しては、まだ自分は駄目な部分が多いようである。一般の人達との関わりで、損得が見えると私は逃げる。元来、お金に縁が無い自分なので、尚の事に、その様な人達が苦手なのであろう。技術屋の悪い癖なのか、技術は思考で磨く事ありお金で磨く事では無いと思っているのである。だが最終的にはお金が必要なのであるが、それでもお金には執着したくないし、縁が無いのが私なのであろう。今さらお金を考える歳でも無いので、人間として自分を何処まで自分なりに成長できるかを考えようと思っている。
2015.11.19
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ここの所、反省ばかりである私。だが、これでは自分に進歩が無いので気持ちを切り替え再度、自分を奮い立たせる事を考えている。だが、これも人が現在行っている事では無い事に挑戦したいと思っている。この場合は、失敗も多くするであろうし、多くの人から色々学ばなければならない事あり、そこには自分を追い詰める事にも成りかねないが、やって見たいと思う。私の性格では人がやっている事は、あまりやりたがらない天邪鬼な所が強い。人がやっていると、誰でもが出来るので満足しないのとコンピュータの仕事を長くやっていたので自分なりの考え方で最初の頃はプログラムを作り、その苦労して出来上がった、自分なりの処理ルーチンが面白かった。その癖が抜けないのであろう。だから皆がやっている事とは、別にそこに附加したり出来ないかを考えてしまい、自分なりの物を作って見たい気持ちがある。現在は多くの私のような考え方の人達が、多数作り上げているのでシステム構築では、私の考え方は古臭くなったが、対人関係や知的障害の方の特技的な部分を見出して何かを遣りたいと思っている。これに関しては幾度も失敗するであろうが、失敗する毎に自分は別な部分で学べ、次のステップを考える事が出来て、それが完成した時の喜びが大きい事はプログラムを作っていた頃に感じていたので苦労して出来上がった時の喜びは、何とも言えない物であった。プログラムやシステム構築にも感じて居たのであるが女性が苦労して子供を産むのと同じ、感覚に近いものを感じて居た。そんな自分を忘れられないので、私は現場サイドが好きである。人は何かに挑戦している時は、自分を鼓舞出来る。私の年齢に成っても、まだ現役のつもりで挑戦して実績を作り上げて、認めさせたい気持ちがある。最終的には結果を出して、新たな事を認めさせなければ絵に描いた餅に成ってしまうので、何とか思考錯誤してやり遂げて見たい。確かに年齢的には無謀な挑戦かもしれないが、前を向いている事が、私を支えてくれているので今回の挑戦はやり遂げたいと思っている。
2015.11.18
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私の考え方は何かが違って来ているように思う今日この頃である。最近の自分の行動を考え直すと、今までの自分が考えていた行動と異質な部分が出て来ている。私は何かを求めると、それを追求したくなる傾向がある。だが、そこには自分の、今までの考え方を変える事に成る場合がある事にもなるのである。人は「初心に帰れ」と言うが、その初心を、行動を進める毎に変化して何かを求める事になり、その求めが自分を変えて居る事に気が付かない場合が多い。その様に成ると自分を出し過ぎて、相手の立場を考えないで自己主張が強くなる。その自己主張には、何かを要求する自分が出てしまう。何かを要求する事は、相手に何かを求める事であり私は相手に求めるのではなく、自分勝手にやっているのだから求める事をしないと言う事を心がけて来た。求めると、人は見返りを求める傾向があるが、人に対して優しさや労わりの行動は、求めるものでは無く自分の中にあるものを、気持ちを出しているだけなのだから求めてはいけないと思う様に行動して来た。それは完全な人間は居ないから、完璧には出来ないが少しでも、その気持ちに近づきたいと私は思っていた。その為には相手の気持ちも考えて、相手目線に近づきたいと思う気持ちになろうとしていたが、人間の悲しさかそこまで出来ない自分に気が付く事多い。それが普通である事は分かっているが、何か部分的に求めると、その考え方が崩れてしまう自分が居る。それは相手の事を考える場合は、私自身を修正して立て直して行かなければ、自分は何も学んで居ない事に気が付いたのである。私は現状だけを考えるのでは無く、次のステップを考える傾向が強く、その為に何事も先走り過ぎる性格なのである。その性格は現状だけでは、人は進歩しないし、それだけを考えて居たら、自分の学びが無い事になると私は思っている。ただし、相手のお手伝いをする場合は、相手の周囲の環境も考えて上げなければ、一人ヨガリの行動になって私の自分勝手な行動に成る事に気が付いた。今後は、個々のお手伝いをする場合は、相手の周囲も考えながら、行動して行こうと思っている。
2015.11.17
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昨日、知的障害(自閉症)の子と4回目の接触をした。別な部分で色々な事が学べた部分があったと思う。本当に私達健常者には分かららない部分が多い事を痛感させられた。これは私達の生活の中で、関心を持たなかったからであり持つ必要が無かったのと、その様な子達を避けて居たからなのであろう。それが普通であると思うし、一般的であろう。ただ、関わりが無いだけであれば問題は少ないが偏見の目で見る事もある事も感じ取ったがそれは個人の自由であるから、私が批判する事では無い。ただ、私が関わって見ると、少しずつであるが相手の表情が変化を感じて来たし、多少なりにも問うと答えてくれるようになって来た。まだ第一段階であるが、少しは反応があり、次のステップに行けるような気がしている。相手も私に慣れて来たのであろう、違和感無く接触できるようになり、次の接触では別な部分を引き出す事が出来るかもしれないと思うがそれも焦らず、怠けずにやって行こうと思っている。今回の接触で私なりに別な事を学んだような気がする。私達健常者の持っていない部分を、彼たちは持っているし逆に言えば、彼たちの方が素直さがあると思う。私達は何かを求めて行動を起こすが、彼たちは求めるのでは無く、行動で何かを得ているように感じるので私にとっても安心感がある。ただ、中々、心を開いてはくれないであろう。それは時間と供にと思っているし、その前に信頼関係を築きながら、次のステップに行けばよいと思いながら行動している。その場合も私が求めるのでは無く、相手の成り行きで私を受け入れて貰えるようにしたいと思うがそれも私次第であろう。
2015.11.16
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高齢化が進む中で、政府の中身のない方針だけが先行して、実際の現場と政治家と官僚の隔たりがあり過ぎる。高齢化が進み、今や高齢と供に介護も必要に成る方が多い。その様な状況下で介護をされる方の負担も大きくなりつつあるが同時に介護を行っている方に対する、見合った金額は払われていないのが現状であろう。政府は高齢化に伴った予算を付けずに、高齢者の負担を大きくしているのが現状である。むしろ高齢化と介護に関して、政府は予算を削減傾向である。確かに高齢者の介護率は増えるばかりで、減少はあり得ない。だが、これは官僚や政治家は分かっていたはずであるがそれに対する対策を怠って来たのである。1億総活躍とか言う訳も分からない省庁を作り、無駄な税金を使うくらいなら、介護関係に回せと言いたい。国会議員自体も無駄な税金を使い、政治も国民の現場も分からないで国民受けする言葉だけで選挙で当選すれば良いと思っているのだけであり介護の必要な方達は票に成らないので、力の入れようが違っている。まず、政治家はその場繕いの発言を行っているが自分達が現場サイドを分かってから、発言してほしいものである。現場サイトも分からず、それなりの事を平気で言っているのが政治家である。介護の仕事に携る人達は重労働であり、神経も使うであろう事を政治家の発言内容は、絵に描いた餅に成ってしまっている。まず、自分たちが現場サイドを見て、体験して、それから発言してほしいのであるが、それを遣るような政治家はいないであろうし上から目線での発言が目立つのが政治家の連中である。高齢者の予算等は削減され、介護が必要な方がそれなりの介護を受けられないのが現状である。その様な方が増え続けている事を政治家は知っているのか?その様に予算削減するなら、政治も分からない連中が年間2億という無駄な税金を使っているのであるからその議員を減らし、高齢者の予算に充てるべきであろう。それが出来ないので、今度の消費税を高齢者にと言っているがそれも軽減税などで削減されて、足りない分をどうするかと言っているなら議員の大幅削減、官僚給与の削減等で賄うのが税金で食べている人達が遣るべきであろう。自分たちの襟も正さず、国民に負担を強いているのが国会議員であり官僚である。
2015.11.15
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今回の偽装問題は大きな波紋を広げる事になる。これで大企業も、国民としては信用できない事となり日本の経済的な影響にも問題が出るであろう。利益優先を考えるのは、企業であるから当たり前の事である。それが優先される為に社員が問題を把握しながら今回のような事を行う。これは企業として、何処でもやっている部分があると思う。それが表ざたに成らないだけであり、多かれ少なかれこの様な事は沢山あると私は思っている。利益優先を考えて行動する場合は、何処かでこの様な事を行わなければ利益幅が縮小し兼ねないし、競争で負けてしまう。ただ、この様な事が表面に出るか、出ないかの問題であろう。見て見ぬ振りを行うのが通例であろう。私達も大企業だからと言う安心感もあり、この様な問題が起きて始めて分かる事が多い。これ、ほんの一部が出ただけであり、利益優先で考えるとこの様な事はあるし、これからも出て来るであろう。この様な問題は公共事業等でも、このような問題は多数あるであろう。公共事業自体が、大企業から下請けへ、そして孫請けでと下がって行く毎に利益を出す事が難しくなるので問題はある。公共事業は特に、今回のような問題は多数であろう。受注する大企業は政治家や官僚に、金をばら撒き仕事を請け負うが、ばら撒いた金は利益の一部分でありそれを行ってから下請けに仕事をとなると、下請けの利潤は少なくなり、それが孫請けに成ると殆ど利潤が無い状況であるので、利潤を生む為には今回のような問題を起こす。これが日本の企業のやり方である。それを分かっていながら、省庁も監督等はしていないも同然なのである。問題が発覚しなければ動かないのが日本の政治家と官僚であり、大企業にぶら下がっている連中である。もし、この様な問題を嫌うなら、日本の伝統である職人に任せてやる方法であるが、信頼できる職人だと仕事量が限られるので効率が悪くなり、企業と言うものが成り立ち、それのオコボレを貰うのが政治家と官僚であろう。最終的には国民は企業を信用して委ねるが、その企業も人で動き、利益で成り立つのだからこの様な問題は、何処にでもあるような気がする。
2015.11.14
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今回感じたのであるが、知的障害の方に関して私達の様な健常者には考えられない問題が多い事である。私達は一般生活には何の支障も無いで生活している。また、自分たちの子供にも、それなりの生活基準を教えていけて、育って行くが、知的障害を持つ親は色々な面で私達達とは違った行動や、周りとのギャップを感じて、それなりの対応をして行かなければならない。その様な子供を持つと、どうしても親としての守りの姿勢が出る事になるのは当たり前である。また、周りからの目を気にしてしまい、子供に対しての教育方針も変わる事は分かるし、そうして子供を守る事も親の役目になってしまう。ただ、それが逆に言えば、子供の自立を閉じ込めてしまう事に成りかねない部分もあるように思えた。最終的には親は子より先に亡くなる事を考えなければならないのであるが、その様な子達を持つ親は、子を守るだけで一杯一杯の生活になる。確かに周囲の環境から考えると、色々な面で健常者の人とは違う面や見方をされて、そこから子供を守るためには私達健常者の子供を持つ親の、数十倍の気を使い方に成るであろうし、子供の将来までは考えられないであろう。その様に知的障害の子を育てて行くと、どうしても子供に対して甘い部分が出て来る事は、いたしかたない事である。だが、そこには子供の自立の部分が欠けているように思える。障害があるからと言う考えが先行する為に、周りとの調和等も閉ざしがちに成る部分もあり、同時に子供の考え方ややり方を主にする為に、子供自体に甘えが出て来てしまう。果たして、その甘えを、そのままにしていて子供の自立と言う部分を摘み取っているように思える部分が知的障害の子供の親にある事を感じ取った。確かに健常者の方とは同一に行動は出来ないが、同一行動に近づける事は出来るはずなのであるが、それを諦めてしまっている親が多いように思うのである。それは知的障害の方を一般に知らしめる事を避けまた、溶け込ませる事にならないように思えてならない。多少なりにも一般社会に出て行く努力をしなければ知的障害者の方達の自立は見えて来ないであろう。そこには親の考え方を変える部分が大きいように思う。どうしても障害がある事で我儘に育ててしまっている。子供は年齢を重ねる毎に、それが当たり前となり親に甘える事が普通に感じる。ましてや知的には子供的部分が多い為に、その行動は当たり前であると思うが、その前に親が考えを改めて、自立の道を模索して上げなければならないであろう。それが出来ていない部分を垣間見た様に思える。この事は子供の頃から考えて行かなければ、年齢を重ねてからでは、それを行うのは遅いように思う。
2015.11.13
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最近の国政を見ていると、パホーマンス政府に感じてしまう。これは多くの人も思っているであろう。支持率が下降すると、国民受けする政策を打ち出し何とも分からない省庁を作り、これでどの様な事を行うのかも明確にしないで、概略は言うが内容は国民が理解出来たい事を、無理に表現している。まず、口では言うが、実行出来るかが疑問に思う事が多過ぎるし、やっている事と実行している事が目先だけのパホーマンスが見え見えである。1回の海外渡航には、どれだけのお金(税金)がかかり海外に援助金をばら撒き、挙句の果ては大企業のセールスマンを行っているが、山積している日本国内の事は後回しで外面だけは良くしているが、日本の経済が低迷している時期に国内問題も解決出来ないのが、今の政府である。そんな連中は、今度は次の選挙用に国民には国民の事を考えた政策を行いますと言うが、その具体策も示さずに、口先だけで国民受けする事を言っているだけである。また同時に、今まで見向きもしなかった被災地訪問などや子育て等を訪れて、パホーマンスだけは行うが実行などするだけの財源も無い状態で口だけで誤魔化して居るのである。これだから経済界のセールスマンが出来るのであろう。口先三寸の一国の首相は、大企業からの財源の為に自らの懐を肥やす為には働くが、自分たちの懐に入らない国民に対しては、相手をしないし、パホーマンスで誤魔化して取り繕っているだけであろう。彼の国会答弁を聞いても、その場凌ぎの受け答えだけで中身が伴っていない。これで政治家なのか?日本を任せて行って良いのかと私は思ってしまう。政治家自体、官僚の書いた筋書きを言っているのが現在の日本の政治であろう。民主主義と言うが、最終的に官僚政治であり、政治家は官僚が居なければ何も出来ないのであろう。民意等は考えていないで、自分が政治家と言う名前で国民からの税金で給与を貰っているが、その自覚も無い連中の集まりが議員先生だと私は思う。この様な連中を担ぎ上げた国民も、その責任の一端をになっている事を自覚して行かなければならないであろう。
2015.11.12
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先日、高齢者のお手伝いを行ったが、全面的な部屋の整理を行う事となりそうである。相手の方は目があまり見えない方なので、外出の時もヘルパーの方が付くのと、それ以外の事でヘルパーの方が付くのであるが、私はその隙間を埋めるだけなはずが全面的な依頼されている状態になってしまった。その方は私を信頼してくれて、私に任せると言っているので私も整理を始めたが、一筋縄では行かない状況である。相手から信頼されている自分も頑張ろうと思うがどうも納得がいかない部分が大きい。それはヘルパーさんが、別にいるのであるが、時間的問題もあるとの事で、私達が、その隙間の部分を行うのであるが、部屋の汚れかたが、半端じゃないのである。私達は、お手伝いはヘルパーの方よりは安価で行うので相手からすると使いやすい部分はあると思う。また、時間的にも制限は無いが、私は2時間程度の作業を行う事にしている。確かに、その方も裕福では無いので、私達のような人を使うしか出来ないであろうし、障害の度合いによってヘルパーさんの使える時間帯も決まっているとの事である。現在の日本は高齢化が進み、もっとこの様な方達が増えるであろう。それを理解していながら政治家や官僚は福祉・介護関係の予算を削減して、さらなる高齢者の負担を増やしている。高齢化の進む事は、分かって居ながら何の手立ても打たない官僚と政治家に問題が多いし、これから貧困格差は広がりそれに対する対策や予算などは削減傾向にある。子供の養育に関しては、意外と政治家は目を向ける。これは将来の為であるから分かるが、それなりの団結されて苦言を言うからであるが、高齢者で介護の必要な方達はその団結も出来ない為に、言いたい事は沢山あるが言えないのである。政治家は団結があり苦言を言う所には、選挙の票を狙いある程度の事を行うが、高齢で介護の必要な方達は団結も出来ないし苦言も言えないので、票にはならないから政治家は蔑ろにしている部分がある。政治とは弱者の事も考えて行動するのが政治家であるはずが圧力が掛かる所だけの言い分を聞いて、政治家ですと言っている連中が多過ぎる。今の日本で日本全体の事を考えて、行動する政治家は皆無に近いと思う今日この頃である。もう少し、高齢で介護の必要な方に対策が必要であるしその為の予算も考えてほしいものである。むしろ数だけの論理の政治も分からない議員を削減してそのお金を、これからもっと進む高齢で介護の必要な人達に使うべきであろう。今の政府と官僚では、自分たちの事しか考えていないので其の部分は無理かもしれないが、年が増す毎に大きな問題と成るであろう。
2015.11.11
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完全に日本の経済的な部分は綻びが出て来たのであろう。東京モーターショーに於いても、世界の車関係の出店は少なくなり、今や経済の発展した中国に後れを取っている。これで政府は経済の立て直しとか、技術の日本などと言っているが、その考えに陰りが出て来た事は確かである。戦後の発展で日本は、技術力は付いたのは確かである。だが、その技術力も物まねであり、日本人の器用さが出ていたから出来たものである。日本は発明的な物は苦手であり、応用力で対応する事は得意である。その応用力を技術に変えて来て経済を発展させて来た。だが応用は、あくまでも物まね的なものであり、日本で発明開発したものは少ないのである。ただ日本人の器用さが、色んな方面で磨かれた事を技術と言っているだけであるし、それが日本人の特技であった。それを政治家や官僚は日本の技術と言っている事が問題である。私から考えると発明開発して、それをさらに発展させて技術と言うと思っているが、物まねで応用して発展させている事では本来の技術では無いように思う。確かに物まねで発展させるのも技術とは言えない事は無いがそれは器用さが磨かれているだけで、最終的には他国でも出来るものなのである。日本は技術を勘違いしていた為に、発明開発には政府も官僚も力を入れなかった。その為に優秀な人材は海外に行って、新たな発明を行うようになり日本では資金が調達出来ないからである。日本は技術と言っている部分は、あくまでも応用力であり新規開発に物を開発する力は持ってはいるが、それだけの資金力が無い為に、応用力で対応して来た。それを政府や官僚が行わないで、応用力を技術と言う事に置き換えて、日本は技術力があると言って、経済の立て直しを行いますと言っているが、それは最終的に無理があるように思う。今や日本の企業が人件費の安い海外での生産を行っていると何時かは、海外が日本のお株である応用力を付けて行くであろう。政治家は経済と騒ぎ、日本国民受けする事を並びたてているがそれは政治家の選挙用の、何時もの戯言であり、先を見越した方法論ではない。最終的には企業利益を生ませる為の、政治家のパホーマンスにしか過ぎない事である。その前に日本の根本的な経済を考えて、応用力と開発力に力を入れるべきであろう。
2015.11.10
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私の考えが、混在して来たのではないかと思ってしまう最近である。これは知的障害の人と、高齢者の方のお手伝いを行っているが対応方法が異なるので、自分の切り替えを行う事が必要である。知的障害の人には、子供の心理状態で接するようにしている。また、高齢者の方とは、相手の経験を踏まえた対応が必要である。ただ、知的障害の人とは、始まったばかりなので、相手に受け入れて貰う方法を思考錯誤している状況である。高齢者の方とは問題なく、今日も呼ばれて行く事になっている。前回は雨で行けなかったので、今日に変更したが怪しい天気であるが相手の方も待っていてくれるので行く事にしたい。何故、雨の日は行かないかと言うのは、自転車で20分くらい掛かるのと交通費の負担をさせない為である。ただ、有難い事に、私を指名してくれるので行って喜ばれるだけ私も幸せであると思っている。相手の方も色々話がしたいのであろうし、それでストレスが発散出来るならと思っている。今月は他の車イスの方も検診日なので、その方も要請があるだろう。色々動けるだけ自分は、その方達から別な力を貰っていると思う事が多いので、これからも続けて行きたい。さて、知的障害の方に対する事も考えているが、これは長く我慢強く、色々な方法を考えて行かなければならないであろう。こちらは接触した毎に記録を残している。記録と言っても接触した時の行動と、私が感じた事と私が相手を観察した内容であるが、始めての事なので色々な事が勉強になるし、私の子供の頃の経験も生きていると自負しているが、これは難しいと感じている。逆に私の性格だと、難しい方が、挑戦し甲斐があるので色んな方法で克服してみようと思っている。
2015.11.09
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私は、メール文章は嫌いなタイプである。だから私は、メール等は連絡用にしか使わない事が多いのである。ただブログに関しては自分の思っている事を書くので本音を書く事が多いが、チャットなどでメールのやり取りをしている場合には、時々本音を書く事があり失敗したと思う事がある。それは相対して話をしている状況なら冗談で済むがメールだと顔や相手の態度が見えていないのに文面で書いた事によって、相手を傷つける事もある。私はシステム関係を長くやっているのであるがネットの発達で、メールなどで、やり取りする事があるがメール等は、あくまでも連絡事項を主にする。これは話をする場合は、対人で話をする事が大切だと思うしそれによって理解も出来るし、説明も出来るからである。メールに関しては文面だけで、相手が、こちらの言っている事とは違う様に取られる場合が多い。それは文を書く事が上手い人なら、分かる部分もあるがそれが出来る人は限られているであろう。私は現代社会でネットの発達やスマホなどの発達で人間としても問題点が、これから多く出て来るように思う。今やメール社会が当たり前であるが、そこには誤解を招く文面が多い事によって、人間関係に問題が起きると思う。何回もブログに書いたが、メールは、あくまでも連絡用に本音を話す場合は対人で、顔を突き合わせて話をしそこで信頼関係を生むべきであると思う。現代の若者がメールで事を済ませる事には賛成出来ないしそれでは本当の人間関係は生まれないであろう。私はメールで人間の信頼関係は生まれない事を今の若者が知って、あくまでも連絡事項の為に使用してほしい。これからは尚の事メールの発展と供に、人間関係の難しさが出て来る事になりかねない。これはシステムを長くやっていて危惧していた事であるがその現象が出始めて来ている。便利さの裏にある、人間としての愚かさのように思える。
2015.11.08
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最近思うのであるが、色々な事に関わると多くの人達が自分なりの意見を言う事が多い。その言い分も、自分たちの生活して来た基準から言う事が多いのである。これは心理的に分かるのであるが、そこには変えると言う事が欠けている事が多過ぎる事を感じる。私からすると、只の文句にしか聞こえない。苦情や問題点を匹敵する事は、好い事であるがそこには新たに変える事が必要であるから言うべき事であると思うが、それが個々の不満が先であり、そこには全体の事など考えずに苦情を言っているだけである事を感じる。それが殆どの人達であり、また女性に多い事を感じる。これは女性特有の不満の、捌け口なのであろうがそれでストレスを発散しているのであろう。それは昔から、うわさ話や他人ごとに干渉する事を好む性格を持っているからなのであろう。だが、何か大きな問題点を考えた場合は、総合的に考えて言うべきであるが、それが少ない事に、私は遭遇する事が多くなった。平均して自己主張が先であり、それが主であるから纏まりが付かなくなる事が多い。意見は意見として尊重するが、意見を言う場合でもそれなりの解決策を考えて言うべきが、苦情が先行になりがちで、解決策や原因なども考えていない発言が多い。その様に成ると収拾がつかないで、問題点が広がるばかりであり討論の無駄である事が感じないで、延々と続く。それで私は我慢できずに口を出す。苦情は苦情として分かるのであるが、そこには原因がありその原因を取り除く為には、何をすべきかを考えると問題解決が出来るが、今度は何をすべきかに対して色々言い出すが、そこには自己主張が先行して周りの事などが飛んでしまう。これが一般であり、殆どの人達のように思える光景が多い。はっきり言って、文句であり自分本位の考え方が当たり前の世の中なのであろう。何かを解決する為には、その要因を理解しなければならないしそれに対する問題点の分析も必要であり、それを解決する為に、他の問題が生じないかも考慮すべきであり、自分本位で無く、周囲の状況も考慮すべきであると思うが、それが欠けているのが、現代社会の問題が解決出来ない要因のような気がする。本当に自己主義的考え方が多過ぎるように思う。それを匹敵すると、弁解が出て来る堂々巡りを感じてしまう今日この頃である。
2015.11.07
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今の政府が日本の経済の発展と言っているのであるが現在の雇用制度で発展は望めるのであろうか疑問に思う。現在は非正社員が4割を超えている状況で、働く側にとって仕事の安定は考えられない状況であり、保証も無いと同じであろう。企業は人で持っているし、その企業が利益の為に高い人件費を払う事を嫌い、海外などに拠点を移したり、海外での生産を主に行う事をしているのであるから、日本国内では生産体制を縮小しているのであり、同時に非正社員を増加させて利益を生む方向を取っている。この様な状況では、日本国内で働く場所が無くなり同時に働いても、保証が無いと同じ状況下では人は育たないであろうし、生活の安定も考えられない事に成っているのが日本である。それを政府は日本の経済発展をと言い、技術で日本がと言っているが、現在の日本では無理がある。企業は人で持っている事を考えると、保証が無い状況下で人は働いても生活の安定性が無いと同じであれば働きがいがないであろうし、何時、自分が首を切られるか分からないのであれば、誰しもが不安を感じるであろう。それで日本経済は発展するのであろうか?この様な状況では発展は出来ないであろう。むしろ技術的にも低迷して、海外に追い越される事は目に見えている。生活基盤が安定する事は、働く場所があり保証されているからで何時首が飛ぶか分からないのであれば、企業は良いかもしれないが働く側は不安定要素が多過ぎる。それを日本経済の立て直す等と言っている政府は大企業のセールスマンはやるが、日本国内で働く立場の人達の事など考えずに、自分たちの懐に金が入る事ばかり考え企業が人で持っている事は考えずに、働く人の立場を悪くして経済発展などと戯言を言っているのが、日本の政府であろう。どう考えても、この様な状況下では日本の経済は最終的に滑落して行くであろう。同時にTPPなどで海外から物が入り、国内品需要が下がり企業は海外を向く事になれば、人件費の安い海外を拠点にし日本で働く場所が無くなるであろう。そうなれば日本の経済の先行きは暗雲が立ち込める事は間違いないであろう。同時に働く場所が無くなると、貧困格差は広がりそれによって日本経済は止まるのに、政府は経済発展と騒ぎ、国民は海外に出稼ぎに行く事になりかねないのが今の日本の方向のような気がしてならない。今の政府は自分たちの事を考えて、日本の将来像を考えないで次の選挙の為の言葉での誤魔化しを行い、経済を主にと唱えて、前回の選挙で勝った事を、国民に目くらましを行って、自分たちの立場だけを守る事だけを考えているだけの連中にしか私は見えてならない。この様な日本の考え方では、将来的には働く者の立場は不安定に成り、同時に日本の技術力の低下を進め世界的に経済破綻国家になりかねない。働く者の権利と意欲を持たせなければ、経済は発展しない。今の日本は戦後の経済発展の基盤があるから持っているがそれも働く人達の上で成り立っていた事を忘れている。今の政治家や企業は、その基盤の上にある事で安定しているがそれを破壊しているのも政治家と企業・官僚であろう。
2015.11.06
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最近、イジメが増加していると報道されている。確かにイジメで自殺する子が出ると、増加する事が多い。前にも書いたがイジメは無くならないであろう。人間が持っている優越感と劣等感の、せめぎ合いがある限りイジメは無くならない。ただ、学校でのイジメに関しては、自殺等が起こると学校側が過敏に成り、イジメの範囲を拡大する傾向がある。これはイジメと戯れ、悪戯などの限界を知らない先生方が何処までがイジメであり、何処までが戯れであるかが判断が付かないので、生徒からのアンケートによりイジメとしている部分があるから増加するのであろう。確かに最初は戯れであったが、それがイジメに発展する事が多い事がある。だが、子供たちの間では戯れにしか過ぎないのであるが過敏に成っている先生や親がイジメと取る事が多い為にイジメが増えるのであろう。子供の世界は戯れが付きものである。ただ戯れをイジメの初期段階であると捉える事には私は疑問を感じてしまう。それは子供同士の会話の部分でもある事を理解する事も必要であると思うのだが、イジメで自殺等が起きると学校側も父兄も過敏に成り過ぎる傾向が出て来るのであろう。子供の世界では戯れも子供同士のコミニティでありそれが別な部分で自分なりに学ぶものである。それを初期段階から過敏に成った父兄や先生が制限する事は別な部分で人間形成に歯止めをかける事になりかねない。子供の世界で学んだ事が、自分が成人した時に生きるのでありそれを過敏に成った父兄や先生が制限して、子供の学びを妨げる事になり、人間形成の場を取り上げかねないのが現代の父兄と教育に携わる学校や省庁であろう。学びは勉学だけではない、人間形成も考えて行く事も大切である事を、今は忘れている様に私は思う。子供時代に人間形成が出来上がる事も考慮して教育を行うべきであり、周りが過敏に成る過ぎる事も考えるべきである。イジメに関しては問題はあるが、過敏に成り過ぎる事によって子供たちの人間としての仲間意識を削ぐ事になりかねない事も考えて行くべきであろう。その線引きを、今の学校も父兄も分かっていないように思う。
2015.11.05
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私の考え方も反省しなければならない。私の性格なのか、やり出すと真剣に考えてしまう。だが、それは私だけが先行している部分が多いと気が付いた。あくまでも自分勝手な考え方であるのだ。私は、人それぞれの、今までの生活の中に土足で踏み込んで居ると同じ事をやっていた。私からすると、変えなきゃならにと思って良かれと思ってもそこには今までの生活して来た基盤があるので、余計なお世話になる事なのである。あくまでも相手の基準に合わせて行かなければならないのに私は変化を強いていた部分がある。これは私の考え方の相手目線での考え方も、もう一度、考える必要があり、私自身も反省しなければならないと思った。どうも相手目線で無く、自分勝手な考え方で突っ走ってしたように今回の事はあるように思う。人は、今までの、それぞれの経験から生活を成り立たせているのであるから私の考え方を多少なりにも参考にさせる事は出来るがそれも私の自分勝手な考えであり、強いる事はできない。最終的に相手が変わりたいと思っても、私はその手助けしか出来ないのであり、変えるのは本人なのである。そのアドバイスは出来るかもしれないが、それが出来ない人に無理強いしている事に気が付いた。果たして私がやっている事はと、疑問に思えた結果である。人との信頼関係を持つ事は大切であるが、それを維持する事も難しい事であり、互いに考えて行動する事が大切であると思えるし、踏み込んで行く事も良い場合と、悪い場合がある事を痛感した。まだまだ、自分は人間的にはドン臭いのである。その様な私だから学ぶ事は、これからも継続して行かなければならない事を、今回は分かった。
2015.11.04
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さて、新たな挑戦を行う事にした。果たして、この挑戦はどうなるか分からない部分が多い。それは知的障害者の方達の園生活のお手伝いである。私はボランティアと言う言葉に違和感があるのでお手伝いと書く。日本のボランティアの考え方が、偏りがあるので嫌なのである。確かにボランティア元年と言われたのが、日本では阪神淡路大震災の頃からなので、ボランティアの感覚と言う感覚が海外と違った部分で取られているように思えるのである。私も海外で5年近くボランティアと言う名で仕事をしたが日本で考えていた事との違いを感じているのでお手伝いと言うようになった。本来は人間が持っている、労わりや優しさから自然に出るのがそれが相手を思いやるものになる事が出て来る事がボランティアだと思っている。これは、あくまでも相手に対してのお手伝いであり本来はお手伝いされている側の気持ちに成りきる事が少しでもできるかであると思う。最終的には、相手側の行動の範囲を多少なりに補助を行っているだけなのであると私は思っているから生意気にもお手伝いと言っている。この考え方には異論もあろうが、それぞれの考え方で行って行くものであるから、他の人がボランティアと言う事には異論はない。その話は別にして、今回から知的障害者施設の、お手伝いを行う事した。現在の高齢者の方達のお手伝いもやりながらであるので週に1回程度になるであろうし、私の住んでいる地域外なのでその程度の回数となる。これは被災地も、ある程度落ち着いたので被災地に行く回数を減らし、そちらのお手伝いを行う事にした。自分としては年齢的に若ければ、全体行動も増やしても問題はないと思っているが、やはり年齢には勝てない部分がある事も考慮したのである。ただ、今回の場合は色んな面で始めての事なので自分なりに学ばなければならない事が多いので多少なりに悩むであろうが、悩みの学びだと思って進んで行きたい。
2015.11.03
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自分の基準を決めては居るが、果たして、この基準で良いのかと時々思う。これは私の経験から来たものが根本となっているであるが色々な中へ入り込む事になる事が最近は多い。それは人それぞれが経験する事が違っているのであり私はただのお節介焼きなのであろうと思ってしまう。問題点は多数あるが、その多数を解決する事が出来ないが一部分でも自分が関わると、それをやる為に動く。その動きは、果たして相手が受け入れてくれるのであろうかと思考錯誤しながら進むのであるが、私の性格では実際自分の目で見て、中に入り込んで実体験をしないと自分に納得しないのである。そうなると自分なりに負担が来る事は分かっているが走り出す。走り出すとブレーキが利かない部分が出て来て突っ走ってしまうのであるが、そこで相手とのギャップが出てきたり相手に頼られてしまう傾向が強い。前にも書いたが自分で墓穴を掘っているのは確かである。どうしても現場サイドに入り込むと、自分のペースで動き、改善したい部分がでてくる。それで口を出してしまい、結果的に自分が動く事になる。この繰り返しが、今までの私であったのである。最近は年齢と供に動きは少なくなったが、相変わらず同じ行動パターンを繰り返して居るのである。果たして自分は何を求めているのか?動きを止める事を嫌って進む事しか考えていないのであろう。同時に人間とはと言う、若い時からの疑問に向かっているのであるが、最終的な事は分からないで終ってしまうのであろう。ただ、自分なりの人間性だけは残して見たいと思って自分は動いている事は間違いないと思っている。だから何をやっても、自分の言った事には最終的に自分で責任を取り、その先に進みたいと思っている。この性格は、今さら治れないであろうし、治しようもない。だから、前に向かって行くしかない。最終的には自分勝手に、好きな事をやっているだけである。
2015.11.02
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本当に、今の政治家と官僚は何を考えているのであろうか?次回の消費税増税に関して還元税率を行う事にすると言っているがそれは低所得者の為と言いながら、還元税率で減収された部分を低所得関連の予算削減を行う等と言っている。この事は矛盾を感じないで、それを考えている事がおかしいと思わないのであろうか?確かに還元する事によって、国民平均して恩恵はあるがその基本は低所得者の負担を少なくする為であろう。それを弱者関連の予算を削減して、足りない分を補う。誰でもが分かるような、馬鹿げた方向を行っているのが今の政治家であり官僚である事を示している。確かに消費税増税分は福祉関連に使うと言っているが果たして、それも何処まで本来の基本的な部分で使われるであろうか?また、消費税の減収分は、私が何回か書いた議員削減で補うべきであろう。国会議員1名が1年で2億の費用がかかるのであれば今の数の論理の為に居る連中と、民意を反映させない議員は必要ないであろう。また、良識の府などと言いながら、何の役にも立たない参議院を縮小して半減させるだけで、それなりの金額が確保できるであろう。政治家の意識低下と民意等考えないで、なおかつ責任感もない連中の集まりでは、自分たちの事は後回しで問題が起きたら国民に負担を強いているだけであろう。本来の政治とはを、分からないで政治家ですと言っている連中が多過ぎるし、まず自分達が行動を起こしてそれから国民にお願いすべきであろう。日本は、これから貧困格差が広がる事は目に見えているし、それの対策も行わないで、むしろ貧困格差を広げる方向を行っているのが、今の政治家と官僚であろう。基本的に消費税増税も、国民は国の借金の多さを考えて納得しているのに、それを行う政治家や官僚は国の借金も分かっていないと同じであろう。無駄使いの根源は政治家である事を自覚すべきである。自分たちの襟を正して、それから国民にお願いするのが筋であるし、それが政治であろう。
2015.11.01
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