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認知療法の「脱中心化」という考え方は、例えば、「私はダメな人間だ」という考えが浮かんできたときに、それを絶対的な真実として捉えるのではなく、「そう考える自分がいる」と、思考を客観的に観察します。思考は頭の中で生じる単なる言葉やイメージであり、必ずしも現実を正確に反映しているわけではないと理解します。それはまるで自分の思考や感情の流れを、川の流れを岸から眺めるように、客観的に観察するイメージです。判断したり、評価したりしないで、ただ「ネガティブな思考や感情が浮かんできた」「悲しい感情が湧き上がってきた」という事実を認識するだけです。客観化ができるようになると、過剰にネガティブな思考や感情にとらわれることがなくなります。「脱中心化」の例で考えてみましょう。・不安な思考にとらわれた時同一化・・・「また、サックスの演奏でミスや失敗をして恥をかくのではないか」と不安になる。茫然自失状態になる。手足が金縛り状態になる。やる気がしなくなる。脱中心化・・・『「また、サックスの演奏でミスや失敗をして恥をかくのではないか」という考えが浮かんできたな』と思考を客観的に観察する。思考はあくまで可能性であり、確定した未来ではないことを確認する。ミスや失敗を防止するために毎日練習を積み重ねて来たじゃないですか。120%の練習をして80%のパフォーマンスが出せれば十分ではないか。「弱気は最大の敵だ」自分を信じて練習通りやっていこう。・激しい怒りが湧いてきたとき同一化・・・自動車を運転中に無理な割り込みをされた。「何て乱暴な運転をするんだ」と怒り心頭になってクラクションを鳴らして威嚇した。脱中心化・・・『「何て乱暴な運転をするんだ」と怒り心頭で腹立たしい』という気持ちになっていたなと思考を客観化する。車間距離をとっていたらそんなに腹が立たなかったかもしれないな。この先で3車線から2車線になるので相手も無理やり割り込みをしてきたのかもしれない。ましてや高齢者や女性だったら、笑って許してあげた方がよいかもね。ハザードランプを点灯していたのでそんなに腹を立てる必要もないか。客観的な立場で観察するためには、自分とは別のもう一人の自分を作っておく必要があります。私はもう一人の自分を「専属アナウンサー」と呼んでいます。専属アナウンサーに実況中継させているのです。これは売り言葉に買い言葉的な対応で人間関係作りに失敗しがちな人には効果があります。
2025.06.30
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森田先生はエジソンのことをしばしば取り上げておられます。エジソンは郵便局の小使いであった時、手で郵便物を運ぶのがうるさいので手車を発明した。また汽車に乗っていたころ交替時間を気にするのが面倒なために、目覚まし時計を発明した。いかにすれば発明心が起こるか、どうすれば発明ができるかと考えていては発明などできはしない。ただ純に欲望に従って、工夫していくのである。しからば方法はどうでもよいかというに、そうはいかない。方法は欲望に従って自然に生まれるものである。(森田全集 第5巻 156ページ)エジソンは仕事や日常生活の中で、面倒な事や苦痛を感じことを何とか解消できる方法はないかと考えて工夫することに情熱を傾けていた。我々は面倒だ・苦痛だと思うだけで、その後何も手を打たないでやり過ごしてしまうことが多いのですがこの点が大きく違います。神経質性格者は、小さな問題や課題を見つけることが得意なのですから、この点エジソンから学びたいものです。エジソンの発明品は数知れず、特許取得数は1000件以上に及びます。単に新しいものを発明するだけではなく、既存の技術を改良し、実用化することで社会に大きな影響を与えました。主だった発明品としては、発熱電球、蓄音機、電話機の改良、発電システム、配電システム、アルカリ電池、謄写印刷機、映画映写機、セメント製造技術、株式相場表示器などがあります。そのエジソンは小学校にわずか3か月しか通っていません。学校では「なぜ、なぜ」という質問をくり返し、先生たちを困らせ学校教育にはなじまないと判定されて退学させられたのです。その後は元教師で母親のナンシーが自宅で教育しました。旺盛な知的好奇心に応えて、百科事典などを使って一緒に学び、さまざまな実験にも付き合いました。エジソン自身も、母親の教育がなければ発明家にはなれなかったと語っています。母親の教育によってエジソンの好奇心、興味や関心は大きく花開いていったのです。その他エジソンの活躍にはどんな特徴があったのでしょうか。①目標が明確であった。その目標も発明品が社会に役に立つものかどうかを基準に考えている。ある時、議会での投票を迅速化するために、電気投票記録器を開発したが、議員の反対にあい、商業的には成功しませんでした。この経験から「社会に必要とされない発明はしない」という教訓を得たそうです。②挫折や失敗を前向きにとらえている。失敗は成功のための足がかりと考えて大切にしている。フィラメントの開発にあたっては適切な素材が見つからず、5000回ほどの失敗を繰り返しました。普通の人だと途中で挫折すると思います。エジソンはミスや失敗や挫折は目標を達成するためには避けて通れないものと考えました。目標に到達する過程では、二歩前進一歩後退のプロセスを経ながら到達する方がよいと考えました。失敗を大歓迎しています。失敗して落ち込むようなことはありません。試行錯誤を重ねて、改善・改良を経ていないものが世の中に出て行くと、いずれ問題が出てくると考えました。失敗体験は、その方法ではうまくいかないという貴重な情報を教えてくれる。改良・改善方法を考えて実験をくり返す。工夫してさらによいものにしていく。他の専門家と協力して、より良いものを発明することを心がけています。③協力者、専門家、研究者、支援者、資金提供者を集めることに力を入れている。1876年ニュージャージー州のメンローバークに産業研究開発施設を作りました。多くの発明品はここで生まれている。ここにヨーロッパなどで活躍していた著名な専門家や研究者を集めています。これらの人が、最大80名ほどでエジソンの発明を助けています。資金提供者としてはJPモルガン、ドイツ銀行などが協力している。エジソンの発明は、彼自身の才能と努力に加えて、多くの人々からの資金的な援助、専門的な協力、そして社会全体の期待という背景があってこそ実現したのです。
2025.06.29
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森田先生のお話です。諸君は、「くたぶれて、ヘトヘトになった時に、どうすればよいか」とか、「読書をして、頭がぼんやりした時は、それでも無理に読むか」とかいうふうに、反問してはいけない。そういう窮地に達すれば、自らそれを切り開く道が現れて、心の変化が行われるようになる。時と場合とにおける事情は、常に複雑極まりのないものであるから臨機応変で、決してこれを「どうすればよい」とかいう鋳型にはめるべきものではないのである。(森田全集 第5巻 568ページ)森田先生は、私たちが日常生活で感じるさまざまな心の葛藤や疑問に対して、自分の都合だけに焦点を当てて拙速に行動するとまずいと言われています。周囲の状況に合わせることが大事になると言われています。たとえ、くたぶれて、ヘトヘトになったとしても行動しなければならない時がある。頭がぼんやりした状態で読書をしても無駄になるから、完全に止めてしまうのはもったいないと言われています。その時の状況によって行動しなければならない時もあるし、休んでもよい場合もある。「くたぶれて、ヘトヘトになった時」にいきなり回復方法を考えるのではなく、自分が今置かれている状況をきちんと把握する。そのうえで疲労困憊している自分の今の状態を分析する。読書をして、頭がぼんやりした時、いきなり放り投げて寝てしまうのではなく、いまの自分の状況を正しく認める。明日試験があるという場合、寝てしまって朝を迎えるのは極力避けなければならない。自分の欲望や気持ちをきちんと認めることは大事なことです。ただし、欲望のままに拙速に行動するのは考えものです。主観的事実の裏には客観的事実があります。主観的事実のみで突っ走るのは幼児のすることと一緒です。理性や判断力を活用して、客観的事実を分析することが欠かせません。自己洞察を深めるのです。主観的事実と客観的事実のバランスをとるように心がけるが必要になります。実際に行動する時は、客観的事実を基にして行動する方が丸く収まります。疲労困憊状態で無理やり運転すると事故につながります。こういう場合は安全運転のため20分程度の仮眠を取る必要があります。明日試験というような場合、一旦寝てしまうとそのまま朝を迎えることになりかねません。風呂に入ったり、散歩をしたりして仕切り直しすることが肝心です。あるいはなるべく早く寝て、4時ごろから勉強をするのもよいかも知れません。読書の場合は、眠くなったり雑念が湧いてきたとき、我慢してボチボチと読み進んでいると、時間の経過とともに頭脳爽快となり集中力が出てくることがあります。これは読書には波があるということだと思います。こうした経験があれば、我慢して読み進もうという気持ちになれます。また、森田に「休息は仕事の中止ではなく仕事の転換にあり」という言葉があります。この成功体験があれば、読書を中止して身体を動かす仕事に取り組む。しばらくして、また読書に取り組めば新たに気持ちで取り組むことが可能になります。
2025.06.28
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私は不快な感情が湧き上がってきたとき、気分に振り回されそうになったとき、ネガティブ思考をしたとき、次の4つの視点からチェックするようにしています。①事実の裏付けはとったのか。先入観、思い込み、決めつけ、早合点を基にして行動していませんか。②上から下目線で自分や他人を非難・否定してはいませんか。③その考え方は両面観で見ていますか。④事実に対して、良い悪い、正しい間違いなどと評価を下していませんか。①についてですが、人の話を鵜呑みにして行動すると後で取り返しのつかなくなることを何度も経験しました。これは絶対に儲かると言われて、金の先物に手を出したことがありますが大損失を出しました。森田先生は五高時代に、幽霊が出るという話を聞いて夜中に一人で調べに行かれています。関東大震災の時には、流言飛語がどこで発生して、どういうふうに広がり、人びとにどんな影響をもたらしたかを調査されています。時間や経費が掛かっても、自ら現地に出向いて、自分の目で確認することはとても大事なことです。②は「かくあるべし」を自分や他人に押し付けていると、森田先生の言う「思想の矛盾」で苦しむようになります。理想と現実の狭間で格闘するようになります。森田では自分の中に二人の自分が住みついていると学びました。一人は問題を抱えて四苦八苦している自分です。もう一人の自分は、それを上から下目線で眺めて非難・否定している自分です。森田では雲の上にいる自分が、地上に舞い降りて、現実世界で苦しんでいる自分に寄り添うことが大事だと学びました。③についてですが、あらゆるものにはコインに裏表があるように二面性があります。マイナスの裏にはプラス面がある。短所の裏には長所があります。美しいものの裏には醜いものも隠れている。もし片方向しか見ていないとなると、片手落ちということになります。飛行機でいえば片肺飛行しているようなものでとても不安定です。森田に、精神拮抗作用、不即不離、不安と欲望の関係、主観的事実と客観的事実などのキーワードがありますが、これらは両面観の考え方を多面的に説明しています。サーカスの綱渡りのようにバランスをとりながら前進することが大事になります。④についてですが、森田先生は良い悪い、正しい間違といった価値判断をすることを警戒しておられます。「是非」「善悪」「苦楽」の拘泥を超越して、ただ現実における「生の躍動」になりきることを勧めておられます。「雨が降るのは気分が暗くなるからいやだ」と思うよりも、必要とあれば傘をさして出かけていけばよいということでしょうか。良い悪い、正しい間違いという価値評価は時代によっても、人によっても随分違います。この4つのチェックポイントは、紙に書きだして、絶えず意識するようにしています。不快な感情や気分に振り回されそうになったとき、ネガティブ思考に陥った時、「これはまずいよ」とすぐに立て直すことができるので重宝しています。
2025.06.27
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森田先生のお話です。船酔いについて、商船学校が毎年多数の卒業生を出すが、卒業の時に、必ず遠洋航海に出ることになっている。その時に100人に100人ながら、みな必ず船に酔う。酔わぬ者は殆どいない。つまりこれが普通の人の生理的感覚であるといってもよい訳である。これを治すには必ず無理を押し通して、酔うがまま働かなければならない。中にはマットの上で嘔吐するような事さえもある。つまり酔うままに、しかたなしに、自分の職務を尽くすわけである。もしそれが、自分は酔うからといって、仕事を休んだり寝ていたりしていては、決していつまでも、船酔いは治らないとの事であります。富士山の強力を職業としているものは、平常は百姓などをしていて、夏は強力になる。毎年初めて登る時には、強力でもやはり、普通の人間であるから、人並みに足も痛む。その翌日ははなはだしい時は、便所でも、こごめないほど、股やふくらはぎが痛いとのことである。しかたないから、痛いのを我慢して、足を引きずるようにして、強いて登山を続ける。そうすると、一週間もたつうちには、いつとはなしに、足の痛みもなくなり、夏中続いて、その職業をやって行く事ができるとのことである。この場合に、痛いのを我慢して続けるのが、「無理を押し通す」であり、そのうちに痛みを忘れるのが、いわゆる「コツ」である。(森田全集 第5巻 564~566ページ)これらは一度、成功体験をしていると、次の時には何の障害にもならないということです。最初はつらい思いをするが、時間の経過が薬となって、その苦痛は霧散霧消すること分かっているので、少々の苦悩に耐えることができるのである。忍耐力という能力がついているのである。マラソンではランナーズハイという現象がある。走り始めたころ、息も苦しく、足もだるくてもうこれ以上走れないと思うときがある。その時競技を止めてしまえば楽にはなるが完走はできない。勝負にはならない。多少ペースを緩めて我慢して走っていると、そのうち楽に息ができるようになり、足の疲労も感じないようになる。これはβエンドルフィンが出て苦痛を和らげているからだという。幼い頃から、不快な気分に流されないで我慢して乗り越えたという成功体験は、大人になったとき役立ちます。不安に対しても、逃げ回ったりしないで、きちんと対応した経験は、その後同様の不安が湧き上がったときに大いに参考になります。幼い時に小さな成功体験を積み重ねていない人は、人間としての基礎的能力が育たないので、大人になったとき右往左往することになります。こんなとき自分一人で判断すると間違いにつながりやすい。森田理論に「迷いの内の是非は是非ともに非なり」という言葉があります。成功体験のない時に、自分一人で思いつくままに対策を立てて行動すると、問題が解消するどころか益々深刻化するということです。どうしたらよいのか分からないときは、すぐに判断しないでしばらく様子を見ることが肝心です。神経質な人はすぐに問題を解決しないと落ち着かないところがありますので要注意です。こんなときは信頼できる人に相談してみるというのも一つの手です。周囲に乗り越えた先輩がいればどのような対策をとったのかを聞いてみるのです。船酔いの問題も強力の筋肉痛も既に成功体験を持っている人は、すぐに的確な回答をしてくれるはずです。森田理論も、生活面、仕事、人間関係、子育てに活用・応用している人から教えてもらうことが自分の成長につながります。
2025.06.26
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為末大氏は、「現状維持」は停滞と同じだと言われています。人には利益を得ることよりも、損失を回避することを重視する傾向があります。だから、一度手にしたお金や地位を「失いたくない」という気持ちが働いて、未知なもの、未体験なものを受け入れようとしなくなります。僕は、人間の成長にはチャレンジがともなうと考えています。「新しいことに挑む」「やったことのないことをやってみる」そのプロセスがなければ、人は成長できません。できることだけをやっていたら、昨日と変わらない今日があるだけ。成長とは、できないことができるようになること。現状維持は、停滞と同じです。(心のブレーキを外す 為末大 三笠書房 109ページ)人間に生まれたからには、絶えず課題や目標や夢を持って、挑戦する生き方が大事だと言われています。現状維持でよいと思った瞬間から、急に力が抜けて気力が減退することはよく起こります。絶えず課題や目標や夢を持って、何とかしたいと思っている人は、目の輝きが違います。またさらに大きな目標を持つこともできます。エベレストの遭難は登頂時よりも、下山している時が圧倒的に多いそうです。エベレスト登山は死と隣り合わせの登山となります。登頂に成功すると喜びに浸り気が緩むことがあるそうです。緊張状態が急に弛緩状態に切り替わってしまうことは恐ろしいことです。ですからエベレスト登山では登頂後の目標や目的を明確にしておくことが欠かせないのです。森田先生は風邪をひくというのは寒い冬に緊張状態で帰ってきた後、炬燵に潜り込んで転寝をするようなときが危ないと言われています。自動車に酔う人が、早く行き着いて寝ようとか、ここまで来たからもう十分だとか、自分の都合のよい楽な事を考えると、もうあと2~3分というところで、気が緩んで、急に吐き出すようなことがあると言われています。(森田全集第5巻 455ページ)緊張状態から弛緩状態に切り替えるときは徐々に切り替えることが大事なのだと思います。気持はすぐに切り替えても、身体は急には切り替えられないということだと思います。オリンピックの選手がメダルを獲得してほっとしてしまうと、その後態勢を立て直して再び戦闘モードになるまでにかなりの時間がかかるようです。為末さんもハードルで銅メタルをとって気を抜いたため、復帰まで2~3年を要したと言われています。大谷翔平選手は2024年数々のタイトルを獲得しましたが、それはもう終わったことだ。いつまでも余韻に浸ることなく、次のシーズンに向けて新たなチャレンジを始めています。今シーズンはまた二刀流に挑戦していますが、ファンにとってはとても楽しみです。
2025.06.25
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森田先生のお話です。僕が医科大学の2年級の時に、真宗の村上専精博士を訪ねて、「どうすれば、信仰心が得られるか」という事を質問したところが、「ただ南無阿弥陀仏といっていればよい」といわれた。その当時は、そんな事は、なかなかわからないで屁理屈に固まっていたのである。その後、年を経てから、初めて、神を礼拝する行動はそのまま敬虔の情を養う第一の条件であるという事を知るようになった。すべての宗教が形式を重んじるという事は、この理由であって、最も大切な事であると思うのであります。僕の方では、ただ外形を重視する。心の内には、「自分は病身である、劣等で意志薄弱である」とか、どの様に思っていてもよい。心の内には、苦しみながら・ビクビクしながら・いやいやながら・どうかこうか・人並の仕事をやっていさえすればよい。極めて簡単である。(森田全集 第5巻 561ページ)私は集談会を教えてもらった「靴が揃うと心が揃う」という言葉が好きである。心の中で暴風雨が吹荒れていても、起床時間になったら身支度を始める。朝食をとって、安全を確認して、勤めのある人は家を出る。主婦の人は食器洗い、洗濯、掃除、片付け、ゴミ出し、ペットの世話、観葉植物の手入れなどに取り組む。最初はおっくうでも、行動を開始すれば少しずつ弾みがついてくる。今日は気がすすまないので仮病を使って休むというのは問題だ。ほっとするのは一時的なもので、自己嫌悪に陥りやすい。さらに次の日、他の人が調子づいているのに、自分はまだアイドリング状態というのでは周囲と波長が合わなくなってくる。海遊館などの大きな水族館に行くと、海上で大きな波が立っていても、底のほうにいる魚はほとんど影響を受けないで悠然と泳いでいる。心の中は暴風雨が吹荒れていても最低限のことは手を出していくのがよい。そのためには規則正しい生活習慣を作り上げることをお勧めする。毎日同じ時間に同じことをするように習慣づけるのである。すると身体が自然に動くようになる。これは3か月で習慣化できる。これを確立すると不快な感情、不快な気分に振り回されることがなくなる。不快や感情や気分に耐える、我慢しながら生活できるようになる。忍耐力という能力を獲得できるようになる。
2025.06.24
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羽生結弦選手は「努力はウソをつく。でも無駄にはならない」という言葉を残されている。この言葉を森田理論で考えてみたい。「努力はウソをつく」の意味誰よりも練習して努力したことが、必ずしも思惑通りの成果や成績につながるとは限らない。本番で緊張してしまった。体調が万全ではなかった。道具に不備があった。滑走の順序に問題があった、リンクの状態がよくなかった。アウェイで心理的なプレッシャーを受けた。対戦相手がミスなしで自分以上の圧巻の演技をした。本番ではちょっとしたことで、微妙な狂いが生じます。それがそのままパフォーマンスの優劣として出てしまいます。人一倍練習をして努力しても結果が出るかどうかは、「神のみぞ知る」で自分ではコントロール不可能なことです。これだけ努力したのだから何とか勝たせてもらいたいと念じてもどうにもならない。勝ちたい、勝たせてもらいたいというのは主観的事実だと思います。主観的事実だけで物事を考えて実行していると期待を裏切られることが多くなります。それは注意や意識が勝たねばならないという結果に向けられるために、前頭前野が不安をあおり心身が金縛り状態になってぎこちない動きになるからです。「でも無駄にはならない」の意味結果至上主義ではなく、森田理論でいう「努力即幸福」という考えに立つと心のゆとりが出てきます。たとえ期待しているような結果が出なくても、徹底した練習を繰り返すと、経験、知識、能力、精神力、忍耐力を養うことができます。目標に向かって努力したという事実は、結果にかかわらず自己肯定感や自信を育てます。仮に敗北しても、改善点や修正点が見つかれば、次の目標が明確になり、さらに意欲に火がついて、モチベーションが高まります。また献身的に練習を手伝ってくれた人、精神的、経済的に支えてくれた人たちに感謝の気持ちが湧き上がってきます。一所懸命に目標に向かって努力する姿は周囲の人に感動を与えます。その人たちの声援や応援をうけてさらに飛躍できます。私たちは労力、お金、時間をかけて努力したことは、性急に成果や見返りを求めます。成果や見返りが不確定なときはしり込みしてしまいます。過去の失敗体験を思い出すと積極的に挑戦する気持ちにはなりません。リスクを犯して挑戦しても、失敗でもすれば投入した労力、お金、時間が無駄になってしまうと考えてしまう。敢えてリスクを犯して挑戦するよりも、今現在大きな不満がなければ現状維持で我慢した方が得策だと考えてしまう。そして何もすることがなくなり暇を持て余してしまう。その隙間を埋めるために刺激的、刹那的、享楽的なものを見つけてのめり込んでしまう。森田では自然に湧き上がる感情や気分は「主観的事実」と言います。主観的事実には「自然服従」するしかないと言われます。湧き上がった感情や気分のままに行動するといろんな問題が出てきます。森田では「主観的事実」に対して、「客観的事実」があるといいます。二つのバランスをとることが必要ですが、ともすると「客観的事実」のことを無視しがちになります。「客観的事実」に気づくためには自分の中にもう一人の自分を作る必要があります。自分の分身、相棒のようなものです。私は自分専用のアナウンサーと呼んでいます。ネガティブな思考や感情が沸き起こってきたとき、自分の専用のアナウンサーに現場に急行させて実況中継させています。これをすると、少し冷静になり、客観的に分析、検討、洞察できるようになります。森田理論ではこのことを自覚(気づき)を深めるといいます。行動は、主観的事実に基づくよりも、客観的事実に基づく方がよい結果につながることが多いようです。
2025.06.23
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「日々是好日」について、古閑先生は、毎日の生活は良いこと悪いことが繰り返されているが、良い事にのみ目をつけていけば、その日が好日であり、悪い事ばかりに目をつけて、良い方面に眼をつぶれば、日々が悪日なると思うと言われている。これに対して森田先生はその説明はちがうのではないかと言われている。正岡子規が、七年間、寝たきりで動く事ができず、痛い時は泣きわめきながら、しかも俳句や随筆できたというのは、これが「日々是好日」ではないかと思うのであります。良いも悪いもその時々に「なりきる」という絶対的の感じである。「溺れる者は藁をも掴む」とか、「皿を割って、思わず取り上げて、これをつぎ合わせて見る」とかいう「純なる心」そのままであって、藁をつかんだ方が得策だとか、皿をつぎ合わせるのは、馬鹿げているとか、そんな理屈の入る余地はないのである。(森田全集 第5巻 559ページ)森田先生は苦しい時は苦しむ。悲しい時は悲しむ。怒る時は怒る。そんなマイナス感情を起こしてはならないと考える必要はない。感情は自然現象だから人間の意志の力でコントロールすることはできない。正岡子規のように、ただただ「感情の自然に服従」するしかない。正岡子規が創作活動ができたのは、時たま痛みが和らぐ時があったことと、耐えがたい痛みと正面から格闘しなかったことだと思われます。古閑先生の考えだと、悪い思考や悪い感情が湧き上がったとき、それらを忌み嫌って排除しようという考えになると思う。この考え方をとっているといずれ神経症になる。神経症の発生は誰でも感じる不安にいつまでもとらわれて、精神交互作用で増悪させていくことから始まる。森田先生は全ての感情に対して「自然服従」という立場である。ネガティブな感情、マイナス感情もそのままに受け入れる。神経症で苦しいとき、何とかしてこの苦しみを取り除きたいと思う。森田理論を学習した人は、そのようなはからいをすると神経症はますます悪くなっていくということを学習している。はからいをやめて、目の前のなすべきことに手をつけていこうと考える。森田先生は「何とかして神経症を治したい」という感情も「自然服従」の立場である。「善悪不離・苦楽共存」の態度なのである。「神経症で苦しい」「何とかならないものか」を含めて、湧き上がってくる感情に「自然服従」して逃げたり、取り除こうとしないで「なりきる」ことが肝心ということになる。
2025.06.22
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親になると子どもを成長させる責任が生じますが、神経症で苦しい時は子どものことは後回しになりがちです。自分の問題は横において、子育てに注意や意識を向けて生活すれば、子どもにも親にとっても好循環が生まれてくるのではないでしょうか。モンテッソーリ教師あきえさんの『「信じる」子育て』からポイントを探ってみました。この本によると、子どもが「じりつ」することが最終目標になりますが、「じりつ」には2つの側面があります。・自立・・・自分のことが自分でできるようになること。・自律・・・自分で自分を律することができるようになること。子どもは生まれた瞬間から二つの目標に向かって自ら成長・発達していきます。ここで大事なことは、親が主導権を持って子どもに2つの「じりつ」を促しているわけではありません。日々の生活の中で、子ども自身が獲得していくものです。親は子どもの「じりつ」を手助けする役割と責任を持っているということです。この前提条件をきちんと理解していないと、子育てはうまくいきません。過保護、過干渉、自由放任の子育てでは、子どもも苦労し親も後悔するようになります。そのためには、親になった人は、子育ての基本や基礎を学習する必要があると思います。また子育て中の親は仲間を作って情報交換をする必要があります。そして母親だけではなく父親も参加することが大事になります。自己流の子育ては迷うことばかりで、苦労するわりには実りは少なくなります。たとえば、幼児期のこんな問題にどう対応されていますか。・1歳半を過ぎると、自分の要求が通らないと駄々をこねるようになります。・一人でできるのに「やって」と甘えてくる。・やってはいけないと何度注意してもやってしまう。・やろうとしないのでつい親が口を出す。手を出してしまう。・食事中に席を立つ。物を落とす。・歯みがきを嫌がってやろうとしない。・一人で着替えができない。・遊び道具を片づけられない。・約束が守れない。・集中力が続かない。・嫌なことがあると叩いたり噛んだりする。・友達にものを貸してあげられない。・素直に謝ることができない。・人見知りで困っている。・言葉遣いが乱暴で困ってしまう。これらの対応方法が分かるだけでも、子育ては楽しくなるのではないでしょうか。対応方法はこの本に分かりやすく書いてあります。気になる方は参考にしてください。
2025.06.21
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井上裕之氏のお話です。病気を治そうと思うのではなく、病気と付き合っていこう。(簡単に不安がなくなる50の言葉 井上裕之 廣済堂出版 124ページ)この言葉は「チューリップ」のリーダとして数々の名曲を世に送り出された財津和夫氏の言葉だそうです。財津氏は50代半ばに更年期障害になり病気療養を余儀なくされた。「朝、目が覚めても、どう過ごしていいかわからない。人にも会いたくない。何もしたくない・・・」、あまりにもつらい状態の時、励まされたのが、この言葉だったそうです。この言葉は、一見、さり気ないけれど、弱った心を優しく癒し、無理なく明るく強くしてくれる言葉だと思います。病気も一つのネガティブなエネルギーだとすれば、そんな病気に対して、絶対に治さなければいけない、闘うんだと無理して反発すればするほど、逆に、自分の潜在意識までが病気の持つネガティブなエネルギーの方にフォーカスしてしまい、ますますネガティブなエネルギーが増して、心の底から疲れてしまいます。けれども、「病気を受け入れることも大切だ」「うまくつき合っていけばいいんだ」と、一回スパンとあきらめると、自分の意識のフォーカスが、病気=ネガティブなエネルギーから離れてくれます。すると、自然に気持ちが楽になり、潜在意識の中にも明るいポジティブなエネルギーが満たされてくる。それは、いわば「作用と反作用の法則」みたいなものかもしれません。一気にバーンと突き放そうと思うと、相手もさらに抵抗して突き返してくるけれど、逆に、相手を受けいれてあげたり、受け止めてあげると、相手も抵抗しなくなる。神経症に陥る人は神経質性格を持ち不安にとらわれやすいという特徴があります。そのような状態のときに、ひとつの不安にフォーカスして、これさえなくなれば人生バラ色になるはずだと判断して、エネルギーの大半を症状につぎ込むのは如何なものでしょうか。神経症は不安の裏に強い生の欲望があるからだと言われています。不安だけを取り除くというのは、水車に飛び込んでいったドン・キホーテを連想させます。過去の学習ノートに次のようなものがありました。症状で苦しんでいるときは、内向きになり脳の中で症状に関わることばかり考えています。森田の学習を始め、実践課題をこなしていくうちに、少しずつ気持ちが外向きになっていく。すると症状の一辺倒の思考や不快な感情が、一部分ポジティブな思考や快の感情に置き換わっていく。はずみがついてくると、仕事、趣味、スポーツ、休日の過ごし方、人間関係、子育てなど四方八方に拡がってくる。脳のメモリーには限界があるので、やるべきことややりたいことを考えて行動しているうちに、神経症的な悩みのことはしだいに忘れていく。頭の中で神経症以外のことを考えている割合が50%を超えた人はすでに神経症を克服した人である。それ以上治す必要はない。神経症を治すことに振り向けていたエネルギーを、細かいことが気になるという神経質性格をプラスに捉えて積極的、建設的な生き方に切り替えた方がよい。
2025.06.20
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森田先生のお話です。一挙手・一投足の労も、これを面倒と思わないような人間に、ロクなものはない。面倒という感じの強い人ほど、何ごとも早く軽便に、完全にしようとする工夫が起こり、発明をする人もなる。人は面倒と思ってはならぬ・勤勉でなくてはならぬとか、余計なおせっかいを考えるから、心に無理があり・不自然になって、自然の感じが出なくなってしまう。素人が考えると、面倒思うから、物を投げやりにし・ズボラになるという風になる。しかし、それは修養の心掛けのない・自覚の乏しい・きわめて浅薄の考え方である。ズボラの人というのは、実は物を面倒とも・なんとも思わぬ人である。(森田全集 第5巻 685ページ)森田先生は、「めんどくさい」「余計な手間がかかる」という感情が湧き上がるのは良いことだと述べられている。ただしそれには条件がある。「めんどくさい」「余計な手間や手間がかかる」という気持ちを、忘れないようにメモして工夫して改善や改良に結び付けていくことす。よくありがちなのは、これはたいしたことではないから、何も手を打たないでそのまま放置してしまうことです。そのうち、「めんどくさい」と感じたことを忘れてしまう。森田先生はこのような人はズボラな人であると言われている。ズボラな人は細かいことが気になるというプラスの神経質性格を活かすことはできなくなる。「めんどくさい」「余計な手間がかかる」という気づきを宝の山として取り扱いことが肝心です。ではどうすればよいのか。たとえば、喉に違和感があり物がスムーズに吞み込めない。すぐに病院に行って診察してもらえれば、原因がわかるはずだ。もしガンなら早期発見で手遅れという事態を避けることができる。病院に行くのは「気がすすまない」「病院に行くのは面倒だ」「たいしたことはないだろう」と自分で勝手に決めつけてしまう。そのうち症状がどんどん悪くなって、手遅れの状態で救急搬送される。最初の違和感を「面倒だ」「気がすすまない」などと言って放置していると命にかかわることも発生するのです。「面倒なこと」「手間がかかる」ことは、そこに小さな解決すべき問題点があるということです。その気づきを大切に取り扱うようにする。エジソンは汽車の車掌をしていたときに、時間を管理するために目覚まし時計の発明を思いついたという。面倒なことから、それを解消するためにどうすればよいかと考えるようになると、現在になりきることができます。そして適切な対策を立てて問題が解決すれば、小さな成功体験になります。小さな成功体験の積み重ねは、自己肯定感をもたらし、それが土台となってさらに大きな目標に挑戦できるようになります。
2025.06.19
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ある調査によると人間は毎日6000回考え事をしているという。別の調査によると12000回から60000回も思考している。回数はともかく人間は毎日多くの考えごとをしていることになります。ブルース・リプトン博士は私たちの行動や思考の95%は潜在意識によってコントロールされていると言われています。この潜在意識は親や養育者によって7歳までに作られるが、その70%はネガティブなものだと言われています。私たちは自由に思考していると思っていますが、その思考は潜在意識の影響を受けて、消極的、非生産的、非創造的になりがちという事になります。感情はネガティブな思考の影響を受けて否定的なものになりやすい。これを野放しにしておくと、後悔や罪悪感、将来不安、自己否定、他人否定、運命や境遇の否定で苦しむことになります。マインドフルネスで有名な精神科医の藤井英雄先生は、ネガティブな思考や感情が湧き上がってきたときに、それを客観化して改めて検討してみることが有効だと言われています。客観化するためには、自分の分身を作るのが効果的です。自分以外にもう一人の自分を作るということです。私は「専属アナウンサー」と呼んでいます。ネガティブな思考をしているときや不快な感情が湧き上がってきた時、専属アナウンサーに現場に急行してもらって、現場から実況中継をしてもらうようにしています。その際、私情をはさまず事実だけを伝えてもらうようにしています。すると少し冷静になり、一方的にネガティブな思考や不快な感情に振りまわされなくなります。その後で客観的に分析や洞察を深めるようにしています。これは森田でいうところの自覚を深めるということです。事実に基づいて妥当的な考え方をしているか。先入観、決めつけ、思い込み、早合点していないか。一方的でネガティブな断定をしていないか。両面観で見ているかなどです。
2025.06.18
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対人関係の悩みはつきません。良好な人間関係作りに失敗すると、仲間、会社、社会から排除される可能性があります。他人から邪魔者扱いされたまま、独りで生きていくことはできません。そのようなことにならないように、自分の素直な気持ちを押さえて、できるだけ相手に合わせて生活している人が多いのではないでしょうか。そのように心掛ければ、確かに衝突することは少なくなります。しかしその弊害は大きいものがあります。自分の素直な欲求、欲望、意思、思考、感情、気持ちを抑圧して、相手のことを優先的に考えているわけですからストレスがたまります。本音、潜在意識、無意識を無視ないし軽視して、建前、顕在意識、意識を優先するという事は、観念の世界で考えた「かくあるべし」を自分に押し付けていることではないでしょうか。神経質者は他人から「かくあるべし」を押し付けられると反発しますが、自分自身に対してあるいは他人に対して絶えず「かくあるべし」を押し付けています。相手のことを第一優先順位として考えるのではなく、自分のことを第一優先順位として考えないと葛藤や苦悩は収まらないと思います。他人の事を忖度する前に、自分のやりたいこと、やりたくないことを常に優先して考えていくということです。たとえば、仕事が体力的にも、精神的にきついので辞めて転職したいと思ったとします。その気持ちを無視していると毎日が辛いばかりだと思います。心身ともにストレスだらけとなります。ただし先の事を考えないで、退職してしまうと生活に困ることになります。ストレスを減らして、生活にも困らないようにする方法を考える必要があります。この場合仕事を辞めて生活することが可能かどうかが問題になります。配偶者が安定した仕事についている場合はなんとかなるかもしれません。蓄えが十分ある、両親と一緒に住んでいる場合も融通が効くかもしれません。やりたい仕事の目途が立っている場合も何とかなるかもしれません。自分の素直な気持ちにしたがって退職したが、その後の生活の目途が立たないというのは考えものです。将来大きな問題を抱え込まない範囲で、できるだけ自分の欲求、希望、意思、思考、感情、気持ちを大事にして生活してゆきましょうということです。この場合、注意や意識が仕事ばかりに向いていると辛いばかりだと思います。仕事はそこそこ適当に最低限の仕事をこなすというのは如何でしょうか。昇進は望まない。ライバルと張り合わない。ノルマぎりぎりの仕事をする。できるだけ残業はパスする。会社では最低限の人付き合いに留める。つまり自分の自由時間をたくさん作り、その時間を充実させる。家族との生活を楽しむ。子どもとの時間をたくさん作る。趣味を生かした生活をする。趣味を活かした人間関係を大事にする。親戚、同級生、OB会、親しい友人との人間関係を大事にする。資格試験に挑戦する。ボランティア活動に取り組む。公民館活動に取り組む。ペットとの生活を楽しむ。等々。頭の中が仕事と仕事上の対人関係で満杯というのは、バランスが崩れていると思います。ストレスで身も心もボロボロになることは避ける必要があります。自分のやりたいことや好きなことを別に持っていることが、仕事にもよい影響を与えると思います。
2025.06.17
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次のようなマイナス感情で苦しんでいることはありませんか。①過去の失敗や不祥事を思い出しては後悔し罪悪感で苦しんでいる。②将来のことを考えては悲観的になり、積極的に挑戦することを躊躇してしまう。③他人との人間関係で絶えず対立が生まれて苦悩している。④自分の境遇や運命を恵まれた人と比較して卑下している。⑤自分の性格、容姿、能力、行動力について自己嫌悪、自己否定している。このような考えがふと浮かんでくるときのことを考えてみると、注意や意識が「今、ここ」にないことがわかります。意識がうわの空となって、過去や未来、他人や自分の境遇への不平不満、自己嫌悪・自己否定に向かっている状態です。心が「今、ここ」から離れて空中をさ迷っているような状態です。①から⑤の葛藤や苦しみから逃れる方法について考えてみました。まず、意識がうわの空になっている自分に気づくことが肝心です。その次に、「注意や意識」を「今、ここ」に振り向けていくというのはいかがでしょうか。どうすればそんなことができるのか。2つあると思います。①昼間活動している時・・・この時は目の前のことにきちんと注意を向けます。そのときに、何か気づいたことはないか、発見したことはないか、問題点や課題、改良点や改善点、興味や関心が持てたことはないかなどに注意を払います。そういう意識を持っていると、注意や意識がより「今、ここ」に向かいやすくなります。②夜寝ていて目覚めた時・・・この時心は内省的になっていますので、次々とネガティブな思考や感情が湧いてきます。この時はマインドフルネスのエクササイズを行う。マインドフルネスというのは注意や意識を「今、ここ」に集中するエクササイズです。そんなことは面倒だという人に役に立つ本があります。精神科医の藤井英雄先生の「1日10秒マインドフルネス」(大和書房)という本です。この本には12個のマインドフルネスが紹介されています。気に入った人はいくつかを習慣化するとよいでしょう。
2025.06.16
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私は3つの仕事を続けてきた。大学を卒業して書籍の訪問販売をしていた。本当は記者として全国を飛び回って記事を書く仕事をしたかったのだが、そういう仕事にはありつけなかった。希望を持って辛抱してやっていたが、最後には精魂尽き果てて9年で退職した。営業の仕事は私の望む仕事ではないと実感した。次に、営業事務の仕事に就いた。最初は自分に合った仕事だと思っていた。そのうち仕事ぶりが認められて中間管理職の仕事を任された。しかしマネージメントの仕事はうまくできなかった。対人恐怖症の私は基本的に人が怖い。そういう人が組織をまとめあげることは難しい。会社は人間関係で衝突することが多く、ストレスだらけで胃潰瘍になった。今考えると失敗体験、社会体験不足の状態で大人になることは、社会に適応することが難しくなることを痛感したが後の祭りだった。なんとか定年近くまで持ったのは生活の発見会の仲間のおかげであった。困った時は集談会や支部の仲間がついているというのが心の支えになった。一人孤立したまま神経症を抱えて生きていくことはできないというのが実感です。集談会や支部の仲間に大いに助けてもらう事ができたのは、私としてもできる範囲の世話役を引き受けたことがよかったと思う。集談会の仲間から役に立ったアドバイスは次のようなものでした。・「月給鳥という鳥になって餌をせっせと獲ってきて家族を養いなさい」・「超低空飛行で十分ですよ。墜落することだけは避けましょう」・「会社員の生活はよい時もあれば悪い時もある。波がありますよ。悪い時にあわてないようにしましょう。私たちが応援しますから」・「あなたがリストラされないのは最低限の仕事はできているということですよ。その事実を認めましょう」・「会社員は細く長くが基本ですよ。定年までいれば退職金は満額出ますよ。飛ぶ鳥を落とすような勢いで出世しても、その後与えられたノルマが果たせなくなると退職に追い込まれますよ」次にマンションの管理人の仕事に就いた。対人恐怖症の私には適職だった。仕事は自分の裁量で決めることができるので仕事が苦痛という事はない。仕事をしながら、問題点や課題を発見して取り組んでいるので、毎日宝探しをしているようなものだ。残業も定年もない。今では80歳~90歳くらいまでは働きたいと思っている。毎日仕事で6000歩以上歩き、階段上りで足腰を鍛えることもできる。冷暖房完備の事務所でゆっくりすることもできる。一日中家に居るよりは充実した時間を過ごしている。3つの仕事を経験して思ったことは、仕事が辛い、職場の人間関係でストレスを抱え込むのは心身ともに辛いことだと思う。何のために生まれてきたのかと悲観的になります。いやなことはしない。やりたいことだけを自由自在にやって生きていくというのは現実問題として無理でしょうという話をよく聞きます。確かにその通りかもしれません。私は37歳で森田に出会ったが、今考えるともう少し早く森田に出会っていたらと思う。20代で森田に出会っていたら、仕事への取り組み方、マネージメントで躓かないコツ、バランスのとれた生き方、人間関係を良好に保つコツ、好奇心、興味や関心を活かした生き方、心身を健康に保つコツ、子育てのコツなどをつかむことができたのではないか。でも遅まきながら森田に出会ったからこそ、今の自分があると感謝している。今は私の反省点をこのブログを通じて今苦労している人達に役立ててもらいたいと思っている。
2025.06.15
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脳神経外科医の林成之先生のお話です。自己報酬神経群がよく働くのは、「ごほうびが得られた」ときではなく、「ごほうびがもらえそうだ」という期待があるときです。「やろうとしていたことが達成できそうだ」というときは、脳がフル回転しますが、「達成したぞ」と思うと、とたんに脳は働きを止めてしまいます。たとえば会議をしているときに、「もう終わりの時間だ」という雰囲気がただようと参加者の集中力は途切れてしまったりします。何かの作業をしているときに、終わりが見えたら急に能率が落ちることもあります。これは、脳が「もう終わった」と判断し、しっかり働かなくなるからです。つまり、脳をしっかり最後まで働かせるためには、「そろそろ終わりそうだな」などとゴールを意識しないようにする必要があるのです。「あと少しで終わる」ではなく、「あと少しだからこそ手を抜けない。ここからが本当の勝負だ」というふうに考え方を変えるのがコツです。(何歳になっても脳は進化する 林成之 三笠書房 32ページ)森田先生も同様の話をされている。自動車酔いで吐きそうになったときの対応です。この時決して心を他に紛らせないで、一心不乱に、その方を見つめている。息をつめて、吐かないように耐えている。吐けば楽になるとか考えて、決して気を許してはなりません。断然耐えなければならない。このとき、ちょっと思い違いやすい事は、自分の苦痛を見つめていると、ますます苦しくなるような気がして、ツイツイ気を紛らせて、他のことを考えたりしようとする事である。早く行き着いて寝ようとか、ここまで来たから、もう十分だとか、都合のよい・楽なことを考えようとするからいけない。こんなとき、もう2、3分というところで、安心し気が緩んで、急に吐き出すような事もある。(森田全集 第5巻 455ページ)これは脳の緊張の糸が切れて、弛緩状態に切り替わると思いがけない不覚をとることがあるということになります。風邪をひくのは、冬寒いところから帰宅して、ホッとして炬燵に潜り込み転寝をするようなときに起きる。一旦風邪をひくと数日間は悪寒、発熱、体力消耗、頭重感などに苦しむことになります。帰宅したとき、心身ともに急に緊張状態から弛緩状態に切り替えないで、ソフトランディングを心がけるだけで、風邪をひくことを避けることができるようになると言われています。今年わが家で咲いたアジサイです。
2025.06.14
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森田先生は、感情は自然現象なので手出し無用である。感情や気分などは自然現象なので自然服従しかないと言われる。しかしこれは口で言うのは簡単ですが、実行となると大変難しい。ではどうすればよいというのでしょうか。まず、「あるがまま」の誤解を解くことがカギになると思います。不安や症状は「あるがままに受け入れる」ことが肝心であると言われます。これは「不安や症状を取り去ろうとするはからいをやめること」を意味しますが、これは「不安はあっても問題ないのだ」と積極的に不安を肯定することではありません。また、「不安を感じるままに我慢する、耐えること」でもありません。不安は天気と同じ自然現象なので、どの様に解釈して納得させようとしても解消されることはありません。手出し無用なのです。好むと好まざるにかかわらず完全服従しか対応方法がないのです。「あるがまま」になろうとすればするほど、ますます不安に取りつかれ、神経症が悪化することになります。森田理論には、不安や気分に押しつぶされそうになったとき、その時の自分の状況に合わせて、目の前のなすべきことに手を出していくという側面があります。どんなに不安や症状がきつくても、仕事や生活の必要に応じて、最低限のことだけはやっていきましょうということです。不安や感情に「はからい」(あれこれ操作しようとすること)を加えるのではなく、その感情をしぶしぶ放置して、その上で「なすべきこと」に注意を向けて行動していくのです。「あるがまま」は、不安や症状をそのまま受け入れるという面と目の前のなすべきをなすという2つの側面があります。どちらがより重要かというと、目の前の「なすべきをなす」になります。神経症で苦しんでいる人は、先に不安や症状を受け入れようとしています。その段階をクリアしてから、「なすべきをなす」というステップに進もうとしているのです。これは誤った認識です。「なすべきをなす」を優先すると、不安や症状で苦しい状態は続いていますが、行動することによって、不安や症状が変化して流れていくようになります。つまり、結果的に不安や症状を受け入れることができるようになるのです。「あるがまま」はそれ自体を自分が積極的に作り出すものではなく、行動・実践の結果、自然に体得されていることになります。「あるがまま」になろうしては、決して「あるがまま」を身につけることはできません。
2025.06.13
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森田先生は熱海で旅館を経営されていました。その時の失敗談です。先日、熱海へ母を連れて行ったとき、宿に団体客があったから、これに余興を一つ寄付すれば、先方も喜ぶだろうし、母にも一夜を楽しませることもできると、独りうまい事を思いついたつもりで、早速、落語家を頼んで、時間まで決めてきた。そしてそのことを団体客のほうに伝えると、あに計らんや、これを謝絶されたのである。それは、団体は自分らで騒ぎたいので、そのプログラムもできているからとのことであった。しかたがないから、自分の部屋で、二部屋開けて、家族だけと数人のお客とで、その落語を聞く事になった。女中にも、皆にこれを聞かせようと思ったところが、これもみな大勢のお客の方に忙しいので、全く見当違いにばかりになったのでした。(森田全集 第5巻 487ページ)みんなを大いに楽しませようと思ったのに、結果は総スカンをくって収まりがつかなくなったと言われている。自分一人考えて、相手にきっと喜んでもらえるはずだと思って行動しても、相手の意向を確認していない場合はすべてが無駄になり、むしろ反発を買うことになりやすいという事だと思う。森田先生は次のように説明されている。強迫観念の人は、「人前で恥ずかしい・勉強は苦しい。これはただ自分ばかりの事で、人はみな朗らかに愉快に、交際もし勉強もしている」という風に考えるかと思うと、また一方には、自分が焼芋や豆腐が好きな場合は、誰でも人は、当然これらのものを好くべきである。こんな滋養のあるものを、好かないという人の気が知れないという風に考える。煎じ詰めれば、神経質の人は、苦しいことは自分ばかりであって、好きな事は人もすべて、自分と同様でなければならぬという風に、自分の得手勝手に考える癖があるのである。(同書 488ページ)よいことを思いついも、それをむりやり相手に押し付けることは考えものという事だ。相手には相手の考えがある。人間が二人いれば、当然考え方は違う。自分の気持ちや考え方を相手に飲ませる前に、相手の気持ちや考えを聞いてみることが肝心です。この気持ちで接すれば、おのずと相手の思惑と自分の思惑の相違点が明らかになる。あとは譲ったり譲られたりしなから話し合いによって解決する。相手と較べて自分が格上の場合、つい相手の考えや気持ちを確認しないで、自分の考えを押し付けてしまうことがあるのでよほど注意する必要がある。大人同士の人間関係だけではなく、子どもとの関係においてもそうです。どうしても折り合わないときは、しばらく冷却期間を置く。あるいはゼロベースで見直す。神経質者は、強固な「かくあるべし」が強く、自分の考え方を一方的に相手に押し付ける傾向があるので注意する必要があります。
2025.06.12
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第8回の形外会で書痙の行方さん曰く。手が震えるのを止めよう、止めようと努力する心がとれなくて困る。はからう心がいけないと思っても、どうしても自然にはからうようになって困ります。これに対して森田先生は次のように回答された。「はからう心」は、われわれの心の自然であるから、その「はからう心」そのままであるときに、すなわち「はからわぬ心」になるであります。手の震えを止めよう、止めようとする心でもよし、そのままに押し通せばよい。ただペンの持ち方は、けっして自分の心持のよいように、持ちかえるのでなく、正しい持ち方をして、字は震えても不格好でも、遅くとも読めるように、金釘流に書くということを忘れさえしなければよい。自分で書痙をよくしよう、治そうということを実行しさえしなければよいのである。(森田全集 第5巻 87ページ)行方氏はなんとかして書痙を治そうと考えている。しかしいろんな病院にかかっているが全く治らない。でも医者は治らないとは言わないで、いろんな治療法を施してくれる。行方氏は森田理論を学習して、治そうというはからう気持ちがあると、注意や意識が書痙ばかりに振り向けられて症状はますます悪化するということはよく分かっている。しかしどうしてもはからいを止めることができない。こういう場合、どうすればよいのでしょうかと森田先生に質問されたのである。森田先生ははからいを止めようとするのは余計なことだと言われています。普通ははからいを止めれば症状が楽になると考えやすい。書痙は惨めだと感じるのも自然なことですし、なんとかして書痙を治したいと思うのも自然な感情です。はからうことも自然な感情です。森田ではすべての感情に対して自然服従の立場です。はからってしまうという感情に対してもそのまま受容することが肝心です。何とかして書痙を治したいという感情に対しても自然服従しなければならない。森田先生は、書痙を改善したいという感情が湧き上がってきたのは自然現象である。その感情を取り消すことはできないし、取り消す必要もないと言われています。それを含めて湧き上がってきた感情には完全服従しなさいと言われています。
2025.06.11
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ネガティブな思考や感情を客観化する能力を身につけると、「かくあるべし」を自分に押し付けることが激減します。客観化するためには、自分自身とは別に、自分の分身(別の言葉で言えば、相棒、秘書、参謀、補佐役、監視役、相談役、専属アナウンサー)を作っておくことです。普通はネガティブな考えや感情が湧き上がったとき、理性を失ってすぐに支離滅裂な行動に走ってしまいます。反社会的な行動で周りの人に迷惑をかける場合もあります。その前に自分の分身に出動してもらうのです。私の場合は、専属アナウンサーに出動してもらっています。やってもらっていることは、まずネガティブな思考や感情に対してラベル付けを行ってもらう。「悲しみ」「怒り」「腹だたしい」「たのしい」などです。次にそのときの状況の実況中継を行ってもらいます。アナウンサーに感情の事実、思考の事実を正確に伝えてもらいます。コメンテーターのように是非善悪の判定や評価は遠慮してもらっています。それが終わったら、自分自身にバトンタッチします。自分自身は両面観の考え方などを使って自覚や洞察を深めるようにしています。例をあげて説明してみましょう。会社に出勤したとき、苦手な同僚がいました。「おはようございます」と挨拶をしましたが、相手の返答はありませんでした。完全に無視されました。自分のことをバカにしていると思いました。自分はそれだけで傷つき、茫然自失となりました。ここで専属アナウンサーの登場です。まずラベル付けです。「ショックだ。悲しい。腹立たしい」という気持ちになっている。次に実況中継です。「朝一番苦手としている同僚と擦れちがいました。私は「おはようございます」声を掛けました。同僚は私の挨拶に対して返答することなく自席に向かいました。私は無視されたように感じて動揺しております。以上現場からの中継でした」ラベル張りを行い、実況中継すると、いきなりネガティブな考えや感情に振り回されなくなります。多少客観的になれるためにゆとりが生まれます。少し冷静になれます。次に自分で自己洞察を行います。同僚が自分を無視したと思っていたが、声が小さくて相手は挨拶してもらったと思っていないのかもしれない。彼は昨日仕事でミスをして上司に叱られた。その後始末で大変だった。昨夜は眠れなかった可能性がある。また頭の中で他のことを考えていて上の空だったのかもしれない。そういえば、自分もそんなことがよくある。うわの空になると、目の前のことが見えなくなることがあるんだ。そのように分析すると、ネガティブ感情は急速に勢いを失ってきます。
2025.06.10
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「無所住心」の反対語は、「注意や意識を一点に集中する」ことではないでしょうか。今日は「無所住心」を深耕してみました。無所住心の生活は、「ハラハラドキドキ」「状況の変化に合わせていくので不安定」「精神は覚醒時は緊張状態にある」「変化に即座に対応できる」「物事本位の生活になる」「気持ちが外向きになる」などの特徴があります。これに対して、注意や意識を一点に集中する方法は、「落ち着いてどっしりしているように思える」「動きがないので安定しているようにみえる」「精神は覚醒時でも弛緩状態である」「変化に即座に対応できない」「観念中心でいろいろと詮索するばかりで、行動力に欠ける」「神経症になりやすい」「過去を後悔し、罪悪感で苦しむ」「将来を悲観して現状維持に甘んじる」「他人に対して不平不満で一杯になる」「境遇や運命に対して愚痴をこぼす」「自己嫌悪、自己否定感が強まる」などの特徴があります。このように見てくると、「無所住心」の生活を心がけるほうが、積極的、生産的、建設的、創造的な生き方ができます。また対人関係もよくなります。私の「無所住心」の活用例をご紹介します。現在マンションの管理人をしています。解放廊下や階段の清掃業務があります。箒と塵取りを持って巡回するだけでは、しだいに仕事をすることが苦痛になります。そこで私が考えたのは、チェック項目をいくつも作り、問題点や改善点を発見していくというやり方です。たとえば、解放廊下にはいろんなゴミが落ちています。また春先には木のクズ、夏はコバエのような虫、秋は落ち葉などが舞い込んできます。つぎに解放廊下には側溝があります。ここにゴミがたまりやすい。特に雨が降った翌日は特別清掃が必要になる。側溝の汚れはすぐに刷毛やモップでこすらないとシミになってこびりつく。さらにドレンの周りは目詰まりしやすい。汚くなると大変見苦しくなる。子どもたちが泥だけの靴で歩きまわり、泥や砂を撒き散らしている。黄砂が降るとすぐに手すりなどが汚れる。解放廊下にはアルミサッシがあるが、拭き掃除をしないとサンに埃がたまる。掃除のついでに照明器具の点灯確認をしていると玉切れに気付く。毎日カラスなどがやってきてあちこちに糞をしている。温かくなると、天井を見るとあちこちにクモが巣を張っている。階段は両方の隅にゴミがたまるので、竹の棒でほじくり出している。エレベーターの開閉口は埃がたまりやすいので、毎日磨くようにしている。清掃の仕事は私にとって宝探しに行くようなものです。結果として無所住心の仕事ぶりになっている。問題点や改善点が見つかるとメモしておく。一通り掃き掃除が終わった後の特別清掃として取り組んでいる。これは自分が見つけた課題なので面白く積極的に取り組むことができる。幸いなことに私の前任者は杜撰な掃除しかやっていなかったそうで、私の仕事ぶりを見た居住者のウケがすこぶるよい。これで85歳くらいまでは働き場所が確保できた。多少収入があるので、心のゆとりが持てる。仕事をすることがイヤで仕方がなかったが、もう50年以上も会社員をしている。一つの工夫・・・これはゴム手袋です。使った後きれいに洗い、裏返しにして吊るしておくと、中が蒸れてカビや悪臭がしなくなります。次の日には中の部分は乾いていますので、快適に使用できるようになります。
2025.06.09
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森田先生のお言葉です。理屈で考えると、いやいやながらする事には間違いが多く、いやな心を取り直しておいて、朗らかにやればよくできると思うけれども、実際においては、思想の矛盾になり、その結果は間違いだらけになる。(森田全集 第5巻 554ページ)森田先生のおっしゃる通りだと思います。私はある程度成功確率が高いものを選択して取り組むことを心がけてきましたが、結局はうまくいきませんでした。大学を卒業して書籍の訪問販売の仕事に就きました。私のやり方は、成約率の高い人を厳密に選別することに力を注いでいました。結果としては、確かに成約率は少しは高かったのですが、どちらかというと不成約のことが多かった。この人は取り逃がしてはいけないと勢いをつけて取り組んでいるため少なからずショックを受けました。私はその原因をセールステクニックがまだ未熟なためだと思って、セールスの極意の本をしこたま買い込んで研究を重ねました。売り込み商品の知識、ターゲットの絞り方、身だしなみ、アプローチの仕方、話の展開の仕方、説得の方法、クロージングの方法などです。先に「これなら成約間違いなし」という安心感を作り上げて、営業活動に当たればおのずとよい結果がついてくると信じて疑わなかったのです。しかし頭で考えたことと実際は全く違います。営業をしても成果に結びつかないと、自信をなくして次の営業活動のエネルギーが全く湧いてこなくなるのです。ノルアドレナリン主導の防衛系神経回路が頭の中を駆け巡っているので、何ともやりきれない状態に追い込まれました。自尊心が傷付き、自己否定感で苦しみました。仕事を辞めたい、生きることを止めたいなどと考えていました。今振り返ってみると、成約の高い人を選別して営業活動をするというやり方は間違いだったといわざるをえません。営業成績のよい人はローラー作戦をとっていました。とにかく今日一日の営業エリアの中でできるだけ多くの人に面会して営業を仕掛けるというやり方でした。心のよりどころとしているのは、確率論だったのです。つまり、10人の人に営業をかけると、今までの経験上1人は成約になるはずだという確信を持っていたのです。だから1件の制約を得るためには、その前に9人の人から断わりを引き受ける必要がある。そのためには次々にできるだけ多くの人に営業をかける。断られて自尊心が傷付くなどというネガティブな思考が入る余地がない。一日のノルマを果たすためには、ひたすらできるだけ多くの人に営業を仕掛けることだけを心がけていたのです。そういう人は数多くの失敗経験の中からどんどん営業のコツを会得していったのです。私のような考えの者とは、営業力の差が開くばかりとなりました。先に頭の中で「これならなんとかなる」という自信を作り上げて、行動するというのは認識の誤りだと思います。自信があろうがなかろうが、営業には果たすべき数値目標があります。そこから目を離さないようにして、社会人としての責任を果たす。最初はどんなに気が重くても、失敗を重ねて早く営業ノウハウを身につけるのだという目標を持って取り組めば、私のように後悔や罪悪感で苦しむことはなかったと思います。現在営業の仕事で行き詰っている方は、是非とも反面教師としてお役立てください。日曜日からしばらく雨の予報なので土曜日にタマネギの収穫をしました。
2025.06.08
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帚木蓬生氏が、「タイム」誌に紹介された興味深い話を紹介されている。それは、親は普通ですが、生まれた子供がすべてそれぞれの道で大成功をおさめている9家族の分析記事です。1、ほとんど他国からの移民でした。移住者はそれだけで、本国人に比べてすべての面でハンディキャップを負います。しかしこのハンディが、子供たちに負けてなるものかという向上心と忍耐強さを与えていました。2、両親は子供の小さい頃、教育熱心でした。0歳から5歳までの学校教育以前の早い時期に、子供たちにさまざまなことを学ばせていました。つまり学ぶ心を、就学以前に植えつけていた。3、親が社会活動家であり、世の中をよりよく変えていくための運動をしていました。子どもは親の行動を通して、社会の不合理を学びとり、それを変革していく姿勢を学んでいたのです。いわばこうして自分を取り巻く世界の理解を深めたのです。4、家庭の中が決して平穏ではなく、両親の言い争い、兄弟喧嘩と無縁ではなかった点です。といっても両親の争いは決して暴力沙汰ではなく、社会の見方の違いからの意見の突合せのようなものです。不登校や万引、喫煙、殴り合いの喧嘩も、子供たちは10代の頃経験しています。移民の子としていじめられた子供もいますが、これが却って「なにくそ」という精神力を培っていました。5、子供時代に人の死を何度も見て、生きていることの貴重さを学んでいる点です。人の死を知ることは、自分の人生の限界を知ることに直結します。だからこそ、生きているうちに自らのやりたいことを成し遂げる馬力も生まれてくるのでしょう。6、丁寧な幼児教育のあとの、放任主義です。すべての子供が、何をしても許されたといいます。すべてを自分自身の責任に任せられると、逆に子供は野放図なことはできません。「お前たちは、他人のゴールには絶対たどり着けない。お前がテープを切れるのはお前のゴールだけだ」と言われたのです。この6つのどれひとつとっても、いわゆる教育ママやパパのやり方とは正反対です。親が敷いたレールに子供を乗せ、猛スピードで後ろから押して行く方法とは好対照です。(ネガティブ・ケイパビリティ 帚木蓬生 朝日新聞出版 197ページ)この話を聞いて、子供の成長にとって、さまざまな雑多な社会体験が欠かせないと思いました。それは良い体験だけではなく、不都合な体験や逃げ出したくなるような体験、目をそむけたくなるような体験を含めてです。その事実を素直に認めて、受け入れるようにする。投げやりにならないで、問題ある事実から自分なりの課題や目標を設定して、果敢に挑戦した人が人生の成功者になっているようです。そのためには親はできるだけ子どもたちに寄り添い、さまざまな経験をさせてあげることが肝心です。その時にモンテッソーリ教育が大いに参考になると思います。モンテッソーリ教育は森田先生も大いに評価されています。モンテッソーリ教育では、子どもの成長過程には「敏感期」があるという。「敏感期」とは、人間が成長する過程でさまざまな技術や能力を身につけますが、習得できる期間は一時期に限られていて、その時期を逸してしまうとあとから身に着けようとしても難しくなるということです。子育てというのは、誰でもぶっつけ本番です。しかも自分の人生観が確立していない時に取り組むことが多い。最近は夫婦だけで子育てをしている場合がほとんどです。同じ子育てをしている者同士が子育ての勉強会などに参加して、情報交換をして助け合うことが大事になってくると思います。集談会という自助組織がその受け皿となればよいと思っております。
2025.06.07
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月刊誌「致知」5月号に、「僕はミドリムシで世界を救うことに決めました」(ユーグレナ社長 出雲充)という記事がありました。出雲氏は、東大に入学した年に世界最貧国の一つと言われているバングラデシュに行ったそうです。日本の半分の面積に1億7000万人の人が住んでいる。一日中農作業をして日給100円です。年収は4万円以下という人が6000万人いる。子供たちの体格がおかしい。腹だけが膨らんでいて、手足が異様に細い。タンパク質が極度に欠乏したクワシオルコルという栄養失調の典型的な症状でした。日本に戻ってからとくかく栄養の勉強を一生懸命しました。日本で一番栄養価の高い食材をバングラデシュにもっていくぞと決めました。大学3年の時に出会ったのがミドリムシ(学名 ユーグレナ)でした。ミドリムシは人間が生活するうえで必要な59種類の栄養素を含んでいるそうです。2005年12月16日、世界で初めて沖縄の石垣島で食用ミドリムシの野外大量栽培に成功しました。現在は1年間に160トン作ることができます。2006年1月から2007年12月まで500社にこのミドリムシの販売をして回りました。すべての会社から断られました。でも運が良いことに「日経ヘルス」が記事として取り上げてくれました。2008年5月に大手商社がミドリムシを買ってくれることになりました。この商社が販売を始めると飛ぶように売れ始めました。2014年12月3日、当社は大学発ベンチャー企業として東証一部に上場しました。現在創業10年目です。当社では2014年4月以来、栄養失調に苦しむバングラデシュの子供たちに累計1900万食のユーグレナクッキーを配ってきました。ユーグレナクッキーは1食6枚で、バングラデシュの子供たちが一日に必要とされる量のビタミンAや鉄分、亜鉛などの栄養を摂取することができます。現在、スラムや農村地域にある90の学校で子供たちがユーグレナクッキーを受け取り、毎日おいしく食べています。出雲氏は失敗や成功について次のように述べられています。1回目でいきなり成功することはまずありません。99%は失敗します。2回やって2回とも失敗する確率は0.99の二乗ですから、0.9801です。これを1から引いて成功確率は1.99%になる。これを私は手で計算したから覚えているんですね。100回やったら64%、459回目に数字が最初と逆転し、成功率は99%に達します。適切な科学と繰り返し努力する力、この二つの掛け算ですべての人がイノベーションを起こすことができると私は確信しています。ちなみに、LED研究で2014年ノーベル物理学賞を受賞された天野浩先生は1500回実験に失敗しました。天野先生は、私以外にこれだけやった人間はいませんでしたと語っておられます。
2025.06.06
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セロトニンが不安を軽減させてくれることは分かっています。うつ病の人にSSRIが処方されますが、セロトニンには不安軽減の効果があるということでしょう。SSRIはシナプスに放出されたセロトニンの再取り込み阻害薬と言われています。セロトニンの働きはどういう仕組みになっているのでしょうか。留意点や注意点をまとめてみました。神経伝達物質セロトニンには、一旦シナプス間に放出されて使われなくなったものを自身で回収する仕組みを持っています。それはオートレセプター(自己受容器)と呼ばれています。オートレセブターはセロトニン神経の活動を抑制するように働きます。呼吸法などリズム運動でセロトニン神経の活動が活性化されると、このオートレセプターが働いて、セロトニン神経の活動を抑制するように作用します。これを自己調節と呼びますが、このためにセロトニン神経は、活動を一時的に弱めてしまいます。つまりセロトニン健康法を始めると最初のうちは、オートレセプターが働いて一時的にパフォーマンが落ちてくるという現象があります。セロトニン健康法には、朝一番20分から30分程度太陽を浴びる。疲労を蓄積しない程度のリズム運動を毎日行う。リズム体操には、ジョギング、丹田呼吸法、咀嚼、運動などがあります。その他、スキンシップを心がけることも有効です。また、セロトニンはトリプトファンという必須アミノ酸から作られますので、バナナ、大豆製品、チーズなどをとる。炭水化物中心の食事を心がけることも必要です。しかし意識してセロトニン健康法を始めても、最初のうちはパフォーマンスが下がってくることを知っておく必要があります。継続は力なりという言葉がありますが、最低でも3ヵ月は継続することが肝心です。するとオートレセプターでセロトニンが再吸収されてしまうことが少なくなります。そして3年くらい継続して取り組むと安定してきます。次に激しい運動をすると乳酸が増えてきます。乳酸が増えてくるとオートレセプターが必要以上に回転しますので注意が必要です。ホドホドのリズム体操を継続的に毎日行うことです。私はマンションの管理人の仕事の中で6000ほど歩いています。その他階段の上り下りをしています。それも一段飛ばしです。それから毎朝ストレッチ、ドジョウ掬い、傘踊り、しば天踊り、百歳音頭に合わせて踊りをしています。不安にいつまでも関わり合う、ストレスがいつまでも解消できないと、セロトニンの活性化は弱まってきます。インパルス(電気信号)が出なくなるのです。神経症的な不安をつつきまわしていると、その間セロトニンは止まってしまいます。沢庵和尚曰く。もし心を一ヵ所に止めて置くならば、そのことにとらわれて動きが用を成さなくなるし、考えれば考えにとらわれてしまう。だから、考えも判断もきれいに捨て去って、心を一ヵ所に止めず全身に行き渡らせることが必要だ。そうすることで一瞬一瞬の状況に応じた自在な動きがかなう。これは森田でいう「無所住心」のことです。注意や意識を気になる神経症的な不安に集中させることは、セロトニン健康法から考えると考えものということになります。(セロトニン呼吸法 有田秀穂 地湧社 84ページ)
2025.06.05
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有田秀穂先生のお話です。セロトニンを鍛える呼吸法は腹筋呼吸です。呼吸には、胸式呼吸、横隔膜呼吸などがありますが、腹筋呼吸というのはそれらとは全く違う呼吸法です。横隔膜呼吸は、主に吸うことに意識を向け、横隔膜を下げて腹を膨らませて、肺に空気をたくさん取り入れることを重視します。これは、肺のガス交換効率を高め、リラックス効果をもたらす目的で行われることが多い。生きるために無意識に行われる「吸う」呼吸は、主に延髄にある呼吸中枢によってコントロールされています。有田秀穂先生は、セロトニン神経を活性化するために行う呼吸法は「腹筋呼吸(吐く呼吸)」だと言われています。「吐くこと」に意識を集中して、腹筋を使って息を吐き切る呼吸法です。有田先生によると、無意識の「吸う呼吸」とは異なり、「吐く呼吸」大脳からの意識的なコントロールが必要です。腹筋を使って意識的に息を吐き切るというリズム運動が、脳幹にあるセロトニン神経を活性化させると説明されています。具体的な「腹筋呼吸」のやり方をご紹介します。①椅子に座って背筋を伸ばし、手をみぞおちとへその下の下腹部に置く。②「あー」と声を出しながら、腹筋をへこませるように意識して息を最後まで吐き切る。しっかりと吐き切った後、ゆっくりと自然に息を吸う。吐いて、吐いて、吐き切るという腹筋呼吸を実践するときには、1回の換気量が通常の数倍になっていますから、過呼吸に気を付けなければなりません。深い呼気を行うぶんだけ、呼吸の回数を減らさなければなりません。具体的には、一般的な呼吸は一分間に約12回です。腹筋呼吸では、一分間に3~4回まで減らす必要があります。一分間に4回の場合は、15秒に一回の呼吸。3回の場合は20秒に一回です。呼吸法は通常、20~30分行うので、無理しても決して続きません。苦しくもなく、意識がすっきりとした状態を絶えず自覚しながら、「意識的に」吐いて、吐いて、吐き切る腹筋リズム運動を行うこと。それがセロトニン神経を鍛える呼吸法のコツです。(セロトニン欠乏脳 有田秀穂 生活人新書 66~76ページ要旨引用)
2025.06.04
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有田秀穂先生はうつ病はセロトニン神経系の機能障害で起きていると指摘されています。セロトニンは、誰にもあるような不安や心配ごとに対して抑制的に働きます。セロトニン神経系を鍛えると、不安を「そんなこともあるよね」と受け流すことができるようになるのです。セロトニン健康法について精神科医の有田秀穂先生の話をもとに考えてみたい。1、セロトニンは覚醒時常時出続けているが、注意や意識を何かに集中した時は止まる。その時はノルアドレナリンやドーパミンが出ている。注意や意識を不安の一点に集中していると、セロトニンの制御力は働かなくなり、不安は精神交互作用でどんどん増悪する。不安に注意を向けて安全が確認出来たらすぐにその場を離れる。解決できない神経症的な不安は先送りしていくのが賢明である。2、毎日リズム運動を15分から30分間行うことが重要になる。毎日継続すること。できれば3か月は継続する。運動は何でもよい。ウォーキング、犬の散歩、階段上り、踊り、歌を歌うなど。やりすぎると乳酸によりセロトニンの効果は薄れるので注意すること。3、腹筋呼吸を行う。胸式呼吸や横隔膜呼吸ではセロトニン神経は鍛えられない。腹筋呼吸法の詳細は明日投稿します。4、キシリトールガムを噛むなどの咀嚼行為が有効である。食べ物はよく噛んで食べるようにする。5、セロトニン神経は太陽の光で活性化されます。太陽の光を毎日20分くらい浴びる。それ以上浴び続けるとセロトニン効果は薄まる。6、セロトニンの前躯体は腸でトリプトファンから作られている。バナナ、大豆製品、チーズなどをしっかりと食べる。食事は炭水化物食事がよいとされています。なお、サプリメントとしてセロトニン前駆物質あるいは関連物質を摂取することは間違いです。必ず副作用が出ます。間違ってもしないでください。(セロトニン欠乏症 有田秀穂 生活人新書 参照)認知症や寝たきりを予防して、心身ともに健康に生活していくために、セロトニンを作り出す健康法をお勧めします。毎日の生活の中に組み込んでいくことが肝心です。5月の連休に植えた現在の自家菜園の状況です。ミニトマトは第2果房まで花が咲いています。ナス、ピーマン、シシトウ、カボチャは大風のため初期生育不良ですが、黒マルチで地温を上げ、一部風よけを作ったので、この先持ち直してくれることを期待しております。ピーマンは風に弱いので、現在行灯をつけて保護しております。今後ミニトマトは2本仕立て、ナスは3本仕立てで育てていく予定です。今後は脇芽かき、誘引、肥料やりの作業が続いていきます。青いチューブから1日2回15分自動灌水しています。これは1週間に1回しか田舎に帰れないためです。今後の野菜の成長が楽しみです。
2025.06.03
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松下政経塾元塾頭の上甲晃氏のお話です。普通のセールスマンは、売り込むことには熱心だ。しかし売り込みに成功した後は、手のひらを返したように次に向かう。ところが「売れるセールスマン」は、売った後のフォローに熱心である。売った後、「この間、買っていただいた商品、順調に動いていますか?」「不都合はありませんか?」と聞く。不思議なことに、売り込む時には何となく、「うるさいな」とつれなかったお客様も、売った後の訪問に対しては、好意的に対応していただけるのだ。そして、周りの誰に言うともなく、「彼は熱心だね」とか、「彼から買うと安心できる」と、巧まずして、宣伝していただけるのだ。多くのセールスマンは、「売り方」に目を奪われる傾向がある。しかし、本当は、売った後で差がつくのである。売ることばかりを考えていると、売った後の努力は、時間の無駄と思ってしまう。(松下幸之助の教訓 上甲晃 致知出版社 223ページ要旨引用)生活の発見会の集談会(神経症の人たちの自助組織)は、「来る者は拒まず、去る者は追わず」というスタンスで運営されている。参加される方は、何らかの魅力や可能性を感じて参加されたのです。初めて参加する時はとても不安です。その不安を押しのけてなんとか参加されたのです。ところが現実問題として、新しく来た人で次回も参加される人は極めて少ない。10人に2人か3人くらいの感じだと思われます。集談会という自助組織はそういうものだとあきらめてはいませんでしょうか。私たちから見ていると、集談会に参加された方は、典型的な森田神経症で、しばらく集談会に継続参加されれば、神経症の克服に結びつくはずだと思える人が多いのです。また森田人間学を学ぶ入り口に立っておられるように思えるのです。この問題は多岐にわたっており、簡単に問題点が特定できるようなものではありません。ここでひとつ提案したいことは、新しく参加した人へのアフターフォローはきちんと行っていますかということです。私は、集談会開催案内係をするようになりました。連絡案内希望の方にメールやはがき案内をしているのです。過去の集談会記録を調べてみると案内希望者は多いのですが、1回参加しただけで以後音沙汰がないという人がとても多い。こういう人に参加のお礼や先月の集談会の様子を伝えたり、役に立つ配布物を送ってあげるというのは如何でしょうか。メールの場合はそんなに負担にはなりません。会員を増やすというのはそんな些細なことから始めることが大事だと思います。そうしないとザルで水を掬い上げるようなもので、掬い上げた水は全て流れ去ってしまいます。実にもったいないことをしているのです。
2025.06.02
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松下政経塾元塾頭の上甲晃氏のお話です。松下幸之助氏がふと、「僕もな、ようやく「素直」の初段になったんや」と言われた。僕は、毎日「素直」になりたい、とらわれれる心のないように、毎朝、自分に言い聞かせて30年、願い続けてきたのや。回数にしたら1万回。1万回願ったから囲碁・将棋でいえば初段やろ。「素直」の名人は、神さんや。神さんは、あれはいやや、これは嫌いやなどと好き嫌いを言わない、万物すべてをあるがままに受け入れてくれる。その受け入れる心を、「素直」というんだよ。松下幸之助氏は、「この世に存在するものに、無駄なものは一つもない」とも言っている。「素直」とは、すべてを受け入れる心とも言えるのだ。人間は、いやな出来事に出くわしたり、いやな人に出会ったりしたら、「どうして私だけがこんな目に遭わなければならないのだ」「一体、いつまでこんなことが続くのだ」と、人や環境、時代を恨み、うとんじ、遠ざけてしまう。そしていつの間にか、惨めになる自分がいる。すべてを、受け入れられる広く大きな心を持つことが、人生を幸せにしてくれるのである。(松下幸之助の教訓 上甲晃 致知出版社 264ページ参照)人間は想定外の過酷な運命や境遇を否定して恨みます。生んでくれた親、生まれた時代、他人の冷たい仕打ち、自分の性格や能力や容姿など挙げればきりがありません。松下幸之助氏によれば、それらを是非善悪の価値批判をしないで、あるがままに受け入れることだと言われています。毎朝繰り返して念じて30年。やっと初段にくらいにはなった。でもこれから先、二段、三段、四段と続いていくわけです。将棋の世界では四段に昇段して初めてプロ棋士と言われるようになります。将棋の世界では八段、九段くらいまであります。森田で素直というのは、観念主導の世界から、事実主導の世界に自分の立ち位置を変えることができたということだと思います。それにしてその入り口に立つのに30年もかかるというのは驚きです。森田ではもう少し短い期間で事実優先の世界に自分の立ち位置を変えることができるのではないかと考えていますが、それは甘い考えなのでしょうか。そうなるためには大事なことが2つあるように思います。①自分の中にもう一人の自分を作る。ネガティブな思考や感情が湧き上がってきたときに、もう一人の自分にその様子を実況中継をさせる。そして森田理論、その他の精神療法を使って分析してみる。自分一人で、できない場合は、学習仲間の助けを借りる。②注意点として、その際是非善悪の価値判断をしないようにする。これは私にとって、事実本位に生きるためには大変有効な手法です。これ以外にもいろいろな手法があるようです。森田の学習会などで議論して、自分が取り組みやすいものを見つけていきたいものです。観念優先で事実否定の態度は、神経症の発生原因の一つですから取り組んでみる価値があります。
2025.06.01
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