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一番の問題点 来週早々に、日本聖公会の管区小審判廷が開かれることになっていますが、あの日本聖公会京都教区での現職司祭の女児に対する性的虐待事案で、何が一番の問題であったかということを、日本聖公会の方々はお気付きになっていらっしゃるのでしょうか。このことに関して書かれている多くのブログでも、それは問題にされてきませんでした。しかし、お気付きになっていらっしゃった方は、それほど少ないとは思えません。また、日本聖公会の聖職者や信徒の方々の中にもお気付きになっていた方がいらっしゃったのではないかと思います。私には、被害者の方のお名前が判りませんので、一昨年の11月23日に、日本聖公会京都教区の教区会に提出された「常置委員会特別報告」に記されいるアルファベット表記を用いて、書かせていただくことにします。 日本聖公会京都教区で加害司祭による性的虐待行為が明らかになったのは、被害者Aさんの申立によるものでした。そして、この時に、加害司祭は一旦、退職していますが、しばらくして、加害司祭の「事実無根」という言葉だけを信じて、退職を撤回をお認めになってしまいました。記録上は、退職願いの返還ということになっているのかもしれません。加害司祭は、事実無根なのだから主教が退職願を返すべきだと主張されたそうですね。しかし、この退職願の返還ということは、まったく被害者Aさんやそのご家族の思いをお伺いすることなく決められてしまったとされています。ここが、この性的虐待事案の問題の始点だったのではないでしょうか。退職願の撤回であろうと、退職願の返還であろうと、加害司祭は現実にそれまでの仕事のすべてに復職してしまわれたのです。それも、被害者とそのご家族の思いを詳しくお伺いすることなしにです。 そして、最高裁判所の上告却下が決定されてもまだ、日本聖公会京都教区は「冤罪」「時事無根」を主張されていらっしゃいました。ところが、Aさん以外の被害者の方々が、被害を受けたことを申し立てることによって、日本聖公会京都教区は、Aさんに対する性的虐待行為もあったと認めることになったのですが、なぜなのでしょうか。Aさん以外の方が申し出られたら、性的虐待行為は事実だとお認めになられたということは、Aさんの申立をそれまではまったく退けていたことになります。なぜAさんお一人の申立を退けて、他の人々の申立があってはじめて、Aさんへの性的虐待行為を事実としてお認めになられたのでしょうか。その詳しい説明は、いままでに何も為されていないように思えますが、教会として非常に大切な問題がそこにはあるように思えます。 ところが、一昨年の8月になって、Bさんという新しい被害者の方が名乗り出られました。これも一昨年の教区会に提出された文書に記されていますから、間違いないだろうと思います。そして、このBさんは、加害司祭に「ぜひ会って話したい」と申し出られたので、日本聖公会京都教区は主教以下2名の司祭がBさんと「付き添いの方」をお連れして、「原田元牧師宅を予告なく訪問。直接面談を行い、約3時間の話し合い」をされました。これも、一昨年の教区会に提出された文書に記されています。そしてこの時、加害司祭は「被害者Bさんに対する性的加害の事実を認め、『申し訳ありませんでした』と口頭での謝罪を行った」とその報告書に記されています。「そこで、確認のためその場で、被害者Bさんに対する加害の事実と、謝罪の意を表す文書を書くよう求めたところ、(加害)牧師はそのようにし、署名捺印した」とも記されています。(個人名は別の表記に代えてあります) この被害者Aさんと、被害者Bさんに対する、日本聖公会京都教区の対応の差は、一体どこから出てきているのでしょうか。そして、Bさんに対しては、加害司祭にその場で謝罪文書を記させています。この場には、「冤罪」「事実無根」という文書を出した日本聖公会京都教区総務局長だけでなく、京都教区主教もいらっしゃいました。しかし、Aさんに関しては、加害司祭が「否認を続けている」と記し、「2001年当時の退職撤回時の経緯については、明確でない点も多く、今後も事実確認の積み重ねが必要であることを伝え」たと記されています。皆さまは、日本聖公会京都教区の、AさんとBさんに対する対応の仕方、その内容の差をどうお考えでしょうか。AさんとBさんへの対応の間には差はないとお考えでしょうか。日本聖公会京都教区の一番の問題性はここにあるのではないでしょうか。こうした差を容認することは、明らかに福音に反したことです。聖書のどこを読んでも、それを容認できる神学的根拠を見つけることは出来ません。日本聖公会が本当に、あの十字架に掛かり給うた主イエス・キリストの教会であろうとするのであれば、この問題性の解決を抜きにして、審判廷で審判を下すことは出来ないだろうと思います。どうか、神様が日本聖公会の管区小審判廷を導いて下さいますように。
2009.02.28
審判廷への提言 来る3月3日に日本聖公会管区小審判廷が開かれるそうですが、それに関して様々な憶測が流れています。開廷してすぐに、「時効」を理由に控訴棄却の審判を申し渡す可能性があるとお考えの方々もいらっしゃいますし、申立人と被申立人の双方の陳述を聞いたあとで、京都教区審判廷に審理を差し戻すだろうという予測もあるようです。あるいは、日本聖公会の管区は、児童に対する性的虐待に関して、世界がどう考えているかということを知っているから、理不尽な審判はせずに、加害者は終身停職、加害者を擁護し続けた聖職者は有期定職、この間、常置委員だった信徒常置委員は期限付きの陪餐停止処分にするだろうと考えている方もいらっしゃいます。ただし、信徒常置委員は被申立人にはなっていらっしゃいませんから、京都教区に対して有期の陪餐停止処分をするように勧告するだけに止まるだろうという予測も考えていらっしゃいます。 加害者が、被害者の「性器に触れた」と自白した時に、それが重大な犯罪であるということを認識せずに、その後、加害者の退職を撤回することに反対していなかったことは、常置委員としての責務を全うしていないばかりか、被害者を苦しめ続けたことになるという主張は、キリスト教会の考え方からすれば当然のことです。しかし、「聖職者人事に関しては、信徒常置委員は発言しない」という慣例があったようですから、そこには非常に難しい問題が潜んでいると思われます。 次に管区小審判廷は、審理を京都教区審判邸に差し戻すという予測に関しては、私はあり得ないだろうと思っています。理由は「差し戻し」に関する規定が、日本聖公会法規にないからなのですが、仮に差し戻したとしても、京都教区審判廷の審判長は京都教区主教しかできませんから、また同じように、申立そのものが却下される可能性が十分に考えられます。そして、差し戻しなどしたら、また同じように時間をかけてしまうわけですから、PTSDに罹患している被害者の現状を考えたら、マイナスにしかならないことは、管区小審判廷もご存じであろうと思われます。 そして、管区小審判廷が「時効」を理由に、「控訴却下」を開廷と同時に申し渡すことはあり得ないと思います。児童に対する性的虐待行為の重大性は、いま、世界中で認識されていますし、日本でも性的虐待の加害者をGPSによる位置確認が出来るようにすべきだという議論まで起こっているだけでなく、時効の起算日をPTSD発症確認の日にすべきだという議論もある程ですから、管区小審判廷が「時効」を理由に控訴却下したとすれば、日本聖公会は最早、女性の人権、子供の人権などと言うことに関する発言は出来なくなってしまいますし、いままで積極的に発言されてきた方々を排除してしまうことになってしまいます。それだけではありません。ジャーナリズムも沈黙を守るとは思えません。マスコミも取材されるでしょうから、それなりのニュースが日本全国に流れるのではないでしょうか。 3月3日には、私も傍聴に行ってみたいと思っておりますが、京都まで新幹線で日帰りするのは健康上難しいだろうと主治医から忠告を受けておりますので、東京で吉報をお待ち申し上げております。神様が、日本聖公会管区小審判廷をお導き下さいますよう、お祈り申し上げております。
2009.02.13
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2009.02.10
ローマ・カトリック教会でも、セクハラ事件が起きてしまったようです。新聞やテレビで報道されてしまいました。被害者からの告発があったようで、神父さんが逮捕されたと報じられています。悲しい出来事です。確かに、日本聖公会の事件と比べれば、質的に大きな差があるかもしれませんが、こうした被害者の方を一定期間放置してしまったのではないでしょうか。そして、こうした事件を放置せずに、真摯に教会がこうした問題と誠実に対峙していれば、もう少し異なった解決の方法があったように思えます。 そして、これから二度とこのような事件が起きないためのお働きを始めていただきたいと思っております。しかし、いままでにも、こうした事例に関する報告が一部には流れていました。私はそれを少しだけ読ませていただいたことがありますが、こうした教会としての課題を、一部の人々だけの課題として考えている限り、同じようなことが再発する危険性があると思います。これは、勿論、日本聖公会にも言えることです。日本聖公会の場合は、司祭さんや主教さんは独身誓願を義務付けられていません。しかし、京都教区でのあの悲惨な事案は、結婚している司祭さんの性的虐待事案でした。 「こうしたことは起こって欲しくない」という思いが、「こうしたことは起こらないだろう」という思いに変化するのは、実は簡単なことなのではないでしょうか。そして、いざ問題が起きると、多くの人々が「どうして起きてしまったのか」ということを考え始めます。そして、そうしたことを知っている方々は、問題が起きる前から声を上げていらっしゃるのですが、「こうしたことは起こらないだろう」とか「こうしたことは起こって欲しくない」という思いによって、様々なことが書かれた文書が、棚の上に上げられてしまって来たのではないでしょうか。 こうした事案は日本聖公会やローマ・カトリック教会だけではありません。様々な教派の中で起こっているようです。それが見えてこないのは、「隠し方が巧いからだ」ということも耳にしています。日本のキリスト教界は、真剣にこうした問題を考え、問題が起きないようにするにはどうしたらいいのか、そして問題が起きた時にはどのように対処したらいいのかを、しっかりと考えておくべきなのではないでしょうか。表面には見えてこない事案の中には、上手に握りつぶしたこともあるようです。しかし、それでは何の解決にもならないばかりか、被害者を苦しめ続けることにしかならないということを、教会が全体として再確認しておかなければならないのではないでしょうか。
2009.02.07
日本聖公会京都教区での、当時は現職だった司祭による複数の女児や女性に対する性的虐待の中で、唯一、慰謝料請求裁判を提訴された裁判の記録は、高等裁判所の判断で永久保存にされています。そして、その記録のすべてを、地方裁判所の支部で閲覧することが出来ます。日本聖公会京都教区の主教が閲覧しているかどうかをどうしても知りたかったので、ある方にお願いして、その地裁の支部で見てきていただきました。閲覧者の氏名は、閲覧申込書に記されていることがそのまま、裁判記録に添付されて残されているそうですが、その閲覧者の中には、日本聖公会京都教区主教のお名前はなかったそうです。また、京都教区の性的虐待が明るみに出た時の日本聖公会京都教区主教のお名前も載っていないそうです。 同時に、管区の小審判廷の審判員のお名前もないとのことで、非常に驚いています。それとも、京都教区主教は、裁判所に提出された控訴理由書あるいはそれに対する反論などは、加害者である司祭もしくはその弁護士の手元に写しがあるので、それをご覧になっているのでしょうか。しかし、判決全文も併せて閲覧するのであれば、当該地裁の支部で閲覧するのが一番確実であろうかと思われます。にもかかわらず、京都教区主教が閲覧していないということは、あの教区の審判廷の準備段階で、被害者の書いた正式な訴状やそれに添付された文書を読んでいないことになります。つまり、具体的にどのような性的虐待が行われたかということに関して、京都教区主教は誠実に調査を進めていないということになります。 閲覧者の中に、日本聖公会京都教区の常置委員経験者の2名のお名前はあったそうですが、そのうちの一人の司祭は、京都教区審判廷の審判員の中にお名前がある方です。私は、あの裁判記録の中にある被害状況を被害者が説明している部分の、写しを読んだことがありますが、そこに書かれていることは、セクハラなどという生やさしいことではありません。それは実に巧妙に考えられた性的虐待そのものであり、高等裁判所はそこに記されていることをすべて事実として認定しているわけで、ですからあの被害者側の全面勝訴判決が出ているのではないでしょうか。小学生あるいは中学生の女児にしていいことではありませんし、「夫婦でもせんようなことをしてはった」とおっしゃられた方もいらっしゃいました。 そして、他の被害者に関しても、ある教会の近隣には信じられないような噂が流れているようだと、ある方からお伺いしました。その方は、噂を直接耳にされたそうです。日本聖公会の管区の審判廷は、単に表面的なことではなく、こうした噂の信憑性についてもはっきりさせるべきではないでしょうか。問題の表面だけを解決し、隠れたところにある問題を見過ごしたら、これから先の教会の歩みがますます悲惨なものになりかねません。そして、一旦退職した加害司祭を何故復職させたのかということも、衆人の前に明らかにすべきではないでしょうか。あの時に、「牧師を辞めさえすれば」という被害者とそのご家族の想いを踏みにじったままでいることは、審判廷がどのような結論を出そうとも、問題の解決にはならないのではないでしょうか。
2009.02.06
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