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また10時間以上狭い座席でじっとしていなければならないが、段々苦痛になってきた。それが老化というものなのだろう。10年前は、ビールを飲んでうつらうつらしながら、頭の中で太陽と競争しているジェット機のスピードを考えて楽しんでいたものだ。到底人工衛星の宇宙士にはなれないが 雲の上を飛んでいる気分だけでも爽快な気持がしたものだ。 ・21世紀と言う時代の体験者でもある自分の幸運を思ったりした。現実社会はどうだろうか。市井に生きるものでしかないが、この戦後日本の歴史を見てきたひとりでもある。夢の中を千鳥足で生きてきた。吹けば飛ぶような鳥の羽でしかない。2年前、九大病院で目の手術をしたが、手術室はどこかでみた宇宙基地のような感じがした。 これが現代医学なのだと。 ・へ2・・・確かに、現代医学の恩恵を受けている。それこそ惨めな一生で終わらなければならなかったのは、つい以前のことだったのだ。アンコールワットに行った時も、周辺にあった地雷が取り除かれてからそれほど月日は経過していなかった。もう平和で、戦争はないと信じていたが、それはデマゴーグでしかなかった。 いくら嘘をついても許されていいはずはない。
2016.05.31
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5月も何となく逃げてしまったような毎日だった気がしている。6月は、講座もあるし、定期診察や、娘のカンボジアと、私のツアーも控えている。梅雨入りもあるだろうし、つつがなくいってほしいがどうだろうか。食うか食われるか、また政府は、ツケを先に回そうとばかりしている。 それにしても茶番劇ばかりしていて、この国の未来は寒い。 ・それにしても大企業にしても、政治も、大学も権威も権力も、化けの皮剥がれてしまっている。情けないと思うのは私ばかりではない。若者たちは余計に思うだろう。そして絶望してしまいかねない。国が滅ぶのは、そうしたプロセスがあるものだ。自滅していくおとなの姿を見せつけてしまうからだ。 ・へ2・・・バブル崩壊は、なぜ起きただろうか。日本の銀行はしてやられた。安易に信用すれば、ハイエナたちに食い物にされてしまう。そのことを思い知った筈だ。戦前の日本は、今の北朝鮮と変わりはなかった。なぜ俯瞰的に世界を見ようとしないだろうか。それは政府が、適材適所を遣らないからでしかない。私利私欲の連中が、この国の未来を捻じ曲げようとしている。
2016.05.31
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昨夜、福岡市は曇りで、雲の合間からスーパーマーズがわずかに見えていたが、写真を撮ろうとしたができなかった。いままた外に出て見たが、まだ晴れていない。勿論自分のカメラで大した写真が撮れるのではない。 気分だけでも味わいたいだけだ。宇宙の話は、私たちには、まるで童話のようなレベルでしかないが、夢がある。 ・世俗のごみの中で暮らしている。つまらないことに悩まされている。それはこの社会が、欲望のるつぼを彷徨い続けているからでもある。なぜ身内に甘く、他人に冷たいのだろうか。私欲を先にして大衆を顧みないのだろうか。高圧的な男が、政権を恣意的に蹂躙するだろうか。ころりとインテリジェンスにやられた首相もいたらしい。 ・へ2・・・どろどろした政治の世界がある。アヘン戦争さえあったのだ。人間を道具のように使う国家さえ未だにあるらしい。数千万人の国民がおり乍ら、独裁国がある。 誰も鈴をつけるだけの勇気がないのだろうか。臆病な人間たちの運命はややもすれば屈辱的な一生になりがちだ。孤独に生きていたとしても自由は尊いものだと思う。
2016.05.31
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心身はダメージによって影響を受ける。その痛みを直ぐ感じればいいが、それが中々そう甘くはない。加齢によって自分を誤魔化しているものが出てくるようだ。痛みは鈍化もする。自分のダメージの大きさに気付かない人もいる。選択が間違っても来る。何を優先して行動すべきだろうか。それはいつも頭を悩ませる。MJが50歳で急死した。意外とどれだけ有名人だろうと、個人の死は軽視されている。 ・ひとはよく死ぬからだろうか?その軌跡は、まるで死を急いでいるようにさえ見える。有名人とは、商品でしかないだろうか。色褪せれば消えて行くしかない。輝き続ければならない宿命だろうか。いつかあのMJの「スリラー」になるだろうと。墓場から蘇ることができるのは映像でしかできない。突き詰めれば、生命の容も1クールでしかない。 ・へ2・・・無茶をすればその報いを受ける。自分の莫迦はいのちに係わってもいる。静かに顧みることのできる人間だけが、その痛みに気付くことができる。アクションがあればリアクションが必ずある。
2016.05.31
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特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンド リアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍 高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁では ない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発 ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしない と家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてく る。熱力学第二法則のエントロピー増大は、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 問題の所在は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているの だ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。 どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ 移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな 異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは消去される。
2016.05.31
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ひとは、同じ場所に止まることはできない。常に呼吸をし食わねばならないのだ。 生きているとはそういうことではないか。平穏であろうとするのは、希望でしかな いだろう。私たち夫婦も、ひとなみの試練を超えて来ただろう。やっと辿りついて センチメンタル・ジャニー。誰にも祝福されなくとも良い。あるのは今 日という一日を生きていられることだろう。僅かな時間を少しでも拡げようとひと は苦難を背負い込んでいる気がする。他人がどうであろうとわが身をふりかえり為 すことはないかを考えるべきだろう。欲を掻けば掻くほど視野は狭くなり、深みに 嵌るかも知れない。然し、このままでもいられない。チーズを探しにネズミになら なければならないが、それも良いだろう。ひとの介護をしてみれば良い。 酸素を呼吸して、肺を動かし、食べ物が美味しいと思えるだけでも充分幸福感に ひたるだけの謙虚ささえあれば、どこででも活きて行けるだろう。
2016.05.31
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山川捨松は大山捨松になり、鹿鳴館の貴婦人になっていた。小説「不如帰」の「人間はなぜ死ぬのでしょう!生きたいわ!千年も万年も生きたいわ!」のヒロインの浪子の実家で継母にいじめられるその継母が捨松がモデルだったという。それは事実と違い、虚像だったようだ。捨松は、日本人女性で最初に大学を卒業したひとであり、さらに看護婦の教育も受けたひとで、隔離などしたのは、当時肺病の伝染を怖れた処置だったようだ。捨松は日本赤十字社のボランテイア活動をするなど日露戦争当時のアメリカの世論は日本びいきでもあった。日本の総司令官の夫人がアメリカの大学の卒業生と報じたからだ。アメリカの寄付金は捨松のもとに送られ慈善活動に使われた。当時としては画期的なことだ。 それこそ鹿鳴館の仇花ではない。蘆花が脚色しただけだろう。それにしても津田梅子が亡くなり、その後捨松が女子英学塾を塾長の就任式までしながら、その翌日から体調を崩し、60年の生涯を閉じているのは惜しまれる。それにしても岩倉使節団の留学生の一人として当時捨松は12歳であった。10年の留学を終えて帰国したが、待っていたのはあまりにも違いすぎる社会であった。 そして、捨松は漢字を殆ど忘れ、考え方もアメリカ的になっていた。男尊女卑の風潮は、高等教育をうけても女性の活動できる場がなかったからだ。日本語の文章が殆ど書けなかったという。それでも立派に最初の留学生としての仕事を遣り通したといえるだろう。異質な経歴を持つ捨松への偏見が虚像をもつくりあげたのでもあろう。
2016.05.31
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混在した社会の特徴は、人の軽さと重さが複雑化する。高度化した社会では、その社会に適応できるための教育は不可欠でもある。経済が優先して、庶民は置いて行かれがちになる。必要な人間だけが優遇され、一般の大衆は差別されてしまう。それが愚かな大衆かどうかはわからない。先鋭化して行く国際社会では、情報の遅延が致命傷にもなるからだ。学者は、時に高慢であり、気紛れであり、無恥でもある。優しさは一時のことでしかない。 ・知識を共有化できない社会は衰退する。先生がいつまでも学生を見下している間は、相互理解に進歩は望めないだろう。生徒が理解するように努力しない教師は先生ではない。何が足りないかを指摘できないようでは視えていないのと同じだろう。先日、高速道を行くバスに乗った時、長い高い壁の横を通ったが、高いビルの上部だけしか見えなかった。それを観ながら、自分も段々歳をとり高い長い壁が周囲を取り囲こまれるようになっているのではないかと云う思いに捉われた。 ・へ2・・・正しく物事を把握できるためには、多くの要件がいる。原因が自分にあるものと自分以外にあるものがある。他人がいつも優しく親切な人ばかりではない。差別することが当然だという高慢な人間もいるし、無恥なひともいるだろう。大学が市民から尊敬され支持されなければその国家の将来はない。開かれた大学が必要なのは国際社会がそれを必要としているからに外ならない。その努力をしない大学は消されるだろう。志の高い人間を育てる社会こそこれから望まれると思う。
2016.05.31
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「一夜」 ・問題となるのは、「折から烈しき戸鈴の響がして何者か門口をあける。・・・」。 ・「合わせ鏡」になっている。こちら世界の三人と、隣の世界の女ひとりと男二人をそれとなく書いている。清浄と醜悪な世界。精神と肉体、対比させている。 ・隣りでは、生々しい現実を想像させている。乱れた男女の関係がある。然しそれとは明確に表現せず、想像させる方がインパクトがあることを漱石は想定している。 ・隣の関係が現実社会である。違う男が登場してくる。三角関係。女一人に男二人。 ・清と濁。 ・「こちらの世界の女は、「誹」と賤しむごとく答える。」 ・髭のある男と髭のない男が象徴的に区別された人格者として描かれる。 ・「琴の」合奏・・・男と女の関係を指している。匂わせる。 ・タイトルには意味がある。比喩。「趣味」・・・男と女。 ・「グループ」・・・で読む意味がある。三人と三人として。 ・「倫敦塔」地獄の門。漱石の翻訳。ダンテの翻訳をした。「神曲」地獄篇。十五歌。 地獄である魂。これらの引用。 ・トリスタン・イズ・物語。 「幻影の盾」 ・フランチェスカ 「パオロ・フランチェスカ」(「行人」) ・ランスロット 「かい露行」 に出てくる。 ・漱石は連想で書く作家。 ・運命的な出逢い。不倫の恋。で地獄に落ちる。 ・ダンテの影響。 ・「在天の処女」。 ・ユリの花に包まれた女。 ・「神曲」と「漾虚集」の関係がある。 ・「神曲」を読んだほうがよい。 ・「一夜」は、こちらでは何も起こらない。然し、現実社会の、「隣」では男女の醜い三角関係がある(汚れた社会)。 ・「かい露行」との関係がある。 ・ミステリーが解けないと解からない小説・仕組まれた内容である。
2016.05.31
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ブッダはスッタニパータで「道の人」とある。高い所にいる人というだけではない。いつも歩いていると、道が綺麗なだけではないと感じて嫌にもなる。随分最近は、煙草の吸殻は減っているが、それは道を清掃する人が毎朝歩いて拾っている。ごみ袋を片手に早朝、雨の日も歩いて拾っている。制服をしているので仕事なのだろう。食べたものを道路に捨てる連中がいるのは文化の低さでもあろう。 ・道路で煙草を吸っている連中がいると蹴飛ばしたくなる。自分の町だから何をしてもいいと思っているのだろうか。それは自分に何をされてもいいということの裏返しでもある。守るものの何もない人がすることだ。自分の家の中だけで、他所はどんなになっていようと構わないという人間もいる。道の人に出逢うことは一生ないだろう。道は、心に通じている。 ・へ2・・・何時も平和で幸福ではない。辛い時も悲しい時もある。狭い路地も、広い道路もある。人の歩く道は、車道や様ざまな危険物や障害物や、汚物が溢れてもいる。道を汚している人もいれば、それを清掃している人たちがいる。もう誰も裸足で歩いている人はおるまい。コンクリートの硬い道しか知らないからだ。
2016.05.31
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パラドックス (paradox) という言葉は難しいが、正しそうに見える前提と、妥当に見える推論から、受け入れがたい結論が得られる事を指す。「ジレンマ」、「矛盾」、「意図に反した結果」、「理論と現実のギャップ」等、文脈により様々な意味に用いられる。 (Wikipedia) 「漱石神話」には落とし穴がある。「神話」とはそういうものだ。自分と他人との間にあるパラドックスは、解消されることはない。漱石を理解することが難しいのは、自分と他人との関係を公平に理解するのと同じくらい困難なことなのだろう。 ・それこそ漱石を神話化することが可笑しいのだ。誰にも欠点はある。自分を理解して欲しいという願望も所詮は無駄に終わるに決まっている。それを試みることを嘲笑することはできないだけだ。カエルはオタマジャクシから変態する。カエルは飛び上がるが飛ぶことはできない。跳ねるだけだ。カエルは、遺伝子の設計通りの一生を過ごすだけだろう。過酷な環境は人間も同じだ。自分と他人と根幹ではパラドックスがある。競合している世界では、利害は一致しない。 ・へ2・・・自分のことが自分ではよく見えないのは、他人の指摘がよく当たることでもわかる。解かっていない自分が分母だろう。無意識の方が自分の大部分でもある。屹度、変な人間なのだろう。笑い飛ばせばよいのではないだろうか。
2016.05.31
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哺乳類の場合、母親による投資と父親による投資はまったく同等ではない。オスは ・・・くらいだが、メスは排卵、妊娠、授乳をしなければならない。生物学的にコス トの高い一連の過程に母親は、拘束され繁殖できない。この不平等に対して性淘汰 がある。性淘汰は、メスの選り好みで為される。メスにとって、選択は単なる美的 好みではなかった。最新の研究では、一部のメスは子に伝達できるオスの遺伝的メ リットを考慮して配偶者を選んでいる。メスにかかる淘汰圧は一頭の♂に繁殖を独 占されないようにしなければならないからだ。メスの審美眼に遺伝的なメリットが 在るかも知れない。シンメトリーもあるかも知れない。人間の場合なら、左右の耳 たぶ、頬骨、顎骨、肘が動物の基本的にシンメトリーになるはずの形質だという。 この形質に偏りを及ぼすストレスがある。環境上の問題で、生物体の発達が妨げら れてしまうのだ。かかるシンメトリーのゆらぎがある。環境の変化、汚染、病気、 あたらしいパラサイトなどが野生動物に及ぼす被害を調べた生物学者によって構築 されている。要するに、それが最もシンメトリーな♂なのだ。自分の子の父親とな る♂を実験室のテストで選ぶことのできないメスにとっては、次善の策となる。 シリアゲムシは、シンメトリーな♂は、一種独特のフェロモンを発しているかも知 れない。これらは、メスが計算高い戦略家であることをしめすだろうか。 配偶者選択を強制されたメスに負わされるコストは相当なものだという。 メスの決断は、性淘汰において重要な意味をもつだろう。どの母親にとっても、 人生はターニングポイントと決断の連続である。 自然界において、自己犠牲的な母親が、如何に特殊な生き物であるかがわかる。 余程逼迫した環境下でもない限り、普遍的な性質として進化することはない。 それがあるのは一回繁殖の種でしかない。多回繁殖にはないという。 段々面白くなってきたが、休憩します。私も人生のターニングポイントにおり、 決断をしなければならない時が来るでしょうね。
2016.05.31
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肝心な時にへまをしがちなのが人間でもある。他人さまがまだ失笑してくれるくらいはいいが。軽蔑されたり、嘲笑されたくはないが、それはないとも限らない。びくびくして度胸がない。自分ではそう子供のころから思っていた。これではいけないと、夜の道を歩いたり、わざわざ夜の墓場にいったりした。独り芝居ばかりしていた気がする。 ・幼いころに見た湯かんもある。密教を読み始めたが庶民の文化のにおいがある。人生観や世界観が周囲に残っている気がする。ことばの文化の中で自然に教えられた知恵でもある。インドや中国にはない日本の文化を形成しているのだろう。人は何かにすがろうとするが、そんなものはない。 ・へ2・・・孤独から立ち上がるしかない。孤独な島国の住人であり、孤独の遺伝子をもってうまれてきたのだ。自分の人生の演出ができるだろうか。それを試してみるしかない。顚倒するかしないか。それが問題だ。
2016.05.31
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1931年9月「満州事変」が勃発して、思想界の右傾化が強化された。治安立法強化政策のもとでの権力による国民思想画一化の方向を極端にまでに進めたといわれる。京大事件、美濃部事件と連なる大学の自由が攻撃された。それはやがてなだれ現象となり、いくつくはてが待っていた。 日露戦争で与謝野晶子が「君死にたまうことなかれ」と反戦歌をつくった。勿論そればかりではないが、その屈折した感情はむしろ儚くも悲しいものだ。のみ込まれていく濁流の断末魔のようでもある。 家永三郎の「続わたしが思うこと」の中で、紹介している一文がある。 「・・・ノートを写すためか下をむいていて先生の入室に気づかなかった一人の学友は、「あなたは敬礼をしましたか?」と叱責された。学生を「あなた」と呼ぶのは、「君」という文字は至尊についてだけ用いるものという先生の信念によるものである。小学校に逆戻りしたおもいがした」と書いている。まさに教師と学生が分断されていったのだろう。 付和雷同ということばは好きではない。しかしそれが時に大衆を狂わせるかもしれない。ナチズムがそうであり、天皇神格化もそうであった。これは ひとのもつ meme がかかわっている。狂気はなだれ現象を起こしかねないだろう。
2016.05.31
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人生は、恋に破れ、夢も破れて、やがて世間から見捨てられて行くものだろう。たとえどんな人間でも、自分の思うように一生はあるのではあるまい。他人には知られたくない恥ずかしい自分がいるものだ。死を覚悟できるまで、そう簡単でもないし、それだけの勇気も必要である。結果が問題ではなく、どう生きたか、そのプロセスが問題なのだと教えられた。然し、つい結果ばかり気にしていた。愚かな人間でもある。 ・他人に負けまいと足掻き苦しんでも来たが、結果は夢破れた。インドツアーに行き、やっぱり良かったのだろう。もっと後でいいと思っていたが、もうその時期に来ていたのかもしれない。そう思うのは、いまだから解るものがあるのかもしれないという予感でもある。弱ってしまった気力では何も理解できないかもしれない。そう思う節もあるからだ。 ・へ2・・・一人ではなく、妻も同行したこともある。あとでは二人では行けなかっただろう。まだぼわっとした思いであり、充分整理できていないが予感めいたものだ。ショートしてしまうかもしれないが、考え続けたい。誰も辿ることを私もしているのだろう。まだしなければならない課題を抱えている。プロセスはこれかももある。
2016.05.31
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5月末まで、朝から和白干潟へ観察に行くことにしていたが、明日からは、時々行くことにする。今朝もほとんど野鳥はいなかった。渡り鳥たちも越冬を終えて飛び立ってしまったし、シラサギたちも繁殖行動が終わりつつある。干潟も静かになるのだろう。午後清原選手の判決がされて執行猶予が付いたらしい。 予想通りだ。それでも再起は厳しい。 ・それこそ毎日のように事件や事故がある。昼間のテレビはミステリーばかりやっている。どうもまともな神経では、この国では暮らしていけないようだ。舛添都知事の公表されている経歴をネットで見ていたが、どれだけの投票した都民が知っているのだろうか。当然だと思うだろうか。それでもまだ本人は都知事を辞めないつもりらしい。高圧な態度はポーズだろうか。何れにしてもそれが彼のこれまでの生き方でもあるのだろう。 ・へ2・・・消費税増税を延期といったり、同時選挙をしないといったりしているが、それは 嘘かも知れない。その嘘は方便なのだろうか。世の中の嘘を見抜けないと、酷い目に遭うのだ。オタマジャクシはカエルになることを知らない。刑務所の檻の中に入ってから法社会の厳しさを知るようでは遅い。溝の中に墜ちてから、後悔しても日本社会や経済は救われない。
2016.05.31
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およそ、ひとの幸福とは似通って平凡だが、苦悩はひとそれぞれ千差万別にある。四苦八苦している。もっとゆっくり考えられないものだろうか。しかし不幸感で固まった意識を解きほぐすことはできるだろう。それは宗教でなくともできるだろう。地獄も極楽もひとが創った概念でしかない。幸福ではなく極楽を求めるのであれば話は別だろうか。 ・物書きというのは、自分勝手なことを書いているがそれが自覚できているかで相当違ったものになるだろう。自分の意識内でしかわからないのだから、他者を認めなければ自己本位なものになる。ひとの「幸福」も、一般的な幸せのコンセプトでしか語ることはできないだろう。 ・へ2・・・ある芥川賞を貰った坊主さんが、如何にもわかったようなことを書いている。修行者であることを忘れている。世間から認知された坊主だと勘違いしている。世の中を知ったつもりでもいる。何かできるのではないかと思いあがるのだろうか。それが自分の仕事だと思うのだろうか。それで、他人に幸福を齎すことができるとおもうだろうか。よくわからないが、釈迦に説法のような本を出している。 有名だからといって人格が高潔とは限らない。その逆のことが多いではないか。権力や権威がミスリードしてきた歴史がいくらもある。地道な努力をしないで成功ばかりいっているといつかは襤褸が出るだろう。袈裟のしたの鎧がいつか見えてくるだろう。 ひとには常に試練が待っている。それが時にはデッドロックになることもあるのだろう。耐え忍ぶことが出来るものだけが生き残る。 無限に続く苦しみではない。一日は24時間でしかない。長いと思っていた時も過ぎてしまえば、一時の記憶になる。どんな一生になるかは、棺桶に入るまでわかりはしない。油断しないことでしかないのだ。その人の足跡は、すべてデータベースに記録されるようになるのだろう。善人か悪人だったのか。履歴で証明されるだろう。去年の日本の自殺者が25,000人以下になったらしいが、それはそれだけの減らすためのことがされたからであり、それでも、まだ多過ぎるのだ。
2016.05.31
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巨大さや鋭敏さが有利な形質であった時代も永くはないかもしれない。文語体が口語体に為って行ったように、男から女へ、強者から弱者へ。次代のシフトの変化はありうるだろう。ピラミッドの体制であるヒエラルヒーもいつかその価値を失うだろう。いつまでも権力者が統治のために必要な社会ではないかもしれない。産業革命や印刷技術や、情報の集中が覇権を可能にした時代もいつまでも続かない。新しい普遍的価値を見出しうるかだろう。 ・その創造力は突然変異のように起きるのではないだろうか。つまりその要件は、緊急性と非常時にある。想定外の登場になるのではないか。それがなければならない気がする。次代のリーダーになるものは、豊かな社会から生まれないのではなかろうか。虐げられてきたものがもつ優しさや、忍耐強さや、柔らかな感性が力になるのではないだろうか。弱者が自分たちの力に気付くのだ。 ・へ2・・・多数者の意志を知る者が勝つ。それが普遍妥当性につながるものだ。
2016.05.31
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驚いたことにインドの現地ガイドさんは、例の麻原某の現地ガイドもした人だった。数回されたとのことだった。インドの思想の影響を受けたのだろうか。好いも悪いもない。すべてのルーツの源泉があるのではないだろうか。それを使い分けるだけの見識があるかないかだ。どんなところを案内されたのだろうか。興味は湧いたがそれは訊かなかった。
2016.05.31
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インドネシアのフロレス島の場合、体格はさほど重要ではなく、小さな島では食料 が乏しく、カロリー摂取は負担になり、身長1mの小型化に向かった。人類の進化 にも本流から外れた種が存在したことを示している。ドマニシ原人とフロレス原 人の頭骨の相違の発見は、人類進化の研究に於ける最新の成果だ。 私たちの世界は、あらゆるものを生み出す「スープの海」だ。正義とか悪とか 裁けるだけの能力を何のデータなしに判断することなどできはしない。 ひとは、自分のスペースで自分の仕事をすべきだ。そのための努力をすべき でもある。
2016.05.31
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日本では、常識であっても他国ではどうかわからない。世界観も人生観も違う。そのことをツアーをしながら思うことはある。日本だって他国の人から見れば陳腐なことはあるのだろう。綺麗とか汚いも見るべで違う。それこそ日本人が同じ人格を持っているわけではない。どう思うかは勝手であるが、それを他国の人が見て不快感を抱かせるようなことは言うべきでもないし、するべきでもない。いい年齢をした人が、不見識なこともする。 ・それだけ国際化できていないのだろう。お互いに相手の国情を知らなければならないのはそのためでもある。郷に入れば郷に従え。相手がどんなことをいうかだろう。そしてするかだ。何故この40度を超す酷暑の中で、冷房もしないバスが大勢の人を乗せて走るのだろうか。冷房車にするにるはコストがかかるからだと説明された。運賃を抑えるために冷房で我慢している。 ・へ2・・・富裕層と貧困層との格差が大きい。カースト制度もある。色んな問題を抱えているが、12億人近い人口だ。近い間に中国を超えて世界一の人口になるといわれる。ITの発達や優れた頭脳集団がいる国でもある。あるいは世界の覇権を握ることもあるかもしれない可能性のある国でもある。それこそインドの衝撃があるに違いない。
2016.05.31
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歴史は、新しい担い手が、次々に出て来ては消えて行く。それは、西欧や、アジアやその他の地域でも 同じだ。温暖な地域で食料だけは豊かにあったとしても、遂には寒冷地で飢えを凌ぎながら開拓し て生き残った者たちが、力を得て、そうでない者を支配した。それは、過酷な環境に生きて学んだ 知恵があったからだ。若いころによく学んだものは、そうでないものを凌駕することになる。 だから、若いころの苦労は無益ではない。併し、その対価も廉くはない。そのために一生を台無しにして しまうリスクもある。それが生物の宿命でもあるだろう。愛するものから愛されるとは限らない。憧れる 夢から嫌われるかも知れない。然し嘆くことはない。それが人生なのだ。欧米人の合理主義 が齎した文明も、いつかは使い物にならない時が来る。ひとの選択が誤るのは、それは仕方がない。 すべてのひとが幸福ではいられない。もし欧米人に驕りがあるとすれば何れはそのために報復 を受けるだけだ。もう、新しい時代の担い手を探している。思いがけない出現があるだろう。 新しいリーダーは、権力者の側からは生まれない。 夜も眠れないで、動き回る人たちだろうか。それともいまは報われないままトンネルを掘り続けているだろうか。
2016.05.31
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旅で知り合う人は皆友達になる。土台喧嘩する理由がない。人は楽しみに来ているのだからハイでもある。まあ浮世を離れている。それが、顰蹙を買うようであってはならない。設えられた舞台で下手な芝居をすればいいのだ。見せられるものが綺麗な舞台であろうと、舞台裏もある。どこからでも現実は見えてくるものだ。インドに行って見えるものは見えていたと思う。今度も同じだ。見る側の見識の問題だろう。 ・素人の私にも、現代社会が見えている。勿論自分でそう思っているだけなのかも知れない。本当の現実社会ではないかも知れない。マトリックスかも知れないが、自分の眼で見ているものを、二つの目の奥にあるもので考え直している。それが正しいかどうかは知らない。ただ思惟することでしかない。本当は、どちらが幸福などとは考えないようにしている。自分があるべくしてあればいいだけだ。確かに差別はあると思う。西欧人は表と裏を使い分けるのが上手い。子供のころから鍛えられているのだろう。そこに行くと、日本人は馬鹿正直かも知れない。それも育ちの所為でしかないだろう。どちらがどうでもあるまい。 ・へ2・・・「ひとを見たら泥棒と思え」も考え方次第だろう。あまり疑ってばかりでは、疑心暗鬼になり、世の中がおもしろくなくなるに違いない。ひとのものを盗むより盗まれる方がいい。他人の物を盗む気が起きることなど、起きない方がましだ。そういう世界に長くいたいとは思わない。世の中を悪くしているのも人間の所業に過ぎない。
2016.05.31
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医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」 にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな 権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する のであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いて いた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕 籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだと いう。
2016.05.31
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医学、社会科学、人文科学も、人間を対象とした研究は、「人間とはなにか」という問いを重要なテ ーマとしている。自然科学も「世界とはなにか」という問いを中心に措きながら「人間とはなにか」 にかかわっている。宗教も同じだ。それぞれ独自のコスモロジーで、人間を位置づけようとする。 私たちは、日常のなかで、「人間とは」を考え、そして、個人的な経験を通して、「人間は利 己的で、しかも、愚かだ」などという感想をもちながら生きている。文化人類学は、そこからスター トするようだ。少し限界が見えてきた感じだ。人間の暮らすところに出かけて、そこの人々と「長 時間」生活をともにして、日常生活やその他の知的営みから、他者にとっての「あたりまえ」の生 活に、身をもって参加し、見聞したものを記録する手法だ。どうも穏やかではいられない。 何故人間は、他人に干渉したがるのであろうか。支配したいからだろうか。大抵失敗する。そんな 権利はないからだ。それこそ、本当の意味の人間のコスモロジーを理解していない学問が存在する のであろう。学問を手段にしようとするからだろう。三浦梅園は、凄い人間だと湯川秀樹が書いて いた。大分の田舎で生涯を過して独自のコスモロジーをもっていた。晩年、城主から、遠いので駕 籠で帰れと勧められるの固辞した。「ひとがひとにかつがれるものではない。」という信念からだと いう。
2016.05.31
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肥大化した欲望で虚像を追ってばかりいたのではないだろうか。歪められ続けた中で、誠実さや、素直さがなくなってしまっている。周囲にあるものを見ようともしないで生きてもきた気がする。できないこととできることをごっちゃにして、空騒ぎをしていた。もう戻れないと諦めていたが、案外それは、手の届くところにあって、そういう自分を私の内心では待ち続き得ていたのではないだろうか。成人までに造り上げた骨格が一番その人の免疫力に適合し、最も病気になり難いのだそうだ。その身体に戻ることはできるのではないか。 ・元々生まれてすぐから、酒やタバコを飲んでいた訳ではない。過食でもなかったはずだし、座ったままでもなかっただろう。無煙・無飲酒、少食、多動が健康の三原則だそうだ。これは、自分の子供時代のことではないだろうか。子供や、少年のころに戻って、生身の自分に戻ることができれば、そのひとの最も健康的な身体を手にいれ、快適な生活ができるかも知れない。すべてが、うまくいくということではない。それは、ただひとつのことでしかない。 ・へ2・・・何もできないといことは、この世には少ないのではないだろうか。遣ろうとしないだけかも知れない。必要なものしか食べないくらいのことはやろうとすればできる。空腹になれば食べたくなるが、だが工夫すれば、適量で済むようにできているのだ。それをしないだけだろう。どんな運動もできる。やる気があるかだろう。
2016.05.31
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世に一等の流(やから)有り 悠悠として木頭に似たり 語を出すも知解(ちげ)無く 云うらくは我れ百(なべ)て憂えずと 道を問えば道を解せず 仏を問えば仏も求めず 子細に推尋すれば 悠然として一場の愁 (「寒山詩」より) つまり、「心源湛寂」の処を悟りの境と思って、それを信受し、死守し、悠悠と生きているのは、亡者 だということだ。所謂「見性」を持たないものを云う。道を問えば、道のことは知らないというし、 仏を問えば、仏を求めずという類だろう。 古典が、段々遠のくようでは文化の衰退だ。より深く学ぶことは、より理解することではな いか。聖書でも、仏教でも何でも関心をもって研究すべきだろう,と思う。 表面的なことで済ましてしまうから、いつまでもショートしてしまう。どれも全部が正しいのでは ない。正しいものを集めればいいのではないか。異教徒として知ろうとしないのは、限界でしかな い。堂々と議論すればいいのだ。論理を尽すべきだ。フットワークが悪くなっている。ああだこうだではなく、気楽にぶらりと出かけるくらいが好い。そうすれば、思いがけないものがあったりする。
2016.05.31
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政治家たちはすぐ墓穴を掘るようなことをする。ひとの驕りは恐ろしい。これくらい好いだろうと思うのだろうか。麻薬のようなものだろう。 それこそカネが自由になると、或いは甘い汁が飲めるとなるとどんどん欲望は膨らんでいくのだろう。自分の力を過大化していくのだ。そしてレッドカードになる。 ・天の声は、どこからでも飛んでくる。その社会的ステータスは、その人のためにあるのではないからだ。国民を騙そうとする政治は、やがて破綻してしまう。どんなに防波堤を造っても想定外の津波が来る。核ミサイルを防げる建造物はない。 戦争のリスクを拡大していくような政策は危険な選択でしかない。 ・へ2・・・セコイ人間たちが、権力を手にすると、巨悪の餌食になるのだ。自己保身しか考えていないような連中は一発退場だ。それこそ、グランドには誰もいなくなるのではないだろうか。
2016.05.30
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「安心させてくれる神話より、動かしがたい真実を受けいれる方が、ずっといい」とセーガンは言った。 こころの自由な人が、いつも平穏ではいられない。だが、自由である方がいい。 まわりに逆らって生きることは、過酷だが、誰かが通る道だろう。それは、釣り糸になる人がいな ければ、希望という「魚」を釣り上げることはできないだろう。 法学の研究では、通説と多数説と少数説と判例があり、学説があり、そして自説を述べる。そんな ものだ。それが現実だ。それでないと評価がない。
2016.05.30
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一人一人持っている個性は、多様である。それは幼児体験からくる。どんな環境で育つかは一様ではないからだ。個人の持っている素質もある、そして個性ができて行く。個人差があることは誰もが認めているが、差別をしてはならないと、できるだけ他の子どもと同じように育てようとするのは、間違いだろうか。個人の才能を見つけることは容易ではない。生まれた環境がその才能に必ずしも最適ではないこともある。他人の才能は、何時開花するか解からないからでもある。早い人もあれば遅い人もいる。長い歴史が積み上げた性の遺伝子もある。 ・振り返ってみると、自分の履歴にも他人とは違う個性があったと思う。何故内向的であったか分析してみると、理由もわかる気がする。病気になったことも、それは自分の責任もあるが社会にも原因がある気がする。避け難い遺伝子もある。社会が決めた定年のルールもアバウトではないだろうか。個性を無視してもいる。それでありながら政治家には定年がないのは何故だろうか?それこそ、国家のリーダーたるべき人が、脳の委縮と闘ってもいるという現実がある。 ・へ2・・・ひとも動物であり、自然の摂理から逃れられないし、何時か人は老いる。人間の歴史は長くはないが充分人の一生は理解できるまでになった筈だ。科学の進化は、やっと渚から出ようとしている。いつまでも旅に出ないのは勇気がないからで、それでは腐敗するし、「種としてのヒト」の役割を放棄してしまうことになりかねないと思う。最大限に個人の能力を発揮できる環境こそ重要なのではないだろうか。エネルギーを無駄にしてはならない。在るものを使うしかないのが生命のミッションでもある。
2016.05.30
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加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンドリアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁ではない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしないと家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋ももたない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。 生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてくる。熱力学第二法則のエントロピー増大:生物を含む全ての物質は劣化を免れない。 PALE BLUE DOT "A vision of the human future in space " "pale blue dot "の地球が何時か太陽に呑み込まれ、或いは、r=10mm なるかも知れないが・・・。 存在理由 「問題の所在」は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているのだ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。 存在理由のないものは、この世界では消去される。
2016.05.30
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従士団は、原則的には主君のまわりに集った自由人男子の戦士たちの共同体である。従士制についての具体的な叙述が中世の英雄叙事詩のなかに、すなわち、北欧のサガ、アングロサクソンのべオーウルフ、ニーべルンゲン伝説、グードルーン伝説の中に見られる。これらの叙事詩は、「従士叙事詩」ともいわれる。 従士を率いていたのはたいてい国王や太守たちであったが、北欧では、従士団がこれらの者たちに独占されていたとはいえない。むしろ従士団への加入は自由意志に基づき、自由人男子であれば誰でも加入は可能だった。若者のなかには名声と資産を得る為に、信望ある従士団の首領の屋敷に行って、しばらくの間仕える者もいれば、高齢まで主君の屋敷にとどまる者もいた。 デンマーク、ノルウェー、スウェーデンの王権の強化は、従士団の拡大を齎した。親衛隊として君主の宮廷で生活するものは一部に過ぎず、従士たちは自己の所領に居住した。このアルカイックな組織は、国王の支配権や国家構造の重要な構成要素となっていた。 フランク王国の建設は、ゲルマン人の民族移動の中で最も重要な出来事のひとつであった。ヨーロッパのその後の発展に影響を与えたからだ。ゲルマン人とローマ人の共存により、ゲルマン、ローマ末期、およびキリスト教に由来する制度、生活形態および理念の融合が招いた。フランクの従士制はゲルマン起源の要素のひとつである。 しばしば、奸計と暴力が行なわれた。国王は自分の競争相手の家来を唆し主君を裏切らせた、それが成功すると今度は、不忠な従士には贋物の金で十分だとした。 騙しのテクニックは、詐欺や強迫の類であり、それが人々を翻弄させた。他人を信用できない歴史的体質だ。西欧社会のそうした歴史が、彼らの複雑な人間関係を創り上げていったのではないだろうか。他人を信用しない体質でもある。
2016.05.30
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人はみな偉大な生き物だと思うが、その価値を見出し得るかという課題もある。人だけではなく、生命が偉大でもある。それを活かしきれずに大抵終わるのも事実だろう。詰まらないものにしているのは、身を守るという使命の難しさでもある。ネコは自分のミッションを理解しているとは言えない。人間にはそれが解かるという違いはある。その差は小さいものではない。深く洞察できるという能力は、それだけの脳を所有しているものの価値でもある。 ・自分にある数値目標を以って生きるということを足掛かりにしている。病院では、採血や採尿をして検査をし、患者と面談して、その診断をする。検査結果は、その間のからだとメンタルの記録の結果でもある。正常値と自分の目標値と、巧くいったりいかなかったりする。言えることは化学反応の結果でもある。そして思うのは、人間のからだの複雑さであり、それは一つの証明でもある。 ・へ2・・・毎日朝夕1万歩を歩いている。休みなしだ。雨の日は止めている。歩いていると、自分の気分や体調や、環境や季節やどんな世界に自分が住んでいるかなど、これから何をするか考えている。目標の数値は、自分のからだの状態を、意識だけでは解からないものを教えてくれる。数値管理が目安になる。
2016.05.30
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「ひとはしばしば愛から野心へ移行するものである。しかし、野心から愛へ 戻ることはない」(ラ・ロシュフコーの「マクシム」) 戦争・飢餓・パニック・大災害などの極度の社会的混乱は、恐怖・疑心・自 信喪失・無気力・狂乱の状態を惹起する。そこにあるのは意味など存在しな い狂気であろう。然もそれは、コトの一つでしかなく単なる事象でしかな い。ヘーゲル的な見方に立てばコトそのもの。 コトとは、次のようなモノを指す ・事由、事宜、事理 ・事実、事況、事情、事象、事態 ・事件、事故、事変 ・事例、事項、事務、事業 ものの世界とは、客体としてのものと、事物化されたコトで成立つ。 「こころ」の多様性とは、 ・こころは、知・情・意の根本の働き ・思考、志、思惟、思慮 ・中心・根本 ・思い遣り、情け ・趣向、工夫 etc 感知・認識・思考の能力を意味している。想像力を豊かにし、知性を活性化 することでもある。 デカルトの「コギト・エルゴ・スム」が出てきたので、まあそのあたりの本 であろう。それほど興味はないが、面白いフレーズが出てきた。 「青春とは、絶えざる陶酔のことである。即ち、それは理性の熱に浮かされ た状態なのだ。」 「おおかたの女性たちの才智は、自分の理性よりも自分の狂気を強めるのに 役立っているだろう。」 どうも暗い室内で目を悪くしたのか、本が読めなくなったので止めるけど、 あとで推敲します。
2016.05.30
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教育の領域と経済の領域は、相関関係にあり階級制度や社会的序列の編成に広く影響を及ぼしている。近代から上流階級、中流階級、労働者階級という区分が存在した。しかしこのシステムは構造的には他の近代資本主義社会と類似しているが際立った相違もある。社会の広範な人々は、少なくとも表面的には自分を中産階級だと考える傾向が強いことだ。それは政治的な階級意識を弱くし、地位の非一貫性を助長している。 教育制度と職業制度が密接に関係しているのはヨーロッパよりアメリカに近い。上流階級は主として子どもへの教育投資によって再生産しようとしている。日本では階級が教育的達成の重要な決定要因である。世代間の職業的継承である伝統的な帰属が機能しなくなってもいる。文化的資源の確保は、ほぼ全面的に教育を通じて継承されている。 日本的傾向は主として欧米との比較によって顕著になりつつあるだろう。それは明らかに客観的な指摘なってきている。ことに頂点にある大学と頂点にあるエリートとの関係密接であることはイギリスと類似しているが、イギリスではそうした学生は上流社会の出身者に占められている。日本では最近の現象であるが、頂点以外の経営者が増えてもいる。すなわち地位の非一貫性の傾向が強化されてきている。 欧米との相違は必ずしも単純な傾向ではない。日本特有の教育の序列構造、とくに平等主義や能力主義との特異な組み合わせと密接に結びついている。教育制度に明らかな階級性があるにかかわらず、学力による選抜が行われており、均質で水平的な社会階層がつくり出されることがなかったのである。社会を横断したピラミッド的に組織された複合的な垂直的組み合わせを生んでいる。 いまや日本は、75億人の世界の中の1.2億人のシンプルモデルではない。(・・・昔からそうだが)。特徴的な傾向はまだあるにしても、日本も多様で複雑化したアジアの一国としての国民でしかないだろう。今後は未曾有の高齢化社会が実現するうえで、あらゆる常識は通用しなくなるだろう。それを踏まえなければ議論の価値はなくなるだろう。
2016.05.30
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スズメムクドリ モードの切り換えが悪くなったのは加齢ばかりではない。心の在り方の問題でもあるだろう。初めからリスクのない闘いなど多寡が知れている。何もしないで死んだ方が利口なのかも知れない。ブラブラして幸福だと思うような人間は役に立たないだけで死ぬだろう。案外人間は見損なうものだ。役に立たないと思われるものがそうでなかったことは枚挙に暇がないくらいあるからだ。 自分が利口だと思っている奴ほど何も分かっていないかもしれない。こうしてブログしているがこれは日本語ではない。所謂「もどき」でしかない。土台「変換」がまともではないし、漢字が正確に書けない。元々正しい日本語を書けるようにはできていないから、もしそれをやろうとするなら、時間ばかりかかってしまうだろう。それでもそうすることが価値がないのではない。無駄だと思うだけのことだ。何故かと言えば、その文章を読む人が理解してくれるかわからないし、私は教師でもないからだ。 あるものを使うしかない。だが本当はそれではいけない。日本語は消えることになるからだ。心を伝えるのに外国語ではできないものがある。それは日本人が拠って立つ暮らしの中で暮らしている中から生まれてくる心情でもあるからだろう。しかしそれも通用しなくなっているだろう。アルプスのハイジが、山小屋の藁のなかで眠るという悦びを、もう私たちのような年代でさえ想像できるだけだからだ。藁の匂いを嗅いでもいないものが、藁の中で眠るという意味を理解できるだろうか。それが分からなければ「ハイジの精神」も理解できないだろう。 ひとは何になろうとしているだろうか。少なくとも好くなってはいない。時代の針はより多くモンスターに振れているだろう。平気で仲間も殺しかねない。親や子を殺す時代だ。どれだけ科学が進化しても人間自体が進化するわけではない。殆ど数万年前から同じだ。おそらく生物学的には退化も進化と言うだろう。
2016.05.30
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余計な話だが、忙しいと他人どころの話ではなく、自分の眼前の雑用に追われてしまう、自分がいま幸福かどうかなど考えている暇さえない気さえする。それで仕方がないと思ってもいた。どうせどこかで働くのでなければ食っていけないことは分かっているのだから、どこで働いても同じだという気持ちがあった。どこにでも嫌な奴はいるし、資本家や、プチブルはいる。お山の大正や、裸の王様や、空威張りや、虎の威を借る狐とか、番頭さんとか、丁稚とか、金魚のフンとかなどなど。そして、自分も時には得体の知れないカメレオンにもなる。運不運もある。やはり、素直に生きることなどできなしない世の中だと。 ・どうやらストレス社会のストレスをまともに受けてもいたらしい。それで生活習慣病になってしまった。先ず運動をしなくなったし、過食にもなった。あと諸々は、それこそ行基の本を読むと随分と自分の暮らしと当てはまることが書いてある。大学で学ぶことは些細なことだが、人の考えには「主観と客観がある」ということを知ったのは、どこで何を、ではなく、その間の過程で知ったのだろう。それが、常に頭のどこかにあった気がする。自分はこう思うが、それが主観だろうか、客観的だろうか、と。 ・へ2・・・同じ大学で、何時も同じ人の話を聴くのではなく、他所の大学の人の話を聴かなければならないと思ったのは、学生の時、他所の大学の公開講座を聴いたからだろう。その前にカルチャー・ショックを経験していたこともあるし、挫折もあったのが幸いしたかも知れない。個人的には失恋もして措きたかったが、残念ながら、そのチャンスがなかったのは悔いが残る。何やかやと考えると、はたして誰が一番、現代社会で自己完成のために生きて幸福でいられるだろうかと考えている。結論は未だ出ていない。
2016.05.30
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「夾竹桃の家の女」 ・凝視する女。 ・芥川訳「テオフィル・ゴーティエ「クラリモンド」 ・惹きつける魔女。吸血魔女。 ・男を魅惑する眼。 ・島の女として描いている。 ・眼をそらさない。 ・永井荷風「蛇つかひ」。 ・谷崎潤一郎「秘密」。 ・「夢十夜」第4夜と「蛇つかひ」。偶然の一致か? ・女とへびの関係。 ・結末。私を無視する眼。「蛇つかひ」の女と無表情な眼は近い。 ・「蛇つかひ」の文調が似ている。人眼で見て男を滅亡させる。 ・「宿命の女」。男を誘惑して破滅させる女。冷ややかにそれを視ている。 ・「秘密」再会と別れ。 ・中島風に書いて見せた。原型とは似ていない。スタイル・レトリックを真似ている。 ・自分のものにする。パラオで使うという意味では才能。 ・先人のものを自分のものにしている。
2016.05.30
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ムクドリ 真夜中でも、戸締りをしなくても安心して散歩をしていたころが懐かしい。ここでもまだ、安心はしている。怖い目に遭ったことはないし、街の明かりの中を歩いている。それでも犯罪が無いわけではないし暗がりもある。若い女性なら危険もあるだろう。他所者がいるし、3回もコンビニ強盗があった店の近くを歩いてもいる。それでも夜でも車は通っているし、4時を過ぎたので新聞配達のバイクの走る音もしている。 ・できるだけ転んで怪我でもしないようにしたい。怪我をすれば歩けなくなる。休んだら、歩けなくなるかもしれないという強迫観念がある。鳥渡したことで躓いてもしまうだろう。危険なことを避けるのは当然だし、それを怠ると後悔することになる。リスクを選ぼうとする性質は中々止められない。夜明けの道を歩きたいというのも子供地味ているが、そういう中で発見する悦びもある。 ・へ2・・・あの時、何かをしなければ助かる命もあるが。何かをしてみたいという気持ちは、自分の世界では貴重なものでもある。夜明け前の道を歩いていると、不思議な気持ちになった。自分のからだが消えてしまう。冷たく澄んだ空気の中で感受性が高まり眼だけが暗闇の中で活きている。
2016.05.30
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・ふつう生物は、主観的昼夜を環境の昼夜に同調させている。 ・人間の場合は、環境とのあいだに社会的時間割りと意志が働く。 ・研究の趨勢は、根底にある生物時計の実体解明に向かう。 ・生活リズムの基本的性質が、多くの生物のあいだで共通し、比較ができること。 ・昼夜の時間的枠組みが、物の考え方に大きな影響を与えていること。 ・食事・性・物音・時間的夜と空間的夜の関係。 ・眠りは、決まった場所で取る習性があり、安全な場所であること。 ・用心棒としての家畜の存在。蚊と野獣への守り。 ・火の存在。 ・からだの中にも夜と昼の自転があること。 (千葉「からだの中の夜と昼」より) ・約30万年前、はじめて人間が人間になってから、この世に生まれ消えて行った未開社会が、ど れくらいあったのか見当もつかないが、それが今ある文明社会を圧倒するくらいあったのは想像で きる。そして未開社会というのは数多く残ってもいる。知られている文明社会の歴史が実は比較的 少数でしかないということでもある。 ・自分だけであろうとする意識と、自己から離れようとする意識が矛盾しながら絡み合う。自分であって自分ではない。 ・天国でも地獄でもない。現実社会はそれ以外だ。
2016.05.30
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「夢十夜」 ・1夜.2夜,3夜,4夜,5夜・10夜,9夜,8夜,7夜,6夜・2分割して、話が対になって描かれている。・5-6、7-4、8-3、9-2、 10-1 が「遊び」の要素がある。・漱石流のジョーク。 ・「1夜」疑うから・・・百合が出てきた。 欺かれたから。・百年待てなかった男。疑ったから夢はかなえられない。・星が霊、百合が肉。・「1夜」「10夜」セックス・ドリーム。漱石にも関心があった。夢である必要がある。・違う世界にする必要があった。・「10夜」豚になめられる男。・「9夜」「2夜」・・・対になっている。・お百度・・・裏切られて夫に対する恨みを晴らすためにお百度を踏んでいるという解釈もできる。他力本願。・自分ではどうにもならない。 ・「3夜」の内の鏡と「8夜」外の鏡。の世界。対になっている。・鏡の中の動くものは卑しい。・水鏡。自分の心を見ようとしない。・金魚売の存在。・「7夜」「4夜」海と川の対。 ・似たような話を「対」にしている。・「5夜」・シ・ラー「人質」 「走れメロス」・あまのじゃく・男が疑う。・「3夜」「文弥殺し」・ハーン「日本海に沿って」・7月下旬~怪談の季節。・「永日小品」・人間にはどうすることもできないこと。・「夢十夜」違う視点。どうすることもできない相手。人間。運命。魔的なもの。総体的に書いている。
2016.05.30
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完全な社会はなく、どこかに欠陥があるから、間違いもする。権力は腐敗するというが、それは人間の歴史に付き纏った問題でもある。そしてそれは事実でもあると思う。他人には冷たく身内には甘いという利己的な遺伝子があるし、それで続いた権力もあったが、それでは社会が遣って行けなくもなった。言論の自由も、学問の自由も、大学の自治もそうした中から生まれてきた。研究者が自由に研究できてこそ、社会の進歩も可能になったのだろう。 ・どうも誰が主人公といえるのだろうか。卑屈な心がさせているのだろう。オバマ大統領がしたことではないにしろ、それはアメリカの大統領であり、広島に来てほしくないという人がいてもおかしくはない。それこそ聖人でもないし、平和主義者でもない。その人がノーベル平和賞を貰い、平和のために尽くしたとされているのだ。核兵器をどれだけ削減しただろうか。 ・へ2・・・なぜトランプ大統領候補が共和党指名になろうとしているかだ。 彼が大統領になれば、核のスイッチの命令権者になるということだろう。日本国内からも同じような人物が出てこないとも限らない。核保有を言い出しかねない。日本も核保有すべきだとトランプ氏は言っている。ころころ方針を変えている安倍政権がどんなことをするか分からない。
2016.05.30
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人の人生は、その人の世界観で決められる。自由を抑圧されていた時代もあり、狭い世界に押し込められていた人たちも多い。現在の私たちでさえ、パーフェクトとはいえないが、強い意志を以って、自由でありたいと闘うことはできる。成果を得ることのできる人は未だ僅かな人でしかないだけだ。欲望の社会にあって真摯で生きることは容易ではない。困難なのではなく、難しい。 ・知識の偏狭が齎している社会は今に始まった現象ではない。社会的地位のあるものが、地位を得ると、その地位に埋没して没落する。その成功ゆえに没落するから。安楽が人間を怠惰にする。貧しいから、ただ豊かになろうとするのではない。物質と精神は同じではない。見せかけの社会に、踊るものは精神も荒廃してしまう。 ・へ2・・・今、自分に何ができるだろうか?そのことを普遍的な論理で理解することのできる必要があるだろう。それが自分にできている訳ではない。何を学ぶか。何ができるか。自分に問うことができるか。自分の脳をどこへ連れて行くか?
2016.05.30
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阿蘇の野焼き ひとは偶然の成行きに支配されている。私たちは、誰も明日を予想できない。どんなに優れた 専門医も、明日のメディカル・ステージを指摘できない。あらゆる可能性が否定できないか らだ。そして、突然変異もあるだろう。勿論それに立ち会うことは奇跡に近いだろうが。それ にしても、「偶然の海」に溺れそうだ。誰も、自分がどうなるかが判らないままとしたら、死 もまたそうなのだろうか。あれもこれもと検査をされているが、ひとつの検査ですべてが解か るほど、医学は進化していないのだ。そして今日の検査の結果も数ヶ月もしたら役に立たなく なるとしたら、果てしなく検査しなければ解からないということになる。そしてそれはひとつ やふたつではない。おそらく無数にあり、増え続けるだろう。偶然は、ヒトを生み出したし、 未来に夢をもてるのも偶然があるからだろう。 いつも飢えと、病と、権力闘争等などにと、死の恐怖に怯えながら、歴史を刻んできたが、い ま科学の前で「無知」という圧倒的な相手に立ち竦んでいる。どのような偶然にめぐりあうの であろうか。
2016.05.30
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何でもできるようでいて、本当は何も出来ない。そう仏陀は言っている。人は小さいことしかできない。「ゴットノウ」もある。人は知っているが表現しない、できない世界。ことばの世界の根幹は沈黙だともいう。自由と言いながら、そうではないという矛盾。動くことによって生じてくるリアクションは、物理の法則である。高いものから低い方へ物は流れるし、熱は冷たい方へ進んでいく。野心あれと言いながら、何が出来ようか? ・凡人が、野心を以って周囲の反撥で挫折するのを繰り返す。偶々巧くやったひとの真似をしてもできはしない。秀吉はひとりだから。イカルスになろうとしても。騙されていたと世を恨んでも仕方がない。そうして秩序を保ってきた。半分足腰の弱った指導者たちのいうことも聴いて遣らなければならない現実がある。 ・へ2・・・何時もクラッシックを聴いているが、もうそれしかまともな音楽はないのだろう。人間の創造性も、それだけ弱っている。人間のためだと言われてきたものが実はそうではない。「この世とかの世とともに捨て去れ」。拾うことは、喪うことである。子どもや、恋愛や、欲望の塊のようになって活きてきたが、それは無駄なことだという。輝いていたものはイミテーションでしかない。
2016.05.30
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「世界遺産」と観光という講座で、勉強しているが、コンセプトからして良く知らなかったのが恥ずかしい。旅行は好きだが、基本的な知識もなかったことにショックを覚えている。取り組みが甘いのだろう。どういう意味で「世界遺産なのか」。観光しようとしている場所の知識もないのに、みてくるだけでは猿でもできる。物見遊山だとしても、どういうことで目立った客観的価値なのかくらい知っておきたいものだ。私も相当ぼんやりだが、旅行会社も少しは環境客の知的好奇心を満足させてほしいものだ。 ・それこそ深く知るというのはそれほど簡単にできることではない。一度や二度の観光でどこまで理解できるかも解かったものではないが、少なくとも資料くらいは準備して出掛けられるようにしてほしいといつも思っている。海外ツアーに何度か行ったが、その世界遺産がどういう「OUV」があるのか、満足に理解できたものはなかった気がする。余計周れば好いというものでもあるまい。ひとつでも好く理解できればその方がましなのだろう。 ・へ2・・・ジオツーリズムにもどこまで市民に理解されているのだろうか。それが何であろうと、その大地の遺産に相応しい知的好奇心を満足できる機会に恵まれるかどうかでもある。
2016.05.30
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ゲルマン人の観念によれば、部族の繁栄のためには、みなが共同で祭祀を行なう必要があっ た。というのは、つねに敵に対する勝利、豊作、狩猟の成功、健康、子宝などは、超自然的な 諸力の善意と考えていたからだ。それゆえ、「部族のための」数々の祭祀、とくに供する犠牲 である「供犠」が行なわれる必要があった。 タキトゥスのいう祭司の役目は、「へーグング」と民会の平和の維持と祈祷、供犠、神託のよ うな祭祀の遂行、神々によって保護されている部族の秩序に反する犯罪の処罰だった。 厳しい冬の時代を学ぶことはある意味で、私たちの自由の価値を感じさせるものだと思う。 新しい定住地を手に入れると、ふつうその部族は、先住民と出会い、彼らと対決しなければな らなかった。主な対決の方法には追放、隷属化、共生の三つがあり、それらの組み合わせは多 様であり、また変化に富んだものだった。征服者の論理がまかり通り、それが正当化された。 真実を知るのは容易なことではなかったのだ。
2016.05.30
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常に新しい知識をこころがけることが重要だと思う。どうしてもできない時もあるが、それは稀でしかない。大抵は、手に入れる手段はある。できない時のことをどれだけ云っても仕方がない。できるという前提のもとに、物事を考える方が普通でもある。戦時ではない。確かに完全に自由な社会ではない。偏頗な社会でもある。だからといって自分の考えが偏向して善いわけではない。 ・時々修正しないと暴走してしまいかねない。栄養のバランスのように、一つ一つは優れた食物であっても、摂り過ぎれば偏食にもなる。好きなものばかり食べていては病気にもなる。快楽も必要だが、ブレーキがあり限度があって悦びにもなる。 ・へ2・・・自分のガイドブックに何を選ぶかではないだろうか。次元の低いものを選べば安易な生き方にもなるが、人間社会はそれほど単純でも平易でもない。つねに進化もしている。それに目を向けて行くべきなのだろう。5年も経てば知識は古くなる。勿論、普遍のものもあるが大抵は、新しく変化していく。自分を甘やかさないことが必要だ。 それこそいまや1年間という月日の括りも、例えば春秋のモデルチェンジとかもある。1年間過ぎれば、事態はどう変化するかわからないだろう。国家だってどんな運命が待っているかわかりはしない。国債は紙切れかもしれないし、権力者は没落もする。それこそ私も煙になっているかもしれないのだろう。
2016.05.30
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問題を直視することは必要なことだ。それを避けていては、埒の明かないことはある。どういう生活をしているかで、そのひとの意識をある程度は推測出来るのは当然だが、隠そうとされると、それは中々解からない。弱味を見せまいとしている人は多い。余計なことを言えば碌なことが無いというのが世間の常識でもあるのだろう。贅沢な暮しをしている人が、こころだけは清く美しいことはないだろう。清く貧しい人はそういう暮らしはしない。できない。悟りを開いていないのに悟りと開いていると公言する人の罪は重い。 ・文明社会が善で、未開社会が悪であるとして近代社会は成り立っているが、それはヨーロッパ社会のキリスト教的発想だろう。アメリカの独り勝ちの世界も長くは続きそうにない。EUの混乱も言われていたような理想ばかりではないのだろう。何時も真正面からばかり考えていると裏があったりする。自分の信じていたことが間違いだったと、あとで知っても遅い。科学の進歩が善だと信じ、自然には戻れないと言われていたが、日本の54の原発だって無くなるかも知れない。 ・へ2・・・新幹線だって高速道だって、要らなくなる時代が来るかもしれないだろう。日本の人口が半分になれば、必要でないものはいくつもある。遣って来たことが間違いだったと改められればいいが取り返しの効かないこともあるに違いない。QOD(quality of death)も、それは今の私たち老人の重要な課題であろう。からだが動かなくなってから、健康を考えても遅い。日本の高齢者は、2010年で22.6% 。2035年には、30%を超えるらしい。それまで生きているだろうか。
2016.05.30
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自分に付いて考えると恥ずかしいことばかりだが、自分の思想形成となると簡単ではない。どうも曖昧模糊としてくる。どこでどんな影響を受けたのか、それが今の自分にどのように残っているか。どうも食べたものが、栄養になってからだの中でどのような作用を及ぼしているか。頭のてっぺんから足のつま先までエネルギーとなり、或いは排泄されるものもある。吸った息を吐き出すがそれは全部ではない。ミクロの世界は、マクロの世界よりも広い。 ・ひとの記憶装置の複雑さもとても容易に理解できるものではない。考える度に自分の思想形成も違って視えても来る。おそらく勘違いのものばかりだろう。実は違う。通俗道徳が幼児期から植え付けられ、時にはそれが強迫観念にもなる。怖じけない人間がいるだろうか。恐怖感をもつことで自分の生命を守ることもある。操られる遺伝子は伊達ではない。からだを動かしているのは並みの操縦士ではないだろう。 ・へ2・・・自分の免疫系が、今何をしているのだろうか。今朝食べたものがどこで何をしているのか。私が今考えている事も過去の体験から来る延長だろう。今日は何をしたいだろうか。何ができて出来ないのか。明日はないかもしれない。紀元杉は樹齢3,000年だそうだ。キリストが生きていたころより長く生きている。
2016.05.30
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