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森田先生のお話です。ある日、呉先生が、「いま教室に60円ばかり旅費が残っているが、誰か行きたい者はいないか」ということであった。こんな時に、先輩をさしおいて、自分が先に口を出せば、同僚に憎まれるから、慎まなければならない。ただ頭を上げ、ニコニコしてキョロキョロと先生の顔を見ている。そうすると、先生が「森田君、どうです」とくる。「待ってました」とばかりに、「もしさしつかえのない事なら、ぜひお願いしたいものです」と答える。勿論その時には、私はどこへ行って何を調べるかという事は見当はつかない。まずその機会を取り込んでおいて、しかる後にユルユル考案するつもりである。これがもしあの一人の同僚ならば、まず自分は何を調査し、その金をいかに使うかという事を考えて、しかる後にイエスと答えようとするから、もとより間に合うはずもなく、後になって、あの時に、引き受けておけばよかったと残念がるのである。私が何か仕事を見つけて、「誰かやる人はないか」という時に、聞かないふりをしたり、わざとうつむき込んだりする人はありませんか。早く治るような人は、必ず今お話ししたような具合に、よくイエスの使い分けをする人です。(森田全集 第5巻 535~536ページ)私は使用目的が明確になっていないときに、研究調査費をもらい一旦プールしておいて、使い道は後でゆっくりと考えるという事はずるいやり方ではないかと考えてしり込みしてしまう。森田先生はそんなことをすれば、その研究費は他の誰かのところに行ってしまう。今現在目的が明確でなくても、先に資金の手当てをしておけば、運用は後で何とでもなるではないか。せっかくのチャンスをみすみす逃すようなことをしてはならない。後で「しまった」と後悔するようなことは何としても避けなければならない。何かの調査研究を思いついたとしても、調査費の工面ができないなどの理由で断念せざるを得ないことはいくらでもある。その後森田先生は土佐の犬神憑調査を思いついて実行された。その結果を高知医学会で3時間にわたり講演されたという。このエピソードからどんなことが考えられるか。調査研究というのは突然に思いつくものである。そのためには多額の資金を必要とする。その段になって調査研究費をどう工面するかと考えると後手に回る。その時に備えて資金がプールしてあれば、すぐにいくらでも有効活用ができるのだ。一般的には目的が先でその後に手段を考えがちである。森田先生は手段が先で目的は後付けでも構わないと言われている。例えば、退職金、親の遺産、保険金、配当金などで思わぬ大金が入ることがある。その場合は、後からお金の有効活用を考えて実行すればよいという事になります。
2025.04.30
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宇野千代さんの言葉です。自然治癒力というものは、みな、自分の気持によって、或いはその力が強くなったり、全くなくなったりする。自分の気持というのは、自分の心にかける暗示のことで、この病気は治る、と思えば自然治癒力が強く働くし、この病気はとても治らない、と思えばその力は弱くなるか、全くなくなるかするものである。自分にかける暗示。これくらい強く、また他愛もなく、困ったものはないのである。(幸福の法則 一日一言 宇野千代 海竜社 49ページ)身体が弱く、精神も弱い人は、生き方が消極的になりがちです。様々な局面で「私は体が弱いので、それは出来ないのです」という言い訳をくり返す。身体が弱くても、精神の強い人は、「やれるだけやってみましょう」という前向きの意志を示す。どちらが体を活性化させるかは一目瞭然である。すべて、健康は精神の在り方にかかっている。(同書 51ページ)宇野千代さんは、ダメだ、無理だ、できない、最悪だ、失格だ、不幸だ、能力不足だ、荷が重い、絶望的だ、煩わしい、逃げたい、閉塞的だ、将来性がない、ヘトヘトだ、やる気が出ないなどの否定語を頻繁に使っていると、脳がその否定語に刺激を受けて精気がなくなってくる。いくらやる気を出して取り組みたいと思っても、ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が脳内を駆け巡っているのでどうすることもできない。「病は気から」という言葉がありますが、まさにその通りになる。神経質性格の人はこのような否定語を頻繁に使っているかも知れません。たとえば採点付きカラオケなどでも、もうダメだ、悪すぎる、自分には歌唱能力がないなどという言葉を使って自分を否定している。するとカラオケという言葉を聞いただけで尻込みするようになる。これではいつまで経っても楽しみを見つけることはできない。何よりも自分で自分を否定していることがやるせない。西田文郎氏は脳は最後にインプットしたことを記憶すると言われている。ダメだ、無理だ、できない、最悪だ、失格だ、不幸だ、能力不足だ、荷が重い、絶望的だ、煩わしい、逃げたい、閉塞的だ、将来性がない、ヘトヘトだ、やる気が出ないなどの否定語は自然に湧き出てくるものなので、そのまま素直に受け入れるようにする。次に「よしわかった。でもこれからよくなるかもよ」「よしわかった。でもダメもとで取り組んでみよう」「よしわかった。念のために他の人の話をきいてみよう」「よしわかった。では協力者をさがしてみよう」「よしわかった。でもここを乗り越えれば自信がつくかもよ」「よしわかった。では態勢が整うまで待ってから取り組もう」これは「イエス・バット」法とも言います。これは否定語をいったんそのまま認めるのです。次にそれを「バット」で打ち消すのです。5秒以内で取り消すのがよいうそうです。「バット」で打ち消す言葉は普段から考えて整理しておくことが有効です。これは森田理論で言うと、形から入るということです。外相整えば、内相自ずから整う。靴が揃えば、心が揃うということです。形を整えていくと、気持ちも変わってくるというのは考えてみると不思議です。まだ活用していない方は早速取り組んでみませんか。
2025.04.29
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森田先生のお話です。便所を見つめていると、いろいろの汚いものが目についてくる。少し我慢して、逃げずにいれば、手を出すのは苦しいけれども、汚いままに放任して置くのも、気になってしかたがない。心の内には、さまざまな葛藤があり、種々の思想が浮かんでくるけれども、結局これを実行した時に、初め想像したよりも楽であり、その奇麗になった結果を眺めて、自分の力と・善行とを喜ぶことになる。この時に初めて、「捨身精進」という結果になっているのである。それで私からいえば、汚い事をするのが嫌いなのも我であり、清潔にしておきたいと思うのも、両面とも我である。すなわち我を捨てるのではなく、自我を発揮すると解釈するのである。(森田正馬全集 第5巻 510ページ)ここで汚い便所を掃除するのは気がすすまないと思うのは主観的事実である。しかし汚いままにいつまでも放任して置くわけにもいかないと思うのは客観的事実である。ここで大事なことは、主観的事実、客観的事実の両方を認めることである。イヤなことをするのはおっくうである。これは自然に湧き出た感情である。自然現象をコントロールすることはできない。でもそのまま放置していると、便所に行くたびに不快な気持ちになる。何とかして便所を綺麗にしたい。自分でやるか、家内にやってもらうか。あるいは清掃業者に依頼するか。いずれにしても何とかしなければならない。主観的事実はそのままにして、客観的事実に基づいて対応した方がうまく収まる。例えば、心臓麻痺恐怖の人がいたとする。突然死は怖い。当然のことだ。早速専門医の診察を受ける。専門医が特段の疾患は見当たらないという。この場合、恐怖心はなくならないだろうが、専門医の見立て、つまり客観的事実をして尊重して行動することが大事になる。
2025.04.28
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完全主義の神経質者は自分にも厳しいが他人にも厳しい。相手の小さなミスや失敗、欠点を見つけると容赦しない。相手が落ち込んでいるのに、それに輪をかけて責めたてる。人間関係が悪くなるのは火を見るよりも明らかだ。私の友人は奥さんの夕食の料理の味付けにいちいちクレームをつけていた。ある日のこと奥さんはたまらなくなって食卓に並べた料理をすべて流しに捨てたそうだ。そしてその日を境にして夕食は作らなくなった。仕方なく弁当で済ましたり外食に頼るようになった。野菜が少なく、揚げ物や肉食が多くなり健康管理ができなくなった。相手の揚げ足を取ることばかりしていると墓穴を掘ることになる。相手のミスや失敗、欠点はできれば笑って許すようにした方がよい。人間関係の最初の関門は、許容の心を持つことだと思う。そのためには、相手の優れたところを探して評価するように心がけたいものだ。たとえば笑ったときの笑顔が素敵なら素直にほめてあげる。仕事のスピードはもたもたしているが、仕上げた仕事は丁寧で文句のつけようがないという場合、「あなたの仕事ぶりはすばらしいね。仕事に慣れてスピードが上がってくるのを期待しているよ」と評価してあげれば相手は喜び、モチベーションが上がってくる。反対に「仕事は丁寧でも他人の7割程度の仕事量では問題だ」などと非難すれば、相手はやる気をなくしてしまう。そして敵対心丸出しとなる。先日盛況な集談会の幹事さんにどうすれば参加者が増えるのか聞いてみた。その集談会は一時参加者が少なく低迷していた時期があった。ところがその幹事さんが単身赴任を終えて地元集談会に参加し始めた途端10名以上の参加者が集まるようになったのだ。その幹事さんが心掛けているのは、「ほめ合う、たたえ合う、のせ合う」ということだった。人懐っこい顔で「あなたの取り組みはすごいですよ」「尊敬に値しますよ」「そんなに苦しみながらもよく頑張っておられますね。たいしたもんだと思いますよ。私なら音を上げていますよ」「このままの調子を維持していけば、きっとよくなると思いますよ」などという言葉がけをしている。私は学習内容の中身がよくなって、参加者が増えたのだろうと思っていましたが実はそうではなかったようです。灯台下暗しとはこのことです。ある人に聞いたのですが、集談会の日程が変更になることがありますね。その情報は生活の発見誌に掲載されます。ホームページを持っている集談会ではホームページにものっています。みんなその情報を見て参加してくるはずだから、それ以上の連絡はしなくてもよいはずだと思いがちです。この考えは問題です。これだけだと確認していなかった人が間違えてしまいます。肩透かしにあった人は腹が立ちます。どうして巻絡してくれなかったのか。残念なことですが、もう二度と参加しないという人もいます。日程変更をチャンスとして捉えられる人は、念のために特別にメールやはがきで連絡しますね。このプライベートな一言は相手にとってはとても嬉しいものです。こんなにも自分のことを大事にしてくるのならまた参加してみようとなりますが、そんなことまでしなくてもよいと思っていると墓穴を掘ってしまいます。
2025.04.27
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プロ野球やサッカーが開幕しました。贔屓のチームの勝ち負けは自分の精神状態に大きく影響します。勝てば心ウキウキ、喜びいっぱいで幸福感で満たされます。その日のスポーツ番組ははしごしてすべてを見る。翌日の朝刊は真っ先にプロ野球蘭をみる。これは脳内をドーパミンやβエンドフィンが駆け巡っている状態です。その日と翌日くらいまでは、至福の時間を過ごすことができます。ずっとウキウキワクワクの状態が続けばよいのですが賞味期限は短いのが特徴です。勝負事には負けがつきものです。贔屓のチームが負けた時は、憤懣やるかたない気持ちを抱えることになります。悲しみ、嫌気、怖れ、批判、怒りなどで埋め尽くされることになります。その日のスポーツ番組は見ない。ニュースなどを観ていてスポーツ番組になるとすぐにチャンネルを変える。翌日の新聞のスポーツ欄は見ないようにする。脳内をノルアドレナリンやコルチゾールなどが駆け巡っている。イライラして腹立たしい気持ちになる。自分一人でイライラしているのならまだ救いがありますが、そのネガティブな気持ちを周りの人にぶちまけて悪影響を与えている。僅差の試合展開の場合、打ち込まれて負けることを怖れて、ほかの番組を見ている。可愛さあまって、憎さ100倍のような感じです。時々途中経過をチェックして、今日は勝ちそうだという見込みが立ったときは、改めてゆったりと視聴する。途中戦況が悪くなるとまた別の番組に切り替える。この状態は、純粋に試合内容を楽しむというのではなく、勝つか負けるかその結果のみに関心があるのだ。こういう人はBS放送で朝放送の大リーグのドジャースの試合の方が安心して見られる。それは生まれなからのドジャースのファンではないので、勝ち負けは度外して、大谷翔平などの日本人選手の活躍を純粋に楽しむことができるのだ。こうなると、一種のプロ野球観戦依存症に陥っているとみたほうが妥当ではなかろうか。依存症には、薬物、アルコール、ギャンブル、ニコチン、セックス、ネットゲーム、ネットでの買い物、仕事などがあります。程度の差はあれ依存対象にどっぷりとつかって、ドーパミンを出し続けてめくりめく快感情を享受したいのである。プロ野球を見て一喜一憂してしまうのはどう考えたらよいのでしょうか。感情の法則では、どんな不快な感情でも天気と同じ自然現象であり、意志によってコントロールできるものではない。イライラや不平不満、悲しみや不安や恐怖などの不快な感情は自然服従するしかないと言われています。感情の法則1を活用して、不快な感情を味わい尽くすことが必要になります。気を紛らわせることを考えて不快感情を刺激しているとますます増悪して、心身とも疲弊してしまいます。耐えがたきを耐えて、日常茶飯事に目を向けて生活を前に進めて行くことが肝心だと思います。新しい行動を開始するか、別の状況や環境下に体を移動させると、新しい感情が生まれることを忘れてはならないと思います。そうすれば、いつかは勝ちゲームで大いにウキウキ、嬉しい気持ちを楽しむことができます。
2025.04.26
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子供がいなくて子孫を残せなかったというのは、とても寂しい気持ちになるようです。「104歳、哲代さんのひとりぐらし」という映画で、石井哲代さんは、本家に嫁いで子孫を残すことができなかった。申し訳ない気持ちでいっぱいですと語られていた。一方神戸に嫁いだ妹桃代さんは寝たきりで施設に入っているが、子孫を残し子供や孫たちに囲まれた生活を送っている。私も娘が一人いますが、他家に嫁いでわが家の血筋はこれで終わりかと思うとご先祖様に申し訳ないなと思う事もあります。特に墓の管理、実家の管理、田畑の管理が気になります。生活の発見会では独身で一生を過ごす人も多いように思います。神経症と格闘しているときは、結婚するどころではなかった。そろそろ結婚をと考えるようになったときは、すでに時遅しだったという話を聞きます。いまは夫婦で生活していても早晩一人ぐらしになります。その時の精神的な落ち込みは相当大きなものが予想されます。炊事、洗濯、掃除、親戚や近所の付き合いなどの一切を配偶者に頼っていた人は、戸惑うことばかりとなります。石井哲代さんの生活を参考にしてひとり暮らしのコツを考えてみました。・畑仕事をする。野菜は21種類作っている。あとは仏壇に供えるお花を作る。・お天気の良い日は家の周りや畑の草取りをする。・昼寝をする。夜はバタンキュー。・電動椅子で近所を動き回る。・姪や近所の人、教え子がよく訪ねてくる。いろんな人と話をする。・毎日笑顔で暮らす。笑う門に福来たる。・好き嫌いなく何でもおいしくいただく。・料理はある程度は自分で作る。加工食品も手掛ける。・不足分は宅配サービスで補う。・朝起きたら布団の上げ下ろしをする。・いりこ入りの味噌汁を飲む。・生ごみは発酵させて土に還す。・こつこつ脳トレを行う。漢字の書き取りをする。・亡くなった夫良英さんと毎日会話をする。・仏壇で毎日手を合わせる。・墓参りも欠かさない。・毎日日記をつける。・身だしなみを整える。・「仲良しクラブ」に参加する。・年賀状を30枚書く。・物事は表裏一体。良いほうに考える。・喜びの表現は大きくする。・マイナス感情を笑いに変換する。・手本になる先輩を見つける。・柔軟体操をする。・大正琴の練習をする。ボケないで健康で楽しく暮らすには、運動をする。手足を使う。脳を使う、人と楽しく付き合う。笑顔を忘れない。自分のことは可能な限り自分で行う。できないことは遠慮なく人に頼む。感謝の気持ちを忘れないなど、簡単なことを継続することだと思います。
2025.04.25
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3月号の生活の発見誌に、「初一念ノート」をつけている人の話が紹介されていた。これはかって「生き生きワークショップ」という学習会で取り組んでいたものだ。この方はスマホのメモ帳を活用しておられます。私は100均で売っている「メモ帳」を利用していた。これは「純な心」を意識する。身につけるためにとてもよい方法です。その話をする前に、森田理論でいう「純な心」についての理解が必要になります。「純な心」とは、理屈や判断が入り込まない感情のことです。素直な感情のことです。第一に感じた感情といった方が分かりやすい。これを「初一念」と言っているのです。この初一念は湧き上がってきて、しばらくするとすぐに消えていきます。そして次に「初一念」を無視して、怒りなどのマイナス感情や言い訳・責任転嫁など他人を否定するような感情が立ち上がってきます。森田ではこの感情のことを「初二念」「初三念」と呼んでいます。例えば、森田先生の入院患者が兎小屋の手入れをしていた時、突然野犬が入り込んできて兎を噛み殺してしまったというエピソードがあります。このとき、「しまった。かわいそうなことをした」と思うのが初一念です。ところが、この方は森田先生の前で、「入口の作りが杜撰だったために野犬が入り込んできた」と弁解された。これは初二念です。初一念の感情を無視して、「自分に非はありませんので、どうか許してください」というような自己弁護的な発言をされた。森田先生はその入院生をきびしく叱りつけたそうです。これがもし「かわいそうなことをしました。とても残念です」と初一念で対応していたら、森田先生と同じ気持ちになり叱りつけられるようなことはなかったと思われます。初一念で対応すると、今後の対策として、入り口に取手を取り付けることを思いつくかもしれません。初二念、初三念で対応すると、今後こんな恐ろしい思いはしたくない。兎小屋の掃除をするのはもう懲り懲りだということになります。「生き生きワークショップ」では、初一念はついうっかりしているとそのまま見過ごしてしまう。そして、すぐに初二念、初三念の感情が湧き出てくる。初二念、初三念の感情は、怒り、理屈、弁解、言い訳、ごまかし、否定につながるものです。だから初一念をきちんと掴まえるように日頃から訓練をしましょう。そのツールとして「初一念ノート」とボールペンを持ち歩いているのです。「純な心」を体験してみたい方はぜひ取り組んでみて下さい。
2025.04.24
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森田理論の中に「劣等感的差別観」というのがあります。生活の発見会が出している、森田理論学習の要点では、「劣等感的差別観とは、自分が自分に対して一つの欠陥を過大にとらえ、そのために自分の全人格を否定してしまうような極端なものの見方・考え方です」とあります。(森田理論学習の要点の5ページ)この問題を考えるために、まず「差別観」について考えてみましょう。人間誰でも目や耳は二つずつ、鼻や口は一つずつあります。ところがその形状は十人十色です。その違いに注目して、形がよいとか悪いとか価値評価をしています。たとえば、人を見た場合、美人、ブス、イケメン、三枚目などと即座に判定して、ランク付けをしています。これは、差別観を持って目の前の物を見つめていることになります。差別観というのは、相手と自分の共通点ではなく、ひたすら相違点を見つけ出して優劣の判定を下しているわけです。相手より上だと思えば優越感に浸り、相手より下だと思えば劣等感で苦しむ。差別観には優越感的差別観と劣等感的差別観の2つがあります。神経質者は優越感的差別観を意識することは少ないと思います。優れたところがあるのは、当然のことだとみなしてあまり注目しない。評価もしないし感謝することもない。反対に劣等感的差別観は、自分の人格を否定し、これがあっては今後の人生で大きな障害となると考えています。何としても取り除こうと格闘しています。自分と他人との違いを感じるのは自然現象と同じだと思います。たとえば、自分の頭は禿げている。たれ目でしまりがないように感じる。たらこ唇である。口が特別大きい。団子鼻である。眼と眼の間がかなり開いている。顔にシミやシワが多い。身長が低い。太っている。違いがあるのは事実でありどうすることもできない。問題は、違いを認めないで反発し拒絶してしまうことです。それがいいとか悪いとか自分勝手な価値評価を下して目の敵にしてしまうことです。こうなると絶えず自己嫌悪、自己否定で苦しむことになります。価値評価をしないためには、事実を第三者の目に立って、客観化することが有効です。別の自分を作り、現実の自分を客観的かつ冷静に見つめるようにするのです。そのために私は自分専用のアナウンサーを作っています。専用アナウンサーに現場に急行させて実況中継させているのです。注意点としては、ネガティブな思考や感情の事実だけを説明させています。するとある程度冷静な自分になれます。全部ではありませんが、少しだけ破れかぶれな言動を押さえられます。そして認識の誤り、両面観、森田理論等を使って別の角度から洞察・分析をしています。この作業のことを森田では自覚を深めるといいます。劣等感的差別観で自分を否定すること百害あって一利なしだと思います。両面観で自分の長所、強み、能力を自覚する事は大切なことだと思います。神経質者は細かいことによく気がつきます。鋭い感受性を持っています。その他好奇心旺盛な人が多いように思います。物事をより深く考えることができる。自己内省力が強い。分析力がある。論理的である。探究心も強い。これらを自覚して、日常生活や仕事、人間関係、子育て、趣味などに大いに活かすようにしていきたいものです。
2025.04.23
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脳神経外科医の林成之先生のお話です。同じことを何度もくり返すということの効果について、野球の素振り例にとって考えてみましょう。バットを繰り返し振り続けるのは正しいフォームを身につけるためです。「正しい形」「正しくない形」の違いを判断する力が磨かれます。すると、バッティングフォームが乱れたときにも、すぐどこが悪かったのかを判断できるようになります。悪かったところをすぐ修正できるようになれば、「正しい形」を再現できる確率がどんどん上がっていくというわけです。ものごとを地道にくり返す習慣は、「微妙な違いがわかる力」を磨きます。毎日、飽きもせず同じことをくり返すというのは、そのこと自体がひとつの才能と言ってもいいものです。残念なことに、若いころは「自分を鍛えなければ」という意識で地道なトレーニングに励んだ経験があっても、歳を取るとともにそういった生活から離れてしまう方が少なくありません。しかし、意識して取り組めば、「毎日、同じ道を同じ時間に散歩する」「書道や絵画などの趣味、ゴルフなどのスポーツの練習を地道にくり返す」など、「ものごとをくり返す習慣」は誰でも身につけることができます。ぜひ、日々の生活の中に取り入れていってください。(何歳になっても脳は進化する 林成之 三笠書房参照)東大に入った人に聞いたのですが、いろんな参考書や問題集を手あたり次第学習されていたようなイメージがありますが、基本は一教科一冊ずつだというのです。これはと思った参考書や問題集を徹底的にくり返すというやり方です。大学受験を経験された方は思い当たることがあるのではないでしょうか。さて、私は毎日規則正しい生活を心がけています。朝6時20分に起床してからは、同じ時間に同じことをしています。この次に何をしようと考えることはありません。暇を持て余すこともなく、次々と様々なことが片づいていきます。たまに急用が入って生活パターンが崩れると居心地が悪くなります。ルーティンの中で、気づき、発見、問題点、課題、改善点、改良点などが見つからないかなと思いながら取り組んでいると飽きるということはありません。規則正しい生活、ルーティンワークの話はあまり刺激はありませんが、精神の安定という意味では絶大な効果があると思っています。それから私はアルトサックスを吹きながら仲間と一緒に老人ホームや地域のイベントに出かけています。ソロで吹き始めるときに、頭が真っ白になり手が金縛りにあったようになっていました。その克服方法がやっと見つかりました。演奏曲目は1ヶ月くらい前に決まります。その間に演奏曲目を必ず100回は練習するというやり方です。数値目標を立ててひたすら練習をくり返すのです。イメージとしては120%の練習をして本番では80%の仕上がりで十分だという気持ちです。すると不思議なことに、前頭前野がお節介をやきに出てくることがなくなりました。また何回も繰り返していると、ここは指使いが難しいなと思われるところが分かってきます。その部分は基本に戻ってゆっくりと運指を確かめるように練習をくり返すのです。この練習方法をとり入れてから仲間に迷惑をかけることはほとんどなくなりました。ひたすら練習をくり返すというのは体験してみるとその絶大な効果に気づきます。
2025.04.22
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森田先生の話です。ある気質の人は、何か一つ事を始めると、それに身が入ってその事ばかりを精密にやり、全体のことを忘れてしまう事がある。私の父が、この事が著名であって、私の気質と違う所でありました。(森田全集 第5巻 628ページ)森田先生の父親は養蚕業の仕事をしていたが、病気になった蚕を見つけると、その原因追及に没頭して、他の蚕の餌やりを忘れてしまうほどであったという。神経質者はあれこれと考えて動き出すまでは時間がかかるが、一旦とりかかるととめどもなくやり続けるという傾向があると言われている。集談会で聞いた話ですが、囲碁の好きな人は時間に関係なく気のすむまで明け方近くまで没頭することがあるという。森田先生は同時並行で、3つも4つも案件を抱えて取り組むことを推奨されている。最近、朝日新聞に、5重奏という事が出ていた。それは本を読みながら、会話をし、字を書き、計算をするとか、同時に5種類の事をするという事です。聖徳太子は一度に8人の訴えを聴かれたとのこと、すなわち8重奏である。私共も平常、2つや3つの仕事は同時にやっている。たとえば病院などでも、患者の家人に面接しながら机上の雑誌を読み、一方には看護婦に用事を命令するとかいうようなものである。3重奏である。我々の日常は、誰でも同時にいくつもの方面の事を考えているのが普通のことである。強迫観念でも、苦しみながらでもなんでもできるものである。神経質の人の考え方の特徴として、それを自分でできない事と、理論的に独断してしまうのである。(同書 99ページ)普通に考えると、「ニ兎を追うものは一兎も得ず」ということわざのように、やることなすことが中途半端になりやすいと考えることがあります。確かに2つのことに交互に注意を向けているとそんなことが起きます。交差点で右折をするとき、対向車ばかりに気をとられていると、交差点に人がいることに気が付かない場合があります。この場合は一旦対向車に注意を向けますが、問題なければすぐに交差点に注意を切り替える必要があります。両方とも安全確認ができたときは、右折しても事故は起きません。カーブが連続している道路を運転している時も同じような感じだと思います。右カーブする時は中央の白線や黄線を見つめて運転しています。左カーブする時は左端の白線を見つめています。次々にカーブが続いているときは、右へ左へと注意をどんどん切り替えています。ここで森田先生が言いたいことは、まず目の前のことにきちんと注意や意識を向けて、問題がないかどうかをきちんと確認する。心ここにあらず状態で他のことを考えながら確認行為をしているとまずい。次に問題がないという事を確認したら、すぐにその場を離れて次の不安に注意や意識を移していくということだと思われます。
2025.04.21
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王貞治氏のお話です。最初から何か一つだけにこだわる必要はない。日本では勉強なら勉強、スボーツならスポーツばかりやる傾向があります。海外では、スポーツをやりながら勉強もやったりして、いろんな資格を持っているプロ選手が少なくありません。学生時代には、野球をやりながらバスケットボールやフットボールをやったりしています。バスケットボールで有名なマイケル・ジョーダンは、高校までは野球もやっていたそうです。僕自身、中学の野球部は3年生の頃まで休部状態だったので、平日は陸上部で砲丸投げをしたり、卓球部で卓球をやったりしていました。野球は週末に、地元の高校生や社会人中心の草野球チームに入ってやっていたんです。ポジションはピッチャーでした。いまにして思うと、いろいろな競技をやったからこそ、野球がいちばん好きだというのが分かったのかもしれません。(人生で本当に大切なこと 王貞治 幻冬舎新書 71ページ)これは仕事を選ぶ時に参考にしたい話です。小さいときからこの仕事を一生の仕事にすると決定できる人がいないわけではありませんが、実際問題として難しいと思います。職業の数は12000種くらいあるそうですから、25歳くらいまでにこれだというものを見つけるというのもありだと思います。私は対人恐怖症で辛い思いをしていたのに、よりによって訪問販売の仕事を選択して挫折し、途中で転職しました。次に窓口営業の仕事をしましたが、しばらくして中間管理職としてマネージメントの仕事を任されました。管理職の仕事は向いていませんでした。私は今思えば、刑事のような仕事が向いていたのではないかと思います。それは、細かいことが気になる。論理的に思考する。分析力に強みを持っている私に合っているような気がするのです。あるいは分析化学や真理を追究する研究職の仕事も合っていたかもしれません。ヨーロッパでは学校を卒業してすぐに会社に就職するのではなく、興味や関心がある仕事をいろいろと体験することが社会的に認められているそうです。これをモラトリアム期間というそうです。職業の選択はより多くの雑多な経験の中から探した方がよいと思います。そのために親や学校や社会の果たすべき役割は大きいと考えます。
2025.04.20
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神経症を克服するには、3つの面から取り組むことが有効です。①精神交互作用の打破・・・日常生活の中で不安や緊張や心配事は誰でも頻繁に発生します。普通の人は解消できるものはすぐに対応し、どうにもならない神経症的な不安はそのまま見過ごすことができます。そしてなんとか日々の生活に取り組んでいます。神経症に陥る人は、自然現象である不安をそのまま見過ごすことができません。また多くの不安の中から一番気になる不安を問題視しています。これさせなくなれば、悩みから解放されて、問題は全て解決すると考えています。一つの不安に注意を集中すれば、感覚は鋭くなります。鋭くなった感覚は益々注意をひきつけます。すぐに自分の一生を左右するかのような不安に膨らませてしまいます。頭の中で注意と感覚の悪循環が起きてしまうことを精神交互作用と言います。精神交互作用を打破するためには正面突破ではなく迂回戦略が有効です。最初はしんどいのですが、規則正しい生活を習慣化することです。なんだそんなことかと、がっかりする人が多いのが実態です。実体験で確かめるとこんな手があったのかと驚かれると思います。②思想の矛盾の打破・・・「思想の矛盾」は頭で考えたことと、事実・実際との間にくい違いが起きてくることを言います。自分の頭で考えた「こうでなければならない」「こうであってはならない」などを自分や他人に押し付ければ押し付けるほど、実際にはその通りにならないことが多い。そしてイライラして葛藤や苦悩を抱えてしまうのです。観念中心で事実をコントロールしようとすると葛藤や苦悩で身動きがとれなくなります。思想の矛盾を打破するためには、不快な感情や気分本位の気持ちが浮かんできたとき、第三者の立場に立って、不快な感情や気分を客観的な立場から眺めることが大切です。私は第三者のことを「専属アナウンサー」と呼んでいます。ネガティブな思考や感情が湧き上がってきたときに、専属アナウンサーを現場に急行させて、実況中継をさせています。その時見たままの状況を生身の自分にわかるように実況中継させているのです。このことを森田理論では、「自覚を深める」と言っています。注意点としては、絶対に是非善悪の価値判断をしないということです。第三者の立場に立つとかなり冷静になれます。③ヒポコンドリー性基調の改善・・・注意や意識を外に向けるよりも、内に向ける傾向が強いことを言います。森田では神経質性格者は自己内省性が強いという特徴があると言われます。これは別に悪いことではありません。ある意味では優れた特徴です。予想される問題点を普通の人よりもより多く見つけ出すことができる。原因追及能力が高い。探究心、分析力、論理的、思考力に優れています。これらは自己内省性の強い人のプラス面ですが、マイナス面もあります。心配症で取り越し苦労をする。マイナス思考、ネガティブ思考に陥りやすい。自己嫌悪、自己否定、他人否定に陥りやすい。バランスがくずれているのです。バランスをとるためには、心を外に向けることに注力していくことです。心を外向きにするためには、外に出て行動することです。陶芸家の河井寛次郎氏は、このことを「手考足思」と言って大事にされていました。
2025.04.19
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森田先生が吃音について説明されている。いくらひどい吃りでも、歌を歌うときには吃らない。すなわち歌う気持で、言葉の順序を立てて話せば吃らないという事がある。なお吃音恐怖を治すのに、思い切って吃るようにと、僕が教えるのは、例えば僕が、自転車に乗ることを、人に教える時に、まず落ちて倒れる練習をさせる。それで落ちる時のかけひきが、自由にできるようになれば、自然に乗ることに大胆になって、容易に熟練するようになる。吃音恐怖も、吃る事を怖れず、大胆になりさえすれば、直ちに吃る事がなくなるのであります。(森田全集 第5巻 426ページ)森田先生はほんとうに吃る吃音と吃音を怖れる吃音恐怖症があると言われています。今日のテーマは吃音恐怖症の話です。私は集談会で吃音恐怖症の人の話を聞いているうちに、会社で電話に出る時に吃るようになった。吃ってしどろもどろになるようになった。4人くらいの同僚と手分けをして電話応対していたが私一人電話対応ができなくなった。そのために同僚たちから陰口をたたかれるようになった。仕事を変えてもらうか、辞めるしかないと悩むようになった。集談会で先輩会員に相談した時、森田先生と同様のアドバイスをされた。先輩曰く。あなたはカラオケに行って歌を歌うときに吃ったことがあるか。もちろんカラオケで吃ったことはありません。カラオケにはリズムや抑揚があるから吃らないのだと言われるのです。試に、いきなり会社の名前を名乗るのではなく、例えば「お電話ありがとうございます」「いつもお世話になります」というようにしたらどうかと言われました。早速会社で実践してみました。肩の荷が下りたようになり、問題なく電話に出られるようになった経験があります。今考えると、吃ってはいけないという事にとらわれていたために、絶えず注意や意識がその一点に固着・集中していたのだと思います。その証拠には、吃らずに電話に出られたときは一安心して、その後の話の内容を忘れてしまうこともありました。本末転倒でした。森田療法では心を一点に固着・集中させてはいけないといいます。心を絶えず四方八方に張り巡らせて、「あれも気になる、これも気になる」という無所住心の状態にすることが大切になるのだと思います。
2025.04.18
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元宝塚歌劇団の貴城けいさんのお話です。私が宝塚歌劇団を退団する1年前に、歌劇団の人なら誰もが目にする場所に「ブスの25箇条」というものが張り出されました。だれもが見入っていました。「こうするとブスになる」というのは、何も女性だけを対象としたものではなく、人間としてのあるべき姿を逆説的に示したものではないかと思います。そんな気持ちで読んでみて下さい。1、笑顔がない。2、お礼を言わない。3、おいしいと言わない。4、目が輝いていない。5、精気がない。6、いつも口がへの字の形をしている。7、自信がない。8、希望や信念がない。9、自分がブスであることを知らない。10、声が小さくイジケている。11、自分が最も正しいと信じ込んでいる。12、グチをこぼす。13、他人をうらむ。14、責任転嫁がうまい。15、いつも周囲が悪いと思っている。16、他人にシットする。17、他人につくさない。18、他人を信じない。19、謙虚さがなくゴウマンである。20、人のアドバイスや忠告を受け入れない。21、なんでもないことにキズつく。22、悲観的に物事を考える。23、問題意識を持っていない。24、存在自体が周囲を暗くする。25、人生においても仕事においても意欲がない。この内容から、人間関係を改善するヒントが見つかります。①いつも口角を上げて笑顔で挨拶することを心がける。②ユーモアのネタ集めをして、折にふれて披露する。(ダジャレ、川柳、面白小話、一人一芸)③何かしてもらったら、「ありがとうございます。助かりました」と感謝の言葉を伝える。④あたりまえの生活が送れていることに感謝する。感謝の気持ちを日記に書く。⑤短期目標(日々の目標、一週間の目標)、中期目標(一年の目標)、長期目標(生涯目標)を明確にして、人生を楽しむようにする。⑥自己中心的態度を改めて、森田でいう「物の性を尽くす」ように心がける。自分を含めて、すべてものに居場所や活躍の場を提供する。⑦自己肯定感が持てるように小さな成功体験を積み重ねる。⑧悲観的感情やネガティブな気分をつつきまわさないように心がける。規則正しい生活、毎日のルーティンワークだけはこなしていく。
2025.04.17
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感情の法則は5つありますが、自分なりに分かりやすい言葉に置き換えてみました。1、感情はそのままの状態で放任しているとそのうち流れていく。2、感情は不安やストレスが解消され、欲望や目標等が叶えられれば消えてなくなる。3、感情は慣れてくるとしだいに弱まり鈍くなってくる。そして無意識化してくる。4、感情は注意や意識を向け続けているとますます強まっていく。5、感情は別の行動を開始するか、別の状況や環境下に移動すると、新しい感情が生まれてくる。つぎに注意点や留意点を考えてみました。1、パニック状態に陥り、ネガティブ感情から目を背けてすぐに逃げ出してしまうと、消えてなくなることはない。それどころか、頭のなかにしっかりと居すわり、折にふれて思い出して苦しむことになる。どんな不快な感情でも消えてなくなるまで味わい尽くすことが大事になります。2、欲しいものが手に入ると欲望感情はすぐに消えてなくなる。不安やストレスの原因が解消されれば、不安や苦悩はすぐになくなる。腹が立ったとき、その怒りを相手に吐き出せば、一旦怒りの感情は薄まってくる。この方法は一時的に楽になるが、その後の人間関係に禍根を残す。このような方法で怒りの感情を解消するのは考えものです。少しだけ我慢する。耐える。そして1の法則に従う方がよい結果を生む。3、どんなに耐えがたい感情でも、時間の経過とともに薄まって楽になります。時間の経過が一番の薬になることを忘れないようにしたいものです。さて、この法則は、もう一つ大事なことがあります。気づきや発見、問題点や課題、改善点や改良点が見つかった時、そのままにしているとその宝物は忘却の彼方に消えてしまいます。すぐにメモして忘れないようにすることが大事になります。そうしないと細かいことが気になるという神経質性格を活かすことができなくなります。4、自分の気になる症状に注意や意識を向けてつつきまわしていると、精神交互作用でアリ地獄に落ちてしまいます。観念上の悪循環、生活上の悪循環に陥らないためには、規則正しい生活習慣を作り上げていくのが有効だと思います。何も考えなくても身体が無意識に動いているという状態にもっていくのです。にわかに信じられないかもしれませんが、3か月間取り組めばその効果は実感できると思います。5、不安でパニクったときは、その場を離れて自分の好きなことに取り組むのがよいと思います。趣味、散歩、運動、旅行、家族サービス、音楽鑑賞、DVD鑑賞、絵画鑑賞、スポーツ鑑賞、ペットの世話、観葉植物の世話、仲間とのカラオケ、飲み会開催、ボランティア活動など。新しい行動によって新しい感情が生まれます。抑うつ感情はいったん消えてなくなります。
2025.04.16
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相澤樹氏のお話です。子ども達と接していて感じるのは、「やらされ感」を持ったまま勉強や遊びに取り組んでいる子供というのは、伸び悩む、ということです。「自分から」学ぼうとしているのか、「自分が」考えて、遊びを生み出しているか。自主性は、将来魅力的な、メシが食える大人になるためには、必要不可欠な要素であると言えます。子供の自主性を促すために親が子どもをけしかけることは百害あって一利なしです。声掛けについては「放っておく」ことです。これが何よりも大事です。あれこれ先回りして、何かに誘導しようとしても、子どもは必ず敏感に感じ取り、場合によっては、先回りされたことにより嫌になってしまうケースもあるでしょう。ただ、「子どもスペースの環境」だけは、少し先回りして配慮できる部分もあります。刺激的かつ、受動的になりやすいおもちゃではなく、自然と能動的になって取り組めるような遊び道具を、準備して、「そっと」おいてあげてください。パズルや、工作、本などがおすすめです。そして、「放っておく」=「こっそり、見守る」すぐに、興味を示さなくても、そこは待ちの姿勢で。「やりなさい」と言われて取り組んだ5回よりも、自分から「やりたい」と思って取り組んだ1回の方が、その子にとっては何倍もの学びになりますから、親はあせらず、放っておいてあげましょう。(あと伸びする子はこんな家で育つ 高濱正伸 相澤樹 大和書房 45ページ)好奇心旺盛、何でも興味や関心を示す子どもは次々にやりたいことが見つかります。意欲的な子どもを育てるためには、「動機づけ」が必要になります。「動機付け」には、「外発的動機付け」「内発的動機付け」の2つがあります。「外発的動機付け」は、親や上司や他人からの指示命令などです。「外発的動機付け」は、最初のきっかけとしては問題ありませんが、そのうち「内発的動機付け」に転換されないとやる気に火が付くことはありません。「内発的動機付け」とは、課題や仕事に取り組んでいく中で、問題点、課題、改善点、改良点、面白み、楽しみに気付いたときに出てくるものです。最初はイヤイヤ仕方なくやっていたことでも、ものそのものになりきることが欠かせません。
2025.04.15
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敗戦の知らせが届かず、30年間ルパング島で生き抜いてきた小野田寛郎氏のお話です。ルパング島で戦い続けてきた30年間、何が私を支えたか。やはり自分の生きる目的がはっきりしていたということであります。私たちには米軍に日本が占領された後、何年でも日本軍が反撃するまでルパング島からマニラの米軍基地を精神的に牽制するという任務がありました。目的のない限り、私たちは努力できませんね。目的があるからいろいろと創意工夫もするし、発見もする。また、何としても目的を達するという覚悟があるから、どんなに苦しくても歯を食いしばれる。そのためなら死んでもいい、命を捨ててもいいという覚悟があるから成し遂げられるのです。一見、矛盾しているようですが、このためなら死んでもいいというほどの覚悟がないと、私たちの全力は出ないんですね。アメリカの軍隊に「サバイバル・マニュアル」という教本があります。これは極寒地、あるいは灼熱地で本隊から離れてしまった兵隊が、自分の部隊に生還するためにどうすべきかを具体的に書いた分厚い本です。この本の最初のページにこうありました。「サバイバルとは生きる目的を失わないこと」さらにページを進めていくと、サバイバルでは現在自分が置かれている位置を迅速かつ正確に把握することが必要で、そうして決定した方法を断固として実行する。つい逡巡して実行が遅れるとますます不利な方向に流れていってしまうとあります。生きる目的を持ち、生き残る確率が極めて厳しい中でも覚悟を決めて行動することが肝心です。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版 333ページ)森田学習の中で、短期目標(1日の目標、1週間の目標)、中期目標(1年間の目標)、長期目標(生涯目標)を持って生活することを学びました。3つの目標を絶えず確認し、意識しながら毎日精一杯生きていきたいと思っております。この中で、私の長期目標はこのブログをずっと続けていくことと認知症にならないで自分の足で歩いて100歳以上まで長生きをすることです。脳の廃用性萎縮を防ぎ、ウォーキングなどで足を鍛えていきたいと思っています。これは小野田さんの「生きる目的」に通じるものだと思います。
2025.04.14
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古市盛久氏は、掃除や電球交換、ゴミ出しを筆頭に、5分100円から家事代行を請け負う専門会社「御用聞き」を立ち上げて15年になるという。2015年には、カビ取りやパソコンの設定補助などの高難度の作業を5分300円で請け負う「たすかるサービス」が好評を博し、黒字化を実現。さらに学生の有償ボランティアを積極的に雇用することで口コミが広がり、今では学生の登録者が約1100名を超え、東京23区を始め、北海道や関西圏にまで活動エリアを広げています。ちょとしたことだけれども、自分では解決できない困りごとを「生活のささくれ」と表現します。指のささくれができて病院に行く人はいません。ただ、放っておくと出血したり膿が溜まったりしてしまう。そうしたささくれのような人々の人生の痛みに寄り添う中で、目の前にある幸せに向き合うことができる。(人間学を学ぶ月刊誌 致知 3月号 79ページ)「生活のささくれ」は、日々の生活の中で次々に出てきます。普通は「困ったな。何とかならないものか」と感じるのですが、そのまま放置してしまいます。これを懸案事項としてメモ帳に書き留めておくというのは如何なものでしょうか。走り書きでも後でヒントが思い出せればよい。人によっては、スマホのメモ帳やボイスレコーダーを活用する人もいます。メモしたことは、すぐに解決できることはできるだけ早くやる。すぐにできないことは、仕事が休みの時の懸案事項として残す。そして休みの時の課題として取り組む。相当の課題が片づきます。自分では対応不可能な時は、インターネットで検索してみる。その時グークールのジェミニやマイクロソフトのコ・パイロットが役立ちます。ほとんどすべての問題に対してすぐに解決策を示してくれます。次に他人に相談してみる。私は集談会の仲間に相談することが多い。集談会の仲間は好奇心旺盛で、興味や関心の幅が強いので助かります。たとえばパソコンやスマホの取り扱い方などは頼りになります。神経質者は小さな問題や課題によく気がつくと言う特徴があります。これを「生活のささくれ」というのなら、どんどん顕在化させていく。すると目標や生きがい作りが生まれて、生活が好循環に入ります。
2025.04.13
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登山家の小西浩文氏のお話です。1996年秋、私は標高8848mのエベレストの無酸素登頂に挑みました。パートナーはロブサン・ザンブ―という高地民族の男性でした。標高7500mの斜面を登っていた時、私たちの遥か上、標高8000mの地点で大雪崩が発生したのです。幅200mもある見たこともない巨大な雪崩が、時速数100キロという信じられないほどのスピードで目の前に迫ってきました。私は間一髪で一命を取り留めましたが、ロブサンは大雪崩に巻き込まれて帰らぬ人となりました。しかし今思うと危険を知らせる予兆があったのです。それはロブサンが6500m地点で、私に5300メートル地点にあるベースキャンプに引き返して、仕切り直さないかと提案してきたのです。ロブサンはかすかな予兆を感じていたのだと思いますが、私はそれを拒否しました。そのあげくの大惨事です。私のこの辛い経験を通して言えるのは、すべての事象には必ず何らかの前触れがあるということです。それは多くの場合、微かな兆しのようなもので、気づかずに終わってしまうことが多くあります。しかし、その兆しをキャッチすることは危機管理の上ではとても重要なのです。そして、もちろんそれは登山に限った話ではありません。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版社 271ページ)これは森田理論にも関係のある話です。感情の法則3に「感情は同一の感覚に慣れるに従って、にぶくなり不感となるものである」とあります。湯船につかるとき、初めは熱いと思ってもしばらく経つと適温と思うようになります。湯船から出るころには少しぬるいと感じることもあります。これは感情の法則3を生活の中で応用する方法を教えてくれています。すばらしいひらめきや思いつきも、何もしないでそのまま放置していると、時間の経過とともに忘却の彼方に飛び去って消えてなくなります。そうなると、感情の法則3は宝の持ち腐れとなります。細かいことに気づかない人と何ら変わらないということになります。神経質者は高性能レーダーを標準装備しているようなものです。それを有効に活用するためには、最初の小さな気づきを見逃さないようにすることが肝心です。面倒くさいと思ってもメモしておくことです。走り書きでも構いません。ヒントがあればすぐに思い出します。神経質性格のプラス面をとことん活かすことが我々の取り組むべきことだと考えます。
2025.04.12
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斑鳩舎棟梁の小川三夫氏のお話です。器用な子は早く上達する。でもすぐに慢心して落っこちたり、また上がったりで波を打ってばかりです。不器用な子は、初めはなかなか芽が出なくても、何かを機にコツを掴んだ時は、そこからクッククックと伸びるね。このことを「不器用の一心」と言います。高度な技術を身に着けるために、5年から6年くらい我慢して耐え続ける弟子は器用な弟子を追い抜いていくことを何度も目にしました。現在徒弟制度による寺社建築会社「鵤工舎」で30人の若者たちと暮らしています。最初にできることといったら飯炊きと掃除くらいです。その間、先輩たちが鉋で柱を削っているのをただひたすら見るだけです。こちらから手取り足取り鉋掛けの極意を教えることはしません。そして5年から6年くらい経って、心底鉋で柱を削りたくなったころを見計らって、「削ってみい」と一番上等な鉋を貸してやるんですよ。すると柱が薄い板になってしまうぐらいに、嬉しがって削ります。その夜から、人が変わったように刃物研ぎを始めますよ。本人が削りたいと思うようになるまで待ってやる、その我慢比べが大変なんです。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版社 57ページ)普通は早く戦力となってもらうために、手取り足取りなんでも親切丁寧に教え込みます。これは効率的で理にかなっているように見えます。しかしこれは本人が努力して掴んだものではありません。教えてもらった本人は、高度な技術を身に着けたと勘違いしてしまう。そこを出発点にして、さらに新たな目標を目指すならば問題ないかも知れません。しかし教えてもらったことで胡坐をかいて、努力することを止めたならば、そこからの成長は期待できません。これは登山する時にロープウェイで短時間で山頂に行くようなものです。身体を鍛えることにはなりません。登山のノウハウも身につけることはできません。自力で時間をかけて山頂に到着した時のような感動は得ることはできません。しんどい思いをして、コツコツと努力するその過程が大事だと思います。森田ではそのことを「努力即幸福」といいます。スポーツや武道などでは努力したからといっても、相手が自分よりも強ければ勝つことはできません。肝心なことは、教えてもらったことを基礎にして、その上に自分独自のものを作り上げることに無上の喜びを感じることです。これは森田理論学習をする場合も同様です。森田理論はそんなに難しいものではありません。「森田理論の学習の要点」を学習すれば、森田のポイントはほぼ分かるようになっています。その他主要な単行本を読めば、森田理論の全貌は理解できます。そこで森田はすべてわかったような気持になってしまうのは問題です。それは店頭に飾られているおいしい料理をよだれを垂らして眺めているようなものです。店内に入って料理を注文して、自分の下で味わってみないと、真実は分かりません。森田は学習と実践・応用は車の両輪だといいます。学習の車輪が大きく、実践・行動の車輪が小さいと前に進むことはできません。実践・行動の車輪を基点として、学習の車輪が空回りするようになります。その結果、神経症は治るどころかますます悪化してきます。自己否定感も強くなり、生きていくことが辛いと思うようになります。森田の先輩を参考にするときは、理論と行動のバランスがとれていて、森田理論を仕事、生活、人間関係、子育て、趣味などに応用している人を選ぶことです。
2025.04.11
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「無所住心」は、不安の取り扱い方について重要なことを教えてくれています。仕事や日常生活や付き合いの中で、さまざまな気づきや発見があります。問題点や課題もでてきます。改善点や改良点もでてきます。不安もでてきます。不安の中には、すぐに対応して解決できるものもあります。対応方法が自分では全く分からないものもあります。つまり不安は時の経過とともに次々に発生しているのが現実です。神経症に陥る人は、あまたある不安が存在しているのに一つに絞ってしまう。これさえ取り除いてしまえば、人生バラ色になると思っている。これを重大視して、さらに膨らし粉を使って大きく膨張させている。自分の一生を左右してしまうかのように錯覚して、何とか取り除こうともがいている。最終的にどうにもならないと思うと逃げ回ることになります。自分が気になる不安以外は蚊帳の外です。放りだして見向きもしなくなる。森田先生はこのような不安の取り扱い方は間違いだと言われています。実際には様々な不安が発生してくるわけですから、「あれも気になる、これも気になる」という状態にすることが大切になると言われています。昆虫が触角を四方八方に張り巡らせてピリピリしているように、あらゆる周囲の情報をキャッチする。緊張感を持って、「ハラハラドキドキ」している心境が理想的だと言われています。このような状態になると、電車に乗った時、吊革を持たなくても、転倒することもなく、スリにも遭わず、本も読めると言われています。もう一つ大事なことを言われています。たくさんの不安や心配事がある場合、それぞれの不安や心配ごとに一旦とらわれるわけですが、特段の問題はなし、あるいは確認済みになったものからはすぐに離れる。そして次の不安や心配ごとに飛び乗っていくことが大切になる。鴨長明が方丈記に書いているように「流れに浮かぶウタカタはかつ消え、かつ結びて留まるところなし」と同じことである。注意や意識は水が流れるが如く自由自在に流転させていかなければならないと言われています。その際、確認しても、問題が解決しない。むしろ放置していると後々問題が大きく膨らんでくるものもあります。そういうものは疑問は疑問として、その解決の時節を待つよりほかはない。それを一つ一つ解決して、しかる後に次に進むというのはダメである。後ろ髪を引かれるような気持になるけれども、次の不安や心配ごとに移っていくのが正しい取り組みとなる。解決の目途が立たないものは、一時棚上げにしてとりあえず目の前のことに集中する。後日時間のある時に改めて考えてみる。詳しい人を探して相談してみる。(森田全集 第5巻 764ページ参照)
2025.04.10
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プロゴルファーの古市忠夫氏のお話です。ゴルフ界で成功するためには、才能、努力、感謝力が必須となります。ゴルフ界には、才能があり、努力をしているが感謝力が不足している人がいます。才能と努力だけで栄光を掴みに行くと、うぬぼれるから怖いのです。最後の一打で手が届かなかったりする。だからプロテストを見ていても、通る、通らないというのは大体わかります。どこで見極めるかといえば、感謝力が強い人はきちんと挨拶をします。こっちが一礼して「おはようございます」と挨拶しているのに、首だけでペコッと下げているのは挨拶ではありません。それから歩き方。大地を踏みしめて、胸を張ってスーと歩く人は通ります。どんなミスをしても、頑張れることへ感謝できる人はオドオドしない。私たちは震災であまりにも多くのものを失いました。しかし、それによって大切なのは物ではなく、お金でもなく、地位や名声でもない。人の愛であり、優しさであり、人を思いやる心であり、感謝であり、積極的な心だと分かった。感謝は人の心を大きく、美しく、そして強くします。いくらゴルフが上手でもプロにはなれません。強い人がプロになるんです。そして強い人はいつも周りの人に感謝している。だからますます強くなる。いろんなプロの姿を見てきて、そう思いますね。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の仕事の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版社 136ページ)「ありがとう」「ありがたい」「おかげさま」「助かりました」という言葉をいつも口にしている人は、感謝力が高い人だと思います。相手を思いやる気持ちを生活信条としている人は、回りまわって周りの人が自分を持ち上げてくれるようになります。そのためには、ニコニコ顔で丁寧に挨拶をする。日記に毎日感謝の言葉を一つは書くようにする。マインドフルネスの慈悲の瞑想を毎日3回唱和するのもよいと思います。ご先祖様に手を合わせて感謝の気持ちを伝えることから始めてみるのはいかがでしょうか。エディオン ピースウィング広島です。サッカーの試合会場です。
2025.04.09
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阿部亨先生は、対人恐怖の人は、人に相談したり、人に甘えたりということが苦手なんですね。いろんなことを相談したり、物を頼みたいのだけれども、迷惑がられるのではないかと考えて言えない。要するに対人恐怖の人は甘え下手ですよね。しかしわれわれは人に頼られたり、甘えたりするのは、適度であれば、決していやではない。(生活の発見誌 2003年10月号44ページ)2月号の生活の発見誌で和田秀樹先生が次のように説明されている。精神科医の土居武郎先生は「甘えの構造」の中で、甘えたらいけないんじゃなくて甘えられないのがいけない。素直に人に頼ったらいいし、素直に人の好意を受け入れたらいいのに、それができないから苦しむと言われています。また、ハインツ・コフートも人に素直に依存しなさい、人間というのは依存的な生き物で、自立しようとするのは無理だという話をしています。相手に甘えたいのに甘えることができない心理を考えてみました。対人恐怖の人は、人に頼みごとをするときに、相手に断られたときのことを真っ先に考えてしまうのだと思います。断られると、自尊心が傷つく。自分の全人格が否定されたような気持になる。相手は相手の都合があって断っているのですが、そのようには思えないのです。相手の気持ちを確かめるというのではなく、自分が傷付かないことを最優先にしているのです。どのように交渉すれば相手に快く引き受けてもらえるかではなく、相手に拒否されてしまうことを前提にしているのです。それが高じて、相手は私の依頼を冷たく拒否するに違いない。そういう先入観、決めつけ、思い込みで頭の中が一杯なのです。そういう態度はオドオドした態度として表面に出てきます。それを見て頼まれた相手はこの人は何か魂胆があるのではないか。うかつに依頼を引き受けると後から大変なことが起きそうだと判断する。そして予想していたように見事に断られて、自己嫌悪に陥ってしまうのです。どうすればよいのでしょうか。例をあげて考えてみました。私は集談会で、何回も参加している人に対して、「世話活動をお願いできませんか」という声掛けができなかった。相手から「手伝いましょうか」という言葉をいつまでも待っている。こういう場合は、不安神経症の人に助けてもらうのはどうでしょうか。不安神経症の人は、断れたときの対応方法が上手だと思います。大学生の時、好きな彼女ができた。彼女もまんざらではないようだったが、「つき合ってください」とは言えなかった。万が一断られたら恥さらしになると考えたのだ。煮え切らない態度をとっていたら、いつの間にか友達と結婚してしまった。こういう場合は、友人達に仲介してもらった方がよかったような気がする。飛び込み営業をやっていた時は、見ず知らずの人に「買っていただけませんか」というお願いができなかった。断られると自尊心が傷つくことが恐ろしいということにとらわれていた。対人恐怖の場合、独りでの飛び込み営業は難しいと思います。こういう時は二人一組で営業活動をすれば、同僚の力が働いて成果に結びつきやすい。営業事務をやっていた時は、キャパオーバーの仕事を抱えてパニックになった時、同僚や部下に「手伝ってもらえませんか」というお願いができなかった。断られるくらいなら自分でやった方がよいと考えてしまう。損な性格だと思うがどうすることもできない。同僚や上司に相談して仕事の配分を見直してもらうことが必要でした。
2025.04.08
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四代目三遊亭圓歌さんのお話です。私が真打になったのは昭和62年5月です。林家こぶ平さんと一緒の昇進でした。二人がいる部屋にマスコミが一斉に押し寄せてきましたが、フラッシュを浴びたのは、こぶ平さんだけでした。私はくやしくて涙を抑えられなくなって走って外に飛び出しました。そこで遠縁にあたるジュポン化粧品本舗の故養田実社長に出会いました。養田社長は私の話を聞いて、「うさぎとかめ」の童話の話をされました。「うさぎはどうしてのろまなかめに負けたのか言ってごらん」と言われました。私は、「うさぎにはいつでも勝てると油断があったのです。人生は油断をしてはいけないという戒めです」と答えました。養田社長は、「本当にそう思っていたのか。零点の答えだ」と言われました。かめにとって相手はうさぎでもライオンでも何でもよかったはずだ。なぜならかめは一遍も相手を見ていないんだよ。かめは旗の立っている頂上、つまり人生の頂上、つまり人生の目標だけを見つめて歩き続けた。一方のうさぎはどうだ。絶えずかめのことばかり気にして、大切な人生の目標をたった一度も考えることをしなかったんだよ。君の人生目標は、こぶ平君ではないはずだ。賢いかめになって歩き続けなさい。さらに養田社長は言葉を続けました。どんな急な坂道があっても止まってはだめだよ。苦しいときにはああ何と有難い急な坂道なのだ、この坂道は俺を鍛えてくれているのではないか、と感謝しなさい。有り難いというのは難が有るから有難いんだよ。私は社長のこの一言で迷いが吹っ切れたのです。そして、自分の人生の目標に向かって黙々と歩き続けよう、と思ったのです。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版社 52ページ)私は森田理論学習によって、人生の目標は短期目標、中期目標、長期目標があることを学びました。短期目標は、今日一日の目標と今週一週間の目標です。卓上カレンダーとスマホカレンダーで管理しています。中期目標は1年間の目標です。元旦に立てています。1年というスパンで見るといろんな行事があります。長期目標はこのブログの継続と認知症や寝たきりにならないで自分の足で歩いて元気に100歳を目指すことです。仏壇に向かって3つの目標を唱和し、ご先祖様に感謝して生きてゆきたいと持っています。広島城の桜は今満開です。
2025.04.07
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精神科医でマジシャンの志村祥瑚先生のお話です。志村先生は2017年から女子新体操のメンタルコーチをされています。10代から20代の選手たちに3ヶ月に1回のペースで指導されています。最初の頃はとがった刃のような怖い顔をしていました。皆、「ゴールは達成しなければいけない」「幸せな状態・成功というのは、結果を出すことだ」と、結果重視の思考に陥っていました。これを精神医学上「ゴール・フォーカス志向」と呼びますが、これでは終わりのないラットレースを走っているようなものです。慢性的な欠乏感やフラストレーションに襲われ、ゴールまでの過程を楽しめるはずがありませんし、燃え尽き症候群になりやすい。このゴール・フォーカス志向と対を成すのが「バリュー・アクション志向」です。価値に沿った行動をし続ける。意識をゴールから行動にシフトするという考えです。ゴール・フォーカス志向の時は、日々の練習は苦しかったそうです。バリュー・アクション志向を意識するようになってから、みんな明るくなり、表情が変わりました。具体的には選手に行動予定表を作成してもらっています。結果や成功、他人は自分でコントロールすることはできませんが、唯一自分の意志で動かすことができるが行動だからです。そのための演技の技術的な注意点をすべて書き出させて、行動に意識を向けるように伝えています。2019年の世界選手権で44年ぶりとなる団体総合銀メタルに輝くことができました。(致知 2021年7月号)これは森田理論の考え方そのものだと思います。ゴール・フォーカス志向というのは、「・・・でなければならない」「・・・であってはならない」という「かくあるべし」のことだと思います。理想の立場から、厳しい目で現実・現状を非難・否定しているのです。非難・否定を繰り返していると、自己肯定感を持つことができなくなり益々落ち込んできます。脳内をノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が駆け巡り、意欲が減退し、イヤイヤ消極的な行動しかとれなくなります。バリュー・アクション志向は、最終目標に至る課題や目標をきちんと把握しています。そしてその課題や目標を難易度の低いものから高いものへといくつもの階層に分けているのです。そして本人たちは、少し努力すれば達成可能な目の前の課題に集中しています。「今、ここに」全エネルギーを注ぎ込んでいるのです。これは脳内をドーパミン主導の報酬系神経回路が駆け巡っている状態です。行動は積極的、建設的、生産的、創造的になってきます。
2025.04.06
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昨日の続きです。今まで20分の強迫行為をしていた人であれば、何とかそれを半分ぐらいに減らしていく。一方で日常生活をしながら、少しずつ減らしていくやり方ですね。この方法でうまくいく人もいます。ところが「漸減」ということもなかなかできないという人もいます。その場合には、私はこれは「先延ばし」をさせます。これは強迫行為をしたいと思ったとき、一応今はこれをやめてですね、先へちょっと伸ばそうと。このことは宿題にしておいて、いま必要な仕事・掃除やなんかをやろう。掃除が終わったら強迫行為をしようということで、一応先伸ばしするんですね。先延ばしして、またその行為が終わったら、また先延ばしするのですね。ところがこれをすると一つ困ったことがある。夜、床についてから、それを全部まとめてやるんですね。人によっては1時間も、2時間も頭の中でやっているものだから眠れない。その場合は適当な睡眠薬を与えています。本来の方針からいうと正しいとは言えないのですが、現実的にはそういうことをすることもあります。ところが、即時停止、漸減、先伸ばしもダメという人もいます。そういう人には強迫行為をしてもよいと認めていました。強迫行為をしながらでもよいから、一方では今までよりも、もっと仕事をやりなさい。自分が気がついて仕事を強迫行為をやりながらでもいいから、ふやしていきなさい。そして細かく気をくばって仕事の質も良くしていくように指導しました。強迫行為が減ってきた人は、一体どこまでその強迫行為を減らしたよいのかと質問してきます。これは非常にむずかしい問題なのですよね。強迫行為は、ひとつには非常に自分が苦しいから、次に日常生活が不便になるから治さなければいけないわけです。ですから、ある程度だんだん我慢して減ってきて、日常生活にはそうさしつかえない程度になってきた。それから自分でもだいたい自分の性格から考えて納得できる程度だというふうになれば、もうそれがその人の健康な状態であると考えていいわけですね。またその頃になると、その人の関心は本来のより建設的なものの方に向くようになります。
2025.04.05
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強迫行為の「表現型」についての説明です。この中に不潔恐怖の人がいます。何か汚いものをさわった場合、普通はていねいに1回洗えばいいわけですけれども、まだ汚ないような気がするというような気分の方に重点を置くものだから、何回も手を洗うということをするわけです。これが進むと、実際には手が汚れていないし、さわっていなくても、汚れたような気がして洗うことになる。うちに入院してくるような人は、5~6時間手を洗ったり、入浴したりするような人は結構います。これは「自己完結型」です。ある意味で意志の強い人です。直接的には他人には迷惑がかかりません。それから、過失恐怖の人で、結構多いのは、車の運転をして自分の家に帰った。そうすると、自分が今運転してきたその車が、気がつかないうちに誰かを轢いたんじゃないだろうか、事故を起こしたんじゃないだろうかということを気にする人がいる。気になるので、自分が今通ってきたところに戻るんですね。「自己完結型」の人はそれで済むのですが、困るのは「他人巻き込み型」です。ひどくなると、家族や周りの人、会社の人たちに迷惑が掛かります。また、ひどくなってくると、精神病と間違えられることになります。次に必要な行動をしなくなる「強迫禁止」というものがあります。強迫行為をしている人は嫌で仕方がないんですね。そのうちだんだん強迫行為をするのがつらく面倒臭くなってきて、強迫行為を引き起こすようなことは一切しないというふうになるんですね。これが「強迫禁止」です。不潔恐怖の人は、強迫観念が起こらないように、外出しないようになる。対人恐怖の人が、人の中に出ないとかいうのも、一種の「強迫禁止」ですね。不安神経症の人が一切電車に乗らないというというのも「強迫禁止」です。では次に克服するにはどう対応したらよいのか。森田療法の本筋から言いますと、言うまでもなく、心の中でどんなに気になっても、それに対して強迫行為の気休めをしない。強迫禁止に逃げない。そしてがまんをして、やらなければいけない日常生活を進めていく。これがまあ森田療法の一番原則的な態度で、強迫行為の「即時停止」ですね。しかし現実問題としては、これをすぐ実行することは非常にむずかしい。阿部亨先生は、「漸減」「先伸ばし」の方法をとっていた。それ以外の方法も含めて、明日の投稿課題とさせていただきます。
2025.04.04
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生活の発見誌2003年10月号に阿部亨先生の「強迫行為」についての再録記事がありました。阿部先生は強迫観念とは、普通の人は嫌な考えや不安が頭に浮かんできても、それをそう重視しないで、受け流して、自分の生活が進んでいます。神経質者の場合は、嫌なことなどはあってはならないものとしてなくそうとしている。するとその考えが頭にこびりつく。何とかして、これから逃げようとすればするほど、こびりついてくる。これが強迫観念です。その場合に、気になりながらも行動を進めるということをしないで、気になる考えをなくそうとして、本来ならやらなくてもいいような、一種の気安め行為をする。そういう気安めのためにする行為を強迫行為というわけです。強迫行為は阿部先生の分類によると、「観念型」と「表現型」があるそうです。「観念型」というのは、外見的な行動としては現れないけれども、心の中でいろいろとやりくりをするということですね。阿部先生が強迫行為で悩んだ時は、この「確認型」の確認だったと言われる。試験勉強をしたときに、きちんと理解したか不安なものですから、自分の心の中で、これだけ自分はやったんだ、もう大丈夫だと言い聞かせるんです。この「確認型」の人は、回数が問題になります。阿部先生は5回だった。5回という数字をはっきりイメージしながら繰り返す。しかし、5回というイメージが崩れたり、人から何か言われた時にはそれが崩れて、また最初から繰り返すのです。過失恐怖(確認恐怖)の人も、そういうことがあります。自分のやった行動に間違いがなかったかどうか、後からいちいち頭の中で繰り返して確認する。大体大丈夫だという気持ちになってから、次の行動に進む。それから「置き換え」というのがあります。縁起恐怖の人などが何か不吉なこととか、いやなことなどが頭に浮かんだ場合に、わざわざ、良いことやお目出たいことを考えて、心のなかのイメージがよくなってから、次の行動に進むということですね。ただ、しかし、それはそう簡単にはいかないんで、非常に時間がかかるわけです。たとえば、ある人は黒と白というふうな考えが浮かんだ場合に、黒と白というのは、お葬式のときの幕の色だと。だからこれは赤と白、紅白の幕に考えを変えなければいけないと。そういうふうに言っても、なかなか簡単に考えは変わらないんですね。その他13とか4とかの数についても、同様な「置き換え」をやる。だから非常に時間がかかるということになるわけです。「表現型」の確認行為は、明日投稿いたします。
2025.04.03
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劇団四季芸術総監督の浅利慶太氏のお話です。俳優とは人それぞれ伸びるテンポが違うので、自分だけの時計を持たないといけないんです。ところが、「私はなぜあの人のようになれないのだろう」とついつい他人の時計を覗いて、自分を見失ってしまうんですね。逆に、不器用でも10年から15年やっていると自然にテクニックが身について上手くなっていくものです。二枚目でなくて声もいまひとつで、身体能力も高くなくて、あるのは根性だけという子でも、10年やると結構いいバイプレーヤーになります。しかも器用でない分、苦労し、人格的に深みが出てくる。ですから、訓練に耐える力も、じっと待つこともできる力も、芝居を愛し続ける資質もすべて才能なんです。僕はオーディションの時に「10年辛抱できますか」と質問します。誰もが「できる」と答える。でも、実際は1年以内に多くの子が辞めていってしまいます。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版 30ページ)私は高良武久先生から次のような話を聞いた。対人恐怖症の人は10年一つのことに愚直に取り組んでみなさい。取り組む内容は仕事でも、趣味でも何でもよい。10年継続して取り組むと、たいていその道の専門家になれます。自信がつきます。自信がつくと対人恐怖症はあってもなくてもどちらでもよいと思えるようになります。1992年(平成4年)6月号の生活の発見誌に曽野綾子さんの記事があった。ある板前さんで奥さんから「あなたは経済に関しては何も知らない」と言われる。カラオケを歌わせれば音程がデタラメ。マージャンをすればみんなのカモにされる。ゴルフもみんなの足手まといになる。その人が悠々と笑いものになっていられるのは、料理にかけては誰にも負けないという聖域を持っているからなのです。継続は力なりという言葉があります。継続することは登山をするようなものです。しんどいこともあります。問題も発生します。それでも投げ出さないで登り続ければ自信がつきます。あとでこれでよかったのだと振り返ることができます。そして次の目指すべき目標が見えてきます。
2025.04.02
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山口勉氏は、東京都町田市で町の電気屋「でんかのヤマグチ」を経営されています。近所には大型家電量販店が6店もあるそうです。量販店の安売り競争に巻き込まれてしまうと、規模の小さいお店はひとたまりもありません。どうすれば、町の電気屋さんが生き延びることができるのでしょうか。そこで山口氏のとった対策は、今後10年間で粗利率を35%にするというものでした。当時の量販店の粗利率は約15%です。地元の電気屋が約25%程度でした。大型量販店が熾烈な安売り競争をしているときに、高売りをしようというのですから、周りからは「そんなことは出来っこない。店はすぐにつぶれてしまう」と猛反対されました。山口さんは発想の転換を図りました。山口さんが取り組んだ対策は次のようなものです。当時34000世帯のお客様にご利用いただいていましたが、そのお客様を3分の1に絞り込みました。ターゲットは50代からの富裕な高齢者に絞り込みました。敢えて安い商品を選択するお客様を深追いすることをやめたのです。これはとても勇気のいることです。その代わり、12000世帯のお客様には他店では真似ができないようなサービスを提供しようと考えました。顧客数を3分の1に減らした分、月1回行っていた訪問営業を月3回に増やしました。これによって、お客様との深い人間関係ができ、商品が少々高くても購入して下さる方が増えるだろうと考えたのです。訪問の際にお聞きするのは、お客様が生活される上でのちょっとしたお困り事についてでした。ひと昔前の日本では何か困りごとは隣近所で助け合い、支え合うという相互扶助の精神が息づいていました。私が着目したのはこの部分です。家電製品のデジタル化が進む一方で、地元民の高齢化もどんどん進んでいました。当然、家電の操作が思うようにできない方も多くなりますが、お客様の困りごとはそれだけに限りません。ご高齢、体の不自由な方は買い物に行くのも大変です。そのため、当店では本業とは無関係なことも徹底してやらせていただくようにしたのです。お客様の留守中には植木の水やりをしたり、ポストの手紙や新聞を数日間保管したり、大雨の時は代わりに買い物にも出かけたり、これらを我々は「裏サービス」と呼び、お代は一切いただきません。会社のモットーも「お客様に呼ばれたらすぐにトンデ行く」「お客様のかゆいところに手が届くサービス」「たった一個の電球を取り換えるだけに走る」などに定め、「どんな些細なことでも言ってくださいね」とお声がけをしながら10数年、社員パート合わせて50名で徹底して取り組んできました。悪い評判に比べ、よい評判が広がるにはかなりの時間がかかります。しかし、この姿勢を愚直に、ひたむきに貫いていったことで、結果的に8年間で粗利率35%を達成することができました。(1日1話、読めば心が熱くなる365人の生き方の教科書 藤尾秀昭監修 致知出版 180ページ)過酷な現実を目の前にすると、廃業するしかないのでは方法がないと考える人が多いのではないでしょうか。その点山口氏の発想の転換には驚きました。高齢化で自由に出歩くことができない、身内が近くにいない、相互扶助精神の希薄化、家電製品の取り扱い方の複雑化、使用方法の相談に対応してくれない、メンテナンスの手間、修理対応の複雑化、対応力の難しさという現実や問題点が分かってくると、どうすることもできないと思っていた状況の打開策が見えてくるということではないでしょうか。すぐにダメだと決めつけないで、相手の立場に立って、別の側面から考えてみることが大切になるということではないでしょうか。
2025.04.01
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