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昨日、また眼底出血がありました。ブログの日記をさかのぼると、先回の眼底出血は2008年11月16日。今回は2011年11月28日ですから、眼のトラブルは11月に発症しやすいのでしょうか。眼底出血すると、網膜が刺激され、キラキラ視野が光ります。今回は軽度で、眼底の状態としても、2年前より改善されつつあるそうです。とはいえ、1~2週間、ちょっと安静にいたします。皆さんのブログへご訪問しますが、拝読して、コメントはなしでご容赦ください。日記の更新頻度も、1~2週間は、ちょっとペースダウン。もっとも、今でも十分に低頻度ですが。ちょっとの間、ご容赦ください。・・・・・・・・・昔の日記をさかのぼっていて、下記の「びりびり猫」の日記を見つけました。フランクリンが、猫をこすって静電気の実験をした話。こんな日記も、私は書いたようです。お時間がありましたら、どうぞ。【過去の日記】 「我輩は 寝子である - びりびり猫 -」
2011.11.29
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木の枝、その上の雪。雪が枝から落ち、坂を転げ落ちてゆく。坂を転がる雪は、丸く大きな輪になります。ころがるほどに、大きく形を変えながら。その雪の輪の名は、雪まくり。珍しい、雪の造形美。今いる枝から離れることで、雪は、大きく美しい、雪まくりに変わります。ころがるほどに、姿を変えて。それは、世を経験して育つ、人の姿に似ています。雪まくり。姿を変えて、名を変えて。常に成長するものは、自然も、人も、美しい。【参考】 高橋喜平ら,雪花譜,講談社,1995年,127P
2011.11.28
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舒明天皇から、文武天皇。その古墳の形は、八角形。八角形は、道教で宇宙を示す形だから。亀石、猿石、須弥山石。飛鳥の石仏群も、道教的。斉明天皇が、道教を支持したから。天皇の、その名の由来は「天皇大帝神」。天皇大帝は、道教の神。北極星を示す神。中国の神の名を借り、天皇は日本の象徴に。北の空にきらめく北極星は、天皇が求めた天空の中心。今もその星は、天空の中心。空を見上げて、天皇大帝を見て。遠く悠久の、飛鳥の人の憧れを想い。
2011.11.26
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「スズメはなぜ感電しないのか?」は、おかげさまで好評でした。本来はこの様なお話を書きたいと思っていますが、最近、遠のいていました。今後は、なるべくこの様なお話を織り込みたく思います。【日記】 「スズメは、なぜ感電しないのか?」もちろん、スズメが感電しないのは、スズメの体の抵抗値が電線よりはるかに大きいため。また両足の電位差もほとんどありません。ゴムブーツも必要ありません。計算すると感電しない理由はすぐにわかりますが、それでも不思議に思えてしまいます。そう思うこと自体、「あたまが重い」のかもしれませんね。もう11月も後半。年末でお忙しくなってくると思いますが、皆様、体調管理には十分なご配慮を。
2011.11.24
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絵にはしばしば虚構が描かれ、それが隠す真実を読み取るのも楽しみのひとつです。民衆を恐れたナポレオン。それを繁栄した絵画。臆病だから、力を示す。「弱い犬ほど、よく吠える」を思い出したとのコメントを頂きました。一方で、ナポレオンは、自らを支えている人を知っていたとのコメントもありました。兵士の供給源となる、農民を大切にしたとのこと。権力者としての才覚に、長けていたのは確かでしょう。・・・・寒くなってきました。北からは、雪のしらせも届いています。皆様、風邪などひかれませんように。【日記】 「その隠されたもの - ナポレオンのおびえ -」
2011.11.23
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私たちに見える、月の姿は59%。常に地球に、片面を向けている月。いわゆる「月の裏側」を、私たちは見ることができません。私たちが見ることができる、月の表側。それは月の表面の59%。半分の50%以上見ることができるのは、下記の理由から。1.月の軌道がやや楕円だから2.月が地球に対して、7度傾いているから3.地球の東端と西端で、見える範囲が広がるから月の見える範囲は、59%。常に月が、私たちをみつめるから。月の見えない範囲は、41%。常に月が、私たちをみつめるから。月の軌道の外からならば、月のすべてを見ることができます。人の姿も、月に似て。誰かがあなたをみつめるほど、あなたに見える範囲は限られます。あなたを見つめる、愛しい人。あなたに見えるその姿は、愛しい人の59%。もしそのすべてを知りたいなら、少しはなれて、視線をかえて。いつもみつめるばかりなら、あなたに見えるその姿は、愛しい人の59%。【過去の日記1】 「超能力 公開実験 ― リングの世界 ―」【過去の日記2】 「追いつめるもの 追いつめられるもの ― 御船千鶴子 ―」
2011.11.21
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復元大仏、やはり不評でしたね。群青色の髪の毛は、仏様の特徴のひとつ。しかし復元すると、不気味です。お釈迦様には、様々な特徴があります。過去の日記でも書きました。 【過去の日記】 「顔より大きな舌 ― お釈迦様 ―」水かきのある手。金色の体。紺青の眼。額の4mもの髪の毛、白毫。顔を覆う、大きな舌。40本もある歯。足の裏に輪形の模様。男性器が外から見えない。耳たぶに穴・・・。再現すると、お釈迦様は怖くなります。極彩色ではない、今の大仏が良いでしょうね。寒くなってきました。皆様、風邪などひかれませんように。【日記】 「ひとは うちなる大仏様 - 大仏復元 -」
2011.11.20
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今年も「関西文化の日」を、活用させていただきました。関西一円の美術館、博物館などが無料になる、関西文化の日。福井県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、徳島県、鳥取県で、約450施設が無料になります。入館無料の日は、11月19日と20日が多く、11月中は施設ごとの指定日で実施されます。今年は、奈良県立橿原考古学研究所付属博物館に行きました。企画展「仏教伝来」と常設展、合わせて通常800円が無料になります。常設展はボランティアの方の説明を聴きながら拝観しました。複数のボランティア説明員による解説は、1時間ごとにあり、とても利用しやすくなっています。常設展の説明だけでも1時間30分。十分に堪能しました。いつ拝見しても、こちらの博物館にある藤ノ木古墳発掘品は素晴らしい。国宝の馬具類は、6世紀の遺物とは思えない、黄金の輝きを保っています。こちらの博物館も、明日も無料。ぜひ機会がございましたら、ご覧ください。また来週の11月26日、27日に無料になる施設もあります。有効にご活用されてはいかがでしょうか。 【関西文化の日】 「無料施設情報」【奈良県立橿原考古学研究所付属博物館】 「展示会情報」
2011.11.19
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ある協会から受賞いたしました。今年は1学会,2協会からの受賞となりました。受賞が重なる珍しい年になりましたが、その様な巡りもあるようです。いつも思うのは、受賞などの評価は遅れてやってくること。いずれの受賞も過去の実績で、最新のものではありません。そして本当に苦労していた時は、それほど評価されてはいませんでした。辛い時、耐え忍ぶことで、評価は遅れてやってくる。その時を待てるか否かが、とても大切な分岐点。評価の時が巡ってきた時、苦しい時を支えてくれた人への感謝を忘れてはなりません。その支えなしには、きっと乗り切れなかったはずですから。苦しくても、今は耐えて。その苦労が、いつかはきっと、あなたを救います。
2011.11.17
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ことわざ、猫の手も借りたい。なぜ猫の手で犬の手ではないのか、皆さんのアンケート結果集計しました。理由の選択肢は、次の通り。1.犬より猫が手は器用そう2.家の外の犬より、家の中の猫が頼みやすい3.犬は本当に手伝ってくれそう4.猫はいつも暇そう最も支持が多かったのは、3番で、7票。犬は手伝ってくれそうだし、実際、盲導犬など手伝っている。しかし、猫は遊んでいるとの答え。猫さんからは、反論がありそうですが。2番目は、1番で、4票。猫が器用そうという意見。これは猫さん、喜びそう。3番目は、選択肢外。4票。「猫は高いところに上がって手伝ってくれる」というもの。なるほど、それは盲点でした。猫を積極的に使うとは・・・。4番目は、4番で、3票。猫は暇そうとの意見。きっと、猫さん怒るでしょうね。5番目は、2番で、2票。猫は頼みやすいから。屋内飼いなら、近くにいますからね。その他、全部正解、その他にある、わからないなどが、全部で10票ありました。皆さん、コメントでの回答、ありがとうございました。まとめると、犬はもう働いているので、猫に手伝ってもらいたいということですね。”盲導猫”,”警察猫”などが登場すると、ことわざも変わるかもしれません。 【日記】 「犬の手より 猫の手で - 猫の手も借りたい - 」
2011.11.16
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電線にとまるスズメは、なぜ感電しないのか?「スズメの両足間の電位差が小さく、スズメの電気抵抗が大きいので電気が流れないから」が、模範解答だという。しかし、本当にそうだろうか?雨に日に濡れながら電線にとまる、あのスズメたちは、本当に感電しないのだろうか?水に濡れれば、いくらスズメたちでも少しはピリピリしそうなものである。それともあのスズメたちの足は、かたくなに電気を通さない、ゴムブーツなのだとでもいうのだろうか。百歩譲って、スズメの足が、指付きの便利なゴムブーツなのだとしてみよう。それなら、きっとスズメたちは、「最近、ちょとピリピリするようになって。 年を取ると、足の皮が薄くなるのかしら。いやねぇ。」などと、電線談義で盛り上がっていることだろう。あのピーチクうるさい電線のスズメたちの会話を、ちょっと解読したいものである。そもそも、いくら抵抗値が大きくても少しは電流が流れそうなもので、もしスズメがその指付きブーツではなく、くちばしで電線をつつこうものなら、たちまちに感電して、電線の下には焼き鳥が並びそうなものである。しかしそんな話は、少しも聞かない。おそらく、人は電気というものを知っているから感電するのだ。感電という言葉すら知らなければ、感電したとわかるはずもないではないか。実はスズメたちは電線でピリピリしているけれども、それが静電気のピリピリと区別すらつかないのではないだろうか。それどころか、人がせっせと肩こりに悩まされながら働いて作った電気を、無料でスズメたちはピリピリと楽しんで、電気治療のごとく肩の凝りを取っているにちがいない。もっとも、スズメたちの”肩”がどこかは知らないが。人は電気を知っているから感電もするし、苦しみもするのだ。実際、今年はいやというほど、電気というものに苦しめられたではないか。人はむやみに知っているから、スズメの様に電線にとまれないのだ。実に単純な理由だが、電線にとまるには、人は頭が重すぎるのだ。いや、ほんとうに、頭が重すぎるのだ。【過去の日記】 「コパンダは 電気うなぎの夢を見るか? ― 感電 ―」
2011.11.13
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「それから」、少し戻ります。「流れに掉さす」は、間違えの多いことわざ。「草枕」に登場する、「情に掉させば流される」。感情に浸ってしまうと流されて自分を見失うという意味とのコメント、頂きました。掉さすが、流れを止めると感じるとのこと。小舟の棹をイメージしないと、わかりにくいかもしれません。「情けは人のためならず」も、間違いやすいとの声。いずれも受験で、「間違いやすいことわざ」として勉強する様です。受験で殊更に覚えた記憶のない私。怠け者だったとばれてしまいます。流れに身を任せ、のんびり生きたいとの声。まったく、私も同感です。 【日記1】 「わすれてしまった うしなってしまった - 流れに掉さす -」「やさしいオオカミ」へのコメント、ありがとうございました。オオカミの名残は、犬にも多く見ることができます。ハスキーやラブラドールの様に、足の指に水かきがあるのはその名残。【イヌの水かきの日記1】 「未確認生物の謎 ― 狼の水かき ―」【イヌの水かきの日記2】 「犬の水かき それから」イヌに関しても、いくつも日記を書いています。【イヌの日記1】 「きみに ちかう - 捨て犬 -」【イヌの日記2】 「ただ 分かって欲しい - イヌの気持ち -」【イヌの日記3】 「人のために 走り続ける - ドッグ・ホィール -」オオカミの日記もご紹介。【オオカミの日記1】 「最速の 足を持ちながら - タテガミオオカミ -」【オオカミの日記2】 「弁解も ゆるされず - 送りオオカミ -」少し、昔の日記を振り返ってみました。最近、皆さんからのコメント数が増えています。とても励みになります。ほんとうに、ありがとうございます。これからも、よろしくお願いします。【日記2】 「よわさを つよさに - やさしいオオカミ -」
2011.11.12
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画家ダヴィッドの作品「皇帝ナポレオンの聖別式と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」。ナポレオンの権威を後世に伝える、貴重な絵画。その大きさは、6m×9m。戴冠式は、当初は屋外の広場を予定していました。しかし革命直後の不安な情勢。大衆注視のもとでは、不満が爆発するとナポレオンは恐れました。そこで急遽、戴冠式はノートル・ダム大聖堂の中で開催されました。戴冠式の絵も、初めの予定は、ナポレオンが自ら王冠を被る構図。それでは国民の反感を買うと恐れ、ジョセフィーヌへの戴冠に変更されました。国民の反感を恐れた、ナポレオン。強大な権力者は、彼は国民におびえていました。大きな絵に隠された、権力者のおびえ。力を示そうとする者ほど、実は臆病なものなのです。【絵画】 「皇帝ナポレオンの聖別式と皇后ジョゼフィーヌの戴冠式」【過去の日記】 「使いすぎに注意しましょう - ジョセフィーヌ -」
2011.11.10
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復元された、大仏様を見て思うこと。金色に輝く大仏様は、好きになれません。たとえそれが、金メッキなら当然の色としても。顔のおひげも、好きになれません。それが本来、あるべきものとしても。群青色の髪も、好きになれません。それが仏本来の色だとしても。私たちが目にする、現在の古銅色の大仏様。金色の輝きもなく、装飾もなく、極彩色を失った、落ち着きのある大仏様。いつしか私たちは、あの大仏様に魅かれてきました。日本の人が愛するのは、こころの内からの輝き。外観の、金色の輝きではありません。外観の過度の装飾は、むしろ内なる光を消してしまう。ひとはだれもが、内なる大仏様。こころを大きく、そしてその生き方が、輝いてさえいれば。【参考】 小林泰三,国宝よみがえる色彩,双葉社,2010年,145P「大仏復元」 ・・・昨日の「猫の手・犬の手アンケート」。また後日、集計結果を報告します。
2011.11.08
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頼るのが猫だけでは、犬もすねるのではないでしょうか。忙しい時、人が言うのは「猫の手も借りたい」。役に立ちそうにありませんが、それでも借りたいのは猫の手。なぜ、犬の手では、駄目なのでしょう。実は、かつて人は「犬の手も人の手にしたい」と言っていました。それが大正時代ごろから、猫の手を借りることわざが主流になったそうです。猫の手に変わった理由は、何でしょう。私にも、その理由はわかりません。理由をちょっと考えてみました。1.犬より猫が、手は器用そうにみえるから2.家の外にいる犬より、家の中の猫が手伝いを頼みやすいから3.犬に頼むと、本当に手伝ってくれそうで、ことわざの意味が変わるから4.猫はいつも暇そうにしているからさて、皆さんは「猫の手」の理由はどう思いますか?1~4のどれでしょうか。それとも他の理由でしょうか。
2011.11.06
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第63回正倉院展、本日11月5日、入場者10万人突破とのこと。昨年の入場者は、29万4804人。開期の半分経過で10万人の今年は、昨年よりスローペース。秋の観光も、今年は沈滞気味でしょうか。コメントでも、皆さんなかなか奈良には来ることができないご様子。しかし、紅葉の季節もこれからです。今年も「祈りの回廊」で、秘仏公開など開催中の奈良。【巡る奈良】 「祈りの回廊」近畿地方の博物館が無料になる「関西文化の日」(11月19日,20日)も間もなくです。【関西文化.com】 「関西文化の日」ぜひ、秋の奈良にいらしてください。【日記】 「第63回正倉院展 興福寺国宝特別公開 東大寺ミュージアム」
2011.11.05
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グリムスに関するコメントありがとうございました。ご登録頂いた方、ありがとうございました。グリムスは、私もブログで複数の方に勧められて登録しました。当初は楽天には貼れないので駄目と、私も誤解していたのを思い出します。それがいつの間には、進める立場になっているのは不思議です。グリムスを進められた方々は、今では他に引っ越しされたか、ほとんど休止状態になった方ばかりとなりました。私もいつか、そうなるのかと思うと、寂しく思います。ただグリムスの様なシステムがあると、日記更新にも励みができます。そのおかげで、まだまだブログを続けることもできそうです。皆様の応援、あらためて、ありがたく感謝します。今後も長く、よろしくお願いします。【日記】 「日記で 緑化を - グリムス 10本目 -」
2011.11.04
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強い者が、常に勝ち残るとは限りません。野を駆けるオオカミ。その駆ける姿が示す、強さとたくましさ。しかしその群れの中に、弱く、おとなしいオオカミがいました。気弱なオオカミは狩りも下手で、仲間に迷惑をかけてばかりいました。弱いそのオオカミは、群れについてゆくこともままなりません。いつしか彼は群れを離れ、ひとりぼっちになりました。空腹の彼を誘う、美味しそうな匂い。その匂いにつられ、彼は歩きました。彼が歩く先にあったのは、人の住む集落でした。美味しそうな匂いは、人の食事から。空腹に、ただ遠くから、人の食事を見守る彼でした。集落の人々は驚きます。いきなり、オオカミが現れたのですから。オオカミを、追い払おうとする人々。しかし、すぐに人々は、気づきます。彼が、やさしく、おとなしいオオカミであることに。人はそのおとなしいオオカミに食事を与え、オオカミは、そのやさしさで、人に従いました。そのおとなしいオオカミこそが、後の”イヌ”の祖先でした。おとなしいオオカミは、その弱さゆえに、人と共存し、繁栄しました。野を駆けるオオカミは、その強さゆえに、人と対立し、滅びてゆきました。弱さも、時には、強さに勝ります。よわさと、やさしさは、とても近いものだから。・・・・・・生物行動学者、レイモンド・コピンジャー氏と妻のローラ。夫妻の専門は、犬の行動学。今日はふたりが唱える、イヌの起源をご紹介しました。
2011.11.03
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意外なほどに、誤解を受けていることを知りました。「流れに掉さす」という、ことわざが。その意味は「時流に乗って順調に物事を進めること」。船の棹を操って、船を流れに乗せて勢いを増す行いが由来です。岸の岩などを棹で突きながら進む、急流下りを思い浮かべればよいでしょう。「流れに掉さす」の誤解で多いもの。それは「流れに逆らう」意味との勘違い。棹を川底に刺して、流れないようにする。それが、勘違いの代表例。棹一本で、川の流れに対抗する。空しく努力する様子が、思い浮かびます。その誤解が、最近増えているそうです。流れに掉さす。その意味を、日本が忘れてしまった頃。私たちは、その頃から、世界の流れに乗ることも忘れました。私たちは、もう、舵取りの棹さえ、失ってしまったのに。
2011.11.01
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全19件 (19件中 1-19件目)
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