全12件 (12件中 1-12件目)
1
「易姓革命」の意味するところ 「天が前の権力を見放し、今の皇帝に命を下された」というのは、もちろん現政権の権力正統性を主張するためのロジック(物語)に過ぎないのですが、ここで大事なことは、その裏には「権力交代可能性」が意識されているという点でしょう。従って劉邦のように流民の親分が権力を奪取して「皇帝」に納まるということも、事後的に「正しいこと」とされるのです。 このあたり日本の「天皇」とは、ずいぶんあり方が違う。これも以前に何度か触れましたが、「天皇」の正統性とは結局、国母神である天照大神の万世一系の皇孫というところに帰するのであり、ここでは「皇統の交代可能性は最初から排除されている」のです。しかしそれと引き換えということではないですが、「権威」は維持されるけれども「権力」は行使しないという大前提があって、逆にそうであることによって、現代まで皇統は維持されて来たという面があるでしょう。 しかし、日本の古代史を見みれば、最初から「天皇」がそうした位置付けであったとは言えない。律令体制や「天皇」という称号が決まった奈良時代においてさえ、藤原仲麻呂(恵美押勝)の乱のように、明らかに天皇そのものの権力簒奪を狙った乱もあったわけで、権威と権力の分離がはっきりと意識され出したのは、藤原氏北家の摂関体制が固まる平安初期以降でしょう。 とはいえ、「天皇制論」については、また改めて考えるとして深入りはせず、さしあたって中国の「皇帝」が、古くから「権力交代可能性」を意識したものだった、ということが確認出来ればここでは充分です。 「易姓革命」とは、Web「はてなキーワード」では、― 中国では、孟子らの儒教に基づく五行思想などから王朝の交代を説明した理論で、天子は天命によって決まると信じられ、徳を失った現在の王朝に天が見切りをつけたとき、革命が起きるとされた。そして、王朝交代の際には王室の姓が変わるからこのように呼ばれている ―とあるように、その淵源は古代中国の春秋戦国時代に現れた諸子百家の思想の中から、次第に確立していった儒教思想に基づくもので、500年以上(!)中原が群雄割拠状態であった現状をどう説明し、そこで生起する権力の正統性をどう基礎付けるか、という「物語」の必要性から生まれて来たものでしょう。 それにしても今から2500年以上前の、古代中国というのは百家争鳴、ありとあらゆる思想や中国文化の淵源がここで発生しているわけで、その眼の眩むような多彩さは、その後の長い中国の歴史においても見られません。この紀元前6世紀頃というのは、世界的にもゴータマ・シッタールタ(仏陀)の誕生や、キリスト教(「受苦としての愛」の思想)の前身とも言われるイザヤ書の書かれた時期にあたり、何やら文明史的な転回期であったことを伺わせますね。 その中にあって「易姓革命」論を含む中国思想に特徴的なのは、その徹底した「現実主義」=「人間主義」といったところでしょうか。ここには神秘性や自然の入り込む余地が一切ない。ヨーロッパの王制ならば自身の権威を基礎付けるうえで、血統とか奇跡物語みたいなのが語られたり、日本ならシャーマニスティックな自然感がその根拠を成しているでしょう。 ここで言う中国の「人間主義」とは、西欧における「神」と対置させたヒューマニズムとは違う。いわば究極の「世俗主義」とも言うべきものです。そこで引かれる「天」とは、ごく抽象的な「座標軸」の原点(例えば北極星)に過ぎず、人間の側がそれと認めなければ、それ自体は何の意味も成さないようなもの、として意識されているのではないか? 逆に西欧における「神」とは、人智を超えた全宇宙の造物主として、人間より先に存在し初めから世界を支配するものとして意識されている。人間の側が信じようと信じまいと、人間や世界の営みをはるかに超越した「絶対神」として存在しているわけです。この場合、神は「人間の要求にいちいち答えるようなことはしない」、であるにも拘らず「人間は、初めから不可避的に神を信じ続ける」べく決定付けられているのです。このあたり、人間の「主体の在りか」のようなものについて、中国とはずいぶん違った見方をしているでしょう。 これは日本人の神々に対する意識と比べると、もう少し分りやすいかもしれません。先に「天皇制においては『皇統』の交代可能性は、最初から排除されている」という話をしましたが、皇祖が国母神=国の産みの親ということは、人の営みの前に「人智の及ばぬ圧倒的な自然」が前提となっているわけで、である以上その交代可能性はない(人間の側に決定権がない)。これは地震や風水害といった苛烈かつ豊穣な風土が作りだした、日本人のシャーマニスティックな意識から来たものでしょう。 いずれにせよ、日本においても西欧においても、人間以外の「何ものか」を措定することで、自身を基礎付けているのに対し、中国ではすべてが人間に帰一し、そこから物事が発するという意味で、究極の「人間主義」=「世俗主義」であると言っているのです。 「易姓革命」思想の根源は、たぶんこうした中国固有の、対置するもののない「人間主義」に由来するのではないか?
2015.04.29
コメント(0)
権力 中国史にはもう一つ大きな特色があって、これはよく知られた事柄ですが、民衆が歴史に関与するシチュエーションが極めて多いということです。これは中国人民の力が特異的に強かったということではなくて、民衆の糾合に成功し得た者が中原を制覇する機会が多かったということであり、何も人民革命論の話ではありません。西欧史において、歴史に民衆が表立って登場して来るのは、先のウェストファリア条約の半世紀後、フランス革命からで、日本史では幕末維新でさえ、一般民衆が歴史に全面的に関与したとはもちろん言えない。事は古代史の話であって、その頃の一般人というのは、中原においては紛れもなく農民でした。 農耕民が土地を捨てて流民化する事態というのは、その多くが天災ではなく苛政の結果であり、つまるところ歴代皇帝による過酷な収奪がもたらしたものです。しかし時の権力者がえげつない収奪を行うというのは、中国の皇帝に限ったことではなくて、西欧にも日本にもよくある話でしょう。であるにも拘らず、中国においてのみ流民化した民衆を糾合して、新たな王朝を成すというパターンが繰り返されるのはなぜなのか? それはたぶん最も単純に、数の「規模のもたらす効果」なのではないか?そもそも定地農耕とは「多産」を必要かつ可能にする社会構造であり、黄河と長江の中下流域に広がる肥沃な華北平原は、その理想的な領域であったわけです。逆に言うと周辺の遊牧騎馬諸族からみれば、中原は限りなく「おいしい土地」に見える。定地農耕が出来るからおいしいのではなく、ミもフタもない言い方ですが、膨大な農耕作物(と、ついでに人間も)を「まとめて収穫する」のに、こんなに効率的な地域はなかったということです。 中国史における農耕漢民族と遊牧騎馬諸族の攻防という構図は、「皇帝」という権力の在りようというか、その概念に大きな影響を与えているのではないか?それは常に、とてつもない「収奪の権利を有する者」として現れただろう、ということです。このあたり、紀元前の匈奴や中世蒙古の収奪の仕方を見ればよく分る。で、それは歴代の漢族系の権力者の在りようにも、大きな影響を与えただろうという気がするのです。 これは遊牧騎馬的社会を経験していない日本の権力構造とは、かなり違うマインドを生み出しているはずで、早い話「天皇」は農耕を安堵する最高の神官として、その根源的権威をまとって来たわけでしょう(まあ、騎馬民族渡来説を唱える論も一時あったようですが、それはともかく)。そこから行使される権力の在りようは、自ずから大陸とは異なって来るはずです。で、そうした権力に対する概念の違いというのは、今もひょっとしてあるのかもしれない。これは何も、だから日本の権力の収奪は緩かった、というような事実価値的な話をしているわけではありません。権力に対するマインドの違い(施政者側も被政者側も)だけを言っているのです。 しかし遊牧騎馬諸族の弱点は、その社会構造上「多産」を必要としなかった、あるいは出来なかったということではないか?定地農耕は食料の安定的な確保と蓄積を可能にし、人手が増えればさらに増産も可能になる。西北方の周辺諸族の生存手段が、狩猟採集とか放牧が主たるものであったとすれば、社会構造的に自ずと「多産」は制限されるでしょう。 この驚くほどの人口の非対称は、収奪者側に膨大な利益を生み出す代わり、それが過ぎて大量の流民が発生すれば、単純にその数自体で脅威になり得る。漢の公式記録で紀元前後の中原の人口が六千万ほどだったということは、予想される流民の数も一万十万のオーダーではなく、百万の単位で考えなければならないでしょう。このオーダーの流民を糾合すれば、確かに「易姓革命」の主体足り得るわけです。
2015.04.26
コメント(0)
国民国家 私は高校のころ、古文を勉強しなくて済むこともあって世界史が好きで、取り分け中国史は優れた専門家の本も多く、よく読んだものでした(今はさすがに、引いてしまいましたが)。その中で岩波新書の貝塚茂樹著「中国の暦史」は、古代中国文字の専門家であるにも拘らず、中国三千年の歴史を通観した本で、しかもその中国史のダイナミズムに基づいて、当時の現代史(中ソ対立)の本質にも言及されていたことに舌を巻いたものです。 中味はほとんど忘れましたが、要は中国史とは中原(黄河、長江で挟まれた華北平原)を中心に住まう定地農耕型漢民族と、その周辺とくに西北方の遊牧騎馬諸民族との興亡史であり、中ソ対立はその文脈で捉えるとき、米中対立よりはるかに深刻である、といったような内容だったと思います。現にその後米中は劇的な外交的展開を果たしたのに対し、中ソはその国境線上で何度か血生臭い争いを繰り返しました(今は鳴りを潜めたように見えますが、これこそ文字通りの「戦間期」と言うべきで、超大国同士がじかに長大な国境を接するというのは、それ自体が常に緊張状態であるということです)。 「それにしても」と、私など改めて思ってしまうのですが、要は「大陸」とは地続きの陸に他ならず、国境線などたんに人為が(それぞれの物語によって)設定しているに過ぎないのであって、それらは時々の力関係によって常に変動するもの、と観念されているのではないか。日本のように国の周辺が海である場合、外界との隔ては自然物のように漠然と意識されているのですが、ユーラシア大陸では西も東も国境線は常に「揺らぐもの」、というのが前提だったのでしょう。 そういう認識に立てば、強い集団が国境線を拡張し版図を拡げるというのは、ごく自然な振る舞いであって、逆に弱くなれば周辺から蚕食される、というのもまた当たり前のことである。中国史は蚕食どころか、中原そのものが周辺諸族に征服されるという歴史を、つい最近まで何度か経験している(匈奴、蒙古、清等々)わけで、世界第二位のGDPを擁する現代において、自国の国境線というか影響力を外側に伸張させるのは、ごく自然な成り行きじゃないか、という気分がきっとあるのでしょう。 このあたり「揺らぐ国境線」という点では、たぶんヨーロッパ地域も同じような認識を持っているのですが、大陸の西側では単一の集団がヨーロッパ全域を支配するという構図は、ローマ帝国以後無かったわけで、自ずとその後の振る舞いには違いが出て来るわけです。ヨーロッパでは圧倒的な支配勢力が存在しなかったぶん、時々の力関係によって国境は常に揺らぐ。さらにその確定はもっぱら戦争によってなされたので、それが続くかぎり互いが疲弊するということもあり得るということで、かなり人為的な必要から、国家概念を統一化する仕組みが考えられたのでしょう。 その基準となるべき単位が「国民国家(Nation-state)」という概念で、1648年のウェストファリア条約がその端緒とされます。一つの民族をそれぞれ独立した主権単位(その版図内の統治権は、専一にそこに帰属する)と見なし、その単位ごとに合従連衡を行おうという考えかたは、それまで世俗と聖性の両面を神聖ローマ帝国(ハプスブルグ帝国)とローマ・カソリックという、広汎な領域に(そのぶん漠然と)影響力を与えて来た中世的体制を覆して、様々な民族が国民国家として、互いに並立して覇を競うという時代を導いたのでした。で、その中からイギリスとフランスが近世国家としての体裁を、真っ先に整えて行ったのはよく知られたところですね。 先の通り、日本では一民族一国家という国家感は、島国であることによって(その国境線とともに)、「所与のもの」として捉えられることが多いのですが、国民国家という在りようは、こうしてみると国家の概念としては割と新しい、たかだか400年ほどの年月しか経てないわけで、しかもそれはかなり無理を承知で、便宜的に作り出した国家感であるとも言えます。 一民族一国家で括り切れない地域や社会はいくらでもあり、さらには「民族」という言葉の定義自体(それを規定する基準は、言語なのか、宗教なのか、人種なのか、習俗なのか等々)、完全にこれだという結論は今でも出てないでしょう。で、これまた当たり前の話ですが、国家というのはそれよりはるか以前から、自然物のように世界中に存在していたわけです。 こういうふうに見て来ると、中国というのは同じユーラシア大陸の東に位置しながら、西のヨーロッパとはまったく違った歴史を歩んで来たと考えざるを得ません。春秋戦国や五胡十六国時代あるいは南北朝のように、何度か群雄割拠の時代があったとはいえ、基本的には中原は一つであるべき、そこを統一した者だけが大王でなく、「皇帝」の神授を天から受ける資格がある(「易姓革命」論)というのが、この地域にずうっと共有された「物語」であったようです。これは国民国家というヨーロッパ近世の概念とは、明らかに馴染みません。 中国史の大きな特色は、世界四大文明の一つと言われる中で、唯一歴史的に途切れることなく、その存在を(価値論は別として)現代に至るまで、示し続けて来た地域なのだという事実です。で、世界の歴史家は、なぜ中国域だけが観念としても「中原は一つであるべき」という「物語」を、3000年も維持し続けて来たのか、それを充分納得出来るようなかたちでは、たぶんまだ説明していない。 人類史はこうした西と東の大きく異なった歴史の歩みを、架橋するような「大きな構造」を今だ示すことが出来ない(いくつか試みはあるようですが)。「世界史」の教科書が面白くないのは、それが出来事の羅列に終始して、世界を一望俯瞰するような、終始一貫したビッグ・ピクチャーを明示し得てないからです。
2015.04.25
コメント(0)
思考実験 「何をまた荒唐無稽な話を!」と謗られてしまいそうですが、20年ほど前「今そこにある危機」のT・クランシー作、ジャック・ライアン・シリーズ第7作目で「日米開戦」という小説がありましたね。確か終わりの方で日航の機長がワシントンの連邦議会議事堂にカミカゼ突入して、大統領以下政府要人が多数死亡、その結果主人公のライアンがアメリカ大統領になるという、それこそ奇想天外の話でした。当時日米貿易摩擦たけなわの頃で、まさしくその時流に迎合した仮想小説(このシリーズの最新作は、何と「米中開戦」!?)だったのですが、それでも航空機による自爆テロという点においては、9・11という現実を5年ほど先取りしていたわけです。 アメリカ人というのは、到底あり得ない仮想現実を風船のように大きく膨らませて、面白く見せるのが大好きなようで、内田さんによると第二次大戦で連合国が負けて、アメリカが日独に分割統治されるという小説もかつてあったとか(私は知りません。もちろんこれは敗戦国ドイツの東西分断という、戦後の冷戦構造を反映したものなのでしょう)。 こうした到底あり得ない仮想現実を設定して、それを(大マジメに)シミュレーションしてみせるというのは、現実にそれが起こり得るかもしれないという警鐘目的である以上に、今ここにある現実世界を「相対化」させて、あり得たかも知れない現実を描いてみせることで、逆に「唯一の現実」に囚われがちな自分の視点を、一次元引き揚げるような妙味があるように思う。 つまりこれらは一種の壮大な「思考実験」なので、戦前の日本で盛んに行われた「日米かく戦わば」論や、戦後何回か流行った「米ソ戦争」もののような、たんなるオタク的戦術シミュレーションとは分けが違う。 従って、「もし中国が日本を占領したら」という設定など、「そんなことは、あり得ない」「非現実的」「マジメにやれ」と切って捨てるなら、その人たちは現実を見るもう一つの眼あるいは方法を、自ら放棄しているということになるのです。 こうした話で、以前「いわゆる戦争報道について」の時に、「もし敗戦後、日本を占領したのが、仮にアメリカでなくソ連だったら」というようなシミュレーションをしたことがあります。純然たる思考実験ですから、なぜどのようにしてソ連の占領下に入ったのか、という前提はこの際抜き。 そうすると見えて来るのは、恐らく日本の中枢はかつての左翼勢力以上に、「クレムリンのポチ」になりおおせて、「奇跡の復興」を成し遂げただろう。で、敗戦後20年ほどであるいは本家ソビエト連邦を上回る、世界に冠たる模範的な社会主義国家を形成したかもしれない。現に1960年代後半、日本が第三の経済大国に躍り出た頃、取材に来た外国人記者や学者たちが盛んに喧伝したのが、見かけの自由主義とはまったく異なる「政府主導型」の経済運営こそ、日本の経済成長力のカギだといった指摘で、その代表格が「通産省(M・I・T・I)」なのでした。 相手にとにかくアジャストし、ほとんど本家と見紛うばかりに「成り切る」ことによって、いつのまにやら本家以上にクォリティを獲得しているというのは、確かに日本の歴史で繰り返しあったような気がしないでもない。そして肝心の本家がいきなり崩壊してみれば、自分たちが戦後奉戴して来た「社会主義」とは一体何であったのか、45年経って政治家はもちろん、学者経済人マスコミも含めて右往左往、完全に途方にくれて、その後は現実に起こった「失われた20年」と同じような経路で、結局現在に到るのではないかというのが、その時の話の趣旨でした。 まあ、上はヨタ話ですが、それでも「現在の日本とは、本質的に何であるか」みたいなことを考えようとする場合、時にこうした仮想現実を設定してみれば、あるいは自分たちが日常無意識に行っている行動や思考に、ある共通したパターンや傾斜があることに気付けるかもしれない。そういう意味で、こうした「思考実験」をやるのは、まるきり無駄じゃなかろう、ということなのです。 しかし日本では学者は言うに及ばず、マスコミ他も含めて「仮想現実」を設定して現実を見る、というような思考態度を極度に嫌う。歴史学者は「歴史事実は一つ」という科学的歴史主義のドグマに取り憑かれて、身動きの出来ない状態だし、マスコミは「仮想現実」=事実無根=誤報という恐怖があって、「現実の事実」から逃れることが出来てないでしょう。 自分たちの思考の守備範囲が広がる、あるいは視座の次元を一次数繰り上げてみるというのは、決して無駄ではないと思うのです。 と、前置きして、少し中国の話をしたいのです。「もし中国が日本を占領したら、日本はどうなる」。この仮想の命題を大マジメに考えるとすれば、たちまち中国あるいは東アジアの長い歴史や、地政学的現実の知識が必要になって来るでしょう。
2015.04.23
コメント(0)
有り得た歴史 「神州不滅」という神話は、案外近い時代に作られた物語だったろうと私は思っています。「どうせ、そんなのは昭和の軍人たちの仕業だろう」と早手回しに見当をつけてしまいそうですが、ここはもう少し慎重に考えてみたい。 今でも時おり、今年93歳になった母に8月15日のことを聞きます。すると面白いのは「そもそも『国が負ける』という意味が分らないので、玉音放送が何を云っているのか分らなかった。とりあえず戦争が終った、ということだけが分った」と言う。それじゃあ、必ず勝つと思っていたのかというと、そうではなくて、「『勝つ』まで終らないだろう」と考えていたと言うのです。さらに突っ込んで「それでも勝てなかったら、どうなると思っていたか(イヤな息子ですね)?」と問えば、「たぶん、この世が滅びて、自分もいっしょに消えて失くなるのだろう」と、漠然と思っていたとか。 要は「戦争には負けることもある(いずれにせよ、必ず終りがある)」という概念が最初から欠けているので、「国が滅びる」とは「世界が終る」のと同義でしか考えようがなくなる。そもそも「日本が仮に滅びても、世界は依然として在り続ける」という前提がなければ、その先は考えようが無くなってしまうのでしょう。 「だから教育というのは怖いんだ」という話になって来そうですが、ここもやはりあまり簡単にはしたくない。その意味でも3年前亡くなった親父には、もう少し突っ込んで聞いておけばよかった、と思う今日この頃ですが、まあ父と息子という男同士の関係は、ずいぶん微妙というかヘンな含羞があるので、ざっくばらんに聴くということはなかなか難しい。父が戦時中に見たもの感じていたことというのは、もちろん母ほどナイーブではなくて、もっとリアルで冷静であったはずですが、今となっては「無言の宿題」として、私に投げかけられているわけです。 父も母も大正10年前後の生まれ、二人とも当時としては高等教育を受けていて、比較的リベラルだった教育が急速にファシズム化していった時代に育った世代でしょう。この大正末期(10~15年)の世代とは、今次大戦で最も人的損害を受けた人たちであり、本来明治世代から昭和世代に架橋されるべき、多くの精神の担い手たちがこの戦争によって失われているのです。 私たちはあるべき精神の受益と、将来世代に渡すべき大きな部分を欠いた形で、今の世に存在していると思った方がいい。大正世代は明治と昭和に挟まれて、よく目立たないと言われますが、それはたんに大正期が短かったためではない。そこに確かにいたはずの貴重な人的資源が、物理的に最も失われた世代だったということも大いに関係しているはずです。 それにしても第二次大戦の日本人の死者数は、軍人軍属を合わせて210万、民間人も含めると300万とも400万とも言われますが、その大半が実は昭和19年(1944年)代以降(特にサイパン島失陥後)に集中的に現れているということも、やはり記憶しておくべきでしょう。 「太平洋戦争かく戦えば」式に歴史のifをあげつらうのは、たんに子供染みた「戦争好き」の歴史漫談に過ぎないのですが、ミッドウェーの敗北はともかくとしてもガダルカナル島からの撤退時期から、講和ないし降伏の手立てを探っていれば、日本はまったく違った戦後を歩んだかもしれない。こういう歴史のifを想定してみるのは大事なのだ、と内田さんは言われます。考えてみればアッツ島の玉砕(1943年5月)以降、日本の戦争は「普通の戦争」ではなくなった。先の「普通でない負け方」をしたというのは、主として昭和18年の後半から露わになって来る事態を指すのです。 書くのも辛い言い方ですが、この時期以降の日米の戦いとは、事実上米軍の一方的な殺戮あるいは「屠殺」戦なのであって、白旗が揚がらない限り、殺戮は幾何級数的に増え、その方法も残虐にエスカレートする。戦争とは実際に始まってしまえば、そういうものであって、終ってからその残虐性を非難しても仕方がない。早い話、「太平洋戦争かく戦えば」に熱中する御仁たちは、同じ論法で「もし日本が原爆を保持していたら」躊躇無くそれを使用した、と考えるでしょう。戦術の漫談的なifが不毛を呈するというのは、こういうことなのです。 しかし先の「休戦の手立て」の模索という想定話は、歴史事実として「確かに救われたはずの莫大な命と財産を失った」という意味で、繰り返し反芻する必要がある。それほどに戦争の止め時というのは難しく、逆にそれを始める当事者たちは「負ける場合」も「相打ちの場合」も、リアルにシュミレーションしておかなければならないはずです。国民に「不敗神話」を言い募るのは、戦意高揚策として勝手だったとしても、戦争の当事者自身がどうも上のようなリアルな想定を棚上げにして、途中から考えるのを止めて戦っていたように思えてなりません。 さて、今どき「日中かく戦えば」といった景気の好い仮想現実を披瀝してみせる自称専門家の方々、「もし中国が日本を占領したら」という想定を、一回でもシミュレーションしたことがあるのか知らん?してないのなら、この人たちの想像力は「太平洋戦争を少しも学んでいない」ということになってしまいますね。
2015.04.22
コメント(0)
「退屈」 戦場の兵士や銃後の一般人・マスコミの「勝った負けた」の熱狂とは裏腹に、国家権力による戦争の後始末というのは、まことに「政治」そのもので「退屈」極まりない。実際に現地で戦った兵士や将校からすれば、どんな終戦処理であろうと、気分が完全に解消されるということはあり得ない。戦場に充満する異様な情念と、リアルな戦争マネジメントの政治的後処理という位相には、絶対相容れない部分があるのです。大山はその乖離をよく知っていて、戦いの続く現地で英国の駐在武官に対し、敢えて「退屈」という云い方をしたのでしょう。 日本に限らず、徴兵制を採用する国家は(民主、独裁を問わず)、この空隙を埋めるために、特別な「軍人墓地」を必要とします。国家意志によって引き起こす戦場における死は、災害救助や犯罪者捕縛時における官憲の殉職とは別枠の「物語」と「装置」が、その統治上必要なのです。 薩英戦争以来、従兄(西郷隆盛)との戦いも含めて、幾多の戦場を経て来た大山にとって、戦争には必ず終りがあり、その「勝ち」「負け」「相打ち」という結果を問わず、実際に血を流した者にとって、冷徹過ぎる戦後処理という政治手続きは、「空しさ」以外の何ものでもなかったのではないか。大事なことは、それでも彼は「だから、ニヒリスティックに世をせせら笑う」といった昭和以後の知識人によく見られる振る舞い(今でも?)はしなかったということです。 このあたり、大山に限らず児玉や東郷といった軍人にせよ、伊藤や小村のような政治外交の人物たち、さらには漱石のような文人も含めて、明治の第一代を築いた人々というのは、一種「覚めた眼」というのを自己に対しても、外に対しても保持しているような気がする。要は成熟した大人の感覚を感じさせるわけで、だからこそ彼らから発せられる言葉には、時にユーモアが漂う。こうした人格は直立不動の軍人や政治家たちからは、決して生み出され得ない感触なのです。 ユーモアというのは、自己も他者も等分に外から眺めて、ひとまとめに笑い飛ばすような感覚を云うのであり、それが出来るのは「大人」だけなのでしょう。昭和以降の軍人や政治家には、そうした人格は見られなくなってしまいました。 しかしそうしたユーモアという点では、明治第一世代は女性陣も負けてはいないので、新島八重や大山捨松など会津籠城の修羅場をくぐりながらも、渦中にいる自分たちを外から眺める眼を失わない。「戦争というのは、やってみれば面白いものです」というのは、八重さんの回想録の言葉だそうですが、城内の女性たちが大砲で吹き飛ばされる修羅場にあって、なおかつそこに認めた「面白味」とは、彼女の場合「鉄砲なら女でも戦える」という充足感であったでしょう。 彼女は恨みや残虐の情念に満ちた戦場にあって、そこに立ち会っている「自分を眺める眼」を持っていたのであって、鉄砲で狙いをつけて撃つ、それが命中するのが「面白い」と感じた自分を隠さない。昭和以降の人格はたぶん、こうした表現を「不謹慎」と謗るでしょう。現に3年ほど前の大河ドラマでも、マジメで強い女性像ではあっても、「大人の八重」とはなっていなかったですね。 こうした明治の第一世代に、何となく共通して感じられる人格性は、結局幕末の武士階級のマインドが醸成したのだろう、逆に明治の日本は大人の人格を醸成しなかった、とはよく言われることですが、まあ、事を簡単に概括するのは避けたほうがよさそうです。漱石は武士階級の出ではなかったですから。 というわけで、「日本人は戦争に負けたことがない」=「神州不滅」というプロパガンダは、いつ頃から日本人の心に定着したのだろうと、再び思ってしまうのです。
2015.04.18
コメント(0)
戦争の始末 しかしそんな語句を考えるのは、ここの趣旨ではないし、早い話その筋のしっかりした専門家は必ずおられるでしょうから、このくらいにしておきましょう(皮肉を言っているわけではありません)。仮にいくつか思い当たる言葉があったとしても、私自身がここで何を語り、この先どういう道筋を辿って、結局どんな風景が開けて来るのか、まるで見えてない今の段階で、そんなことは軽々に言うべきことではないでしょう。 さて、ずうっと頭に引っ掛かっているのは、先の「普通でない負け方」の意味するところには、たんに「偽りの主権国家」といった外形的な問題だけでなく、もっと内在的な要因があるのではないか?ということなのです。 結論から言ってしまえば、1945年の8月15日以後、日本人は「戦争行為というものに、それまでまったく見たことも無かった『邪悪なるもの』の存在を認めた」のではないか?ここで云う「邪悪性」とは、よくある戦争の惨烈とか残虐といった話ではなくて、戦争行為をなす時の人間の在りよう、そのもののことを指します。 戦争の惨烈さとか残虐といったものは、第二次大戦前にも世界各国で普通に語られていたことでした。ナポレオン以後日露戦争まで、徴兵による大量動員と重火器の発達によって、戦争における兵士の大量死が次第に顕著になって来たものの、基本的に「死」は軍隊という組織において、最初から前提された概念であったわけで、だからこそ「名誉の戦死」という言い方も成り立つわけです。ヨーロッパでは武勇に優れた軍人の家は、商人の家より貴族に列せられる機会が多かったでしょう。 しかし第一次世界大戦は、そのあまりの大量死と破壊の凄まじさ、および国費の破局的な蕩尽によって、それまでの戦争の概念を根底的に覆すものとなってしまいました。ヨーロッパにおいて世界平和だの国際連盟の構想が生まれたのは、戦勝国も破綻する危険があることが分った、この大戦後のことでした。大事なことはこの大戦に日本は加担はしたけれども、新しい戦争が示唆するものを(観戦武官たちは戦場をつぶさに見たはずなのに)、ほとんど理解しなかったのではないか、ということなのです。 むしろ各国間のパワーゲームの手段としての軍事力に眼を奪われていたのかもしれない。要は、次の大戦に負けるまで、日本は第一次大戦前の欧米と同じような「戦争感」を抱いていたのではないか。クラウゼヴィッツの「政治目的達成ための、『手段』としての戦争」論です。つまりここで日本は、他の欧米諸国とは一周遅れのロジックを、戦争行為に適用していたということでしょう。 では日本人は1945年の8月15日以降、戦争に何を見たのか?第一次大戦後にヨーロッパ諸国が見た風景を、周回遅れで思い知ったのかと言えば、どうもそう単純ではなさそうです。 「そりゃあ、日本は歴史上それまで一回も戦争に負けたことがなかったからさ」と返されそうですが、これはそれこそ戦前の政治権力が作り上げた「神州不滅」という神話を、いたって無邪気に反芻しているに過ぎません。 今でも思い出すのですが、小学校のころ先生が戦争の話をするとき、必ず最後に「日本はこないだの戦争まで、歴史上一度も戦争に負けたことが無かった」と、いかにも慨嘆して話されたのを覚えています。先生方は紛れもなく戦前戦中の教育を受けた世代であり、建て前上は戦後民主主義を称揚する良識ある人たちでしたが、そのエートスは明らかに戦前に醸成されたもので、そうした気分はごく自然に口に出て来るものです(別にそれを非難しているわけではありません。今でもそういう話し方をする先生、いるんじゃないですか)。 実際の日本は、幕末維新前後からその後の歴史を振り返ってみれば、戦争に「負ける」ということは普通にあり、それがどういうことかということをよく知っていた。下関戦争での賠償金は、明治になって政権が変っても支払い続けられたのです。以下同様に日清戦争では戦勝国として、日露戦争では引き分け停戦交渉として、第一次大戦では権益の確保という形で、さらに言えばノモンハン事件では、決定的な敗北停戦交渉というものを通して、戦争には「勝つ」も「負ける」も「引き分け」もあり、要は勝ってもおごらず、負けたら出来るだけ「相打ち」に近いところで始末する、というのがリアルな戦争に対する認識だったでしょう。 確かに大山巌の言うとおり「戦争とは終ってみれば退屈なものです。軍人はその退屈に耐えなければならない」。
2015.04.16
コメント(0)
「義」なるもの 敗戦で日本人が真に失ったものが、「主権国家として我が身の過去に、真正面から立ち向かう知力」そのものであり、しかもそれを無意識のうちに「疾病利得」として採用することによって、その後の奇跡的な経済繁栄をみたのであれば、自身の在りように潜伏する一種の「疚しさ」は決して消えることがないでしょう。80年代以降、中韓から繰り返し発せられる「従軍慰安婦」や「南京虐殺」問題に対して、時の政府が常に及び腰の応対を繰り返して来たのは、この疾病(純然たる従属国家であるにも拘らず、あたかも独立した主権国家のように振る舞う)によって得た利得があまりにも膨大で、出来ればこのまま罹患し続けたい、という願望が底意としてあったのではないか? 戦前戦後を通観する「大きな普通の物語」を、主権国家の声として言明すれば、過去の問題を対自化して相手に示すことが出来る。親の負債を清算しないまま、「反省と陳謝」を(友好援助という、意味不明のお金付きで)繰り返すのであれば、実際のところ「お前は一体何を考えているのだ?(この金は何なのだ)」ということになるでしょう。その後の中韓の振る舞いは、いかにも事大主義的な旧アジア的国家の姿形そのままに、捏造と誇大妄想のエスカレートを繰り返しています(彼の国々は国々で、そうした独自の病気に罹患した方が、利得が大きいと判断している)が、それはさておくとしても、「一体何を考えているのか?」という問いは、アメリカも含めて世界一般から向けられている眼であると思った方が好いでしょう。 安倍さんは近々、アメリカ上下両院合同会議の場で演説する由、さらに「戦後70年談話」を8月に出されるようですが、かなり注意しないと「戦後体制(連合国勝利の構図)の改変」を目論んでいる、「歴史修正主義者」と受け取られかねない。アメリカは戦勝国だし、彼らは今次大戦を紛うことなき「正義の戦い」だったと見なしているのです。 一般に「無前提の正義」ほど疑い深いものはない、と(先のフランスなどを見るまでもなく)私など思ってしまうのですが、少なくとも彼らは自分たちの「正義の証明」を、他から確認したいと思っているでしょう。大戦後アメリカが繰り返して来た「戦争」が、すべて「義」なるものであったと云えるのか、ヴェトナム戦争以来たぶんアメリカ人自身揺らいでいる。自国の兵士が死ぬのを極端に忌避するようになったのも、あるいは我が身の「紛うことなき義」というものに、確信が持てなくなったからではないか? ISは極端としても、我が身の「義」に疑いを持たない人々国々は、他国への大量殺戮と自国民の犠牲を何とも思いません。「無前提の正義(あるいは善意)」を表看板に据えた主張が、いかにマヤカシで自己都合なものかというのは、今昔国の内外を問わず、簡単にいくらでも事例を引き出すことが出来ますね。 あえて言えば、現在のアメリカは「反知性主義」の素振りを採用することによって、「義」なるものをなるべく低減させようとしているようにみえる。9.11はある意味、「反知性主義」の格好の契機となったのであって、ブッシュ政権はそれを最大限利用したのです。誰にでも分る「義」、反駁を許さない「義」の看板は、一旦我が身を疑ってみる、という成熟した「知性」を奪う。 断っておきますが「反知性主義」とは、頭の悪い人が漠然と抱く感情ではない。それなりの「知力」を備えた人たちが、敢えて採用している「主義」なのです。 これは個人的な感想ですが、2001年以降、私の中で「アメリカ」というのが、急速に魅力を失った(特に映画で)印象があります。それまでも「大抵にしろよ」という振る舞いが様々あったにせよ、それらはアメリカという国のカタチまで損ねる、という感じではなかった。一言で云えばバカな事もするが、それでもダイナミックな「知性」を振り回して、世界を惹き付けて止まない国だと思っていました。 あまり言いたくはないですが、今や一儲けを狙った(効用主義的な)知力だけが集合する、いたって「反知性主義」の国になってしまったかのように見える。かつてフルブライトの奨学金で海を渡った日本の知性に限らず、アメリカ留学に憧れた日本人は、決してそんなチープな夢は抱かなかったでしょう。日本の留学生が減ったのは、若者が「内向き」になったのではなく、上のような意味で、アメリカの魅力が薄くなってしまったからではないか?「知力をキックし、身体を拡張させる」ような高揚感を与える魅力が。 アメリカがイラク戦争以後、ハイテクロボット兵器を多用しているのは、兵士の死が怖いのではなく、戦争をする表看板に、かつてのような「大義」を据えにくくなったからでしょう。しかし自国の兵士が死なないなら、いささか「小義」に偏しても他国民ならいくら殺してもよい、ということにはもちろんならない。 おそらくアメリカ人自身が、大戦以後の自国が起した戦争の「義」について、ある種の疚しさを抱いているのではないか? と言うわけでアメリカも、これもまた我から固有の罹患を望んだ、別の「病者の姿形」をしているのです。安倍さんはそういう相手に(あたかも胃腸病患者が、呼吸器病患者にするように)、話をするのだと思った方が好い。ここで「自由」だの「民主主義」といった、使い古しの共通「義」を表看板に据えるのは当然であるとしても、真の治癒というか希望に満ちた言葉というのが、もしあり得るのだとすれば、それは「知力をキックし、身体を拡張させる」ような知性のありようを、どう示唆して行くか、というところにしかないのではないか。 「こいつは覚えておいた方が、良さそうだ」と、相手の頭を刺激するような、気の利いた短い日本語で、です。
2015.04.15
コメント(0)
戦争のロジック と、だいぶ寄り道してしまいましたが、そこで再び「戦争の世紀」と言われた20世紀の半ばに、世界の主要国中なぜ日本だけが戦争行為を離脱し、今世紀に到るもそれを維持しているのか?という問いに戻って来るのです。その取っ掛かりとして、おそらく日本人は今次大戦に、「普通でない負け方をした」という内田さんの言葉をヒントに、さらに深掘りしてみたい。 内田さんは「僕たちが敗戦で失った最大のものは『私たちは何を失ったのか?』を正面から問う知力」そのものだと言われます。その結果として戦後の日本人は、戦前の国家感や軍隊組織あるいは戦争感といったものに、何らの連続性も見いだすことが出来ないまま、今に到っているのでしょう。 普通の国家あるいは軍事組織であれば、負けた原因を徹底的に検証し、来るべき次の戦争に負けないように、国家体制軍事組織自体の改変も含めて備える、というのが主権国家としてのありようなのです。敗戦後の日本は、そういう仕方で戦前の自国を検証し、あるいは自らを裁くことをしなかった(内田さんは、それは「純然たる従属国家であるにも拘らず、あたかも独立した主権国家のように振舞って来たから」と言われますが、まあこれについては保留。このあたりリベラル系のこの人の論は、かぎりなく主戦派の人たちの論拠に近い)。 ここ最近ごく普通になされるようになった主戦的な論説(それ自体は悪いことではありません)も、根本のところで違和感が抜けないのは、要は「親の負債を清算せず」に論を為そうとするからでしょう。「戦前のことは私たちの生まれる以前の事だから関係ない」とか「戦後賠償はもうとっくに済んだ」といった言説は、こと国家国民のありかたとしては、はなはだレベルが低いと言うしかない。殺人犯が刑に服し民事賠償を仮に払ったとして、「だから俺はもう何も悪くない」と(本人の方から)言い出したとしたら、やはりおかしいでしょう。「戦争に負ける」とはそういうことなのだ、と内田氏は言う。相手国が言い続ける限り、それらは「無限責任」となって続くのです。 「じゃあ我々は永遠に、敗戦国として卑屈に振舞わねばならないのか」とすぐ反発されそうですが、たぶんそうではない。戦前の日本はこうで、戦後はこのようにして親を克服し、今に到ったという「物語」を、日本人全員が普通に語れるようにならないといけない、ということなのです。先にも触れましたが、ドイツやフランス、イタリアなどまあ、かなり際どいロジックで(しかし全世界に普通に発信出来る言葉で)、戦後体制の正統性を維持しようとしました。しかし敗戦後70年間私たちは、知力のある部分を停止して、すべてを棚上げにしたまま今日に到っているということです。これはやはり普通の主権国家のあり方とは言えないでしょう。 我が身が知力を低下させたままでいることに、本人自身さえ気付かない状態が70年も続くというのもまた異様というか、ほかの国から見れば不気味に見えるのかもしれない。キッシンジャーが日本という国家を評価しなかったのも、たぶんここに主権国家としての根本的な異様さを見出したからでしょう。 しかしそこまで「考えないでいる」ことに安住し、「戦前の価値観を、他所事のように棚上げ」し続けるのには、何か大きな利得があったからに違いない。現に戦後10年を経ずして、日本は少なくとも経済的には繁栄への道を走り出したのです。自分たちの負けた過去を振り返るより、今から先を考えたほうが楽だから、むしろ「断絶」を選んだのでしょう。敗戦後生まれた企業経営者の中には、一時「戦争に負けたのは、日本にとって良かった」と平然と口にする人が何人かおられましたが、断絶あるいは棚上げによって「真に失われたもの」が何であったのか、を振り返り検証することも同時に止めてしまうのは、何度も言いますが、知的には劣化しているとしか言いようがない。 で、劣化した知性では諸外国からの言説に対して、普通に語りお互いを前に向かせる物語が出来ない。現在主戦派が「尖閣」や「竹島」あるいは「従軍慰安婦」や「南京虐殺」で言い募る言説は、常に防御的な反発でしかない。身を閉じた言説からは、未来への話は生まれません。 こう見て来ると、やはり戦前戦後を通観した「大きな普通の物語」が、なぜ必要なのか分かって来るでしょう。
2015.04.13
コメント(0)
教条主義 しかし、このあたりの「交渉取引は交換が原則」という考え方、言っては何ですが、日本のジャーナリズム一般に関係する人たち、案外勘違いしているのではないか?私の見るところ、いわゆるジャーナリストと言われる人たちは、自身を「一方的に取材すべき立ち位置にある者」、あるいはその「権利を先見的に有する者」と、勝手に規定しているのではないかしらん。 以下、さらに想像です。 青山佐藤両氏を見ていると、自身が誰かを「取材するとは、同時に相手に取材される」立場に身を置くことである、ということが最初から前提になっている。下世話な言い方ですが、「自身のセールスポイントを知っている」ということなのです。大ざっぱに言えば、青山氏は「相手の知り得ない情報を、圧倒的に持っている(らしい)」、佐藤氏は「相手が到底考え得ない、高い情報分析力を持っている(らしい)」ことによって、取材対象者の側の関心を惹かずにはおかない。 取材対象者が「聞きたがる要素」を、こちらが持っている場合、かなり実のある交渉可能性が成り立つでしょう。しかし考えてみれば、これって一般に言われる「営業力」にも通じるので、私の拙い経験でも「優秀な営業マン」ほど、ホントに「自分の側の一方的な用事の話はしない」。相手が「聞きたがる要素を、相手に自然に言わせてしまう」力に秀でているのです。 「先見的に取材する立ち位置」と我が身を規定する記者とは、言ってみれば「物売り」型の営業マンと同断で、取材対象者にとって何の「益ももたらさない(ウルサイだけ)」の相手に見える。その結果、名刺だけを頼りに権利を主張する、夜討ち朝駆け的な「取材の強要」から出てくるのは、「お付き合い」程度のどうでもいいニュースネタに過ぎず、であるなら「共同記者会見」で一丁上がりにしてしまえ、ということにお互いなる。 大手マスコミで構成された「国会記者クラブ」というのは、自身のインテリジェンス(個々の記者は凄いインテリだと思いますよ)の練磨を放棄し、「権力思考」に安住した持たれ合いの集団で、逆にこれくらい権力側にとって都合の好いシステムはない。「思考の檻」に囚われている集団ほど、権力側にとってコントロールしやすいものはないのです。 まあ青山佐藤両氏のコメントや解説のクオリティと、大手マスコミの論説の退屈さがあまりに好対照なので、いろいろ勘繰ってしまいました。 例によって内田さんの話ですが、「あまりに高慢な記事の書き方に、腹を据えかねて」朝日新聞の購読を止めたといったコラムが一時ありました(例の吉田問題のはるか前の話です)。書いてある中味以前に、書き方そのものに現れる、読者に対する「上から目線」の姿勢が我慢できないと言うのです。一見柔らかに見える記事に見え隠れする教条主義からは、読者の「見識に資する」という姿勢はどこにも感じられない、むしろその知性を鈍磨させ、ある一定のレベル(一言で云えば、オールド・リベラリズムという購読層)に「釘付け」にしておこう、という含意すらあるのではないか、というのは私の見方です。 ここで大事なことは青山佐藤両氏の場合、決して「自説の強要はしない」ということで、私たちは彼らの論説に対する判断を任されている。取材対象との付き合いが対等であったように、彼らはその受け手をも対等であるように仕向ける。互いをリスペクトし合う「大人の関係」とは、たぶんそういうものなので、相手の話でこちらの「頭にキックが入る」なら、もうそれだけで受け手側は、充分に「得した」と云えるのではないか知らん。 「知的思考(インテリジェンス)」の火が灯るというのは、何も難しいことを呻吟し続けるということではない。思考の枠組み自体がガラリと変更させられるような体験のことを言うので、ここには一種「我が身が拡張したような快感」が伴なうものです。知的好奇心を満たすというなら、世にマニアックな知識人や気の利いた物知りは大勢いて、それなりに面白がらせますが、我が身を変身させるような爽快感というのは、それらから受けることはない。多かれ少なかれ「誰も知らないことを、教え垂れる」みたいな、例の教条主義が見え隠れするからです。 さてさてこのあたり、はなはだ分かりやすいので、いわゆるマスコミ界をやり玉に上げていますが、もちろんこうした事例は世の中にゴマンとあるので、「自身が先見的に何かの権利を有する者」「あらかじめ正義と規定された者」「永遠の被害者である者」という立ち位置で、言揚げする人々や組織集団は世の内外を問わず、今でもよく見かけますね。 私は右翼左翼あるいは国の内外を問わず、こういう仕方で言揚げをする個人や集団を信用することが出来ません。自身が「変身することを頑なに拒み、その中に安住する」ために、相手の立ち位置も、永遠に「釘付け」にしようとするからです。これって、とてつもなく大きな「思考の檻」に囚われているじゃないですか。
2015.04.08
コメント(0)
インテリジェンス ここでいう「普通でない負け方」とは、例えば「世界で最初に核爆弾の洗礼を浴びた」とか、「現代的な無差別大量殺戮の実験場になった」というような、客観的な事柄を言っているのではなく、この時の「負け」あるいはこの「戦争」を、日本人が世界の他の国とはまったく違った仕方で、その後70年間ずうっと見続けて来たのではないか?私たちは戦争一般を普通の国のような仕方では、語って来なかったのではないか?という意味で、「普通でない」と言っているのです。 これは他のところでも話しましたが、当の日本人が「日露戦争」と「太平洋戦争」を、同じ仕方で語ることが出来ない(司馬さんがそうでしょう)。この二つの戦争で生じた戦死者たちを、私たちは同じ土俵で「弔うことが出来てない」のです。これは敗戦後の日本人が、今次大戦を無意識に「別のカテゴリー」に入れて見ようとしていることに他なりません。 まあ一挙に同じ土俵に置くことは不可能だとしても、ではなぜ日本人は敗戦後70年間、ずうっと「別のカテゴリー」で今次大戦を見よう(語ろう)として来たのか、出来ればそれを解く手懸りぐらいは見つけたい。深層に潜んでいるらしい「願望」や「回避」の心理は、それによる「疾病利得」を明らかにして、初めてある程度コントロール出来るだろうからです。 とはいえ、これはここの話のメインテーマに直結しているので、あまり先を急がずに進めることとします。 一旦、話が戻ります。 先に、「頭にキックが入る機会は、本だけではない」という話の際に、青山繁晴さんと佐藤優さんの名を挙げましたが、それにしても両氏とも、なぜあれほど驚くような情報を持っているのか、不思議だと思いません?「そりゃあ、二人ともしかるべき筋に、特別なルートを持っているのさ」と言われそうですが、特殊工作員じゃあるまいし、だいいちそんなややこしい情報は、危なくて手軽に公開出来るわけがない。しかし二人の話には、明らかにその筋の人(特に外国の)からのソースもありそうです。 私が面白く思ってしまうのは、新聞記者でもジャーナリストでもないのに、なぜこの二人のところには、そうした情報が(しかも、かなり傾斜的に)集まって来るのか、ということなのです。 ウィキペディアによれば、―インテリジェンス(英語: intelligence)とは、知能・知性、あるいは重要な事項に属する情報のこと。諜報活動のことを表すこともある―とありますが、たんに情報収集能力や情報分析能力が飛び抜けていることが、インテリジェンスの高さを表すことにはならないでしょう。インテリジェンス能力というのは、さらにそれを越えた「覚めた判断力」というか、一種「大人の魅力」が本人になければ、たぶん本物ではない。 ここで言う「大人の魅力」とは、例えば「敵側のしかるべき人物をも、引き込んでしまうような魅力」ということであって、もちろんたんなる(語学堪能な受け狙いの)「愛嬌」のことではありません。「敵」ですから本来的に「和合出来ない相手であるにも拘らず、付き合っておいたほうが良さそうな人物」、さらに言えば「敵」であるにも拘らず「安心して付き合える人物」というのが、真のインテリジェンスの在りようでしょう。 この二つを体現する条件というのは何なのか?前者に関しては、例えば「自分の持っていない情報とか、分析力を相手が持っている」といった場合。後者は端的に「口が堅い」、そして「ウソをつかない」ということでしょうか。 とすれば、彼らのところに「かなり傾斜的に情報が集まる(ように見える)」のは、逆に彼らのところに、他にはない「魅力的な情報と、情報分析力がある」ように相手が思うからでしょう。交渉とか取引というのは、常にバーター(交換)が原則で、自分にとって「得る」ものがなければ、その交換は成立しません。つまりこの両人のところに情報が集まって来るということは、その情報提供者にもそれに見合う、情報と分析が手に入るという利得があるはずです。 「自分にとって、こいつは得だ。そして、こいつはウソをつかない」となれば、彼らの周りには自ずと情報は集まって来るのでしょう(もちろんすべて想像ですよ)。
2015.04.04
コメント(0)
読書論 考えてみれば私にとって「本を読む」というのは、そこに書いてある内容を正確に理解するというより、読んでいるうちに自分のアタマが活性化するというか、内田流にいうと「キックを入れる」ために読んでいるような気がする。この人によると、構造人類学者のC・レヴィ・ストロースは執筆に入る前、必ずK・マルクスの「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」という本を読んだとか。今どきフランス第二共和政下の二流皇帝に興味を持つ人など誰もいませんが、レヴィ・ストロースはそこに書いてある中味ではなく、マルクスのダイナミックな書法の呼吸を、自身に招き寄せるために読んだのだそうです。 賢人たちの作法は独特だとしても、まあ私たちだって、朝起きて身体を戦闘モードに切り替えるときは、コーヒーを飲んだりオレンジをかじったり音楽をかけたりと、様々な作法を行っているわけでしょう。 というわけで、こういう読書作法というのは、多分に身体的な欲求から来るのではないか。ある種の本を読んでいると、自身の思考回路が勝手に動き出す。そうした高揚感というのは、たぶん身体にも良い影響を与えているのだろう、というのが内田さんの見立てです。逆に読み進むにつれて、体調がおかしくなって来る本というのも、また確かに間違いなくあるので、そうした場合は読むのを止めるに越したことはない。と、ずいぶん身勝手な読み方をしてしまっているのですが、こればかりは若い頃からの性向で直せません。 間違いないのは、私は自分の「教養のため」に本を読んだことなど一度もない、ということです。そりゃ受験や仕事の「教養知識」のために本は読みましたが、これはもちろん「読書」とは言えない。それが証拠にそうした本の中味は、ものの見事に何一つ「覚えていない」というか、「身に着いていない」。 身体的な高揚をもたらす時にのみ、「読書」行為というのは「身に着く」のではないかしらん。 そう考えてみると、「頭にキックが入る」機会というのは何も読書だけでなく、テレビでも映画でもあるいは音楽でも、あるのかもしれない。最近残念だったのは、関西テレビで長く放映されていた青山繁晴さんのニュースバラエティー(スーパーニュースアンカー)が止めになったことで、それこそ「頭に来た」。私の考え方の立ち位置は、この人とは明らかに違うのですが、しかし真の知性の在り方というものが、どういうものなのかということは、この番組を観ているとよく解る。 この場合も、この人の言っている中味より、むしろその着眼点とか分析の手法が、すこぶる身体的(ダイナミック)なインテリジェンスに満ちていて、観ている側の頭を刺激する。言っている中味に賛成反対というレベルでなく、それらの「判断の次数を一次元上げていく」というような高揚感があって、この部分において青山さんのコーナーは「すべての人に開かれている」。一般にこの人の言説の中味だけをあげつらうならば、「安倍政権のシンパだろう」ぐらいに片付けられてしまいそう(特に東京の大手マスコミなどは)ですが、もちろんそんなことはない。「知的な高揚をもたらす」という意味で、とても価値高い番組だったのです。 ということで、先に挙げた最近読んだ本2冊というのが、どういう位置付けだったのか、大体お分かりいただけるでしょう。要は両方とも読む側の「思考の次数を、一次元繰り上げてくれる」ような内容だったのです。 池上、佐藤両氏の対談は、近々の流動するトピック(ISなど)も扱っているので、体系的な「戦争論」ではないのですが、それでもインテリジェンスの在りようというか、思考の仕方のようなものが伝わってきて、すこぶる面白い。池上さんも相手に刺激されたか、テレビの時の教科書的な解説ではなくて、かなり思い切った発言もされている。そして何より情報分析のプロであった佐藤氏が、国家に裏切られてなおかつ「インテリジェンスは、とことん愛国者でなければならない」と言っているのには参りました。 実際のところ彼のような才能には、ロシアや韓国は言うまでもなく、たぶん中国その他からも熱心な仕事のオファーがあったでしょう。卓越した才能をどこでどう使うのか、自身の能力の「切り売り」は簡単ですが、それによって損なわれるもの(失われるものではありません)は何なのか、そのあたり彼はよく知っているのでしょう。 さて、最後に内田さんの本です。実のところこの五年ほど、この人の本はほとんど買っているような気がするのですが、その魅惑的な(止められない)意匠は少しも変らない。で、今回の「街場の戦争論」で特に私の思考を刺激するのは、第二次世界大戦で、おそらく日本は「普通でない負け方をした」という文言だったのでした。 私に言わせると「普通でない」どころか、古今東西どこの誰も経験したことのない「負け方」を、あるいはしたのではないか?
2015.04.01
コメント(0)
全12件 (12件中 1-12件目)
1
![]()
![]()
![]()