キリスト教カルトを斬る
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今日、日帰りである方にお会いしてきました。その方は日本聖公会の聖職者たちの実状をよくご存じの方ですが、あまりにも悲惨な情況であることを聞かされてきました。既に、何人かの方々がブログにお書きになっていらっしゃいますが、あの女児に対する性的虐待をし続けていたFH司祭が、日本聖公会を「脱会した」と宣言し、日本聖公会京都教区がそれを受理しているかのように思われている事案に、日本聖公会の多くの聖職者達の神学的レベルの低さを見ざるを得ないとのことでした。 日本聖公会は信徒が他の教派の教会へ転籍することさえ認めてきませんでした。「転籍状」を書いたことがある司祭もいるそうですが、しかし、教会員原簿から転籍による抹消は行われていないそうです。にもかかわらず、日本聖公会京都教区は本当に、FH司祭の「脱会」をお認めになられたのでしょうか。あるいは、今までに何人もの聖職者が日本聖公会を離れて他教派の牧師になられたり、あるいは独立されていらっしゃるのですが、日本聖公会はそうした事態をどのようにお考えになっていらっしゃるのでしょうか。そして、今日お会いした方は、そうしたことを信徒が知らされているかどうかが大きな問題ではないでしょうかとおっしゃっていました。 それだけではありません。日本聖公会の聖職試験に関して様々なこともお伺いさせていただきました。日本聖公会の聖職試験で、「聖書の中に出てくる人物で、あなたが一番好きな人は誰ですか」という設問があったそうです。かなり以前のことだそうですが、まるで教会学校で小学生に問いかける設問のように思えます。そして、その時の聖書神学の設問はそれ一問だったと聞きました。もしこれが本当であるとしたら、日本聖公会は根本から考え直さなければならないのではないでしょうか。でなければ、聖職者の「脱会」の意味を考えることは出来ません。そして、日本聖公会の法憲法規には、「脱会」もしくは「離脱」という表現はありませんから、早急にFH司祭の「脱会」宣言を神学的に検証しなければならないのではないでしょうか。 しかし、あの方はこうもおっしゃっていました。「脱会」宣言をしたということにして、審判廷を回避しようとしているのではないですか」「脱会すれば、審判廷で裁かれることはないはずですし、万が一、審判廷が『終身停職処分』という審判を下しても、国法上の法的拘束力はありません」「司祭でなければ出来ない仕事、たとえば結婚式場での司式などをすることが出来ます。これを日本聖公会京都教区が阻止しようとしたら、その阻止の仕方によっては『名誉毀損』が成立するかもしれません。」つまり、宗教法人法上の規定によって被包括団体が包括団体を離脱ことを宣言した後で、包括団体はそれを否定することが出来ませんし、被包括団体がそれを審議しているのを察知して、その審議に介入することもできません。あるいは、FH司祭が司祭按手を受けたことを取り消すことは出来ませんから、FH司祭の行動を規制することも出来ません。「日本聖公会京都教区はそれを狙っているのかもしれませんが、しかし、その『脱会』に関しては、教会として、世界の聖公会に対して、あるいは日本の社会に対して説明義務があるのではないでしょうか」とのことでした。 「要は、『脱会』ということによってFH司祭をこれまで以上に擁護しようとしていることがはっきりしてきましたね。日本聖公会京都教区は、一番しなければならない、被害者救済ということを、このことによって隅に押しやってしまったのではないでしょうか。」ともおっしゃっていました。「しばらく前から、世界の聖公会はローマ・カトリック教会と接近し始めていますが、少なくとも日本聖公会の内部では、古い時代の権威主義がいまだに消えていないどころか、大手を振って歩いているようです。しかし、それぞれの教会の中の信者さんは、そのことをどれだけご存じなのでしょうか。日本聖公会の聖職の方々の中にも、神学者はいらっしゃるのですが、昼間は幼稚園の仕事で忙殺され、夜になると晩酌をされているようでは、神学の学びをする時間どころか、説教の準備をする時間をほとんど作ることが出来なのではないでしょうか。土曜日一日で説教の準備が出来る程の神学的素養があるなのでしょうか。」ともおっしゃっていました。 もはや、日本聖公会の管区の中で、神学的に問題を整理して、世界の教会史におけるキリスト教会の信仰告白を踏まえて、FH司祭による性的虐待事案を裁き、被害者救済の手だてを考えるべきなのではないでしょうか。そして、退職された主教さん方のご意見をお伺いして、管区はもう一度考え直す必要があるように思えます。
2009.06.22