2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全22件 (22件中 1-22件目)
1
私が乗っているレーシングでない方の船のエンジンはディーゼルです。前に乗っていた車のエンジンもディーゼルでした。確かに音は少し大きいが、構造が単純なだけにこのエンジンは故障が少ない。最近のディーゼル車はエンジンを切る時、ガソリン車同様キーを回して止めるが、以前はチョークのようなものを引いて止めていた。そのチョークを引くと、それにつながっているワイヤーがエンジンの燃料供給弁を動かし、エンジン停止になる。船では、故障の少なさが買われてか?今でもエンジンはディーゼルが主流です。そのエンジン停止は、今でもチョークのようなものを引っ張って止める。我が艇のそれが、引っ張っても中々止まらなくなってきた。船のメーカーのヤマハさんに聞くと、そろそろ交換した方がいいような感じです。そこで本日、そのワイヤーを注文した。前から気になっていたのですが、使うのは週1日くらいで、イザとなったらエンジンカバーをはずしてレバーを引いて止めたらいいだけなので、のびのびになっていました。今度とその次の土曜日に、母校中学のヨット授業の今年の最後を飾って、クルーザーに生徒さんを乗せることになり、にわかに、直すところは直そうという感じになってきた。ヨット部OB関係から3艇クルーザーを出すのですが、ちょっと張り合ってるのかなあ?新しいセールも注文しちゃったし・・・それでも、時間に追われて、にわかやっつけ仕事をしたら、生徒さんに迷惑をかけるので、日曜日に落ち着いて仕事をすることになるでしょう。できれば次の日曜日にしておいて欲しいが、その日私は琵琶湖行きで欠席なので、何となくその次の私がいるときになりそうな予感がします。なんと言っても、船内を這いつくばってワイヤーを通すことになりそうで、一番若手の私にその仕事を残していただけそうです。ありがたいことです?ありがたくないなあ。セール屋さんに指摘された、「マストがちょっと曲がって立ってるんじゃない?」に呼応して、きちんと真っ直ぐにマストを立てる方法や、目安の数字も私が問い合わせたので、その仕事もやることになるだろうな。多分この2つで1日がつぶれ、試験運転で沖を回って、その日はおしまいになりそうです。レースの方の船も、来春まで使わないので、冬眠の支度をしてあげないとかわいそう。船は遊びやレースの時間と同じ位、整備している感じです。これが好きな、あるいは苦にならない人が、集まってくるのでしょう。これを考えると、メンテナンスなしに毎日動きつづける車はすごいなあと思うが、反面機嫌が悪くならないので、修理することもなく愛着が船とは雲泥の差かもしれません。
2005/11/30
コメント(6)
昨日、日中家内から電話が入りました。家内のおじさんが亡くなったそうで、お通夜に行くことになりました。義理母の兄弟の旦那さんが、ご病気で亡くなりました。親戚の中ではうちが一番近く、斎場まで車で30分かかりません。私は仕事の関係で1時間ほど遅れたのですが、家内は間に合ったそうです。斎場に着くと、ガードマンが多く出ており、駐車場は満杯で、ちょっと離れた駐車場に誘導されました。一連のお寺さんのなんだかんだは既に終わっており、受付も人がまばらです。A会社関係、B会社関係とあったので、2つの会社をしていたのかなあ?貿易会社をしているのですが、別会社で新たな事業展開もしているのかもしれません。おじさんの遺影の前にズラッと並んだ椅子は、もう誰もおらず、係の方の誘導でお焼香し、親戚の集まっている部屋に向かいました。義理母を筆頭に、家内の関係の親戚がたくさんいます。結婚の時、嫁入り道具をトラックで運んできてくれたおじさん夫婦もいます。ここは卸売市場を経営しており、野菜などをスーパーに納品するトラックを持っています。その日は積荷が野菜からタンスに変わって、笑顔で持ってきてくれたのを思い出しました。お寿司などをみんなで食べたのですが、ちょうど隣が、化粧品屋さんをしているおじさん夫婦。私は、家内と付き合い始め、すぐに家に挨拶しに行きました。その前の人の家にもすぐ行ったのですが、本人同士が良ければいいという考え方が出来ず、「送って行くわ」と行って、ご両親に挨拶して、一緒に食事したりして、家族にも私を知って欲しいと思う方です。わけのわからんヤツから突然電話がかかってきても不安だろうし・・・なんて考えてしまいます。家内の実家に初めて寄った時、肉を山盛りで歓待されました。肉より魚の方が好きな方なので、食傷気味でしたが、嬉しかったですね。僕の事を親に、大切な人って紹介してくれていたのかなと。翌月には、デートが親戚回りになりました。卸売り市場さんにも顔を出したし、今回ご不幸のあった貿易会社さん、呉服屋さん、化粧品屋さん・・・おじさん・おばさんに挨拶し、家内の従兄弟達とも話しました。スキーに一緒に行ったこともあったっけ。家内の親戚はみんないい人達で、商売人ということもあり、気さくに話し掛けられ、こんな人たちの仲間はいいなと思ったものです。結婚式の時は、家内の親戚みんな知ってたし・・・さて、焼香をして親戚の部屋に入ると、なぜかみんな笑顔、笑い声も聞こえます。子供も多かったというのもあるでしょうが、いくらご不幸の集まりだとしても、みんながうなだれていては辛いです。しばらくすると喪主である長男さんが入ってこられ、「すいません、駅まで皆さんを送ってきました。遠慮なしに食べてください」と、ちょっと笑いも交えた挨拶。子供たちに、「はよ食べておなかいっぱいになったら、おじいちゃんのとこに行っといたり、おじいちゃん1人でかわいそうやで・・・」この部屋にモニターがあり、ずっと祭壇の様子が写っています。楽しいおしゃべりのうちに自宅に帰る人たちはお開きになり、私たちはそれで帰ってきましたが、義理母などは、まだまだしゃべり足りないようで、みかんやお茶を持って宿泊する部屋の方に移動です。この人たちと近しくなって、よかったです。今回はうちの子は家におらず参加できませんでしたが、こういう親戚の集まりの雰囲気で、人格の一部が形成されるから、親戚の雰囲気はとても大事だと思うんです。
2005/11/29
コメント(10)
昨日は、次男の全日本最終日でした。再び船を琵琶湖に運ぶべく、昼前和歌山に入りました。4日間の日程でしたが、風があまりなく、3日間で4レースしか終わっていませんでした。本当なら、もう10レースくらいは消化しているはずなのに・・・レースの結果も気になりますが、せっかく高いレベルの選手が集まったのだから、たくさんレースを経験できたらいいのに・・・でも自然相手のスポーツなので仕方ありません。全国から集まった60艇を、最初の4レースの結果から上位のゴールドフリートと、下位のシルバーフリートに分けます。その後のレースを、ゴールドだけ、シルバーだけで決勝シリーズにする事になっていましたが、決勝が最終日1日だけになってしまいました。でも最終日は、いい風が入り、表彰式の関係で午後1時までしかレース時間がないのに、一気にシルバーは3レース、ゴールドは4レースすることが出来ました。次男君は、今年は今一で、総合37位でした。といっても全国で37位ってすごいと思いますが、去年が10番台だったので本人は不満でしょう。私は、サングラスを忘れてしまったので、帰りの運転を考えると、海上に出て目を酷使する気にならず、知り合いのお母さん方とハーバーでしゃべっていたのですが、帰ってきた次男が私を見つけて、「あかんわ」と笑っていました。真剣に目をむいてやるのもいいですが、仕事ではなく、オフの楽しみなので、こんなんでいいと思いますし、こんなんが好きです。「先週クルーザーレースやったんやろ?どうやったん?」「優勝したで」とても面白かったようで、いろいろ話してくれました。無事船も琵琶湖に戻し、今朝メールを開くと、先輩からKGvsRitsアメリカンの試合観戦記が届いていました。昨日、KGとRitsが全勝で最終戦対決でした。勝った方が優勝で、来月の甲子園ボールで関東大学No1と日本一への対決です。3年連続Ritsが出場しているのですが、下馬評では今年は母校の方が強いみたいで、勝つだろうと思っていましたが、観戦記によるとずっと押されっぱなしだったそうです。一応、ここは勝って、甲子園ボールに観戦に行って、関東にも勝って、それを肴に船で鍋忘年会という予定になっていたのですが、もろくもここで崩れてしまいました。先輩からのメールによると、アメリカン観戦がなくなったので、午後からセーリングして、やけ鍋忘年会になるそうです。残念。
2005/11/28
コメント(0)
私にとっての今週のトピックスは、映画「ジョーイ」のビデオをとうとう手に入れたことです。全米学生アメリカンフットボールMVPを獲得したジョンキャパレッティの実話ですが、私の中では、今まで観た映画でトップ5に入ります。学生時代に観たと思うのですが、キャパレッティがまだプロフットボールの確かラムズ?のクォーターバックの現役選手で、プロでもMVPを取ったと記憶しています。この映画で一番惹かれたのは、父親の生き方で、地味な仕事をしながら、白血病で苦しむキャパレッティの弟とスパースターのお兄ちゃんを等分に応援する姿でした。母親が弟君の前では気丈にしているのですが、夫婦2人になるとその不憫に涙します。それを温かく慰めながら、弟君の少年野球のサポートを毎週日曜日にします。三振やポロばかりする息子に小言を言わず、穏やかに励まし続けるのがかっこよく、あんな親父になるぞと思いました。私が私立中学に入学した時、保証人が必要で、親父の友人の方になってもらいました。「いいよ」と気軽に判をついてもらった書類を持って帰る車の中で、親父から言われた言葉が今でも頭に残っています。「おまえが学校で何かを壊したら友人に迷惑がかかる。もし牢屋に入るようなことになったら、友人にあわす顔がない。俺はおまえを絶対に赦さない。警察に行っておまえを殺し、俺も死ぬ。わかったな」と言われました。育った時代の違いとしか言いようがありませんが、「おまえを殺す」の言葉に、父を恐ろしいと思い、自分の味方ではなく、遠くに離れていくのが分かりました。「そんなことするわけないやん。僕が信じられないの」と言おうと思いましたが、「うん」とだけしか言えませんでした。一度もそんなことしたことないのに、親に信用されてないと思い、がっかりしました。「保証人になってもらえてよかったな」ただこれだけで十分だと思うし、わが子には何も言っていません。その時、保証人の何たるかがわからなくても、いずれ知って、その時の親の行動や言動の奥にある信用の心を知ります。これで、キャパレティさんの親父さんを時々観ることができるようになりました。
2005/11/26
コメント(6)

今日もまた、23日の次男の船運びの続きです。無事ハーバーに着きました。トレーラーを停め、船の降ろしは若い者い任せ、見渡すと既についている見知った顔がチラホラ。受付を見に行くと、和歌山ジュニアのお母さんがお子さんと一緒に受付担当のようです。「こんにちは」「あら、息子さん出られるの?」部屋を出ようとすると、「やあ、のりまきさん」と県連のレースでいつも汗をかいていらっしゃるYさん。「あれ、出るの?」って、高校のときのライバル校の同期。高校のときは彼にいつも勝てなかったけど、偶然子供も同じ年で、リベンジをしてくれている。今はもう何でも言え、無理も聞いてもらえる間柄。建物を出ると、江ノ島からの遠征お母さん。中国でのワールドでも一緒だったので、「・・さん」「あらまあ」その方の息子さんも次男と同じヨットに乗っているので、去年の全日本でもご一緒でしたし、年に数回いろんなところで会います。勤続何年とかいう休暇をもらい、旦那さんも週末に合流するそうだけど、「夫婦揃ってどこかに行けばいいのに、何処も思い当たらず、結局子供のお供なんですよね」って、笑っていらっしゃいました。でも、宿泊はチームから離れて、この辺で一番豪華なホテルに泊まるそうです。「豪華ですね」って言ったら、「でもね、帰りは私がトレーラーを引っぱっての運転よ」って、硬軟取り混ぜお母さんはたくましいです。向こうからやってきました優勝候補。先月のオリンピックウィークでも優勝し、今一番速いんじゃないかな。琵琶湖ジュニアのOBで、次男と同じ高校のヨット部の先輩。「こんにちは、今日来たんですか?」ってサングラスをはずしながら声を掛けてきました。何てったって、こっちはあんたらの北京オリンピックキャンペーンの資金作りTシャツに、ちょっとだけど協力したからね。スポンサーには頭が低いのですって、今までもハーバーで気軽に話せるいいヤツです。「お父さん、金曜日から来るんだってね」と振ると、「そうなんですか、知りませんけど。こっちは狙ってるんで集中したいから、どうでもいいんだけど」何か、次男に言われているようです。大体、こんな感じになってるんですよね。自分の物が出来てくると、手伝いが欲しい時だけ必要で、その他は遠くで見てもいいけど、レース期間中に声を掛けたりして欲しくないみたい。でも知ってる大人には、気楽に声をかけるんですよね。親子って微妙、特に男親はそう。今だって、運転が終わったら次男達が船を降ろす間、こうやって離れている。男だから、親が横にいるのは・・・なんて彼のプライドを傷つけないように気を使っています。ということで、船も降ろし終わったようですし、煙たがられない前に退散です。チームに戻ると、何やら嬉しそうに、でっかいステッカーを船の前に貼っています。KIRINがスポンサーのようで、全艇貼らないといけませんが、3年生の子が、「これかっこよくないですか?2艇揃って全日本帰りと分かるし・・・」中々出場できない勲章をもらったようなもので、学生のレースでもそのまま出るのでしょう。「前を走ってたらかっこいいけどなあ・・・」と口から出かかりましたが、慌てて飲み込みました。きっと前を走るでしょう。「そしたら帰るわ、また日曜日来るし」「うん」って次男。「ありがとうございます」って、よそのお子さんから大きな声を掛けてもらった。みんながんばってね。おっちゃん達の隠れ家
2005/11/25
コメント(0)
昨日に続き、次男全日本船運びの巻の続きです。車を借りたお宅で長居をしてしまって、次男から電話が入りました。「仕事の後、京都に寄って車を交換し、それから行くから10時過ぎかなあ」なんて言ってて、電話が入ったのは10時半。京都に着いたのは9時半だったから、1時間も道草してしまっていた。次男君達には悪いことをしてしまったが、次男からの電話の言葉には、ちょっと嬉しかった。「順調に行ってる?」ただそれだけ。多分車が着いたらすぐに積み込み作業に入れるように、リーダーになってみんなで準備していたはず。まだか、まだか、と待っていたはず。艇庫の横だから、寒空で待つ必要はないけど、イライラし出した子もいたかもしれない。こういう時って、相手の都合を分かっていながら、自分の都合でも言葉が出がちです。「もう用意できてで・・・30分過ぎてるけど、どうなってるの?・・・早よしてや・・・」「順調に行ってる?」ただこれだけ。「今何処?あとどれくらい?」などはなく、ただこれだけ。自分の思いを、相手を気遣う言葉の裏に隠している。裏の言葉はみんな受け取ったよ。「御免、今京都やねん、あと30分くらいで行けるわ、悪いなあ」「うん」車をお借りした方も、息子の言葉を聞いていないが、電話が入った時点で、「引き止めちゃって、すんませんでしたなあ」「長居してしまってすいませんでした。奥さん、美味しいお茶ありがとうございました」「また来てくださいね」心のやさしさが伝わる会話でした。あの人も、大きな商売ができるわけだなあ・・・と京都の方を思いました。親子だから、もっとストレートな言葉を使っても赦されるだろうに・・・次男もしっかり生きていけるだろうなあ。きちんとした生活を続けていくためには、「人当たり」が最も大切だと思っているのだけれど、いろんなことで身に付いていってるようです。火曜日の晩、車で次男君大の艇庫に、予定より遅れて駆けつけると、早速みんなが出てきて船の積み込みです。翌日が祝日で練習なので、部員のほとんどが前日から来て泊まるようです。トレーラーに2艇、私のと同じようなワンボックス車なので車の上に1艇、それにマストをくくり、セール・ブーム・ラダー・・・いろんなものを積み込みます。今回は、R大の子の船も一緒に積みます。嬉しいことに女子チームの船でした、って何がうれしいか分かりませんが、やはり嬉しいです。理屈ではありません、本能です。翌朝が早いので、この日は、そのまま艇庫に泊まりです。積み込みが終わって、コンビニで買ってきた冷たいお弁当を食べようとすると、ラーメンを作り出す者や、24時間営業のお店に食べに行く者など、いろいろです。「布団、どれ使ったらいいのかなあ?」「どれでもいいですよ、くさるほどあります」って、本当に腐っているのもありそうです。何処の学校のヨット部でも、似たり寄ったりで、いつでも誰でも泊まれるように、布団は多くあります。歴代の卒業生が、実家に布団を持って帰るのが面倒で寄付していき、いい天気の日は干していますので、寝れないことはないですが、大掃除で廃棄処分になる布団が出て、自然淘汰されます。多分女子部屋のはいいような気がするのですが、こっちは当然無理です。「寒いですよ。敷き布団を敷いて、その上に寝袋に包まり、毛布・掛け布団というのが定番です。裏技は、布団の置いてあるところへのもぐりこみです、これはかなり暖かいですよ」と教えてもらったとおり、定番の寝方をしました。以外に寒くなく、外出組が帰ってくる前に寝てしまいました。学生時代の合宿で、ヘトヘトに疲れて食事をし、睡眠をとり・・・鍛えられたからな。慣れてしまったという表現が合ってるかも知れないけど、味や布団の薄さに関わらず至福のひと時だったから平気になっちゃったのかな。学校の女子学生が、全員1ランク美人に見えるという副作用?もありました。翌朝5:30に目がさめました。誰かがお米をといでいます。食事当番、食当ってやつで、大学1年の時はローテーションで回ってきました。私の大学では、ご飯と味噌汁に卵・のりが朝食の定番で、4年間変わりませんでした。ここでは、ご飯だけを当番が炊いて、おかずは各自が作ったり用意したりするようです。以前に焼き海苔を大量に寄付したりしました。その物音で目がさめ、真っ暗な外に出て、対岸の光を見ながらゴソゴソしていると、どこかで目覚まし時計の鳴る音。6時です。遠征に行かないメンバーが眠そうな目で起きていて、艇庫のドアを開け、船を運び出します。これから、セールのセットなど、ざっとヨットが出られるように用意するようです。その間にご飯が炊き上がり朝食にするのだなあ。私の昔の記憶が甦ります。この時間を急いでやって、朝食までの時間を確保したら、1・2年生で出艇です。レギュラー練習では、乗れないこともあるので、貴重な練習時間です。たった15分くらいですが、積み重ねるとかなり違います。朝食を終え、朝のお勤めが済むと、大体通常の陸上トレーニング時間になり、すぐに海上練習開始になります。一生懸命練習したよなあ・・・あれをしたおかげで、今でもまるで自転車に乗るごとく、1年ブランクがあろうともすぐに乗れてしまいます。別の形のヨットに乗っても、すぐになれることが出来ます。これで、どれだけ私の人生に彩りが出来ただろう、ありがたいことです。遠征組は、船の最終点検です。一応2校の合同遠征で、私が圧倒的に年上なので、みんなを集めて、最終確認です。船・セールの計測証明、緊急の時に使うアンカー(いかり)、これも緊急用の曳航8mmロープ10m、道路ルートの確認もしました。トレーラーの後に1台つくこと。物を落としたり、ロープがほどけそうになったらすぐに気づかないといけません。高速に乗ったら最初のSAで止まり、不具合を点検する。最後のインターを出てから、大会会場まで迷わないように、この車についてくるように。
2005/11/24
コメント(6)
昨夜、仕事を急いで切り上げ、京都に急ぎました。ヨットの全日本のために次男の船を運ぶためです。トレーラーを引っ張る装備の付いた車と交換するためです。ジュニアヨットの知り合いで、中学生と大学生のお父さん。お兄ちゃんの方は、小学校の先生になるために、関東のその世界では有名な大学に通っています。小学校6年の時は、1年間ヨットの世界から子供が消える中学受験組のお子さんで、同じ境遇だったので、別のクラブでしたが、妙に話が合う方です。交換してすぐに琵琶湖に行く予定でしたが、「まあまあ家に入ってよ」と言われ、お茶をご馳走になりました。奥さんはとてもきれいな方なので、そっちでもお邪魔しようかなと思ったのかもしれません。お子さんが、6年の時突然受験塾に行きたいと言い出し、それまでの家庭教師から変わったそうです。自然体で子供と付き合い、やりたいことをやらせる、こういう方と話していると、いろんなところで、そういう姿勢が言葉の端に現れます。そういう会話をしていると、構えている壁がなくなるゆったりした感じになります。「ああしなければ・・・こうした方がいいと思ったのに・・・こう言ったのに・・・」という会話だと、構えてしまいます。両方必要なのでしょうが、ゆったりの時はそれほど多くありません。ついつい長居をしてしまって、次男から、「順調に行ってる?」と電話が入ってしまいました。「すんませんなあ、長いこと引き止めてしまって・・・」「こちらこそ、楽しい会話で長居してしまいました。奥さん、美味しいお茶ありがとうございました」下のお子さんが高校受験で、できればヨット部のある学校に行きたいそうです。私の母校、次男の母校、兵庫ジュニアのあるお父さんの母校、京都のリッツ、ヨット部のある学校は少ないのですが、勉強もしっかり鍛えてくれる私立がお好みのようです。まだまだいろんなことを聞きたかったようです。私もまだしゃべっていたかったです。
2005/11/23
コメント(2)
昨日は日曜日。天気は晴からくもり、まあまあでした。数週間前、次男とその仲間たちと8m/sの風の中クルーザーに乗ったとき、ジブラフがサギングして、あまり上れなかったのです。ってヨット用語が分からないと、なんのこっちゃわからないですね。2枚帆がついているヨットに乗っているのですが、マストの前の小さい方のセールの前縁がカールしている状態です。大きなヨットは、マストを前後左右の4本のステイ(ワイヤー)で支えています。大きな帆をつけているので、風が強くなると、風を受ける帆に引っぱられてそのワイヤーがたわみます。こうなると、風上に向かう角度が悪くなります。元々風に対して45度上れていたのに、50度しか上れなくなると、より風上の目標に行きたい時、効率が悪くなります。大体ワイヤーがゆるいとマストが不安定で、もっと風が強くなった時、マストが倒れたりする危険があります。そこでメーカー推奨の標準がどんなものかと思い、ヤマハに聞いてみることにしました。元々レーシング上がりなので、このデータはとても重要です。まずメーカーやセールメーカーの標準で立ててみて、そこから微調整してトップスピードポイントを探します。これが、風速・波の具合などで変わるので、練習を重ねてデータを記録して行きます。自然に頭に入り、レースでは海面を見て、どんどん変えていきます。常にトップスピードを維持できる艇がレースに勝ち、これがたまらなく面白い。ハーバーに着いて、小型艇ヤードの方からヤマハの建物に向かっていると、「こんにちは」といきなり声を掛けられた。後輩のK君です。兵庫県連の理事をしており、今週の470級全日本に向けてトラックに船を積むのに来ていました。来年の兵庫国体の県代表選手の有力候補NTT西日本の選手の船を用意していた。ちょいとゴチャゴチャ話して道草してからヤマハで、データを聞いたが、どうも良く分からないらしい。実際にお客さんのマストを立てている人のいるところの電話番号を聞いて、ウィークデーに聞く事にする。さてと・・・マスト立てが出来なくなったけど、今のデータを取っておくかと思って、レーシングヨットドラゴン級の物入れからテンションゲージを出して、桟橋係留している船に向かおうとすると、今度はJ24級に乗っているお父さんと会った。「ああ、Yさん、何してるの?」「今日はマッチレースの講習会の手伝いですわ」このお父さんの息子君は、まだ中3だけど、2度もジュニアの世界選手権に出場したうちのジュニアのエース。もう1人の方も含めて、ごちゃごちゃ話していると、今日の私の用事の話になり、何とその方は、今から行こうとする船に3年前まで乗っていた人でした。ほんとにヨットの世界は、狭いです。当時のエンジンの調子や、室内の様子を聞くことができました。マッチレースの講習にも興味があったが、今日はパスすることにして、船に向かう。既に1時間以上道草してしまった。ここに来ると、海やヨット好きばかりがいるので、知り合いに会うと話が長くなる。家にいてもしゃあないし・・・なんて感じで来ている人が多いから、こうなるんですよね。ゲートを開け桟橋を歩いていると、船の上にはマットレス、桟橋にはオーニングが広げてある。どうやら先輩方が来られているようです。そのまま整備に合流して、昼過ぎには、焼きそばとおでんを作って解散ということになりました。来月中学生とその父母を乗せるらしく、そのために少しでも船を美しくってことで集まっていたようです。母校の中学は私立で、土曜日が選択授業になっています。その科目がユニークで、ハンドベル・手話・系列大学の研究室を訪ねて、教授からいろんな話を聞いたり、その世界の一流を豊富な人脈を駆使して、中学生に一流と触れさせる機会になっています。その1つに、ヨットがあるのです。土曜日なので、私は参加できませんが、ヨット部OB会がNPO法人を作って請け負っています。昨年から始まったのですが、これがまた好評で、定員オーバーで中学で抽選になっているようです。11月に講座は終わり、その打ち上げで生徒さんとその家族をクルーザーに招待します。去年は1艇だったけど、今年は生徒も増えたので2艇かな?ひょっとするともっと多く出すことになるのかもしれない。体育会の縦割り社会がきちんと死ぬまで続くので、号令がかかると、必要な船は湧いてきます。帰り際、S先輩が「ええ隠れ家やなあ」と一言。小学生の頃、やぶの中に作った秘密基地のようです。家では「粗大ゴミ」扱いされているお父さんの隠れ家には最高です。掃除はするし、料理は作るし・・・お母さんに見せない、別の顔かもしれません。
2005/11/21
コメント(2)
昨夜仕事を終えて、京都の方に電話をしました。来週和歌山まで、次男の艇を運ぶ件です。3艇も運ぶことのなったので、カートップではとても無理で、トレーラー牽引することになり、それを引っぱるヒッチが付いた車を借りなければなりません。「今晩は」「ご無沙汰です」「こうこう、しかじかで、お車を借りたいんですけど・・・」「いいですよ、どうぞ使ってください」ってあっさりOKをいただけました。別のクラブで、うちの子の方が少し大きいのですが、子供達どうし、同じレースで勝ったり負けたりしてた、ライバル君のお父さん。ヨットというのは、小さな世界で、スタートすればわが子に勝って欲しいですが、フィニッシュすれば、遊んで友達の輪を広げて欲しい。「どんな練習してるの?」なんて、親同士は、ハーバーや宿舎でワイワイ。夜なんて即席の宴会状態ですからね。ライバルもいるが、海と風が相手なので、いざという時は、助け合う仲間です。そんなことをしているからか、数年すると、家族付き合いできる関係になります。前にも少し書きましたが、次男君の後輩がニューカマー枠で全日本に出場できるようになったのですが、琵琶湖でのライバル校からも1人参加できることになりました。多分、船を持っていく費用はどれくらいかかるのかなあ・・・かかり過ぎると参加できないなあなんて、思ってたと思うんです。その子から相談されたんだろうなあ・・・「お父さん、あのさあ、あのトレーラー3艇運べたよね・・・」「去年のが借りれたら、佐賀まで3艇運んだからいけるよ」「あのさあ、他校の子が一緒に行けたらって、言ってるんだけどさあ」「いいよ、運べるように動いてみるよ」22日夜、仕事を終えて京都に走り、車をチェンジして琵琶湖の行き、船を積み終えて、次男大艇庫で就寝。次の日朝早く和歌山に向けて出発です。船を降ろして、京都に戻り再び車のチェンジ。速攻で帰って来て仕事です。ハードだけど、去年よりまし。次男の車と2台で選手6名とともに遠征です。次男は2度目の全日本、昨年次男と組んでいた子が艇長に出世して初めての全日本、それにR大の子も初めての全日本。学生レベルの上の一般の全日本だから、速い人がいっぱいいます。みんな思いっきりやって欲しい。勝ち負けなんて小さな事、一緒に遠征することで、両校の結びつきがより近くなり、合同練習などを今以上にするようになれば、切磋琢磨して両方上達する。学生が終わってからの関係に発展するからね。そう言えば、8月の本番前にレース練習してるとき、近くを通ったR大にコーチボートを走らせて、合同練習を申し込んだことがあったな。午前も午後も一緒に練習したけど、別れ際「ありがとう」と選手からもコーチボートからも、声を掛けてもらった。当然こちらからも返したが、ああいう経験が、次男に声を掛けてくる伏線だったのかもしれない。金銭抜きの結びつきはとても強いから、こういうのを広げて欲しいな。そして知り合いの知り合いは知り合いと言う風に、もっと広がればなあ。ハードだけど、楽しみな来週です。
2005/11/19
コメント(2)
「蝉しぐれ」藤沢周平/文春文庫を読みました。今夏、映画化されたので、かなり期待して家内と一緒に観にいった。この本は、実はかなり以前に読んだことがあり2度目です。以前TV化された時も感動を覚えたが、映画は期待にたがわず秀作で、再び本で読んでみようと思い立った。しかし私の乱読故、何処に行ったか分からず、再び購入することになった。確か前はもっと大きな本だったように思ったが、今は文庫化されており、安価で手に入った。本の最後を見ると、第1刷が1991年と言うことで、それほど古くはない。作者の藤沢周平の年表を見ても、それほど古い方ではないのだけれど、中高時代に読んだように思っていた。何故そのような勘違いの世界に陥るのか分からないが、多分田んぼやその他の風景描写が子供の頃、ずっと時間が余っていた頃に見たものと重なるからではないかと思う。さらに題名にもなっている「蝉しぐれ」が、小学校時代近所の公園で夏休み中捕っていた蝉と合わさるのだろう。頭に記憶される時には、単純なる数字より語呂合わせの方が、歴史の年表などが覚えられるように、何か別のものとくっつくらしい。まさに私の「蝉しぐれ」は、そのサンプルのように、子供の頃と結びついているようだ。それにしても、こんなに実際読んだ時と記憶がずれるなんて・・・初めての体験です。それとも別の同じような場面がある本と混同しているのかもしれない。今夏の映画を観て、蝉しぐれがバックに流れる場面が少ないなあと感じ、オリジナルとは違う所が多々ありましたが、それは表現媒体の違いで仕方がないことですが、あやふやになってしまっていた本の記憶との相違を確かめたくなったのも、再読のきっかけです。映画を観てからこの本を読んで、一番感じたのは、のちに藩主の側室になる幼馴染のお福のイメージです。どうしてもこの役をなさった木村佳乃さんをダブらせながら読んでしまいます。その事は別の楽しみになり、映画を観た後に読んだからで、前回読んだ時よりこの小説を面白くさせました。本に書かれているお福より、映画のお福さんの方がいい。TVのお福さんは、もっとおしとやかだった感じ。私は木村佳乃さんのお福さんに恋をしてしまったのかもしれません。物語は、下級武士の少年時代から始まります。同職が家を連ねる環境で、隣に住む同年代の少女が川で蛇にかまれます。すかさず彼女の指から毒を吸い出す少年・・・。淡い恋だけれど、今とは時代が違い、それぞれの今一番大切なことを優先することで、心の中の想いのままに過ぎます。父親の切腹により不遇の少年時代を送るが、目の前の文と武に励み、やがて・・・最後の父との短い面会で、「わしを恥じるでない、母親を頼む」と言った父親の言葉が少年の胸に残り、多分その言葉が、少年にはあまりに荷が重い現実を生きる力になったのだと思われる。親父、かっこいいなあ。時は過ぎ、奉行になった主人公に、お福から手紙が届く。「藩主の1周忌を前に髪をおとし尼寺に入る。一度会って欲しい」お忍びで会う2人は、お福からの子供時代の想い出の会話で進む。2人ともそれぞれ人の親になったのですね・・・さようですな・・・文四郎さんの御子が私の子で、私の子供が文四郎さんの御子であるような道はなかったのでしょうか・・・それが出来なかったことを、それがし、生涯の悔いとしております・・・うれしい。でもきっとこういう風に終わるのですね。この世に悔いを持たぬ人などいないでしょうから・・・江戸に行く前の夜に、私が文四郎さんのお家を訪ねたのを覚えておられますか・・・よく覚えています・・・私は江戸に行くのがいやで、あのときお母様に、私を文四郎さんのお嫁にしてくださいと頼みにいったのです。でもとてもそんなこと言い出せませんでした。暗い道を、泣きながら家に戻ったことを忘れることが出来ません・・・この指を覚えていますか。蛇にかまれた指です・・・さよう。それがしが血を吸ってさしあげた・・・これで思い残すことはありません・・・これを書きながらも目頭が熱くなります。自分の想いを素直に出せなかった時代ではあるが、己の分をわきまえ、凛とした生き方がごく普通の人の生活にあった。自分の生き方を自問できる素敵な作品です。TV・映画・原作本、どれもみんなそれぞれの味があり、楽しめます。原作の骨太の部分がしっかりしているからでしょう。
2005/11/18
コメント(4)
ヨットで旅するヨッティーさんの日記に、面白い所がありました。カリブ海に点在する島のネイティブさんは、コロンブス来訪以降絶滅し、アフリカからの奴隷をプランテーションで働かせて搾取する島になったり、黒人を太らせてアメリカに高値で売る奴隷中継地になったそうだ。セント・バーツ島という島がある。ここに入国すると、他の島とは違った印象を受ける。入国手続きからして、歓待されている感じがする。そして、首都の港を歩くと、白人が圧倒的に多いことに気がつくらしい。この島は元はフランス領だったが、ストックホルムとの自由な交易の見返りにスウェーデンにレンタルされた。香港やマカオと同じようなものかもしれない。その条件が港を自由港にすることがあり、フランス変換後もそのまま自由港。この自由港を別の言い方をすれば、公然の密輸港ということになるらしく、現在もそれが続いている。プランテーションを経営するには、気象が適さないので、金髪碧眼のカリブ人が残った。関税などというものは、欧米の権力者どもが勝手に考え出し、私腹を肥やすためのものであって、島の住人には何の利益ももたらさないと、カリブ人は信じている。彼らは密輸を罪悪とは考えていないのだ。それどころか、ちょっとした利益を生み出すスポーツのようなものだと信じているようだ。フランスの管理下にある自由港なので、ここからの積荷は無検疫で他の仏領の大きな島に輸出できる。家畜がが生きたままドミニカ共和国やハイチから船積みされ、この島に立ち寄り、書類上の手続きだけで、そこでいったん売買されたことにして仏領の島々へと輸出される。市場には、この島産の家畜が出回り、キューバの最高級葉巻やたばこ、酒、宝石類・・・タックスヘブンの恩恵を受け、大きな島の向こうを張って銀行さえある。港で荷役をしているお兄さんが腕にロレックスの時計、首には金銀じゃらじゃらの装飾品をぶら下げていれば、それが普通でないことは一目瞭然だ。自国の税制を逃れた、表に出したくないワケありのお金が集まる。この土地には異様なほどの豪邸が島に点在し、超豪華ヨットが舳先を並べることになった。飛行場はあるにはあるが、小型機向きで、大型旅客機は来ないし、クルーズシップも立ち寄らないので、ヨットか自家用機で訪れるしかない。この密輸の島は、絶滅を免れたカリブの少数民族と欧米人との混血の島として、静かな繁栄を続けることだろう。とあった。ほほう、関税が乗ってない商品を扱っていると、確かに有利な取引ができるなあ。
2005/11/17
コメント(4)
次男君から電話が入りました。「あのさあ、船運ぶの、どうなった?」「まだ連絡待ちやねん、今晩また電話しておくわ」来週、ヨットの全日本個人が和歌山であります。今年の日本一を決める大会で、昨年佐賀県唐津であった大会です。今年も予選を経て出場できることになり、ニューカマー枠で次男大からもう1艇行ける事になりました。最初はカートップで行く予定でしたが、2艇は無理なので、トレーラーを引っ張っていかないといけません。さて、そのトレーラーですが、琵琶湖ジュニアのを去年同様借りる予定なのですが、その段取りがまだ確定していません。それによって、22日の宿泊から宿を取らないといけないか、23日からでいいかが決まります。船の積み込み要員の確保もあるし・・・トレーラーになると、ジョイントなどの関係で学生だけでは無理で、親にまたヘルプの電話がかかってきました。そりゃ、トラックで運べばいいのだけれど、そこは貧乏学生、出来るだけ安く上げるために、そんな贅沢は出来ません。昨年同様、私は船を運び入れてすぐ仕事に戻り、最終日の日曜日に現地入りして、船を持ってかえる仕事です。でもまあ、昨年新幹線で帰ってきたり行ったりしたことを思えば、和歌山は近くてありがたいです。子供のレースの手伝いが出来るなんて、ありがたいことです。
2005/11/16
コメント(4)
日曜日は、次男君の大学ヨット部に久しぶりに行ってきました。次男君はヨット部を引退したのですが、「また見に来てください」と、次男の次のキャプテン君から連絡をもらい、頼まれるうちが華だなと、もう1年引き受けることにしました。ただ、自分の活動をもう少ししたいので、少し少なくなりそうです。相変わらず、いい雰囲気のクラブで、次男以外は引退した4回生も来ていました。というのも、この日は琵琶湖の草レースです。レースは面白いので、2年前に引退した人が2名、その上の方が1名、さらに監督さんも選手で出ました。近畿北陸ブロックの3強は出ていなかったので、両クラスとも次男君大が優勝しました。みんな嬉しそうで何よりです。自宅に戻ってくると、まだ次男君の部屋の電気が点いていました。車もあるし・・・私が家に帰るのを見計らったように・・・ということでもないのでしょうが、自室から荷物を降ろしだし、下宿に帰るようです。家内がゴソゴソ動き出し、荷物の上に次男君の洗濯した着替えを乗せて行きます。見事な連携と言うか、長年の習慣と言うか・・・とても私には出来そうもありません。それが終わると、次男の部屋に上がり、「机の上にある作品は、持っていかなくていいの?」との声が下階に届き、私が外の次男に中継します。「それ試作品。もう使わないから、そのままでいい。邪魔やったら京都で捨てるよ」って答え。「気をつけてな」「うん」・・・と言うことで、帰って行きました。食事が終わり、風呂から上がると、家内が次男の部屋で何やらしているようです。上がっていくと、「これ見て」と・・・白い箱の右側に付いたハンドルを動かすと、前のドアが開き、中のペットボトルが斜めになって出てきます。硬い紙とテープ、それに棒が材料かな?何度やってもきちんと動きます。学部で最作した、建物の模型やら鳥瞰図やらを下宿で見たけど、その出来栄えに引けをとらない出来です。下宿で見たときは、「これが我が子の作品?」と驚愕したが、家内がそれを見るのは初めて。たいそうビックリしたのだろう。何度も作品を覗き込んで、どういう仕組みか動きを確かめている。ギアも紙の巻き方で工夫されており見事。詳しい設計図に数字が多数書き込まれていた。以前下宿で、「お母さんに見せてあげたいなあ」って言ったことがあったから、残していったのだと思います。
2005/11/14
コメント(6)
昨夜家に帰ると、いつもの「おかえり」の返事がなかった。おかしいなと思いつつ、かなりの雨が降っていて、玄関の私の声が聞こえなかったのだろう、とか押入れとかに首を突っ込んで何かしているのだろうと、あまり気にかけず着替えをした。お風呂に入ろうかとも思ったが、先に夕食にすることにした。お盆に食器を乗せ、家内の部屋でTVでも見ようと思って入ると、家内が座って前かがみになっている。何してんのかな?と思ってお盆を置いたら、「おかえり」と言いながら、脇から体温計を抜き取った。「熱、あるの?」「ううん、大丈夫」額と首に手を当てたが、熱は感じられない。こないだ、「三丁目の夕日」という映画に誘ったが、断られてしまった。「ちょっと寒気がするから・・・」もちろん断ってくれてOKなんだけど、寝込むことがほとんどない家内に言われると、「大丈夫やろか」とちょっと心配になる。あれから、熱を測ってるんやなあ。夕食を食べ終わる頃、「先に寝るわ」って布団にもぐりこんだ。さてと・・・部屋を暗くして退散しようと思って、お盆を持って立ち上がった時、ガチャガチャと玄関のカギを開ける音。長男君かなと思ったが、暗い部屋でお盆を持っているので走っていくことはできない。ヤツは玄関を入ってきて・・・次男君の方だった。なぜか最近次男が、よく下宿から帰ってくる。「ああ、お帰り」「ただいま」食卓にお盆を置きながら、「ご飯は?」「食べてきた」「そう、風呂あるで」床に入ったところなので、家内に次男君が帰ってきた旨伝えると、「食事は・・・、いつまでいるの?、お布団はあそこにあるからねえ・・・」と言ってだけで、いつものように、「おかえり~」って行かない。次男がPCやら袋やら、ゴソゴソ玄関に入れている間に、布団を次男の部屋に突っ込んで1Fに下りる。「いつまでいるの?」「日曜まで。日曜テストやから」家に帰ってくるところをみると、学校のテストではないようだ。って、日曜だから当たり前か。大阪とか神戸で何かのテストを受けるのだろう。次男は鼻歌交じりで、家の中をうろうろしていたが、家内がちょっと元気がないのが、少し心配。昨日の雨で、風邪をひきそうなのかも・・・
2005/11/12
コメント(4)

私は書評をつけています。そのコピーを載せようと思います。「メッセージ・イン・ア・ボトル」 ニコラス・スパークス ヴィレッジブックス ソニーマガジンズ同名の映画を見たかった。そう、この本が映画化されたものだが、当時はヨットが出てくる映画というだけの興味だった。映画の方はチャンスを逃してしまったが、ずっと心の片隅に残っていた。なぜなら、この題名がミステリアスだから・・・そしてロマンチックな響きがあるから。子供の頃、この物語のようにビンに名前と短いメッセージを書いて海に投げたことがある。小学校では風船に紙をくくりつけてみんなで飛ばしたこともある。誰でも1度は経験したのではないだろうか?誰かが拾ってくれるかなあ~、拾った人から手紙を届くかなあ~、なんてウキウキした数日を過ごしたものだ。この物語は、まさにそうしたものだが、ボトルに入ったメッセージの内容は少し違った。今は亡き妻に送ったメッセージ。それを別の女性が偶然海岸で拾ってしまうところから、ステキな展開を見せる。この物語に中には、数通のメッセージが出てくるが、最後のメッセージには自然に涙があふれてきた。物語の進行を追いながら、私と家内の関係をパラレルに振り返っていたように思う。仕事を終えて後のデスクで・・・寝る前に布団の中で・・・朝起きての短いひと時・・・船でも昼食を食べながらも読んだな。家では一度、家内の部屋に忍び込んで寝顔を覗き込んでしまった。主人公ギャレットは、身重のまま亡くなってしまった妻への想いが深いがゆえ、女性との関係が前に進めない。多分、私もそうなるような気がする。この年になって笑われそうだが、家内のしぐさなどにドキッとしてしまい、いつまで見ていても見飽きない。客観的に見れば、美貌など20代のそれとは違っているのだろうが、別の魅力が輝き出し、全体的には益々ステキな女性になっていく。子供たちも立派に、そして何処に出しても誇れる好青年に育った。とてもいい人生を歩んでいるように思えるが、やはりそれを支えているのは彼女だ。私の人生の半分をともに過ごし、これからは私の人生のもっと大きなウェイトを占めるだろう。もし今、この物語の主人公のような境遇になってしまったら、日頃の表向きの生活は変わらず続けていけても、心の空白は埋めようもないだろう。気の合う女性が現れても、前に1歩踏み出せないだろう。自分と重ねながら読んでいた。反対に私が先立ったらどうだろう?この答えは決まっている。家内と結婚してしばらくして、「私にもしもの事があったら家に戻って再婚しいな。それまでうちにいてもいいし」と言ってある。さらに、子供が大きくなった時、「僕と離婚することになったら、子供の親権は渡すよ。その方が子供にとって幸せだと思うから」と文章で渡してある。うちの親がゴチャゴチャ言わないように、それも文章で残した。心の片隅には置いて欲しいけど、もういなくなってしまった私に縛られて欲しくない。戦国時代の武将の奥さんのように髪を落とすような生活をして欲しくない。いつまでも輝いていて欲しい。だって僕が愛した人だから。この本を半分くらい読んだとき、映画のDVDを注文した。ケビンコスナー、ポールニューマンという配役を知ってしまったからだろう。ケビンコスナーの配役は知っていたが、その父親役をするポールニューマンの演技がとても気になり、確かめたかったから。あの時、映画館で観ずに先に本で読めたことはとてもラッキーだったかもしれない。映画は2時間だが、本は数週間、その世界に浸れる。そしてより深く、いろいろ想い、考え、楽しめる。今年は「蝉しぐれ」に続いて、映画館でないのは残念だがステキな映画に触れられそうだ。既に自宅に届いているのだが、本を読み終えるまでお預けにしてある。さて、晴れて家内と2人で観ることができる。本の余韻をもう少し楽しんでからの方がいいだろうか?藤沢周平は好きな作家で、あの世界は居心地がいいので再び「蝉しぐれ」を読んでみるつもりだが、この本の著者ニコラス・スパークスの別の作品も読みたくなり、同じくベストセラーになった処女作「きみに読む物語」も注文してしまった。「メッセージ・イン・ア・ボトル」は2作目だそうだ。
2005/11/11
コメント(2)
JR西日本の社員さんが、日勤教育で会社を提訴したと新聞に載っていた。JR宝塚線事故で明らかになった日勤教育の内容を知って、あきれてしまうとともに、ひどいことを人に対してできる人がいるなあと思った。いくら会社に言われたからって、私ならできない。それにしても、自分が給料をもらっている会社を訴えるなんて、よっぽど大きな恨みを持ったのだろう。もうその組織内での出世は諦めないといけない。残念なことで辛いことです。行き過ぎた効率主義と利益追求がベースになり起った事故。それへの揺り戻しで大きな犠牲を払ったが、独占企業であるがゆえ会社はそれでも存続する。裁判も会社が脱皮するチャンスですね。もう一つ、スポーツ欄で目を引いた記事があった。アメリカ大リーグ最優秀監督賞。アメリカンリーグは、井口が所属するホワイトソックスのギーエン監督が受賞した。全米一になったので、そうだろうなあと思ったが、ナショナルリーグはブレーブスのコックス監督が選ばれた。コックスさんは、新人18人を起用する体制で、東地区優勝を達成した手腕が評価されたそうで、これで4度目の受賞だそうだ。ギーエン監督の1.5倍の得票を得て、両リーグ最多の100勝をあげた同リーグカージナルスのラルーサ監督の14倍の1位票を集め選ばれた。全米野球記者クラブ代表による投票らしく、毎日大リーグの選手に接しているプロの目から見た結果です。チーム内部の雰囲気や選手の表情・会話から受けた監督像だから、組織を率いるすばらしいものを持っている方なのだろう。コックス監督の言葉、「新戦力の台頭は、選手に力があるということ。自分はメンバー表に彼らの名前を書き、励ましただけだ。彼らを育て、送り込んでくれた人々が評価されるべきだ」この言葉に、人となりがにじみ出ているように思った。日勤教育をしていた教官とコックス監督・・・プライドを潰す言葉と、プライドをくすぐる励まし。ここには大きな差がある。安易な恐怖をあおって服従させる組織コントロールと、難しく忍耐力がいるよいしょ組織コントロールの差。私はコックス監督流がいいな。
2005/11/10
コメント(7)
ドロシー・ノー・ノルトさんが亡くなった。81歳。「子は親の鏡」の詩の著者。世界中の多くの親に、すばらしい詩をありがとう。ステキな人生でしたね、おやすらかに・・・やさしい言葉や思いやりのある言葉は、人に安らぎを与え、気持ちを落ち着かせ、そして前向きな勇気を与える。そういう言葉に接した後は、接する人を温かいまなざしのフィルターを通して見ることができる。その人のいい所やきれいなところ、おしゃれなところに気づく。聖書にかかれている、「言葉が最初にありき」は真実だと思う。まさにそのとおり、最初に心の中でも、「この人はいい人」と唱えてから接すると、そういう面が見え、きっと相手に伝わり、そういう対応になる。世の中、そんなに甘いもんじゃないと分かっているが、それでもこれは真実。最近、世の中に余裕がなくなり、ギスギスして、そういうのを忘れてきている。こういう人間が1人くらいいたって、いいんじゃないかな。そういう人に、「すばらしいよ」とステキな言葉で応援してくれたのが、ドロシーさん。ありがとう。
2005/11/09
コメント(4)

ガチャ、ガチャ。慌ててTVの前から立ち上がって玄関に走って行った。玄関ドア横の明かり取りから、人影が動くのが見えた。「はい、お帰り~」人影より早くドアを開けて、家内を玄関に招きいれた。こないだの日曜日も、私の方が早く家に帰ってきた。いつものように玄関に置いてある靴を全部揃え、お風呂のスイッチを入れ、着替えた後、ベランダの洗濯物を取り込んだ。たたもうと思ったが、夕方まで雨だったこともあり、十分乾いておらず、エアコンのスイッチを入れ、その下のカーテンレースにまたかけた。道路から3段上がったところにある門扉をきちんと閉めて、誰かが帰ってきたらガチャガチャ音がするようにしておく。家に入りTVを見ながら、用意されている夕食を取った。この日は家内の帰りが、いつもより少し遅く、お風呂から出てきてもまだ帰ってこなかった。「駅に着いたら電話をかけてくれば、迎えに行くよ」いつも言ってるのに、かけてきたことがない。「別に平気だから」って言うけど、食料品を重そうに抱えて帰ってくるのが常です。早く家に帰った時は、家内が玄関を開ける前にドアを開けることに執念を燃やしている。馬鹿らしいことだけど。1Fにいる時は、子供たちが帰って来た時も同じように、先に玄関を開けられるように走っていく。親父の威厳も何もあったもんじゃないが、子供たちが小さな頃、私が帰ってくると、バタバタ走ってきて、先を争って開けてくれたのが嬉しかったからだろう。時にはお兄ちゃんに先を越されて、弟君が負けたと泣いたこともある。この日曜日も、家内より先に開けたので、「ありがとう」と言いながら、照れたようなはにかんだような・・・何かこれがいくつになってもかわいいんだよね。重い買い物を家内の手から奪い、台所に持っていって、さて私の仕事は終わり。冷蔵庫を開け・・・再びTVの前に行って、ゴロン。「今日も、先に玄関開けたぞ」って、それでどうなの?ってことで自己満足して・・・500gのプレーンヨーグルトの蓋を開け、これまたこだわりのジャムを少々入れて、至福の時間を持った。嬉しいことは伝播すると思ってる。子供たちから教えてもらった嬉しい行動をお返ししてる。他人さんには、はずかしくて出来ないけど、家族にならできる。自分が言われたように、「しっかりしなさい」なんて子供には言わない。家内にも彼女への不平は言わない。「ありがとう」「すごいなあ」ばかり言ってきた。決して楽な生活をさせているわけじゃないけど、家内から不満を聞いたことがないので、こっちからも言わない。お客さんを見ていると、夫婦って似てるし、親子って似てる。サービスをより要求する方のお子さんは、同じように何か不満そうな顔をしている。あれを長年続けていると、普通の顔が不満顔になっちゃう。普通の顔が、何か笑ってるような福の神の顔の人がいる。きっといっぱい笑ってきたから、ああいう顔になったのだと思う。いいな、憧れちゃう。ありがとうって笑顔で返してくれるお客さんのお子さんは、全員ステキな笑顔の持ち主です。笑顔をもらうと、また1つサービスしちゃうんだよね。福の顔の人は、お得な人生を歩んでいくと思う。人に好かれる人は、仕事にも好かれ、運に味方され、楽に生きられると思う。だから子供たちには、彼らが悲しむようなことは言わない。世の中で最も信頼している親に落ち込むことを言われたら、ダメージは数倍になり、褒められたら数倍の笑顔になると思ってる。福の顔にして、世の中に出すんだ。きっと人に好かれるようになり、仕事も順調に行き、家庭もうまく行くと確信している。タイでゾウに乗ったよ
2005/11/08
コメント(6)
ブッシュ大統領が苦しい立場に立たされています。イラク戦争を始めた時の理由が、不確かな情報だったり、情報機関から上がって来た情報を全く反対に受け止めたり・・・初めに開戦ありきで、それに好都合な理由を採用するという、客観とは違う手法で強引に動いた反動です。当時の国務長官パウエルさんは、「イラク開戦は間違っていた。国連での私の演説は汚点だ」と、反省の言葉を語っている。現実に開戦理由の大量破壊兵器は見つからなかった。当時フランス・ドイツが、証拠がないと慎重だったが、結果的にそちらが正しかったようだ。9.11の貿易センタービル航空機突っ込みは、ひどいと思ったが、長年中東問題で常にイスラエル支持の立場であったアメリカが、その温床を育んできた結果でもある。暴力には、それを育む温床が存在する。暴力であったり、不自由であったり、不平等であったり・・・虐げられ、蔑まれ、平等にチャンスがない貧困は、時に大きな集団的な暴力への応援を生んだりする。ことを起こせば、検証をしないと、そこから成長できない。今、アメリカはイラク戦争の検証の時期にあるのだろう。ブッシュさんには、辛い状況だが、アメリカの国としては健全な感じを受ける。科学者が事実を積み上げて予想し、実験をし、その結果を検証して、次に繋げるように、アメリカ政治はそれをしている。事実は変わることはなく、多少のほころびから、おかしいなと思いながら保身のためやその他いろいろなことから、黙っていた方が、事実を語り始めた感じがする。さて、わが国を見るとどうだろう。アメリカの「イラクが大量破壊兵器を製造・備蓄している。放置していれば大変なことになる」論に呼応して、開戦賛成を表明したが、その事実は専門機関の捜索でもでてこなかった。元々の開戦理由が間違っていたとするのが、自然な流れで、それをわが国は国民に語っただろうか?人は間違うことはある。最も情報が集まる国のトップが判断したのだから仕方がないと思う。でも、間違っていたら、それを素直にわびるのが、自然だとおもう。そうすることにより、一時は批判を受けるが、長期的に見れば、かえって信用を得る。国のトップの、その姿勢が、のちのトップの姿勢に影響し、社会に、そして子供たちに影響する。「ありがとう」と「ごめんなさい」が、素直に言える人はすばらしい。ブッシュさんは、あの時の判断に「ごめんなさい」が言えないので、ズルズルとイラクで兵士の消耗を続けている。撤退と駐留の大義名分を得るために、都合のいい情報しか表に出さない。今日、兵士の1人が亡くなったら、数字は1だけど、その方の家族には1ではない。母親にとっては、オールかもしれない。日本もきちんと検証してほしい。開戦に賛成し、ブッシュ政権を応援した理由が事実でなかったことを出して、今からどうするか?新たな事実や理由を出して、国の方針を語って欲しい。常に勝ち組にいようと不利なことには目を向けないより、あえて火中の栗を拾う誠実さは、必ず後世評価される。先の大戦で、事実を都合よく見て、どんどん現実と乖離していった。結果、国際法で定められている降伏を恥として、玉砕を讃美し、終戦時期を遅らせることで、どれだけ被害が大きくなったか、過去に学ばなければならない。自分に都合が悪くても、謙虚に事実を冷静に判断し、次の舵取りをしないと。たった1日判断が遅れるだけで、何千人何万人という方が亡くなった。父は帰ってこれたが、その男兄弟2人が亡くなった。父の実家には、今も写真が飾ってある。もうなくなったが、祖父母はその受け入れ難い悲しみを、心に秘めて語ろうとしなかった。このようなあまりに大きな悲しみは、忘れるためにあえて口にしないのだと感じた。父が帰ってこれたから私がいて、子供たちがいるが、帰ってこれなかったおじさんの子孫は永久に消えた。平時に、事実収集・予測・実行・検証のサイクルが働かないと、非常時に働くはずはない。大抵、不利な事実を認めることや迅速な判断を鈍らせたりするのは、個人のプライドです。会議と言う形を取ると、罪の意識は薄められるが、実際は個々人の判断に委ねられている。
2005/11/07
コメント(6)
昨日は、日記を休んじゃいました。勉強会などで仕事を抜けることがあると、どうも時間がなくなってしまいます。昨日は夕方からお通夜に行ってきました。前々日だったか、Yさんが亡くなったと言うメールが流れてきました。いつもお世話になってるし、行かねばなるまいなと思っていたのですが、人の手配ができるかどうか分からなかったので保留していましたが、昼過ぎ段取りがつき急遽参加しました。Yさんとは、仕事関係ではなく、趣味のヨット関係で、レースの相手です。仕事関係なら堂々といけるのですが、そうではないので、少し仕事を抜けるのに気が引けます。Yさんは、うちの大学の隣の隣の艇庫出身で、その後オリンピックにも行かれました。私が学生時代、トップレーサーでオリンピックも2回くらい行きはったのかなあ?とにかく雲の上の存在で、練習してるのを見てるだけで、オーラがありました。時は経って、おじさんのレーシングヨットで、相手艇として対戦することになりました。そのヨットの協会の前会長で、レーサーでありサポーターであり、全体の運営に尽力なさっておられました。ちょっと体がお悪いと聞いていましたが、3週間前には、ご自身のレーシングヨットのすぐ後ろをボートで追いかけて、チューニングを指示していました。この夏は、国際レースをホームポートで主催することもあり、毎週ハーバーでお見かけしていたのに・・・最初訃報を知ったとき、「え、ついこの間海にでておられたのに・・・」と思いましたが、ベットで長患いをするよりも、あっさり逝っちゃって、何かと良かったのかもしれません。Yさんは、大きな会社をしているので、新聞に訃報が載りました。心不全という風に書いてありましたが、「酒のみ過ぎて肝臓をいわしている」と聞いていたので、あれれ?と思いましたが、口の悪い遊び仲間間の冗談だったのかもしれません。第一、レースには顔を見せていたし、逝っちゃうなんて思ってたヨット仲間はいなかったんじゃないのかなあ。絶対に車をとめるところはないと、バイクで行きましたが、やはり駐車場は満車でした。ガードマンが交通整理をしており、バイクもちゃんとした所には入れず、前の広い歩道脇に停めるように指示されたくらいです。ロビーを入ると受付があり、親族関係、会社関係、その横にヨット関係という受付もありました。さすがに、ヨットに大きな足跡を残した方で、東京の方からも見知った顔のこの世界の有名人さんが来られていました。その葬儀場は、この時間帯貸切のようで、他の方の通夜はありませんでした。メインの1階の部屋だけではなく、他の部屋にも弔問の方が入っていました。私はギリギリに行ったので、多分4~5部屋目に通され、ズラッと並んだ椅子に腰掛けて待っていました。その部屋の正面にTVがあり、メインの部屋が映っており、お寺さんのお経もきれいに聞こえて、進行状況がわかるようになっていました。大きいお葬式は、こういう風になってるのですね。親族の後、弔問の方の順に焼香があり、メインの部屋が終わったら、次の部屋というように、係員の方が順序良く誘導しておられました。寿命だから仕方ないとは言え、残念な方が亡くなりました。何か、あの人みたいにうまくなりたいなあと憧れていた方が亡くなると・・・なあ・・・家に帰ると、家内から「どなたが亡くなったの?」と聞かれましたが、母校のOBでもないし・・・私の気持ちはわからないだろうなあ・・・また経歴を詳しく説明してもなあ・・・と思い、「他大学だけどヨットの先輩」とだけ答えておきました。
2005/11/05
コメント(4)

「ただいま~」「お帰り~、京都の子から電話あった?」「いいや、何時ごろ?」「仕事場の電話番号教えたんだけど・・・」「仕事が終わってから、荷物のバーターで車で移動してたからなあ。その間に電話が入ったんだろうな。何の用事だった?」「知らない」「電話番号控えた?」「向こうにいると思ってたから、忘れちゃった」「そう、また電話掛けてくるだろうな・・・誰からも分からないよね・・・」翌日、次男に電話をしてみたが、誰が電話を掛けてよこしたか分からないし、内容も分からなかった。「また電話かけるでしょ」ということで、そのままにしていたら数日後、今度は自宅に帰ってすぐ電話がかかってきた。うちは仕事中、家内も私も、電話だFAXだメールだと、散々外部と連絡を取っているので、その他ではあまり電話というものを使わない。自宅にかかる電話のほとんどは、子どもへの電話。それも最近は携帯電話になり、一応携帯で連絡をとって、その後は電話料金の関係で固定電話で掛けなおす感じ。「もしもし」「こちら京都ヨット部主将の・・・です。お久しぶりです。実は・・・」次男君の次の主将君からの電話だった。どうやら、引き続きまた私に時々見にきて欲しいということだった。みんなで話し合って、特に昨年からの下級生から、私は受けがいいそうだ。ヨットのヨの字も知らない新入生に、面白い練習メニューを提供して、面白おかしい練習をしたからなあ・・・わが子に接するのと同様、ミスっても全く怒らないで、「あんなあ」とニコニコ教え、「うまいなあ」「一気に上達したなあ」とおだてる方だから、受けがいいのだろう。数年間の大学受験勉強を必死にやってきて、ほっと一息クラブに入ったら、怒られてたらイヤになっちゃうものね。と言うことで、次男君がヨット部を卒業したのに、私は縁がまた復活した。1年更新のプロ野球選手みたいに、ここ3年間、秋の今ごろになると電話がかかってくる。次男が全日本学生予選で負けちゃってから、しばらく自分のヨット活動をしていたが、去年までのペースよりは落とすにせよ、再び琵琶湖行きの復活です。11/13はD社主宰レース、12/4は今年最終の学生のレース、この2つは行くことにしよう。その間に、11/23・27は次男君の一般全日本のレースサポートで船を運ばないといけない。しばらく自分のヨット活動はお預けです。呼んでくれてるうちが華だからなあ。今年は、ヨットハーバーにクリスマスイルミネーションを見に行こうと思っています。係留しているヨットのマストやブームが電飾されてとてもきれいらしい。電飾のコンペをハーバーがやっており、思いっきりお金をかけているオーナーがいる。写真でしか見たことがないので、今年は実物を見てみよう。そして大晦日のハーバーの雰囲気も体験してみたい。本船が泊まっている神戸港などは、霧笛が響き、除夜の鐘とは違う年越しの雰囲気だけど、ハーバーはどうなんだろう?クリスマスイルミネーションが終わり、ただ寒風が吹いているだけかも知れないけど・・・
2005/11/03
コメント(4)

今朝新聞を見ていると、秋の褒章のことが書いてありました。お決まりの各界の有名人の方に加えて、JR宝塚線事故で、踏み切りの緊急ボタンを押して、反対から来ていた急行列車を緊急停止させ、二重事故を防いだ方と、会社の仕事を停止し、社員みんなで救助に駆けつけた会社も入っていました。国のナイスに拍手とともに、ごく普通のおっちゃんやおばっちゃんが、その他多くのそういう方を代表されて受賞されるのに、何か嬉しくなりました。私は、「冬のソナタ」にはまってしまった変なヤツです。はまってしまったおばさんは、多数おられますが、男性では少ないのではないかなあ?女性の方は、ぺさんですが、私はチェジウさん。そして、その声優の田中美里さん。なんて温かい雰囲気のある声なんだろう。彼女の声がTVから流れてくると、思わず見てしまいます。NHKの「ふるさとの宝」という番組のナレーターもしておられ、声に惹かれて見ていると、日本にもユニークな宝物がいっぱいあることを知りました。地元の人が推薦する宝物は、お金がかかっているというより、地元の普通のおじさんやおばさんが長年大事にしてきたものとか、地元の方のために作ったものが多いように感じます。スーパースターもすごいですが、本職を持ちながら、こういうのを長年やってる普通の人は、もっとすごいなあと再認識です。さて、私には地元の方に還元しているものは何があるか?ヨットしかないな。大学を卒業し東京に出て、地元に帰ってきてからずっと、子ども達のこれに関わっている。ボチボチできる範囲でやってみよう。いろんな方の、そういう試みが時代を作っているのだろうな。
2005/11/02
コメント(12)
全22件 (22件中 1-22件目)
1