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大地の歌閑話休題 それにしてもバーンスタイン、ウィーンフィルの「大地の歌」、冒頭だけでなく久しぶりに全曲を聴くと、こんなに洗練された綺麗な音だったかな、と思ってしまいます。私が意を決してこのLPを買ったのが、確か高校2年ぐらいの時、進路問題で何かと鬱屈した気分の反動で、受験とは関係のない西郷信綱の「古事記の世界」や山本七平の「日本人とユダヤ人」、あるいはR・ギランの「第三の大国」などを読みふけり、その合間にこの「大地の歌」とシベリウスの「交響曲第7番」を何回聴いたか分りません(親は大変だったと思いますよ)。私の高校時代と浪人の一年間は、これらの字句と音楽の響きに満たされているのです。 その記憶のままの「大地の歌」、第一楽章「大地の哀愁に寄せる酒の歌」は、J・キングのいささか粗野な歌声に呼応した、荒々しいホルンの咆哮(これ、どうやら猿の叫喚を模しているのですよね)や弦楽器群のドライブ感がすごく、ウィーンフィルでもこんな演奏をするんだと思ったものでした。開始1分45秒ぐらいから何回か繰り返される、― Dunkel ist das Leben, ist der Tod.― (生は暗く、死もまた暗い)という詩句が、一曲全体の雰囲気を支配し、私にとっては受験期の鬱屈した気分を思い出させます。 この原詩は、唐の李白による「悲歌行」という漢詩なのですが、―悲しいかな 悲しいかな 主人酒有るも且く斟むこと莫かれ 我に聽け一曲悲來の吟 悲來吟せずまた笑はず 天下に人我が心を知るもの無く 君に敷斗の酒有り 我に三尺の琴有り…という調子で、酒と音曲(ついでに女つき)というのは、いかにも盛唐時代のデカダンの巨人らしく、この詩人もファンでした。 李白というのは、ままならぬ現世を酒と歌と女で笑い飛ばすような、ダイナミックで無頼肌の天才詩人で、例えば後に現れる屈原のような厭世感はありません。だから彼の詠う「虚無感」というのは、江戸時代で言う「浮世」と似た楽天主義が根底にあって、安心して浸っていられるのでした(当時酒も女も、もちろん知らなかったくせに)。 マーラーの世界観は、19世紀末ヨーロッパで流行っていた東洋思想やジャポニズムの流れに添ったもので、ショーペンハウエルや二―チェ的な厭世主義の影響があったでしょう。しかし「大地の歌」は全体として、どうしようもない厭世観に陥っていくというよりは、虚無的でありながら何となく安心していられる、そういう空気を私は感じます。 この音楽、マーラーは第1、3、5楽章をテノール、第2、4、6をアルトないしバリトンで、という指定をしていますが、なぜ偶数楽章をアルトかバリトンのどちらかとしたのか、よく分りませんね。一般には男声女声の変化をつけるためにアルトを使うことが多いそうですが、この盤ではバリトンのF‐ディースカウを起用しています(後のイスラエルフィルとの競演ではアルトのK・ルートウィッヒを使ってますね)。さて、どちらが相応しいのかどうか? 「そんなの好みじゃん」と言われそうですが、ことマーラーに関しては、あまり簡単に片付けるわけにはいかないでしょう。F‐ディースカウという人、非常に知的に完成された歌い手として有名で、このLPでも破綻寸前という部分は少しもない。しかしこれは曲種によっては弱点ともなり得るので、とくに第4楽章「美について」など、彼らしく完璧に歌われても、ちっともこちらの胸に届いてこない、ということもあるのです。 しかし長大な最終第6楽章「告別」となると、これはやはりバリトンでなきゃ、とも思える。友人との死の別れを歌うとなると、原詩(前半部分が孟浩然の「宿業師山房期丁大不至」、後半部分が王維の「送別」)に則っても男声だろうということになってくるのです。してみれば、そもそも二人で交代ということ自体に無理があるのかもしれませんね。曲想からいうと第2、4楽章はアルト、最終章はバリトンという3人編成で、ちょうど収まりが良いのではないか知らん。58分10秒ぐらいから始まる友人との決別の歌のあと、マーラー自身が新たに付け加えた、―Die liebe Erde allüberall Blüht auf im Lenz und grünt aufs neu!Allüberall und ewig Blauen licht die Fernen!Ewig... ewig..―(それでも)愛しき大地には春が来て、そこかしこに花は咲く。緑は木々を覆い尽くし 永遠にはるか彼方まで 青々と輝き渡るのだ。永遠に。永遠に…でしめくくられるエンディングは、歌曲や交響楽と言うより、オペラのようにドラマティックで、すばらしいものです。
2017.06.21
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レナード・バーンスタイン 続き 「若さ」から漂ってくるデカダンな雰囲気だけではないとしたら、この「ゴッタ煮状態」が表わすものは何か?それは端的にニューヨークという「都市」、あるいはそれをも包み込むアメリカという国柄の風景そのものではないのか、というのが私の観測です。 バーンスタインという人、ウクライナ系ユダヤ人の2世としてマサチューセッツに生まれたとありますが、これはアメリカ人としてはごく普通の出自。しかし音楽界では、純正アメリカ人(アメリカ生まれの)最初のクラシック音楽家として大書されます。それまでのアメリカのクラシック音楽界は、ヨーロッパからの移民一世で占められていたのでした。というわけで、彼はクラシック音楽に手を染める時点で、「アメリカとは何か?アメリカでヨーロッパクラシック音楽をやるというのは、どういうことか?」という問いに立たされたでしょう(同じような「問い」は、当然日本の西欧音楽家たちにも課せられているはずですが、あまり深く詮索しませんね)。 バーンスタインはその問いに対して、かなり意識的に「アメリカ的=非ヨーロッパ的」であろうと振る舞った人でした。アメリカにも当然、純正ヨーロッパに近い響きを目指すオーケストラがあり、それは言うまでもなく、そうした保守的スタイルを支持する聴衆が数多くいる、ということを意味しています。 余談ですが、日本のクラシック界ではたぶん圧倒的にそうでしょう。日本でのクラシック需要は、今でも純正ヨーロッパという「権威性」で、ピアノもヴァイオリンもオーケストラも維持されているのです。このあたり、同じ海外文化の受容といっても、ずいぶん受け入れ方の態度が違いますね。 アメリカという国柄の面白味は、海外文化の受容にあたって、超一級の人やモノは(カネに物をいわせて)どんどん取り入れますが、それらが深々と放っている牢固とした「権威性」は、一切認めないということでしょう。一言でいえば、受け入れ側のアメリカの「必要」によって、それらは自然淘汰もしくは変容していく。 日本ではその種の権威は頑として揺るがない。そうした権威は万古不滅で、どこか彼方には必ず「在る(だろう)」という、強固な信憑があるのです(これはクラシック音楽に限りません。能でも歌舞伎でも茶道でも武道でも何でも)。日本のオーケストラの目標は、あくまで本場(ヨーロッパ)の響きに近付くことなのであって、「当の響きを日本で演奏するということとは、どういうことなのか?日本においてオーケストラとは何か?」というような問いかけは行われなかったのです。 しかし万古不滅であるはずの当のヨーロッパ自体もまた、それぞれの必要で変容していくのでしょう。バーンスタインがウィーンで大成功を収めたとき、日本のクラシック界は評論家もファンも、(口はつぐんでいたけど)かなりうろたえたのではないか? ところが(吹き出してしまうのですが)、こうなると逆にそれの受け入れも、これまた驚くほど早かった。ウィーンのお墨付きが大きな「権威」となって、日本の需要をたちまち喚起したのです。それまでバーンスタイン、ニューヨークフィルのベートーヴェンやシューマンをボロクソに貶していた評論家諸氏も、彼がウィーンフィルと「大地の歌」を録音したところ、手の平を返したように誉めそやす。ついでに、彼がそのはるか以前にニューヨークフィルと世に出した「春の祭典」も、いつの間にか名盤の一つに数えられるようになってしまいました。 考えてみれば「ウェストサイド」の作曲者が、ストラヴィンスキーのバレエ曲と相性の良さそうなことは、容易に想像がつくのですが、それを素直に口にするのが何となく憚られるという雰囲気が、日本のクラシック界には業界にもファンにもあったのでしょう(私自身もそうでした!中高のころの私は、権威ある音楽評論を立ち読みで食い入るように読んでたし)。 と、これまたここの話とは関係のないところで、大いに憎まれ口を叩いていますが、何もそれをくさしているわけではありません。要は外国文化の受け入れ方には、「受け入れ側のエートスが大いに表れる」ということなのです。
2017.06.17
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レナード・バーンスタイン ここ最近のいつぞや、「ウェストサイド」をBSでやっていて、久しぶりに通しで観たのですが、改めて驚くことがいくつかありました。 その一つは、この映画が他のミュージカル映画と比べても、恐ろしく「音楽の量が多い」ということでした。「ミュージカルだから当たり前じゃん」と言われてしまいそうですが、いやいやそんなことはない。主要ナンバーの他、2時間半ほどの長尺のほとんど全編に音楽が流れている、と言っていいのではないか。かつて擦り切れるほど聴いた「サントラ盤のLP」(50分ほど)では、とてもカバーしきれない分量の音楽だということです。 さらに、そこに用いられた音楽というのが、マンボありジャズあり現代音楽的書法ありの、「ゴッタ煮状態」を呈しているのですが、決して「混乱」しているわけじゃなくて、最初から最後まで何やら基底のトーンで統一されている。これは明らかにバーンスタインという鬼才が取り組んだ、かなりハイソで野心的な音楽だということが分りますね。そのことについて先日テレビで佐渡裕氏が、「これは最初の口笛の3音が、キーコードになっている」とおっしゃってました、なるほど。 バーンスタインのこの音楽に対する構え方、彼が傾倒し発掘したと言っていいG・マーラーにも、かなり似たところがあります。「交響曲第2番『復活』」のような教会音楽風、鼓笛を用いた「子供の不思議な角笛」のような軍楽風、あげくの果ては「大地の歌」のように中国の漢詩に着想を得た音階まで取り入れながら、それでも基底トーンはマーラー以外の何ものでもない。 この「ゴッタ煮状態」そのものから世界を見出す、あるいは我が身をそこに置かずにいられない構えというのは、早い話シベリウスやブルックナーの音楽では絶対あり得ないし、ドビュッシーとかストラビンスキーのような、近代音楽を現代へ結びつけた作曲家でも見られないものでしょう。いずれも西欧クラシック音楽を革新した巨匠ですが、それでも彼らは大きな意味でのヨーロッパ精神というか、ある種の予定調和的「秩序感」という枠内で、そのエートス(基底の思考・行動の様式)を捉えることができるように思う。 しかし、マーラーの音楽にはそうしたヨーロッパ的秩序感から、どうしようもなくはみ出した部分があるのです。ストラビンスキーはいくら書法が現代的であっても、聴く側を「不安定に落とし込み、根底から揺さぶる」ということはない、それは彼の構えが基本的に「秩序」を感じさせるからです。同じようにドビュッシーは、フランス的知性を音楽に投影しようとしたように思える。 バーンスタインは、予定調和的な秩序感を感じさせる伝統的クラシック音楽の世界より、こうした「ゴッタ煮状態」に身を置くことに、むしろ一種の居心地の好さを見出しているらしい、マーラーのエートスに限りなく惹かれたらしい。で、その基底となっているのは、よく言われるように彼らが同じユダヤ人だったという意識だったでしょう。実際バーンスタインが指揮するマーラーを「血が呼ぶ音楽」と評した人もいましたね。 しかしそういう部分があるとしても、よく考えてみれば西欧クラシックの音楽界には、歴代ユダヤ系の作曲家や演奏家、指揮者は大勢いたわけで、「だからマーラーの音楽は、ユダヤの音楽だ」と概括して簡単に納得するわけにはいきません。私はもっと個別特異的に、この二人のエートスをみる必要があるように思うのです(それにしてもユダヤ人論はややこしい。民族的宗教的特定が出来ないにもかかわらず、ユダヤ的エートスを保持する集団は現に存在するのです。このことは前に触れたことがありましたが、あまりに話が難しいので、いつかまた別にしたいと思います)。 さて、そういう前提で「ウェストサイド」を聴いていると、そこから漂ってくる何やらデカダンで独特な「ゴッタ煮状態」の舌触りというのは、いったい何なのだろうと思ってしまうのです。デカダンス(虚無的・退廃的な傾向や生活態度)というのは、まさに「若さ」だけが保持し得る特権みたいな精神のありようなのですが、それはこの現代版「ロミオとジュリエット」という暴力と悲恋の主題には、確かにぴったりフィットしているのです。 とはいえ、この「ゴッタ煮状態」の響きを、瞬間だけに燃焼し尽くす「若さ」だけを表現した音楽と概括してしまうのも、もちろん無理があるでしょう。
2017.06.14
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ジェローム・ロビンス この傑作ミュージカルの映画化にあたって、なぜR・ワイズが選ばれたのか知る由もありませんが、まあそれまでのアメリカ式ハッピーエンドのミュージカルとは、まったく異なったシリアスな中味であること。そしてそうしたハードな内容を理解しつつ、もう片方で映像表現での音楽の力をよく知っている監督ということになると、数ある名監督の中でもかなり数が絞られてくるでしょう。言い忘れましたが、ワイズは音楽の使い方が上手い監督として、当時すでに定評があったのです(「私は死にたくない」では、ジャズを効果的に使っていました)。 とはいえ、このミュージカルの大きな特質であるダンス表現に関しては、従来のハリウッド風の豪奢な振り付けでは、その魅力の大半は失われてしまう。ブロードウェイの鬼才J・ロビンスが共同監督という位置付けで、この映画の演出と振り付けに熱く関わったのは、そもそもこの物語の発案が彼だったということを差し置いても、無理のないところでしょう。 とはいえ、こうした主張の強い大物同士が「共同」製作するとなれば、それがタダで済まないであろうことは、容易に想像がつきますね。げんにそうした対立が現場にあったことは、後年ワイズ自身も認めているようだし、wikipediaによれば、― ロビンスは音楽シーン、ダンスシーン、ファイトシーンの全責任を負っていたが、撮影が60%ほど進んだ時点で予算超過を理由に解雇された ―というのが本当だとすれば、途中で降ろされたにもかかわらず、クレジットにはその名が記されたということになります。音楽、ダンス、ファイトシーンということであれば、この映画の魅力のほとんどすべてということになってしまいますが、実際プロローグでの小競り合いにしても、有名なガード下でのリフとベルナルドの「決闘シーン」にしても、何回も観ているとリアルというよりは、おそろしく練り込まれたダンス(時代劇の殺陣みたいな)という印象に近いのです。 今回ユーチューブの映像を観ていて、面白いことに気付きました。リアリズムをとことん追求するワイズであれば、当然チンピラたちのいでたちは、服はヨレヨレ靴は泥だらけと汗臭い身体を前面に押し出しそうなところ、G・チャキリスもR・タンブリンもきれいなシャツ、ぴかぴかのスニーカーで踊っているのです。 このあたりも、おそらくロビンスの強い主張があったに違いない。で、それは舞台振付師としての矜持であったのかもしれない。劇場ならばチンピラ役でも、そのいでたちはリアルであるよりも、「正装」でなければならない(歌舞伎役者がヨレヨレ姿で、登場されては困るでしょう)。つまり、これらは舞台における「衣装」としての位置付けになっているのです。 したがって、全体としてこの映画は、J・ロビンスの考え方というか、美学が色濃く出ている感じがして、そちらを強調する向きもあるようです。しかし私に言わせれば、R・ワイズはJ・ロビンスの斬新な振り付けと演出を全部取り込みつつ、より高い視点から彼独自の映像作りを試みようとしたのではないか?それは彼の得意分野の編集、とくに「カット割り」の技法に現れているような気もする。よく引き合いに出されるのが「クインテット」の場面ですが、私はここにはそれほど独自性を感じません。 やはり何といっても、「クール」のダンスシーンでしょう。この史上有名なダンスシーン、トリッキーなカット割りを多用しながらも、全体の流れがぜんぜん滞らない。今どきのテレビドラマみたいに、複数台のカメラで同時撮影して切り貼りするのでなく、カットごとに撮影し直しているのです。振り付けはロビンスなのに、ここに写る映像は明らかに舞台とは違うテイストを生み出している。「臨調感」の質が違う、と言ってもいいでしょう。 このあたり、ボクシング映画の「罠」(1949年)や「傷だらけの栄光」(1956年)などを経た、ワイズの職人的な技量が面目躍如と言ったところでしょうか。 それにしても、この手法や美学において対称的な二人の表現世界を、スリリングに結び付けているのは、明らかにR・バーンステインの驚倒する音楽なのです。
2017.06.10
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ロバート・ワイズ この監督、アメリカ映画を代表する作品をいくつか残しながら、その評価は例えばJ・フォードとかW・ワイラーなどに比べれば、少なくとも同等には扱われていないような気がする。一つは先にも触れたように、作った映画がB級作品も含めてあまりに多様なのと、その中には明らかに駄作や失敗作もあるからです。 要はフォードやワイラーのように、映画作家として一貫したイメージが描きにくい、というところがあるのではないか?巨匠といわれる映画監督には、多かれ少なかれ残す作品にもこだわりがあって、成功してからは自身のイメージを壊すようなものは作らない。しかしワイズは大成してからも、自身のスタイルにあまりこだわりがなかったようです。そのあたりの構えかたは、あるいはC・イーストウッドとちょっと似ているのかもしれません。 まあそれはさておき、先の「プロローグ」のシーンに話が戻りますが、ニューヨーク下町のチンピラたちのいかにもあざとい身振りが、そのまま見事なダンスシーンに流れ込んでいく。今でこそニューヨークでも東京でも、しかるべきところではストリートダンスは、不思議でも何でもないのでしょうが、1960年代初めごろには世界のどこにも見られなかった光景でしょう。 ワイズは野外ロケでのダンスにこだわったに違いない。初めからスタジオ撮影なら劇場版の引き写しになってしまうからです。人は不思議なもので、観劇に行くときは、それなりの装いをして行く。何も正装して行くということじゃなくて、心の構えをあらかじめ「日常とは変化させて出かける」ということです。それに比べれば、映画はよほどカジュアル化して日常のテンポに近くなっていますが、その感覚でこの非日常の世界の誘い込むわけにはいかない、というところがあったのかもしれません。 それが結果として、驚くほど細部にこだわった冒頭のシーンになったのではないか?普通に人や車が行き来し子供たちが遊んでいる風景の中で唐突にダンスが始まり、観る側は知らず夢(非現実)の世界に誘い込まれる。私たちは現実(と思っている)の風景の中に、非現実な光景がふっと嵌入してくると、軽い惑乱を起すものです。脳がその認知機能に軽い錯乱を起すからでしょう。 大事なことは、優れた芸術には映画に限らず、美術でも音楽でも文学でも、こうした「惑乱」の瞬間が必ずあるということで、それを人は例えば「夢」と言ったり「幻惑」とか「遊離感」と表現したりするのでしょう。面白いのはそういう瞬間というのは、享受する側だけじゃなくて表現者自体にも生じるものらしいということです。ピアノやヴァイオリンの奏者が演奏中に、自身の出している音を「高みから(あるいは別のところから)聴いている別の自分の存在感」をありありと感じるとき、我が身は自身が動かしているのではなく、他の「何ものか」に動かされているのです。 じつは「幻惑」とか「遊離感」を味わわせるしかけというのは、今どき(というか都市社会)では結構あちこちにあるので、早い話USJに行けば、かなり手軽にそういう体験ができる。映画などもCGや3D画像の進展で、ごく気軽にそういう画像を作りだせてしまうので、私たちの脳は慣れっこになってしまって、かえってそういう感覚に鈍感になっているのかもしれません。 「ウェストサイド」の時代はもちろんそれ以前の映画では、それこそチープな撮影技術しかなかったので、「夢」を実現するには大がかりな準備と、製作者の巨大な想像力が必要でした。そこで思い出すのが(また話がふくらみますが)、同じような「幻惑」や「遊離感」を味わわせてくれた映画として、前にも触れましたが、私はJ・コクトーの「オルフェ」〈1950年〉をあげたいのです。 言わば特殊撮影の基本形ともいうべき、スローモーションだの白黒反転だの空中浮遊だの、当時でもすぐ分ったであろう技法を用いながら、映像からあふれる妖しい雰囲気は「夢」の現実感に近い。これを実現しているのはコクトーの法外な想像力であって、もちろんその当時の撮影技術ではないのです。55分くらいから始まるオルフェの地獄への道行きは、扉である鏡から始まって幻惑要素がいっぱい。一度ご覧になってください。 同じことは「ウェストサイド」にも言えるので、それこそ手間のかかる野外ロケをあえて敢行することによって、「夢」への飛翔を可能にしたのです。「オルフェ」の非世界への転換の合図は、たぶん二人のオートバイに乗った警官だと思いますが(これ死神の使いなんですよね)、「ウェストサイド」の場合、それはたぶんバスケットボールでしょう。ジェット団がバスケットボールを手にした瞬間、人の動きはダンスにジャンプしているのです。
2017.06.07
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「ウェストサイドストーリー」 この映画が私の田舎町でリバイバル上映されたのが、正確にいつごろの事だったのか、今となっては分かりませんが、間違いないのは「サウンドオブミュージック」のあと、淀長さんの「土曜洋画劇場」が始まり、ワイズ監督の問題作がいくつか取り上げられて、この監督のことをかなり知ってからのはずですから、高校生の時(67~69年)でしょう。 当時6万人ほどの田舎都市でも映画館は3つ(そのうち1つは成人映画専門)ほどあって、2時間ほど観ていると換気が悪くて頭が痛くなる、フィルムはバリバリで雪が走る、ドアが開くと外から厠のニオイが漂ってくるという始末で、まるっきり昭和オールウェイズの世界ですが、それでもこの神話伝説に彩られた映画の凄味は充分伝わってきました。 で、その根本は「サウンドオブミュージック」で感知した映像と音楽の融合に加えて、ダンスとドラマの融合ということであったでしょう。この点も神話伝説を作り上げて来た、当時の映画評論家や俳優や歌手の皆さんが、口を揃えて指摘してきたことであったのですが、本編を観るまでは真には理解していなかった、あるいは(偉そうに言えば)彼らの指摘は不十分かつ不正確だったのでしょう。 この映画の特色は、冒頭の俯瞰映像からあの有名な「プロローグ」に到るシーンに、ほとんど集約されていると言っていいのではないか? この話は以前にもしたことがありますが、R・ワイズの徹底したリアリズムへのこだわりと、ダンスを振り付けしたJ・ロビンスの厳しい求心性が、ここでは沸騰してぶつかり合い、現実から夢に夢から現実に、映像が自在に転換していくでしょう。そもそも現実に起こっている事象を、どうやって「より現実感あるいは臨調感をともなって伝えるか」というのが、リアリズムの本質であるとするならば、ダンスというのはその対極にある表現と言っていいのです。 ダンス表現において見られる身体のポーズや動きは、現実世界に起こる事象の動きとはまったく違う。であるにもかかわらず、私たちはその時々の表現に促されて、さまざまな気分や感情の揺らぎを検知するでしょう。この場合の気分とか感情というのは、言葉や日常の映像では表現しきれないもの、コトバが発せられる前、表層に現れた現実の映像より、はるか奥から発せられている気分や感情のことを指します。人というか生き物は面白いもので、私たちは日常そうしたセンサーを、意識せずとも普通に起動させながら生きているのです。 とはいえ、はなはだ脳化してコトバとビジュアルが蔓延した現代社会では、こうした測りきれない気分や感情は、非日常なシンボライズされた身体表現において、初めて人々の脳裏に意識されるのでしょう。 予談ですが、先日「サワコの朝」という阿川佐和子さんのインタビュー番組に、森山未來君が出ていてなかなか面白かった。彼は俳優よりダンサーとしての履歴が長いらしく、その定見には共感するところが多い。彼によれば身体表現ならば、「虫」の気分も「ゴミ」の感情も表せてしまうということになる。まあそれはさておき、ダンス表現というものが、日常のはるか以前あるいは奥にある気分や感情を表すため、強い象徴化された姿形と動きとなるのは必然なのです。 さて、R・ワイズといえば、映画人としての出発はO・ウェルズの「市民ケーン」の編集からだそうですが、「重役室」だの「拳銃の報酬」だの「トロイのヘレン」だの、さまざまのジャンル(多くのB級映画を含めて)を扱いながら、ほかのハリウッドの監督たちとは、だいぶ異なった独特のハードな表現手法を見せていた監督で、中には映画の中を流れる時間と、映画自体の上映時間を同期させたような、かなり実験的な試みもあったようです。その中で私はとくにK・ゲーブルとB・ランカスターが競演した「深く静かに潜行せよ」と、S・ヘイワード主演の「私は死にたくない」でみせた、執拗なリアリズム的表現がこのころ好きでした。 戦闘中の潜水艦乗員たちの切迫した気分を、映像でこれほど表現した映画はあまりない。たとえば艦長の命令をマイクや伝声管ではなく、士官や水兵がリレー式に肉声で伝えていく。実際はどうだったとかいう話ではなくて、艦内に響き渡る声の連鎖が、おのずと切迫した戦闘中の気分を作り出しているのです。「私は死にたくない」のほうでは、ガス室で処刑されていく女囚の姿を、カメラが執拗に追いかけて一歩も引かない。 いずれも現実の事象をどう切り取って編集すれば、「より現実感あるいは臨調感をともなって伝えられるか」というリアリズムの命題をワイズ式によく表した映画だなと思ったものですが、それらは「ウェストサイドストーリー」や「サウンドオブミュージック」でも、そして後年の「砲艦サンパブロ」などでも、よりリファインされた形で出て来ましたね。
2017.06.04
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「サウンドオブミュージック」 何だかごく個人的な記憶の彼方をたどる話になっていますが、小さなプレーヤーから出て来るオリジナルサウンドトラックの響きというのは、中味の見えない風船を膨らましていくようなもので、想像力の内圧は聴けば聴くほどむしろ高まっていく。それが本編を観る機会があっていったん解消されたのは、私の場合じつは「ウェストサイド」ではなく、「サウンドオブミュージック」(1965年)が先でした。前者はすでに上映がとっくに終って、伝説だけが残っており、田舎町でリバイバルされる機会は、なかなかなかったのです(もちろん今どきのように、DVDや衛星放送で公開されるということもありませんでした)。 東京オリンピックの翌年ですから、私が中2の時「サウンドオブミュージック」の公開が始まりました。言わば満を持するカタチで、立体音響と70ミリ画面が県内で唯一保障された映画館へ、電車で40分ほどかけて出かけた記憶があります。じつをいうとこの映画、生意気盛りの中2の男供が観るには、いささか気恥ずかしいところがあって(「ドレミの歌」を想像してみてください)、近場の映画館では具合が悪いというところもありました。「ハイファイ、70ミリを観に行った」というのは、あとで自慢するときの言い訳に一応なるわけです。 このように想像力が過剰に充満した状態で、本体に臨んだ場合、期待はずれということが案外多いものですが、「サウンドオブミュージック」にかんしてはそうではなかった。むしろ満杯状態の想像力を一挙に開放したうえに、さらにそこから新たな想像力を加えるという作用があったように思います。その根源はたぶん映像と音楽の融合ということであったでしょう。 「ミュージカル映画なんだから、当たり前じゃん!」と言われてしまいそうですが、それまでテレビなどで見知ったミュージカル(もどき)の番組といえば、音楽やダンスとドラマ(映像)はバラバラに切り離されたもの、独立して楽しむものといった印象があったのです。いつからそうした先入観を抱くようになったのか、今となっては分かりませんが、要は歌やダンスが始まると話の展開はいったん休止、それ単体で楽しんで(「雨に唄えば」の有名なダンスシーンを想像してみてください)てことになるでしょう。 「サウンドオブミュージック」には数々の名曲が挿入されながら、そうしたたゆたいがない。ロジャース、ハマーステインおなじみの音楽が映像に自然に溶け込んでいて、ドラマとしての流れが一瞬も途切れないのです。 じつはこれ結構、本質的な問題を含んでいて、従来のミュージカルといえば、どちらかというと前半に歌やダンスを数多く入れて、後半(ややもすると大急ぎで)お芝居を展開するという一種の型があったように思う。大衆娯楽の歌芝居から始まったミュージカルの場合、歌やダンスを主とするか、ドラマ(演劇)を主に据えるのかというのは、興行面から見ても結構シビアな問題だったのではないか?歌やダンスを観る楽しみと、演劇を鑑賞する楽しみは、その「楽しみ方に少し違う部分がある」らしいのです。してみれば、話が進んでややこしくなる前に、歌やダンスはふんだんに取り上げて盛り上げておこう、ということになったかもしれない(全部、私見ですよ)。 もちろん当時の私がそこまで考えたわけではありませんが、「映像と音楽はこんなに自然に一体で流れるんだな」とは漠然と感じたのでしょう。早い話、先ほど中2の男子にとっては、気恥ずかしいといった「ドレミの歌」にしても、ドラマの流れでいけば、抑圧されていたトラップ家の子供たちが、音楽によって次第に解放されていく、という筋書にのって自然に入っていける。しかもその開放感が、見事な野外撮影で一貫していて、これは映画以外では絶対表現不可能。こんなことが出来る映画監督とはどんな人だろう、と思ったものでした。 ロバート・ワイズという監督を意識するようになったのがいつのことなのか判然としませんが、淀川長治さんの『土曜洋画劇場』の始まったのは翌年の1966年ですから、結局これもまた話は逆で「サウンドオブミュージック」でこの監督を知り、その後遡ってファンになったということでしょうね。
2017.06.02
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