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大宮氷川神社の裏側には大宮公園がある。ここは春桜の名所で、広場全体にソメイヨシノの古木が多く花見の宴会の場である。公園に桜があれば紅葉もあるだろうと安易に考えて出かけたがここにはモミジはほとんど見かけなかった。日本人の愛する桜やモミジは人工林であって自然のものではないことがよくわかる。要するに桜やモミジは植樹されたところにしかないということである。池の向こう側に黄色い銀杏がありその前に藤の花のように垂れ下がった枝が紅葉している。しだれ桜、しだれ柳、しだれ梅などはよく見かけるが明らかにそれらとは異なる樹形である。池には葦が茂っている。ヨシとアシはの漢字はどちらも葦で同じ植物である。本来は「アシ」であるが「悪し」は良くないので「良し」という、日本の悪しき習慣である。薄と萱も同じ植物であるがこちらは漢字も違っている、そのわけは知らない。ヨシの中はマガモの良い住家となっている。我が家の下を流れる石神井川のカモたちは流れに抗して激しく漕いでいるが池の鳥は静かに泳ぎ、まるでカモの老人ホームのように見えてくる。公園の端にごつごつの幹をした「アカシデ」の木がある。なんでも幹の部分によって成長の度合いが異なり結果としてこんな形相になるとのこと。しめ縄に吊るしたひらひらする紙を紙垂(シデ)と言い、新しい芽が赤いのでその名があるという。床柱に重用されるようで盆栽でも重要視されると言う。そういえばこの近所には大宮盆栽の里があり、世界中から観光客が押し寄せているという。 どこにでも有ってさえないツワブキもこの時期鮮やかな黄花をつけている、ここのツワブキの葉は珍しく艶があり鮮やかな緑色をしていた。傍らの千両(センリョウ)の実も今鮮やかである。この時期赤い実をつけるのは背の高いピラカンサスの他に小木の万両、千両、百両、十両がある。万両・千両以外はあまり見かけないのでwebで調べたものを示しておく。見比べてもよくわからないが見る人が見ればわかるのだろう。 万両 千両 百両 十両駅に戻る帰り道、一軒の家の前に鮮やかな紅白の山茶花を見つけた。花々のあまりの新鮮さと葉っぱのみずみずしさに感心して写真を撮らせてもらった。サザンカの当て字も難解であるが葉っぱが椿よりも小さく茶葉よりは大きくて山に自生していたのでこの名があるのだろう。
2017.11.30
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前後の日々はすべてドン曇りのなか11月27日の天気予報はつかの間の晴れを予告した。今年の都内の紅葉は散々だったので最後の望みをかけて大宮氷川神社に出かけた。特に確信があったわけではないが、春の桜の賑わいを見て隣接する大宮公園にはモミジの何本かはあるだろうと期待しての探訪である。大宮氷川神社は武蔵の国一之宮と言われ、我が家のある町内の昔の氏神様の総本社である。かって武蔵の国一之宮は今の多摩市にある小野神社とする説もあったらしいが少なくとも江戸時代以降はその規模においても格違いで関東に200社以上も末社がある氷川神社がその影響力に於いて比較にならない。大宮という地名も大きな神社の存在に基づくということことである。土着の氏神は別にして日本の神社には出雲系と高千穂系があるが氷川神社は前者に属しているらしい。参道は一直線で2キロに及び三つの鳥居があるが今回は電車を大宮駅で降り、二の鳥居から神社に向かった。参道には欅の古木が多いが紅葉も植えられており、ちょうど良い色付きであった。こんな長い直線の参道は珍しく、なんでも日本一長いともいわれている。三の鳥居に近づくと参道には延々と続く絵巻が掲げられており、さらにその先には参道の両側に無数の提灯が飾られている。説明版を見ると明治元年に明治天皇の行幸があり、先月28日にはその150年祭が執り行われたとのことである。道理で春の桜の時期には絵巻も提灯もなかったことを納得した。明治天皇は明治元年10月13日江戸城に入都、同17日に氷川社を武蔵の鎮守とし、同28日に氷川神社に行幸・参拝したのだそうだ。京都から東京に遷都しその15日後に大宮参拝したわけで、明治天皇としては新都の安寧を願っての最初の皇居外公務だったのではなかろうか。官軍、公卿、神官、高御座、お供などの一人一人が克明に描かれている。歴史に詳しい人であれば各人を同定できるのであろう。そして提灯はこの150年祭に際して応分の寄付をした人や会社なのだろう。さらに進んで俗界と神域を分ける池をまたぐ赤い橋の向こうには赤い総門が見える。門の中の神域や社は拝殿・社殿とも神社らしい佇まいである。この日は月曜日が休みのお父さんに合わせて少し遅れ気味の七五三のお参りをしている家族を多くみかけた。赤い橋を境に神池の反対側には公園風の池があり、その中の島ではメタセコイヤの紅葉が進んでいる。神域に隣接する日本庭園が解放されており、ここではモミジの紅葉が見事である。神仏混淆時代の遺産であろうか寺に多い多宝塔がモミジに似合っている。個々のモミジの紅葉は一本一本彩付き度が異なり見事なグラデーションである。
2017.11.29
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数日前遅い午後のコーヒーを飲んでいると正面に見えるマンショ群が突然煌々と輝きだした。太陽と我が家とこれらのマンションの位置関係から日没時この反射が観測されると、それは我がマンションからー残念ながら我が部屋下ではなくなったーダイヤモンド富士が観測される日が近いことを示している。早速我が家のルーフバルコニーに出て西空を見ると富士山の南麓には雲がかかって炎のような形状から強い北風が吹いている様子がうかがえる。廊下に出て富士山の北側のすそ野を見る、夕日はまさにその下端の窪みにかかったところで山の頂上に沈むダイアモンド富士にはまだ数日かかることを示している。頂上付近を見ても北麓は明るく照らされているが南麓は北風にあおられた雲の炎が見えるだけである。さらに数日後の11月25日、同じ位置からの写真はもう日没が山の頂上近くに落ちたことが分かる。しかし残念ながらこの日はダイアモンド富士の撮影には失敗した。実は直前まで富士山は厚い雲で山の姿は見えず諦めていたのだが、太陽が真後ろに来るとシルエットがはっきりしてきた。同じ日、視線を北上方に移すと結構いい天気で日没時夕日に照らされた秋の雲は見事である。秋の雲は高度が高い、それだけに強い風にさらされ変化も早い。上の二枚の写真は同じ空を撮ったものでその時間差は約20分にすぎない。
2017.11.28
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しばらく石神井公園を散歩してなかったので昨日の日曜日に足を向けた。何年かに一度はここでも素晴らしい紅葉を見ることができるが今年は期待できない。桜もほとんど枝に葉をつけていない、みじめな姿である。それでもモミジは何本か紅い葉をつけていて、池端では水面の助けを借りて美しい。中之島へと架かる普段は無粋な橋も紅葉の助けを借りて様になる。池端に立つマンションもモミジが色づくと優雅に見えてくるから不思議だ。池では日曜日時々見かける人達がラジコンを操っている。足元にはそれぞれ自慢の愛船を据えている。日曜日なのでスワンボートや足漕ぎボートがたくさん出ていて、ラジコンボートにぶつかりそうになるがそこはラジコンの方が小回りが利き、くるりと交わしている。もっとも接近するとボートの客は珍しそうに覗き込み、殆ど静止状態である。本来帆船のラジコンは帆を操って操舵すべきだがこまめに動いているのでエンジン付きなのだろう。ラジコン船で込み合った池を小さなお巡りさんが水上を自転車で巡回している。その足が激しく回っているがよく見ると自転車は宙に浮いているので船体は下の箱の中のようだ。さらに近くには黄色いアヒルが二疋の雛を連れて遊泳している。ラジコンの近くで二人の小父さんがコントロールアンテナのようなものを持っているのでよく見ると、こちらは短い竿をもって釣りをしているのだ。小さなバケツを見るとそこには3-4センチの子魚が何匹か泳いでいた。ボートが浮かんでいないウイークデイには長い竿の小父さんが大きな魚を釣っている。おじさんたちも日曜日はボートの親子ずれの邪魔にならないように短い竿で岸辺の釣りを楽しんでいるのだろう。日本人も成熟してきたのだと嬉しくなった。ボート乗り場では黄色く染まったイチョウの樹が西日に輝いていた。空には秋の綿雲、それぞれにいい日曜日を過ごしているようだ。こんな平和な日々がいつまでも続くことを願っている。
2017.11.20
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河口湖・紅葉回廊をさらに遡ると久保田一竹美術館に通じる。久保田は若いころ 室町時代に途絶えた「辻が花染」に出会い晩年にそれを再興した友禅作家である。久保田は四季折々、日々折々の富士の姿に魅了され、作品の題材にし続けたようです。美術館も本人が私財を投じて開館したとのことである。以前入館したことがあるので今回は紅葉のお庭だけ見せてもらった。石段があって紅葉に埋まる門となると京都の寺院を彷彿させる。しかしこれは創作でインドの古城の門をいくつか組み合わせて作り、周りには鉄の彫刻を配している。正門を額にして庭を覗くと美しい紅葉の庭が燃える。門をくぐって進むと渓谷を思わせる滝の流れ。 さらに進むと美術館入口でその屋根には古代ギリシャ遺跡のような崩れたエンタシス。今回は美術館には入らないので横から覗くとまるでガウディー建築のような石柱が並ぶ。屋上の手すりも鉄の彫刻みたいなデザインでパラソルの休憩所だろうか、前回来た時にはパラソルは無かった気がする。一階がカフェになっており、石柱の前には開けた庭があり小さな舞台を備えた寺院の門のようなオブジェ、この舞台では薪能が催されると聞いた気がする。ギリシャ悲劇も似合いそうな気がするが、ちょっと寒いかな。さらにわき道を少し奥に進むと屋上に通じるガウディー風の階段があり、門のオブジェが。伝統的和服模様の辻が花と石造風建築のマッチングは別にして美しい庭である。今回は紅葉見物が主目的なので赤松とモミジの帰路である。
2017.11.19
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河口湖畔の紅葉回廊の最上部に道路から外れて河というより水路というのがふさわしい掘割がある。その両岸にツツジの並木があり、ここが紅葉の名所となっている。幸い今その絶頂期で強風にも耐えたモミジが美しい。ここは堤も川底も石積みのため大風で散ったモミジ葉が積み重なって川底にもまた美しい紅葉風景を見ることができる。真っ赤な落ち葉、黄葉、緑葉の隙間にまばゆい日影が揺れて実に美しい。堤上の白い三角は夜間照明の覆いでこれなら夜間でも落ち着いた景観を醸すことだろう。イルミネーションと称するスポットライト照明は興ざめである。紅葉というけれどやはり緑も加わらなければ錦模様にはならない。騒がしいかもしれないがこの二階家の窓はピクチャーウインドウで夜の景色は優雅だろう。緑葉のツツジの木も多くここはまだ当分楽しめそうである。私が見た今年の紅葉景色では一番の輝きである。来年また来られるという確率は確実に減ってくる、これが最後と思って目に焼き付けておくことにしよう。
2017.11.18
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山中湖の紅葉は過ぎていたので天気に恵まれた次の日は標高のやや低い河口湖に向かった。交通の便に恵まれ、湖岸に並行して紅葉回廊と呼ばれる紅葉の美しい通りがある。その界隈にはいろんな種類のミュージアムが並び観光客の数も山中湖に比べて桁違いに多い。オルゴールミュージアム前でバスを降り散策した。道路の両側に猿まわし劇場と猫の絵美術館があり、紅葉祭りとかで野外出店も並んでいる。猫の絵が多くあるらしい木の花美術館という瀟洒な造りのミュージアムがあり、猫のダヤンが主人公のテーマ館らしいが私はダヤンという猫を全く知らないので猫に小判である。隣に要塞の様な建物が建築中である、どう考えてもミュージアムの類である。今度は何の見世物だろうか。屋外出店の一つに木彫家具・飾り物の店があり実物大のオートバイが展示されている、置物としてスケールダウンしたものも売られていた。足元のマンホールも美しいがひらがながちょっと無粋。湖岸からは逆光にかすむ山にかかる雲が美しい。勿論富士山の景観には360度それぞれ趣があるが、中腹に宝永噴火口があったり大沢崩れがあったりしてきれいな対称形は何所でもという訳ではない。ここからの富士の山肌にはニキビのようなぶつぶつした突起もなくでこぼこしたあばたの窪みも少なく秀麗な姿と言えるのではなかろうか。河口湖の紅葉回廊を散策したのちバスで河口湖駅に帰り、遅い昼食をとることにした。駅前のほうとう屋さんの行列もほとんどなくなる時刻であったが、高さ1m厚み4cm程の看板を見て店内に入った。常設の看板ではなく営業中の看板はちょっと試みたがとても一人では持てないくらいの重さである。従業員は殆どアルバイトのような女性である、これを毎日裏返すのは大変な事であろう。ここ二三年毎年この時期に訪れているが店内はほとんどスマホを手にした外国人観光客である。皆個人旅行の人たちであるが最近はスマホでどんな情報でも手に入るのだろう。スマホのおかげで自分の位置や目標点もすぐ分かるとあって今は個人旅行がし易くなった。そういえば今はもうほとんど手助けすることもなくなってしまった。何十年か前、私たちは外国で自分の位置を知ることが大変だったことを思い出した。
2017.11.17
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我が家の周りの桜並木は当たり年だと真っ赤に紅葉して美しい。しかし今年はもうすっかり落葉していて美しい紅葉は見られない。桜の紅葉はあまり顧みられないが、それは葉の上面だけが赤く染まり裏面はさえないので地面の高さから見ると何でもない。一方マンションの上階から見ると鮮やかな紅色である。そんな訳で今年はまだちゃんとした紅葉景色を見たことがない。天気予報と相談しながら11月12・13日に昨年美しい紅葉を見た山中湖へ行ってみた。新宿から高速バスで山中湖畔の旭丘で下車、ここから約600m続く湖畔の紅葉並木が昨年は美しかったが、今年はほとんど落葉していて面影がない。何とか持ちこたえているのは低木のドウダンツツジだけである。中国語しか聞こえない気がするあたりであるがそんな人々を載せてカバ号が航行している。これは陸上では普通の道路を走る水陸両用バスである。そんなわけで早々にホテルに迎車を頼んでチェックインした。ホテルの部屋からは湖と富士の姿が望めるはずであった。この日を選んだもう一つの理由はここからダイアモンド富士の景観が見られるはずであった。残念ながら部屋の窓から富士山は見えるが一合目だけである。皮肉なことに日没後に短い時間雲が流れ部屋からも富士はきれいに見えたがシルエットのみ。なんと翌朝は起きた時は辺り一面の霧で前庭の芝生さえあまり見えなかったが朝食が済むころになると雲一つない快晴になった。宿泊者たちは部屋から直接庭に出て写真を撮っている、私もサンダル履きで庭に降り楽しんだ。7合目くらいから上は白く、富士の姿としてはちょうど良い白の比率である。富士登山の正道・富士浅間神社を通る吉田口の登山道がくっきり見える。まだ雪が浅いため頂上付近は風で吹き飛ばされ山肌を出している。朝ゆっくりしてバスで河口湖に向かう。途中カラマツ林もすっかり落葉している。ホテルの人の話によると紅葉もカラマツも色付きが最高潮であったが、23日前、夜半から一晩突風が吹き荒れ彩付いた葉を一気に吹き飛ばしてしまったとのことである。それでも高木林の裾にある低木にはまだ赤い葉っぱが残っている木もある。葉っぱはすっかり無くったが赤い実が申し訳をしているように山に向かって揺れていた。
2017.11.16
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敬愛する故関根吉郎先生のアフリカ・マヤ民族コレクション展が開かれていることを知り早稲田大学・会津八一記念博物館に出かけた。関根さんは一般には登山家として知られているがいろんな側面を持つマルチ人間である。まず本業は科学者で大学教授ついで登山家であり、探検家であり、文化人類学に通じた人である。さらに体育家であり、無類の好食・酒家である。早稲田大学山岳会会長の関根さんは戦後食糧事情が悪く、もちろん日本人の私的外国旅行が解禁されていない1953年南米の日系人や大学の縁者を頼んでアンデスの最高峰アコンカグアの登頂を成し遂げ、その功績で当時のペロン・チリ大統領に接見し記念品として短剣を授けられている。1958年には自身が創立者の早稲田大学探検部を率いてアフリカに遠征し、特に女子隊員を率いてキリマンジャロ登頂を果たした。民俗学的調査をしながら赤道直下のアフリカ大陸一万キロの横断をしている。日本が初めて南極越冬隊を組織したとき隊員たちを厳寒の北海道で訓練した時の隊長でもあった。初めての南極で不測の事態を考え厳しく鍛えようとしたがこれは隊員達に不評でその役を降りたと聞いている。1961年にはメキシコ・マヤの調査・探検を行い、パレンケ遺跡では日本の拓本の技術を応用して石造遺跡の調査法を開拓している。大学の重量挙げ部部長も勤め、長年日本・国際重量挙げ協会理事として数回にわたって日本選手を率いてオリンピックに参加している。印象深い出来事は、1970年前後国連をはじめあらゆる国際機関が中国の主権を台湾の中華民国から中華人民共和国に移した際国際重量挙げ協会も例外ではなく、台湾を除名するという動議が出された。その時「台湾の長年にわたる貢献に対して除名という処遇に断固反対する」と発言し、当時の新聞報道によると【関根委員は椅子を蹴っ飛ばして退席した】と報じられた。美食家の関根さんの口癖は「人間の体も時々クリーニングが必要だ」でご本人は一年に一度断食道場に泊りこんでいました。そして「我々の時代は戦争で食料がなく、強制的に断食をさせられた。今の人は飽食にすぎるので健康で長生きできない」と酒席でよく聞かされたものだ。また酒は静かに飲むものだのという信念で、乾杯以外は人に酒を注がれるのを極端に嫌った。若い学生が酔って「先生一杯」と近づくと「馬鹿もん」と怒鳴っていた。最初から脱線しっぱなしだが、そんな関根さんがアフリカやメキシコで収集した民族・生活具の展覧会であった。ポスターにはないのでここでは掲載しないが、丸木舟やマサイ族の実物大の槍なども展示されている。何十年ぶりかで再調査して今回の展示となったようである。会場ではアフリカ横断の長編記録映画も上映されている。 記録映画より記録映画よりマサイ族の盾とパントゥー族の祭りの仮面アフリカで広くみられるパンドゥ族の仮面ムプティー系ピグミー族の楽器ピグミー族の村に滞在して現在のテレビ番組とは違う手法での資料収集である。メキシコパレンケ 十字神殿の拓本パレンケ遺跡の石碑の拓本は大きいもので2.6X4.2mもある大型拓本、数年後には拓本作成も禁止されたのでこれら数葉の拓本は現在日本にあるマヤ遺跡の貴重な資料である。展覧会の報告をするつもりが人物紹介になった感がある。それだけ魅力ある人物である。私のような人間が長くお付き合いできただけでもラッキーであった。
2017.11.09
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街角や遊園地のイルミネーションと言えば年末年始の行事として馴染みのものだ。わが相棒は無類のイルミネーション好みである。気の早い遊園地もあったもので、もう電飾を初めているのだそうだ。私はどちらかといえば寒い夜にどうしてそんなものを見に行くのか理解できないが、お互い体が不安で何かにつけ同行をして助け会っている。ここの所暖かい日が続いていてコートなしで電飾が見られるので都心からは遠く離れた相模湖まで行くと言い出した。ギブアンドテイクの間柄で断る理由が見つからなかった。バス・電車・バスを乗り継いで2時間、5時の点灯時間に合わせてでかけた。5時前、山間の日暮れは早くもう黄昏を過ぎて夕暮れの風情。5時に点灯されたが山の端にはまだ赤みが残っている。プレジャーフォレストと銘打っているだけあって平地ではなくまさしく山の中。殆どの人が車でやってくるので良いのかもしれないがライセンスをとっくに返上している身には道路から入り口までの登り道が遠い。入り口近くから電飾は始まっているが上部はさらに山の上、観覧車が動いている所まではリフトで登ってゆく。あまり手の込んだ飾りはないがとにかく山肌一面の点灯である。電球時代にはとても考えられないLEDの氾濫である。ダイアモンドカットの宝石模型も美しいが、水晶の結晶にも見える星型が美しい。噴水を前に大きなお城あるいは大寺院風のスクリーンがあり、移り変わる映像とともにクラシック音楽をバックに噴水が踊りを踊っている。中世のお城風に、時にモスク風に、時にゴシック建築のカシードラル(大寺院)風に、時に教会風に姿を変えながら谷間に響く音楽会である。10月並みの暖かさの気候、風もなく、若いカップルはもう少し寒い方が身を寄せ合うには良いのかもしれないが、立冬を翌日に控えて、八十路前後の二人にはちょうど良い秋の終わり方であった。
2017.11.08
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光が丘という地名はどう考えても最近のものである。ここは昔は屋敷森が散在するのどかな農村であったが戦前成増飛行場となった。本土決戦に備えてと言うが、当然実戦には使用されぬまま進駐軍によって収容され、米軍族の住宅地となり、南北戦争の英雄グラント将軍にちなんでグラントハイツと名ずけられた。同じく司令官ワシントンにちなんでワシントンハイツとなったのが今の代々木公園。返還後も1070年代までは鉄網の中にはアメリカの区画名と街路名が残っていて、子供たちは(大人も)金網をくぐり、ペンシルバニア・アベニュー、テネシーストリートなどと表記された通りでキャッチボール遊びをしていた。団地造成の時、多分ゴルフ場か野球場だった所が広場と樹林帯を備えた公園になった。この際植林された人口林も40年の時間を経てすっかり武蔵野の面影を残した一帯となっている。光が丘団地には各所に銀杏並木がある。外周道路から団地への入り口となっている一番長い銀杏並木は丸の内時代の都庁外周にあった銀杏の木を移植したものと聞いている。確かにこの並木ができたころは周囲の樹木に対して際立って背の高い並木であった。銀杏はよく知られているように氷河期を生き延び、生きた化石と言われ太古の植物である。ヨーロッパでは絶滅種と考えられていたが、ケンペル、シーボルトといった長崎・出島の学者が日本で発見してヨーロッパに持ち帰ったもの。その際ケンペルは銀杏のことをギンキョウとよみGinkyoと綴ったようである。それを後年リンネが植物分類学を確立した時Ginkgoと誤記したようである。確かに筆記体のyとgは個人の癖でどちらにも読めるだろう。現在はGinkgoと綴って「ギンコ」と呼んでいる。団地への入り口並木のイチョウは紅葉の最盛期まであと10日足らずだろう。少し離れて広場公園の周りのイチョウはもう早々と最盛期を迎えている。さらに気の早い銀杏は待ちきれずに早々に彩かを過ぎて落葉している。 峠を超えた木はそのものよりも却って池に映るその姿が美しい。池のある区画から橋を渡ると日ごろはローラースケーターが階段を飛び越えたりスラロームを楽しんだりしている舗装広場があり、そこではこの日野外市が開かれていた。私も何十年ぶりかでお好み焼きとたこ焼きをラムネとともに楽しんでしまった。
2017.11.07
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光が丘団地の特徴は建物を高層化して隙間をたっぷりとり、それを公園化していることだ。光が丘バラ園から広場公園に行くには住宅棟の中の林を抜けてゆく。バラ園では春先咲き誇っていた弦バラの実が真っ赤に色づいている。バードサンクチュアリーの背面柵からはピラカンサスの実がたわわに垂れ下がっている。背の高い街路樹にも真っ赤な実がついている。南米のススキ、パンパスの穂が美しい。目を上に向けると青空に住宅が珍しく調和している。 バードサンクチュアリーの林の中に空高くすらりと伸びた大木があり、色づいていたので注目するとプラタナスの葉っぱをしている。こんなに背高のプラタンナスは見たことがないので念のためズームで木肌を写してみるとそれはまさしくプラタナス。考えてみれば今まで街路樹のプラタナスしか見たことがない。それにしても刈り取られることなく、こんなに上へ上へと伸ばしてくれたこの株は無数の街路樹仲間たちに比べてなんとラッキーなことだろう。樹林帯を抜けて広場に出ると多くの親子ずれが遊んでいる、というよりキャッチボール、サッカーのキック、自転写乗り、縄跳びなどなんか必死に訓練している感じがする。上のプラタナスのように伸びる枝を切り取ることなくのびのび育ててほしいものだ。広場を囲む銀杏や紅葉が色づき始めた。森や広場の公園に隣接してトラック運動場や野球場があり、次の試合をする少年たちが道具をそろえながら監督の注意を受けている。いずれにしても好天下こういう風に休日を過ごせる子供たちは幸せなことである。もっともいくら大人がそう思っても子供たち自身がどう思っているかが重要なのだが。それにしても平和でなければ可能性のない話である。
2017.11.06
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文化の日を含む三連休の中日、好天気も今日の日中までということで近くの光が丘へに散歩に出かけた出かけた。散歩といっても行きはバスを使い公園と団地内にあるバラ園が目的。そこには二つのバラ園があって今までにも度々このブログに登場している。どちらのバラ園も春も溢れんばかりの花のボリュームであるが秋はどちらかといえば控えめに咲いている。「四季の香ローズガーデン」は匂いバラを集めたバラ園でここは人を引き付けるように常に季節の草花を植え替えて共生させている。ダマスカス系のバラは匂いが素晴らしく、香水から紅茶・ジャムの香りまで幅広く利用されておりさしずめ香りバラの女王であろうか。地域的にも広く栽培されているようである。子のバラ園は各所に摘み取ったバラの花をコップに生けてあり、コップを手にして香りをかげるようにしてある。春にも楽しんだが秋の香りが何倍も強く感じる。春のブログにも登場しているものばかりだ、香りとともにその命名が凝っているものが多い。下の写真はイングリッドバーグマン、このスエーデンの大女優の名を知る人はもう少なくなっただろう。ハリウッドに移ってからの恋物語など70年位前の世界中の話題であった。1943年ヘミングウエイ原作の「誰が為に鐘は鳴る」がゲイリー・クーパー、イングリッド・バーグマン主演で映画化され、本と共に私より一世代前の人々の心を掴んでいた。小説の主題であるスペイン内戦は今独立で揺れているカタルーニアの戦いでもあった。イングリッド・バーグマンIcebergは氷山なのでネイミングはちょっと不可解であるがとにかく美しく絶妙のピンク色。ブリリアント・ピンク・アイスバーグ花びらの黄色・ピンクの混じり具合が、印象派の名の起こり「印象・日の出」の色の混じり具合同じ感じを与えるというのだろうか。しかしモネの絵画は薄暗い感じでバラの華やかさにとは異質な感がしないでもない。クロード・モネレディー・ヒリントン(Hillington)という人は貴族の娘で貴族の夫人であことはわかるが私はそれ以上知らない。しかしこの上品な乳黄色は高貴な色そのものである。レディー・ヒリントンパリの街角を歩いていてもこんな人にはめったに出会わないが何代か続いた名家のお嬢さんなのだろう。3代続かないと江戸っ子ではないと言われるがパリっ子は何代目からなのだろうか。ラ・パリジェンヌ
2017.11.05
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今週の初め天気予報は快晴を予告したのに連日の曇り空、期待は見事に裏切られてしまった。月が替わって11月1日は天高く典型的秋の空。イワシ雲が見事であった。書棚を探して高橋健司著「空の名前」という写真集を探し、「雲の章」をみる。パノラマ写真「天高く馬肥ゆる秋」という昔の手紙の書き出しがあるが、確かに秋の空は高い。つまり秋は空気が澄み、空の高い位置までよく見通せる。そして夏と違ってその高い空に雲が発生する。その典型が鰯雲で気象学的には「巻積雲」である。鰯雲の由来は魚の鱗のように見えると、この雲が表れると鰯が大漁になるとか言われている。鰯雲は空いっぱいに広がることはないと言われるがこの日はかなり広範囲にわたっている。下の写真中天近くには吹き流しが風になびいているような、豊旗雲(とよはたぐも)。その右上の綿をちぎったようなのは、ずばり綿雲。雲は無理やり動物になぞらえることが多いが、次の写真の雲も「空飛ぶひよこ」に見えなくもない。下の写真の右上部は空を飛ぶ鳥にも見えるし、ミヒャエル・エンデの"Never Ending Story"に出てくる空を飛ぶ龍のような動物に似ている。隙間雲? 安易な命名だ。目を西方に転じて鰯雲の発生源を見ると丹沢山塊の当たりであろうか。そこではまだ鱗は表れておらず雲は白く敷き詰めている。鰯雲の繊細な模様が大まかになると鰯雲よりも「鯖雲」と呼ばれることが多いようだ。確かに鯖のお腹の模様に似てくる。それらの雲の流れて行く先ははどこなのだろうか。いずれにしても、いつまで見ていても飽きない美しい秋の空であった。
2017.11.04
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10月26日、前日の寒い雨が嘘のような秋晴れである。芦ノ湖スカイライン、仙石原ススキが原を楽しんだ後、遅い昼食をとることにした。フリーチケットを買ったのでバスですぐ近くのルネ・ラリック美術館のレストランに移動した。アール・デコは建物のデザインなどにも用いられる用語らしいが一般によく知られているのはガラス工芸品である。今回は美術館ではなく庭のあるレストランが目的。ベルベットのようにきめ細やかで滑らかな芝生の美しい庭があり、好天なので屋外テーブルで食事することにした。夏のヨーロッパ旅行ではよく屋外で食事したが日本ではコーヒー以外にあまり経験がない。ボリュームたっぷりのサンドイッチ・ランチを頂き、後は帰京するだけなのでゆっくりすごした。芝生のの向こう側は源流に近い早川が流れており、巨木を含む林の散策も楽しめる。散策路からのレストランと芝生広場が美しい。散策路から汽車のようなものが見えたのでズームしてみると、"ORIENT EXPRESS"と読める車両が止まっている。なんでも実際に使われていたオリエント急行のサロンカーで現在ここでカフェバーとして使われれているとか。今の期間は営業していないようだが実際にここはアフタヌーンティーなどに使われているとか。どうしてかというと、このサロンカーにはラリックの装飾ガラスがふんだんに使われているのだそうだ。あのアガサ・クリスティーの”オリエント急行殺人事件”で乗客たちが集まっていたサロンカーかもしれない、次回はぜひここでアフタヌーンティーをしたいものである。庭園への入り口のところにガラス張りの展示室に赤いクラシックカーが飾られている。リヤカーのような車輪が懐かしいが私はクラシックカーに詳しくはないのでここにある理由も知らずに写真だけ取ってきた。後で調べるために説明版の写真を撮ったので今読んでみると、1030年代高級車にラリック・ガラス工芸品の車頭飾りが付けられていてそうだ。この飾りはラディエーターグリル装飾と呼ばれるそうだ。ラディエーターの前面には網がかけられているが、それをラディエーターグリルと言い、その周りの装飾品らしい。要するにあの円を3つ重ねたトヨタのマークやベンツ、ジャガーのボンネット上の飾りなどをさしている。まあ今となってはかなりな骨董品扱いになるのであろう。あまり気にせず入場したが帰り際にレストランの入り口にももう一台のクラシックカーが置かれており美術館の看板替わりをしていた。
2017.11.01
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