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My father and Uncle are great fans of a famous folk group coming to Japan soon.But when it came to the crunch, they said that they were reluctant of going to their concert although it would be the first opportunity in almost thirty years for Father and Uncle.I asked why -and Father said that he was afraid of seeing their wane since he knew their golden age.Please excuse for his statement -but isn't it too miserable if we think of age like that?Moreover, if they had been only radiating energy of youthfulness in their golden age, would they perform coming back together again and again for about forty years?As they get older, their songs must have grown depth.-In the end, Father decided to go to the concert, though.And Mother and I are going, too!Incidentally-I heard a female singer talking something interesting on TV.According to her, she became her thirties recently.She said that she was looking forward to become her thirties when she was in her twenties.She explained the reason that some people suspected that she was lying about her age when she was in her twenties -now she's become age-appropriate.Her backgronds aside, she thinks of getting older very positively -at least I felt so.And the story of her song on that day was: Your real fortune is hidden in your soul and no one can ever steal.-I wonder how to introduce this song better.◆ :Ready to place summery if asked
2009.06.30
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6月25日にマイケル・ジャクソンが亡くなりました。King of Popsとも呼ばれる彼の偉業については述べるまでもないとして―・私にとっては、James Brownに続いて渡英中の思い出深い曲の主がこの世を去ってしまいました。 (2006.12.29および2008.11.16参照)「Don't Stop Till You Get Enough」がライブパフォーマンスの授業の課題曲だった週があり、この日はドラム専攻のクラスの人達が色んなパーカッションを持ってきて、にぎやかな授業だったことを思い出しました。・2008年6月28日のSaltish Night in Osakaの会場は、今は閉鎖中のフェスティバルホール。 (2008.6.29参照)Skoop On Somebodyとorange pekoeの「Heal the World」(原曲がマイケル・ジャクソン)の途中、私も一瞬、「フェスの音楽の神様」が現われたのではないかと感じました。佐藤竹善さんのラジオでマイケル・ジャクソン特集があったとき、改めて聞くといい曲がたくさんあると思ったことが―曲のパワーとステージのパワーが混じり合って音楽の神様を呼び出したのかな、と半ば勝手に振り返っております。・他にも「You Haven't Done Nothin'」(スティーヴィー・ワンダー)の訳詞作りで"ジャクソン5が一緒に歌ってくれるよ"となるフレーズにどんな日本語を乗せるか案外悩んだこととか(後にこの訳詞曲がなぜかデモテープオーディションで妙に受けて合格、このスティーヴィーの名曲に足を向けて寝られない―2009.5.30および2009.1.23参照)、「We Are The World」が中学校の英語の教科書に載っていたとか、手繰ってみると大なり小なり、思い出があります。それだけ彼はたくさんの人に親しまれ注目されてきたということですね―合掌
2009.06.28
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(About him: See Sep. 27, 2007 first)Hironori Okano started to write songs and performing on streets in his high school years.His sense as a songwriter was highly appreciated, and he collaborated with Chikuzen Satou for "Gratitude" in Chikuzen's album "Indigo" before he made a debut. (See Aug. 6, 2007 and Jun. 5, 2007)"Gratitude" is included as a bonus track in this album, performed with SALT&SUGAR, a duo of Chikuzen and Satoru Shionoya alias SALT.He made a debut with a single "lemonade" on Oct. 24, 2007.This song was played in heavy rotation on 25 radio station.His appeals are simple; high sense as a songwriter -shown by "photograph"-and peerless voice -shown by "ashidori" (steps)-.Songs in this album show the basic and elementary appeals of music; good music and good songs.He expresses straight affection with lucid words; especially in "sekaide dareyori aishiteru" (I love you more than anyone in the world).This might be shown also by the fact that there is no mixture of Japanese and English in this album, while different languages are jumbled up in many recent Japanese pop songs.At present, Okano is going through various live performances.In this April, he went on tour performing on streets.He has always placed importance on relationships with people as a musician, and wishes to keep on expressing emotions elicited by encounters with various people with his songs.November 5, 2008 Universal J UPCH-9443 (Translation: Unable-to-think-up-handle)◆ :Ready to place summery if asked
2009.06.23
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こんな行動・シチュエーション・物・場所で泣いたことがあるなら○、半泣きなら△、ないなら×を。小説→○漫画→△ドラマ→× 映画ならゲーム→×ドラマ挿入歌→×職場→△学校→○ 小学生のとき結構道端→×店内→×飲食店→×ライブ→○BAR→×音楽→△歌いながら→×人の言葉→○緊張が解けて→○乗り物の中→×夜明け→×家族の前→○友人の前→○恋人の前→知人の前→○上司の前→×同僚の前→×辛さ→△痛さ→○眼強打→ (覚えていない)むせる咳→△アレルギー→×飲酒中→×飲食中→×食べ物が美味しくて→×昔を思い出して→○怒られて→○怒りすぎて→○ブログ書いてて→○ 西脇辰弥さんやSALTさんの面白CG・写真に笑い泣き。あとブッチャー浅野さんの訃報もブログをつけているとき知って―泣き崩れた。 おまけ
2009.06.21
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曲名など違ったらすみません。あやふやな部分、メモが追いつかなかった部分および敬称略(2009年6月14日 at神戸チキンジョージ)【前半】小池修・本田雅人・勝田一樹、サックスのアカペラバトル 「サックスのためのソナタ十八番」"こんばんは・・・SAX Triangleの皆さんです""いきなり超全開で・・・"11年前のSAX Triangleの話"あっという間に11年" しかし再開にあたりブランクは感じず勝田は小池と出会って20年"まだ始まったばっかりですから・・・徐々に面白い話を""今日はたくさん曲があって・・・おしゃべりどころじゃない"東京で一昨日(6/12)、でも今日のほうが曲数が多い小池"今日のために新曲を書いてきた"11年前をイメージしてSAX Triangleのために書いたという「Old Fusion」→メンバー紹介ギター:梶原順 キーボード:佐藤雄大 ベース:川内啓史 ドラム:田中栄二勝田(KK JAM)の曲 "KK JAMでは手を抜いていたハーモニーを入れてみました"「オブセッション」"KK JAMよりかっこよくできました""KK JAMではハモれないんですよね?""お客様のおかげですよね?"小池"サンバというかボサノバの曲―少しの間だけ南国に行っていただきます""僕たちもちょっと中休み" 「リオ」"ここは本当は曲続き" 次も勝田がハーモニーをつけてきたという「Moment」"今までで一番いい演奏ができました""1部最後"小池が「SOURCE」で作った―"SOURCEは解散していないがリーダーが怠けてる"石川雅春が曲のタイトルを考えているという話→X JAPAN解散コンサートの映像からインスパイアされたとかいう曲「ブロークンヘッド」【後半】1部は激しい曲ばかりだったので"極端にバラードを"ただ"3人一斉にというのはどうか"ということで、お互いの曲を持ち寄りシャッフル勝田が小池の曲「PS Thank You」本田が勝田(DIMENSION)の曲「ステラ」小池が本田の曲「マイバラード」 メドレー"あとはずっとやかましいのが続きます""たまには他の人の曲も楽しい"でも"多分、元のほうが良かったと思います"→サックスのためのソナタ十八番はもう一つあるが、1とは違いテーマは「輪唱」―"一人こけると皆こける""ずっこけたら手を挙げてやり直し"「サックスのためのソナタ十八番 第2章」"無事終了いたしました""出来ちゃいました""いつやるか分からないので、もう、ずっこけるチャンスもありません""またやりましょう"SAX Triangle再開は勝田が忙しくて"2回位失敗に終わっている"夏はあるバンドのツアーもあるので"冬にやりましょう"勝田の新曲。ジャフロサックス(ロンドンでリリース)の「リバース」→「フォギー・フォレスト」小池の曲。本田"変な曲ですねぇ" 小池"ケルトミュージックのイメージ"→"東京だけでもよかったんですけど・・・"東京公演があった6/12は、3人が何かとお世話になったベーシスト・青木智仁の誕生日かつ命日。たまたまその日にメンバーのスケジュールが合った―彼らがその日を狙ったのではなく―その日にと青木が仕組んだ? "あの人は仕組むのが好きだった"神戸でもよく飲んで、エピソードには事欠かず・・・という話青木にとっても神戸は"第2のふるさと"→彼の2枚目のアルバムより「Finger Tough」→「(?)」【アンコール】"SAX Triangleとしては初めての遠征"本田"僕と栄二は明日もやってます"→「ポーク」"長い、長いライブこれで終了です。ありがとうございました"小池さんが1997年のSING LIKE TALKINGのライブツアーに参加していたのは知っていたものの、本田さんもDIMENSIONも聞き始めて日が浅いし、全く初めてだったメンバーもいます。その点では冒険だったのは確か。この3人がトークでこんなに笑わせてくれるとは―予想以上でした。「フォギー・フォレスト」はMichael Gettelの「Places in Time」(2007.7.12参照)の曲に雰囲気が似ているような―これと「Moment」がその日のお気に入りに。また、blues.the-butcher-590213以来久しぶりに味わいました―ステージからの、ものすごいエネルギーに"酔ってしまう"という感覚。(2008.9.8および2008.9.21参照)そして―FOUR of a KIND以来、青木さんの曲を初めて生で聞けたことで、少しふっ切れた気がします。(2008.11.14および2009.6.12参照)ある思い付きから「Risa」をピアノで弾けるかと五線紙とにらめっこでアレンジを考えていて、当時は青木さんを送り出す曲になったことを知って以来15秒以上聞いていると涙が出そうになっていたのにこの作業はむしろ楽しんでしまっているのはなぜだろう―と気付き、なぜか"この曲の主は死んでしまったけれど曲は生き続ける"―では"生きている曲とは何だろう?"という考えが浮かびました。後に竹善さんの言う"音霊"に当たるものに気付くことにつながる前に、まず頭に浮かんだのがJとBがこの曲をカバーしていることですが、この時点でそのJとBのブッチャー浅野さんが亡くなってしまうとは知る由もなく・・・―それで特別重要な曲に「Risa」をカウントしているのですが― (2008.11.16および2009.5.31参照)今回は曲だけでなく、ミュージシャンスピリットも生き続けると感じることができました。青木さんのライブの思い出は少ないままで、新しい音をもう聴けないのは残念ですが、好きなミュージシャンつながりで未知の音楽の世界を知っていくのは、やはり楽しいものです。6/12にメンバーが揃ったのは青木さんが仕組んだのか、などと3人は語っておりましたが、この3人+梶原順さんの共通点が青木さんの「Experience」に参加だと気付いてはいました。5月中旬、しばらくぶりにそのアルバムを聞いた日、入ったコンビニで「Finger Tough」が流れていた(ただ、いわば不意打ちだったので最初DIMENSIONと勘違い)のを、行けというサインと受け取ってその日のうちにチケットを購入。(2009.5.15参照)そして神戸でもこの「Finger Tough」を演奏してくださったことから、今回は青木さんが招いてくれた―と思いたいです。
2009.06.16
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2009年1月12日にDIMENSIONの「6th DIMESNION"Live"」を「Favorite」に載せた際、なぜDIMENSIONの中からこのアルバムを載せたのかと、下3分の1を読むまで首をひねった方もいらっしゃるかもしれません。昨年12月、全く初めて行ったDIMENSIONのライブで最新アルバム2枚が世界配信決定と聞き、そのサイトを探していました。 (2008.12.8参照)このときに、このアルバムに参加した青木智仁さんがこのアルバムのことを語っている映像を見つけてしまいました。それで、3年目の命日かつ本来なら52回目の誕生日となる今日まで待とうかと一時は思いましたが、ちょうど月命日の1月12日に載せた―というわけです。「Double Face」の「With A Little Help From My Friends」で青木さんの歌声を聞いたとき、変なたとえでしょうが"チェロの音のような歌声"と思ってしまいました―が、青木さんの話し声をどうしても思い出せずにいたのを、この映像でやっと聞けました。 (2007.9.21および2008.8.8参照)一緒に見つけたDIMENSION「Beat#5」や超絶ベースソロの映像には思わず見入ってしまいました。まだ映像は見られないというファンの方も、もしかしたらいらっしゃるかもしれません。ただ私にとっては、どれも貴重な手がかりなのです。とはいえFOUR of a KINDの映像を見る勇気はまだありませんでした。実のところ、SING LIKE TALKINGサイドとのタッグが少なかったこともあって、青木さんがどういう方か知ったのは遅く、21世紀になってからFOUR of a KINDまで待つことに。(角松敏生さんのライブに母と行っていた頃は、どういう人がどんなつながりかまだ分かっておらず、佐藤竹善さんの「Cornerstones」に参加していると知ったのはリマスタリング盤リリースを機に入手したとき)その分、残念ながら思い出自体が少ないし、青木さんのプレイの素晴らしさやお人柄も十分分かっていないままで、当初は少なからず悔やんだのも事実です。一方で、「6th DIMESNION"Live"」や、本田雅人さんの「What is Fusion」を聞いて、青木さんのベースの魅力はやはりライブパフォーマンスだな―と改めて思うなど、遺してくださった名演奏の魅力は色褪せることはないと確信するのも確かです。星野道夫写真展で「かけがえのない者の死は、残された者にパワーを与えてゆく」という語録を見て、思わず青木さんのことを連想してしまったことが。間違いなくブッチャー浅野さんもそうだと思います。―だんだん、そちらのほうを自然に信じられるようになってきております。合掌
2009.06.12
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As reported, new flu broke out in Kobe and Osaka in mid-May, and schools were temporary closed, and it affected to school trips, too.It's already started to decline, and school trips have been resumed.However, some people and media seem to treat the areas where new flu occurred like polluted zone.I also heard the news that there are anonymous e-mails and phone calls to schools telling not to come, and students on school trips are calumniated that they spread virus.-And so a program started to teach about correct knowledge about the new flu.I think this should be taught across the country -or adults must learn, first of all!I suspect that people's reactions to unknown diseases haven’t changed...-I might need to be a psychologist if I try to mention furthermore, so that's about does it for.(See also May 1, 2009)◇ :Ready to place translation if asked
2009.06.09
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読みづらくなったCross Your Fingers13(2009.5.7参照)のライブレポの反省から、今回は前半・後半に分けてみました。あやふやな部分および敬称略(2009.5.31 at大阪城ホール)【前半】ピエロのダンス?で幕開け→オープニング:藤井フミヤ×浜崎貴司(Flying Kids)「トランジスタラジオ」"清志郎さん、いい曲をありがとう!"藤井退場、浜崎"こんなすごい曲が日本にあったのかと思った曲―みんなにも、ラジオで出会った曲はあるはず"FM802の20周年を記念するこの日、"この曲を贈ります"「幸せであるように」<SEAMO>「ルパン・ザ・ファイヤー」"大阪の皆さんこんばんは、SEAMOです―インフルエンザは大丈夫ですか?"FM802開局20周年のお祝いを兼ねて、歌の力で大阪を元気付けられたら・・・360度観客に囲まれていて"試されるみたい" しかも自分では珍しく(?)バンドでのステージ"この曲もいつもと違う感じでお伝えできると思います" 「マタアイマショウ」"今日は失礼のないように失礼をしていきたいと思います"ラジオで新しい曲や世間のニュースを知っていった。それが20年も続くのはすごい。"FM802のキャリアに負けないよう、いい音楽を創っていきたい" 「コンティニュー」<青山テルマ>「そばにいるね」"FM802、20周年おめでとうございます"悩みが多いとき、夜中にラジオを聴くとほっとするし、アーティストとしても、リスナーとの距離を縮められる大切な場所。「何度も」<清水翔太>「Home」彼は現在20歳、ということはFM802と同い年。ということは、人が大人になるだけの年月が経ったということ。その記念のステージに立てるのは誇らしい。「アイシテル」<藤井フミヤ>"(オープニングの後)ヘンに時間があると余計緊張する" 「True Love」「Another Orion」 "10th Anniversaryバージョンで聞いてもらいました"やっとタバコと酒が解禁になる年となるFM802だが、末永く何十年何百年も、いい曲をかけ続けてほしい。→スペシャルバンドのメンバー紹介「タイムマシーン」<平井堅>「Pop Star」"突然お邪魔してすみません"FM802にはお世話になっている。"もう1曲、調子こいて歌ってもいいですか?"カバーアルバムを発表。そこからFM802でもよく取り上げられた曲―ちょっと季節外れだが「白い恋人達」→再び冒頭のピエロ登場 →「Break time」・考えてみたらスペシャルバンドの本田雅人さんは、ライブでは2004年のFOUR of a KIND以来。存在感のあるプレイで要所要所を飾るサックスやフルート、コーラス他、大活躍でした。肝心のFOAKのライブの記憶は霧の中ですが―今度のSax Triangleで何か思い出せるでしょうか? (2008.11.14および2009.5.15参照)・「Favorite」に、紹介し慣れたSLT・角松ファミリー以外も取り上げようと決めたにもかかわらず、こと国内に関しては聴くアーティストが偏っている私にとっては、こういうイベントは何を載せるか決めるヒントになるかもしれない貴重な場です。 (2008.11.26および2008.12.30参照)・それにしてもシークレットゲストが平井堅さんとは度肝を抜かれました。ライブでは初めてでしたが、実に引き付けられます。―いつだったか、バラエティー番組で"一青窈の「もらい泣き」の再生速度を遅くすると平井堅が歌っているように聞こえる"という実験があったのを思い出してしまいました。すみません。(その頃はまだ結構テレビを見ていた―2009.2.10参照)・亡き忌野清志郎氏といえば思い出すのが、あるイベントでバイク(自転車だったか?)に乗って登場するパフォーマンス―あのときがライブを観た最初で最後でした。―というわけで後半に続く
2009.06.05
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*前半・後半とも、曲名が色文字になっていないものは普段は「(?)」で表記しているもので、今回はその場で曲名が分からず後から特設サイトで調べたものです。【後半】<一青窈>"802と802が好きな人が百年続きますように" 「ハナミズキ」"360度・・・すごいなぁ"昨日、大阪の道頓堀にすき焼きを食べに行った話 "いいお店なので是非皆さん行ってほしいな"人が多い、ざわざわした場所が好き。デビューした頃、"あんた知ってる・・・泣き寝入りの人!"と言われた話―てなわけで「もらい泣き」TV番組でカンボジアに行った話貧しい村で、音楽を知らない子も多い。その村の子供たちが中国語や英語の歌を歌いだして、どうして知ったのかというと、隣の村にお金持ちの家があり、そこのラジオから聞こえたのを聞いて覚えたという。ラジオのオンエアなどを通して歌い継げるものは? と作ったのが「はじめて」<小田和正>"どーも、お待たせしました" 「キラキラ」"歌詞を間違えたんじゃないかと・・・ラップの人が途中で間違えたら大変だねぇ"その昔、初めて仕事で大阪に来始めた頃、何度来ても温かく迎えてくれなくて、もう来るのをやめようかと思った―が、ある時、毎日放送で「今月の歌」に選ばれ、地元のアマチュアと演奏。それが、アリスの前の谷村新司だったという。―そしていつの間にか、温かく迎えてくれるようになり、前のツアーファイナルは大阪だった。保険会社のCMソングに書き下ろしたという「たしかなこと」昔は大規模な音楽イベントが色々あり、音楽文化が育まれてきた話当時は皆シャイだが、お互いをリスペクトしていた。"そんな訳で私もコラボ"一人目は"私の弟分"―佐藤竹善、そして一青窈登場"20歳の清水君が生まれた頃作った曲" 「君住む街へ」<松たか子>"FM802、20周年おめでとうございます。お邪魔します"ピーター・ポール・マリー他、色んな人が歌っていて、訳詞は忌野清志郎小田と「500マイル」 →小田退場FM802は支えになっている。初めて自分の声がFM802の電波に乗った曲 「明日、春が来たら」<SING LIKE TALKING>"おかえり~""待ってた~"などと歓声が飛び交う中・・・"帰ってきました、SING LIKE TALKINGです!" 「Seasons of Change」SLTもデビュー21年目、FM802と同じような歩み。とはいえ、ラジオと違い"僕らは5年半ずっとソロ活動をしていました""今回大阪でライブができることを感謝しています"ほぼラジオを中心に活動しており、ラジオのパワーを今も信じている。("この人達誰?"と思っている人もいるだろうが)今回トリなのは"小田の陰謀だと思います"藤田千章"「おかえり」―と言われてうるっときちゃったよ―久々の3人のステージの機会に感謝しています"西村智彦"大変ご無沙汰しておりますです"目下、甲斐よしひろの右腕として活躍、でも"SLTの左腕として末永くプレイしてほしい"FM802には3度、大きなチャンスをもらった。3度目は今日。1度目はアルバム「Humanity」から「Hold On」がヘビーローテーションになったとき。このときラジオのパワーを感じる。―そこからSLTの代表曲が生まれることに。「With You」→SEAMO登場、後奏に合わせてラップで共演 "・・・皆に届け With You!"SEAMOは昔からSLTを好きなアーティストに挙げており、特に「With You」が好きだという。"リスペクトのつながりはどんなヒット曲よりも嬉しい"竹善の素朴な疑問"小田さんって年金もらってるんでしょうか?"ラジオのパワーは、放送の形式などが変わってもなくならないと思う。FM802にもらった2度目のチャンスは、「Spirit of Love」がヘビーローテーションになったとき。普通にリリースされたものの、徐々にオンエアが増え、半年後にヘビロになったという。「Spirit of Love」→ヒロ寺平、マーキー登場"ラジオの良さを改めて分かっていただけたかなと思います""皆さんがあって802がある。これからもよろしく!"→スペシャルバンドのメンバー紹介→出演者紹介→「Radio Soul20」キャンペーンソングで忌野清志郎の書き下ろし「Oh! Radio」RADIO MAGICバージョンライブの模様は6/21(日)7:00PMから特別番組・今回はやはり、これです―「お帰りなさい、SING LIKE TALKING!!」今回はおくら仲間の方がチケットを分けてくださり、全く初めてお会いする方々2人とご一緒でした。誠にありがとうございます。ただ4月から自分のことで手一杯で、ぎりぎりまでこのイベントのことを考える余裕もない状態(Music 10-lineにだけは載せましたが―2009.5.18参照)。その割に、SLTが登場して「Seasons of Change」のイントロが始まったら、3人の中で一番に感極まって涙ぐんだのは私だったかも。というのも―詳細はシェアしないと決め込んでいますが、2003年秋にストレス性の病気になった後、2004年の「RENASCENCE」ツアーが前回SLTのライブを観た最後。そして元気になった後、今回のRADIO MAGICのニュースが飛び込んできました。2006年晩夏までは記憶も不鮮明な"空白の3年半"で、特に情報収集もできていなかった2004年当時の彼らのことは分かりません―が、笑顔で手をつなぐ3人を見て、5年半ぶりということを感じさせない絆を感じました。―と同時に、元気になってこのライブに行けてよかった―という喜びと、この5年以上支えになってくれた方々への感謝もいっぺんに湧き上がってきたのでした。"実はSEAMOが一番影響を受けたのは佐藤竹善"とは竹善さんのインストアライブで聞きましたが、このときはちょっと意外に思えたのは確か。(2007.11.20参照)この日のコラボは、異色に思える取り合わせがかえって楽しかったです。遠征でいらっしゃった皆様、お疲れ様でした。そして私はオフ会には参加しませんでしたが、色々お世話になりました。ありがとうございました。
2009.06.05
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ライブづいていた先週末、順番どおりに載せます。あやふやな部分および敬称略(2009年5月30日 at神戸ウィンターランド)「(?)」「(?)」"皆さんこんばんは、角松敏生です。―弾きながら喋れない" 「You Made It」"改めてこんばんは、角松敏生です"ニューアルバム「No Turns」リリース後、春にツアーを組めず。ミュージシャンのスケジュールが組めず、それでも色んなタイプのライブをやってきたノウハウを活かし、夏の間色んな編成でできる限りライブを―そのタイミングで、ウィンターランド3周年の話が来る"おめでとうございます―よく3年持ちましたね"広島・松坂でもライブだが、ウィンターランドがプロデュース→メンバー紹介"この人達です"ギター:梶原順 キーボード:友成好宏"アコースティックならではの・・・しんみり・・・というか・・・湿っぽい・・・じゃなく・・・しっとりした曲を4曲連続で"「(?)」「(?)」「Live」「(?)」"しっとり4連発でした。明日もやってます"ライブハウスでは(きっちりタイミングを考える)ホールとは違い、つい気が抜けていらんことを喋ったりするが、"自分も大人なので・・・""今日は無事開催できてよかった。ありがとうございました"今回の新型インフルエンザでは、マスコミが騒ぎすぎという面はあるが、マスコミとは騒ぐもの。民放はスポンサーがいるので、ニュースでさえもショーを作らなければならないから。"元気が一番!"最近腹の立つことはありますか?―というと、たいていはあるもの"僕はあまりないですけど・・・"順に振る"細かいことはないけど・・・この話となると地球規模の話になる""そこはさすが、お父さんの血を引いているだけはある"友成に振る"・・・分かりません"角松は最近嫌いなテレビの話―"それだけ最近テレビを見てるってこと""友成好宏&梶原順ショー ―2人にも1曲ずつ歌ってもらおう"友成"ボサノバ「WAになっておどろう」やってもいいですか?"編成が3人だからちょっとシンプル、"ゆるい感じに・・・" 「WAになっておどろう」角松"友成のアルバムの曲で来るかと思ったら・・・"順はホトケ(永井隆)に"ライブで1曲位歌いなさい、そしたらギターも変わるから"と言われ、"はい"ただ、何から始めるか? そこでJ&Bで浅野祥之が歌っていた曲から始めることにしたが、"歌って大変―耳の中味(音の聞こえ方)が変わる" 「(?)」"アコースティックライブは体力が要る―人数が少ないほど一人当たりの比重が大きくなる""今日もそれなりにうるさい感じでいきたいと思います"「(?)」「Mannequin」"お酒飲んでいい?―身体が痛いのでアルコールで麻痺させます"ギターの弦をパーカッションのように叩いてリズムを出す奏法は、硬い針金を叩くので指が痛くなるが、ランナーズハイみたいに今とても気持ち良くなっている「生足の駝鳥」「(?)」「Prayer」【アンコール】"角松敏生ニュース" 秋にNHKホールでライブ。関西では10/24、久々にグランキューブラジオやフリーペーパーなどの取材の話。新しいファン層やブランクがある人にも来てほしいが・・・結婚して子供が生まれたら子供中心になるのは仕方ないが、"たまには出てきてください"と言う感じで、"大人が動いていくってのもこれから大事""梶原順ニュース"順"CD持ってきてまーす" ソロおよびJとBあとビルボード大阪でライブ"友成好宏ニュース"友成"先週・・・大阪に来たけど中止になりました"今日は夜8時から、と聞いて"え!?"と思ったが、ウィンターランドのHさんは"大人なんだから""大変です・・・"角松、泣きポーズ"今日は大人の時間にお付き合い、ありがとうございました"「浜辺の歌」「No End Summer」"またお会いしましょう"【モア・アンコール】"大丈夫ですか? もう10:15ですよ""友成さんと梶原さんに拍手を!"新型インフルは"心配なのはこの冬の第2波・・・身体だけは気をつけて""とりあえず僕は元気で頑張っております"今秋のロングツアーの本数は少なめ"できるだけたくさんの人に来ていただきたい"ニューアルバムから「(?)」また1年ぶりとなった角松さんのライブでした。今回も整理番号が大分後のほうで立ち見でしたが、アンコール前にカウンターに飲み物を取りに行き、間近で観ることができました。"(アコースティックライブは)体力が要るし手も痛くなる"などと言いつつも、小さなステージでギターを弾いて歌う角松さんは、実に楽しそうです。実のところ母が角松ファンでしたが、熱しやすく冷めやすい人なもので、それで私もブランクが随分空いて結局昨年3/20のライブが8年ぶりとなったわけ(2007.8.22および2008.3.24参照)―ですが2007年以降、ひょんなことで角松ファンの方にもブログを読んでいただけるようになったり、角松さんのCDを「Favorite」に載せたり、「Summer 4 Rhythm」「Incarnatio」以降のCDも聴いたりし(最近は「Fankacoustics」がお気に入り)、聞き覚えのある曲が徐々に増えています。それでもイントロを聴いて曲名が分かるものはまだ少ないし、アコースティックライブだとアレンジも変わっています。その分、曲が始まるたび"何が来るかな、何が来るかな…"とワクワク感もひとしお。あと、私としては梶原順さんの"歌を歌うと耳の中身(聞こえ方)が変わる"というお話に妙に共感。―昨年後半から他の人の曲を作るようになり、自分の曲ばかり作っていた頃は気付かなかった事を色々考えなければならなくなっても、同じ音楽を聴いていても他の人の頭の中ではどう聞こえているかは、全く分かりません。(2008.12.30参照)「No Turns」リリースで「シーズン3」が始まった角松さん達のご幸運をお祈りいたします。
2009.06.04
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