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NHKの”にっぽん縦断こころ旅”で、俳優の火野正平さんが自転車旅の途中で、たびたび輪行が登場します。 映像でその意味は分かりましたが、管理人には新鮮な言葉でした。 ”鉄道で広がる自転車の旅”(2010年4月 平凡社刊 田村 浩著)を読みました。 輪行するに際しての自転車の選び方からおすすめコースまでの、いろいろを紹介しています。 輪行は、鉄道に自転車を積み込んで移動する旅のスタイルです。 近年、大きなブームとなっている自転車旅行をもっと楽しむための利用法です。 自転車旅行は、自転車を利用した旅で、サイクル・ツーリングとも言われます。 自転車旅行と言っても自転車以外の交通手段を一切用いないわけではなく、列車・バス・船などの乗り物に自転車を持ち込んで一緒に移動して、移動した先で自転車で走行することを含んでいます。 田村浩さんは、1971年東京都生まれ、自転車雑誌や鉄道雑誌の編集長を経て、現在、ムック本の”自転車と旅”編集長を務めています。 飛行機、船、鉄道、自動車などに持ち込んで様々な目的や方法で輪行が行われていますが、たとえば目的地との間を往復する場合に、往路もしくは復路のどちらかを輪行にすることで、同じ道を二度通る退屈さを避けることができます。 また、往路・復路とも輪行を行い、特に自転車走行に適した魅力的なエリアだけを自転車で走行することも行われることがあるそうです。 時間が限られている場合、輪行によりより遠方に目的地を設定することができます。 海を渡る場合などには必然的に輪行が行われることになります。 手荷物料の無料化など、諸制度の改善が進みました。 輪行には、一般的に輪行袋が必要です。 しかし、ヨーロッパ諸国では高速鉄道を除き自転車をそのまま持ち込めることが多いそうです。 なお、公共バスで輪行する場合、乗客が多い場合は拒否される可能性もあるといいます。第1章 こうすれば自転車は持ち込める 1自転車は公共交通機関と相性がいい 2「スポーツ自転車」とは 3さまざまなスポーツ自転車 -輪行のパートナー選びのために 4自転車を輪行袋に入れてみよう第2章 備えあれば憂いなし! 輪行のノウハウとアイテム 1なにごとも計画が大切 2出発進行! 鉄道と自転車の旅 3鉄道の時間を楽しもう 4サイクリング実践編第3章 自由自在! 輪行のプランニング 1地図と時刻表から始まる輪行の旅 2飛行機で輪行する 3輪行で地形を味方につける 4「鉄」になれば輪行はもっと楽しい 5宿泊プランで決まる旅のスタイル第4章 極上の輪行旅へ 自信を持っておすすめする5つの輪行旅 〔コース1〕日本最後の清流、四万十川を目指す輪行の旅 〔コース2〕廃線跡の「メイプル耶馬サイクリングロード」へ 〔コース3〕「空輪」で日帰り大島一周の旅 〔コース4〕長良川に沿って「うだつ」の街へ 〔コース5〕懲りずに「秘境駅」を目指す輪行の旅 【コラム】プラス10のとっておき名コース
2013.01.29
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川田男爵こと、川田龍吉は1951年2月9日に亡くなり、残された金庫には封印された一房の金髪がありました。 そして、90通の恋文も発見されました。 留学時代の悲恋を心に秘めながら、近代日本国家建設に尽力した一人のサムライの烈々たる生涯がいま甦ります。 ”サムライに恋した英国娘”(2005年9月 藤原書店刊 伊丹政太郎/アンドリュー・コビング著)を読みました。 明治初頭の英国に造船留学し、帰国後、横浜ドック建設の難事業を成し遂げ、その後一転、北海道に隠棲し、男爵いもの栽培に没頭した川田龍吉と留学時代の悲恋を紹介しています。 伊丹政太郎さんは、1936年大阪生まれ、立命館大学人文学科を卒業、元・NHKディレクターです。 アンドリュー・コビングさんは、1965年北アイルランド生まれ、九州大学日本史修士課程修了、元・九州大学留学生センター教授です。 川田龍吉は1856年に、土佐藩士、後の日本銀行総裁、男爵の川田小一郎の長男として、土佐郡杓田村に生まれました。 英米系医学を教える慶應義塾医学所に入塾したものの1年たらずで中退し、1877年から7年間、英国スコットランドに留学し、グラスゴー大学で船舶機械技術を学びました。 帰国後、三菱製鉄所、日本郵船を経て、1893年に横浜船渠会社取締役となり、1897年に社長に就任しました。 その前年に父親が急死したため、男爵を継いでいます。 1903年に社長を辞任し、1906年に函館船渠会社専務取締役として北海道へ渡りました。 1908年に欧米からアイリッシュ・コブラーという品種の馬鈴薯を自営の農場に導入し、普及を図りました。 この品種は、後に、男爵いもの名で知られるようになりました。 川田龍吉は、グラスゴー大学に留学した際、19歳の書店員ジニー・イーディーと知り合いました。 やがて二人は恋人となり、デートで畑を眺めたり、温かいじゃがいもを食べたりすることが楽しみだったようです。 交際は順調に進み結婚も約束しましたが、承諾を得るために帰国したものの、父親の大反対で婚約は成立しなかったそうです。 亡くなってから数年後に発見された金庫の中で、大切に保管されていた金髪と90通にも及ぶラブレターの存在が明らかになりました。 龍吉が送った方の手紙は見つからず、ジニーの消息は掴みずらかったものの、その動静は教会などの資料で少しは判明しました。 リョウとジニーとの交友を、龍吉の手元に残ったジニーからの手紙をもとに再現しています。 恋に落ち結婚の約束をしてから別離に至るまでの、乙女の、つつましく、ういういしく、思いやりあふれたラブレターがたくさん掲載されています。1 激動の時代 1836-18742 海を渡った留学生 1874-1883.33 花ひらく恋 1883.4-1883.84 たそがれの霜 1883.9-1884.15 サンダーランドの春 1884.2-1884.46 虹を追って 1884.4-1884.67 ドックから “男爵いも” へ 1884.9-19518 ジニー追跡系 図 (川田家・イーディー家)川田龍吉&ジニー・イーディー関連年表 1856-1978
2013.01.22
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”無所属の時間で生きる”(2008年4月 新潮社刊 城山 三郎著)を読みました。 どこにも関係のないどこにも属さない一人の人間としての時間を過ごすことで、どう生き直すかを問い続けています。 本書は、朝日新聞の連載に加筆されたもので、最初、”この日、この空、この私---無所属の時間で生きる”の題名で刊行され、後日、”無所属の時間で生きる”に改題されました。 連載は、1996年4月から1999年3月までの3年間でした。 城山三郎さんは、1927年名古屋生れ、海軍特別幹部練習生として終戦を迎え、一橋大卒業後愛知学芸大に奉職し景気論等を担当、1957年に文学界新人賞、翌年、直木賞を受け経済小説の開拓者となりました。 2007年に亡くなりましたが、作品はいまだに多くの読者に読み継がれています。 ”日帰りの悔い”の中で、無所属の時間とは、人間を人間としてよみがえらせ、より大きく育て上げる時間ということではないだろうか、と書いています。 一般的に、望む望まないにかかわらず、余暇時間は増大しています。 そうした時間をどう過ごすかで其の人の人生も変わりかねません。 そこには、真新しい時間、いつもとちがうみずみずしい時間があり、人問をよみがえらせるきっかけの時間となりえます。 入院生活にもそれに似た部分があり、大病すれば即脱落と思われるほど競争のはげしかったかつての大蔵省で、異色の次官といわれた谷村裕さんも大病を経験しているそうですし、同省出身で大物政治家となった池田勇人さんや前尾繁三郎さんも、奇病や大病で長期間にわたり無所属の時間を過ごしています。 もともと無所属な身の作家にとっても、余裕というか、予備の時間は大切です。 無所属の時間の中に、なすすべもなく置いておかれるのか、それともどう生き直すのか、どのように人生を充実させるか、その辺のところをいろいろ探っています。 一日に一つでも、爽快だ、愉快だと思えることがあれば、それで、この日、この私は、生きたと、自ら慰めることができる、といいます。 お叱りの手紙/ 日帰りの悔い/ 子猫とナポレオン/ 慶弔積立金なんて/ ヴェネツィアと黒衣/ 組織を超え、光の中へ/ 自分を見物する心/ 東京での一日/ 一日四分割法/ 途方もない夢/ 熱い拍手/ どん尻が一番/ 渡世の掟/ いまの世の仙人たち/ にがい笑い/ パートナー志願/ ハッダと冷麦/ 箱根の夜は更けて/ 旅さまざま/ 三十代最後の年には/ この日、この空、この私/ 一日の明暗/ 四十代最後の年に/ ハート・トラブル/ 冬を送り出す/ 四十代最後の年に(続)/ 人間の奥行き/ 五十代半ばにて/ アラスカに果てた男たち/ 人生、当たり外れ/ 六十代をふり返る/ 湘南、二十四時/ ある朝、東京で/ 孫の来る家/ 楽しみを求めて/ 定住意向 あとがき---一日一快のすすめ
2013.01.15
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路面電車は、主に道路上に敷設された軌道を走行する電車です。 都市内や近郊で旅客の移動手段として利用される輸送機関で、世界約50か国400都市に存在し、ドイツ、ロシア、ウクライナで特に発達しています。 日本の路面電車はこれまで自動車に押されて徐々に姿を消してきましたが、人に優しい公共交通であることから観光資源として見直されています。 ”日本全国 路面電車の旅”(2005年5月 平凡社刊 小川 裕夫著)を読みました。 全国で営業中の市内電車を網羅したガイドブックです。 実際に全国の路面電車に乗車し、路線や車体・車窓風景・観光スポットなどがていねいに紹介されています。 小川裕夫さんは、1977年静岡市生まれ、大学卒業後、行政誌編集者などを経て、フリーランスライターに転身し、旅、ジャーナリズム、地方行政、経済、住宅、競馬をテーマに執筆しています。 路面電車は、今大きな分岐点に差しかかっているそうです。 全国各地で走っていた路面電車は、現在数えるほどしかなくなってしまいました。 その背景には、モータリゼーションの発達が挙げられます。 高度経済成長期に自動車交通を優先した結果、定時運行ができなくなりました。 そのため、乗客は減り、経営悪化を招くこととなりました。 ところが近年、路面電車を取り巻く環境は少しずつ好転してきています。 路面からすぐ乗れるという利点があり、高齢者や障害者にも利用しやすい公共交通として見直される気運が高まってきたのです。 まだ自動車の往来を阻害する邪魔者という意識は根強いようですが、少しずつ確実に意識は変化してきています。 旧来の路面電車という考え方から、LRT=ライト・レール・トランジットといった手法が導入され始めました。 これまで自動車社会によって荒廃してしまった中心市街地を、活性化させる効果があると考えられています。 背景には、軽快電車を走らせることで街全体を歩行者優先の環境に整備しよう、という志向があるようです。 路面電車は交通弱者にも有益で、バリアフリーの観点からも積極的に考えられようになっています。Partl 北海道の路面電車第1章 北海道遺産にも選定-札幌市電第2章 五稜郭と函館山をつなぐ-函館市電Part2 関東の路面電車第3章 首都・東京に最後まで残った都電-都電荒川線第4章 名所・観光スポットが盛りだくさん-江ノ島電鉄Part3 中部の路面電車第5章 高岡に息づく古代の薫り-万葉線第6章 自動車王国を走り続ける路面電車-豊橋鉄道東田本線Part4 関西・中国の路面電車第7章 チャレンジ精神がいっぱい-岡山電気軌道第8章 日本最大の路線数・車両数を誇る-広島電鉄Part5 四国の路面電車第9章 坊っちゃんも愛した路面電車-伊予鉄道市内線第10章 世界の路面電車が勢揃い-土佐電気鉄道Part6 九州の路面電車第11章 坂道をトコトコ走る路面電車-長崎電気軌道第12章 路面電車近代化の先駆け-能本市電第13章 桜島を眺めながら走る最南端の路面電車-鹿児島市電
2013.01.08
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