2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
全25件 (25件中 1-25件目)
1
かずさ市民応援団の公式サイトに、2月3月の予定が掲載されております。まだ2月3月だけですので、スポニチ大会以外は全部オープン戦。相手は社会人だと東京のチームが多くて、神奈川のチームはなし。じゃあ神奈川にはやって来ないのかな、と思ったら3月に唯一、君津以外でのオープン戦になる国学院大学のグラウンドがたまプラーザでした。でも平日だから無理か。他にはTDK、日本製紙石巻、富士大学と、東北のチームが関東にやって来るらしい。きっとかずさ以外ともオープン戦するだろうから、もし神奈川にも来るのなら興味あるところです。東芝も2月の予定表が公式サイトに掲載されております。2月は土日もほとんど練習なんですねぇ。1ヶ月の間に休みが2日しかないの? キャンプも今年はちょっと長めです。若手選手は滝に打たれたりするんでしたっけ。あれは1月?で、今年の松山キャンプ中のオープン戦の相手は松山フェニックス、三菱重工広島そしてシティライト岡山とのこと。今年はアイランドリーグ・愛媛マンダリンパイレーツとの試合はないみたい。愛媛との試合は去年まで3年続けて行われていて、結果的には東芝が全て勝っていたのだけど、スコアは2008/2/27 東芝 7-4 愛媛マンダリンパイレーツ2009/2/25 東芝 5-3 愛媛マンダリンパイレーツ2010/2/24 東芝 3-2 愛媛マンダリンパイレーツと、規則的に徐々に詰まって来てました。今年は1-1で引き分けになるはずだったってか。愛媛も坊っちゃんスタジアムの近所で練習してるみたいなんですけど、試合しないんだろうか。で、キャンプから戻って来てからまた何試合かオープン戦してスポニチ大会かな。今年、最初に東芝グラウンドに行けるのはいつだろう。今回は黒獅子エンブレムがついたユニフォームはまだ生では見られてないので、3月が待ち遠しいです。
2011年01月31日
コメント(0)
ちょっと前のことになりますが、IBAFは29日に行われた会議で今年のワールドカップの開催地をパナマに決定したとのことです。→[記事]世界棒球經典賽將増12參賽國 棒協:今年確定不[辛力辛]資格賽(NOWNews)(big5)今回のワールドカップには台湾も民国100年の記念行事ということで、去年の今ごろの時期からもうずーっと立候補すると報道され続けて来たのですけども、残念。台湾でのワールドカップは前々回大会でやったばかりですのでパナマのほうが有力と報じられており、結果的にそのとおりになったということでした。で、今回の会議ではワールドカップを廃止してWBCの予選に模様替えすることも決まると言われていたのですが、これは先送りとなったとのことです。ひとまず国際大会が減らずに済んだという部分は、単なる物好きにとっては喜ばしいこと。それにもし廃止されてしまうと、兵役面でも台湾の球界に影響するでしょうし。最近はワールドカップに台湾代表に出た選手も、五輪やアジア大会の代表選手と同じように1年間の代訓期間なしで直接に職棒に進むことができるようになったらしいので。たとえば獅隊にドラフト2位指名されて入団した廖文揚投手が代訓期間なしですぐに一軍の試合に出られるのは、一昨年のワールドカップに台湾代表で出たからだそうです。→[記事]中職選秀暖身 7隊今開打(蘋果日報)(2010/11/27)(big5)でも、ワールドカップが廃止、WBC予選に模様替えしてしまうと開催の回数も減るだろうし、おそらく出場選手の大半が職棒選手ばかりになるだろうから兵役面での恩恵を受けるのは難しくなり、チャンスが減ってしまうってことになりますよね。今回のワールドカップは9月末とのことですので、代表チームはおそらく時期的にアマチュア選手主体。ここで活躍して年末のドラフトで指名→来年は職棒で活躍っていう選手もきっといらっしゃるのでしょう。
2011年01月30日
コメント(0)
ちょっと前に更新されましたENEOS公式サイト、今回の「突撃インタビューのコーナー」は昨年末に現役を引退してコーチとなった平田大門・樋口渉の両コーチでした。若くしてコーチとなったお二人、読んでみていちばん印象に残った部分は。最初に出て来るコーチ就任の経緯のところの樋口選手(当時)のお話。樋口選手はシーズン中には全くコーチ就任のことは言われてなかったんだって。で、日本選手権の準決勝でJR九州に敗れたとき、併殺打を打ってしまって最後の打者になったのですが、打席に入る前に「(現役)最後の打席のつもりでいけ」と大久保監督に言われたそうです。すごいこと言うなぁ、と思ってしまった。樋口選手自身は、いつ最後になっても良いつもりでプレーしていたとは言ってますが、それにしてもそんな急に。良くあることなんですかねぇ。もし私が選手だったらそんなこと急に言われたら、きっと目の前の打席に集中できない気がする。子供の頃から10年、20年と続けて来た野球人生、一線の選手として打席に入るのがこれが最後になるかも、なんて考えたらそれだけで胸がいっぱいかも。スタンドにいる家族にも「最後だから良く見ておけよ」ってテレパシーでも送りたくなりそう。でも実際の選手は私なんかよりもずっと精神的にも鍛えられてるから、そんな状況に置かれても平常心で自分の役割に徹することができるのかなぁ。とはいえ実際、樋口選手も「監督から言われて考えてしまった」って言ってるし、「黙って打たせてほしかったと思いました(笑)」っていうのも本音かしらん。もし同点タイムリーでも打ってたら最高にカッコイイんだろうけど。逆に告げる側も、いつ告げるかはそれぞれ考えてるんですかね~。大久保監督が、樋口選手に対しては最後となる打席のときに初めて告げたのはなぜか。本人が引退を知らずに最後の打席を迎えるのはしのびないと考えたか? それなら打順的には9回の打席が回って来ない可能性も充分あったわけですし、その前の打席のときに教えてあげないと。樋口選手の性格を考えて、逆転に賭けるなら9回土壇場の今ここで告げたほうが普段以上の力が出せると考えたんだろうか? ちょっと興味あるところです。(なお、記録を見ると樋口選手はその後、千葉市長杯にも出場していてヒットも打ってるから、本当は最後の打席ではありませんでした)見てるほうも、最後なら最後と知った上で試合を見たいっていう部分はありますよね。準決勝は見に行かなかったけど、その前の試合で平田選手や樋口選手を見ても、まさか今年で選手としては最後になるとは全く思わなかったな~。最後だってわかってたら写真ももっといっぱい撮ってたさ。まぁお二人の場合はチームに残られたわけですし、特に平田コーチが三塁コーチに立たれるとのことですのでね、まだまだカメラを向ける機会はありそうです。
2011年01月29日
コメント(0)
以前に熊隊にいたマック鈴木こと鈴木誠さんが、新しく関西独立リーグに参加するアメリカ人チームの監督になるって記事が出ております。[記事]好材料のマック鈴木加入キーワードは「注目度」(スポニチ)(1/27)クロマティ監督がサムライ・ベアーズを率いていたような感じなのでしょうか。で、この記事の最後のほうにこういう文が。引用しますと。リーグの木村代表は「国際的なリーグへと発展していく第一歩から二歩へと進んだ」と話し、さらに台湾やオーストラリアからもチームを招くプランを明かした。台湾のチームも参加する可能性があるってことらしい。ほほ~。これ、すでに韓国のチームが参加しているから今後は台湾も、なんていう単なる思い付きで言ってるのなら、ああそうですか、くらいにしか思わないのですけども。そう話しているのが元西武・木村竹志(石井毅)さんなんですよね~。以前に阿英さんに紹介していただいた「日本の高校へ留学している台湾人選手に密着」みたいな台湾のドキュメンタリー番組の動画を見たのですが、その番組の中で木村さんが登場。番組によれば台湾の桃園農工(高校)の監督のかたが木村さんと懇意で、交流のために毎年チームを率いて和歌山にやって来ているんだって。和歌山の中学から台湾の高校へ留学した選手のかたがいらっしゃいますが(→棒球Wiki)、これも検索していると木村さんが噛んでいるとか。前に鯨と暴龍が解散したときには、木村さんが関西独立リーグのトライアウトとして台湾まで選手を探しに来た、なんてこともありました。呉承達選手が所属してたのも木村さんの紀州レンジャーズでしたっけ。ということで、木村さんって台湾の球界とはいろいろつながりがあるみたい。そういう人物が発言してるなら、現実味はそれなりにあると思って良いのだろうか。本当に台湾からのチームが参加するとして、どのくらい選手が集まるんだろう。以前、アイランドリーグの台湾トライアウトのときは元鯨、元暴龍の選手を中心に何十人も受験してましたけど、その後、台湾では社会人チームも増えましたし、どうですかね~。待遇次第? あれ、関西独立リーグって今は無給らしいですが、外国チームの選手には給料出るんでしたっけ?
2011年01月28日
コメント(0)
25日に行われた高校野球の全国大会、青棒菁英賽において、投手の投球イニングをめぐってこんなひと悶着あったそうです。→[記事]張竣龍投幾局? 出現兩版本(自由時報)(1/26)二回戦の穀保家商と新社高中の試合でのこと。穀保家商の先発・張竣龍投手は連投制限を避けるために3回表を投げ終えたところで降板し、記者室の医療班(?)にアイシングをしてもらっていました。試合は穀保家商が大勝。ところが試合後、張竣龍投手は大会記録ではなぜか自分が4イニング投げたことになっているのを見つけて驚き、すでに球場から引き上げていた監督に電話で確認したところ、監督は3イニングだとはっきりと回答。しかし大会側で記録員と4人の審判が協議した結果、張竣龍投手は4イニング投げたことを確認。監督は再度大会側に掛け合い、確認を求めるとのこと。普通の試合なら投球回数が1イニング間違っていてもたいして問題にならなそうだけど、この高校野球の大会ではイニング数制限が設けられていて、投球回数が3イニング以内なら連投可、3イニングを1球でも超えて投げてしまうと連投はできないルール。だから投球回数が3イニングと4イニングでは大違いというわけ。それにしても、一部の試合がテレビ中継されるような大きな大会で、いったいどうしてこういうことになったのか。監督が交代を告げ忘れたのか、審判が記録員に伝えるのを忘れたのか、記録員が記入し間違えたのか。もし仮に監督が交代を告げ忘れていたとすると、どうなるんでしょうか?こんなケースを想定してみます。ある試合で、先発投手Aが3回を投げ終えたところで降板し、4回の守備から投手Bがマウンドに上がった。しかしこのとき交代を告げ忘れ、審判も相手チームも気づかずに4回の守備を完了した。5回が始まるとき、相手チームがマウンドにいるのがAでなくBだと気づいて審判にアピール。審判がベンチに確認したところ、すでに監督も何回から交代したのか忘れており、Bがマウンドに上がったのは3回の守備からだと間違えて答えた。このとき、記録はどうなるか?公認野球規則の関係しそうな項目を引用。3.08 交代発表のなかったプレーヤーの取り扱い(a)代わって出場したプレーヤーは、たとえその発表がなくても、次のときから、試合に出場したものとみなされる。(1)投手ならば、投手板上に位置したとき。(2)打者ならば、バッタースボックスに位置したとき。(中略)(b)前項で出場したものと認められたプレーヤーが行なったプレイ、及びそのプレーヤーに対して行なわれたプレイは、すべて正規のものとなる。(b)の項目があるので、行われたプレーは全て有効なのは間違いなさそうです。では、投手Aの投球イニングは?2イニングか、3イニングか、4イニングか。(a)の項目からすると、Bは4回頭から投手板上に位置したのだから、交代発表がなかったとしても4回頭から登板したとみなされる。すなわち、投手Aの投球イニングは3イニングと記録するのが正しいように思えます。でも、Bが投手板上に位置したのが4回頭からであることを誰がどう証明する? 監督も忘れていて3回頭からだと思っているのに。うーん、この項目の文章だけではわかんないや。ご存知のかた、教えてくださいまし。なお、先ほどの張竣龍投手の一件は翌日になって棒球協会側が記録の変更を発表、張竣龍投手の登板は3イニングと訂正され、これで無事に次の試合でも登板できることになったのだそうです。めでたしめでたし。→[記事]羅國華狂飆速三信艱辛晉8(蘋果日報)(big5)(1/27)
2011年01月27日
コメント(0)
この時期は週に1回くらいは各チームの公式サイトを巡回するのが日課みたくなってますが(それじゃ日課とは言わないか)、大阪ガスでは退部選手一覧が掲載されておりました。高校時代、「延長17回の死闘」のときに話題を集めた稲田学選手、12年も在籍してたんだ。「松坂世代」も高卒で入るとそんなに長くいたことになるんですねぇ。しかしプロ入りした岩見優輝投手を「退社」の2文字で片付けるとはずいぶん素っ気ない。◇1998年8月20日 全国高校野球選手権大会準々決勝 甲子園球場横浜000 220 010 010 000 12=9030 100 100 010 000 10=7PL学園[横]○松坂-小山[P]稲田、●上重-石橋、田中雅富士重工業でも公式サイトの名簿から数人の選手がなくなっていまして、神谷譲二選手も名前が消えてる。別方面でも調べてみるとやはり引退とのこと。んー、そうですかぁ。私の中で神谷選手といえば、こちらも延長17回、関東代表決定戦でのサヨナラ弾。今日はそのときのことをつらつらと。それまで南関東と北関東の一発勝負だった都市対抗の関東代表決定戦に、神奈川からも出るようになった2002年。サウナのような7月の西武ドームで行われた関東代表決定戦でのことでした。まず第一試合で、9回裏「あと1人」からの同点打、そして木之内薫選手のサヨナラ打で新日鐵君津がこのチーム名での最後の東京ドーム行き決定。そして第二試合が、この試合から「日石三菱」からチーム名が変わったばかりの新日本石油と、2年ぶり代表を目指す富士重工業の対戦でした。私が都市対抗本大会以外で富士重工の試合を見たのがたぶんこれが初めて。なかなか点の入らなかった試合も目立った木製バット元年、この試合も西武ドームのスコアボードにゼロがびっしりと並び、9回が終わってもゼロゼロゼロ。12回、15回と進んでもまだゼロ。新日本石油の攻撃ではスクイズ失敗で塁上の走者が全部走塁死、なんていうヘナヘナするような場面もあってイライラがつのる一塁側。いつまで続くのか。しかし、幕切れはあっけないもので。延長17回の先頭打者として打席に立ったのが神谷選手。男前の井深有投手が投げたボールを新日本石油応援団が陣取っていたライト側のポール際ギリギリのところに打ち込み、決着をつけました。一塁側で応援していた私は、何の心の準備がないまま突然に訪れた敗戦にただただ唖然。「全国で勝つよりも神奈川予選を突破するほうが大変って言われるくらい神奈川は強い。神奈川では次点でも、関東の他の地区の次点チームより強いに違いない。だから神奈川予選さえ乗り切ってしまえば、関東代表に回ってもきっと勝てる」などと傲っていた当時の私に、それは間違いだということを痛烈に知らしめてくれたのが神谷選手でありました。◇2002年7月10日 都市対抗関東代表決定戦 西武ドーム新日本石油000 000 000 000 000 00=0(H8E0)000 000 000 000 000 01=1(H8E0)富士重工業[日]巴田(11+1/3回)、●井深(4+2/3回1失点)-岡田、原 (二塁打)池田克、高松[富]○阿部次(17回)-松尾 (本塁打)神谷[サヨナラ]<新日本石油>8水上4浅田→R4小島5池田克3岩本D横川→HD北村→HD石野7高松9軽部→9臼井 (軽部選手は骨折のため偵察メンバー)2岡田→H2原6仲田<富士重工業>8渡辺4寺内9中村→H9谷岡→H9岩元3神谷7林6青木誠D波多野→HD今井2松尾5富村神谷選手は現役18年とのこと。このときすでに10年目だったのですねぇ。長い間おつかれさまでした。この試合で200球以上投げて完封勝利した阿部次男投手は引き続きコーチ兼任で名前が残ってます。去年、アジア大会に選ばれたときの記事で「野球人生の集大成にする」みたいなことを言ってらしたのでちょっと気になってたんだった。
2011年01月25日
コメント(6)
お札(500元札)に少年野球が描かれているだけあって、台湾というのは少年野球がとても盛んな地域っていうイメージがあります。そしてとても強いですよね。夏になって台湾のチームが少年野球の世界大会に出場すると、ニュースサイトを眺めていても日本とは比べ物にならないくらい報道されます。職棒の記事より少年野球の記事のほうが多いんじゃないかってことも珍しくないくらい。それだけ少年野球への関心が高いのでしょう。で、少年野球界に関するこういう記事が出ていました。[記事]社區少棒今明開打 「謝絶棒球校隊報名」(聯合新聞網)(big5)(1/22)去年、「台灣社區棒球協會」なるものが成立し、このたび彰化延和棒球場というところで「社區棒球隊」だけによる初めての少年野球大会が開催されたというニュースなのですが。「社區」ってナニ? 辞書を引っ張るに、「社區」=地域のこと、で良いのかな? 「社區少棒隊」なら地域の少年野球チームということか。で、そのような少年野球チームの協会が去年までなくて、大会も初めて行われたってことは今までほとんどなかったということなのか。じゃあ台湾で一般的な少年野球って何なのかというと、学校の野球部なのだそうです。先ほどの記事によりますと、現行の教育部學生棒球聯盟の規定では、選手登録や大会への参加は必ず学校単位でなければならないそうなのですが、台湾の小学校2658校のうち、野球部があるのは僅か259校だけ。他の90%の小学校の子供は野球をするのが難しい。これを何とかするためにできたのが先ほどの「台灣社區棒球協會」なのだそうです。地域にチームがあれば、通っている小学校に野球部がなくても野球ができる、と。日本では、中学校以下はほとんどが学校じゃなくて「社區」のチームだとも書いてありますねぇ。確かに、リトルリーグのワールドシリーズに出るのは、日本からは○○リーグですが、台湾から出るのは○○小学校棒球隊です。雑誌やニュース記事などで台湾のプロ野球選手の生い立ちが紹介されているのを読むと、「野球を本格的にやりたいと思い立ったが通っていた小学校には野球部がなかったので、野球部のある学校に○年生のときに転校した」なんてことが結構当たり前のように出てきて驚きます(林益全選手や鄭凱文投手が該当)。小学生の頃から親元を離れて野球留学していた、という選手も多いですよね(倪福徳投手や林泓育選手など)。良いか悪いかは別にして、小学校から学校の野球部で野球をするのが台湾の少年野球文化ってことか。記事によれば、「棒球社區化」によって将来、台湾の棒球界は大きく変わるかも、とのこと。今後、どういう動きになるのでしょうか。
2011年01月23日
コメント(0)
職棒界は、そろそろ外国人選手の動きも明らかになって来る頃でしょうか。去年、高津臣吾投手の牛入りが決まったと報じられたのは1月14日のことでした。今年は今のところ、去年からそのまま残る外国人選手はだんだん決まりつつありますが、新しくやって来る選手はまだ具体的には明らかにはなっていないようです。そんな中、牛隊は今年は外国人選手ナシかも、なんてことを書いている記事があります。え~、ホントかなあ。→[記事]不靠進口本土牛打算硬[石並]硬(蘋果日報)(big5)記事中、牛の楊仁佑代表は、もしそうなった場合は浮いたオカネを今の選手や少年野球界に回すってコメントしてますが、結局のところ、オカネがないってことなんですかねぇ。ちょっと前に身売り騒動があったこと、活躍したので給料が高くなってしまった正田樹投手、最初から高かったらしい高津臣吾投手と再契約しなかったこと、張泰山選手を売り飛ばしたこと。みーんなこれ、オカネがないからなんだろうか。それにしても、外国人選手ナシなんて大丈夫?まぁ牛さんは陽建福投手が残り、林克謙投手が復帰すれば本土だけで先発5人揃いますし、回そうと思えば回りそう。去年、二軍で投手二冠だった羅政龍投手(←改名したそうです)も入りますし、外国人選手抜きでも何とかなるってか。(週刊ベースボールの展望号に「牛の投手陣は外国人頼みで弱い」って書いてあったけど、そんなことはないでしょう)でも。棒球Wikiを見てみたら、牛の投手はいま11人しかいないんですねぇ。去年に手術した沈福仁投手は上半期はまだ絶望って記事も出てましたし、いくら強力投手陣でもさすがにこの人数では本当に外国人選手ナシで1年間乗り切るのはちょっと現実的とは思えませんが、どうなんだろう。さっきの記事の最後のほうにも書いてありますが、牛の今年の新戦力って4人しかいないんですねぇ。替代役選手だった羅政龍投手・陳煥揚投手と、先日のドラフトで指名した林[王昆]笙捕手と、獅隊を解約になって移籍して来た施金典内野手の4人だけ。もともと牛は選手がそう多くないことを考えれば新加入が4人程度なのは妥当なのかも知れませんが、それにしても目に付くのは替代役選手の契約率の悪さ。2009年末のドラフト会議では11選手を指名して、うち張耿豪投手以外の10人が替代役選手、うち6人を保留選手として契約の意志を示したのに、実際に契約がまとまって入団が決まったのは2人しかいません。(1位:張耿豪投手 → ○去年に入団)2位:羅政龍投手 → ○入団3位:孟劭穎投手 → 契約がまとまらず、猿隊の練習生になっているとか4位:卓志名投手 → 自主選手に5位:楊先賢内野手 → 牛が提示した契約内容が希望とはほど遠く、アマチュアに戻るつもりとか6位:陳煥揚投手 → ○契約7位:林凱倫外野手 → 自主選手に8位:黄[シ育][日豈]内野手 → 自主選手になり、猿隊に入団9位:謝[火玄]任外野手 → 猿隊に金銭トレード10位:張鎧内野手 → 自主選手に11位:黄伯楷内野手 → 契約がまとまらず、台北市入りが決定「契約がまとまらず」が多い。ちゃんと調べてませんが、保留選手にしたのに入団しない選手がこんなに多いのは異例な気が。契約金をケチってるんだろうか? やっぱりオカネないのか。そういう視点で見ると、陽建福投手が2月中旬に中日ドラゴンズのキャンプにテストを受けに行くことについての楊仁佑代表の「テストなんて必要ない、彼の実力はわかっているだろうに」っていうようなコメントも、移籍金が入るのでむしろ積極的に出て行って欲しいようにも読めてしまいます。"FA宣言"した4選手の中でまだ再契約してないのは陽建福投手だけになりましたが、どうなるのかなぁ。
2011年01月22日
コメント(4)
蔡森夫選手の千葉ロッテ入りが決まったそうで、千葉ロッテ官網で発表されております。→[記事]蔡森夫選手の入団について(千葉ロッテ官網)(1/19)これで現役14人目の「旅日球星」に。まだ正式には決まってない陳冠宇投手を含めないで14人です。まー、ずいぶん増えたものです。しかし。せっかく正式に決まったというのに、台湾のニュースサイトでの無視されっぷりは何なんだろうか。台湾でのgoogleのニュース検索で「蔡森夫」で検索しても、引っかかるのは2~3件。それもチェン投手のニュースのおまけでちょろっと1行書いてあるだけの記事とかも含めてそれ。「陳冠宇」で検索するとうじゃうじゃ出て来るのとは対照的。育成契約でも、過去の日本入り選手はもっと報道されていたような。大学入学以降は代表チームに選ばれたことがないそうで(高校の頃は常連だったみたいですが)、体格のわりに知名度はあまりないんだろうか。さて、先ほどの千葉ロッテの公式サイトのリリースでは、蔡森夫選手の去年の成績も載ってます。プロ選手と違って調べにくいのに、職員のかたが頑張って調べたんだろうか? 引用しますと以下のとおりだそうです。2010年 所属:合作金庫30試合 83打数,32安打 .385 9二塁打,5本塁打,22打点,1盗塁,6四球,8三振.385ですかぁ。意外と高打率?でもこの数字を見て、ちょっと違和感を覚えました。30試合で打数が83しかない。そのわりに四球が6個だけ。去年の合作金庫は貧打に苦しんで全体的に成績が振るわなかったような印象でしたが、蔡選手ってこんなに打ってたっけ?一応、ちゃんとしたところで確認してみようってことで、台湾棒球協会の官網を拝見。ここには協会主催の大会の成績は、個人成績も含めて試合ごとに細かく載ってます。去年の協会主催大会での蔡森夫選手の成績を抜き出してまとめると、以下のとおり。・3~5月 春季聯賽(予選リーグ敗退)20試合 74打数20安打 .270 10四死球 8三振 6打点 2本塁打・8月 城市賽(予選リーグ敗退)6試合 16打数2安打 .125 1四死球 1三振・9月 協会盃(準優勝)5試合 13打数6安打 .462 2四死球 2打点・冬季城市巡迴賽(優勝)18試合 51打数11安打 .216 7四死球 6三振 5打点・盟主賽(一回戦敗退)1試合 4打数2安打 .500 1三振以上を合計すると50試合 158打数,41安打 .259 2本塁打,13打点,20四死球,16三振さっきの千葉ロッテ発表の数字とだいぶ違います。棒球協会が公表してる数字が正しいとは限らないし、私の見落としや集計違いもあるかも知れないけど、それにしてもずいぶん違う。それから私が蔡選手を見たときはいつも4番だったのでてっきり普段からほぼ不動の4番かと思ってたけど、去年は4番を打っていたのは8月の城市賽まで。その後は6番以降がほとんどで、12月20日に行われた冬季城市巡迴賽の決勝戦第3戦では8番まで下げられてます。途中交代・途中出場もかなり多い。昨年はあまり振るわないシーズンだったという感じでしょうか。でも全試合解禁なのは信頼の表れか。ケガにも強い?では千葉ロッテ官網に出ている成績はいったい何なのか? 集計の仕方が違うんだろうか。手元のアマチュア野球大会のメモを見ると、蔡選手は2009年は年間で6本塁打してます(春季聯賽で2本、布瑞特盃で2本、城市賽で2本)。なぜか開南大学の選手として出場していた12月の大專賽の2本を合わせると、計8本打ってます。2009年の協会主催大会での合作金庫の試合は年間36試合。公式戦なのか怪しい布瑞特盃を除くと31試合になりますので、試合数と本塁打は千葉ロッテ官網に載っている成績と近くなります。ということで、あの成績は2009年のもの、なのかな?まぁ去年の成績はもう関係ないか。見ていて面白い選手ですので、ぜひ一軍入りしていただきたいものです。そしたらマリーンズの応援団の人たちがどんな応援を考えるのかも楽しみです。
2011年01月20日
コメント(0)
今年に入ってから、テレビ番組でシダックスの(元)選手のお姿を目にする機会がすでに二度もありました。お正月明けには安井玲緒直投手と黒坂洋介選手が高橋尚成投手の大学時代のお友達として出演されてましたし、先日は庄田隆弘選手が戦力外選手の特集みたいな番組に出ていて、シダックス時代の写真や映像もいろいろ出て来てちょっとなつかしかったです。で、部の活動が終わってから4年ちょっと、このたびOB会ができることになったそうで。→[記事]社会人野球:廃部のシダックス 元選手らがOB会を結成具体的にどういう活動をされるのかはこれからみたいですが、どういう形であれ、チームの活動が続くというのはうれしいことです。しかし一昨年末に元選手が死去したというのは…。創部してまだ20年も経ってないのだからお若いかたですよね…。シダックスって野球部をやめると会社に残らないかたがほとんどっていう話で、だから何かあってもなかなか連絡もつきにくいのかな、なんて記事を見て思ったのですが、こちらの元シダックスの選手のかたが書かれているblogによりますと、入江崇宏さんのようにそのまま社員として活躍されているかたもいらっしゃるようです。当時の社業の様子とか、ちょっとした内部事情のようなものも良くわかって面白いです。素朴な疑問:たくさんいらしたキューバ人・台湾人など外国人選手もOB会名簿に入るんだろうか。総会に全OBが大集合、フンコ・バジェ・メサ・アヘテ・キンデラン・パチェーコらの選手が全員出席! とかだったら…無理か。
2011年01月19日
コメント(3)
とっくの昔にキャンプインしている台湾の各球団ですが、身体検査のときにこういうニュースが。→[記事]體重破百彭政閔驚驚(聯合新聞網)(big5)本来は90kg台の彭政閔選手が体重計に乗ったところ、指した数字は102.6kg。信じられないといった様子で言うに、「もう何日も食べてないのに!」だって。こうして象のほかの3選手とともに「100kg倶楽部」に参加することになった彭政閔選手、キャンプではぜい肉を落とさないと、なんてなことが書いてあります。私が大学時代に教わっていた先生がお腹周りがかなり立派で、体重が3桁あるかたでした。そして先生に連れられて研究会などに出かけると、同じような研究をしている他の先生方がまた揃いも揃ってみんな同じような体型をしていて、先生方が自分たちで「0.1トン倶楽部」とか言ってました。それを思い出しちゃった。この業界にいるとこういう体型になるのか、とか思ったものですがそれはともかく。彭政閔選手は名簿上では183cm/95kg。そんなに大男ってイメージも太っているイメージもなかったけど、もともと結構重いらしい。よほどムキムキなんですかねぇ。記事では羅國華投手、黄佳明投手、楊展旭選手と一緒に「100kg倶楽部」に参加とのことですが、この3選手も名簿上は100kgありません。みんなオフの間にちょっと太っちゃったみたい。去年の名簿で行くと、中華職棒所属の台湾人選手で本当に0.1トン倶楽部に入っているのは(敬称略)陳連宏 105kg陳逸宸 105kg耿伯軒 105kg林泓育 102kg潘忠韋 100kgの5選手。上のお2人は大柄で、太っているというよりは大きい選手という感じでしょうか。下の3選手は体重3桁と言われるとやっぱりね、って感じか。ついでにアマチュア界に目を向けますと、上には上がいるもので。高校生では義峰高中にいた張嘉宏投手、体重114kg(186cm)。大学・社会人では昨秋から合作金庫に入った蘇建銘内野手は115kg(196cm)あるらしい。そして千葉ロッテ入りが決まった蔡森夫選手、一時は128kgあったんだって。→[記事]蔡森夫不再只愛揮大棒(自由時報)(big5)(2009/09/20)この記事が出たときにはすでに減量してて、今は名簿上は100kg(190cm)。でも生で見ると充分に巨体です。ホントにあれで100kgで済むのかなぁ。
2011年01月18日
コメント(0)
ネタ枯れの時期につき、2010年度版の連盟報を読んで知ったことの続きで。主に2010年2月に行われたという定時評議員会議の議事録から。まとまりなくつらつら書きます。●今年(2011年)の日本選手権分散開催はもともとほぼ決まっていたこと連盟報313ページから引用しますと。2011年度は本年度と同様に一回戦分割開催として準備を始める。ただし、二回戦~決勝戦を京セラドーム大阪開催とするかどうかは8月までに決定する。また、1回戦は引き続き分割とし、関東、東海、近畿は継続して主管地区連盟として開催地を選定する。もう一会場は、中国、四国、九州の3地区連盟のいずれかを主管地区とする。ということなのだそうです。今年も分散開催と正式に決まったと報道されたのは確か去年の11月ごろだったと思いましたが、2月の時点ですでにだいたい決まってたってことか。最初から1年で元に戻す方針にするわけないからそりゃそうか。会場のうち関東・東海・近畿はそのままで、中国開催が四国・九州に変わったのも予定どおりということみたい。まぁ東北・北信越より北だと寒くてあの時期じゃ無理か。●ポニーリーグが加盟日本ポニーベースボール協会が日本野球連盟に加盟とのこと。JABA公式サイトの組織図を見ると、確かにポニーリーグにもJABAから線が出てます。→[網頁]「日本の野球界の団体図」(JABA)本部のアメリカでは高校生までカバーしてる一大組織で、各年代で世界大会も開かれているというポニーリーグ。台湾のニュースサイトでも少年野球の世界大会の記事に良く出て来ます。加盟の経緯や意義は良くわかりませんが、日本の少年野球組織は何団体もあって実に複雑ってイメージでしたけども、少なくとも組織図的にはそのうちのほとんどが日本野球連盟に参加しているという形になってるみたい。●アジア選手権、荻野貴司選手は「欠場」2009年に成田・札幌で行われたアジア選手権。確かに札幌に試合を見に行ったとき、荻野選手はベンチにいませんでした。でもメンバー表には名前が残ったまま。ひょっとして成田ラウンドには出てたのかな、とも思いましたが連盟報には荻野選手の欄にはっきり「欠場」と書いてあります。このときの日本代表チームは、大会の開幕前にHondaの小手川喜常選手が「追加」で招集。しかし、代わりに誰が抜けるといったことは発表がなく、札幌で買った大会パンフレットを見ても小手川選手と荻野選手はお二人とも載ってます。大会メンバーは20名と決まっているのだし、辞退なら辞退とはっきり発表されても良さそうなものなのに、どういう事情でああなってたんだろう?BFJの公式サイトに掲載の代表選手名簿では今でも荻野選手がそのまま載ってて、小手川選手は載ってもいません。台湾戦の延長戦で決勝タイムリーも打ったのにね~。
2011年01月16日
コメント(0)
すっかり遅くなって今さらですが、落合博満さんの殿堂入りが決まったとのことです。おめでとうございま~す。私は落合さんの東芝府中時代のことはほとんど全く知らないし、赤いユニフォームを着ていた写真すらたぶん見たことがありません。でも歴史の中のものになってしまった「東芝府中」っていう名前を殿堂に残すことができたというのは、とてもうれしいお話です。一応知識としては、東芝府中は創部は古かったのになかなか都市対抗には出られず、やっと初出場したときの主軸が落合選手だったってことは知ってます。10年ちょっと前の毎日新聞だったかな、東芝府中の元選手のかたが、息子さんが甲子園に出場したので取材されて、「息子もできれば東芝府中でプレーさせたかった」みたいなことをおっしゃっていてちょっと切なくなりました(当時すでに府中野球部はなくなることが決まっていました)。記事によればそのかたは現役時代に落合さんと同時期にプレーされていて、しかも下の名前が全く同じ「博満」。同名の縁で落合さんとも仲良くしていたとのことで、「あの人(落合選手)は凄かった」みたいなコメントも出していたのを覚えています。改めて、おめでとうございました。以下、「60年史」より。落合博満選手の都市対抗:1976年 東芝府中(初出場) 背番号3 23歳一回戦 四番一塁手 3打数0安打 vsデュプロ二回戦 四番一塁手 4打数2安打 vs愛媛相互銀行 (三塁打1本)1977年 日本通運(補強) 背番号15 23歳一回戦 三番左翼手 3打数0安打 vs丸善石油 1978年 電電東京(補強) 背番号4 24歳一回戦 五番三塁手 3打数1安打 vs三菱名古屋計13打数3安打 .231(年齢は1976,1977年とも23歳で載ってます)(1977年当時、多摩地区は南関東地区に組み入れられていたので日本通運とは同地区とのこと)(2011/1/21修正:1978年にも都市対抗に出場されていましたので追記しました。失礼しました&ご指摘ありがとうございました)
2011年01月15日
コメント(2)
昨年末に千葉ロッテのテストを受けていたという合作金庫の蔡森夫選手、千葉ロッテと育成選手で合意したとのことです。去年の暮れの職棒ドラフト会議に合作金庫の選手は誰も登録せず、これは史上初の珍事とのことでしたけども、今年も合作金庫出身のプロ選手は誕生するってことになるみたい。[記事]蔡森夫圓夢加盟日職羅徳(中国時報)(big5)あんまり長くないので全文を適当に。合作金庫の蔡森夫が先日に千葉ロッテと育成選手契約で合意し、10年来の海外進出の夢を叶えた。「1年目はまず環境に適応し、技術を磨けば一軍に上がる自信はある」。蔡森夫は昨年11月17日に日本で千葉ロッテのテストを受けた。球団は彼のパフォーマンスに満足し、体格と爆発力を賞賛。もし契約がまとまれば、彼は合作金庫から直接に海外進出する第1号の選手となる。海外挑戦は蔡森夫の夢だった。中学校卒業後に日本の高校に留学する機会があったが当時は環境に適応できないことを恐れた。高校の頃には多くのメジャー球団が彼に興味を持った。そして今年、ついに海外進出の夢がかなう。「育成選手契約でも関係ない。重要なのは多くのことを学んで、技術を進歩させることだ。1年目はまず日本の野球環境に適応すること。最短時間で支配下選手になって一軍の試合に出られると信じている」と彼は言う。蔡森夫は台湾では一塁と外野を守るが、彼は日本では外野を練習するという。なぜならロッテの内野は競争激烈で、外野のほうが昇格の機会が大きいから。「日本のチームは練習量がとても多く、厳格。施設も整っていて、選手の面倒見も良い」。日本へ行くために蔡森夫は早くから準備していて、大学では日本語を勉強したことがある。またロッテにはすでに台湾人投手の林彦峰がいる。二人は仲良しで、日本では二人はルームメイトとして互いに面倒を見ることができる。予定では蔡森夫は明日、林彦峰と一緒に渡日することになっていたがビザがまだ降りず、ビザを待ってから日本に赴く。「生まれて初めて台湾で旧正月を過ごさない年になるよ」。ということで、どうも蔡選手は合作金庫から直接に海外(のプロへ)進出する第一号の選手となるらしい。(てっきり郭泰源さんは合作金庫から直接かと思ってたけど違うみたい)一塁と外野を守れるが、日本では外野を守る、なぜなら千葉ロッテの内野は競争激烈で、外野のほうが昇格の機会があるということですが…。うーむ、ロッテはむしろ外野のほうが競争激烈では? 外野の競争が激しいのはレギュラー争いであって、単に支配下に入るだけなら外野のほうが有利なのかな。まぁでも育成選手ですからね、数年後には千葉ロッテの内外野事情がどうなってるかわからないし、若いのだから今のうちから一塁限定じゃなくて外野もやっておくのは良いことなのでしょう。私は合作金庫が来日したときに見に行った2試合では両方ともDHでしたので、あの体格でいったいどのくらい動けるのかは知りません。(天母球場で開南大学の試合を見たときもいたはずなんだけど、忘れた)とにかく体格的には非常に目立つ選手なので、とても楽しみです。日本のプロ野球にやって来る外国人選手に求められるものの一つって、「日本人離れした部分」じゃないですか? こういう規格外の体格を持ってる選手はそれだけで面白い。名前も日本風だし、もし一軍に上がってちょっとでも活躍したらすぐ人気出るんじゃないかな~。
2011年01月14日
コメント(0)

だいぶ前ですが、先日にJABAクラブの会費を払い込んで来ました。会員証やら日程表冊子やらは2月号に同封されて来るんでしたっけ。さて、去年に発行された連盟報(↓これ)。オフの時間を利用して読み直してみると、結構いろいろ知らなかったこと・面白いことが書いてあるものです。知らなかったのは私だけかも知れないけど。JABAクラブに関してもこんなことが。連盟報の314ページによりますと。各都道府県連盟には、その都道府県のJABAクラブ会員数x3000円が「普及振興事業補助費」としてJABAから支給されるんだって。JABAクラブの年会費は5000円。だから、私が払った年会費5000円のうちの3000円が神奈川県の野球協会に落ちて来ているってことらしい。一昨年、神奈川は会員数が175人だったので、175x3,000=525,000円の補助費が支給とされたのこと。へ~。年会費って、都市対抗の本大会に割引で特別席に何日間入ったから元が取れた!な~んてすぐ考えちゃうんだけど、県の協会に落ちてきてたんですねぇ。そこから先は具体的にどう使われるのかはわからないけども、JABA本体に落ちるよりは身近なところに使ってくれそうです。ただし上記の補助金が支給されるには条件があって、その都道府県に50人以上(?)のJABAクラブ会員がいる場合だけみたい(大阪は会員51人で153,000円支給、その次に多い広島県は会員36人で0円)。JABAクラブの会員は東日本にやたらと偏っていて、東海・北信越より東は補助費を支給されている都道県(会員数50人以上で)が大半なのに、近畿より西では大阪と奈良と香川だけ。他の府県は全部ゼロです。京都や兵庫でさえ50人いません。九州は全県合わせてもたったの30人しかないんですねぇ。奈良県と香川県の連盟はすごく頑張ってるんだろうか。各都道府県の野球連盟は管轄内で会員数を増やすとそれだけ補助金で潤うって仕組みらしいですので、西日本の府県連盟はもっとがんばれ(?)。なお、この補助費のことは前年の連盟報には載ってませんでした。去年からの制度?
2011年01月13日
コメント(0)

各チームの公式サイトを巡回してみると、オープン戦のスケジュールが出ているところがチラホラと出て来てますね。日立製作所では、どの日本選手権対象大会に出るのかがすでに掲載済み。JR東日本はそれに加えて都市対抗予選や六大学対抗戦の日程まで出てます。オープン戦の予定はまだ大学との試合がほとんどみたい。ENEOSは、2月27日の日曜日に熊本ゴールデンラークスとオープン戦するらしい。へ~、ラークスって関東まで来るんだ。日曜日なのでチャンスだけど、2月に等々力かぁ。寒そうだ。JR東日本公式サイトでは、インタビューとして引退選手一人一人のかたのコメントが載っております。投手5人も抜けちゃうんだ。去年、若い投手が都市対抗の初戦で終盤に投げてていい投球してましたんで、若返りってことなのか。在籍2年で退部される石黒基樹投手って、もともとはENEOSの内定者のところに名前があったのになぜか入って来ず、翌年にJR東日本に入部した選手でしたよね。コメントにある「私にもう一度野球をやらせて頂ける環境を与えてくださり」っていうのは、やはりそのあたりのことを言っているのでしょうか。どういう事情かは存じませんが。そして佐藤大士投手もとうとう引退されてしまうらしい。寂しくなります。ヒロシ投手の登板試合でいちばん印象に残ってる場面というと。2006年の都市対抗本大会のベスト8、日運の小松選手に2打席連続で3ランされたとき。打たれたときかよ、って、これは前の席で見てたふそうファンらしきお兄さんが、そこまで言うか、ってくらいに野次りながらめちゃめちゃ落胆してたので良く覚えてる。いい場面のほうでは、やっぱり2000年の都市対抗かなぁ。決勝戦では完投勝利して胴挙げ投手に。あのとき、まだ22歳でしたか。丸10年以上に渡って活躍した選手だから何かすごいベテランな気がしてたけど、この年に新人だった磯村秀人投手や広瀬繁投手より若いってか。記録を見返すと、この年の予選で東芝を抑えてコールド負けさせ、予選敗退に追い込んだのもヒロシ投手だったんだなぁ。そのときはまだ全然印象なかったけど。補強で東芝に来ていただいたこともありました。これは表彰式での場面。普段の試合ではちょっとコワモテにも見えるけど、このときは表情を崩してらっしゃいました。この年を含めて金の本田メダルを4つコレクションしていたヒロシ投手。長い間、おつかれさまでございました。これから鉄道人としての基礎をしっかり学ばれるとのことで。しかしさすがベテランだけあって、インタビューの文章がいちばんオトナです。
2011年01月12日
コメント(0)
横浜入り秒読みの陳冠宇投手。3年契約などの条件には双方が同意していて、あとは正式に契約するだけ、みたいなところまで来ているようですね。→[記事]〈棒球〉同意條件 陳冠宇快成横濱人(TSNA)(big5)(1/10)で、この記事には「外傳」として書かれていますが、契約条件の中には「選手の同意なしでフォーム改造はしない」「国家代表チームからの招集があれば、球団は必ず応じる」という条件が、最初は蔡明堂さんが冗談で言ってるのかと思ったら本当につくみたいですねぇ。これらはちょっと前の記事ですが。[記事]陳冠宇投向横浜 但書不改姿勢(中国時報)(big5)(1/6)穀保家商の監督蔡明堂曰く、「姜建銘と張誌家が最もわかりやすい例だが、二人とも日本のコーチにフォームの改造を強制され、結局は球威を失って戻って来た。陳冠宇が不要なフォーム改造を受けなくて済むようにすることがこの条件だ」[記事]若被強迫修改姿勢 除非有陰謀(中国時報)(big5)(1/6)トルネード投法の野茂英雄はプロ入りのときに「フォーム矯正はしない」という注意書きをつけて契約した。天才打者鈴木一朗は二軍で試合に出してもらえなくなってもフォーム改造を拒否した。彼らは自分のフォームを堅持することでメジャーで成功した。一方、張誌家、姜建銘、そして林恩宇はみな日本でフォーム改造された犠牲者だ。不調で二軍に落ちたとき、一軍に戻らねばならないプレッシャーからコーチからの「微調整」を受け入れざるを得ず、このため野球生命を縮めてしまったのだ。この種の話は前にも日記で書いたことがありますが、またずいぶんと一方的な話。雑誌「職業棒球」でも、台湾の大学生選手がインタビューに答えて「日本に行くとコーチがフォーム修正してしまうから日本には行かない」なんてなことを言うくらいですから、日本に行くとフォームをいじられるっていうのは台湾のアマチュア球界には「事実」として広まってしまっているっぽい。記事中で出て来る蔡明堂さんは穀保家商の監督。張誌家投手や林恩宇投手の在学中から監督なのかはわからないけど、かわいい後輩・教え子がこれ以上、フォーム改造で失敗するのはしのびないとか、そういうことなんですかねぇ。確かに、夢破れて日本から戻って来る選手はだいたいみんなおかしくなって帰って来るし、年齢的にはまだこれからが全盛期の選手でも帰国後は以前よりも劣る活躍しかできていないわけで、そこだけ見ていればそういう印象になるのも無理からぬことかも知れない。でも、具体的に現場でどんな指導が行われているのかは知りませんが、教える側だって良かれと思ってやっていることなのだろうし、それに、それだけ親身になってもらっているって裏返しじゃないんですかねぇ。普通の「助っ人外人」なら、一軍で結果が出なければ放っておかれてサヨウナラになってもおかしくないのでは? まぁ選手側がフォーム改造に必ずしも納得していなかった、という部分が問題なのでしょうか。なお、最初のほうの記事では荘勝雄さんも台湾人選手が日本でダメになってしまう原因についてコメントしていて、「日本のベテランコーチは自分の選手時代の方式で指導し、毎日300球の投げ込みを要求する。台湾の投手は不慣れなので、結果、故障してしまう」とのこと。慣れ親しんだ調整方法の違いを無視した指導が行なわれるのが問題だ、と。こちらのほうがわかりやすい(←本当にそうならば、だけど)。●3年経ったら自由契約にで、新しいニュースでは、契約にはさらにもう1つ条件がついていると書かれています。→[記事]〈棒球〉避免殷仔事件重演 陳冠宇合約加註(TSNA)(big5)「合約第3年時就要告知要不要續約,不續約就是自由球員」という条件らしい。この部分だけだとどちら側が「要告知」なのかわからないけど、チェン(陳偉殷)投手の揉め事を避けるためのものと書いてあることからして選手側に選択権があるらしい。つまり、3年経って球団側が再契約を望んだとしても、陳投手側がイヤならば自由契約になる、ということ。外国人選手って契約期間が終わったら自由契約になるのが普通なのかと思ってましたが、「一般選手少見的特殊條件」って書いてあるところを見ると、今までの台湾人選手の場合は契約期間が満了しても保有権が球団に残る契約をするほうが普通だったということか。確かにチェン投手が揉めたので、前もってそういう部分をはっきりさせておくのはわからなくはないし、むしろ当然のことかも知れないけど、何だか入団する前から扱いにくい選手みたいに思われそう。育ててもどうせメジャーに行っちゃうんでしょ、みたいに横浜のコーチやファンに思われるのも損なような。しかもたった3年。3年間でよほど活躍して球団に貢献しないと、出て行くときに「恩知らず」とか言われちゃうんじゃないかなぁ。別に言われてもいいのかも知れないけど。日本人ってこういう部分、敏感じゃないですかね。契約だからって割り切れない部分というか。まぁ、活躍すれば関係ないか。3年後、胸を張ってメジャーに行けるような成績を残せるように頑張っていただきたいものです。
2011年01月11日
コメント(6)
スポニチに、タイブレークのルールが変更されるかも知れないという話が出ています。→[記事]社会人野球 新タイブレークは12回以降(スポニチ)(1) 現行は延長11回からだったタイブレークを12回以降に変更(2) 「一死満塁・継続打順」を「無死一二塁・任意打順」に変更まだ正式決定ではないですが、こういう方向らしい。(1)では、11回からだとちょっと早くて、せっかくの好試合の流れを突然に断ち切られるような印象を受けることが多かった。それにサヨナラする/されるのドキドキは野球の1つの醍醐味であるわけで、それが1~2イニングしか味わえないというのは味気ない。12回、13回以降くらいで良いのではないかと。(2)は記事にあるように、国際大会のルールに合わせたことと、それと都市対抗の監督会議のときでしたっけ、JABAのかたが各監督に意見を聞いたところ、一死満塁だと作戦の幅が限られるので無死一二塁にして欲しいという声が挙がったとの記事を見たことあります。それを汲んだということでしょうか。無死一二塁で任意打順だと、社会人の場合は先攻チームはたいていバントするんじゃないかと思いますが、どうですかね~。まぁそこに意外性が生まれるかも? 後攻チームは点差次第かな。ということで(1)(2)とも試合時間が伸びる方向になるわけですが、都市対抗本大会のような「負けられない試合」での迫熱した延長戦ならば、試合時間が少し伸びても別に構わないと思いますけどね~。9回までならだいたい2時間半くらいで終わってますから。少々気になる部分としては、任意打順である国際大会のタイブレークでは、さあこれからタイブレークっていうときに試合が中断したままなかなか再開されない、っていうのを何度か見たような気がします。昨夏の世界大学野球選手権のときには確か10分以上待たされました。任意打順なのでタイブレークが始まる前に審判に何番打者から攻撃を始めるかを申告しているらしいですが、機械的に次打者が決まる継続打順と違って作戦タイムみたいな時間も必要、そのぶん時間がかかっているってことなんでしょうか。あんまり長く中断すると試合時間も長くなってタイブレークにした意味がなくなるし、せっかくの熱戦・接戦も興ざめですのでね、もし本当に任意打順になるとしたらスムーズに進行できるようにしていただきたいものです。
2011年01月10日
コメント(0)
今年から再開される方向になっているというアジアシリーズ。今年の台湾での開催に向けて、韓国で各国プロ組織の代表者が集まって会議が行われるそうです。→[記事]アジアシリーズ復活へNPB事務局長渡韓(スポニチ)(1/7)中身を読むと。この会議、NPB、KBOとCPBLは出席するけども、「中国は欠席する」と書いてある。台湾で国際大会があると、ほとんどいつも欠場する中国。アジアシリーズを台湾でやることの不安材料の一つ。やっぱり台湾で開催となると、中国は出てくれないのかなぁって。でも今日になって台湾で出た記事では、CPBLの職員のかたの話として、中国も大会には参加する予定と書いてありました。それはそれは。→[記事]亞職大賽邀中國 比照奧會模式(中央社)(big5)ただし、オリンピック方式に倣って試合時には歌うのは国歌ではなく国旗歌とし、掲げる旗も国旗(青天白日滿地紅旗)ではなく(白地に梅の)中華五輪旗を使うんだって。スタンドで国旗を振るのはファンの自由とする、とのこと。東京ドームで行われた過去のアジアシリーズのときは、中国との試合でスタンドで国旗を出した台湾のお客さんに中国サイドからクレームがついて、警備員がすっ飛んできて没収された、なんて話も確かありました。(韓国球団との試合では、目の前で国旗を振ってる人がいたけど特に何事もなかったです)そこまで厳しくはしないけど、台湾での開催でも国旗や国歌は公式には使わないんだって。これは中国に出てもらうための配慮ということなのか。ということは逆に、中国が出ない大会なら普通に国旗とか出してるんですか? 去年の中韓總冠軍賽ではどうだったんだろう?●日程調整は大丈夫?で、韓国での会議は10日からになるとのことです。最初のスポニチの記事によれば、会議では「日程や開催地など今年の復活開催が可能かを探ることになる」とのこと。去年、アジアシリーズが開催できなかったのは、日本シリーズとアジア大会の日程が近すぎて日程調整がつかないから、っていう理由でした。今年も、(存続するなら)ワールドカップと、あとWBCの予選が台湾で予定されていて、どちらも11月に行われるとかいう話。アジアシリーズは11月以降じゃないとできないから…。日程調整、大丈夫なんだろうか? ワールドカップは台湾以外はトッププロは出ないだろうし、WBC予選に出るのも台湾だけだから何とかなるのかな。
2011年01月08日
コメント(0)

私が雑誌「グランド・スラム」を初めて買ったのは確か1999年の秋号の第13号でした。府中が最後だったときの号です。「グランド・スラム」という雑誌があることを知ったのがその半年前、1999年の春号が出たときだったかな。でも買いませんでした。当時は初心者だったので春の名鑑号は知らない選手ばかり、値段のわりに読むところが少なく感じたのであまり買う気が起こらず。その後も2年くらいは秋号だけ買ってましたね。そのうち、やっぱり春号も欲しいな~ってことになり、バックナンバーを求めて良く行ったのが東京ドーム前の山下書店。というか、バックナンバーが置いてあるお店はここしか知らなかった。2000年頃の山下書店には、まだヒト桁号のバックナンバーが結構たくさん残ってました。いきなりあんまり古いのを買ってもわからないので、自分が知ってる時代に近いほうから勉強しようと、足を運ぶたびに14号,12号,11号,10号と順番に1つずつ買って行きました。今思えば、これが大失敗だったな~。古いほうから品切れになるのだから、いちばん古いのを先に買えば良かった。結局、山下書店で買えたのは第5号(1995年秋号)まで。それ以前は売り切れ。間もところどころ歯抜けが。(第5号はアトランタ五輪予選特集も載ってて許銘傑投手の顔写真も掲載。当時まだ18歳。若っ。他にも、どこの俳優さんかと思うほど美男子に写っている22歳の葉君璋選手とか、顔が痩せてて梶山義彦さんとそっくりに見える20歳の陳瑞振選手とか、今見ると結構おもしろい。みんな若いな~)その後は古本屋さんを回ったりしてみたけどバックナンバーはなかなか見つからず。ようやく5年くらい前かな、神保町の古本屋さん(←たぶんビブリオ)に結構昔のバックナンバーが置いてあることを見つけ、歯抜けを埋めるとともに第3号まで買いました。いくらかはもう忘れちゃったけど、古い号は結構高かった。定価より高い値段で買ったような気がします。ありがたや、古本屋さん。で、何でこんなことを書いているかというと。[記事]立教新座の新監督にアトランタ五輪代表(スポニチ)高林孝行さんが母校の監督になるとのこと。高林さんの古書店は行ったことないですけどね(仏教書が中心なのだそうです)。
2011年01月07日
コメント(0)
本拠地を高雄から桃園に移すことに伴い、チーム名称を変更するとされていたLanew熊隊。今日、新チーム名が発表されました。"Lamigo Monkeys" になるそうです。LamigoというのはLa newの子会社で、結婚式場などを経営している会社らしい(←あってますか?)→[記事]中華職棒/熊變身「桃猿」 劉保佑宣誓永續經營(NOWNews)(big5)前から言われてはいたけど、本当にサルになったんだ。これで今後は「熊隊」じゃなくて「猿隊」と書かなくてはならなくなりました。「猿」になった理由として、熊は高雄の「雄」から取ったもので(音が同じ)、今回も桃「猿」だからって聞けばナルホドね、とは思います。でもな~、もしアナタが応援している球団が、来年から名称変更でモンキーズになります!ってことになったら…。うーん、ちょっと脱力?まぁ慣れの問題ですかね~。台湾では猿のイメージも日本とは違うのだろうし。(どうも、野球でモンキーズというとイースラーの物真似で落とされるお笑い芸人の人達を連想してしまう)「猿隊」になるかも知れないってことは前から言われてたことではあるので驚きはしませんが、ちょっとびっくりなのはこっち。球団のペットマーク。→[記事]中華職棒/桃猿吉祥物猿氣小子 期待進入球場變身大金剛(NOWNews)(big5)ううっ、コワイヨー。失礼ながら、子供が見たら泣きそう。マジッキーみたいな可愛いのを想像していたのに、真逆だわ。説明を読むと、普段は冒険好きのかわいいお猿さんなんだけど、球場に一歩足を踏み入れるとこのペットマークのような「大金剛」に変身するんだって。下に"LIVE A WILD LIFE"って書いてあるし、野性味あふれるキャラクターってか。「猿隊」も、野性味あふれる野球を目指すんでしょうか。ユニフォームも発表されまして、こちらは比較的オーソドックスな感じ。ビジター用がどうなるのかが気になる。→[記事]中華職棒/熊變身桃猿 新球服亮相 黒藍紅象徴微笑事業(NOWNews)(big5)●荘勝雄さん技術顧問にその新生「猿隊」に、さっそく日本関連のニュースが。莊勝雄さんが猿隊の技術顧問になり、もうすぐ始まる春季キャンプの全日程に参加。シーズン中や秋季キャンプにも指導に来られるのだそうです。→[記事]中華職棒/莊勝雄任技術顧問 Lamigo Monkeys訓練利多(NOWNews)(big5)最後のほう、千葉ロッテ球団と「長期合作的可能性」って書いてあります。莊勝雄さんは千葉ロッテから派遣されるっていう形なのでしょうか。もともと「熊隊」と千葉ロッテって呉偲佑投手が移籍するときに提携してたはず。あれってまだ有効? そして今回モンキーズになったので、頭文字が"M"で千葉ロッテと同じに。今後、より関係を深めて行く方向ってことなのでしょうか。こちら方面の展開もちょっと気になります。
2011年01月06日
コメント(5)

何だか例年よりずいぶん短く感じたお正月休みも終わって、私も今日から仕事始め。久しぶりに事務所へ。そしたら共用机の上に営業さんが得意先からもらって来たカレンダーが山積みになってて、「ご自由にお持ちください」状態。その中にNTTのカレンダーがあったのでもらって来ちゃいました。イチロー選手のカレンダー。家族にイチロー選手好きがいるのでちょうどいい。ミーハーだなぁ。でも彼はオリックス時代のタオルやうちわとかも大事に持っているんで、私よりはミーハーではないらしい。私はこれが北道貢選手や小石博孝投手がにっこり微笑むカレンダーだったらもっと良かったのにな~、なーんて。さあて、どこに貼ろうかなぁっと。●佐々木誠さん、移籍NTTつながりで、この記事を。セガサミーの監督を退いた佐々木誠さんがNTT西日本の打撃コーチになるそうです。→[記事]佐々木誠氏 NTT西日本の打撃コーチ就任(スポニチ)NTT西日本の公式サイトではまだ何も書いてないみたい。そのうち監督になるとかなのかしらん。佐々木さんとNTT西日本ってどういうつながりなんですかねぇ。佐々木さんは元南海、元阪神だから大阪・関西に縁があるのはわかるけど。●おまけカレンダーの話をもう1つ。お正月に親戚巡りをしていたところ、新日鐵のカレンダーを持っている家が。「どこからもらって来たんですか?」って聞いたら「新日鐵の株を持ってるのよ」。そのときはへー、としか思わなかったけど、あとで調べたら7000株以上持ってるとカレンダーが送られて来るんだって。7000株…。そんなに買えないよ。あの家は結構金持ち?なお、新日鐵のは無難な動物カレンダーでした。
2011年01月05日
コメント(2)
日本でもぼちぼち主要スポーツ紙で記事になり始めた陳冠宇投手。日本の報道だと中日が最も積極的なような印象を受けますが、台湾の記事を見ていると横浜が最有力なのかな?今日はこういう記事が出ていました。→[記事]潛力股陳冠宇 可能加盟横濱(中央社)(big5)前半部分をざざざっと適当に。間もなくまた1人の台湾人選手が日本プロ野球入りする。今日、左腕の陳冠宇が証言するに、すでに横浜から条件提示を受けており、もしそれ以上の条件を提示する球団がなければ横浜入りを選択するだろうと。陳冠宇への夜間の電話取材によれば「2球団から具体的条件提示あり」。この2球団とは横浜ベイスターズと読売ジャイアンツで、陳冠宇が言うには横浜のみが「支配下選手」契約の提示である。彼は高校卒業後に横浜のテストを受けており、かつ契約内容も良いので、もし他により良い条件を出す球団がなければ横浜入りするだろうと話す。読売巨人の提示は育成選手契約で、加えて巨人にはすでに3人の台湾人選手がいる。郭泰源は陳冠宇に建議するに、もし巨人へ行ったとすると彼らと排除し合うことになるかも知れないと。日本メディアは今日、中日ドラゴンズが育成選手契約を提示したいと報じているが、彼は「中日は12月に接触があったが、今のところ条件提示はない」という。というわけで、彼の獲得を狙っている各球団の提示は、横浜=支配下契約、巨人=育成契約、中日=条件未提示(日本の報道では育成契約)であるので、このままだと横浜だよ、という記事。今のところ他に似たような内容を報じている記事は見つからないけど、本人に取材して聞いてるみたいですから信憑性はありそう。文中、いきなり郭泰源さんが出て来て「おやっ」と思いましたが、今年の代表チームで投手コーチとして陳投手の面倒を見ているので、進路についても相談に乗ってるってことなんでしょうか。(なお、訳を端折った部分に巨人の黄志龍投手が出てくるのは高校と大学の先輩だから)で、記事中、日本メディアが中日が育成契約を提示したいと報じているというのはこのあたりでしょうか。→[記事]チェン後継候補に台湾国立学院在学中の左腕(スポニチ)→[記事]“チェン2世”台湾出身左腕の陳冠宇を獲得へ…中日(スポーツ報知)まだ高校を出てから1年半ほど、大学2年生と若いので育成で、ってことなのかも知れませんが、陳投手の大学や国際大会での実績を考えれば支配下でも全くおかしくないと思いますけどね~。特に横浜の場合はすでに在籍している王溢正投手が支配下で、陳投手が育成っていうのは実績的に「?」って印象を受けますので支配下を提示せざるを得ない?(王投手には悪いけど)まぁどのチームになるにせよ、間もなく正式に決まりそうな感じです。新しく日本に挑戦する選手がいれば、一方でこんなニュースも。陳冠宇投手にとって旅日組の先輩に、そして大学の先輩にもあたる姜建銘投手が野球界から完全に引退してサラリーマンになるという記事が。→[記事]25歳姜建銘 棄棒球轉戰珠寶界(聯合新聞網)(1/3)(big5)姜投手は牛隊を解雇になったあと、再出発を期して最近は桃園航空城チームに合流、フォームも元の投法(たぶん上投げのこと)に戻して練習していたそうです。が、チームの枠に空きがなく、長いこと考えた結果、台北市の宝石貿易会社で働くことに決めたとのこと。航空城チーム側は母校の大学に戻って短期コーチになることを薦めたそうですが、本人は野球界から離れることを選び、小学校から16年間続けてきた野球の道をあきらめることにしたのだそうです。航空城がダメでも他のチームなら空きがあるかも知れないのでは? とも思いましたが、航空城のような自治体の社会人チームは設立当初は元プロ選手が大勢いたけど、今は棒球協会の規則により現在は元プロ枠が段階的に狭められているところ。元プロ選手はなかなか新規に所属するのが難しくなってるんでしょうか。しかしまだ25歳ですかぁ。記事中でも航空城のコーチのかたが球界から去ってしまうことを惜しんでいますが、ホント早すぎます。私がこのblogを始めた6年前はまだ日本へ行く前で、将来が楽しみな「希望の星」だったんですけどねぇ。
2011年01月04日
コメント(5)
お正月の我が家は例によって親戚巡りです。行く先々で毎日お酒を飲まされて眠い。で、お出かけ先で読んだ元日付けの読売新聞にこんなことが書いてありました。去年も「シリウス」がクラブ登録するっていうネタを提供してくれた読売新聞、今年のネタは「巨人が社会人野球の大会を開催」でした。・巨人が8月にジャイアンツ球場で社会人野球大会を開催・期間は8月12日から3日間、8チームでのトーナメント・社会人からの出場チームには都市対抗に出場するチームなど、関東近郊の強豪が含まれる予定・巨人からは二軍または今年発足の「第2の二軍」が出場・JABAの公式大会となり、プロ球団主催による史上初の社会人大会となる見込みなかなか興味深い内容ですが、これだけの情報だと「巨人が主催」なのに「JABAの公式大会」ってどういうこっちゃ? とか、出場チームの本拠地グラウンドで公式戦とかアリ? とか、いろいろ疑問は湧くのですけども、それは置いといて。開催時期はお盆どきとのこと。お盆の頃ってクラブの大会はあるけど、企業が出る大会って今までなかったはず。関東で都市対抗に出るチームでも、北海道にも高山にも行かないところは予選と本大会の間の2ヶ月くらい何もないわけで、公式戦の試合経験って意味では良いのかも知れない。応援する側としてもオープン戦よりは情報が入りやすそう。巨人のファームと対戦すると、公式サイトで相手チームのオーダーなども含めて結構詳細にレポートしてくれますし。特に東芝は今年の都市対抗には出場が決まってて、予選に出る必要がないとすると5月から本大会まで3ヶ月くらい公式戦が全くない、のかな? 神奈川県内で公式戦をする機会もこれで補えます(←出場するなら、だけど)。そして8月12日からとなると、もう補強選手が合流した後ですか、これは。補強選手の合流時期に制限がかかって以来、なくなっていた補強アリの公式戦。この巨人主催の大会が補強アリとなれば、本大会の前哨戦としてまた面白そうではあります。他に、紙面に書かれていた内容として、・今年は巨人二軍が社会人の地方大会に出場・昨年「シリウス」が社会人大会に2つ出場したが、今年は巨人のファーム組織が4つの大会に出場とのこと。巨人はすでに育成選手だけで20人以上いて、「シリウス」にしなくても一チーム組めちゃうみたいです。ソフトバンクや阪神も育成選手が増えて、社会人との試合を積極的に組むって話らしいですねぇ。こうしてプロチームが出場する大会も珍しくなくなって来るのかも。
2011年01月02日
コメント(0)
新年明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。本当は去年のうちに書こうと思ってた、昨年の台湾球界の10大ニュース。年末最後の最後になってから陽森選手・曾翊誠投手の解約とか、牛の身売りの噂とか、本当だったら10大ニュースに入りそうな記事も出てるんですが、当然それらは入ってないけど12月30日付けの聯合報にライターのかた(?)が選んだ恒例の10大ニュースが掲載されております。まずは職棒の「10大新聞」。→[記事]2010中華職棒年度10大新聞(聯合新聞網)(big5)(12/30)1.シーズン前は低評価だった兄弟象が奇跡の總冠軍2.驚きのトレード、張泰山が統一獅へ。コーチ兼任を断ったため3.葉君璋が解雇されて兄弟象へ。選手会の会長だったことが解雇理由になっていると認められ興農牛に罰金4.黄甘霖291盗塁の新記録。オフに引退し300盗塁はならず5.潘威倫100勝達成。韓国プロ野球へ転戦か?6.象の陳瑞振監督、試合中に黄仕豪をぶん殴って6針縫うケガさせ2試合の出場禁止と罰金5萬元7.3連覇中だった獅の林増祥代表が電撃辞任。放水事件との関わりを指摘されたからとのことだが真相は闇の中8.陳[金庸]基ら旅外復帰組が多数12月のドラフトで職棒入り9. La new熊が本拠地を高雄から桃園に変更。新チーム名とユニフォームは年明けのお楽しみ10.昨年発覚の放水事件、今年になってからも廖于誠、陳致遠ら多くのスター選手が巻き込まれる昨年の年明けは10.の余波で残念なニュースが続いたものの、近年立て続けに発覚していたイヤな事件は去年は起きませんで、比較的「普通のニュース」が並んでいる印象。まぁ本当はそれが当たり前にならないとおかしいんだけど。個人的に印象深かったのは1.と2.と、あと9.かなぁ。象さんが優勝するなんて全く思ってなかったもんね。あと、これに加えるとすると「観客動員が寒かったこと」。昨年比30%近く減で1試合平均2690人だそうで。年末になってちょっと心配なニュースがいくつか出てきてるのは、元をたどればこうして動員が振るわずに球団の収入が減ったことが原因の一つじゃないかと思えるので。こちらは海外も含めた10大新聞。→[記事]2010台灣棒球年度10大新聞(聯合新聞網)(big5)(12/30)1.郭泓志が大活躍。対左打者36打席連続無安打の記録2.アジア大会銀メダル。林威助・許銘傑らの落選には議論も3.王建民がナショナルズへ。しかし秋に指導聯盟で登板したのみにとどまる4.チェン(陳偉殷)が中日に残留。メジャー挑戦は来年に5.陳俊秀がマイナーで活躍。フューチャーズゲームにも出場6.高校野球で活躍した林子偉、すでにヤンキースと契約済みとの情報で違反ではないかと騒ぎに7.黄平洋が台北市会議員に当選。職棒界からは初8.ドジャース来台試合。3試合の予定が1試合が中止、成績は1勝1敗に終わる9.最後の洲際盃。ニカラグア代表の選手が大会期間中に性犯罪を犯した疑いで起訴10.元TMLの社長、陳進堂氏が死去去年は王建民投手は残念でしたけども「旅外組」は日米で活躍。一方で中華隊はいま一つだったか。日本で行われた世界大学野球選手権ももう少し上位に入ってればランクインしたかなぁ。今年はWBCの予選が台湾で開かれるとのこと。世界盃のほうはIBAFの方針次第で開催かどうか決まるそうですが、どうなるのでしょうか。今年もいいニュースが上位に入るようになって欲しいものです。
2011年01月01日
コメント(0)
全25件 (25件中 1-25件目)
1