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最近思うのであるが、50代後半からの人達に無気力を感じる。この方たちが一番日本の成長期を支えて来たのであるが無気力感が強いと感じるのは何故か?本当に色々な苦労を重ね、努力をして来た年代であるが諦めの心境や脱落感が強いように思う時がある。本来は、この人たちが若者を育てなきゃならないのに今の状況は、それを感じられないのである。特に70代近い人たちは、話していても諦めの言葉が多い。「どうせ行く先は決まっている」と言う言葉が出て来る。確かに老い先短い事を感じるのは否めないが、多くの経験をして来ているので、それを若者に伝える事も考えてほしいのであるが、その気力が見えない。私も同年代であるが、私は経験した事を伝えようと思っている。それが私達の義務だとも思っている。確かに私達が出しゃばる事は良いとは思わないが、若者に知恵を与える事は、年齢とともに必要な事だと思うである。だが、それをしない高齢者が多い事は確かであり、諦めの言葉が多過ぎるのが、おかしいと私は思う。私達が無気力感を出してしまったら、それが若者に伝わって若者も無気力が当たり前になりかねない。出しゃばるのでは無く、伝える事が大切なのだと思う。私達が経験した多くの事を伝えて、それを改革して貰うのと今の日本の政治体制も私達が作った部分も大きいのでその責任もあるのであるから、それを変える為にも伝えて行く事が必要なのだと思うが、だが前記した年代の方はそれをしない人達が多い。確かに、この年代は伝える事が下手な人たちが多い。私達の頃は、仕事は教わるのでは無く、盗むものであると考えて、自分達で仕事を作れと言われて来たのでありそれが頭の中にあり、伝える事を忘れ去ったのかもしれない。だが、今は高齢化社会に入り、これからの若者に頑張って貰う為にも色んな部分を伝えて、変えて貰う事が必要である。口を出すのではなく、伝える事を行い、知恵を付けて貰いそれを新たな事に応用して貰うべきなのであるがどうも、この年代は口を出すが、伝える事を出来ないように私は感じてならない。私達も若い頃は高齢者の方から学び、それを応用して新たな道を歩んで来た事を、私達は忘れているような気がする。だが余計な事には口を出したがるのが、私達の年代である。震災のある町の復興で「還暦過ぎは口を出すな」と言って復興が進んでいる町が放送されていたが、私はそれに賛成である。ただ、口を出すのではなく知恵を与える事が若者を育てるし町の発展に繋がる事になるので、これからは知恵を出して若者を育てる事が大切であると思う。
2015.03.31
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国民不在の政治が現在の日本であろう。政府は遣りたい放題の政策や発言を行い、国内問題は金で形を付けるような遣り方で国民の弱い部分に付けいっている。これが政治かと思われるような事を数の力で押さえつけているのが現状であろう。そこには国民の声などは無いに、等しい状況である。政治家が顔を向けているのは、大企業と金持ちだけであろう。弱い自治体や国民には、お札で顔を撫でて、それで黙らせて自分達の思う様に遣っている。国民が何か言えば、選挙で信任されて、これだけの数を貰ったのだから、国民は私達に政治を任せたのである。それに対して文句を言うのは、非国民と言いかねない状況である。確かに国民は政治に対して無責任であったと思う。いや政治を知らないのであろうし、民主主義とは何かを知らな過ぎるのが日本国民であろう。同時に政党も数合わせの為に、政治に無知な連中を引っ張り出して議員として数合わせを行い、それに乗っかった人に投票しているのが国民である事は間違いない。今の状況で政治家の遣りたい放題が進んだら、日本はどうなるか等は、考えていないのが国民なのかもしれない。自分達に害が及ばなければ、勝手にやらしておけば好いと思っていて、政治家は俺たちの言う事など聞かないと諦めが先行している国民になってしまった。私達の若い頃は、貧しかったので政治に対して目を向けてそれなりの意見を言っていたが、バブル以降は国民の懐が潤ったので、政治家の遣りたい放題をさせて国民は政治に対して不信感と無関心になってしまったのであろう。確かに私達の若い頃は、労働者としての権利を主張して色んな行動をおこしたのである。だが今は、その様な行動を主張する団体も無いに等しい状態である。国民に自ら、その権利を放棄して、政治家は労働者の権利の弱体化させて、大企業有利な法制化を整えてしまった。だが日本は、これから格差が広がり貧困層が多くなるとどの様に変わるのであろうか?今の法制化では労働者の権利を主張する事は難しいであろうし企業も国際化して来た段階で、日本が駄目なら海外で作らさせる行動を取るであろう。日本は高齢化と供に、労働者の権利を勝ち取る事は出来ないであろう。それを遣っても大企業と政治家・官僚に潰されて泣き寝いりするだけになってしまった事に国民は気がついていないように思う。政治家と官僚は国内には目を向けず、国際化を考えた行動を行っている現在は、戦前の日本の状況と近い。国民が自分達で首を絞めている事に気がついていない。この状況を理解する時は、日本が軍事面で海外派兵した時に日本の国民は気がつくのであろうし、その時はぬき足ならぬ状況となり日本の立場は悪くなっていると思う。
2015.03.30
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貧困層の子たちが増えていると言う事で基金の設立と政府は言っているが、寄付は大企業などに呼び掛けるとの事である。今の日本は格差が広がり、同時に貧困層も多くなった。これは日本の政治にも問題がある事は誰でもが分かる。それを是正しなかったのは政治家と官僚の怠慢であるが全体的に官僚は事を行うのが遅い。この状況になる事はバブルが弾けてから起きる事は分かっていたはずである。現政権も経済で立て直し等と言っているが、その経済も、うまくは言ってないのが現状であろう。同時にマスコミも株価を取り上げて、日本の経済は上り調子のような事を言うが、株を行っているのは一部の人達だけであり、多くの国民は株が上がったから経済が良くなったとは思っていない。むしろマスコミが騒げば、政府のまわし者だと感じるだけである。現状は貧困層が増えて、日本経済の破綻は近いような気がする。高齢化や過疎化で地方から破綻が進み、それが日本の経済を圧迫して、最終的に国民からの借金で予算を作る事になるであろう。その前に無駄な税金を使う国会議員の削減を行い地方の立て直しを行わなければ、日本はデフォルトとなり国際的にも信用を失う事になりかねないのが、今の日本のような気がする。貧困格差は、もっと大きくなるであろう。これも政治的な責任が大きい事は確かであるが、国民は自分に迫って来なければ、今の政権で安泰だと思っているのが日本であり、日本人特有の考え方のような気がする。私達は戦後の貧しさから立ち上がって来た経験があるが今の政治家は、その経験をしていないので分からないのかもしれないが、貧しい家庭で育つとそこには世の中の矛盾を感じるのが子供たちである。貧しいと優秀な子でも、次にステップに行くには大きなハンデを感じてしまい、それで自分を見失う子が多く居る。金持ちで育った子は、多少の出来が悪くても金の力で次のステップは楽に進めるが、貧しい子はその様な子の何十倍も努力しなければ進めないのが現実である。タダ言えるのは、貧困層の優秀な子が、新たな日本を作る事によって日本が変われる可能性があるが、その道筋を作ってやるのが政治家であり官僚であるが、自分達の懐だけを考えて選挙に勝つ事だけで政治を遣っている人達が多過ぎる事が問題であり、同時に無駄な議員が多過ぎるのと政治を分からない金魚のフン的存在も多過ぎるのが日本の政治家連中である。貧困層がこれ以上増え出すと、国民の不満が出て来て日本を変える原動力になる事も考えられるが、その前に日本は経済的破綻で、国際的に信用が無くなるのではないかと思う。
2015.03.29
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今の政府と官僚は何を考えているのか?引用団塊世代が全員75歳以上になる2025年に向け、在宅重視の医療体制づくりを進める厚生労働省は、寝たきりの高齢者らが長期に療養している「療養病床」の入院患者を減らす方針を固めた。 入院患者の割合が全国最多の県を全国標準レベルに減らすなど、地域ごとに具体的な削減目標を設定する。高齢化が進む日本で、この政策は逆境する政策である。私は前に書いたが、高齢者の方のお手伝いで、病院に付き添いに行っている方が孤独死で亡くなられた。そのショックは多大であり、その問題を対して考える事が多くあったので、色々考えて行きたいと思っていたが。政府と官僚は寝たきり高齢者の対策など考えていないのでは?この状況であれば寝たきり高齢者の孤独死は多くなるであろう。その対策も出来ていないで、先行させて、この様な事を定義する事態がおかしい。どの様に対処するかの対策案を打ち出してから前記の提案するなら理解出来るが、それもしないで先行してこの様な定義を行うと、行政(地方)も対策を行う事が出来ない状態になるであろう。地方ほど高齢化が進み、その対策に苦慮しているのにこの政策なら「寝たきり高齢者」は死ねと言っているようなものである。政府は何を考えているのか、団塊の世代を姥捨て山に行け俺たちは国民から信任を得たのだから、俺たちが考える事ではない。お前たちは疫病神だと言っているようなものである。団塊の世代は戦後の日本経済の発展に尽くし、その恩恵で日本は潤い、世界的に先進国と認められて来たのであるが使い物にならなくなったら、俺たちは知らないよと言って切り捨てているのが日本の政治家と官僚である。彼たちは、その団塊の世代から教育され育てられたがその恩は忘れて、好き勝手な事を言って、後は勝手に死になさいと言っているようにしか思えない。これが日本の政治家と官僚の考え方であり、現代版、姥捨て山を作ろうとしているのであろう。日本人の思いやりの心は何処へ行ったのか?人への優しさは、人を思いやる気持ちは?この様な人達が教育方針を作り上げたら、日本も世界的に人間として恥ずかしい人しか育たないであろう。今の日本は途上国に資金援助と言って助けているがそれは良い振りこきで、バブル時代を引きずっているだけでその様な事が出来る状況の日本経済では無いし、日本国内の問題も解決しないで、弱者には死ね金持ちには頭を下げて、お金をせびっているのが政治家と官僚であろう。これ程、程度の低い政治を行う連中が国民の税金で給与を貰い、遊行費を税金で使っている事態がおかしい。それを高齢者対策に使えと言いたい。今の政治家(特に与党)と官僚は、人間としての心が無いのであろう。これが日本の政治なのであろう。
2015.03.28
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最近は公人の言葉が問題になっているが、本当に彼たちは、それだけの能力があるのか疑いたくなる。私の場合は一国民であるから、言いたい事を言えるが公人になれば、言った言葉に責任を感じて貰いたいしそれだけの知識がなければならないのが当たり前であるがどうも違っている人達ばかりのように思う。基本的に日本人の政治に関する考え方が封建的なのかそれとも無知なのか分からないが、テレビに出ていて有名であるから選挙で投票する事が多い。AKBの人気投票的なのが日本の選挙であろうし封建的な時代を引きずっているのか、若様やお姫様を担ぎ上げて、継続的な状況を作り上げているのは国民の責任でもある事が分かっていないのであろう。それに乗っかった政治家と同様な、取り巻き連中はおこぼれ頂戴主義で、担ぎ上げているがそれは封建制度を繰り返しているだけである。こんな事を何回か書いたが、日本が変わる事が出来ない原因は国民にも責任があり、同時に、その様に国民を利用している政治家にも責任がある。数の論理が民主主義であると、言いたいのは政治家であり選挙で数を得たから、国民の信任を得たと大ボラを吹いているが50%台の投票率では、それは認める事が出来ない。後の50%近くは投票を放棄しているのが日本の国民であるし彼たちにも大いに責任がある。ただ選挙に立候補する連中も、決まっているか、テレビなどで顔を覚えて貰っていて、その党の駒的存在、見たいな人達が多過ぎるし、それに投票した人も選挙と政治の関連が分かっていないのであろう。今や数で圧倒する与党は言いたい放題であり、政治が分かっていない連中に、変な四文字熟語を言わせて言っている本人も悦にいっているのが日本の政治家である。基本的に日本は国民が政治に関して分かっていないし教育もされていないのであろう。これは官僚の思惑通りなのかもしれない。悲しいかな日本の教育自体が封建制度を引きずった民主主義と言う仮の名の元で行われているのであろう。今回の地方統一選挙も、同じような連中が立候補して当選を果たす事になるであろう。地方ほど封建的な考え方が蔓延っていて、連続的に当選する人が多いので、新たな息吹等とは縁遠いのが現実である。地方活性化は若者が頑張らなければならないが若者が頑張ろうとすると、地方の有力者が潰しに掛かる。それでは活性化等は出来ないであろう。地方は古狸が蔓延り、都市部は若者が選挙を放棄するのが日本の現状である。
2015.03.27
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先月の中頃から、今月の中まで、忙しかったので被災地に行けなかったが、4月に行く事にした。夜行バスで行くのであるが、年齢とともにキツイやっぱり歳を感じるのであるが、でも動いているとまだまだ頑張れる気持になるので、これからであると自分に言い聞かせている。同時に地域の高齢者の関係も行う事にした。まず、最初は高齢者のサロンの、お手伝いをしながらどの様な考え方をしているか、学ことから始めようと思っている。それによって、これからの方向性を決めて行こうと考えているが、同時に高齢の方の病院の付き添いも行い自由に動ける方と、自由が効かない方のギャップを見聞きして行きたいと思うし、同時に被災地の高齢者の方とも話をして、色々動きを繋げないか、模索しようと考える事にした。サロンは社協の関連なので、協力して頂けるので問題はないが寝たきりの方の場合は、社協との隔たりがあって問題が多いが、社協側も考えているので、互いに協力する事に了解をえた。また、私の住んでいる自治会の役員も頼まれたのでそれも遣る事になるが、これだけ動ける事に、自分なりに感謝している。(親に・・・)私がこの様に変わったのは、海外から帰って来て大腸がんになり自分自身で癌と分かっていたのであるが、父も癌で亡くなっていたし父より多少長生きしていたので、癌と分かって居ながら病院にも行かなかったのである。最終的に横行結腸の癌が大きくなって、塞いでしまい手術する事になってしまったが、他に転移して居なかったので生き伸びたのである。そうなると命根性が出て、生きてやろうと思い少しでも人の役に立つ事をしたいと思って今の自分が居るが、役に立っているかは分からないが生きている事は間違いないので、動ける間は動いて遣ろうと思っている。今の私は動けるだけ幸福であり、生きているだけで感謝している。何か馬鹿な事を書いているが、私は3回命拾いをしているのできっと「お前は働きが悪いので、まだ働け」と神様が言って死なしてくれないのであろうと、自分勝手に考えている。もしかしたら100歳まで生きているかもしれないと「憎まれっ子、世に憚る」なのかと自分なりに考えている。だから、もう少し頑張ろうと思っているし文句や色々な事を書こうと思っている。嫌な年寄りになって来たのかもしれない。年寄の戯言と思い許して貰おう。
2015.03.26
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私は劣等感が強いと書きました。だが劣等感を克服しようとすると、違う部分の自分が出て来るのです。前にイジメに関して書きましたが、イジメられる子は劣等感が強い子が多いです。その部分で相手に付け入る隙を見せてしまうからですが私の場合は気が強かったのでしょう、それを逆手に取りました。子供の頃は施設の子のハンデがあり、それが劣等感としてあり学校に行っても委縮した部分がありました。だが、その劣等感を隠すためには、自分の出来る部分を強く表現する事によって、劣等感の部分は消える事を学びました。学校では成績でトップクラスになると、周りは何も言いません。むしろ周りから寄って来る事になります。それは子供の世界であったからかもしれませんが、自分を表現出来たのでしょう。だからと言ってガリ勉ではありませんでしたし、良く廊下に立たされたり、座らせられていました。酷い時では校長室に座らせて、説教されていた事もあり大体、その様な事をするのは、グループは決まっていましたのでどちらかと言えばクラスでは騒ぐ方であったのです。クラスには施設の子は私一人でしたから、グループは一般家庭の子達であったので、それなりに信頼されていたのでしょう。決して優等生では無かったですが、悪でもなかったのです。施設から学校に通った最初の頃は、クラスの子達も見る目が違っていましたが、成績が良かったのと活発だった部分で信頼されて、クラス委員に3年間なっていましたがそこで学んだ事は、周りに認めさせれば、自分が変われる事でした。そこには自分には劣等感があっても、前向きに挑戦する事で周りも認めてくれて、それが自分の劣等感を消し去り自然体の自分が表現できる事でした。そこには学校の先生方や施設の職員の助けもありましたしクラスの子達の助けもあったから変われたと思うのです。イジメられる子には劣等感が強いと言いましたがその劣等感が別な部分で自分を変える事が出来るのです。そこには従う気持ちでなく、向かう気持ちを持つ事です。親も先生方もイジメを考えるなら、子供の劣等感の部分を見極めて対処して上げると変わる事が出来ると思います。子供の良い部分を伸ばしてあげれば、子供の劣等感を感じる事が少なくなり、新たな自分を見つけ出せるのではないかと私は思います。
2015.03.25
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前日書いた事を、遣ろうとしていますが実際問題は、周囲から一つ一つ潰して行かなければなりません。それは自分の若い頃の遣り方を繰り返す方法でしょう。周囲に認めさせて、それから広げるのが私のやり方でした。それは若い頃は、私にはハンデがありました。これは幾度か書いたので分かっているでしょう。施設の子と言うハンデと、親に世話にならないで生きる事でした。そのハンデが、今の私を育てたのです。若い頃は相手に認めさせるだけの仕事をして、自分が中心になるように努力をして、這い上がりましたが今はその這い上がる気持ちで無く、実績を作り、人に認めて貰いそれを次の世代に受け継ぐ方法を考えています。方法は、若い頃の遣り方で、実績を作る事になるでしょう。若い頃はハンデがあったので、相手を実力で押しのけて這い上がり、それで自分の行動を認めさせてきたのですがそれによって別な人を降格や辞めさせた事がありました。それが仕事の世界ですし、そうしなければ動かないのです。出世しても、若造と思われたり、後からは入って来た奴の言う事など聞きません。それを何とかする為には、仕事で実績を作り周りに認めさせるのが、手っ取り早かったのです。だから私は若い頃は、自分を背伸びさせていたのです。それは若いから出来た事もありますが、自分のハンデがあったから、それが出来た部分がありました。ハンデは劣等感なのです。人は劣等感を克服しようとすると、努力して克服するしかないのです。だが劣等感が、時には自分を生かそうとする物に変わる事を若い時に経験したので、それで生きて来た部分もありますがこれからは実績を作る為に同じような行動を起こすでしょう。実績とは必要不可欠な人になる事です。それには的確な状況把握と行動です。ただ、私も年齢なので若い時のようには動かないでしょうがそれでも自分の信念で行動を起こし、段階的に認めて貰い次の行動にステップアップするだけです。私の望みは今の年齢では道筋だけは作りたいと思いそれを次の世代に託して行く方法を考えて行動しようと思う気持ちしかありません。だが、そこには色んな難関があります。私が行動したら、ヤッカミや誹謗中傷等もあるでしょう。それが一般社会でありますが、一番厄介な事でもあります。次が規制です。これは何とかなるとは思いますが、それに耐えられる年齢かが問題でしょう。それでも遣らないよりは、遣ってみるのが私の理念ですから、行動のみです。何処まで出来るか頑張りたいと思います。これが私の最後のアガキかもしれませんね。
2015.03.24
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写真が嫌いな私ですが、全国放送のテレビに出てしまいました。私は高齢者の方で、介護を受けている方の病院の付き添いのお手伝いをしているのですが、その方も認知症なのでそれに関して良い方法が無いかを調べていたらある放送番組で認知症関連の募集があり、応募してMRI検査を行った結果、自分も認知症予備軍である事が分かったのです。だが、毎回病院に付き添って行ってた方が2月に自宅に行くと、呼び鈴を何回押しても出て来ないので不安になって居たら、向かいの方が2週間前に亡くなったよと言われて私はショックでした。前回、病院に付き添った時に、色々話をしていたのですがその時に限って「今度は、私は死んでいるかも?」と言う事を幾度も言っていたのです。今までは1回くらいは言う事があったのですがその時は多かったと気がついた時は、その方は亡くなってからでした。また、その時は次の通院日と私の名前をカレンダーに書いて私は「帰るね」と言った時には、その方が泣いていたので気にはなったのですが、私の立場では、それ以上の事が出来ないので帰って来ました。その日は、その方が病院で「私、チョコレートが好きなんだよね」と言っていたので「帰りに買って帰えろうか?」と問うと病院の前のコンビニに寄って行くと答えたので「そうしよう」と私が答えていたのですが、薬局で薬を貰う時に「コンビニ寄って行く?」と言うと「寄らないで帰る」と言ったので、そのまま帰って来たのです。私が帰る時に泣いていた事が気になり、次の日に私はチョコレート5枚と煎餅2袋を買って届けると「有難う。お金払うよ」と言ったので「いらないよ」と物を渡して帰って来たのが最後になってしまいました。何回も付き添いをしているうちに、本音も言ってくれていたし足も悪いので家に籠りっきりであり、ストレスも溜まって居たのでしょう。お子さんは遠方に居るので会う回数も少ないから私と介護に来る方との会話だけで、テレビを見ている事が多いと、深夜に起きてしまいテレビを見る事が多いのだとも言っていたのです。その方が孤独死で介護の方が来るまで、分からなかったので警察が来て検死を行っていたと、向かいの方が言っていました。その方が亡くなってから気がついたのですが、その方は最後の付き添いの時に、自分の死を予感していたのか体調が悪い自分を隠していたのかもしれません。次の日にチョコレートを持って行った時は、元気だったのですが違う日に話し相手になって居たら、その方の体調が悪かった事に気がつけたかもしれないと、今でも悔やんで居ます。今、日本は高齢化社会に成り、一人住まいが多くなったがその対策も考えていないのが政府や官僚である。もう少し、この様な事が起こらないように考えて貰いたいと思う。私の住んでいる団地も高齢者が多く、一人住まいの方が殆どですが、何の対策も出来ない状態です。自治会もありますが、名前だけの自治会であり、私が苛立つ位動いていません。同時に社協にも投げかけたのですが、返答は「動けない」だけであり歯がゆいので自分で動いて、実績を作るしかない状況であり今年は、その方面にも力を入れたいと思っています。悔しいですが、高齢化の進む日本では孤独死が多くなるでしょう。だが、そこには対策らしい対策はないように思うのです。行政は足かせをする事が多くて動けません。同時に社協も行政と同じような部分があり、動きは高齢者で動ける対策は行うが、寝たきりの方には対応していないのが現状です。これは一般の方達にも問題があります。仮に私が頻繁に訪れたら、あの人は怪しいと思う方が殆どでしょう。確かに高齢者を狙った犯罪が多いですから、その部分では分かりますが、人としての思いやりで動いてもそれには裏があると勘ぐる人達が多すぎます。何か人間の悲しい部分が、妨げになっている事も最近考えてしまいますが、それに負けては何も出来ないので動くだけ動いて認めさせる事しか出来ないと思っています。実績を作る為には、色んな方面を利用しても遣ってやろうと思う、この頃です。
2015.03.23
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最近の政治情勢は、何を意味しているか分からない。国民生活の事は部分的には出て来るが、殆どが国の安全に関する事が多いように思う。確かに国の安全も必要不可欠な事である事は間違いない。だが、その前に日本国内の問題点を解決するべきであろう。安全も日本国内の事であると反論するであろうが原発事故、震災復興、議員削減、福祉や生活格差等山積みの問題を抱えているが、出て来るのは安保やテロ、自衛権等と言った事が多い。その問題も論議する必要があるが、その前に前記した国内問題を討議すべきが、後回しになり、挙句の果ては、八紘一宇等と言ったり、安保法制等が先走り国民の理解出来ない方向に進んでいるのが、今の日本の政治であろう。日本の政治状況を見ると、右傾向に傾いた政治に感じるのは私だけであろうか?国際社会が色々な面で動いている事は分かるが、それと比例して日本国内も多くの問題点を抱えている事を政治家は分かっているのかと問いたい心境である。一党独裁で遣りたい放題の与党は、一部の政治家が右傾向でありそれに金魚のフンの取り巻き連中が、自分の今後の安泰の為に右ならえしているのが、今の与党であろう。安保法制も国民が理解出来ないと思っている人が多い同時に戦前に使用していた四文字熟語等を予算委員会で言い出して見たり、言っている議員も理解しているのか分からないが、戦前の日本政治に近い状態になりつつある。もう一つ不思議なのは、与党の議員の中から正論を言う人が出て来ないのは何故か。正論とは国民の声を言う人を私は指しているが今の政治の状況が国民の声であると思っているのが与党議員なのであろうか?それを選んだのは国民であるから、国民にも責任があるがその前に政治の基本が分かって居ない連中を公認した与党にも責任がある。数で押して、力任せに日本を国際的に信用出来ない国にしかねないのが、今の政府であろう。口先では遣ってます、だが現実は国民が理解しがたい事ばかりを行っていて、国内問題は疎かになり、国際的には信用が出来ない発言を繰り返している。これ以上、今の政権が政治を遂行したら、右寄りの政治に日本は傾き、国際的に孤立化しかねない。確かに国際的に孤立しない為に、安保法制や集団自衛権を行使しようとしているのであろうが、そこには別な感情も入り組んでいるように思える。また、それに踊る議員も多過ぎて、政治とは何かが分からないから踊っているが、こんな議員は必要ない。国民目線ではっきりと言える議員は少ないし踊らされている駒のような人が多過ぎる。数の理論は正当な政治を行う為でなく、ごり押しを行うのが今の政治家のやり方であろう。それに踊らされているのは国民も同様に思う。国民が理解出来ない事を行っても、勝手にやればが今の日本国民であろう。
2015.03.22
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最近の日本で、前回の衆議院選挙を違憲として訴えたのが高裁で合憲と判決された。その理由は「0増5減」を行ったので、議員是正に取り組む姿勢が見られるとの理由である。私は、それには理解出来ない。政治家は遣った振りをする事が得意で、振りだけで国民の目を向けるが、自分達の不利になる事は実行したためしがない。今回の判決に関しても日本の憲法の三権分立とはに疑問を感じている。三権分立は、それぞれが独立して牽制しあいながら国民の生活を安定させると思っていたが、司法に関しても内閣が最高裁判所長官の指名権があるので、内閣の息のかかった人を指名すれば、政治家の言いなりになりかねない。私は学校で習った事で覚えていたのは間違いであった事に今回気がついた。私は、三権は独立していて、それなりに権限を持っているものであり司法は特に行政や立法府に対しての良識を求める機関であると思っていたのであるが、今の司法は立法府と行政の管轄内に入って、その役目を成さない方向に進んでいる。同時に原発事故の取材を行ったフリージャーリストに関して賠償金の支払いを命じた事に関しても、被災地にボランティアで永く行っていると、見えて来ない部分も見えるように成る事があるがそれは自分の中で抑えているが、それを暴露した場合に提訴され、賠償金の支払いの判決を言い渡された。私は元来。お金とは無縁なのでボランティアに行っても金銭的な事にはタッチしないが、人は欲望がある限りお金に対する執着はある。だから、被災地を利用して儲けようとする人や被災地の名を語り、金儲けをしようとする人も居る。これは人間の性であるから、しょうがない部分があるが一番許せないのは原発事故での被災地を利用する連中である。ボランティアセンターと言う名を借りて、事故を起こした企業との関連が見え見えな事をボランティアとして来ている人を利用している部分がある事が見えた時である。ボランティアに行く方は、純粋にお手伝いと思っているがそれを利用して自分達の懐を肥やし、利用する心根が人間として許せない。被災地の企業も利益を出す為に頑張っている事は認める。それは地元企業であるから、利益を出して雇用を促進する事が重要なので分かるが、原発事故の場合は違う部分があると思う。私も相馬の小高地区に行った事があるが、まだ除染段階で住む事が出来ないが、住む為の準備の為に多くのボランティアの方がお手伝いしている。それは私も認めるが、住人の居ない所の整理や解体等を行うのには疑問があった。これは行政や事故を起こした企業が行う事であり、ボランティアが行う事ではないと私は思ったし、センター自体が、その企業との関連性を囁かれている事に疑問も感じたのと、住む当事者との顔が見えない作業は出来ないと思い私は行かなくなった。これは、あくまでも私の考え方なので反論もあろうと思う。ボランティアは個人の考え方で、自分の信念で行うものと言うのが私の理念であるので、他の人がボランティアとしてやる事には批評も批判もしない。それで良いと思うのが私の考え方である。人は生い立ちも違う以上、考え方も違うのでその人の理念で動いているのであるから問題はないと言う考え方である。ただし政治に関しては違う。政治は、あくまでも国民の生活を守るものであり、国民の為の政治が本筋であるが、今の政治家は企業との癒着で、国民の無駄な税金を使い、大企業や原発事故を起こした企業のお使い役であろう。子供のイジメの「使いぱしり」が、今の政治家(与党)であろう。誰もが危険と思っている原発も再稼働、国際的に売り込み果たして原発の廃棄物は自分達の生きている間に処理出来るのであろうか、政治家も私もであるが出来ないで次の世代に渡す事になるであろう。それを分かって居ながら再稼働ありき、国際的に原発売り込み挙句は、その様な会社から政治資金を貰い、言いなりが日本の政治家であろう。
2015.03.21
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前に書いたが、ある発言が話題になっている。「日本が建国以来、大切にしてきた価値観、八紘一宇(はっこういちう)」殆どの人は聞いた事のない四文字熟語であるが、ある解説では戦争当時に使われた言葉とある。言葉は誰もが分かる事の為にあり、なんの事だか分からない言葉を使って国民に訴えたいのであろうか?その言葉を使い、私は学がありますと言いたいのでしょうか?どうも日本の政治家は政治自体が分かって居ないのでしょう。確かに最高学府を出た方が多く居ます。それで難しい言葉を使い、私は最高学府を出た政治家ですと行っている人たちも多いのが日本の政治家でしょう。まず、政治は誰の為にやり、誰に分かって貰うか理解して発言しているのか疑問に思う政治家が多く居ます。今回の議員も国民に選ばれたのは、違う部分で声を上げていたので投票した方が居たと思うのですが、今回の発言に投票した人達は愕然とするでしょう。周りは最高学府の議員さんは多いでしょうが、違う意味で、国民目線で意見を言ってくれて、なおかつ自分の経験した事で運動していたからその部分に期待をしていたと思うのです。それが今回のような発言を行ったと言う事は政治家として、ただの操り人形であり、無理に背伸びしている馬鹿な人にしか見えないのです。国民はこの議員さんの事は知って居ますし、テレビでも良く見ていたので、自民党が担ぎ上げたのでしょう。それが自分の専門外の事を言っても、国民は誰も立派と思う人は少ないように思います。今回の発言は政治家目線でしょうが、議員だから政治家目線で発言するのではなく、国民目線で発言する政治家を期待して投票した方が多かったのに、この発言で党に操られている議員に成り下がったように思えます。結果的に党の一つの駒にしか過ぎないのでしょう。これが日本の政治の実態なのかもしれません。これ程の方を選んだ国民もピントの外れた質問を予算委員会で行った事は、完全に操り人形でしょう。テレビに出ていたので、演技は出来るでしょうが、政治はドラマで無いのですと言いたい。国民の大切な税金で政治を行っている自覚が無いのでしょうね。国民を馬鹿にしているのでしょう。私はそう思いますし、この人が再選されたら選んだ人の気持ちが私には分かりません。
2015.03.20
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私は今、壁にぶつかっている。壁と言っても皆さんは壁とは思わない事なのかも知れない。その壁は今、高齢者のお手伝いをしている私が考えるだけなのかもしれない事である。高齢化が進む中で、認知症や寝たきりの方などのお手伝いをしたいと試行錯誤しているのであるがこれには制約と言う壁と、高齢者の方達の諦めの考え方にである。行政や福祉関連は法制化によって、制約があるので動きが悪い事は幾度も経験しているので分かるが高齢の当事者の方の諦めムードに問題がある。これは行政やそれに付随する団体が、動いてくれなかった為に高齢者の方が諦めムードとなってしまっている。それを呼び起こす為に苦慮しているが、これが難問である。高齢になると自分達の経験から柔軟性が無く、口から出る言葉は諦めと「どうせ、行く先は」等と言う人達が殆どである。今、高齢者のサロンが社協等で行われているのでそこにも顔を出して、高齢の方とお話をする事を行っているがそこで高齢者の方の考え方を聞いて、その中から学び自分の行動に使う事や結び付けたいが、高齢者から出てくる言葉が前記した事が多い。これが自分としては、分かる部分もあるが、これからの高齢化が進む中では、何かを変えなければならないし同時に地方の高齢化にも出来る事があると思うので行動しているが、私は都市部と被災地の高齢の方との関わり合いがあるが、都市部ほど高齢者の方の諦めムードが高い事に苦慮している。だが、高齢者の方達と繋がりが出来たので、よい方向に行くように色々思考錯誤して、元気を取り戻す方法論を考え出したいのである。ただ私は壁が出来ると、やる気が起きるので自分が元気になるが同時に高齢者の方(自分も高齢であるが)が楽しめる方法や元気が出る方法を見つけ出してやろうと思っている。ただ、私は行政関係の人が苦手なので、その面は苦慮するが行動を起こして認めさせて、動かすしかないかとも思っているのであるから、実績を作る事を考えている。やらないより、やって諦めるなら自分で納得するので今後は向かって行こうと思う日々である。
2015.03.19
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今日は書くのが遅くなった。私は若い頃から前日に次の日の行動予定を立てるのですが何時ものように予定を立てたら、別件が入ったりして書く事が出来なかった。これは弁解してるようであるが、頭の中は行動予定で決まっているが、突飛も無い事も起きる。悪い事では無いので、自分としては行ったが予定外の事が起きるのは、誰でもそうであるからこんな事書いてもしょうがない。それこそ愚痴になってしまう。今回は下の階の方が、ガス台を交換をお願いされたので私が取り変えたが、そのガス台が問題があって新たなガス台を買ったので、それを取り変えてと頼まれ新品を変えたのであるが、ガスが出て来ない。取り変えは、うまく行っているのにガスが燃焼し無いのである。こうなれば素人である私はお手上げである。そこでサービスセンターに電話して問題を解決した。ガス台はご機嫌よく動いてくれたのである。そこで私は1つ学んだと言うか、利口になった。私の知らない事沢山あると言う事と、私の専門以外は専門家に聞くと早く処理できると言う事である。元来、私は自分の専門以外は口を出さない事にしている。これは仕事上でも私生活でも、専門分野違いは専門家に任せてしまい相手の言う通りにする。ただ意見を求められると言うが、分野違いの事は手を出さない。今回は団地の方が高齢化で、男手が足りないので色々頼まれるので行ったが、分からない事は専門家に電話なりで聞くのである。そうすると簡単に解決する。そこで、どの様にすれば良いかを私が学ばせて貰い、次の時に同じような事を頼まれた時は出来るのである。何か得した気持ちがする。話は変わるが、今SNSで、ある政治家の発言が話題になっているが日本の政治家の無知を出している感じがしてならない。あのような発言自体がおかしい。自分を背伸びさせて居るしか、私には見えない。彼女を国会議員として選んだのは国民であるが国民の分かる言葉で質問をするなら分かるが、自分でも理解しているのか疑問に思う表現を行っている。相撲協会で大関や横綱になると、四文字熟語を使うがそれは相撲の伝統から来ているものであり、政治は違う。政治は国民が理解出来る言葉で説明や質問をすべきで背伸びして無理な質問をしているだけで、政治家の無知さを出しているだけである。私も学校で教えた経験があるが、始めての子供たちには専門用語は使わないで、なるべく生活の中での物に例えて教えていた。システムは教える時は、料理を作る手順を例えに使ったりしたのである。生徒たちも専門用語を並びたてる先生は、分からないと言っていたし私も始めて習うもので、専門用語を並びたてる先生からは教えて貰いたいと思わない。今回の国会議員の発言も、彼女の専門外を無理に質問事項にしているので、彼女の自己満足なのかもしれないし、ただの無知なのか、この人が国会議員であり質問する事項が違っていると国民も思うであろう。自分の専門外の事を行うと、この様な馬鹿げた事になりかねない。日本の政治家は程度が低いと世界でも思われるであろう。
2015.03.18
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今回もシステム関しての、私の考え方を書きます。これはあくまでも私のシステム屋としての経験なので異論や反論もあると思います。システムは前にも書きましたが、使う側によって生き死にもします。基本は業務的な物を簡素化する為に、人間が楽をしようと思いシステム化を行うのです。システムを作る段階は、概要業務分析、詳細設計、プログラミング連結テスト稼働等と幾つかの工程を経て作られるのですが業務分析の段階でメリット、デメリットを分析します。同時に稼働した場合に、どの様な問題点があるかも考えます。それと同時に私の場合は、使う現場を分析して、何をやりたいかを実体験させて貰って、使う人のシステムに対する考え方を分析して、どの様なシステム設計を行うかを決定していました。上記の部分はあまり行わないのがシステム屋です。私の考え方は、使う人が使いやすくなければシステムは生きないと思っているからです。使う人の能力に合わせたシステムでなければ生きません。単純に業務の簡素化を考えて、こちらサイドの目線でシステムを構築して、マニュアルを作り、その様に操作しなさいではシステムは生きて来ないと言うのが、私の考え方なのです。使う人たちはマチマチで、慣れた人も居れば、慣れていない人も居る何処に標準を合わせるかによってシステムの稼働率が良くなるかを考えて行かなければならないと思っています。ただ私の考え方だと、システムを作る側が複雑になり採算面で問題が起きる事が考えられますが、使う側は喜びますが作る側は苦労して、採算面をどの様にするかと問われる事になり私は上司と良くぶつかって居ました。確かに作って貰う側は簡素化されて使い易ければ良いのですがお金は掛けたくないし、こちら側は人数が増えて工数が増えるので時間はかかり、利益率が下がる事になりますので企業としては私のようなシステム屋は問題です。システムを構成するのは上記の問題も含みます。システムが出来上がった場合は、今度は使う側のオペレートの能力次第でシステムが安定するか、しないかにかかります。同時に時代の流れも考えてシステム構成を行う事も重要です。だから私達システム屋は多くて4~5年先を見越してシステムを考えて設計する事もあります。簡単に言えば、システムは子供と同じなのです。親はその子が生まれ育って行くと、その子の将来を考えます。その子は小さい時は、教育の事等を考えて親なりの設計図を描いて行きますが、それも時代の流れや世の中の状況によって変化をさせながら、修正して行くものであると思うのです。システムも同じで、時代の流れなど想定範囲で設計してテスト稼働を行いますが、時代の流れが速すぎてテスト範囲に入らない事が多いのです。また、システムは人が作るから完全はありません。同時にシステムを利用して悪い事を考える人も居ます。完全が無いのだから、抜け道は幾らでもあるのです。この様に考えるとシステムは使う人達によって利用価値が違って来る事がある事を分かって居ないのが現代でしょう。便利な物と騒ぐほど、利点もあれば欠点もある事を人は考えて行かなければならないような気がします。
2015.03.17
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システムに関して前日書きましたが、システムは使う側によって生きるものなのです。システムは業務が基礎ですが、使う人の立場を考えてシステムを構築しなければ、どんな立派なシステムでも、タダの箱状態になりかねません。今回のマイナンバー制度は、全国的に行うものなので慎重に稼働を求める事を書きましたが、それは使う側に対する配慮がなされ、国民の個人情報が何処まで考えられているかによってシステムが生きると思います。同時に、このシステム自体を考えた時点で、何処まで今の情報化時代を見据えていたかによって、システムが生きるか、死ぬかが問題のような気がします。基本は行政側が業務の簡素化が出来れば良いとの考えでしょう。確かに簡素化は出来ますが、そこにはNETが絡んで来ます。現在のNET社会は、多くの問題点がある事は分かって居ます。このシステム案が作成されたのは、数年前でありその状況の時と、今は違って来ているのは誰でも分かります。今回のシステムは、初動は単純な項目から行い問題点を洗い出して行き、それを修正しながら次のステップと言う考え方なのですが、企業のシステムでも同じ手法を行うのがシステムの安定方法です。だが、今回の場合は全国的に行うので企業のシステムとは変化がある部分が多いと思うのです。企業であれば、ある程度の統率された部分があり人員的にも少ないので、操作に関しては安定を計れます。今回のナンバー制度は地方自治体が主であり、そこには使う側が多種多様の人達が行う事になりトラブルった場合の問題点が見えてこない部分が多過ぎてテスト段階でも掴めない部分が多く、問題が起きるでしょう。私も官庁関係のシステムの構築を行った事がありますが官庁は概要しか言いません。詳細部分は、こちら任せであり、問題が起きた場合も責任は詳細を構築した側が責任を取る事になるのです。基本的に行政は業務の簡素化だけを考えているだけでそれに付随する問題点は考えていないのが実情でしょう。今回も初期稼働は国民にナンバーを付けて住民管理が最初ですが、次の段階は企業や医療機関、金融機関との連携を取る事で、税金関係を行い、個人の所得を把握して行く事になるのははっきりしています。それはNETを酷使したやり方のなり、NETに対する問題対応が、どの程度おこなっているか疑問符がつきます。システムは、最初は何を行うかと言う概要から設計され次に概要の問題点を絞り出し、詳細部分を練り上げて行きます。企業では1年から2年でシステムを構築しますがこのナンバー制度は10年前くらいから考え出していると思います。それは、業務概要は問題なくシステム化出来て詳細化は出来ますがそれを行う工程でNETが使われる事に関してどれだけ問題点を絞り込んでいるのかです。絞り込んでいたとしても、その問題点は10年前の時点のNET問題点であり、それから発達したNET社会の問題点は、1~2年までは考慮されて設計されているとは思いますがそれでは追いつかない状況下になったのが、現在のNET社会です。日本はNET関連に関して、まだ法制化が遅れています。この様な国民の個人情報を管理する場合は、法制化をしっかりおこなってからでなければ、問題は起きた時の対応が出来ません。それを官僚も政治家考えているのでしょうか?タダ便利だからの考え方で進んでいるだけであり、問題が起きた場合の責任が取られていない事に危惧します。同時に最終的に企業や医療機関、金融機関とのNET連携になります。その場合、連携機関がハッカー問題や情報漏えいした場合も考えてシステムを構築するのか、給与関係も連携した場合は大きな企業だけで無い事を考えなければなりません。中小企業は情報漏えい等の対策は弱いですから。まずは法制化の整備を行ってから、システム稼働を行わなければ問題が大きくなるでしょう。
2015.03.16
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マイナンバー制度が近くなって来た。これは行政の仕事の簡素化を狙っての事である。時代的に、その様になる事は分かっているが現代社会のNET上での問題点を、どの位考えているのか?まず、優先は行政の業務簡素化であろう。だが、今やNET社会の問題点が多くなり、これからも拡大する事も考慮されているか疑問である。この様なシステム構築には数年かかる。システム案は数年前の状況で、システムを考えている。だが、今やハードとNET社会では問題点が多くなりそれを考慮範囲に入っても、後付けで行う事になるのがシステムであるが、この様な大きなシステムでは現在起きている問題点は、システム設計時には考慮されない。そうなれば追いかけてシステムを追加するしかないのであるがこれは、どのシステムでもありうる事で、致し方の無い事であるがだが国民に対してのナンバー制度となると、問題は大きい。システムを考えた時期は数年前に遡り、今の状況とは相反する部分があり過ぎると思う。業務的なだけを考えると問題点は少ないが、現代のNET社会での問題点を考えると、単純に導入しますでは済まされない問題が出る。この制度は国民の個人情報が全体的に分かるものなので問題が起きた場合は対処が難しいし、大きくなる事も考えられる。導入時は特にシステムトラブルが起きて、対処方法も確立されていないので、問題はおきるであろう。また、システム案を作成した時代との格差でも問題は起きるであろう。確かにシステム稼働前にテストは行われる。だが、それはシステム設計時の範囲内なので、今のNET上で起きているトラブルが考慮されない率が大きい。この制度に対して国民は考えるべきである。同時にテストは、まず議員や官僚を対象に行い、個人情報の流れを国民に示してから、導入する事を説明して問題点や利点を示すべきである。今や自分の資金管理が出来ない議員が多く、報酬関係で問題があるのだから、議員にナンバーを付けて、個人資産や議員が使う報酬(税金)が、どの様に管理されるかを、このシステムで示してから、国民に導入すると言えるのではないか。国民が対象になるのは、個人資産や報酬、医療など多彩な部分で管理できるようなシステムであるのだからシステム導入前にテストは行われるし、社会的にも整備されなければ導入時には、問題が出る事になる。システム構築した側はテストを繰り返しているはずなのでそのテストを前記した議員連中を対象にして行い金の流れや資産管理を行う事をしてから、国民に導入する事を示してほしいものである。自分達で金の管理も出来ない連中が議員で、マイナンバー制度を導入しますと言っているのは疑問に思う。マンバー制度は、国民一人一人の情報が、分かるようにする為で口座や資産、医療など、個人の情報が分かる為に行うので国民は足かせを掛けられたようなものである。これからは給与も銀行口座も支払われた内容も情報として残るのであるから、その情報が漏れた場合は大きな事件に繋がりかねない事になる。その面を考えて行かなければならない事を国民は知るべきである。ナンバー制度の初期段階は単純な項目から行うであろうが最終的には個人の行動範囲まで広がる可能性がある。その様な重要な事であるので、管理側も問題を起こさないようにして貰わなければならない。今の政治家は、そこまで考えないで官僚の言うがままに制度を作り上げているだけであり、NET社会の発展で多くの問題点が起きる事など考えていないのであろう。ハッカーに情報を乗っ取られる時代であるからしっかりとしたシステムと管理を行う事が重要である。
2015.03.15
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最近、自分の苦手な事にぶつかる事が多い。今回の密着取材もそうであるが、自分は写真とかが嫌いであり殆ど自分の個人写真は無い人である。自分では写真写りが悪いと思っているのである。鏡で見る自分と違い過ぎるので、写真を撮ると言われると居なくなる人なのである。それが今回の取材で写真では無く、テレビに出てしまった。これも経験かと思っているが、テレビを見てさらに嫌いになった。どうも、自分が苦手にする事は、付いて回る事が多いのである。これは若い頃から仕事でもそうであったし、逃げ回るが最終的に自分の所に回って来る事が多かった。ただ受けてしまうと、居直ってしまうタイプなので何とかやり遂げるが、本来は避けて通りたいが頼まれると嫌とは言えないのが、私の欠点である。そんな事で今回は遣ったが、自分の顔は見たくないと再認識した。私は居直った場合は、学べると考え方を変えて挑戦する事している。自分の行動の中には、自分で学べる事が必ずある。得も無いが、損も無いと諦めの心境なのかもしれない。その様に考えると、次に進む事が出来るので自分なりには満足している。子供の頃か言われている、落ち着きが無いのであろう。何か行動していなければ、自分が不安になる傾向が強い。もしかしたらウツなのかもしれないと思ったりするがその割には諦めが早いので、ウツとしても軽い方であろう。私が辿って来た、今までの生き方は何かに向かって行くそれは自分の子供の頃の経験から来たのが強いと思う。子供心に生きるすべを考えて行動して、差別や偏見で自分なりが強くなり、向かって行く方向が出来上がったのだろう。それは自分なりの生き方だから、他人に押し付けはしないがただ、これからは若者を育てたい気持ちが強い。私達は経験を伝え、それで若者を育てる事が重要な事である。だが、今の私達年代の人達は、それが無い部分を感じている。安穏と過ごせば良い、他人は他人と言う傾向が見られるのが今の多くの人達の考え方なので、若者もその傾向に傾く。一部の人達は危機感もある若者も居るが、それは少ない。私達が、これから考えて行かなければならない事である。多少なりも、自分はその様にして行きたいと思っている。取材の疲れからか、頭が回転していませんのでクダラナイ話になってしまっているがこれからは批判や色んな事を書きだします。
2015.03.14
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私の密着取材の内容が放送された。私は写真が嫌いな人間で、被災地でもグループでボランティアに行っても、写真となると逃げ回る人なのであるが、今回は全国放送で名前と年齢まで出てしまったのである。写真嫌いが、何故にテレビに出たのかと思うでしょう。今回のテレビの関係は認知症関連なので出る事にした。前に書いたが、病院に付き添いで行っていた方が亡くなりその方も認知症を患っていたのである。認知症もアルツハイマーとは別に、脳血管による認知症があり私はMRIで調べたら脳血管が摩耗している部分が多く将来的に認知症や脳障害が起きる予備軍と言われたのである。これだけは年齢とともに起きるのであろうが、脳血管の摩耗を抑える事が出来る食事療法があるとの事でその実験台が回って来たので、写真嫌いであるが好奇心が先に立ったのと、私が高齢者の方達のお手伝いをしている事に役立つと思い挑戦したのである。食事に関しては10日間料理して食べるのであるがそれが地中海料理なのである。これはアメリカの学会で論文が発表された事を実行検証しようとしたのであり、最初の1週間のレシピは大学の先生が考えたもので残りの3日間は自分なりに工夫して作る事になった。私は料理を作るのは好きだったので、料理する事に関しては、問題は無かったが、カメラが部屋の中に4台据え付けられているのである。自分では気にしていないつもりでも、何処かにカメラを意識している自分が居るので、最初の5日間で体重が2Kも減った。ADの方は、地中海料理はダイエットのも良いと言っていたが、私はストレスで体重が減ったと思っている。体重は減らしたいと自分で思っていたので、喜んだがどうも体重が減ったのはストレスだろうと思った。それはカメラマンが密着しない時に3日位あったのだ。部屋にはカメラが取り付けてあるが、外出してもカメラマンが居ないので気が休まるのであるが、疲れが酷かったので相当ストレスが溜まっていると自分で思っていたからである。確かに買い物にもカメラマンが同行するし、電車に乗って出かけても、その場所まで行くのにカメラが回って居るのであるから、ストレスは溜まる。食事も3食が地中海料理なので、10日目はもう食べたくない気持ちになってしまうが、我慢して作って食べたのである。さて結果であるが、自分としては疑心暗鬼であったがテストを行うと、良い結果が出たので続けて見ようと思っているが、3食は嫌だし、毎日は無理なのでそれは避けようと思っている。基本的な部分はオリーブオイルを使う、青魚を多く取る、豆類や野菜を多く取る事で補える。米も玄米や穀物が多いのが良いし、パンも同様に穀物を含んだ物を取る事と良いそうである。思い出したのであるが、ドミニカ共和国に居た時にあちらでは米を炊くのに油と塩を入れていたのである。油はオリーブオイルだったのではないかと思った。ドミニカもスペイン領だったので、その流れで米を炊く時に油を入れていたのであろう。日本米を炊いてくれると言って、私の日本から持って来た米に油と塩を入れそうになって、私が止めに入った事があり「日本で米を炊く時は、水で炊く」と言ったのである。まずはストレスから解放されたのと、これから自由に食べ物が食べられる事がうれしい。でも、全国放送は恐ろしい、自分でテレビ出る事は言ってないのに被災地の方から電話が来た。今後は出たくないのが本音で、ただこれからの状況で、ためになる事や学べる事なら挑戦しようと思っている。今回の感想としては、良い方向に向いているので続けてみて、これからの状況を自分で感じて高齢者の方に伝えて行こうと思っている。
2015.03.13
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前回まで色々書いたが、少年の事件は必ず起こる。ただ、残忍な事件か、そうでない事件かである。基本的には少年の事件はグループでの事件と個人的な事件とに別れるが、そのどちらも子供に対する大人たちの怠慢な部分から、子供の発する信号を見ていないか見ていても逃げている事によって起きていると思う。子供は必ず信号は発している。それを親が見極めなければならないが、親自体が生活に追われそれを見落としている場合もあるのと、対応方法が分からない事もあり、事件が起きてしまうのであろう。子供の発する信号は、大人に対する不信感が殆どであろう。その不信感から始まり、次々に事を起こして後戻りできない事が事件や問題を起こす事になると思う。子供は純粋であるが為に、大人に対して不信感を持つ事が多い。これは人は、誰しも経験しているであろう。それを初期状態で取り除いてやる事によって、子供は変わる。それを大人たちは分かりながらも、蔑ろにして来る為に子供の不信感が募り、暴走的行為になってしまうのである。私も教える立場に居た事があるが、彼たちは意外と純粋である。大人の世界に対しての不満をブチマケテいるだけで本来は彼たちの考え方を理解してやると、本音を言ってくれる。私からすると、確かに彼たちの行動は一般的に見ると悪いと思うがその逆から見ると大人たちへの不満と不信がある。それを解決する事が出来れば問題は無いが、彼たちの行為が度重なると、それが彼たちの掟を作ってしまうので止める事が難しくなるのである。同時に親以外の一般の人達が騒ぎ過ぎて、彼たちを刺激して問題を大きくしている部分も出て来ている事も理解するべきであるがそれが出来ないのが大人たちであろう。その様な子達は純粋であるから、早期に不満や不信を取り除いてやると、更生する確率は高い。彼たちは純粋であるから、信頼すると受け入れてくれる子が多い。それを決めつけて悪いと周りが騒ぎ過ぎると、反抗的になり、次々に問題を起こすのである。大人達(周囲の人も含めて)は、親や先生に不信感や矛盾を感じた経験があるはずなのに、大人の世界からしか子供達を見ない事も問題がある事を気がつくべきである。また、大人たちが過度に騒ぎ過ぎると、反抗的になりさらなる問題を度重ねる為に、グループ化している場合は問題が大きくなるだけであろう。逆にグループ化している子供たちを指導する場合はそこのトップの子との会話から、その子の問題点を引きだし指導する事も大切である。それはトップになるだけ、他の子供たちに信頼されているのであるからその子は指導力もあるし、考え方もしっかりしているので更生した場合は色んな面で協力してくれる人材になるであろう。まず初期状態の子供の不信感を取り除く事が大切なので親や先生方は会話を多くする事が良いと思う。
2015.03.12
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私の場合は、その状況であれば悪仲間に入ってもおかしくないが何故か、その様な仲間意識が薄かったように思う。子供は普通であれば、知識も食べる糧も無い状況であった場合は同類同士が集まる事が多いのである。これは庇い合う事によって、自分の持っている苦しみを分かち合いたいし、家族が頼れないのであれば、尚の事そのようになり、グループ化するのが普通である。私は父の激しい躾の中で、自分なりに自立を考えていた部分があったのだろう。だから、仲間を作らないし、そこにも入らないで単独行動を行うように成って居た。小学6年の初期の頃から、その様な考え方に成るのは大人に対しての不信感が強かったのであろう。その不信感は別な部分で悪仲間にも繋がっていたのであり人間不信に陥って居たと思う。だが、それが自分を変える部分にうまく出たと思う。自ら家族から離れる事を希望して、施設へと望んだ。だが、もし私が少年院や教護施設に入って居たらどうなったであろうか分からない。家裁で知能テストを受けらされて、警察から知能犯と言われた事があるがIQは良かったみたいであるが、上記の施設に入ると一般社会と遮断されるので、そこでの仲間同士の中での生活に成り、それは弱肉強食の生活が待っているので自己防衛本能が働き、食うか食われるかにであれば相当な悪党になって居たかも知れない。前に書いたが、加害者側が事件を起こすまでの生きて来た過程も考える必要があると書いたが、私自身で養護施設に入った事により、そこで自分を取り戻す事が出来て、新たな自分が生まれたと思う。確かに差別や偏見はあったが、それに向かって行く自分が居てそれで変われた事は間違いない。その様に考えると事件を起こす少年たちの、それまでの過程を考えるべきであるが、一般社会の人達は事件のみを取り上げ、それだけを批判する。確かにマスコミも同様に、あった事を報道するのが義務であるからそこからしか情報が入らないから、仕方のない部分もあるがもしかして、加害者の立ち直る、きっかけを私達が断ち切っている事もあると言う事を知ってほしい。前記したが悪がグループ化するのは、弱いからであり互いに傷をなめ合っている部分がある。特に気弱な子ほどグループに入り易いし、入れやすい。そんな子を悪は悪なり匂いを感じるので、それを狙う傾向が強い。私の場合は一匹狼的な考え方が強かったので、脅しはかけるが、仲間に入れようとはしなかった。それが別な面で良い方向に向かったと思う。同時に差別や偏見に対して、向かって行き相手に負けたくない気持ちが強かったので、学校でも良い方向に向かったのかも知れない。今の子たちには、親や学校側は子供たちの弱い部分を分かってやり、それを補う方向に持って行くようにしてあげてほしいと思うが、それもうまく出来ない為に悲惨な事件が起きるようにも思える。
2015.03.11
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考えて見ると少年期の頃の出来事が、今の私を作ったのであろうと思うし、それが自分の人生に大きな役割をしたと思うのです。今、若年層の犯罪も多くなっているが、その犯罪を起こした過程によって、変わる事が出来る子も居ると思うのであり一概に犯罪を起こしたから悪と決めつけるのではなく救える道も考えてやるべきであると思います。自分も悪をやったが、それなりの家庭的な事情がありそれで周りから助けられて、今の自分が居るので一概に犯罪を起こしたから、極刑と言うが、犯罪を起こすまでの、過程も見てあげる事も大切だと思うのです。確かに私自身の場合は家庭的な事情はありましたが前に書いたように、少年時期での出来事が、自分の性格を作る事が大きいと思うのです。私も家出をして、食べる為に盗みもしました。だが心理的には孤独感が強く、何故に自分は、この様な事をしなければ、食べられないのかと考えたり明かりの点いた家庭を見ると、寂しさが突きあげて来ました。生きる為や食べる為に盗みを働くが、そこには罪悪感はあるのです。だが少年であるから、働いて食べる事が出来ない。家には帰りたくない、帰れば死ぬほど殴られる事は分かっているのですから、恐怖心が先に出て来てその恐怖心から自分自身が逃げる事しか考えていないのです。最初の頃は殴られても自分が悪い事をしている為にその様な行為を受けていると思うのですが度重なると、恐怖心に変わり、その行為から逃げ出したいと思う気持ちから、顔色を伺う行為が自然に出てしまう事が多かった。それが成人に成っても、その傾向は抜けていなかったのですから子供時代の教育や躾によって、成人に成ってからの部分が現れるのでしょう。これは、それだけに尽きません。親と同じ行為を行っている時もありました。自分の子供に対して、厳しい部分が自然に出ていたと思いつく事が幾度もあったのです。確かに躾に関しては、難しい部分がありますが一般的には叱る時は、子供に悪い事である事を悟らせる。確かに叩く時もあるでしょうが、再三の、その様な行動は子供に恐怖心を与えるだけであり、避けるべきだと思います。子供自体は、親の行動によって態度を変えます。これは親の普段の行動を観察して、それが自分の知識に成っている。こんな事は当たり前だと思うでしょうが、私自身の少年期は前記したように、父に対しては尊敬の念はありませんでした。それは母が働いて私達兄妹を食べさせてくれていたので男として認めていなかったのでしょう。同時に暴力的な躾の為に、恐怖心しか私には無く顔色を伺って行動を起こしていただけである。続きは明日。
2015.03.10
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最近は自分の書いている事は、理想論だと思う人が多いだろうと感じながら書いている。確かに理想論であるでしょう。ただ、自分なりに実行して感じた事を書いているので自分では実行すべき事と思って書いています。ただ、それは自己満足な部分もある事は間違いないです。何故か自分はやって(実行)、なんぼと言う考え方で生きて来たので、空論は嫌なのです。これは父を見ての反面教師の部分が強いのでしょう。父は理論を並べて、クドクドと言う性格でした。だが父の言う理論は間違っては居なかったのですがそれでキチンとした仕事をして、生活が成り立っていたら問題はなかったのですが、それが出来ない人だったので母が働き私達兄妹を食べさせてくれました。戦後間もない頃ですから、女性が働く所は限られていたのと収入も少ないから、貧しかった家庭でした。そんな母を見て育ち、早く大きくなって母を助けたいと思っていたのですが、その母も小学校6年に成り立ての頃に亡くなったのです。母の死は幾度か書いたので分かると思いますがそこから自分の生き方が変わった事が、今の自分を作り上げて来たので、この考え方は、もう変わりようがありません。だが「苦労は買ってでもしろと」言う諺がありますが本当に自分の経験は、別な面で自分を育ててくれたと思います。ただ、自分に欠けている部分は家庭を蔑ろにして仕事に打ち込んだ事が、問題があると反省しています。若い頃の自分は、周りから見ると嫌な奴に見えたと思います。這い上がろうと言う気持ちが強く、仕事も出来たと自分で思い自信過剰な所があったのですから、今考えると嫌な奴です。だが、私は色んな経験から色々学んだと思うしそれを学びと感じるのは、ある程度の年齢に達してからなのでしょう。私のように何かに向かうタイプは、何時も自分を鼓舞しながら進もうと考えていますが、進む為には先を考えなければ、ただの馬鹿な動物でしかないと思い、必ず何か学んでやろうと言う気持ちを大切にしたいと思いながら、次を目指しています。だが私の弱点は、行った事が安定すると、次に何かを求める為に安定した部分を誰かに渡して、次を目指す為に、家庭的な考え方が出来ないので、家族に迷惑がかかる事に成ります。それを考えると、自分は家庭的でないと感じて一人で行動するようになったのです。考えて見ると私は自己中心的な人間だったのでしょう。それも少年期に植え付けられた事が残存している事は間違いないです。明日は少年期によって、形成される事を考えて見たいです。
2015.03.09
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今回の病院の付き添いの方は、私より1歳上の方です。その方は奥さんを3年前に亡くされ、一人暮らしをしている時に朝に脳の血管が切れて、左半身が麻痺して言語障害もあったそうですが今は言葉もしっかりしています。その方は、今は週に3回リハビリに通い、一生懸命に努力していますが、左側は多少動かせるだけなので、服を着たりする時は苦労すると言っていましたが、本当に努力して頑張って回復しようとする気持ちに感動しました。私は五体満足ですが、その方の努力には負けます。同時に、その方の頑張りに励まされてしまいました。その方は人に頼らないように頑張って居ますし、同時に私にも気を使ってくれたりして、私の方が申し訳ないような気持ちになってしまいました。その方も倒れた時に、偶々、お子さんが泊りに来ていたので助かったそうです。そうでなければ亡くなっていたかもと言っていましたが確かに孤独死は、一人住まいだと起こるのです。前の病院に付き添いの方も、孤独死でしたので考えてしまいます。私は、まだ五体満足ですが、何時、その様になるか分かりません。その様に考えると、色々な方のお手伝いをしていますがそこから色々な事を学ばせて貰っています。一人暮らしで、寝たきりの方に対して、何か出来ないかを考えたりしますが、社協から範囲が決められているので制約があり出来ない事が多いのです。そこから別な方法があるような気がして、社協と相談して寝たきりの方のお話し相手が出来ないかを模索しようと思っています。私の様に相手の方と幾度か付き添いに行くと相手の方も心を開いてくれて、色々話してくれます。そこには人間対人間の信頼関係が生まれて来ます。そうなれば信頼関係から、人としての繋がりが出来て話し相手になれると思うのです。始めて行くのでは無いのですから、互いに信頼しているのであれば問題は少ないし、相手の気持ちも分かるので理解し合えると思います。始めてでは相手も警戒して、周囲も警戒するので私達のように、お手伝いしている方を使う事が良いと思うのですがどうも行政では制約があり、それが難しい部分が出て来ます。確かに高齢の方なので、多くの問題が出て来る部分は分かります。また、事故が起きた場合の責任もある事も分かるのですがやって見て修正をしなければ、遣らないで責任逃れをするより良いとは思うのですが、人間は、責任は取りたくないのでやらない方向が強いように思うのです。確かに問題が起きた場合は、責任は取りたくありません。ましてや孤独死等で騒がれたらたまったものではないです。だが手を付けないで、何もしないと先に進まないし問題が起きた場合は、確かに周りは騒ぎますが、騒ぐ方達は責任も問題にも関わって居ない人が多くです。人が生きている以上は、問題や事件は起きますし問題が起きるから、解決策も生むのである事を理解しながら挑戦すべきですが、関わらない人ほど何か言う人が多いのが現状である事は間違いありません。だが、高齢化が進んだら、何かの方法を考えて実行しなければ何時まで経っても何も出来ないと思うので、私はやってみようと思っています。問題が起きても逃げないで、改善策を考えて新たな道を模索しながらやりたいので、今は色々な方から学ばせて貰っています。
2015.03.08
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私は現在コンピュータの発達とともに、人間性が失われて来たと思っている。システム屋として40数年携わって来たが、その仕事をしていた頃からコンピュータが発達するが、人間としての考え方が変化するのを恐れていた事がある。それが現代では現実化になったように思えてならない。確かに情報の伝達も早くなり、誰でもが見られるようになったがその変化に対応するだけに追われ、人としての方向性を考えて来なかったのではないかと思う。私はシステム屋であるが、コンピュータを信頼していない。コンピュータは、あくまでも便利な道具であると思っている。道具は愛が無いし、思いやりも無い、同時にリセットすると初期行動から再稼働する事が出来るが、人間としてリセット出来るのは、考え方は出来るが、人間としての最初には戻れられないのである。また、コンピュータを作動させるソフトもハードも人間が作っているからコンピュータに完全は無い。これからもコンピュータは、もっと進歩するであろう。同時に、今やNETが当たり前になって来て、それを酷使して、新たな事を行う事も出来る。コンピュータは確かに便利な道具である事は間違いないがそこには感情が無い事を、使う人は考えなければならないと思う。私も30年くらい前にコンピュータで学習塾的な事が出来ないか、考えた事があったが、その時に感じたのであるが教育とは人が教えて始めて教育と言えるものでありコンピュータを学習用の道具として見るなら使えるが本来の教育の基本部分では使えないと思った。それはコンピュータには感情が無いので、教える愛情が無い同時に熱意も無いから、本来の教育は人間が行うべきであると言うのが私の持論である。所が現在は教育現場では道具では無く、教育用として当たり前に使われ出して、先生方や親たちもそれを認めているし、コンピュータが無いと不安を感じているように思っている。そこには本来の教育(人間)ではなく、教育としての一部分に考えられて確立された事が当たり前なのがコンピュータとなった。前記したがコンピュータはリセットすれば、初期行動から動かせる。すなわち、今の子達はリセットすれば、新たに物事を始められ今までの工程が消えてなくなる錯覚を起こしているように思えてならないのである。だから、残忍な事件も起き、それはリセット感覚で行っているように思えるのである。コンピュータでゲームをやっても、失敗するとリセットで初期モードに戻し、再実行出来る感覚があるのでその様に人間もリセット出来ると、思えるような事が起きている。私達が受けた教育は人間がリセットする時は死を表していたが今の若い人たちは、簡単にリセットして、新たな気持ちで実行出来ると考えている行動が多過ぎるように思えるのである。同時に学校の若い先生もコンピュータ発展時代の人達が多いから教育を履き違いしている為に、教育をコンピュータに頼る部分が大きい為に、人間としての教育観念が薄れていると思う。私の考えは教育とは愛が無ければ、教育で無いと思う考え方なので異論もあろうが、教える事は、人間として行う事が大切であると思うのである。今の時代はコンピュータがなければならないが、そこには別な部分で人間教育も行わなければならないと思うのである。
2015.03.07
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今日から新たな車いすの方の、病院の付き添いに行く。前回(亡くなられた方)のショックを引きずっているが、私の出来る範囲で、お手伝いはしたいと思っている。私の出来る範囲は限られているが、この方から色々学ばせて貰うであろう。なるべく相手の方から、新たな事を学びたいと思っているしそれが今後の自分に生きると信じている。人はそれぞれの道を歩んで来たのだから、私の知らない事は沢山あると思うし、それを学ばせて貰う事は有意義であると思っている。こんな事を書いている自分は偽善者なのかもしれないしそう見られるかも知れないが、それは、それで、それぞれの見方があるからしょうがないと思う。でも人間として生きたいと思う自分の気持ちに素直に従った考え方をしているだけであり、それで自分が納得している。私の生きて来た人生で多くの人に助けられ、多くの経験をして今の自分を作り上げて貰ったと思うから、それを返しているだけなのである。人は、それぞれの経験から学び、成功もするし失敗もするその両方の数の多さで知識も得ると思うのであるがだが経験と知識は自分の範囲以内でしか無い為に新たな問題が起きた時は、対応出来ないでいる自分が居る。でも、新たな人との出会いで、新たな事を学べる事も沢山あるし、色んな経験が出来る。それは、また自分を成長させてくれるし、挑戦させてくれる。それ様に考えると別な自分が出て来る事が面白い。きっと自分を自分で楽しんでいるのであろう私は。これもここまでの年齢になったから、この様な楽しみ方が出来るのであろうと思っている。また同時に社協の方からも、別な部分で頼まれたのでそれも模索しながらやって行こうと思う。同時に、これからも政治や社会に対して批評も書いてやろうと思っている。
2015.03.06
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今回の11日間の取材は終わった。結果は最初にやったテストより、多くの部分が良かった。結果も20代の平均と同じと言う部分が多かった。それはうれしいが、自分自身では良くなった気持ちには多少なっているが、半信反偽の状態である。誰でもそうであるが10日間で、その様になるとは思わない。だが、気持ち的には良くなっているように思う。これを継続して、どの様な結果になるかを自分なりに検証してみたい気持ちである。基本的には一般的に言われている食品で食事を作る事。本当は内容も書きたいが、放送されるまでは言えないので書けませんが、NETで調べたら確かに良いと言う事は言われているようである。そうなれば自分が体験して継続させて、今後の高齢者や認知症の方達に使えるかもしれないし、今お手伝いしている方達との話題にもなりうるので、続けて行きたいと思っている。本当の希望は認知症を無くする事が出来るなら喜ばしいが現在のところ進行を抑えて、認知症が起きないようにする段階までしか医学的には証明されていないようである。基本的には段階的でも進めなきゃ、何も起こらないのであるから挑戦する事に意義があると思っている。まずは自分が、どの様に変わるかを見つめて見たいのとMRIで認知症になる斑点抑えられるかも見たいと思う。最終的には継続であり、それまでに私が証明できればと思っているが、69歳となった今では不安もある。だが69歳で20代の平均と言われた事は、まんざらでもないと思って、ほくそ笑んでいる。これから継続して、また状況を書く事にしますが密着取材から解放された事が一番うれしい。
2015.03.05
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今日で密着取材も終わりです。今日までは地獄の思いでしたが、解放されたいと言う気持ちが強く、ストレスと疲れが溜まりました。普通の日は5時台に起きるのですが、最近は7時近くまで起きられない状態が続きました。それは私事ですから、受けた以上はしょうがないです。これで認知症関係が改善はないが、進行を妨げる事が出来るなら、私にとっても良い経験になるし、高齢者のお手伝いをしているので、その経験を伝える事が出来るかを自分なりに続けて、検証したいと思っています。今回は私が付き添いをしていた方が亡くなった事もありそれで今後は社協に協力して、孤独死や高齢者の方達との交流や寝たきりの方等の方法論を模索する事にも協力を依頼されたので、この経験も生かしたいと思ってもいます。私は子供のイジメも書きましたが、同時に高齢化の進む日本でその何かを探し、学びたいと思っています。私の考え方に賛成出来ない方も居ると思いますが、子供たちや高齢者の方と接する時は、なるべく相手目線で接する事が大切だと思っていて、なるべくその様にしています。それは確かに自分の気持ちを、一時的の殺さなければなりません。だが自分目線では相手の事を理解出来ない部分が多いと思っていますし、上から目線で接してしまうと思うのが私の考え方なのです。だから相手の言いたい事や、考えている事を知りたいなら相手と立場と同じように考えるべきであると思います。これは高齢者の方と付き合うと、最初は頑くなな部分がありますが何回か付き合うと本音を言ってくれます。その時に私は、今回亡くなった方に対して、少しでも気持ちが分かった部分があったと思うのです。だから、悔さが残りましたが、それをバネにして別な事が出来ないかと思う気持ちが出ました。これは子供たちに対しても同じです。子供が発する信号を受け止めるには、子供目線で相対する。これが親も先生方も出来ていない部分が多いのではないかと思うのです。どうしても自分の立場で相対する事が多いから、自分目線に成り、分からない部分があると思うです。確かに相手目線ばかり考えたら、自分にストレスが溜まります。でも、一時的に相手目線で考える余裕を持って接してほしいと思う事が多い世の中です。その様に考えると相手を思いやる気持ちも出て来るように思うのです。
2015.03.04
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今回の川崎の事件での教育委員会の会見が報道されたが今までと変わらない優等生の答弁である。人の命の尊さを分かっているのか、火の子がかかって来て在り来たりの弁明では、これからも、あのような事件は起こるであろう。私が前に書いたような現象が起き、不登校状況になると危険信号であると書いたが、その通りになってしまった。これは大人自体に問題がある。何故に子供が信号を発しているのに、親も先生も分からなかったのか?今の日本では学力を主に考えて、人間性を考える教育が成されていないから学校側も行政も、幾度も同じような事件が起きても改まって居ないのが現状であろう。先生や行政の方達は優等生であったから、子供の心理状態が分からないのかもしれない。分かって居ても逃げているのかも知れないように思う。マスコミも事件が起きた時だけ集中的に取り上げるが、その時だけは一般の親たちも見聞きするが、それが終わると何もなかったように振る舞い、自分の子供に対してのみ注視する。だが、今回の事件は加害者と被害者の親は分からないはずが無かったし、それを阻止できなかった事を考えると親の責任も重大であろう。子供の心理状況は親が一番分かるはずであり、次に学校側が分かる事になるが、今はNET社会に成り子供の行動範囲が掴みづらくなった事は確かである。また、NETによって子供たちの行動範囲が広がって来ているがイジメも悪質化して来たのと同時に、NET上での匿名のチクリも出て来るが、子供たちはNETを知り尽くしていないのでバレル可能性がある事。私もシステムを40数年行って来たが、コンピュータが発達すると同時に人間性が消えて行く事を懸念していたが、それが現実問題になって来た。情報伝達がNETによって掴みづらくなって来ている。これは時代であるから仕方のない事であるが、それだけではない部分も出て来た事を考えた教育を行わなければならない。今は世界の情報がNETで、残虐行為やその他の情報も早くに見られる。同時にゲーム等でも戦闘や残忍な殺戮等も多くコンピュータ社会の悪い部分が出て来た。子供たちが、その様なゲーム等で本能的に痛みを感じないで安易な気持ちがある部分を考えなければならない。幼少期に確立される精神状態も考えた教育を行って行かなければもっと少年犯罪は増えるであろう。親が与えるものも考えて行く事、物を与えるのでは無く愛情を与え、学校では人間性の教育を行う事が大切だと思う。
2015.03.03
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私は悔しい。前に書いた高齢者の方の死で、何も出来なかった事を悔んでいる。確かに色んな制約があるのが、世の中であるが人間として何か出来なかったかを考えてしまう。考えても私一人が考える事など、タカが知れているがそれでも人として、もう少し、してあげれたかも知れないと言う気持ちがある。これは個人的に動けば出来たかも知れないがでも、そうなると周りの制約を崩しかねないし別な面で他の人達から、怪しまれる事もありうるのが今の日本であろう。本当に、これからは高齢化が進み、また、この様な事に遭遇するであろう。同時に私自信が成りうる事である。だから、自分が動ける間に、何かを見つけて見たいと思っている。今後は別な部分で何か出来ないかを模索して行きたいのと孤独死に対して対応方法を考えて行くのと寝たきりや認知の方のためになる方法論を実施してみて自分なりに学んで行きたいと思っている。私も最後のアガキかもしれないが、アガキは続けて行きそのアガキが生きればと思っているが、失敗もありうるがそれを修正して新たな物が生み出す事に挑戦して学んで行こうと思っている。それが亡くなった方の、私に学ばせて頂いた事なのかも知れない。あの方と色々話をして学んだし、多少なりにも、あのような方の気持ちもわかるように成ったので、それを生かす方法を考えて行動して行こうと思っている。私の最後のアガキかもしれないが、それは自分なりの生き方だと思っているので、遣る事が大切だと思い挑戦する。
2015.03.02
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今回、少年の殺害事件があったが、イジメや虐待などを書いた後に起きた。これはショックであった。本当に親も私達大人も考えて行かなければならい事である。同時に政治家や官僚も考え直すべきであろう。このままの状態では、さらなる事件が起こるであろう。子供の心理的関係は、前に書いたのであるが今回の事件も、その心理が働いていたような気がする。自分なりの経験では、事件を起こした側の親としての責任も考えるべきであり、この状況が今の日本である。まず、子供に対する親の教育や会話が無い状態と子供に対する教育関連を見直さなければならない時期に来た事を、親も学校も政治家・官僚も分かって居ないのであろう。成績重視の教育方針が暗礁に乗り上げたが、まだ、それを重視する事を行っている為に人間として偏った子供を作り上げているのである。マスコミも日本は学力的に低下した等と報道してさらなる学力一辺倒を煽り、それに乗っかっているのが前記した人達である。私は考えるのであるが、子供たちには人間性を重視した環境が必要な時期に来ている事、同時に大人たちも人間教育を重んじた教育を行わなければならないと思う。それには家庭での会話、学校での仲間意識の教育を行って対人関係とは何かを示して行かなければさらなる問題が起きるであろう。今回の事件は子供の心理状態を把握出来なかった大人達にも責任があり、親や周囲の大人の責任でもある。まず子供たちとの会話や触れ合いから、状況を把握してその対策を考えてやらなければ、同様な事は起きるであろう。今回の事件は日本の微々たる部分が出ただけであり、あのような事は多数ある事を考えて行かなければならないが今の親や大人たちは、今回の事を他人事として考える人が殆どであろう。子供たちは必ず信号は出している。それを分かり対策を早く講じなければ、また事件は起きるであろう。学力優先では無く、人間性を考えて教育して行く事を望む。
2015.03.01
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