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ルーブル美術館 こうしているのも夢を見ているのかも。鈍感と敏感の「あいだ」、を振れながら。卒業してからも、5年近く、今と同じような暮らしをしたことがあるが、また定年になってからも「呪縛からの逃走?」をしている。迷惑をさせているのは、若いころは父母で、いまは妻子だろう。少しは謙遜にしているが、実は不遜なのではないか。空を見て暮らすような生活だ。隠遁という暮らしが昔はあったようだが、現代にはない。こんな楽な暮らしではないのだろう。土台、不自由な山の中でもない。 ・暑くなってきたと思ったら、それだけ肉体へのダメージも強まったようだ。早く眠くなってしまう。冬とは違うライフスタイルをしなければならないようだ。季節の代わり目はどうも体調がおかしくなる。それでも大したことではない。考えてみると、幼児体験が、自分の思考のベースにあると思う。中国の青島から赤ん坊の頃引揚げてきた。そして引揚者の苦労を父母のかげで見てきた。そして日本経済の急激な成長と、そのゆえの破綻がある。 ・へ2・・・夢を見ると云う形質は、この時代を生きた人間の特質なのだろうか?まだ、私の夢は終わっているわけではない。死ぬまで続けられるかどうかわからないが、まだ夢は続いている。時間が止まっているようだ。 妻から頼まれた培養土を買いに近くのナフコへ行っていた。この前は20キロを3つだったのでキャンターを持って行ったが腕力がないので懲りたが、今回は1つだけだったが、それでも踏切などがあり、汗をかいた。暑くなっている。まさか自分がルーブル美術館に行くとは信じられなかったが、幼馴染の画家のことを思った。彼も夢を叶えたらしい。引揚者住宅で一緒に学校へ通った。彼は東京にいるが、どうしているだろうか。故郷は地震で苦しんでいる。
2016.04.30
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チャンスがあれば出掛けるべきである。それほど執念があるのでもないが、死ぬまで自分は止まらない。したいことをしたいまでだ。するなといわれてもするだろう。自由がなければできないのであり、それは平和が前提でもある。昨夜のテレビで、国民の憲法遵守義務と言う自民党の憲法改正案が紹介されていたが、現憲法は、憲法遵守義務の意味は、政府を縛るもので国民を縛るのではない。 ・どうやらトンデモナイ連中が、取り巻きにいるのではないだろうか。それこそ墓石の下から這いだしてくるような話ばかりある。民主主義は、死んだのだろうか。アメリカも中国も、EUでさえ血迷い始めてはいないだろうか。これは、市場主義の原理がさせているのだ。 ・へ2・・・誰が本当のことを言うだろうか。赤ん坊だろうか。神だろうか。嘘つきは泥棒の始まり。おとぎ話が真実ではない。夜の明けない夜はなかったが、いつか宇宙も終わる。物質世界も4%の存在でしかない。とすれば、すべては無に近い。
2016.04.30
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・一つ一つの言葉の概念なしにそのフレーズの意図することは解釈することはできないし、その解釈にも多様な学説が可能だ。定説があり、通説があり、判例があり、多数説があり、少数説がある。さらに自説は?そしてそれは、憲法や法律ばかりの話ではなく、宗教にも経典があるし、様々な解釈上の問題がある。拡大解釈もあり、縮小解釈もある。その条文をどのように解釈したらいいのか、それをリードするのか、それがコンメンタール(注釈)でもある。しかしこれだけは、点の解釈でしかない。 ・へ2・・・ややもすると<論語読みの論語知らず>である。解釈の泥沼に沈むからだろう。そこから抜けられなくなり、つい身近なものに縋ってしまい泥船に沈む運命だ。手足がなければ、川の中に沈んでしまうだろう。自分の手足に頼るようなものは自分の手足の弱さを知ることになる。身体には手足があっても、こころには手足がないからだ。そのことを忘れた人間は自滅するしかない。どうも逃げ道のある論理しか考えない学者ばかりだろう。 ・喉元を過ぎた熱さがすぐに忘れてしまう。それなしには人間は生きられないのだろう。だから苦労も、どんな悩みも忘れてしまう。言葉のなかったころに帰ろうとさえする。この世に天国と地獄しかなく、神と悪魔しかいなかった時代が懐かしくなる。同胞か、異教徒しかいない、善人か悪人か、すべてが明解だった。シンプルだからだ。否、もう始めらから評価は決められていたからでもある。 ・へ2・・・他人のコンメンタールに頼ってはならないのだ。それは他人のものでしかない。他人の造り上げた階段を昇ろうとしても行きつく先は他所の広場でしかなのだ。それは道具でしかない。道具を使うのは、道具であってはならない。それは歯車になるのがおちだろう。海を渡ることはできないのだ。
2016.04.30
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汚れた空気や黄砂やタイヤのまき散らす極小微粒子など、取り巻く環境は決して人間の生理に相応しいものではない。それでも自然は必死に人間の環境を守ってくれている。感謝すべきだろう。風景や景観は、作ろうと思っても容易にできるわけではない。百年に千年ではない。人間が知っている世界は、ほんの一部のものでしかないだろう。太陽とか光とか風とか大地とか植物や昆虫に至るまで、あらゆる生物の誕生由来がある。 ・目に馴染んだ風景や景観をみて心が癒されている。感動しなくなったのは、自分の愚かな思考が、他のことに囚われているからでしかない。自分が風景を視るのではなく、風景が人間を視ていると、堀辰雄はいいたかった。こちらからだけではなく、風景の中の生物も生きているのは確かだ。 ・へ2・・・今年の正月に日田の高塚地蔵尊へ。妻は、結婚する前から毎年お参りしているので、かなり前からになる。免許を取ってすぐ玉名から来たらしいから、当時はかなりお転婆だったのだろう。もちろん高速もなかった。地蔵尊も、年々人気が高いらしく整備がされてきたようだ。私は今年もそば粉を買ってきて食べたが、子供のころは、これが貴重なインスタント食品だった。
2016.04.30
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「エセー」賢者は徳行にさえ限度を守る。の中で (a)「エウデモダスはクセノクラテスが非常に年老いてから学校の勉強に精を出しているのを見て「この人はいまだに習っているが、いつになったら知識を得るのだろうか」と言った。これは注記によれば、エウデモダスとあるのは、スパルタ王エウダミス一世(在位前330~300頃)。 ・「エセー」は、赤裸々で面白いので読んでいるが耳が痛いことばかりある。 (b)「死が目の前に迫っているというのに、おまえは大理石を刻ませ、墓の代わりに家を建てている。」 人生の残りの旅に必要なものが何だろうか。(c)「私の企ては、最も長いものでも、一年以上にはわたらない。これからの私は終わることしか考えない。…失くしもしなければ儲けもしない。」 (c)「常に勉強を続けることは結構だが、学校通いはいけない。老人にABCだなんてばかげている。」 自分の境遇に相応しい勉強とは何だろうか。 よりましな人間に、だろうか。いつもABCばかりしているようだ。
2016.04.30
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耐震構造がない住居が多かったからそれだけ熊本地震も大打撃を受けたのだろう。1万以上の全壊半壊があったようだ。日本列島では、活断層はどこにもあるらしい。そのうえで生きていかなければならない国民の宿命でもある。長い封建社会も、富国強兵の明治政府の政治も肯定されるべきだろうか。搾取や自由の抑圧があったのも事実だ。果たして民主主義は、この国に根付いているだろうか。いまその真価が問われてもいる。 ・庶民意識がないわけではない。何故なら、その中で生きてきた。ひとはみなお人よしばかりではない。生きるためにひとはなんでもする。ソーシャルステータスが、そのひとの意識を支配するという法則は生きている。 もしトランプ氏が、大統領になれば、らしくなるだろう。それは、オバマ大統領も安倍晋三氏も同じである。 ・へ2・・・取り巻きたちが、何をしているか、国民には中々真実が知らされないだけだ。戦前多くの国民は真実を隠されていたが、現在はどうだろうか。同じことが起きていないと誰が言えるだろうか。秘密保護法にしても、治安維持法に共通点がないわけではない。アメと鞭を使いたがるのはいつものことだ。最近は憲法学者たちの声が遠くなってきている。学者たちが、地下に潜り始めていないだろうか。それは危険な兆候でもある。
2016.04.30
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昨日和白干潟で、一羽のシロサギが小魚を呑み込もうとしていたが、どうやら大物だったらしく苦戦していたようだった。夕方近くで逆光になり、眩くてよく見えなかったこともあるが、結構長い間だったようだ。 赤ちゃんは可愛く産まれる。誰もそのことを否定できない。人間はみなほとんど老醜して死ぬ。子供が殺されると世 論は復讐を誓う。若者が死ぬと悲劇になる。物語になり愚かな行為も美化される。いまも封建時代を生きてい る愚かなサムライたちが居るかも知れない。いまも他国では教科書に、特攻隊やサムライの国にされたりする。憲法も 天皇をシンボルだとしている。いまも遅れている場所と醜悪な暗部もある。警察も暴力団を利用し、必要悪として 黙認される巨悪は枚挙に暇が無い。現代社会は矛盾に溢れており、正義が必ずしもいまも王道ではない。 悲劇が喜劇になり、何時までも悲劇に付き合わない。老人の死も無駄死にの如く。苦しみや悲哀は忘却さ れるだろう。戦略meme は、ひとのことろを操り続ける。仕組まれた恋愛の罠に嵌まり尊い生命をかける若者たち。 守銭奴たちが残した血涙と資産も、凡そ三代で国有に戻るシステムができている。 戦略meme 種としてのヒトの 第二の遺伝子だ。 雨の日、草や木のゴミたちを洗い落としてくれるだろう。どうせ降るなら田植えのできるよ うに降ればいいが。 鳥渡小止みになったりしたので、その時ウオーキングをすればよかったが、タイミングがずれてしまった。「黄金の日本史」が面白かったこともある。外国から金の相場をだまされていることに気づかなったという日本人の無知が嘲笑ものだが、世界の現実だろう。騙されてばかりいては進歩もない。 なぜ原爆を落としたのだと彼はいわなかったのだろうか。言えないだろうね。スピーチの練習を随分したそうだが、それだけのことだったのだろうか。日本も甘く見られたものだ。 それこそどこか間が抜けてしまったような恋愛の歌ばかり歌う老人の歌手たちがいる。誰のために歌うのだろうか。それでなにがあるというのだろうか。安倍首相は、熊本地震で何でもしますというが、果たしてこれまでなにをしたのだろうか。いま憲法改正が必要なのではない。それは必要な人に必要なだけでしかない。意味のない歌謡曲が流れているが、それで誰を救えるのだろうか。文学や芸術にしても、何のためにあるのだろうか。スポーツも恋愛さえ商品でしかない。滅んでいくものは人間社会の価値を知ろうとしない民族でもある。
2016.04.30
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権威や権力を否定して時代は少しずつ変化していく。そして劇的な変化もある。戦前と戦後のように。ある歴史的な事件によって、反転も暗転もある。その逆もあるのだろうが、中々見極めることはその時は難しい。過去を振り返って解かることが多いし、それが歴史でもある。悲劇が喜劇になって終幕してさっぱりと忘れられることもある。トラウマになり忘れられない人たちもいる。成功<ゆえに>没落する人たち。 ・信じていたことが覆ってしまうのは、必ずしも楽しいものではない、むしろその反対が多いだろう。然し東京電力はババを引いたのではない。彼らの責任は小さくはない。原発は見直されるきっかけになっただろうが、そのために平穏な日常を奪われた人たちや、これから何時まで続くか解らない不安な生活が待っている人たちも沢山いる。経営者たちの虚ろな弁解を聴いていると、金融機関からカネを借りて損害補償するというが、カネで償えないものもある。 ・へ2・・・テレビでタレントたちが、救援活動にエールを送っている姿が放映されているが、それで日本がどうなるものでもあるまい。2万人近い人たちが犠牲になり、家族や財産や職場を奪われて、途方に暮れている人たちをどれだけ救うことが出来るだろうか、たとえ国家といえども完全な補償などできる筈がない。未曾有の自然災害だからと帳消しにされては堪らない。被災者の人たちが、明日の希望を失って、絶望の声をあげている。どう聞けばいいのだろうか。
2016.04.30
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この自己創出の問題が分かって初めて脳がなぜ感覚情報を柔軟に知覚することができるか、なぜ情報を創造することができるかといった類の問題が理解されるだろう。即ち拘束条件の自己創出の問題を考えることが必要だ。 思考の方向性を間違えると原始林に迷い込むだろう。私といえば、これからいくつかの柵を抱えながら、「場所の論理」を進み、「光と風と夢」を読む。 世の中の汚れを知らずにいる人も多いに違いない。物だけでなく、人も同じだろう。何が汚く何が綺麗なのだろうか。見た目でしか観ることしか知らない人生もあるだろう。ルートヴィヒ二世は、自分の城は神聖な場所だから、民衆に妄りに見せないと言ったと言う。そうはならなかったが、自分が特権階級だということでしかこの世を見なかった人間もいるということでもある。恵まれた環境に育つことが必ずしも人生を豊かにはしないだろう。見せ掛けの豊かさがどれだけのものかはその人の世界観の問題でもある。 他人から押し付けられた仕事をせっせと遣ることが人生と思う人もいるし、自分の義務にたじろぐ人もいる。これから何ができるが苦役であるか、喜びであるかは考えようかも知れない。少なくとも、私たちは、自分たちに取っての「問題の所在」を明らかにしなければならない。そして、これまでとは違う遣り方を試みねばならないだろう。環境の変化に応じて、システムを刻々とその性質を自律的に変えていくことが必要だからだ。
2016.04.30
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加藤廣「黄金の日本史」を読了して、思うことは、世界を知らなかった日本の為政者たちの愚かなあるいは決定的な過ちのしりぬぐいをされ続けてきたことだ。海外諸国のハイエナたちから身包みはがし続けた歴史だったということでもある。「黄金のジパング」は、無知ゆえに収奪されるままであった。 ・金という存在から歴史を見ていくというのは面白い視点であろう。それは金が、どこからどこへ流れていき、どこがどれだけストックしているかで解ることでもある。マッカーサーは、1945.8.30に厚木飛行場に降り立ち、10月1日には日本銀行と田中貴金属の一斉立ち入り検査を行った。殆ど使い尽くされていたようだ。 ・へ2・・・それから7年後の平和条約発効(1952年)時点で、日本には金91トンという記録があるという。当時のアメリカには、2万トンを超えるストックがあった。大量の金を手に入れた徳川幕府は何をしただろうか。日本の金は垂れ流しにされたにすぎなかった。通貨政策の頓珍漢があったのだ。
2016.04.30
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現代の日本には、「自分さえよければいい」「勝ちさえすればいい」そして、「カネが儲かればいい」即ち、 「カネが儲かれば女だってついてくるんだ。」という風潮。 慢性疲労が脳からの危険信号だというNewtonの特集で、TGF-βという 免疫物質。それから、寺田寅彦は、「好きなもの、イチゴ コーヒー 花 美人 懐手して、宇宙見物」と言う。 「空弁」は、「みち子がお届けする若狭の浜焼き鯖弁当」。これは旨い。以前何度か羽田で買ったことがあり懐かしい。図書館に行き、そのあと図書館の周囲を歩いて来た。木々の中を歩くのは、慢性疲労にも良いらしい。TGF-βの放出で、脳内のグルタミン酸やGABAなどの神経間の情報を伝える物質が低下して、脳内の情報がうまく 伝わらなくなるため、体のだるさや集中力の低下などの症状を呈するらしい。慢性疲労が続くと、「前頭前野」の萎縮を招き、シンドロームに 突入することになる。ストレスが蓄積するのは、それこそ万病の因。 構えて生きていると、不幸が後ろから付いてくる。肩の力を抜けだろう。
2016.04.30
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・一つ一つの言葉の概念なしにそのフレーズの意図することは解釈することはできないし、その解釈にも多様な学説が可能だ。法には、定説があり、通説があり、判例があり、多数説があり、少数説がある。さらに自説は?そしてそれは、憲法や法律ばかりの話ではなく、宗教にも経典があるし、様々な解釈上の問題がある。拡大解釈もあり、縮小解釈もある。その条文をどのように解釈したらいいのか、それをリードするのか、それがコンメンタール(注釈)でもある。しかしこれだけは、点の解釈でしかない。 ・ややもすると<論語読みの論語知らず>である。解釈の泥沼に沈むからだろう。そこから抜けられなくなり、つい身近なものに縋ってしまい泥船に沈む運命だ。手足がなければ、川の中に沈んでしまうだろう。自分の手足に頼るようなものは自分の手足の弱さを知ることになる。身体には手足があっても、こころには手足がないからだ。そのことを忘れた人間は自滅するしかない。どうも逃げ道のある論理しか考えない学者ばかりだろう。 ・喉元を過ぎた熱さがすぐに忘れてしまう。それなしには人間は生きられないのだろう。だから苦労も、どんな悩みも忘れてしまう。言葉のなかったころに帰ろうとさえする。この世に天国と地獄しかなく、神と悪魔しかいなかった時代が懐かしくなる。同胞か、異教徒しかいない、善人か悪人か、すべてが明解だった。シンプルだからだ。否、もう始めらから評価は決められていたからでもある。
2016.04.30
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和白干潟へ。シラサギは、行けば必ずいるのは分かっているが、なかなか近づけないので、干潟ではなく、塩浜海岸の方が、上手くいけば堤防の方から近づくチャンスがある。なんどかその幸運に巡りあったことがあるが、いい写真は撮れないでいる。逆光で、はじめは嘴が長いように見えたので、或いはクロツラヘラサギではないかと思ったが、なんと餌を呑み込もうとしていたようだ。 ・シラサギは大物を採って、却ってそのために苦しんでいるように見えた。どうなることだろうと心配したが長い事件をかけて飲み込むことができたようだ。
2016.04.30
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「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。 もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。 何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。 併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。 誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。 小さな愛ではなく、類的な愛でなければならない。それは、どうして育まれるものだろうか。それは、誰もが知りたいことでもある。
2016.04.30
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断片を切り取って、それを分析し、その時代の側面に当て嵌めで解釈している。それは何度も繰り返して、統合していくようなものを見ている。その断片は適正なものだろうか。公正であるか。いつも迷わねばならない。時々各種の世論調査が出されるが、それは統計学的な確率の問題でしかない。何とも頼りのないものでしかない。それをそれと知りながら、それを前提とした議論がされている。 ・何処を突いても遺物の中から出てくる事実は、同じなのだろうか。研究最前線という公園を聴いたが、どこがどう最前線なのだろうか。どれだけの調査の成果だろうか。台湾の人たちを唸らせる研究がどこまでできるのだろうか。至難なのだろう。それをこつこつ遣っている人たちもいる。個人の努力は報われるとは限らない。 ・へ2・・・社会から評価されるのは万に一つもないのではないだろうか。それほど甘くはない。人の怨念は目には見えないが、そう簡単に消えはしないだろう。
2016.04.30
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日本のことも知らないで外国のことをどれだけ知っても、少なくとも日本のことは解らない。西洋の文明を学んで日本の社会に役立つことができなければ意味が無い。研究が理論で終わり実践まで届かないことばかりしている。自分だけが幸福でも周囲がそうでなければ意味が無い。一人で満足して死んでもそれはなんなのだろうか。宗教のない文明はないという。日本の文明とは果たして何なのだろう。何を求めて暮らしているのか。自分だけのことで終わってしまう。ただ恐らく消えてしまう文明を創ろうとしてもそれは長くは続かない。 ・封建社会や皇国思想では、国際社会では通用しなかった。科学は必ずしも人間や地球を豊かには出来ない。そこには普遍的論理や思想が必要なのだ。文明の衝突が、これから世界中で火を噴くだろう。どうすべきなのか、考える力が無ければならない。ちゃちな論理ではなく、世界で生き残るための議論が必要だし、そういう堂々と議論の出来る人間を育てなければならない。 ・へ2・・・天気も良くなったので、庭に出て草取りや、植木の剪定をしていたが、 気温が夏のように上がってきたようで、熱中症になりそうになった。気温の変動が大きいようだ。さて、GWで民族の大移動が始まっている。
2016.04.30
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反省のない暮らしは危険だ。どんな人にも欠陥はある。自分の遣っている事が優れているわけではない。間違いではないくらいでしかないが、それも怪しい。それほど大したスキルを受けていない。何かが違うから、早死にもする。直ぐに安心しようという気持ちが起きる。安心できるほど努力もしてはいない。ただ昨日と同じだと思い込もうとする。突然襲ってくるという意識は、自分に起こりつつあることに鈍感になっているからに過ぎないだろう。 ・さっさと、人生を楽しんでどれだけ自分という世界を活きていられるかでしかない。今日は、福岡はこれから気温が30℃近くになり、夕方から雨になる予報だ。朝のウオーキングをしたいが、今朝は出掛けなければならない。隣町まで医療センターにいくのは、そこしか近所には専門医がいないからであり、車で行くのに便利であり、駐車場も広いからだ。もし他の交通手段を取らなければならないなら往けないだろう。何しろ時間もかかる。 ・へ2・・・車を処分しようかと考えたことがあるが、どうもいけない。病院を替えなければならないだろうし、専門医も少ない。社会もいびつだが、医療システムも患者に優しくはない。原発の事故が起きて騒いでいるが、こういう事態にならないとしない社会だ。50以上も原発はあるし、その代替のことも考えていなかった。本当の反省をしないから、いつまでも同じ過ちを繰り返す。それは社会だけではない。自分の身にも迫る現実でもある。
2016.04.30
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苦厄というのは、何とも切ない。宗教観というのはそこから始まっている。知らない間にも凡夫にされている。何も分からないという。わたしたちにとって、生きることや死ぬことは、根源的な問題でもある。死を怖れる。生に執着していると言われればそうなのだろう。間違いを冒し易い。鞭で叩かれる前に動けと教えられるが、どちらを向いているかで違いもする。誰の話を聞けばいいのか、それは自分でするしかない。情報はあふれているが、すべてが自分にとって正しいわけではない。 ・私たちは知り過ぎたのだろうか。そうではなく、まだ無智の中にいる。死ぬべきものとして生きているという課題を克服してはいない。苦としての生死を納得していない。 ・取敢えず生きているが、前進しているかは分からないでいる。現在は、すぐに過去になる。何ができるというのだろう。白み始めた窓の外を見ているだけだ。娘が昨夜メモを残していた。「高菜チャーハンを朝から作ってください」。冷蔵庫では、先日玉名に行った時に買った高菜がある。それを朝飯に食べたいらしい。
2016.04.30
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自己責任の原則が今日の私たちのルールでもある。幸せになりたいひとたちだけが幸福もある。成ろうと思えばだれにでもできるというわけではないだけだ。幸福と思えるようには中々ならないだろうし、ついに挫折したままかもしれない。高望みをすれば不幸のままかもしれない。然し、自分だけそう思うだけかもしれない。日本人の幸福感が、欧米では違うだろうし、不幸がそのまま不幸とも言えない。 ・自分勝手に思い込む人もいる。ブータンの国民の幸福感は、日本人には理解できないのが普通なのだろう。キリスト教の原理主義者が、好戦的だというのも、隣人愛を説く教義から理解できないが現に社会的現実でもある。ローマ法王は、人間にも人間ではない人種がいると長い間思っていたらしい。 ・へ2・・・偏見塗れの世界はいまだにある。先軍政治などいう概念があるはずもないが、現にあるから訳が分からない。それが人類のリアルでもある。進歩も糸瓜もない。前進もあるが後進もあるということだ。未来の明るい光も、一つ間違えれば暗転もするということだろう。油断のならない現実がある。自分の命の担保になるものはなにもない。命がけで生きていくしかない試練があるだけだ。
2016.04.30
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NOTES AND EXERCISES 戦後の教育を受けたが、新しい日本の混乱期の中で果たしてドレだけの教育レベルだったのだろうか。教えて貰った方がとやかく言うべきではないのかも知れないが。教育者たちも、まともな教育を受けるだけのチャンスが無かったに違いないからだ。戦争からいのちからがら帰国した人たちもいた。日本は世界の孤児であった。社会は疲弊しており、そこから肌から立ち上がらなければならなかった時代でもある。 ・そんな中で人びとは混乱して食べて行かなければならった。米百俵の話があるが、当時から、未来のために教育の必要が問われたが、それがどれだけ成果を上げたのかは解らないが、企業戦士のためであったことも言えるのだろう。経済での成功はあったが、教育の成功とは言い難い。それは個人的な感想からでもある。自分でノートし練習するという NOTES AND EXERCISESを、一から初めて行こうと思う。 ・へ2・・・私の中のカオスの中から始めるのが、これからの自分のエリアなのだろう。 NOTES AND EXERCISES 私たちは、何が間違っていたのだろうか。そう思えてならないのは何故だろうか。どうも自信が持てないでいる。付和雷同ばかりしてはいないか。目先のことで一喜一憂してはいないか。また国際社会から措いて行かれそうだ。何故だろうか。
2016.04.30
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最近想うことは、私たちはいつも「見えない敵」と闘うのだろうと言うことだ。他人には、それは何でもない ことでも本人は、モンスターにもなり、天使にもなる。いつも等身大の課題に向かっているとは限らない。 生存競争や羨望や嫉妬もある。世の中をふやけた世界だと勘違いしてはならないだろう。厳しい現実 があるのだから。自分の敵は、自分自身であったり、世間だったりもする。あらゆるものが襲いかかる敵になる。目 を離すとすぐ見失いもする。敵は、他人から創られる仮想だったりもするだろう。 自分の身を捨てなければ、これらの敵と向き合うことなどできないのだ。そのことが、やっと判ってきた気がする。 敵でもないひとをモンスターだと思ったり、くだらないひとを買い被ったり、チャンスを逃したりしたのだろう。 ひととの関わりは、避けられない試練だろう。 ひとは、誰も自分のプログラムを生きねばない宿命だ。故に、生存 競争が付いて廻るのだ。ライバルを追放しなければ、好きな相手を得ることができない。其れは、時として略奪に なる。相手が本当は好きなのかどうなのかさえ判らないのだ。女性は、恋人が好きなのではなくて、子孫を残し、 安全を得たいだけかも知れない。 もう少し価値のある人生にしたかったが、こんな体たらくだ。どこが間違いだったのか 知っても仕方がない。ことは過去のことでしかない。 「我々の国家は、暴力と憎悪の広範なネットワークを相手に戦争を行っている。我々の経済は、ひどく弱体化している。一部の者の強欲と無責任の結果であるだけでなく、厳しい決断をすることなく、国家を新しい時代に適合させそこなった我々全員の失敗の結果である。家は失われ、職はなくなり、ビジネスは台無しになった。我々の健康保険制度は金がかかり過ぎる。荒廃している我々の学校はあまりにも多い。さらに、我々のエネルギーの消費のしかたが、我々の敵を強化し、我々の惑星を脅かしているという証拠が、日増しに増え続けている。・・・」 (オバマ大統領演説より)
2016.04.30
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・種としてのヒトの恋の中枢。恋はながつづきしない。離婚は4年がピーク。 ・普通の恋は3年間しかつづかない。多様化のため?4年目に別の恋をする。 ・優れた子孫をのこすため。 ・7;10 腰のくびれ。子供を産むのに適応。 ・ドーパミンの野望 ・脳の巨大化 ・女は、記憶を頼りに男を選ぶ。 ・夫婦で子育て・・哺乳類 3%しかない。 ・すれ違い・・・男女。会話のすれ違い。 ・脳の同じところが変化しドーパミンが出る。 ・心拍数男大・・・100を超えると攻撃的になる。話を止める85% ・女性は少ない。 ・男・・・感情を読み取れない。相手の気持ちを。 ・女・・・相手をみればそれほど努力しなくても解る。 ・会話・コミュニケーション・・男女の能力の差。 ・解決方法・・・男が質問をすること。 ・社会・夫婦がベースである。 ・あなたの夢は何ですか。成し遂げたいことは何ですか?それさえわからないでは・・・。 ・相手のゴールを聴くこと。それがわからないで苦労する。 ・男女・・・子孫を残すのがミッションであり、パートナシップへ変化する。 特徴として、 ・男・・・目標の設定能力。 ・女・・・調和させる能力。 ・男女の能力を最大に活かしてこそ、恋の中枢を発揮することができる。
2016.04.30
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フェスティナ・レンテ ラテン語「ゆっくり急げ」。うさぎが天才なら、かめは鈍才だと決めたがる社会が判り易いのだろうか。かめは「おちこぼれ」とさえ呼ばれたりもする。ラテン語にさえ、こんな有名なことばがあるのだから、昔からそういうコンセプトがあったのだろう。 急げ急げが優先する社会である。他人より一寸でも先に行こうと死に物狂いの、うさぎ型の人間が消耗されている。55歳までの人生だと割り切っているのだろうか。国にとって、何と都合のよいおりこうさんの思考だろうか。それが所謂「美しい日本」のモデルかも知れない。 世界のことわざから、 ・ゆっくり行くことを怖れるな(中国) ・ゆっくりいくものがとおくまで行く(イタリア) ・急ぐなら、もっとゆっくりせよ(イギリス) ・急いで行こうと思ったら古い道を行け(タイ) ・ゆっくり行くものは確実に行く(フランス) ・おそくても、ぜんぜんしないよりよい(ドイツ) ・急げば急ぐほど、まずくゆく(フランス) ・急がばまわれ(日本) ショウペンハウエルは、 「自ら考えるすべての人たちは、根底において、よく一致する」
2016.04.30
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日本の教育はを合格するために平均点を上げることに力を入れてきた。数学の苦手な人はそれを重点的に勉強させようとする。それでうまくいくこともあれば却って勉強嫌いにもなる。欠点をなくすことで個性のない人づくりがされてもきた。長所も欠点もない無機質な要領のいい子が成績優秀で、有名大学に進学する。ペーパーテストでは時間内に答えがある試験ばかりが出て、その中で、簡単なものから解いて行き、難しい問題を残してもある程度の点数は採れる。然も答えのないものはないのだから、ある程度までは解答できる仕掛けになっている。 ・要領のいい生徒が良い成績をとり大学に進学して、役人になる。彼らは、難しい問題を遣ろうとはしない。それが年金問題にも言えるのではないだろうか。難しい問題が先送りされていた。安易な問題は取り組むが、難しい問題には手を出さないでは社会の難しい問題は何時までも解決できない。答えの解かっているものだけをやるのであれば、それはテレビゲームのようなものでしかない。 ・へ2・・・前例のあるルーティングワークばかりやっている。答えがあるかどうか分からない改革は、絶対にやらないのが官僚機構ではないだろうか。そういう体質ができ上ってしまっている。わたしも蝉になりたい。
2016.04.30
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「滑利諭言大師めくり」十返舎一九著を愉しんでいる。 「・・・とかく賢いわろたちは、人の用にもたつさかい、何じやのかじやのと頼まれて隙を費し、自然と家業おろそかになれど、あほうなものの徳には、人のためになることは扨おいて、むつかしいこと出けた時は、人を頼んではしりあるかせ、その身はうちにちやんとして商売しておるこつちやもの、万事がそのとをり、人情をしらねば、・・・」 というのである。成る程、洒脱なことである。ちゃんと銭計算していて、酸いの甘いのと話題が面 白くて引き込まれるようだ。本作は文化十年(1813年)に当時の大坂から出版されたらしい。 「続膝栗毛二編追加」も掲載されている。大坂滞留中の弥次・喜多に金毘羅詣でをさせるという趣 向らしい。 「・・・そこは見ぬ世の嘘八百、いまの人々其の手はくはず、眼前只の親仁も、仙人まさりの通力 自在を得る事、雲に乗笠に乗るの危うきたのまずして、つくりつけの足弐本に、東の果てから西の果てまで、歩行(あるめ)ども減る事なく、・・・」 これでは、いつ本題に行けるやらだが、まあいいか。急ぐ旅ではない。一九を知るも面白かろうと 思いまする。
2016.04.29
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島原の乱も悲惨だ。原城に籠城した37,000人の一揆軍は皆殺しされた。ひとりの生き証人を残し て。凶作と過酷な苛歛誅求で生きる望みを失った人たちだった。島原藩主は、冷酷な男で、完納しないといっ て、多くの農民を「蓑踊り」にし、罪の無い娘たちや妊婦まで水牢で殺し恨みをかった。正義は、 一揆を起こした側にあることは明らかだ。これが、全国に広がれば民衆による革命にもなっただろうか。 併し、悲しいかな、そこには打ち立てるビジョンもなく、あるのは絶望でしかなかったのだ。脆く も圧倒的な13万の幕府軍に惨殺された。こうして、それこそ徳川幕府は300年の安定を得たのだ。 これは、幕府の農民に対する「見せしめ」でなくて何だろうか。キリスト教弾圧は、口実でしかない。 多くの歴史は、権力者のご都合主義で跡付けられるだろう。だから、その時々で見解が変わるの だ。島原の乱の殺戮をしたのは、知恵伊豆であり、あの名将軍家光である。女子供も惨殺された。 370年前の話など、と思うし、聞きたくも無いが、知ることは大切なことだ。何があったのかは またあるかも知れないのだから。統治を優先させる政治は、隠し事があるからだし、多くの人間を 不幸にする兆しでもある。開かれた政治が、大事なのは、一部のものが権力を支配して社会を腐敗 させるからだろう。腐敗した政治は、多くの善良なひとびとを殺してきたのだ。それは、歴史が証 明している。二度と圧政が繰り返さないと言う保障はどこにも無いのだ。
2016.04.29
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かつて栄えたバーミヤンやシルクロードの古代都市を埋め尽くした風だ。 「ヒトという種」の栄華も永遠ではない。宇宙すらも限界が来るだろう。ひ とは自分が「何もの」であるかを解ろうとはしないのだろうか。自己の狭い 視野で生きることを何度繰り返してもそれこそ「蟻の一歩」でもないだろう。 宇宙から見れば、ひとつの小さな風ですら Afganetez になる。そして、ひと つの文明を消し去りもする。自己撞着して人生を無駄にはしたくない。少なく とも他人を惑わせてはならないだろう。スケールの小さな考えで、この世界 を誤解していないだろうか。多寡だか、ひとつふたつのことでうまく凌いだ としてもそれだけのことではないか。謙虚な気持ちさえ持たない人が目に余 るような気がしてならない。まだ死ぬまでに為すべき努力をすべきではない か。「個」とは、科学的事実として何かが、解明されようとしている。漸く ここまで来ただろう。勿論これからという意味だ。自分の古い服を脱いで Afganetez に立ち向かう準備ができているだろうか。 風はだれも待たない。
2016.04.29
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妻子が昨日熊本市内を見てきたが、想像以上の災害だったようだ。あれだけテレビで放映しているのを見ているが、その現実はやはり自分の目で観ないと解らないらしい。実感がわかないというのは、四馬の譬えでもある。 阪神淡路大震災も東日本大震災もあったが、熊本地震は大震災ではない。自分たちの身に降りかからないと解らないのではないが、つい他人の不幸を理解できないでいる人は多い。 ・自分の家族が、外圧に如何に弱いかということを、母の病気で体験して社会人になったが、それが世間という現実社会との遭遇でもあったのだろう。ひとはこの社会を甘く見ていると思ったものだ。政府は、国民の命を守るというが、それは建前でしかない。どんな命をいうのだろうか。それは彼らの云う国民に対してだけのことだ。 ・へ2・・・熊本は、阿蘇が噴火するくらいで、大きな地震はないと思っていたのだ。活断層がこれほど動くとは想定外でもある。起きてしまえば現実のことなのだ。それこそ日本列島は活断層の上の島でもあるのだ。そこに家を建て、原発も平気で建てて暮らしている。立ち直ることのできる人だけ国は救う政策しか考えてはいない。生き残るという意味が如何に厳しいものであるかだ。
2016.04.29
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徳川時代を「幕藩体制」というようになって既に久しい。幕府があり、諸藩があるという 社会体制は、世界でも日本だけらしい。世界史的な視野で見て、徳川時代の性格ははっきりしない ということは、実は、必然的に明治維新以後の時代もはっきりしないことになってしまう。それは 他国の歴史的事実と、日本がどう違うのかと言う視点が見えないことにもなる。明治維新がブルジョワ革 命といえるのかなど定説が無い有様のようだ。これの根源は、徳川幕府が、絶対王政か?という位 置づけに係わるのであろう。日本の学者は、ドラステックな議論を避ける嫌いがある。というより 論理の積み上げが苦手なのだろうか。自分の立場が保障されないと発言できない風潮があるのだろ うか。何れにしても、決着のつかない議論は不毛でしかない。次の議論に進めないからだ。文化の ない空白の時間が流れているのではないだろうか。いつまでも結論のでな議論は、議論ではない。 島原の乱にしても、研究者は、一揆をしたものの生の記録が殆どないと言っていた。徳川幕府が、 証拠を抹殺したのだという。人間だけではない。それは、その存在をも消滅させようとしたのであ れば、それは究極の犯罪行為であろう。その痕跡をも残らないと言うのは原爆爆弾を想起させる。 放射能に晒された細胞は生きることに絶望し、アポトーシスを起こして自らの細胞を破壊するのだ。 人間は過ちを常に犯すものだが、少なくともその証拠を残さねばならない。承継者たちは、何が間 違いであったのかを知る権利がある。検証しなければ、修正すべき手がかりさえあたえられないこ とになるからだ。歴史は検証するためにあるのだ。 「唄がござれば話もござる」を楽しみに聞いているが、いま石光真清「城下の人」があっているが、聴いていて本を読みたくなったのでネットで運よく借りれるようだ。西南戦争や田原坂の歴史は、興味があって読んでいるが、聴いて驚いたが、凄い記憶力の少年時代を描いているが諜報関係の軍人でもあったようだ。西南戦争における熊本城炎上や田原坂の死闘は、子供のころから郷里の話でもあり興奮する話である。
2016.04.29
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誰も諂うことなくありたいと思うだろう。迷いたくもない。然し、権力者に支配され已む無く戸惑いながらも諂う続けている人々が存在する。厳密にいえばみなそうかもしれない。国自体が他国に従属していることもある。或いは政府が追随し、国民も支持しているかも知れない。絶対的権力が支配している国家では国の政策に抗うことが死を意味することもある。国の品格とは規律ではない。 諂いを感じるのは未練さからだろうか。品格は識字力ではない。正義を正義と言えることであり、不正義を悪といえる勇気でもある。飢餓死ぬものが多いというのに呆けた生き方をしている者たちが何が、ピースだろうか。それこそ夜の繁華街を歩いてみればいい。東京でも、大阪でも博多でも、そこに何を見るだろうか。ピースだろうか? 言えることは、一度によくはならないということだろう。科学の進化と叫ばれるが、それはまだほんの一部のことであって、世界のあまねく全体に及んだサイエンスの話ではない。人間の意識は、まだ中世から昨日脱出したばかりだ。中東では、中世と変わらない殺戮が繰り返されてもいる。身近に迫る危機を黙ってみている卑怯者と一緒に生きていかねばならない。それが、戸惑いでもなく諂いでもないといえるだろうか。 自分たちは安全なボートに乗り、窓から見える殺戮をまるで映画のシーンのように見ているだけではないのか。聞こえてくる足音はなんだろうか。不安は確かにあるだろう。 日本で、あるいは広く世界で、いまやネット社会になり、知らなくていいことでも目に入ってくるようになったし、なにが真実か分からないこともある。送り手と受け手の力関係もある。それこそいまだに大本営発表もないとはいえないのだろう。すべての情報も玉石混淆があるに違いないのだ。
2016.04.29
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今から100年前、科学者たちは数学と物理学に基づいて、この世界をより精密に記述できるものと期待していた。しかし20世紀の初めの20年間でこの希望は打ち砕かれた。物理系を記述する精度にも限界がることを示した。探れば探るほど、われわれの科学的世界観は曖昧さという土壌に根ざしていることが明らかになってくる。 ・有名な量子力学の不確定性とは、たとえば電子などの位置と速度とを、同時に、任意の精度で測定できないことをしめている。こうして、完全な記述という概念そのものが、決して実現できない幻想だということが明らかになった。解らないことが分かったのでは科学ではない。現実世界の押し付けでしかないからだ。 ・生まれてからいつも新鮮な感動を受けている訳ではない。寧ろその反対のことがずっと多い人生だったり。それでもめげないでいられるのは、なんらかの感動があるからでもある。どうしようもなくなったとき、なにか救われる思いがしたことはある。不思議とそういう思いに連れて行くものが自分の中にあったのかも知れない。それは無意識にそうしていたのではないだろうか。何か海を見たくなるとか、花を見たくなるとか、そのひとによってちがうのだろうが、なにかそういうものが力をくれる。ネガティブ・マインドになろうとしたとき、脳がそうさせてくれるのかも知れない。 ・根拠のないものはないのだから、何かをしたいと思う時には理由もある。それが自分では意識できないこともあるだけだ。脳と身体がバラバラになることがあるだろうか。エイリアンハンドのように、反対を遣り出すかも知れない。まあ、そういう経験をしたいとは思わないが、自由にできる時に心も体を使いたいものだ。 脳が自分を活かそうとしている。それが素直に生かせるかだろう。草臥れるまで働くことだろう。そしてまたよみがえる力が湧いてくるものだ。
2016.04.29
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象牙の塔からみたら、凡人は巷に住む人たちであり、似非や素人の科学や論理を使い何をしているかわからない烏合の衆でしかない。では、その科学者たちは似非ではないだろうか。自分たちの周囲を美化しているに過ぎない。科学には素人も玄人もない。あるのは真実でしかない。専門知識だけで、できている社会でも、世界でもないし、まして宇宙でもない。 ・くだらないことをいつまでも云うからショートしてしまう。相手を批評ばかりして、自分を顧みないから、いつまでも空論することになる。不毛の論理でしかない。中国は自分たちの内部にある問題を解決しないで、外へ目を向けようとはかりしている。果たしてそれは弁証法なのだろうか。そして日本の政治も、「政府の行為によって再び戦争の惨禍を起こさないように決意」した憲法の精神はどこへ行ったのだろうか。自分たちの能力で未来を描けなかったからだし、もうアンシャンレジームの時代ではない。 ・へ2・・・墓場から亡霊たちが、日本の未来を奪おうとしているように見える。それでいいのか。好い筈はない。権力に迎合している連中は、風向きが変わればまた元に戻るだけだろう。安倍首相には戦争体験がない。だから勝手なことも言うのだ。殺されるのは誰だろうか。韓国で駐留米軍が人質になるのを恐れているから、日本の政府に賛同しているだけだろう。素人の論理は、いつも見当違いをするが、だから見えるものもある。
2016.04.29
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何か起きるまでに仕事の時の夢を見ていたようだ。ぼんやりとしか思い出せないが、バブルのころの夢である。そういう亡霊がまだ頭の中に残っているに違いない。夢のかけらがどこかにあるのだろう。そういう夢を思い出したくはないが、ふと出てくる。ニューロンネットワークのどこかの隅で引っかかっている。頭の中で整理できていないところがあるに違いない。 ・どこかで割り切れない思いとかあるのだろう。自分でその気持ちを抑え込んでいるからだ。胸がふさがれる思いを経験しながら、ここまで来てもいる。この野郎と思うことも何度かあったが、我慢もした。それは、相手からもそう思われたに違いない。自分が思うことは大抵相手も思うことだからだ。利害の対立している社会の中で生きていくためには、守らなければならないこともある。 ・へ2・・・表もあれば裏もある人間社会だ。最期は惨めに死んでいくしかない。然し、人間は醜いのではない。心が複雑で脆弱なだけだ、それは成長するためでもある。ひとには次のステップがつねにある。それを見ているかだろう。諦めないで向上心を持続するかだ。女は男を愛してはいないのだろう。男は女を愛するだけだ。
2016.04.29
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日の出の紅い太陽を見れると思っていなかったので、えっと驚いてしまった。こんな平地で見えるのか。いつも何かの蔭になっていて紅い丸い太陽は日の入りしか見れないと思っていた。というのも、山で日の出を正月に見るものだという先入観があったらしい。これは撮らねばならないと、思わず公園のベンチの上に飛び乗って写したが、あっという間に太陽が陽射しを増してしまった。ほんの一瞬のチャンスだったらしい。早朝散歩の初めての<御利益>があったわけだ。 ・文化とは、合理性の積み上げだと思う。物事の道理を究めて行かねばならない。そう簡単に社会が成熟するわけではない。謂わば不合理を<善し>としてきた社会が東洋であり、今日西洋に後れ取っているのは、そこにあると私は考えている。つまり<アバウト>で物事を決めてきたということだろう。だから、部分的には成り立つとしても総体で見たら、整合せず、すべての辻褄が合わなくなる。各論しかないことになる。つまり統合ができない。 ・へ2・・・何故EUにできて、アジアに統合ができないだろうか。それは、バラバラのイデオロギーしかないからだろう。まとめようとするものがいないからでもある。勝手にやればいいのではない。アジアには世界人口75億人の内、どれだけいるだろうか。未だに、南北問題が解消されたわけではないのは、どこに問題があるだろうか。地球は一つであり、昇る太陽もひとつでしかない。
2016.04.29
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狭い日本に住んでいるから狭い識見にもなる。勿論現代は、他国のことも知ることはできるのだから、そうとばかりは言えないが、外に目を向けなければそうなる。当前の話である。お山の大将は子供のころの遊びでしかない。西欧の文化を取り入れて近代化をしてきた日本は急ぎ過ぎたのだろうか。少なくとも曖昧な東洋思想に半端な西欧思想の混入で偏頗な容になっている現実がある。 ・アラブに「夕食にはすべての友人を招き、昼食には数人の友人を招くのが良い。しかし、朝食はひとりで食べるようにしよう」ということわざがある。朝食は自分のために確り食べようという。合理的な考えがある。人間は東洋も西洋もアラブもないみな同じひとの形質をもっている。朝食を摂らないと記憶力、注意力、情報処理の速度や反応に影響が出る。能力が低下する。IQにはどうか分からないが、少なくと気分や意欲が違ってくる。朝食は学習するために効率よく働く技能に、最も強い影響があるとされている。禁酒や断食にもアラブの智慧がある。東洋にも知恵があるが完璧なのではない。西欧も、アラブもやはり欠点があるだろう。 ・へ2・・・昼寝の効用もある。24時間のうちで体温が最も低下し、自然に眠気起きる。深夜と10時間後だという。注意力や警戒心が低くなる時間帯に事故も起こしがちだ。人間の持つ形質をもっと研究して、その適した活動をすべきなのだろう。自分たちだけが悧巧なのではない。見識を拡げて行けば自分たちの生き方のロスを見出せるのではないだろうか。適切な時間に適切なものを食べるべきでもある。それさえできないようでは、自分の与えられた寿命さえ全うすることはできないだろう。 、レスローの7つの「健康のための7つの生活習慣」のひとつが朝食をとることであった。定期的な運動、禁煙、禁酒、適正な体重の維持、睡眠、間食をしないもどうやらできている。生活習慣は悪くはないようだ。
2016.04.29
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どうも尤もらしい話ばかりで、少しも面白くない。脳力革命といいながら「教師あり」「教師なし」の分類で学習が云々だとか文春でやっていたりする。悧巧なのか莫迦なのか知らないけれど、尤も過ぎて、それで何なのだと言いたくもなる。何も変わらないことばかりやっている。進歩していないのではないのか。それで諦めてしまっているのではないか。即ち、現代は尤もらしい考えでは世の中を変えられないという現実を認識すべき時ではないのだろうか。 ・チャチなものばかり造っているから、4,50年もすれば壊さねばならなくなる。天地の引っくり返るようなことをしなければならないのではなかろうか。震度6強くらいで、5万5千人以上も死者が出てしまう。中国がどうのではない。同規模の地震が起きれば日本でもそれ以上の犠牲者が出るに違いない。それは、尤もらしいことばかりしていて、肝心の備えができていないからではないか。何故必要もない軍拡をやらねばならないだろうか。戦闘機を造らず、全部旅客機にしてもいいし、何年かけてでも話し合って、戦争のない世界にすればいいではないか。 ・へ2・・・散歩の途中で、古くなった家屋を解体していた。そこに住んでいた人たちの歴史が刻まれている。もし、それこそ天災や、人災によっても簡単にj崩壊するようでは困る。このままでは瓦礫の山をみることにもなる。個人の一生は短いが、種としてもヒトは、これから成し遂げようとする目標はは小さくはない。どうも尤もらし過ぎて、マンネリの議論ばかりしている。それしかないというのだろうか。そろそろ「突然変異」の条件が整いつつあるではないだろうか。それこそ、地球規模のリセットが必要かも知れないだろう。
2016.04.29
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日本海に黒潮が来るようになって日本列島の気候は劇的に変化したという。そのためには鹿児島の近くの火山が大爆発しなければならなかった。すべての事象は自然現象でもある。四季があり、季節を繰り返しながらそれぞれのゴールを目指している。自分にそれだけの自覚がどれだけあるだろうか。色と欲ばかりでは、他の動物と変わりはない。 ・福岡市は雨で暖かい。16℃。久しぶりに朝風呂してきた。どうせラジオ体操も休みだろうから、午前中ゆっくりするしかない。少しウオーキングをさぼっているので、体が重いようだ。体調は悪くないがどうも気合が入らないで困っている。また娘はGWを利用して、東南アジアといっていたがシンガポールへ行くらしい。私たちもカンボジアを計画しているが、まだ決めてはいない。 ・へ2・・・これからまた講座も始まる。1月から4月まで最近は講座が殆どないが、数年前までは、文学講座が一年中あっていた。これも女子大の市民サービスに熱心なI教授がおられたからできたことだろう。寺小屋的な和やかな有難い講座だった。そういうことがないと、人生は面白くない。
2016.04.29
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日本海に黒潮が来るようになって日本列島の気候は劇的に変化したという。そのためには鹿児島の近くの火山が大爆発しなければならなかった。当時すべての事象は自然現象でもある。四季があり、季節を繰り返しながらそれぞれのゴールを目指している。自分にそれだけの自覚がどれだけあるだろうか。色と欲ばかりでは、他の動物と変わりはない。 ・福岡市は雨で暖かい。16℃。久しぶりに朝風呂してきた。どうせラジオ体操も休みだろうから、午前中ゆっくりするしかない。少しウオーキングをさぼっているので、体が重いようだ。体調は悪くないがどうも気合が入らないで困っている。また娘はGWを利用して、東南アジアといっていたがシンガポールへ行くらしい。私たちもカンボジアを計画しているが、まだ決めてはいない。 ・へ2・・・アメリカツアーした時の添乗員さんから、ドイツ・スイス・フランスのお誘いがあったが、これから講座も始まる。1月から4月まで最近は講座が殆どないが、数年前までは、文学講座が一年中あっていた。これも女子大の市民サービスに熱心なI教授がおられたからできたことだろう。寺小屋的な和やかな有難い講座だった。そういうことがないと、人生は面白くない。
2016.04.29
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全ては、明日のために・・・。朝の陽光は、饒舌だ。アラファトは、かってフランスの空の下で最期の時を迎えた。 決して楽観はできない政治の21世紀に生きている。地球の温暖化を止められない。 このままでは、数百万の種が死滅して行く。その種の中には、地球の未来を救う種があるかも知れないのにだ。 多くの知らない世界で、私たちが無知故にチャンスを逃していることだろう。私たちは大きな過ちを侵してきた。 それは自然破壊だ。やがてその報復を受けるだろう。せめて、この美しい自然をこれ以上壊してはならない、それは 私たちの最低限の責務だ。 この至福の朝の空気が、清々しいと感じる思いを伝えたい。 明日の遺伝子とミームたちに・・・。
2016.04.29
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サギ類ナンジャモンジャ 昔の人よりも多少利口で居られるのは、過去を学ぶことができるからで、あとから来る人は先人の過ちを学ぶことができるからでもある。ある中国の方が、食べ終わった後少し皿に残っている汁の残りを丁寧に舐められたので、驚いて見ていたら、微笑しながら「美味しいでしょう」といわれた。伯母が、武士の娘で厳しく育てられて、食事のあと皿に残った醤油の残りさえ無駄にしないと母から聞いたことがあった。 ・他人の目を気にしないで、自立心を以って生きることは容易ではない。正しい行いもそうだ。他人から吝嗇だと思われたくないという見栄がさせている多くのことがある。それは大抵小さいことに過ぎない。ものを大事に遣うことは、決して悪いことではない。使い捨てにする時代になり、人間は地球資源を枯渇させようとしている。「勿体ない」の精神も、昔からあった知恵でもある。食べられなくなる時代も過去にはあったことを知っているからできる。 ・へ2・・・貧しさを知ることは、人間の恥ずかしさではない。寧ろ智慧でもあるだろう。ものが美味しく食べられるのは、そのひとが心身共に健康だからであり、その豊か差がひとや物に対する感謝の気持ちにもなる。乱暴に生きるから、粗雑な行いもする。日本人も、中国人もその精神には同じルーツを以って暮らしていると思う。
2016.04.29
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私たちは、物事を俯瞰的に見ることに慣れてはいない。地球は果てしのない大地だと思っていた。どこまでも広がる大地があるからと信じていたいのだ。社会秩序が恒久のものだと信じたいのだ。裏切られ続けた政治がある。そして必ずしも正義で社会は動いていない。それは日本だけの現象だと思おうとしたが、世界も「バランス・オブ・パワー」によって支配されていたにすぎない。 ・個人は自分の行動の準拠枠を出ることができない。それは自分で作り上げた枠組みであって、外からは見えない。客観的に見れば、自分の作った生垣さえ越えられない人がいる。然し、本人には万里の長城のような城壁に見えているかも知れない。小さな障害に躓けば人は哀れな存在でしかない。それで、ジ・エンドかも知れない。そんな危うさが付き纏ってもいる。内外のプレッシャーと闘いつづけねばならない。ひとはそうして鍛えられてもいる。そうした人々の努力なしには次代の道は拓けないのかも知れない。 ・へ2・・・自分でも無駄なことだと思っても、それが無駄だとは誰もいわない。誰にも価値がないものはない。期待されることが無駄になることは多い。言えることは、寧ろ否定される中から新しいものが生まれてくる。何が偉大な発見になるのか誰にもわからない。だからこそ、無駄な努力もしなければならない。ヒトの生存の戦略はもともと、「減数分裂」という無駄を恐れない確率を選んだのだ。
2016.04.29
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昔の人よりも多少利口で居られるのは、過去を学ぶことができるからで、あとから来る人は先人の過ちを学ぶことができるからでもある。ある中国の方が、食べ終わった後少し皿に残っている汁の残りを丁寧に舐められたので、驚いて見ていたら、微笑しながら「美味しいでしょう」といわれた。伯母が、武士の娘で厳しく育てられて、食事のあと皿に残った醤油の残りさえ無駄にしないと母から聞いたことがあった。 ・他人の目を気にしないで、自立心を以って生きることは容易ではない。正しい行いもそうだ。他人から吝嗇だと思われたくないという見栄がさせている多くのことがある。それは大抵小さいことに過ぎない。ものを大事に遣うことは、決して悪いことではない。使い捨てにする時代になり、人間は地球資源を枯渇させようとしている。「勿体ない」の精神も、昔からあった知恵でもある。食べられなくなる時代も過去にはあったことを知っているからできる。 ・へ2・・・貧しさを知ることは、人間の恥ずかしさではない。寧ろ智慧でもあるだろう。ものが美味しく食べられるのは、そのひとが心身共に健康だからであり、その豊か差がひとや物に対する感謝の気持ちにもなる。乱暴に生きるから、粗雑な行いもする。日本人も、中国人もその精神には同じルーツを以って暮らしていると思う。
2016.04.29
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ブログで言いたいことは、もう誰でも知っていることで、おそらくみんながおもっていることでしかない。この地球はどこも美しいということだ。然し、汚れてもいるし、腐っているところもあり、美しいばかりではないということでもある。みんな幸福とか、平和とか、愛するものと生きていきたいと心から思っているのだろう。でもそれは簡単ではない。キリストやマホメットや、仏陀たちが教えたことがお念仏でしかないのだろうか。 ・こどもでも道理を話せば理解できる。みんななかよく生きて行くべきだということだ。私は病気だし、それほど長生きできない。おそらく平均寿命まで辿りつけないだろう。食事や運動や、薬餌療法をつづけているが、10年近くみんなより早いだろう。タイムオーバーまでいつまで時間があるかわからない。 ・へ2・・・それでも平気な顔をしているが、内心は、はらはらどきどきだ。それは何だろうか。それは、みんなそうなのかもしれないからだ。みなどこかハンディキャップがあるに違いない。私にもあるだけだと思う。それに逆らいながら暮らしてもいる。そして地球は素晴らしいし、人生は魅力的だ。それを見て、知りたいと思う。ただそれだけ。
2016.04.29
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ふつう生物は、主観的昼夜を環境の昼夜に同調させている。 ・人間の場合は、環境とのあいだに社会的時間割りと意志が働く。 ・研究の趨勢は、根底にある生物時計の実体解明に向かう。 ・生活リズムの基本的性質が、多くの生物のあいだで共通し、比較ができること。 ・昼夜の時間的枠組みが、物の考え方に大きな影響を与えていること。 ・食事・性・物音・時間的夜と空間的夜の関係。 ・眠りは、決まった場所で取る習性があり、安全な場所であること。 ・用心棒としての家畜の存在。蚊と野獣への守り。 ・火の存在。 ・からだの中にも夜と昼の自転があること。 千葉「からだの中の夜と昼」より
2016.04.29
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医学辞典で疲労とは「精神的または肉体的活動した後に続く「仕事量の減少」、「遂行の非能率 化」などを特徴とする状態」との定義がある。または「仕事の結果として生じ、休養を要し、 その人の機能的な能力の低下した状態」という。 患者の愁訴としての疲労もある。疲労は患者が医師の診察を受けにくる十大愁訴の一つらし い。何故そうなるかは色々あり、実は定義が難しいらしい。それは専門家に任せるとして、私 は何もしないのに、それこそ大して活動も労働もしていないのに何故疲れるのだろうか。何も しないから疲れると言えばどこか怠惰だから疲れるようでもある。対価を得る労働でないから だろうか。 準拠枠に慣れた生活を離れると、ひとは追出されると不安に潰されそうになるらしい。女性が 長生きできるのは、疲労をうまくコントロールできるからであろう。度し難い男たちに子供の 頃から鍛えられているのだ。或る意味役務のリタイヤ後も生存できるだけのノウハウを持 っている。それに比べて男たちはノウハウも何も持たない人が多いのだ。適応できないで いる人たちが脱落していくのではないだろうか。矢鱈疲労感だけが残っている。燃え尽き シンドロームにもなる。社会での優等生が、人生の勝利者ではない。頭の切り換えのでき ない人たちが社会に禍根を残しているような政治さえある。 1950年フランスの「ル・モンド」紙の特派員のロベール・ギランは、「アメリカは急いでいるのだ。しかもアメリカのアジア政策は決定的に悲観的な見通しの上に立って、ただ一つ日本を引きずりこむことだけに希望を託しているのだ。アメリカの三つの目的は、基地の確保、再軍備、軍事同盟であり、これを抽象的につなぐものは日米安全保障条約である」と。そして指摘は、現在も形骸化していないことだ。安倍首相はまだ亡霊たちと付き合っている。
2016.04.29
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和白干潟 他人の押し付けの意見を自分の感情だと勘違いしているのではないだろうか。そういう風な言い方を随分されてもきたと思う。自分は違うと内心思っても、それを許さない雰囲気に気押されてしまっていた。曖昧な表現になるのはその悪癖の所以でもある。つい断定を避けてしまう。別に差し障りのあることでもないに身を引いている。自己主張は大切な人間の個性であろう。 ・責任を取らない政治家が多いのはそれを許してしまう大衆がいるからであり、政治家を叩き直さない限り政治も善くなりはしない。大物ぶる政治家がいるのは、それで世の中を渡ろうとする不遜な輩でしかない。国民の血税から歳費を払うのだから、それだけ経理も公開して厳しい検査に耐えるだけのものであるべきだ。それができないような人が政治家になるべきではない。 ・へ2・・・確り食品交換表でカロリー計算をして健康管理をしたらどうだろうか。呆けた頭もすっきりするだろう。国際社会で生き残るためにもそれくらいのことができない筈はない。 今朝和白干潟に行ってきたが、22日がクロツラヘラサギ4羽を見た最後の日で、それから殆どサギ類になってしまったようだ。今朝も同じだった。どうやら繁殖期に入っているようで、グループになって行動しているようだ。
2016.04.29
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断固として遣ろうとするなと言われる。強く遣ろうとするからストレスになる。ストレスは万病の 源だという。併し、適度のストレスも進化のためには必要なのだ。 最近、何かを強く思うことが少なくなっているのではないか。でも一言では言えない難しさもあ る。広く浅くが生きる上で利口なのかはよくわからない。全てに当てはまる訳ではない。 どうやら、何も思おうとしないのではないか。だからのほほんと生きているのではないだろうか。 若いうちはまだ時間があるが、老人には時間がないが、そしてそれが「健康寿命」だとは限らない。 最近、これまで役に立たないと思っていた近世の文学や、四書が面白いと思うのは、いくつも空地があるか らだろう。どうやら、研究しても価値がないと放置されていたのではないか。西欧流を真似しても 所詮仮想現実でしかない。寧ろ足元を見なければならなくなっているのではないか。ところが、故郷 が消去されかけている。消去してきたのは自分たちだ。消してしまえば綺麗になるが、自分た ちの存在もなくなるだろう。それは漠然としているが、何かを強く思うことが、いま必要ではない だろうか。それは、我ままや、利己的なことではなく、人間として評価できるものだろうが、それ は価値とは違うだろう。何かを強く思い描いてそれに向かうことが必要ではないだろうか。 それが何であるかは、個人で決めることだろうけれど、そんな気がします。 私たちの識見は、本当に正しい歴史観の上に形成されているのであろうか。正確なスケールでデー タは作られていなければ世界観も狂ってきます。謂わば間違ったデータで構築されている現実 があるのではないか。誤魔化しの世界を、恐らく多くの人が気づいているだろうけど、手が出せな いでいるとすれば、どうも厄介な社会構造になっているようです。そうだとすれば、何れリセット されることになる。
2016.04.29
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レールの敷かれた電車に乗ってのんびり外の風景を眺めてきたような日常から、「もう終着駅ですよ」と追い出されてきた。まだ生きている。確かに足は付いているが、余り使ったことはなかった。外を歩いていれば雨も降るし、風も吹く、時には暴風雨にもなる。山になれば雪にもなるだろうし、砂漠もある。自由があるのではなく、放り出されたようだ。それでも、何とか生きていかなければならない。道なき道を行かねばならない。これまで何とか見よう見まねの他人の真似ばかりしてきたが、生きていくにはそれだけでは足りない。 ・環境に適応していくためには、この社会が自分に何を求めているのか知る必要がある。この社会で、何が起きているのか。何が起きようとしているのだろうか。藁をも縋るように周囲を見回してきた。ツールを探し出したら、多過ぎるくらいある。そういうじだいになってもいるようだ。つまり、私のような人間がゴロゴロいる。大学の公開講座に出席して、レールのない道を歩き始めている人たちと出逢えるのは心強い。 ・へ2・・・余生をどう生きるかなど考えたことはない。いまも余生とは思えない。これまでの生活の延長でしかない。それでも社会は違う生き方を求めている。レールはないのだ。そこまでの社会保障はない。勝手に生きろだ。生き残るものだけが生き残れば好いということらしい。タイムオーバーになる前になにかつかめるだろうか? こうしているのも何かの偶然の賜物なのだろう。今日は結婚記念日だが、別に何もしない。それほど特別の感情もない。妻もそうらしい。偶々でしかないからだろう。それが日本人の夫婦の典型なのかもしれない。誰と一緒になっても自分の思想や世界観が違ってくるとは思えない。それでも長続きしたのはお互いの性格の所以があるのだろう。妻は、今日は、娘と熊本へ行くらしい。そういえば熊本地震で、熊本の友人たちは2週間で1000回以上の地震で震え上がってもいるのだろう。一人一人違う塞翁が馬がある。呉越同舟のように見えても違うのだ。しみじみ思うのは、一日一日なにか出来事が起きていることだ。時系列で早見年表をみているところだ。
2016.04.28
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その時を知るか知らぬか、あるかないかは知らないが、死ぬまでそのつもりでいることが人のロマンでもある。ゲームで勝とうとは思わない。何でも勝ちたい人に勝たせればいいのだ。体力は日々低下していく。能力も怪しくなる。脳は委縮している。同時進行が難しきなりつつあるが、少しその分、自分のすることが視えてきた気がする。力をためるということが若い頃はできなかったが、気概は強くなっている。 ・臨機応変、時の流れに従うまでだ。他人がどう思おうと初志貫徹するつもりで生きているし、それが当然でもある。言行一致というのも容易ではないだけだ。見栄で生きているわけではない。 ・へ2・・・学習は逃げて行かないし、人生も逃げない。その時があるだけだ。到る所に青山あり。視る眼をもっているかだ。自分に何が出来るだろうか。知りたいことは誰も教えてはくれない。握りこぶしが、炭素に為る前に。
2016.04.28
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整形美人や化粧や、かつらや、その他諸々、見せかけの社会が形成されている。日本伝統の国技の大相撲もそうだが、どうも本末転倒が罷り通ってはいないか。それは資本主義という自由経済が齎してもいる。営利主義がベースにあるだろう。この社会の豊かさとは虚偽の事実が体裁よく隠された社会システムのことだろうか。苦労知らない子どもたちが大人になり結婚して、家庭を持ってもそれは、見せかけだけの家族ではないだろうか。 ・それがぼろぼろと崩壊している。何かというと他人の責任にする。子供じみた大人こどもでしかない。それこそ、演出のためにお寺まで裕次郎の法事に仮設するそうだ。まさに狂っている。それを世間が黙過してしまう。それは商業主義がさせてもいる興行からなのだろう。政治だけではなく、経済も低俗化している。 ・へ2・・・文化の質が、衰退しているのは、日本の危機ではないだろうか。日本の文化というものがどれだけのものであったかが問われてもいる。有権者は騙され続けているのではないだろうか。そういう運命だというジレンマがあるのではないか。本物らしく見せかけてはいるが、本物ではない。
2016.04.28
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