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前日書いた子供の教育と言う部分であるが集団的教育を行う事も重要であると書いた。これは現代社会に於いて、大きく欠けている部分であると私は思うのである。そこには私達世代の責任もあるし、日本の教育制度にも問題がある。日本の戦後教育は学歴主義で、その様に世間一般が判断して企業でも家庭でも、その考え方が普通でありそれに乗り遅れないように、家庭では特に勉学を強調したし学校は有名校に進学させる為に、缶詰的な教育を施して来た。それは時代の流れなので、仕方のない部分はあると思う。その教育方法に陰りが出て来ても、家庭でも学校でも同じような考え方を継続させた事によって、人間性の部分で問題が出て来たのが今であると思う。これは現代の親や先生方が、私達世代の考え方を引き継ぎ同じような教育方針と考え方で接していた為に今の子達の考え方が利己主義になって来たと思うのである。他人を思いやる気持ちは薄いし、継続した行動が出来ない同時に投げやりな行動が目につく。これは教えて来た人達の責任であると思う。基本的に教える側が、自分たちの受けて来た教育の仕方で対応すれば、それは同じような人達を作り出す事になるのは当たり前であり、誰でも分かる。その典型が政治家であると思う。自分たちの問題が起きた場合、遣った事を他に責任転嫁する。同時に自分たちの言った公約は守らない。この人達の受けた家庭教育や学校での教育が日本の現状を表しているように思う。人の痛みや苦しみなど分からない人達が、日本の政治を行っている事に国民は不信を募らせているだけで対応しようともしない。人は自分の経験から判断するのが普通である。その経験が人の痛みや悲しみが分かっている人は相手に対しても思いやる気持ちが強いと思うのである。だが話だけで聴いている人は、分からない部分がある。ただし、家庭や学校での中でも、それなりの教育を受ける場合と受けない場合では大きく変わるであろう。幾度も書くが「絆」と日本人は言うが、そこには本来の繋がりの強い絆は無いように感じるのが、今の日本のような気がする。本当の人としての思いやりや、労わりの気持ちを日本人は忘れかけているのではないかと疑問に思う。それは私も同じであろう。私も人間としての思いやりや、労わりの気持ちを忘れているのと子供達に伝える事をしていないのである。これからは社会の貧困格差が広がり、そこには多くの人達が苦しむ社会構成になるような気がする。そこで始めて、人に対する労わりや思いやりが生まれて来るのかもしれない。そこまでになったのは私達が教えて来なかった事に原因があり、それを怠っていた事を反省する
2015.05.31
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私は若い頃から、人間とはと、良く考える事が多かった。今でも何故、その様に考えたのか分からない。確かに私の少年期は複雑であり、それが自分の人生観を変えたように思うが、別な部分で人の気持ちを計るように成ったのであろうと思う。何事にも相手の気持ちを考える事を重んじて来たがそれは相手の観察するのと、顔色を伺う事に繋がったのであろうと思う。悪い面では相手の顔色を伺う、臆病な所が出てしまうので自分を出し切る事が出来ない事であろう。良い面では自分が関わったら、そこには自分なりの責任を感じる事であろう。これは私が施設で育った事で、団体責任を教育された部分が生きているのだと思う。施設では個人ではなく、その集団で行動するので問題が起きた場合、そこに関わる事は、個人が相手との連帯責任を化されるのであるから互いに庇い合う事も必要であったし、イジメに対してもそれなりに庇い、相手との対等な立場で接しなければ相手に負けるので、自分なりに強くなければならなかった。それが相手を思いやる気持ちにも繋がったのかもしれない。だが、そこには矛盾も感じる事が多かった。確かに子供であるから、何故に自分も犠牲になって叱られるのか、分からない部分も出て来る。だが、それが自然に身に着いたのかもしれない。相手を思いやる気持ちと、自己責任を感じるように成った。今は世間一般では利己主義が多いような気がする。それは相手を思いやる気持ちが欠けている部分を多く見る事があり過ぎる。同時に自己責任を取るのでは無く、相手に対して責める事を見受ける事も多くなった。前にも書いたが、集団で問題を起こした場合は自分なりに責任を感じるのが当たり前であるが、大抵の人は他人に責任を押し付けてしまう事が見受けられる。そこには自己防衛意識があるのであろう。だが、問題が起きた、その中の一人である場合は自分にも責任の一端がある事を忘れている人が多過ぎる。この様な人達に教育された子供達は、大体弁解が先に出て自己防衛型の子供たちが多い。また、そこには人に対する思いやりも、欠けてしまっているのが付いて来るので、思いやりや痛みが分からないのであろう。その為に年少者の事件は、自分本位な考え方の子供たちや人の痛みが分からない部分が見受けられる。だからと言って、私が受けた集団的団体教育を推奨しない。それは私達の頃の教育は戦後の混乱期の時代でありそのまま受け入れる状況でないからである。だが、今の教育に足りない部分は集団的に考えて行動する事と責任感を持つ事を教育すべきであると思う。それが残っているのは集団で遣るスポーツ活動であろう。それは自分一人の力で無く、全員の力で戦う事を学び協力して行く部分が残っているから教育の一環には良いと思えるのである。家庭では出来ないので、それを教育現場で取り入れるべきである。
2015.05.30
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今の国会で論争を行っている安保関連法案であるが戦争を放棄した国が行う論争なのかと思ってしまう。確かに、世界情勢は年々変わりつつあるが、日本は、あの大戦で負けて、戦争をしない国と変わった。それが自衛隊と言う組織を作り、自国は自分たちなりに守ると言う事の為にある。それが世界情勢の変化により、国際警察と言われるアメリカが動いて、戦闘状況を作り、その管轄下にある日本が今や一兵卒的存在のような言い方をしているのが今の日本政府である。あの大戦で日本の憲法をアメリカ主導で制定したのであるがそこには日本は戦争をしない国と認められている。それから時が経ち、世界情勢は目まぐるしく変わった事は認めるが、日本の平和憲法は世界に誇れるものであると思う。そんな国の政治家連中が安保論争で、戦闘地域はとか、自衛隊の派兵とかを論争しているのかおかしい。戦争の放棄から70年が経ち、それによって世界情勢も変わり確かに隣国の脅威もあるかもしれないが、平和憲法を掲げた日本が、戦闘に関して政治的論争を持ち出す事がおかしいと思うのである。これは、今の政府が、如何に歴史認識が足りないかを証明しているだけで、隣国に歴史認識に関して、無知な政治家が日本国の政治を行っていると思われてもしょうがない状況のように思う。戦争を行わない憲法の基では、自衛隊の派兵が出来なかったし同時にアメリカや、その同盟国から日本は、金だけ出して人間は出さないと言われ、後方支援を行いそれでも駄目だからと安保法制を変えて、憲法の戦争をしない国から、戦争を助ける国に変えようとしている。今の政治家が論争を行っている安保関連法案は、戦争を放棄した国が行う論争では無いと思う。戦争をしないと決めた国が、戦闘の話をするだけでも、おかしいと思うのである。それを当たり前に戦闘の論争をしている政府は、完全に日本国憲法を無視し、なおかつ国民の危険性を高めている。政府から言わせると隣国の脅威等と言っているが国民から見ると、アメリカの傘下に取り入る為の法改正であろう。自衛隊の派兵は無い、後方支援のみで考えていると言うがこれからは武器弾薬も支援対象にするとの事であり自衛隊の武装も行い行動すると言う事になれば誰が考えても、戦闘している相手からは敵と見なされる事は明らかであり、そうなれば日本国が敵であると見なされるのである。こんな事は誰が考えても分かるであろう。それを、戦争をしない国で、平和の為に尽力しますと国際的な所で言っていながら、日本国内で自衛隊の派兵や後方支援等の論争を行っていたら、二枚舌の日本と思われるだけでありそれも分からないのが日本の政府と政治家であろう。日本の基本である平和憲法は、今の政治家には分かっていないのであろう。大企業の言いなりであり、アメリカの顔色ばかり伺っている政治家には日本国民の安全等と言う事よりは如何に企業やアメリカに、金を儲けさせて、そのおこぼれを頂くか、親分の言う事を聴いてゴマをする子分が日本の政治家である。今の日本の方向を見たら、今後は日本国内でもテロが起きる事を国民は理解して行かなければならないだろう。この法案なら日本は相手国や組織から敵国と見なされるのは間違いない事で、誰が考えても分かる。逆の立場で日本が考えたら、戦闘相手に弾薬や武器を輸送支援している相手を、敵と見なすのは当り前であろう。ましてや企業に今後は武器の製造輸出まで認めた政府の遣り方は、日本を戦前のような状況に追い込み平和憲法を蔑ろにした政治であろう。
2015.05.29
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最近、少年犯罪が多くなって、残酷さが問われている。それには情報の氾濫も加担しているようにも思う。ネットの発達によって、安易に情報を入手して物も手に入れやすくなって来た。これは情報化時代の陰りである事は間違いない。私達も情報の入手が早くなり、色んな方面の情報も入手できるように成った。私は前にも書いたが、システム屋を生業にして来たが私が危惧していた状況になりつつあり、同時に情報化の発展と供に、法制化の整備が大切なのに今の日本は、それが遅れている。確かに法制化を行うと、色々な面で矛盾が出て来る事も確かであり、それをクリアする事は難しい事である事は分かるのである。これに関しては官僚や政治家が関わると、機密法に該当しかねないし、それを楯にとって行く事は分かっているが、今の犯罪の多発状態では別途に犯罪に関わる法制化がされないと、現在では抜け道が多過ぎて犯罪の多発と繋がりかねない。情報化の便利さの影には、情報化の悪用する便利さと悪用による被害者が出る事は、人は分かるべきであるが便利さだけが強調されて、悪い部分が隠されている。これは企業側にも責任がある事は確かである。企業は利益を求める為には、良い宣伝だけを行うが良い事には悪い事も隠れていて、それを知りつつも販売の為には出さないのが企業であり、それは当たり前の事である。私はシステム屋として、システムの便利さも問題点も分かるのであり、システムを構築する上で、その両方を考慮した事もある。考慮とはシステム上で効率化を計り、税法上の抜け道も作る、システムも幾度も構築して来た。ただ私達はシステム屋なので、情報の守秘義務があるから言えないがその様に行う事もある事は確かである。その様に考えると必ず善悪が、重なり合うのが人間心理である。それがある限り、何処かで歯止めを掛けなければ最後には問題が大きくなるだけであろう。ましてや年少者に関しては、善悪の考えの範囲が狭い為に使い勝手が優先して、好奇心から利用だけを考えてしまう。そこには問題意識が薄い事も重なり、それで事件が起きる、確率が高くなるのであろう。同時にネットを利用して悪質な商法を行う事も問題を大きくする原因であるが、今のように抜け道が多過ぎる為に規制されていない事も大きな問題なのである。
2015.05.28
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前日、愚痴を書いてしまって、反省している。私は自分の遣っている事には、自分で責任を取ると今まで決めて来たが、前日は、それに反してしまった。私の性格的な物なのか、自分ではあまり弁解等はしたくない方なのである。何をやるにも自分が手を出したら、それは自分の意志なので自分に責任があると思っている。仮に周りによって失敗しても、そこには自分の意思で加わっていたので自分なりに責任があるから自己責任と思い、先に自分の行動を反省するようにしているのであるので、だから周りに対しては文句は言わないようにはしている。ただ、今後の為には反省するし、相手に対しての対応は緩やかであるが、言葉でははっきりと言うタイプかも知れない。それは自分に厳しい分、相手にも厳しく対応するからであり、再度、同じ事を繰り返したら、相手との距離を取る。それが私の良い部分でもあり、悪い部分でもある事は分かっているが、人間同士が互いに信頼関係を生む為には必要な事と私なりに考えて行動しているのである。だがら、前日書いた愚痴に関しては、私の意思に反しているので反省している。自分が勝手にやっているので、愚痴った自分が恥ずかしい。後は自分なりに管理して、自分なりに行動をすれば良い事でありその様に向かって行こうと思い直して反省文を書いている。ただ、私は動ける事と頼られるだけ、幸福なのである。確かに、見かけは若く見られて得な部分もあるが相手からすると、それだけ動けると思ってしまうのは私でも同じであるから、そうであればそれなりに動く事を考えれば良い。この面が私の楽天家である所なのであろう。本当に単純な男である。こんな男なので2度も離婚するのかも?(これは付け足し・・)好き勝手な事をやり、自分の意思を尊重していては相手も呆れて逃げ出すであろう。タダ、私は個人攻撃だけは殆どしない。政治家や官僚などの批判はするが、彼らは公人であり、国の基本を担う連中であるから、これからも批評するであろうが一般の個人は互いに人間同士であるから、互いに行動する範囲や考え方が違うので、それを理解してから書く場合はあるかもしれないが、攻撃的な事は書かない主義である。ただ、最近のSNSに関しては私の意とは違う部分も見られる場合は、あまり関わらないようにしている。SNSは個人での利用方法なので、それなりの利用価値があるので、私の考え方とはかけ離れて居る場合は、必要最小限で参加するようにしている。
2015.05.27
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最近、楽天家の私にも悩みが出来た。年齢と供に疲れやすくなり、中々疲れが取れない。本人は若いつもりでいるのであるが、自然は残酷な物で年齢は加算され、同時に身体の摩耗も激しくなる。だが、私は楽天家なのか、馬鹿なのか分からないがそれに対しての自覚が薄い。本人は動いている事に、生きていると感じて色んな事に手を出すのであるが、体力的に無理が来ている。確かに地域の高齢者の介護の必要な人達のお手伝いをやっていて病院に付き添いに行くと、高齢者の方が多く私は動けるだけ幸福だと感じているのであるが体力的な衰えを防ぎたいが、それをやると自分の衰えを感じる今日この頃である。だが精神的には、自分は若いつもりでいるので被災地に行くのも夜行バス、来月の母の命日も夜行バスで行くのである。これは貧乏であるからで、それしか方法が無いからなのであるがでも動けるだけ良いと考えている。だが先日チャリで往復4時間近く走ったら、疲れが激しいので自分なりにショックであった。あの疲れは、今まで感じた疲れでは無い。確かに今月は、車いすの方の病院の付き添い(6時間)と病弱な方の草取りと、被災地の応援している方の会合に行ったので、それなりに動いたのでストレス的な物もあったのであろうが疲労するのが速まって来た。これで6月に母の命日で函館に、7月に南三陸町にと決定しているので、どうしても行くのと、その間に地域の高齢者の方のお手伝いや自治会の会合と目白押しなので、体力をつける方法を考えなければと思っている。だが、自分の性格では多少の無理をしてしまうのでありまた、私は年齢より10歳近く若く見られるので色んな人が頼みごとして来るし、住人の方も充てにしているのが現状であり、それを受けてしまう自分が居る。頼るより、頼られるだけ幸福なのであるが、その分自分の体力をつけなければいけないと思っている。ただ、口だけは達者でブログには好き勝手な事を書いている。これも年寄の戯言であるが、諦めないで書き続けるであろう。
2015.05.26
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最近は自分ほど、単純な人間は居ないなと感じる。簡単に言えば馬鹿なのであろう。社協で、ある人の見守りの件で相談があり私の悪い癖で、直ぐに内容や状況を調べて動きだしたがそこまで早急な事では無いと言う事であった。どうも私は相手から言われると、動きだすのが早い傾向がある。動きが早いのは仕事や頼まれごとであるが、それ以外では意外とズボラなとこがあり、中々動かないのである。人はそれぞれであるが、自分の性格を自分なりに分析して見る事が時々あるが、動くか動かないかの両極端な面があり、自分なりの考え方を曲げない部分が強いように思う。これは良い、悪いがはっきりと出る事になる原因であろう。基本的に、いい加減な部分が少ないのであり、それが自分の、今までの生活の基本であったので、私と付き合っている人達は疲れるであろうと思う。この性格が若い頃は、もっと激しかったのであるから私の周りの人達は迷惑千万だったであろうと思う。年齢とともに丸くなって、自分の気持ちを素直に出すと意外と人が寄って来るように成った。そう考えると経験が、私を変えた部分も大きいのである。人は経験の度合いで、相手の気持ちに成りきる事も出来それで自分を素直にさせてくれたり、怒ったり、泣いたり恨んだり、色々な面を出させてくれる。若い頃は、ただガムシャラに突き進んで居たのと人に負けたくないし、自分の嫌な事から逃げ出したいと思って走り続けるのが人間なのかもしれない。私はそれで良いと思っている。ガムシャラ人ほど、後から自分を見直す事が出来るのではないか?むしろ安穏と生活して来た人は、周りに対する配慮が足りない部分があるような気がする。今の日本を見ていると、人を思いやる気持ちを持つ人が少なくなって来たように思う。人は自分の経験して来た事を反省や生かす事が必要であろう。その様な教育を、私達が疎かにして来た事が今の日本の現状なのかもしれない。
2015.05.25
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私は、料理もコンピュータのソフトも作る過程は同じだと言う考え方をしている。料理は色んな過程を経て出来上がるし、使う素材によって味も風味も変わり、作る人の工夫によっても変わる。特に私達の若い頃は、家庭の味があった。それが「おふくろの味」であったと思う。現在は、その味も無くなりつつあり、味が一定化してしまった。色んな調味料が売られるように成って、それを使う事によって家庭で作る料理の味も同じように成ってしまったのであろう。家庭の味は同じように成ったが、レストランや食堂の味はそこの調理する方で変わるものであり、美味しい所は繁盛する。料理の味が分かるのは、その様な所しか無くなって来たのは確かである。前記したように家庭での料理は、同じような味が多くなった。私は料理を作るのは好きであり、結婚している頃には家庭で料理を作った。子供達との会話を持つ為に料理を作ったのである。それは私がコンピュータの全盛時代で、仕事に追われて家に帰るのが朝だったり、会社に泊ったりしていて子供達と会う機会が無いので、たまの休日には、その様にしていたのである。その頃、思ったのは、料理もコンピュータのプログラムも深いと感じた。それは人によって、両方とも味が変わる。その人の性格によって出来上がるものが違って来る。色んな事を追求する人は料理の味にも深さを感じなおかつ、もっと極めたいと思う人が多い。良いコンピュータのシステム(プログラム)も、人によって個性が出るものである。料理は作る過程によっても変わるし、素材によっても変わる。同じくプログラムも工程の流れによって、早さや動きなどやチェック機能等を、人によって工程の入れる所が違って来る。それはデータと言う素材の使い方で、違う方法が生み出せるのである。料理も素材の調理方法で味が変わるし、変化がうまれるし合わせる調味料によって変わるものである。そう考えると料理もプログラムも、人によって変化するものだと感じていたので、私は料理を作るのも好きであった。だが、現代はコンピュータも、その様に考えて作る人も少なくなった。同時に簡易言語の発達で同じような、システムになって来た。料理も各メーカーが色々な調味料を販売するので家庭の味が無くなりつつあるのが、寂しい気がする。今は独身なので料理を作るが、自分なりの工夫をして作るようにしている。また、自分なりの発想で作って見るので、たまには失敗したり思った以上に美味しかったりするので、それなりに楽しんでいる。今、日本人に欠けているのは、発想と言う能力のような気がする。これは教育の部分でも、覚える部分は長けているが発想と応用に関しては、教育されていないのが学校でも家庭でも与えたもので賄う範囲しか教えていない。何かを追求する為には、応用力と工夫する力が必要なのだがそれを企業が商品化し過ぎて、同じ物が出回り家庭でも学校でも均一化されたのであろう。もう少し教育で、新たな能力を引き出して貰いたいと思う今日この頃である。
2015.05.24
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前日書いた「真似が得意な日本人」であるが、これは日本の教育もあるが、風土に根付いているのであろう。確かに日本人の技術を盗む事には長けているがそれも繊細な部分を持っているから出来るのであろう。だが技術力があるからと言っている政治家の考えに苦言を言いたいと思う。今や日本経済は高齢化と少子化により、働き手が少なくなりそれによって大企業は海外を拠点としている。それは日本の技術が海外に出ているのであり、行く末は海外に追い越される事になるであろう。コンピュータのシステム関係も、インドに追い越され今や日本がインドから人材を逆輸入しているのが現状である。その様に考えると技術があるからと、安穏として経済立て直しを行う為に「技術の日本」を売り込む時代ではない。元来、日本人は真似する事は得意であるが、新たな物を作り出す事は不得意な人種である。その様な人種が日本の技術の繁栄期に育ち、教育された連中が再度、日本の技術でと声高に言っているのが政治家であり企業であるが、それは過去の繁栄を、夢見ている事であるだけであろう。確かに日本人は、技術力はあったし、それだけの能力があった。だが今の、日本の教育や企業業務では、それが滑落している事も事実である。だからと言って、新たな物を作り出すだけの資金力も無い人材は居るが、海外に流出しているのが現状であり政府は分かって居ながら、資金的援助は行っていない。他国に援助は行うが、新たな開発に関しては二の足を踏み資金は出さないのが日本である。元来、日本人は見えない物に金を出す事を嫌う国民性がある。私がコンピュータを始めた頃に、プログラム開発にはお金を払って貰えなかった。それは海の物とも、山の物とも分からない物に、金は払えないと言う日本人の考え方なので、プログラムが出来上がるまでは見えないから払わないのが普通であった。出来上げあっても、払って貰えなかったのである。確かに、どの様に動くかも分からないし、コンピュータ自体がどのような働きをするか分からない人達が殆どなのでコンピュータと言う機械には、お金は払うが見えないソフトには、お金を払わないと言う時代であった。それは機械が見えるからであり、それに付随するプログラムは見えないので払わないのが当たり前と言う考え方なのである。システムにお金が払われるように成ったのは、私がコンピュータを、始めて10年近く経ってからであろう。それもアメリカではシステムの価値が分かっていたので日本も右習いして来たのが現状であった。日本は先進国が始めると、それを見習って行う傾向がある。これは明治維新からの流れであろう。今のように「技術の日本」と言っているが、これは先を見越していない政治家と官僚達で、人材も海外に流失している事を考えると、日本は新たな方向性を考えて行かなければ、世界から立ち遅れて行く道しかないであろう。政治家も目の前の事だけを考えるのではなく将来像を示すのが政治家だが、その様な政治家を期待するだけの価値が無いのが、今の日本かもしれない。
2015.05.23
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今回中国に政府が3000人体制で、訪中団で行く。今は中国との国交が断絶状態であるから、行く事は良い事である。だが、今回も経済界人を含めて、3000人であるが又もや政府は経済界のセールスマンを行っているかと捉えかねないような行動である。確かに国交の回復の為に行く事は、吝かでは無いし多くの人達が行って、日本は中国との国交を大切にしていると思わせる事も重要な事である。行く事に関しては、私も批判はしないが、ただ前から書いているが今の日本政府の外交の遣り方は、経済界のセールスマン的な行動が目立ち過ぎる。この様な行動は経済界にオベッカを使い、献金目当てと取られても仕方の無い事である。これで政治家に経済界から、お金が流れる事は間違いないであろう。この様に経済界と政治家の癒着は、昔からの流れでありこれを変える事は出来ないであろう。これは世界各国も同じような状況であるから、日本だけが違う形に持って行く事が出来ないのが政治なのであろう。それとは別にしても、今の政府の遣り方は、あからさまに経済界のセールスを表面に出している。日本国内でもしかり、原発再稼働も電力会社からの献金に目がくらみ、再稼働容認と言う民意に反した行動を堂々と行う政治家の神経が分からない。選挙の時には原発に対して反対等唱えていた政治家も今や再稼働容認していても、一言の発言が無い(与党内)政治家の公約は、あって無いようなものである事は国民は知っているが、これほど国民を馬鹿にしている事はないと私は思う。政治家の給料は、国民の税金から支払われているのに約束した事は守らず、経済界からオコボレ頂戴主義で外交と言いながらセールスマンをやり、金のある所の言う事は聴き、金の無い国民の気持ちは後回しが日本の政治家の考え方が殆どであろう。今の政治家は将来像等考えていないで、その場を繕う事で政治家だと言っているだけなのであろう。だから自分の利益になる事では動くが、金にならない事は後回しにして、最終的には将来的に国内で問題が起きる事には予算も削減、自分たちに金が回って来る事には一生懸命に相手の言う事を聴いて、献金して貰う。政治家では無く人間の本質をむき出しにした政治屋(職業人)が今の日本の政治を行っているのであろう。
2015.05.22
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最近思うのであるが、日本人は謙虚を美としている。確かに謙虚な女性は美しさを感じるが、今はその美しさは無くなった。だが、気持ち的に考えると謙虚さが、日本人は好きである。私も謙虚な気持ちを美意識と感じる方であろう。だが、これが日本人を駄目にしている部分があると私は思うのである。謙虚の中には、自分を隠している部分がある。それが外国の人から見ると曖昧さに、見える部分ではないかと思う。平均して日本人の返答は、一歩下がった言い方をする。それが日本人の特徴であるし、日本人は、それを美意識として教育を受けて来た。私も、どちらかと言えば、その意識が強い。私も海外に居た時は、言葉等で自分は相手より高くても自分で答える時は、相手より低く言う。仮に私が6の知識があったら、3から4位ですと答える。だが海外の人は、6であったら8から9ですと答える。私が相手は、それ程分かっていないと思いながらも相手の答えに合わせるのであった。この日本的な考え方が、海外の人達には美とも取られるが曖昧にも取られる部分なのであろう。相手は、その様に取ると、それなりの対応を取るように成る。だが日本人(自分も含めて)は、その様に言うが自分なりには相手と同じだと、気持ちの中では思っているのである。逆にこれが相手に対して失礼な部分になりかねない事もある。今後、日本に多くの外国人が観光で来るように成るとそれなりに考えて行動をして行かなければならないしその謙虚さも状況によって出して、日本人を理解させるべきであろう。ただ、海外の人達は5位知っていても、8位知っているように言う人も多いので、日本人は海外の人に対応する場合は今後は自分を素直に出す事も必要であろう。この謙虚さが日本の外交に出ているから、アメリカなどにそれを悟られている部分もあるのかもしれない。
2015.05.21
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橋下氏の政界からの引退で、日本の政治は停滞すると前日書いた。本当に彼が引退した場合は、政治家らしい政治家は居なくなるであろう。確かに彼の発言には過激な物もあった。私は彼の過激な発言は計算されたものであると感じていた。彼は良いに付け、悪いに付け目立つ事を目的にしていたと思うのである。私は学生に教えていた時に言っていた事がある。「目立て」と言う事である。目立つ事は周りから認識される事であり、そうしなければ誰も振り向いてくれないし、名前も覚えてくれない。だから悪くても、好いから最初に目立つ事をやれと学生に言っていた。それによって名前を覚えられるし、次に自分の行動を皆が注目するように成る。社会に出た場合は最初の行動が肝心であると言う事を言っていたのである。だが、私は元来目立つ事をしたくないのであるが、何故か注目されてしまうタイプなのであろう。大震災の時に最初は石巻に行っていたが、私は貧乏人なので交通費の安いバスを選択していたら、南三陸町に行くバスがありそれが最初の南三陸町であり、あの悲惨な光景を見たのは三年半前であったが、最初から私は被災者の方と話が合いそれから丁度好い、おもちゃ的存在になってしまって今も南三陸町に行っている。その最初以外は、殆ど個人的に行くように成ったので仮設の方と交流も個人的に深くなって行っている。私の場合は目立ちたくないが、何処かで目立ってしまうのでそれは別な面で得もあるが損もある。私の事は別にして、橋下氏のように自分を表現する事の為に過激な言動がある事は、それは良い事であると思う。彼の場合は、国民としての立場から政治を見ているのであのような行動に出たのであろう。今の政治家で2~3世に議員は、政治家の親の秘書等で政治を覚えたので、古い体質の政治の駆け引きには長けているであろうが、国民目線では見る事が出来ない人が多いと思う。それが現在の数だけ揃えて強引な政策を行うしか能が無い政治家を生んで、日本の改革を妨げている。アメリカべったりは、日本の弱点であり、戦後の残存であるがこれは戦後の過程での政治体制では仕方が無かった部分はある。だが戦後70年経ち、日本ははっきりと言うべきは言う政治の時代に入りつつあるが、それが出来ない政府と官僚が現在である。それと同時に民意など反映されないで地方の滑落が速まり日本の財政も問題が出て来ている時に、古い政治を学んだ連中が、その学んだ方法で政治を行っても日本は変わりようが無い。むしろ橋下氏のように国民目線で地方をみて、なおかつ国を見る若い人が出て来なければ日本は破綻国家の道を進むだけであろう。おぼっちゃまや、お嬢ちゃまが、いくら頑張っても国民目線が分かっていないのだから日本は変わらないと私は思う。まず、国民が考え方を変えて、国民目線の人を選択する事が重要であり、それが出来なければ日本は変わらない。変革期には過激な人も必要な事は、明治維新で分かっているのに国民は平和ボケして、安穏と暮らして誰がやっても政治は変わらない等と思っている人が多過ぎるのであろう。日本人は自分たちに火の粉が振りかからなければ、見物人の立場で批評していれば言いいやと、思っているのであろう。
2015.05.20
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大阪都構想で橋下市長が敗れたが、私は、彼を政治家としては認めている。人によっては好き嫌いが多いタイプの政治家であろうが私は信念を持っている人だと思う。今の日本で、あれだけはっきりとものを言える政治家は少ないし、改革を考えて行動に移すだけでも政治家としての質は高いと思う。今の中央での政治家で、あれだけの考え方を持っている人は殆どいないであろう。あの若さで、日本を、地方を考えて行動しただけでも良かったと思う。確かに個性が強いので、嫌われる部分もあるが改革を行う為には、それを覚悟して行動しなければならない。彼は若者に自分たちも出来る事を教えたと思う。私も全面的に彼の行動や考え方は賛成していないが、変える為には考えているだけで行動しない人や、金魚の糞的存在では、政治家と言えない人達が多過ぎる。彼が出て来て「維新の会」を作り、それに共感して政党化しただけでも、第一歩を踏み出したと思う。彼のように刺激を与える人が、今の日本では少なすぎる。若者が選挙離れをするのは、我々のような年代の人達があまりにも保守的で改革を拒んでいるからもあると思う。私自身も自分の住んでいる自治会で役員をさせられたが今や自治会は機能していない状態である。それで諦めてしまっている人達が殆どであり、変えようとしても、今までがそうだからと言うのが年寄連中である。だが影で文句は言うのだが、それに対する改革は行わない。それが日本人に定着してしまった考え方である。変える気力が無いのかもしれないが、それなら若者を育てる事を考えるべきであるがそれもしないで自分たちの、今までの行動を正当化する。それが悪い、変える為には考えて行動して行く事が大切である。行動を起こす事によって変化が起き、次のステップに行けるがどうも団塊の世代は平和ボケしたのか、頭が固いのか今までの行動を持続させるだけで、改革や反省が無い。その様な行動を見て、若者たちが育ったので、若者の中にも覇気が無いのが現代である。それが諦めとなり、誰がやっても政治は同じと言う考え方になり政治離れを引き起こしているのであろう。橋下氏は日本を変えたい、その始まりは地方から変えようと思って行動を起こした。確かに保守的な人達からすると、危険な存在であろう。だが改革には危険な存在が無ければならない事も確かである。改革を行う為には発想と行動力が必要でありそれを持っていたのが橋下氏であったと思う。確かに過激な発言もあり、それが問題になったりして嫌われる部分もあったが、行動力と発想は今の政治家に無い物を持っていた。今の政治家は選挙しか頭の中に無く、政治とは何かを忘れているか、知らない連中が多過ぎる。今回の橋下氏の政界からの引退で、日本の政治はまた停滞した政治と、数の理論で遣りたい放題の昔からの考え方の政治しかできない連中が幅を利かすであろう。これでは日本は変わらないし、若い力のある政治家が出て来ないで、古狸の姑息な手段で政治を行う連中だけが残るであろう
2015.05.19
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10月からマイナンバー制度が始まる。前にも書いたが、この制度は初期段階で相当な問題が出るであろう。まず、医療機関や金融等が初期の段階でシステムを変更しなければならないが、それが成されているのは僅かであろう。まず、マイナンバー制度自体が騒がれていない。報道関係も取り上げている所が少ない。この様な状況では、殆どの民間関係は整備されていないのであろう。政府も省庁も、この様な重要なシステム変更を宣伝していない。また、一般人もマイナンバーが付けられる事も分かっていない人が多いのではないかと思う。何故か2000年に変わる時に、システム変更で騒いでいたが今回のマイナンバー制度は、あの時以上に重要な事であるが騒がれないでいる。初期段階は自治体が主体なので、省庁も騒がないのかもしれないが医療や税金関係が絡んでくるので問題が起きる確率は高い。その関係だけでも病院や金融機関、企業などシステム変更に相当な資金が必要であるのだが、それだけの資金を捻出できるのかと思ってしまう。最終的にマイナンバー制度は、個人の所得から医療関係、家族構成等に広がり、そのデータ管理にも相当な維持資金が必要になるであろう。また管理は自治体に任されているが、ネット問題が多い中での管理は非常に難しい事が考えられる。マイナンバー制度は、今言われているビックデータとは違い個人的な細かい情報が網羅されて、最終的には家族構成や資産・医療・所得や親類関係まで持って行くであろう。このデータだけで個人の管理を行う方向になる事は間違いない。そうなればデータの漏えいした場合には、大きな問題が起きる。現在は初期段階であるので、一般企業のデータと同じような問題の範囲であるが、最終的なには前記したような情報となると、考え方が変わる。今やネット社会が当たり前の時代であるが、それによる犯罪が多発している状況下でマイナンバー制度を行って行った場合の問題点を考えているのかが疑問である。まずは管理する側の体制、次に情報が漏えいした場合の罰則と対処方法等の整備がされていない状況では問題が起きる。まずは管理体制が問題であるが、これは自治体側が民間委託が多くなる事は分かっている。今の時代での管理は複雑すぎて、自治体では管理が出来ないであろう。同時にマイナンバー制度は自治体間での連携が成されるので情報漏えいの確率が高いのと、犯罪を行う側からすると一度データを取得すると全国展開が出来るメリットがありなおかつ個人の詳細情報なので色んな面で使える。まず国は情報関係の法整備を行ってから、マイナンバー制度を行うべきが、日本の情報関係の法は、先進国では一番遅れていると私は思うので、この制度で大きな問題が起きる事は目に見えている。システムを構築する段階で、業務関連は当たり前であるが問題が起きる事も想定して行くが、そこには使う側、環境状況管理問題等は考慮するが、現在のようにネットの将来的な発達状況も問題点として考慮され、それによっての対応が成されているのか疑問に思う。この疑問は、マイナンバー制度には民間企業も絡んでくる。病院・金融機関・企業(所得)等、多くの民間が絡むのであるから情報漏えいのリスクは高い。このリスクを、どの様に整備しているかによってシステムが生きるか死ぬかが決まる。今の日本では法整備は、先進国から10年近く遅れているであろう。法整備が成されていないで問題が起きた場合の対処は?官僚と政府は問題が起きた毎に対処を考えてマイナンバーを先行させているように私は思う。まず、法整備が先決であり、安保や憲法等と言っている前に国民の情報を預かるマイナンバー制度を考慮した法整備を行うべきであろう。
2015.05.18
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自民党が6減6増案を議員見直しで出した。私は「お前ら馬鹿か」と言いたい。議員削減では無くて、パホーマンスを行っているだけである。6減6増でなければ、「地方創生」を阻む事になるのでとの事だがその前に自分達が選ばれた地方が、これだけの状態にしたのは誰なのか考えれば分かるであろう。自分達は選挙に勝つことだけを考えて、地方の事を蔑ろにして定数是正勧告を受けたら、この様な案を提出する。その前に今までの議員としての仕事はと問いたくなる。地方創生は10年以上前から問題化していたのは誰でも分かる。その問題を蔑ろにしていたのは地方で選ばれた議員であろう。それを6減6増とは、自分たちは今まで何をやっていたのか?政府や政党の金魚の糞的存在で、地方の為に何もしなかったからこの様な結果になったのであろう。それを勧告されて定数の為にパホーマンス的な案を出してこの連中は本当に国会議員なのか疑いたくなる。選挙の時だけ「お願いします」で、その後は地方に対しては見向きもしないで、政党オンリーに成り、大臣職を貰う為に次の選挙の事だけを考えて行動して、大震災の時は一時的に減給して国民にも震災に対する税負担をお願いしたが国民側は続けているが、議員連中は、減給は取りやめている。その様な人達が地方の事を蔑ろにして於いて、定数に関する案を出したら、この有様では政治家も地に落ちた。政治は誰の為にやる物なのか、誰の為に政治をやる為に選ばれたのかこの人達は分かっていないのであろう。この様な連中を選挙で選んだ選挙民も問題が多い。前にも書いたが政党体制の政治では、地方はどうにもならないであろう。政党体制の政治は民意の反映は望めないし、数だけ揃えてそれで政治の分からない人達を集めて、政府のごり押し政策を行うだけで日本の政治は、今や転換期に来ている。地方を創生するには、地方の選挙民が推薦する人を出しその働き方をチェックして、次の選挙も考える事をしなければ今までの政治家が地方の滑落させたて、その政治家から、おこぼれを貰った人達が、次にその政治家を担ぎ出しておこぼれ頂戴が地方の遣り方だったのである。今や政党公認政治は終焉を迎えたのと、問題が解決出来ない頭デッカチの固物になり、是正が必要な時であろう。憲法改正と言う前に、議員削減と政党体制の政治是正をやるべき。そうしなければ日本は変わらない。定員削減で困るのは政治家だけであり、削減を阻止する為に地方創生はどうなるのだと言っているが、そこまでにした事の責任は誰にあるかを選挙民は考えるべきである。それが出来なければ、地方は衰退の一途をたどるだけであろう。今の議員の言っている事は、自分たちの遣らなかった事の弁解にしか過ぎない。弁解なら小学生でも出来る。政治家が、その程度の事しかできない連中が日本の政治を行っている事に、国民は気が付くべきであり、地方の選挙民も、考えて行かなければ地方から日本は崩れるであろう。
2015.05.17
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米国の戦争に巻き込まれることは「絶対にありえない」と日本の首相が発言したのである。前日書いたが、仮にアメリカが派遣要請した場合に断れるのか?今の日本政府では、断る事が出来ないであろう。そうなれば自衛隊の派遣を行う理由を見つけ出さなければならない。見つけ出すとなれば、そこに日本人が居るから派遣しますと言うであろう。これが今の政府と官僚・政治家の弁解となる事は目に見えているが、法制化してしまった場合は国民が騒いでも遅いのである。与党に加担している政党の連中も結果的に言葉で国民を騙しているだけである。彼たちは本来なら絶対的に反対すべき政党である。だが、結果は言葉で誤魔化して国民に納得して貰う事を考えている。彼たちも誰も責任を取るような考えは無いに等しい。今の政治家ですと大手を振っているのは私から見ると、タダの詐欺的行為にしか見えない。この安全保障に関しては、アメリカとの裏取引はあると思う。国民の前に出しては問題が広がるから出すはずが無い。それでなくても二枚舌の政治家と官僚であるから自分達の都合の悪い事は言わないであろう。アメリカべったりの、今の政府では自分達の意見なども日本国民の民意も言えない連中であろう。ただ国民の前では、私達は自分なりに日本の事を考えて行動していますと言うが、それを信じる国民も問題が多い。同時に今回の安保改正も、国民のどれだけの人達が内容まで知っているのであろうか?殆どの人は分からないであろう。今後、法が改正されたら自衛隊に入っている人達は前線に出て戦う事になるのは、はっきりしている。そこで自分達の子供が死んだら、始めて国民が騒ぎだすのであろう。それ程、危険な法案である事を国民は自覚すべきであるが日本人の今の考え方では、その危険性も分からないであろう。日本人ほど政治に関して疎い国民は居ない。それだけ政治家や官僚が、何でも出来る国なのかもしれない。もし、自衛隊が海外の前線で戦いとなれば、自衛隊に入る人は少なくなり、そうなれば徴兵制度を行う事になりかねない。そこまで来て始めて国民が、気が付くのかもしれない。同時に政治家や官僚の子供達は、徴兵制度から逃げる方法を作り出すであろう。
2015.05.16
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今回の集団自衛権の安保法案であるが、これで国民が理解出来るのか、不安に思ってしまう。何時もの如く、言葉で誤魔化し解釈の取り方でどの様にでも出来る法案であろう。首相が説明しているが、彼が言っている事がコロコロ変わる。同時に、何時ものように、どの様にも取れる言い方である。これは今までの国民を愚弄した日本の政治家の遣り方であり必ず逃げ道を作る。それは法制を見ると逃げ道と、自分達の遣りたいように法を改正して、いざ問題が起きた場合は責任逃れを行うだけで口先三寸の政治家が、日本の国民が政治を任せた人達である。仮にアメリカが戦争を行って、日本は日本人が居た場合は日本も参戦すると言っているが、アメリカ独自で行った場合は日本は参戦しないと首相は明言しているが、それを国民が信じると問題は大きくなる。まず今や世界の、どこの国に行っても日本人は居る。そうなればアメリカがイラクのように戦争状態になったら日本もそこには日本人が居るのだから、参戦すると言うであろう。単独でアメリカが戦闘していても、日本人が、そこに居れば日本の自衛隊をアメリカが派遣してくれと言ったら自衛隊は派遣される事になる。今回、首相が言っている事は、自衛隊の海外派兵である。これは言葉では日本に関係が無い場合は「ない」と言っているが誤魔化しでしかない。前記したように、現在のように世界中に日本人が居る限り自衛隊の派兵は当たり前に成ってしまう言い回しだが、それは日本人が居ない場合は派兵しないけど、海外から要請があれば、派遣する可能性も取れる法である。よく考えると世界中の殆どの国には日本人が居るのであるから自衛隊の派兵は成り立つ事になる。それを国民は日本人を保護する為に派兵するが日本人が居なかったら派兵は無いと思うような言い方を首相は言って、国民を欺いているだけであろう。首相の言葉を鵜呑みにしたら、間違いだと国民は思わないのか?アメリカや他の国から自衛隊の派兵の要請があれば今回の法制では派兵出来る事になる。これが政治家であり官僚のズルサなのであり、何回も騙されても懲りないのが日本の国民であろう。最終的に国民の誰かが死んだ場合は、政治家は、責任は取らず法の解釈で逃げるだけであろう。ここまで愚弄されても国民は政治家を信じるのか?国民自体が平和ボケしているのが日本なのかもしれない。政治家と官僚は、自分達は戦わないのだから、好きに法改正を行い後は国民の誰かが死んでも、俺たちは関係ないと言うのが、今の政治家と官僚であろう。国民も考えるべき重要な事であるが、自分達に火の粉がかかって来ないと動かないのが日本人なのであろう。実際に事が起きた時では遅いであろう。
2015.05.15
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昨日、車いすの方の病院の付き添いに行った。大きな病院だと複数の科を受診していると6時間という時間がかかるのである。それでも早い方であろう。今や病院で見かける方は高齢者ばかりで、私の若い頃は、これ程居なかったように思うのであるが私の若い頃は病院が嫌いで、殆ど通院した記憶が無い。家族には、私は健康体等とホザイテ居たのである。だが最近は年齢に勝てない事を悟って来たが高齢者や障害のある方の、お手伝いをしていると自分が動けるだけ幸福である事を感じる。また社協に、別な事を頼まれたりして自分が動く事を自動的に作り上げているのであろう。また被災地でも別件を頼まれたり、今まで車いすで散歩をしている方が骨折して、病院に入院して退院したら「また、散歩しようね」と約束をしたので被災地にも行かなければならなくなった。私は貧乏性なので動いていなければ気が休まらないので好い事ではあるが、年齢とともに疲れが抜けない事はどうしようも無いが、地域と被災地に行く回数が増えそうな状況になってしまった。だが、動けるだけ幸福であると、病院の付き添いに行っていると感じるのである。色んな事を頼まれるのであるが、自分は嫌と言えないタイプなので受けてしまい、身体がきつくなっても我慢するのが欠点である。今回は地域でも3名の方のお手伝いがあり、被災地では複数の方との交流で、お手伝いする事になってこれ以上は無理だろうと思える今日この頃である。ただ、人との交流の中から自分なりに学ぶ事が出来るのであるが、私は元来多くの人達との交流をしないタイプなので、なるべくは自分の範囲内で出来る事をしたいので、これ以上は広げたくないと思っている。だが自分では思っていても周りから頼まれてしまう。これも善し悪しで、自分が我慢すれば良いのであるから受けてしまうのである。ただ、SNS等で広く友達を作る人が居るがそれはそれなりに良いとは思うのであるが、私には出来ないであろう。そう考えると自分は不器用なのであろう。仕事に関しては何でもコナスノであるが、人間関係は親密さを重んじるので、広くは出来ないタイプなのであろう。一昨日、Facebookで、私が4年間行っていたドミニカ共和国の友達からメッセージが届いているのを見たのであるが、それは今年の2月に来ていたものである。私もFBで何度かドミニカ共和国の友達を検索したがあちらでは名前で呼ぶ場合も、省略化して呼ぶのでフルネームで呼ぶ事はなかったので、検索出来なかった。それが私も気が付かない部分で、メッセージが来ていたのである。そのメッセージを読んで、気持ちが昂ぶってしまった。私は、FBは本名であり、漢字で登録しているので相手が分かるはずが無いのであるが、それが分かった事に驚いたのと20年経つので、相手も忘れていると思っていた。私がドミニカ共和国に赴任して、2日目から彼とは話をして友達になったので、ドミニカに居る間(4年)本当に色々世話になり、彼と働いていたもう一人の友達とは本当の家族のように扱って貰ったのである。彼ともう一人の友達が居たから、4年間も過ごせたと思う。私が行った頃はドミニカ共和国も貧しい国であり日本が相当援助していたのであるが、私はよく騙されて最初の頃は早く日本に帰りたいと思ったのである。ドミニカは騙されるのが悪いので、騙すのが当たり前の事であり言葉も分からない事もあり、私は幾度も騙されたのである。本当に日本では考えられない状況が続き、任期の2年で私は帰ろうと思っていたが、私が計画した物が日本のODA資金を出して貰える事になり、それで4年間と成ったのであるが、本当に最初の頃は騙されて自分で幾ら損したか分からない位であった。言葉はスペイン語なので、日本ではあまり使われていなかったし日本で3週間スペイン語を習ったのであるが、ドミニカに行くと、しゃべる早さが違い、何を言っているか分からないし、接続語と単語が何処で区切られているか分からないほど早口なのであるから、日本で習った事は何だったんだろうと思った。今回メッセージをくれた彼たちは、ドミニカ人にしては非常に真面目な人だったので、最初の頃は私に対して色んなドミニカでの注意する事を教えてくれた。これが私の本来の考え方なので、表面だけで付き合うのではなく人間同士の付き合いをしたいと思っているからこれからも人間関係は広くはしないであろう。
2015.05.14
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親が、気が付かずに、自殺等と言う事があるがこれは現代社会の親子の絆が、外れかかっているのであろう。確かに震災などで「絆」と言う言葉聴かれるがそこには大きな震災と言う現実が見えるから「絆」と言う言葉が出て来るが、日常の生活の中での家庭の中で「絆」を考えているかと言えば現在は皆さん忘れかけている。これは学校教育にも問題があり、私達が学んだ時代にも多くの問題があったから、この様な状況になったのであろう。私達は戦後の日本経済の発展の為に働き、学歴社会の為に学び、そこには人間性を考える余裕が無かった為に、自分達の子供達にも「絆」を教える事をしなかったのと自分達の子供たちが家庭を持つ状況下で、私達や教育関係が「絆」を教えず、学歴一辺倒になり、それが現在の日本であろう。その様な状況下では、子供が親に何でも話す事が出来ないし自分の親に話が出来ない状況では、イジメのある学校内では尚の事、先生に話が出来ない。イジメられる子は、孤立化する傾向がある。それも親が人間としての「絆」を教えていたら、変化があると思う。同時に周りのイジメを見ている子も、イジメる側を、諌める状況も作られると思う。周りで見ている子もイジメと気がついても、自分達に降りかかって来る事が嫌なので、見ない振りをする。これは今の日本の、大人の社会構図と同じである。私の場合は施設と言う子供だけの社会で育ったのでそこにはイジメは当たり前にあった。だが、イジメる側に対して、戒める事も出来たのである。それは子供の世界では年齢差があり、そこに生じる上下関係でも相手を威圧出来たのである。威圧とはイジメを止める行為である。集団生活の中で子供なりの「絆」が生まれ出ていたのであろう。互いに庇い合う事が集団生活では必要であるからイジメる側を諌める事が当たり前だったのである。私は本来の「絆」は家庭から生まれ、それが自然に周りに広まると考えている。だが、日本は、それは無いに等しい。海外で生活していた時も、私は感じたのであるがあちらの人達は家族間の「絆」が強い。何かあれば家族や親類が集まり、互いに助け合う。私はそれを見て、日本で失われた物を感じ取っていた。そう言う自分もドミニカの友達家族と、家族同然に付きあって貰ったが、その友達が地方の親類の家に行くからと夜中の12時にたたき起こされて、これから行くから来いと言われて、断ったら「お前は友達ではない」と言われた事があり同行したが、日本なら傍迷惑な事である。その様に海外は「絆」を大切にするが、日本の「絆」と海外の「絆」の考え方が、今は違っているのが分かる。日本の場合は家族間の「絆」が崩壊しているように思う。それは日本の教育にも問題があるし、家族の考え方にも問題があるように思う。今、日本で必要なのは家族間の「絆」である。それによって互いに話し合える事が出来るが、これには学校での教育も、その様な方向性を打ち出さなければならないであろう。この様に書くと「道徳」がと思いがちであるが、そうれもあるが、人間性の教育が重要である。人としての思いやりや、優しさ、相手の立場を考えて行動する事であり、「道徳」に限らない部分が必要であると私は思うのである。(道徳と言うと堅苦しいので)それが本来の人間としての生き方であると思う。その部分が今の家庭でも学校でも教育されていないのでは無いか?
2015.05.13
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前に書いたが、私は劣等感がプライドに変わって行った事であるが私の少年期の生い立ちによって劣等感が芽生え幾つかの大きな転機を経験して、それが自分なりの闘争心を生んで変わったと思う。色んな面で成功している人は、闘争心があった人が多い。前にイジメに関して、私なりの体験を書いた事があるがイジメられる子は劣等感が強い子が多いと私は書いた。イジメられる状況から私が脱出出来たのは、自分なりの闘争心を持ったからだと思う。私の少年期は差別と偏見の世界があり、そこから自分なりに考えたのは、自分が負けたら終わりだという意識と父に対する闘争心があったから抜け出せたのだと思う。イジメと偏見は、私は人間社会では無くならないと思っている。これは、人間は優劣をつけたがる以上、その行為は無くならない。人間は人より優れていたいと思う気持ちが、相手に対して自分を優位に立たせると、相手を見下す傾向が強い。特に子供の世界は経験が少ない分、それが顕著に出る事が多い。それが初期の頃では遊びであるが、それが進むとイジメになる。その場合のイジメル側とイジメられる側と優劣関係からイジメが始まるのである。イジメられる側は劣等感により、相手に媚を売る行動を取った場合はイジメから抜け出す事は出来ない可能性が高い。その状態になるとイジメる側は相手を見下しているので強引に相手を引き込む事になる。これは大人の世界でも同じ状況はあるが、子供の世界は経験が無い分、その様な行為が強いのであろう。イジメから抜け出す為には、イジメられる側が優越感を持つ事が出来る行為があると抜け出せると思う。イジメは遊びの段階で、互いに牽制しあっている状況から始まり、その状況下で優劣が出来上がる事が多い。最初の頃は、その強弱で上下関係が生まれるので、その時に強気で行くと、イジメられる確率は低いのであるが弱気に成り相手の言う事を聴くように成るとイジメが始まる可能性が高いのである。この場合はイジメられる側は、劣等感を抱いてしまうと次のイジメが行われる。その時に相手を突っぱねる事を行うとイジメが無くなる状況は作れるが、それが出来ない場合はイジメが続く事に成りかねないのである。イジメに関しては親が、気が付く事が重要であるが子供の世界では親にも言えないし学校でも言えない。イジメられる子の家での行動は、親が厳しい場合は大人しいか、オドオドする態度が出た場合は何かがある可能性が高い。逆に親が厳しくない場合は、粗暴に成る可能性が高いのである。これはイジメられているストレスから、その部分を発散する為の行動である。また、兄妹が居た場合もストレス発散で粗暴に成る事も考えられる。その様な状況が見られた場合は、子供には何かがある信号であると思う事を感がるべきである。続きは明日。
2015.05.12
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前日プライドに関して書いたが、日本の政治家はエリートと言うプライドがあるのであろうと思う部分がある。エリートとしてのプライドを履き違えているのが日本の政治家のように私は思う。確かのプライドは必要と書いたが、そこには実力も伴って、始めてプライドと言えるのである。それは政治を分かっていて、民意をくみ取り、なおかつ国民を導く事が出来る人を政治家と言うと私は考える。だが、人間である以上、少なからずの問題点はある。この世に完全なる人間は存在しないのであるし同時に全員が同じ考え方でないので、反対者も居る。これは世の常であるので変える事は出来ないが民主主義の真意である民意が多ければ、それを繁栄させて行く事が政治には必要である。その政治家は「先生」と呼ばれて、それがプライドと勘違いしている連中が多いのではないか?同時に自分達はエリートなのだと思い込んでいる人も多いような気がする。エリートならプライドを持った政治を行ってほしい。政治家のプライドは私から見ると見栄にしか見えない。多くの国会議員は本来の政治に関しての心構えが分かっていないのではと疑問に思っている。政治とは国を治める事であるが、それは国民の事を思って行う祭りごとである。だが今の政治家は国民の事を思っているのは裕福な国民を思い、貧困差が激しくなった人達の事など考えていない。政治は大企業が儲かり、そこでお金が流れれば経済が活性化すると考えて、大企業オンリーの経済政策を行いそれが経済の活性化と言っているだけである。確かに企業が潤えば、金は流れる。だが、今の日本は、大企業は海外を拠点として動いている。そうなれば雇用に関しては日本国内では少なくなる。その流れで行くと企業は海外投資に、お金を流す傾向が強い。その様に考えると利益等は、内部保留をするのが常識であろう。どうしても海外に拠点を持つと、資金的な部分ではそれが当たり前である。同時に大企業に昇給を促すように政府は言っているが日本国内で大企業が稼働を主にすれば、それも当たり前に考えられるが、中小企業が多い日本は大企業が海外拠点とした場合仕事が回って来ない可能性が高い。そうなれば中小企業は昇給も小さき抑える事になる。だが政府は大企業中心で考えているのであり、中小企業に関しては口先だけで、守るような事を言っているだけであろう。政府は株価の高騰で経済的な効果を報道させているがそれはごく一部の人達だけが行っているだけで殆どの国民は株などやっていないのが現状である。悲しいかな国民も、その様な報道に惑わされているのが現在の日本であろう。これだけ高齢化が進み、少子化も歯止めが効かず今後の日本の進むべき道を先手、先手で行わなければ日本の財政は破綻するであろう。その為に大企業に接近して、企業の活性化を図っていると今の政治家は言うであろう。私はそれだけでは無いと思う。大企業は都市部に集中しているので、地方の滑落は早まり地方から日本は破綻して、最終的に日本の経済破綻となると思っている。今の政治家と官僚は、その場限りの対策が多過ぎる。将来的な対策を先行させて行くのと、将来を見越した収入源を考えて行かなければならないが、収入源に関しても、甘い考え方が目立つ。また国民も声を大にして叫ばないで、ただ影で言っていても何ら変わらないだけであり、政治不信が募るばかりである。これは国民自身が自覚が必要な時期に来ていると思うのである。
2015.05.11
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私はプライドが強い方であると思う。人には、プライドが必要なものであると思っている。プライドを失くしたら、それは自分を捨てたと同じだと私は考えている。プライドは、ある種の自信の固まりの部分がある。その自信がプライドを作り上げている。私の場合は仕事(システム)に関しては、プライドが強い。他人に負けたくないと思う気持ちと、それを超えたいと思う気持ちが、私のプライドを作り上げて来た。私のプライドは、最初は強い劣等感であったと思う。その劣等感を払拭する為に自分を鼓舞して行くうちにプライドに変わったのであろう。何回か書いたが、私の少年期は劣等感を背負う事になりそこから這い上がる為に、自分なりに色んな事をやり最終的に日本のコンピュータの初期時代からの仕事に辿り着いた。だがそれでも満足しないで、次を目指したのである。それが自分の自信になり、多少自信過剰に成りながらもプライドに変わったのであろう。だがプライドも使い方を間違うとボケツを掘る事になる事も経験したし、プライドを前面に出すと、タダの見栄になりかねない。プライドと見栄は背中合わせなのであろうと思う所がある。今回も被災地でコンピュータを教えてと頼まれたのであるが相手は、そちらの意見を聞いてから、私達が判断すると言われなお、自分達が判断した物だけを行うと言われた。私にはシステム屋のプライドがあるので、その様な考え方なら自分達で遣って下さいと答えていた。それは私の本音である。私は多くのシステムを構築したし、初期の頃から大企業のシステムも構築して、海外でも構築して来た事が自分なりに自信を持っている。それは仕事上では大切な事であり、それが無ければ良い仕事は出来ないと思っている。同時に相手の能力によって、システム構成を考えて構築して来た。前にも書いたが、システムを生かすも殺すも使う人次第なのである。それは使い人たちの能力を考えてシステムを構築する事に繋がる事を経験して来たから分かる部分がある。それが自分の仕事に対するプライドとなっている。その様にプライドも良い部分があると思うが別な部分ではプライドが、人をも傷つける事になりかねない。それはプライドが強すぎて、相手に対しての思いやりが欠ける事もある。仕事でもそうであるが、相手の立場を踏まえて行かなければ自分本位の考え方を押し付けてしまう。そうなると相手を傷つける可能性が高い。自分では良いと思っても、相手の事を考えていないのではタダの自信過剰に取られ、相手からするとプライドだけが高い奴と思われる。この様に考えるとプライドを持つ事は大切であるがそれは周りの状況を見ながら自分を出す事が大切である。プライドが間違うと見栄になりかねない事を考えて行かなければならないと思っている。
2015.05.10
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最近の政治に不信感を感じる。TPP関連で全国会議員に交渉内容を公開すると言っていたのを撤回したり、福島の原発事故関連も公開されない。外交関係で機密事項が発生する場合はあるがだが政治とは国民の為の物である。それを国民にも国会議員にも知らせないとは政治とは誰の為に行うものなのか、民主主義とは何なのか?今の日本の政治体制は、秘密主義で凝り固まっている。これでは、国民が政治家不信に陥るだけであり、数の論理で、ごり押しする法案を作成している与党は日本を良くしていると言っているが多くの国民は横暴なやり方であると思っているであろう。横暴さは官僚にも問題がある。教育現場で使う教科書で事実を隠して教えるように仕向けている部分が問われている。それはアイヌ民族に対しての部分であるがアイヌの人達に土地を与えて、農業を指導したと言う部分があるが、これは間違いである。私は北海道生まれで、父が松前出身なので和人がアイヌの土地を征服して取り上げた事を聴かされていた、それに対してアイヌの人達が自分達の土地を守る為に戦いをしていたのでありその抵抗を止める為に、松前城内で和睦を前提にアイヌの酋長2名を招いて、暗殺したと松前史にも記されている。その様な事実を隠して、和人がアイヌの方に土地を与えたと中学校で教えるように指導しているのはおかしい。歴史を改ざんして教える事は、日本人を美化する為なのかそれとも残虐行為を隠す為なのか?歴史的事実を変えて教える事は、子供達の為にはならないし真実を教えて、そこから問題点を洗い出して子供達に考えさせて行くのが教育であろう。それを枉げて教える事は歴史を美化しているとしか思えないのである。アイヌ問題はアメリカのインディアン問題と同じであるが原住民の土地を取り上げて置いて、土地を与えたと言うのが官僚連中の考えであり、これは日本の教育も嘘を教えて美化している馬鹿げたやり方である。それが官僚であり、それに操られているのが政治家と国民なのであり、今の日本であろう。だから今の政治家も、その様な教育を受けているので嘘は当たり前、責任は取らない、自分達の都合の悪い事は秘密にする行動を取るのであろう。この様に教育を捻じ曲げて教える事は、独裁国家ならありうるが一応日本は、政治家たちは民主主義国家と言っているが私は幾度も書くが、封建的民主主義国家が日本であると思っている。歴史を捻じ曲げても、事実は変わらない。むしろ事実を教えて、何処に問題点があり、それを、どの様にして行くべきかを教えるのが筋であろうと思う。教育とは美化だけを教えるのではなく、むしろ問題点を教えて、それを改善する為にどうするかを教えるのが教育であろう。その様に教えて行かなければ、日本は良くならない。国会でも上げ足取りなどを行わず、国民に理解出来る政治を行ってほしいし、裏取引等で秘密で無く本当の政治とは何かを証明してほしいが、今の政治家ではそれも出来ないであろう。国民も今の体制で諦めの状態では、問題は解決しない。声を上げて政治を正す姿を考えてほしい。
2015.05.09
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私は反省が出来ない人は進歩も、改革も出来ないと思っている。反省が出来ない人達の代表は、今の政治家や官僚であろう。人間は反省しながら進歩を遂げて来た。これは誰でもが分かる事である。反省があるから新たな事を、生み出す事が出来るのであるが今の政治家や官僚は弁解が先であり、反省が無いに等しい。日本は歴史的認識で各国から批判されているがそこには反省と言う言葉が無く、弁解が先に出ているからである。人は反省から多くを学ぶものであるが、弁解は逃げるだけで何の解決も出来ない事は、一般の人でも分かるであろう。それが分からない連中が、政治家や官僚に多いのである。反省と言う気持ちが無いのに、弁解を行っている為に日本は世界的にも批判され、国内問題も解決出来ないでいる。私は、人は苦しみや悲しみが分かる人ほど、反省をすると思うのである。苦しみから学び、苦しみから新たな自分を見つける為に反省して、次の道を目指すのが人間であろう。だが、その苦しみが分からない人は、自分本位の考えで進む為に弁解が先に出てしまう。それは自分を見つめ直す事が出来ないので反省出来ないのであろう。これは教育にも、問題がある事は確かである。私も教えた事があるが、注意すると弁解をする生徒が多い。反省する事が恥だと思う教育が、家庭でも学校でも行われているからであろう。それは違うと思うのである。間違いは誰にでもあるが、その間違いを正す側の注意の仕方によって、弁解するようになるのであろう。そこには何故、間違っていたかを教えていない部分がある為に再度同じ間違いを犯すと弁解が先に出てしまう。逆に言えば学習能力が無い事になる。これは反省があるから、再度同じ事を繰り返さないようにするのが人間であるが、学習能力が無い人は、反省はしていないのであろう。同時に家庭的に恵まれている人ほど、弁解が先に出るのかもしれない。貧しい人は這い上がろうとする気持ちで生活しているので幾度も挫折して反省を繰り返す。それは自己責任を持たなければならないので反省する。だが裕福な人は、誰かが尻拭いをしてくれるので反省する意識が薄いのであろう。その為に問題を起こしても、誰かがやってくれるのが当たり前になっている。政治家は、その典型であろう。自己責任能力が無く、問題が起きた場合、秘書や周りの人達に押し付けて、自分は口だけの反省を言うだけである。これは今までの政治家は殆どそうであろうし、現在の政治家も同じである。お坊ちゃま、お嬢ちゃま育ちで、誰かが尻拭いをしてくれる家庭で育ち、その様な事が当たり前になっているので政治家が責任を取る事は殆ど無い。こんな人達が反省などと言っても、口で言うだけで心から反省していないので、軽くしか聞こえない為に批判が出るのである。同時に学習能力が無いのかもしれない。最高学府を出た人達が、この状態で日本の政治を行っていては、政治は変わらないであろう。最初に書いた「反省」がないと、改革も進歩も無い事を国民も考えて行かなければならない事だと思う。人間としての常識として反省は必要であり、そこから次のステップを踏んで行く努力をすべきである。国民も同じように反省して行かなければならないと思う。
2015.05.08
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前日書いた雑草のことであるが、それを踏みつけているのは日本の政治家と官僚なのであろう。被災地の復興が、これまで遅れているのは何故だろうと考えたら、政府や官僚は口では「復興を敏速に」と言うが被災地に幾度も行っている私には、復興が進んでいるように思われない。政府は経済の活性化と言って、選挙で多くの議員を得たが本当に経済が良くなっていると思っているのは一部の大企業だけで、個人では思っている人は少ないであろう。むしろ経済的に家庭が苦しくなって来ている事を感じているのではないかと思う。物の値上がりが激しいし、その割には収入が増えない物価の値上がりと収入のバランスが取れていないのが今の日本経済であろう。これで消費税を上げたら、またもや日本の経済は停滞して国民の生活は苦しくなり、格差が広がる事は目に見えている。「何とかのミックス」等と騒いでいたが、その効果は無いに等しい。あったのは大企業だけで、そこから献金を受けている政治家連中は大企業のセールスマンになり、武器輸出や原発輸出などとホザイテいるが、国内の庶民の生活も考えているのかと問いたい。選挙で与党が声高に言っていた、経済効果は悪化しているだけで日本の経済は不安定状態であろう。そうなれば、今度は国民に「お願いします」と言って色んな税金を出して貰う事を考え、自分達は何もしないのが日本の政治家であろう。まず自分達が襟を正して、それから国民にお願いするのが政治家であろうが、自分達は何もせず、国民に出させては自分達は使うだけであるから政治家とは楽なものである。今後は税金を、どの様に取るか色々な法制を作り国民から絞り上げる事だけを考えている。その前に政治も知らない議員さんを削減しろと言いたい。それも出来ないで政治を行っていますと言うのが政府であり官僚であろう。このままでは日本の経済は破綻するか、貧困格差が広がり国民から声が上がるかであろう。国民から声が上がる事を期待するが、その時の日本は破綻寸前であろうと思う。政府は「復興する」と言う文字を「不幸する」と言っているのかもしれない。それ程、政治家のいい加減な所が見えている。政治家は計算も出来ないのと、文字も間違う人達が多いのかと皮肉も言いたくなる現状である。
2015.05.07
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私は顔に似やわず、花が好きである。だが花の名前を覚える事は苦手である。部屋には必ず花を置いている事が多い。海外でも花は部屋に置いていたが、枯れると花屋に買いに行き値切って買っていた。特にドミニカ共和国では、スーパーの路上で花を売っていたのでそこに買いに行き、必ず値切るので、また来たかと嫌な顔をされても必ず値切って買っていた事を思い出す。特にドミニカでは値切らないと、法外な値段を言われた事があるので必ず値切って買う事にしていた。特に途上国は、人を見て値段を言う。金を持っているなと思えば高値で言う事が多い。中南米は、特にその傾向が強い。だから必ず値切るのである。その様にしても花だけは部屋に飾ってあった。今住んで居る所はベランダがあるので、そこに幾つかの花を置いてあるが、名前を知っているのは僅かしか私には分からない。冬だったので、花の数があったが、私のように枯れてしまっていたので、暖かくなった事もあり幾つか植えかえたりした。本来は庭で花を植えたいのであるが、海外に行ったりしていたのとそれ程、お金が無いので団地住まいであり、庭など持てる立場ではない。ベランダがあるので、花を置く事が出来るのでそこで楽しんでいるが、育て方は下手であるから枯らす事が多い。これからは夏になるので、花の種類も多くなり楽しみである。本来は野に咲く花が好きなのであるが、東京はあまり見られない。確かに人力で植えた花壇や、荒川の土手等に植えられた物はあるがそれよりは雑草の種類の花が好きである。だから被災地などに行くと、野に咲いている花を見ると癒される事が多いのである。これは誰しもがそうであろうと思う。花の名前は分からないが、小さくて可愛い花を見るとあの震災をくぐり抜けて強く咲いている事に雑草の強さを感じるが、自分も、その様に生きてみたいと思うがそれは贅沢な事であると諦めている。ただ花も震災に負けないで生きているのだから、そこに住んでいる人達も負けない努力が見える事で私は何回も被災地に行くのであろうと思うしそこから学ぶ事が出来ていると思っている。最近は、私も自宅のベランダの花のように枯れて来た事を自分で少しずつ分かるが、それでもまだ動けるだけ幸福である。被災地の人達は高齢で杖を付きながらも働いている方を先月も見て、この人達は雑草のように幾度も被災に合いながら強く生きている事に感心してしまった。そこから私は別な物を学んだような気がする。被災地の方は雑草のような花なのかもしれない。
2015.05.06
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日本の政治を変える為には、政党での政治体制で無く国民が選出した人を立てる時代にしなければならないと思う。今の政治は政党が公認して立候補した人に投票している。これは政党の思惑だけが先行している、戦後の初期からの選挙体制である。この状況では、選ぶ側も政党の思惑だけで選ぶ事に成る。この体制で、今の与党は数の論理で好き放題の政治を行って民意などは考えていない。まず政党公認では無く、選挙民が政治を託せる人を選択してその人を立候補させて国会に送り込む体制を取らなければ日本の政治体制は変わらない。今まで政党の遣り方では、今後の日本の政治は泥沼化すだけで新たな改革は出来ないであろう。同時に国民の政治不信も募るばかりで、投票率の低下も進む事になる。そうなれば国民自身が苦しむ事になるのである。それを打開するには選挙民が政治を託せる人を選びその人を国会に送り、政党体制を崩すしかないであろう。今は政党体制での政治機構なので、国民の政治不信は高まるばかりでありそれを是正しようとする事も出来ない。これは政党間の駆け引きと裏取引で政治を行い国民の考え方などを政治に反映させていないのが現状である。政党は金欲しさに大企業に接近して献金を受け選挙の時だけ選挙民に「お願いします」では政治は変わらない。まず、選挙民が国会に送る人を選び、それは民意を反映させてくれる考え方の人であり、選挙区のお金持ちや、今までの議員の2世、3世でなく本当に選挙区を考えている人を推すべきである。今の選挙は政党が公認した人しか立候補していないので選挙民の選ぶ範囲が限られている為に、その人が議員になった場合政党の言いなりで民意などは伝える事が出来ていない。この状態を続けると、日本の政治は変わらないで民意の反映されない封建的な政治が続き、次に来るのは責任を取らない議員と、当選だけを考えた議員が税金の無駄遣いを行うだけである。この状態を変えるのは政党体制を崩し、選挙民体制を作り民意を反映すようにしていかなければならないであろう。そこには大きな反発もあり、長い期間が必要かもしれないが本来の民主主義の考え方に立ち戻って行く事になると思う。政党体制は戦後の為には機能したが、時代と供に綻びが出て変える時期に来た事を国民は自覚すべきであると思う。
2015.05.05
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日本人は海外で、言動が曖昧だと言われるがこれはYES・NOの世界でないからもあるが日本人は言葉で誤魔化す部分が多いのであろう。私も海外に5年ほど住んだが、最初の頃は曖昧であった。それは相手国の言葉が分からない部分もあったが日本での生活で培った事が、自然に出ていたのであろう。確かに日本は一つの事に対して、幾えにも取れる言葉がある。それは日本の伝統的な物から来るのであろうがそれによって相手を傷つけない行動を取るのであろう。それが日本人の曖昧さに繋がっているのだろうと思う。同時に何か事故や事件があっても、半年くらい経つとその事を忘れたかのような気持ちに成ってしまう部分も持ち合わせているのが日本人であろう。この面は良い部分もあり、悪い部分でもあると思う。確かに自分に降りかかって来ない事は、記憶に残る部分は少ない事は確かだが、しかし忘れるべきでない事もある。東日本大震災での原発事故であるが、それによって多くの人が犠牲に成り、自分の住んでいた地域から避難を余儀なくされた方が多く居る事を、私達は忘れかけている。安全神話が崩れて、原子力の恐ろしさを知っている日本人がまだ、原発の再稼働と稼働年数の長期化を行っているのは何故なのであろうか?日本は被爆国であり、原子力の恐ろしさを知っているはずである。それが、あの震災で原発事故の恐ろしさを味わっても原発の再稼働と対応年数の長期化を行い、さらに原発輸出国を目指している政治家や官僚・企業の考え方が分からない。衆議院選挙の時には、原発の撤廃を訴えて当選した連中が今は原発の再稼働容認、輸出と対応年数の先延ばしも行うのは企業からの、金の流れで、容認しているとしか取れない行動である。これ程、国民に対して離反した行動は無いと思う。原発の再稼働も、金で地方を動かしているのは確かである。金を出すから、お前ら再稼働を承認しろと言っている事は国民の誰しもが分かる事であろう。日本人の曖昧さが、政治の世界と企業間に出ているのであろう。それを選んだ国民も曖昧である事は確かである。人間の本能であろう、生活の為に、お金が欲しいと思うのが当り前であろう。その金をチラつかせて言う事を聴かせるのが官僚であり政治家であるが、そのお金の出所は国民の懐から出ているのである。それを使っている政治家や官僚を「お上」と敬っているのが人間なのであろう。政治家を国民が養って、企業からも献金されて、金に対する感覚が庶民と違うのが政治家であるから、計算も出来ないのであろう。この連中に政治をやらせている間は、日本は借金大国に進むだけであろうと思う。
2015.05.04
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昨日あるサイトの、改憲に関する記事を見ようと思ったら削除された可能性があると出た。確かに最近は、政府の都合の悪い事は削除されていると囁かれ出していたが、本当に行われているようだ。これは本来の言論の自由を否定する行動のように思う。ネットの発展で誰でもが多くの情報を早く見る事が出来るがこの様に都合の悪いニュースは削除対象に成る時代になり国民の情報源であるネットに対しても規制を掛けるのはおかしいと思う。記事の概略的内容は、改憲に反対している政党と改憲を容認している政党の考え方が書かれていた。その様な内容であれば、削除するほどの物ではないであろう。もし憲法を改正するなら、国民の一人として知るべき重要な事である。それを削除した事に疑問を感じる。憲法の改正は国民投票で行うべき問題であり、国民が知るべき事であるのだから、それを政治家の都合で削除したとすれば、これは大きな問題である。削除された経緯は分からないので、何とも言えないがもし政治的圧力で削除されたなら、今の政治家は国民を馬鹿にしている。政府や官僚・政治家の為の憲法では無いし、国民の知る権利を蔑ろにして、私達は政治家ですと言ったら国民を愚弄しているだけである。確かにネットの発展で情報が早く入り、それを恐れているのが政治家自身であり、政府や官僚も同じであろう。だが、もし政治的な意図から、この様な事を行っていたらこれは政治家では無く、独裁的国家の横暴であろう。何処かの国と同じ現象が日本で起きている事に成る。言論統制はテレビにも行われている事は国民も分かっているしそれがネット関連にも行われている事になったら日本の政府は民主主義等と言えない国を作っている。今や言論は統制され、政治家に都合の悪い事は隠し国民に知られないで、国会内で処理を行うだけであろう。私が何度も書く封建的民主主義が日本であろう。これからはもっと統制が厳しくなって、最後は個人的ブログも管理されるのであろうか?そうなれば私のブログは閉鎖対象に成りかねないであろう。この状況で政治家だけで法制化して、日本の国の政治を行っていったら、民意は無くなり国民は政治家の給料を払う働きバチに成るだけである。今の政府はアメリカが右と言えば右を向き、国民が左だと思っても、アメリカの顔色を伺い国民の方にはお尻だけを向けてるのが日本の政治家と官僚であろう。絶対的多数で国会を牛耳っている与党は、国民が反対するとお前らが俺たちを選んだのだから、今さら文句を言うなと言いかねないであろう。国民も考えなければならないが、国民自体が政治に対して不信感があり、口を閉ざしている事がおかしい。それでは日本の政治は変わらないであろう。
2015.05.03
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今日は憲法記念日である、連休も始まり混雑もピークになる。私は人ゴミが苦手なので、人の行かない所に行こうと思っている。今日は改憲派、護憲派が色々な行動を起こすであろう。確かに時代と供に憲法改正は行うべきであると私は思う。ただし現状の政府の下では行うべきでないと思っているのと国民の民意を伝えられるように考えてなら分かるが政治家の遣りたい放題で民意等考えていない改憲には反対の意見である。同時に、今話題に成っている選挙権であるが、18歳からと言う事であるが、今の日本の政治に対する教育が成されていない状況下では問題が出て来るであろう。それでなくても地方選挙で、人気投票的に立候補したり当選したりしている状況下では、国民自体が政治に対する考え方が分かっていない状況で18歳からの選挙権はAKB並みの選挙になり、政治とはかけ離れた事に成りかねないと思える。今の政党は公認も、人気がある連中を担ぎ出し数の理論が政治であると言っている状況では政治に関して分からなくても、人気があれば数に成るので公認しているのが現状である。それを政治に関して学校でも教育されていない若者に選挙権を与えたら、それこそAKB並みのお遊び選挙に成りかねない。もし与えるなら、学校教育で政治に関して十分な教育を行って政治は誰の為に行う事なのかを理解させるべきである。現在の教育制度では、かけ足的な教育であり試験の為の教育制度であるから、政治に対して理解していない人達が多過ぎるのであろう。もし18歳から選挙権を法制化するなら、海外のように国民の義務を遂行する為に、各自ICカードで投票に行く事を義務づけて、行かなかった場合の罰則を設ける事も考えなければならないであろう。政治は国民の為にあり、同時に政治家は国民の代弁者である事を自覚させなければ、今のような人気投票で政治家が生まれるだけである。これも日本の政治に対する教育が成されていない事を証明しているようなものである。私達年代も封建制度の名残りを引きずって来て、政治に対する教育を官僚任せにした事が、今の現状を作った。その責任は私達にもある。今の政治とは、一部の人間が利用する為に政治家を送り出し利権をむさぼっているし、政治家は利用するものであると考えている人達が多過ぎる為に、利権がらみの政治家ばかりが蔓延っている。この現状を変えなければ、日本の政治は変わらないであろう。また、政党も数ばかり考えるのでなく、政治を知っている人を公認すべきであり、数の論理が民主主義と言う履き違えている連中が政治を行っていては、日本は変わらない。前記したICカードも国民総背番号制にするのであれば国民の義務を果たすように、それを利用して行くべきであろう
2015.05.02
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民意とは何だろうと考えてしまう。地方選挙が終わり、地方での議員も決まったが日本国民の気持ちを伝える選挙なのであろうか疑問に思ってしまう。前にも書いたが国民自体が選挙とは、政治とは何か分かっていないのではないだろうか。SNS等を見ると、分かっている方も居るが殆どの国民は自分達の気持ちを伝える事が選挙である事を分からずに、人気投票的な考え方なのではないかと思う。今や政治家は二枚舌的発言が、当たり前のように成っている。日本の首相も「痛切な反省」と海外で演説しているが歴史的認識が無い人が言っても、それは虚しい言葉にしか聞こえない。アメリカにべったりの考え方の人が、アジアでの日本に対する歴史的認識を問われている状態を、言葉で誤魔化しているだけであろう。歴史的な認識問題もアメリカ側から批判があった為にその様な発言を行っただけであり、政治家独特の二枚舌である。「痛切な反省」を行うのなら、日本国民に対しての集団的自衛権や機密関連事項を政府が取り上げて、先行させているのは何故か。もう少し国民に理解を得てから法案化すべきを、数の論理で強引に法制化を行う事がおかしい。その前に多くの国内問題がある状態を、さて置き国民が理解していない集団自衛権や機密法を先行させているのが今の与党である。この様な状況を続けると、国民は又もや政治不信に陥り政治に対して無関心に成りかねないし、このままだと民意などは政治に反映されない国家に成りかねない。ある国の独裁的国家と何ら変わらないのが日本の現状であろう。政治家は自分達の言い分は正当化するが、それが民意でなくても強行に実行して言葉で正当化する連中である。本当に政治家ほど二枚舌と言葉で誤魔化し、責任逃れだけは手早く行い、国内の諸問題はウヤムヤしているのが今の政府であろう。同時に国の財布を握っている官僚や政府は、それを好い事に脅し的な行動を取る。この様な日本にしたのは、国民にも責任がある事は幾度も書いたが、このままの状態で好いのだろうか疑問に思わない国民性にも問題がある。また、自分の政治資金管理も出来ない人が、日本の政治を行い国民の税金で給与を貰い、諸経費も管理出来ないで国の借金を増やしている事に国民は疑問を持たないのか?そんな人に日本国の政治を任せている国民のおかしいと思う。金の管理が出来ないで、湯水のように使い、分かりませんでしたで終わらせている議員さんは、庶民との生活の基準が違い過ぎる。これでは民意等は分かるわけがない。それを選んだ選挙民や公認した党も狂っているとしか言いようが無い。
2015.05.01
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