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辛い!本当に辛い!!今日から、何を指針に私は生きていけばいいのか!?96歳だから年齢に不足はないし、死因も「老衰」だから本当に自然に、苦しむことなく天国へ行った…と思う。まさに、絵に描いたような「大往生」!!しかし、言いようのないショックと、ブラックホールに吸い込まれるような酷い喪失感に襲われ、夕べから何だか、頭の中がボーッとしている。全身がコンニャクになったみたいで、仕事をしてても体に力が入らない。個人的には、それほどまでに憧れ、心底惚れまくったダントツの役者だった。本当に「大ファン」だった。今でこそ「タレント」という言葉は、非常に安い言葉になってしまったが、直訳すれば「才能」という意味。この言葉が、本当の意味で当てはまる日本の芸能人は、後にも先にも、この人しかいない。映画・舞台・テレビ・ラジオ・エッセイ・レコード…全てのジャンルにおいて、水準以上の「名人芸」で、笑わそうが泣かそうが、兎にも角にも思うがまま!満州時代と、奥さん・ご長男に先立たれた事を除けば、ここまで順風満帆の人生を送ったスターは、ある意味前代未聞だろう。やることなすこと大当たりで、文化勲章を筆頭にあらゆる賞を総なめにし、地位と名誉と財産を全て手に入れ、家族にも恵まれた上に、最期は殆ど苦しむことなく96歳で大往生!すごい!!こんなに羨ましい人生が、他にあるだろうか!美空ひばりにしたって、石原裕次郎にしたって、大スターは大体早死と、相場が決まってるのに!でも…。本当に「巨星堕つ」「昭和の終焉」という言葉がこれほど当てはまる訃報も、他にないだろう。「国会図書館が火事で無くなる」のと同じくらいの、日本の芸能文化の喪失、だと思う。不謹慎な例えだが。思えば小学校の4~5年のころ、土曜日のお昼にTBSでやっていた映画「社長漫遊記」を見たのが、ファンになったきっかけだった筈だ。それまでは、森繁久彌・小林桂樹・三木のり平という人たちは知ってはいたが、「シリアスドラマ」でしか見たことがなかった。フランキー堺もね。そういう確かな演技力のある人たちが、揃いも揃っておバカな演技をするもんだから、あまりのおかしさに涙を流して笑ったのを、よく覚えている。それから20年、名画座やBS・CSで映画やドラマを追い掛け回し、録画しまくり、見続けてきた。好きな映画も、ドラマも、歌も、佃煮にするほどある。どれが好きかなんて、そうそう簡単には選べない。「ずっと生きている人」だと、本気で信じていたのに。同じ時代に生きて、同じ都内で、同じ空気を吸って生きていることが、自分の中で誇りだったのに。体力が衰えて、半分引退状態になっても、森繁先生が「生きている」こと自体が、喜びだったのに。やっぱり森繁先生も、人間だったんだな…。いつか、こういう日が来ることは解っていたけども、せめてあと4年、「3桁」まで行って欲しかった。今頃は、古川ロッパ・芦田伸介・三木のり平・伴淳三郎・加東大介・フランキー堺・有島一郎・山茶花究・ハナ肇・植木等・藤岡琢也・松山英太郎などなど、友人や仲間、後輩の面々に言われてるんだろうか。「全員見送って、最後に『社長出勤』?」と(笑)。とにかく、本当~~に長い間、お疲れさまでした!楽しませていただいて、有難うございました!天国で、ゆっくりお休み下さい!
2009年11月11日
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久々に、身を切られるような辛い訃報を聞いた。古今亭志ん朝・いかりや長介・植木等という各氏の訃報と同格の、非常に大きなショックを受けた。落語というものを4歳の、まだ幼稚園児だった私に初めて知らしめてくれたのは、今も続く日テレの「笑点」。今の今まで、毎週殆ど欠かさずに見続けている、数少ない番組だ。私は昭和54年生まれのため、家元の司会は勿論のこと、圓楽師匠が回答者だったことや、歌丸・小圓遊両師匠の罵倒合戦の時代も知らない。三波伸介司会の、本当に終わりの頃のギリギリをうっすら覚えている程度が、個人的なこの番組の最古の記憶。明確に覚えている最古の記憶は、圓楽師匠が司会で、ピンクの着物が古今亭朝次(現・桂才賀)師匠で、座布団運びは、まだ山田隆夫ではなく、松崎真…というメンバーの時代。たぶん昭和58年の終わりか、59年の頭くらいではないだろうか?このメンバーだったのは。おぼろな記憶だから、間違っているかもしれないが、まだ圓楽師匠の着物が、紺色ではなかったし、並び順も後年とは全然違っていたような…?まだ、この頃は「笑点」は40分番組だったから、前半は演芸が2本だったり、圓楽師匠が薀蓄を語る「よろずガイダンス」(だっけ?)があったり…。たまに、小さん・志ん朝・柳昇といった師匠連が、20分間、ちゃんと落語を聞かせてくれるときもあり、そういうときは、テレビにかじりついて見ていた。志ん朝師匠の「酢豆腐」を聴いて、大笑いした記憶もしっかりある。小学生のときだったと思うが…。でもまあ、つまるところ、どうしても「笑点」イコール「圓楽」という方程式が、頭の中で固まっている。歌丸師匠の司会も好きだし、昇太・たい平という若い血が(さほど若くないけどね)大喜利に入って、今の「笑点」は非常にいいと思う。しかし、何というか、いつまでたっても…「今は臨時の状態」…という感じで、毎週見ている自分がいるのだ。圓楽師匠、噺家を引退して、様々な病と闘う日々を続けていることは知っていても…「またいつか、圓楽司会の笑点に戻る日が来る」…と、心の片隅で僅かに思いながら、見ていたような気がしてならない。何となく、あの顔を毎週見ないと落ち着かない。それほどまでに、圓楽師匠の存在は自分の中で大きく、また「噺家の代表格」として、刻まれていたんだな…と、今さらながらに強く思う。だから、私はこんなにショックを受けたのだろう。圓楽師匠の生の高座は、3回ほど観ることが出来た。ひとつは忘れてしまったのだが、もう2回は明確に覚えている。4年前の5月31日の新宿末廣亭「明日の寄席」のトリで聴いた「中村仲蔵」。もうひとつは、よみうりホール「東西落語研鑽会」で聴いた「浜野矩隨」。2席とも…私がたまたま「いい高座に当たった」からかも知れないが、渾身の一席、という感じで、素晴らしさに感動したのを、今も記憶している。特に「仲蔵」は、圓楽師匠が27年ぶりに末廣亭に出演!ということで、大騒ぎになった余一会で、2階席の隅のほうで、小さくなって見てた(笑)。なんせ、夜の部の当日券を目当てに、朝の5時から(だったかな?)並んでいた人がいたと…(冷汗)。私も本当は、この会は昼夜通しで見たかったのだが、それどころの騒ぎじゃなかった(笑)。で、そのときの「中村仲蔵」だが、客席を一気に自分の空気に取り込むような、力のある語り口で、非常に素晴らしかった。そのとき、何気なく、フッと2階席の階段のほうに目をやると、力強い真剣な眼差しで、高田文夫先生が圓楽師匠の高座を見ていたのが、忘れられない。…談志・志ん朝・圓楽・柳朝・圓蔵という東京落語ビッグ5のうち、存命は「歌謡合戦」のコンビのみになってしまった。一昨日は、談志門下の文都師匠も、49歳という若さでガンに倒れた。文都師匠は、今年3月31日・新宿末廣亭の余一会で元気な高座を見ていただけに、一層ショックだった。いちばんの親友と、弟子を同時に失った、家元の心中は、察するに余りある。本当に辛いと思う。最後に圓楽師匠、本当にお疲れさまでした。落語と闘い、晩年は病魔と闘い、本当にお疲れだと思います。ゆっくりお休み下さい。あの世には、名人上手が大勢おりますし、三波伸介・小痴楽・小圓遊・つば女といった、元笑点メンバーも待ってますよ。私もいつか死ぬんで、そのときは、天国名人会で「浜野」や「野ざらし」、「町内の若い衆」あたりを是非とも聴かせてください。家元は、まだまだ、そちらには行かせませんからね!当人が「行く」っつっても、無理矢理引き止めますから!
2009年11月01日
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