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・李陵は匈奴を破って二分海子まで引き揚げてきたとき、この湖は四面草原で休養するのには恰好な地であると思い、宿営した。連日連夜祝宴を開いていたが驕慢から全将兵に二分海子の中央に二十数日間をかけて土を盛り「誉満辺関」という碑を建て、悦にいっていた。それを知った匈奴の単于が、大軍を率いて二分海子を攻め、李陵の全軍を滅ぼした、というのが匈奴の伝説だ。 ・へ2・・・その匈奴の伝説では、この碑は押すと揺れるが、倒れもしなければ、まっすぐにもならない。それは李陵が前半の勝利と、後半の驕り高ぶったため悲惨な敗北をした、との沈痛な教訓だとした。 ・中島敦「李陵」(昭和18年)はこの李陵と、蘇武、司馬遷の三人三様の生き方を描いている。それは戦時中の日本の知識人の生きていくこと自体の苦しさが投影されていると駒田信二は書いている。(前掲)当時の読者の思いが三人の主人公を身近に感じさせたかも知れない、という。 即ち、李陵は、匈奴と戦い破れ、投降して単于の娘を娶り、右校王に任じられて、匈奴にあること二十余年して病没した。(前74年) 蘇武は、匈奴に使して抑留されたものの投降せず、抑留19年後に帰国した。(前140年) 司馬遷は、李陵の敗戦と投降とを聞いて激怒した武帝に対して、これを弁護し、矢尽き道窮まり救兵至らず、士卒の死する者積むがごとき戦況の中で、最後まで奮戦しつづけた勇心こそ賞賛すべきものであると述べたために武帝のいかりを買って宮刑(陰茎切断の刑)に処せられながら、その恥辱を耐え忍び「史記」を完成させた。(前86年頃) ・へ2・・・まさに三様の壮絶なる生き様である。なお学ぶべきものがある。 将にこの世は弱肉強食の世界でもある。そのこと昆虫の観察から思い起こされる。
2016.07.31
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8.6広島原爆の日。毎年、この日は巡ってくる。平和への闘いは、いまも忘れてはならない課題でもある。日本人はこの日を忘れることができない。すべてはここから始まってもいる。人が人類を滅ぼすかもしれない原爆を使用したということを忘れたら、同じ過ちを繰り返すかもしれないからだ。どんなに正当化しようとも、誰にもその権利がない。人が人を殺すことを禁じている中で最悪の選択であるからだ。 ・狂気によって脅かされかねないことを一日も一瞬も忘れないことだ。自己本位の人間と、狂信的な国家がある。正義の名のもとに戦争が実行されてもいる。内にも外にも好戦的な人間がいる。自分を優位にして他人の権利を顧みようとしない。白人社会は21世紀に入っても続いている。決して安心できる世界ではない。 ・へ2・・・それこそ変わらないように視える美しい風景も、近づいてみると森は死にかけている。それを知らないでいたら、そのうち森は枯れてしまうだろう。生命は一度消えたら二度と戻ってはこない。21世紀の世界平和も20世紀に1億人の戦争犠牲者によってなされたことを忘れないでいたい。
2016.07.31
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芥川メモ 22回目最終回。2007.3.23 <作品> 「或阿呆の一生」「闇中問答」「古千屋」「冬」「機関車を見ながら」 ・不相変。 ・平松・・・自殺の相手。 ・月の光の中・・・誰か? ・或る阿呆のしたこと。「阿呆」は芥川のこと。 ・「丸屋善七商店」・・・の省略(「丸善」) ・「世紀末」19世紀末のことを指す。外には使わない。 ・当時の作家たちを指している。病的で、常識的ではない意味。 ・申し子の芥川・・・刹那的で生き方がクールという視点で。 「人生は、ボードレールの1行にも如かず」。 ・隅田川・・・「伊勢物語」にも出てくる。 ・桜...憂鬱。自分自身のこと。 ・「切っても切れない」江戸以来の自分の中の封建的ものを指している。 ・神々に近い「我」 ・谷崎は、自分にできない生き方をしている。 ・血痰。肺病・・・戦前は文学との係わりが大きい。啄木など。じめじめしたイメージがある。心象風景。すべてがシンボライズされている。 ・「新生」。 ・藤村は姪と関係して「新生」を書く。 ・漱石は狂気の人 ・宮本顕治は、芥川の小説は「敗北の文学」という。本当に敗北と思ったら敗北とは書かないかもしれない。 ・軽み・・・軽く見せている。芭蕉が俳句に記していたもの。 ・阿呆とか敗北が必ずしもそのままではない。寧ろ重い表現にしなかった。 ・ゲーテの「ファウスト」 ・「月の中にいるようだった」 ・芥川の終りが、太宰のはじめ。 ・短く書く、短く縮める。 ・短歌より俳句が上。 ・「月の中にいる女」は誰か? ・片山広子。 ・平松麻素子 遺族は認めていない。 ・芥川にとって片山広子は、他の女たちとは違う。女性関係が芥川には重い。 ・「或阿呆の一生」「遺書」が芥川の本音であろう。 ・クレームを気にしていたこと。都会人の弱さを持っている。 ・「闇中問答」自分の心の闇。ゲーテの「ファウスト」がある。 ・家族・・・愛し合いながら、憎しみ合わねばおかないようなところがある。 ・「冬と手紙」とがつながる。 ・芥川は、他人のことを書いているように見せて、自分のことを書いている。読者は騙されてしまう。 ・冬と・・・を並べてみる。A;B ・一面だけではない。機関車・・・あるもののために造られている。
2016.07.31
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広告のはじまり <作品>「三つの窓」・「西方の人」・「続西方の人」 ・川端「末期の眼」 ・鴎外「不可説」猿 ・レニエの小説。 ぼんやりした不安。ぼんやりが怪しい。「三つの窓」 ・三つの人生。三人の人生の窓。 ・最晩年の作品。 ・じりじりした憂鬱 ・人生との闘い ・新約聖書は、比喩のオンパレード。何を書いているのか分からない。分からない方が良い。たとえ話が書かれている。 ・だから「源氏物語」は、具体的であり世界的な広がりにはならない。日本の貴族の話でしかない。メジャーにはならない。寧ろ「百人一首」を広めた方がいい。意味が分からないものほどよい。和歌よりも俳句。 ・聖書もひとつひとつを独立させて説教している。分かりやすく、世界に広まった。 ・小説は、わかるものではだめで、わからないから面白い。優れた作品ほど、分からないように書いている・・・それが本来の小説である。 「西方の人」 ・省略した表現。・・・好んで芥川は書いている。 ・逆説の書・・・聖書。 ・西洋と東洋の違いは、キリスト教のパラドックスにある。 ・「君看双眼色 不語似無愁」 ・省略されているが、死を意識している。 「続西方の人」 ・「或旧友へ送る手記」 ・聖書はわかるはずがない。分かるものではない。分からないように書いている。 ・理解できるほど単純でもない。 ・本当の理由? ・円谷選手の自殺・・・反面川端や芥川は純粋ではない。 ・キリスト・・ジャーナリスト・・情報の発信者。世界に知らせるのが目的。ベストセラーになる。今の人にはわからない部分がある。 ・キリストは演じている。後世の人に理解させればいいと思っていた? ・「聖書」・・すぐに理解されない。芥川の聖書に対する考え。知りたいという願望はあった。作家とキリスト・・・情報の発信者(ジャーナリスト)世界にあまねく拡げる。 ・太宰は、芥川のキリスト教観は正しいと言っている。 ・ヨセフとマリア。 違う男がいた。父。 ・山本夏彦・・・キリストを全部知っているマリアにはカタなしになる。 ・故郷には戻れない。有難味がなくなる。効力がなくなる。 ・台所には死骸の一つ二つ転がっている。 ・「炉辺の幸福」のうそ。 ・マリアとイエスは一緒にはいられない。 ・イエスは天才。 ・ラサロはキリスト教を残すために生き返らせた。 ・涙を流した・・・キリスト・・・生き返らせた。これがきっかけで十字架に架けられた。イエスの悲劇の始まり。
2016.07.31
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ロバート・マーシャル著「図説 モンゴル帝国の戦い」騎馬民族の世界制覇。著者はBBCのドキュメンタリーを手がけた人で、西欧人が見たジンギス・ハンが興味深い。騎馬民族の強さは日々の狩猟によって鍛え上げられた強靭な体力と忍耐強さにもあるだろう。元寇によるモンゴル軍とは中国や朝鮮の敗残兵を招集した寄せ集めの軍団でしかなかった。著者が指摘するように、13世紀に吹き荒れた嵐の意義は、アジアとヨーロッパの政治的境界をぬりかえ、人びとをその住み慣れた地から追い払い、イスラム、仏教、キリスト教の影響力を根本から変革させ、モンゴル人が東西の通路をひらき、世界についての知識を拡大させたことであろう。そして果てしなき殺戮の歴史をも積み上げていく。 ・何故あんなにモンゴル軍は強かったのだろうか。彼らの侵略は巧妙であり、虐殺によって敵を沈黙させ、ふきつさらしの荒野にした。彼らは世界を牧草地にでもするつもりだったのだろうか。やはり騎馬民族による世界制覇なのだろう。 ・へ2・・・「ものごとは結末を見るまでは、栄光とはいえない」その途上で多くの人は気力を失ってしまう。故にことは為し難いというべきなのだろう。ジンギス・ハンは少なくともそのことを知っていたが、遂に時間は彼をさえ、待ってくれなかった。 結婚することも、こどもを育てないこともそのひとの選択で決められることでもない。相手が必要であり、人間だけの想いがかなうとは限らない。そして、そのために喜怒哀楽もある。どれだけチャンスがあっても、どうして結婚相手を決めるのだろうか。子どもを産まない決断をする人もいる。劣性遺伝子の可能性のために産まない人もいるくらいだ。子どもは宝だろうか。子孫を残すために人は動物であり、生きてきたといえないでもないのだ。
2016.07.31
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人が活きるにはあらゆるためにそうしなければならない理由もある。それをどれだけ伝えられるのだろうか。天才でも難しい。ことばでは伝わらなくても、写真でよりよく伝えられるものがあるだろうし、他の方法もある。他人にはできて自分にはできないものは沢山ある。良質の睡眠を目指しているが、分眠になっている。夜ぐっすり眠って朝起きるのが理想だが、睡眠時間が2,3時間だろう。夜目が覚めて、無理に寝ていたのは仕事があったからで、それでも眠りは浅かった。 ・色々遣って見たが、2,3時に起きて、食事を5時ころして、季節によって少しずれるが、ウオーキングをしてひと休みする代わりに1,2時間眠る。これも貴重な睡眠の裡だ。午後も昼寝をする、一時間から二時間。これでどうやら私の睡眠時間になる。トータルで6,7時間だろう。その日によって足りないと思う時は、調整もする。免疫力の低下が齎す影響は小さくはない。細胞分裂のエラーも起きてくる。これだけの遺伝子を抱えて活きているのだから、どこかで変異もある。 ・へ2・・・守ってばかりでは、生命の防御には為らない。泥の中で上澄みを吸うように生きねばならない。アメリカは天使ではない。広島や長崎に原爆を投下したし、焼夷弾を民家に落としたのだ。人間の所業はそうしたものだ。悪行をすれば悪人であり、善行をなせば善人になる。人はいくつも顔がある。歩きながら学び、書きながら学ぶ。暮らしの中から自分の人生を見出さねばならない。天は自分という存在を与えたのだから遣ることはある。 いつの間にか8月になってしまった。上の娘はまた旅に出ている。 ひとの癖は治らないようだ。
2016.07.31
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思惟すれば、すべては過去の継続であり、今日の行いも明日に続くから意味もある。一度で或いは今日一日で終わるものはないわけではないが、束の間の出来事でしかない。朝夕一日2回一時間のウオーキングしているが、歩くスピードが落ちている。大人がふつうに歩いて一時間5キロくらいである。一度に7キロくらいは歩きたい。 ・不動産の広告表示では1分間80m、10分間で800mが徒歩時間だった。1時間では、約5キロということになる。4年以上ウオーキングを続けているが、やっと自分のペースが解かってきたようだ。そして老化という手強い相手を感じている。継続して遣ることがいかに大事かということも解かって来た。日々は闘いでもある。 ・へ2・・・「気楽に歩け」と言われるが、目標が無いと続かない。どうでもいいという時が、一番その意味を考えないと、スタートを間違える。これまで殆どのことが遣ればできることだが、遣れなくなる時が来る。活きることは継続して遣ることだ。
2016.07.31
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カロリー制限は、寿命を延ばすことは、70年前から知られている有名な方法。 食物摂取を30%~40%減の動物実験では、長生きできるだけでなく、延びた生存期間を健康に 生きられる可能性がある。 ガン、糖尿病、神経変性疾患を含む大半の病気を防げる。 臓器が活力を保てるが、引換えに低下するのは生殖能力くらいだ。 カロリー制限に寿命を延ばす効果があるのは、代謝の速度が落ちることと、有毒な副産物も減るため と長い間考えられてきた。併しこの見解は正しくない。哺乳類の場合、カロリー制限では、代謝が遅くな ることはないし、酵母や線虫では、逆にスピードアップされる。 これは、カロリー制限は、ストレス因子の一種で、食物不足によって防御反応が誘発されて、生存 可能性が高まると考えられる。 適度なストレスが SIRT1 の活性を高める。 遺伝子の発現を過度に高めるとインスリン不足になる。つまり、抗老化作用の正体は、抗イン スリンなのだ。さじ加減が難しい。
2016.07.31
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「憂鬱」というコンセプトが文学の中で棲みついているようだ。愉しくない社会であったのだろう。気楽には生きていけなかったのだから仕方がないのだろう。言論の自由もなく、学問の自由もあったとはいえない。そういう中で思想も哲学も文化も閉塞した。人間は環境に影響される。太陽の光を浴びて育つ草木のようにでもある。童話で継子いじめがあるが、グリム童話にもある。聖書の中にも男女の三角関係がある。 ・「上を向いて歩こう」という歌があるが、人間は空ばかり見ていられない。長く上を向いていたらボーっとしてくる。脳の構造は上を向くようにできていない。目は前か下を向いて考えるようにできている。狭い道で歩きながら上を向くのは危険でもある。寝転んで仰向けにでもならないと空は長くは視ていられない。 ・へ2・・・何故「憂鬱」なのだろうか。そういう社会環境に住んでいるからだ。皆が愉快に生きていけなかった。それだけ貧しかったからだ。エネルギーを発散できずにいた。元気な人間は海を渡るしかなかっただろうし、外国で適応できた人も少なかった。多くの人たちが鬱になって、国家を支えていたのかも知れない。そうしなければならなかったからだ。結果には必ず原因や理由がある。だから、日本には「憂鬱」の文学史がある。
2016.07.31
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日本の老齢期には2段階ある。「健全老齢期」は、身体的・精神的に健全な老人。「要介護老齢期」は、文字通り要介護の老人である。年齢だけではなく、個々人の体力・知力・社会的環境から決定される。青柳まちこ「楢山節と比較文化考」という(―昔の老人と今の老人はどちらが幸せかー)というサブタイトルがついている。世界各国にも、活きるためには厳しい環境があるし、体の効かなくなった老人を放置したり、遺棄したり、殺人も自殺もある。ただその事実はつねに闇の中に葬られてきた。 ・アメリカの一部の先住民の間では、補助金や年金をあてにして老人を大切にするという現象もあるらしい。日本でも老人の年金を不正に受給しようとするものさえいる。深沢七郎の「楢山節考」は、日本の社会の暗い闇の中に光を当てたに過ぎないのだろう。潔く死んでいく「おりん」の物語ではなく、殺されて行く辰平老人の物語でもある。果たして青柳の結論である「要介護老齢期」の「今の老人が、生命を保障さているという限りでは幸せであろう」というのには賛成しかねる。 ・へ2・・・放置されたり、遺棄されたり、殺されないから幸せではないからだ。できるだけ、健全老齢期を過ごしたいという気持ちは誰にでもあるだろうが、何れは要介護になる。社会が強者を優遇し、弱者を軽視して止まないことが根底にある。高齢化社会の真の意味を、学者たちも理解していないのではないだろうか。現状で良い筈はない。思い上がった連中の世界観であって好い筈はない。
2016.07.31
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自分のキャパを考えると、脳とともに萎縮しそうにもなるが、しないことにはわからないと思っている。真剣に生きているものには、相手の真剣さが解かる。だから真剣でないと腹も立てる。ゆえに、政治家に下らない人が選ばれるのも腹が立つ。 ・自分が病気したから、病人の気持ちが解かるのだろう。到底医者のように他人事では済まされない。「痛いでしょう」といわれれば「ハイ」と答えるしかない。「苦しいでしょう」も「ハイ」か「いいえ」でしかない。「どうして欲しいですか?」訊かない医師は、医師ではない。自分の足で、山道を歩いてみなければ湧かないものがある。女でないものが子どもを持つ気持ちは分からない。わからいということが解かっているのと、それさえ分からないものとの差があるだけだ。歩いてみて自分の老化が解かる。呼吸をして新鮮な空気を吸えば、汚れた空気の中で暮らしている事がよくわかる。 ・へ2・・・自分が知ろうとしているのではなく、寧ろその逆だということを知るためには、やはり経験を積まなければならなかった。つまり誰にも「棚ボタ」はないし、「鴨がネギ背負って」飛んでは来ない。人間という二足歩行を獲得した動物が、自分の人生のジオ小道を歩いて行くだけだろう。誰も来ない自分だけの人生がある。それに立ち向かわねばならない。
2016.07.31
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ベトナムでは老人が尊敬されるという調査があるが、それだけの理由があるだろう。問題は、措かれた環境でもある。努力すればできる環境があり、公平な社会であることが前提でもある。身勝手な老人が尊敬されるいわれはない。必要以上に尊重される必要もない。弱い者に対するいたわりは、自然の人の素直な感情でもある。老獪な老人が若い女を手玉にとるようなことをしているケースもある。金色夜叉ではないが、カネが敵の世の中にもなる。 ・尊敬されたくてもできない社会でも困るし、エゴイストの社会でも、世の中は不幸だ。介護される必要のない老人に、過度のサービスは要らない。出来ない時に助けてくれるツールがあればいいのだ。統治能力もない老人が指導者のままでいる。名目だけのことで高額の収入を得ているかも知れない。カネは公平に分配されてこそ遣われるべきだ。 ・へ2・・・もう中国でも毛沢東や周恩来の写真をみることは少ないだろう。NHKの報道で、今朝周恩来の話があっていた。どういう人物であったのか、歴史書でしか知らないが、史実に基づいて物は少なかった。世界第二次大戦後の世界で何があったのか、部分的な偏った歴史しか知らないに違いない。日本で老人は尊敬されることができるだろうか。そのために何が必要であり、何をしなければならないだろうか。姥捨て山や、爺捨て山ではよい筈はない。 少なくとも、私たち日本人は、多くの人が無宗教ではないが、キリスト教や、イスラム教のような絶対神を信じていないと思う。国家権力と言うものも、時に国民を弾圧するということを歴史的事実として知ってもいる。政府の言うことをそのまま信じる人がどれだけいるだろうか。世論調査を見てもかなりの人たちが批判的に見ている。教科書に書かれているから正しいとは限らないことも。国家主席や大統領が、その国の人たちからどれだけ尊敬されているのだろうか。尊敬させられているのかも知れないだろう。権力に対する警戒心は常にあるというべきだ。それは自分たちの権利を守り、命を守ることを知っている。テレビをそのまま信じる人は危険である。
2016.07.31
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ベトナムでは老人が尊敬されるという調査があるが、それだけの理由があるだろう。問題は、措かれた環境でもある。努力すればできる環境があり、公平な社会であることが前提でもある。身勝手な老人が尊敬されるいわれはない。必要以上に尊重される必要もない。弱い者に対するいたわりは、自然の人の素直な感情でもある。老獪な老人が若い女を手玉にとるようなことをしているケースもある。金色夜叉ではないが、カネが敵の世の中にもなる。 ・尊敬されたくてもできない社会でも困るし、エゴイストの社会でも、世の中は不幸だ。介護される必要のない老人に、過度のサービスは要らない。出来ない時に助けてくれるツールがあればいいのだ。統治能力もない老人が指導者のままでいる。名目だけのことで高額の収入を得ているかも知れない。カネは公平に分配されてこそ遣われるべきだ。 ・へ2・・・もう中国でも毛沢東や周恩来の顔を視ることは少ないだろう。NHKの報道で、今朝周恩来の話があっていた。どういう人物であったのか、歴史書でしか知らないが、史実に基づいて物は少なかった。世界第二次大戦後の世界で何があったのか、部分的な偏った歴史しか知らないに違いない。日本で老人は尊敬されることができるだろうか。そのために何が必要であり、何をしなければならないだろうか。姥捨て山や、爺捨て山ではよい筈はない。
2016.07.31
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「俗天使」「女の決闘」 ・兼好「徒然草」がテキストになっている。 ・背後にひそんでいるもの・・死神。死が潜んでいる。 ・死は前からやってくるという考えと、後ろに潜んでいると考えがある。(吉田兼好) ・自分(作家)が・・・女になって作品を書いてみるというスタンスがある。 ・鱒二と太宰の師弟関係とは、「師」はいやなもの。オリジナル・・・目覚める。 ・「ヒューマンロスト」で、「パピナール中毒」になり、太宰は強く拘りを持っている。 ・太宰の入院。鱒二に入院させられたことをながく恨んでいた。 ・鱒二著「薬屋雛女房」で、太宰の病気のことを書いた。そのことを根に持っていた。 ・例えば、川端と三島の師弟関係にも憎悪がある。 ・「人間失格」・・・女性遍歴史がある。「書くものがない」自分の一方的私見で書いている。 太宰の焦り。 「俗天使」・・・点描。太宰は、中毒で苦しんだ。入院して気違い扱いされたという体験を持つ太宰は負い目に感じていた。トラウマになった。 ・二葉「文学は男子一生の事業とするに足らず」 ・田中英光「オリンポスの果実」 「 鴎 」 ・梶井基次郎(「蒼穹」)が出てくる。作家におけるものを見る目の存在。 ・女性の立場に立てばどうなるかの関心があった。・・・「被害妄想」 ・太宰の作品の読み方は普通(単純)では、理解できない。話の裏を読まねばならない。 ・そのまま等身大の私ではない。私自身を表現することの難しさを描いている。 ・「マザーシップ」・・・男の内なる母のこと。 ・太宰なりに当時考えていた母像がある。 「アルトハイデルベルク」 ・何故この時期を書いたのか? ・太宰は比較的心の安定がみられた時期の作品群といえる。
2016.07.31
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日本語は、日本文化の中で遣われてきたのであり。これまでの歴史の社会システムを引き摺っているのだろう。例えば、虫音さえリンリンとか表現するが、これも哲学や宗教観や死生観がある。虫も植物も人間と同じ生物であり、お犬様と「生類憐みの令」さえあったりした。言語の世界から視て、どうやら日本語というその中で暮らしていると簡単には辿りつかない部分があるようだ。子ども同士、大人たち。男社会、女社会。上流社会、民衆、あるグループでのセクトの中で疲れてきたことばには同じ言葉でもズレがあるのではないだろうか。外国語ほどではないにしても、解釈に相当の違いがあるようだ。それこそ10年前と現在では、私たちは違う場所に立っている気がする。
2016.07.31
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Erh Chi Chih Fung イー・チー・チー・ファンと読む。中国北部からモンゴルの大草原にかけて 吹く北風。漸く、日暮れが早くなってきた。急ぎ足で季節は変わって行くだ ろう。狭い島国でぬくぬくと生活している私たちには、唯、他人事として、 過酷な自然や日常は過ぎて行くだけだろうか。身に降りかかる自分のこと しか関心のないことで良いだろうか。核戦争や環境破壊が齎す影響は、なっ てみなければ判らないだろうか。非力を憂うだけで良いだろうか。どうも何 の為の教育を私たちは受けて来ただろうか、失望せざるを得ない。世の中は信頼でき るシステムだろうか。私たちの努力は正しく報われるように進んでいるだろうか。 どうも、そうではないのではないだろうか。大草原に吹く風は、太古の昔か ら少しも変わらないようにみえるが、いつか変わり、消えるだろう。 私たちには、永遠の時はないのだ。 できる時にできなければ、淘汰されるだろう。
2016.07.31
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ひとは何歳まで生きられるか? 真正面から自分の寿命に付いてなかなか取り組む人は少ないのかもしれない。科学がそれほど進歩していなかったのもある。ブラックボックスでしかなかったものが多過ぎただろう。科学の子として生命を考えることができる。どこまで知ることができるかは本人の努力次第ではないだろうか。誰にでも自分の生命活動を知ることができるのだ。 自分がどういう死に方をするか、これは誰も一番関心がある問題でもあるが、それが分からないでいる。あまりにも生命の営みは一様ではないからだろう。リスクが多すぎることもある。それこそどんなことになるか、その時次第でもある。高齢になれば、さらに生き残るためにチャンスが減少している。いつまでも悟れないが、死に対して敏感であることも好いことばかりではないのだろう。
2016.07.31
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現地見学のツアーで、山鹿市に行き昔の街道の見学をしたが、一番興味が湧いたのは「鞠智城」の存在だ。まだ発掘そのものはそれほど進んではいないようだ。研究もどうなのだろうか。何処までの体制で臨んでいるのだろうか。歴史に対する地方の取組みは必ずしも潤沢な予算がある訳ではあるまい。目先の利害に目を奪われて、地道な研究が蔑ろにされがちだろう。果たしてこれだけの兵站基地が7世紀に存在しえたのだろうか。そして防人が100人規模で辺鄙な山の中に暮らしていたのだろうか。余りにも史料がない。遺跡の発掘もこれからなのだろう。それより先に新しい観光地が優先したのではなかろうか。 ・どうも、俄かに信じ難い気もしないではない。研究の成果がどこまで伴っているのだろうか。これまで知らなかっただけに、容易に信じられない。歴史に消えたのは何故だろうか。それにして防人の存在は、どこか万里の長城の築城に当たり、駆り出されて亡くなった多くの農民たちの姿を重なってくる。万里の長城では、妻が遠くから夫を探しに来て、壁に塗り込めた夫の亡骸の前で泣くという話が思い出される。 ・へ2・・・防人は、東北から連れて来られて過酷な生活を強いられた。食事は一汁一菜で塩がつくくらいであり、藁やゴザを敷いただけの粗末なものであり着物は麻でしかなかったといわれる。万葉集に防人の歌が残っている。それこそ家族から引き離された悲しみに充ちたものばかりである。為政者に都合のいい歴史ばかりがのこされ、都合の悪いものを消し去ろうとしているようでは、真実を知ることはできない。
2016.07.31
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from womb to tomb (子宮にいる時から墓場まで)"from the cradle to the grave"。 もう一人の自分と話をするが、日本はやはり貧しい国ではないだろうか。姥捨て山の時代が まだどこかでつづいている気がしてならない。貧しければ貧しいなりに生きようはある。共に 生きることだろう。援け合い慰めあって生きて行かねばならない。そうしなければ生きていく ことができないからだ。そのためにはこころを一つにして竃けむりを気にしなければならな い。「ゆりかごから墓場まで」というフレーズをはじめて聴いたのは中学生の多感なころだっ たので、深く感動したのを覚えている。人間は気高い生物なのだと思ったからだ。 しかしながらこの政策は膨大な財政支出をもたらし、極端な累進課税制の採用に至り社会的 活力を削ぐ結果となった。このため「小さな政府」を目指すイギリス保守党のマーガレット・ サッチャー政権下で同方針の転換が図られたが、今度は保守党の新自由主義政策によって失業 率の増加と所得格差の拡大を生む結果となり、ロンドンを除くイギリス経済は沈滞を続けた。 このため、労働党が政権を奪還した後のイギリス社会は第三の道路線へ進む事になる。(出 典: Wikipedia) ・物事はそれほどうまくいかないことはこれまで生きてきて知っている。本音と建前が違う のは世界中での常識でもある。もうひとりの自分も、その本音だったり、建前だったりもする のだ。こうして年金問題ですったもんだするのも、日本という国家が要は貧しいからに外なら ない。カネがあれば使いたくなる。汚職が後をたたないのも人間の弱さの所以であり、私利私 欲もそのためだろう。理想も現実によって蔑ろにもされる。
2016.07.31
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適応には、生物の形態や行動が非常に精巧にデザインされている。生存や繁殖の上で有利である形質を備え持つこと。それを持つことによって同種の他個体に対して、生存繁殖の上で有利さが生じるような形質をもつ。 事例として、インドガンのヒマラヤ越え、カッコウの托卵、さまざまな擬態、蝙蝠の超音波利用、人の手の器用さ、優れた知性 等。 現実社会に埋没せず、如何にジャンプできるか。それだけのパワーを内包しているか。誰も後押しはしない。自分で一から遣らなければできない。誰にもできないからやらなければ死んでもできない。デッドロックを乗り越えてきた。それが現在であるが、それは先人の成果であって私たちのものではない。寧ろチャンスを活かし得るか。 山のようにチャンスがあってもそれを活かせない。どうしてだろうか。時間はないのに。崖渕まで来ないと分からないようでは、何もできない。未来の匂いがわかなくなっている人間社会である。言っている意味を解するものだけが分かるのだ。新しい形質をもつか。
2016.07.31
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地球が宇宙のミラクルと言えるかどうかは別としても、それに近い存在であることを、漸く科学的に解明されようとしているが、もし、そうだとすると、人間の存在も、そのミラクルの線上にあるとすれば、こうして存在している私たちもミラクルの中である。生きていること自体が、それが、たとえ一瞬の出来事だとしても、ミラクルの歓喜を感じるべきでもあるのだろう。 ・生きていることができるということは何とミラクルだろう。日々、新しいことを発見できるということは限りない歓びでもある。一日は待ってはくれない。時間は刻々ととどまることなく新しい時を刻み始める。時は不可逆と思っている。実はそうではないかもしれない。私たちが信じているすべては信仰でしかないのかもしれないだろう。 ・へ2・・・本当のミラクルとは、何なのだろうか?それさえわからないのだろう。まだ視えてこないものが沢山ある。そのための世界人口75億ではないだろうか。全方位で種としてのヒトの未来を探さなければならない。ヘビのような強かな知恵がなければならないのだ。
2016.07.31
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自分の身を何処におくかは重要だと思う。フットワークの悪いひとは結局頭が悪いのだろう。いつも日本のことばかり考える人が、日本を見失うのではないだろうか。だから、10年も同じ事を遣っているとすれば、環境に潰されてもしまう。手足をもがれてしまうのだろう。 自分で壁を造ってしまっているひとが、取り込まれている姿は、哀れである。意外とそのことに気付いていないのは、この病の特徴でもある。自惚れシンドロームでもあるのだろう。 誰も注意しないから、偉いのではない。そうさせているのは自分の我執でしかない。保身でないことに気付くべきだろう。 さて、ドイツ観光だけど、ローテンベルクは、ロマンテック街道と古城街道の交差点ですね。いいところみたいですよ。「中世の宝石」だものね。それでも、それを残そうとする人たちがいるのでしょうね。文化を大切にしている。 「街」そのものを残そうとする文化こそ本物ですよね。それこそ、壊してしまうばかりの日本とは大いに違うし、利権ばかり主張している社会では為しえないのではないか。 文化の質を高める必要があるのではないか。破壊しようとするのではなく、自然というスペースを 残すためにどうすればいいかではないか。中世の町が残っても、そこに住むひとが21世紀の精神をもつひとであればいいのではないか。 こころのフットワークが軽やかであれば、遣れることは色々あると思います。日本にも、よき時代の町があってもいいと思うのですが・・・。 こころが揺れ動いてばかりいます。古典世界文学でも読もうと思っています。いつかゆっくり読んでみたいと思っていましたが、かなり冊数はありますが、書棚に積み残している蔵書がまだありますが、宿題のままです。そろそろ始めないと心残りになりそうです。平均寿命が80.5歳になり、ボケないうちに始めたい。
2016.07.31
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国家という社会の常識で私たちは教育され或いは偏向した考え方を持っているかも知れない。戦前と違うというだろう。確かに違うが、それがすべてではないことを知るべきだろう。中国は愛国教育をし、戦前の日本との戦争をいまだに教材にしている。反日教育は、当然だというだろう。過去の歴史を忘れないためだというだろう。敵が味方になった日本の戦後教育もある。 ・措かれた環境で違う。国家に理性はあるだろうか。領土問題もいつまで遡るかで違うだろう。もとは国境はなかったのだ。あとから人が支配したものだったし、その時代や軍事力で決まった。あとからルールが決められたに過ぎない。些細な出来事から戦争になった例はいくつもある。戦争をさせようとする勢力もいまだにあるのだ。彼らにとって邪魔者を消そうとさえする。20世紀は、戦争の世紀でもあった。1億人の人が犠牲者でもある。 ・へ2・・・核兵器は、すでに多くの国家が所有しており、いつでも地球は火の海になるだろう。ヒトの細胞は、放射能に晒されると一挙に絶望してすべての生命活動を放棄すると言われる。人は人という生命を消し去るのだ。それは地上のすべての生命に言えることでもある。それは「神の火」なのではない。人が人として生きることを絶望した瞬間になる。そしてすべての生命にとっても同じだろう。それは科学だろうか。愚かな科学者の人類だけではなく生命の反逆でもある。罪を感じないとすれば、それはモンスターになったに過ぎないのだ。
2016.07.31
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つい先ほどまで幸福そうにしていた人が、突然の不幸に墜ちることだってある。昨日までの幸運は一瞬に遠ざかることだってないとはいえない。いつまでも若いわけでもなく、健康も段々怪しくなっても行くのだ。生き残っていくためのコストを払いながら、悲鳴を上げながら耐えていかなければならない。強い人たちは涙一つ流さない。 ・人間がどうして生きておれるか知っている。自分だけが不幸とは決して思うことはできない。むしろその反対だろう。みんなが王様で生まれてきたのではない。そして厄介なこともある。過ぎ越しができるだろうか。はらはらドキドキしながら暮らしている。 ・へ2・・・私が死んでもたれも悲しまないが、喜びもしないだろう。それだけは救いだ。この社会に迷惑はかけたくない。もっと不幸に生きた人たちは大勢いるからだ。不遜にならないことでしかない。都知事選の結果はどうだろうか。人を見損なってばかり。
2016.07.31
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あっと驚く亀五郎。あの表情が面白かったが、いまみたらどうなのだろうか。おもしろてやがて悲しき鵜飼いかなかもしれない。ジョークの笑いも長続きしない。こうして生きていられるのは現代医学に助けられているからだろう。DMもインシュリン注射がない前は、絶食しかなかったのだ。薬があるから・・・のひともいる。そして依存症にもなる。 ・いのちを人質に取られているような生き方しかできないのは悲しいが、それが現実でもある。生意気な医者たちもいるが、決して甘くはない仕事だろう。ごめんなさいはない。昨年暮れとこの7月と義母と伯母が亡くなったが90歳を過ぎていた。今だからでもあるのだろう。 ・へ2・・・よほど根性がないと90歳まで生きておれそうもないが、確かに二人ともその根性があったのだろう。平均寿命に行くまでに亡くなる人たちもいるが、それは医学的に説明の出来るものばかりだろう。ちゃんと原因も理由もある。墓穴を掘るというが、そういうことばかりしている。今更だがミクロの世界の激しい戦いは自分の体の中でも起きているようだ。
2016.07.31
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恵まれすぎた子供が、時々凶悪犯になって世間を驚かすことがある。社会がねじれてきたこともあるに違いない。日本も明るい未来ではないこともある。男の平均寿命が80歳を超えたというニュースも、統計のマジックなのではないだろうか。問題は健康寿命だ。寝たきりの高齢者が増えているだけでは悲しいだろう。 ・疎外されていること、早熟な子供たちが知り始めているに違いない。そして自分の未来に簡単に絶望してしまいもする。それこそ虚偽に満ちた華やかな世界を子の商業主義は宣伝ばかりしている。地道は働いている人たち蔑ろにしてもいる。ゲームで食える人たちがどれだけいるだろうか。 ・へ2・・・これからますます自己責任の世の中になっていくのだろう。だれも自分の命を自分で守るしかない。それができる人でなければならなくなるのだ。生きている今しかない。
2016.07.31
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ゲーテは、30年戦争後百年後に生まれたが、当時のドイツはまだ憐れな田舎にすぎなかった。 新教と旧教の争いの場が、ドイツが中心だったために絶滅した村落も多く。人口は半減した。しかもドイツは絶対君主制の小国が分立して、統一国家を実現していたイギリス、フランス、スペインなどに比べてすべての点で遅れていた。 ラテン語で書き、フランス語で喋るのが文化人だった。 ゲーテは、そのドイツを世界の檜舞台に押し上げた。83歳の生涯だった。ゲーテの文学を読む為にドイツ語を学ぶ人が増えた。 ゲーテは、偉大な俗物だろうか。 ある意味で、ゲーテの「ファウスト」は、人間は何であるかをいう問題に挑んでいった作品であるともいえる。命がけで革命に身を捧げていたレーニンが「ファウスト」を身辺から離さなかったといわれている。 イデオロギーがなんであろうと、それ以前に、一個の豊かな人間でなければ、それこそ何の魅力もないのではないか。ゲーテは、いまなお私たちに語りかけている所以であろう。
2016.07.31
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本当の加齢の怖さを他人事のように思っていた。そして気づくことがあっても知らないふりをしていたようだ。体のあちこちでそれが始まっている。知っていようといまいとおかまいなしに事が進んでいく。イエローカードで済めばいいほうだろう。一発退場にもなりかねない。健康オタクが、重態オタクになりかねない。知らぬが仏というのは、それだけ助かっている面もある。もし全部わかっていたら、とてもまともには生きていけないだろう。そろそろあそこがどうなってきて、リスクが高いとか考えていたら、仕事どころではあるまい。知り過ぎた医者は早死にしなければならなくなる。死を恐れない坊さんが却って長生きしている。 知らないでいたほうがいいこともあるのかもしれない。予見できない動物たちがのびのびしているように見える。あっさり潔いように生きている。命は何より大事であるが、自分の命のことしか考えようとしない人たちもいる.イスラエル政府のやり方は文明の衝突を進めるだけだろう。
2016.07.31
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規範的家族が、漸次社会の変動で揺らぎ出してかなり時間の経過があるが、それは中々目に見える 容ではない。OCWも愈々本格的に稼動し始めたようだ。どうやらその兆しが見えている。あとは津 波のように、荒波を受けることになる。おそらく、たいていのことは理解できるだろう。それは、 多くは出す側により多くの負担になるが、それはまだそういう時代でしかないから仕方がないだろ う。寧ろ研究者が、これまで怠惰であったのだ。Creer des liens ?だってそうだろう。狭い井底 の蛙でいるから、いつまでも通説としての翻訳ができないのであろう。 人間の脳の知的能力を一番強く妨害しているのは人間自身だ。真実を懼れるから間違いを取り返し のつかない高みにまで押し上げてしまう。無知を恥じることはない。無知なのは個人だけの責任で はないだろう。教育者も責任があるだろう。分かる奴に分かれば良いというのは、それこそ莫迦で もできることではないか。我輩とか、余は、とか言っていた時代と少しも変わらない。 それこそ、中学生でも分かるように講義すればいいのだ。専門用語でしか説明のできないことなど それこそこの世の中にそうあるとは思えない。陪審制度も、一般人が判決するとなれば、専門用語 だけでは通用しない。研究者が下りていくのではない。寧ろその逆だろう。研究者が現実を 知ることになる。私は幸福だろうと考える。イエスであり、ノーでもある。それはどうしてであろうか。個人的には満足できても、家族はどうだろうか。社会はどうだろうか。エゴイストの視点でしかないのではなかろうか。そこが問題だ。
2016.07.31
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山の時間。好いフレーズですね。ヒトは山から下りてきた。そして街を造り暮らしてきたが、環境を壊し過ぎたかも知れない。増え過ぎた人口は、すでにヒトはブレーキをかけ始めているのかもしれない。自分の生きていけるエリアを喪いつつある。猛暑に苦しんでいる場所からミストの多い山にくるとミトコンドリアも喜ぶのだろう。 山への憧れもあるが、クスコでは高山病になったのは自分には心当たりがある。自分の生きていける空間が狭まっている。この猛暑も堪えているが、自分のくらしの中のそのわずかなすき間から零れてくる光と時間が輝いて見えてくる。 一人一人が自分に相応しい人生をものしてほしいものだ。それを誰も妨げてはならないのであって譬え国家であろうと。
2016.07.31
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ヒトには92のテロメアがある。役割は、染色体末端を損傷しないように保護し、他の染色体 との結合の防止、遺伝子発現のコントロール、細胞分裂の寿命の規定、老化時計など。ヒトの 体細胞には分裂回数に限界が持つことが1961年ヘイフリックによって報告された。染色体 の末端領域で細胞分裂のたびにこのテロメアが短縮していき、ある一定の長さになると分裂を 停止する。 ・老化は遺伝子のプログラミングだという説がある。 ・へ2・・・ヒトはたくらみのある存在でもある。物理の法則はつねに目の前にある現実でも ある。M9地震も、巨大津波も、原発事故も。 私の一日も、この猛暑中。テロメアの短縮が、すべてのひとの人生を終わらせる。
2016.07.31
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ヒトを生んだ水が、ダイヤモンドのように美しいのだと、屋久島の自然は教えてくれた。日本 には自然の世界遺産は少ない。そこまで出掛けて行くのは簡単ではない。小笠原も行きたいが 行く機会があるだろうか。容易に行けないから自然は護られてもいる。ひとは炭酸ガスを吐き 出している。ヒトが行けば汚れてしまう自然がある。私たちは加害者でもある。生き物を食べ 自然を汚してもいる。それでも活かしてくれている。
2016.07.31
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マクロ・スコピックとミクロ・スコピックとの間で物事は起きる。その総体の把握が重要である。よく言われるように、「木をみて森を見ない」ことになりがちだ。宇宙の膨張を見る望遠鏡と、極致の組成物質を発見しようとする顕微鏡の違いがある。この中間的な見方をメゾ・スコピックと呼ぶ。 ・それにしても、私たちの時代認識の「空白」は長過ぎるのではないだろうか。ものには限度があり、ポイント・オブ・ノーリターンがある。生命に限界は一度限りであるが、人間社会では何回でもある。どうも日本人の目はミクロに偏りがちではないだろうが、巨視的な側面が欠落しがちである。眼鏡のように遠近両用というわけにはいかない。 ・へ2・・・他人に頼らない個人の能力が試される時代が来ようとしており、自立の準備がされ始めているのではないか。小さく固まって力を発揮していた日本人たちが、ばらばらにされようとしている。それに耐えられるものだけが、これからのマクロとミクロの間に存在理由を持つことになるのではないだろうか。
2016.07.31
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それこそ在来種だって、場合によって外国では外来種になり、外国で荒らしまわって困っている種もあるそうだから一概に被害者意識だけではないが、異常気象もあり、近未来では、劇的な生態系の変化アもあるに違いないし、日本人もいなくなっているかもしれない。そのうち絶滅しかねない。10年くらい前で、横浜に単身赴任しているとき、街を歩くと外国人を見かけていたが、今では福岡でもあちこちで見かけるようになっている。 ・まず意欲が違う。ここで何かをしようとしてくるのだから、違うのは当然だろう。ニッチを奪われかねない。危機感も違うのではないだろうか。保守意識だけでも勝てない。いつまでも靖国神社でもあるまい。伊勢神宮にお参りする政治家もいる。見ているところが違うのではないだろうか。 ・へ2・・・それぞれの自分の仕事をしているが、社会的にしなければならないことを確実に成し遂げなければ、社会システムもおかしくなる。公平な社会があってこそ、個人の努力も報われる。破滅に向かっている社会も個人もあることを忘れてはならない。
2016.07.31
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2016.07.31
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レイチェル・カーソンは、しばらく使っていなかった感覚の回路をひらくことが、如何に大切か、を説いています。「それが、見慣れた風景だとしても、自分自身に問いかけてみて、もし、これが、今まで一度も見たことがなかったとしたら? もし、これを二度とふたたび見ることが出来ないとしたら?」 私たちは、多くの人が科学的知識をもたないまま、自然に接していますが、その美しさはその時々で、自分の心の持ちようで変わるもんだということを知っています。もし親を亡くしてその日の夕陽を見れば、普段と違うものに見えるでしょう。同じ夜明けでも感情が高ぶってみる風景はやはりいつもとは違う。子どもの時の初めてみる感動の感覚の回路は、多くの人が徐々に閉じてしまい、感動を失っていくものらしい。その感覚の回路をひらいて見ることの大切さをいっています。
2016.07.30
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「スタンフオードの監獄実験」は、衝撃的だ。それこそ大学の学生によって実験されたが、被験者は或る程度の教養を具えた人たちでもある。それが、看守と囚人に分かれて数日で、虐待を始めたという。兵士たちが、戦場で残忍な行為を平気でして殺し合うようになるというのが頷ける。 人が変わり悪魔にもなるのだろう。 ・それこそ映画や小説で描かれている戦争とは違う。英雄が誇張されて後世に描かれているようにではない。 原爆体験も恐らくことばにはできないのだろう。この世を悍ましい世界にしてはならないという理性が働くからだ。人間は悪魔になりえないと信じたいのだ。ところがそれこそ普通の学生が、その状況次第で、残虐な人間に変貌してしまう。その恐ろしさが、隠されている。 ・へ2・・・ ひとは善人でも悪人でもない。ある状況になるとそれに適応しようとする。兵士は敵を殺すことが仕事である。ただ美しく立っていては仕事にならないのだ。兵器は、使うために造られる。核兵器もあれば遣う人が必ずいる。大統領も、どんな人が大統領になるか分からない恐れがある。自滅への道を選ぼうとしてはいないだろうか。
2016.07.30
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矢張り身近にある自然の話は、こころにインパクトが強い。福岡市東区の雁ノ巣から立花山までの植物生態学の先生の話で、興味が湧いて楽しかった。外来種と在来種の問題は、深刻のようだが、あとで手遅れになって騒ぐのだろう。怖い話ばかりだったが、色々植物の名前を知ることができたのは収穫だった。 ・何度か講師の講義を聴いているが、コギシギシの名前が解らなかったが、今回それを確認した。絶滅危惧種のこの植物を、大学の近くで発見されたらしい。ふつうの田圃の近くで生息しているらしく、500株からこの数年間で3000株まで増えたらしい。希少植物の保護が問題で、あまり知られると荒らされる懸念がある。 ・へ2・・・一度それとなく探しに行ってみたい。宝探しのようなものだが、見つけたからどうのではない。雁ノ巣から奈多、そして和白干潟から、唐原川をさかのぼり、立花山へのルートは、私のウオーキングコースでもある。それを講師は、自分で歩いて多くの写真を紹介されていた。なかには特定外来種で、家に持ち帰れば処罰される種もあるとのことだった。在来種は、急激に淘汰されている。 現在、渡り鳥のシーズンも終わり、何をしようと思っていたが、近くの調整池が、トンボの澎湖だと解り、それを写真に撮り始めたところだ。赤トンボが家の前の公園で、集団で舞い始めたのは知っていたが、こんなに近いところに穴場があると驚きだ。よくアオサギが来るところでもある。
2016.07.30
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アドレナリンとインスリンが拮抗して血糖量の調節する。ホルモンは、バランスを崩し続けている。そろそ ろ、癒しが必要だ。軌道は、想定外を走っているようだ。別に目先に拘り固まっていないが、嵌るリスク はあるだろう。無知がすべてを破壊する。モードの切替が必要だ。一瞬のチャンスである「休眠打破」がある。 自分にとっての「生甲斐」とは何か? ワークショップの目的とは? それは、他人と違う人生を生きたひとがたどり着く、人間としての感慨でもある。「ああ、遣るだけのことはして、生きていて本当に良かった」と思える心境でもある。 自分にとって本当に大切なことを思い出すこと。自分を引き止めているものと対話をしてみる。自分らしい生き方のビジョンを描いてみる。自分の内なる知恵に耳を傾けることだという。 自分の才能を知り、それを最大限に発揮しようと努力しているか。充実感をもって暮らしているか。自分のステップは、この社会の、そして一生の、どこに位置しているだろうか。明日のために、自分は何をしようとしているか。 質の高い人生の為に、内なるコンパスを持っているか。あらゆる困難は生きていく上での避けることのできない局面だと、理解するだけの余裕と、素直さを準備しているか。 もし行き詰ったとき、どうすべきか、どこに行くべきか、その場所を用意しているだろうか。象の墓場をもっているか? 緩やかに月日は過ぎて行くが、その流れは大河ではない。国家にも、個人にとっても、品格が必要だ。
2016.07.30
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仏教の講話を聴いていて、これが自分の幼児体験のルーツにあるのだろうと、ふと思った。私は一人っ子で、「ばあちゃんっ子」でもあったので、頭の中に刷り込まれた世界観が、のこっている。それが祖母の宗教観でもあったのではないだろうか。思い当たるフレーズが、仏教思想でもある。五木の子守唄も、根底にあるものがそうではないだろうか。 ・自分が存在し、もろもろのものがあり、ヒトには差別があり、身分社会があり、優秀な人間や強いものが勝つ世の中である。自分や自分以外のものが全部集まって、日本社会があり、国際釈迦があり、地球があって、太陽系があり、銀河系があり、その先の宇宙があって、私も存在しているという人生観でもある。過去から現在になり、未来に向かって時間が不可逆に連続していると。 ・へ2・・・これまで、仏教といっても般若心経とか、それこそ色即是空、空即是色とか。是故空中とか、不生不滅とか、現実感のないことを勝手な考えをイメージしていたに過ぎない。それこそ社会が、そこに近づかないようにしていたのだろう。帝国主義の植民地政策は、自分たちの哲学を超えない人間を造り、教育することでしかなかったのだ。幻想を見ていたに過ぎない。この猛暑の午後に中村元「仏伝」を読了したが、また興味がわいてきた。
2016.07.30
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クスコ 心がどう動き、人間がどのように学び、成長し、文化がどのように進化するか、新しい進化論で説明が心理学を変えるだろうか。 ・へ2・・・ミームは概念をもつものを情報の適応進化という形でまとめて議論できる非常に便利な概念である。識別ミーム、戦略ミーム、関連づけミームに分類できる。ミームの進化には人類の本能が深く関わっている。人間の本能に訴えるミームは、そうでないミームより、うまく自己複製しながら拡大する。人類は遺伝子の複製をつくるために存在すると考えられている。これを利己的遺伝子と呼ぶ。 ・ブロディは進化の本質を次のようにいう。 ・「進化は物事がいかに複雑になっていくかを記述する科学モデルである。進化には信頼 性をもつ複製と改革が必要である。 ・信頼性が高いと変化がない(改革が必要) ・信頼性が低いと、もともとの性質が失われる(信頼性のある複製が必要) ・因って適応性は複製されやすさであり、適応性が高いものは複製される機会が多い。 ・遺伝子の立場からいえば、人間はただ遺伝子を生み出すための道具である。進化は生命体が進化するのではなく、遺伝子が進化するのである。」 ・ミームの進化は、私たちの心が考えや行動の複製と改革に優れているために起こり、ミームのコピーをつくるために存在している。心だけでなく、都市や国家も、テレビなどもミームの複製のために存在している。従って、ミームの進化の方向性は、より文明化され、より思いやりのある社会へではなく、単により多くのミームの複製がつくれる世界へ、である。あるミームが人類のためにあるかどうかは、関係がないのだ。ファシズムはミームによって拡大した例であろう。人類のもつ危険な側面でもあるだろう。
2016.07.30
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・へ2・・・そう思う者に取ってはそうなのだろう。いまも時代は、怒涛の如く生きる者にとって世界は怒涛なのだろう。ふと気がつけば自分の身体が消えているかもしれないエリアの中にいる。知らず得体の知れないものを身に纏っているしれないあー。昨日の観念が腐ってしまうかもしれない恐怖を感じる時代だろう。昨日のステータスがリセットされている自分自身に今朝にも出遭うだろう。おそらく核時代であることが脳裏から離れない世代なのだ。 ・日々無力感がないではない。はたして就中平和は可能なのだろうか?オオカミの狼に対する戦いでしかないのではないか。 ・へ2・・・陳腐化する時代を止められないとすれば、私たちは何を目指すべきなのだろう? 怒涛の如く、走り出す行き先とは何が待つのだろうか。現代社会の情報過多がもたらすものとはなんだろうか。 今更目くじらを立てて言うべきことがあるだろうか。 ちゃちな嫉妬で狂っているだけではないか。 日本人の蒙昧は死に至る病ではないだろうか。それは知らない。 ・いまや見せかけのイデオロギーの罠にはまるほど小さな自分でしかない。 ・へ2・・・また原爆投下の日が来る。どれだけ弁解しようと、如何なる原爆投下も肯定するのは卑劣でしかない。どれだけ飾り立てようと戦争は悪であって、正義ではない。 怒涛の如く、平和に向かうべきだろう。
2016.07.30
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いつも夏は暑いが、今年の夏は堪える。外に出る元気も出ない。何時か越せない齢もある。これがそうだというのだろうか。夢幻の如くなり。好きなことをしただけ出来ただけ幸運と言うしかない。去りゆくものは、年月ともに消えていく。第三次世界大戦が始まっているという人がいる。あるいは伏線になるだろうか。 ・明日、何が起きるか知らない。そしてそれば起きてみないと解らないが、いつも想定外だ。人生も始まったばかりの人たちもいる。独裁政治が、多くの人たちを苦しめてきたが、一部の人たちはそれで恩恵も受けてきた。ヒエラルヒーは、いまだに底辺の人たちが支えている。トランプ大統領候補は、何をするつもりだろうか。誰がなっても、今のアメリカでしかない。 ・へ2・・・社会的ステータスが、その人の意識を決定する。安倍首相も同じだ。だがそのバックボーンがどんなものかだ。戦時中の内閣は殆ど軍人だった。 それを天皇制は利用した。また不思議なことが起きようとしている。そのことに誰も口を出さない。日本人の限界なのだろうか。今日テレビで、「スタンフオードの監獄」という実験の話があっていたが、人間は措かれた環境で直ぐに悪魔になってしまう結果に恐怖を覚えた。それは、人が一番恐怖を覚えるところでもある。
2016.07.30
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・日本における旧石器時代研究の突破口となり、日本考古学を飛躍的に発展させた人が「岩宿文化」の相沢忠洋だ。誰にも顧みられずひとりで自転車で行商のかたわら石器や土器のかけらを収集していた。出土地毎にまとめて佃煮の空箱に入れていた。 ・H2・・・当時まで「日本には旧石器はない」と言われていた。彼は余りにも若く、無名だった。1949年(昭和24)稲荷山の赤土層(関東ローム層)の中から槍先形をした黒曜石のみごとな石器を発見した。このひたむきな問いかけこそ大切なのだろう。学問の進歩とは器用な小手先のわざからは生まれないことを、思い知らねばならない。 ・彼の発見は無名ゆえにその業績を当初評価されなかった。 ・H2・・・その偏見が、学問の進歩を停滞させてきたのだろう。学歴や社会的地位だけで判断するという権威主義が広く一般に流布しているためだ。それは固定観念でもあるだろう。それを叩き直さない限り、学問の進歩はないだろう。まだ多くの日本のあけぼのを待っている遺物が多くあるのではないか。そんな気がしてならない。 ・それこそ誤った観念があるのは確かだろう。それをひとつひとつ検証すべきだ。 ・H2・・・ジャンプのためには地道な努力こそ大切だろう。それが忘れられているのではないか。それが大局をみようとしない今日の成果主義ではないか。勝手な思い上がりが歪な社会を創り出してもいるのではないか。
2016.07.30
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女性たちから相手にもされない嫌われる男たちが増加している。 それは反対かも知れない。或いは両方とも間違っていないのだろうか。無理心中をするひととか。相手と相談もしないでやられたらたまらないが。相模原事件は、この社会の脆弱性を示しているのだろう。後の祭りで騒いでいるだけだ。どこに問題があるのか、本気で解決しようとしない国民性がある。 ・腐ったものを水に流そうとする。いつまでも腐敗は止まらない。健常者しか活躍できない社会にしているではないか。姥捨て山が昔からの伝統でもある。そして一部の老人たちがこの日本の未来を滅茶苦茶にしようとしている。あとは野となれ山となれなのだ。カネをばらまいてくれる人が好い人なのだ。できもしないことを言いふらしている。 ・へ2・・・浮かれている間に、危険な崖の上に連れていかれるだろう。気が付いた時には、ポイント・オブ・ノーリターンだ。惨めに死んでいくだけだ。悧巧な女たちは、この国の男たちを軽蔑し始めている。スマートサンを産みたいと思わなくなる。ヒトラーのような若者が、いるのだから・・・。
2016.07.30
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加齢とともにミトコンドリアのゲノム・DNAに変異が蓄積すること。ことにゲノムの複製に重要な1千塩基対より 特定のDNA断片に変異の集中が判った。若い内は惹起せず高齢者に5%~50%の確率で起きる。ミトコンドリアのDNAは、核のDNAと異なりヒストンのようなタンパク質による保護が無いため変異の確率が10~20倍高いと言われる。せっかちマウスは短命でのろまの亀が長生きなのはミトコンドリアの活性酸素の放出と無縁ではない。大食いは大量の活性酸素を作り出し動脈硬化と老化を早めることになる。複製のエラー:ミスマッチが発ガンと結びつく。体のメンテナンスは、常に点検を怠らず傷ついた部分を修理しなければならない。手当てをしないと家屋のメンテと同じで怠ると木造家屋なら先ず30年持たない。パーツも大事にしないと修復できない運命だ。生殖に到るまで個体差が少ないのは子孫を残す為だ。生殖との係わりが希薄になると多様な個体差を生じてくる。熱力学第二法則のエントロピー増大は、生物を含む全ての物質は劣化を免れない。問題の所在は何か。意義があり。沿革・構成要件の総論があり。そして存在理由がある。企業も生きているのだ。遺伝子からみれば人体は道具である。脳も精密マシーンでしかない。感情も化学作用で喜怒哀楽がある。どれだけの情報を持っているかで未来は決定される。情報能力のない個体は生き残れない運命だ。蚯蚓でさえ移動しなければ同じ環境で生き残れないことを知っている。遺伝子にプログラムされているからだ。シンメトリーな異性を好み優れた子孫を残そうとして、仕組まれたDNAが遠い数十億年の彼方から来ている。存在理由のないものは消去される。
2016.07.30
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春、アサギマダラは、喜界島を飛び立ち、2000キロをもろともしないで飛来する。その生態は、一般市民も参加し て調査されている。そのエネルギーは凄い。海面で休むのだろうか。気流をどこまで利用するのだ ろうか。どこまで飛べるのだろうか。これまでの最高距離は2,140キロだ。モットかも知れな い。花を求めているのだという。その生態に学ぶものはないだろうか。小さな蝶でさえ、2000 キロを移動しているのだ。日本だけではない。アサギマダラだけでもない。もっと凄い昆虫がいる だろうし、もっと凄い生命がいるだろう。人間が、知らないだけだろう。やっと人類は、この世界 のミラクルを知り始めたのだろう。何故、恋人でなければならないのだろう。それは何が決めるの だろう。この不思議は、いくつもあるだろう。生物は、その生命を最大限に拡げようとしており、 無知の人間の想定を軽々と超えているだろう。人類は、生命の王者でない。海を渡る蝶は、それを 語るだろう。
2016.07.30
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今をどう生きるかであり、精一杯の努力をしないと、途端に歩けなくなる。調子に乗っていると碌なことにはならないのが常だ。自分をだますのは簡単でも、世間はそうはいかない。辛辣な目をした人間もいる。 ・日本の男性の平均寿命が80.5歳になったとニュースで報じられていた。問題は、豊かな生活かだろう。生きているかだけではない。段々と暮らし向きが悪くなっているのではないだろうか。実体経済はよくない。経済は改善された景気は上向きだという専門家の話は眉唾だろう。 ・へ2・・・無責任体質が、東芝のようなことになる。自分の保身のためにどんなことでもする。それこそ野蛮人はだれかだろう。中学生の子供の自殺もあとから騒いでも遅い。教師たちは逃げているのだろう。社会全体が、狂い始めている気がしてならない。今を大事にするしかない。
2016.07.30
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海の中道 島国と云う自然環境は大きいのだろう。同じアジアでも韓国と日本では立場が違いもする。台湾とも違う。そして、その他のアジア諸国とも違うだろうし、欧米とも違う。国境を他国と接して、周囲を囲まれた国家と云う存在は、常に自国の存在理由を必要としているに相違ない。強国に常に目を向けていなければならなかった時代がある。そして滅亡した国家も数知れずある。淘汰されるのは自然ばかりではない。 ・外圧によって開国され、自国の文化さえ視えなくなりつつある。他国の文化に支配されるだけではなく、個人も他人の生き方を真似ようとさえする。自立のない国家は、自立のない国民を創ってしまう。どんな色にも染められてしまうのは、人間社会にありがちなコピーから始まるルーツがある。ひとは自分の環境次第でどんな人間にもなるだろう。 ・へ2・・・重力に支配されている。ひとは支配された存在であると言えなくもない。地上に閉じ込められた生物でもあるのだ。小さな細胞の塊でしかない。蓑虫のように袋から出られない人生もある。休眠を打破していかなければ、そのままではいきのこれないことは言える。外圧はいつも都合よく起きてはこない。
2016.07.30
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ヒヤヒヤ、びくびくして生きていると言えば言えないことはない。所謂下女や下僕を雇っている代助も親から兄から食べさせてもらっている。決して自由ではない。30歳にもなって、このまま死ぬまでそのままでいたいと思っている。自分で好きな女ができたとしても結婚もできない。まして友人の妻を奪おうとする。それがインテリだという。結婚に勇気がいるのかと父が言う。これは何かのアイロニ―なのだろうか。課題が見えない。問題の所在が分からないでは話にならない。当時の読者はそれが判っていたのだろう。 ・日本の上流社会にはこうして次男三男たちがうようよいたのではないだろうか。長子相続の蔭で飼い殺しにされていた。妻を持てなかった男たちがいたし、結婚もできない女たちもいた。これはどうやら日本だけではないらしい。西洋でも自由に結婚や家族が持てるようになったのはそれほど古くはない。だから悲劇も多かったのだろう。演劇や小説でジェラシーや、三角関係は無数にある。 ・へ2・・・何時の時代にも、障害を乗り越えなければならないものはある。日本の小説のラストは必ずしもハッピーエンドではない。漱石も男のジェラシーが語られる。いつまでも前に進まない。よく雨が降る。じめじめした空気が漂っている。昔から、性格破綻者のようなインテリが西欧の理解者だったのだろうか。
2016.07.30
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