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いつの間にか首位中日と6ゲームの差がついている。打てないのが突き放されてゆく原因だ。阪神の投手陣は限界付近で頑張っているように思える。だから打撃が鍵を握っているといえる。 ここから浮上するにはどうすれば良いのか。戦略は手詰まりであるように思う。唯一ある戦略(戦略と呼べるのか?)は、打撃陣の復活を待つことしかない。今岡の復帰復調が待ち遠しい。 読売と言う史上最悪のプロ野球球団は、最下位まで0.5ゲームのところで踏ん張っている。最も相応しい順位にゆくことを拒んでいる。「遠慮しなくてええよ。」と最下位になることを勧めたい。 一方の輝かしき我がタイガースは相応しい順位である首位から転落しているのだが、こっちは逆に、一切遠慮はいらんので、どんどん頑張って欲しい。頑張るというよりも、一度リフレッシュした方が良いかもしれないのだが、是非とも良い結果を残して欲しい。 さて、今日は3つも日記を書いたが、明日からまた少し忙しい。早く今読んでいる本を読み終えよう。
2006年07月31日
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阿部人気は、北朝鮮問題における日本人の反感によって支えられている。ならずもの国家にハッキリとものを言う姿勢が国民に受けた。現在も阿部が最も人気の首相候補だ。 しかし、この「人気」は首相の人気に相応しいものではない。阿部の人気は、他国に対する排外主義に支えられているのだ。国の外に敵を作り、煽られた国民感情を利用して政治を進めるという手法は、政治家が最もやってはいけない手法だ。 阿部も、自ら好んで今日の人気を得たのではないかもしれない。小泉が北朝鮮に直接交渉をする以上、小泉を批判の急先鋒にするのは良くない。そこで副官房長官、官房長官の阿部がその役割を担ったというだけかもしれない。 しかし、もし、阿部がそのことをよく認識していないなら、または認識しつつこの人気を利用しようとするならば、政治家として失格ではなかろうか。
2006年07月31日
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メインのコメンテイターは金子勝(慶応大学教授)だ。喝の入った徹底的なマスコミ批判が面白い。番組の最後には、その時のもっともダメな社説が選ばれる。今回選ばれたのは、読売新聞の社説で、「敵ミサイル基地攻撃は憲法が認めるものだ。」と書かれた社説だ。「こんなこと憲法のどこにも書かれてないっ!」と社説の上にマジックでバッテンマークが3つ入れられた。「靖国参拝をするべきだ。」という社説には、「煽ってるよ!こんなの!!」他にも様々な社説が登場して、コメンテーターたちが批判する。「最近のマスコミは国語能力がない!」「だめだっ!こんなのお!」「こんなの小学生だ!!」など痛烈であり、かつまともな意見が沢山飛び出す。ちなみに過激なのは全て金子勝です。 メジャーな番組に出演している時とは違って、特に金子勝は随分と開けっぴろげに生き生きと言いたいことを言っている。それを操るように、かつ圧倒されながら司会を進めるのが遥洋子だ。相変わらず、どうでもいいような意見を言ったり、的外れな進行をしたりする。それを金子が「ん~、」と言って別の方向へ進める。遥洋子が話をまとめると、野球では首位打者をとれる成功率だが、たいていは、論点がぼやけてさっぱりわからない。(笑)ボクはそれを「あーぁー。」と笑いながらみている。 ただ、朝日新聞の社説批判はあるのだろうか。これまでのところ記憶にはない。あればもっと面白いと思うのだが。 ちなみに「阿部人気を考える」というボクの日記は全くこの番組の受け売りだ。もの凄く納得がいったので、自分の意見として、まとめただけだ。
2006年07月31日
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神宮での試合がテレビ中継されていた。ボクは閉口する場面を見た。スポーツマン精神に反する行いだった。白熱する地区予選の決勝戦、早稲田実業の背番号8の選手が11回の裏に同点のツーベースを打った。素晴らしい打撃だった。しかし、セカンドベースを回って、サードでアウトになっている。このアウトになった時が問題だった。サードへ向かってくる背番号8番の選手を、返球されたボールを持った三塁手が仁王立ちになって、進路を完全に塞いだのも悪いのだが、つまりこれはよく見えなかったけど走塁妨害かもしれないのだが、それに向かって、胸を張って、その胸で相手を突き飛ばすように、ドンっと体当たりした。これは、おそらくは走塁妨害を主張するべき場面である。けんか腰に体当たりする場面ではない。というよりは、いかなる場面でも、けんか腰の体当たりは許されない。スポーツは戦い方が問われるからだ。 塁審は背番号8の選手に注意をしていた。その場面は放送されていたが、アナウンサーは見て見ぬ振りをした。「それでは今の打撃をリプレーで見てみましょう。」とアナウンサーは言ったが、ディレクターが流さなかったようだ。さりげなく別の話題へと変わった。おそらくは、問題あるプレーを流すことは良くないと判断したからだろう。テレビ局の対応は、それはそれで良かったと思う。背番号8の選手だけの問題でないことも言っておかないといけない。体当たりされた日大三高の三塁手も去り行く背番号8の選手に向かって、怒鳴っていた。これも良くない。 さて、高野連としても、注意だけで済ますのなら、それはそれでかまわない。高校野球は教育なのであって、生徒の間違いは許されるものと思う。むしろ、彼にとっての良い教育を受ける機会だったと思う。ただ、注意が本質的な解決になるとは思えない。つまり、ボクはアンフェアな精神が、高校野球に潜在している証拠の一つを見たのだが、一体、これは誰の影響で、誰が彼を教育したのかということだ。高校野球はスレたプロ野球と同じであっては困るのだ。 早稲田実業の野球部が、教育的に優れているのか、劣っているのか、ボクは知らない。偶然起こっただけのことかもしれない。しかし、背番号8のランナーと、三塁手を見ていると、フェアプレーの精神に関する教育がおろそかになっているのではないかと危惧を感じる。激戦でカッとなるのはわかる。だけど、熱くなるにしても、気持ちの持ち方を間違っているのではないかと思う。間違えているとはつまり、相手選手を憎むことだ。 フェアプレーに関しては、あまり厳しく言っても仕方がないかもしれない。彼らはこれから学ぶ立場だ。ボクだって高校生のときに、あの場にいればカッとなったかもしれない。だから、危惧するという表現を選んだのだが、見ていてちょっとぞっとした。二度と見たくないなと思う。
2006年07月30日
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靖国神社がどのような場所なのか、よくわからない。だから、一度見に行ってみたかった。今年の夏こそ行こうと思っていたら、昨日、書店でこの本を見つけた。今まで知らなかったことが沢山書かれており、ある程度の理解ができたと思う。靖国神社へ行ったら、A級戦犯はボクの気持ちから外して、一般の戦没者にお参りもしようと思っていたが、本によって知識を得た後のボクの気持ちは、実に複雑である。普通の神社の延長にあるものかと思っていたら、随分と違う。靖国神社がどのような施設であるのか、著者の意見は以下である。 靖国神社の機能は、戦死者を顕彰し、その死を称える施設である。靖国信仰は、天皇自らの祭祀によって戦死を称えることで、国民に生と死の意味を与える施設であった。この「お天子さま」の祭祀によって、戦死の栄光を称えられ、肉親を戦争で失った人々の悲しみは、一転、喜びに変わった。そして、多くの国民が、自身または子息、夫が国の為に戦って死ぬことを希望した。 靖国神社は追悼施設ではない。国家は戦争に動員して死に追いやった兵士たちを追悼し悲しむのではなく、次の戦争の準備の為に、「お国の為に死ぬこと」を名誉と考え、進んで犠牲となる兵士の精神を調達する為に戦死者を顕彰するのだ。顕彰の名誉よりも、遺族を失った悲しみを強く感じることは、非国民だった。 この顕彰は、必ずしも戦死者の側から望んで行われるものではない。台湾の先住民で軍属として働いた人々の遺族が靖国神社に「祭るのをやめて欲しい」と請願しても、靖国神社は受け入れない。台湾に関しては「戦死した時点では日本人だったのだから、死後日本人となることはありえない。」という。(以上の発言は1987年、朝日新聞、池田良八権宮司による)「日本の兵隊として死んだら靖国に祭ってもらうんだという気持ちで戦って死んだのだから、遺族の申し出で取り下げるわけにはいかない。」(同じく池田権宮司)という。 国内のキリスト教徒の遺族が祭ることをやめるように請願しても、池田権宮司は「天皇の意志により戦死者の合祀は行われたのであり、遺族の意志に関わりなく行われたのであるから、抹消することはできない。」という。 ここでいう天皇の意志とは、いわゆる祝詞にある、「お前たち戦死者のおかげでこの国を統治できるのであるから、これからずっと称えよう。」というもので、追悼の意は微塵もない。天皇は戦死者を追悼ではなく、顕彰する。また靖国神社は天皇の意志のみを尊重し、遺族の意志と感情を無視する施設である。靖国神社は旧大日本帝国のイデオロギーがそのまま生き続けている場所だ。 国立の追悼施設を建設することが議論されているが、追悼施設の本質は顕彰である。すなわち、戦死への敬意、感謝の念を表明することであり、戦争で死ぬことを美化するのである。これは、本質的に顕彰と同じである。 真の意味での追悼を行うには、日本は軍備を完全に放棄する必要がある。現在のように、戦争を予想する日本が行う追悼は、即ち戦死者への顕彰である。戦闘行為を完全に放棄することでしか、真の追悼は実現しない。国立の追悼施設は第二の靖国となってしまう。日本は軍備を放棄するべきだ。 他に小泉首相の公式参拝についても触れている。筆者は反対であるようだ。政教分離に反するし、追悼する方法が靖国参拝である必然性もない。中国の「軍国主義の復活への懸念」をもっともな主張としている。しかし、靖国参拝を批判することは、あらたな合法的な「第二の靖国」を日本に作らせてしまうことに繋がる。よって靖国参拝の中止やA級戦犯の分祀は、本質的解決ではなく、政治的解決でしかないという。 ここまで、筆者の靖国問題への主張をみてきたが、息子を失った母親たちが、靖国の栄誉を受けることで、悲しみが癒されていることも紹介している。靖国は彼女らの心の支えであり、その宗教感情を近い身内に戦死者を持たないボクに批判する権利はないように思う。 さて、ボクが靖国へ行ったときに参拝するかしないかという問題がある。心の中で哀悼してもよいかもしれない。ただ、その哀悼が、靖国思想に包括されてしまうことは、ボクの本意ではない。靖国が単なる墓であれば、相手は仏や精霊であるから、参ることができるのだが、靖国神社の思想をボク自身の中に受け入れることができない。あまりにも異質なのだ。墓参りのように拝んだとしても、それは形式上、靖国の思想に取り込まれることになる。筆者が言うように、靖国でなくては追悼できないものではない。やはり神社を見るだけにしよう。
2006年07月30日
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「芸術は爆発だ」という言葉はあまりにも有名だ。この言葉は単なるギャグではなく、彼の芸術体験から発せられた言葉だ。爆発は、彼が本当に生きる為に、彼自身と戦う中で起こる。爆発は、苦しみを伴った生きる喜びである。 岡本にとって、本当に生きるとは、本来の自分として生きることで、それは、いつも自分自身を壊すことで達成できる。自分自身を壊して初めて創作があると言う。過去の積み重ねに胡座をかいて、「俺はもう偉い」とふんぞり返る芸術家たちを「そういう連中は芸術家ではない」と痛烈に批判している。これは禅だな。」と思って読んでいたら、彼が禅僧の集会で講演したときのことが書いてあった。それはだいたい次のような内容だ。「偉そうな言葉だけ言い放って胡座をかいていてはダメだ。」「禅では仏に遭うては仏を殺すという言葉がある。これはどういうことか、仏にあったことのある坊さんはいるか?いたら手を上げてみて欲しい。・・・この殺すべき仏とは何か、それは、自分自身だ!!!」拍手喝采だったらしい。 芸術家であれ、誰であれ、本当に生きるには自分自身を捨てるしかないのだと岡本は言う。それは、本当の自己との対面であり、苦しみとの対面でもあるが、苦しんで生きることに本当の生きる喜びがあると言う。「幸せだ。」という言葉は、自己中心的な人間が言う言葉だという。家庭を持って幸せでも、隣の家庭は不幸のどん底かもしれない。世間は不幸にあふれている。その不幸を切り捨てるからこそ、幸せだと感じるのだと言う。 昔から、僕は岡本の作品が大好きだった。初めて見た彼の作品は、吹田の万博記念公園にある「太陽の塔」だった。子供心に「へんてこりんだ」と思っていたが、あるテレビ番組で、なぜあのようなへんてこりんな顔を作ったのかの説明を聞いて、「あぁっ!」と衝撃を受けた。万博は、自然と都会生活の共存を詠った千里ニュータウンと共に作られたものだが、岡本はそのコンセプトに共感できなかったらしい。「なんだこりゃ」と思ったらしい。テレビが言うには、ニュータウンの開発によって破壊された自然と窮屈な生活に押しやられる人間の姿を表現したのがあの顔だそうな。がんじがらめになってしまった人間の姿だとしてあの塔をみると、傑作に見えてくる。本当の自分をみつめ、それを表現することにこだわったからこそ、あのような塔になったようだ。あれも権威とか、名誉とか、報酬とか、そういうものを真っ向から殺していった末の表現なのだろう。日本の偉いさんから依頼されて、そのコンセプトにアンチな作品を作るのだから、その生き様は本物だろうなと思う。モノレールからあの塔を見るとき、「こりゃ雪舟もかなわんな。」と思う。あの塔は国宝にしても良いかもしれない。 ただ、このテレビの説明とは別の解釈を聞いたこともあるが、今日はこっちだけ書いた。
2006年07月29日
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忙しかったので、読み終わるまで一週間かかってしまった。これは9.11以降、ブッシュ再選以前に出版された本で、日本の企業系民間シンクタンクの研究員が書いた本だ。話題になっていた本であるし、105円で売られていたので、興味津々で読み始めた。 アメリカのことは、知ってるようで知らないので、新しい発見があって、大変面白かった。以前から疑問に思っていたことや、よくわからなかったことへの答えを与えてくれた。 具体的には、ブッシュとはどういう人物なのか、ブッシュの基本政策、新保守主義とは何か、今のアメリカは歴史的にはどういう時期なのか、一体どのような解釈によって、9.11と真珠湾攻撃が同じに扱われるのかということなどだ。 ブッシュは、アンチ、ワシントンエリートであるらしく、アメリカでは庶民派政治家になるらしい。草の根レベルでの保守主義の支持を受けており、スペイン語が話せることも有利にはたらいているらしい。彼の政策は伝統的な価値観を重んじ、小さな政府を目指す新保守主義のものである。つまり、思想的にヨーロッパから移民してきた人々の子孫であり、はなから政府なんて信用していない。ワシントンのエリートなどに権力を持たせては碌なことにならないから、政府を小さくしてしまおうというわけだ。 小さな政府とは、社会保障の小さな政府だが、ブッシュの場合は、政府の小ささを、人の心の温かさで埋め合わせようとする政策をとっている。ブッシュ自身の演説から引用したものをさらに引用すると、こうである。 (「僕のことをどう思う?」と少年院を訪れたブッシュに尋ねた15歳の少年の絶望を紹介して) 「こうした問題に立ち向かわなければ、この国の中に壁ができてしまう。」 「大きな政府はその答えにはなりません。しかし役人に代わるものが無関心であってはならないのです。」 (今ひとつ分からん説明だが、、、) (ミネアポリスで活動する女性の話として) 毎日メリージョーはホームレスの足を洗い、新しい靴下と靴を与えます。『足を大事にしなさいよ』 と彼女は言うのです。『足のおかげでここまで 来れたんだし、いつかは神様のもとまで行くんだからね』 政府にはこんな仕事はできません。政府は身体を養うことはできますが、魂に届くような仕事はできません。」 著者はこれを次のように分析している。 つまり、政府は本当の意味で人を助けることができない。逆に個人の善意は大きな仕事ができる。 ゆえに政府の役割は小さくし、人を助けようとする人を助ければいい、という発想である。(中略) 政府の力が減る分は、人々の善意で補おう、その受け皿となるのが保守主義であり、伝統的価値観だ、 というのがブッシュの考え方である。 これについては、中道派を取り込む為の方便であるかのようにも説明されている。伝統的価値観というのは、感想としては、ブッシュ個人のレベルではクェーカー教の思想が混入されているのだろう。その思想は、徹底した平和主義であるそうだが、イラク戦争とどのように関係するのか、興味がある。 筆者によれば、アメリカは元々、孤立主義の国だった。ただし、ヨーロッパにはあまり干渉しない一方で、他のカリブ海諸国には、強烈に干渉してきたらしい。ヨーロッパに干渉しないのは、ヨーロッパ移民が多く、国が分裂する恐れがあるからとのことだ。カリブ海諸国に干渉しても、その心配はない。ヨーロッパは放っておいて、せっせせっせと裏庭を整備して商機を拡大していったというわけだ。 そのアメリカが、江戸時代に日本に協力に干渉してきたのは、アメリカの西は我々が開拓する土地だという意識の延長、つまり太平洋を隔てて西にある日本もその対象に含まれていたということだ。占領統治、植民地化まではいかなくても、「文明化してあげて、輸出相手国に成長させよう。」という意図があったのだろうと著者は言う。扱いとしてはカリブ諸国と同じだろうか。 ペリーが浦賀に来た頃のアメリカ大統領は極東に興味を持つ人物だった。しかし、極東に興味を持たない大統領に代わり、南北戦争も勃発したので、日本どころではなくなった。これは、日本にとって、幸運なことだった。この隙に明治維新を成し遂げることができた。もしヨーロッパ諸国であったら、植民地化されていたかもしれないとのことだ。まぁありえそうな話だ。 その後、日本の存在によって、アメリカの性質は大きく変わることになる。アメリカに与えた日本の影響は絶大であったようだ。つまり、真珠湾攻撃だ。リメンバー、パールハーバーって言葉は誰でもしってる言葉だが、筆者によると、これは「日本憎し!」と言っているわけではなく、「備えを怠るな!」という意味らしい。前述のように、アメリカはヨーロッパとの衝突を避ける傾向にあったため、目立った外敵がいなかった。本土が攻撃されることなど夢にも思わなかった。それまでのアメリカ国内がいかに平和だったかということに気がつき、惨事が実際に起きてしまったことに対するショックを表明している言葉だそうな。その警告という意味で、9.11は同じ扱いにされている。 真珠湾攻撃は、アメリカを干渉しまくり国家に変化させた。「敵がいるぞ!」という認識を持ち、孤立主義を捨てさせ、それに「自分たちの考えを世界に広めよう。」という認識が相まって、勝手に他国を作り直す趣味を持つようになってしまったようだ。日本がアメリカの歴史を変えたわけだ。江戸時代にアメリカは日本を大きく変え、真珠湾で日本はアメリカを大きく変えた。どちらも加害者の側に罪の意識があまりないのも共通だ。(アメリカのは文明化してあげた行為、日本のは歴史上まれに見る大作戦の成功)もとい。ただし、ブッシュ政権は性格的に孤立主義だ。このあたりの話は省く。 国益を優先し、自分たちの考えを押し売りし、国際協調をせず、武器を振り回して戦争を仕掛けるイラク戦争当時のアメリカは、嫌われて当然だろうと誰もが思う。イラク戦争も、初めは国連決議も議会の承認も必要ないという姿勢で始めようとされた。しかし、パウエルが熱弁を振るってブッシュを説得し、国際協調を視野に入れた。パウエルは軍人出身だが、軍人だからこそ、軽率に戦争を行うことの愚かさをよく知っているのだろう。ハト派のパウエルは諸国のアメリカへの信頼をかろうじて繋ぎ止めた人物ではないだろうか。強行していたら、世界から総スカン食らったにちがいない。ただ、この国際協調のおかげで自衛隊は困ったらしい。国連で決議されてしまうと、何もしないわけにはいかなくなるからだ。インド洋へのイージス艦派遣という、結局、怪訝な行動をすることになった。うん、確かにそんなニュースをみた覚えがある。 テロ対策においては、9.11のように完全な防戦が不可能であるから、討って出るしか効果的な対策がないわけだが、僕はこれまでにアメリカがイスラーム圏で行ってきたことを考えると、単純にアメリカを正義と言えるのか疑問に思う。これは世界中の人々、日本人もヨーロッパ人も感じていることだ。善悪の単純な二分法は、改めてもらわないと大変迷惑だと思う。 ちなみに、ブレアの戦争支持について、「なんでイギリスが賛同するのか」が疑問だったが、著者によれば、イギリスの存在を誇示したいし、アメリカは自己修復能力が高く、この変な考えも国内からの力で修正される。それならば将来の関係を考えれば、アメリカに賛同して関係を深めるのが得策だと考えているかも(考えていれば、ブレアも相当な奴だ)しれないとのこと。 ちなみに著者は、「いずれブッシュ政権は行き詰まる。」と書いている。たしかに今、行き詰まっている。 もう少しまとまりのある構成にしたかったが、あとからあとから、付け加える内容が思いついたので、こんな感じになってしまった。まぁ、よいよい。
2006年07月27日
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夕べ、ツタヤからの帰り道、航空公園のウラトコ街道沿いの自転車道で、自転車で転んでひっくり返ってる人を見つけた。頭が光っていているので、「お爺さんだ。骨折しているに違いない。」と思って、近づいてみたら、老人ではなく、四十代の禿げた外人さんだった。 英語で話しかけようかと思ったが、フランス人だったり、見かけは白人でも、中国語しか喋れなかったりするかもしれないので、とりあえず日本語で「大丈夫ですか?」と声をかけてみたら、日本語で「だいじょうぶ。ころんじゃった。」とのこと、自転車を起こしてあげてたら、外人さんも起き上がった。「どうやら大丈夫ですね?」と言ったら、「大丈夫、iPodがポケットに入ってる、大丈夫かな?」とのこと。外傷もない。自転車道の白い白線で滑って転んだとのこと。「ここですべっちゃった。ん~あ~、え~予測できない。怖かった。ボク、蕨から来た。」とのこと。随分と日本語の上手な人だった。ちょっと世間話をした。アメリカ人だったんだろうか。良く喋る人だ。 別れ際、「ありがとう。日本人、いつも無視するでしょ。ありがとう。」とのこと。握手して、その場を去った。 うん、確かに無視する。満員電車でバタリと倒れてもみんな見てるだけだったり、よそ見してたり。駅員に知らせるのがその分遅くなって、それで死んだ人もいるだろうと思う。英語を話せなくて、相手が外人だから特に話しかけないのかもしれない。でも東京圏だけじゃないかとは思う。少なくとも関西ではあまりない。相手が外人となると、どうかは知らないが、ひげを生やした体格の良い外人なら、R.バースだと認識されるので、声をかけるかもしれない。 さて、今日は徹夜の作業があるのだ。参ったな。明日の朝までに仕上げなくてはならない。夜食用のカップ焼きそばも購入したし、ひと頑張りするか。
2006年07月26日
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勝利至上主義が野球をつまらなくしているかもしれない。野村野球、森野球など、さまざまな戦術がある野球は、それはそれでおもしろい。しかし、本来の野球の魅力には勝てないと気がついた。 藤川と清原、カブレラ、小笠原の対決を見た。ストレート勝負、そしてフルスイング。勝って会心の笑顔、負けて悔しくとも、充実した表情。そして、互いに尊敬の念を示す。そこには彼らの勝負の美学がある。その美学を人生の大舞台で華開かせる彼らの姿に感動せざる得ない。その理由は、ファンの心の中にも、その美学が眠っているからだと思う。清原対藤川の対決のときわき上がったどよめきと歓声は、ファンが心の底で、プロ野球に美学を求めていた証拠かもしれない。今回のオールスターはファンと選手たちの勝負の美的センスを呼び覚ますきっかけとなるのではないだろうか。これから少しずつ、変わっていく予感がする。 近い将来、阪神の三大投手は、村山、江夏、藤川だと言われる日が来るかもしれない。今回の藤川の活躍は、ボクにとって、長く屈辱的だった低迷期から脱出した後の、一番の喜びだ。はっきり言って、優勝より嬉しい。さて、早く寝ようっと。眠い眠い。
2006年07月23日
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足場がぬかるんでいたせいで、今回は実力は出せませんでしたが、それでも痛打させないところはさすが。清原との対決も、球がシュート回転して球質が落ちていたものの、結果オーライで三振。藤川と古田のバッテリーが見れたのも大変良かった。金曜日の球なら、今江も三振したかも。MVPは阪神の藤本。おいしいなぁ。おいしいと言えば・・・と、お好み焼きを作って食べて、お腹いっぱいになったので、おやすみなさい。今年のオールスターは非常に面白かったです。
2006年07月23日
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オールスター、面白かった。新庄のパフォーマンスも良かったが、なんといっても一番凄かったのは、阪神の土佐鰹、藤川球児の投球だ。豪腕なんてチンケなものではなくて、黄金の右腕と言って良いだろう。カブレラも小笠原もストレートだと分かって振って、三振に取られた。藤川はストレートだけしか投げなかった。153kmのストレートだが、そのあとに投げた横浜の球界最速投手の球よりずっと球質が良い。メジャーでもあれは通用するだろうか。行って欲しくないけど。いやほんと、恐ろしい速球だ。あれこそアンパイアに付けたカメラで観たかった。 明日は清原との対決が観たいな。それにしても清原、人気投票ナンバーワンでの選出、ほんとうにほんとうにおめでとう。今の清原は球界で一番でかく見えます。
2006年07月21日
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今日は手に汗握る投手戦、金に釣られて読売に入団した上原と、単に指名されたので阪神に入団した福原(多分)との対決。 帰宅してテレビを付けたのは七時頃、かなり速い試合展開に驚く。六回終了まで観て、入浴。あがってきたらいつのまにやら1-0で勝っている。なぜ先制したのか分からずに、球児のマウンドを観て勝って終了。ヒーロインタビューでようやく内容を知る。 今年は読売は本来の実力を十分に出し切っているが、阪神は今ひとつ。実力を出し切っていると言う点で、読売がうらやましい(笑)阪神は長期のスランプに陥ったり、怪我してる選手が多いのが気になる。それでも首位まで1.5ゲーム。ただ中日は手強いぞ。きゃつらは、良いチームだぎゃ。ついでにいうが、横浜と広島、頑張れ。(阪神戦以外で) 球児の投球の素晴らしさを今頃いうのもなんだが、ありゃ、まっこと素晴らしい投手ぜよ。松坂どころではないぜよ。ストレートだけで勝負できる投手は、歴史上でも他に知らんぜよ。おるかの?全くストレートだけっちゅうのは知らんぜよ。まぁ、球児もたまに変化球を投げているが。 49勝して、得失点差が56点しかないっていうのは、これはかなり際どい試合を勝ってきているということだ。よくこんな打線で勝てるよなと思う。 星野の福原への「低迷してる読売なんか抑えて当たり前だよな!」という星野監督(今でも監督だと僕は思っている。)の一言に「さすが我らが監督!」の一言を送りたい。
2006年07月19日
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いつも、ドリップのコーヒーをドトールで買って帰るのだけど、今日で連続5回目、買うのを忘れている。仕方がないのでコンビニでKEY COFFEEのドリップを買って済ましているのだが、やはりドトールの方が風味が少し良いと思う。自分で挽くのは面倒なのでやらない。 雨の日は、コーヒーを入れて、窓を開けて、ベランダで腰掛けながら雨音を聴く。心の中でタクトをスッとあげて降ろすと、奇才ジョンケイジの名曲「4分33秒」が始まる。 「ぽたぽた」という音と「じぁー」という音に包まれて休符だけの音楽を味わっていると、コーヒーのミルクの匂いにつられて近所の野良猫がやってくる。うかうかしてると野良猫が隙をみてコップに頭を突っ込んでくるので、仕方なく部屋の中に入る。 格好をつけてるわけでなく、こういう音楽の楽しみ方は僕は大好きだ。自然の音にはある意味で、楽器に勝るものがあると思う。 人の作った楽器については、最近、ストラリバリウスのバイオリンがオークション史上の最高値で売れたらしい。骨董品として飾るのだろうか、演奏するのだろうか、それは分からんが、楽器の良さというのは魔力を伴っていて、良い音が出せるなら、何千万でも惜しくないと思わせるものだ。いや、惜しいとは思うが、音の魔力には勝てないものだ。 今日は鷹の台駅から玉川上水を歩いてきた。ここは、木々が茂り大蛇も住む都会の中の「過去空間」だ。見上げれば散歩道の20メーターも上で木の葉が屋根を作っている。靴が泥でやや汚れたが、それに代えて余りある落ち着きが得られる。よく見るとカタツムリもブロック塀の上を散歩している。土中の水分の多さに驚いたのか、ミミズもアスファルトの上を散歩している。 僕にとっての東京の魅力とは、喧噪と静寂のギャップにあるかもしれない。大阪などは喧噪一辺倒で、なかなか家の外で静寂を味わうことはできない。桜宮など木々が植えられていても、どうもあまり落ち着かない。枝や葉の数が少ないからだろうか、喧噪を抜け出せない。もうすぐ雨のシーズンも終わってしまうなと寂しさを感じつつ、早く終わってくれないと困るなぁと思いつつ、さらには、やっぱり暑いより雨で涼しい方が良いと思ったりする。さて、コーヒー入れて、ゆっくり休もうかな。友人から勧められて買った岡本太郎の著作を読もう。
2006年07月18日
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ペナントレースというマラソンロードを我らタイガースはファンとともに走っている。優勝を目指して先頭集団にいる。マラソンで言う所の後方グループ、先頭グループを映した時に、遥か彼方にぼんやりと見える後方に今、君たち自称名門球団読売ジャイアンツはいる。そして今、小さくなった君たちは、まさにこの画面から消えようとしている。さようならジャイアンツ。グッバイジャイアンツ。悪は滅びるという言葉が真実であったのだと、今実感している。タイガースの三年連続を散々コケにしたジャイアンツ、次は君たちの番だ。けけけ(笑)
2006年07月17日
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素晴らしい映画でした。雨あがる、阿弥陀堂だよりに続く良作だと思います。役者も良いし、ストーリーも良い。クライマックスのようなぐっと盛り上がるシーンがないのですが、全体に渡って飽きることなく感動できる作品です。小泉監督は、今や日本一の監督ではないでしょうか。黒沢以来の「日本映画」を作れる数少ない人ではないかと思います。ほんと良かった。
2006年07月16日
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自爆テロをモチーフにした車のCM爆笑しました。http://www.boreme.com/boreme/funny-2005/vw-suicide-bomber-p1.php
2006年07月15日
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昨日、久々に野球の順位表をみたら、3ゲームも差をつけられているではないか!!と思ったら、直接対決で勝って2ゲームにつめた。あと一つは勝たないといけないっちゅうことやな。できたら3つ勝って調子を取り戻して欲しいところですけども。んー、今日は試合を見ている時間がないな。空もゴロゴロ言い続けているし、夕立を覚悟しないといけないな。ふぅー。
2006年07月15日
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長崎に行ったのも去年のことだ。長崎は僕が日本の中でもっとも好きな土地の一つだ。二度しかいったことはないが、きっとまた行くと思う。長崎では、ギラギラと太陽が山河を照りつけていて、その反射がまぶしい。その反射する姿は、なんとなく僕に活力を与えてくれる。奇麗さっぱり吹き飛んだ焼け野原から、人間臭いゴチャゴチャの町並みが再生したことは、文学小説などで描かれる苦しみから這い上がって再生する人間の姿と重なる。 高校生のとき、はじめてここを訪れた。その時は原爆資料館で悲惨な光景を目にして、涙を流さずにはいられなかった。ぐちゃぐちゃの死体、丸焦げの死体、焼け野原の長崎の写真、「どうしてこんな馬鹿げたことをするのだろう。」と堪えようにも堪えられないで涙がボロボロ流れた。資料館から少し行った所にある平和の像は、五十年近く雨露にさらされたせいで、黒く変色していて、それが強烈な悲しみと苦しみから這い上がろうとする人間の渇望を訪れる人々に向かって叫ぶように伝えていた。 十数年ぶりに訪れた原爆資料館は、リニューアルされていて、展示されていた物品が奇麗なケースの中に収まっていた。平和の像も新たに塗装されたらしく、テカテカと妙に新しい。古い資料館では、そのオンボロな古さが、被爆当時から間もない時代の叫びをそのままに伝えていたが、今はピカピカと光っていて、妙にリアリティがない。「あぁこうやって昔の出来事は風化してゆくんだな。」と寂しさを覚えた。 長崎には原爆以外の歴史がある。その一つが坂本龍馬の亀山社中だ。ジャングルのように密集した住宅街の気の遠くなるような長い階段をかんかん照りの太陽の下、登ってゆくとその建物がある。残念ながら休館日であったらしく、中に入ることはできなかった。けれども、その近くから長崎を一望できた。 龍馬が生きた維新の時代、欧米列強の進出に対して、日本は一気にアドレナリンを放出し近代化した。しかし、おそらく龍馬は今日のような日本を目指したわけではなかったと思う。侍の倫理が彼らには根付いており、鎌倉時代風に言う「名こそ惜しけれ」の精神は、極めて当然のことだった。国々がそれぞれ精神原理を持っていることが当たり前だった。そんな状況で、ここまで日本人が精神原理を失うことになるとは想像しなかったのではないかと思う。四民平等などあったが、やはり活躍する人、国際的に認められる人には士道があったらしい。確かに現代の日本の大学者らは、士道とは限らなくても、日本的な教養の豊かな人が多い。しかし数は圧倒的に減ったのだろうと想像する。特にこれからの世代は。石原慎太郎風に言えば、原爆の炸裂は、広島と長崎の街を壊滅させただけではなく、日本の精神そのものを破壊したのかもしれない。今、この現代の日本で刀を差して丁髷で街を歩くことなどご免こうむりたいが、言われてみれば、自分たち日本人の中には何らかの大事な精神性が欠けている感じがする。さて、このとき見ていた眼下に広がるこの街が一瞬にしてズタボロの廃墟と化したのだから、原爆の威力は凄まじい。原爆投下が戦争終結を早めたとアメリカは言うが、実際に長崎を歩いて回ると、「では、なぜ市民たるこの人たちが犠牲にならなくてはならなかったのか、アメリカは犠牲者の市民一人一人が納得のいく説明をできるだろうか?」と疑問に思う。自分たちの論理に自信があるなら、ぜひ平和記念公園でそのことをハッキリと説明してもらいたいと、やや怒りながら思う。
2006年07月15日
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久しぶりに歯医者に行くので、早く帰ってきた。ちょっと緊張している。もうじき行かなくては。待ち時間はどうしよう。『動物のお医者さん』でも読むか。いや、爆笑してしまうだろう。変人だと思われるかもしれない。はじめて行く所だから、普通の本にしておこうか。んー、まぁ両方持っていこう。
2006年07月13日
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『国家の品格』は数学者が現代日本の精神文化的問題点について書いた本で、軽いタッチで書かれており、非常に読みやすい。明治以前に持っていた伝統的価値観を復活させるべきだと著者はいう。近代の合理主義が日本をダメにしたと言い切っている。学者の書いた本ではあるが、専門分野からは外れており、いくつもの点で、問題はあると思うが、僕は著者の思い切った断言ぶりが好きだ。 論理に関して数学者は、哲学者と同じような考えを抱く傾向がある。論理の限界に挑戦しつつ、混沌として説明不可能な世界を観るからだろう。それゆえ合理主義の限界を認識し、論理の底にある情緒の価値に目覚めるのだと思う。老荘や仏陀もそうだった。 著者の論理に従えば、日本の優しさとは、弱者を思いやる「惻隠」や「無常観」「もののあわれ」であった。ところが、過度の合理主義が日本人の情緒性を破壊し、日本は精神的に貧しい社会へと堕落してしまった。合理主義は即ち、損益の論理であり、何もかもが損か得かの問題と化した。経済的に繁栄したが、世界から羨望はされつつも尊敬はされない国になってしまった。 確かに、著者も言っているのだが、日本の国はかつては尊敬される国だったようだ。それは武士道があったからで、つまり原理的な倫理が確立されていたからだ。しかし現代の日本には原理がなく、利潤追求主義がはびこり、荒廃しているとしばしば指摘される。僕の知る限り、日本を尊敬するだいたいの外国人は古来の日本文化に尊敬を覚える。明治期に活躍した人々の多くは元は侍であって、近代化を推進しつつも、侍の倫理観、人生に対する美的意識をしっかりと持った人々だった。それゆえ、外国人も人種差別の一方で尊敬の念を持ったのだそうな。 著者は英語教育を小学校から始めることに断固反対している。僕もずっと前から同じ意見を持っている。著者も僕も、国語教育こそ一番大事だと考えている。国語は論理を育み、情緒を育む。しっかりと物事を考えるには、国語力が不可欠だ。情緒の欠落した思考などは、ろくな方向へ進まない。僕は、よく文学に接し、哲学することが情緒を育て、高潔で優しい論理を育てることができると思う。ただ英語が話せるだけで良い時代はとっくに終わっている。著者は日本人の英語力が低いことは歓迎すべきことだとまで言っている。 また小学校での英語教育については実施するにしても問題がある。一体、誰が教えるのだろうか。英検準一級すら合格できない英語教師が多い現状で、果たして英語教育がなりたつのか。あのお粗末で害悪ともいえるような発音では、実施すると言われても説得力がない。 司馬遼太郎がいうには、江戸時代は唯一、日本が原理をもった時代だと言う。『国家の品格』の著者は武士道精神を復活させよという。どの程度まで復活させようというのかはわからないが、日本的なものを大切にした21世紀に対応する国づくりという方向性では納得がいく。今の日本人には「生き方に美意識がない」と僕はつくづく思う。村上ファンド、ライブドア、奈良の殺人事件を起こした医師の息子の両親などを思うと悲観的になる。時折、チンパンジーとあまり変わらないとしばしば言っている。チンパンジーと人間のDNAの違いは1%だと言われるが、実際は発現がちがう。すなわち同じようなDNAを持ちつつも、エピジェネティクスが全く違う。これはタンパク質の生成までの仮定が全く違うため、全然違う生き物であることを意味する。遺伝子の話は比喩であるが、もっとマシな価値観を持てないだろうかと思う。 著者がいうには、美的センスが発達していない国では数学が発達しないらしい。数学が発達していない国では、工業が発展しないとも言っている。おもしろいことに情緒は工業の基礎となっているということだろう。日本人が美的センスもつということは、日本的なものを大切にするということに他ならない。あらたにポッと突然湧き出てはこないだろう。これは積み重ねるものだからだ。 長くなるのでこの辺でおしまい。全体的に哲学や思想に関する知識不足や「親父の戯れ言」的な面もあるものの、論旨の大きな方向性においては、納得のいくもので、ユーモアもあり面白い「読み物」だった。3時間ほどで読み終えた。680円と低価格であり、買って価値のある本だと思う。
2006年07月11日
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司馬遼太郎記念館に行ってきた。ここへは河内小阪駅と八戸ノ里駅から歩いて行ける。河内小阪を降りて、小坂神社の辺りの何でもない住宅街を通って行くと司馬遼太郎の記念館があった。記念館は自宅の敷地内に建てられている。 入場料は五百円。職員はフレンドリーなシルバーの方たちが多く、和やかな雰囲気だった。入って、ガラス越しに書斎を見ることができる。沢山の本が置かれてあり、書斎らしい書斎だった。見ている間にヤブ蚊に十数カ所かまれた。その少し先に、記念館の建設に寄付した人々の名前が列記されていて、僕と家族の名前もあった。順路にそってさらに行くと、安藤忠雄が設計した記念館がある。 中に入ってまず上映されているビデオをみていると、痒そうに足をかいている僕をみて、職員の人がムヒを貸してくれた。親切な人たちだ。蔵書の展示室では驚いた。二万冊の本が展示されている。それを20メーター以上はある高さのある本棚におさめてあり、見上げれば圧巻だった。客はその本棚に囲まれるかたちで見る。南側からは自然光が入ってきて、それが本のタイトルを柔らかい光で照らし、なんとも奇麗だった。司馬家には全部で六万冊の蔵書があるらしい。 蔵書のタイトルを見ていくと、中には僕の知っている本、持っている本、実家の書斎にある本などもあった。こんな本は僕の実家ぐらいにしかないだろうと思っていた武道関係の本などもあり、さすがに司馬遼太郎だなぁとつくづく思った。西田幾多郎の『善の研究』もあった。 初老のにこやかな係員の人が、ちょっとこっちへと、隅の方に案内してくれた。うきうきした顔で「ちょっとあそこを見て下さい。」とコンクリートでできた天井を指差した。「あそこに人の顔のようなシミがあるでしょう?坂本龍馬の顔にそっくりなシミでしょう?」僕はせっかく楽しそうに案内してくれたので悪いと思ったので、「うわ、ほんまですねぇ、言われてみれば龍馬ですねぇ。」と愛想良く言っておいた。だが、龍馬と言うには少し無理があるかもしれない。龍馬ではなく、佐久間象山ですと言っても納得がいくかもしれない。そのシミが龍馬に似ていることを、オープンして1年がたったとき、お客さんが見つけたのだそうだ。 この記念館の一番の凄い所は建物だろうと思う。安藤忠雄と言う人は、おそらくは本好きの気持ちをよく分かっていて、客が本に囲まれる部屋にしたのだろうと思う。なぜだろうか、本に囲まれると僕も落ち着いた気持ちになる。 ホールがあり、そこでは司馬遼太郎が日本人を語るビデオが放映されていた。はじめて知ったのだが、「日本人とは何か」がテーマの一つであったらしく、「日本はむちゃくちゃになったが、昔は違ったはずだ。」という気持ちをずっと持っていたらしい。そのことが歴史の探究に彼を駆り立てたようだ。ちょうど、僕はその日の午前中に『国家の品格』を友人に勧められて買っていた。やはり日本の哲学、文学や思想に踏み込んだ人は、誰もが今の日本の姿、日本人の価値観に大きな疑問を持つようだ。このことには次の日記で触れようと思う。 帰り際に売店で『近代化の相剋』という対談集を買った。司馬遼太郎記念館のブックカバーがついており、これはかなり記念になる。まだ数十ページしか読んでいないが、司馬遼太郎の意見には良きも悪くも色々と考えさせられた。 記念館を出て住宅街の中、駅へと向かっていると、上半身裸で、紺の作業着のズボンをはいたおじさんが歩いていた。お腹の周りが白いので変だなとよく見ると、それはサラシだった。さすが東大阪、怖い土地柄だ。 あとでその地域に住む友人から聞いたのだが、司馬遼太郎邸の敷地に囲まれる形で、朝日新聞の建物がある。なんでもここは、司馬遼太郎の原稿を受け取って校正するなどする為にそこに建てられたらしい。ちょっとスケールの違う作家であったことが分かる。
2006年07月11日
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昨日といい、今日といい大阪暑い!!司馬遼太郎記念館に行ってきまーす。
2006年07月09日
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相変わらずやなぁ。
2006年07月07日
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箱館山から函館の夜景を見たのは昨夏のことだ。東京都は違い、夏だと言うのに風が冷たい。うっすら塩の匂いもする。町が発展しているほど夜景が奇麗なのかと思っていたが、どうやら違うようだ。町の規模は大きいとは言えないものの、夜景の姿形には品格がある。東京や神戸などより、よほど美しい。 函館戦争の末期、箱館山には新撰組の残党が立て篭ったらしい。当時は当然夜景などありはしないが、夜景を両端から挟む海に、おそらくは官軍の船の灯りが見え、隊士は恐怖を感じ、また、武者震いをしたことだろう。新撰組はこの時点では解散していて、土方の率いる北海道政府軍の隊に、新撰組の残党が混じる形だった。 函館といえば、朝市である。ホテルで朝市食事券をもらったので、翌朝、朝市に向かった。二間ほどの入り口の店で、中に入るとずっと奥までカウンターとテーブルが連なっていた。店員は誰もが日焼けをしていて漁師風である。壁をみると有名人のサインが隙間もないほどに貼られてある。「新庄」という文字が見えた。きゃつめ、こんなところで食事をしていたのか。イクラとカニとウニの丼を注文した。やはり新鮮な海産物に関しては北海道の右に出る土地はない。米以外は全て生もので、よく考えてみれば料理と言えるほど人の手の加わっていない丼を食べた。すこぶるうまかった。脇に置いてあるみそ汁を飲む。アサリだ。これもうまい。ぷはー。 市電に乗って、数駅進み、そこから徒歩で土方歳三の最後の出撃地へ向かった。近代的な鉄筋作りの公共施設の庭に、その石碑があった。幼児とその母親たちが遊んでいる。その平成の風景の中、現代の俳優のような彫りの深い土方の顔写真が飾られてある。供物が置かれ、線香が煙を立てていた。函館戦争は確か四月から五月だったと思う。訪れたのは七月であったが、十分寒い。陽のあたる場所では夏であるが、建物の影に入ると風が東京の初冬のようだ。かなり寒い中、戦争があったようだ。 日本の歴史の中で、土方ほど優秀な将校はそうはいない。彼の隊は連戦連勝だった。函館戦争にあっても、土方の隊は勝利し続けていた。もしも彼が明治政府に登用されていたなら、近代兵制のもと世界史に残る将軍になったかもしれない。しかしながら全体の戦況が悪化したため土方隊も退却を余儀なくされ、箱館山などに陣取った。土方は五稜郭にいたが、箱館山の土方隊が明治政府軍の奇襲を受けて弁天台場まで撤退、それを救出に向かった土方は敵と遭遇して銃で撃たれて戦死した。その一週間後、北海道政府は降伏した。 この土方の出撃地から五稜郭まではかなりの距離がある。そのため再度、市電にのって、五稜郭へ向かう。五稜郭タワーなる風情のない歴史をおちょくったかのような筒形の滑稽な建物に昇り、五稜郭と函館市街を見渡す。降りて五稜郭に入る。星形の土塁があり、星形に沿って池のような水堀がある。倉庫が再現されてある。倉庫に入ってみたが、ただの倉庫であるし、土塁に昇ってみたが、星形の溜め池といった形容が似合う。五稜郭の本丸にあたる部分では、発掘調査が行われていた。政治が語られただろう中央の建物は再建するらしく、これは楽しみかもしれない。 僕は函館を歩く最中、ずっと悲しさを感じていた。他の土地では、なにかしら未来につながる希望も感じるものだが、函館は違う。ここは全てが終わった土地なのだ。北海道政府の夢が終わり、土方のロマンが終わった土地なのだ。それは確かに明治の始まりであるが、函館に散乱した土方らの無数の屍を想像すると、始まりというより、終焉と言う言葉が似合うように思う。侍は散り際が肝心である。土方は最後まで戦いの中に身を置いた。京で殺戮と粛正を繰り返した。だから僕は新撰組が好きではない。しかし、血まみれになって駆け抜けたその散り際に関しては、とても鮮やかだ。最後まで我が道を突き進んだ彼がうらやましい。 飛行機の時間までだいぶあったので、近くの温泉場に足を運んだ。銭湯に入り、おばちゃんに「すんませ~ん、旅行中なんですけどね~、風呂の道具ないんですよ~。」と言ってタオルと石けんとシャンプーをかりて、風呂場へ進んだ。浸かってみて驚いた。熱くて悲鳴を上げそうだ。あぁ!全身が熱さでちぎれるように痛い。体中が赤く腫れあがった。空港までのタクシーで、運転手にその話をした。湯の温度は55度は越えているとのことだった。運転手も函館にこしてきた頃は驚いたそうだが、やがて42度の普通の湯では物足りなくなったらしい。函館では55度は心地よい温度のようだ。 飛行機は離陸して羽田へ向かった。日暮れ時の下北半島、十和田湖を見下ろしながら、またいつもの日常が始まるのだなと、残念がった。
2006年07月04日
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所沢の駅から歩いて数分のところにラーメン屋を見つけた。その名を「まぼろし軒」という。夕方の陽の沈む頃に開店し、陽の昇る明け方に閉店する。まぼろしのように現れ、幻のように消えてゆく、そんなラーメン屋にしたいということから、「まぼろし軒」と名付けたそうだ。店内には店長とビートたけし、島田洋七が仲良く映った写真が飾られてある。友達なのだろうか。 メニューは鶏ガラスープ系と豚骨スープ系に分けられている。それぞれに醤油、味噌、塩があり、百円で替え玉もできる。どちらのスープもうまい。オーソドックス系のラーメンだ。ラーメンの王道と言って良い。具体的な味に関しては、食べてみるのが早い。行くだけの価値はあると思う。 豚骨に関しては他の東京圏の豚骨ラーメンのように九州のそれより匂いが穏やかだが、十分うまい。九州だったか和歌山だったから空輸されてくるネギが味の決め手となっているらしい。のせられた紅ショウガがラーメンに妙にマッチしていて実にウマい。 星4.5/5
2006年07月03日
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阪神が読売に連敗した。格下相手に連敗するのは恥ずかしい話だ。井川で負けた。記憶が定かではないが、確か井川がエースだったように思う。(もちろん冗談)11-0で初戦を勝ったのは良かったが、眠れる元自称球界の盟主に開き直らせ、立ち直らせる結果となってしまった。どうせ彼らはまた落ちるでしょうが、不必要な負けは後で響く。 相変わらず中日は強い。ここまではエンジンをアイドリングのままで戦ってきたが、そろそろたのんます。ギアを入れて下さい。ギアを入れようにも入らないのでしょうけど、そこをなんとかたのんます。
2006年07月02日
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哲学の道は哲学者、西田幾多郎の散歩道だ。道沿いに小さな川が流れていて、周りには京都らしいこじんまりとした家がぎゅうぎゅう詰めで建ち並んでいる。少し高台にあるので京都の町を見下ろすこともできる。だがあまり美しいとは言えない。桜の季節には並木道で桜が咲くが、感動するほどではない。 しかし、西田の哲学を知るものにとって、哲学の道はドラマチックだ。うぁお。この道で起こる何気ない日常の風景が、哲学論に変わりうる。木々から葉がヒラヒラと舞い落ちた時、枝が風に揺られる時、川の水が音をたてて流れる時、葉の上の雨粒が陽の光をキラリと反射する時、それに反応する自分を見た時、それらの現象は哲学の言葉で語られる。 西田は日本哲学、京都学派の祖だ。その思想は西洋的な哲学とは一線を画している。彼は日本人として日本人なりに近代哲学をした最初の人である。哲学を学ぶ時、西洋人と日本人との文化的脈絡の違いを誰もが痛感する。キリスト教思想を今も土台としている西洋哲学は、日本人には完全に理解できるものではない。どんなに学ぼうとも西洋人そのものにはなれないからだ。一方、日本人が日本の文化を土台に哲学を進める時、西洋人では思いもよらない思想が誕生する。西田は日本文化を認め、土台として哲学を進めた。著作は「善の研究」に始まり、その精華が晩年の「場所的論理と宗教的世界観」だ。 西田自身は自分の思想を東洋と西洋の両方を取り入れたものだという。だが、かなり東洋的なものの見方をしていると僕は思う。なぜなら、彼の思想の土台は、禅思想や華厳思想などの大乗仏教とほとんど矛盾しないからだ。むしろその世界観は、仏教哲学そのものであり、その世界の中にキリスト教思想をスッポリを多い包んだかのようだ。 禅と華厳の世界観は、「一即多、多即一」(いちそくた、たそくいち)などと言われるのだが、これは平たく言えば、個別的なものは世界全体と同じ、世界全体は個別的なものと同じということだ。単なる世界の一点と思われる小さな事物に世界のすべてが現れているということだ。道を歩く一人の人間もまた、全世界である。この分たれず、全てが一体となっている世界に対し、我々は主体、客体、私、他人、物、人、などの区別をもうけ、結果的に人間の世界観ができあがる。世界とは、一体でありかつ個別的である。これを仏教では真如とか、梵我一如とかいうのだが、西田の言葉で言うと「絶対矛盾的自己同一」となる。違いに関する細かいことを抜きにすれば、「場の論理」とも言える。 華厳宗の明恵証人は、花だか葉だがの朝露に反射する陽の光を見て、そこに全世界を見た。彼の体験は、おそらく哲学的と言うよりも宗教的で、つまり哲学的な思索を伴うものではないようだが、我々は哲学的な思索を加えることができる。葉がヒラヒラと落ちる時、風に揺られる時、個別的なものが、外界からの力を受け、外界と不可分の関係にあることを知る。葉や枝を揺らす風は、地球の営みと密接である。地球の営みは宇宙の営みと密接である。このように視点を広げていけば、やがて葉が、枝が、宇宙の全現象を具現化していることが分かる。こういった世界のからくりを体得するのは仏教の悟りでもあり、哲学的に説明したのが西田哲学である。 かくして、哲学の道はドラマチックとなる。何の変哲もない道で世界の有様すべてをこの道で見ることができる。勿論、どこにいてもそれはできるのだが。 西田を語ろうとすると話題はつきない。詳述すればきりがない。だが、読む方も疲れるだろうから、この辺りで終わり。 追記 南禅寺と永観堂のちょい北、若王子神社から銀閣寺の麓辺りまでの2キロにわたって道があります。途中、法然院を通ります。奇麗な風景もあります。始めた歩いたのは西田幾多郎なんて知らない頃、ただの道でしたが、二度目にあるいたのは、有名な著作を一応全部読んだ後、ただの道ですが、味わいだけはある道でした。二度目に歩いたそのときは奇麗だと思ったのですが、今になって思うと、やはりただの道です。僕の近所の並木道の方がよほど奇麗です。リンク『善の研究』の全文を読むことができます。疲れると思います。http://www.kyotokanko.com/text/zennokenkyu.html西田幾多郎記念哲学館のWebsite.http://www.city.kahoku.ishikawa.jp/nishida-museum/
2006年07月02日
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