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今年も終わりになった。一昨日、今年最後の毎月の診察を受けに行った。今のところ、若い頃からの高血圧以外は、肩の痛みだけであるが、これはクッション部分が固形化しているので、治らないと諦めている。年齢と供に身体の部分の部品が悲鳴を上げるのは車も同じなのであるが、車の場合は部品交換が出来るが人間は出来ないので、しょうがないと思っている。私を診察してくれる先生とは、同年代なので話が合う。診察がてらに世間話をしているが、今回も先生から10分間位良いかと言われて、世間話をした。先生は私が被災地や高齢者の方のお手伝いをしている事を知っているので、先生の友達が、今度、新たに出来る原発事故後の楢葉町に出来る、診療所の所長に赴任する話をした。私の診察してくれる先生も、東京医科大学で教授をやっていたのであり医者家族で、兄弟も皆さん医者なのであるそうだ、先生は私と同級の年齢であるので、話も会う部分が多い。その楢葉町に出来る所長に成る方も、私と先生と同級年齢でありその方は教授を退官後に政府機関の理事長もやられそれなりに有名な方なのであるらしい。私の性格は、有名等には興味がないので、深くは聞かなかったがその方は原発事故後、楢葉町に住む方は高齢者でありどうしても診療所が必要に成るのであり、今だ原発での放射能汚染があり、楢葉町も現在は住む事が出来ない状況である。政府は除染以降に居住許可を出すのであるが、若者は戻って来ないであろう事は、誰しもが考える。どうしても昔からの土地で暮らす、高齢者の方達が戻り生活する事になるであろう。その診療所の所長も東京から通うそうであるがその方も言っていたそうであるが、高齢化では医療施設が必要であり、若い方は行く方が居ないのが現状であると、確かに放射能汚染に対して警戒しなければ成らないから、誰しも尻込みをするであろう。まして未だ原発事故の処理も行われていない状況で、除染を行っていると言われても、原発が解決しない限り放射能は排出されている事は、誰しも分かる。私も小高地区に行ったが、国道は車の走行が可能であったが原発事故の近辺の放射能の濃度は半端じゃない位上がる。それを政府は分かって居ながら、居住許可を出すのであろう。誰しもが、その様な所に住みたくは無いが昔から先祖から受け継いだ土地には、帰る人も居るであろう。ただ、帰る人も高齢の方が殆どであり、若者は危険であるから帰る事は無いと思う。ましてや子供たちは、帰したくないと思うのが親である。だが、帰宅したとしても高齢化で、自分の身体を診て貰う所が無ければ帰る事が出来ない。その新たに出来る診療所の所長に成る方も、高齢であるが放射能の危険性を分かりながらも、赴任する気持ちは私は分かる様な気持がする。私も同年代であるから分かるが、自分たちの戦後の苦しみを経験しているので、その苦しみを味わってほしくないと思うのと自分の経験した事を、誰かの役に立てたいと思う気持ちがあるからなのであろうと思う。また、その方もそれなりに自分の仕事をして来た方なのであろう。奥さんを8年前に亡くし、奥さんがボランティアをやって方だったのでその影響もあったのかもしれないが、それなり昔の自分なりの経験から来る事もあったのであろう。私も今年は色々反省して、新たな年に向かって行こうと思う。
2015.12.31
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私はブログに政治家の劣化と書く事が多い。これは議会制民主主義の劣化とも繋がるように思う。議会制民主主義は選挙によって国民が適した人を政治の場に送り出すのであるが、今や職業的な考えの人達が、政治も分からず、政治家として成り立っている。この現象は選挙と言う弊害が招いているのであろう。選挙は、どれだけの票を取るかで、当落が決まる。戦後の日本では労働者の立場と企業側の立場でそれなりに権利を主張した人達を政治の場に出した。それが日本経済の安定と供に、圧力団体化した組織が政治家を出し始めた。言うなれば、スポーツ団体や宗教団体等、多くの団体が自分たちの意見を政治の場に通そうとして候補者を擁立していった。そこまでは戦後の選挙体制に似てはいるので、自己組織の意見を政治の場にと思っているから理解出来る部分はあるが、それが経済安定と供にただの圧力団体になり、票を売る様な立場に変化したと私は思う。今の選挙は、その様な圧力団体の票を得るために政策を作り、民意等は考えていない政治が日本であろう。確かに候補者は選挙に勝ちたいが為に、圧力団体に接近する。同時に圧力団体も自己利益を得るために応援する。そこには政治と懸け離れた部分が多過ぎるのが現在である。そこで動くのは金であり、政策や民意では無く選挙に勝たしてやると言う、政治と懸け離れた部分が多いのである。確かに団体として希望を、政治の場に求めるにはそれなりの人材と民意を理解している人を擁立して政治に反映させる事である。そうしなければ要望が通らないのが議会制である。同時に要望を通す為に、議員はそれなりの献金を望む。その繰り返しが、今の政治家を作り上げて行ったのである。基本的に議会制自体が、問題が出て来たが、それを修正しないで、自己防衛を行う議員と票と言う名をチラつかせる圧力団体の腐敗が議員の劣化を招いたのであろうと思う。本来の議会制民主主義は、民意を汲み取った人が民意を代弁するのが基本であったはずである。今はお金が先行して、お金のある所の事は素早く行うが民意で選ばれたはずが、民意等は無視して、選挙の為の資金集めでを行い、国民の税金から政治資金が出てもその管理すら出来ないのが政治を行っているのであるから自己管理も出来ない政治家で、問題が起きたら秘書が等と言って責任逃れしているのが、日本の政治家なのであろう。本当に、この人達の辞書に「責任」と言う文字があるのであろうか。同時に政治とは何かを理解し、誰に選ばれ民意を反映させる事が出来るのか、私には疑問に思う。
2015.12.30
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今や世界的にも資本主義経済の見直しの時期に来たのか?日本の大手企業からも、色んな問題点が出て来て、大手も信頼出来ない状況に成りつつある。長きに渡り信頼を得ていた、大企業でも転換期を見誤った感じがするし、資本主義の根本である「お金」に対する執着から、多くの信頼を失落させたのは、大企業と言う信頼を維持する為の偽りからである。今や資本主義の根本を考え直す時期であり、大企業も自己改革を行わなければならない時期に来たのであろう。良く言うが「信頼を得るには時間が掛かるが、信頼を失うには時間は早い、また信頼を取り戻すには過大な時間が必要である」と言うが、日本の企業も今や大企業でも信頼出来ない様な状況に成りつつある。政治家が経済再生等とホザクが、日本経済の基本である大企業が内部から問題があり、世界的に信用を失落させているのでは技術の日本と言って、日本の首相がセールスマンを行っても今の日本では無理があるし、世界的にも信頼されないであろう。ましてや原発事故後に、その後処理も行われないのに原発の輸出等と政治家連中は騒ぐが、その前に事故の責任と問題点をはっきりさせてから、言い出すなら未だしもそれも出来ていないで、その様な事を言っている政治家の馬鹿さ加減に、私は驚く。また、金で動く政治家は原発再稼働も、金をばら撒き原発地域の再稼働を認めさせ、原発から出るゴミの処理も先送りして、どの様に処理を行うのかも言わないで他の事では未来の子孫には、今の悪い部分は残せない等とホザイて居るのが政治家と官僚である。この様な問題点を先送りして、何の解決策も責任も取らないで日本の経済は福祉はと戯言を並べている政治家が多過ぎる。本当に日本の将来を考えるなら、日本国内の問題点を解決して将来像を見据えた政策を打ち出すべきが、その場限りの選挙の為の国民受けする政策は行うが、それも一時的な効果のものであり将来の日本を考えている訳では無いのである。選挙に勝つ為の自己保身対策だけを行っているのが政治家である事は明確である。選挙民も、この状況を判断して日本の将来を考えるべきであろう。日本の将来を考えるなら、今の政治家では駄目であろう。言葉では子孫に問題は残さないと言っているが問題も解決出来ず、責任の所在もはっきりさせないで先送りして、問題を上積みしているのが政治家であり最終的には国民が責任を取り、政治家は責任逃れをするのが今の日本である。この責任は国民にもある事を、私は自覚すべきであると思う。国民が政治に無関心過ぎた事によって、政治家と官僚の遣りたい放題であろう。国民は政治に対して、言うべき事は言うのが大切である。そうしなければ、日本は変わらないで借金大国で子孫にシワ寄せが来るであろう。それは私達が作り上げたと同じ事なのである。
2015.12.29
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私の一年も後と僅かである、この一年のブログを書いたが私の場合は文字で書くだけなので、写真等は使わない事が殆どであるが、それでも読んでくれる方が増えた。大体、被災地等の行く以外は、毎日書いたのであるが、自分なりに良く書く事があったと思うのである。自分の個人的な事や、政治・社会情勢を書く事が多い。本来は、人間性を自分では求めて行きたいのであるがまだまだ、自分には足りない部分が多い事に気づかされた。少しでも自分なりの言いたい事は書いたが、未熟な自分も見え隠れしていたように思う。確かに自分の考え方は、今まで経験した事や理想論にしか過ぎないだろうと思うが、それなりに実行も伴っているつもりであったが、自分の年齢と供に劣化して居る身体と考え方が反比例して居る事を痛感した。劣化を考えると、今や地球自体が温暖化などで問題が多く同時に人間としての行為もテロ等の殺戮や、中東での内戦などと、世界中が劣化傾向にあるように思う。同時に日本も政治家・官僚、教育の劣化を感じてしまうのである。日本の劣化は資本主義世界を重点に於いて、人間性を疎かにした事によって、問題が出て来たのであろうと思う。これはグローバルな世界を考えると、その様に進む事も仕方ない事であったが、そこには政治家と経済界の思惑が通じ合って、経済を支えるはずの働く人に対しては利益優先の企業が政治家との結託で働く人達の権利を弱めたように私は思う。企業は人で成り立ち、人で稼げるのであるが、企業が見据えて居たのは金であり、利益であるので利益を上げる為に、働く人達の権利を縮小して行った。その利益を貰う政治家たちは、企業から言われるままに働く人達の権利を縮小させる法案を作り、企業献金で動いた事が、これからの日本経済を危うくしたのであろう。何事もそうであるが、主義主張は時代と供に変化するのでそれを改革等の対応が遅れると、遅きに至りになる。日本も古き時代の政治体制を維持しているようでは時代の変化には付いていけないで、気が付いた時は荒れ果てた日本に成ってしまうのではないか?何回も書くが日本の、これからは貧困格差が広がりグローバル化する毎に、その格差は広がるであろう。今の政治家や企業の考え方では・・・
2015.12.28
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A新聞の「各駅停話」を見て、私の生まれ故郷の函館線があったので開いてみると、苗穂から小樽までであった。このどちらも、それなりに思い出がある。悪ガキであった頃の「苗穂」で新聞配達をしていたのでそれなりに思い出があるが、そこからが私の子供としての自分を変える最初の歩き出しだった。新聞配達で陸上自衛隊の苗穂基地が、私の配達区域だったのでそこが配達の最終で、新聞を基地の食堂で並べて取っている人が持って行くのである。丁度、朝食時間なので、それで配達が完了して「朝飯を食って行け」と言われて、麦飯の朝食を良く御馳走になった。そこからが自分なりの子供としての決断をして父と兄弟との決別をしたのである。それが終わり、成人に達して自分なりの力を付けた頃に住んでいたのが「小樽」である。小樽は住んで居て家族との暮らしもあったが、仕事に逃げていた自分が居たような気がする街である。コンピュータの始めたのは、会社が札幌であり、小樽から通っていたのであるが、その頃の自分が一番生意気な時期であったと思う。札幌の会社が繊維不況で経費が掛かるコンピュータの維持が出来ないと言う事で、コンピュータを分離する事になった時に生意気な私は「俺を社長にするなら」と暴言を吐いて小樽に会社を立ち上げたのである。ただ、小樽は北海道でも古い商業都市なので、封建的な部分があり20代後半の若造の私を認めて貰うには大変苦労した。最初は個人病院の跡で会社の看板を上げたが、次の時は小樽の日本銀行の真ん前ビルのワンフロワーを借りるまでになったが、最終的に自分は金儲けが出来ないタイプであり、技術馬鹿タイプである事を悟り他社に会社を譲り渡したのが小樽であった。あの頃はコンピュータ関連の会社も殆ど無く、大手商社から北海道の拠点として、提携話もあったが、株主である私以前に勤めていた会社とコンピュータのリース会社の反対で、その話も壊れてしまった。私が一番生意気な時期であったのが、この頃であろう。私は資本金を自分で出すだけの、お金も無いのに「俺を社長にするなら会社を引き受ける」と言ったが、本人は金も無いのであるから、今考えると仕事で天狗に成っていた時期であろう。最終的に私の叔母が、お金を出してくれたのであるが昼は表周り、夜はプログラム作りで、午前様状態が長く続き、同時に金の事を心配しながら、プログラム等を組んでいたので、私は、社長等と言うのは小間使いさん見たいな物だと思ってしまった。これは私に向いて居ないと技術屋に戻った原点を作ったのが小樽であった。列車の線路を見て見ると、自分なりの思い出がある事を今では書けるが、あの頃はガムシャラに突き進んでいた事を思い出すものである。
2015.12.27
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最近、報道番組では政府に対する批判的な人は降板させると言う事を多く耳にする。私も報道番組を見るが、彼たちの言っている事は多くの国民が思っている事を代弁して居ると感じている。それに対して与党は、ケシカランと言って圧力を掛けている。これは言論の自由と、国民に対する発言や表現を制約するものであろう。数の論理で独裁的な政治手法を使い、民意等は考えないで強行な法制や、国民の情報源であるマスコミに対しても規制的な圧力や発言を行う政治家が多い。私から言わせると、政治家は誰に選ばれ、誰から給与を貰い政治は誰の為に遣るものかを分からない連中が今の日本の政治家なのであろう。多くの国民はマスコミから政治の流れや経済の流れを情報として得ているのが現在である。だが、その情報源に対して政府や政党の問題点を匹敵されると圧力を掛けたり、奇怪な発言を行うのが与党の政治家に多い。確かに政治家にも発言の自由はあるし、個人的には発言を認める事も問題は無いと思うが、だが、それにも限度があるであろう。政治家自体が選挙民に選ばれて政治の場に立っているのであるからそうなると、政治家の発言は選挙民の発言と同等である事になる。それを分かっていない政治家が日本の政治家に多過ぎる。政治とは誰の為に行うか、民意とは何かも分からないから政治的圧力で民意を潰すのが、今の日本での政治家なのであろう。自己顕示欲の塊が政治家であり、それにぶら下がっている一部の選挙民が利益を貪る為に、この様な政治家を作りあげたのである。今のマスコミにも問題が多い、政治家の顔色を伺い真実は報道しないで、政府や官僚の国民受けする政策には時間を割くが、国民が不安に感じ政治不信を抱いた行動は殆ど報道しない。これは日本では、お上に逆らう事なく、自分たちの安泰だけを考えているのが日本のマスコミであろう。私も海外で仕事をした事があるが、海外の場合はデモやストや暴動も報道する。アルゼンチンなどは、毎日のように報道されていた。日本ではデモなども数分の報道で終わり政府の政策は時間を取って報道しているがこれは日本のマスコミは政府や官僚の宣伝役であろうと、私は感じてしまう。今、日本は高齢化に成り、多くの方が政治の情報を得るのはマスコミであるが、それが政治的圧力で政策の良い点だけを強調していたのでは、日本は変わらないであろう。同時に日本の言論の自由は無いに等しい状態に成りかねない。これからは、国民が何処まで、この状況を続けさせるのかこれからの国民の考え方に掛かっているのであろう。
2015.12.26
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今年も後わずかに成って来た。毎年、年の終わりを振り返る事をするが、今年は政治に対する不安と不信が国民に分かった年になったのかもしれないと思う。これ程の政治に対して不信を私自身が感じた事は無いような気がする。また、これからは貧困格差が広がり、私などが経験した様な事を、今の子供たちが同じような気持ちに成る事が悲しく思う。あの苦しみは、自分の気持ちとは相反して世間の冷たさを感じて行きながら、そこから這い上がろうとする努力をしなければならないがその過程で、幾度も挫けて行く、自分が居た事を思い出す。最終的には人間不信も感じ、行政も助けてくれないと思い自分なりの考えで進むのであるが、それが年と供に個では進めない事が分かるが、自分の気持ちを隠しながら行動する事になる。貧しさは、家族を思う気持ちは強いが、貧しさから脱する難しさは私自身も途上国でも見て来たので分かるが、これからの日本が、その様に成らないように願うが現在の政治体制では、これは避けられない状況であると私は感じるのである。確かに政治で全体を助ける事は出来ないが、貧困でも、優秀な子達には、それなりの道を開けて上げてほしい。同時に親も、今までの生活で見栄もあるであろうがそれを捨てる覚悟は大変であろうが、子供たちの将来を考えて行動を起こしてほしいが、それも周囲の人達の暖かい気持ちがなければならないであろう。今の日本では重大な事が起きれば、「絆」と騒ぐが本来は周りの方にも目を向けて行き、そこから小さいけれど人としての関係を繋げて行く事が大切であろうと思う。私も若い頃は苦労したし、貧しかったので、周りに対しても自分の気持ちを隠して行動した。それは自分が這い上がる為の、自分なりの抵抗であったがだが、多くの人に助けられて、這い上がれた事は間違いない。必ず理解してくれる人や、助言や援助してくれる人が居るので貧しくとも自分の目指す道だけは、自分なりに決めて進んでほしいと、子供たちに思う。
2015.12.25
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最近はメールでの連絡が主流なのであろう。前にも書いたが、私はメールでは重要な事は発信しない。私のコンピュータ歴は長いと思う。40数年システム屋として仕事をして来たのでそれなりにはコンピュータに対しては理解して居るつもりである。また、日本のコンピュータの発展と供に進んで来た自分が居ると自負しているが、これはあくまでも自己判断であるが?私が最初にコンピュータに携わった時のメモリーはトランジスターとICチップで24Kであり、紙テープやカードでの時代であった。それがパソコンの発達と供に、急激に一般に復旧して現在はメールでの、やり取りが当たり前のなったのである。前にもブログに書いたが、私自身はコンピュータに関しては道具として使うなら便利であるが、それを人間的教育には適して居ないと思っているのである。だが、人間は対人関係を行う場合は会話が必要である。それは向かい合っての会話で、その人なりを見極めて始めて信頼関係が生まれると、私は思うタイプである。だが、現在はメールで重要な事をやり取りする時代でありそれは仕事上であれば問題は無い部分はあるが対人間関係を樹立する為には、問題が多いと思う。現代でも、その様な現象を危惧する人達も一部には居るが便利であるから使う、それが友達であるからメールで分かり合えると言う方が多いのも確かである。確かに連絡事項には便利なツールであるが、それは連絡事項などを使う為には良いが、重要な事を話す場合には多くの問題点が出て来ると私は思うのである。特に日本語は曖昧な言葉が多い言語であり、自分は重要な事を伝えているのであるが、相手は曖昧に取ってしまい、トラブルと成りかねない。だが、それを若い人達は当たり前であり、それが主流だと思って居る傾向があるようだ。私は友情や人間関係は、あくまでも顔を見て話して相手の反応を感じて対応して行く事が人間として当たり前であると思うのである。それが出来なければ、本当の意味での人間関係の信頼は生まれないと思う。確かにメール等は便利なツールであるが、それはあくまでも連絡的に使うべきであり、人間関係の重要な部分は対人で行う事が基本の様に思うのである。これはコンピュータの発展と供に、私が危惧していた状況が、今現れているように思う。もう一度、人間関係の信頼は対人会話が必要な事を教えて行くべきであろう。文字は取り方によって誤解を招きやすいので。
2015.12.24
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今年もクリスマスが近づいて来た。去年のクリスマスは、高齢者で寝たきりの方にケーキを持って行ったが、今年は、どうしようかと思っている。私はブログにも書いたが、母(三姉妹)と二人の叔母がカトリックだったので、私は幼児洗礼を受けているので洗礼名を持っている。だからと言って、私は信心深くなく私自身は困った時の神頼みであり神を信じては居ないに等しい。ただ、仕事で海外に行っていたのが中南米なので、カトリックの信者の方が多い国であった。最初に行ったドミニカ共和国はカリブ海に浮かぶ島国で殆どの方がカトリックでプロテスタントの方も居たがドミニカで4年間、親しくして貰った家族もカトリックで海外ではイブの夜の食事は、家族だけで食べるのであるが、私を4年間必ず呼んでくれていた。私を家族同然に扱って貰い、良く食事も御馳走に成っていたし私も気軽に家へ遊びに行っていた事を思い出す。でも、良く考えるとケーキらしき物がイブの時には無かったように思う。確かに途上国なので、その様な贅沢な物は無かったのであろう。鶏肉の料理は多かったが、意外と質素な食事であった。その家族とは、大学に行っている子供と、私が親しくなり私が昼食に誘われたのが、最初のきっかけでありそれも赴任して2週間目であり、日本で、あちらでは、家で食事でもと言うのは、社交辞令であり行かないようにと言われていたのであるが、それを忘れていた私が、彼の誘いに乗ったのである。それが本当に信頼できる家族であった事は、私にとっては幸運であった。海外の場合はクリスマスがメインなので、12月から街中はクリスマス風景と週末は、必ずフェスタが行われ私が派遣されている所も、12月の毎金曜日は踊って飲むのが当たり前であった。また、家族でイブが終わると親戚が自然に集まって来て家族ぐるみで踊ったり、飲んだりで話が弾んでいた事を思い出す。本当に私の行っていた所は、家族の絆が強かったように思う。私を呼んでくれた家族の親戚は、私が知らない家族は居ない位でそれだけ家族ぐるみの付き合いをさせてくれたのである。もう1つの国は仕事をした、アルゼンチンでも友達になった方から、必ずクリスマスと新年には呼ばれ、そこでも親戚が全員集まる事が多かった事を思い出す。そんな事で、私の少年期は家族の、暖かさを知らないで育ったが海外では良き友人達が出来、その家族からも暖かい気持ちを貰った事に感謝している。私のブログに「絆」に関して書くが、日本人の家族間には日本人が忘れて来た物があると言うのが私の考え方である。今、高齢で介護の必要な方のお手伝いをしているがその方達にショートケーキであるが、私が持って行ったりしたのは、家族の絆が失われつつある日本の寂しさを感じる部分もあり、一人で寂しく過ごす事の悲しさも分かる部分があるからだろうと、自分なりに思っているから、私が、その様な行動をするのであろう。考えて見れば、ただのお節介焼きであるが、私が海外で味わった感謝の気持ちを忘れられないからなのかも知れない。ほんの小さなケーキでも、そこには別な部分の小さな喜びが生まれれば、それを大切にして行きたいと思うのが私の喜びなのかもしれない。自己満足に慕っているのであろうが、それで自分が満足であればそれはそれなりに良いと思っている。
2015.12.23
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色んな事に関わると、色々な問題が出て来る。問題も大きさがマチマチで、解決出来ない様な事もある。それが別な面で自分を育てくれるのである事は今まで自分が歩んで来た道で分かるが、幾度も逃げ出したい気持ちに成るのが、人の道なのかもしれない。ただ、問題を解決が出来た時は、自分が一回り大きくなったと感じるのは若い頃であった。昔の人は「苦労は買ってでもしろ」と言ったが、若い頃は苦労などしたくないと思って、逃げ回りたい気持ちが先に出てしまい、逃げ出していた自分を思い出す。特にお金の苦労には、良く思ったものである。何で裕福な家庭に生まれなかったのかと親を恨み周りの裕福な家庭を羨んでいた自分が居た事を思い出す。いま、日本はバブルの崩壊後に、経済や雇用面での不安定さが出て、それが長期化する毎に貧困格差が広がって来た時代に突入して来た。私達の子供時代は戦後の日本が荒れていた頃なので貧困格差は酷い状態であったが、今は政治によって貧困格差が広がって来ていると思う。時代背景は違うが、貧困格差で苦しむのは子供たちである。家庭での貧しさを感じるが、周りとの状況を考えて子供なりの見栄が出たりするが、それも限界がある事は間違いない。親も遣ってやりたくても出来ない状況であり、親としての苦しさも、自分なりに我慢して行くのが現実であろう。これは私達時代では、多くの貧困世帯があったから互いに助け合う事も行ったが、現代は日本の経済が潤って政治や経済不安からの貧困格差が広がったので、苦しくても見栄が先行して、それを出す事が出来ないで居る人が多いように思う。確かにバブル時代は、日本の国民の大多数が中流家庭であると思っていたのであるから、その時点で見栄の張り合いが始まった様に思う。特に日本人は見栄っ張りな人種であると私は思う。そう言う私も見栄で仕事をして、見栄で生活して来た部分が多い事を実感している。ただ、今回の貧困格差での問題は、私達の時代とは違った部分で複雑な問題を抱えているように思う。私達の時代は日本の経済を作り上げる為に、貧困層も富裕層も互いに張り合って日本の経済を盛り上げた。だが、現在の貧困は政治的不安定と経済が安定しない為に起きた状況である。私達の頃は労働者の権利を主張して、それなりに政治に関与し経済側は企業の安定を計る為に、政治的な利用をしてそれが互いにぶつかり合って、日本の経済を作り上げたのである。だが現在は、それが崩れ労働者の権利等は、政治家と大企業によって法案化され労働者の権利は弱体化してしまった。これは労働者の日本経済の発展と供に、自分たちの権利を主張しなかった為に、自らの権利を放棄した事は明確である。経済の安定と供に労働者が浮かれて、政治に無関心でいた為に経済界は政治家に金を握らせて、自分たちの牙城を強固にして行きそれを見て見ぬ振りをした、労働者側が作ったも同然であろう。この様な状況から現在に日本は、貧困格差は広がる一方でありこれからの子供たちは、私達が這い上がろうとした状況と同じ心理状態になり、苦労するであろうと思う。今や政治家と官僚は貧困に対しては、一時的な対策は行うがそれも焼け石に水状態である。政治家は金だけ貰えば、何でもする人種であり、貧しさ等分からないので、金をばら撒き、それで解決と考える連中の集まりであろう。
2015.12.22
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今日は午後から、何時も高齢者の方を訪れる。部屋等は前回で整理が付いたので、その時で年内は終わりのはずが、相手からの要望で今回行く事になった。今回は話をしたいのであろう。どうしても目が悪く外出も出来ない状況下で部屋に籠りっきりに成りがちであると、目が見えないのでテレビも音だけになり、話をする相手は外出付き添いのヘルパーの方と、食事や買い物のヘルパーの方だけであるがそれも時間の制約があり、話もあまり出来ない。高齢になり、介護が必要に成ると外出も、ままならないので部屋に籠りがちに成る。そうなるとテレビがお友達となるが、目が悪いとそれも難しい部分がある。私もこの方以外の高齢者の方の、お手伝いを行ったが皆さん身体的状況が違うが、内面的な部分では同じような気がする。どの方も寂しさがある。一人暮しで身体の自由もきかない状況であり、思う事が出来ない。それは部分的には自分なりに認めているが、心の内では話をしたいし、聞いて貰いたいのである。今、高齢で介護の必要な方が増えて、一人暮らしも多くその方達に福祉と言うな名で、ヘルパーを付けているがそれも時間的な制約があり、その他の制約がある。だが、それは外面的な部分で福祉を行っているにしか過ぎないように思うのである。本来はメンタルな部分をケアーしてあげなければならいと私は思う。私も被災地でも高齢の方との接触もあったが、確かに物質的な支援も必要であるが、時が経てばメンタルな部分が必要に感じる事が多かった。それは物質的には住宅や生活用品も必要であるが、そこには隠れた心の傷が見え隠れする事が多かった。私も約5年近く被災地に行っているが、今、行くのはメンタルな部分で行くだけである。それと同じように都市部での高齢者に関しても同じであろう。ただ違うのは、都市部は孤立化した部分が多い。被災地は同じ経験をしているので、それなりに互いに庇い合う部分が出て来るが、都市部は個の世界感覚が強いので隣近所との繋がりが無い。それを考える都市部のメンタルな部分のケアーは難しい部分が多い、どうしても個の世界観が強いのでそれぞれの生活感が違って来る。そうなると、それなりに対応して行かなければならない。私は今の状況は、相手の話したい事を聞いてあげる事に専念して、相手を少しでも理解する事であると思っている。これも、これから色んな問題点が出てくるであろう。それを、どの様に克服するかが、私の学ぶ事だと思っている。
2015.12.21
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毎年、その年を表す漢字の一文字が発表された。今年は「安」であったが、確かにそれを使った言葉や人や法制が騒動を起こした。私は皮肉であるが「安」は「暗」の間違いで無いかと思う。日本の政治や雇用状況は、地方の衰退化等を考えると今後の日本を考えると暗い時代の入りつつあると思うのである。これは、あくまでも私個人の考えであるから、他の人はそう思っていないかもしれないが日本の国内は問題が多く山積しているが、それを解決するだけの政策も打ち出せない政治家であり官僚達が多過ぎる。打ち出した政策は、その場凌ぎの政策ばかりで将来的な事は考えた物は無いに等しいしその政策も選挙用の政策であり、国民の前で一時的な眼潰しを投げかけそれに乗ったら儲けものと考えているのが政治家である。まず、政治家自身が政治とは何かを、分かっていないのであろう。政治は民意を受けて、それなりに近づける事が出来るかであるが今の政治家は自分自身の事だけを考えているだけである。まず、現在の地方の衰退を作ったのも政治であり、これだけの高齢化が進むのも、団塊の世代が生まれた時点で始まる事も分かり切っていたのである。それを知りながら、政治を行って行く事が必要であったと思う。だが、それも時代の流れで日本は戦後の廃墟から脱出の為にそこまでは考える余裕がなかった事も認めるのであるが日本が安定した時には、将来像を考えるべきであったのであろう。だが、その頃、日本は経済の発展に浮かれて、その場がうまく行ってれいば、将来的な事を考えないのが日本人であったのであろう。同時に国民は政治に対しても、政治家の不甲斐ない事を認めながら、見て見ぬ振りを繰り返して、政治に無関心を装うった為に、現在の日本の政治家を作り上げてしまったのであろう。現在の政治家の劣化は国民が作り、地方の衰退も国民が作った事と私は思う。私は幾度も書いたが、日本人は大人しい、海外であれば、この様な不安定な政治情勢であれば、デモやストは当たり前、途上国に成ると暴動化するのであるが、日本人は自分の身に降りかからない限り、知らんぷりであり、時が良ければ、何の行動も起こさない人種なのであろう。また、お上に逆らっても得は無いと言う、封建的な考え方が日本人の心の末端にあり、周りだけを気にして生きる事が基本にあるのであろう。だから日本の民主主義は封建的民主主義と私は思う。本来の民意で作り上げられた民主主義では無い為にこの様な現象が起きて、日本の政治の劣化に繋がるのであろう。この状況が続くようであれば、日本の民主主義は衰退して独裁的な政治勢力で牛耳られる日本に成るように思う。考えるべきは国民である、事なかれ主義は終わったので民意を表明して行く時代に成った事を国民は知るべきであろう。
2015.12.20
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昨日書いた日本人の語学教育であるが、私達が習った英語教育では英語を話しの出来る人が少ないと書いた。私達の時代から英語は必須項目で学校教育に取り入れられ長きの間、教育されたが、殆どの人は英語を話す事が出来ないであろう。私も海外で仕事をしたが、英語では苦労した部分が多い。あちらでは殆ど通じない事を痛感した。日本の語学教育は試験の為の教育であり、それは学歴社会で生かす為の文法一辺倒の教育であったのが私達の時代である。私の場合は海外では英語圏で無かったので、日本で初めてスペイン語を教育されて仕事をしたが日本で教育された期間も短かったのと、私自身が3週間の教育期間を1週間もサボった為のであるから問題は大きかった。ただ、日本で習った範囲では、現地に行っては通用しない事も理解できたのである。それは日本では語学を教わる時は文法が先行する。何かにつけて文法を優先して教える傾向が強い。ところが現地では文法など考える余裕もないほど話し方が早いので、単語と単語の接続語が、相手が早く喋るので、単語の区切りが分からいのが現実である。日本で習った場合は単語をゆっくりと話してくれるので何を意味するかは分かるのであるが、現地では母国語でありしゃべり慣れているので、まくし立てられて話しかけられる。聞いている私は単語が何処で区切られているか理解出来ないでいる事が当初は多かった。だが、現地に住み続けるのであるから、言葉が理解出来ないと生活が出来ないのであり買い物も出来ないし、人との接触も出来ないので私は現地の人の話す言葉を聞く事に、当初は専念したのである。聞く事から慣れる事が生活する為に必要であったからで赴任当初は言葉で騙され、幾ら損したか分からない事が多かった。どうも日本人の語学教育は、何処かが違うと書いたが日本は試験優先で、話す事を優先しない傾向が強い為と日本人の考え方が、島国根性が出ている為に他国との陸続きで無いので、自国語で何事も解決できるから語学教育も試験優先に成るのかもしれない。だが、そのわりには横文字を日本語に取り入れる傾向は強いし、横文字が氾濫して居るのが日本である。今や日本人は日本語で話をした場合に、必ず横文字が出てくるし、それが当たり前であるが、ところが英語や他の外国語で話しかけられると理解できていない人種であるのが日本人である。現状の日本語は日本古来の言葉は消えて、混在した日本語に成っているのであろう。これも日本人独特の曖昧さから作り上げている様に思えるのである。言葉も曖昧なら、行動も曖昧なのが日本人なのであろう。
2015.12.19
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政府は地方創生・一億総活躍と言う花火を上げたと昨日書いたが、国民も花火だけは一時的に見えるが花火は、一瞬は綺麗である。それに惑わされて一時的な余韻で終わるのが今の政府の政策であろう。今や地方は高齢化と過疎化で急激な衰退状態でありこれを立て直すには多くの問題点がある。まず、高齢化と過疎であるが、日本は終戦後に多くの移民を海外に流出させた。それは戦後の日本では食べていけない為に、海外に新天地を求める人達を募り、日本の戦後処理の経済立て直しを考えた政策であったが、多くの移民の方は海外で苦労して、それなりにやって行けるようになった。私も海外で仕事を2カ国で行ったが、そのどちらの国も日本からの移民の方が居た。仕事で、その方達を関わった部分もあったので、移住して来た当時の苦労した話等も聞いた事があり今でも連絡を取り合う友人も多い。移民の方達も現在では3~4世時代に入って来た。その人達とも仕事などで交流があったが、それなりに優秀な人達を多く見た。今は逆に移民の方達に高齢化と過疎化した日本を助けて貰う事も考えの、一つではないかと思う。都市部に於いては、外国の方とのお子さんも多く見る。その様な光景に違和を感じない人が多くなって来た。今や地方は高齢化と過疎で悩んでいるが、日本の血筋を引いた移民の方のお子さんに来て貰い地方の活性化と若い働き手を育てる事も考えて良いのではないかと思う。現状の日本の少子高齢化では、日本の将来的な部分では日本の経済は成り立たなくなって行くであろう。特に地方は現状の深刻な問題である、若者の流出で働き手が無い状況である。それを移民のお子さんを移住して貰い、新たな道筋を作る方法もあると思う。ただし、地方は封建的な部分が多いので問題はある。まず日本での風習等が違うので、考え違いが多く成るであろう。また、移民の3~4世は日本語が殆ど話す事が出来ない。移民した国には日本語学校は、殆どの所にあったのだが私が知っている限りでは、日本語を話し理解出来る人は少数であるので、言葉の問題等が出て来るであろう。どうも日本の英語教育と同じで、移民された方は日本語学校に通っているのであるが、日本語が苦手の様である。私達が英語を長い間学んだが、英語を話しの出来る人が少ないのと同じ事で、語学教育、日本は何かが違っているのであろう。これを考えて地方の高齢化や過疎化を防いで行く方法も一つの方法論であろうと思う。移民の方達は日本人の血筋を引いているのであるからそれなりに日本に対する考えを理解して貰えるが現状の日本の地方の高齢化・過疎化を考えるなら実験的にでも行ってみる事も必要であろう。
2015.12.18
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政府は地方創生・一億総活躍等と花火を打ち上げたが国民が、どれだけ理解して、それを期待しているのであろうか。幾度も書いたが、地方の衰退は急速に進んでいる。同時に高齢化と過疎は現実問題である。今の状況では多くの地方の生活が成り立たなくなる処が出て来るであろう。政府は一時的に見栄えのする事を政策として打ち出すがそれは一時凌ぎである事で、将来像が見えないのである。今の日本の政治家は選挙用に政策を出すが、日本の将来像を見据えた政策は無いに等しい。消費税の増税に対しても、軽減税率を行ったら、財源がありません。だから、弱者である高齢や福祉を行えません。本来、今回の消費税の増税は、福祉の為にと言って国民は納得した部分があったが、蓋を開ければ福祉どころか選挙用の政治家のパホーマンスに使われて、国民の低所得者対策で軽減税率を行います。これでは本来の福祉に使う為と、国民に消費税の増税を認めさせておきながら、自分たちの選挙の為に一時的な政策を打ち出しているだけである。地方創生でも打ち上げた花火は、今や国民に浸透しないでウヤムヤに成っている。花火であるから一時的にパーと開き、消えるのかもしれないがこれが現在の、日本の政府のやり方である。これは日本の国民性を、うまく利用した事を行っている。日本人は継続性に乏しい性格であり、それが強い。一時的に騒ぐが、時が過ぎれば、その騒ぎも収まりその事自体を忘れ去ったかのように、大人しくなる人種である。それをうまく利用して、選挙の時だけ選挙民受けする事を言って、当選したら「知りません、忘れました」と言うのが政治家連中であるから、国民も諦めの心境である。これでは日本の将来は先行き不安であり、政治家が言う将来の子孫の為に、今の問題を解決する等と言っているが一時的凌ぎの政策では、その場凌ぎであり、政治家自身が将来の事など考えずに、選挙に勝つだけの事を行えば良いと思っている事は明白である。それに乗っかる国民にも責任はある。自分たちに子供や孫等の事を考えて見たら、これからの日本を国民も考えていないのであろう。この様な、遣りたい放題の政治家を作り上げたのは国民である事を考えるべきであろう。そうして行かなければ、日本は破綻するであろう。
2015.12.17
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私がお手伝いしている高齢者の方から、依頼があった。前回で部屋の整理も尽き、今年度は終わりとの挨拶を交わして終ったはずなのであるが、依頼が来た。前回は12月の第二週の始めだったので、再度の依頼が来るのではと、私なりには考えていた。その考えが的中したのであるが、私自身も年内には話を聞いてやろうかとも思っていたのである。その方は目が悪く、どうしても外出などもヘルパーさんが付き添っての方であり、どうしても部屋に居る事が多い。外出以外でもヘルパーの方が居るが、時間的な制限で買い物などや多少の整理で終わってしまうのである。また、目が悪い為に、気の難しい部分がでてしまうのであろう。どうしても相手を選んでしまう傾向が強い。これは高齢に成れば、その様な傾向は強くなる。私の住んでいる団地でも同じであるが、高齢者間では我儘が出るので相反する部分が多くなる。今回の方も同じであるが、何故か、私を気に入って貰えた。だから部屋のレイアウト等は、私に任せっきりである。後は話をする時間に成るが、最初に行った時は私もこのゴミ部屋をどうしようかと思った位の状況であった。それが毎月2~3回行って整理を行い、落ち着いたので私も一件落着と思い、前回は相手の方も「良いお年を」と言っていたので年内は終わったと思っていた。ただ、高齢者であまり外出しない方は、寂しさを感じるのであろう。ましてや目が悪いとテレビ等見ないし、話す相手が居ないので人恋しい思いがあると思う。私が高齢者のお手伝いを行った最初の頃に、高齢で痴呆の方の病院の付き添いを行っていた方が孤独死で亡くなった事を前に書いたが、その方とも良く話を聞いてあげて居たがその事が私の心の中から忘れられない。その方を何回か訪問して居れば、体調の悪い部分が分かったのでないかと思ったのである。だからというわけで無いが、相手からの要請があれば話だけでも聞いてあげる事も大切であろうと思っている。今や高齢化で介護が必要な方が、部屋の籠り切っている方が多くなり、その方達の多少の、お手伝いがと思っているので話を聞いてあげる事で、相手の方の状況を見る事が出来るのではないかと私は思っている。だが、これも私が社協という所からの依頼であるから出来るのである。今や政府は高齢者に対する対応には問題があると思う。それによって行政側も高齢者対策を圧縮して居る状況でありそれが社協に負担増に成る事は、これから先は目に見えている。今後は高齢者で介護の必要な方の見守りも、私なりにお手伝いしたいと思っている。
2015.12.16
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最近、精神障害者サポート養成講座を受けた。私達の時代から見ると、多くの精神障害を患っている方が多くなった様に思う。これは日本の経済発展と供に、その様な方が増えたのであろう。確かに私達の若い頃は、医学も発達して居なかったが食べる為に働く事が当たり前の時代であった。日本が経済発展を成し遂げてから、私生活は安定したが仕事でのストレスが溜まる状況が増大したのであろう。その為に家庭と仕事のバランスを崩して云った為に精神的な負担が多くなったように思う。また、日本の風土的な考え方と欧米からの考え方が入り組み、それで日本経済が成り立つように成って来て考え方も変えて行く事が必要に成り、精神的な負担が多くなった。経済に発展と人間の思考能力とのバランスが崩れた事が精神障害を増やしたように思うのであるが、別な面で日本は、私達の若い頃は家族に精神障害が居ると隠す傾向があったので、それで数的に少なかった事もあるように思う。確かに私達の子供の頃は精神病院に入っている家族が居ると子供たちで馬鹿にした傾向が強かった。それが別な面でイジメとなっていたし、親たちも偏見の目で見る傾向が、はっきりと出ていた事を思い出す。その時代の育った私達世代も、今でも、その様に考え方をする人達が多い事も感じる。これは育った時代が背景にあるが、未だにその傾向は日本は強いと思う事が多い。今回のセミナーで精神障害者の方の話を幾つか聞いたが自分達も、その障害状況から抜け出したいと模索してあがいている様に思えたし、どうしてもマイナス思考が先行して、自分を追い詰めて行っているように感じた。これは一人では解決出来る事ではないであろう。マイナス思考が先行すると、自分自身を追い詰めてしまい次に考える事も悪い方向に向く、傾向が強いと思う。だが、日本では精神障害と聞くと、一歩後ずさりをする人達が多のも確かである。この人達をサポートするには、時間が掛かるが前向きな方向に向けてやる事が大切であると感じた。それは偏見を捨てて、相手がサポート側と同じ位置に居ると考えなければ出来ないであろう。これは私達が受けて来た教育では、簡単に出来る事ではない内容にも感じている。どうしても人間は偏見を持つし、それによって人を傷つけてしまっているように思う。その偏見を少なくする努力を自分でも行う事と思った。
2015.12.15
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最近、自分で墓穴を掘ったツケが廻って来る事が多い。私の住んでいる団地では、私は若い方なので頼りにされ何かと頼まれる。それに関しては私も動いてしまうが、それは団地自体が47年経つので、高齢化が進み、殆どの方が病院通いの状況なので新参者の、私が動く事に成る。また、私が余計な事を言ってしまう傾向が強いのでどうしても言った以上は、やる羽目に成るのであるがこれが私の悪いと所であり、自分で墓穴を掘っているのである。今年度の役員にされた事もあり、自治会のあり方の修正をして行かなければならないと思い将来的な事を考えて余計な事を言ったので呼ばれるような会議で無くても、呼ばれてしまう羽目に成る。呼ばれる事に関しては、問題は無いが、私の役柄では無いのに他の役柄の方を飛び越えてしまう事に問題がある。確かに私は行動的であるが、企業などで仕事をしていたのでそれなりの基準的な連絡を行う事が常識である事はわきまえているが、それを飛び越えてしまっている。だが、団地自体が高齢化の波に呑まれ、住んでいる高齢者の方が言う「ここは養老院だ」と言う位に高齢化が進んでいるのが現状である。このままでは自治会自体の運営も、ままならないのが現実であるが、古い会則を継続しているので役員の出来る方も高齢化によって少なくなっている。だが、長年住んでいる方は、その状況を知りながら「今までが、そうだったから」と言って変えようとしない。これが難しい問題で、私のように、ここに来て3年目では今までの経過が分からないが、問題が多い事は分かるので改定案を出すが、どうも頭が固くて理解して貰うのに苦労する。これが私達世代と、その上の世代の考え方なのである。それは私が高齢者のお手伝いもしているので理解をしているが、この様な考え方の人達が多い事も実感している。私達世代は、どうも諦めと慣れ合いが習慣づいているのであろう。変える事に臆病になっているのと、慣れ合いが染み付いた事を感じる今日この頃である。
2015.12.14
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今回の軽減税率に関しては、発想が逆転しているように思う。与党が言っている低所得者対策での軽減税率を実行しても果たして、本来の目的である「社会保障と税の一体改革」に結びつくのであろか?これから高齢化が今以上に進み、医療や介護が増大して行く事は分かり切っているのである。それが問題で消費税の10%までを、国民が理解した部分が多い。だが、今回の軽減税率で、医療・介護の低所得者対策は税収減で見送りに成った。これでは最初の目的である社会保障、どの様な事に成るのであろうか?また、一時的な逃げと選挙の為の対策にしか過ぎないように思う。基本的に目的を明確にした消費税増税であるが、これを一時的な選挙目的に国民に対するパホーマンスにしか取れないのが、与党のやり方である。果たして、この状況で日本の社会保障は安定するのであろうか。私はむしろ泥沼化するように思うし、発想的に目的から外れたその場凌ぎの対策でしか無いように思う。政治家のやり方の姑息さが表れた、今回の軽減税率であろう。それ、政治家は自分たちには、何ら関わって来ないし、国民が負担すれば良いが、それも選挙の為に、自分たちは低所得者に対して行いその人達を救っていると言いたいのであろう。これでは高齢化社会に成った日本では何のための消費税増税であったのか?基本的な部分が決まっていないので、政治と言えるのか。選挙の為の国民受けする対策を出して、選挙の為にだけで動く政治家では、日本は変わる事が出来るのであろうか。国民は、この状況をどの様に見るのかに興味がある。今回の対策は発想が逆転しているのではないであろうか?政治家は自分たちの事を考えて動くだけで、国民の生活環境等は考えず、これからの貧困格差は日本は急速に進むであろう。同時に高齢者に対して、「早く死ね」と言っているように私は思う。その前に違憲である自分達の襟を正すべきである。足りない財源は議員削減を行って行くべきであろう。
2015.12.13
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軽減税率が、ある程度の目途が発表された。これによって1.3兆円の減収である。消費税の上げる目的は低所得者と福祉関連に使う為であった。だが、財源不足になり、その両方が出来ない状況に成りかねない。これでは最初の目的は政治的に考慮されずに国民の負担増になり、借金大国の日本の行く末に不安を感じる。政治家は借金が多いので、国民に理解して貰い消費税を上げた。国民も、ある程度納得してのであるが、結果的には国民の負担増は免れず、むしろ低所得者と高齢者負担が増大しかねない状況に成っている。これは政治家と官僚の責任問題であろう。責任を取らない政治家・官僚は自分たちの事はさて置き、国民には負担を強いて、襟を正す事をしていない。これでは日本の貧困格差は急速に広がり、政治不安が進むと思われる状況である。政府は誤魔化しの、ばら撒きで国民の目を逸らそうとしているがそれでは解決出来ない事は分かっていながら選挙の為の政策であり、一時的に国民が喜べばいいと言うやり方にしか過ぎない。そのやり方では、一時的には国民を誤魔化す事が出来るが日本の借金は膨れ上がる事は目に見えている。低所得者対策と言っている政治家連中は、自分たちの腹は傷めず、国民に負担増を行う自体が問題である。何回も書くが、議員削減と公務員給与の圧縮を行う事が先ではないかと思うのである。それは国民の税金から、どちらも出ているのであるからそれを削減してから、国民に負担を強いるべきであるがそのどちらも行わず、国民負担だけを考えているのが今の日本の政治家連中である。議員削減問題がでると、地方の意見がとか地域の意見が反映されない等と言って削減案も抜本的に行わない。今の日本の政治状況で民意等反映されているのか疑問に思う。それも出来ていないのが日本の政治である。それは政治屋として甘い汁を吸えるから、誰もが色んな事を言って、難癖を付けて拒んでいるだけであろう。この状況では日本の将来は問題だけが残り、発展は望めないであろう。
2015.12.12
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最近、お手伝いで悩んでいるのが人間としての狭間である。狭間とは、制約と自分の気持ちが揺れ動く事を言っている。最初は互いに話をする側と、話を聞く側で収まるのであるがそれで信頼関係が生まれ出すと、そこには人間としての互いの本音を出す。これは人間社会では当たり前の事であるが、お手伝いと言う制約範囲がある限り自分なりに抑えなければならない。ましてや社協と言う名で行っていれば、制約的な事が多くなる。その制約は私自身では守らなければならないが、お手伝いされる側は、その制約自体を忘れる傾向が出る事が多いのである。これは互いに信頼関係が生まれるから、いた仕方ない事であるがこれが意外とネックに成りかねないのである。私の場合は制約外の事を行う事が多少なりにもある性格なので人間関係として制約から、外れる部分が出て来る事は分かり切っているが問題が起きた場合に責任を、どの様に取るかで制約される側と意見が食い違う。確かに問題は起きないとは言えないが、そこにはお手伝いする側の責任感の持ち方と、制約範囲からの多少の逸脱であれば問題が起きる率が少ないと私は考えている。私の場合は制約から逸脱する場合は、社協に事前報告を行って、この様に逸脱しますと言って行動を起こす。ただ問題が起きた場合は、私が責任を取りますと言う。これも私の責任範囲で行うので、社協側も了解してくれるが逸脱部分が重大で無いので了解される。ところが、これを繰り返すと、お手伝いされる側の甘えが出て来る事に成るのでる。この甘えが、何処まで制御するかが私の悩む所である。どうしても互いに信頼すると、相手側は高齢で介護が必要な方なので何かと不便を感じている事を依頼するが、私達は介護の資格も無いのであくまでもお手伝いと言う範囲でしか出来ない。だが対人間関係で考えると、それならやって上げられるがそれをやると範囲を超す事に成り、また、行政からの派遣されているヘルパーさんの範囲に入り込むので問題がある。どうしても行政側は規則で縛るので、逸脱した場合は苦情が来るし介護の状況も変化しかねないので、その部分はお断りする。だが、高齢者側は信頼しているのか、社協に電話があり物は何処にあるか等を聞いて来るが、私は見ていないので分からないので答えようがない。この様に対人間関係で行うなら問題は無いが、お手伝いと言う範囲では、行えない事が多い事に狭間を感じている。
2015.12.11
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日本で理解出来ないのは、違憲である場合は、国民はそれなりの責任を取らされて、世間一般から白い目で見られるのである。 だが、国会議員は違憲であろうが、自分達が法制化を握っているので姑息な手段で逃げ道を作り、誤魔化して居るのが現在の日本である。国民が違憲や法を犯すと、それなりの刑罰を受け責任を取る。だが、国会議員は自分たちで作った法制化を犯して政治資金などの罪を犯しても、今行っている職務で責任を全うしますと答える方が殆どである。多くの国会議員は、その様にして弁解を行い責任と言う罪の意識が無いのが殆どである。同時に、その責任を議員の周りのせいにして、逃げる方や再度、選挙に出て当選して、国民は理解したと言う方も居る。果たして、これで法事国家なのであろうか日本は?違憲であるなら、それを改めて臨み国民に理解させるのが政治家であろうと私は思う。また、その様な議員を再選する選挙民にも違憲と言う意識が薄いのであろう。その為に議員は選挙民が政治を分かっていない事で誤魔化しで乗り切れる事を分かっているからその様な行動に出る事も間違いない。仮に一市民が法を犯したら、周りの人達は厳しい目で見るが政治家だと、その厳しさは無くなるのは何故であろう。これは、金と権力に弱い日本の伝統的な考え方が寝強いからからでありそれが日本の風土的に浸透しているのであろう。今の違憲国会議員を野放しにしているのは、政治家にも責任があるが国民に一番責任がある事は間違いない。罪を犯しても、それを黙認して再選させているのは選挙民である国民なのであるから。この状態が政治家の劣化に繋がり、日本の政治の劣化となって今の政治が行われているのが日本の現状である。ましてや違憲である事を3回も言われながら、何もしない国会議員を野放しにしているのは国民である。国民は政治に対して諦めの心境で無く、声を上げる事の大切さを知るべきであろう。
2015.12.10
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一昨日に何時も行く高齢者の方の所に行って来た。全体的に整理が出来て、年内はこれで終わりと考えている。毎月数回行っていたが部屋の整理と話を聞く事が私の役目である。どうしても一人暮しになり、目も見えない状況だと話をする相手が居ないので、聞いて貰いたいのである。私は被災地でも高齢者の方との接触もあったので意外と話を聞いてあげる事の大切さが分かる。また、前に地域の高齢者の方の病院の付き添いをしていた方が孤独死で亡くなった事に私なりのショックがあり、その方との病院での付き添いの時に色々な話をしてくれて、徐々に本音を言ってくれていた事を思い出す事が多い。今や高齢化が進み、介護が必要な方が多くなり、お手伝いが必要な方も増える事に成るが、高齢者福祉に関しては早急に是正して行かなければならない時期だと思う。それが遅れているのが政治であり、それに力を入れて居ない政府の遣り方に不満と憤りを感じている。現政府は、高齢者は姥捨て山的な考え方で、高齢の方に負担増を強いているのであり、現状の高齢者の方の殆どは低所得であり生活も贅沢等出来ないで、我慢をしている方が多い。それを知りながら政治家と官僚は高齢者負担増を行い来年度は消費税増税等によって、高齢の方の負担が増すであろう。この様な状況下で、後々対策で付けたし政策を打ち出しているがこれは、その場凌ぎの対策であり、根本部分は何ら変わらない。現状の問題点は何ら変わらないし、行政も手が打てないのが今の日本の現状であろう。政府は予算が無いからと言いながら、違憲状態の国会議員をそのままにして、国民には削減したような姑息な手段を見せ自分たちは何もせずに、国民に負担させているがこれだけ高齢化が進んだのでは、税収も限られて来る事は分かっているはずである。それより違憲状態の国会議員が日本の政治を考えるなら自分達が模範を示すべきであろう。それを自分たちは何もしないで、守りに入って国民や弱い高齢者には負担を強いている政治家と官僚には憤りを感じる。今や日本は高齢化を早急に考えた政治を行うべきであろう。そうしなければ借金大国の日本と国民が潰れてしまう。まず政治家と官僚が襟を正して行く事を願うだけである。
2015.12.09
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今、私は自分のブログに書いた事の矛盾を感じている。ブログに「絆」の事を書いたが、それに対して矛盾を感じているのである。日本人は「絆」と大震災からの頃から言うのであるが、私の考えは「絆」は、家族愛から出て来るものが広がって行くものと感じている。家族の労わりや思いやり・癒しなどから、自然に学びそれが別な部分で他の人を思うように成って行くと思う。私は現在、高齢者のお手伝いと、自閉症の方と関わりを持つようになった。そこには家族愛(絆)の相反する部分を感じている。高齢者の方は子供との交流が無くなり、一人暮らしが多くなり、家族との繋がりが少なくなって来た事を感じながら、お手伝いをしている。逆に自閉症の方は、親が関わり過ぎる為に、その方の将来的な事を考えないで、親が何もかもする傾向が強いのである。これに関しては親心から来るものであるから理解は出来る部分があるが、それでは親が高齢になったり亡くなったと時は、その子はどの様に生きるかを考えていない傾向が強い。そこには子供を思う気持ちがあり、親がやってやらなければと言う親の愛情から来るものであるが、私はその一部分は認めるが将来的な事を考えてやらなければならない部分がある事も含めて考えてやるべきだと思っている。私が今、関わっている部分では、かたや家族愛がありかたや家族愛が失われた部分を見ている。そうなると私の書いている「絆」に関して矛盾を感じる。今、私が関わっている、そのどちらにも問題がある事は分かっているが、かたや「絆」は失われ、かたや「絆」を越えた過保護状態である。そのどちらにも、その様に成る原因がある事は分かるが、私の中でジレンマを感じてしまう。悲しいが、そのどちらも何かが違っている事のように思ってしまい、私の考えや行動が正しいのかを今の行動の中から見出したいが、それは永久に難しく答えが出ない様な部分とも思う。ただ、今の日本での「絆」に関しては、修正が必要である事は、分かっていると感じる。これは日本の伝統的な部分を、教育して来なかった私達世代にも責任があるように思う。
2015.12.08
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マイナンバー制度の混乱は続いているが、これで来年の1月からの、稼働出来るのであろうか疑問である。私はブログにマイナンバーに対する事を色々書いた。まず、準備期間の問題や使う側の問題等を書いたが既に準備期間自体が少な過ぎた為に、多くの自治体で問題が起きている。それ程のシステムを、この準備期間で行う自体に疑問を感じていたが、そのシステムの使用する機関が機能していないのと、システム自体の使用方法が分かっていない。元々システムの根本から離脱した発言を政治家や官僚が行った事にシステムを運用する側に混乱を招いている。この状況では来年の1月からの本稼働は無理であろうし問題が起きるであろう事が明確である。何故に、この様に問題が起きるかはシステムの運用側にオペレートを指導して居ないし、管理チェック体制も出来ていないので問題が起きている。今回の様なシステムは、膨大なシステムであるのでその運用には徹底した指導を行ってから本稼働を行うのが普通であるが、それもやらないで直接本稼働状態である。これでは問題が起きる事は目に見えて居るであろうしシステムのテスト稼働を行っているであろうが、運用側のオペレートを、どの様に考えて居たのか?システムを効率よく稼働させるのは、そのシステムを動かす人によってである。この事は幾度も書いたが、システムは使う人で生きるが使う人が理解出来なければ、只のゴミ状態に成る。今の状態では運用する人達が、理解していないので問題が起きているし、それを指導する事が出来ていない。この状況では、システムが安定するまでは1年以上かかるであろう。それから始めて民間との連携が可能に成るがそれも全国的な規模で行うのであるから、問題は起きるし、民間に対する運用指導も行う事も必要なのであるが、今の運用の指導状態では無理である。今でも運用する側の能力格差があり過ぎるので問題が出ているのにそれを民間と連携させると、能力格差はもっと広がる。それを指導する行政や省庁が、この状態であればデータの漏えいも当たり前であろう。このシステムはデータ漏えいした場合は、問題が大きいそれを分かっていながら、運用側の指導を行っていない為に今後も問題が起きている事が多いであろう。官僚主導でシステムを構築した事が問題が大きい。これだけのシステムであれば、相当な資金が注ぎ込まれているであろうし、それが国民の税金から出されていて、この状態である事に誰も責任は取らないであろう。
2015.12.07
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昨日、自閉症の子とツアーに行った。これで接触するのは5回目であるが、徐々に対応方法が多少、分かるようになった。私は自閉症で多少知的に障害がある方との接触は始めてであり、思考錯誤しながら学んでいる状況である。だが、私も子供の頃に施設で育ったので、子供同士の関係は一般の人よりは違った部分で分かる。最初の段階は個別に接触して観察したが、第二段階では泊り込みで、その後は通っている施設でのトラブル後にと段階を踏んで行ったが、第二段階の場合は、通っている施設でのトラブルがあり、集団での行動範囲から外れた状況になるので別行動であったが、彼が孤立化している、その原因は、ある程度は分かった。その段階でも、私の経験が生きた部分はあると思う。母親も分からなかった事を、私の子供時代の経験から子供同士のトラブルから来る問題で、一時的にパニックに成るのであるが、その原因ははっきりと見て取れた。今回は施設とは別な団体行動で、トラブルかと団体行動が出来るかを観察したかったので、一般人のツアーに参加してその子の行動を観察したが、問題は無い状況であったから施設でのトラブルは、施設内の仲間と相性があると思う。何回かの接触で彼の表情を観察して来たが、最初の頃は緊張感からか硬かったが、今は多少なりとも表情で判断出来るまで接近しつつあると思っている。どうしても接触時間が少ないので、表情の判断が出来ない部分が多いが彼との距離は、私の子供時代に戻る部分が必要に感じている。私は、人間関係は相手の立場に成りきる努力が必要と考える。ただ、相手の気持ちには成りきれないが、多少なりでも相手の気持ちになれたら、その部分から始まりであると思っているし、そこで多少の信頼関係が出来るとこれからの接し方が分かって来ると思うのである。今回は施設での団体行動に多少の問題点があったのでツアーのような団体行動では、どの様な行動を行うかを部分的であるが観察できたと思う。私はマダマダ彼の信頼を受けてはいないが多少は接近で来たように思えるし彼も遊び相手では不満もなさそうである。後は彼の時々(私が話したり、依頼した場合)の表情を観察しながら時間を掛けて、私も学んで行こうと思っている。私達健常者には分からない部分が多いので、地道に時間を掛け色んな方法を行って、観察して彼の良い部分を引き出したい。悔むのは、もう少し早くに彼と会っていたらと思うのであるがでも、これからでも彼との接触で学べる部分が多いにあると思って行動しようと思う。
2015.12.06
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今年もカレンダーが後1枚である。また、新しい年が、すぐそこまで来ているのだな~と感じる月に成った。私は1月生まれなので、カレンダーが後1枚に成ると最近は又歳が一つ増えるのかと思って、寂しい気持ちに成る。若い頃は楽しみだったが、今は寂しさが優先してしまう。世間では浮かれた状況であるが、私の気持ちは、それと反比例して居る、最近の自分である。反比例でも、それなりに行動はしているが、年齢と供に動きは悪くなったと思うのが、自分自身では年齢を重ねた事を感じてしまう。だが負けず嫌いの私は、行動したいと思うし動く。そんな自分を思うのであるが悪アガキである事は分かっている。歳を重ねる毎に悪アガキの幅が大きくなる。人は皆同じなのであろうが、年齢と供に自分の行く末は決まっていると感じる事が多いようである。私は高齢者の方との接触も多いが、皆さんが言う事は「行く先は決まっているから」と言う言葉を良く聞く。そんな自分も、その様に感じる事は確かである。だから私は悪アガキをして、自分を鼓舞しているのであろう。同時に私は何も持っていないし、自分でも欲望も無くなったので人間らしく生きて見たいと言う希望だけが先行している。ただ、これが私の今までで一番難しい事のように思う。人間らしくは若い頃からよく考えていたが、分からない事が多く、また、食べる為に働く事に忙しかったので考える暇もなかった。今は、それなりに考える時間もあり、自分なりに制約も無く行動が出来るので多少なりに色んな事が出来ている。これも物欲も、禁欲も少なくなり無いから、出来るのであると思える。若い頃は、そのどちらも強く感じるので、自分の欲望に向かって進む、それが別な部分で自分を学ばせてくれるのであろう。だから、昔の人は「若い頃の苦労は、買ってでもしろ」と言った事が分かる年代に自分が成って来たように思う。その経験した苦労を生かすようにして行きたいがまだまだ、自分はそこまでの粋に達していないのでこれからもっと学ばなければと感じている。
2015.12.05
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私は自分の行動に曖昧さを感じている。今までブログに色んな事を書いて来たが、大体毎日書いている。これだけ毎日書くと、書く題材が尽きて来るのである。今日は何を題材にしようかなと思いながら書く。そうなると気持ちが入っている事を書いた時には自分なりに納得するが、その時に考え付いて書いた場合は自分で書きながら、文章が曖昧に成っていると感じる事がある。この曖昧さは自分の行動でも出る時がある。その行動が曖昧なのか、安易なのか行動を起こしてから考え直す事が多くなった様に思う。自分の性格は人に頼まれると「嫌」とは言えない性格な部分が強いのであり、それが自分自身で曖昧さに繋がっている事は分かっているのであるが、その場に成ると、その考え方を忘れて、つい「いいよ」と言ってしまっているのである。これは若い頃からであり、それで墓穴を自分自身で掘っている事は分かって居ながら変える事が出来ない。私は日本語ほど曖昧な言葉多い言語は無いと書いた事がある。外国の言語はYES・NOの世界であり、行動的にも、その様な行動をする人達が多いが、日本人は言葉で曖昧な分も、行動でも曖昧な部分が多いのであろう。私自身を見ても分かるが、私の行動は意外と自分でははっきりしていると思うが、言葉に関しては曖昧な事を言う日本人である事を感じている。これは日本人の良い所である場合もあるが、誤解されやすい部分である事は間違いない。特に外国の方から見ると、一番日本人が言う事が分かりずらいのではないかと思う。また、YES・NOが言えない為に、日本人はYES/NOの中間的な言葉を使う場合が多いのが、政治であろう。その為に八方美人に成るが、それは逆に言えば自分を表現する事が下手なのである。その典型が自分でもあるように思う。相手の言い分を理解しないうちに、自分なりの答えを出してしまい、それが後で、自分で責任を取る事になり後から後悔する事が多いのである。海外で仕事をして居た割には、私はYES/NOがはっきりと言えないでいるのであり、ただ行動にはメリハリは付けているが、マダマダ日本人気質は抜けないものである。
2015.12.04
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最近思うのであるが、日本人はボランティアとかに理解が少ない人種のように感じる。基本的にボランティアに関する考え方が欧米とは違うし、ボランティア精神の教育が、なされていなかったからなのであろう。ただ、日本には昔ながらの、思いやり精神はあったのであるがそれも今では消えつつあるし、教育現場でも強くは教えて居ない。思いやりは教育現場だけでは無く、家庭での教えが重要なのであるがそれも出来ていない家庭が多くなった。その為にボランティアと聞いて、そんな事をやってとかあからさまに嫌みを言う人を多く見る。私も最近ある所で、その様な行動をされた事があるが年代的には40代・50代が多いのと、女性に多いのを感じる。これは私達年代が、教えて来なかった事もあると思うし学校教育も学歴一辺倒で、人間教育が欠けていた為であろう。前にも書いたが、「絆」と言う事は、日本人の思いやりや優しさが基本であるが、それが家庭内では失われつつあると書いたが、本当に、その部分で色んな事を言われる事が多くなった。お金にも成らないのにとか、そんな事をやっているのは生意気だとかの言動などが、見受けられる人を多く見る。確かに私の行動は、自分勝手であり、自己満足であると自覚しているが、それは自分で責任を持つのであるから他人に迷惑がかかる事はしていないので、その様な人を見ると、腹が立つ時もあるが、人間として小さく見える。きっと人間として心に余裕が無いのであろうと思いその様な教育をされたり、経験して来たのであろう。だが、本来日本人の持っていた、思いやりや優しさが消えつつある事は寂しい。それは日本の経済発展と供に失われて来たように思う。私達の子供から青年に達する時代は、それなりに貧しかったので互いに助け合う気持ちがあった。それが日本の経済が発展すると供に、その様な気持ちが消えて行ったのと、国民の考え方が経済的な部分で中流意識が強くなり、人間性を大切にする意識が薄れ社会での立場を優先に考えた為に、この様に成ったのであろう。基本的な思いやりや労わり、優しさよりは、学歴でどれだけ人より優れているかを競って来た為に、今の時代の人の考え方が偏ったのであろう。それを作り上げたのは、私達でもある事は間違いない。同時に教育関係を監督する省庁も、学力主義に偏った教育方針を打ち出したためであろう。それを継続させている人達には、人間性が分からず、意外と冷たい態度を取る人達が多いのである。これは日本人独特の「熱し易く、冷めやすい」性格が出ている。本当にボランティア等を理解しているなら、前記した態度や言動はないであろう。これからの日本は貧困格差が広がり、それによる差別や偏見が出るであろうが、今の日本人の多くの考え方では差別・偏見が広がり、それがイジメや犯罪に成る可能性が大きい様に思うので、これからの家庭や教育現場での人間としての教育を見直すべきであろう。
2015.12.03
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昨日もマイナンバーに関して書いたが、問題が多いシステムである。今回のシステム稼働は無謀としか言いようがない。マイナンバー制度の考え方が分かるが、このシステムの範囲が明確にされていない事も問題であり、民間との関連やこれから行政が行う範囲も鮮明にしないで稼働は無いであろう。前日も書いたが、このやり方はテスト稼働と同じであり私達が企業でシステムを構築する場合に行うテスト稼働もそうであるが、疑似データ等を使い、システムの問題点を洗出し、なおかつテスト稼働で出た問題点を修正する。テスト稼働を行う場合も、あらゆる項目を考慮して疑似データを作成してから行うが、それでも多くの問題点が出て来たり、想定外の問題が出て来る。そのテスト稼働を幾度も行い、本稼働となるが、本稼働でも問題が出て来る。それは使う人達によって、私達が考えられない様な行為がありそれがシステムで考慮されていない為に起きる問題である。その様なテスト稼働と本稼働を行って、システムが安定する。これは企業の範囲以内であるから、問題が起きても処理が出来る。また、システムを使う人も限られているので、他に対しての影響は少ない。だが、今回のマイナンバーに関しては、国民に対しての周知徹底期間が殆ど無いのと、システムをどの様にして行くかも決まっていない状況であり、財務省が馬鹿げた使い方をするとか民間との連携も曖昧な部分の為に、民間自体も理解していない。同時に日本国民に対しても、どの様に使うべきかの説明も殆ど成されていない。この様な見切り発車は、私達がシステムを構築する段階のテスト稼働も、なされていないと同じ状況である。これは稼働させてテストをすると言う段階で、あくまでも動くか動かないかを試すという状態と同じである。だからマイナンバーを何々使いますと省庁が言い出したが最終的には問題ありと言う事になり、立ち消えしたり馬鹿な政治家がマイナンバーを何々使います等の発言が出る。基本的に、このシステムが稼働された場合に起きる問題点を把握してないし、これだけの膨大なデータ項目が漏えいした場合の事など考えていないのであのような発言が出るのであろう。また、システムを構築した側も問題点予測が出来ていないので見切り発車させて、テスト稼働を行うと言う考え方が見え見えである。このシステムは国民の生活内容が全部と言って言いくらい含まれる膨大なデータであるのであり、また色々な環境の方が居るので、データに関しての問題点を想定する事は難しい事は分かるが、今稼働させて問題点の洗い出しをすると考えたマイナンバーに関しては、多くの犯罪が起きる事であろう。その管理機能も無い連中が、見切り発車して誰がその責任を取るのであろうか?本当にこれだけ大きなデータに成ると、犯罪が起きた場合は莫大な被害が出るであろうし、今の省庁の管理体制では起きる事は目に見えている。その面も整理しないで、マイナンバーの稼働は問題が多過ぎる。
2015.12.02
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私の所にもマイナンバーが来た。これで国民一人一人がナンバーで管理される事に成る。幾度もブログに書いたが、今回のマイナンバー制度はあまりにも乱雑な方法でやり過ぎている。確かに国民総背番号の法制は国会で可決通過したがそれは何年前であったろうか?それによって官僚がマイナンバー制度を確立するのは分かるのであるが、このシステムを作成するのに国民に周知徹底する期間が短いのである。これ程のシステムは、準備期間や周知をさせる為の期間が長い時間が必要である。その期間が短すぎるのと、どの様な内容で使うかも説明されていないのが、問題が多い。基本的には国民に番号を付けて、それによって行政の業務の簡素化を目的としている事なのであるがその管理業務を、どの様な物までに広げるかによってシステムを作る側のチェック項目等が決まるのである。今回の、このシステムは安易な考え方で作成されているように思われてならないのは、私だけであろうか?まずシステムの作成開始時期が何時であったか、法制が可決されたのは2013年であるから、それから準備期間が整えて、システムの構築を考えたのであろう。それによって、どの様なシステム構成にするかを設計が行われる。システム構成の設計は将来的な展望や、状況も考慮する事とそのシステムを使う立場等やネットの問題点なども考慮してからシステム設計を行い、システムを作り上げて行くのが普通である。まず、システムの設計段階でシステムの業務内容が決められ次に業務の問題点を洗い出し、業務の将来的展開等を考えて行き、その主業務に対しての、関連させる業務と関連業務の系統範囲や、系統させた場合の関連問題点などを、考慮して行かなければならない。同時にシステムが稼働した場合の、使う人達の状況も把握して、そこに起きる問題点もシステムでは考慮し考えてなおかつ将来的に起こりうる問題点も推測してシステム設計を行い、システムを作成するのであるが今回はその準備期間が短すぎる。果たして上記に書いた範囲を考慮して、なおかつネットがこれから起きる問題点も考慮されているか分からないシステムの様な気がしてならない。今回のマイナンバーに関しては、見切り発車させて問題が起きた場合に修正を加えて、行きながらシステムを作り上げようとしている事は、はっきり言える。企業のシステムを作った場合も同じであるが、必ず問題が起きて追加項目や修正が行われてシステムの安定が出来るのであるが、これは使う人数も違っているし、ある程度は知識がある事を考慮しているから安定出来るが、今回の場合は大きく違う。今回は日本国民が使い、対象に成っているのであるから見切り発車した場合は、想定外の問題が起きる事は当たり前であり、その問題に対処出来るだけのシステムなのか疑問が多過ぎる。また、これだと私達がシステムを構築した場合のテスト稼働状況であり、問題の起きる想定が出来ていないのに強引に稼働させると同じである。これは最悪のシステムに成りかねない。官僚の横暴とシステム作成企業のズサンなところが出ているように思える。これが、問題が起きた場合は、誰が責任を取るのであろうか?このシステムはテスト稼働と同じであり、国民をデータと見なして、問題点の洗い出しをしようとしている最悪なシステムの様に私は感じてならない。
2015.12.01
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