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「戦争論」 前回のような問いを発すれば、左翼の人たちはすぐ「平和憲法が戦争を抑止した」と言い、保守派は「日米安保条約が日本を守った」と返すでしょう。 しかし、この両者の言説はいかにも軽い。第九条(不戦)を唱えていれば戦争は起こらない、というのは第一次大戦後ヨーロッパを覆った厭戦ムードとよく似ている。この時の宥和的な平和主義が次の世界大戦を招いた、という歴史事実を覆すことは出来ないのです。同じことは保守派の言い分にもあって、安保j条約でア・プリオリにアメリカは日本を守ってくれる、という保障はどこにもない。彼らは彼らの世界戦略に則って、「彼らが必要と判断した分において戦う」のです。 どちらにせよ、これらはごく単純な政治的意図をもとに、為になされた言説であって、少しも説得的でない。と言うより、両者とも敗戦後70年間、営々と築いて来た日本の歴史を、ずいぶん毀損したものの言いかたではないか?これらを叫ぶ人たちも含めて、全員戦後日本社会の中心的な「受益者」であるにも拘らず、です。 話は飛びますが、白状すると私は子供のころから(まあ男の子なら、誰でもそうでしょうが)「戦争好き」で、軍事もの、軍記もの、プラモデル、モデルガンなどなど、平和主義国家にしては不自然なくらい、私と私の周りに溢れていました。普通なら15歳くらいで、こうした「オタク」は卒業するものですが、私の場合なぜか60を越えてなお、実体験はないにも拘らず、「戦争」は自身のテーマであり続けています。 このブログも、話のネタはほとんど「戦争」か「女性なるもの」の二つと言っていいので、我ながら自身の人品骨相の貧しさに愕然とするわけです。とはいえ、この二つに魅了され続ける理由を考えるのは、たんなる戦争オタクやエロキチの立ち位置とは違う。このブログを始めたころ(もうかれこれ9年前)Military Freakと題して、男=オスが軍事や武器に否応なく惹かれるのは、それらが「死の予感に縁どられた美しさ」を放っているからだろう、という話をしたことがありますが、その感じは今も変っていません。古い刀剣や銃器は、かつて人を殺めた(かもしれない)記憶を秘めているわけで、刀剣銃器の美とは「血生臭い死」、それも三島由紀夫ふうのエロティックに美化された「死に装束」を纏っているわけです。 港に停泊している海上自衛隊の護衛艦などを見ても、周囲の貨物船やタンカーとはまったく異なる存在感を放つ。煎じ詰めると、それらは「死を招くもの」として彫琢された「美」なので、それはたぶん旧海軍戦艦の仏塔を思わせる鐘楼が放った美と同じものでしょう(ちなみに、外国の軍艦にはそうした感じを抱かせるものは少ない。私の見るところそうした美観を呈していたのは、旧ドイツ海軍のビスマルクぐらいではないかしらん。英米艦もロシア中国艦も、単なる大量殺人破壊兵器としての、いかにも脅迫的な威容を見せるばかりです)。 「おまえは戦争オタクの自慢をしたいのか?」と怒鳴られそうですが、もちろんそうではなくて、我が身に潜むどうしようもなく魅了されてしまう事柄(それを邪悪性とか情動性とか、簡単に名指しするのはあとにして)の在りようを、もっと意識化しておきたいという欲求があるのです。それをまったく意識しないまま、モデルガンや軍事アイテムについて、得意気に話す政治家や軍事評論家って結構多いでしょう。これって子供の心理状態と同レベルなのではないか。ことは人の生き死にに関わっている話なのに、どうもその中にご自身と我が息子、その孫はカウントされてないみたい。 その後5年ほど前(民主党政権時代)に、「いわゆる戦争報道について」と題して、ずいぶん取りとめのない長話をしましたが、当時参考にしたのは、その頃知った例の一連の内田樹さんの本、山本七平の軍記類、そして加藤陽子さんの「それでも、日本人は『戦争』を選んだ」(朝日出版)でした。これらは参考文献などというのではなく、言わば話柄のきっかけのようなものとして読んだのです。 さて、今回こんな話をするにあたって、新たに二冊の戦争論を読みました。というか、このところ何やら「戦争論ブーム」のようで、それはもちろん敗戦後70年という節目の年であることによるのでしょうが、それと並行して「有事法制」や「尖閣問題」が、より具体的な問題として現れて来ていることが大きいでしょう。 その中で私が読むに耐えると判断したのは、池上彰・佐藤優の「新・戦争論」(文春新書)と、内田樹の「街場の戦争論」(ミシマ社)の二つ。他にもあるのですが、取りあえずの話柄として選びました。
2015.03.31
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戦争の世紀 で、そういう視点で敗戦後70年という時間を眺めるとき、私たちはあるいは大変な歴史事象に立ち会っているのかもしれない、という想念がよぎるのです。 近所の国からは「歴史認識」だの「歴史省察」だの、さかんに「敗戦国」としての日本国の立ち位置を、執拗に言い立てる言説が続いていますが、それを云うなら重大な歴史的事象として、私たちは敗戦後70年間一度も戦争を行ったことがない、という事実に突き当たります。どころか、自衛隊は一人の人間も殺したことがない。もっと云えば実弾を人に向って発射したこともない。なぜかあまり指摘されることがないのですが、日本においてもこの間、国家転覆やテロの脅威に曝されるような事態は何度かあったわけで、普通の国なら即「軍隊出動」という事態であっても、少しもおかしくなかったのではないか。 それを回避し得た要因は何であったのか?という仕方で「問い」を立てるということが、この国ではなぜか少ない。政治的プロパガンダでの(とくに左翼あるいはリベラルと言われる側の人たちは)揚言はありますが、これはいかにも空々しい。なぜなら語っている当の本人たちが、戦後日本の政治に真にリアルに拘り、我が身の振るまいが現実の日本にどのような影響を与えたのか、ということについて確たる自信をもって「これと言うことが出来ない」からです。もしそれがあるなら、個別の事象(例えば、60年安保からサリンまで)について、それぞれの立場から、それを引き受ける責任ある省察があったはずなのです。 これは自身の「無自覚性=無責任性」を露呈しているに過ぎない。無自覚に騒ぎ立てた結果が「そうなった」のであって、「なぜそうなったのか」についてキチンと説明出来るわけではない。同じことは「保守」と言われる側にも言えるわけで、左翼の言説に対する反射程でしか、ものを語って来なかったのです。「戦後レジームからの脱却」論がいかにも安手に見えるのは、戦後左翼の「引き受け手のない言説」に対抗する形でしか、その立場を表明して来なかったからでしょう。こういう文脈で「国家の自立」とか「普通の国」とか言われても、そこから見えて来る将来の日本象というのは、はなはだありふれた(要はあまり希望が持てない)国にしか見えない。「普通になる」とは、あるいはその価値が「成り下がる」という側面もあるのです。 もちろんここで何やら、日本を永遠の「特殊な国」に釘付けすべし、というような話をしているわけではありません。敗戦後70年の日本を、世界史の文脈の中で省察し位置付ける視点を持つこと、世界に向かって普通に言明出来る言葉を持つことこそが、唯一「戦後レジームからの脱却」どころか、「近代日本レジームからの脱却」の道だと考えるからです。 と、ずいぶん偉そうな話をしてしまいましたが、私の頭にずうっとあるのは、世界史的には20世紀が古今未曾有の戦争の世紀であったという事実です。で、それは21世紀の今に至るも、まったく変ってないように見える。大量殺戮と破壊が当然のように繰り返されるという意味において、戦争の形態や言い分はともかく、仕掛ける側は常に同じ論理を振り回して来たのではないか?一言で云えば「やられたらやり返す」「取られたものは取り返す」のはあたりまえ、というごく単純な児戯まがいの理屈です。 ここ最近の各国首脳の言説を聞いていると、大戦終結前後の首脳陣たちが表明した世界観より、かなり退化しているのではないか、と思わざるを得ないようなものがありますね。一言で云えば、「反知性主義」を是とするような言説です。政治に「知性主義」は辛気臭い、と云われそうですが、政治はビジネスとは違う。その決定は富を目的とするものではない、人の命を左右するわけですから、「反知性主義」で拙速に分りやすい論理を振り回されては、被政者はたまらないのです。 なぜ日本だけが(ドイツは軍の海外派遣において人を殺し、自軍の兵士も失っています)、「戦争の世紀」と言われた20世紀の半ばに戦争を停止し、その後70年間戦争に遭遇せずに今日に到ったのか?
2015.03.28
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主観的時間、客観的時間 逆に言うと、70年という時間スケールは個人の主観的時間感覚から、限りなく客観的な歴史的時間に近づいているということなので、このあとは少し歴史を考えてみたいのです。 たとえば、戦国期が完全に終わったのを、西暦1615年の大阪夏の陣に置くとすれば、その70年後というのは1685年、第5代綱吉の治世で、元禄期の始まる3年前ということになります。政治的には武断から文治へ、その後200年近く続く天下泰平を告げる時期であったわけで、文化的には桃山文化を引き継いだ京都(桂離宮とか修学院離宮とかの公家)の時代から、経済的にも日本の中心になった大坂(町人)に、大きくシフトした頃合いですね。 明治維新(1868年)を基点にとれば、その70年後は1938年(昭和13年)と、この間日本は3回の外国との戦争を経て、前年には日中戦争が勃発し、国家総動員法が施行された年に当たり、翌年にはノモンハン事件が起こります。政治的にはこの2年前に2,26クーデターが発生し、日本の国家体制が急速にファシズム化していった時代で、そのわずか7年後の夏に日本は大破局を迎えたのでした。 逆に時間を遡って夏の陣の70年前といえば1545年、その2年前に種子島に鉄砲が伝来し、中世的な武士たちの戦いを近世足軽の戦争に変貌させた劃期に当たります。明治維新の70年前とは1798年、寛政10年で水野忠邦の「寛政の改革」が3年前に終わり、写楽が八丁堀で活躍していた時代で、幕藩体制の下で政治的にも文化的にも江戸が爛熟していた頃です。外交的には北方ロシアの脅威が意識され始めた時代で、伊藤忠敬が蝦夷測量を開始するのがこの2年後ですね。ちなみにナポレオンやベートーヴェンが歴史に登場するのもこの頃からです。 ついでに言うと、アメリカ合衆国の正式な独立は1783年で、寛政10年の15年前(天明3年)にあたり、浅間山の大噴火とそれに続く「天明の大飢饉」が発生した頃ですね。ペリーは独立後70年(1853年)を経て、日本へやって来たわけです。 私がここで言いたいのは、実際に我が身が感じる70年間と、かつて現実に流れた歴史の70年間から受ける感じは、ずいぶん違って見えるということなのです。客観的に歴史事象を年表式に眺めれば、大坂夏の陣と元禄時代、明治維新と2.26事件は、ほとんど隔絶した時代の出来事であるかのように、私たちは漠然と意識してしまう。しかしこれらはまぎれもなく一人の人間が、自身の主観的時間スケールで計れる時間内に起こった事象なのです。 要は70年間というのは、個人の記憶が「集合記憶」という物語(歴史)に置き換わる、ほぼ境界面に位置している長さと言って好いでしょう。一言で云えば、「70年という年数は、おそろしく重い」のです。敗戦後70年というのは、個人の記憶を越えて「歴史の事象で語られる時期」にあたっているということです(これとはまったく関係ありませんが、「源氏物語」も源氏三代(光源氏、夕霧、薫)の72年間の物語ですね)。 と、ここまで長い長い前置きを話して来たのは、「敗戦後70年、震災後20年」という話をするにあたって、まず「70年」という年数の意味するところを、しかと受け止めてみようと思ったためでした。「じゃあ20年のほうはどうなんだ」と言われてしまいそうですが、まあそれは後々話する機会があるでしょう。
2015.03.27
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裁きと始末 昨今喧しい「財政赤字」だの「少子高齢化」といった問題に関して、よく「将来世代にツケを回すな」という仕方で論説する向きがありますが、考えてみれば、先の敗戦後処理に関しては、私たちの世代もまた前の世代のツケを背負っているわけで、これは生き物が親から生まれる存在である以上、「関係ない」で済まされる話ではない。どんな生き物も前の世代のツケを払いながら、子孫には別のツケを回す存在なのではないかしらん。何も「だから将来世代に、いくらツケを回しても構わない」という話ではありません。多かれ少なかれ「生きる」というのは、そういうものだろうということです。 肝心なのはツケを回す代わり、当の世代が振り絞って編み出した「智恵」もまた、次世代へ引き継がれなければならないということであり、だからこそ「改変を拒む物語」は「悪しき物語」だというのです。敗戦前後に棄却され、隠蔽された膨大な記録文書や証言は、その後の検証や改変の機会を後代の私たちから奪い、「日本人自身が戦争責任を問い、それを裁く」ことを不能にしたのです。自らが裁くことを拒みながら、東京裁判を戦勝国の不当裁判と言い立てるのは、大人の態度とは言えない。自ら裁判を行えない人間が、よそからの裁きを不当と言うのはおかしいでしょう。 諸外国でやった残虐は別としても、国民200万人の犠牲を招いた戦争について、当事者たちの審問をしないというのは不思議だと思いません?例の「従軍慰安婦」問題にしても「南京大虐殺」の問題にしても、中味の事実誤認および意図的な歪曲と捏造報道がある、という反論に耳を傾けるべき部分があるのは事実だとしても、今の状態ではいかにも居心地が悪い。自らの履歴に裁断を下し得ない結果、諸外国からの罵倒や侮蔑的言説に、泰然と構えることが出来ないのです。歴代政権は批判に対して、おたおたと謝罪の弁を繰り返してきたのでした。たんなる「謝罪と反省」の弁だけでは、国の内外ともに十分説得出来るとはとても思えない。堂々たる国とは「戦争の罪」について、自ら「裁き」をつけられる国のことを指すのでしょう。「今般の戦争について、我が国は自ら原因と責任を糾明し、責任者を特定し、それを裁いた」という「物語」が得られて、初めて諸外国が唱える意図的な誤謬と歪曲に対して、真正面から対峙することが出来るのです。 ドイツは自国の招いた災厄について、自ら裁きそれを国内外にまず示しました。その裁きの中味が、おおむね「すべての罪を、ナチスに差し向ける」という、今となってはいかにも大雑把な仕方であったにしても、戦争行為そのものではなく、敗戦直後に明らかになったユダヤ人その他への、身の毛のよだつような組織的虐殺の事実に直面して、ドイツは国としての正気を保つために、どうしても「別の物語」を語ることを必要としたでしょう(ユダヤ人迫害がナチスの専売ではなかったことは、スターリンのロシアや反ユダヤ主義のフランス人英米人がいた事実で以って、簡単に示すことが出来ます。ユダヤ問題とはたぶん今のイスラム問題と同根の、ヨーロッパ全体を覆う「ユーロ問題」なのでしょう)。 敗戦後の日本は、しかしいかなる意味においてもドイツのような仕方では、我が身の始末はつけなかった。敗戦後生まれて来る子孫に、堂々と語れる「物語」を作ることはしなかったのです。これも内田さんの本で知ったのですが、戦後の世界秩序において、フランスというのはきわめて要領よく立ち回ったというか、我が身をある意味糊塗している。仏印進駐の時、日本とフランスに密約(日本がホー・チミンへの援助を中止する代り、フランスは日本の進駐を黙視するという)があったとか、ナチス傀儡のヴィシー政権の官僚組織が、戦後そのままド・ゴールに引き継がれたという歴史事実は、誰も語りませんね(イタリアは要領が悪いので、ムッソリーニを逆さ釣りに処刑しても、「戦勝国」には入れてもらえませんでした)。と見て来ると、先の中国的事大主義と同様、世界各国民族それぞれ固有の「疾病」を抱えて、各々の仕方で「物語」を語ろうとしているのです。 話が少しそれました。しかしこれらは表題のテーマとも重なるので、またやることになると思います。 さて、ここまで「敗戦後70年、震災後20年」というタイトルながら、「集合記憶」だの「物語(Narrative)」だのといった、はなはだ主観的な時間の感覚や記憶の話をして来ました。それは要は70年という時間スケールが、個人の実体験を辿って語れる、たぶん最大の縮尺だからだ思うのです。10歳くらいまでの体験や記憶は、曖昧模糊としてほとんど「夢」の領域に近い。はたまた80歳以降の体験とか記憶というのが、当人の「物語」にとって、どれほどのウェートを占めるものなのか、私はまだ60代なので何とも言えませんが、自分の親などを見るかぎり、語るべき「物語」としては、ほとんど空白域に近いのではないか知らん(無意味ということではないですよ)。
2015.03.23
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仕掛ける者、引き受ける者 というわけで、個々人の経験や記憶は時の経過とともに、個人を超えた物語としての「集合記憶」に変換されて収まっていくわけですが、時にそうした変換を拒む体の経験や記憶というものがある。先に述べたトラウマというのが、個人に関してはそういうのにあたるでしょう。しかし戦災とか震災のような、あまりにも大規模かつ悲惨な破局を経験した場合、それらは個人を超えた集団的な「病的記憶」として、その集団に刻印される。その集団に属しているかぎり、いつまでも「収まり」のつかない「傷」として、ずうっと語られ続けられるであろう種類の「物語」としてです。 こういうのを内田さんは「民族的疾病」と言われますね。大事なことは世界中のどの地域民族も、多かれ少なかれそうした固有の「疾病」を抱えているということで、そもそも「民族」という概念の定義だって、極論すればこれで括れてしまえるかもしれない。自民族の存在根拠を、ある種の「病態」のようにして語る人たちも世界のあちこちにいるのです。肝心なことは、自分たちがそういう逃れられない「病」の中にいて、ごく普通にものを考えしゃべっている、ということを本人が意識しているかということでしょう。 最近も戦災や震災の記憶の「風化」を、無定見に問題視する報道が散見しますが、あえて暴論すれば記憶の風化というのは、未来へ生きていかねばならない人間にとって避け難い性質のものです。戦災も震災も「記録」は大事だし、言うまでもなく語り継がれなければならないものですが、応仁の乱や大坂夏の陣を「風化」させずに今語り継ぐ人はいない。 私が疑問に思うのは「風化」の問題視が、被災者や罹災者をあたかも「永遠の被害者」に釘付けしようとするかのような報道姿勢のことなのです。これは前にも触れましたが、被災者が「被災者」でなくなる時、つまり「被災者」という名指しされた存在で語ることを止めた時、はじめてより「大きな物語」に包含される、つまり被災者でない人間と「共有」出来る物語が成立して行くのでしょう。 これは何も震災や戦災の記憶に止まらず、昨今の「沖縄問題」や「原発問題」にも共通に見られる様態です。我が身を「永遠の被害者」に置いてしゃべるかぎり、被害者以外の口は閉ざされている。相手の口を封じる仕方で、他者を糾弾し要求を繰り返しても、共有とか共感への道は永遠に開かれません。不思議なのは、敗戦後の政治家や知識人やマスメディアは、こうした問題を常に「釘付け」にする仕方でしか、語って来なかったということです。 人の振るまいというのは、概して「仕掛けられた物語」に傾きやすい傾向があるようです。我が身を「加害者」に置くより、「被害者(仕掛けられた者)」に置いた方が、何かと話が早いからです。彼の超大国アメリカでさえ、戦争を起こす時は必ず「仕掛けられた」ストーリーで、ものを語ろうとするじゃないですか。考えてみれば「やられたら、やり返す」式の発想というのは、ほとんど何も思考の回路が通じてない。児戯めいているというより、幼児の容態そのままと言って好いのではないかしらん。 余談ですが、最近の大陸中国はそうしたものの言い方をしませんね。超大国は自ずと世界を睥睨する権利があると思っているかのようです。こうした事大(大きなものは先見的に正しい)的発想こそ、彼らの「民族的疾病」なのですが、果たしてどこまで気付いているのか。 自身の振るまいが、仕掛けられた結果であるというよりも、自ら選んだ(仕掛けた)結果かもしれない、という問いの立て方は、いかにもしんどい。しんどいけれども、「大人」という定義が「結果を引き受ける立場」のことを指すのだとすれば、一時も「仕掛けられた立場」に我が身を置くことは許されないのです。私たちは国家や組織や個人が、物事をあたかも「仕掛けられた」ような文脈で、「正義」や「正統」を語り出すときは、まず疑って掛かったほうが良さそうです。なぜならその語り口は、決してその物語(Narrative)を「引き受ける気がない」から。 村上春樹の言う「良き物語」と「悪しき物語」の違いというのは、たぶんそういうことなのだと思う。私たちは敗戦後70年経っても、戦争中の「物語」を共有することが出来ない。なぜなら誰も(軍人も政治家も、その他「仕掛けたはずの人」全員)、それを「引き受けることをせず」、問題の所在をすべて「天皇」に差し向けたからです。「引き受け手のない物語」は、永遠に改変されることを拒み、70年経った今もその子孫、すなわち私たちを呪い続けることになる。
2015.03.20
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ナラティヴな集合記憶 1960年代半ば(東京オリンピックの前後)といえば、欧米のポップカルチャーはテレビよりラジオで、よりダイレクトに私たちに迫って来たわけで、高値のLPレコードを買うのにかなりの決断を親が強いられたぶん(まして軽音楽には)、ラジオはアメリカのポップスに親しむのにずいぶん貢献したわけです。で、そうした耳でテレビの歌謡番組を見ると、特に洋楽を日本人が歌うと、子供の耳にもいかにも児戯めいて聞こえる。プレスリーやらシナトラはアイドルという感覚からは、はるかに懸け離れた高みの存在だったのです。 ビートルズが「抱きしめたい」で世界を席巻し始めた時、下手なロックグループという感じで、正直まるきり良いとは思わなかった。それが「聴かせる」音楽というよりも「見せる」音楽だというのが分ったのは、だいぶ経ってからのことでした。私がビートルズに心酔しだしたのは、うるさ型の友人たちよりはるか後、「アビイ・ロード」が出た頃からだったと思います。 であるにも拘らず、私は中学の頃ラジオでほぼ毎日、「抱きしめたい」を聴いていたような記憶が、その時の机の傷や匂いとともにありありと蘇る。しかしその記憶は、おそらく後からの情報によって何度も書き換えられた風景なのでしょう。今となっては何がホントだったのか、確かめる術はありません。 考えてみれば、ビートルズの記憶に限らず、例えば80年代末のバブルの時代だって、当の時代を過ごしていた自身の実感には少しもリッチな記憶はないにも拘らず、振り返ってみれば「ああそうか、あれがリッチな時代だったんだ」というふうに思い出す。確かに当時やたら仕事が忙しくて、三度の食事が全部外食というのも当たり前だったわけで、金使いがむやみに荒いというのが「バブル」という感覚なのだとすれば、確かに私もリッチだったんだろう、とすべてを「事後的」に思い起こす。渦中にあるときは、ちっとも自分がリッチだなんて思ったことはなかったのです。 それがそうではなく、「いや、あの時代は私もリッチだった」と漠然と理解しているというのは、自身の経験とは別の仕方で、記憶が今いる自分にとって「居心地が好いように」、随時書き換えられていくからでしょう。ディスコのお立ち台に上がり、学生がBMBで通学したという時代映像は、身近にそんな風景はついぞなかったにも拘らず、「あたかもそれを経験したかのような」集合的記憶を呼び起こす。そのほうが「居心地が好い」からです。この「居心地の好さ」を伴なった記憶というのは、どこから来るのでしょうか? それこそが、たぶんナラティブ(物語的)な「世界把握」のなせる技なのでしょう。自身の個人的な経験や感覚は、そのままでは自然物のように「無意味」そのものに他ならない。そこに「意味性」を持たせるのは、自身の経験とは別の「何ものか」、それは現代にあってはマスメディアの力が顕著ですが、かつては(諸外国では今でも)政治や宗教が、人々の「世界を意味づける」役を負っていたわけです。 これはたぶん人が他の生き物から分かれて、「人類」としてこの世に登場し出した頃からの、ごく特異的な性向から来ているのではないか? 一言で云えば、「時間性」を意識した生き物は、「人類」だけであるということでしょう。 自身の周囲を通過する「事象」の無意味性に居心地の悪さを感じ、そこに何らかの「収まり」をつけようとする。親兄弟の死だの、新たな命の誕生をそのままでなく、自身を超えた何らかの「物語」で語ろう(意味づけよう)とするのは、自身が「時間性のただ中に、不可避的に投げ込まれている」ことを意識しているからに他なりません。「意味」は「時間」とともに発生したのです。 「記憶」は自身を超えた何らかの「物語」で語られることによって、しだいに「集合記憶」に変換されていく。初七日、新盆、三回忌、十三回忌と重ねるごとに、実体的な親の記憶が集合的な「祖先」の記憶に変換されていくように。
2015.03.13
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ナラティヴ それにしても、本来ごく個人的な感覚であるはずの「生理的な痛み」をともなった記憶が、なぜある特定的な大破局を通過した場合には、あたかも「共有」された記憶であるかのように認識されるのか?あるいはその時間を通過していない人間には、そう聞こえてしまうのか? それはたぶん私たちの記憶の仕方、あるいは「世界の把握」といったものに関係しているのでしょう。 断っておきますが、ここで使っている「共時的記憶」だの「共通記憶」といった単語は、私の勝手な造語で、何やら小難しい哲学用語を引っぱっているわけではありません。 「しかしそう言われても、私は1.17や9.11の時、どこで何をしていたかなんて、何も覚えていないよ」と言われてしまいそうですが、むしろその方が普通の感覚なのでしょう。日常生活では、時々の事象をいちいち心の映像に焼き付ける、などという手間は一切かけないのが当たり前だし、だいいちそういうふうに意識的に構成しようとした記憶は、先の不可避的に焼き付けられた「共通記憶」とは似て非なるものです。 要は大破局の最中に「これは大変な出来事だから、全部脳裏に焼き付けておこう」と思う人など、おそらくほとんどいない。すべては後になってから、不意にあたかも「昨日のことのように」ありありと再現され、しかもある固着した空気と匂いをともなって、不可避的にそれらは現れる。たぶんもうお気付きだと思いますが、容易に改変されない記憶が、不意にフラッシュバックのように去来することを、心理的にはトラウマ(心的外傷)と呼びますね。 では私の言う「共通記憶」というのは、たんに集団的なトラウマなのかということなのですが、今のところ分りません。そもそも「集団的トラウマ」などという用語が、あるのかどうかも知りません(ないでしょう)。しかし私はこういう時、いかにも心理学的な専門用語を振り回すのは(テレビでは大流行ですが)、あまり好きではありません。できれば自分の納得できる言葉で探ってみたい。 そこで私は「ナラティブ(Narrative)」という捉え方を出してみようと思うのです。要は人という生き物は、世の中を客観的な事象としてではなく、それぞれの認識の枠組みや経験に基づいた、「物語(Narrative)」として捉えようとする性癖を持っているらしいということなのです。一見誰にも疑いのない客観的事実に見えるような出来事であっても、人によって様々な相貌で事態は捉えられているという話です。 その把握のなされ方は、見る人のごく個人的な環境や育ちや経験に基づいて理解される。時代時代の教育とか政治とかマスメディアとか慣習によって、ごく無意識の内に私たちの思考の枠組みは決定づけられている。私の場合、特に感じるのは「言語」という枠組みです。私たちの世界の把握の仕方は、さしあたって「日本語」によってしかなされ得ない。で、「日本語」として発語(思考)された瞬間に、すでに私たちは一つの「思考の枠組み」にいることになる。これは何も言葉だけの問題に止まらず、その言語に付着した社会慣習や臭気や身振り手振りまで含めて、ある一つの限定された思考の枠組みの中で考えられているということです(英語で発語すれば、自ずと身振り手振りも変るじゃないですか)。 大事なのは、起こった出来事を「誰にも当たり前の事実」と捉えるのではなく、「私」という日本語話者の眼を通して把握された出来事なのだ、ということを自身がどれだけ意識できるかということでしょう。それは同時に、私以外の人にはまったく別の相貌で理解されている可能性がある、ということも意味しています。 このところの例の「歴史認識」論争にしても、それぞれがかなり身勝手な「物語(Narrative)」を乱用して、はなはだ不毛な状況を呈しているというのは、要は自分たちが、ごく「限定された思考の枠組み」の中でしゃべっているということを、まったく(あるいは意図的政治的に)閑却しようとしているからです。 「そんなこと言ったって、歴史上の事実というのは一つきりではないか?」と怒られそうで、もちろんその通りなのですが、客観的事実というのは、実はそのままでは「自然物の羅列」のようにまったく「意味をなさない」。私たちは目の前にばら撒かれた事物を、それぞれの仕方で整序しあるいは時系列に並べ変えることによって、初めて「世界」として把握しているのです。要は「物語(Narrative)」として語り出すことで、「分かったつもり」になっている。 明らかなことは、それぞれが別個の思考の枠組みで「物語(Narrative)」を語るかぎり、それらは永遠に交わることがない。「怨みは千年先も続く」のです。 とはいえ、人はそれぞれの「物語(Narrative)」という仕方で、世界を把握しようとする性向があるにも拘らず、なぜ私たちは先に触れたような「共通記憶」のようなものを保持しているのか?これについて例の内田樹さんが面白いことを言ってました。うろ覚えですが、「ビートルズがデビューした当時、最初から熱狂していた人は誰一人いなかった。であるにも拘らず、50年経ってみればそれを通過した人は、自分自身があたかもビートルズに熱狂していたかのように、当時をありありと思い起す」といったような話です(私の勝手読みです)。
2015.03.11
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