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数値目標人は化学反応であり、因果律に存在している。ある意味で精密機械であり、健康も数値によってある程度は正常かどうか知ることが出来る。血圧や血糖や、其の自己測定器はまだ十分ではないが、出来るものもある。私は医師から指示された項目をいくつか毎日測定して、それをノートPCに入力して、担当医に報告している。今朝は、やっとその数値が許容範囲に復したようだ。人間のからだというのは、やはり数値で表さないと精確には知ることはできないところがある。それは精確といえるだろうか? ・最近の医学が、すべてではない。測定器もこれから高度なものが開発されるだろう。かなり進んだものが商品化されているが、一般的ではない。血糖測定にしても、いささか野蛮な測定方法をしている。其れこそ儲からないから製作しないのだろう。医者は患者の報告よりも検査結果を重視している。どんな正直な人間の観察でもあてにはならない。「あなたは既に死んでいる」ことも気付かない笑い話もあるくらいだ。まれにとんでもないようなことも起こり得る。 ・へ2・・・ひとは他人から誤解されがちでもある。その真意を理解して呉れないことは良くあることだ。他人の観察があてに為らないことは誰でも知っている事なのに、意外と世間の評判を信じてもいる。悪い評判というのは拡がり易いらしい。鳥渡した間違いが、尾ひれがついて拡大されもする。其れこそ人間の心の問題は計測できないし、一旦付けられた風評も独り歩きもする。周囲から誤解されながら暮らしているようなものだろう。自分の体調さえ、玩具のような計測器で測らねば解らないのだ。>宗像大社
2011.02.28
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いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物が番いになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。 いまから5万年~10万年前に人類の脳の容量がいまと殆ど変わらないくらいに増えた。脳が構造的に変化してから、それが文化に反映されるまでの長いあいだも、人類は言語の発達を通じて、寂しい脳の闘いをつづけている。
2011.02.28
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少しは脳を活動的にして3月を過ごしたいものだ。まあ思うようにはなかなかだが、その気がある。寒の戻りはあるとしても、眠っている神経を叩き起こして、「休眠打破」しなければならない。何でもリセットしてやり直そう。これからの1クールは、どんなものにするかは自分次第でもある。まあ、嘘のないものにしたい。そう単純ではないが。 ・「無」から「有」を生み出すことはできないだろうか。併し無機質から有機質は生まれたというジャンプがあったのが、ヒトの誕生ではないだろうか。輪廻を断ち切ることが「悟り」であるという。物事の背後にあるのはただ事でないものがあるのではないだろうか。それを見つけねば何事も始まらないかも知れない。それは、何らかの決意が要るのではないだろうか。 ・へ2・・・脳を守ることは、活かすことでしかできない。>宗像大社
2011.02.28
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月日 曜日 気温 起床 歩数2011/2/1 火 0 3;10 18,8282011/2/2 水 3 4;25 26,0522011/2/3 木 1 3;00 30,8512011/2/4 金 3 3;55 26,6792011/2/5 土 3 5;22 21,5492011/2/6 日 4 5;30 27,2782011/2/7 月 5 3;50 23,5362011/2/8 火 4 6;14 13,8852011/2/9 水 7 2;50 22,7852011/2/10 木 5;25 20,2182011/2/11 金 3 3;50 15,1232011/2/12 土 2 4;28[ 18,5712011/2/13 日 1 2;28 21,9132011/2/14 月 2 4;40 15,1152011/2/15 火 4 3:00 22,6412011/2/16 水 1 3;55 21,4152011/2/17 木 7 1;50 6,5412011/2/18 金 5 3;25 21,8822011/2/19 土 1 3;30 23,0222011/2/20 日 5;26 27,3102011/2/21 月 5 4;04 20,4512011/2/22 火 3 2;18 20,7382011/2/23 水 6 3;00 1,2322011/2/24 木 9 3;25 20,6652011/2/25 金 12 5;00 26,6302011/2/26 土 4 3;14 25,3422011/2/27 日 8 4;05 13,1442011/2/28 月 12 4;15 20,340合計 573,736年月 歩数 日数 平均2008年4月 258,124 15 17,2082008年5月 461,505 31 14,8872008年6月 454,828 30 15,1602008年7月 492,053 31 15,8722008年8月 479,175 31 15,4572008年9月 607,612 30 20,2532008年10月 635,399 31 20,4962008年11月 562,374 30 18,7452008年12月 629,723 31 20,3132009年1月 628,603 31 20,2772009年2月 587,391 28 20,9782009年3月 700,366 31 22,5922009年4月 686,126 30 22,8702009年5月 704,517 31 22,7262009年6月 610,392 30 20,3462009年7月 646,126 31 20,8422009年8月 655,742 31 21,1522009年9月 682,647 30 22,7542009年10月 749,592 31 24,1802009年11月 682,170 30 22,7392009年12月 683,681 31 22,0542010年1月 675,525 31 21,7912010年2月 637,727 28 22,7752010年3月 735,903 31 23,7382010年4月 778,075 30 25,9352010年5月 814,547 31 26,2752010年6月 780,407 30 26,0132010年7月 748,643 31 24,1492010年8月 733,665 31 23,6662010年9月 706,656 30 23,5552010年10月 714,428 31 23,0462010年11月 646,698 30 21,5562010年12月 635,004 31 20,4842011年1月 715,561 31 23,0822011年2月 573,736 28 20,490累計 22,494,721 1,049 21443今月は、思うようにウオーキングができなかった。意欲がなかったようだ。反省している。2月の一日平均は、20,490歩で、最悪だった。気分転換を図らねばならないようだ。
2011.02.28
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早朝は凛として爽やかである。睡眠によって得られるのは生命力の復活なのであろうか。昨夜の疲労がどこかに消失している。もうこれ以上生きることもできないと困憊していても、朝になると忘れている。然し、何時か眠れぬ夜があり、それは己の肉体との別離となることにもなるのであろうか。たとえそうだとしても、浄土真宗では、 為 証 以 両 手 印 仏教徒ではないが、両手を合わせることは日本人として自然と度々あるだろう。それは、物真似ですることだが何か、自分のこころを謙虚にさせ、相手を敬することであろうと思っているので、抗うつもりはない。自分には理解できないことでも、世の中に尊重しなければならない物事は多くある。 時としてわが身の蒙昧から傲慢とみえることはあるとしても、決して本意ではない。それ程優秀な人間でもないし、他人を蔑んでもいない。勿論人並みに喜怒哀楽はあるが、それは拠って立つこれまでの自分の本拠となる所為であり、所以でもあるからだろう。ひとは一人であるのではない。世間であり、巷の中であるべくしてあるのだろう。 残念に思うことは、後悔は多くあるがそれを論って仕方がない。あるがままにあるべくしてありつづけるだけだ。「朝に紅顔あるといえども夕べに白骨なれる」も人の世の常の出来事であるだろう。それは、そうだと思っている。 にも拘らず、私は、この社会が正しいことをして来たとは思えないし、なるようになるのだとも思わない。寧ろ、他力本願ではならないのであって、事実を明らかにすべきであり、ひとはそれほど愚かな生物ではない。自分の限界に挑み続けるのを本懐とすると思う。 さて、明日は3月のスタートだ。
2011.02.28
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カストロフィ 種の絶滅の急激さとは、環境の急激さに必ずしも比例せず、緩慢な環境変化が進行し、ある臨界点を超えた瞬間に一気に絶滅するのだという。たとえば、水生の生物は、じりじりと死んで行くのではなく、ある許容範囲を超えると一気に絶滅するパターンをとるのだ。それまでは、元気に泳いでいるのだという。他の種は平気だったりする。たった1乃至2度の境界線でしかないという。或いはその差はコンマ以下もある。徐々に進む環境の変化に対して生物は、寧ろ鈍感でさえある。危険なものから逃れようとする余り、その時期を見失うのかも知れない。自分に口実を与えて何時までズルズルと日々を過ごしてしまっている自分がいないだろうか。やがて、自分だけの「ヘイフリックの限界」が待つだろう。身体を張ってひとは、生きているだろうが、上を向いたり、下を向いたりして前を見損なうらしい。 今の自分に気づかないまま時は流れて、その時は深まるのだ。 >毎週日曜日に行っている宗像大社に行って来た。段々風景は春へと模様替えを始めている。
2011.02.28
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木戸敏郎「若き古代」。その中にルイス・フロイスの「日本史」の話が出てきた。当時公家や僧侶がしきりと書いていた日記の習慣があったにも拘わらず、その日記等は個人的なものばかりで歴史的価値はないのだという。 その点、フロイスの「日本史」は、木戸氏は単なる二等資料だというが、歴史学的には一次史料としての価値が充分あるようだ。つまり、文書として事件の発生に付随した記録・資料の価値を理解していたかどうかなのだろう。当時の文化人には、権力者の悪口は残しても、日記を残すことが、一次史料になるという観念がなかったのだろう。 遺構だけでなく、遺文も重要な史料であり、たとえ日記でも生の資料であれば充分一次史料になりえる。文化の蓄積とはそういうものではないだろうか。フロイスの残したものが日本人の歴史の役に立つとは不思議なことである。西欧人と日本人の文化の差だろうか。 歴史は消えるものではない。悪いものを消去しようという考えは間違いだ。何でも「水に流す」というのでは、いつまでも不正が見抜けなくなってしまう。同じ過ちを繰り返すことに繋がるだろう。日本人が、これから世界で生きていくためには、悪いことをすれば、「水に流す」ことはできないし、責任を取らされるということを肝に銘じなければならない。 たとえ「日記」であっても、それは個人のものであり、然も公然とした記録であることを認識しておかねばならないことだろう。そして、それが社会性をも具有していることだと思う。
2011.02.28
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戦略meme赤ちゃんは可愛く産まれる。誰もそのことを否定できない。老人は老醜して死ぬ。子供が殺されると世 論は復讐を誓う。若者が死ぬと悲劇になる。愚かな行為も美化されたりする。まだ封建時代を生きてい るサムライが居るかも知れない。他国では教科書に、特攻隊やサムライの国にされたりする。憲法も 天皇を認知している。遅れているところと暗部もある。警察も暴力団を利用している。必要悪の理由で 黙認される諸悪は枚挙に暇が無い位だ。社会は矛盾に溢れており、正義が必ずしも王道ではない。 悲劇が喜劇になり、何時までも、悲劇に付き合わない。老人の死も同じだ。苦しみや悲哀は忘却さ れるだろう。戦略memeは、人の心を操り続ける。仕組まれた恋愛に生命をかける若者がいて子孫を 残している。血と涙と汗した資産も大抵孫までの三代で国有に戻るシステムになっている。meme は、 第二の遺伝子だ。
2011.02.28
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悲喜交々あり人生好いことばかりではない。そんなことは解かっているが、都合が悪いことが起きると凹む。うじうじもする。これではいけない。くよくよして、イジケテしまい自分の非力が厭わしい。自分の責任を他人の所為にもする。責任転嫁をする。どこかの政治家のように。真似をしている。能力のない人間には自分のすることが明確だ。迷わなくて済むかもしれない。一直線に走る道路の世界一は、150キロもあるそうだ。 ・言葉を操ることが出来るまでに、相当時間も必要らしい。そうではないか。他人のことは知らないが、自分には、時間が必要だったようだ。それでもことばは鉱石のようでもある。鉱脈を見つけ出す力はない。一生出来ないかもしれない。愚かな人生だ。世間から莫迦にされていると思い込み、無差別殺人の話があったが、無視することはできないだろう。80年台の「日本の時代」は、バブルの影響がある。終身雇用や低賃金や財政出動などの政府の政策が功を奏したからだ。其れをドラステックに分析研究したアメリカの90年台では「アメリカの独り勝ち時代」になる。 ・へ2・・・学んだものが勝つ。自分たちの弱点を知り、相手が何故成功したかをひとつひとつ分析する。あのアメリカでさえ、そのことを忘れなかった。日本の敗戦も、それを遣られて敗れた。中国は、日本の空白の15年を学ぼうとしている。自分たちの弱点をどこまで分析し、世界を客観的に分析できているだろうか。恐らく日本の政治家の動きをアメリカは逐一分析し、どこに隠れていても、ミサイルで攻撃もできるだろう。地下数百メートルもピンポイントで飛んでくる。
2011.02.28
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記念写真デジカメを何時も持っている。首から、カメラと家の鍵を繋いだひもをぶら下げて歩いている。義母のお見舞いをしている時、その時までそのつもりはなかったが、記念写真を思いついたので、妻に目配せしたら、直ぐにそれに気がついて「皆で写真を撮ろうよ」と応じてくれた。義母も拒否せず応じてくれたので、どうにかベットの上での妻子と並んだ写真が撮れた。去年も何度か入院している義母だが、写真を撮ったことはない。 ・昔は何かと記念写真を撮ったものだ。誰でもカメラをもつようになり、その意味も変化している。父母の写真も、古いものしかないのはそのためでもある。母は、もっと若い頃の写真があれば・・・とよくいっていた。老けた自分の顔を撮りたくないとも。今考えると、腰の曲がったひとや、杖をついて歩く人をよく見かけたが、厳しい肉体労働をしている人たちが多かったのだろう。手や足が、大きい人が多かった気がする。霜焼け、冷たい水でアカギレに為る子どもたちや、鼻水を垂らしたものも多かった。 ・へ2・・・日常が楽しいばかりではなかった。私たちの今日は、何かを棄ててここまで来たのではないだろうか。それは何であったのか。それはまた個々人で違いもする。自分の青春であり、自分の両親であり、伯父や伯母たちでもある。義母は優しく私たち家族をサポートし見守ってくれていた。その恩を忘れてしまっている。自分の暮らしに感けていもいる。>漓江の川下り
2011.02.28
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私の父は、昭和62年5月に亡くなった。69歳だった。心筋梗塞である。奇しくも、母と同じ月日なので驚いた。仲の良い両親だったが命日まで同じだった。二階の書棚の掃除をしていた。埃が大分と積っていた。掃除機とダスキンで綺麗にしていたら、父の数冊の本が出てきた。父は歴史や時代物の小説が好きだった。司馬遼太郎は好きでよく読んでいたようだ。大抵古本をどこからか買ってきては読んでいた。私は30歳近くまで浪人したが文句一つ言わなかった。いつまでも優しい両親で私は、感謝している。だから、私も少なくとも勉強したいという者の邪魔だけはしたくない。好きなだけ勉強させてやる環境も必要だろう。たとえ成果が上げられなくとも其のチャンスだけは潰したくはないだろう。花が咲き、実るとは限らなくとも、その花をみて感動するものがいて、そのひとがまた花を咲かせ実り、散っても、やがて誰かに引き継がれるのではないか。この父の本も昭和52年の印刷でもう古本であるが、懐かしいので、これから読んでみようと思っている。
2011.02.28
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現実を視ない訳には行かないイエ猫や野良猫を視ていると思うことはある。いつエサをもらえるか解らない野良猫もいれば、人間よりか待遇のいい猫もいる。妻子が各々餌を買ってきて食べさせもする。措かれた環境で違うのは人間社会も同じだ。憲法に定められた人権尊重もプログラム規定でしかない生存権もある。年々暮らしが改善されているわけではない。寧ろ弱者への厳しさは増している。揺りかごから墓場までも、その声は小さくなりつつある。 ・「人口」ということばも、造語の起源も、人の「口」から始まるらしい。人は、口で食べることが、人間の暮らしを表すシンボルでもある。食べるために働いてもいる。衣食足りて礼節を知る。衣食が足りなければならないし、住まいもある。憲法では、国民の三大義務もある。権利と義務は国民の納得が得られなければならない。悧巧な人間がリードして、この社会を形成して来たのは事実だろう。そして、社会的ステータスのある人たちが、自分たちの都合のいいようなシステムを創り上げてもいる。 へ2・・・自分の身内に甘く、他人には冷たい。そうして社会が発展もしてきた。然しそれだけでは、民主主義の精神は成立できないのも現実の問題だ。何時までも、同じでは何も出来ない。発想を変えなければならない。何時までも猫たちのようなことでは人間の理性は意味が無くなる。昨日と同じことを考えていては、何も出来ないし、この社会は良くならない。問題から逃げていては自分の人生も危うくなる。>懐かしい風景です。義父の墓のある。菊池川沿いから、遠景は熊本の三の竹と金峰山で、東京から寝台車で帰省するとき、近くをJRが走っているので、玉名のこの辺りから山の姿が見えると「帰って来たなあ」、という感慨がわいてきたものです。
2011.02.28
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月日 曜日 気温 起床 歩数2011/2/1 火 0 3;10 18,8282011/2/2 水 3 4;25 26,0522011/2/3 木 1 3;00 30,8512011/2/4 金 3 3;55 26,6792011/2/5 土 3 5;22 21,5492011/2/6 日 4 5;30 27,2782011/2/7 月 5 3;50 23,5362011/2/8 火 4 6;14 13,8852011/2/9 水 7 2;50 22,7852011/2/10 木 5;25 20,2182011/2/11 金 3 3;50 15,1232011/2/12 土 2 4;28[ 18,5712011/2/13 日 1 2;28 21,9132011/2/14 月 2 4;40 15,1152011/2/15 火 4 3:00 22,6412011/2/16 水 1 3;55 21,4152011/2/17 木 7 1;50 6,5412011/2/18 金 5 3;25 21,8822011/2/19 土 1 3;30 23,0222011/2/20 日 5;26 27,3102011/2/21 月 5 4;04 20,4512011/2/22 火 3 2;18 20,7382011/2/23 水 6 3;00 1,2322011/2/24 木 9 3;25 20,6652011/2/25 金 12 5;00 26,6302011/2/26 土 8 4;05 25,3422011/2/27 日 12 4;15 13,144合計 553,396ウオーキングの記録は最悪やっと体調が戻ってこれから頑張ろうとしていた矢先で、冷水を浴びたようなところがある。人生は得てしてアイロニカルだ。穏やかに楽々と生きていけるほど甘くはない。他人にはどう見えるか解らないだけだろう。他人のために援助できる人は、それほどいるわけではないだろう。この社会は豊かでも何でもない。寧ろ弱者を切り捨てようとさえしている。病気になっている病人も誰も援けはしない。受診できる患者となる資格がある人であり、それが出来る人である。 ・ここ数カ月、何となく、法数が伸びないでいる。それはあと少し頑張ろうがない。これでは運動に為らないし、気持ちも盛り上がらない。寒い所為だけではない。今日が二月の最終日で、上記のとおり。何とか2月度の記録は最低ラインを超えそうだが、それだけでしかない。 ・へ2・・・気持ちのこもっていない記録では意味がない。形式的に体を動かしているにすぎないだろうし、効果も薄い。
2011.02.27
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臍が茶沸かすやはり行くごとに、変わる玉名だ。その時の事情もある。何時も義父の墓参りをして、すぐに熊本の両親の墓参りに行くので、それほどゆっくりできないので、義母の顔を視ないまま次の予定地に行ってしまう。こうして病気見舞いくらいしかゆっくりと話せる機会もない。亡き義父がいたころは、毎年出掛けていたので当時の妻の実家のことも知っていたが、今のことは余り知らないでいる。少し田圃をもっていて小作にしている事を知っていたが、その規模は知らなかった。これからのこともある。 ・義弟と暮らしているので、相談を受ければ話に乗ってやるつもりであるが口出しはできないでいる。義母がどう考えているのか、気位の高い人でもあるので、なかなか事情も判らないでいる。先日の最終講義の時に、現在の日本社会では、正規雇用か非正規雇用かで、待遇が全く違うし、まともな暮らしが出来るかできないかでもあると指摘されていた。パートやアルバイトでは、暮らしていけない。暮らしていけないから妻も働きに出るが、賃金は廉い。日本とスウェーデンとの福祉型の違いを問題視されていた。 ・へ2・・・どうやら姥捨て山の人間軽視の政治や経済が、日本の悪しき伝統でもあるのだろう。長生きしている日本の女性たちの実態は悲しいものだ。一般的な常識としてそんなことは知っているが、それでも身近なこととしてあると身に沁みもする。男社会の現状は社会システムを変更しない限り出来ないだろうし、意識も変えなければならない。人権意識の低い国家でしかない。何が一流国だ。臍が茶沸かす。
2011.02.27
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<作品> 「人間失格」、「家庭の幸福」、「グッド・バイ」・太宰にとっての「人間」の意味。本当は、敗北ではない。敗北では書けない。世間でいう「失格」だとは、太宰自身が本当は思っていたのでもない。書くには、そうではない、情熱が必要。彼は、世間を批判している。即ち、逆転した発想が必要である。・太宰の冷静な目がある。 「人間失格」、・「私」を書いている。葉蔵は太宰。社会の落伍者として書くのが日本文学の底流にある。「はしがき」と書いている、それを読むこと。「はしがきの人間像」として書く・・のが近代文学の傾向がある。・竹一・・・の存在。「ばか一」実篤。「竹」にも特別の意味がある。・「はしがき」と「あとがき」の中身が違っている。・自分の本体を・・・見ているものがいる。・・・「神の目」?・上田敏詩集。・人間の仲間に入れない自分がいる。人間観。・自然に対する関心がない。・父に対する畏れ。(太宰の父は、国会議員だった。)太宰の見た父親像。兄の見た父ではない。太宰との折り合いが悪いだけではないか。普通のこと。・小説は、たいてい大げさに書く。・太宰の異常さが、幼児のときにもある。夜、父のノートの自分の欲しいものを怖れずに書いていること。普通の子供が平気でできることではない。・道化・・・キーワード。他人に見せる顔と本心とは違う。道化の仮面を被って生きる。日本人は下手。西洋人は当然のように仮面をつけている。内と外を違うのが常識になっている。・「硝子戸の中」漱石。参照。・道化=人を笑わせる・喜ばせる・・・奉仕。・実篤は、自然の意志・人類の意志。太宰は違う。自然の欠落。・志賀直哉・・剃刀。・葉蔵・・・この世の存在する意義は、人間を批判するという点にある。・竹一の存在・・神ではない。・モラルとは違うもの。・太宰には、下男・下女に性的ないたずらをされたトラウマがあった。露骨には書いていない。親にも言えず、世の中は抵抗の仕様がないと思い込んでしまう。・「鈍」の意味。「ドン」が必要な世の中である。太宰は傷つき易い人間。・作家は自分の内側を書かない。知っているけど書かない。太宰に対する感情に好きと嫌いの対局のニュアンスの違いがある。女から好かれる。恋の秘密。・太宰には東北人のことばのコンプレックス。迂遠に書いているだけ。田舎者の引け目がある。・人との交わりができないタイプの人間とことばのコンプレックスがある。・沈黙を怖れる・・・都会人のタイプ。太宰、小島政二郎、芥川。・葉蔵・・・女性。太宰とは・・・。・漱石・・・こころにおそろしいものがある。心理分析は、魅力ではなく、谷崎も、三島も書きたくない。・太宰は、自分のことを書いている。自分の身を犠牲にする・・・奉仕。・精神的に弱い者でないと、弱い人間を理解できない。・日蔭者としての自分を考えている。・お坊ちゃんとして、非合法を恐れないという神経がある。そういう普通とは違うタイプの人間であろう。・太宰は、合理主義者ではない。「金の切れ目は、縁の切れ目」は世間とは違う太宰流の心理描写。・中井英夫「虚無への供物」・生死にかかわることも、他人事として見てしまっている。スキャンダルとしかみない。・太宰にとっては「第三の手記」。太宰が離縁した、<小山初代>の問題があったことが太宰には重い心情があった。書いた意味がある。・罪と罰。罪を犯すものと罰を下すものとの溝。 「家庭の幸福」、・私心のない人間。漱石のテーマと重なる。・エゴからの脱却というが、太宰はエゴではないか。・津島美知子「回想」で触れている。何故、家庭の幸福がいけないのか。 「グッド・バイ」・男女の別れの問題。・それこそ小説のようにはいかない。・未完。
2011.02.27
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2011.02.27
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個体発生を研究するのに二つのアプローチがある。全体を動的なものとみなす方法である。そして、局地的、還元主義的に情報や制御といった視点にたつ方法である。科学的な問題は証拠によって判断されるべきであり、思想的な偏見で判断されるべきではないが、問題は見かけほど単純ではないだろう。何故なら、そうは大抵ならないからだ。たとえそれが科学の問題だとしてもそうだから、その他の場合であれば尚更である。問題解決が難しいのは、一つには、世の中がどうなっているかで決まるからだ。現代であれば経済の原理が優先するだろう。更に言えば、その問題の解決方法がいくつかある場合には、そのアプローチは無数ではないが有限にはあるだろう。ひとは、美しくも浅ましくもありうる存在だろう。あるひとにとって美しい存在でも他のひとには醜悪であるかも知れない。どうもいつも見慣れたものを美しいと思うのは動物の習性らしい。「ジキルとハイド」はひとに付き纏うものかも知れない。
2011.02.27
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<作品> 「闇への書」、「闇の書」・レジュメ3部梶井ノート第9帖・「冬の日」・心 中・「冬の日」梶井の構想の特徴。楽に書いてはいない。中々先に進めないでいる。苦悩している。<7>が削除されている。構想ノートと作品との間に混淆がある。・妹の死・・・梶井は引きずっている。<7>作品にはない構想があった。梶井は、いいわけやごまかしができなかった。・・・モラルがある。感覚派的側面がある。・梶井は、知識ではない感覚優位。こだわりがある。感覚に拘りをもつ。新感覚派・・・梶井は真の意味で。・平気・・・感覚がない。手続きに参加しているだけ。伊丹「お葬式」と同じ。・一般人は平気である。わかっていない。・「冬の日」重要な作品。転換点。この作品で梶井がわかるようになる。以下の作品は、梶井の台所事情を書いている。それまでの彼の作品は梶井の言いたいことではない。・「闇」が・・・本物の「闇」である。凄さがある。夜の見えない世界。視力と聴力。梶井には絶対音感があった。耳が良い。水音。見えるものとみえないものが混淆する。・知識と感覚の違い。・書いてあることを信じてはならない。妹の私に平気であったことに正直に拘り続けている。梶井の複雑な心理。一般には、理解することが難しい。・「心・中」・・・川端「心中」を主題とするヴァリエイション・分かり難くしている。・梶井が下記作品の中で説明している。草稿・・・構想段階にある作品である。・川端「心中」・・・拘りが「冬の日」になっている。時空を超えている。・「ある」のに見えない。共通するものがある。梶井の川端「心中」のパクリ。頭の中にあるもの。気づかれないように書いている。・中也「冬の日」・「何をしに自分は来たのだ・・・」。繰り返す。リフレイン。・凧・・・・中也の「帰郷」の存在。「闇への書」・梶井は無題。編集した。此処で説明し「蒼穹」では省いている。・日記の中の作品として書きためられた構想。メモ。・作品と日記ノート(公表していない)の中で繋がり反復がある。作家の内面の混淆がある。・「蒼穹」などの草稿として。・テキストでは編集している。削られている個所がある。・みえないものほうが素晴らしい。 芭蕉 霧時雨不二見ぬ日ぞ面白き「・兼好・・・花はさかりに月はくまなきのみ見るものかは・「月」は、当時は不吉なものとされていた。平安期。・西行・・・それまでの「月」に対する常識ではない。 願はくば花の下にて・・・望月のころ。・空を見ている。・日向へ寝転べばそこは常に海の突角だった。「蒼穹」説明の省略。・説明したくない・・・知識だから。客観性がある。・感覚は説明し難い。空が、海に見えてくる。雲が船になる。・「二」空欄。(付け加えられた。編集された)・視覚と聴覚。「闇の書」・日記メモの第11帖。(昭和2年)・遺稿。・母の変貌。昔の母の姿。想像している。・谷崎「母を恋ふる記」・・・イメージ。夢の世界。若い母。・母に対する想い。母子関係の複雑。・ルナール「にんじん」・潜在的要素がある。母に対して、屈折した感情をもっている。・「あの道を歩いていこう」・道・・・モチーフが梶井にはある。別の道ではない。・前の梶井ではない。他人の目を気にしない。母の言葉。・最後で心境が変わる。母と子。説明が省略されている。母より自分に傾斜している。母と自分との違い。自分は、闇の中から見ている。母は反対からみている。・一対一 母と自分。向き合うべき相手として見ている。・何故、若い母なのか?・蒼穹に関係している。闇の絵巻に関係がある。>菊池川河口
2011.02.27
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まだそれ程悧巧でもない人間にとっては「生老病死」は自然に従う。自然に任せた方がいいだろう。下手に逆らうから余計紛らわしいことにもなる。中国の人は、自然の厳しさを知っているから大らかなのだろう。どこまでも拘らず現実的な生き方を好むが、恩義にも篤い。死後も田中角栄にさえ仁義を尽している。 「君子は言に訥にして、行に敏ならんと欲す」ということばがある。あっという間もなく二週間が過ぎて、大分読書のスピードが落ちている。意欲の所為だろうか。君子も解釈によって色々ありえるが、あまり硬直して考えることはない。当時の賢者は君子だろうからだ。昔は、要するに完璧なものはないのだ。 何故能弁ではいけないのだろうか。能弁でも口先だけの人間が多いからだろう。だからこの格言も全部が正しいのではない。戒めでもあるからだ。これを悪事に使われては困るだろう。訥弁であっても真意をどこまで相手に伝えることができるかだろう。ことばを弄んでも踊るのは一時の迷いでしかないのだ。 善人と悪人に峻別したがるのはそれが簡単な選別法だからだろう。併し、現実はそれ程単純でもない。江青が後日評価されないとも限らない。毛沢東や周恩来の実像にしても色々評価が分かれている。そういえば金正日もそうだろう。彼が10年先にどんな評価が北朝鮮でされるだろうか。彼の取巻く幹部の中からもうひとりの林彪が出ないとも限らない。 重苦しいと思うのは当り前だ。私たちは重力に逆らって生きているし、生老病死の中にいる。それでも面白いことを見つけて生きていた方が余程愉しいだろう。
2011.02.27
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義母見舞い福岡市から玉名まで片道約100キロ、義母が入院したので見舞いに行って来た。高齢なので心配したが、意外と元気でおられたので安心した。暫く検査入院らしい。其れ次第では長期の入院になるかも知れないとのこと。去年も同じ病院に入院されており、歳とともに弱っておられるようだ。最悪のケースが頭をよぎっていたが、それが無くてよかった。往く時は、心配して妻子も無口だったが、帰りは、一安心した所為か、妻の運転で賑やかだった。 ・これまで30年近く福岡から玉名まで数知れず車で往復している。マイカーで、いつまで続くことになるか解らないが、今年の3月からは九州新幹線が開通する。見慣れた車からの風景もいつまでも続きはしない、今度は、新幹線に為るかも知れない。新玉名駅は、現在の玉名駅から、かなり離れた場所である。 ・へ2・・・自分の親の最期を看取ることは子どもの責任である。世間でどのように評価しようと構わないが、自分も自分に相応しく自分らしく死にたいと思うが、義母も義母に相応しく死なせてやりたい。其れを願うばかりだ。>娘が義父の墓参りをしたと言うので、菊池川の河口近くにある墓参りをしてきたが、そこから雲仙岳が見えていた。
2011.02.27
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甘さとの闘い自分の中にあるいい加減さと闘わねば出来ないことばかりのように思える。最終的には自己責任に為る。自分で自分の生命を守らなければ誰も守ってはくれない。その自分が曖昧な気持ちではできることもできなくなる。こうして言えるのも、これまで失敗ばかりしてきたこともある。教育入院を繰り返した。医者からのアドバイスだけではない。ナースや、患者の人からも貴重な話を聴いたこともある。 ・頭だけで得た知識は、直ぐに忘れる。然し自分で体験したことは忘れない。脳も委縮してくるからそんなことが何時まで言えるか解らないが、写真やツアーで視てきたことは鮮やかに脳裏にある。それもいつまでもないだろうが。自分が甘いという認識は必要なのだろう。朝のウオーキングも、自分の住んでいる環境を知ることであり、体調をチェックすることでもある。季節を感じることもできるし、関心さえ持てば、視えてくるものもある。 ・へ2・・・兎に角、ウオーキングをするという日課を続けていると、雨もあれば、強風もあるし、体調の悪い時もある。毎日となると行きたくない時もある。それでも続けていると、できるようになるものだ。苦にならなくなる。其れこそこれから何でも遣る気でいる。これも3年近く自分がウオーキングを続けられたという自信があるからだろう。
2011.02.27
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アルコール摂取食餌療法をしていると、アルコールの摂取はできるだけ控えるようにいわれるし、言われるだけでなく、その意味も判る。これだけ飲酒運転による事故が減らないのは何故だろうと考えると、酒がこれだけ世の中に出回っており、CMでも宣伝しているし、仕事で酒を飲むのが当然だという風潮さえある。酒で身を崩した人は多いだろうし、アルコール依存症もある。それは銃があるから事故も事件も起きる。原因と結果でもある。 ・大学の席でも酒の話題が出る。恐らくそんな程度で、アルコールが飲まれているから、飲酒による弊害は止まないのだ。アルコールは人間の食事では嗜好品だ。できれば飲まない方が好いし、飲んでいると量が増えてくるし、止められなくなる。病気も悪化する。無くすことはできないにしても、特別の場合にすべきだろう。体に悪いと解かっていても、止めないのは何故だろうか。人のからだはそんなに甘くはないし、簡単に健康が得られるのでもない。病気になってみればわかることはある。 へ2・・・一端病気になれば元には戻らない病気もある。ポイント・オブ・ノーリターンもある。アルコール摂取は小さいことではない。それと気付いた時には遅いことが殆どでもある。美味しいからといって安易にアルコール摂取の話をすべきではないし、勧めるのも可笑しい。これだけ人の不幸を招いてもいる。アルコールでなくてもストレス解消の方法はいくらもある。悪習であり、断ち切らねばならないものだ。>イスタンブル ブルー・モスクの構内
2011.02.27
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玉名へ義母の入院のため、お見舞いに家族で出かけることにしている。どんな様子なのかよく解からないが、義母は89歳と高齢でもあり、これまでのようにはいかないのだろう。丁度桃の節句が来るので、居間には、義母が初孫の祝い買ってくれた雛壇が飾られているところであった。一番上の娘が心配しているようだ。私たちが福岡に引越してくる時、3か月ほど、妻子を実家に預けていたこともあり、義母が殊に強い愛情を注いでくれたのが娘にも乗り移っているようだ。これまで娘には成人式の着物を買って呉れたりしている。 ・昨年も同じように体調が悪いと入院した時、義母が娘に、「幸せか?」とマジマジと顔を見ながらささやいていた。それを傍で聴いていて私たち夫婦もはっとした。これまでそんなことを言う義母ではなかったからだ。気丈に生きてきたひとであり、書道の教師を長年していた。もう仕事を辞めようという話を、私たちは当然だと、当前のように考えていたが、義母にはその感慨が深かったようだ。その人に為ってみなければ解らない感情があると思った。 ・へ2・・・母が入院して、看病していた時、親戚の人たちの面会を厭がっていたのを思い出す。体裁ばかりではない。他人に見られたくない自分の姿もある。その時、私も若かったが、生きることの厳しさを感じた。そう簡単に人は死なない。自分との闘いの末に其れが来るということでもある。私は母が人の死を教えてくれたと思っている。母も玉名で死んだ。父は福岡で死んだが、義父も玉名だった。思い出の多い玉名が遠い記憶にある。その地へ家族と出かけてきます。
2011.02.26
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時々自分でも、こんなことで好いのだろうか、と悩んではいる。まだ言わば、<ヒント探し>の旅でしかない。あちこち見てまわっている。直接現場に行ったと言える訳でもない旅でもあるが。やがて、タイムリミットも来るかも知れない。それは唐突に来るだろう。恐らく自分自身で思っている以上にそれは早く来るのだ。少なくとも私がこれまで、その人の死をみてきた範囲では皆そういう生き方をしていた。人は自分の死を直視できていなかったのだ。 ・自分が愚かな生き物であることはだれよりも知っている。その自覚なしに語ることはできない。だから自分にできることの意味を知りたい。神が「普遍性の確信」と言えるには、科学が進化し過ぎている。時が不可逆であるとすればもう、元には戻れない。<神>なしには、生きられないとしたら、それは重いカセ付けて歩く人生でしかないだろう。それを必要としない人間だけが、明日を見ることになるかも知れない。違うかも知れないが。それはまだ分からないというべきだろうか?否、そうではない。 ・へ2・・・まだ、選択肢がある以前であることは、幸運なことだろうか?すべてが終わったときから始まったのではないからだ。まだ、重力と闘いながら、酸素のある時代にいる。真空の世界に還ることがあるかも知れない。そして冷たい闇が周囲にあり、無限の時間と怖ろしい戦いを繰り返している前の僅かな安らぎの中にいるのだ。それは奇跡に近い時間でもあるのだろう。そして私は、まだ<ヒント探し>というゲームをつづけられるという真にささやかな夢を見ているのだ。
2011.02.26
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飲酒の話今日の講座の後で、講師をされた教授たちと昼食会があったが、鳥渡気に為ることがあった。ある講師が、席に着いてすぐ場を和らげるためかもしれないが、自分は酒が趣味で、あちこちの酒を・・・と話をされていた。大学と市民がこれから交流を深めようという話をしていたところだった。話のきっかけを作ろうとしたからだろうか。善意に解釈すれば、何でもないことなのだろうが、聊か、違和感があった。どうでもいい話をする場所だと軽く思われていたのではないだろうか。 ・飲酒することを、余り軽くは、考えていないこともあるが、酒飲みの話は、場を盛り上げるだけではない。喫煙も、飲酒も、それが齎す健康被害や社会生活への影響は小さいものではない。どう向き合わねばないか真剣に考えるべきである。何気なく話されてことで悪意はないにしても、大学と市民が触れ合う少ない折角のチャンスだと思っていたのに、酒の話になり、どれだけ本気なのだろうと思わずには居られなかった。 ・へ2・・・飲酒事故が減らないのは、酒があるからである。酒を宣伝し、酒を販売して利益を上げている大企業があり、愛飲者がおり、アルコール依存症もいる。大学でも、酒の弊害ではなく、愛飲家の暢気な話だった。まだ禁煙のようになるまでには、道は遠いのだろう。
2011.02.26
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一プラス一は、三と信じているひとも「自分は正しい」と思うだろう。中枢神経系のメカニズムが、自分の信念や判断を根本から疑うようには造られていないらしい。だから宗教やイデオロギーが必要なのであろう。それに反する不都合な情報や事実を避けようとさえするのだ。加えてその信条を共有する「仲間」のみと交流しようとする。その例が、小規模のカルトや、宗派だ。ひとは、自分の信念に揺さぶりをかけてくるものを排除するだけでなく、絶滅させたいと熱望するだろう。それがたとえ真実であろうとなかろうと。ひとは、根本的には、真理ではなく快感を求めているのではないか、そうできているのではないだろうか。戦前には、軍神を信じた日本人が、戦後には戦犯を弾劾する側に回って憚ることはなかったのだ。わたしたちは、救い難い存在であるかも知れない。
2011.02.26
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それこそ、食べることに関心がないというのは、生きていることも何とも思っていないのだろう。自己否定してるようなものだが、それを自覚していないらしい。食べるものさえなかった祖先たちが私たちの体を創ってきた。それが、どうだ、周囲に食うものが溢れてきたら、生きる意味も忘れている。けちな人間ばかりになっている。そして、自分が飢えなければ、他人のことはどうでもいいと同情のなさが蔓延っている。昔は、自分も餓えていたから、よく助け合った。ひもじい思いをしている子がいると、他人の子でも、自分の食い物を分けてやったものだ。ひもじさを知っていたからだろう。 ・ものが足りて、さらに欲望ばかりが増長してそして、人間が下品になった。学のある奴が自分のことしか考えなくなっている。学があるほど品がなくなってしまった。物を大切にしない心が、人間さえ大事にしなくなり、親や、子や、周囲の人たちにさえ心を向けなくなり、渇いている。それこそ、絶望へのスパイラルのスイッチが入った人たちであふれている。すべては食への関心が弱まったことから始まっているのではないだろうか。いつも冷蔵庫に仕舞い込んでいるという傲慢な習慣が、自分のこころを怠慢へ誘っている。何という奢りだろうか。 ・へ2・・・「奢れる平家」を自分の心の中に蔵しているのではないか。食べることの意味を忘れている。日本の食の自給率は先進国で最低である。そうしたのは何故だろうか。利益優先で日本人は今の豊かさのために未来を売ったのではないだろうか。日本人の未来に待つものは、絶望と悲惨ではないだろうか。今日の農業の衰退は、日本の未来を閉ざすことになるだろう。エゴイズムの台頭はそれを予感させる。ひとは食って生きるのだ
2011.02.26
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年月 歩数 日数 平均2008年4月 258,124 15 17,2082008年5月 461,505 31 14,8872008年6月 454,828 30 15,1602008年7月 492,053 31 15,8722008年8月 479,175 31 15,4572008年9月 607,612 30 20,2532008年10月 635,399 31 20,4962008年11月 562,374 30 18,7452008年12月 629,723 31 20,3132009年1月 628,603 31 20,2772009年2月 587,391 28 20,9782009年3月 700,366 31 22,5922009年4月 686,126 30 22,8702009年5月 704,517 31 22,7262009年6月 610,392 30 20,3462009年7月 646,126 31 20,8422009年8月 655,742 31 21,1522009年9月 682,647 30 22,7542009年10月 749,592 31 24,1802009年11月 682,170 30 22,7392009年12月 683,681 31 22,0542010年1月 675,525 31 21,7912010年2月 637,727 28 22,7752010年3月 735,903 31 23,7382010年4月 778,075 30 25,9352010年5月 814,547 31 26,2752010年6月 780,407 30 26,0132010年7月 748,643 31 24,1492010年8月 733,665 31 23,6662010年9月 706,656 30 23,5552010年10月 714,428 31 23,0462010年11月 646,698 30 21,5562010年12月 635,004 31 20,4842011年1月 715,561 31 23,0822011年2月 540,252 26 20,778累計 22,461,237 1,047 21452<作品>「雀」、「たづねびと」、 「薄明」、「親友交歓」、「男女同権」戦時下の疎開中の出来事が中心。「雀」、・冗舌がなく描写が適確という評価がある。・親の目が忘れられない。娘を傷つける。・殺伐とした人間の心理。戦争が背景にある。残忍さ。・人間の深層心理。スズメを撃つように娘を撃つ。・いきなり撃つ。現実性。瞬時のこと。表現のうまさ。人間は一変しないという太宰の普段の考えと違うことを書いている。辻褄が合わないことを書く。・「戦争がいやになった」戦争によって戦争がいやになったのではなく、女を撃っていやになったと書く。・太宰の戦争に対する思想。常人とちがう視点をもっている。太宰は戦場に出ていないが、その心情を上手くとらえている。「たづねびと」 ・くせものの作品。・二人のコントラストが問題。・目立つようにくだものをもっている。・太宰の女性への心理をつかむのがうまい。わざと関心を示さない。・太宰のデリケート。女の心理を知っている。好感をもたれる。・「・・・天からきこえました。」・・・みかんのパクリ。奇跡。宗教的表現を使っている。・「ぼんやり・・・」は、ぼんやりではない。重要な意味をもつ。・夕焼けに映えて森が真っ赤に燃えていました。(比喩)・・・私の心理。象徴的表現。・好感をもつ。その人に逢いたい。一種のにくしみ。「あの時の乞食は、私です」あまりにも自分が惨めだという意味か。・・・色魔の問題。・「美少女」文末で悪徳物語という。「にくしみ」は悪徳を指している?・太宰は何を言いたいか?太宰の心情について。好感がもっている。燃えている?恋心。しかも、妻の前で・・・の恋愛感情。どうも単純には理解できない不思議な文章・・・「美少女」。「薄明」、・昭和20年4月。妻の実家の甲府に疎開した。爆弾と焼夷弾の違い。寧ろ一瞬で死ぬ爆弾が怖いと書いている。一番酷い時期の話。甲府も爆撃された。・彼の作品には長男の話が出てこない。触れないのは障害者か?・「太宰は無頼漢」と世間には思われていたなかでの、太宰の心情を吐露している。・明るさは滅びの美しさ。・「薄明」のタイトルの付け方が太宰は上手い。単純ではない。・津島家の存在。自然主義ではない。深刻と滑稽の両方あったほうが深い。まじめさだけでは、浅くて駄目。・疎開は生き延びることで、太宰の「死にたい」思いとは矛盾する。しばらくという意味。西郷、乃木とおなじ。普通の太宰ではない。非常時・・まともな時代ではないのが太宰には生きやすかったのではないか。自分が目立たない。・太宰は周辺を軽蔑していた。・無心さ・・無残でもある。・ひとの子の親としての心情。・右大臣実朝との関連。「親友交歓」、・「威張るな」相手は、太宰が軽蔑しているのを見抜いていた。そういう自分を書いている。・他の作品に比較して、ずばぬけている作品。・いやな男。・神崎与五郎。木村重成、茶坊主。イヤミなキザなものしか感じない。・太宰の視点は違う。・鴎外の最期の一句。「お上のすることに間違いはないのですから・・・。」・相手は鈍感な男ではない。軽蔑されていることが判っている。・皮肉な一面。「男女同権」・皮肉に書いている。逆の評価が考えられる。太宰の考えがどうか。・民主主義。の意味。・太宰自身のことではない。・「にんじん」の母は、にんじんに対してだけ意地悪であること。自殺まで考える。あれは実話だった。父は自殺や母も事故で死ぬ。現実は悲惨であること。・きれいごとではないか現実。・陽の当るところだけの、「男女同権」である。実態とは違うというこということをいいたい。・女にはおそるべき残忍性があること。・言論の自由。・太宰と女性とのかかわりについて、うそとフィクション。当時の発言としては異彩を放っている。・戦後の太宰の視点。次回もう少し掘り下げること。<つれづれ草> 第117 友とするに悪しき者七つあり ・ひとつには、高く、やんごとなき人。ふたつには、若き人、三つには病なく、身強き人、四つには、酒を好む人、五つには、たけく、勇める兵、六つには、虚言する人、七つには、欲深き人。>エフェソス
2011.02.26
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<作品> 「十五年間」、「未帰還の友に」、「冬の花火」、「苦悩の年鑑」、「チャンス」、「春の枯葉」・戯曲は2作。戦後の作品。この時点でなければ書けないことを書いている。戦時中には書けなかった。戦後の文章であるという特徴。この時期の太宰の評価がされている。・太宰は、盗み方がうまい。「たづねびと」・・「みかん」のパクリ。・近代文学は、すべて比喩である。そのままを書いていない。 「十五年間」、・津軽の百姓。「津軽通信」との連関。単なる自然ではなく、自分に繋がっているものの存在。そのことを太宰は気づいている。津軽に生まれたコンプレックス、何故彼はそう思ったのか?・太宰は、文壇サロンを否定する。サロンから孤立していた。・<献身、エゴイズムの否定、隣人を愛する>・「津軽の拙さ」、津軽気質。文化人ではない。文章で書いていること、と太宰の心と一致しない。・太宰の文化とは?・サロン(集団)・・・疎外感と孤独(太宰)サロンを認めない。津軽気質と太宰の内面の不一致。 「未帰還の友に」、・徒然草の関連。友にするに悪しきものとは。<健康で強い人は弱い人に同情ができない傾向がある。酒を好む人。虚言する人。兵隊。慾深き人。など>自分が如何に悪しき友であるかを書いている。・太宰の小説は、逆説的に読む必要がある。・慾深き・・自分のこと。・未帰還とは・・・戦争で帰ってこない友人(戦死)と太宰の自責の念。・ざッざッざッという軍靴・・・音に敏感。・酒が飲みたい。卑しさ。 「冬の花火」、・評価が高い。「春の枯葉」よりも。・小説はある意味みなワンパターンである。・戦後風俗の批判。・持ち上げて落とす・・・義母(あさ)のことは、太宰の結末への拘り。・あさの浅はかさに対する・・・評価。ただ希望だけでない。させない。時代が変わろうとも変わらないという意味にも取れる。太宰は、あさ(義母)にシミをつけている。 「苦悩の年鑑」、・私は天皇が好きである。天皇の「人間宣言」に対する太宰の考え。言動が一般人と違う。・「十歳の民主派、二十歳の共産派、三十歳の純粋派、四十歳の保守派。」・津島家の息子としての立場。名家の生まれ。・太宰の後世の評価される点。昭和21年には、ぶれていない。・太宰は、自分のデモクラシーの概念をもっている。・・・そして、新しい思想とは?・浄土真宗。漱石は、革命と言っている。親鸞は考えを大きく変えた人。逆説の人という意味で、太宰の考えに相似する。漱石「こころ」・個人の歴史が重要だという。P768下段。・俗物批判。「雨後の筍」のような思想を信用しない。・「ギロチンのない革命は意味がない」・・・落伍者としての立場で書いている。・中野重治の存在。・「・・・更衣の季節で、オサダは逃げながら袷をセルに着換へた」・天皇に対する一般人の見方が違うという。 「チャンス」、・恋愛にチャンスはない。(漱石は、違う)・太宰は、チャンスではなく恋愛は、意志だと言っている。・戦後の広がった風俗に対する批判。・片恋・・ストーカー的存在。・背後に「徒然草」がある。155段。 「春の枯葉」・善悪の彼岸・唐人お吉の話、戦後の売春婦の存在。・戦前の話(国民学校)。の体裁を取りながら、青い目の外国人と唐人お吉を重ねる。・菊代・・アナーキー的思考。菊代的生き方が生き残る。光を当てている。野中と菊代の生き方・・・太宰の考えがある。・「あなたを待っていたんじゃない」・田舎だけでもない太宰。但し田舎を知っている。・「現金があるかないかで、物事を決めるのは田舎である」。・戦後を、はっきり割り切っては書いていない。・次回の「たずねびと」に今回分につながるものがある。複雑な感情。自分の惨めさ。純粋かどうか。
2011.02.26
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講座の整理をしながら遣りっぱなしでも仕方がない。次から次とヒントを貰っているが、纏め切れないでいる。余りコンを入れるとストレスに為るし、放り出してばかりでもいけない。判っちゃいるが中々先に進めずにいる。今日は、実質経済成長率のグラフの見方を教わったが、グラフに現れた数値の劇的な変化に興味を覚えた。他国との比較をすると更に面白い。1980年台に何が日本で起こり、日本の時代なのか。1980年代のアメリカの時代とはクリントン政権の時代でもある。橋本政権や、小泉政権のしたことが、日本にどのような事態を招いたのかが見える。 ・優れた経済学者にかかるとグラフも経済のダイナミズムを表現する。この10年、更には20年前のことは、私たちには昨日のことのように思い出される。経済学も、政治も、それこそ身近な問題を解析できるだろう。学生が、知識としか受け取らないことが、社会を経験した私たちには、火を視るような話に聴こえても来る。だからこそ、こうした講座は生きた教養にもなるのだろう。 へ2・・・それこそ生き甲斐を、見つけるツールに為る。何をすべきかが視えても来るのだろう。自分がどんなに苦しくてもひとりだけそうではない。それはこの社会で生きている限り、この国の運命を共にしている。クリントンが何をしたか、橋本政権や小泉政権が、日本の経済に与えたダメージは計り知れない。其れを思い知らねば、また同じことを繰り返してしまうだろう。日々変化している社会にあって昨日までの常識は今日は、非常識にもなる。
2011.02.26
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<作品>「庭」、「親という二字」、「嘘」、「貨幣」、「やんぬる哉」。 ・<梶井基次郎を次年度は4月から1年間にやる。> ・前回の説明追加。田中貢太郎訳「聊斎志異」 竹青のヒミツ。 ・「惜別」魯迅の文学的側面を太宰は書きたかった。文学は役に立たないと太宰は考えていた。献身。エゴイズムに対する献身に興味があった。高貴な精神を言っている。古典の精神にあこがれている。「おのずから・・・」憧憬。実朝・・孤独。太宰の心情。太宰の視点がある。私心をすてること。文学は柔弱。無用の用。魯迅に託して太宰の考えを述べている。 ・ただ一つのことに専念する。太宰は文学。それが文学だと思っている。「おたく」であること。ゲームの名人・・・こどもが感動する。・・・専門家に通じている。 ・「パンドラの箱」敗戦を跨いでで書いている。一つの作品が太宰の心情がある。冒頭に書いてあるものが昭和20年1月に書いているかどうか。疑問がある。戦争の中が「パンドラの箱」になる。新しい船出の意味が、何を意味するか。絶望とは敗戦のことか。めちゃくちゃに仕事をする。・・・太宰は戦時下の方が仕事をした。危機がもたらしたのではないか。戦時に光が、平時では光らない。太宰の「坊ちゃん」と言われる。竹さんの存在。 ・鈴虫・・・竹さんの比喩。うわべを超えていく。 ・太宰自殺。藤村も同じ。「燈台」「夜明け前」象徴的なテーマを扱っている。 ・新しい時代観を持とうとした。しかし2年間で逆戻りした。 ・折口信夫「水中の友」・・・・「魚服記」との関連。 ・水の中の死。・・・白鳥の伝説。海(水)と空は、おなじだという観念がある。書き換えること。 ・漱石「水底の感」 ・すべての観念が繋がる。天も海も読みかえることができるという思想。色々な思想が繋がる。 ・小林秀雄「無常という事」(プリントあり)・・・太宰が引用している。「パンドラの箱」の中の「死生」が同じである。 ・レッテルではわからない。真の価値とは何か。「源氏物語」は有名だからなのであり、良い作品と感じて読んでいるのではない。見かけに踊らされている。 ・「竹青」と「魚服記」は書き換えであること。伝染する。 ・「健康道場」 ・この「パンドラの箱」はじっくり、読み直した方がいい。 ・「庭」・・・家庭の意味。故郷には入れたれないという太宰の表象。故郷を忘れかねている。 ・太宰は、利休が好きにはなれない。濁っている。兄の存在。 ・太宰は綺麗ごとを書いているのではないか。「嘘」・・ではないのか。 ・太宰の屈折した考えがある。 「親という二字」 ・親という2字と無筆の親はいう。 ・戦時下、の話。娘が死んで親を助けている。 「嘘」 ・「男は嘘をつくことをやめ、女は慾を捨てたら、新しい日本の建設ができる」 ・作家のつく嘘は虚栄ではない。それと違うものがあるのか。きれいに色分けできるのか。見方の違い。「仏は見る人によって変わってくる。」小説はフィクションである。 ・あるがままではない。筆を通して別の物を書いている。文を書いてこそ作家である。世間の人のうそと作家のうそは違うといいたいのだ。 ・自分の胸中に濁っているものがある。ぼんやりとした。濁りのないものが嘘でないものだという。 ・人間も風景であるという考えとは違う。(太宰・西欧の思想) ・「めくら草紙」との連関。 ・太宰は、多くの作家から盗もうとした。「嘘」を描こうとする。それが誰もが許容できるかどうかである。どのようなウソになるかである。虚栄や見栄は許せない。 ・書くのが苦しくなったのではないか。戦時下の方が描きやすく、平時では自殺したのではないのか。 「貨幣」 ・お札が主人公。人の手から手に渡る。爆撃を受けている有様をかいている。戦争観。以心伝心。鴎外の「ごう光」とおなじ。読み直すこと。 ・感染する・・・精神が感染する・・・ミームのこと。 ・女語り。 「やんぬる哉」 ・疎開中の生活。都会と田舎。太宰は両方を知っている。
2011.02.26
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講座を終えて6回の講座だったが、あっという間に終わった。まだ続けて貰いたいが、大学にも都合がある。市民へのサービスの一環でしかない。講座の後、恒例の昼食会と講師たちとの交流があったが、10席くらい座っているテーブルに講師たちが入れ替わりで遣って来た。最初は、この講座の責任者の教授だったが、市民からの意見を反映したいと言っていた。大学の公開講座は、色んな場面でのヒントを市民に提供する知的情報のセンターであって欲しいものだ。 ・他所の大学と違い、現地学習や、こうしたテー・パーティを開催して市民との交流を図っているのは良い企画であると申し上げた。参加者の人たちも賛同して呉れたようだ。好いことは続けてほしい。ハイデルベルク大学の垣根のないキャンパスの話をしたら、教授も何度も行かれたそうで、同感だと言われていたのは心強い限りだ。話せばわかる人たちだろう。社会が、あちこちで分断され、それどれの努力が一つの線になれないで苦しんでいる。 へ2・・・大学が、社会に対する本来の責任を果たすべき時でもある。学生の学力の低下は、責任が学校にあるだけではない。子どもを教育機関任せにしようとする親たちにもある。自分たちがまず率先して向上心がなければならないだろう。できるものからでも広い識見や、深い洞察力を持つべきだ。そして、問題から逃げないことでもある。余計なおしゃべりもしたが、楽しいひと時を過ごしてきた。残念ながら、楽しみにしていた焼きそばは出なかったが。何しろ受講料が廉いのだから仕方がない。
2011.02.26
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<作品>「竹青」「惜別」「お伽草紙」(瘤取り・カチカチ山・浦島・舌切雀)、「パンドラの箱」・敗戦を跨ぐ形で書かれている。ジャンルが違うものを書いている。(3つ)「竹青」・中国人に読んでもらいたい。・神女に出会う話。・神の試験には合格した。信じる力。説明し難い情熱。冒険の矛先は世間に向けられている。・太宰は世間嫌いだが、そこに入っていかなければならないと言っている。・「惜別」・魯迅(ろじん、簡体字表記:?迅、ピンイン: (1881年9月25日 - 1936年10月19日)は、中国の小説家、翻訳家、思想家。本名は周樹人(ピンイン:Zh?u Sh?r?n)で、字は豫才。ペンネームの魯は母親の姓だという。浙江省紹興市出身。左翼作家連盟を結成し、その指導者となる。死ぬまでマルクス主義を擁護した。4歳下の弟にやはり文学者・日本文化研究者の周作人がいる。代表作に『阿Q正伝』、『狂人日記』など。・なお、仙台医専時代の魯迅を描いた作品に太宰治の『惜別』がある。この「惜別」ということばは、仙台医専時代に、魯迅に個別添削を授けるなど何かと気を配っていた恩師、藤野厳九郎が最後に魯迅に渡した写真の裏に書いたことば。藤野との関係は、小説『藤野先生』にも書かれている。・太宰の中国観・魯迅論。・キリスト教の問題。・藤野先生の信じる力。・結論魯迅は太宰が協力した。(太宰は非合法活動していた)を念頭に置いている。・アヘン戦争。日本はそこから学んだ。・革命より文学者になった。・竹内よしみ・・・太宰の魯迅観を批判している。虚無主義者ではない。・・「お伽草紙」・アンデルセンのように書いた。・桃太郎を書かない。ことを断っているが、「反桃太郎」として触れている。日本一の鬼退治。桃太郎の拘り。・ことは単純には書いていない。・鬼畜米英。鬼・・・これを意識した?米軍の統制に配慮した。S20年で微妙な時期に出版した。検閲があった。・「こぶとり」・性格の悲劇。善悪ではなく。宿命が根底にある。・自分の文壇の位置。生い立ち。・利己主義・「家庭の幸福」。官僚主義。・酒と孤独。太宰は自分の思いを書いている。・お爺さんの捉えかた。大人に対して書いている。「カチカチ山」・あまり説明の必要はない。残酷な話。・グリム童話の話と同じ。・うさぎは、なぜネチネチ虐めるのか。(女が・・)・16歳の処女が残酷であること。・太宰は(うさぎ)16歳の少女の側ではないか?・男女関係の太宰の考えがある。そういう読み方をする必要があること。「浦島」・万葉の話・・日本のこの昔話を軽く見ていない。最も古い説話である。・他のはなしより長い。大事にしている。月の世界が海底になっている。・竹取物語との類似性。・「太郎」・・長男。冒険しようとしない。宿命だと太宰の身に代えて書いている。・亀の生きる流儀。・冒険・・信じる力。太宰の受け止め方。・亀の宿命と、人間の宿命の違い。・遊びこころ・・・子供も同化しうるもの。・兼好のことば、「やってみる」。「馬鹿のマネをするのは馬鹿だ」。・文中に、「蒼穹」(梶井基次郎)が出てくる。・竜宮・・・宮廷文化を想像している。静かな世界。「舌切雀」・日本人はどんなストーリーか知っている。・男対女。・原作とあまり変わらない。本当のことをいう。世間はうそばかりついている。ということに太宰の本音がある。」・色恋沙汰には同情しない。・自他共にわからない情熱があるという。・何故おとぎ話を書いたか。「パンドラの箱」・玉手箱とパンドラの箱。その相違。玉手箱には余韻がある。・「人間には絶望という事はありえない。人間は、しばしば希望にあざむかれるが・・」。・終戦の日。・無理に死に急ぐ人には気取りが多い。・実話がある。日記がある。・軽み・・・の問題。
2011.02.26
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<作品>「大力」、「猿塚」、「破産」、「赤い太鼓」、「粋人」、「遊興戒」、「吉野山」 ・貧の意地・・時局・・統制。弾圧の怖れ。太宰は、迫害をかわすため古典に向かう。 ・戦時下の作家の多くが、弾圧をおそれていた。 ・太宰は、同じキーを叩き続ける。 ・「粋人」と「遊興戒」との連関がある。しかもオリジナルではない。 ・<義理>武士の心理をアイロニカルに描く。西鶴…写実・リアル性。 ・戦時下は、平時の時とはちがう状況であることの意味。 「大力」・原典西鶴。太宰のユーモアのルーツがある。遊びのこころ。・佐野次郎左衛門・・廓の女を殺す。・意地。三島=太宰、似ている。ことばから起こった難儀。言行一致。・「潮来の文体」・太宰は、とめどなく言葉が出てくる天才 といわれる。ロマネスクの変型。・太宰は、落語に親しんでいたことで、落語の話芸を知っていたこと。造詣が深い。・「芥川」には、その話芸のようなことが、太宰のようにはいかなかった。「大力」師弟関係。 「猿塚」・人とけもののこころが通じない哀しさ。猿のあわれ。・「ざま」とは、「死にざま」にしか使わない。(教授)使い方として「生きざま」はない。使ったらみっともないことになる。・宗派のちがい。「武士の一分」。「信の一字」。結末・・最後は出家して終わる。ものが多い。・武士は信。商人は信用。小説家は商人ではない。 「破産」 ・哀話にはならない。 ・太宰は「カネのこと」に触れるときは真面目になる。「三界に家なし」。生き方が下手。 ・西鶴とは太宰は同じではない。 ・上田秋成「貧福論」 「吉野山」・哀話にはならない <太宰の特徴> ・太宰・・・女のマネ・・・女になる。女になることを意味している。「女語りをするものは女である。」女語りを太宰はやめようとしなかった。・太宰と鱒二との相違点 ・太宰も芥川も、生涯にわたり庶民への差別意識をもっていた。 ・「ぼんやりと待つ」・・・太宰の本質。 ・太宰:ブルジョアに生まれた。貧困に対して屈折したコンプレックスがある。 ・太宰は庶民の側にいないから庶民の側に立てない。庶民はケチ臭い。庶民の考えに共鳴できないという思い。 ・S5.S10年太宰は、鎌倉で自殺を図っている。鎌倉の「実朝」に対する思い入れがあった。実朝と太宰の距離。実朝になりきろうとしながら、距離を置こうとするという矛盾。 ・「似ている」・・太宰のキーワード。切っても切れない相手に対して使っていることば。 「富士には月見草がよく似合う」・・自分の思いを込めている・太宰は、とめどなく言葉が出てくる天才 といわれる。ロマネスクの変型。・太宰は落語に親しんでいたことで、落語の話芸を知っていたこと。造詣が深い。・太宰は、同じキーを叩き続ける。・太宰のユーモア・・・西鶴との関係。・太宰は「カネのこと」に触れるときは真面目になる。「三界に家なし」。生き方が下手。・太宰は自意識過剰の人。・太宰には負い目があった。憎悪と愛情。兄は議員。貧しさを尊ぶ・・時代にマッチしていた。少しも旅先でも住民と会話をしようとしていない。・太宰の心理的コンプレックス・・あばただった。・堤重久「太宰との七年間」・・なぞるように書いている。作品・・をそのまま評価できない。・作品だけが救い。芸術は私だ。という太宰が、芥川賞に落選した。自分の作品が無視された。才能をのばせないという苦悩があった。自意識と世間の作品評価との乖離と逆比例。・太宰にとって、芸術とは自分のこと。「芸術は私だ」・太宰の読み方は普通(単純)にはいかない。・「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」一方的に書いている。・鱒二と太宰の師弟関係。師はいやなもの。オリジナル・・・めざめる。・「ヒューマンロスト」・・・「パピナール中毒」になり太宰は拘りを持っている。・太宰の入院。鱒二に入院させられたことを恨んでいる。・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いている。太宰の恨みは続いた。・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型)・作家の発想はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。それから抜け出せない。・「背後にひそむ何者かがいる」「死は背後にある」・・・気付かない。・太宰の純潔に対する考え方。嗅覚の比喩。悪臭という表現を使う。・文壇・・・ 井伏、川端。 太宰は、疎外されていた。集団嫌い。被害妄想。・富嶽百景は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから変わる。・小説に使う「私」を使うのを嫌った。大庭葉蔵ペンネームとして気に入っていた。「人間失格」に出てくる。・「滝」をみたら滝を忘れない。 ・「ぼんやり」・・・作家になろう。しかし作家はぼんやりと書くときは実は本気である。 ・恥ずかしことを書く。本当のことはなかなか書けない。作家になりたくない。・「ぼんやり」という表現。・・・アンニュイ。ボードレール。・ストーリーがない。分かり難いのは当り前。・・・太宰の本質。 ・才能のある人間のある話を書く。小説家が、小説家を書く。 ・川端を憎んだ。菊地寛は、当時文壇のボスだった。芥川賞に絡んで太宰は落選。 ・昭和10年は、太宰のターニング・ポイント。 ・道化の華。道化の精神(太宰の道化)
2011.02.26
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<作品>「裸川」、「佳日」、「散華」、「雪の夜の話」、「義理」(噺)、「花吹雪」、「東京だより」、「貧の意地」(噺)、「人魚の海」(噺)「津軽」、「女賊」(噺) ・戦時下の太宰。作家としての立場と思考。 ・「似ている」・・太宰のキーワード。切っても切れない相手に対して使っていることば。 「富士には月見草がよく似合う」・・自分の思いを込めている。 ・志賀直哉との対比。小僧の神様・小説の神様。学習院出身。太宰は、自殺・投獄。 「津軽」 ・もともと太宰は自然に興味がない。雑誌社から寄稿の依頼で、井伏鱒二に相談して、これまで疎遠の故郷への旅行をして書く、というアドバイスを受けた。 ・太宰には負い目があった。憎悪と愛情。兄は議員。貧しさを尊ぶ・・時代にマッチしていた。少しも旅先でも住民と会話をしようとしていない。 ・太宰は自意識過剰の人。 「吹く風の涼しくもあるか、おのずから、山の○鳴きて秋は来にけり」 「献身」 ・鴎外も扱う。エゴイズムを捨てる。・・・「家庭の幸福」。 ・後で考えが変わった、このとき太宰は思っていなかった。 ・芸術の使命 市民への奉仕の美。 ・文壇サロン 執筆制限・・・小林秀雄 ・太宰のユーモア・・・西鶴との関係。
2011.02.26
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<作品>「黄村先生言行録」、「故郷」、「鉄面皮」、「帰去来」、「右大臣実朝」、「作家の手帖」、「不審庵」 ・太宰と鱒二との相違点 ・他人に「正義」をわかるようにするのは真の「正義」ではない。 ・「不幸」を待っている。乃至「不幸」を待ち望んでいる。 ・黄村先生・・鱒二のこと。 ・<和子もの>。恥・・「千代女」とのつながり。 ・<作家は、人間の屑>。自分を外から見る。成り上がらないために。 ・<飾らず告白することが清潔である>。キリスト教の精神。 ・本能としての清潔を尊ぶ。「うそつきは汚い」・・女性の潜在心理にあるといわれる。 ・男の作家が、女性の心理を表現することを目指した。 ・太宰は、自分には、それが自分にはできると考えていた。その点で自分を評価した。(女の心理を描ける作家として。) ・痘痕面・・・(漱石にもあった)実朝の狂気の深層。狂人・白痴の面があったといわれる。蟹を貪り食う。 ・ハムレットと実朝の共通点。家族の最後。血で血を洗う。<血族の争い>歴史がある。 ・太宰・・・女のマネ・・・女になる。女になることを意味している。(「女語りをするものは女である。」)「女語り」を太宰はやめようとしなかった。 ・専門家とは、「外から見る目」がない。 「右大臣実朝」 ・自信をもって実朝を描こうとした。白紙で実朝を見ることができる作家だと思っていた。 ・狂気・・自然の人。太宰は文壇で孤立していた。男は群れたがる。 ・<個人が社会と闘う>という意味の現実性が問題。 ・発想とアイデアは、学問とつながらない。 ・S5.S10年太宰は、鎌倉で自殺を図っている。鎌倉の「実朝」に対する思い入れがあった。実朝と太宰の距離。実朝になりきろうとしながら、距離を置こうとするという矛盾。 「帰去来」「故郷」 ・珍しく母を書いている。 ・母とのスキンシップがないひとは自殺者が多いという事実をどう解するか。 ・大戦の時にひとは無心ではいられない。しかし、「自然は無心である」。・・・「女の本性は無心である」と、太宰が「女語り」で書いている、意味は何か。天与のもの。アイロニカルにみたいなものかよくわからない。
2011.02.26
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経済と福祉の両立は可能か?「現代社会を取り巻く諸問題とその対策」というタイトルの6回の講座を受講して来たが、今日の講座で最終回であり、その表題である。それが、どこまで踏み込んだものであったかは大学と市民との壁が無い訳ではないが、短い時間でその限界もある。政治家が曖昧な政治をし、学者たちが曖昧に論理をすり替えてしまうようでは、問題の本質を問うことはできない。たとえ知識に乏しい市民でも、親切な論理を尽くせば理解はできるだろう。大衆の理解の得られないような議論では物事は先に進まない。 ・ここ10年近く、或いはその以前からかもしれないが、日本経済の歯車は狂い出している。そしてそれをセルフ・コントロールできていない。最近の日本人の人口は、128百万人との報道がされたが、これから人口は減っていくと予想されている。少子高齢化は、まさに現実の問題であろう。親の収入が少なくなったから、子供手当だというのは本末転倒の議論だ。それこそ増税への姑息な手段に過ぎない。 ・へ2・・・知恵のない政治家は目先のことしか目に映らない。無責任社会が、無責任な人間を増産している。福祉は当然のことであり、経済至上主義では実現などできはしない。口だけの議論ばかりしているから、できもしないことを言う。一面からすれば経済と福祉は両立などあり得ないだろう。揺りかごから墓場までも、絵に描いた餅でしかなかった。それこそ果たしてこの国の現代社会に人権意識のコンセンサスがあるだろうか、それが問題だ。
2011.02.25
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末期症状楽しければ何でもいいのではない。どうも日本の娯楽の追及は世紀末のような末期症状ではないだろうか。はしゃぎ過ぎても却って、寂しいものがある。浅墓過ぎるテレビ番組であり、CMばかりではないだろうか。そこで働いている人たちの短絡的、刹那的な漫画趣味があるようだ。幼稚ばかりでは、社会崩壊を演出しかねない。ゲームが上手いだけの人間が社会の成功者で好いのだろうか。 ・現代の矛盾に立ち向かおうとしない若者では、この国際社会では生き残ることはできないだろう。ここまで日本は追い込まれているのに、それを根本的に遣り直す必要があるのに、何をしなければならないのか解かっていないのではないだろうか。英語は下手でも構わない。寧ろ確りした日本語を学び、日本語で普遍的論理で妥当性を構築するのが先決だろう。 ・へ2・・・民主党は、選挙公約を実現するほどのビジョンを以って政権奪取をしたのではなかった。これをみても、政治家たちの質の低下を顕している。前首相や小沢疑惑にしてもカネの癒着が古い体質を示してもいる。そんな人たちが新しい政治を実行することは土台無理な話であり、菅内閣も保身だけではないだろうか。社会システムの綻びが見え始めているのであり、それは日本人の文化の根幹に関することでもある。
2011.02.25
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こころの比喩 書かれていることだけが作家の本意ではない。果てしのない省略の美学がある。龍之介の短編集はまさにそれだ。読者のもつ感性と想像力を引き出す文学でもある。それは、いくつも考えられるという意味の謎が残る結末だということであり、それが無限の広がりをもつということでもある。 「聖書」も比喩によって語られる。いろんな解釈がありえる。比喩の美学があるのだろう。 時代を超えた解釈がされている。問うひとの識見が問題でもある。問い続けることが問いを高めても行くだろう。 「文脈」をたどりつづけることこそ、こころの真理探究の軌道でもある。偏見の世界がある。その中で生き抜いてきた真理は脈々と人々の心の中にある。それが まだ大きな成果を逃している気がする。私たちには無限の時間があるのではない。 寧ろその反対だ。輝きはいつも儚く萎んできた。
2011.02.25
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卑屈なる根性を根絶し、「自主自由の真意義」を自覚し人間としての真価を取り戻すべきだと宮崎滔天 は論じた。「ワマカシ」(肥後方言)とは、人間本来の自由をみずからのもとを取り戻すための、因習への反逆であり、時代風潮に対する反抗の精神である。 「己れを馬鹿にし了って而して人を馬鹿にし世を馬鹿にする」 当時の肥後藩は、朱子学が盛んで「屁理屈」が多く「小党分立」し、いがみ合っていた。「偽善」と「虚礼」で鼻持ちならない風潮があったなかで、一部には反骨の精神の気風も育っていた。 そのころ永山という権勢を驕る男がいて、横にいざるようにして歩き、コシで出かけていた。 「永山は一人か、つれしゆ(衆)はないか、つれしゆァあとからコシで来る、 キンキキラ(綺羅)キンの蟹政(ガネマサ)どん、 蟹政どんの横バイバイ。 」 当時大流行したこの歌をある子供が歌っているところにばったり行き合わせた永山はカッとなって無残に斬殺した。このように、藩公の威光をかりた権力がとぐろを巻いて閉塞感が漂ってもいたのだ。 この「ワマカシ」の潮流が、明治に入り、一方で「神風連」事件となり、このあと精神は徐々に堕落したが、個性的な熊本人である、蘆花や蘇峰など、の人物たちも輩出した。 私も熊本で育ったが「ワマカシ」ということばも伝統も、知らない・ただ「モッコス」ということばは、残っている。意味的には近い意味であろう。
2011.02.25
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チンギス・ハンの遠征は世界史上、類を見ないほど遠大で、その成功の真のスケールは、西欧では正当に評価されていない。西欧ではその名は常軌を逸して野蛮、文明の略奪、脅威を齎した異教徒遊牧民としてしか認識されていない。それは空前の規模の大虐殺が付き纏っているためだ。 キリスト教徒とイスラム教徒が500年間も戦闘状態にあった当時の世界で、彼の統治下では、征服された部族民はすぐに釈放されたし、政治的、宗教的、或いは人種的な独裁ではなかった。宗教上の信仰が迫害されてはいない。 逆らうものに容赦がなかったことと、モンゴル人が高く評価していた官吏・貴族・職人・商人・祭司・書家などは命をたすけれたが、圧倒的に多かった貧しい農民などの命はヒツジの群れ以上の扱いではなく、例外もなかった。モンゴル人は、大地にはいつくばって働く男女をもっとも卑しいものと見なしていたのだ。馬のほうがまだ価値が高いとされていた。切れと命令が下れば、彼らは動物のように狩り立てて処刑した。 歴史を正しく評価することは難しい。というより時の権力者が都合のいいように改竄してもきたからだ。死ぬ間際までチンギス・ハーンが思い描いていたのはステップの世界のしはいであっただろう。モンゴルの人口は少ない。彼らが征服した領土をながく管理するだけのマンパワーがなかったのだ。だから彼らは、徹底的かつ残忍な攻撃によって壊滅させようとしたのだ。どんな容であれ反抗の兆しがあれば全住民を抹殺しようとしたのだ。 そうしたのはそういう原因があり、理由があるということか。遊牧民と定住民との戦いは、決着がつくべくしてつくのだ。帝国が膨張し、やがて全中東と中国をのみこむとモンゴル人は統治に格段の進歩を見せた。
2011.02.25
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医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスタートするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在するのであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いていた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだという。
2011.02.25
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<作品>「恥」、「新郎」、「十二月八日」、「律子と貞子」、「水仙」、「正義と微笑」、「待つ」、「小さいアルバム」、「日の出前」、「禁酒の心」。 「正義と微笑」 ・折口は、<太宰の「坊ちゃん」だ> ・「微笑をもて正義を為せ」 ・堤重久「太宰との七年間」。太宰の人生をなぞるように書いている。これをそのまま評価できない。 ・マルクス主義をキリスト教に置き換えている。 「日の出前」・志賀直哉「夜明け前」との対比。 ・太宰自身が、家族・・・一人で乱していた・・いなくなれば平和が戻る。 ・読み取り方の違い・・・文学者。どう読むか。重要なのは、はっきりさせること。 「新郎」「十二月八日」共通性がある。男の語りと女の語り。 ・「夜明け前」雪国育ち、藤村は父をモデルにした。半蔵。太宰の家が近い。春を待ち望 む。 ・「源氏物語」・・・天皇の内情を描いた、不謹慎という評価がある。 ・太宰は、ブルジョア(地方の名家津島家に生まれた。太宰流の貧困に対し屈折したコンプレックスがある。自分の非合法活動時代を振り返っている。 ・太宰の心理的コンプレックス・・<あばた>だった。「日の出前」意味不明の箇所がある。 「律子と貞子」 ・鴎外の好み。安井夫人(姉と妹) ・男が描く女は女ではない。(女が描く男は男ではない)男が女になれるか(作家として) ・家族の物語を描いた作品。 ・戦時の太宰は、むしろ意欲的に扱う。作家として「女語り」の視点で書いている。戦争の受けとめ方・・・<滅びのこころ>。皇国思想の時代の制約をかわすために「女語り」をした。 ・太宰には、キリスト教=神への関心がある。 ・「ぼんやりと待つ」・・・太宰。「なにものかを待つ」・・・三島。(三島にも母の欠落がある)但し、「待つ」を神に限定すると狭くなるのではないか。 ・静子と僕。天才が天才を知る。恥ずべき半生を自ら告白する。滅びていく側に自分をおく。 ・「禁酒の心」・・・どうしてで書いたのかという疑問がある。 ・鱒二・・・花にさくらのたとえもあるぞ、「さよなら、だけが人生さ」 ・太宰は庶民の側にいないから庶民の側に立てない。庶民はケチ臭いという思いがある。庶民の考えに共鳴できないという思いがある。 「魚河岸」 ・芥川にも、庶民は、自分と違うと思いがあった。 ・太宰も芥川も、生涯に亘り、差別意識を捨てられなかった。
2011.02.25
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月日 曜日 気温 起床 歩数2011/2/1 火 0 3;10 18,8282011/2/2 水 3 4;25 26,0522011/2/3 木 1 3;00 30,8512011/2/4 金 3 3;55 26,6792011/2/5 土 3 5;22 21,5492011/2/6 日 4 5;30 27,2782011/2/7 月 5 3;50 23,5362011/2/8 火 4 6;14 13,8852011/2/9 水 7 2;50 22,7852011/2/10 木 5;25 20,2182011/2/11 金 3 3;50 15,1232011/2/12 土 2 4;28[ 18,5712011/2/13 日 1 2;28 21,9132011/2/14 月 2 4;40 15,1152011/2/15 火 4 3:00 22,6412011/2/16 水 1 3;55 21,4152011/2/17 木 7 1;50 6,5412011/2/18 金 5 3;25 21,8822011/2/19 土 1 3;30 23,0222011/2/20 日 5;26 27,3102011/2/21 月 5 4;04 20,4512011/2/22 火 3 2;18 20,7382011/2/23 水 6 3;00 1,2322011/2/24 木 9 3;25 20,6652011/2/25 金 12 5;00 26,630合計 514,910当り前だと思うことも、それが崩れるとその有難さを実感する。体が軽くなった感じがする。突然死の原因の多くは、急性心臓疾患、脳卒中、急性呼吸不全、急性肝不全など。予兆も頭痛、眼痛、めまい、耳鳴り、首の痛みや凝り、肩こり、などが、1か月くらい前から起きていた人がいわれている。いくつか、専門家が有効とされるものがある。その中で、 ・定期健診を必ず受ける。 ・一定の睡眠時間と運動不足にならない、三食を規則正しく食べる。 ・食事は、タンパク質、脂肪、炭水化物をバランスよく食べる。 ・心も体もギリギリまで使わない。 ・ストレスをためこまない。 ・ゆったりと過ごす。 ・肥満を解消する。 ・酒・たばこをやめる。 ・他にもあるのだが、これだけ守れば、相当突然死を防げるのではないだろうか。
2011.02.25
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仔猫が病気で仔猫がクシャミをするようになり、何が病気ではないかと娘が心配して、妻と病院に出かけた。野良猫で、産まれたときから病気を持っているかも知れないと獣医から言われているらしい。野良猫の運命も厳しい。蔓延している病気がある。仔猫は、<まる>という名前になっている。もう一匹サビ猫がいる。これはどうやら妊娠しているようだ。人間より猫の方が大事にされている。皆で可愛がると、却って早死にする傾向があるようだ。 ・ネコの気持ちを知ることはできないが、こちらの気持が反映しているようなところがある。仔猫は、何時も夜寝る前に私の顔の臭いを嗅いで、それから暫く、じっと蹲ってから、それから腹の上を通って布団の中でネグラを探している。顔の前でクシャミをするので、これはまずいと思うが、それが酷くなっていた。眼ヤニにも出てきたので、獣医に診せることにしたようだ。 ・へ2・・・仔猫は、娘が、家の前で拾ってきたので、格別の思いがあるようだ。我が家では一番の愛猫家でもある。これまでも次々に拾ってきた猫が短命でもある。10年以上長生きのネコもいるが、可愛がるほど短命というのも皮肉な話だろう。深刻な病気でなければいいか。帰りを待っているところだ。
2011.02.25
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想像力次第文学講座を、聴く機会が増えたのは、文学部のある女子大に通うようになったからだろう。人の住む環境というのは、偶然の産物でもあるが、それを選択することのできるひとは恵まれてもいるのだろう。理想と現実は違う。虚構と現実も違うが、其の境界は簡単ではない。オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」も不思議な作品だ。恐らく図書館でこの本は、何の予見もなく読み始めたとしたら、読み飛ばしていたのではないだろうか。本当らしいベトナム戦争の話だと思っただけだろう。 ・研究者の講師から、この作品について作家と、作品について解説を受けて、その本の価値をどこまで理解できたか自信はないが、それでも、作家が何を意図して書いたのか、問題の所在がどこにあるかを、考えさせられた。「死者の生命」とは、どんな意味か?デーラーのショールームで、定期点検の間、読んでいた。リンダは9歳の時に死んだが、作家の記憶の中では生きている。イメージの世界である。それは、誰にでもある思い出の一つを膨らませた虚構でしかないが、それを書くことによって生き還る。 へ2・・・誰にでも、自分に繋がる過去の多様な人生の虚構の物語ついて創作され得るのだろう。それは印象深いストーリーに為るかも知れない。虚構を本当のことのように描くのがうそつきだろうか、現実をそれこそどれだけ写実できるだろうか。それはできそうにない。センチメンタルなストーリーがどこまで説得力があるだろうか。リンダは、「私は決して死なない」というのだ。信じるか信じないか。
2011.02.25
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<作品>「走れメロス」、「古典風」、「盲人独笑」、「乞食学生」、「失敗園」、「一燈」、「きりぎりす」、「リズム」、「ろまん燈籠」 ・<メロス>は、牧童。親友セリヌンティウスは、石工。 ・暴君ディオニス・・メロス「呆れた王だ。生かしては措かぬ。」・・人質の物語。 ・王「おまえらの仲間のひとりにしてほしい」という結末。甘い見解。 ・「ベニスの商人の経済学」岩井克人(ちくま書房) ・新編シラー詩抄を太宰は読んでいること。 ・<人質>のテーマ。友情。男同士の愛。同性愛などが根底にある。 ・プラトンの愛は単なる「精神の愛ではない」ギリシャ文学の底流。肉欲がある。 「乞食学生」 ・次世代。太宰とヤンガーゼネレェーションとの関係。 ・上下関係・・文壇(サロン)への反発が太宰にはあった。根底に自分の芥川賞の落選がある。 ・「貧者の一燈」。古典風の時代。 ・太宰にとって、「自分」と「市民」とは曖昧な存在である。彼自身の差別意識がある。2.26事件について、作家としてどうあるべきかを考えている。「ルナール」博物誌のパクリ。 ・「贅沢は敵」のキャンペーンがされていた。太宰は作品で「貧」のテーマで応じている。 ・冷静な目・・ねこの目を通して主人のこころを語る。 ・「蟻とキリギリス」の話。 ・成功者に伴う陥りやすい危険・・・という意味。 「ろまん燈籠」 ・当時アラン・ポーの推理小説が流行っていた。 ・<皮膚と心>精神の気高い女性、と皮膚一皮を気にする女性。女性に対する太宰の認識。 ・「ヒューマンロスト」との比較が必要。 「清貧譚」・黄英(材料)・・・太宰は正直に云っていない。・ハムレットの邪推・・・クローディアスの日記・志賀直哉。・太宰の作品に関心がないと面白くない。読み難い作家である。 「みみづく通信」 ・「佐渡」同じ流れ。 「東京八景」 ・自分のことを書いている。風景には関心のない太宰。「人情」が知りたかった。 ・「どこが富士さんは美しいのか?」「日本人は他人に合わせようとする傾向があるだけだ」。・太宰は、人間が飽くまでも主体であって自然には興味がない。(キリスト教的) 「佐渡」 ・風景ではなく人情が知りたかっただけ。 ・標題は、切っ掛けに過ぎない。服装もおなじ。 ・太宰にとって、「芸術とは、自分のこと」。「芸術は、私だ」 「新ハムレット」 ・心理劇を書いた。ここでは、「ハムレット」は、死なない。太宰の「ハムレット」を書いた。 ・戦時の時局のことにはあまり触れなかった。大いなるもののために死ぬ。戦争背景。 ・本を読むことは物事を具体化すること。・・・「罪の意識」 ・シラー「素朴文学と情感文学について」ケーベル「シラーについて」書いてある。 ・三島が「ギリシャ」に興味を持った理由には、同性愛がある。 ・<大人・世間(井伏)> vs <子供(太宰)「僕はいつまでもこどもですから・・・」 ・坪田譲治「ゼンタと三平」・・子供の心が判る。卑屈と被害妄想。 「佐渡」 ・東京と同じだという太宰の感想。「佐渡」に親和の心を持てないでいる。 ・三島は太宰に相似。「サタン」がキーワード。「作家には、サタンがひとり棲んでいる」 ・「愛と美」鎌倉・実朝に興味を持っていた。 ・太宰は、鎌倉で自殺未遂を二度もしている。・・滅亡するもの。 ・「作品だけが救い。芸術は私だ」。という太宰が、芥川賞に落選した。 ・自分の作品が無視された。才能をのばせないという苦悩があった。 ・自意識と世間の作品評価との乖離と逆比例。 ・無意識と自覚の間の悪魔の存在。
2011.02.25
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<作品>「鴎」、「俗天使」、「兄たち」、「春の盗賊」、「女人訓戒」、「女の決闘」、「駆け込み訴え」、「老ハイデルベルヒ」、「善蔵を思ふ」、「誰も知らぬ」「俗天使」「女の決闘」 ・兼好「徒然草」がテキストになっている。 ・背後にひそんでいるもの・・死神。死が潜んでいる。 ・死は前からやってくるという考えと、後ろに潜んでいると考えがある。(吉田兼好) ・自分(作家)が・・・女になって作品を書いてみるというスタンスがある。 ・鱒二と太宰の師弟関係とは、「師」はいやなもの。オリジナル・・・目覚める。 ・「ヒューマンロスト」で、「パピナール中毒」になり、太宰は強く拘りを持っている。 ・太宰の入院。鱒二に入院させられたことをながく恨んでいた。 ・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いた。そのことを根に持っていた。 ・例えば、川端と三島の師弟関係にも憎悪がある。 「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」自分の一方的私見で書いている。 太宰の焦り。 「 俗天使」 ・点描。太宰は、中毒で苦しんだ。入院して「気違い扱い」されたという体験を持つ太宰は負い目に感じていた。トラウマになった。 ・二葉「文学は男子一生の事業とするに足らず」 ・田中英光「オリンポスの果実」 「 鴎 」 ・梶井基次郎(「蒼穹」)が出てくる。作家におけるものを見る目の存在。 ・女性の立場に立てばどうなるかの関心があった。・・・「被害妄想」 ・太宰の作品の読み方は普通(単純)では、理解できない。話の裏を読まねばならない。 ・そのまま等身大の私ではない。私自身を表現することの難しさを描いている。 ・「マザーシップ」・・・男の内なる母のこと。 ・太宰なりに当時考えていた母像がある。 「アルトハイデルベルヒ」 ・何故この時期を書いたのか? <太宰は比較的心の安定がみられた時期の作品群といえる>
2011.02.25
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タイヤの交換トヨタのデーラーに来て、担当者から言われていたタイヤ交換の話をしたら、丁度タイヤのキャンペーン中で工賃がサービスらしいので、在庫があると言うのでタイヤ交換して貰うことにした。いつもは30分くらいで点検は終了するが、今回は2時間くらいかかるとのことだが、多分1時間くらいで終わるだろう。 ・オブライエンの「本当の戦争の話をしよう」の「死者の生命」の章を読むことにした。この箇所は、前回の講座の中でも取り上げられていた部分である。作者の想像力というのは多様性を以って表現されるようになっている。死者にも生命を吹き込んで物語は展開できる。視点を変えればどんなことも可能だ。どれだけ説得力をもってストーリーを展開できるかであろう。 ・へ2・・・秀才やエリートよりも豊かな感性を持つ凡才であろうと、その視点の高さで普遍的な論理を以って社会の病巣を抉ることはできるだろう。発想がユニークでヒントに過ぎないアイデアも、優れた装置を使えばものにすることはできるだろう。ふつうの主婦が、ヒット商品を生み出す事も出来る。ひとにはそれくらいの能力は誰にでもあるに違いない。壁を作っているのは自分であり、視点をどこに措いているかだろう。デーラーのショールームでからみえる国道3号線の車の流れを眺めている。>上の写真は、ショールームからの眺望。遠景は立花山周辺で、手前が国道3号線。どうも黄砂が降っているようだ。
2011.02.25
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・太宰が穏やかな心境だったころ。 <作品>「I can speak」、 「富嶽百景」、「黄金風景」、「女生徒」、「愛と美について」、「花燭」、「秋風記」、「新珠の言葉」 「黄金風景」=「花燭」=「新珠の言葉」 共通する作品。 ・姉―弟がテーマ。I can speak 家族の話(物語)似たような題材。リレー形式。・富嶽百景の前の作品。解り難い。表現したいことがうまく出てきていない。・「無心」にひかれている。・井伏・・・「夜ふけ」と「梅の花」。 「秋風記」・・・<近親相○>。姉と弟の関係に関心をもったこと。発禁。 「花燭」 ・・・姉と弟。全小説につながっている。 ・<作家の発想>はひとつでしかない。違った作品に見せかけているだけ。それが上手いか、下手かの違いでしかない。<自分>・・・から抜け出せない。 ・話す・・・はじめにことばありき。初心に戻るということ。 「富嶽百景」は問題作。富士をどう描き分けるか。見方はTPOで変わるのは、見方が変わるから考えも変わる。 ・日本文化・・・「風景」・・・国木田独歩が初めて書いた。風景を対象として・・・で見方が違う。日本にはそれまで「風景」という概念がなかった。 ・<亀井秀雄、柄谷行人>見ることが自覚的。仏教・・自然を受け入れる。 ・キリスト教は、砂漠の宗教。そこから創り出したもの。 ・仏教とキリスト教は自然の見方が違う。自然を対象化できるか、できないか。 ・漱石の見方は単純ではない「富士山」。 ・太宰は、自分の見た富士を描こうとした。読者の寧ろ「期待はずれ」がテーマ。 ・志賀直哉・・・小説に悩んだ。天才ではなく、努力家。見たままを書く才能があるといわれた。(注、全集でないとわからない。全集も最新版しか価値がない。但し、今の出版分は買わない方がいい。内容が間違いばかりで誤解する。) ・太宰は、自然のままを書かない。へそまがり。老婆=自分の変型。(太宰の小説の原型) ・太宰のことばは、俗化され易い。自分の共鳴しているものを、相手にも共鳴させたい。(できるのか?) 「ラス・ゲマイネ」(俗化)気の利いた事を書きたかった。 ・「似ている」が太宰のキーワード。愛情表現である。 ・文章全体を流してみること。部分的なことに拘らないで全体を見ること。 ・女性の「一途さ」に魅かれている。富士を見ながら人間を描いている。太宰には所謂「風景」がない。「心」で風景を見ていない。見えない。太宰は素直には読めない。ひねくれたこころがある。 「黄金風景」と「花燭」は裏返し。表と裏。 ・梶井基次郎の作品の太宰のパクリである。 ・太宰と梶井は雪国の育ち。共通する観念がある。イプセンが頭にある。 「秋風記」だけが違う。出版前に<発禁>となる。 ・「有明淑日記」のパクリ。圧縮して一日にしている。 「女生徒」異性を内側から描こうとした。男のマザーシップ。 「にんじん」・・母親との関係の障害。母と息子。父と娘。交叉や、ねじれもある。いじめ。閉塞感。 ・レオン・フラピエ「女生徒」
2011.02.25
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