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今日、「ブラックジャック」を観ていて思い出したんですが、むかし、「鉄腕アトム」もどきの「ジェッターマルス」ってアニメ、ありましたよね? 誰に訊いても「知らない」って。 確か、手塚プロが海外へ売り込むために造ったとか、放送権なんかの関係で「アトム」にできなかったとか、そんな事情を聞いた覚えがあります。 でも、「ブラックジャック」を観ていて、なんでそんな話を思い出したんだろう?
2005.06.27
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最近は、汽車旅が静かなブームのようで、某テレビ局なんかもよく「各駅停車の旅」なんてよくやってますね。あんまり観てませんけど… 「新幹線や特急の旅ではなく、鈍行列車で行く旅がいい」という気持ちはわかりますが、はたしてそう言い切れるのか、私は疑問です。 まだ、東海道新幹線の「のぞみ」が1時間1本運転の頃、仕事でよく新大阪-東京を往復しましたが、そのときは、決まって100系ひかりのグリーン車2階席を好んで使っていました。 ディスカウントチケットを使えば、会社から出る普通車の交通費に少し足すだけで利用できましたし、あの静かでゆったりできる空間は、大好きでした。 とくに帰路、ビールで一杯やりながら弁当を食べたり、食堂車がある列車なら立ち寄ったりと、楽しい時間を過ごすことができました。 同じようなことが近鉄名阪ノンストップ特急でも言え、大阪鶴橋から名古屋まで、2時間もの間ノンストップで人の動きが少なく、ゆったりしたデラックスシートは、特別車両料金を負担するだけの価値はあると思います。 鈍行列車の旅は、なかなかいい雰囲気をかもし出してくれるようなマスコミの取り上げ方ですが、平日の朝夕は、通勤通学で混雑することも多いですし、最近は、ローカル線では、列車の編成が短くなっているので、高校生の大群に呑まれ、ヘイエキしてしまうこともあります。 混んでいれば、飲食もままなりません。 もっとも、そういう事態を避けるため、乗車する時間帯や区間、乗り降りの多い駅の検討をつけ、どこから乗れば座れるかなど、いろいろ考えて旅程を組むのも楽しい作業ではありますが。 車両にしても、ローカル線用の新型気動車や電車が増え、都会の通勤列車と変らないロングシートやエアコンは当たり前だし、都会で使用されている古参の通勤電車より性能がよく、きれいな車両も珍しくありません。窓も開かない車両も多くなりましたし…。 ステンレスの新型気動車、ワンマン運転は、本数の少ないローカル線ほど、ほぼお決まりのパターンですし、むしろ、幹線系の普通列車の方が、古い車両が多かったりします。 100系新幹線、近鉄名阪特急アーバンライナー、いずれも、スピードが売り物の列車ですが、車内は、決してあわただしいものでなく、ゆったりとした時間が流れています。 山陽新幹線の「こだま」にしても、最高速度220キロでありながら、いつも空いていることもあって、車内は在来線の特急よりものんびりした時間が流れているように感じます。 とはいっても、もちろん、美しい風景を見ながら走るローカル線の普通列車は、生活感あふれる空間ですし、汽車旅の良さを味合わせてくれる存在であることは間違いありません。 鈍行列車の旅だから旅情がある、特急や新幹線にはない。そんな型どおりの見方ではなく、いろんな角度から、いろんな列車の魅力を感じながら利用すれば、たとえ通勤や用事での移動であっても、鉄道を目的とした旅、しない旅に関わらず、鉄道の旅の楽しさが増し、旅の楽しさが増すように思います。
2005.06.26
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石だか岩だか知りませんが、税調会長が「日本社会の核、サラリーマンにがんばってもらわねば」と、しきりに会見で言っておりました。 はぁ~?がんばって給料が増える時代ならいざ知らず、いろんな手当てをカットしたり、残業代を貰うこともままならない今の情勢で、どうがんばっても、サラリーマンが給料を上げることは並たいていのことではない。 いわんや、中高年の自殺者や過労死の増加している今、もっと犠牲が出るほどがんばれと言うことでしょうか。この税調会長さん、頭はいいか知らんが、なんもわかってないですね。 こんな人が税調の会長やってんですから、税制改革も、財政再建も無理ですね。 どう見たって、今、頑張りの足りないのは、コストダウンばかり考えて労働者の負担増もいとわず労働環境を守れない企業経営者であり、不正や自己保身の蔓延する役所の偉いさんたちであり、国民が希望を持つ将来の日本のビジョンを示す事ができない政治家たちでしょう。 個人だって、家庭だって、会社だって、収入が不足すれば、モノを買うのを減らそうとか、いろいろ支出を抑えることを考えるのに、結局高速道路は全部造る、新幹線も造る、ダムも造る、郵政を民営化して簡保や郵貯を外資に売っぱらって国民の財産をないがしろにする、今までの数々の税金の無駄使いは誰も責任を取らない… その上、大増税…。日本だからまだおとなしくしているけど、他の国なら暴動モノですよ。 国民に負担を強いるなら、理解を得られる政策が必要だし、これ以上の負担に耐えられる人たちは、ほんの少数の人たちでしかない。 国や自治体を支える公務員たちもサラリーマンですよ。その人達も含め、国民の生活が崩壊したら、石さん、政治家のみなさん、役人のお偉いさん方、永遠に恨まれますよ。
2005.06.21
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最近はめっきり減りましたね、テレビの時代劇。 勧善懲悪、ワンパターンなど、いろいろ衰退の原因は言われて久しいですが、おじさんとしては、しぶめの時代劇が見てみたいと思うのです。 「水戸黄門」や「必殺シリーズ」「遠山の金さん」のように有名な人気時代劇のシリーズは、今もよく話題になっていますが、むかしは時代劇の番組数も多かったので、マイナーな時代劇もありましたね。 若者を狙って作られた「騎馬奉行」、必殺シリーズに対抗したのか、屋形船が空飛んだり、山奥に屋敷の部屋のセットを作って悪人を騙して退治するなど、からくりを駆使した「隠し目付参上!」、石ノ森章太郎原作の「風鈴捕物帳」、なんと下駄を武器に悪人を退治する医者が主人公の「暴れ玄庵」(ひょっとすると題名が違うかも)… 真田幸村が悪人退治する「風雲真田幸村」は、北大路欣也ふんする幸村の決めゼリフが「真田は日の本一の兵(つわもの)ぞ」って、それは、大阪の陣の後で敵方だった島津に兵が言った言葉でしょう(^^; 「てめぇら人間じゃねぇ!たたっ斬ってやる!」の「破れ傘刀舟悪人狩り」に続く「破れ奉行」は、悪人の屋敷に漕ぎ手が二人ついた大きな船で行くって、目立つし、第一悪人の屋敷って、必ず堀や川の脇にあったんかなぁ? まあ、番組を知らない人にはなんのことやらという感じの話ですが、むかしは、時代劇が毎日見られたというオジサンのたわごとです。
2005.06.21
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過去に撮った写真を進まぬながら、ボチボチ整理をしています。そしたら、ちょうど20年前、1985年に福知山線の列車を撮った写真が出てきました。 当時の福知山線は、尼崎-宝塚間は電化されていましたが、それ以北は非電化単線で、1986年の電化を前に工事がたけなわでした。 この頃の福知山線は、大阪-宝塚間でも普通列車が1時間に2本程度、宝塚-篠山口間が1時間に1本あるかないか、篠山口-福知山間は2~3時間に1本という感じで、大阪-宝塚間には103系電車が使われる他は、ディーゼルカーと客車列車が走っていました。 客車列車には、旧型客車と呼ばれる車両が多く残っていました。 旧型客車は、大井川鉄道でSLに牽かれている車両ぐらいしか、今は残っていませんが、扉は自動ではなく、走行中でも開けたまま走っていることも珍しくありませんでした。 大阪駅に福知山線の客車列車が入ってくると、まだ停車前に飛び降りる乗客も多く、駅や車内の放送で、「危険ですから飛び降りないでください。完全に停まってから降りてください」と、繰り返し注意を促していました。 大都会の真ん中、大阪駅に、時には10両もの長い編成になる旧型客車列車が入ってくる姿は、つい20年前までのことだったとは、今の大阪駅を見ていると、想像するのも難しくなりました。 1985年3月、旧型客車が福知山線から消えることとなり、撮影に出かけました。 3月始めには、旧型客車と赤い50系客車で福知山線の客車列車は運転されてましたが、置き換えられる青い12系客車がすでに少しずつ入っていて、結局、旧型客車には、2~3本しか出会えなかったと記憶しています。 1985年3月から翌年11月まで、12系客車が福知山線で見られますが、1986年11月の国鉄最後のダイヤ改正で、福知山線全線が電化され、113系改造の800番台が同時に電化された山陰線の城崎まで走るようになり、客車列車は大阪駅から消えました。 同時に宝塚-新三田間が複線化され、武庫川に沿って走っていた生瀬-道場間はトンネルによる新線に切り替えられました。 この時でも、福知山線の1時間あたりの普通列車は、3本程しかなく、そのうち2本は、新三田折り返しでした。 20年前、1時間に3本程度しかなかった福知山線の列車本数は、今では、快速6本、普通4本と、3倍以上になっています。 今日、その列車群が尼崎-宝塚間に復活しました。 阪神大震災時の復旧とは異なり、複雑な心情の中での復旧ですが、事故に対する充分な補償をすることと共に、福知山線の輸送力増強を図った結果、沿線の宅地化などで増えた利用者を安全に運ぶ義務がJR西日本にはあると思います。 私の自宅の窓から、宝塚方面からやって来る、あるいはそちらへ向かう電車が行き来するのが見えます。 改めて事故の犠牲者の方々のご冥福を祈ると共に、二度とあんな事故が起こらないことを祈っています。
2005.06.19
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動物は好きなんですが、環境やその他の理由で、過去に小鳥を飼った以外、ペットを飼ったことはありません。 うちのヨメさんも、私も、犬が好きなので、飼いたいとは思うのですが、共働きでは、なかなかそういうわけにもいかず、犬を飼うのは、今のところ夢です。 好きとは言いながら、私は、犬種に疎く、今人気の犬の種類などもよく知りませんが。 飼ったことはないのですが、今までに印象に残っている犬が3匹います。いずれも白い犬ですが、犬種はわからないまま、その3匹の犬の姿が今も心に残っています。 もう30年も前の話になりますが、親戚の家に白い老犬が飼われていました。当時、野良犬が結構街をウロウロしていたり、子供が犬に噛まれることもよく耳にしましたが、放し飼いになっている犬も多く、この親戚の家の老犬もそうでした。 すでに13才になっていましたが、実に自由に過ごしていて、私が訪ねると、ほどほどに相手をして遊んだり、飼い主の伯父さんや従兄弟たちにじゃれているかと思えば、土間のかまどの前で昼寝をしたり、私たちを気にするでもなく、ふらりと外へ出て行ったりしていました。 とくに、夜は、家で姿を見た記憶が少なく、どう過ごしているのか、夕方頃に姿を消し、朝にフラリと帰ってくるというような生活をしていて、たまに何日か姿を見ない時もありました。 それでも、伯父さんや伯母さんが農作業をしていると、そばで遊んでいたりしましたし、餌も与えられていたので、飼い主の対するそれなりの認識はしていたようです。 何かの機会に従兄弟に会ったとき、死んだことを聞かされましたが、さしてよく遊んだわけでもなかったのに、たいへん悲しかったことを覚えています。 15年程前、冬の寒い夜10時ごろ、帰宅途中、駅から歩いていると、私の前20mほどのところに黒っぽいワゴン車が停まりました。 と、ワゴン車のドアが開いたと思うと、白いモノが人間の手で表に差し出され、白いモノを道に降ろすと、車のドアが閉まり、白いモノを残して車は走っていってしまいました。 近づいて行くと、白いモノは、小さな白い子犬でした。 どうやら、私の目の前で捨てられたようです。首輪もなく、悲しげな目で私を見上げていました。 この頃、私はひとり暮らしでしたし、朝早く出勤し、帰宅も遅く、犬を飼える環境にもありませんでした。 ヘタにその子犬を抱き上げたりしたら、そのまま情が移ってしまうので、とくに気のないフリをして歩いていたのですが、子犬はずっと足元をついて来ました。 家に着き、玄関を空けて振り返ると、あの子犬が寂しそうに私の方を見ていました。 中に入れてやりたい気持ちが強かったのですが、心を鬼にして、そのまま玄関の戸を閉めました。 しばらくして外を覗くと、まだ子犬がいました。地面を鼻で嗅ぎながら、ウロウロと歩き回って、時折顔をあげる姿が、今も思い出されます。 翌朝、出勤するときは、すでに姿はなかったのですが、一晩でも家に入れてやればよかったとか、何か他にあの子犬の世話をしてやる方法があったのではないかとか、今でも悔やむことがあります。 それにしても、あの寒空の下、車から道端に子犬を捨てるという行為が今も信じられません。ただ、寒空の下に犬を放っておいたのは、私も同じなので、その人を責める資格は私にはありませんが… 今の家に引っ越してきた当初、駅までの道で行き帰りに少し毛並みの乱れた、あまりきれいにされていない白い老犬をよく見かけました。 いつも、車が通れない道とはいえ、人や自転車が結構行き来する道の真ん中に座り込み、時には寝そべっていて、人に関心をほとんど示さず、たまに横を通ると、まぶしそうに、大儀そうに目をむけてくることがあるくらいでした。 首輪も鑑札もついていたので、れっきとした飼い犬なんでしょうが、飼い主らしい人と一緒にいる姿を一度も見かけたことはありませんでした。 のたのた歩いている姿を見ても、あまり動きがよくなく、かなりの老犬であることはわかっていましたが、去年の終わりごろから姿を見ることはなくなりました。 可愛げのない犬ではありましたが、いつも見かけていただけに、姿が見えなくなった当初は、寂しく感じました。 きれいにはしてもらっていなかったようですが、自由に過ごしていたので、彼は、それなりに幸せだったかもしれません。 偶然にも、3匹とも白い犬でしたが、子犬以外は雑種のようでした。 犬は、特に最近の室内犬や人気のある犬種は、人がいないと生きていけません。 犬と散歩する人を見て、犬が本当に楽しそうにしていると、こちらも楽しくなれるような気がします。そんな犬と飼い主さんがもっと増えたら、いいと思います。
2005.06.12
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今月から近鉄の車内放送が「次は鶴橋でございます」から「次は鶴橋です」の変りました。 関西では、おおまかに、JRが「○○です」、私鉄が「○○でございます」でしたが、親しみを増すためか、しゃべり難いのか、「です」派が増えてきたようです。 まあ、たいした違いはないのかもしれませんが、より丁寧な「ございます」の方が好感が持てるのですが…私個人的には。 近鉄は、「みなさん、近鉄をご利用くださいまして、ありがとうございます。この電車は、奈良行の急行でございます。次は、布施、布施でございます」といった感じで、「みなさん…」と呼びかけるのも特徴でしたが、それも最近、あまり聞かれなくなり、他社との変りがなくなってきて、これも残念に思います。 最近は、車内に案内装置が付くようになってきましたし、車内放送は自動化、簡素化の方向にあるようにも思います。 まあ、正直、聞き苦しい肉声の車掌さんもいますが、でも、個性的な上手な車掌さんの案内放送に出会うと楽しいし、関西では、関西弁のイントネーションの強い車掌さんもいたりして、それはそれで良いと思うんですけどね。
2005.06.10
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日本は、国連で常任理事国になることをめざしている。 うん? なんで、今頃、降って湧いたようにこの話が出てきたか? 日本では、あまり認識されていませんが、イランとイスラエルの対立を中心に戦争の危機が強まっています。 イラクで犯したした過ちを繰り返さないため、アメリカとしては、今度こそ、国連軍として多国籍軍を編成し、この戦争に介入する腹づもりだと思います。しかし、どう考えても「手」が足りない。猫の手も借りたいアメリカとしては、日本を常任理事国にして、自衛隊を多国籍軍に加えたい。 今回の話は、ここから出ているように感じます。 日本は、中東で戦争をするいわれはまったくないし、何のために中東に兵を出さなければならないのか、その答えはどこにもない。 今は、常任理事国なんてなる必要はない。ひどい目に遭いますよ。 アメリカは、ついにイラクからの撤退計画を検討し始め、今年12月にも撤退の方針とか。他の国は、すでの続々とイラクから撤退している。自衛隊も早く帰らないと、危険では? 世界一の軍事力を誇るアメリカが、イラクでは、ついに敗北する。軍事力って、何なんでしょう? そもそも、朝鮮戦争でも、ベトナムでも、ソマリアでも、アメリカは勝っていない。 イスラムの人々の主張は、実にわかり易く、アメリカが中東から出て行くことを要求している。アメリカの言うように、世界を脅かすような国は、ほんとうに存在するのかどうか。 アメリカ型の「民主主義」を押し付けることが中東の国々のためになるとは思えない。 いづれにしろ、アメリカは、イラク、アフガニスタンから、中東から撤退するしかないのではないでしょうか。
2005.06.10
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藤井寺市の市民まつり「しゅらまつり」で、藤井寺球場が開放されるとのことで、藤井寺市民でもないのですが、出かけてきました。取り壊しが決まり、これが最後の球場開放とのこと。近鉄バファローズのファンとしては、寂しい限りです。 この球場、昭和3年生まれと、近鉄球団誕生の昭和25年より、20年以上も前なんですよね。でも、ナイター設備がなく、郊外で集客に不利ということで、昭和33年から大阪市内の日生球場を借り、こちらが近鉄のフランチャイズとなりました。 昭和47年ごろから藤井寺球場のナイター設備工事が始まったんですが、周辺住民の反対で訴訟となり、工事差し止め。決着がついてナイター設備が完成したのは、昭和59年でした。 工事が中断され、鉄塔が照明器を取り付けられないまま、立っていた光景は、今でもよく覚えています。 今日は、市民まつりということで、グランド内でもいろんなイベントが開かれ、多くの人で賑わっていました。 ホームベース、マウンド、ブルペン、ベンチ。グランドをウロウロしながら、観客席やスコアボードを眺めると、きれいなドーム球場を見慣れた目からすると、以外と狭く感じられ、老朽化した姿は痛々しいほどでしたが、上手く表現できませんが、土の臭いがするというか、野球がより身近に感じられるような雰囲気が残っているようでした。 1979年の江夏の21球、1988年の10.19対ロッテ戦ダブルヘッダー、翌年のブライアントの4打席連続ホームラン、2001年の北川の優勝決定代打逆転サヨナラ満塁ホームラン…近鉄の伝説になったこれらの試合は、いずれも藤井寺球場以外で行われたものですし、近鉄の本拠地としての期間も長くなく、藤井寺球場は、どちらかといえば、不遇な球場だったと思います。 観客は少なかったですが、関西特有のヤジが飛ぶスタンドの風景は、当時のパリーグ野球の豪快さ、野放図さと合わせて、私たちファンには、楽しい場所でした。 西宮球場、大阪球場、日生球場、そして、藤井寺球場… かつての関西パリーグ球団の本拠地球場は、すべて姿を消すことになってしまいました。時代の流れといえば、それまでですが、その「流れ」は、はたしてプロ野球にとって、良い流れなのかどうか、疑問を感じなくもありません。 今日もかつての近鉄のユニフォームや帽子をかぶったファンが数多くいました。近鉄の選手が多く移籍したオリックスや楽天を応援しているファンもいると思いますが、私は、応援する球団を失い、プロ野球に興味を失いかけています。 長い間、楽しい時間をありがとう、さようなら藤井寺球場。さようなら、泥臭く、野放図で楽しかった関西のパリーグ野球。さらば、大阪近鉄バファローズ。
2005.06.05
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