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今朝、出勤途中に通る公園でものすごい数のゴミがあちこちに捨てられているのを見ました。ファーストフードの食べかすやお菓子のパッケージなど、なぜこんなところに捨てるんだろうとマナーの悪さに呆れ返ってしまいました。。日本人として国際社会の一国家として、恥ずかしい限りです。公園にはゴミ箱が設置されているのに、なぜでしょうか。誰も何も言わないからか、それでも全く気にしてないのか。。。モラルに欠けすぎていると思います。街中にもっとゴミ箱が設けられたら解決するのでしょうか。残念ながら個人的な見解としては、?です。ゴミ箱がないなら持ち帰るか、ゴミ箱を探してそこまでは自分で持っているべきだと思います。毎朝公園を掃除している人たちがいますが、だからと言ってポイ捨てしていいわけではないと思います。同じ日本人として情けなく思う反面、どうしたらマナーの向上を期待できるのかと考えずにはいられません。オーストラリアでは、大抵ゴミ箱が目に付くところに設置してありそこに捨てるのが当たり前のような社会になっています。ただ年末の花火大会の時は、朝方大量のゴミが捨てられているのを見かけました。しかしこれは特別なケースであり、マナーだけを考えると圧倒的に日本より守られていた気がします。自分の部屋は綺麗にするが、一歩外に出ると全くお構いなしというのはいかがでしょうか。改めて考えてみる必要があると思います。
2007年10月31日
クリスマスシーズンの到来です。毎年のことながら町にはクリスマスデコレーションが見られるようになりました。毎年毎年違ったツリー用の飾りを購入する人達が多いのでしょうか。よくこんなにたくさんの種類のものがあるな、と思わずにいられません。せっかくそれだけお金をかけて飾るツリーですから、クリスマス近辺だけ日の目を見るのはもったいない気がします。少々気が早いかもしれませんが、家庭でもツリーを今頃から飾ってみても良いのではないでしょうか。日本では、公のクリスマスホリデーと言われるものはありません。仕事も通常の日ですから、変わらず営業しています。年末年始の時期はもう少し休みが増えても良いのでは?と個人的には思っています。それに経済効果も多少ながら改善するのではないでしょうか。今年の秋は全くおかしな秋です。今の時期にまだ半そでを着て庭仕事をすることもあります。オーストラリアは日本と季節が逆で、今頃は春です。クリスマスの時期は夏ですから、暑いクリスマスということになります。良いのか悪いのか、今年の日本はそんなオーストラリアでのクリスマスホリデーを思い出させてくれます。地球の温暖化がかなり気になる今日この頃です。
2007年10月30日
年齢層によって話す言葉や話し方に特徴があるようです。幼少の子達はちょっと舌足らずな感じの発音で、それが逆に単語ごと聞こえ易かったりします。ティーンエイジャー達は大人顔負けの話しっぷりですが、若者独特の言葉を使うことがあります。それは仲間内にしか分からないような言葉だったり。。成人するとビジネス用語や生活的な単語を使う機会が多くなり、それに伴い単語数も圧倒的に増えていくことでしょう。老年になると幼少期に戻ったような感覚で、はっきりとした単語として聞き取れないことが出てくるでしょう。会話の内容も、健康に関することだったり年金に関することだったりと、これまでの人生ではそれほど重要性を秘めてなかったことが話題に上りやすくなることでしょう。日本語だけに関わらず、英語の世界でも同じようなことが言えます。その国の社会性も関係してくると思いますが、多からず少なからずおおよそこういった共通点があると思います。私達が英語を学ぶ過程では、こういった幅広い場面で柔軟に対応していけるスキルを身につけることも必要だと思っています。
2007年10月29日
ぶっつけ本番という言葉があります。英語環境へ身を置いた時、そんな体験をするものです。全く言葉の意味が分からない社会へ飛び込むという勇気。それは生活が脅かされる可能性を伴います。一体自分はちゃんとした生活を営むことができるのか、不自由ない生活ができるのか。。出発前は色んな不安が心の中を飛び交います。しかし、一旦飛び出してしまえば後はできる限りのことをやるだけです。実際に現地には他にも日本人が住んでいるのですから、困った時は助けを求めても全く恥ずかしいことはありません。現地で英語を勉強することを決める、その決断が最初の難関突破口だと思います。一番ハードな決断をしたのですから、それから先は頑張るだけです。それだけの重大決心ができたのですから、意思を持続することができればきっと後の成功もついてくることでしょう。
2007年10月28日
シドニー滞在中、車がなかった頃はとにかくよく歩き、公共機関を利用していました。無いものは仕方ありませんから、買い物にもバスか歩き。荷物の大さから、大抵行きは歩いて帰りはバスというパターンでした。子供が生まれてからはその大変さは急激に増し、小さい子を連れて車無しの買い物は本当に一日がかり。今日の予定は買い物です、といった具合に。。前後に乗れるベビーカーがあるのですが、二人一度に乗せれるのは便利ですがとにかく重い。バスになんか到底乗れたものではなく、たった一度だけ利用したことはありますが二度と乗らない、それなら歩いた方がいいと思ったのです。なぜそこまで重い必要があるのか、と思いますが安全面ではベビーカーが安定しているので良いのかなとも思います。何が言いたいのかといいますと、車はなくてもどうにかなるものだということです。何十キロも歩くことはできませんが、バスや電車に乗ることはできます。それに大抵周囲の人たちが手助けしてくれるのです。下車する時やホームの階段の上り下り。持ち上げようとする前に、誰かがさっと手を出してくれるのです。とても温かい想いになりました。日本ではそこまでのヘルプはまだ得られないような気がします。オージーは本当に素晴らしいボランティア精神豊富な国民です。
2007年10月27日
どの国の言葉も同じだと思いますが、使わないと度忘れしてしまうものです。聞けば、なるほどそうだったと思うのですが、すぐに口から出てこなくなります。日本に居て英語に触れる機会がめっきり減って、しかも生活で使う単語は限られていますから語彙が記憶の奥深く埋もれてしまうのを実感するのは、何とも悲しいものです。聞いていると耳に入ってきても、いざ自分が話そうと思ったら何と言ったら良いか分からない。そんな経験はありませんか?まだ自分のものになっていない証拠だと思います。どうやったら頭の中に残るのでしょう。答えは単純です。とにかく聞いて考えて自分で使ってみる。その繰り返しの単調な作業です。机に向かって文法や単語を暗記するのも大切ですが、それよりも実際に使ってみるのが一番最適で最短の習得方法だと思っています。生活する上で難しい単語はそれほど必要ありません。他の単語を使って何とでも説明できます。言葉は生き物なんだなとつくづく感じています。
2007年10月25日
英語に慣れていない時に困った事の一つは、テイクアウェイ(食べ物を持ち帰ること)の注文をすることでした。スモール、ミディアム、ラージのサイズは分かりますが量加減や詰め具合を調整してもらうのを何と説明すればよいかが分からなかったのです。量り売りの売り場では、スモールサイズを注文しても、決してフルにする必要がなく、半分といった注文ができたのです。順番が回ってくるの怖くて、なかなか整理券を取れずとりあえずは様子見で周りの人たちがどんな風に注文しているか耳を澄ませて盗み聞きしていました。それにしても何と言っているのか分からなければ聞き取ることができません。そこからスタートです。お客さんの中には指をさして説明したり、考えながらゆっくりと注文するので段々と聞き取るコツを得ることができました。そして次は自分の番です。それを理解してもらった時の喜びは何とも言えない満足感を感じたものです。これを繰り返していくうちに食品の発音を覚えることができ、自分のものへと吸収することができるのでしょう。
2007年10月24日
英語を話せる人につい頼ってしまうことがあります。自分より勇気や行動力がある人には逆らえないことがあるものです。英語に自信がない時、そんな人が近くにいてくれたら心強いと感じます。しかし、時間の経過と共にこれでいいのだろうか?と自分に疑問を持ち始めます。もちろんそのままで成長があるわけがなく、自立しなければならない時が来るでしょう。自分一人で行動してみよう。そう決心して出かけてみます。いつかは自分だけで会話をしてみる、銀行へ行ってみる、シェアメイトを探してみる。やるべきことはたくさんあります。気持ちさえ入れ替えて行動することができれば、きっと自立できる日もそう遠くはないでしょう。
2007年10月23日
日本では今、大体一晩で約1000円くらいで利用できるネットカフェがたくさんあります。この現象は一体何を意味するのか。。電車内の広告で毎日めにするため、しばらく考える時間があります。この1000円に含まれる利用可能なものは10サービスほどあり、なぜこんなに低価格で提供できるんだろうかと疑問に感じます。ネットカフェというとシドニーにいた頃に見たものがとても印象的で、単純ににインターネットができるカフェがそのベースです。国によって違うのか、年数と共に進化したのか分かりませんが、ただネットができるだけでは集客につながらないのが日本のネットカフェのようです。文化や習慣の違いはあるでしょう。しかしそのサービスを利用する消費者の求めるもの自体が根本的に違っているような気もします。どちらが良いとか悪いという問題ではないのです。話変わり、ブラット・ピット夫妻が最近ヨーロッパで住居を探しているというニュースを見ました。子供たちに世界に広く目を向けて欲しいと考えた時、アフリカにもアジアにもアクセスが可能なヨーロッパだと思ったそうです。日本という国にいて何ら生活に困ることはないと思っていますが、ちょっと違う方向へ目を向けると様々な選択が頭に入ってくるんだなと思いました。どこで自分が満足するかだということでしょう。
2007年10月22日
最近、職場の同僚の息子さんがオーストラリアへワーホリの為に旅立ちました。10数年前はまさに私がその立場だったのですが、今は親の立場でその現実を捕らえている自分に気が付きました。最低、長くて2年。。今はワーホリビザも条件さえ合えば2年目のビザを延長できるようになっていて、いかに多くの日本人が利用しているビザかが分かります。国内であれば遠くても週末などを利用して里帰りが可能ですが、海外となるとそう簡単に帰国するわけにもいきません。その同僚は相当寂しい想いをしていると思います。旅立つ者は残される人たちのことを構っていることはできません。目標に向かって進むのみだからです。細かな詳細は分かりませんが、何かしら求めるものがあっての渡航だと信じています。まだ始まったばかりのワーホリ生活。結果はずっと先のことですが、きっと素晴らしい経験と思い出を持って帰国してくれると思っています。頑張れ!
2007年10月19日
日本語に方言があるように、英語にも方言のようなものがあります。アメリカ英語、イギリス英語、オーストラリア英語、スコットランド英語などその土地によって様々な違いが見られます。そしてその国の中でも地域によって言い回しやアクセントが異なることは想像に難くないでしょう。色んな英語を聞くにつれ、その人がどこの国の人であるか推測できるようになります。風貌でも少しの違いを見分けることができるかもしれませんが、大抵はそのアクセントです。さすがにオーストラリア英語は聞いたらはっきりと分かります。癖のある英語だと言われがちのオージーイングリッシュですが、何とも住み慣れればとても馴染み深い英語になってきます。基本的なものは英語ですからどこの国も同じはずですが、アクセントと独特の単語だけは隠せません。これから英語を習得してどういった形で活かしていくかは人それぞれですが、出会う人全てが同じ国人とは限りません。そういった点からも色んな人の英語に聞きなれることが大切だと痛切に感じています。
2007年10月18日
どんな言語でもそうだと思いますが、言葉には話すその人の感情が入り混じっています。期限が悪い時には自然と怒ったようなぶっきら棒の声になってしまいます。日本語だとそれがはっきりと分かるのですが、英語となるとその感度は日本語のそれに比べて少し薄くなってしまいます。それは正確な意味が捉えられないといった現実があるからだと思います。声のトーンや表情で相手の感情を察する能力が求められます。怒っているみたいだけど、本当にそうなのかな?私がなかなか理解できないから不機嫌になっているのかな?色々と不安が沸き起こってきます。直訳するとあまりに率直すぎて、相手の気持ちを正しく受け取れないこともあります。もっと柔軟な訳ができれば、もっと本当の気持ちに近くなれるでしょう。その為には、もっともっと英語を耳にすることです。何度も繰り返し英語を聞くことによって、いわゆるペースが掴める様になります。言語は慣れだとずっと言い続けていますが、これは今でも変わりません。耳が慣れると自然とその後の行動がついてきます。よって、受け答えもスムーズなものへと変わっていくことでしょう。
2007年10月17日
海外へ行ってから日本という国を見直すチャンスに巡り合います。そんなきっかけがあるのですが気がつく人とそうでない人といるため、一概には言えませんが少なくとも私はそうでした。オーストラリアへ行くまでは日本社会に反感を感じている自分がいて、それが一体何なのか分からなかったのですが、とにかく日本から出たいという気持ちで一杯だった気がします。一旦飛び出してみると、いつも日本と比較している自分がいて益々日本人としての誇りを感じ始めました。文化や歴史、技術の高さなど絶対にオーストラリアには負けてないぞ!と思っていました。今すぐ手に入らない状況にあるからこそ、その思いも募るのかもしれません。しかし日本文化の深さは素晴らしい!だからと言って、決してオーストラリアとう国が嫌いになったわけではありません。改めて自国の素晴らしさを実感することができたということです。国外脱出を試みてなければ、そんな機会は未だに訪れてなかった可能性が高いでしょう。何と言っても今となっては後悔する理由などない経験です。
2007年10月16日
私たちには本来言語習得能力というものが備わっています。生まれた時からすでに言葉の勉強が始まり、言葉は話せないながら赤ちゃんでさえ周りが話している会話を聞いて習得しています。1歳前後から一言二言言葉を話すようになります。誰が教えたわけでもなく、それは自然と口から発せられるものでどうやって発声したらよいかなど細かなことを教えるわけではありません。それでも気がついたら言葉を話すようになり、そこからどんどん語彙が増えていき色んな言い回しを使えるようになっていくのです。学校で漢字を勉強します。その漢字を覚えるには読み書きといった二つの行為が必要になります。どちらかが欠けても成立しないのです。それを考えた時、赤ちゃんとは何と未知の能力を備えているのかと感動さえ覚えます。単純に考えて、日本語を習得する過程で同時に英語環境に置いたなら、二ヶ国語を話せるようになります。大人が苦労し膨大な費用と時間をかけて習得するのとは大違いです。いとも簡単にそれをやってのけるのです。そのチャンスは一生に一度しかありません。ですからそれだけにこの唯一のチャンスを活かすよう努力するべきだと思うわけです。しかし、大人になるにつれこの能力が消滅してしまったわけではありません。ただ、色んな知識や経験が邪魔をして新しい言語を習得するのを困難にしてしまっているのです。まだまだ私たちが考えて取るべき行動はたくさんあると思います。
2007年10月15日
オーストラリアの銀行では、私たちが記帳するための通帳がありません。これには最初、かなりの抵抗を感じたものです。自分の現在の残高はATMなどを利用した後に出てくる取引明細で確認することができますが、それだけでは過去の取引履歴を確認することができません。確かに前引き落とした後はあれだけだったから、今回これだけ下ろしたらこの残高にはなるな。。そんな感じで確認していきます。不安です。。その代わり、毎月か3ヶ月ごとに取引明細が届きます。それで前回受け取った明細以後の全てが分かるようになっているのです。今はネットバンキングができますから、いつでもどこでも取引明細を確認することが可能です。本当に便利な世の中になったものです。日本ではまだそれほどメジャーではないようですが、オーストラリアではもっと早くからこのネットバンキングが採用されていて、私もすぐに利用し始めました。それに利用するに年間費用や条件はありませんから、申し込んだ方が便利だと思います。国によって生活一つ一つに違いが見られるのはとても興味深いものです。
2007年10月13日
英語の発音でブとバの違いを区別して、一体どちらの音なんだろうかと納得できない時がありました。日本人としてはっきりとした音を発音しがちになってしまったけれど、結局その中間のような音だったということがあります。これは上記の音に限らずです。そんなけいけありませんか?REALYという単語がありますが、日本語で発音すると、リアリーとなりがちです。しかし、本来の発音は最初の音ははっきりとしたリではなく、私たち日本人にすると小さなウが入ったような不明確な音なのです。聞き取りをする時に、つい、どちらの音だろうかと、確認してしまいます。日本語の発音のどれにあたるのか、無意識のうちにそれに相応する音を探してしまう。基本的に日本語の発声方法と異なるのだ、という事実を忘れがちなのでしょう。生まれながらの習慣とはすごいものだなと感じずにはいられません。
2007年10月12日
一般的に日本人は貯金をする習慣があります。貯蓄がなければ不安になってしまう、将来を考えて計画的に積み立てをする。そんな国民だったと思います。しかし今の日本は一昔前の日本とは様変わりしてしまったように感じます。なぜこのような状況になったのでしょうか。その理由として、各家庭の経済状態が落ち込んでいることが第一に挙げられると思います。次から次へと暗いニュースばかりが聞こえてきます。自然とその日本人の心も貧しくなってきている気がしてなりません。貧しいながらも家族で過ごす時間を大切にすることは不可能なのでしょうか。全ては何を持って幸とするかだと思います。他人と比較して自分の状況を卑下してばかりでは、とうてい幸せだと感じることはできないのではないでしょうか。確かに生きていく上でお金は必要です。何もかもに値があり、無料で手に入るものはこの社会に存在しません。もはや、気持ちの持ちようという一言で解決できるような問題ではなくなってきています。日本社会の何が狂ってしまったのでしょうか。。最近特に貧しくても笑いの絶えない家庭、そんな日本国を取り戻せないのかと考えてしまいます。
2007年10月11日
街中で歩き食べをすることが果たして行儀悪いというのかどうか。。その国で守られているルールによって、その良し悪しが分かれることろでしょう。1リットルのソフトドリンクを片手に歩く若者、ピザにかぶりついている学生。そんな人たちとすれ違うとつい振り向いていた自分が、いつの間にかそれを当たり前の光景として見ていることに気が付きました。アイスクリームくらいは歩き食べをするようになったものですが、まだまだ見習う?点がたくさんあるようです。ただ、溢したり汚したりした部分はきちんと自分できれいにしなければならないと思います。
2007年10月10日
自分の過去の経験から、環境から、私たちは常識を学んでいきます。そしてそれは地域によって、国によって大なり小なり違いが見られます。自分が思っている、信じている常識が世界に通用すると思っている人たちは少ないと思います。日本人の常識は世界の非常識、という言葉を聞いたことがあります。分かりやすく言うと、日本ではYESでも海外ではNOというケースがあるということです。海外生活の中で、自分の信じる常識に基づいて行動を取ったところ恥をかいた、という経験談を聞いたことがあります。行動は発言にもつながります。言葉にもその行動が表れるということですから、少し考えさせられるでしょう。全てを疑って行動する。そういった心構えが大切かもしれません。
2007年10月09日
言葉とは何と興味深いものでしょう。ある人が全く知らない言語を聞いて理解できなくても、その言語を母国語とする人たちには当たり前の意味を成すのです。なぜこんなに様々な言語が世界に存在するのか、それ自体が興味の対象になります。その数ある言語の中で、英語という言語を勉強しようと思ったきっかけは何だったのでしょう。よく耳にする言語だから?学校で絶対に勉強しなければならない言語だから?聞いた感じがとても心地よいから?好きな映画俳優が英語を話すから?英語は世界でも多数の国で話されている言語です。母国語が英語でなくても、何となく英語は通じるといったケースがあるでしょう。何となく、話せないより話せた方が良いに決まっているといった思惑があったりするのかもしれません。始めた動機が何であれ、最後まで自分の意思を貫き通して欲しいと思います。
2007年10月08日
町ではセールが行われ、国民一人一人の経済状態はかなり上向きになっているような、にわか経済の雰囲気が漂っています。私たち日本人はこれから先、どんな方向へ進んでいくのでしょうか。それが決して暗いものではないことを願って止みません。日本人は無類のグルメ人種だと思います。所謂デパ地下。どこから毎日こんなにたくさんの食料がくるんだろうかと思えるほど、その種類は豊富なもので自然と舌が肥えてくるのは理解できます。少しでも美味しい店があると聞くと、時間を惜しまず足を運びます。まさにその熱意には脱帽です。多少の食の好みは異なるでしょうが、日本人ほど味にうるさい人種もそうそういないだろうと思わずにいられません。一度行った店で痛い経験をしたら、それが最初で最後の経験になります。そしてその噂はあっという間に巷に広がって生きます。その反対も然り。しかし何と言っても、日本には美味しいものがたくさんあるという認識は日本人であるが故であることも否定できません。
2007年10月06日
久しぶりにオーストラリアの友だちから葉書が来ました。今年の初めに待望の男の子を出産したのですが、そのスクスク育つ様子を知らせるものです。裏に写真が載った葉書で、どこの国も同じなんだなと思いました。出産は日本のそれとほとんど同じ方法が取られていますが、産院によっては夫婦の希望を第一に考えて可能な限りの出産の場を提供してくれます。私は日本での出産経験がないのであまり比較することはできませんが、今は産院も”お客様”確保に躍起になっているようでいかに満足のいくサービスを提供するかが課題になっています。プラスアルファのサービスです。しかしながら最近のニュースで見るように、受け入れ態勢が整ってない地域もありかなり深刻な問題となっています。同じ日本国内に居ながらして、こんなにも待遇が違うのかと思うくらいその格差は激しいように思えます。これはとても残念な事実です。人種や宗教に関係なく生まれてくる赤ん坊には均等に生きる権利が与えられるべきです。これは絶対に覆せない人間一人一人が持って生まれた権利だと思います。同じ人間であるが故、同じ言語環境で生まれた育った子供は同じ言語を話すようになります。人間とは。。。そう考えさせられた一日でした。
2007年10月05日
英語が全て理解できればよいですが、やはり細かい詳細となると日本語の方が楽ということがあります。何となく自分で聞いて分かったような気はするが、少し自信がないといった時です。そんな経験ありませんか?日常生活には困らない程度の英語レベルはあると思っていても、ふとした時にツマヅクことがあります。日本語だと100%理解できるのに、英語だからこそ正確に解釈できている気がしない。。考えれば考えるほど、不安に陥ってしまいます。何と言っても母国語は絶対です。日本語ですら微妙な言い回しによっては相手を傷つけてしまっていることがあります。それならば英語は尚更です。自分だけではありません、他にもたくさんそういった仲間がいるのです。バリバリビジネス英語を使いこなしている人ですら、そんな経験はあると思います。そこでネイティブに助けを求めるのです。日本語が達者な通訳に入ってもらい、伝えてもらう。時にはそんな状況もあり、決して恥じることではないのです。それより大切なのは相手に正しい解釈をしてもらうこと。100%はないに等しいと開き直り、英語に接することも時には大切だと思います。
2007年10月03日
英語を聞き取ることさえできれば相手の言っていることが分かるので、何らかの安堵感があるものです。全く意思疎通ができないとなると、その場の雰囲気をどうにかしないといけないと焦ってしまいます。分かってないという雰囲気が伝わると、沈黙の空気が漂っている気もしてきます。緊張すればするほど、言葉が頭の中にすっと入ってこないものです。リラックスすることが大切ですが、それも場慣れしなければできるものではありません。緊張がほぐれれば、耳の穴が大きくなって聞き取りもしやすくなるような気がします。緊張を解くことからヒアリングの第一歩が始まるといっても過言ではないと思います。
2007年10月02日
日常英会話ができるようになったと実感できるきっかけは、生活に支障がなくなったと感じた時だと思います。何かにつけて辞書を引っ張り出して単語の意味を調べているうちは、まだ本当の意味で身についているとは言えないでしょう。例えば買い物に行った時、銀行の窓口で問い合わせる時、冷蔵庫が故障した時、携帯電話を契約する時、まずは聞いてみよう、行ってみよう、そう素直に思えた時はかなりの度胸がついてきた証拠だと思います。英語に自信が無い時は、到底そんな気になれません。何と言ったらよいかを念蜜に調べ、また時には練習している自分がいるものです。いつも電子英語辞書をカバンに忍ばせていることで安堵感があるのです。今はかなり精巧な小さいものが手に入りますから、携帯していても苦にならないでしょう。生活の部分部分で、あーやっぱりまだまだだ、と感じることがあると思います。しかし、そんな毎日でも最初の頃に比べるとはるかに成長した自分に気がつく時が来るはずです。決して諦めずに頑張って欲しいと思います。
2007年10月01日
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