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民俗とは、古くから民間に伝承してきた風俗・習慣です。 民俗学は、風俗や習慣、伝説、民話、歌謡、生活用具、家屋など、古くから民間で伝承されてきた有形、無形の民俗資料をもとに、人間の営みの中で伝承されてきた現象の歴史的変遷を明らかにします。 そして、それを通じて現在の生活文化を相対的に説明しようとする学問です。 ”民俗学読本-フィールドへのいざない”(2019年11月 晃洋書房刊 高岡弘幸/島村恭則/川村清志/松村薫子/編著)を読みました。 民間伝承の調査を通して、主として一般庶民の生活・文化の発展の歴史を研究するための13のフィールド物語が織りなす、民俗学の思考法などを紹介しています。 近代化によって多くの民俗資料が失われようとするとき、消えゆく伝統文化へのロマン主義的な憧憬やナショナリズムの高まりとともに誕生した若い学問であり、日本もその例外ではありません。 日本の民俗学は、ヨーロッパ特にイギリスのケンブリッジ学派の強い影響をうけて、柳田國男や折口信夫らによって近代科学として完成されました。 本書は、4名の編著者と別の9名の執筆者によって構成されています。 髙岡弘幸さんは1960年生まれ、大阪大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得退学、現在、福岡大学人文学部教授。 島村恭則さんは1967年生まれ、筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科単位取得退学、現在、関西学院大学社会学部教授、世界民俗学研究センター長。 川村清志さんは1968年生まれ、京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程修了、現在、国立歴史民俗博物館准教授。 松村薫子さんは1972年生まれ、総合研究大学院大学文化科学研究科国際日本研究専攻博士後期課程修了、現在、大阪大学日本語日本文化教育センター、大学院言語文化研究科日本語日本文化専攻准教授。 ほかに、執筆者として、 兵庫県立歴史博物館学芸課長の香川雅信さん、 関西学院大学社会学研究科大学院研究員の孫 嘉寧さん、 南山大学南山宗教文化研究所研究員の後藤晴子さん、 宮城学院女子大学教育学部教授の大内 典さん、 チュラーロンコーン大学文学部東洋言語学科日本語講座専任講師のサンラヤー・シューショートケオさん、 熊本大学大学院人文社会学科研究学部教授の山下裕作さん、 福岡大学人文学部准教授の中村 亮さん、 千葉県立中央博物館主任上席研究員の島立理子さん、 呉市海事歴史科学館学芸課学芸員の藤坂彰子さんが挙げられています。 人間の生活には、誕生から、育児、結婚、死に至るまでさまざまな儀式が伴っています。 こうした通過儀礼とは別に、普段の衣食住や祭礼などの中にもさまざまな習俗、習慣、しきたりがあります。 これらの風習の中にはその由来が忘れられたまま、あるいは時代とともに変化して元の原型がわからないままに行なわれているものもあります。 民俗学はまた、こうした習俗の綿密な検証などを通して伝統的な思考様式を解明しようとしています。 民俗学のどこが個性的なのでしょうか。 それは、問題の発見とその解明の基盤が、これを研究しようとする者自身の日常経験の積み重ねとしての人生にある点、そしてそこに宿る「小文字」の言葉を重視して議論を組み立てようとする点です。 民俗学とは、まず何よりも、当たり前のものとして不思議に思わない自文化.特に私たちが享受しているだけでなく、私たち自身が生み出している生活文化を「異文化」として再発見する「まなざし」です。 そして、再発見した自文化の意味や歴史的変遷などを研究します。 日本に生まれ育ったからといって、日本の文化や社会について、どれだけのことを知っているというのでしょうか。 編著者の一人は、40年近く前、目の前の知っているはずの日本文化がいきなり「異文化」として立ち現れた経験をしたことがあるといいます。 高校生のときからアフリカの広大な大地に憧れを抱き、大学では文化人類学研究会に所属し、将来はアフリカ研究者になることを夢見ていました。 サークルで京都市内の秋祭りを調べていたとき、サークルの顧問の先生から「アフリカより日本のほうが不思議で面白い」と言われたそうです。 近所の神社に連れて行き、「この中のどんなことでもいいから、説明してごらん」と言われましたが、見慣れたはずの神社の風景、建物、祭りの様子などを、何一つ説明できませんでした。 その瞬間以来、日本のありとあらゆる文化や社会が、証明不可能なアフリカ以上の「異文化」として立ち現れるようになりました。 日本に生まれ育つたからといって、日本のことを知っているとは限りません。 むしろ、当たり前すぎるほどのものであるからこそ、不思議を不思議として認識できないのではないでしょうか。 また、アフリカにせよどこにせよ、外国研究をするためには、日本のことを(ある程度は)知らなければ、問題を発見できないはずですし、比較も不可能なはずです。 そのことにも気づき、文化人類学と並行して民俗学の本を貪るように読み始めたといいます。 ところが、読めば読むほど、日本文化・社会は、「どうだ、私の謎を解き明かせるか」と大きく立ちはだかったそうです。 日本文化を「異文化」として再発見し、その意味を解読する、魅力的な学問が民俗学です。 窓から見える風景をじっくりと眺めてみてほしいです。 窓の外には、田んぼや畑が広がっていますが、農作業の方法や、農民の生活と農機具の変遷、現代の農業が抱える問題、開拓の歴史をどれほど知っているでしょうか。 あるいは、鉄筋コンクリートで造られた高層アパートが建ち並んでいるのが見えますが、ここでの暮らしはどのように成立し変化してきたのでしょうか。 そもそも、なぜこの場所にニュータウンが建設されたのでしょぷか、 寂れきった港が見えますが、昔、海が見えないほど船がひしめきあったという巷町が、なぜこのように衰退してしまったのでしょうか。 また、目的なしに街を歩いて、ふとバスや電車の中で乗客の会話を耳にし、友人やバイト仲間と世間話し、本を読んでいるとき、食事をしているとき、何か心にひっかかりを覚えたことはないでしょううか。 どんなことでもいい、何か1つでも「謎」や「不思議」が見つかるのではないでしょうか。 そうであれば、見飽きた風景のはずの田んぼや、ニュータウン、港町、街の風景、他者が話した何気ない一言、思わず目をとめた文章、大好物の食べ物が、「異文化」として再発見されたことになります。 不思議で面白そうな問題を見つけ出したとき、次にするべきことは、おそらく、図書館や博物館に赴き、文献資料、古い地図や写真など、関連しそうな資料を片っ端から調べるでしょう。 図書館や博物館で抱いた疑問がすべて氷解したらそれで終わりですが.どのように優れた内容の書物であっても、すべての疑問に明確に答えてくれるわけではありません。 そこで、さらに別の文献を探し出して謎を追い求めるタイプの人が出てくるはずです。 また、本ではこれ以上のことを知ることができないなら、昔のことに詳しいお年寄りに話を聞いてみるのもいいのではないでしょうか。 解きたい問題によっては、時間とお金をかけて遥か遠くまで行かねばならないこともあります。 民俗学の概説書には、生業(農業・漁業・林業など)、社会組織、人生儀礼、年中行事、説話伝承、都市化、信仰、妖怪と怪異といった項目が並べられています。 概説書によって民俗学の課題を知り、図書館やフィールドに向かうアクセスの仕方もあっていいでしょう。 しかし、この本を書くために集まった民俗学者たちの考え方はまったく違います。 解き明かしたい問題は、あくまで日常生活のなかで、あるいは、フィールドで見つけ出すものであり、決して誰かが事前に用意してくれた所与のものではないと考えています。 「民俗」とは生活文化、しかも自分自身が改めて再発見しなければ誰も気がつかない、当たり前すぎるほどのものです。 そのため、「民俗」は、誰かに尋ねてみようとしない限り、姿を現わすことなく、沈黙の彼方に消え去ってしまいます。 だからこそ、重い本や資料をカバンに詰め込み、より深い問いや答えのヒントを授けてくれる他者と出会うために出かけるわけです。 本書は民俗学の入門書でもなければ、概説書でもありません。 フィールドワークの面白さ、奥深さを、素哨らしさを伝えたい。 その意味で、本書は民俗学入門以前の書物と位置づけることかできるでしょう。第Ⅰ部 フィールドとしての日常生活/フィールドとしての日常生活―民俗学の原点―(髙岡弘幸)第Ⅱ部 見えない世界を視る/「好きな妖怪は特にありません」―妖怪博士の告白―(香川雅信)/「桃太郎」と伝説の「語り直し」(孫 嘉寧)第Ⅲ部 南島への旅立ち/フィールドワークの愉悦と焦燥―宮古島での3か月半―(島村恭則)/長生きと向き合う(後藤晴子)第Ⅳ部 信仰と実践/祭りをやりながら考えたこと―フィードバックする現場と理論―(川村清志)/「音」の文化を探る/―山伏に「なった」音楽学者―(大内 典)/糞掃衣の真実/―フィールドでの後悔―(松村薫子)第Ⅴ部 挑戦する民俗学/農業・農村研究というもの/―否応のない現場―(山下裕作)/21世紀のフィールドワークに向けて/―福井県小浜市田烏のナレズシをめぐる地域振興と文化人類学―(中村 亮)第Ⅵ部 博物館へ行こう!/博物館へようこそ!(川村清志)/博物館が作った「おばあちゃんの畑」というフィールド(島立理)/「戦争」の「記憶」と向き合う場所(藤坂彰子)ggcx
2020.01.25
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ホープ・ヤーレンは、1969年9月27日にミネソタ州オースティンで生まれました。 父親はコミュニティーカレッジの研究者で、物理学と地球科学の初歩を42年間にわたって教えていました。 ”ラボ・ガール-植物と研究を愛した女性科学者の物語”(2017年7月 化学同人社刊 ホープ・ヤーレン著/小坂恵理訳)を読みました。 小さい頃から研究室を持つことを夢見て、絶対にラボ=研究室を持つという強い決意で、相棒ビルとともに様々な困難を乗り越え理想のラボを築きあげていく、女性科学者ホープ・ヤーレンの自伝です。 自宅はメインストリートの南にある大きなレンガ造りの家で、4ブロック西には父が1920年代に過ごした家が、8ブロック東には母が1930年代に過ごした家がありました。 160キロメートル南にはミネアポリスがあり、8キロメートル北はアイオワ州との州境でした。 この町のほぼすべての住民と同じく、曽祖父母は1880年ごろに始まったノルウェーからの集団移住に参加してミネソタにやって来ました。 この町の住人の例にもれず、先祖について知っているのはそれだけで、ふたりの祖母のどちらにも会っていません。 ふたりとも生まれる前に亡くなり、祖父のほうはひとりは4歳のとき、もうひとりは7歳のときに亡くなりました。 父親は一人っ子でしたが、母親には10人以上の兄弟姉妹がいました。 3人の兄たちは大きくなると順番に家を出ていきましたが、実を言えば、いつの間にかいなくなっていました。 お互いに何日も話す機会がなくても、決してめずらしいことではありませんでした。 コミュニティーカレッジは町の西のはずれにあって、町は、6.5キロメートルほど隔てた2つのサービスエリアにはさまれていました。 父親は研究室をこよなく愛し、兄たちにとっても自分にとっても大好きな場所でした。 壁は軽量のコンクリートブロック製で、半光沢のクリーム色のペンキが厚く塗られていました。 目を閉じて心を集中させると、ペンキの下のセメントの手触りを感じることができます。 おそらく内部には、黒いゴムの羽目板が接着剤で張られていたはずです。 作業台の上には、まぶしいほど銀色に輝くノズルが等間隔で引っかけられていました。 場所全体が清潔で開放的でがらんとしていましたが、引き出しのなかには興味深いものの数々が並べられていました。 磁石、針金、ガラス、金属など、どれにも何らかの用途があり、見ていると想像力が膨らんでいきます。 扉の横の戸棚には爾の数値を読み取るためのテープが入っています。 手品の道具のようですが、マジックを披露するだけでなく謎を解明するのですから、手品よりもすごいです。 テープを引き出してちぎり、唾液、水、ルートビア、尿などの溶液にひたし、変化した後の色を確認するのです。 ルートビアはアルコールを含まない炭酸飲料の一種で、商品としてのはアメリカ合衆国において19世紀中頃に生まれました。 父親が実験室の鍵をまとめて管理していましたので、娘には特別の待遇が約束されました。 一緒に実験室に行けば、いつでも好きな装置で遊ぶことができました。 冬の夜長には、父親とふたりで実験室の建物を独占したものです。 まるで城主と皇子のように実験室を歩き回りながら作業に熱中していると、外の凍てつく寒さなど忘れてしまいます。 父が翌日の講義の準備をしているあいだ、娘は実験やデモンストレーションのために準備の整った装置をひとつずつ点検し、あとから学生たちが困らないように細心の注意を払いました。 消灯時間は9時ですので、8時には家路につきました。 実験室を出ると、まずは窓のない小さな父親のオフィスに立ち寄ります。 最後に建物を出るのはいつも二人でしたので、父親は廊下を一往復しました。 最初にどの部屋もきちんと鍵がかかっているか確認し、戻りながら電気をつぎつぎと消していきます。 最後に娘が電源を切り、それから外に出ると父親が扉を閉め、鍵がきちんとかかっているか二度点検しました。 外に出ると、二人はトラックヤードに立って寒い夜空を見上げました。 この空の向こうには冷たく果てしない宇宙が広かっています。 遠い銀河でいまだに燃え続ける巨大な火の玉から発せられた光が、何光年もの時間をかけて地球まで届き、暗い夜空を華やかに彩っています。 3キロメートル以上の道のりを徒歩で帰宅するあいだ、会話を交わさないことが習慣になっていました。 無言で寄り添うのは北欧系の家族にとって自然な形であり、おそらく最も心地よいのです。 子どものとき、世界中どこでも自分の小さな町と同じような営みが繰り広げられていると思い込んでいました。 しかし、家を離れ誰もが温かい気持ちでさりげなく愛情を表現している様子を見て、ずっと切望してきたことが実践されていて驚きました。 母親は子ども時代、モーア郡で最も貧しくて最も利発な少女だったそうです。 高校の最上級生のときには、毎年全米から頭脳明晰な学生を集めて開催されるウェスティングハウス・サイエンス・タレント・リサーチの第9回大会で、選外佳作賞を受賞しています。 入賞にはあとI歩およびませんでしたが、これをきっかけに母親は選ばれた人間の仲間入りをしました。 1950年に母親と一緒に選外佳作賞を受賞した人のなかには、後にノーベル物理学賞を受賞したシェルドン・グラショーや、1966年にフィールズ賞を獲得したポール・コーエンがいました。 選外佳作賞のご褒美として、ミネソタ科学アカデミーに1年間ジュニア名誉会員としての参加を許されます。 大学への奨学金を給付されるわけではありませんでしたが、母親は田舎町からミネアポリスにやって来て、ミネソタ大学で化学を勉強するかたわら学費を稼ぎました。 1951年当時、大学生活は男性を対象にして設計されていて、通常はお金に不自由しない男性が対象でした。 結局母親は故郷に戻り、父と結婚して4人の子どもに恵まれ、20年間を子育てに費やしました。 しかし、最後の子どもがプレスクールに入ったらミネソタ大学に再入学し、学位を取得する夢を持ち続けました。 そして選択肢は通信教育に限られましたので、英文学を自宅で学び、ほとんどの日々を母親の庇護のもとで過ごし、ごく自然に門前の小僧として学問の世界に入っていきました。 父親のようになりたいと切望する一方、不屈の精神の持ち主である母親と同じ道を歩む運命を覚悟していました。 自分にふさわしい人生をつかみそこねた母親と同じ目標を掲げ、高校を一年早く卒業すると奨学金でミネソタ大学に入学しました。 母親も父親も3人の兄たちも、家族全員が通った大学です。 最初は文学を専攻しましたが、自分にふさわしいのは科学のほうだということがすぐにわかりました。 科学の講義で取り上げるのは未解決の社会問題であり、身の回りの現象を素直に受け入れられず問題をとことん追求する傾向は、理系の教授たちから好まれました。 過去や現在の状況に対処するよりも、疑問に正面から立ち向かうことにこそ自分の潜在能力は発揮されるのです。 再び研究室で心おきなく、あらゆるおもちゃで好きなだけ遊ぶ自由を許されたのでした。 成長するのは誰にとっても長くて苦しいプロセスですが、そのなかでひとつ何時か自分のラボを持つことだけは確信していました。 自分が抱いた科学者への夢は本能的なもので、それ以外の理由はありません。 ヤーレンはミネソタ大学で地質学の学部教育を修了し、1991年にカム・ラウドを卒業しました。 そして、1996年にカリフォルニア大学バークレー校で土壌科学の分野で博士号を取得しました。 論文では、植物におけるバイオミネラルの形成をカバーし、プロセスを調べるために新しい安定同位体法を使用しました。 1996年から1999年までジョージア工科大学助教授を務め、その後、ジョンズ・ホプキンス大学に移り2008年まで滞在しました。 ジョージア工科大学では、化石植物を用いた先駆的な研究を行い、1億1700万年前に発生した第2回メタンハイドレート放出イベントを発見しました。 また、コペンハーゲン大学でフルブライト賞を1年間受賞し、DNA解析技術を学ぼました。 ジョンズ・ホプキンスにいる間、ヤーレンはアクセル・ハイバーグ島の化石林の仕事でメディアの注目を集めました。 木の研究では、4500万年前に島の環境条件を推定することができました。 共同研究者とともに、酸素同位体の枯渇を分析し、新世の間に大きなメタセコイアの森林が繁栄することを可能にした気象パターンを決定しました。 ジョンズ・ホプキンスでの研究には、古体ゾルに見られるDNAの最初の抽出と分析、および多細胞生物のDNAに存在する安定同位体の最初の発見も含まれていました。 ヤーレンはジョンズ・ホプキンスを離れ、ハワイ大学の教授職に就きました。 研究では、安定同位体分析を用いて、異なるタイムスケールにおける環境の特性を決定することに焦点を当てました。 2016年9月1日以来、ヤーレンはオスロ大学地球進化力学センターのウィルソン教授の下で、生物と化石生物が環境とどのように化学的に関連しているかを研究していましす。 原書刊行時はハワイ大学教授、現在はノルウェーのオスロ大学教授です。 1992年にノルウェーで行われた地質学の仕事、2003年にデンマークで行われた環境科学の仕事、2010年にノルウェーで行われた北極科学の仕事のための3つのフルブライト賞を受賞しています。 2001年、ヤーレンはアメリカ地質学会から授与されたドナス・メダルを受賞しました。 2005年にはマセルワン・メダルを受賞し、マセルワン・メダルとドナス・メダルの両方を獲得した初の女性と4人目の科学者となりました。 2013年にスタンフォード大学スタンフォードウッズ環境研究所でレオポルド・フェローを務めました。 2018年にオーストラリア医学研究協会賞を受賞し、ノルウェー科学文学アカデミーにも選出されました。 本書は、研究を一生の仕事にすることを志した一人の女性植物学者が、男性中心の学問の世界で、理想のラボを築きあげていく生き様を綴った感動的な自伝です。 女性科学者はいまだにめずらしい存在ですが、ヤーレンは科学者以外の自分などは考えられないとして、長年かけて3つのラボをゼロから立ち上げ、3つの空っぽの部屋に暖かみと生命を吹き込みました。 しかも、あとに行くほど規模は大きくなり中身も充実しました。 現在のラボはほぼ完璧だと言ってもよいとのことです。第1部根と葉/1. 生い立ちとラボ/2. <木の一生>/3. <待ち続ける種子>/4. 病院の仕事/5. <最初の根>/6. 出会い/7. <葉と成長>/8. 発見,挫折,希望/9. <茎の形成>/10. 初めてのラボ/11. <新天地への定着>/第2I部 幹と節/1. <アメリカ南部>/2. 愉快なクリスマス/3. <菌との共生>/4. 学生とのフィールドトリップ/5. 落葉と年間予算/6. <つる植物>/7. 住む場所/8. <砂漠に生きる植物>/9. 躁/10. 二人は相棒?/11. <地上のシグナル>/12. 眠れない夜の電話/第3部 花と果実/1. <植物の上陸>/2. 譲り受けた実験設備/3. <冬支度>/4. 北極のダンス/5. <受粉>/6. 結婚/7. <S字曲線>/8. 妊娠,出産/9. <親から子へ>/10. アイルランドの教訓/11. 母として/12. すばらしい日常/13. <生命の維持>/14. 軌跡
2020.01.18
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心房細動は、心臓の中でも心房という部位で異常な電気信号が起こることが原因で生じる不整脈です。 “心房細動のすべて-脳梗塞、認知症、心不全を招かないための12章 ”(2018年12月 新潮社刊 古川 哲史著)を読みました。 不整脈の王様と呼ばれ、脳梗塞、認知症、心不全の原因にもなる心房細動について、患者や家族が知っておくべき基礎知識、最新治療法、予防のための生活習慣を解説しています。 加齢や弁膜症、高血圧症などが原因で、動悸・ふらつき・失神などの症状が続いて心不全になると、息切れやむくみなどが出現します。 心房が洞房結節の刺激によらずに速く部分的に興奮収縮し、規則的な洞房結節の活動が伝わらず、心室の収縮が不規則な間隔で起こります。 患者数は約170万人で、田中角栄、長嶋茂雄など、罹患した著名人も多いそうです。 古川哲史さんは1957年東京都生まれ、1983年に東京医科歯科大学医学部を卒業し、1990年に同大学院博士課程を修了し、1989年に医学博士となりました。 1995年に東京医科歯科大学難治疾患研究所助教、2000年に秋田大学医学部助教授を経て、2004年に東京医科歯科大学難治疾患研究所先端分子医学研究部門生体情報薬理学教授となりました。 心房細動は不整脈の一種です。 不整脈は心臓の脈拍が正常とは異なるタイミングで起きるようになった状態のことで、脈が速くなる「頻脈」、脈が遅くなる「徐脈」、予定されていないタイミングで脈が生じる「期外収縮」があります。 不整脈の緊急度や治療方法は千差万別です。 健康な人にも生じる不整脈は健康被害はなく、放置しても問題ありません。 一方、命にかかわる不整脈も存在し、この場合は積極的な治療介入が必要とされることがあります。 心房細動は非常に患者数が多く、21世紀の心臓の流行り病といわれています。 特に高齢者に多く、超高齢化社会を迎えた我が国では社会問題となりつつあります。 心房細動では、脳梗塞を合併することが最大の問題です。 なぜなら、心房細動に合併する脳梗塞は特に重症となり、12%の人が数日で亡くなり、40%の人が寝たきりあるいは要介護となるからです。 現在では脳梗塞の予防法は飛躍的な進歩を遂げ、心房細動だと分かっている人ではかなりの確率で脳梗塞を予防することができるようになりました。 そこで新たな問題となってきているのが、心房細動だと診断がついていない潜在性心房細動(隠れ心房細動)です。 隠れ心房細動の患者は日本に約80万人いるといわれ、脳梗塞の予防が行われませんので、高頻度で脳梗塞が起こります。 例えば、元巨人軍監督の長嶋茂雄さんも、隠れ心房細動か原因で脳梗塞を発症してしたそうです。 隠れ心房細動の患者を見つけ、脳梗塞を予防することが現代医学の大きなチャレンジなのですが、2018年時点では有効な方法は残念ながらありません。 また、心房細動の治療はかなり進歩したことから、時代は心房細動の治療から予防へとシフトしつつあります。 心房細動は、生活習慣病の一種であり、生活習慣の改善である程度予防できます。 しかし、どのようにしたら心房細動の発症を予防できるかについては、十分周知されていません。 そこで、まず心房細動とはなんぞやを説明し、後半で隠れ心房細動を見つけるためには、心房細動にならないためには、の2つの重要テーマを取り上げて説明したいということです。 心臓は、心筋細胞における電気信号をもとにして、規則正しさが保たれています。 心臓は右心房、右心室、左心房、左心室の4つの部屋に分かれており、右心房に存在する洞結節が電気信号の基点となる部位です。 洞結節から発せられた電気信号は、右心房から左心房、両心室へと順次伝わります。 この順序だった電気活動が乱れたり、遅くなったり、速くなったりすると不整脈が発生します。 不整脈にはたくさんの種類があり、多くの医師にとっても苦手な病気の1つだそうです。 医師は専門でない病気でも診なくてはいけない時があるようですが、専門でない医師にとってできたら診たくないと感じる病気がいくつかあるそうです。 それは、白血病、神経変性疾患、および不整脈が3大疾患ではないかという気がする、といいます。 著者が研修医だった35年前、白血病はとにかく治療が難しい病気でした。 ローテーションで血液内科を回った当時、本当に白血病は治らず、日々無力感を感じていました。 幸い今では、ずいぶん治療法が進んだと聞いていますが、そうはいっても専門家以外の医師にとっては、できれば診たくない病気の1つではないでしょうか。 神経変性疾患の代表はパーキンソン病やアルツハイマー病などです。 これらは、血液検査やレントゲン写真、CTなどの客観的な検査ではなかなか診断を付けることができません。 不整脈も、白血病や神経変性疾患などと同じように、専門以外の医師には敬遠されがちです。 治療が難しい、診断が困難という以外に、不整脈の中には一瞬で死に直結するという怖さを併せ持つものもあるそうです。 不整脈の分類は基本的に2つの観点から行われます。 1つは不整脈の起こる場所、もう1つは不整脈の性質(重症度)です。 そして、不整脈の名前は、不整脈の起こる場所と不整脈の性質(重症度)という2つの要素の足し算で付けられます。 まず不整脈の起こる場所によって「心房○○」、「心室△△」という不整脈の名前が付けられ、2つに分類されます。 次に性質(重症度)ですが、これは心室、あるいは心房が興奮する回数によって次の4つに分けられます。 頻拍、粗動、細動、期外収縮です。 この2と4から、8タイプが不整脈の基本形となります。 また、虚血性心疾患や心臓弁膜症などを原因として電気伝導路に異常が生じると、治療が必要な心房細動や心室細動などの不整脈を呈することがあります。 その他、先天的な遺伝子異常、電解質異常、薬剤の副作用などによりQT延長症候群という状態を起こすがあります。 QT延長症候群の状況下では、トルサード・ド・ポワンツと呼ばれる危険な不整脈を呈することもあります。 心房細動は非常に多くの人が罹患していて、有名人で心房細動にかかったことが公表されている例もいくつか知られています。 心房細動は脳梗塞を高い頻度で合併し、その脳梗塞が重症化しやすいことが大きな問題です。 心房細動は特に高齢者に高頻度に発症し、患者の生活の質を著しく低下させますので、超高齢化社会を迎えているといわれる日本では、大きな社会問題となりつつあります。 隠れ心房細動の発見や心房細動の予防は、医療機関側の努力だけでは達成できません。 皆さんと医療機関側の共同作業で初めて達成できるチャレンジです。 そこで、皆さんと是非情報を共有して、心房細動にならないため、脳梗塞にならないため、ひいては健康な老後を送るための一助に本書がなることを、心から願っている、といいます。第1章 不整脈の王様! 心房細動の正体を探る/第2章 どんな人が心房細動になりやすいのか/第3章 3大症状「動悸」「めまい」「息切れ」と無症状/第4章 3大合併症「脳梗塞」「認知症」「心不全」/第5章 どうやって見つけるか/第6章 断固戦うか、共存するか―心房細動の治療/第7章 カテーテルアブレーションという治療法/第8章 脳梗塞をどう防ぐか/第9章 隠れ心房細動をどうやって見つけるか/第10章 心房細動を予防する6つの生活習慣/第11章 心臓の老化を防ぐ食事の鍵はポリアミン/第12章 進化した心臓
2020.01.11
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タワーマンションはタワマンとも呼ばれ、普通のマンションと比べて際立って高いマンションであり、建築基準法などの構造基準の違いから、階数にしておよそ20階以上であることが決められています。 一般的には、高さ60m以上のもの、または環境アセスメント条例が適用される高さ100m以上のものを指しています。 超高層建築物は一般的な建築物と違い、国土交通大臣の認定を受けることが義務付けられていています。 ”限界のタワーマンション”(2019年6月 集英社刊 榊 淳志著)を読みました。 タワーマンションは眺望の良さや豪華な共用施設に目を奪われますが、大規模修繕、災害リスク、子育て環境、健康影響、資産価値などで限界にきているといいます。 著者は、タワマンでの実際の暮らしぶりや、タワマン住民と非タワマン住民の間の溝、交通・保育園・学校の整備状況などを調査し、タワマンは人間の住み家としてふさわしいのかと問題提起しています。 榊 淳司さんは1962年京都市生まれ、同志社大学、慶應義塾大学文学部を卒業し、1980年代後半のバブル期以降、四半世紀以上に渡ってマンション分譲を中心とした不動産業界に関わりました。 一般ユーザーを対象に住宅購入セミナーを開催するほか、新聞や雑誌に記事を定期的に寄稿し、ブログやメルマガで不動産業界の内幕を解説しています。 1997年に容積率の緩和が盛り込まれた建築基準法の改正が行われ、これまでよりも高く大きな建物が建てられるようになりました。 その後次第にタワーマンションが増えてきて、まず都心の再開発エリアで、2000年代前半には湾岸エリアで、そして2010年以降は東京湾の埋め立てエリアへ拡大しました。 2010年ころからは、地方都市や東京郊外エリアへ広がっていきました。 タワーマンションの魅力の第一は高層階からの眺望でしょう。 高層階から見渡す景色は素晴らしく、昼でも夜でも心を気持よくしてくれます。 山に登った時に感じる、視界を遮らない気持ちよさを、タワーマンションでは毎日味わう事ができます。 カーテンをしなくても外から人に見られるとはなく、開放的であり、風通しがよく、日当たりも最高です。 東京ではタワーマンションの夜景は本当に素晴らしく、街にはダイヤモンド級の光が溢れ、それを眺めながら過ごす生活は代えがたいものです。 都会の摩天楼を見下ろす生活はセレブのそれと同義であり、高額なタワマン住戸の所有者であることは輝かしいことかもしれません。 また、高層階からの眺望だけではなく、施設内にある使って良い施設が充実していることもあげられます。 たとえば、プールやフィットネスジム、パーティールームやゲストルーム、バーなども付いているタワーマンションが多いです。 高層マンションを活かし、上階にてパーティー等が時間貸しできる施設があり、利用できるジム・プールがマンション内にあり利用できます。 友人や地方からの家族などが遊びに来たとき、格安でそのマンション内のゲストルームに宿泊ができます。 最近では、駅直結やスーパー・保育園など複合施設と直結のタイプや、温泉付マンションで自分のお風呂の蛇口を捻ると温泉が出る等の新たな魅力をもったタワーマンションが続々と登場しています。 高層階は特に、虫が殆どいないため窓を開けても虫の飛来を恐れる必要がなくなります。 空に近いほどカラっとして風も強く、夏でも窓を開けていると快適に過ごせます。 冬は日差しが部屋を暖めてくれますので、心地良い季節を過ごすことができます。 タワーマンションの多くは、エントランスが広く、地震の重さに耐えれる構造の素材が使われているため、とても豪華な材質で作られています。 さらに、コンシェルジュのサービスが付いているタワーマンションが多く、御用聞きとして何かと便利な生活を送る事ができます。 これらのことから高くそびえ立つ、設備も整ったタワーマンションに憧れるユーザーも多いようです。 日本で最初のタワーマンションは埼玉県の与野ハウスで、高さ66mの21階建て、総戸数463戸です。 1976年に建てられ、エントランスや中庭が広く、木々が生い茂り、敷地内に幼稚園があるなど複数の施設が入った集合住宅となっています。 当時としてはたいへん画期的な設計で、当初は周辺で与野ハウスのみが高くそびえ立ち、ランドマーク的な存在でした。 中には、スーパー、ドラッグストア、本屋、コンビニ、ショッピングモールがあり、今ではさいたまスーパーアリーナや、コクーンシティができ、大変賑わった地域に立っています。 しかし、著者は、分譲タワーマンションの建造は、日本人の犯している現在進行形の巨大な過ちであるといいます。 この本を書くために、何年もの時間を費やしてタワーマンションについてのさまざまな資料を集め、取材を重ねました。 その結果、タワーマンションという住形態がかなりのレベルで不完全かつ無責任なものであるという現実を、目の前にまざまざと突き付けられたそうです。 もしかしてこれは、旧約聖書に記されたバベルの塔の建造に等しい、日本人の犯している壮大な過ちではないでしょうか。 バベルの塔を造ろうとした人類は神の怒りを招き、その結果、人類は恐ろしいばかりの分断を招いてしまいました。 この神話は日本の未来を暗示しているように思えます。 タワーマンションを購入し、住んでいる人にも近い未来に恐ろしい不幸がやってくるのではないかと考えているそうです。 そのことをほとんどの人は気付いていません。 ましてや、多額の費用を払ってタワーマンションを購入し、そこに嬉々として暮らしている人は、この不都合な現実から目を背けています。 規模の大きなタワーマンションは一見華やかです。 しかし、それはあくまでも一見です。 マンションの区分所有者には、その住戸に住めるという権利とともに、義務も生じてきます。 そのマンションを保全するための費用を負担し、時には必要な業務を担う、という責務が課せられます。 管理費や修繕積立金を支払い、順番が回ってくれば管理組合の理事や理事長としての責任を果たすことになります。 タワーマンションは、その建築構造上の宿命として高額な保全費用がかかります。 タワマンの保全に必要な修繕費は、通常のマンションである板状型に比べて二倍以上です。 さらに、その額は、おおよそ15年に一度の割合で必要とされます。 築30年ほどでエレベーターや給排水管の交換が必要になってきます。 タワーマンションは、外壁の修繕工事を行わなければ雨漏りが発生しやすい建築構造になっています。 したがって、定期的な大規模修繕が欠かせません。 しかし、そのための積立金が不足しているタワマンが実はかなり多いのではないでしょうか。 積立金が不足すれば、臨時に徴収するか、銀行から借り入れるしかありません。 そのことに、数百から数千戸単位の住民同士が合意形成できるのでしょうか。 約15年後、2回目の大規模修繕工事を行うことができないタワマンは、雨漏り、あるいは給排水やエレベーターの不具合などで、かなり住みにくい状態になる可能性が高いです。 もちろん、資産価値も急激に低下します。 さらに、タワーマンションは人間の健康や成育に看過できない悪影響を及ぼしている可能性もあります。 著者は、あらゆる意味でタワーマンションという住形態は限界にきているといいます。 そういった観点から、多くの日本人が住みたがっているタワーマンションという住形態の、さまざまな死角に光を当てています。序章 タワーマンションが大好きな日本人/第1章 迷惑施設化するタワーマンション/第2章 タワーマンション大規模修繕時代/第3章 災害に弱いタワーマンション/第4章 タワーマンションで子育てをするリスク/終章 それでもタワーマンションに住みますか?
2020.01.04
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