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桜が満開の4月12日、義母が逝きました。 先週、金曜日、一時帰宅をしました。上の写真のように、今年もきれいに咲いた自宅近くの桜を見せることができましたし、仲のいい近所の友達とも久しぶりに話ができたのですが、実際、家に帰れるギリギリの状態だったようです。翌日の土曜日には、予定より早めて昼には病院に戻りました。自分から、「しんどいから病院に早く戻りたい」と訴えたためです。その後は、ほとんど意識がなくなり、医者からもあと2~3日もたないだろうと、言われたそうです。その言葉通り、11日月曜日の夕方、付き添っていたカミさんから、涙声で、朝までもたないかもしれない、と職場に電話がありました。病院に駆けつけると、義母の兄弟姉妹たちも集まっていました。義母は、酸素マスクや何本かのチューブにつながれていましたが、脈や呼吸は安定しているようでした。息子の学校もあるので、わたしは夜遅く帰宅しましたが、早朝、4時すぎ、とうとう旅立ったとの連絡がありました。すっと、火が消えるような静かな最期だったそうです。昨年、7月末、緊急入院してから8ヶ月あまりの闘病生活でした。病名は、「急性骨髄性白血病」いろいろな治療を試したのですが、どれも効果が長続きしませんでした。「なんで、わたしがこんな病気に・・」と、しょっちゅう嘆いていたそうです。わたしは、実母も、1年間の闘病の末、ガンで亡くしていますので、同じようなめぐり合わせに言葉もありません。71歳友達も多く、世話好きで明るい義母でした。はっきりした物言いで、時には厳しいことも言われましたが、孫思いの優しいおばあちゃんでもありました。抗がん剤の影響で髪の毛はすべて抜け落ちていたのですが、帰宅したときには、かつらをかぶせてもらい、普通に眠っているような、穏やかな顔をしていました。少しでも長く家に置いてやりたい、という義父の願いもあって、通夜は14日、葬儀は15日に執り行われました。これまで自宅での葬儀ばかりだったうちの組では、初めての葬祭会館利用です。義父の仕事の関係もありましたが、義母の人柄と交友関係の広さもあったのでしょう。通夜、葬儀あわせて、延べ800人以上の参列者がありました。葬儀の間、気丈にしていたカミさんや義妹ですが、斎場での最後の別れのときには、取り乱し泣き崩れる姿も見せていました。普段はおちゃらけているか、ふてくされてばかりのうちの息子をはじめ、孫たちも、口数少なく、目を真っ赤にしていました。みんな、おばあちゃん子でしたから、さすがにショックだったのでしょう。また、喪主として終始忙しく立ち居振舞っていた義父も、一連の行事を終え、静かになった自宅の仏壇の前で今朝も一人泣いたそうです。妻に先立たれた男は、一気に老け込むといいますが、義父がちょっと心配です。盛大だった通夜、葬儀の裏で、地域のしきたりや、長老たちとのトラブルで、カミさんや、わたしもずいぶん悔しい思いや納得できないこともありましたが、そのことは、また、おいおいと愚痴るつもりですので、きょうのところはここまでとします。
2011年04月16日
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つい最近までつぼみだった桜が、一気に満開近くまで咲きました。夜桜にはあいにくの雨模様です。桜前線、早く北上して、被災地のみなさんの目を楽しませてほしいものですね。新しい年度がスタートして、仕事上でも新体制での業務が始まりました。なかなか思うように仕事が回らず、かなり凹み気味です。そんな中、今日は、息子こーちゃんの高校入学式。制服がブレザーなので、朝、ネクタイを締めるのに四苦八苦してました。帰ってから聞くと、新しいクラスには知っている子が少ないそうで、不安がってました。これから新しい友達を作ればいいじゃんって励ましましたが・・・・入院しているおばあちゃん(義母)が、今日、8ヶ月ぶりに一時帰宅しました。さっきまでいっしょにいたんですが、病気のせいか、かなり人相がかわっていて少し痛々しかったです。明日には病院に戻りますが、おそらく次に帰ってくるときは「無言の帰宅」になると思います。
2011年04月08日
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