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人も忘れ易いいましかないと、猫のことを書いたが、実は人間のことでもある。そして自分のことでも。今しかない、といえば極言には違いないが、そうしなければ生きていけない面もある。前頭葉が都合の悪い記憶を消してしまう。自分がいつも善人でいたいという願望がある。人生には色んな役回りがある。赤ん坊から始まり、子どもなり、ニキビの多い時代があり、それもなくなって、親になり、老いても行く。会社で自分の立場は変わっても、その中身は動かない。 ・まだ昔の仕事を続けている人もいる。自分とは違う暮らしを、生々しい利害の現実が人々を苦しめてもいるだろう。何か夢のように時は流れてしまった。いつかこうなるとは思ってはいたが、なってみて、居心地の良さと、悪さもあるが、もう争いは厭だ。人の嫌な面を見続けていなければならない世界は、懲り懲り。 ・へ2・・・微笑みながら終る世の中ではないことは知っているが、人の泣き顔や、渋かめた貌をみたくない。最後の後始末を誰がすることになるのか。ふと思うことがあった。知らないでいることが好いこともあるに違いない。そうはいかない人がやらねばならないのだろうが、切ない。さて、そろそろ一日の始まりだ。
2011.05.31
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今しかない 猫を観ていると、今しかないのだと思う。どんなに昨日まで可愛がられていたとしても、過去は過去でしかない。人間のような記憶装置がないこともある。今ある状況がすべてなのだろう。餌を呉れるのか呉れないのかしかない。それでも生きていられるかどうかだ。常に限界があり、それ以上は先に進まない。じっと待っている。食べられる時に食べるしかないという追い込まれた環境が猫たちにはある。3匹の仔猫たちをガラス戸を隔てたたった数メートルの近くにいるが、別世界の次元で生きている。 ・猫も人間もルーツを探れば同じ祖先になる。どこかで分かれただけだ。上も下もない。戦略が分けた選択でしかない。今しかないという現実は、同じだろう。だが記憶力を持つ人間の選択は有利な形質だ。広い視野をもっていることになるからでもある。情報や選択肢を余計に持っているものが勝利もする。そこでじっと待つよりも動いた方がはるかに多くの選択をすることができる。だが、間違いも起こすだろう。 ・へ2・・・今だけに集中する集中力は、天才に特有のものでもある。それは動物の勘に似ている。思考がなくても正解を引き出しもする。一撃で猫は鼠を殺す事ができる。鼠は一瞬に死ぬ。一瞬に苦しまずに死ぬという能力は、鼠の遺伝子に組み込まれている。誰に教わらなくても、自分の目でみて多くの知識を手に入れる仔猫たちは活きる上で何をしなければならないかを凄いスピードで学んでいるに違いない。
2011.05.31
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年月 歩数2008年4月 258,1242008年5月 461,5052008年6月 454,8282008年7月 492,0532008年8月 479,1752008年9月 607,6122008年10月 635,3992008年11月 562,3742008年12月 629,7232009年1月 628,6032009年2月 587,3912009年3月 700,3662009年4月 686,1262009年5月 704,5172009年6月 610,3922009年7月 646,1262009年8月 655,7422009年9月 682,6472009年10月 749,5922009年11月 682,1702009年12月 683,6812010年1月 675,5252010年2月 637,7272010年3月 735,9032010年4月 778,0752010年5月 814,5472010年6月 780,4072010年7月 748,6432010年8月 733,6652010年9月 706,6562010年10月 714,4282010年11月 646,6982010年12月 635,0042011年1月 715,5612011年2月 573,7362011年3月 725,1582011年4月 941,2202011年5月 980,230累計 25,141,329 日数だけが増える。一日3万歩を達成したのは、前月と今月だけですが、遣っただけの効果があったことを期待しているが、少なくとも自分では納得しているので、満足しよう。価値を見出すのも本人次第だろう。 ・野良猫たちも懸命に生きている。健気にも見える。人間はその能力を最大限遣うべきだと思う。そうしなければ他の生き物に申し訳ない。共存して生きていくべきことを考えるべきだろう。まだ出来る間にすべきことをすべきだ。 ・へ2・・・野良ネコの仔猫は、じっと心配そうにこちらをみている。
2011.05.31
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年月日曜日気温起床 歩数2011/5/1日 5;0533,3422011/5/2月13 2;4530,1232011/5/3火12 3;2030,8332011/5/4水13 3;2831,6232011/5/5木14 4;0031,2592011/5/6金15 3;0533,6392011/5/7土18 2;2033,0152011/5/8日18 2;5030,6462011/5/9月17 4;3533,1312011/5/10火23 3;269,8562011/5/11水23 3;3021,8552011/5/12木20 2;1026,5162011/5/13金15 2;0532,3152011/5/14土 3;0533,8152011/5/15日14 3;5033,6682011/5/16月15 3;5040,6912011/5/17火16 3;1530,8322011/5/18水14 3;0454,5442011/5/19木17 3;5532,1432011/5/20金18 3;5131,0282011/5/21土21 3;0523,0812011/5/22日18 3;1327,3372011/5/23月17 2;4511,2032011/5/24火15 2;2544,2582011/5/25水16 2;0537,3642011/5/26木17 3;2533,6362011/5/27金17 3;1530,8152011/5/28土18 2;5031,6672011/5/29日18 3;4022,3032011/5/30月16 3;0541,5472011/5/31火164;2542,1455月合計 980,230 何とか最後の日、これまでの月度の更新記録を作りました。一日平均31,629歩。当分この記録は破れそうにない。ウオーキングに始まり、5月は終わった感じだ。果たして、効率の好い運動だったかどうか。来月の検査結果が愉しみです。これが今の私の限界に近いのではないだろうか。 ・遣り過ぎてもいけない。だがそれほど疲労困憊している訳でもない。遣ろうと思えばできると思う。これも自分なりにテストのつもりでいる。新しいことにもチャレンジしたい。 ・へ2・・・また来月から、リセットした気持ちで。
2011.05.31
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猫も大変だが手術は無事終了して、サビ猫女史を迎えに行ったが、傷口を舐めるといけないそうで、首の襟巻が嫌らしく部屋中を暴れている。元気は好いようだ。本人は何があったのか全く理解していないだろう。人間の暴挙でしかない。このままでは猫だらけになってしまいかねないので避妊手術も止むを得ないというのが人間たちの言い分だ。 ・猫のためなのかどうか。人間のためであることは確かだが。私もその巻き添えを食っている。月末の夕方の時間が潰れた。月度の歩数の記録更新が懸かっている。今日は4万歩くらい歩こうと思っていたが。・へ2・・・これから夕食後のウオーキングをしてくるが、これで今月の最終実績になる。さて、どれくらい歩けるだろうか。サビ猫の様子が普段と違うので、仔猫たちが怖がっているようだ。>あちこちで子猫が産まれている。どうなるのやら。
2011.05.31
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図書館は休館日 月曜日が休館日だということは知っていたが、月末の日も休みだとは知らなかった。予定表は貰っているので、そこには書いてあるのだろう。屋久島に行くのでガイドブックをWEBで調べて注文してもう届いている。ウオーキングをして図書を取りに行こうと出掛けたが、閉館していた。まあ、歩数は稼げたが、自転車で行けばよかった。夕方手術をした猫を引取りに行かなければならないので、時間が勿体ない。何しろ月末だ。 ・勿論、記録更新の月度の歩数記録がある。やはり気になる。恐らくこれが月度の最高記録になるのではなかろうか。天候とか、野暮用とか、色々ある。体力もある。筋肉を鍛えて向上するとはあまり期待できない。今更ジタバタしても。家族で痩せてしまったので妻子からは白い目で見られている。 ・へ2・・・サビ猫は、これまで家の外に出ようとして困ったが、何しろ、窓から出れないようにテープで目張りをしても、それを破ってしまう。私などはオスと間違われて付き纏われるし、流石に家族は参ってしまって手術となったが、どう変わるか楽しみだ。 >野良ネコの仔猫
2011.05.31
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小さなニッチ 種としてのヒトは、つかの間の地上におけるニッチを獲得した名誉ある地位にあると言える。それでも、ヒトは、ほんの一瞬のニッチである。ニッチは凹みの意味がある。自分の居場所を探している人間にもニッチがないと生きていけない。自分の存在できる居場所を探さすべく奔走していると言えなくもない。生きる意欲は、日々の暮らしの中で自分の存在を認識するところから始まっている。自分の日々は、いくつかのパターンの再生を繰り返すことでもある。社会環境が目まぐるしく変化している。昨日のニッチも、明日はどうなるか分からない。安全地帯のない生命の営みは、つねに不安の中だ。
2011.05.31
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サビ猫の手術何か猫族に振り回されているような感じですが。猫はどのように活きているのか。私の長期の単身赴任の間に、白猫から始まり、色々。野良猫は致命傷の病気に罹患しているのが多いそうで、短命でもある。10年以上生きている運のいい猫もいる。人間の一日と猫の一日は、80年生きる人間と、10年の猫では違うし、家に来た猫は、数年間の命だったものが多い。交通事故死した猫は3匹いる。 ・餌付けをして近所迷惑にならないように注意しているが、直ぐにいなくなってもしまう。世知辛い世は、人間の世界ばかりではない。猫も寿命を全うできないでいるに違いない。死んでも墓もない。どんな風に猫の一生を考えているのか聴いてみたい。漱石の視点は、そういう意味では、彼の発見だろう。 ・へ2・・・猫になってみなければ、猫の気持ちは分からない。同じ空気を吸いながら、違う次元に活きてもいる。何でもありの猫の世界だ。それは人間とどう違うだろうか。違うと言えば大いに違うし、同じだと思えば同じに視える。サビ猫の不妊手術は、勝手に人間の都合で遣る。猫の同意も要らないし、中絶も一緒に処理するそうだ。朝預けてきたが、16時からいつでも引取りに来てくれとのことだ。猫にはなりたくない。
2011.05.31
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「外の自由だった世界の花や小鳥や蝶や林を恋い慕いながら子どもたちは、家族と死にわかれ、ひとりひとり孤独のうちに死んでいった。」朝日選書のベストセラー物語を読む進む中で、「アンネの日記」にたどりついた。光ほのかに、「隠れ家」で書かれた25ヶ月とある。家族が打ちひしがれていた中でアンネだけがこの歳月を冒険と感じとっていたという。アンネが生きつづけていたら、どんな障害を前にしても自由な飛躍をとげたであろう精神が、無残に断ち切られた。大きく目を見開いた14歳の少女のままで。ポーランドのユダヤの少年ダヴッド・ルビーヴィチも「ダヴッドの日記」も迫害を受けて、最後には命を奪われた。ポーランドの作家イヴァシェキューヴィチは述べている「ダヴィドの迫害者たちは頭をもたげつつある。われわれは、断乎たる「ノー」をもって彼らに応えねばならない。」と。第二次大戦中に死んだサン・テグジュペリも、「星の王子さま」の中で大人の身勝手な常識を否定して、死と生の問題、精神的な深い愛を描いて、幼さと清純さを通してこころある人びとに問いかけている。アンネは薔薇が好きだった。
2011.05.31
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立ち上がれ、諸君!「その時」、彼は机の上に飛び乗り「立ち上がれ、諸君」と叫んだ。それだけで学生は、革命を起こさなければならない、「その時」を知った。突然変異するのは、穏やかな日々ではない。追い込まれこのままでは生きていけないと多くの人々や大衆が感じた時だ。いつもあるのではない。「その時」の意味はそこにある。どんな犠牲を払っても遣り抜く勇気が起きる。 ・人の果たす役割は、自分がどんな役回りかで違いもするに違い。じっと我慢して、その時の自分の役割を果たした英雄がいる。机に飛び乗った学生は無名の人だった。動いたのは拉がれた学生たちだ。学生が動かない社会は停滞するし、進歩もない。キラキラ輝く目を以って社会を視ているだろうか。 ・へ2・・・五月も最後の日になった。私のウオーキングの闘いの1クールも終る。福岡市の気温は16℃で申し分ない。放射冷却で晴れそうだ。昨日で93万歩をクリアした。これは30日では、四月よりも少し悪いが、月間では1日多い31日で、その記録更新できるだろう。勿論これは自己満足でしかない。詰まらないが、努力しなければ何も出来はしない。どこに意味があるだろうか。牡丹も綺麗だが、野草も同じだ。価値を見出せば、野草も、牡丹よりも素晴らしくなる。
2011.05.30
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猫の不妊オペ 家猫が4匹になり、人間の数と同じになったが、これ以上増えたら。思っただけでもぞっとする。かなり部屋の中が荒らされている。2匹産んだサビ猫を、明日手術の予約を入れているようだ。私はノータッチ。野良猫たちにも仔猫が産まれている。どうなる運命やら。世知辛い。 ・やっと5月度のウオーキングの一日平均3万歩もあと一日残して達成したが、鳥渡疲れた。猫と付き合うのも、仔猫は可愛いが、それだけでは済まない。我慢もしなければならない。どうも今夜は眠くて仕方がない。ブログもしたいが。 ・へ2・・・明日一日で5月も有終の美を飾りたいので、最後の頑張りの日。晴れそうだし、早く寝て、明日に備えたい。どうせ動物病院にも付き合わされるだろう。 >櫨
2011.05.30
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何故か? 錯覚した方が都合が良いから・・・。脳は、空間を都合の好いように歪ませる。 「脳はなぜ「心」を作ったのか」前野隆司著で、「意識するこころの作用は、意識下の脳内 活動よりもあとに生じる。」というリベットの実験結果を紹介している。オーグメンテッドリア リティーというらしい。私たちの五感は、それを感じる時、五感で感じているのではなく、脳 の「知」の働きが、あたかも感覚器のある場所で感じたかのようにみせているに過ぎない という。ひとは錯覚でものを感じているのだ。そういえば、何故結婚したのかと言えば、そ れはお互いだろうが、錯覚だ。
2011.05.30
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年月日 曜日 気温 起床 歩数2011/5/1 日 5;05 33,3422011/5/2 月 13 2;45 30,1232011/5/3 火 12 3;20 30,8332011/5/4 水 13 3;28 31,6232011/5/5 木 14 4;00 31,2592011/5/6 金 15 3;05 33,6392011/5/7 土 18 2;20 33,0152011/5/8 日 18 2;50 30,6462011/5/9 月 17 4;35 33,1312011/5/10 火 23 3;26 9,8562011/5/11 水 23 3;30 21,8552011/5/12 木 20 2;10 26,5162011/5/13 金 15 2;05 32,3152011/5/14 土 3;05 33,8152011/5/15 日 14 3;50 33,6682011/5/16 月 15 3;50 40,6912011/5/17 火 16 3;15 30,8322011/5/18 水 14 3;04 54,5442011/5/19 木 17 3;55 32,1432011/5/20 金 18 3;51 31,0282011/5/21 土 21 3;05 23,0812011/5/22 日 18 3;13 27,3372011/5/23 月 17 2;45 11,2032011/5/24 火 15 2;25 44,2582011/5/25 水 16 2;05 37,3642011/5/26 木 17 3;25 33,6362011/5/27 金 17 3;15 30,8152011/5/28 土 18 2;50 31,6672011/5/29 日 18 3;40 22,3032011/5/30 月 16 3;05 41,547合計 938,085ウオーキングは3年近く前から始めて、ズッーと月平均一日2万歩だったが、先月4月初めて3万歩を達成したが、今月は無理だろうと。ところが何とかできたが、これは4月、5月は雨が少なかったのと、講座や用事が少なかったなど、偶々でしかない。来月は今から云うのなんだが、講座は多いしツアーにも行くので、これは流石に無理だろう。 ・一日3万歩は、試算では、約21キロになる。略4時間。恐らくそれ以上に時間はかかっている。毎日というのは、一年中ということ。よく自分でも続けたものだと思う。どこまでいけるか。ヘイフリックの限界はある。 ・へ2・・・ヘトヘトになりながらだが。これからが正念場。知恵を出せるかでもある。
2011.05.30
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果実ロード少し歩こうと、周辺を散策して来たが、柿の実はまだ小さく、梅の実は収穫前で、あと琵琶も未だ青い。さくらんぼの実は紅く熟れている。無花果の畑もある。野苺ロードの収穫も終りに近い。殆どは蜜柑畑の農家が散在している。木の実を探して山の中を足を引きずって歩きまわったころを思い出して懐かしくなった。 ・食べ物の少なかった戦後生まれで、中国からの引揚者で熊本の田舎育ちでもある。両親と私と農家の親戚や祖母のところでお世話になっていた。みんな優しかったが、貧しかった。それは国が敗戦で物資不足の時代でもあった。食べるものが無いというのは、本当の苦しさはまだ幼かったので知らないが、両親が苦労している背中は視てきた。 ・へ2・・・木の実を食べるという経験は、あれから随分経ち最近は殆どない。空腹で、青梅を食べたり、無花果やグミを食べ過ぎて腹を壊した。椎の実を探し回って日が暮れて山で迷ったことがあった。真っ暗な道を風のように走った。足が擦り傷で一杯あったが、あとで痛くなって気付いた。
2011.05.30
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いつもの散歩で 誰もそうだと思うが、自分がどれだけ疎外されているかということは、余り認めたくはない。孤独だということも。然し、それが事実であれば、どうしようもないことだ。どれだけの時間をかけたとしても遣っている事が自己本位のことであれば、それは自己満足で終わる。お山の大将で終わる。漱石のような文豪でも、名作をどれだけの残そうとも、その時代のことでしかない。 ・のちに与えた影響の大きさはあったにしても、その後に科学は進歩し、色んな発見もあったが、それを知る由もない。過去の人でしかない。世界の文豪でもない。「奥の細道」や「源氏物語」にしても、日本での評価が高くても。一つの文化圏の世界のことだ。自分たちの社会環境の中の世界で重要視されたいと思ってきたが、それが、狭い世界のことでしかなかったのは事実だし、分母ではなく分子に過ぎなかったことは、すべてのことでいえる。 ・へ2・・・日本人が壊れやすい土壌の上で暮らしている現実を今更ながら3.11は証明した。日本列島は沈没するだろうか。小松左京のSFは、小説で済まされないかもしれない。国土を追われて遊牧の民にならないとも限らない。どんな運命もありえる。今住んでいる土地が、将来海の底になるかも解らないだろう。そう思いながら周囲を見回しながら歩いていると、背中に冷たいものが流れた。 >田圃に水が引かれた。
2011.05.30
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概ね良好 他人の悩みは、自分にはわからないし、他人がどのように考えているか知ろうと思うのは、社会的認識についてでしかない。世界観や、人生観などの違いは如何ともし難い。私は女性ではない。男性の活き方しかわからないし、独身でも貴族でもない。相手を軽蔑することはあるが、それは内心でしかない。そうなりたくない人物は、自分の反面教師でしかない。すべて自分だけの世界ではなく、みんなの社会でもある。それは時によって見方も違う。 ・雨よりも晴れた時が気分がよいが、雨が降って貰わないと、困ることもある。人間は都合のいい考えをする。独りでいたいときもあれば、他人と一緒でなければならないときもある。恐らく、長生きすれば、何れ老人ホームでも入ることになりそうだが、それまで長生きできない可能性も高いから、考えても無駄になるかも。過去を振り返って、概ね良好と思う時もあれば、そうでない時もある。 ・へ2・・・過ちもあっただろうし、間違いもあった。自分のしてきた選択が、今日の自分の容でもある。後悔がないかと云えば大いにあるとも言えるし、仕方がないようにも思えなくもない。要するにいい加減だ。まだ所謂、人生の下駄を履いたわけではない。朝のコーヒーを飲んでいると、悪い気分ではない。今朝のウオーキングは、和白干潟を周って来た。>和白干潟は今朝は満潮だった。
2011.05.30
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計量の大切さ 食品交換表に基づく計量を改めて遣り直しているが、矢張り思っていたようにアバウトの目算が随分違っていたようだ。これくらいいいだろうと思っていたのがオーバーしていた。日頃の大体が一番怪しい。それこそ検査結果に目に見えて出てきたので。物事をよい加減に考えている証拠でもある。 ・まあ。何とかなるだろうと、思っていると、あとで痛い目に遭う。そういうことを何度も繰り返しているのに懲りない。一つ一つ確実に確かめることなのだろう。ウオーキングにしても若い人より歩くスピードが遅くなっているのは、神経がそれだけ鈍くなっているのだ。他人と比較する必要はないが、事実を認識する必要はある。 ・へ2・・・楽をしようとする。長く生きていると狡い活き方が身に付いてしまっている。それを認識し突き崩しながら遣らなければならない。手間はかかるが、数値管理をすることでしかないと痛感している。
2011.05.30
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母に感謝を今朝妻に頼まれて、紫陽花の花を摘んで、父母の仏壇に供えて。紫陽花が好きだった母のことを思い出した。こうしてここまで来たのは、ご先祖の遺伝子のお蔭と、直接には親の投資と、そして母の恩愛の賜物であろう。活きることの基礎を教えて貰ったからだ。感謝してもし過ぎることはない。母は50歳初めに死んだから、私のように子育てや、社会の柵を離れてのんびり暮らしたことはない。 ・父に対してはそれほど感じるものが少ないが、母には申し訳ないと思う気持ちは強い。私のためにしてくれたことのコストの回収がしないままで亡くなってしまった。不肖の息子で、法事もあまりしていない。それで善いことはないが、毎日の供物と花は供えている。それで我慢して呉れるだろう。 ・へ2・・・母はいつ寝るのだろうと幼い頃不思議に思っていた。「かあちゃん」から「おふくろ」になり、母と一緒に暮らした頃は、もう随分昔の話になってしまった。もう誰の記憶の中にもあまり登場することはないに違いない。然し、ひとり息子の私には、誰にもない母の記憶がある。私の図書館の中で大切な一冊の本として記憶のページが開かれるのを待っているに違いない。
2011.05.30
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今朝は歩けそう福岡市の降水確率は、10%台のようだ。少し冷え込んで寒いくらい。暖かい朝に慣れてきている。気温は16℃だから、気持のいい朝ではある。少し早目の食事をしてウオーキングしよう。あと2日間。この調子だと、何とか今月も、一日平均3万歩もできそう。せめて二カ月連続くらいしたい。来月は難しそう。 ・一つが上手くいくと必ずリアクションもある。作用と反作用だ。成功<ゆえに>没落する。東京電力もどこかで、タガが緩んだ。そしてそれはみな同じようなことをする。上手く行っている時ほど落とし穴もある。周囲に煽られて落とされる。莫迦な善男善女が絶えない。餌食にされる。ダニのように生きている人間は多い。卑劣な人間は昔からいるものだ。 ・へ2・・・待ち惚けを喰わされるのに待ち続ける。これはどうしようもない。鬱というのは、じっとしていた方が良かった時代の名残らしい。もうその必要はないのに。何れはいなくなるだろう。黒猫のクロも、それが有利だった形質の名残だ。黒猫も自然淘汰されるだろうか。徒だと思われたものが、そうではなくなることもある。価値観は時代とともに変化する。何がどう化けるのか。 >居庸関長城
2011.05.30
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自分に対しては甘い認識しかない。それは可笑しいくらい。自分にではなく他人を責めて生きている。 いつも被害に遭うのは周囲のものらしい。謂わば毒を吐いて周囲を殺して生きているのかも知れない。 そうして巨大化したものが生き残った。平和とか理性とか言うけれど、どうもそういう観念的な ものでは把握できない世界がある。中年女の毒舌に辟易するのも、周囲を腐らせる戦略ミームだろう。 他人より綺麗になろうと化粧する女性も、利己的な遺伝子の為せること業か。若者も、中年も、そして 老人も自分に甘くなり、男も女も同じとすれば、いつか有限の限界に突き当たる。 いずれにしても、自分に甘い認識は、容易には止まらない。やがて自滅の籤を引くことになる。その呪縛から逃れる術があるだろうか。険しい隘路を行かねばならない。 然しなお明るい未来の来ることを信じている。この夢がある限り、可能性は必ずあるだろう。>まだ夢を持ち続けていたい。
2011.05.29
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商品価値の問題経済が優先している社会では、すべてがそのために形成されているから、商品価値のないものは軽視され、無視もされる。愛国精神も軍国時代の遺物のように扱われる。善悪の二元論もその時代の価値観の問題だ。権力にとって諸品価値があるかどうか、利益が見込めるのかどうか。そのチャレンジは続いている。あるものは思わぬ万馬券を手にする。大抵はギャンブルの対象になり競馬場のゴミになる。 ・こうして毎日ウオーキングしている事も、余り商品価値とは関係が無いし、私のブログも同じだ。これも世間の迷惑かも知れないが、商品価値はないとしても、全く社会性が無いわけではあるまい。老人が毎日せっせと歩いている図も、みて吐き気がする人はいても犯罪ではない。ブログもムカムカする人がいても、それはそれで仕方がないと思っていただくしかない。他人さまには徒でも、こちらは生甲斐を探している。 ・へ2・・・文学講座で、前回から受講者が二倍近く増えて、大学側は歓んでいるだろうが、私はあまり嬉しくはない。矢張り前の教室で、意外とリラックスして話をされていた教授の講義の方が寺子屋的で好きだ。講師の方も堅くなってしまう。商品価値が出てくると面白味がなくなるのは、注目されるからだろうか。ブログもあまり話題性がなくなりつつあるようだ。>ハイデルベルク大学の学生牢跡
2011.05.29
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何度も繰り返しながら、その違いを感じなければ意味がない。何度「真剣さ」を言いながらも、その時々で意味も違うこと知らねばならない。同じであって同じではない。それだから「新鮮さ」も違う。真剣らしく書いても、真剣さが無い時がある。ことばだけで言行一致していない。自分でなければその「真剣さ」が違いが解からない。それを教えてくれるのが日々のモリタリングしている自己管理の数値だろう。自分を甘やかしてしまう利己的な遺伝子がある。 ・聖書を甘く見てはならない。それは人間の長い歴史の智慧があるからだ。それは積み上げられ蓄積されたものだ。単なる個人のものではない。凡人はすぐに日常の中で真剣さや、新鮮さを見失う。リセットして、修正しなければそれこそ東北関東大震災の巨大津波の乗り越えてきた(過去の津波を前提に造られた)虚妄の堤防でしかない。狭い視野の学者のいうことを信じた報いでもあるだろう。 ・へ2・・・50年前造られた原発を安易に利用していた側にも問題がある。初めて起きた原発事故ではない。過信がすべてを台無しにもする。東京電力はそのために瓦解しようとしている。それだけではない日本の原発の関係者も消される運命だ。そして政府も国民も失うものは小さくはない。ダムにできた亀裂は、致命傷にもなる。核を甘く見た証拠だからだ。
2011.05.29
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夕陽の中に 時刻がたてば何時とはなく 忘られて行くみにくさである だが・・・ 夕べの空がひととき茜に燃ると 青葉の中に揉み入りたいような 衝動が起きて来る ああ・・・ 今はなべてのものから引はなされ ひたすらにあらむとする みにくさである ~或る病者のうたえる~ハンセン病患者の記録である「近現代日本ハンセン病問題資料集成<戦後編>第4巻」の中で見つけた。迂闊にも最初「みにくさ」とあるのを「たみくさ」と読んでしまっていた。たんに患者の感慨なのだろうと思ったのだ。そして、ふと字面を読み直して、「みにくさ」と書かれているのに気付き、ショックを覚えた。ひとりの詩人のふかい悲哀を、唯、素通りしてしまおうとしていた自分の愚かさにに愕然とした。恐らく、私も含めて、患者以外のひとには、その耐え難い苦悩に耐えられず、こころの目を閉じてしまうのだろう。人間は、それを耐え抜いたひとだけが得られるこころの輝きがあるに違いない。それは、凡人には、覗き見ることの出来ない「世界」でもあるだろう。 >イスランブルの夕陽
2011.05.29
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年月日曜日気温起床 歩数2011/5/1日 5;0533,3422011/5/2月13 2;4530,1232011/5/3火12 3;2030,8332011/5/4水13 3;2831,6232011/5/5木14 4;0031,2592011/5/6金15 3;0533,6392011/5/7土18 2;2033,0152011/5/8日18 2;5030,6462011/5/9月17 4;3533,1312011/5/10火23 3;269,8562011/5/11水23 3;3021,8552011/5/12木20 2;1026,5162011/5/13金15 2;0532,3152011/5/14土 3;0533,8152011/5/15日14 3;5033,6682011/5/16月15 3;5040,6912011/5/17火16 3;1530,8322011/5/18水14 3;0454,5442011/5/19木17 3;5532,1432011/5/20金18 3;5131,0282011/5/21土21 3;0523,0812011/5/22日18 3;1327,3372011/5/23月17 2;4511,2032011/5/24火15 2;2544,2582011/5/25水16 2;0537,3642011/5/26木17 3;2533,6362011/5/27金17 3;1530,8152011/5/28土18 2;5031,6672011/5/29日18 3;4022,303合計 896,538 矢張り夜のウオーキングをしないと、何か物足りないというか。 >エーゲ海
2011.05.29
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あと3日間 流石に台風2号の影響で暴風雨で、夜のウオーキングは中止だ。こんやはゆっくりとしていたい。 時計の針が止まった時がお終いでしかない。生きていることは走り続けることでもあるだろう。休もうとするものではない。過去を打ち捨ててきたではないか。過去は事実でしかない。為したことは消えないだけだ。傷痕がどうであろうと。 言葉を失いつつあるのだろう。段々と話す言葉もなくなるのではないか。会話のない人間関係が広がり、黙っていても電車に乗れるし、誰とも喋らなくても仕事が出来るかも知れない時代だ。ネットで何でも用事が済んでしまうようになるだろう。歩くことも、動くこともしなくてよくなったら人間はどんな姿をしてくるのだろうか。 自然も要らなくなるだろうか。空想は妄想にもなる。バベルの塔ではないが、いつかとんでもないことになるのかも知れない。海にもひとで溢れるようになるのだろう。もうすぐ6月だ。夏も近い。もう、今年も半年過ぎたと思うと月日の早さにショックだ。大きな忘れものを沢山しているような気分がする。
2011.05.29
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私たちは、人類の悲劇を求めてはいない。必要なものは活路であろう。唯、必ずしも容易ではない。マイナススパイラルはいくつもあるし、壊さねばならないものもあるだろう。そして、それは短絡的な思考では届かない。あらゆるところからの重圧に耐えられる人間はそうはいないだろう。やはり、何かを為す人間は、ブレイブ・ハートを持つだろうか。多くの人びとは、この社会は得体の知れない世界であり、必ずしも活路があるだろうかと疑念をもっている。いくつもの選択肢の中に悲劇は隠されている。そして、一寸先は闇だという。それであれば、悲劇の可能性は、必ずあるだろう。未来は、小説では描けない。現実という修羅場を越えねばならない。いま私たちの前に聳えるのは、ヒマラヤ山脈よりも高い障害物だ。環境破壊、人口問題、食糧問題など山積する問題は多いのだ。もう目先のこととして取り組まないと、地球、そして人類は、疲弊し枯渇してしまう。扨て、現代に於いて、国民に国家は何を望むか。沈黙だろうか、服従だろうか。権力者たちが果してきた数々の政治的行為は、未来を目指していると言えない。いまや、 日本には既に権威はない。大学にはいまビジョンはない。何の力もない。 企業のための生産工場だ。ステレオタイプの企業戦士をどれだけ輩出しても何になろうか。 ヒマラヤを越えるインド雁がいなければならない。立ちはだかるデッド・ロックのヒマラヤを越えをするのだ。
2011.05.29
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私たちは、人類の悲劇を求めてはいない。必要なものは活路であろう。唯、必ずしも容易ではない。マイナススパイラルはいくつもあるし、壊さねばならないものもあるだろう。そして、それは短絡的な思考では届かない。あらゆるところからの重圧に耐えられる人間はそうはいないだろう。やはり、何かを為すヒトは、ブレイブ・ハートを持つものだろうか。多くの人びとは、この社会は得体の知れない世界であり、必ずしも活路があるだろうかと疑念をもっている。いくつもの選択肢の中に悲劇は隠されている。そして、一寸先は闇だという。それであれば、悲劇の可能性は、必ずあるだろう。未来は、小説ではない。現実という修羅場を越えねばならない。いま私たちの前に聳えるのは、ヒマラヤ山脈よりも高い障害物だ。環境破壊、人口問題、食糧問題など山積する問題は多いのだ。もう目先のこととして取り組まないと、地球、そして人類は、疲弊し枯渇するだろう。扨て、現代に於いて、国民に国家は何を望んでいるのだろうか。沈黙だろうか、服従だろうか。権力者たちが果してきた数々の政治的行為は、未来を目指していると言えるだろうか。いまや、 神風の吹く時代ではない。日本には既に権威はない。大学は通俗化してしまった。何の力もない。 企業のための生産工場でしかない。ステレオタイプの卒業生をどれだけ排出しても何になろうか。 ヒマラヤを越えるインド雁がいなければならない。易々と現代の前に立ちはだかったヒマラヤを越えなければならない。>キウイの花
2011.05.29
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<作品> 「斗南先生」「虎狩」 <加筆修正した>・レジュメ。志賀直哉「荒絹」。人との交わりを絶つ。・ひとはなぜ自殺をするのか。・くものようにみえた。ギリシャ神話から。 「斗南先生」、 ・孫中島ひかる。中島敦の孫を講師は教えたことがあるそう。・何れも一人の男の彫像画を書いている。「虎狩」「光と風と夢」同じ。・作中に出てくる作品の再評価がされている。・年譜・・・作家は朝鮮に住んでいた。・「斗南先生」は、「山月記」の主人公李徴に特徴が似ている。重なる。李徴の特徴である孤立や嘆きも同じ。・その時、その時で、ひとの感想は違う筈だ。・ひとは、昨日と今日は違うということを認識すべきだ。・老いて死んでいく人間の「斗南」を若い三造が知る筈がない。・「三造のもの」。がある。・作家たちには「・・・モノ」がある。・中島敦は、勉強家だった。教師になったので、鴎外などのいくつかの全集を読破した。・横浜高女の教師をした。原節子の通学した学校。・主人公は、李徴のように才能がありながら、恵まれた豊かな環境ではない人物。・鴎外は、自身には専門が無いと嘆いている。斗南先生もそれに近い。・中島は、「斗南先生」で、鴎外を意識しているのではないか。・何でも持っているが豊かさが無い。そのことを自身鴎外は気付いていた。・「麦めし問題」がある。鴎外批判。大勢の兵隊が「脚気」で死んでいる。鴎外は麦めしに反対した。・人間には「鈍」が必要。「鋭」ではない。・「李徴」、斗南先生の中に、中島の凝縮された部分があることを認めている。・斗南を三造は、死んだあとで見直している。・死んだあとで慟哭する。反発しながら共感するものがあった。・作品の☆部分のあとの最後の箇所は、戦後駐留軍のアメリカ軍が検閲して危険思想として削除した。のちにその部分が「追加」されたもの。当時は、アメリカ駐留軍には不都合だったため。 ・斗南先生。七番目の伯父さん。・多い兄弟の心理。自分の存在の希薄さ。深層心理。・幼児体験が複雑。血縁の問題。肉親の愛に飢えていた共通点がある。・漱石、直哉、芥川、太宰、梶井、中島などの共通点は、幼児体験の複雑さが似ている。・梶井の妹の死が分母。「城のある街にて」という作品になった。背景にある。・インテリの欠点。李徴の指摘。ものをリアルではなくことば(概念)で捉えようとする。・梶井は「妹の死」を忘れまいとする。そこが凄い。妹の死に対して直後は、何も感じなかったことを後悔している。・斗南の人間としての欠点を滑稽に書いている。・斗南が、死ぬまで気付かなかった。活きている時は気付かない。死んで初めてそのことに気付いた。 「虎狩」 ・「虎狩」・・・「無事に終わりをするまい」という感想が伏線になっている。 ・「虎狩」で作家中島は、趙大煥の肖像が書きたかったから。「本当の強さとは何か」を、考えている。殴られても敗けたとは思わない。「真の強さ」とは何か。を考えている。そして中島もそのことに気付いている。・「煙草」と「マッチ」の間違いをする。・ことばによって間違える。ことばと文字の記憶。「文字禍」。・「概念」ばかり考えるインテリの弱点だという。・人間の、「知識と感情」は、どちらが重要か。知識ではない。・日本語と朝鮮語。・朝鮮半島では、当時日本語を押しつけていた。日本語教育をした。・文明開化。の解釈の問題。内と外。・感情の記憶の方が確かである。・国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」のなかで、 「習慣の妨げられた死という事実に本当には驚けない」。 ・感情を鈍磨させる。・中島の気付き、感じている処が凄い。・梶井も「こだわり」がもとで小説にした。其の作品が「城のある町にて」。・中島は「喘息」に苦しんでいた。梶井と同じ(肺病)。堀辰雄も同じ。中島も致命的な病に苦しんでいるところが同じで連関がある。・この作品は、日本と朝鮮の関係。のちに「終わりを全うしない相」。・孤立している人の肖像は「スーティブンスン」も同じ。「虎狩り」「斗南先生」孤立すると人間でなくなる。 ・漱石は群れが嫌い。「それから」の代助。・漱石は、「世間」は、「群れ」とみる。・「一対一」。として描く。・殺伐した想い。孤立しやすい。孤立していく人間のすがたを描く。・漱石は自殺しなかった。孤立した作家は自殺したが、それをしなかったのは、漱石は自己分析ができたからである。突然死した。・自分を相対化して考えることができたからである。・中島は、作品ごとに、夫々の肖像画を描こうとしている。・作家のある共感がある。作家の一部として描いている。・「現象」としてではなく本質で捉えようとする人間。趙タイカンのこと。彼は虎のことではないか。・中野重治「やまねこ」いのちの凄さ。・「虎」。過激な人間のこと。漱石を弟子たちは、漱石を「虎」と言っていた。・虎は、「毒」をまき散らす。・「山月記」「虎狩」「斗南先生」「光と風と夢」の共通点。・人が感じる違いは年月の経過があるからである。・次回の講義「光と風と夢」もある孤独な作家の肖像を描いている。
2011.05.29
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日本の社会から生み出された環境の産物が私たち一人一人の人格形成もしている。だから私のその端くれである。欠片かも知れしないが。物事を客観的に視るという生活観が必要ではないだろうか。今日は、元旦から何日目だろうか。何週目だろうか。ドイツで購入した日記には毎日ちゃんと書いてあった。あれをみてドイツ人が、日頃からそういう生き方を日常的にしているのだろうと思ったものだ。アバウトに生きているのではない。 ・漠然と物事を見てしまっている。そのうち神風が吹くだろうとか。吹きはしない。偶然を当てにしても中てにはならない。童話の世界をいつまでも追っているのは子供のころだけで充分である。日々モードを切り替え、時には一日に何度も切り替えて暮らして行かなければならない。こうして、時々何をしたか、時々のモードを書いているが、それは、自己管理表を別途作成しているので、それと見比べる為だ。謂わば裏資料になる。 ・へ2・・・それこそ一からなり直しをしなければならなくなる。然し、それもいつかは歩けなくこともあるのだ。毎日試練であり、刻々事態は変化もする。後悔しないようにしなければならない。講義は面白い。自分が登場している人生も面白いが、それを下らないものにしてしまうかもしれないのだ。>庭の胡瓜の成長を視ようとして驚いた。台風2号が近付いているのに、何の手当てもしていなかったからだ。中島敦「虎狩」の趙大カンが、煙草とマッチを間違えている個所のことを思い出した。台風をコンセプトで捉えている。現実に何が起きるのか、実感できていない。だから物事が起きてしまって後悔することになる。
2011.05.29
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思想形成 自分に付いて考えると恥ずかしいことばかりだが、自分の思想形成となると簡単ではない。どうも曖昧模糊としてくる。どこでどんな影響を受けたのか、それが今の自分にどのように残っているか。どうも食べたものが、栄養になってからだの中でどのような作用を及ぼしているか。頭のてっぺんから足のつま先までエネルギーとなり、或いは排泄されるものもある。吸った息を吐き出すがそれは全部ではない。ミクロの世界は、マクロの世界よりも広い。 ・ひとの記憶装置の複雑さもとても容易に理解できるものではない。考える度に自分の思想形成も違って視えても来る。おそらく勘違いのものばかりだろう。実は違う。通俗道徳が幼児期から植え付けられ、時にはそれが強迫観念にもなる。怖じけない人間がいるだろうか。恐怖感をもつことで自分の生命を守ることもある。操られる遺伝子は伊達ではない。からだを動かしているのは並みの操縦士ではないだろう。 ・へ2・・・自分の免疫系が、今何をしているのだろうか。今朝食べたものがどこで何をしているのか。私が今考えている事も過去の体験から来る延長だろう。今日は何をしたいだろうか。何ができて出来ないのか。明日はないかもしれない。紀元杉は樹齢3,000年だそうだ。キリストが生きていたころより長く生きている。その前で、何を思うだろうか。
2011.05.29
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日課とツアー 日課だと思えば、朝のウオーキングもしなければならない義務にもなる。思わないとできないことはある。何か口実をつければ。誰に対してか。妄想しても、自分だけの頭の中では、どんなことでもできる。しても不能犯である。勿論他人に見られるようなことをしてはいけない。他人に悪寒を抱かせるようなことを平気でしても気にならないのはどこかおかしいのだ。 ・今朝は、傘を差して草履ばきで1万歩歩いてきたが、他人から見られたら、恐らく普通の通行人にしか見えないだろうし、知っている人は?他人がどう思うと構わないが、他人の迷惑ではあるまい。自分の納得することをしている。遣りたいともうかどうかだ。優先順位はある。 ・へ2・・・今度行く屋久島では、今台風のようだ。何があるか解らないが、スケジュールでは、次のところを回る予定だ。 白谷雲水峡(『もののけ姫』の舞台とされる程、神聖で美しい光景. ヤクスギランド(標高約1,000mに広がる原生林を散策. 紀元杉(樹齢約3,000年の名木。特別天然記念物. 千尋の滝(屋久島を代表する一枚岩の名瀑) トルコの時は、バスで走った距離は4,000キロだった。今度も福岡から鹿児島までバスらしい。4時間くらいではないだろうか。バスの旅も楽しいものだ。 >台風2号の影響で一日雨のようだ。
2011.05.29
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食餌療法 病気だからではなく、今健康な人も、本当はどうなのか。ちゃんと歳に応じた食事をしているのか。奥さんが作ってくれたものをただ食べているだけかもしれない。それがもとで。メタボにもなる。美味しいからからだに良い訳ではないし、好きなものが栄養バランスが好いということも言えない。自己責任の原則が、自分の寿命を決めてもいる。 ・ポイント・オブ・ノーリターンということばを知ったのは、もう10数年前になる。それらしい話は、以前から聴いていたが、身に沁みたのは病気をしたからで。どうにもならなくなる前だったから、どうにか。でもいつその憂き目になるかはわからない。誰にも安全地帯はない。母の料理の手伝いをさせられていたが、それが自分の身を援けることになるとは。母のお蔭だ。 ・へ2・・・毎日自分の食事は自分で献立する。随分やったので食餌療法は頭に入っているが、やはりアバウトになっていた。このままでは拙いと思っていた。初心に戻って、またソフトを利用して、毎日の記録を残すことにした。一々面倒だが熟れれば簡単にできる。呼吸が面倒だからと呼吸をしない人はいないし、食事も摂らなければお終いだ。自分の食べるものくらいカロリー計算できないでは。
2011.05.29
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何かが足りない 何時も、何かが足りない。そう思っている。それは確かに。然しその意味がどれだけのものかだ。自分を過信している時もあるし、過小評価していることもある。世間を甘く見ている事もある。自分にないものは他者である。自分を客観視出来ない限り、コペルニクス的転回は出来ない。カネが無い、時間が無い。恋人がいない。社会的地位が無い。権力が無い。エリアが無い。能力が無い。そして何かが足りない。 ・何故、核心を掴んで頭の整理が難しいのだろうか。今しなければならないことが解からないのだろうか。足りないものばかり考えてしまうのだろう。在るもので遣ろうと思わないのだろうか。本当にできないのか、試して見ようとしないのか。時間がある時にはせず、どうしようもなくなって、そして挫折する。足りないのは当然であり、初めから完璧などないのに。そして完全には何も出来ないだろう。 ・へ2・・・雨が一日降るらしい。福岡市の降水確率は、 60%-80%-70%-50% の予報だ。面白い確率だ。それでも実際はどうなのだろうか。一時間くらい降らない時間があるかも知れない。その間にウオーキングが出来るかもしれない。それでも、それをじっと待っている意味はそれほどない。医者は患者より優れた人間だろうか、先生は学生より優秀か、それは解らない。上司が部下よりも能力があるとは限らないし、社会ではその逆はいつものことだ。足りないものが無いからできないのではない。大抵出来る。
2011.05.28
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初心に戻ってかなり以前から食品交換表のソフトが動かなくなっていたのですが、いま動かして見たら作動したので、また一から食事の管理を入力しながら遣って見ようと思います。少し曖昧にしていましたが、この際、また確り管理をしたい。出来るところからやらないと、難しくなってからでは遅い。あるツールを有効に使うこと。 ・知識を遊ばせてはいけない。使って初めて価値も出る。遣ればできるのにやらないのは怠惰でしかない。雨だから、何だからと口実でしかない。終わってからでは遅い。明日からまた初心に戻り出来ることから始めたい。 ・へ2・・・何でも積極的に遣らねばならない。若い連中から、歩いていて追い越されるのを当然と思っていたが、それは自分が楽に歩こうとしているだけだ。どこかずるく生きているがそれは、身のためにならない。プレスのない運動はない。ゆるくなってきた気持ちを引き締めよう。
2011.05.28
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報酬系でドーパミンが大量に分泌されると快感を惹起する。だが神経伝達物質が流れている間しか続かない。それは、強い恐怖や、怒り、悲しみが入らない時だ。これらが入ると、快感があっても忽ち減少する。「躁病」は活発になり過ぎだし、「鬱病」は停滞する。「鬱病」は、かっては、生きのこりに必要な価値があっただろう。エネルギーの節約と過剰な対立とリスクを回避さ せた。そして、現代では、不要であればいつか消滅するだろう。加齢などで、ドーパミンの 分泌が少なくなれば幸福感も薄らいでくる。然し、感覚的、性的な興奮だけではない、愛 するものをみつけても「脳内ドーパミン」は分泌するのだ。「幸福感」は、左脳の活動が深く 関係していると言われる。「感情」も化学物質が関与しているとすれば、その条件をつくる のは、私たちであり、私たちの知恵や努力でコントロールは可能だ。
2011.05.28
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寺子屋は近世になって生まれた初等教育である。近世は、謂わば寺小屋時代といえる。状況は違うが学ぶ姿勢は変わらない。今まで、「KEIO-OCW」 の政治学講義一覧を観ていた。メモより・「権威をたたえ、それに服従しようとする。しかし同時に彼は、自ら権威であろうと願い他のものを服従させようと願う」 SM的権威主義。・宗教改革は、「人間に対する教会の支配を排除したのではなく、寧ろ従来のものと別の形態による支配に代えただけだ。」 ( ウェーバー )・戦争で人殺しを楽しむ者と、われわれとの道徳心に大きな開きがあるという考えは「正常」という概念を支える幻想に過ぎない。虐待された子どもは、虐待する親になる。残虐行為を減らすためには、暴力に埋もれた叫び声に耳を傾けることのできるようにならねばならない。戦争という盲目的な儀礼から抜け出す唯一の方法は、怒りの代わりに悲しみを学ぶことである。 (サム・キーンより)・「他者の悲しみにやさしい文化を創らねば、平和はない。」(野田正彰より)・「ある人は、他の人々が彼に対し臣民たる態度をとるがゆえに王である。ところが彼らは彼が王であるがゆえに自分たちは臣民であると信じている。」(資本論より)・「紛争こそは、政治の本質である。政治に従事する人びとは、皆一律の闘争に従事している。弾丸の戦いでない場合にも投票の戦いに、軍隊の戦いでない場合にも修辞の戦いに、戦略の戦いでない場合にも説得の戦いに従事しているのだ。」(丸山真男「政治の世界」)
2011.05.28
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年月日曜日気温起床 歩数2011/5/1日 5;0533,3422011/5/2月13 2;4530,1232011/5/3火12 3;2030,8332011/5/4水13 3;2831,6232011/5/5木14 4;0031,2592011/5/6金15 3;0533,6392011/5/7土18 2;2033,0152011/5/8日18 2;5030,6462011/5/9月17 4;3533,1312011/5/10火23 3;269,8562011/5/11水23 3;3021,8552011/5/12木20 2;1026,5162011/5/13金15 2;0532,3152011/5/14土 3;0533,8152011/5/15日14 3;5033,6682011/5/16月15 3;5040,6912011/5/17火16 3;1530,8322011/5/18水14 3;0454,5442011/5/19木17 3;5532,1432011/5/20金18 3;5131,0282011/5/21土21 3;0523,0812011/5/22日18 3;1327,3372011/5/23月17 2;4511,2032011/5/24火15 2;2544,2582011/5/25水16 2;0537,3642011/5/26木17 3;2533,6362011/5/27金17 3;1530,8152011/5/28土18 2;5031,667合計 874,235 雨の中をウオーキングして、やっと3万歩。明日は台風2号の影響がありそうだから、安心はできない。せめて一日平均3万歩も二カ月くらいは続けたい。あと3日間で、月の最低ラインは、93万歩。残り56千歩になるから、楽に達成できそうだが、何があるかわからない。 ・日頃私は、「女工哀史」のような時代があったことを忘れている。自分の苦しかったことや辛かったことも。こうしていられるのは、決して自分だけのちからではない。ただウオーキングをしているだけでは、何の意味があるだろうか。それは、そこにどれだけ真剣であるかでもある。どれだけでも人間は堕落するだろう。そうならないために、しなければならないことは必ずある。 ・へ2・・・まだ一日3万歩は無理ではない。それができるのは、遣るべきことだろう。自分に課題を与えるべきだ。それに向かって努力もしなければならない。怨みをのんで死んだ人たちもいるのだ。一日も徒にしてはならない。
2011.05.28
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私の中の宗教と道徳 宗教は神聖なものだという先入観があったし、儒教や道徳は古いという考えをもっていた。どうもアバウトなのは自分の観念である。キリスト教も仏教も、まして儒教もありきたりの本を読んできたが、本当に理解しているとは言えない。各宗教の教義やフレーズに共感しないわけではない。それは道徳を含んでいるからでもある。日本人の宗教観はキリスト教の弾圧や、宗派の乱立による混乱と、儒教の存在がある。そして皇国思想がある。宗教は国家と結託して国民の宗教観を抑圧した。どうやらそうした捩れた環境が理解を遅らせているのではないだろうか。 ・確かに宗教を信じている人もいるが、多くの日本人は宗教の教義の本質を知らないのではないだろうか。初詣や、クリスマスを楽しむ人々を見ると何時もそう思うし、自分もその一人でもある。ただ、変に逆らっても仕方がないという気持ちはある。風習に従えば良いという気楽な気持ちを持っている。関わらなければそのままだという思いもある。「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の心理だろうか。間違いはどれだけ大勢であろうと間違いでしかない。 ・へ2・・・素直な心を以て思いやりを忘れるな、感謝の気持ち、自己犠牲の精神などはひととして当然の道徳観であり、それを宗教は言っているし、目上の人に敬意をもつことや時間を無駄にするな、なども納得できないことではない。それが宗教を通じて説諭されてもいる。それは人として在るべき道徳観でもある。こうして科学文明の発展により世界が広がり人々はいわば異教徒の人たちと人間的な付き合いもしているのだ。ひとびとの中から生まれてきたのが道徳でもある。それは日常の暮らしに必要なルールでもあったものだ。高いか低いかの意味ではない。言語の違いがあるように、宗教もその歴史的背景がある。そして儒教もその一つだろう。道徳性がその宗教に寄り添って存在しているのだ。風俗習慣も環境の変化により、その価値が変化していく、中には棄てられるものもある。社会環境は変化している。道徳感も変化している。
2011.05.28
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講座の案内大学からは親切に講座の案内が来ている。今度は私大の講座の案内が来た。教養講座で、春と秋に二回ある。春の最後には、現地学習があり、これが楽しみである。講義だけでなく講師が同伴で現地に行って話を聴くのが好い。昨年は阿蘇で、今年は小石原の文化遺産。 ・毎年6月ころにツアーに出かけているが、折角の講座が、ツアーと重なるのが残念。今年も6月に始まり、女子大と同じ日の度量美になったりもするし、矢張り一回出席できない日がある。まあ、これは自己都合なので仕方がない。二大学の梯子になるが、近くにあるので、何とか受講している。 ・へ2・・・私大の場合は秋にある講座の最後に講師との懇談会がある。これも愉しみで、気さくな話が出来ている。昔に比べれば先生たちとも随分会話が楽になった。それは大学が変わりつつある証しでもあるのだろう。身近なテーマで、どれだけ大学と市民の壁を越えられるかでもある。
2011.05.28
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女工哀史 私たちの教育とは何だったのだろう。戦後の教育を一応受けてはきたが、歴史観や世界観といってもそれは普遍的論理を身につけているとは到底言えないのではないだろうか。偏頗なものでしかない。訳の分からない教育者たちから未来へのツールをどれだけ受け取りえただろうか、それはあったのか。安丸良夫「日本の近代化と民衆意識」を読みながら思うことはある。 ・一部の選ばれた者しか充分に時間が与えられないようなそんな社会が公平だろうか。それしかないと決められた安価で軽便なものでしかない。恵まれた子どもたちがいただけだろう。大衆に伝わらないような教育で、何が文化だろうか。「製糸工女が人間ならば・・・トンボ蝶々も鳥のうち」、そして、自らを全人格的に疎外していく。女工は身の廻り一切非常に地味なつくりをしたので、10歳くらい老けて見えたという。 ・へ2・・・これはまさに現代の女性たちが若さに憧れ、若つくりをしている逆バージョンであり、これも自らを全人格的に疎外していく、人間疎外の反射の現象なのではないだろうか。女工は世間からは華やかで若く見られることを恥だと思ったのだ。浮き浮きしてデパートや明るい所へ行くことを嫌がったのだという。社会に操られた人間たちの姿がそこにある。女性の哀史だ。
2011.05.28
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肯定的であること 生物は、本来肯定的であることは大事な資質なのだ。それが加齢と共に物事を否定的に受取るようになるのも、或いは遺伝子からのミッションからだろうか。20代をピークに30代から所謂増悪期に入り、様々な細胞のコピーの障害がでてくる。そして老化していく。如何に、自分の環境をいい状態に保てるかと物事を肯定的に考えられるかだろう。それは、一部のものがいい場所を占有してしまうからでもある。アメリカ社会をみれば、その貧富の差は、度を超えている。不公平さは、やがて社会不安を起こすだろう。それは、日本社会にも今後その傾向が強まるだろう。逆境を経験しない者が、長じて頓挫するのは、よくあることだ。自分の身心を包む袋を薄くしてはいないだろうか。それでは、少しの傷で破れてしまう。少しづつ皮膚は鍛えるものだ。裸足で歩くことを経験することだろう。他人の作ったものだけで生きようとしてはならない。よくあるのは、被差別者が、差別者になり易いことだ。被抑圧者が、抑圧する側になりやすい。すべてのことが、逆転することもある。肯定的に生きることは容易ではない。それは哲学でもある。世の荒波を避けるものが一番溺れやすいだろう。立ち向かう勇気のないものには、ながい時間があるだけだ。フランクフルト市長ぺトラ・ロート女史によると、ゲーテは「フランクフルとの有名な息子」なのだそうだ。ゲーテ大学もあるくらいだから自慢の息子なのだろう。ひとつ心残りがある。肝心のフランクフルトで写真が撮れなかったこと。日曜日でフイルムも買えなかった。もう一度チャンスがあれば行きたい。
2011.05.28
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ゲルマン人の観念によれば、部族の繁栄のためには、みなが共同で祭祀を行なう必要があった。というのは、つねに敵に対する勝利、豊作、狩猟の成功、健康、子宝などは、超自然的な諸力の善意と考えていたからだ。それゆえ、「部族のための」数々の祭祀、とくに供する犠牲である「供犠」が行なわれる必要があった。タキトゥスのいう祭司の役目は、「へーグング」と民会の平和の維持と祈祷、供犠、神託のような祭祀の遂行、神々によって保護されている部族の秩序に反する犯罪の処罰だった。厳しい冬の時代を学ぶことはある意味で、私たちの自由の価値を感じさせるものだと思う。新しい定住地を手に入れると、ふつうその部族は、先住民と出会い、彼らと対決しなければならなかった。主な対決の方法には追放、隷属化、共生の三つがあり、それらの組み合わせは多様であり、また変化に富んだものだった。征服者の論理がまかり通り、それが正当化された。真実を知るのは容易なことではなかったのだ。
2011.05.28
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庶民感覚 猫の気持ちは猫になってみないと解らないだろうし、魚の魚になって解かるに違いない。さて、人間はどうか。金持には貧乏人の気持ちは分からないだろうし、経営者には労働者の気持ちは分からないだろうか。権力者はどうか。社会的ステ-タスが意識を決定するのか。若い頃に貧乏で苦労した人も地位を得た途端にその頃のことを忘れてしまう。人間は厄介だ。 ・市民革命を経ない文明開化という歴史が日本人に何を齎したかというテーマは日本の近代化の興味の一つでもある。核心のない思想形成があるのではなかろうか。権力に追随し易い形質が身に付いているようだ。長い封建時代も背景にある。女性が、蔑視されそれが正当化されていた。それに対する女性による女性史の決定版が無い。 ・へ2・・・抑圧されたものサイドからの歴史観が余り庶民にないのは文化がまだ低い証拠だろう。貧困と無知の認識が薄いからでもある。大学が未だ権力と迎合し、明確に庶民の中にないからと思う。フィールドのない研究ばかりされている。 >和白干潟
2011.05.28
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いくら感情移入できたとしても、他人が感じているとおりに感じることはできない。この落差の所為で人は孤独感に苛まれたり、自分の存在におびえたりもするのだ。過去の経験が違うことで、その意味も違ってくる。感覚そのものは消えて、残るのは構築されたパターンであり、何を構築したかが私たちの唯一の知識となる。世界を認識できるのは、自分の脳が理解できるのは自分のなかで再構築できるわずかなスペースでしかない。 動物が番いになって子どもをつくるとき、脳には特殊な化学物質が分泌される。それが父親、母親らしい子育ての行動パターンを呼び出すのだ。なかでも重要な役割となるのがオキシトシンである。オキシトシンそれ自体はよろこびを誘発しない。むしろ過去の経験をつなぎとめるニューロン接続パターンを溶解して新しい経験を形成しやすくしている。接続パターンのメルトダウンが起きる。メルトダウンと同時に絆ができるのではない。そのあと活動をともにし、協力を通じておたがいの理解をふかめていく必要がある。 セックスをするだけでは信頼関係は生まれない。気晴らしや闘い、競争をともに経験しながら、相手を信頼する方法を学んでいくのだ。(Mapping The MInd より) 私たちの脳は環境から情報を取り込み蓄積して、あとで引き出しているが、新しく何かを学習した神経細胞の接続が変われば、いま記憶していることも変化していくのだ。 何が「寂しい脳」だろうか。孤独感に苛まれ、自己の存在にさえ怯えなければならない存在だからだろうか。喜びが入りこむ余地はわずかでしかない。
2011.05.28
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ありのままで 自分が何か足りないのではないかと。田舎者の私は、かなり劣等感の塊だった。自分の非力は、自分が一番わかっていたし、周囲は大人ばかりだった。兄弟もいないので、引っこみ思案だったし、祖母から「内弁慶」とよくいわれた。家族からは甘やかされた。両親を早く亡くした父母だったこともある。ことばの意味を呑み込むのに苦労したのは、余り利口ではなかったのだろう。 ・周囲の人たちが自分とあまり変わらないと知ってからは少し活き方にも余裕ができたが、あれよという間に成人してしまった。社会人になって、消極的では損だということを知ったが、それでも幼児体験は抜けない。つい様子を視てしまう。通俗的な道徳観がある。自分の物差しを使いたがる。少し世の中が解かった頃には、人生の夕暮れも近くになっていた。 ・へ2・・・文学講座で、自分でしかわからないことばの世界があるということを学んでいるが、ちと遅い。これから学生に戻り、遣り直したいが、不可逆な時間が邪魔をする。出来るだけでいいですよと言われるが、それはどういう意味だろう。それこそ、自分の家のトイレ掃除がどんなに上手くても自己満足でしかない。
2011.05.27
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年月日 気温2011/5/1日 2011/5/2月13 2011/5/3火12 2011/5/4水13 2011/5/5木14 2011/5/6金15 2011/5/7土18 2011/5/8日18 2011/5/9月17 2011/5/10火23 2011/5/11水23 2011/5/12木20 2011/5/13金15 2011/5/14土 2011/5/15日14 2011/5/16月15 2011/5/17火16 2011/5/18水14 2011/5/19木17 2011/5/20金18 2011/5/21土21 2011/5/22日18 2011/5/23月17 2011/5/24火15 2011/5/25水16 2011/5/26木17 2011/5/27金17 2011/5/28土18 福岡市5月の気温から 夜のネコの喧嘩に目が覚めて、どうも真夜中のオスの縄張り争い。かなりしつこいので追いかけたら、ゴルフ場のゲート付近まで。外は小雨で、寝着のまま。箒を握って歩く姿はあまり他人さまにみせられたものではないが、あちこちに灯り点いていたから起きていた人もいたようだ。いつもより少し早いが。 ・毎日、朝の気温をネットで調べてから、記録している。すぐ書かないと、5時には消されるので、起きるのが遅いと空白の時もある。気温でさえ、4週間ほどでも並べてみると、その捉え方で違う。問題を深く考えられるかだ。そこにどんな意味を視るか。ぼんやりしていたら、大事なものも見逃がしてしまう。生命にかかわることさえ。 ・へ・・・文学とは、自分の感動し、気に入ったフレーズに<線を引く>こと。だと講師は言っていた。何が文化だろうか。毎日繰り返している日常に感動があり、それをちゃんと記憶し、記録しているだろうか。その時の感動は、自分の感性でもある。誰にもない自分だけのものだ。読書は自分だけしかわからない感想がある筈だ。アクセントを以ってものをみることでもある。
2011.05.27
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ジオツーリズム「世界遺産」と観光という講座で、勉強しているが、コンセプトからして良く知らなかったのが恥ずかしい。旅行は好きだが、基本的な知識もなかったことにショックを覚えている。取り組みが甘いのだろう。どういう意味で「世界遺産なのか」。観光しようとしている場所の知識もないのに、みてくるだけでは猿でもできる。物見遊山だとしても、どういうことで目立った客観的価値なのかくらい知っておきたいものだ。私も相当ぼんやりだが、旅行会社も少しは環境客の知的好奇心を満足させてほしいものだ。 ・それこそ深く知るというのはそれほど簡単にできることではない。一度や二度の観光でどこまで理解できるかも解かったものではないが、少なくとも資料くらいは準備して出掛けられるようにしてほしいといつも思っている。海外ツアーに何度か行ったが、その世界遺産がどういう「OUV」があるのか、満足に理解できたものはなかった気がする。余計周れば好いというものでもあるまい。ひとつでも好く理解できればその方がましなのだろう。 ・へ2・・・ジオツーリズムにもどこまで市民に理解されているのだろうか。それが何であろうと、その大地の遺産に相応しい知的好奇心を満足できる機会に恵まれるかどうかでもある
2011.05.27
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年月日曜日気温起床 歩数2011/5/1日 5;0533,3422011/5/2月13 2;4530,1232011/5/3火12 3;2030,8332011/5/4水13 3;2831,6232011/5/5木14 4;0031,2592011/5/6金15 3;0533,6392011/5/7土18 2;2033,0152011/5/8日18 2;5030,6462011/5/9月17 4;3533,1312011/5/10火23 3;269,8562011/5/11水23 3;3021,8552011/5/12木20 2;1026,5162011/5/13金15 2;0532,3152011/5/14土 3;0533,8152011/5/15日14 3;5033,6682011/5/16月15 3;5040,6912011/5/17火16 3;1530,8322011/5/18水14 3;0454,5442011/5/19木17 3;5532,1432011/5/20金18 3;5131,0282011/5/21土21 3;0523,0812011/5/22日18 3;1327,3372011/5/23月17 2;4511,2032011/5/24火15 2;2544,2582011/5/25水16 2;0537,3642011/5/26木17 3;2533,6362011/5/27金17 3;1530,815合計 842,568 今日の講義は、受講者が増えていた。初めて参加された人も多かったようだ。隣に座った年配の女性が、私のノートPCをみて、「講義を点字にできれば・・・」と言われたので、確かに、貴重な講義を聴きたいひとがいるだろうと思った。誰でも参加できるという公開講座も、実際に受講できる人は限られている。それは差別と言うには言い過ぎだが、それでも学びたくても学ぶチャンスのない人もいるのも確かだ。 ・自分のために講義メモを下手なワードで書いている。あとで自分で読んで何かのヒントになるかもしれないという願望がある。今は半分も理解できなくてもあとで解かることもある。何かのきっかけになればと思う。もし点字にできれば、少しは役立つかもしれない。発想の大切さを感じた。 ・へ2・・・やっと3万歩を達成。あと月末まで4日間。
2011.05.27
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他人の踏んだ道を歩くひとは、遂に自尊の愉快を逸すだろう。誰も知らない隘路を切り開かねば、新天地は得られない。21世紀は未知の世界に満ちている。それさえ理解できない。何故ひとりで歩こうとしないか。自分はひとりしかいないのに。安易に慣れた意識や既成概念では、進化はない。ゆたかな自然の摂理を学ぶべきだ。自分の課題を見つけて隘路を行くべきだろう。仕組まれた罠にひとびとは他愛もなく囚われてもいる。安寧のためにと実しやかに法社会は言う。戦後65年を経由して、私たちには、過酷な暮らしが待っている。豊かさを求めて来たのに、いま、若者たちのこころの荒廃と、老人の悲しい目だけがある。私たちに残された日々は、平穏で快適な日常ではない。豊かさを求めるあまり、その渇望は、自然を破壊し、生物の絶滅さえ招きかねない。こころあるひとは、この事実を理解をすべきだし、欲望社会が生んだレールを行くべきではない。ひとは、誰も知らない隘路を切り開き、新しい自分に相応しい人生をいくべし。
2011.05.27
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<作品>「斗南先生」「虎狩」 ・今月は、月一回の講義。・中島撫山は、実際は祖父のこと。・レジュメ・・・志賀直哉「荒絹」。人との交わりを絶つ。・ひとはなぜ自殺をするのか。・くものようにみえた。ギリシャ神話から。 「斗南先生」、 ・孫、中島ひかる。中島敦の孫を講師は高校で教えたことがある。・一人の男の彫像画を書いている。「虎狩」「光と風と夢」も同じ。・いま作中で出てくる作品の再評価がされている。・年譜・・・作家は朝鮮に住んでいた。・斗南先生は、山月記の主人公に似ている。重なる。李徴の特徴。嘆き。・その時、その時で、感想は違う筈だ。・昨日と今日は違うということを認識すべきだ。・老いて死んでいく人間の斗南を三造が知る筈がない。・三造のもの。がある。・作家には「もの」がある。・中島敦は、勉強家だった。教師になったので、鴎外などの全集を読んでいる。・横浜高女。・主人公は、豊かではない。・鴎外は、自分には専門が無い。斗南先生もそれに近い。・中島は、斗南先生は、鴎外を意識しているのではないか。・何でも持っているが豊かさが無い。そのことを鴎外は気付いていた。・麦めし問題がある。鴎外批判。・人間には鈍が必要。鋭ではない。・李徴、斗南先生の中に、中島の凝縮されたものがある。・斗南を三造は、見直す。・死んだあとに慟哭する。・最後の箇所は、アメリカ軍が検閲して削除された。部分がある。のちに追加された。当時は、アメリカ駐留軍には不都合だった。・斗南先生。七番目の伯父さん。・多い兄弟の心理。存在の希薄さ。深層心理。・幼児体験が複雑。血縁の問題。共通点。・漱石、直哉、芥川、太宰、梶井、中島の共通点は、幼児体験の複雑さが似ている。・梶井の妹の死が分母。「城のある街にて」という作品にした。背景にある。・インテリの欠点。李徴の指摘。・梶井は妹の死を忘れまいとする。そこが凄い。・斗南の人間としての欠点を滑稽に書いている。・斗南が、死ぬまで気付かなかった。活きている時は気付かない。 「虎狩」 ・「虎狩」・・・無事に終わりをするまいという伏線がある。・「虎狩」は、趙大煥の肖像が書きたかった。本当の強さとは何かを、考えている。趙を軽蔑していない。寧ろ評価している。それを見抜いた作家の眼力もある。・「煙草」と「マッチ」の間違いをする。何故間違ったかに拘る。・ことばによって間違える。ことばと文字の記憶。「文字禍」に通じている。・概念ばかりで考えるインテリの弱点だと。・人間は、知識と感情は、どちらが大事か。・日本語と朝鮮語。・朝鮮半島では、当時日本語を押しつけていた。・文明開化。の解釈の問題。内と外。・感情の記憶が確か。・国木田独歩「牛肉と馬鈴薯」のなかで、習慣の妨げられて死という事実に本当には驚けない。・感情を鈍磨させる。・中島の感受性、感じ取る処が凄い。・梶井のこだわりがもとで小説にした。「城のある町にて」・喘息に苦しんでいた。梶井と同じ。堀辰雄も同じ。中島も同じ連関がある。・この作品は、日本と朝鮮の関係。のちに「終わりを全うしない相」。・孤立している人の肖像は「スーティブンスン」も同じ。「虎狩り」「斗南先生」孤立すると人でなくなる。・漱石は群れが嫌い。「それから」の代助。・漱石は、「世の中は」、群れとみる。・一対一を尊重する。・殺伐した想い。孤立しやすい。孤立していく人間のすがた。・漱石は自殺しなかった。自己分析ができたから。・自分を相対化できたから。・夫々の肖像画を描こうとしている。・作家の共感がある。・現象ではなく本質で捉えようとする人間。趙タイカンのこと。虎のことではないか。中野重治「「やまねこ」いのちの凄さ。・虎。過激な人間のこと。漱石を弟子たちは、「虎」と言っていた。・虎は毒をまき散らす。・「山月記」「虎狩」「斗南先生」「光と風と夢」。の共通点。・年月の経過がある。・「光・・・」も、作家の肖像を描こうとしている。
2011.05.27
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