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何の解決もできていませんね このところ忙しくて、やっと今日になって先日の審判に関する文書に目を通すことが出来ました。そして、「何の解決もできていませんね」というのが、率直な私の感想です。加害司祭を終身停職にすれば、あとの被申立人の方々と被害者やそのご家族と和解できるとお考えなのでしょうか。もしそうだとしたら、審判長はあの裁判記録を読んでいないか、あるいは裁判で、自分の管理下にある司祭がどのような証言をしたかということに関して、まったく知らないとしか思えません。 原則として民事裁判では偽証は問われないそうですが、しかし、司祭が公の場で偽証したり、被害者には精神的な疾患があるかのように証言したのですから、これに対する教会としての判断は、日本の法律とは別の次元の問題です。法律では禁止されていなくとも、教会では禁止されていることがありますよね。それと同じことです。これは聖職者だけでなく、信徒も同じことです。そしてもう一つ大きな問題は、加害司祭は既に日本聖公会を離脱しているのですから、この終身停職という審判は、あの方に対して有効ではないということです。離脱した方がサクラメントを執行したからといって、それに対して実効性のある処分をすることは、現代社会にあっては無理です。 開拓伝道して、聖餐式を行ったり、あるいは依頼を受けて結婚式の司式をしたとしても、日本聖公会京都教区はあの方に関して何ら口を出すことは出来ません。そして、今後、何らかのきっかけで、あの方が同じ過ちを繰り返したとしたら、日本聖公会京都教区はどのように対処されるのでしょうか。再犯のおそれはまったくないのでしょうか。そこが一番気になっていますし、多くの方々がそれを心配していらっしゃいます。日本聖公会京都教区は、離脱したのだから責任はないとお考えなのでしょうか。 教会の審判廷は、一番始めに、聖書の御言葉によって審判されなければならないと思うのですが、何故かあの審判の中には聖書の御言葉はまったく出てきていませんでした。聖書の御言葉によって保証されていない審判は、教会の審判ではありません。それとも、日本聖公会では、主教は聖書の御言葉を越えて判断できるとお考えなのでしょうか。日本聖公会京都教区の審判廷は確実に教会法廷の原則を逸脱してしまいました。まるで、江戸時代の、長屋の大家さんが、店子のトラブルを私的な判断で両者に納得させようとしているとしか思えません。日本聖公会の『綱憲』にある「聖書」という言葉の意味は、歴史上の教会が聖書としてきたものとは異なっているのでしょうか。
2009.11.24
審判の内容が心配です 今朝、日本聖公会京都教区審判廷が来る11月16日に四件の審判申立に対する審判言渡をするという内容のメールが転送されてきました。「突然のことで、驚いています」と本文に書かれていましたが、日本聖公会京都教区のこの通知は、法的手続き上、問題がないのでしょうか。十分な審理を行ってきたのでしょうか。それも、一方的な通知が来たように思えますが、審判言渡の期日に関して、何故、日本聖公会京都教区審判廷は申立人や被申立人との事前協議をされなかったのでしょうか。 こうしたことを見ていると、日本聖公会というところは、本当に中世封建社会の組織構造や組織運営が続けられているように思えて仕方がありません。審判長は王権にも似た権威を持っているとお考えになっていらっしゃるのでしょうか。以前、知り合いの牧師が「日本聖公会の女性司祭按手に関して、女性差別反対の立場やフェミニズム的発想から考えている人々がいるが、何故神学的議論が出来ないのだろう」と訝しがっていらっしゃいましたが、日本聖公会京都教区での女児に対する性的虐待問題に関する対応の推移を見ていると、教会が一番大切にしてきた神学的思考がまったく欠如しているとしか思えません。 これもしばらく前に、「糾す会」の方々に弁護士事務所からの内容証明文書が届いていましたが、あの弁護士さんは日本聖公会の方なのでしょうか。まさか、クリスチャンでない方だとしたら、日本聖公会京都教区は神学を放棄しているとしか思えません。同時に、一方では、国家から自由になっているはずの教会で、弁護士という国家資格をお持ちの方々によって、自分たちの正当性を主張されようとしたのでしょうか。審判が申し立てられているのは、日本という国家の法律によってではなく、日本聖公会京都教区に対して、「法憲法規」という教会法に準拠して行われていることなのではないでしょうか。 そして、来る23日に言い渡される審判にないようが心配です。日本聖公会京都教区は、あまりにも道理や常識から外れたことをされ続けてきたので、この唐突な審判言渡の内容は予測不能です。キリスト教会として、教会法に関するコンプライアンスをしっかりとお考えの上の内容であることを祈ることしかできません。一つの教派の最高議決機関で制定された「法憲法規」を無視されるようなことがありませんように。そして、教会にとっては、教会法以上に大切な基準である、聖書の御言葉に適った審判であるようにお祈りしております。そして何よりも、被害者とそのご家族の傷の痛みが少しでも和らぎ、傷が少しでも癒されますように。是非皆さんも、毎日、そのことのためにお祈り下さいますよう、心からお願い申し上げます。
2009.11.11
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