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パーラミタ―「般若波羅蜜多」は、「プラジュニャ― パーラミター フリダヤ」から来ている音読らしい。漢字に特別の意味はない。翻訳は難しい。ルーツをたどれば、それこそ紀元に近い歴史がある。それこそ焦らないで、ゆっくり時間をかけて調べて見ようと思う。私たちの生活習慣は、様ざまな宗教の混在した中で身につけたものでもある。仏教を知れば、仏教徒に為り、キリスト教を知れば、キリスト教徒にもなる。ムスリムだって同じだろう。その生まれた環境で、どんな宗派にもなる運命なのだろう。 ・どんな宗教にも、それを支えるだけの根拠があるに違いない。「パーラミタ―」は、「彼岸に到った」、「悟りに到った」という意味らしい。人生を河に喩えて教えている。こちらがわと彼のがわとある。「ガテー、 ガテー、 パ-ラガテー」は、「パーラミタ」と同じ意味に為る。(彼岸にいたった貴方よ)。私たちは自分では視もしていない壮大な宇宙を頭の中で描くことができる。 ・へ2・・・どんなことだってしようと思えばできるが、実際は、どうだろうか。紀元の頃に生まれた宗教に支配されてもいる。浅ましいことも仕出かしてしまう。欲望に支配され残虐なこともする。観自在菩薩は、「五蘊皆空」と教えているが、それを納得しない人たちが、この社会でまだたくさん暮らしている。
2011.09.30
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厄介なひとのからだ何となく巧く行っていると思っていた自分のからだが突然狂ってきた。どうも思うようにいかない厄介な相手に戻った感じだ。心と体。寧ろ脳とからだなのだろうが、マッチングできない。ちぐはぐになってしまった。どこかからだの異変があるのだろうか。気に為ることはあり過ぎるくらいある。一々考えていたら、悪い方向を向いてしまう。ひとつ綻んでくると途端に、可笑しくなってしまうから人間は怖い。 ・取り返しの効かないことにもなる。それが怖い。人の死もそういう悪い偶然の重なりでもあるのだろう。死なずに済んだのではないかと、父や義父のことを考えたりする。或いは他の人にもある。周囲に医学知識があれば、助かる命もあるのではないだろうか。加齢も初めての経験であり、自分ではわかないことばかりだ。我慢して好いものとしてはいけないものがある。 ・へ2・・・或る医学ガイドを読んでいて、「病気に対する最大の武器は知識である」というフレーズを読んで、これだと思った。無知だから、間違ったこともする。専門書も解らない時には聴いてくれる専門医もいたからできた。それが、其のガイドブックが無くなり、聴いてくれる担当医も遠くになってしまった。それが現実でもある。本当に必要なものが、そばにない。自分が聴いて解るくらいの知識が必要だし、そのための勉強も聴いてくれる専門医も必要だがいないのだ。そして、それは病気だけではない。私たちは、自分の命をどうして守ればいいだろうか。>屋久島
2011.09.30
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それはビビット・いつか肺機能が止まり酸素を取り込むことができなくなる。時計の針が止まるだけだが、それまでは ego-based の組織化がある。勿論 ancestor-based 組織化という。これは祖先を中心として成り立つ descent group でもある。これを明確に認識しているものを「リニージ」共通の始祖の子孫であることが伝承されているものを「クラン」という。リニージは土地などの保有体を意味し、クランは内部での婚姻が禁止されたりするタブーを共有したりする>。 ・へ2・・・段々と自己を基点とした周囲の人々を知りたくなるものらしい。それは組織化された一定の範囲の親族・姻族であり、文化人類学では、kindred という。日本でいえば、「シンルイ」の一種。生きている間はこの柵に縛られているが、それが無くなりつつある。なくなるのは仕方がないにしても、どこまで自立できるかだろう。ただ飛び出せば何とかなるものでも酸素のないところでは生きていけないように、私たちの世界にはルールともいえるものがある。それは自分と他者との境界でもある。そして時に、権力は圧殺者にもなる。 ・日本では「同族」「家」がある。あったというべきか。それは因習であり、固定観念でもあったが、構成員たちの生命を守っても来たのだ。冠婚葬祭における交際や、祖先祭祀の共同や、家格の上下差などは完全に消滅していないのは、それに内面では頼っているところがあるからだ。 ・へ2・・・私たちの日常は昔とは大いに違ってきている。それは確かだ。だが違わないものはある。そこに回帰しないまでも守るべき何かを知るべきだ。それでも、私は最後の息が消えるまで自分でいたい
2011.09.30
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年月日 曜日 気温 起床 歩数2011/9/1 木 26 3;25 22,5162011/9/2 金 26 2;45 10,8162011/9/3 土 27 3;25 6,2512011/9/4 日 25 3;10 30,9322011/9/5 月 6;10 21,2102011/9/6 火 21 3;00 26,6282011/9/7 水 21 3;10 26,5122011/9/8 木 22 3;30 22,3732011/9/9 金 24 3;40 22,3082011/9/10 土 25 5;55 24,3012011/9/11 日 24 4;35 21,0772011/9/12 月 24 3;41 25,4352011/9/13 火 24 5;38 23,0222011/9/14 水 24 3;25 30,6232011/9/15 木 24 5;05 23,9112011/9/16 金 25 3;35 24,4942011/9/17 土 25 4;05 27,5332011/9/18 日 26 3;35 20,5512011/9/19 月 24 5;25 12,6012011/9/20 火 22 4;05 10,1932011/9/21 水 20 3;30 17,3532011/9/22 木 19 4;25 26,4652011/9/23 金 20 4;30 24,4602011/9/24 土 16 4;25 14,1432011/9/25 日 17 3;25 13,5882011/9/26 月 17 6;35 7,7332011/9/27 火 18 3;00 15,1072011/9/28 水 19 1;05 10,6072011/9/29 木 21 4;40 22,0632011/9/30 金 22 3;05 16,838合計 601,644年月 歩数 日数2008年4月 258,124 152008年5月 461,505 312008年6月 454,828 302008年7月 492,053 312008年8月 479,175 312008年9月 607,612 302008年10月 635,399 312008年11月 562,374 302008年12月 629,723 312009年1月 628,603 312009年2月 587,391 282009年3月 700,366 312009年4月 686,126 302009年5月 704,517 312009年6月 610,392 302009年7月 646,126 312009年8月 655,742 312009年9月 682,647 302009年10月 749,592 312009年11月 682,170 302009年12月 683,681 312010年1月 675,525 312010年2月 637,727 282010年3月 735,903 312010年4月 778,075 302010年5月 814,547 312010年6月 780,407 302010年7月 748,643 312010年8月 733,665 312010年9月 706,656 302010年10月 714,428 312010年12月 635,004 312011年1月 715,561 312011年2月 573,736 282011年3月 725,158 312011年4月 941,220 302011年5月 980,230 312011年6月 804,417 302011年7月 712,501 312011年8月 647,744 312011年9月 601,644 30累計 27,260,937 1,233
2011.09.30
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思慮深い古代人は、静かに月や星を見て、多くの時間を使った考えていただろう。寒さに震えながら、そして餓えてもいた。併し素晴らしい感性で生きていた。彼らは50歳まで生きているだけのチャンスもなく、理不尽な社会に多くの悲哀を味わってもいただろう。それでも健気に生きてこれたのは崇高な精神であっただろう。それだけはいえる。思慮深い古代人が、この人間社会を生き延びる智慧をもっていたのだ。それが、如何に素晴らしいものであったか、私たち現代人は、知らない。この自堕落な生活を繰り返しているのは、五感を衰えさせて、夢を失った現代人であろう。それでも手に入れた科学の力でどうにか暮らしている。物欲で目を赤く腫らしながら、走り回ってもいる。自分の人生を削りながら。にも拘らず、こうして威張り腐って、真夜中に好きな時間を過ごす男もいる。自分のことだけど。好きなことができる奴は、まあ、恵まれた存在ではあるだろう。その報いは、時々身体にくる。それにしても、一日中考えるのは、それは人間誰しもしていることだが、何を考えるかだろう。その中味によっては、進化の可能性もあると思う。考えなくなれば、どんな優れた頭脳も劣化してしまうだろう。何も知らなかった古代人のこころを、ここまで連れてきたのは、その思慮深さであり、一日中考え続けたからではないか。私も老いたが、一日中考え出している。誰の力も借りないほど有能ではないが、独りで考えている。朝から晩まで考えている。疲れてしまうが、考えることは苦しいが楽しい事でもある。
2011.09.30
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誇り高い民族の末裔土色の川面をミトーからボートで対岸まで渡った。マングローブの茂る小川を暫し探検気分との設定らしいがそういう気分にはならない。戦闘がどれほどあったかの説明もなく訊く勇気もなかったが、土色のクリークの小川は、ひとの血も吸ったことだろう。澄んだ川面になれた日本人には、それは少し異様に見えるが、これもベトナム人には、豊かな母なるメコン河なのだ。私たちは風景を見ても何も知らない、その目は節穴でしかない。水も飲めないし、美味というドリアンさえ食べられなかった。然しベトナムの女性が、恋人に言う。「貴方は、ドリアンのような男だ」は、相手を蔑む言葉ではなく、男らしさをいう褒め言葉なのだそうだ。ところかわれば好い男のイメージも違う。小さな国の愛国者たちが巨大なアメリカ軍を打ち負かした。もし、メコンの土色が青くなったら、それは海の水が入り込んだ時であり、悲劇の始まりにもなる。メコンの近くで育った土地のガイドの母は、19歳から毎年子どもを産み、彼は13番目の子どもだ。こどもを産むだけの生涯を生きて、若くして死んだそうだ。然し、母は子を残し、ベトナムの未来を残してその役割を果たした。彼は、苦学して大学を卒業しており、日本語を学び、日本の観光客に、メコンの意味を語っている。彼等は、誇り高きベトナム民族の末裔なのだ。>キンモクセイ
2011.09.30
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これからすること10月は、どんな一か月になるだろうか。客観的に自分の環境を冷静に見ることが出来れば、自分なりに解かることはわかるようになる。自分でそれを知ろうとしなかった節がある。知るのが怖いこともあった。自分の何が「牢獄?」と言えるか。自縛もある。それは客観的ではない自分の視野の所為でもある。社会に対する観念が普遍性があるかだろう。 ・11月に韓国に行く予定にしている。ツアーまで何をするか?それも楽しみである。自分で愉しんでばかりいるのは気が引けるが、これもストレス解消法だ。この10月は、女子大の講座がいくつかあるし、集中講座と、学園祭の講演会もある。ウオーキングも、少し惰性になっている。読書の秋でもある。 ・へ2・・・時々気合を入れないと、怠け癖がある。肝心な時にぼやっとする。それは自分をのんびりさせているが、し過ぎると遣り損ないもする。ステージが変われば、環境は一変する。自分の置かれた環境に順応しなければ弾き出されもするだろう。
2011.09.30
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みどころをめぐる韓国福岡空港から、釜山まで55分間。韓国は隣国であるが、戦前のこともあり、近くて遠い国でもあった。ようやく文化交流が始まっているその効果が出始めているのではなかろうか。こうして、狭い海峡を隔てただけの私たちが普通のツアー客として行けるようになってもいる。韓国の文化が日本に伝わったものは恐らく身近にいくつもあるに違いないのだ。それを知らないでいる。ルーツを知らないでいる。 ・本当は、何が私たちを意識させているのだろう。韓国人の価値観や儒教思想が、日本の文化にも影響を与えた。彼らの伝統は、常に中国という大国の思想に抑えつけられながら。民族意識を燃やし続けた歴史でもある。島国の日本とは違う厳しさがあったに違いない。それに耐えてきた民族性は我慢強い形質に為って継承されていると思う。支配されず、独自性を見失わない精神は学ぶべきだろう。 ・へ2・・・常に支配する側ではなく、被抑圧者であることは、勝つのではなく敗けないことではないだろうか。韓国でも国際化を進めているそうだ。北朝鮮との対抗と、アメリカの軍事支配が続いている中で、厳しい国際社会の嵐にもさらされている。日本の良きライバルに成長している。今後は覇権を目指している中国とも日本と一緒に為って闘っていかなければならない。相互理解高めることによって得られるものを積み上げていかねばならない時だろう。
2011.09.30
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キンモクセイのころ香りが周辺を満たしているが、残念なことに私はまだ風邪で熱はないが鼻が詰まっている。まだ一部でしか香りを嗅いでいない歯痒さがある。眼だけでも楽しもうと外に出たら、未だ小雨だ。雨で花を散らすだろうし、今年のキンモクセイは、堪能するまで待ってくれるだろうか。どうにか娘は今朝出社したようだ。私も早く元気に為りたいが、いまひとつすっきりしない。 ・明日は土曜講座があるし、来週から始まる集中講座もある。車の定期点検もある。そういえば、女子大の土曜講座では、外国人から視る日本文化というテーマで一年間のシリーズで講演されているが、次回は「韓国における儒教思想と国際化」というタイトルで、韓国人講師の講演会がある。レジュメによると、国際化を図るために高等教育の強化策が取られているが、儒教思想はいまだに残っているようだ。今朝旅行社から予定表が届いた。 ・へ2・・・まだ何でもこれまで通り遣っていきたいという願望はあるが、それがいつまでも同じではない。どこかが違う。それは感じている。いつかキンモクセイも散ってしまうだろうし、季節は冬に向かっている。夏を惜しんでも仕方ないし、秋に為り、そして冬も来る。こころを引き締めないと風邪も治らない。
2011.09.30
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劣化するからだと脳人も物質であり、こころも物質から生じている。長い進化の過程で創り上げたものである。それを奇跡と言っているが、ありふれたものかもしれない。それを確かめてはいない。現代の科学が証明できないだけだ。言えることは、私たちが知る範囲でしかない。そして生まれたものは、終わるということであり、その過程のなかで成長しやがて、劣化していくことだ。 ・人間の一生もヘイフリックの限界という証明から脱することはできないでいる。将来否定されるかもしれない。それはあり得ることだ。正しいと信じられることも、やがて修正されることが殆んどだからだ。ひとの生命現象も化学反応でしかないし、物理現象に生会活動を委ねてもいる。自分という存在の狭い世界の中で死んでいくしかないのだろう。 ・へ2・・・事実を懼れては何も出来ない。洞窟から出て行かないものは洞窟で死ぬだけだ。或いは自分を慰めているだけのことをしているだけではなかろうか。生殖能力を失った人間は無駄な人生でしかないのだろうか。高齢化社会は、種としてのヒトの自滅への序曲だろうか?このままいけば近未来では、人の寿命もコンピュータが決めてしまうだろう。>トルコの洞窟レストラン
2011.09.30
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自分の視力外は雨になったようだ、雨音がしている。気温は22℃。最高気温は24℃だから余り日中も気温は上がらないようだ。降水確率は、40%-60-30-20 の予想だ。日の出は、6;11 日の入りは、18;05 昨日より1分ずつ日照時間は短い。ドイツ人は、今日9.30は、元旦から、何日目か、何週目かをカウントしている。数えなくても日記帳には、ちゃんと書いてある。 ・自分がどこにいるか確かめながら活きている。一日を大事する。365日分の1日。一日の歩数を記録することで、拘ることがいかに大事なことが解かっても来た。からだと心は繋がっている。からだが悲鳴を上げるから、心も腐ってくる。自分の日常の安易さが人生を駄目にもする。これから何をしたらいいか、それを自分の措かれた環境は教えている。それに気付かないだけだ。 ・へ2・・・自然が調和を保っているのは、自浄作用があるからだ。それを人間は壊している。そのために生命は滅亡するかもしれない。人間に必要な一年の食糧はどれくらいだろうか。どれだけ自分の健康のためにウオーキングしたらいいのか。寿命を脅かすリスクは、多過ぎるくらいある。一日のハードルは高くなりつつある。>トルコ西部
2011.09.29
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まだ反射でしかない自分を持つことは難しい。ただ反射や反応で活きているようなものだ。自分が選んでいるものが自分の意志とは限らない。支配された社会の中では反射でしかない。真黒に塗りつぶされた教科書を学んでいるようなものだ。それでまともな人間は教育されることはない。見せかけの人間だ。自分の口であって自分の言葉ではない木偶人形だ。そういうひとがいる。 ・余り楽しい人生ではない。腐った卵のようなこと書いてばかりいるのは、人間の良心だろうか。どんな才能も、人のために活かされてこそ。人のこころを滅入らせるようなことばかりして死んでしまうのが作家は好きに為れない。自分ばかりが澄んだ川でしかいきれないのは、アスベルガーたちばかりではない。 ・へ2・・・この人間の世界を納得して死ぬことなど誰にもできない。人間の未来はまだ先にあるからだ。通過点でしかない。ザリガニでさえ、意志がある。この世にあるものはすべて機序がある。それを知るためにヒト脳もあるに違いない。まだ宇宙の汀だ。大航海はこれから始まる。
2011.09.29
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私の魂「私の魂というものは存在しない」、と般若心経では説いている。2,000年近い人たちが考えたとしたら凄い宇宙観だ。ニュートンの大宇宙の特集を読んでいると、宇宙のスケールに圧倒されるが、それは無から旅立っている生命の存在を示している。からだもこころも、そして魂もない。あると思うからあるのだろう。それでもないものはない。「空」という概念の意味は深い。 ・私の魂は、生きていることで感じることができるが、それは私の脳神経がそう思わせている。視ているものも脳であり、考えているのも脳である。自律神経がからだを調節もする。ここ数日間の風邪による不快は危険信号でもあるだろう。気を付けないと、どんなことでも「起きるぞ」、というシグナル。 ・へ2・・・ババを引くことだってある。私の魂は、ないのだから、宇宙に還るだけだ。私の周囲で起きていた細波は消える。それだけのことでしかない。名もない人間はそうして消えるのみだ。小さく生きることは恥ずかしいことでも屈辱でもない。それは天が与えた使命だ。人としてあるべくして生きることでいい。自分の感じているものが自分の感じた世界だ。また新鮮な朝を感じることができた。それは、それだけいい。挫けないことが遺伝子由来だ。
2011.09.29
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もし、一日のいのちなら・・・ 必死に考えるだろうね。考え過ぎて何も出来ないかも知れない。そんなことはないと信じたいからひとは考えないだろう。考えたくもない。実をいえば私も同じだ。もしどうしてもそうなると、したらその時考えれば良い。然し、殆どの人は、突然いのちを失うだろうが、稀にはそうでないひともいるだろうと思う。想像するだに怖い気もするが、死刑もあるし、病気もあるだろう。思えば、人間の人生も、蝉や蜻蛉のように短いいのちとも言えなくもない。地球の歴史から言えば、ヒトも一瞬のあわれな生物だろう。ニッチは直ぐにも代わるものだ。どれだけ幸せなひともひと時に酔っているだけだ。それでも酔うことのできるひとは少ないのだ。多くの血を呑み込んだメコン河もひとのいのちを育んできた母なる海でもあろう。日本人でさえ川の水を飲むことはない。汚れた環境で、ヒトは、それほど生き延びれるとは思えない。喩え一日でも、棄てられる程、誰もみな、幸運でもゆたかな人生でもない。
2011.09.29
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年月日 曜日 気温 起床 歩数2011/9/1 木 26 3;25 22,5162011/9/2 金 26 2;45 10,8162011/9/3 土 27 3;25 6,2512011/9/4 日 25 3;10 30,9322011/9/5 月 6;10 21,2102011/9/6 火 21 3;00 26,6282011/9/7 水 21 3;10 26,5122011/9/8 木 22 3;30 22,3732011/9/9 金 24 3;40 22,3082011/9/10 土 25 5;55 24,3012011/9/11 日 24 4;35 21,0772011/9/12 月 24 3;41 25,4352011/9/13 火 24 5;38 23,0222011/9/14 水 24 3;25 30,6232011/9/15 木 24 5;05 23,9112011/9/16 金 25 3;35 24,4942011/9/17 土 25 4;05 27,5332011/9/18 日 26 3;35 20,5512011/9/19 月 24 5;25 12,6012011/9/20 火 22 4;05 10,1932011/9/21 水 20 3;30 17,3532011/9/22 木 19 4;25 26,4652011/9/23 金 20 4;30 24,4602011/9/24 土 16 4;25 14,1432011/9/25 日 17 3;25 13,5882011/9/26 月 17 6;35 7,7332011/9/27 火 18 3;00 15,1072011/9/28 水 19 1;05 10,6072011/9/29 木 21 4;40 22,063合計 584,806
2011.09.29
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・誰もみな、少し違うだけの人生を生きている。同じ人はいないだけだ。歩くのは危険が伴うがそんなことは構っておれない。ひとは外に出て歩くことで自分の運命を切り拓いても来た。人生にリスクはつきものだといえる。これではだめだと思えばやり直すだけだ。それが失敗でも仕方がない。何度かそういう経験をしたから慎重になった。そしたら考え過ぎて行き詰まりもした。そして数年前、また方向転換した。何も利口である必要はないのだ。少数点以下が何位であろうと、それが何だろうか? ・へ2・・・誰も、私の評価をするつもりはないのだ。自分の自身の評価が何であろうと無関係なのだ。誰も私に聖人になれと期待してもいないし、命令もしていない。思い込んでいるのは自分自身でしかない。私はこどものころ、自分で言うのも可笑しいくらい内気だった。それはいまなら原因がわかる。環境と素質がそうさせたのだろう。しかしそれが自分では大いなる悩みであったし、内気を克服することが大きな課題だった。それは自分の個性であってどうしようもないことだと気づいたら楽になった。 ・自分が普通の人間だと気づくまでにハードルがいくつかあるのだろう。それを一生超えられないひとがいる。引っ返して来れば何でもない。跳びこえるまでやり直せばいいのだ。静かな雨が降っていて部屋にいて気がつかなかったが、少し濡れながら歩いてきた。ひとは歩いて脳を解放したのではないか。くよくよ考えてもいい考えは浮かばないのではないか。自分を縛りあげるようなことばかりしている。自己卑下していては、明日は来ないだろう。 ・へ2・・・余計なことを考えるから不幸になるのではないか。自分以外のことを心配していればいいのだ。自分のことは何とかなる。ちゃんと守ってくれる自分の脳がある。目がさめれば一瞬にして、数十万か、数百万の情報を処理してくれる。
2011.09.29
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宇宙という・・・図書館に行き、「幻想文学の手帖」をWEB注文していたので、借りてきたのは、文学講座の先生の書かれた解説記事があったからでもある。埴谷雄高「死霊」について解説した本だが、簡単なものではない。ついでにニュートンの「大宇宙」が載っている8,9.10月号を纏めて借りてきた。これは以前から借りてきて読もうと思っていた。とても現代科学の宇宙論を理解するだけの知識も能力もないが、それを素人にも解り易くして呉れる科学雑誌は貴重な存在だ。 ・こうして見ると、文学の何たるかも解かっていないし、或いはこの社会のことも何が解かっているのか知れたものではない。自分で思い込んでいるように思っているだけだろう。日本文学を莫迦にしていたが、6年近く文学講座を聴いていて、自分の頭で感じるしかないことを学んだが。これもこれからのことでしかない。宇宙の知識も、どこまで知るかだろう。中島敦の宇宙論は、「狼疾記」のままで終わったのではなかろうか。 ・へ2・・・宇宙の「宇」から学ばねばならないし、宇宙はどれほど広いのか。知らなければ話には為らない。いまにも、何かあれば、終わってしまう生命を点している。それが自分であり、一日一日を活きてもいる。自分も老いた。自転車をこぎながら、ため息が出た。だからこそ、活きねばならない使命がある。知らねばならない。
2011.09.29
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時を止めることはできない。時代は、私たちを超えて進むだろう。私たちは自分の保身だけを考えているが、世界は違うだろう。私欲を捨てなければ、得られるものは手垢のついた野望でしかない。慾望をを棄てて得られるものを求めるべきだ。操られた思惟ではないだろうか?自分が今思っていることは、本当の自分の選択だろうか?木偶人形で終わるのではないだろうか?絡みつくものを払いのけて、進むべき道を探さねばならない。からだを鍛えよう。>キンモクセイの香りがする。
2011.09.29
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いつものようにどうにかいつもの時間が戻ってきた。娘も平熱に戻ったようだし、今日まで休むようだ。一人でいると好きなことをして、自分の時間だが、家族がいるとどうも調子が狂ってくる。これも長年の習慣でもある。普段はそうでもないが、家族と一緒だとサービス過剰になる傾向があるようだ。それで甘やかせたのだろう。親父が好きなことをして悪くはないのだ。 ・習慣というのは怖ろしい。単身赴任をしたことで、自分の時間を取戻したこともある。そういう時間を持つことが重要ではないか。偶々単身不院ということがあって出来たのだから、自分がしたくてしたわけではないが、結果的にそういう効果があったのは言える。孤独になるまいとして、周りとの調和ばかり気にしていたが、それが個性を潰していたようだ。 ・へ2・・・毎日のウオーキングを止めたらということを考えなかったが、それもある。また悪循環の元に戻るだろうか。続けることが如何に意味があるかでもある。少し体が軽くなった。針はどちらに振れるか。
2011.09.29
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中庸とか普通とか凡庸や人並みは、つまらないと思ってしまうところがあるが、それは間違いだ。善い悪いの極端の方がストイックで折れ易くなる。一部の特権階級を優遇する社会は民主主義国家とはいえない。利益の分配が偏頗な国家は真の民主国家とはいえない。官僚社会を形成しているヒエラルヒーを見直しして行かなければならない。 ・新しい価値観が問われている。それは時代が世代交代を要請しているからだ。何れは血の雨が降るかもしれないと思う。痛みを伴わない交代はなかった。現代社会の中で、普通や中庸でなければ解からないものがあると思う。権力に貪欲ではない世界観が普遍的真理を見出すのではないだろうか。 ・へ2・・・偏らない公正な精神をもつことを心がけなければならない所以だ。権力に迎合していては未来を見損ないもする。物欲社会に慣れてしまい、中々車も手放せないでいる。エコといいながら、こころとからだがついていけなければ意味がない。
2011.09.29
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チンギス・ハンの遠征は世界史上、類を見ないほど遠大で、その成功の真のスケールは、西欧では正当に評価されていない。西欧ではその名は常軌を逸して野蛮、文明の略奪、脅威を齎した異教徒遊牧民としてしか認識されていない。それは空前の規模の大虐殺が付き纏っているためだ。 キリスト教徒とイスラム教徒が500年間も戦闘状態にあった当時の世界で、彼の統治下では、征服された部族民はすぐに釈放されたし、政治的、宗教的、或いは人種的な独裁ではなかった。宗教上の信仰が迫害されてはいない。 逆らうものに容赦がなかったことと、モンゴル人が高く評価していた官吏・貴族・職人・商人・祭司・書家などは命をたすけれたが、圧倒的に多かった貧しい農民などの命はヒツジの群れ以上の扱いではなく、例外もなかった。モンゴル人は、大地にはいつくばって働く男女をもっとも卑しいものと見なしていたのだ。馬のほうがまだ価値が高いとされていた。切れと命令が下れば、彼らは動物のように狩り立てて処刑した。 歴史を正しく評価することは難しい。というより時の権力者が都合のいいように改竄してもきたからだ。死ぬ間際までチンギス・ハーンが思い描いていたのはステップの世界のしはいであっただろう。モンゴルの人口は少ない。彼らが征服した領土をながく管理するだけのマンパワーがなかったのだ。だから彼らは、徹底的かつ残忍な攻撃によって壊滅させようとしたのだ。どんな容であれ反抗の兆しがあれば全住民を抹殺しようとしたのだ。 そうしたのはそういう原因があり、理由があるということか。遊牧民と定住民との戦いは、決着がつくべくしてつくのだ。帝国が膨張し、やがて全中東と中国をのみこむとモンゴル人は統治に格段の進歩を見せた。>キンモクセイ
2011.09.29
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コーヒー・ブレイク30歳近くでサラリーマンになったので、それまで酒を飲む機会が無かったが、福岡に来て、酒好きの人と電車で一緒に帰るようになり、車中でそのひとから缶ビールをご馳走されるようになって少し飲めるようになったのは、それほど長い時間はかからなかった。博多駅から、当時は筑前新宮といったが、その間は約17分間だった。先輩のその人は1時間くらい乗っていた。それが一日の楽しみだったのだろう。最初は、電車が発車して突然缶ビールと竹輪をどうぞと渡されて戸惑っているうちに、10分くらい経過して、あと7分間で、竹輪を食べながら一気のみをしなければならなくなり、かなり慌てたのを覚えている。 ・いつしか、それが癖になって、私もその人にご馳走するようになり、楽しい時間を過ごす事が出来た。私は、酒を飲めるようになったが、それが健康のために良かったとも言えない。毎日その時通っていた鹿児島本線のわきをウオーキングしている。そういえば、延岡に出張していた時、特急で小倉から別府経由で、何度か出掛けてことがある。最初は、臼杵あたりから延岡まで単線になり、豪く時間がかかって往生した。 ・へ2・・・二度目からは往く前夜はわざと寝不足にして、ながい乗車時間を眠るにことにしたら、案外上手く行った。そして仕事を終り、延岡からゆっくり缶ビールを愉しみながら帰宅したものだ。東京や大阪など、その後出張が増えたので、仕事を済ませて帰るときの愉しみになったが、それが好かったばかりではないだろう。先輩は、定年前に自宅の階段から落ちて大怪我をされたらしい。復帰されたと聴いたが、その後音沙汰がない。
2011.09.29
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昨日は厄日娘は感染病ではないが、未だ少し熱があるようだし、帰宅して様子を視ることになったようだ。妻も会社を休んで付き添って疲れたらしいし、私も、どうも体調が狂ってしまった。普段なら、平気でウオーキングをしようと思うのだろうが、その気に為れない。頭痛までするようになってしまった。歯痛がしたり、足が痛いだけでも気分が悪くなる。人間は弱い。 ・まだ先だが韓国ツアーも申込んだし、元気を出そうとしていた矢先で、飛んだハプニングだった。9時ころ病院に入ったので順番待ちをされたらしく検査や点滴で、夕方までかかってしまった。一人病人が出ただけでも家族は振り回される。さて、今日はどうだろうか、未だ娘は寝ているらしい。 ・へ2・・・久しぶりの頭痛でブログもしていなかった。ブログにしろ、ウオーキングにしろ、やはり、自分でその気にならないとできないものだと痛感した。書いている時、歩いている時が、自分にとってもいい時でもあるのだろう。それがよくわかった。今日は平常に戻れるかだ。
2011.09.29
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原因不明娘の病気は、原因不明と聴いて絶句。若い医者だったらしい。これだけ病気も多いのだから、一発で病名を明らかにすることは至難ではあるだろうが、半日もかかってこれでは、誤診されるよりかはましだろうが、名医に為るまで。どれだけの患者が待たされるのだろうか。お座なりの診察でしかない。暫く様子を視るしかない。自然治癒できればいいが。・上の写真は、公園のキンモクセイ、そろそろ花弁がほころび始めたようだ。
2011.09.28
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ひとは敏感から鈍感へなってしまうのだろうか。いつまでも敏感と鈍感の「間」ではないのではないか。人間には「天使のパン」はない。天使がいるとしたらそれは天使だから食べられるのではないか。いつまでも夢を見ている人間ではいたくない。然し痛みを知ってこそ、人の価値でもある。いつまでも同じ場所に居ようとする気持ちがいつか心の緩みになる。いつまでも若い気持ちでいたい。だがそうはいかない。これまで何でもなかったものが、できなくなり、遠くなっていく。その悲しみを味わわねばならない時が来る。 ・昨日何時も聴いている「威風堂々」が、それが如何に素晴らしいものであるか、突然判った気がした。いつも何の思いもなく漠然と聴いていたに過ぎない。分からないものには何度聴いても分からない。一度聴いて感動してもその気持ちを忘れてしまう。それが自分のものになっていかないからだ。段々悪くなっていると思うは、自分の思いであって事態ではないかも知れない。こころが挫けているためだ。「 ・へ2・・・何時も不安に苛まれている。それはまた、いつまでも同じでありたいという欲望からに過ぎない。体はただ自分の身の保全を求めている。それを本当に自分のものにしてしまおうとする。いつも何かから逃げようとする。自分だけは特別な存在と思おうとさえする。卑劣はそうして生まれもする。卑劣では何もしてはならない。卑劣な行為をした人間は元には戻れない。
2011.09.28
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遥かなるトルコ、トルコ史の本を読み始めた。「東西文明の十字路」、「シルクロードの終着駅」、そして「ヨーロッパとアジアの架け橋」。それを実感するのがイスタンブールの街でもあるらしい。トルコと日本の年表が掲載されており、それを見ていると、紀元前2500年ころには、トロイの第二市が形成され、次々に都市が形成し、王国が成立して戦争を繰り返している。紀元前334年には。アレクサンドロス大王のアナトリア遠征がある。日本史では、弥生時代に入るころだ。日本では、645年大化改新である。そのころメッカではイスラム教が成立した。 ・第一回の十字軍がニケーアを占領したのが1097年。オスマン朝が成立したのが、1299年。日本では、鎌倉幕府のころだ。世界史の中に占めるスペースのケタが違う。別に恥じることはが、スケールが違うのは事実だろう。そしてそのことの意味を明確に理解しなければならない。神話の世界に国民を閉じ込めていた時代は終わったのだ。私たちが今なお誤りを冒すのは時代認識のなさからくるだろう。それはどこの国でも視られる現象だ。 ・へ2・・・真実が尊重されるべきだ、権威や権力ではない。強いもの言動が何時も正しいとは限らない。誰が言おうと正しい意見が正しい。だからこそ普遍的論理であるべきだ。トルコは地理的には、欧州とアジアの十字路に位置しているが、その役割を果たしたか。自縛している何かがある筈だ。それは何だろうか。それを解明し、知る必要がある。そしてすべきこともあるに違いない。日本にも足りないものがある筈だ。それは何かだ。
2011.09.28
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劣化するからだと脳人も物質であり、こころも物質から生じている。長い進化の過程で創り上げたものである。それを奇跡と言っているが、ありふれたものかもしれない。それを確かめてはいない。現代の科学が証明できないだけだ。言えることは、私たちが知る範囲でしかない。そして生まれたものは、終わるということであり、その過程のなかで成長しやがて、劣化していくことだ。 ・人間の一生もヘイフリックの限界という証明から脱することはできないでいる。将来否定されるかもしれない。それはあり得ることだ。正しいと信じられることも、やがて修正されることが殆んどだからだ。ひとの生命現象も化学反応でしかないし、物理現象に生会活動を委ねてもいる。自分という存在の狭い世界の中で死んでいくしかないのだろう。 ・へ2・・・事実を懼れては何も出来ない。洞窟から出て行かないものは洞窟で死ぬだけだ。或いは自分を慰めているだけのことをしているだけではなかろうか。生殖能力を失った人間は無駄な人生でしかないのだろうか。高齢化社会は、種としてのヒトの自滅への序曲だろうか?このままいけば近未来では、人の寿命もコンピュータが決めてしまうだろう。
2011.09.28
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夫々のステージ自分のライフステージは、飽くまでも自分のものでしかなく、誰にも知られない軌道を進んでいる。勿論ひととして同じ種の一生というものは共通性があるだろうし、相似してもいる。誰かの生まれ代わりのようだと形容されることもあるだろう。それでも一人一人違う。男の女の違いの特性は近くて遠い存在でもある。 ・自分のステージも年々違うし、或いは数日で変化もする。30年近く家族を続けているが、突然消えることだってあるだろう。否応なくそうなることだってあるに違いない。一日中家の周辺にいた野良猫も、突然交通事故死した。これまで死んだ母猫が、仔猫3匹を追い出すだろうと思っていた。前回は、仔猫たちを追い出したからだ。処が、母猫の死で状況は一変した。 ・へ2・・・もう一つの現象は、産まれたばかりの黒い仔猫がいる。次から次と母猫が仔猫を産んだら、それこそ我が家は猫のオンパレードになりそうだと心配してもいたが、その生産者が死んでしまった。途端に、離散する可能性がある。私の短い人生でも、父母や、親戚の人たちの多くのステージを観察して来たが、儚いものがある。生きているうちに、楽しもうと思う。
2011.09.28
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感染症娘が突然の高熱で、朝からばたばたした。社内で感染症の話が出ているという。妻子を近所の総合病院に車で送って、私だけは帰宅して、その検査結果を待っている。私の風邪が感染しないようにと言っていた矢先だ。忙しいので風邪をひいては居られないと言っていた本人が、遣られたようだ。釜山に行った時も、キムチに遣られて大騒ぎをしたが、よく他人から病気をうつされるようだ。 ・免疫力が弱いのだろう。のんびりしているのは良いが、どこか油断もあるのに違いない。親に似たのだろうか。旅行社に勤めていて、海外から持ち帰った人がいるらしい。まだ、よくわからないので検査結果を待つしかない。ブログを書く気力もなく時間が過ぎてしまった。朝からやっとウオーキングをして帰宅したらこの騒ぎである。 ・へ2・・・やっと「狼疾記」を読了したが、中島敦は横浜で教師をしていたことがあるが、その時の体験も含まれている。妻子がいるのを隠していたようだ。自分の性格の後ろめたさが三造の中で書かれている。どんな優れた才能も、時と場所が無ければ花開くことはない。後ろを向いてしまえば、世の中は、暗闇ばかりだ。
2011.09.28
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ネコは嫌いだったが少し付き合いが長くなったせいだろうか。いつもみていると馴れても来る。ネコも必死に生きているなあと思わないでもない。日本にも1,000万匹くらいのペットがいるらしい。それだけ可愛がる人たちがいる。よくペットは嘘をつかないからという。確かにネコにも人の見分けはつくらしい。とてもネコの敏捷さにはついていけない。生き延びるために必要な形質は備わっている。 ・そして、彼らは安心してはいない。いつ環境が変わるか解らないことを知っているのではないだろうか。措かれた環境で活きて行くしかないことも。外の野良猫さえ、私が近付いてくる足音を聴いたミャーと鳴いてすり寄ってくるようになった。勿論彼らの眼は良いので遠くから解るらしい。 ・へ2・・・野良猫は何人かの餌を遣る人を持っているらしい。餌を貰えるところを巡回している。我が家では、人間よりもネコの方が優遇されている。人間の食べ物が無くても、猫の食糧は欠いたことが無い。これも猫の戦略だろう。凄い能力だ。つかず離れず、ネコはじっとこちらを視ている。
2011.09.28
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声なき声如何に拙劣といえども声は声である。人の声だ。時にそれは絶叫にもなる。つぶやきが、小さい声とは限らない。真実を述べる声こそ真の声だ。それを聴くことの出来るひとは、そういるものではない。大津波に押し流された瓦礫の下からの声を、聴きとるのは容易なことではできないだろう。それは犠牲になった死者たちの声でもある。為政者は、弱者の声を聴こうとしない。強者たちの声を聴いていた方が政権を維持できるだろうし、その方が楽でもあるからだ。然しそれは真の声ではない。 ・声なき声を聴こうとしない政治家だから、長続きもしないのだろう。国民の支持も得られないからだ。見せかけの社会で、見せかけのポーズで生き延びようとする。目先の欲望に目がくらんでいる亡者たちの移ろい易いこころを追いかけても真実はない。刹那的な社会が、自滅への道を走るのみだ。いつか来た道を歩こうとしてはいないだろうか。 ・へ2・・・この厖大な宇宙の片隅でしかない地球の表層の中で活きている。生命の活動は、一瞬の出来事に過ぎない。一度チャンスを逃せば、永遠にその時はない。未来に続く一筋の「声なき声」を聴いてこそ、未来への隘路はあるだろう。>ドイツの教会の柱に大工たちが定尺にした刻印が残っている。
2011.09.27
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ジオツーリズム「世界遺産」と観光という講座で、勉強しているが、コンセプトからして良く知らなかったのが恥ずかしい。旅行は好きだが、基本的な知識もなかったことにショックを覚えている。取り組みが甘いのだろう。どういう意味で「世界遺産なのか」。観光しようとしている場所の知識もないのに、みてくるだけでは猿でもできる。物見遊山だとしても、どういうことで目立った客観的価値なのかくらい知っておきたいものだ。私も相当ぼんやりだが、旅行会社も少しは環境客の知的好奇心を満足させてほしいものだ。 ・それこそ深く知るというのはそれほど簡単にできることではない。一度や二度の観光でどこまで理解できるかも解かったものではないが、少なくとも資料くらいは準備して出掛けられるようにしてほしいといつも思っている。海外ツアーに何度か行ったが、その世界遺産がどういう「OUV」があるのか、満足に理解できたものはなかった気がする。余計周れば好いというものでもあるまい。ひとつでも好く理解できればその方がましなのだろう。 ・へ2・・・ジオツーリズムにもどこまで市民に理解されているのだろうか。それが何であろうと、その大地の遺産に相応しい知的好奇心を満足できる機会に恵まれるかどうかでもある
2011.09.27
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オリオンが見えた今朝は、5時過ぎに家を出て歩いた。まだ咳が出るが、いつまでも風邪に付き合ってもいられない。もう日の出が、福岡市では、6時9分に為っているから、未だ暗いが、その分星が良く視える。オリオンの三つ星が、少しかすんで見えるようになってきたのは霞み眼があるからでもある。これからはオリオンが、朝の楽しみの一つに為るだろう。 ・みどころとは何だろうか。今度の韓国ツアーの予定表をみてどこが目玉なのだろうか。仏国寺、石窟庵、海印寺、安東河回村、水原華城、昌徳宮、宗廟とか、グルメより見物の方が優先する。どんな宝物があるだろうか。勿論私にとっての。 ・へ2・・・何時もどこへ行くのだろうと思っている。そしてどこへでも行く勇気が必要だ。そこがどこでも。天国か地獄か。恐らくそれ以外だろう。何故かならば、私たちは星の子だ。
2011.09.27
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保湿力無理をしないことが、長続きの常識でもある。そう心がけているつもりだが、ついむきになる性格がある。まだやれると無理をするのは年寄りの「冷や水」と云う。自分にも嘘をつくというのが長寿の秘訣と聞いたことがあった。適当にやることだ。「八割出来て、できたとする」。実は、80%としかできていないが、「今日は、よくできた」と自分に嘘をつくというのだ。腹八分目で満足した、OKとする。簡単に言うが、小人にはできないかも知れない。腹がでかい。 ・小さいことにこせこせしない。莫迦が利口のふりをしても、笑って遣る。おおらかに生きるということは、生真面目では出来ない。人は日々老いるのであり、同じようには遣れなくなる、それでも「よし」とする。人から馬鹿にされても、一々怒ったりはしない。自分に適応できるルールを自分のために創って遣っている。天に恥じないこととは、真理から逃げることではない。 ・へ2・・・無理に古典を現代に当て嵌めようとするから無茶な解釈もするのだ。自分の頭で翻訳する努力を惜しんではならない。と思う。ひとには保湿力がなければならない。それを自分で考えて補って遣らねばならない。解かる人には解かって貰える信じることも必要だ。それこそ自滅しないために何をすべきか、それが問題だ。>和白干潟のクロツラヘラサギ
2011.09.27
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プレートテクトニクスプレートはアセノスフェアが対流し融解したリソスフェアが地表で新しい地殻となる。反対側のヘリの古い 地殻がアセノスフェアに引き込まれ深部で溶解する。2億年後大陸はひとつになる。第二バンケアとな る。ひとつの大陸とひとつの大海となる。それは、3億年前に形成されたバンケアは、2億年前に分裂し 始めた世界に回帰する訳だ。人間が絶滅したあと1億年後に大量絶滅で陸生の脊椎動物は死に絶え る。そのニッチを埋めるのは、たこ、いかなどの進化した頭足類だという。2億年後には、8トンのいか(メ ガスクイド)が地上を押し歩くのだ。想像するだけで、愉しくなりますね。 ヒトは、通過点でしかない・・・。
2011.09.27
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梶井の「ある心の風景」の中で、その鈴の音は、「・・・美しい枯れた音がした。人びとのなかでは聞こえなくなり、夜更けの道で鳴り出すそれは、彼の心の象徴のように思へた。・・・病気に汚れた彼の血を、洗ひ清めてくれるのだ。」「俺はだんだん癒されてゆくぞ・・・」。詩的なその表現の中にあるのは日本的な文学を想起させずには措かない。 コロコロ、コロコロ、彼の小さな希望は深夜の空気を清らかに震はせた。 ・これは、性病と肺病という絶望を抱えた若者が抱く束の間の安らぎを詩的に表現したものだろう。鈴の音に彼の心象風景を描いている。これは「檸檬」と心象風景としてはパラレルなものでもある。「檸檬」では、爆発させたが、ここでは調和を図っている。 ・へ2・・・この小説の「鈴の音」を読んだとき、心が耳を澄ますのだろうと思った。淋しさが求めるものは影であり、音にもなる。自分の心が狭ければ、その中で埋没もする。>熊本城
2011.09.27
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花がつぼみを破るのは何故か。果実が花弁を散らすのは何故か。熟した種子がさやを壊すのは何故か。それは、先行するものが残り続けたら、後続するものが存在し得ないからだ。先行するものが重要であれば後続するものがいつまでたっても現われないことになるだろう。完璧でないから、引き継がれるし、進化もあるのだろう。多くの存在は、帰結のための前提だろう。つまり、前提は、帰結というものこそ前提のあり方を正しく解明し発展させ完成させたものだという、まさに帰結のもつ意義を否定しようとしている。前提の方が帰結の存在権を否定している。娘が母に対して恩知らずなのではない。母の方が娘を認知しようとしない。根底においては、娘の方に高次の権利があるだろう。以前のものが利己的なのは、それが自己は欲しているが発展を欲しないからである。「認識の鍵を有すれども、なかに入らず、また入らんとするものを妨げている」 (ブルーノ・バウアー「ユダヤ人問題」より)
2011.09.27
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韓国周遊の旅本気だったらしく予約をしたそうだ。6つの世界遺産を巡る4日間。釜山からソウルを縦断する。知らない寺社ばかりだが、世界遺産だから。行くのは11月末に為る。これから、行き先の寺の由来を調べてみるつもりだ。韓国は釜山には去年行ったし、ソウルもドイツに行った時、一泊しているが、韓国の風土に触れて来たとは言えない。 ・講座で現地学習のバスツアーで隣に座った女性が、韓国のお寺を周るのが趣味だと言われて、勧められたことがあったが、素晴らしいので是非と言われていた。本当に行くことに為るとは思わなかった。これも妻のパワー・スポットの寺社巡りの副産物らしい。釜山からソウルまで周遊しながら北上するらしい。 ・へ2・・・紅葉は終わっているかも知れないし、寒いのではないだろうか。釜山、慶州、安東、丹陽、ソウルと巡り温泉も楽しめるらしい。さて、元気を出そう。
2011.09.27
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その気にならないと昨夕の夕焼けは綺麗だったらしい。妻が頻り外に出て見るように言っていたが、その気になれなかった。風邪で気分もよくなかったし、それで外に出ろとは無茶なことを言う妻だと。凄い写真が撮れたかもしれない。そういうこともある。その気にならないと、いいチャンスも逃しているだろう。好きな女から誘われているのに行かなかったことがある。運命の別れ道だったかもしれない。 ・アイロニカルなことを自ら選んでいる。勿論自分の判断は悪かったばかりではないだろうが、全部が正しかったわけではない。他人からしろといわれるとしたくなくなる。自分を神様だとでも思ってしまう。それが人間でもある。自分が好きな人がその人も自分が好きだと思ってしまう。そうでないことは沢山ある。その気にならないと恋愛もできないのだ。 ・へ2・・・ベクトルがどちらをむいているか。波長の合わないために折角のチャンスも潰れるのがある。盛り上がっているものに水をさすようなことを何度してきたことだろう。いまなら決してしないこともした。それが若さだろうか。全部成功して、あるいはそのために死んでいるかも知れないから、いまこうしていることができるのは、其のなれの果てなのだろう。>和白干潟
2011.09.26
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悪いと思いだす風邪を引いて体調が悪い。風邪をひいたのは久しぶりだ。風邪などひかないと思っていたが、油断もあったのだろう。汗を掻いてウオーキングをした後、追居間で寝てしまったが、気温の差があり、これはまずいかなと思ったが、つい眠ってしまった。直ぐに治ると思っていたが、これも当てが外れた。寒暖の温度差のある季節であり、ついやってしまった。 ・昨夜は、21時ころには寝たから、少しは元気がある。睡眠時間が長くなり、夢を随分見ていた。他人から言われて動くのは良馬ではないそうだが、良馬に為りたい訳ではないが、他人から指摘される前に気付くのは当然のことでもある。自分のことは自分が一番知っていなければならないからだ。評判は当てにはならない。 ・へ2・・・リセットして、初めから今の自分の活き方を見直してみる。出直して遣り直す。一から体制を整えて、何が悪かったのかを、知るのは、悪いことを知って初めて解かる。良い時は、却って危ない。遣り過ぎるからだ。そう思えば風邪もいいものだ。考える時間を呉れたからだ。自分の体が如何に脆いかを知らされた。肝に銘じねばならない。>コスモスが咲いていた。今度の連休で、熊本の幣立神社に行きたいそうだ。ゼロ磁場とか、名水らしい。聞いたことがないが。
2011.09.26
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年月日 曜日 気温 起床 歩数2011/9/1 木 26 3;25 22,5162011/9/2 金 26 2;45 10,8162011/9/3 土 27 3;25 6,2512011/9/4 日 25 3;10 30,9322011/9/5 月 6;10 21,2102011/9/6 火 21 3;00 26,6282011/9/7 水 21 3;10 26,5122011/9/8 木 22 3;30 22,3732011/9/9 金 24 3;40 22,3082011/9/10 土 25 5;55 24,3012011/9/11 日 24 4;35 21,0772011/9/12 月 24 3;41 25,4352011/9/13 火 24 5;38 23,0222011/9/14 水 24 3;25 30,6232011/9/15 木 24 5;05 23,9112011/9/16 金 25 3;35 24,4942011/9/17 土 25 4;05 27,5332011/9/18 日 26 3;35 20,5512011/9/19 月 24 5;25 12,6012011/9/20 火 22 4;05 10,1932011/9/21 水 20 3;30 17,3532011/9/22 木 19 4;25 26,4652011/9/23 金 20 4;30 24,4602011/9/24 土 16 4;25 14,1432011/9/25 日 17 3;25 13,5882011/9/26 月 17 6;35 7,733合計 537,029未だ本調子ではない。夜のウオーキングを止めて用心することに。自然淘汰には、目的がなく、ランダムに起きる。たまたまその時の状況や環境で有利な因子があり、「変異」は想像を超えてモンスターになる。進化時間は長い。生存ではなく繁殖することで遺伝子はは次世代に承継される。 natural selection は、変異のある遺伝子形質に淘汰がある。すべて社会は、その時代のルールで形成されるが、実はランダムが支配している。ヒトは、そうして進化した特質を持つからであろう。はじめから目的などないのだ。ヒトは、GOD を創造したのだ。其れは、必要だったのだろうか。その答えは未だできない。何故目的もなく、巨大脳があるだろうか。神経細胞は、この宇宙をも凌ぐ、ネットワークをもっているのだ。ランダムであることはヒトという種の戦略であることには違いないし、私たちはそれに因って生かされているだろう。エラーを創り、病気でさえも或いは、戦略のひとつであろうか。「ヘイフリックの限界」も同じだろう。どう生きねばならないと考えるのは、寧ろ淘汰に逆らうことになるだろう。ランダムであることが、ひとの特質であることを知らねば、この社会をいつまでも理解できないのだ。
2011.09.26
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認知症の三タイプ・血管性認知症、・レビー小体認知症、・アルツハイマー病型認知症。経度認知症(MCI)加齢による物忘れ度を超えていることなど。ひとの認知症へのステージは様ざま。自分は関係ないと思う根拠はどこにもない。ならないようにどれだけ努力するかであり、それが医学的に意味があるかでもある。注意すべきことを、どこまで真剣に考えているだろうか、自信はない。せめて体を健康に保つことくらいしかできないが、脳も体の一部である。 ・妻と二人で、宗像大社へ、近頃毎週のようにでかけているが、これもストレス解消にはなる。この冬どこかへツアーに行こうと話し合った。まったく違うタイプの夫婦だが、これまで夫婦でいられたのは、理由もある。なければならないのだろう。ツアーはいい潤滑油になっていると思う。これからの暮らしに最悪のケースもありえるが、そうならないこともあるだろう。 ・へ2・・・認知症になりたくはないが、為らない保証はない。どこにその前兆があるかわからないが、知識が最大の武器でもある。
2011.09.26
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<作品> 「吾輩は猫である」最終回。・アンドレア・デル・サルト(Andrea del Sarto, 1486年7月16日 - 1531年1月21日)は、ルネサンス期のイタリアの画家。(ウィキぺディアより)「アンドレア・デル・サルト」は「仕立て屋のアンドレア」の意である。ミケランジェロやラファエロらがローマで華々しく活躍していたのと同じころ、フィレンツェの美術の伝統を守っていた画家である。・問題を含んで作品。難しい。・虚子が書くように勧めたといわれているが、疑問。当初1回のつもりだった。(1の章)。連載のつもりはなかった。同時に「倫敦塔」を出版しているので虚子の勧めもおかしい。自分の意志がある。・気がまぎれるだろう。ではおかしい。他人の言っていることはあてにならない。・漱石の伝説は必ずしも正しくない。・「猫伝」というタイトルだった・・最初から小説を書くつもりではなかったかもしれない。・1では、人の名が出て来ない。・写生文を書こうとした。・虚子や鏡子の証言もあるが、事実かどうか疑問。・虚子の添削がどこかわからない。・小説家としては無名で、虚子の添削がある。(1の章)。その後、それがなくなった。・2も連載のつもりはない。1が売れたので、2を書いた。虚子がホトトギスを売りたい。・即興的な書き方。・ゲマインシャフトとゲゼルシャフトの争い。・個人と集団の闘い。漱石は、集団は苦手。・金田一家・岩崎弥太郎。・・・漱石は目の敵にしている。・「坊っちゃん」「吾輩は猫である」に共通する観念。「集団」をリアルに描けていない。個人についてはリアルだが、集団はない。社会悪を把握していない。・社会集団に対する認識が薄い。・・・対比松本清張。社会悪の内側から見る視点がある。・個人・集団(社会)・・・「それから」・・・「明暗」漱石の認識が高まる。・前近代。反近代。・古い新しいは意味がない。・「猫」を主人公にして書いた作品はそれまでいなかった。という意味で偉大。・文体を偉そうに書いているという評価がある。漱石のエリート意識。・「うっ、と来た」辟易したという感想もある。「猫」を読んで。・漱石の中にあるエリート意識。「集団」と闘うためにエリート意識を持とうとしたのではないか。・大江健三郎にもあるエリート意識。・天然居士。そろり。の墓。事実を書いた。「猫」の中に出てくる。・米山保三郎・・・畏友。逸話の多い人物。・森せん三「月夜車」弥生書房。・漱石には写生文を書くという意識が強い。それが小説に変容して行った。・変幻自在である。・写生文と云うエッセイを書こうとした。それが「猫」になった。・猫として書けば、自己批判も出来る。・「坊っちゃん」の僕が主人公ではない。主筋は違うところにある。坊ちゃんがあとからやってきた。・水島寒月と金田富子の関係。金田富子・・・下品な女。・・・が主筋になる。坊っちゃんのマドンナも同じだが書いていない。・見え隠れしている上の二人の関係がストーリーになる。・「三四郎」もあとからストーリーを書いている。・イギリスのトリストラム・スターン「シャンデイの生涯と意見」・小林信彦・・・落語的。・悲劇が喜劇になる。ベクトルが変わる。・落語の「落ち」がある。・与謝野晶子・・・「みだれ髪」・・・・浪漫主義へのパロディ。先生の妻の洗い髪・・・はげが落ち。・北越奇譚・苦沙弥先生の妻が、パロディになる。・場面と場面が響きある。同種のもの。・組み立て方がいくつも出てくる。相似形。・同種の場面が繰り返される。・死にそうな目に何度も遇う。それが小説のキーになる。つねに死が背後にある。・ステイーヴンスン「自殺クラブ」。・文明批判。個人主義は長続きしない。個人主義と死の誘惑。理由がはっきりしないものを引き寄せる。現代でも当たっている。個人主義が招いている自殺がある。・@おれが、おれが」は、個人主義。それが、死につながる。・首くくりの話。・悲劇と喜劇が表裏にある。・漱石は「連想中枢」が発達していた。(死後の漱石の脳の解剖で証明されている)。・日本人は元々連想的。・方法的だが、資質がそうさせている。・前と後ろが繋がる。本を読むのも自分の読み癖による。作家にもあるので重なる人と会わない人がいて当然。・ストーリー上の繋がりではない。理屈ではない。同じパターンの繰り返し。・作家をどう読むか。それが問題。・漱石は悲劇から喜劇への繰り返しである。「落語」の落ちと下げ。・落語の延長として「猫」を読むと解かる。前近代・反近代。・無関係と思われるものがあとで繋がる。・ブラックユーモア。落語でも、人間の死をコミカルに描く場面がある。・主人と猫が初めてであるシーン。「吾輩の顔をしばらく眺めておったが、・・・やがてそんなら」猫と主人の表裏の関係。通じ合う関係。主人は、同情した。捨て猫への同情。ポイント。・同情から始まっている。主人から拾われる瞬間。主人だけである。・迷亭像が、1章と2章では、人物像が変化している。・車屋の黒の憐れな最期。心象風景が書かれている。情景描写でもそれを締めくくっている。・1の終わりと13の終わりと同じ終わり方をする。・8 「鏡」が出てくる。自分の正体を晒すから。狂人扱いされた。あばた顔でコミカルに描いている。深刻さがないように書く。・逆上。インスピレーション。異常なもの。狂人。カフカ変身。・狂気から異常なものが生まれる。自覚している。漱石自身でも思っている。・おれは可笑しいかもしれないと思う。 9章。・笑いと悲惨とが、内省的になる。・自分の中の非情さを感じている。苦沙弥は非情に書いている。漱石は違うのではないか。・「水底の感」藤村操女子。寺田寅彦宛の手紙。漱石と寺田との関係が出てくる。・自己批評に向かう。内省的。寒月には、同情があるが、先生にはないように書いている。・呑気と悲しいの表裏にある。漱石の構造の中核。「猫」も同じ。・悲しいと美しい・・・川端の世界。<終り>
2011.09.26
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・明治維新以後、仏教は国家主義に従属させられた。国家神道が日本の初等教育を支配し、仏教は公教育から排除されてしまう。それとキリスト教という世界規模の強力な敵が現われたのだ。日本の近代化は一挙に仏教を足元から崩していった。 ・へ2・・・明治の仏教学に挑んだ河口慧海であり、大谷光瑞が大乗仏教研究に取り組んだ。仏教には大乗仏教と小乗仏教があるが、日本では長い間大乗仏教を信じてきたが、しかしサンスクリット原典研究に基づく西欧の仏教学では、小乗仏教こそ釈迦の仏教であり、むしろ大乗仏教は、仏滅後500年後に出現した龍樹の開いた異端仏教であることが科学的に証明された。この近代仏教学と千数百年にわたる日本の信仰をどう調和させるのか、明治の仏教者を悩ませる頭の痛い問題が出てきた。 ・インドで生まれた仏教は、一時は東アジアを風靡したが、インドの仏教は衰退し、仏教国としてはスリランカ、東南アジア諸国、チベット、中国、朝鮮、日本などしかない。スリランカ、東アジア諸国は小乗仏教であり、中国、朝鮮も仏教は名ばかりのことで振るわない存在であり、日本とチベットだけが純粋な大乗仏教の国である。しかし今やチベットも中国の支配下にある。 ・へ2・・・どうも仏教は、求心力を失いつつあるのではないだろうか。西域探検などを進めて行くべきであり、もし仏教に活路があるとすれば、仏典の発掘は宝探しになる。しかしそれが偉大な思想の出会いになるとしたら充分に価値のある仕事になるだろう。>和白干潟 もうすぐ渡り鳥が見られるだろう。
2011.09.26
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からだの不思議何がどう可笑しくなったのか風邪をひいてしまった。気温の差が激しかったからだろうか。毎日ウオーキングもしているし、今年は風邪はひかないだろうと思っていた矢先だ。体が冷えてもすぐに温かくなって、体力がついてきたと思っていたが、それは思い上がっていたのだろう。40ヶ月続けているウオーキングも何の保障にもならないのだろうか。 ・貯金の出来ないからだでもある。更に大きなダメージの前には沈黙もする。それでも、ウオーキング効果は、今の私には欠かす事の出来ないことでもある。朝のウオーキングをしていないので、これからゴルフ場でも一周して来たいと思う。できることをするしかない。どこから崩れてくるか解らないのが健康でもある。 ・へ2・・・悪いと思えば引返す。好いと思えば続ける。その繰り返しだ。このブログも長くなったが、進歩はあるだろうか。同じことを書いてもいる。何がどう違って視るか、それを発見するしかない。日の出も、日の入りも毎日のように変化している。安心は油断にもなる。緊張も時には必要だし。風邪もひいてしまうのが人間なのだろう。更に遠くを視ることだ。>バンベルク
2011.09.26
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リリー・マルレーン歌はどこかで聴いたことが何度かあるが、映画は初めてだった。「ブリキの太鼓」にするかどうか、講師は迷ったのだそうだが、もう一度見たかった。それでも見ようと思えば、DVDで借りてきて観れないことはない。今日の講座はニュー・ジャーマン・シネマの分野の紹介だった。敗戦からドイツ人は這い上がってきた。資金もなく、名誉も傷つけられながら、芸術を捨てないところはゲーテの子孫たちだけのことはある。没落した映画の復活を願っていたのは送り手だけではない受け手の方のもある。 ・芸術と文化に対する熱意が、優れた作品を生む土壌になる。戦場に流れたリリー・マルレーンの歌は、抑えがたい恋人たちへ想いとともに兵士たちのこころを震わせたのだろう。死ぬことしか考えなかった人たちばかりが人間ではない。砲弾に吹き飛ばされる人間たちのシーンの中に、リリー・マルレーンのフレーズが切ない。 ・へ2・・・こうして「ドイツの映画史」を、学んでいるが、確りした歴史認識の上で、年代ごとに解説されているドイツ人講師が、たとえ短い時間だとしても、日本の市民に日本語で解説されるということは素晴らしいことだと思わずにはいられない。日本の映画史を、ドイツの市民にドイツ語で、解説しながら照会している人がどれだけいるだろうか?文化のレベルの違いではないだろうか?
2011.09.26
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<作品>「光と風と夢」・代表作。芥川賞候補。落選した理由が解からない。・賛否の分かれる作品。・吉田健一は高い評価をした。・第十五回芥川賞選評では、川端と室生が賞賛したが他の委員が評価しなかった。横光は触れてもいない。時代背景と、斬新さ。・平凡な日常を描いており、面白くない。散漫で焦点が定まらないとの評価。・中村光夫は、「欠点であり、否定的なものが、長所にもなる」と言った。時局に受け入れられない。作品は、300ページに及ぶ長編の作品であり、当然散漫な部分もあり、新しい形式が受け入れられなかった。・川端は流石に鋭い視点で「受賞しないのは訳が解からないと評した。横光は、その反対。・中島は、英文学に進むと思われていた人物で、英語にも漢文にも通じていた。・吉田は、漱石、鴎外に次ぐ作家として中島を評価した。・英語は、スラスラと読める日本語になっている。・英語や中国語を理解できる能力に優れている作家は、そうはいない。・文学は文章である。・「文学と筋」についての議論があり、芥川と谷崎の間で論争があった。芥川は、筋(ストーリー)は要らない。その後自殺した。・谷崎は、小説は筋(ストーリー)である。・この作品の結末の描写で、鴎外の「阿部一族」最後の切腹の前に、「風鈴が鳴り」、「ヤンマが一匹とまっている」など、連想させるものがある。・この作品に初めに、友人の父の死の描写があるが、カフカの作品のような箇所がある。・無名の人の死と有名な作家の死が同等に書かれている。上下の関係ではない。フレームが最初からできており、それが最後の描写のフレームに繋がっている。・「山月記」の李徴にも通じている。・作家としてではなく、生活者としても描かれ両方を中島敦は書きたかったのではないか。・ありのままを、それこそ小説(ストーリー)にならないものを敢えて小説にしようとしたのではないか。どうでもいいようなことを書いている。それが寧ろ小説ではないか。・散漫になっているのは、敢えてそうしているのではないか。・ムダなものが、むしろ必要である。・300枚も書いたのは、それが欠点であるが長所にもなる。判ってそれを書いている。中島の狙いはそこにある。・欠点になることを敢えて書いている。それが長所になることもあると言いたいのではないか。・退屈のように視えてそうではない。それが日常でもある。・当時の日本人で欧米人を理解できる作家だった。・「タンタラの死」。語り部。著名な語り部として。・「光と風と夢」の題名に付いて、出版社から変更を勧められた中島は、納得していたかどうか。・触れている箇所は一箇所しかない。「明るい光と風の中に」・作品を短縮したのは時局もある。(昭和15年に書かれた)。芥川賞どころではなかった。・その頃何故こんな作品を書いたのか。・国策にそわないとも言えない。当時の空気のようなもの。当時の人でなければ解らない正直な感想もある。・この作品と時局の問題は、未解決のままで、いつまでもおそらく解らないだろう。・安岡章太郎。・当時の流行の「告白」を漱石、鴎外、中島は嫌った。資料を重視した。・スティーブンスンに託して中島の想いを書いている。そこが魅力にもなる。客観的に書いては面白くない。・「李徴」の中にも中島の想いが表現されている。中島の小説に対する思いを書いている。・名を為しと思いながら想いを遂げることができない。・芸術家と市民の意識の違い。・「山月記」李徴。・ディケンズとフローベルの違い。・作家と一般人。一般人がもっと大人である。・中島の中にも、作家よりも一般人が大人という考えがある。・作家として作家を書くだけでは買う、島民の姿を同等に書く。・人間の苦悩。・余分なものも敢えて書く。・一人の人間の顔を色んな角度から描く。・文学・・・ふつうのこと。一般人のことを書く。・年々年をとると愚かになる。不安の様子。・中島は自分のことかスティーブンスンのことか解らなくなっているところがある。・「牛肉と馬鈴薯」 「死を驚けない」・道・・・比喩、象徴的表現として。・「熱帯の白い道」・中島の頭の中に「鴎外」いた。・吾は誰か。・ドッペルゲンゲル・仮面から素面になって書いている。その瞬間、欠点が美点にもなる。・自己否定。これから書くものが重要。過去の作品はどうでもよい。自分の過去を否定したくなる。・「檸檬」調和が治まらなくなり爆発する。「虎になる」。・最後に「阿部一族」のさわりを遣っている。・作家の死で終わっていない。「終わりは始まり」死はおさまりがつかない。「細雪」ゆきこの下痢で終わる。結末で、終わらせたくない。穏やかに終わらせたくない感情がある。・「死と生」・単純には読めない。フレームが最初と最後にある。
2011.09.26
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人生計画今頃に為って考えても遅い。これからできることは限られている。もっとすべきことはあったのだろう。徒なことしてきたが、自分ではまともなつもりでいたが、どうもそれが陳腐でもある。八方美人で活きることなど自分にはできないだろうし、それが好いとも思わない。学に対する憧れは向上心といえるのだろうか。それほど甘くもない。公徳心さえ恣意的でしかない。自分の利己的な欲望を否定はできない。 ・ぼんやりしていたら、もう昼も近い。昼からでも少し、歩いてみるつもりではいる。あることを成し遂げて、自分の想いを書いてみたいと思うのだろうか、ただ多くの書物を読んで、自分の想念を活字にしたいのか。中島敦の文学の本質は何だろうか。それは文化的価値なのか。それから学ぶべき意味があるだろうか。彼より二倍も長く生きて、感じるものはそのことでもある。 ・へ2・・・徒が徒ではない。然し徒は徒かもしれない。だから徒でもある。他人と同じことをしているが、それは自分には初めてのことばかりだ。だからそれでいいのだろうか。人生の計画を、曖昧に考えていたのだろう。どうせ自分の思うようにはならないと諦めていた。出来ることを真剣に考えてやれば好かったと思う。あとのまつりばかり。
2011.09.26
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真実を知りたいフィクションで表現される中にも真実があるだろうか。ありのままに描くことの出来ない現実社会があるに違いない。原発の現場の研究者がどれだけ事実を開示しているだろうか。中島敦の何がどう凄いのか。未だよくわからない。解らないのは、知ろうとしないからだろうか。現実と違う小説の世界は、だからこそその意味もあるに違いない。価値がなさそうである。役に立ちそうにないからある。 ・逆説的な視点から、物事は視えても来る。権力も権威も、あると思えばない。無いと思うところにある。空即是色。是故空中。照見五蘊皆空。何故その人にできて、他の人にはできないのだろうか。辻井博行氏のピアノ演奏に感動するのだろうか。「山月記」「李陵」と「わが西遊記」と、何故日本ではなく、中国なのだろうか。そこに作家の意図がある。 ・へ2・・・どんなものも時が過ぎれば色褪せる。いつまでも新鮮ではない。だからフィクションでもある。そして、自分でなければ解らない感動というものは、出掛けて見てくるしかない。何度でも、読み返して、感じるものがその度に新鮮であるものが本の価値でもある。
2011.09.26
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今日はのんびり風邪がまだ残っているので、少しリラックスして遣ろうと。今朝のウオーキングは止めて、昼から歩こうと思っている。こういう日もある。3時ころに目が覚めて起きようかと思ったが、まだ少し体が重く感じたので、二度寝して起きたのが6時過ぎに為ってしまった。そとは曇っているらしく暗いようだ。 ・気温の差が、風邪の原因にもなったのだろう。油断すると拗らせもする。ゆっくり構えていないと、詰まらないことでも躓くだろう。それがこれまでの自分の経験で知っている。なる前に予防するのが、効果的だ。それは言えると思う。急いで好いことはない。 ・へ2・・・これから愈々秋も深まるだろう。寒くもなっていく。これまで20℃以上が続いていた朝の気温も、寒くなっていく。そろそろ冬に為る準備も必要なのだ。今日は図書館は休みだが、頼んでいた本はきているようだ。明日にでも出かけるつもり。今日はのんびり過ごそう。
2011.09.26
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