2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
全21件 (21件中 1-21件目)
1
名前だけでその人がネイティブかどうかを判断するのは間違っているということに気がついた時がありました。明らかにアジア系や東ヨーロッパ系の名前であっても、その人の生まれ故郷が英語圏ではないということにはならないのです。それはちょっとしたショックでした。一言会話を交わす前にその人がネイティブでないと決め付けて、私と同じ状況であろうと思い込む。そして実際に英語を耳にして、自分の考えの浅はかさに気がつく。日本名でも同じことが言えます。英語圏で生まれ育った人は例え両親が日本人であろうとも、れっきとしたネイティブ。一旦口を開くとそれがはっきりとします。思い込みで始めた会話では、自分の英語のレベルの低さに情けなくなってしまったり。どうしてそんな思い込みがあるのか。それは日本と言う国が単一民族、単一言語の国だからだと思います。日本には日本語を話す日本人が住んでいる、といったような考え。だから英語を話す人たちに出会うと何を話したらよいのか、ドキドキしてしまい口が思うように動きません。日本が元々様々な民族からなる国であったら、移民を受け入れている国だったらそんな思い込みは生まれなかったことでしょう。しかし、それがいずれ遠い国の話ではなくなる時がくるのかもしれません。
2007年12月28日
職場の娘さんが高校生でオーストラリアへ修学旅行へ行ってきました。出発前にはどこを見たらよいか、行ったらよいかを聞かれ、私が覚えている限りの場所を伝授しました。自由行動があったらしく、自分達でシドニーの町をあちこち歩き回り楽しい旅行になったとか。後、ホームステイ先が生徒によって異なりその待遇にも差があったそうです。まずは食べ物。ステイ先の奥さんが日本人だったこともあり、日本食には事欠かさなかったようで満足した反面、友人のステイ先は典型的なオーストラリア料理。その子にとっては少し不満足だったようです。せっかく他国へ行ったのですから、私としてはその方が経験上良かったのでは?と思いますが、その子にすると短い滞在ながらも満足のいくものを食べれるかどうかは、かなり重要なポイントとなったようです。私の妹もかつてオーストラリアへ修学旅行でやってきました。シドニーのダーリングハーバーで待ち合わせし、滞在先のホテルまで押しかけました。私立の高校では海外への就学旅行は珍しくなく、その中でもオーストラリアは結構人気の渡航先だと聞きました。そんな話を聞くと、今更ながら自分の国のようにとても嬉しくなってしまいます。
2007年12月26日
日本人で、英語の苦手意識がない人はいないのではないでしょうか。英語が分からないのは当たり前。そして話せないのも当たり前。そう割り切ってしまったら、不思議と自然な自信が沸いてきます。これがやがては度胸に変わり、英語にぶつかっても落ち着いて対応することができるようになります。分からないのは間違っていない。その割り切りが大切だと思います。相手もまたそれが分かっているが故、分かり易いように話しかけてくれたりします。度胸がつけば英語が自分のものとして身に付いている感覚になります。英語を習得する上でこれが第一段階だと思います。
2007年12月25日
洋画を観ても、ジャンルによって使われる単語にかなりの違いがあることは大抵の方がご存知のことだと思います。英語の勉強と思って見始めても、興味のないジャンルであれば不思議と頭の中に入って子ないもので、無意識のうちに区別してしまっている自分に気がつきます。例え勉強の為とはいえ、楽しくのめり込める様な内容の洋画を観たいものです。そしてその方が頭の中にスムーズに入ってくるというもの。言葉を分からずして映像だけでも可能かもしれませんが、それでは最後の瞬間まで苦痛との戦いです。分からなかった単語を書き留めることすらできないかもしれません。それよりはしっかりと好みのジャンルを選び、効率的な英語の勉強へとつなげたいものです。
2007年12月23日
朝の通勤ラッシュは毎日の一番の”苦”に当たる時間と言っても過言ではありません。何が大変かと言うと、本を読むスペースすら充分にないという点。乗った当初は良いのですが、町へ近づくにつれ段々と混雑してきますがそれに伴い自分の前に立っている人の背中がやけに近くなっていることに気がつきます。この状態だけは我慢できず、朝からイライラが募ります。。そんな時、ふと思い出すのがシドニー時代の通勤です。混雑はある程度ありますが、乗っていた時間は13分ほど。苦になりません。それに人と人の間はある程度の間隔が保たれていて、読み物も可能です。日本の人口の多さを感じてしまいます。最近特に仕事のストレスよりもそれ以前の問題に、何とも言えない気分です。
2007年12月21日
英語を母国語としない人同士の会話はぎこちないものがありながら、反面親近感の沸く瞬間でもあります。そしてそれが他国での出来事であれば尚のことです。完璧な英語を話しているわけではなく、時には相手が伝えようとしていることが理解できずに推測を伴うこともありますが、お互いにそれは暗黙の了解のもとで特段気後れする必要がありません。そこにはネイティブと話す時とは違った雰囲気があり、同胞のような気持ちになります。何と言って良いか分からないが、言っている意味は何となく分かるよね?といった感覚です。お互いに言葉の壁を感じながら乗り越えようとしているのが分かるだけに、助け合っていかなければという気持ちにさせてくれます。そんな英会話はビジネスシーンでは通用しないかもしれません。しかしそれでも妥協できる何かがあり、決して母国語とする人たちには経験することができないものがあるような気がします。確かに、言葉の壁はハードルが高く時にはどん底に突き落とされたような感覚に陥ることもあります。でもそれだけではない、心が和む瞬間がそこにはあるのです。
2007年12月20日
今日、ネット上での記事を見ました。英語を勉強している人口は世界でかなりいるとのこと。例え英語を第一ヶ国語としない人でも、互いに話す言葉は英語の場合があります。共通の言語が英語ということはそれほど驚くことでもないでしょう。しかしその英語が本来の英語ではなく、徐々に変化しつつあるということです。ネイティブが理解できないような英語が生まれ、普通に使われる日が来るのは一体いつのことでしょう。それほど英語と言う言語が一人歩きしているのです。完全でなくても大体英語を理解できる人口が多く、それはビジネスシーンで使われることが多々あります。一般的に広く認識されている言語が英語であり、英語圏の大手企業が世界で活躍していることから、自然と英語が共通の言語として使われるようになったということです。今更ながら、英語を多少なりとも理解できる自分を振り返ってどれだけメリットがあるかを考えると、日本社会ではそれほど活躍の場が提供されていないかなという実感です。関東や関西では外資系の企業が多く存在しますが、福岡などの地方都市ではまだまだ需要が少ないからです。英語を習得して、その後それをどういった形で活かしていくかをじっくり考えて勉強を始めることが大切だと思います。
2007年12月18日
生活自体がゆっくりと流れていく、そんな気持ちになります。仕事は仕事、私生活は私生活。プライバシーはきっちりと守られる。最近の日本社会も、そんな欧米社会の後を追っているような気がします。仕事とプライベートを分けて考えることは、とても大切だと思います。公私混同してしまうと、メリハリの無い無味の生活になってしまいます。仕事は決して家庭に持ち込まない、これを徹底できれば良いのでしょうが、今の日本社会ではそれが可能な立場の人やそうでない人が存在するのが事実です。必要の無いプレッシャーを感じることがない環境作りが大切だと思います。
2007年12月17日
電車や地下鉄では日本語と英語の表記があることが多いのですが、バスではアナウンスこそ英語や中国語、韓国語で流れることはあっても時刻表やバス停などでは日本語だけの場合がほとんどです。例え英語の表記のある電車や地下鉄でさえ、全てのものに対してではなく限られた範囲の中での案内である為、返って中途半端なような気がしてなりません。時刻表や料金表の前で立ち往生している外国人達を見かけます。行き先は分かっていても、どの線に乗ったらいいのか、またそこまでの料金はいくらなのか、乗り換えがあるのか、その場合はどうしたらよいのか。。様々な場面で迷うことがあると思います。私達はそれと同じような経験を海外で体験します。そこでは英語の他にいくつかの言語で表記があっても、日本語で案内がある場合はほとんど無いと言っても良いでしょう。分からなかったら案内所へ行くか、周りの人に尋ねる。それ以外の方法は、旅行のガイドブックの持参です。かなり詳しく説明されており、発行時点での時刻表まで記載されているものもあります。日本にいる外国人たちもそのくらいの用意はしているかもしれませんが、それにしても明らかに迷っている光景をよく目にします。その国の言語を勉強するのなら、むしろ他言語の表記は不要かもしれませんが、ニーズに合わせた準備は必要だと思います。
2007年12月15日
いよいよクリスマスシーズンがやってきました。今年のクリスマスは一体どんな日になるのでしょう。今年の日本ではクリスマスの25日は火曜日という平日です。イヴは祝日になっていますが、なんとなく本当のクリスマスとは違う日に思えます。この日まで来ると、いよいよ年末という実感の方が強くなってくるのではないでしょうか。クリスマスとは、それまでの日を楽しむことがメインでそれからの主役はお正月へと代わってしまいます。仕事が休みにならないというのも、その理由の一つかもしれません。長いクリスマスホリデーがあると、やはり気持ちもクリスマス一色になるような気がします。日本人は働きすぎの国民だというのは、遠からずといったところでしょうか。寒さも本格的になってきました。あなたの気分はどちらでしょうか?クリスマス?それともお正月?
2007年12月14日
最初の頃、ずっと思っていました。単語を区切って一つ一つ分かりやすく話してもらえたらなと。ゆっくりと話してもらえれば、絶対に聞き取れる自信がありました。単語自体を知らなくても、その単語を聞き取ることはできる。そうすればもっと自信を持って会話することができるのに、と。ゆっくり言えばちゃんとした単語に聞こえるのですが、普通のテンポだと全く違う単語に聞こえてしまいます。どうやったらゆっくりしたテンポの時と同じように聞き取りすることができるんだろうか。そんな疑問が沸いたことありませんか?要は早さに慣れれば良いことで、そうなる為にはもっと英語を聞く機会を増やすということなのです。単純な回答ですが、それに尽きると思います。英語を聞くことに慣れると、英語に対する免疫ができます。慌ててしまうことも少なくなります。そうなると落ち着いて英語を聞くことができるようになり、単語も聞き取りしやすくなるのです。しかしながら簡単な方法なようで、なかなか超えられない壁なのかもしれません。
2007年12月12日
シドニーで動物園というと、タロンガ動物園が思い浮かびます。シドニー町からハーバーブリッジを越えた北に位置する動物園です。緑と動物達が上手く調和していてとても気持ちの良い所です。動物園ですが、実際には天気が良い日はピクニック気分でお弁当などを持って行く人もたくさんいます。年間のフリーパスもあるので、何度も通いたい人には絶対にフリーパスを購入することをお勧めします。私達は夏の間はほとんど週末はタロンガ動物園へ行っていました。午前中の数時間でもパスを持っていれば全く気になりません。せっかくだから行ってみようか、といった気軽な感覚で行けるところがとても魅力でした。観光客にも人気で、ランチを挟んだ時間帯はかなりの賑わいです。動物園からシドニー市内を逆に眺めた景色の写真が撮れるスポットもあるので、一度は行ってみたい観光地でもあります。機会があれば、また絶対に行きたい場所の一つです。
2007年12月11日
何となく過ごしているようで、毎日の生活の中で目にする英語はかなり多いと思います。このブログのページでも、どれだけたくさんの英単語が使われていることでしょう。それだけ当たり前になりつつあるということだと思います。知っていて当たり前と言われる様な単語が使われているのです。初めて目にするような単語であっても、世間一般では認知されているということが前提なのです。そう考えると、私達の生活に英語が徐々に浸透しつつあることが自ずと理解できるでしょう。英語はずっと昔から中学校の授業で取り入れられています。しかしながら、私達はどれだけ英語という言語を身近に感じていたでしょうか。まだまだ外国語といった意識の方が強いように思います。英語は関係ない、ここは日本だから。。そういった考えはもう通用しなくなりつつあるのだと思います。
2007年12月10日
映画でもジャンルによって使われる英語にそれぞれ特徴があります。日常生活で使われる英語の範囲であればそれほど問題ないでしょうが、非日常的なのが映画。あまり耳にしない英語はやっぱり分かりにくいものです。アメリカ映画でよく見るのは、ドラッグに関する警察もの、または銃を使った抗争もの。どちらも非日常的な内容の為、ピックアップする単語にも特徴がありスムーズには分からないことがほとんどです。英語の勉強をするにあたり洋画を観るのは大切だと思いますが、内容がある一定の範囲に偏りすぎている場合は、ほどほどという気持ちで聴くことも時には必要かなと感じています。激しい口調で罵り合ったり、ボソボソとした話し方であった場合、これは両方とも日常でも起こりえるものなので、大いに参考にすべきだと思います。全てを頼りにするのではなく、ケースバイケースで取り組めばよいのではないでしょうか。勉強手段の一環として取り入れるという感覚でいいと思います。
2007年12月09日
生活スタイルは各家庭で違うように、国によってもかなりの違いが見られます。生まれ育った環境がその人のその後の人生にどれだけ影響を与えるか、それを考えると子供を育てることが単なる時間の問題だけではなく、想像以上に重要な責任だなと思います。親として一人の人間の人生を左右するであろう教育とは、単に学校任せのものではないと実感しています。結局のところ、親が、家庭がしっかりしていなければ成り立っていかない教育であり、一度形成されたパターンはなかなか修正が利かないものでもあります。自由奔放に育ってきた家庭の子供は、比較的心にもゆとりがありいくらでも応用が利きます。自由奔放とは言っても、ほったらかしにして子供が勝手に行動するというのではありません。型にはめずに、その子の人格や性格を考慮しながら方向性を提案してあげれる、というのが理想でしょう。とは言っても言葉では簡単に表現できても、現実は異なります。子供を小さな存在と捉えず、一人の人間として接することが大切だと思います。頭から子供のいうことを否定するのではなく、聞く耳を持って接する。その姿勢が大切ではないでしょうか。結果、否定することであっても一度はきちんと聞いてあげる。この教育スタイルは、オーストラリアで目の当たりにしました。当たり前と思っていましたが、今はこれがそうでもないと感じています。教育とは一言では表せない、幅広いものであることは間違いないと思っています。
2007年12月08日
聞き取りが上手くいかなかった時、聞きなおすことに躊躇していることがあります。何度も繰り返すと相手に迷惑がられるのではないか、自分があまりにもスキルがないように思えるなど、色んな思惑が心を過ります。何度聞いても分からないことはあります。しかしそういう時は意外と勝手に自分で思い込んでいることがあり、頭を白紙に戻して聞いてみると全く違うことを言われていたと気がつくことがあります。こう言っているはずだが、何でそう聞こえないんだろう。。その姿勢を崩さなかったら、何度聞いても聞き取りは成功しないでしょう。思い込みは成功への道を閉ざしてしまいます。読み書きよりも、耳で聞くという動作は感情に左右されやすいように思います。ゆっくり考える余裕がなければ、思い込みの方へと傾いてしまいます。併せて、分からない時は曖昧な返事をせず、分からないという事実を的確に相手に伝える勇気も持ち合わせることが大切だと思います。
2007年12月06日
学校の行事は日本のそれとオーストラリアのとでは、大きな違いがあります。日本の場合、体育祭や持久走大会、持ちつき大会など子供達を中心としたものが多いように感じますが、オーストラリアの場合は私の経験から考えると学校の運営費を得る為の親が中心となった行事が多いものです。例えば、バザー。日本では友愛セールというものがありますが、これと似たようなものでただオーストラリアの場合は自前で何かを作ってきてそれを販売する。よくあるのは、食べ物を売るケースですがそれぞれ自分が得意の菓子類を作ってきて持ち寄るというものです。後は授業に親がアシストとして参加し、先生の補助役をするというもの。これは日本では見られません。生徒数は日本のクラスの方が多いのですが、それでも先生達は授業を一人で行います。親が手伝うと言っても何ができるかと思いますが、グループごとに分けられた作業を手助けする、読み書きのアドバイスを行うといったレベルです。私は一度パソコンの授業のヘルパーをしましたが、低学年だったのでつたない英語でもどうにかやりくりすることができたように思います。これだけ見ても両国の小学校では大きな違いが見られます。とても興味深いものです。
2007年12月05日
電車の中でふとした時に耳に入ってくる英語。ボーっとしていると、意外に日本語のように聞こえてしまっていたことがあります。その逆もあり、日本語がなぜか日本語に聞こえず韓国語かインドネシア語のような言葉に聞こえてしまったこともあります。思い込みというよりは、何も考えず白紙状態の頭だった時にこそ、そういった経験があります。電車の中で日本語じゃないと信じ込んで何となく聞いていたら、所々に聞き覚えのある単語が混じっていることに気がつき、やがてそれは日本同士が交わしていた日本語だったと分かったことがあります。その時は日本語は他言語の国民からすると、こんな感じに聞こえるのかなと思いました。
2007年12月04日
英語を第二ヶ国語とする人たちはたくさんいます。言うまでもなく母国語でない分、不利な点はたくさんあります。それは私達日本人が体験する試練と全く同じであり、条件はそれほど違わないはずです。しかしなぜか彼らの方が英語を話す時に見せる度胸は、私達のそれとは比べ物にならないほど強いものがあるように思えます。自信の無さは私達日本人特有の国民性でしょうか。それとも個人差でしょうか。。他国後に対する免疫が薄いのは、動かせない事実だと思います。私達が接する言語で一番多いのは英語だと思いますが、それでも学校で学ぶ程度がほとんどで後はマスメディアなどの媒体で見たり聞いたりする受身のものがほとんどです。これは何を意味するのか。自分で努力しない限り、その免疫力は上がる理由がないように思います。日本語でない言語に遭遇すると、臆病にも背を向けてしまう傾向にある日本人。この性質を克服できない限り、英語のスキルアップは望めないのではないでしょうか。度胸こそが私達日本人に課せられた課題であるのかもしれません。
2007年12月03日
ずっと昔、シドニー水の供給源が汚染され水道から出てくる水で低年齢児やお年寄りが死に至ったことがありました。一旦水を沸騰させればそのバクテリアを殺菌することができると言われ、毎度の食事や食後の片付けなどに気を張っていました。お風呂のお湯ですら要注意です。知らぬ間に口に入っている可能性がありますから。髪を洗う時は、かなり緊張していたのを覚えています。何気なく使っている水道水ですが、一旦汚染されると水道管という共通のパイプを通って万人に供給される為、その被害はかなりの規模になると想像できます。日本ではそういった種類の出来事は遭遇しません。それだけ衛生関連は厳しい規則があるからなのでしょうか。しかし最近の賞味期限切れ問題には何らかの意味があると思えてなりません。これだけさくさんに偽装問題が発覚すれば、何を信用していいか分からなくなります。お国柄も関係しているような気がするのは私だけでしょうか。。
2007年12月02日
複数の国の人たちが集まると、大抵共通のコミュニケーションは英語になるものです。それは第二ヶ国語として学ぶ言語が英語の場合が多いからでしょうか。理由は分かりません。しかし、そんな時にこそ英語が話せたらなと感じるのは言うまでもありません。日本語が分からないなら、英語は?と聞くと、英語なら少し分かるといったパターンです。この現象はとても興味深いものです。私たちは義務教育で英語を学びます。その時期は国によって異なるでしょうが、早い時期に始めた方がより吸収も早くなることは疑う余地がありません。知っている単語の数が多ければ多いほど、その使用価値は大きくなると思います。説明をするにあたって幅広い応用が利くからです。そんな経験ありませんか?日本で生まれ育った私達は言葉に不自由することはほとんどありません。これは恵まれた環境と考えるべきか否か、これからの日本社会を考えると答えば微妙です。日本語さえ話せれば、といった考えは通用しなくなる可能性があります。現に、今の時点でもかなりの場面で英語が使われています。新聞やニュース番組でも英単語を使った表現をよく目にします。そう感じませんか?徐々に英語は私達の生活に浸透しつつあるのです。私はそう感じています。このくらいの単語、知らないの?近い将来、そういった会話が聞かれる日が来ることは想像に難くありません。そう考えると、英語の勉強に対する姿勢も変わってくることでしょう。
2007年12月01日
全21件 (21件中 1-21件目)
1