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モンサンミッシェル内粒子と反粒子。実は、暗黒物質や暗黒エネルギーが96%の宇宙、4%の物質世界。銀河も太陽系も、そのまた地球は、ほんの厖大な星の中の一つでしかなく、これはどうやら一つの宇宙でしかない。膨張は、真空がまだあるからで、いつか終わる。実は、ヒトの誕生も、幻でしかないのではないか。既にすべては終わっているが、思い出をたどっている夢でしかない。 ・無から、始まっているとしか考えなければならない宇宙論。。プラズマの世界から10億分の1の、この世界は生まれた物質世界であり、そのなぞも解明されない。なんのことはない何も知らないのだ。浮かれているのは、愚かな人間ばかりだ。消耗しているだけでしかない。生命エネルギーは、すぐに消えるに違いないのだ。やがて火の玉の中だろう。
2016.09.30
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「共感」とは他の誰かが何を感じ、何を考えているかを知り、さらにこれに反応して適切な感情を引き起こす傾向だ、という。相手が考えていることや感じていることをただ機械的に推測する(マインドリーディング)のではなく、またサイコパス(反社会的な人格障害)でもない。 もともと女性型の脳は、共感する傾向が優位にできているという学説がある。どうやら、普段にみられる女性の行動はそれを裏付けているようでもある。併し、必ずしも当たらないと思うのは、世界には、サッチャーなど「鉄の女性」と呼ばれている人たちもいるからだ。あれは特異的な存在なのだろうか。 何れにしても「共感」する脳は、これからの世界、人類にとって欠くことのできない資質になるだろうことだけは確かだろう。それを妨げるものが多いのは、これまでの進化の歴史が証明するだろう。「共感」だけしていては多くの場面で生き残れなかったかも知れないからだ。 併し、核を手に入れ、狭い地球に溢れた人口を抱えた種としてのヒトは、あらゆる場面で欲望にブレーキをかけなければならない事態を認識すべきだろう。安易な楽観論は命取りににもなるからだ。ふやけた心に楔を打たなければならない。 誰が、これからヘゲモニーをもつべきなのかを選択すべきだろう。少なくとも利殖に心を奪われし者たちであってはならないだろう。ブレイブ・ハートをもち、人々の平和に対する願いに共感できるひとでなければならないだろう。 利己的愛ではなく、類的な愛でなければならない。それは、どうして育まれるものだろうか。それは、誰もが知りたいことでもある。
2016.09.30
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急いであの世へ行きたいとは思わないが、どうも気持ちは焦って生きていたのではないだろうか。何を急ぎ何を急がないのか決めないと、訳が分からない人生にもなる。本当の自分は何をしたいのか。他人の眼ばかり気にしていては始まらないと気付いた。仲秋の名月も、いつか私は視ることができなくなるが、これからの人たちは何度でも見るだろう。 ・自分のこととこれからのヒトとは視点や世界が違う。中国の若者たちは反日デモなどしている時間があるのだろうか。もう敵ではない。仮想敵国をつくって徒な時間を過ごしてきた人びとがいた。それはその時の企みのある社会でしかない。アジアはこれから欧米と対等に遣りあわなければならないのだ。目先のことに囚われるものは先には行けなくなるだろう。 ・へ2・・・関心のあることといえば、DM網膜症の発生・進行には、代謝異常のほかに眼の特殊性が解明を阻んでいる。後部硝子体剥離の発生に関して、DM網膜症がある場合には、早期に高率に硝子体剥離が発生すると推論されている。一日も早く眼の再生医療が進んで解決してほしいものだ。
2016.09.30
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ヘビが脱皮するように。比喩として表現されることは、解釈はその人の世界観で違うが、深い味わいのある言葉でもある。自分も幸福でありたいが、友人たちやそれに連なる人たち、恩を受けた人たちや、それほど縁のなかった人たちと言えでも、疎かにすべきではない。この社会はすべてどこかでつながった人たちであろう。天災、人災を問わず、諸々起きていることは必ずしも納得のできることばかりではない。理不尽もある。怨みをのんで死んでいく人もいる。 ・他人や天を怨まなくて済んだからと言ってそれで済む話ではない。自分たちの集団だけが優れているとか、他国や他人を敵にするようなことでは戦いは終わらない。憎しみの連鎖が結局は、身を滅ぼすことになりかねない。パール・バックの「神の火を線御せよ」というラジオの連続放送を聴いているが、思うことは、原子爆弾を作った科学者たちの自分たちを正当化しようとする狭い論理でしかない。殺される側の真理ではない。 ・へ2・・・友人たちも、自分たちの世界で運命と闘っていることだろう。口出すつもりはない。自分の世界は自分しか知らないからだ。私も自分に相応しく生きるしかないと思っている。
2016.09.30
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人びとの知的能力の向上心は当然の常識と思っていたが、そうでもないのではないか。それは、日本だけではない。世界中の先進国でそうなのかもしれないし、開発途上国でも、有り。なのかも知れない。 上流社会が、支配している者たちが、自分たちよりも文化的で、知的であることを望まないからでもある。権力は、権威を持ちたがる所以だ。 ルターの宗教改革とドイツ。そして宗教戦争と、ナチズムとユダヤ教、そしてカソリックとプロテスタントと、ことは複雑に絡み合う。「ベルリンの壁」があり、その撤去と、ドイツ統一と、EU統合連なる流れは、そう単純な歴史ではない。 ただ所謂知的社会であろうとしないのは、それが邪魔だと看做す為政者が多いからでもあるだろう。誇りをもった人びとが遣りだすことを懼れてもいる。彼らが、大衆にばら撒くのは、プライドではないのだ。 それこそ、人びとを分断し、自由の芽を弾圧して行こうとさえする。そして、退廃こそが便利なのだろう。 利益になるなら、ひとのこころさえ商品にしようとしている社会である。ひとの個性さえ、買おうとしている。勿論売る人たちがいるのは、買おうとする人たちがいるからでもあるだろう。造られた空疎な木偶人間でありたいのだろうか。 戦後、やっとここまで来たが、気がついたら一歩も前に進んではいなかったかも知れない。少なくともそう感じる必要があるだろう。そして、それに負けない不屈の精神を持つものだけが、明日に向かうことができるだろう。
2016.09.30
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自分の人生においてテーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。此処1年半余、毎日歩いていると、現在は歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだ。病気をしたり、怪我をしたりの不可抗力もある。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処するか。 ・いまでも足の重い時がある。それを自分のライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。挫折もする。その挫折感を克服できるかだ。人格形成はそうした蓄積でしかない。そしてキャリアはその人の形質になり、人格にもなる。そのひとの表現や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・一日の始まりは無からではない。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとする。脳は措かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で、脳は何か気楽に遣れないかの口実を探しつづけている。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでも新たなテーマを探さねばならない。
2016.09.30
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光陰は矢の如しというから気をつけることだ。時間割をつくる。助言といっては なんだが、手はじめに論理学。論理学は精神をしめあげてくれる。スペイ ンの長靴を履いたぐあいで、思索の道を行くのに安心して歩ける。鬼火か何かのように途 上でフワフワふらつくのは禁物だ。・・・思想の工場は機織りりとさもにたりだ。一足踏むと 無数の糸が動いて、鬼火はあちらこちらにとびまわるが、糸はちゃんとつむがれている。哲 学者の云うところも同じだ。 学生はありがたく拝聴するが、だれひとり織工になろうとはしなかった。生あるものを認識 して記述する者が、まず精神を追い出してしまうわけだ。手にのこるのはかけらだけで、 やんぬるかな、精神的つながりが欠けている。化学者のいう「エンケイレシス・ナトゥラエ」 という奴だ。おわかりか、「自然の摂理」と申して、自分を笑いものにしていながら、とんと わかってはいないのだ。」(「ファウスト」より)・・・メフィストが学生にアドバイスをする場面。 「スペインの長靴」は、拷問道具の名だ。 自分の精神を追い出さないように。
2016.09.30
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選択肢は少なくなる。いつまでもチャンスがあるのではない。時は待たないのであり、自分の番も来るのだ。今年もあと3か月になってしまった。どうも内向きに生きている。美しいものばかりに目が行ってしまう。現実を見ようとしないのだろう。同じことをしていては前進しない。殻に閉じこもろうとしているのは自分の心だろう。40ケタの宇宙があり、ヒューマンスケールの自分の世界でしかない。 いつまでツアーができるか知らないが、まだ欲は消えない。
2016.09.30
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ヨーロッパウォッチャーのクライン孝子「統一ドイツその知られざる素顔」(1992年7月)の中で、世界最大規模のキリスト教の信者は、推定16億7千万人うち、ローマ・カソリック約10億人、プロテスタント5.5億人、その他1.2億人。ユダヤ教は、2千万人とある。 そして、ホロコーストのユダヤ人虐殺の下手人であったドイツ人の正体は、「キリスト教徒」であったという指摘がある。スケープ・ゴートにされたのは東ドイツだという。 よく「知られざる素顔」が登場するが、大抵本当は、作者がそう思っているだけに過ぎない。知っているものが云わないだけなのだ。それは、都合が悪いからで、それだけに過ぎない。 ヒトラー独裁が、ひとり狂ってユダヤ人をホロコーストしたのではない。根源には宗教戦争がある。ユダヤ教は、数において、バチカンの比ではない。 ユダヤ教のホンネは、戦後、バチカンの責任を追及し問いただしたかったのだ、という。 現在世界のあらゆるメディアの基本となる形成を考えると、所謂「力の均衡」にあるだろう。 歴史の細い糸をたどって行くと、幾つかの壁がある。それを突き破らない限り、前に進めなくなる。 一見、恵まれた人ほど、実は、最も真実から遠い存在でしかない。人権を奪われ、考えることが抑圧されているものが、実は明日の「鍵」を手にしているが、そのことに気付こうとはしない。そこに容易に突き崩せない悲劇があるだろう。 やがて、時が待つのではない。「時」という現実をつくりだし、社会的価値を生まねばならないと思う。
2016.09.30
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ヘリポート付きの私立の病院ができたが、私は隣町の医療センターの外来に通っているので、受診したことはないが、妻子は行っているようだ。円形のサンルームがあるが、病院からも私が見えているのだろうか。毎日ウオーキングをしているが、7年半になるので、こちらは知らないが、どこかの窓から見ている人もいるかもしれない。先日声を掛けられた。健康のためにしているが、同じことを考えている人もいるに違いない。 ・定年後に何をしようか、あまり考えたことはなかったが、からだのためにすることは山ほどあったおかげで、それをメインにしてこれたかもしれない。未成熟な社会だと思うが、自己責任で生きていく自由もある。何を選択するか、選択肢が多い方が好い。ウオーキングもそうしなければ合併症が出るからでもあるが、摂食や運動やストレスを軽減するためにやっていることが私には役立っているという実感がある。 ・へ2・・・毎日ブログを書いてきたので、いい加減してきたことが分からないではないが、自分でも過去のことにはあまり関心がない。今日から10月も始まるが図書の返却やら、病院にもいかなければならない。あまり変化を好まなくなっていくが、否応もなく、激しく事態は変化している。現実社会を理解しようとする姿勢が求められている。またBSが見られるようになったので、リアルタイムで海外ニュースが見られるようになった。
2016.09.30
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出来るだけ歩数を延したいと思い夕方から和白干潟の周辺を夕食前に歩いてきた。干潟はアオサが一部には見えていた。アオサの活用の研究もされているが、まだまだ序の口のようだ。和白に住んで長いが、ウオーキングをして思うことは海や里山や、田園風景とか、未だ自然が残っている環境でもあり、毎日のようにデジカメを持って出掛けているが、被写体には事欠かない。 ・寧ろ自分の発想の貧弱が在る。アングルを換えれば、どれだけでも好い写真は撮れるに違いない。飛んでいる野鳥を撮りたいと思うが、なかなか上手くいかないし、どこをどう狙うべきか解からないでいる。何でもそうなのだろうが、秀でることは難しい。 ・へ2・・・ひとはこころが自由でないと発想も貧困になるらしい。いつの間にか海岸沿いに植えられていた葉が茂り樹木が大きくなっていた。しばらく歩いていなかった。
2016.09.30
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今思うと面白いと気づく。中学生の図画の時間で、版画を彫らされたが、自画像の下絵を何度も書き直していた。なかなか一つの線に描くことができなかった。それをかなりながく覗いていたらしい校長さんが、一つの線を決めるのにプロもそうして諦めないで描くのだと言われた。なるほど、何度も書き直す性格なのだろう。中々納得できないからだ。石橋を叩いでも渡らないというのがあるが、それもありかも知れない。 ・短答式の問題で、正解なしという選択肢があったが、社会では答えのないものはむしろ多い。数学のような解はない。初めから答えがあるものしか問題でないのは学校くらいなものだろう。議論の下手な日本人を作ったのは日本の教育でもある。いつまでもアメリカに服従しているようでは明日はない。突き破る勇気と気概がなければならないのだ。 ・へ2・・・いつまでもやり直しがきくのでもないが、中学生のあのときから、まだ自画像を描き切れないでいる。自分を見直すことの難しさなのだろう。一筆書きで、自画像を描ける人がいるだろうか。できるとすれば余程の天才にちがいない。そして挫折した時、折れやすいのだろう。そういう作家がいた。
2016.09.30
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霊に憑かれたサカ(Saka)のspirit possession は、劣位のものが優位の者に抵抗する一つのかたちで在る。 初期の人類学は、キリスト教の信仰のみが唯一の宗教という視点からスタートしている。従って、 キリスト教の信仰からみた辺境の異質で、理解しがたい、グロテスクな信仰だという考えである。自分た ちは文明社会で、大人の合理的な宗教であるという。それに対して、その対極としての未開社会であり、 子どもっぽさ、非合理的で、野蛮な信仰でしかない。それは西洋合理主義におさまらない、はみだしたも のでしかない。現在に措いて、それは払拭されているかといえば、そうではないだろう。あらゆる 側面で、その視座があるのであって、そのことを忘れては、その認識は一歩も先に進めない。何もこの社会は 複雑でも何でもないが、見せかけの世界が横たわっている。その歴史はながい。宣教師が、世界 を飛び回ったのは、この世界にどんな宗教があるかを知りたかったからだろう。そして、キリスト 教が、大人だと思ったのだろう。その差別意識が消しがたく学問の世界にもある。それが西欧型の 思想の限界でもある。世界を知ってしまったという考えは、異教徒への侮りに変わるだろう。 サカの spirit possession に限らず、霊の命令と称して、欲しいものを手に入れようとするのは いまの時代にもかたちをかえて存在するが、キリスト教徒も宣教師以来、同じ誤りを繰り返している。
2016.09.30
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徐々に人は、老化しているのであり、それを中々自覚できないだけだ。産まれてすぐから老化は始まるという。死までのプロセスは、産まれてから成長を始めながら、死への伏線を持っているのだろう。春になりその中に夏や秋や、そして冬の設計図が仕組まれてもいる。生命現象は、そうした遺伝子のデザインが施されたものだろう。人生を儚いと視るのは単純な発想に過ぎない。そんなモノクロの世界ではない。老化現象も、若いころは感じることさえできないくらいだが、「人生50年」とはよく言ったものだ。平均寿命が50歳もなかった頃から、ひとはからだの老化の激しさを感じていたのだ。 ・自分の口では言わないが、自分のからだの変化は誰も感じるだろう。或る時点で劇的に下降し始めるのだ。鈍感な人と敏感な人の違いでしかない。手足が硬直し始めたのは、いくつからだったろうか。それさえ忘れている。視野の衰えや、聴力も、筋肉も、あれもこれもある。認めたくないだけだし、それを一々把握しても何の歓びにもならない。ネガテイブ・マインドは、仕組まれた罠でもある。 ・へ2・・・日記を書いていた中世の日本人たちも、裏にあるのは自己卑下でしかないのだろう。科学の低かった時代では、それは謎のままだっただろう。人はなぜ老化するのか圧倒的な不安だったに違いない。科学が進化し、医学も漸く遺伝子まで知るようになったが、脳はまだ未知の世界でしかない。老人学もあって無いようなものだ。生殖年齢を過ぎた人間の役割はまだ解かってはいない。生きている間が自分の存在のすべてだろう。
2016.09.30
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謂わば自分の日常とは、言ってみれば偶然の産物のようなものであって理屈は後で付ければ付けられるような、ことではある。仕出かして引込みのつかないこともある。弁解のできないことにならないようにしたいとは思うが、どうだろうか?いよいよ寒くなっていく。これまで太平楽できたが、朝起きて、やはり寒い。気になるのはホームレスの老人だ。昨夜も、路上にビニールシートを敷いて寝袋で寝ていた。生身の人間が、部屋の中でさえ寒いのに。福岡市気温12℃であるが、風もあれば体感温度はもっと寒いだろう。土台外に寝るなどできることではない。私は何もしないでいる。半分情けないが、どうしたらよいか知らない。周囲にももっと可哀そうな人はいるに違いない。漱石なら、憐れ、気の毒、同情というだろうか。 ・どうやら、私だけではなく、ホームレスの人ことは、周辺の住民が知っているようだ。何しろバスや電車の通るよく見える場所に位置している。厭でも目に入る。眼を背けて歩く人さえいる。見たくないものを見ないつもりらしい。見ただけで「眼をつけた」と因縁をつけて喧嘩を売る不良がいた。その名残があるのだろうか?自分は見なければ汚れないと思っているのかも知れない。彼と私の違いは、偶然の産物でしかないと思う。いつか立場が逆転する子も知れない。そういうことがないとも限らない社会だ。 ・へ2・・・他人がどう思おうと、自分なりにできることをしてきたつもりだが、他人から見たら、どう見えるか知らない。善くも悪くも見る人間の人格にもよる。ひとの感情は分からないことだけは言えるからだ。
2016.09.30
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講師はまだ30代後半の人で人間環境学の准教授だったが、場慣れた感じで話は流暢だった。楽しく食べることが健康に繋がることを強調されていた。アフリカのある国では40代が平均寿命だが、みんな楽しくやっているように見えたそうだ。貧困でばたばた死んでもいるそんな中でも生きている人は元気でやって人生を楽しんでいるように見えたという。その点日本ではどうか平均寿命は「世界一長寿」と言われるが、苦しみながら生活しているように見えてならない。日本人は健康にではなく、寧ろ「不健康」に敏感なのではないか。と言われた。どれだけ長寿でも人生が楽しく、元気でなければ意味がない。 ・日本では、24時間、いつでもだれでも食べられる。コンビニはどこにでもある。24時間誰か働かないと生活できないような国家がはたして幸福なのだろうか。生きているのが本当に楽しいと言えるのだろうかとも。 ・栄養学の教科書が、50年変わっていないとも言われていた。原という先生が書かれた昭和28年版の「治療食とその作り方」という本に書いてあることが、いまでも通用するのだそうだ。ということは、それだけ進化していないとも。
2016.09.30
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知識の断片では有益な商品にならない。商品化できないものは価値がない社会だが、それが人間にとって幸福とは限らない。寧ろ人間性をスポイルし腐敗させてしまう活性酸素でもある。無駄と思われてきた中に人生の価値を見つけようとする人は多い。一点豪華主義で貫き生きようとさえする。それでもそれは張り子の虎に過ぎないだろう。カネのないのは首のないことだろうか。カネが万能であるだろうか。誰もそうは思わないだろう。エゴイストにも愛する家族が必要でもある。小説家は不遜にも人間の姿を描こうとするが、それはどこまで行っても終わらない物語でしかない。この多様で複雑な種としてのヒトを表現できる筈がない。 すべては無限の瞬間の微睡みの中にある。見えているのは氷山の一角でしかない。人の生命も他の動物も、植物も微生物もみな同じ生き物であり、この地球という奇跡の上に咲いた花のようなものだ。多くのものに支えられてひとつのミッションをその遺伝子の企みによって成し遂げては消えていく。上手く行ったか失敗したか、ほんの気紛れのことでしかない。それを何といおうとそれはそれだけのことだ。 A といい、非A という。自分にあるものが A であり、無いものが 非A だ。生物学的な存在は、世界人口約69億分の1 のスペースでしかない。社会的存在も同じ価値だ。 何ものかになろうとするから見えなくなる。ふたつの目で理解しようと焦るから世の中が見えない。本当のものは見えないのに真実が判るわけがない世界にいる。汚れたものを隠している社会がある。全部蓋をしている下水道が整備された社会が現代的都市のベースでもある。自分の本当の姿を取り戻すには努力が必要だろう。人間は完璧なロボットになろうとしてはいないか。無理だろう。・・・・・をしないのが長生きのコツだ。
2016.09.30
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・知識は智慧ではない。知識が高いから世の中がわかっているのではない。そのことを間違い易いらしい。知識は誰にでも一定の時間をかければ得られるが、智慧はそうはいかない。みんなが悟りを開くわけではない。知識が高いものが馬鹿で、ないものが利口というのではないが、より人間とのかかわりにおいて智慧が人間には必要なのではないか。 ・へ2・・・人間が人格を磨いて品格を身につけるのは個人の目標にはなっても、国家には影響がない。動かすこともできない。国家と個人との境界が曖昧であるのは、権力が都合のいい個人の権利を蹂躙してきたからでもある。個人の能力を利用しないで国家の発展はないというのに無駄遣いをしてきたものだ。人間は消耗品ではない。ひとりの優れた指導者を作るのにどれだけのモノ・人・時間を必要とするだろうか。 ・それにして、根気が足りない。すぐに心が萎えてしまう。愚痴を言っても仕方がないが、高い知識を持つものほど自分を顧みない傾向があるようだ。利己心ばかりで公徳心がない。どうやら骨の出し惜しみをするようだ。情けない。知識は使うためにある。自分のものと思うなかれ。 ・へ2・・・ブッダは「迷ったときには、初心に戻り道を探せ」と。智慧のない者にならないことだ。人と共にあることを忘れてはならない。絶望した人間たちが、人々から優しさを奪っていく。軍人たちの冒険を許さないことだ。
2016.09.30
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21世紀とはどんな世紀と言えるのか、それはまだこれからでもあるが、それが決して美しい未来のことを夢見てはいられないことは言えそうだ。リスクは高まりつつある。それこそ、この地球を破壊されるだけの核兵器もある。水の惑星で一つの宇宙の中で生命のある奇跡の星も消滅してしまう。これまでの20世紀までに成し遂げてきたことの人類の科学の恩恵を受けていることは言えるだろう。21世紀に生きているからそれが解る。 ・人・カネ・モノで社会は動いていたが、それに情報という新たな力が加わっている。そのために何の能力もないものにもリアルタイムで知ることのできるツールを持つことができるようになった。それがPCであり、インターネットでもある。溢れる情報を使い熟してはいないが、新しい情報を得ることができる。これは素晴らしいことだ。 ・へ2・・・暗黒エネルギーや、暗黒物質や、ヒトも物理の一つでしかないことや、この宇宙がいつか終わることも分かってきた。この宇宙は膨張しているが必ず終わりが来る。宇宙の誕生した137億年プラスマイナス2億年からスタートしているが、母なる宇宙も存在するのだろう。厖大な暗黒の宇宙だあるとしても、私たちの存在は奇跡だろう。、
2016.09.30
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光源氏の心性は「まめ」「すき」だという。源氏は人間の代表であり、理想的人間。男のシンボルというのはうそ。源氏物語は54帖。76年間にわたりかたりつづけられる源氏の生であり、三代にわたる源氏因縁の生でもある。源氏物語は三大姦通事件を主軸として構成されている。しかも、第一の姦通事件が第二の姦通事件とつながり、第二の姦通事件が第三の姦通事件を招いて行く、それは第一の光源氏と藤壺との姦通事件に起因しているカオス理論だ。 ・へ2・・・紫式部は、司馬遷の宮刑にもひるまず目的をやり抜いた不屈の精神に深い感銘を受けており、式部の生きた10・11世紀の日本では、仏教思想が朝野に浸透しており、人々は、往生極楽を願って写経に励んだ。式部もまた、仏典に相当通じていたことは、源氏物語にしばしば引用されることでもわかる。しかも出家願望があった。因果応報の思想に深くなじんでいたのであり、源氏の生きざまの裏には、因果応報の、不倫の罪の報いが用意されていた。 ・日本文学という接点ができたのは、数年前から近くの女子大に樋口一葉の講座に行くようになってからだろう。それまでは、生物学をやろうと思っていた。日本文学、・・・?。それでもまだ腰が引けている。あまり嵌りたくはない。 ・へ2・・・どうも、モノローグで、自傷的なものが多いのが日本文学の特徴ではないかという気がしていたが、すこし違うだろうか、書き手が軽くなり、むしろ現代文学が皮相的なのかも知れない。
2016.09.30
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生物は生気があるから美しい。ひとも動物も植物も生気に満ちて美しい のであろう。萎れた花に水をやると忽ち元気になる。その見事さは潔い爽や かな感じがする。ひともいつも爽快ではいられないが、晴々としている筈なのに それと感じないようなひとがいるのは寂しい。不幸な時に哀しむのは仕 方がないが、何故若くて病気でもない人に生気がないのか。自分の逆境は恥 でもないし、不幸でもない。生まれて遺伝子が子どもに与えるものは、「生きろ」というミッ ションでもある。これがあれば、大抵のことは耐えられる、生気に溢れて前に進めば良い。そ の美しさほどこの世に美しいものはない。
2016.09.30
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・政治は笑えないコメディの劇場でもある。かつてローマ帝国は、市民に対し本当の政治に関心を持たせないために「パンとサーカス」を無償で提供した。食い物と娯楽さえ与えておけば大衆は文句を言わないという透徹した人間観が、ローマの支配の極意だった。政治とは、ステージと、役者がその役割をどう演じるかで決まる。 ・血の味を知った国家のサディズムが、ピエロや生贄を求める。狡猾な政治家たちが、国民の共通の憎しみを増幅させる<敵>を創り上げる。9.11の同時多発テロで、アメリカは<テロリスト>という当面の敵をつくり、イラク戦争を始めた。 ・年金という「パン」をさえ危くなりと国民はそっぽを向き自民党は敗北し、民主党政権が政権交代した。民主党に国家再建のカードは果してあるだろうか。カネを操るだけでことは済むだろうか。教育にしてもカネを出せば良いというのではあるまい。問題は中身でもある。政治主導というが、それもビジョンがあるだろうか。外国から隙あらばと虎視眈々と狙われている。好い顔ばかりしてはいられない筈だ。
2016.09.30
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バイロン(1788-1824)は、イニシャルをN.B. と書き、もう一人のN.B. であるナポレオン(1769-1821)がいる。何故、バイロンがG.B.ではなく、N.B.なのか?知っている人は知っている。詩人は、36歳、英雄は、52歳で死んだ。ワーテルローの戦いの一年後(1816.5.4)の戦場に立ち、バイロンは詩篇を残した。素晴らしい講演だったが、講師は昨年女子大に来られたバイロンの研究者でもある教授であった。 ・それこそ丸善から本も出版されている研究の成果がある内容なので、内容が濃い訳である。詩編の一部の翻訳を読みながら解説された。あのバイロンの詩編の溢れる感動の根源には、彼のヨーロッパ大陸の二回の grand tour にあったのではないか、と思えてきた。そしてバイロンは、ギリシャで他界した。21歳の時、一回目の旅をしている。そこに見えるのは、当時でも広い視野を求めてヨーロッパを遊学できた文化の高さだろう。 ・へ2・・・人を育てる土壌があるのとないのとでは雲泥の差だ。人間の本性を理解しているかどうかだろう。プラス思考かマイナス思考か、の違いにもなる。日本の文学者が世界レベルになれないのは、個人の社会に対する拠って立つその視点が違っている。新鮮な時代の息吹を感じたことのない人間に何が解かるだろうか?その旅して歩く場所さえ違うのだ。
2016.09.30
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虚勢を張る人たちが偉いのではない。寧ろ滑稽というべきだ。空論を唱えることもある。果たして政府の政策は核心をとらえているだろうか。憲法改正も目くらましだろうか。問題の核心を逸らそうとさえする。国民の不満を集めないように政治家たちは腐心する。世論操作をするために、どんな所にも顔を出す。まるでCMのように総理の顔が映し出される。これも戦略の一つらしい。 ・CMは、庶民心理には効果抜群らしい。人はしばしば見る顔やモノを信用する傾向がある。赤ん坊は、しばしば目にする親の顔を見て安心するようになる。小鳥は、最初目にしたものを親だと思うらしい。どうも商売人と変わらないようなことを政治家たちが真似をしているように見える。金儲けではないが、自分のメリットのためではないだろうか。 ・へ2・・・選挙の時に約束したことを守ろうとはしない。その時次第でしかない。選挙に勝てばいいということらしい。露骨なことをする。まるで子供だましだ。厚顔無恥というが、庶民のことばを聴こうとはしないで、自己主張を繰り返している。真理と追究する学問を尊重しない政治が行われて久しい。論理が通用しない政治ではないだろうか。平和主義。人権尊重の憲法の精神が泣いている。
2016.09.30
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偽薬(ぎやく、プラセボ、プラシーボ、placebo)は、本物の薬のように見える外見をしているが、薬として効く成分は入っていない、偽物の薬の事である。成分としては、少量ではヒトに対してほとんど薬理的影響のないブドウ糖や乳糖が使われる事が多い。Placebo はラテン語で、「私は喜ばせる」の意。 「プラセボ (placebo) 」は、広義には「薬」以外にも、本物の治療のように見せて実質上の治療の機序が含まれないあらゆる治療手段を指すため、厳密にはより広い意味の言葉である。プラセボ手術 (placebo surgery) が行われることすらある。(Wikipediaより) 好きなものを食べるという行為が、美味しいという心理状態を生み健康増進にもなる。プラセボ効果のテストしたところ、好きと思って食べるのと、嫌いと思って食べるのでは大きな相違があった。人のこころが、偽薬も本物の薬のような効果を上げることが裏付けられた。 ・美味しさと健康には相関関係がある。「好き・美味しい」と思うことも健康の大切な要素になる。食品の栄養素や味や香りや機能性よりも、その人の体調や心理状態や嗜好が大きく影響している。嫌いな人を前にして食事をしてもどんな御馳走も美味しくない。どんな粗末な食事でも心のこもった明るい家族で食べると美味しい。よく運動をし、よく仕事をして、空腹になって食事をすれば美味しい。 ・へ2・・・心を豊かにするような食事をすべきだ。何を食べるかでひとの寿命も違う。ライフステージに見合う食事を心掛けること。楽しく明るい気持で食事をするよう努力することだ。
2016.09.30
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高速の窓を流れ去るようにシーンは後ろへと飛んでいくだろうか。今、在ろうとするのは、メモとデジカメ内の300枚のショットとブログの痕跡と、そしてメインは、この二つの目の奥にある「近時記憶」であり、そろそろ薄れゆく薄暮のように消えていく運命だろうか。 恐らく、多くの日本人たちがそうであるように、一人の日本人としてその受容性は違っても大した観察力もなく、或いは芥川の作品の中の中国人でしかないだろうか。いつまで時間が経過しない水墨画を見ていただろうか。感慨は感慨でしかない。動く目は、自分の脳と繋がっていただろうか。 植物のもつセルロースを消化できるのは、ウサギと、ウシ、ヤギのような反芻動物ぐらいのものだという。彼らは、植物をよく噛んでから瘤胃(こぶい)へ送り、そこで発酵させられる、というより、瘤胃の中の細菌がセルラーゼという酵素を分泌してセルロースを分解するのだ。こうして第2胃へ送られ、そこで完全に消化することができる。 ウサギは長い腸の中に共生する細菌をもっていて、それがセルロースを消化する。植物がもつエネルギーを引き出すための知恵がなければふつうのことでは活用できない。
2016.09.30
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フランス500年前の中世のヨーロッパでは英才たちは教会の僧侶たちだったが、彼らが議論していたことは恐れらく現在から見れば陳腐なものであっただろう。では現代はどうか。500年も経過すれば現代も「中世」になるのだ。未来の人々から見れば、最先端科学者の議論も幼稚な取るに足りないくだらない研究であるかも知れないし、議論であることだろう。それはスタイルにすぎない。「万物は流転する」も古代のギリシャ哲学であって、キリストも、ブッダも、マホメットの教えも、その時代のスタイルで決められるに過ぎない。 ・へ2・・・絶対はないのであってその時の解釈がどうかで相対的な理解がされていくのだ。中世の偏見も、いずれは、現代が未来から評価されることとあまり変わらないかもしれない。西洋と東洋も、南北問題も、スタイルの違いでしかない。いずれは古臭いコンセプトになるのだろう。ただ私たちは、現代という世界から逃れられないだけだ。ここで収支を合わせねばならないし、未来の祖先にならねばならないだけだ。 ・ライフ・スタイルは、個人に与えられた権利であり義務でもあるのだ。どう生きるかが問われてもいる。それこそその真の憲法がない。それは自然であり、天の摂理によって知るしかないらしい。しかし、それはあってなきが如くではない。それこそ自らの人生の問題の所在であるべきだからだ。 へ2・・・ブッダの悟りは、輪廻転生を断つことだ。常にリセットして生まれ変わることだ。蛇が脱皮するように。
2016.09.30
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才能は、生活と活動の一定の諸条件の下に発達するのだ。人の子どもが発達するためには、社会的、歴史的実践の過程において形成された知識や技能、能力を習得する必要がある。然も、これをクリエイティブに応用させねばならない。知識や能力は、才能の形成にとって不可欠のものである。 教師の不満は、その生徒が充分に学習しないことである。充分に学習すれば、「彼の才能からすれば」はるかに、もっと多くの知識をもちえたであろう。 どうやら、自分の才能は、そのステップにおいて生活と活動という諸条件とうまく噛み合って発達してはいないようだ。 多くの挫折は、自分を見直す契機にもなるだろう。現実という苦しみの中にある時こそ、この社会を実感するのであり、才能を発達させるだろう。虚構に逃げようとすればするほど、才能から遠ざかるのではないか。 如何なる、視座を人間は、持ちえるだろうか。世界の現実というスープから読み解かねばならない。それは、容易なことではない。 まだ誰も、1年先の自分や、世界を知らない。然し、絶望から見てはならないだろう。
2016.09.30
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現代医学も、ジョブスを救うことはできなかったのだろうか。すい臓がんという。できるだけのことをした結果だろう。延命する方法はなかったのだろうか。それこそ、よく知らないが、できることはあったのだろうが、ポイント・オブ・ノーリターンを超えていたことにはかわりはない。 ・個人として、どんな天才でも自分の命を守るのは自分の責任でしかない。社会に勝っても、自分の生命を疎かにしては、・・・。すべてを犠牲にしても栄華を求める人入る。それはその人の選択でしかない。そうなるべくしてなるには違いはない。因果はある。「ブッダの教え」という本を読んでいたが、仏伝ではなく、どんな人だったのだろうか。 ・へ2・・・自分の眼で視てみたい気がしてくる。名の知られる人だけが人間ではない。本当の人間が知りたい。死の直後にノーベル賞受賞が決まった人もいたが、生きていたかっただろう。ジョブスの才能もまだまだこれからだったのではないだろうか。若過ぎる死だ。
2016.09.30
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人生の意味を見出し、自分に相応しく死ぬこと。そして明日に希望を持つこ と。これがこれからのキーワードだ。生甲斐は、直ぐにも消えては、むくむく と蘇える。日々は、いつも昨日とは違う、あらたな難問が、幾度も立ちはだか り苦しめる。挫折して、行き先を見失いもする。ステージが変われば、ハード ルもスキルも高くなる。生甲斐を持ち続けることは楽ではない。 逃げ出したくなる。他人の真似をしても駄目だ。矢張り自分は自分でしかない。 卑屈にならず、衒わず、一日を味わいつくす。何ものか、を知れば。誰の前にも明日は来る。
2016.09.30
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少年老い易く学成り難し。なぜチャンスが生かせなかったのだろうか。邪魔をされたからか、それだけの自覚が足りなかったのか、あるいはもともとその能力がなかったのだろうか。青雲の志を抱いて、と言われるが、歳を取ってからは何も言われない。まさか黙って死ねとは言えないのだろう。資格を取るわけでも、すぐに忘れてしまう知識を詰め込んでも、それは誰も喜んではくれないが、自分では知識を得ることは嬉しいのだ。大学の不完全燃焼なのだろう。 ・いつまでも学生のような気持がしている。伯母から向学心のない奴はダメだといわれた言葉が今も残っている。頭が良い悪いではない。記憶力の問題でもない。目の前にあるものを犀の角のように、だろう。できるかできないか、わからないだけだ。自分の心の怠け者と闘いながらやってきた。思えばあれもこれも手強い。生きるることも病気も手強い。 ・へ2・・・ 自分を誤魔化して気楽に生きて行こうとしても、自己満足だ。VIPだといわれていたいだけの人が姑息な生き方をしているのではないのだろうか。有能な人材が大統領でなくても国家は安泰でいられるだろうか。そんな時代もある。ルイ16世も無能ではなかったらしいが、時代が悪い。それでもフランス革命は人類には恩恵をもたらした。愚か者の烙印はいつもある。したことの報いはある。
2016.09.30
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どんなに面白くなくても、外ばかり見ていても仕方がない。どこもいいところばかりではない。遣り切れないところも一杯ある。何を血迷っているのだろうと思うこともある。本末転倒もある。ことがスムーズに運ばないのは多くの人が係わってこの社会が成り立っているからだ。何処かが改善されても、それで終わりではない。次々に綻んでもしまう。人間の目は三次元で捉えているが、鳥たちや恐竜たちはもっと世界が美しく見えている。 ・すべて人間が最高ではない。種としてのヒトは、神の子ではない。そう信じている人もいるから、それは確立されてはいないだけだ。限られた世界の中で私たちは生きているに過ぎない。多くの選択肢の中から生き方を決めている。然しそれほど人間の考えに違いがある訳ではない。観ている先が違って見えるからだろう。実体は変わらなくても色んな側面があるのだ。いつも干潟が見えるのではない。満潮になり干潟が海面に沈んでいる。この場所を最初に訪れた人が見れば干潟はないというかも知れない。干潟が汚いという人もいる。独特の臭いがたまらないというかも知れない。 ・へ2・・・たった数メートルの海水が干潟を被っているだけだが、綺麗だという人もいるかも知れない。私もそう思った。海水が洗っている。以前、閉塞した海をトンネルでも掘って玄界灘と繋いだらどうだろうかと思ったことがあったが、考えてみたら、干潟が消滅するかも知れない。干潟が海水に流されてしまうだろう。和白干潟があるのは博多湾が閉塞した地であるからでもある。そして、こうして満潮になり干潟を洗ってくれている。自然のカタルシスがあるのだ。できるだけ権力を長く自分の手元に措きたいのだろうか。一度挫折しただけに執着もあるのだろう。それは個人的な感情でしかない。安倍晋三氏のことだ。そんなひとが首相でいいのだろうか。自民党は自分たちが与党でいたいだけなのではないか。姑息な手段で与党でいたいらしい。政治家たちは全部レッドカードだ。
2016.09.30
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絶対真理を求めればない。無いと思う。宇宙は広いが恐らく、地球で起きている事の物理現象が、どこでもあっているに違いない。環境や、状況が違うだけだろう。イエスもブッダも、マホメットも同じ人間の理想や想像力の産物なのだろう。あるものはあるが、ないものはない。常識の世界と非常識の世界が、逆転してしまうことがあるということでもある。真実もあると言えばあるし、無いと言えば無くなるに過ぎない。 ・どんな天才も、凡人の延長でしかない。何かに優れている人には違いないが、同じ生理をもつ人でしかない。国家も人にたとえれば人の体のようにも見えてくるのだ。少しの違いでしかないが、人の違いも千差万別で、そこに活きていたら小さなものではないと思うからだろう。ヒトとして視れば、みな同じ化学反応の因果律に支配されている。いつも凄いなあ、と思うことばかりだが、それは自分が愚かなのだろう。 ・へ2・・・他人は、他の人に負けまいと一生懸命生きているに違いない。それを何年も、何十年もつづけたら、屹度優れた能力にもなる。故人たちはそうして偉大な業績を残したに違いないのだ。そして今生きている人たちもそれを実践しているのだ。生存競争では、そうして地道に努力した人たちが一定の成果を上げている。成果のない人は、少なくともゴールを間違えている。それが他人にはわからないだけなのだ。真実は、あるべくしてあるに違いない。 尊敬できない政治家や学者たちが牛耳っている社会がさぞ憎たらしく思えるのだろう。それでもこの社会システムに入らないと生きてはいけないのだ。情けないが。秋雨が夜明け前の暗闇に響いている。今日も一日雨らしい。折角、野鳥の写真とかウオーキングとかしようと張り切っていたのに。いつもしたいときに出来なくなる。ゆっくりこれからのことを語りたかった親友が死んでしまった。チャンスはあるようでないのが常だ。勉強したかったことさえ忘れている。
2016.09.30
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毎日これでもかと繰り返されている多くの犯罪を見ていると、それを解決するためにどれだけの公務員の人たちが走り回らなければならないのだろうと。次々に起きる自然災害もある。大事件もある。戦後70年間。世界でも大戦争はなかったが、殺し合いは止んだことがない。相手を殺してしまえでは、戦争は終わらないし、野蛮な時代と変わりはしない。 ・愚かな政策や犯罪のために、公務員たちは疲弊してしまうだろう。毎年のように台風は来るだろうし、大地震もあるかもしれない。大噴火もある。その対応に追われて日々は過ぎていく。肝心の子供や老人が忘れられている。皆自分のことで精一杯で他人どころではないのだ。友人たちのことまで気が回らない。援けることもできないし、助けられることもない。 ・へ2・・・人々の心は切断されている。絆がないから、絆というのだろう。神を信じて、たとえ父母でも兄弟でも、他人でも信じるながキリスト教だ。仏教も突き詰めれば、空でしかない。一枚岩といわれた共産主義さえ、個人主義の道を歩いている。巨大国は崩壊していくだろう。飽くまでも人は砂でしかないからだ。 学識を積んだ人たちが、何をしているのだろうか。どんなに威張ってみても中国や韓国や、そして北朝鮮だって、ノーベル賞を、中国では一つだけだったか。世界レベルではない文化なのだろう。日本も今は何とかこれまでの実績はあるが、これから先はあまり期待できないだろう。偏見もあるのだろうが、アジアの未来は明るいとは言えない。
2016.09.30
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いつも相反する課題に悩まねばならない。どうも真実ではない曖昧さの中で暮らしている。恐らく、 間違った情報を信じている。 環境ホルモンは種としてのヒトへの絶滅の使者なのではないだろうか。 あとでわかる時には、結果が出た後だ。 後付けの説明がされる。温暖化や環境汚染は、人類の迫り来る危機だ。化学薬品は毒だが、それを 飲まないと極端な場合は命がないと強迫される。食物はみな安全ではないが、食べなければ餓死す る。水俣病も、その他の公害病も事実は後で判明した。企業には倫理はなく、競争に勝ち生 き残ることしか考えない・・・利益優先だ。体質は今も変わらない。どうすべきなのだろう か。取り巻く環境は、厳しくなるばかり。毒を食しても死なないヒトだけが生きるのだろう か。そのため 5% の突然変異か。 日々私たちに問うている。それを今何をしたらいいのか、自分のできることはなにか。小さいことしか出来はしない。それでも問わなければならない。私たちは何か大きな罪を犯そうとしている。それがなんだろうか。自分たちがしでかしている罪の重さを知らなければならないのだ。ルイ16世とルイ14世のサイト記事を読んでいた。確かルーブル美術館に肖像画があった。ルイ14世だけだったのだろうか。評判だけではないのだろう。ルイ16世は38歳没とある。
2016.09.30
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能力もない人間が幸運に恵まれただけで思わないステータスを握ることがないとは言えない。そして、つい自分の力を過信してしまうのだ。ルイ16世ではないが、運命に翻弄されることにもなる。権力の座にあるものはつねに自らの能力の範囲を知るべきである。かって軍の参謀たちは誰を利用しようとしただろうか。 ・神風の亡霊に憑かれた者たちが、多くの国民の命を恣にした。許されることではない。21世紀の科学の時代にあって、KYな人間では国際社会に通用しないが、漁夫の利を狙うハイエナたちが、間抜けな獲物を狙っている。バブル崩壊は、誰が仕組んだかだ。そして日本経済はまんまとやられた。 ・へ2・・・強かな外交能力のないわが国は、またぞろ壊されるのではないだろうか。内部崩壊した政党ばかりしかいない。狭い視野で、国際社会を乗り越えることなどできはしないのだ。短い政権だからこそ、怪我もそれだけ小さかったが、安倍内閣は、またやるつもりらしい。お友達がいけないのだろう。木偶の坊は何をするかわからない。
2016.09.30
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・食品の安全性についてリスク分析から、生肉を食べると危険。新鮮だから生でも安全ではない。タレントで女優のギラン・バレーシンドロームの事件がある。カンビロバクターが原因らしい。同じものを食べても、保菌者に為るだけの人や、軽い下痢で済む人がいるが死者も出るから怖い。食の難しさは、年齢や、体調や、生活習慣でも相違する。保菌者が知らないで細菌をばらまいていることもある。 ・「放射性物質と食品」の話もあった。如何に、WEB などで安線情報を得るかもある。サイトをいくつか紹介された。後半は、老化の予防について。世界の平均寿命は男性は、66歳らしい。女性は70歳。何故女性は長生きなのだろうか。「筋肉の維持」「骨の強化」「充分な休養」と食品由来抗酸化成分だそうだ。「死ぬまで元気で暮らす」ことが理想ですとのこと。異存はない。 ・へ2・・・東電は、自分たちには責任がないと思っているのではないのだろうか。多くの人たちの故郷や生きる希望を奪っているのが自分たちだと思えないのだろう。真実を見つめることは難しい。奪われた人たちに悲しみを理解することもできないに違いない。だから同じ過ちを繰り返すのだ。然し、犠牲になった人々の時間は戻っては来ない。罪の意識がないことが怖い。
2016.09.29
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増え過ぎたネズミは、ある許容限度を超えてしまうと一斉に海や湖に突進して集団自殺をする いう伝説がある。実態は少し違う。棲めなくなると新天地を目指して走り出すのだ。その先が 海であれば、そのグループは集団自殺と同じ運命になる。それは、生き残りの最後の生命の全 方位行動だ。ヒトもそうなる運命が待つだろうか。パニックになり、その必要もないのに早々 に生きるのを諦めてしまうだろうか。個人にも突然死がある。ヒトの生命の危機が近いかも知れ ない。日本人は、これまでの官僚的な馴れ合い政治を止めようとしている。今後日本人の本当 の個人としての資質が問われる。先ず世界に通じる言葉と論理を身につけねばならない。あら ゆる課題に対して、自分で現状分析をし自分の頭で解決方法を考えねばならない。間違った教 育をされていたことを自覚すべきだ。誰も、先ずそのこと再認識せねばならない時だ。 そういう時代だと思う。
2016.09.29
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なぜフイリップモリスが、世界有数のプレッシャーグループであるにもかかわらず、禁煙運動を押しとどめることができなかったか?日本のJTはもっと必死に抵抗していた。どうやら日米の経営構造の違いがあるらしい。アメリカの経営者は経営手腕を発揮して短期に利益を生み出し、それで金儲けができればいい。製品に対する愛情なんてない。たばこ訴訟が起きればすぐに和解する。その方が弁護士費用が高い国では安くつくと考えるからだ。 ・アル・ゴアの「不都合な真実」の前半は地球温暖化問題だが、後半は反たばこキャンペーンが展開される。ゴアのファミリーはたばこ農園を経営していたが、喫煙者の姉が肺がんで亡くなり、一転肺がんの原因がたばこだとして煙草生産をやめたばかりか、たばこは「姉のかたき」として反対運動を始めた。優しかった姉さんの復讐にすり替えてしまった。そこがアメリカ人の禁煙運動の論理であり、非論理性が非常にわかるという。(養老前掲) ・当時エイズかたばこの二つの選択があった。つまり誰もが一致して反対する敵をさがしていた。エイズの原因とされた同性愛を好むのはハリウッドスターとか芸術家とか上流層であり、たばこを吸うのは社会の中流以下が多かったからでもある。アメリカ人が大麻に寛容なのも同じ理由だ。結局たばこが<敵>に選択された。 ・へ2・・・よくもこうすべてのことがつながっているのか感心する。紐はたどれば行きつく先が決まっている。心のやさしい人ほど、ストレスの多い暮らしが待っているし、当然は短命にもなる。それこそ現代では、「ストレスに対する備えのできない人は早死する」。
2016.09.29
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ロバート・マーシャル著「図説 モンゴル帝国の戦い」騎馬民族の世界制覇。著者はBBCのドキュメンタリーを手がけた人で、西欧人が見たジンギス・ハンが興味深い。騎馬民族の強さは日々の狩猟によって鍛え上げられた強靭な体力と忍耐強さにもあるだろう。元寇によるモンゴル軍とは中国や朝鮮の敗残兵を招集した寄せ集めの軍団でしかなかった。 著者が指摘するように、13世紀に吹き荒れた嵐の意義は、アジアとヨーロッパの政治的境界をぬりかえ、人びとをその住み慣れた地から追い払い、イスラム、仏教、キリスト教の影響力を根本から変革させ、モンゴル人が東西の通路をひらき、世界についての知見を拡大させたことであろう。そして果てしなき殺戮の歴史をも積み上げていく。 何故あんなにモンゴル軍は強かったのだろうか。彼らの侵略は巧妙であり、虐殺によって敵を沈黙させ、吹き曝しの荒野にした。彼らは世界を牧草地にでもするつもりだったのか。やはり騎馬民族による世界制覇なのだろう。 「ものごとは結末を見るまでは、栄光とはいえない」、その途上で多くの人は途中で気力を失ってしまう。故にことは為し難い。ジンギス・ハンは少なくともそのことを知っていたが、遂に生涯は彼をさえ、それを待ってくれなかった。
2016.09.29
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・絵が上手く、気のおけない仲間との談笑もするヒトラーだったという、それも間違いなく彼の一面であっただろう、そしてそれだけに恐怖と遣り切れなさがこみあげてもくる。独裁者といえど個人にさほどの力はない。就中偉大な鉄人ではない。しかし人の期待が高まる時何かの拍子で、本当は持つべきでない大きな力が集中しモンスターにも変貌してしまう。その兆候が容を変えてこれからもあるにちがいない。それを未然に食い止めることができるだろうか。 ・へ2・・・歴史は風化しやすい。金正恩政権も、人間が如何に歴史を風化させてきたかを思わずにはいられない。かってのスターリン主義も、毛沢東思想も多くの犠牲者を出しただろう。そして現代のデモクラシーの代表者だと自認するアメリカでさえ、理性を見失っているように見えてならない。私たちが独裁政治への記憶を新たにすることは、同じ過ちを繰り返さないためであり、自分を戒めるためのアラームを持つことだと思う。 ・歴史をみると、いくつかの平和へのチャネルを国民が間違えたことが明らかだ。国民が如何に理性を失いやすい存在でであり、暴力に屈しやすいかを思い知らされる。そして、あたらしい生まれ変わったヒトラーの台頭を、その兆候をさえわからず、未然に食い止める方法を私たちは何も知らない。 ・へ2・・・それが想定外のかたちで登場してくるだろうことはあるだろう。未だ取るに足りない北朝鮮の核でさえ、金正日の遺伝子をもった人物が現れるかも知れない。その危険な芽は世界のどこにもあるに違いない。「次の」ヒトラーが出てきたとき、「今度の独裁者の暴走を止められる」かと問うことがあるとして、大丈夫だと即答できるだけの人がいるだろうか。 宇宙の誕生も無から始まっているとしか説明できない。科学も可笑しいことを言う。
2016.09.29
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白い薔薇 Sophie Scholl 1921年5月9日、ゾフィーはコッハー河畔の小さな町フォルヒテンベルクで生まれた。 1943年(21歳)2月18日 大学内で兄ハンスとビラ6号を撒いているところを発見され逮捕された。 2月22日 民族裁判所にて死刑判決。 17時 ミュンヘン・シュターデルハイム刑務所内で斬首。 帝国勤労動員を経て、ようやく大学で学ぶことができるようになった1942年5月初め、ゾフィーはミュンヘンへ移った。ハンスは親しい友人たちを彼女に紹介し、彼ら主催の読書会にも招待する。白バラのビラがミュンヘンの街に現れたのはこの1ヶ月後だが、最初からゾフィーが白バラに関わっていたかどうかはわかっていない。 1943年2月18日、兄妹は大学構内で1000枚以上のビラを撒いた後にいったん外に出たが、残りも全て撒いてトランクを空にしなければならないと、急いで構内へ戻り、階段を駆け上がり残りのビラを玄関ホールに撒いた。その様子を用務員に目撃・通報されナチスの秘密警察に逮捕されてしまった。そこからのゾフィーの処刑までの5日間。 処刑の前に兄妹が両親とシュターデルハイム刑務所で面会できたことはまったくの幸運だった。ハンスは囚人服を着ていたが、ゾフィーは自分の服で、絶えず微笑みを浮かべ、ハンスが断った甘いものを嬉しそうに食べた。「あらそう、いただくわ、私はまだお昼を全然食べてないのよ」。(『白バラは散らず』P.110/インゲ・ショル・内垣啓一訳/未来社)。 私はもう一度、すっかり同じことをやるでしょう。 考え方のまちがっているのは私ではなく、 あなたがたの方なのですから。
2016.09.29
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山頭火1940年没。享年58歳。松山の草庵で本人の希望とおりポックリ往生したらしい。季語などに 捉われない自由さが珠玉の輝きを放っている。どうやら生きる自信が無くて揺れつづけるのだろうか。 亡き母が、よく腐りかけた林檎を買って来て食べていた。当時は、少し恥ずかしいと思っていた。 勿論貧乏の所為もあるが、腐敗した処を切除して美味しいと母は、言って食べていた。私も食べろと 言われて食べていたが余り気持ちは良くなかったのを覚えている。今それを考えると、単に母がグルメ なのではなく、母のライフスタイルであったと思う。食い意地は張っていたのではなく、見掛けは悪くても 美味いものがあるのだ。耕畝は、堂守を生きておれば、山頭火はいないだろう。 見かけばかり捉われて、生きようとしているのではないだろうか。 うどん供えて、母よ、わたくしもいただきまする 山頭火
2016.09.29
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その時というのは、人間には難しい課題でもある。こうして朝目を覚まして、あとのことも考えず自由に起きて、自分の時間を思うままに使えるのを、昔ならどんなに願望していただろうか。誰しも思うだろう。時間を売って労働しなければ暮らしてはいけないのが現実だ。社会システムは、それを基本に成り立ってもいる。どうして社会悪を排除できないだろうか。それは、国家がなければ、この社会を維持できないと信じてもいるからだろう。 ・男は女がいないと活きていけないと思い、女もそう思っている。だから愛だ、恋だと騒ぐ。何でもないことを、大袈裟に騒ぎもする。固定観念を植え付けられてそこから抜け出せない人間も普通にいるのだ。自分よりも知識のある人を見て羨ましいと、普通に思うが、反対から視ると、自分よりも相手の方が楽に生きているのではないかと、普通に思うのではないだろうか。自分が一番苦しいと人は思いがちである。 ・へ2・・・その時、というシーンは、個人で体験するハードルや通過儀礼を上手くクリア-できないことが多い。自分が相手を必要と思う時、相手はそうではないことが多いからだ。それは先ず、教育の現場で体験することでもある。そして挫折感を感じもする。自分はバカだという証明を何度もされれば大抵の人間は自信も無くなる。社会はまさにそうして、人間を駄目にもするのだろう。アルコールの無い酒を呑んでいるような歯痒さを、日常でも大学の講座を受講している時にもふと感じている。
2016.09.29
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読書を人生にともにするのは、相当の努力も要る。安易な友なら、それだけのともだ。厄介でしんどい相手の<とも>もいる。強がっても年齢には勝てない。60歳を過ぎるとどんなひとも脳の委縮と闘うのだ。学者となれば、殊にそのことを強く感じるに違いない。利用価値のないものは棄てられることを一番知ってもいるからだ。他人を莫迦にしていたことが自分のことにもなる。 ・立場がかわれば物事を視る目も変わってくる。上に立つものがどういう目線で下を視ているか自分でもわかるだけに余計腹も立つ。よくしたもので世の浮き沈みはある。祖先の恩恵も3代といわれるのは、そうして社会は活性化してきたからだ。働くことの意味を教えている。動かないものは結局は損をするのだ。世にあることは反対に視えるらしい。 ・へ2・・・祖母が口癖のように言っていた言葉が脳裏にあるのは、幼児体験になっているからでもある。ことばを覚えた頃の言葉でもあるからだろう。何を言っているのだろうとぼんやり聴いていたが、今頃になって、思い当たる節がある。ばあちゃんは、私に教えていたのだ。読書が中々人生の友になってはくれないが、昔のことわざが、いくつも頭に残っている。これも<とも>のひとつなのだろう。
2016.09.29
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ウイルスは地球上に生命が誕生した時から存在していると考えられる。ある意味では、生物進化のパートナーでもあったと専門家はいう。エマージング・ウイルスの出現とは、ウイルスが人間を攻撃しているというよりも、人間がウイルスのすみかを荒らしているのではないかという。森林伐採や人口増加による自然破壊が、奥深い森林に生息しているサルやネズミ、蝙蝠などを自然宿主にしていたウイルスを否応もなくその封印を冒したためではないか。人への過剰な被害意識がある。科学者はエマージング・ウイルスの根絶は不可能だという。ウイルスは非常に多様性があり適応能力が優れており、生態変化に応じて変異してしまうからだ。相手にしてはウイルスは強敵過ぎる。 ・全面戦争をしても人類が勝つとは限らない。ウイルスは地球に生命が誕生してから生き延びている生物である。病原菌は強くても、空気感染しないものであれば、対策を間違えなければ不用意に怖れることはない。日本でエマージング・ウイルスが出現する可能性は薄いとしても、これだけ航空機の交通網が発達した中ではいつでも日本に入ってくることが考えられるが、不測の事態に備えておかなければならない。 ・へ2・・・敵を想定して、それを潰そうとばかり考える発想は危険だし、時にはそれが致命傷になるかも知れない。人類は万能ではない。強敵を惧れることは当然のことであり、共生、共存の道を模索する努力を忘れてはならない。人類とウイルスの闘いは、相手の存在を確り知ることから始まる。
2016.09.29
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それこそ国民すべてが戦争に反対すれば、戦争は起きない。西郷の征韓論ではないが、自国の経済政策に窮してくると、他国に利権を求めようとした。 経済不況がつづくとそこから脱却しようとするあまり無茶をすることにもなる。追い込まれないようにしないとパニックになってとんでもないことをすることになる。 ・明日間違いなく死ぬだろうというとき、自制が効かなくなることはあるに違いない。 ひとは弱い存在でもある。自分が死ななければ、みんなに迷惑をかけると諦めさせるとしたら、それは人間として許されない。特攻隊精神とはそういうことなのではないのだろうか。戦陣訓も、犠牲を強いたのだ。もともと就職難で自衛隊にはいった若者もいるに違いない。 ・へ2・・・今度の安保法案で、話が違うと退職する自衛官がどれだけいるだろうか。家庭があったり、退職しても就職口がない人も多いのではないだろうか。これまでとは違い中立ではなく敵になることだろう。相手は狙って狙撃もして来る。それを政府はさせようとしているのではないだろうか。隊員だけではない。観光ツアーだって狙われかねないのだ。
2016.09.29
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アベノミックスが何なのか。それは少なくとも安倍氏が一人で考えたことではない。自分の手柄のように言っているに過ぎないし、それで政治的効果を狙っているに過ぎない。毎日のようにテレビに出ているのも人気があるわけでも、必要があるわけでもない。したいことをしているに過ぎないのだろう。しかもそのためにどれだけの浪費がされているのだろうか。 ・拉致問題にしても、原発事故にしても進展がないし、安保法制にしてもどれだけしたことの意味があるのだろうか。アメリカの意向を汲んだものでしかない。カネをばらまいて経済が良くなるならいいが、財政赤字は増えるばかりだ。このままでは経済破たんすることは目に見えている。国も破産するということだ。 ・へ2・・・分かっていることをしないのは無能でしかない。福島第一原発事故も決して想定外ではなかったし、 すべきことをしていなかったからでしかない。それでもまだ原発を続けるつもりらしい。期待に訴えかける政策の偽薬で乗り越えようとしているだけだ。真剣に考える人間を作らない限り困難は克服できないことばかりある。そしてこの選挙制度や社会システムを変えない限り未来はない。
2016.09.29
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・狂気の時代だ。然し狂気はいまだけのことではない。それよりかは暴力に対して不感症になりつつある人々が増えていることの方が怖いだろう。自爆テロでさえいまや誰も驚かなくなっている。あれだけ、日本軍の片道切符のカミカゼ特攻隊の攻撃が狂気の沙汰だといっていたのだ。暴力が当り前になっていくだろうか。暴力肯定がナチズムのロジックではなかったか。 ・へ2・・・日本国憲法の平和主義も怪しくなった。アメリカ軍の戦略に加担し、海外派兵までしている。ためにする行為がまかり通り、軍備が拡大されている。優秀な人材が軍人になっていくのだろうか。国家とは常に勢いによって針が振れる。軍国主義が席捲すれば大学も優秀な人材もそちらに傾く、経済優先となればそちらにシフトする。その流れを誰にも止めれなくなる。 ・その狂気に気付かなくなる。誰もそれと分らなくなる。それが怖い。そんな時代があった。復讐心を煽って利用とする政府がある。それは世界を牛耳っている。人々は、目の前で起きることが当然だと思い込んでしまう。フセインは殺されて当然だとして殺された。アルカイダを支持するものはテロリストだとされる。 ・へ2・・・誰が良識を明日に伝えることができるのだろうか。その栄誉ある仕事をなし遂げるだろうか。それはアメリカだろうか、中国だろうか、それともインドだろうか、ロシアだろうか、EUだろうか、それとも他の地域の人々だろうか。その中に日本人はいるだろうか?
2016.09.29
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自分の人生においてテーマをもっていることは大切なことだろう。それが、実現可能であり、自分にとってプラス思考であれば、生甲斐にもなる。だらりだらりとしているから何もできなくなる。此処1年半余、毎日歩いていると、現在は歩くのが楽しくなるが、恐らく、苦しくなる時が来る。その時それをどう乗り越えることができるかだ。病気をしたり、怪我をしたりの不可抗力もある。いつもハイではいられない。暗いモードのときもある。それにどう対処するか。 ・いまでも足の重い時がある。それを自分のライフスタイルと言うまでには相当時間の経過が必要だ。挫折もする。その挫折感を克服できるかだ。人格形成はそうした蓄積でしかない。そしてキャリアはその人の形質になり、人格にもなる。そのひとの表現や態度が示すものはその成果でもある。 ・へ2・・・一日の始まりは無からではない。自律神経は生まれてからこれまでも歴史をそのまま刻もうとする。脳は措かれた環境から自由であろうとするが、すぐに縛りあげられる。束の間のまどろみの中で、脳は何か気楽に遣れないかの口実を探しつづけている。何も弁解できない日常が来る。そしていつまでも新たなテーマを探さねばならない。
2016.09.29
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